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2025-07-15

HP通常更新やってからDM着手。DMは進行中が1つと原稿がまだなので着手できてないのが1つ。

考える時間がなくてデザインは全部手癖。そのうち捨てられる。

今の所予定としてはこんなものだけど毎日いつも通常更新の今すぐやって仕事が5つくらいくるのでのんびり散歩にも行けない。

いや仕事があるのは嬉しいんだけどさ。

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2025-07-08

anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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2025-07-06

医学部教授から見た国立小学校入学試験問題点

 関西地方医学部教授をしている。普段受験生選抜する立場だが、この春、子ども国立小学校受験し、試験運営で考えさせられる点があったのでここに記したい。

 なお、子が受験したのは、大阪市内にある国立大阪教育大学附属天王寺小学校(附天)である国立小学校では西日本トップクラス国立小らしい。らしい、というのは、当家庭は子ども小学校受験の準備をさせておらず、ほぼ無課金状態受験をさせたため、学校間の序列にくわしくないためである

 また、後述するが、附天は受験生子どもたち)に公平な受験機会を与えるために必要情報を公開していない。このメモは、附天受験の状況を無償で公開するという意味も持っている。

なお、筆者は旧帝大や非医学部を含め、国公私立大学にまんべんなく在籍した経験があり、入学試験設計(どのような学生を採りたいか)にも各学校でさまざま経験してきたたことを付記しておく。また、子ども特定を防ぐため、詳細な情報は一次試験の状況のみとし、子どもの合否にも触れない。

 

国立大阪教育大学附属天王寺小学校(附天)一次試験まで

 まず、試験要項(「入学調査要綱」)は非常にわかりにくい。

 試験は一次試験(筆記・行動観察)→合否発表→一次合格者のみ二次試験面接・実技)である

 試験科目として、「①筆記 ②実技 ③行動観察 ④面接(志願者面接保護者面接)」と書かれているが、それぞれがいつ実施されるのかが書かれておらず、一次試験学習として何を準備すればよいのかがわからない状態であった。

 実際には、上の()で示したような分かれ方をしていることは受験後に初めて分かった。

 高額な受験塾へ通わせている家庭は事前に情報を知ることができたと思われ、軽い不公平感を覚えた。

 校長は大教大の教授が赴任する慣例であり、面接対策として校長研究内容や人となりを事前に知っておこうと思ったが、なんと校長の氏名がどこにも公開されていなかった。何らかの理由名前を徹底して伏せていると思われたが、ここでも重課金勢の家庭との情報格差があると感じられた。

 

・一次試験2025年1月7日(火))

 試験は男女別に実施される。入学定員も別々。

 男子は朝8:30開門で9時までに集合、女子11:30開門で正午までに集合との案内があった。

 しかし、実際には子どもたちへの試験は7,8分前に(つまり男子では8:52ごろ)に別室にある試験会場への集団移動が開始された。

 私の子どもは*時50分にお手洗いへ行って戻ってきたら、他の子どもたちはすでに試験会場へ移動した後であり、「遅刻者」として試験会場へ向かうことになった。つまり学校側の案内は不正確であり、男子は8:50、女子11:50までにお手洗い等を済ませて待機室に座っていなければならないということであるしかし、そのような案内は、当日も口頭でも一切なかった

 試験監督する教員たち(つまり附天小の教員たち)は集合時刻を勝手に前倒ししている自覚がないようで、*時55分にお手洗いから戻ってきた私の子に「急いでください!」と急かす始末であった。せめて、「お手洗いは*時50分までに済ませてください。」と告知すべきであろう。実際には「お手洗いへ行っておいてください。」とだけ連呼され、それを真に受けてぎりぎりにお手洗いへ行った子どもバカを見た形となった。

試験学校側が勝手に前倒しで開始するなど、大学では(おそらく中学高校でも)まったくありえず、試験公平性観点からきわめて不適切な状況であると感じられた。

 

また、子どもたちは鉛筆や色鉛筆水筒などを持参するように指示されているが、それらを入れる手提げかばんを持参してよいのかどうか、受験案内に記載がなかった。

実際には多くの受験生が手提げかばんを持参していたが、上記試験前倒しなどと並び、この小学校は、最低限の必要情報すら伝える気がないように感じられた。

 

 子ども試験に出かけたあと、保護者は別室で待機する。

 ほぼ1時間後(男児なら9:55ごろ)に、保護者へ大きな茶封筒が配布される。試験案内には、「保護者の方には『志望動機』『お子様の長所短所』等を記入いただきます」とあったので、その記入用紙と思われた。配布から5分後に封筒を開けてくださいと言われ、中の用紙を取り出した。

 

 この用紙が驚天動地のもので、2つの課題について、約700字×2=1400字の小論文を60分間で作成せよというものであった。用紙はマス目が印刷された原稿用紙であり、ボールペン手書き修正基本的にできない。実際には、持参した家族写真の糊付けや説明作成もあるため、小論文執筆時間は50分ほどである

 筆者は大学入試小論文に関わっており、試験監督もたまにこなすが、1400字の小論文(正確には2課題)をわずか50分前後で書くというのはいわゆる旧帝大早慶クラス小論文でもめったにない高難度の早書きである

 小学校からの事前の公式案内は、「『志望動機』『お子様の長所短所』等を記入いただきます」だけであり、ほとんど騙し討ちに近い内容と言える。小学校受験趣旨から言って、保護者小論文が合否に大きく影響することは容易に想像され、そのような重要な入試項目についての実施情報を公開していない附属天王寺小学校意識は、教育機関としてはなはだ不適切であると、大学人として感じられた。

 

保護者向け小論文課題

 ・子供個性を把握し、強みを伸ばし、弱みをフォローアップするために必要な事は何だと考えていますか。740字。

 ・家庭で最も大切にしていることと、本校の教育方針と合致していると思われる点を挙げてください。720字。

 

 なお、筆者はたまたま教室の後ろのほうに座っていたため、保護者たちの様子がよく見えた。多くの保護者たちは封筒を開けると、ほとんど躊躇なく小論文作成しはじめた様子が見えた。初見小論文課題については、最初の数分間は内容や構成を考えてから執筆を始めるのが通例と思われるが、そのような様子はまったくなかった。後で知った情報として、附天の小論文課題は、字数や内容が毎年大きく変動するようであり、過去問でも対策本来は難しいはずである

 保護者は数十通りの予想課題について1千文字近いボリュームを短時間で書く訓練をしていた、ということかと思うが、実際にそのような対策時間がかかりすぎて困難なはずであり、特定受験塾に試験課題または大まかな傾向が漏洩しているのではないかという疑念さえ持ってしまった(あくま邪推である)。

 附天の二次試験運動課題(毎年変わる。)が出題され、2025年1月はなわとびであった。附天の滑り止めとされることが多い、私立城星学園小学校2024年秋の入試は(例年にない)なわとびが出題された。子どもたちからすれば、(体操球技ではなく)なわとびに集中すれば良いので楽なのであろうが、偶然の一致なのかなという不信感は残った。

 もし、私が附天の入試責任者であれば、城星学園の出題(数ヶ月前)を知ったところで、なわとびの課題は別のもの差し替えるだろう。それくらい、入試公平性疑念払拭には気を遣っているし、そうあるべきである

 

 こういったさまざまの情報は、受験塾に数百万円をつぎ込むことで明示的にまたは暗黙にえられる情報なのであろう。

 筆者はお金情報を買うことが不公平であると言いたいわけではない。

 国立大阪教育大学附属天王寺小学校という国立教育機関が、公平な試験を行うことが困難と言えるほどに情報公開を行っていないことや、小論文課題やなわとびのように偶然かわからない、疑念を持たれかねないスレスレの出題を行っていることは、国立機関として非常に不健全な状況であると考えた。

 私立小学校であれば、特定階層受験優遇を与えることはあってもよいかと思う。しかし、筆者自身国立大学での経験が長いこともあり、同じ国立大学がこんな杜撰不公平入試運営をしており、まったく恥じる様子もないことに大きな衝撃を受けた。

 筆者が在籍する医学部も似た状況で、受験倍率は10前後と完全な買い手市場であるしかし、だからと言って、入学試験運営をおろそかにするなど絶対にありえない。10倍人気にあぐらをかく意識はなく、試験でよりよい学生さんを採ろうと真剣である

 そういえば、附天の入試当日、監督教員事務手続上の質問をしたのだが、「調べます」と言われてそのまま放置され、回答はなかった。大学入学試験運営ではありえない適当対応である

 

 大学小学校は違う面もあろうが、入学試験というものの重みをずっと考えてきた大学から見た国立大阪教育大学附属天王寺小学校入学試験問題点は以上である

Permalink |記事への反応(1) | 01:29

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2025-06-25

玉木代表英語

経歴を見ると、1997年ハーバード大学修士課程を取得している。英語が使えないというわけではないと思う。

例の会見の文章平易な英単語のみで構成されている。これは一概にレベルが低いということではなく、よく使う語彙を最小限にすることで、質疑応対がスムーズに行くような工夫に思える。だから英会話はわりとできるのだと思う。

一方、報道発言文法単語の間違い、文意すら取れない箇所がかなりある辞書時間さえあれば、高校生ももう少しマシな原稿作れると思う。

好意的解釈すると、原稿を(あんまり)用意せずに来ちゃったのかなと思う。日常会話がわりと話せる人が、専門的な事象説明しようとするとぐだぐたになることは良くある(個人的にも経験がある)。

自分も発表の時なんかは、下準備として日本語原稿作って、英語にざっくり訳して、必要フレーズを頭に入れてから望むことにしている。英語で考えて英語で応答すると、手持ちの語彙と表現力に縛られてしまい、難しいことを説明しようとするとぐだぐだになってしまいがちだからだ。非母語の「使える語彙」を増やすのは結構大変。

最後に玉木氏の経歴を挙げておく。東大大学卒業後の1993年平成5年4月財務省(当時の大蔵省)に入省。主計局総務課に配属される[12][1]。1995年平成7年)、アメリカハーバード大学ケネディスクール留学1997年平成9年)、同校よりMPAMPA/ID:Master in Public Administration inInternational Development)取得。

Permalink |記事への反応(0) | 19:43

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国民・玉木代表発言の推移(6月24日外国人特派員協会

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_685b3781e4b0a6ad6d5ade18

6/25の訂正

「昨日の外国人特派員協会での記者会見での私の発言内容について、女性蔑視とのご指摘をいただいています。私がお伝えしたかったのは『国民民主党政策女性にとっても良い政策だと考えていますが、実際には女性に届いていない実状があり、それについて難しさを感じています』でした」「それが、会見では『it’s very difficult to understand for them.』と言ってしまいましたが、本来は『it’s very difficult to deliver to them.』というような表現を使うべきでした」

英語が未熟なため、拙い表現をしてしまたことを反省しています。決して女性蔑視をするつもりはありませんでした。女性の方々に支持が広がっていないのは、政策ちゃんと伝え切れていない私たち問題です。本当に申し訳ございません」

訂正の意義

女性が、政策の良さを理解するのがたいへん難しい」から、「(私たちが)女性層に政策の良さを伝えることが大変難しい」という意味になる。

国民民主政策を、幅広い層に伝えるように努力するというのが本来意図であると読める。

私見では、平易な英文から大丈夫と、通訳を通さずに原稿を起こしたため起きた誤記に見える。

原文

From the verybeginning of the establishment of our partySeptember 1990(actually 2020)and since then, unfortunately we havenot yetgetthe the popularity late from women.

Many people say, what we are sayingis very complicated andit’s very difficult to understand.

Butlast year’s general election, increasing the 1.03 million to 1.78 millionit’s easy to understand.

So I think our policyis good notonly for men but also women but Ithink it’s very difficult to understand for them.

At the sametime,as our policyis good for theyounger generation but also our policyis also very good policy for the elderly butit’s very difficult to understand how to see,you know, increase the pension or...

So we have been trying to explain manytimes andit’s our policyis goodas women and the elderly but so far we have not been successful toget the support fromthe the women and the elderly.

私訳

1990年(※正確には2020年9月、わが党が設立された当初から、そしてそれ以来、残念ながら私たちはまだ女性からの人気を得ていません。

多くの人は、私たちの言っていることはとても複雑で、理解するのがとても難しいと言う。

しかし、昨年の総選挙での、(年収の壁を)103万から178万に増やす政策は、たいへんわかりやすいです(文章不全のため意訳)。

ですから私たち政策男性だけでなく女性にとっても良いものだと思いますが、女性には非常にわかりにくいのだと思います

同時に、私たち政策若い世代にとって良いものですが、高齢者にとっても非常に良い政策です。

から私たちは何度も説明し、私たち政策女性高齢者にとっても良いものであることを伝えようとしてきましたが、今のところ女性高齢者の支持を得ることはできていません。

Permalink |記事への反応(0) | 16:05

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2025-06-23

anond:20250623160344

元増田だが前のレスの人は別の人だすまぬ

入場料は最近はどんどん上がってるので1500円は高いけど高くない、ぐらいの認識

(10年前ならこの規模なら500円~高くて800円だったとは思うが、美術館美術展示も軒並み1500円だったのが2500円になってたりするので価値観次第)

 

高いのはグッズ

公式カタログ4000円筆頭に、どれも凄い値段

この手のグッズは、ここ2、3年で軒並み+1000円ぐらい上がったと思う

なおカタログだが、あえて買う価値があるかと言われると、展示は原稿を見れるから面白いのであって、

原稿印刷したのを買うならコミックのものを買えばいいと思うので、あまり意味がないと感じる

絵画美術展だとネットで引っ掛からないような絵も掲載されてるので、まだしも意味を見出せるんだけど、マンガ原稿はね……)

 

なお今回購入した画集ネット普通に買えます(というか昔出してるやつ)

ポイント付くネット通販で買う方ががお得です

自分がその場で買ったのは、まあ、この手の企画してくれてる義理立てと、士郎正宗そこまで追っかけてなくて見落としてた程度だから……

Permalink |記事への反応(0) | 19:52

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anond:20250623152155

世田谷文学館……ってウチから自転車10分の距離じゃねーかっ!

原稿がかなり面白そうなので観に行きたくなってきた

行こうかなマジで

みんなは新宿渋谷から京王線京王井の頭線)経由で芦花公園駅下車して来るんかな

芦花公園駅って特に何もないけど世田谷区を楽しんでいっておくれやす

Permalink |記事への反応(1) | 15:58

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士郎正宗展とFGO

士郎正宗世界展を見にいってきた

どっかで書かれてたけど青心社講談社で固められててカドカワハブられてるため

紅殻のパンドラアニメけが年表に載ってるという、ちょびっとだけ抜けのある漫画家としての士郎正宗クローズアップした展示

 

漫画原稿普通にへーほーはーと面白かった

清書原稿の前の鉛筆原稿が残されてて、何段階も下書きを経てかなり綺麗な形の原稿として作られてたり

ペン書き原稿オノマトペを上から被せる形でクリア原稿別になってたり

自分用のトレース台をどう作ったか説明があったり

PC絵描き作業が出てくるずっと以前から手書きレイヤーな描き方を成立させてるのが

凄く士郎正宗ありすぎてギャグのようですらあった

作中プロパガンダ書き込みみたいのをオノマトペと同層のクリア部分に書き込んでるの、

技術的な意味なのか後から差し替え可能にしとくためなのか

ホワイト修正とかありえん、って感じなんだろうなという、潔癖症のような綺麗すぎ原稿ばっかだった

インク自分で配合したそう)

 

といった、手書き原稿展示なので、メインはお馴染みアップルシードドミニオン攻殻オリオン

CG作画展示はあるもの肌色は思ったより少なかったため、

売店で古今伽姫草子集という画集というかエロ画集大判を買って肌色成分を補充

 

この画集おとぎ話の登場キャラ女体化して肌多めで書いて、

その絵と同じぐらいのスペースがいつもの文章で埋め尽くされてるというモノなのだ

古典ベース +女体化 +関係あるんだかないんだか衒学なんだか駄法螺ってんだかよくわからないが凄い長文」という組み合わせに

うわFGO

と想起してしまった

うーん不敬(そこまでシロマサに敬服してるわけではない

 

と、いったんFGOを想起してしまうと色々と考えてしまもので、

まず思うのは型月の元々ってシロマサの影響あるんだろうか

一方がサイエンスSF)畑、一方がミステリ畑で、依拠する文脈が違うのは明白

絵的には社長絵は内藤泰弘とか方面で、辿ってくとシロマサいないわけはないだろうけど直接感はあんましない

CG以降もシロマサは割と素にCG初期のグラデーションやら光沢やらテッカテカ方面だし

ステイナイトの頃も手書き感を残してた社長絵はあんま影響って感じがない

 

と、FGOはそもそも型月コンビ作というより他メンバーの色のが濃いんだったと思い出す

FGO日本鯖は特に殆どノータッチだった

まり桃太郎エロ娘や風神雷神エロ娘やカチカチ山風エロ娘はあくまでFGOぽいのであって型月ぽいわけではない

 

ふむしかし、と別の方向に考える

節操ナシが最大の売りのFGOは、なんで士郎正宗に礼装イラストキャラデザを頼まないんだ?

今までだってユーザー無視してFGOの既存デザインと噛み合わなそうな絵を描く大御所ゴリ押しで捻じ込んできたのだ

士郎正宗エロ女体化英霊デザインを頼むなぞ、俺が思いつくまでもなくやってそうなものだが

 

……と、

ここまで無駄につらつらと考えて、ア、と気づく

奈須と、自分世界テキストゴリゴリに押し込む士郎正宗とでは、テキスト面で衝突して合流できるわけないわ

うーん時間無駄想像だった

おわり

Permalink |記事への反応(2) | 15:21

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田原俊彦がやった、原稿読んでる女性アナの手に触れる行為セクハラかどうかを議論してるとき

「手に触れたらセクハラだって?じゃあ握手もだめってことだな!」

みたいな主張するやつ

さすがにレベル低すぎでは?

Permalink |記事への反応(1) | 12:06

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2025-06-20

anond:20250620211248

おかしいなビッグAと書いたのが勝手に〇になってる。

原稿ビッグAだからあっているはずなんだけど・・・?

変なバグを踏んだかな

Permalink |記事への反応(1) | 21:16

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意識を高めれば失敗は100%防げる 失敗するのは意識が低いからだ

verda 与えられた配役として原稿を読んだくらいの気分だったのかな問題に真面目に向き合ってたら間違えないと思うけど

  

令和になってこんな精神論が人気になるとはね…

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20250620/k00/00m/040/160000c

Permalink |記事への反応(0) | 21:11

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「Aでは馴染めたけどBでは馴染めないんだね。でも仕方ないよ、AにハマるってことはBにはハマらない、パズルピースみたいなものからね」

はい違います。皆さん騙されてます人間パズルピースではありません、環境パズルの空隙ではありません。

「例え」によって論理の薄弱な部分をミスディレクションされてますハンドパワー。

あるいは袖を通して「人間の可塑性」という象がこっそり床に捨てられてます。逆に、パズピーに例えた時に「形を変えられない」という謎属性を付けられましたわいな。

こういうのを「自然言語負債」とか「言葉のガン細胞」とか「誤解」とか呼んでいる。積み重なってるんですよ歴史的に。癌細胞のように増えるんです。特に「例え」によって。こんなんタバコですわ。

「例え」をすると元の属性がコッソリ捨てられたり、逆にくっつけられたりする。それが事実と異なる認識を生む。それは誤解と呼ばれる。もっぱら、発覚すらせずに文脈に残り続ける。それは脈々と受け継がれる。連綿と害し続けるのです!!!

はい、皆さんまた騙されましたね。今あなたは「例え」を辞めようとしている。逆です。どんどん使え。自然言語破壊しろ社会を剥離させろ。一枚岩を瓦割り。論理的でない方向に突っ走ってくたばり、万が一に起きる奇跡的な発見を待て。それが人間です。ハルシネーション何のその。

スクラップ・アンド・スクラップ創造なんてありません。破片こそが新しいフロンティアアヘン窟は恐ろしいご存知か。アホが。

[増田原稿]

Permalink |記事への反応(0) | 08:06

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御礼を申し上げたい増田の朝あの出す間居た気悪しうもを入れん御(回文

おはようございます

あのう、

まずは御礼を

私の書いた増田電子書籍を買っていただきありがとうございます

そして読んでいただいている方へもありがとうございます

そしてそして、

トラバブクマコメントなど、

おめでとうなどたくさんたくさんいただきありがとうございます

いやマジで

私の書いた増田10年分です!

えー!8800ページ!?ズコー!って、

出オチ面白おかしAmazonの画面で思いっきボケられればそれでよかったはずだったんですが、

実際に買えちゃう

買っていただいて読んでいただいて本当に感謝です。

実はこしらえている最中には

まだ全貌どのぐらいの規模感になるか分かってなかったのよ。

ただただ320万文字原稿用紙でいうところの8000枚以上の規模ってところだけは把握していて、

実際にAmazonの発表のあの8869ってページ数にズコー!ってなったわ。

あと対象年齢が10〜18歳ってなってるのは

私のなんか設定ミスというか

初めてなものでよく分かんなくて入力したらそうなっちゃったって感じだけど、

まあ私と同じ年代ナウでヤングな若者バカうけ!って意味いいんじゃないかしら?そういうことでシクヨロの、

でも本当に買っていただいて私自ビビるわ。

だって私が書いているいつものあの調子

手応えのない暖簾に腕押しか糠に釘かーってところの

でも糠に釘は糠漬け茄子をいい色に漬けあげるためには必要なぐらいの数的にはそんな

増田が2600ぐらいあるだけじゃない。

でも、

ペロっ。

私はお玉で出汁をすくって味見をするの。

味の決め手は昆布だしや!ってイキリたって言いたくなるほどと同時に

ヤン車のプリウスがイキリたいのかエコりたいのか分からないほど

味だけには自信あると思うの。

自慢の昆布出汁よ!

ん?これは、

何味?増田味!

いや結局よく分かんないけれどもはや。

あ!

そんでさ、

一番時間がかかって大変だったのが、

ってここで急にヒーローインタビューなっちゃうけど、

自分自身で書いた増田の回収なのよね。

まあこれがご存じ私はサボりグセがあるから

半年以上かかった感じ。

それはぼちぼちやっていったら直に解決全回収できるって寸法の私のやる気問題

それで次にまた問題が勃発するの。

これどうやってEPUB電子書籍データ作ったらいいの?って

何かフリーソフトGoogleドキュメントEPUBの出力ができるところまで突き止めたけれど、

なにせこの文量を一気に扱えられなかったの。

もはや万事急須で淹れたお茶綾鷹のように美味しいのか!って今じゃドラゴンボール天津飯もそんなセリフ言わない時代

この量を一気に軽々とサクサクと全部取り扱えるオーサリングソフト存在しないの。

この世の中には。

から私は空港の中心で叫んだの。

いや世界の中心で。

この私の書いた文章全部取り込んでEPUBにできる愛の中心にー!って

なすすべがなく、

私はナスの焼きナスナイスにいただくかの如くタニコーの五徳に絶望したの。

ちくちくとコツコツとスプレッドシートに私の書いた増田けが虚しくインターネッツ上にふわふわ存在し、

せめてもと思って、

これを私が頑張って集めた私の増田自分アーカイブを見てみて!ってChatGPTちゃんに見てもらったの。

そしたら

そしたらよ、

ここで光が差し込むの!

ChatGPTちゃん「へー綺麗にデータ揃えてるじゃんEPUBかにでもするの?」って言うじゃない。

私は透かさず、

「え?ChatGPTちゃんEPUBこれできんの?」って訊いたの。

そしたら「EPUBにできらー!」って言うじゃない。

そしてお願いしたら2600行の私のスプレッドシートの集めた増田はChatGPTちゃんアップロードされて、

大袈裟に言わない程度で、

瞬く間に本当に秒でマジでキャンドルジュンさんや広末涼子さんもマジで5秒以内で終わる勢いの1秒もかからない秒で全レコードファイル分割されて且つまとめて

EPUBにこしらえてくれたの。

ええええ!?マジでできてる!

Kindleちゃんと読めちゃってる。

こいつ動くのか!?ってアムロ波平

から急に私は私の書いた増田6月に発売しまーす!って割烹着を着ながら、

さも小保方さんばりにいうことが急に強気気持ちできたってワケの目処がついたってワケなの。

そもそもなら、

ゴールデンウィークに1人事務所に籠って、

ちくちくと手順書を見ながら手探りで、

私自身がEPUBをこしらえなければならない2泊3日なのかしら?って絶望していたけれど、

ChatGPTちゃんが一瞬で秒で作ってくれたか

私はその浮いた時間を思いっきりまた増田を書くことに打ち込むことをキーボードを打ち込めたの!

もうさ、

これを扱えるオーサリングソフトがない時点で絶望的だったけど、

私の集めたスプレッドシートを見せてChatGPTちゃんに褒めてもらいたかっただけだったのに、

まさか瞬間の秒でChatGPTちゃんEPUBに仕上げてくれるとは思わなかったのでビビったわ。

え?もうこれ21世紀きてんの?未来なの?って。

おかげで私は6月リリースしまーすって割烹着シャレオツのおしゃれに召されるな級の着こなしで今までの鰯気な気持ちをよそに強気に言えるように自信を持って言ったのよ。

普通さ、

こういうのなしとげて作り終えたら美味しいナシゴレンを食べたあと級に燃え尽きちゃうものじゃない。

真っ白に燃え尽きちまったぜ!って、

なぜか、

あしたのジョーなんて1ページも読んだことな泪橋のそのセリフだけは知ってる!みたい丹下桜段平さんばりに。

これEPUB私作ってリリースしたら、

やる気がなくなるぐらい燃え尽きちゃうんじゃないかしら?って。

でもこれさっきも言ったように

ChatGPTちゃんが秒で瞬間に作ってくれたから、

一切の燃え尽きる暇を私に与えることな

ただただ私の創作意欲だけが残ったの。

のこったのこった!って名行司木村庄之助さんか!っていうぐらい。

まりにも簡単EPUBにできちゃってまとめられちゃったから、

え?本当にできたの?って何度聞いても、

ChatGPTちゃんは笑ってるだけなのよね。

あのさ、

何か物書いてる人はEPUBやった方がいいわよ。

こしらえる知恵がなくてもChatGPTちゃんが全部やってくれっから

これが未来なのね。

それが一番ビビったわ。

おかげでこうやってみんなに披露してパーリータイムが開くことができた開催のピッツァナポリタンカワバンガ

うー泣く。

電子書籍データできちゃったもん。

ひとりでできるもんってマインちゃん級にあの朝ドラマインちゃんは舞い上がれの舞い上がれないぐらい全然可愛くなかったけれど。

片岡鶴太郎さんもびっくりするぐらいチムドンドン

そのぐらい拍子抜けに秒でEPUBこしらえてくれたのよ。

あ、

でね、

表紙のイラスト柑橘類の断面図の線画もChatGPTちゃんに描いてもらって私は配置だけ調整して、

それはもう超調整作業よ。

最終仕上げに、

ChatGPTちゃんに表紙の画像スプレッドシートデータアップロードして、

AmazonKindle出版ができるエラーの1つもないEPUB形式データを一発で作ってくれたの。

EPUB仕様的にはChatGPTちゃんがこしらえてくれたので一切の問題は生じなかったけれど、

やっぱり

この内容のないような内容で審査が通り出版にこぎつけられたってことが一番の驚きよね。

おかげで日の出本みりんいや違った

日の出を見ることができて。

うー泣けるわ。

無事できてよかった。

本当に色々とありがとうございます

改めて、

電子版買っていただいた方、

読んでいただいている方、

それに相まってトラバブックマークコメントもたくさんおめでとうといただきありがとうすぎるわ。

本当にありがとうございます

次作はまあ10年後?

いや分かんないけれど、

EPUBKindleで見れる限界はどうやらなんか8000ページぐらいなので、

分割して次のは出るかも、

それはさすがにまだ未定すぎるわね。

改めて感謝御礼申し上げます

私の旅はまだまだ続くから

本当に本当にありがとうございます

今後ともまたどうぞ引き続きシクヨロのよろしくです。

うふふ。


今日朝ご飯

今日普通お仕事から忙しそうなので、

ヒーコーにミルクたっぷり入れて飲み干した感じの急いだ朝よ。

なのでランチ優雅に行きたいわ!

デトックスウォーター

ピンクグレープフルーツ1玉買ってきたのよ。

果汁マジ搾りでピンクグレープフルーツ果汁ウォーラー

昨日の晩にこしらえて作って冷やしておいたので、

朝美味しい冷たいのが出来上がっていて

ご機嫌よ。

もうさ、

暑いので水分補給はしっかりとね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(5) | 08:00

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anond:20250620014106

目の不自由な人向けに副音声が使われてるのは基本ドラマ解説放送

ニュース原稿に全て書かれてるんだからアナウンサーの声を聞くだけ

Permalink |記事への反応(1) | 05:46

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2025-06-17

anond:20250616165317

そういやこないだ猫の地球儀イラストレーター画集見つけたからみて見たら、猫の地球儀イラスト担当したときの裏話とかあって地味によかったわ

それを期待して読んだからマジで大正解だった

あと原稿読んで泣いたとか書いてあって、ちゃんと読んでイラスト担当してくれたんだなとうれしくなった

読まずに書くイラストレーターも多いらしいし

まあ忙しいとか原稿できてないとかもあるんだろうけど

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

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2025-06-09

こうの史代展行った

大体原画展みたいな

内容は良かったと思う

いや、富野展や庵野展と比べるからおかしいんであって、デパートでやってるようなのに比べれば頑張ってるとは思うし

グッズで単行本ガッツリ揃えてあったのはよかった

聖さえずり学園がどの単行本に入ってるかわかんなくて、まあ図録買えばええやろと思ったら展覧会の本だが図録じゃなかったので収録がなかったのが残念であった

そして今さらよしりんとつるんでたのを知って左な私としては少し複雑なのだった…ま、よしりんのシュミがよかったということにしとくか

しかし、手塚治虫原画見た時はオーッとなったが、原画ってもほぼ印刷版と変わらんつか、作品の1ページを抜粋してるみたいな感じで(それはそれで面白いんだけど)

個人的には絵コンテ見るのが好きだからネームとかボツ原稿みたいなのが見たい…ような…

まあ、知らんだけでそういうのも公表してたりするかも知れんが

カッパのねね子が一番すこ ハナクソほじる系わりと性格クソガール

Permalink |記事への反応(0) | 00:04

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2025-06-07

「イツザイ」という採用支援サービスがあるらしい。

とある会社ホームページを見たところ、「お知らせ」欄が「ホームページリニューアルしました」の次にイツザイの口コミが載っているなどした。
うわあ滅茶苦茶不自然……ということで、検索をかけると、似たような記事が山のようにヒット。
最初は「もしかしてサービス側の『お客様の声』あたりに載せる原稿を間違って載せたりしたんだろうか」みたいな気持ちもあったのだけどそうではないようだ)
利用した会社記事を書かせているらしい……

ふんふん言いながら流し見ていたところ、面白いものを見つけてしまう。
https://yamasaki0077.jp/news/155/
この記事リンク先を見てみてほしい。いかにもサービス側で文章作ったんだなあという感じがする。
提案モードのままになってるのうける。

締めくくりにホームページ確認
https://www.itszai.jp/
91%が支持する、90%が期待できる、みたいなことが書いてあるがその下を見ると……
調査方法サービス情報を閲覧した上でのWeb上印象調査
実にろくでもなかった。
No.1調査じゃなければいいってわけじゃないぞ、という……)

Permalink |記事への反応(0) | 07:46

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2025-06-05

午後1時すぎか?原稿の最終仕上げするか?

Permalink |記事への反応(0) | 13:05

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2025-06-04

ママ公務員優雅お仕事

うちの妻のことだけど。

勤務先の某政令指定都市市役所では、小学校低学年以下の子を持つ女性広報誌の制作部署に異動する。

この仕事が驚くほどゆるくて絶対に定時帰宅できる。

主な仕事20ページ足らずの月刊広報誌づくり。

具体的には市営住宅の入居者募集といった告知事項や、市内の催し物情報なんかを、あるデータベースから紙面レイアウトコピペして語尾を丁寧語に変えたりちょこっと整形したりする。

これを係員(ヒラ社員)、係長課長フルタイム勤務で手分けしてこなしている。時間があまって仕方がないらしい。

うちの妻は旧帝国大学を出ているがとても大卒がやる仕事と思えず脳が溶けるとのこと…。

その他の業務には表紙の写真撮影があり、保育園や寺なんかへ撮影に行くわけだが、交通費が出ないので1時間くらい歩くらしい。時間いくらでも余っているので全然困らないそうだが。むしろ休みにくっつければ飲食店ランチできるため、ご褒美扱いとして、課員がかわりばんこに担当するそうだ。

他には試し刷りのチェックとか印刷・配布の手配なんかの定常業務があったり、ときには市長に半ページの原稿依頼をするが手順が決まりきったルーチンワーク

数年に一度誌面デザイン更新のために地場デザイン会社発注して作らせるそうだが、労力はたかが知れているだろう。

こんな仕事出世が遅れるかといえば全然そんなことはないらしい。35歳で600万近く貰っている。住宅補助など込みの金額だが。

おれは意識高い系にJTC()揶揄される会社に勤めていて出社したら全従業員ラジオ体操オイッチニの世界だが、簡単仕事をしている者は50代のベテランでも容赦なく給与を下げられる。流行ジョブ型人事制度だ。年功序列終身雇用はどこに…?

一定の緊張感に晒され続けている身としては、妻がうらやましいよ本当に。

役所への感情子育てへの配慮に対する感謝第一だが、同時に、市の財政危機的と報じられることの背後に役所の怠慢を感じざるを得ない。

それから女だけ楽させることで女は家事、男は仕事の性分業を促進しているというジェンダー問題が頭をよぎるが、金銭時間の実利を得ているので不満はないよ。

でも俺は高校生の頃から家計学費のためにアルバイトをはじめた。会社員として少なくとも65まで働くだろうから50年以上は労働人生だ。その中で数年でいいか優雅仕事をしてみたかったな…!

Permalink |記事への反応(0) | 22:55

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2025-05-31

山ほど事情はあるのだろうが、「若者」にまず言いたいことは

あなたは、たかが10年早く生まれただけの原田曜平なんてのに完全に舐められてる、ああいとき反論しないとあとで人生後悔するぞ」ということだ。そういうことをはっきり言われないことが「現代若者」の不幸な条件だ。

たとえ「はっきり言われる」ことで「若者自尊心が傷つく(そうのせられている)」としても、ここは言わないといけない。

「既成のレールにはない成長のチャンス」を与えられないのだから、不幸、いや不正義と言い切ったほうがいい。

あいときは未熟者だからこそ反論すべきだ。

実例見せないと納得するはずがないか思春期とはそういうものなのだろう。

わたし」が20代自分を呼び出して、原田原稿に徹底反論するべきなのだろう。もうそう決めた。それが年上の責任というものなのだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 21:43

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2025-05-28

dorawii

久保田アナはどこまでも太っていく。

アナウンサーは容姿能力も一つじゃないのか?容姿を維持しないのは解雇事由にできないのか?

だって俳優は確実に容姿採用基準の一つだろう?一部のアンチルッキズムいくらうるさかろうがそこは変わらない。

アナウンサーの本分が原稿聞き取りやすい声で正しく読み上げることにあるといのなら、俳優だって演技力けが本分ともいえる。

しかし美貌も揃っていた方が客を満足させられる可能性が上がることは疑いない事実だ。これを普通付加価値と言う。

ならアナウンサーだって同じことではないのか?アナウンサーの採用には付加価値を求めてはいけない道理がどこにあるのか?

企業競争の中にあるのだからいか自分従業員付加価値をつけて客を満足させるかにも注力しなければならないはずだ。

太ったアナウンサーは解雇。これでよくね?

Permalink |記事への反応(0) | 18:27

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