
はてなキーワード:元寇とは
……結局、生きとる限りは、昔も今もたいして変わらんのかもしれんな。風が吹いて、日が昇って、誰かがおって。
それでええのやと思うわ。ほんまにな。
あの「国に騙された!」っていうの、いつまで擦るつもりなんだろうって正直思っちゃう
戦争というのは所詮いつの時代もプロパガンダとプロパガンダのぶつかり合いでしかなくて(故にアホらしいのだが)
だから負けて占領までされたら、そりゃ今までのイデオロギーも価値観も全部ひっくり返って当たり前であって
それこそ元寇で負けても同じこと起きとったわ、という話でしかない
そもそも、左翼の皆様が本当にムカついてるのって、ぜってぇそこじゃないわけでさ
アメちゃんから与えられた民主主義をブン回して、これからは俺ら進歩的文化人がこの国のトップに立てるぜってイキってたら、逆コースで憧れの国からあっさりハシゴ外されたからでしょ
だから普段民主主義をあれほど称賛してる割に、ソ連や中国北朝鮮と民主主義のカケラもないような連中にばかり夢見ては、事が起こるたびにそっちの肩持っちゃう
そんなに反米に凝り固まってるのどうしてかって言ったら、要はそういう僕の心を裏切ったな根性で動いてるのがバレバレなんだもん
だから戦時中で「表現が制限されましたよー」みたいな話やった後に、結局GHQからも似たようなことされましたーみたいな話がいっつもノルマみたいに出てくる
それも実際事実ではあるのでやりたけりゃ好きにすればいいんだけど、おかげで怒りのポイントがあからさますぎて、もうなんかねって感じ
あと虎に翼の時にも思ったけど、死亡フラグの立ってる前夫キャラの理解がいろいろありすぎて死ぬほど気色悪い
適切に退場するためだけのキャラになってる
有力者:大江広元
有力者:北条政子
有力者:北条時房
有力者:北条重時
有力者:安達泰盛
有力者:平頼綱
執権:北条師時→北条宗宣→北条煕時→北条基時→北条高時(得宗家当主)→北条貞顕→北条守時→北条貞将
有力者:長崎高資
王はたいてい権威と権力を兼ね備えている。権威とは「みんながその地位をなんとなく尊重している」というカリスマみたいなもののこと。権力とは「みんなに言うことを聞かせることができる」という実効性、つまりは行政力や軍事力のことである。権力を振るっても権威があるなら周囲を納得させられる、権威を何とも思わない奴がいても権力があれば従わせられる、と補完しあっているわけだ。
日本の天皇の場合、わりと早々に権力を失い、権威だけの存在になってしまった。この「権威はあるが権力はない」という状態は、意外にしぶとくて潰されにくい。権力は奪い取れても、権威は奪い取れないからだろう。天皇を殺したところで自分が天皇になれるわけではない。それなら生かして権威だけを利用したほうがいい。この状態を明示的に制度化したものが現在のイギリスや日本のような立憲君主制だとも言える。
世界的には王は終身制であることが多い。「神から授かった王権を人による判断で捨ててはならない(死は神による判断だからOK)」といった考えらしいが、一方で、日本では平然と譲位が行われていた。
時の権力者が、自分の気に食わない天皇を辞めさせたいときに、殺す必要がなく譲位させるだけでよかったのは、かなり大きい要素だと思う。承久の乱や元弘の乱など、天皇方が反乱を起こしたことは数少ないながらもあったが、それに失敗しても「反乱を起こした天皇を退位させて新しく天皇を立てればいい」で済んだのは、天皇が終身制ではなかったからだろう。
王族同士の争いは、その末に一人の強力な王が誕生すればいいが、そうでない場合は共倒れになるものである。壬申の乱では強力な天皇が誕生したが、保元の乱や南北朝の動乱では、戦いの主役となった武士に権力を奪われ、天皇の権威までも著しく低下することとなった。
とはいえ、長い歴史を振り返れば、おおむね天皇は一人だけだったし、後継者争いが戦争にまで発展することも少なかった。下手なことをして自滅したりもせず、よく権威を保全したと言えるのではないか。
王が倒される状況として「王の権威を何とも思わない人間が王をしのぐ権力を持っていたとき」というものがある。その代表例は外国人や異民族だろう。つまり隣国に攻め込まれて滅ぼされる、異民族が流入して乗っ取られる、といったパターンである。
日本にはそうした外敵がほとんどいなかった。もちろん、もし元寇のときに負けていたら、天皇制など消え去っていただろう。太平洋戦争の敗戦はかなりギリギリだったと思うが、なんとか天皇制を維持することができた。運良くと言うべきか、何か一つ違えば天皇制がなくなっていた可能性は多いにあったと思う。
これは「2025年現在の無料コンテンツ充実っぷりを鑑みれば、仕事用のPCとスマホさえあれば漫画やゲームとかを新たに買う必要ないのでは?」という仮説を個人的に検証するための記録です。
①1年間娯楽に金を使わない。ただし、スマホやPCの破損に対して新品を買うことは可とする(生活用品なので)。
②過去に貰ったゲームや古い無料作品(商業・個人制作問わず)に手を出すことに制限は設けないものとする。
選択肢が沢山あるので「読みたい作品を選んで読む」が出来て全く不自由を感じない。
Shifuが本当に面白い。
1周クリアが終わり2周目をしている。
ゲームとして点数をつけるなら90点ぐらいいくと思う。
SEKIROライクとしてかなり好ましい作り。
巫兎のようにそのままSEKIROではなくアーケードゲーム風な作りにしつつもSEKIROというバランスが面白い。
ゲーセンのスパイクアウトというゲームが昔めっちゃ好きだったのでソレみたいで懐かしい。
・大蛇に嫁いだ娘
・Shifu
・DREDGE
・パプリカ
「ネトウヨはすぐに他国の軍事弾圧を肯定するくせに、なぜ天安門とか六四天安門とかbioに書くのか」という話をしばしば見かける。何か妙な勘違いなのだが、ネトウヨの連中は「敵国に迷惑がかかる行為を称揚し、自国に迷惑がかかる(と思い込んでいる)行為を批難する」という点において一貫しているだけであり、何も矛盾はない。中国の現体制に対して何かしら迷惑やダメージがある現象なら何でもいいのであり、つまり軍事弾圧の是非や民主主義イデオロギーは最初から問題としていない。要は一昔前の、自由と民主主義の国アメリカがその辺の独裁国家を支援していたのと同じである(ピノチェトとかフセインとか)(パフラヴィー朝なんかは話がちょうど良い具合にややこしくなると思う)。
軍隊による民衆弾圧に親和的なのもある意味当たり前の話で、むしろ「軍人は何のために銃を握るのか」という議題に対し、少なくとも日本人の歴史観においては「国民を守るために銃を握ることはありえない。それは異常である。国体または軍隊自身を守るために銃を握るのが一般的であり、その目的達成のために国民に各種の危害を加えるのは比較的当然のことである」という認識のはずだ。そもそもそれこそが日本国憲法第九条の前提そのものではあるまいか。恐らく「普通の日本人」とやらにとって、軍隊が自国民を守るために存在し行動する、という「印象(コンセンサスと言い換えてもよいだろうか)」そのものが存在しないはずだ。それは案外、「普通の」どころか左右両翼の共通認識ではないだろうか。
確かに、明治以降の旧軍は侵略戦争か、なんとなくその場のノリでその辺の戦争に参戦するか、いずれかの経験ばかりだったわけで、直接的に国民を守るための軍事行動というのは教科書に載るレベルでは存在しない(占領地に住んでる人を守るというのも、そりゃまず占領してんだし……という話が先に来る。まあスタコラサッサと逃げた関東軍は流石にちょっと凄い気はするが)。当然、ここで元寇や災害救助の話をしても仕方ない。それは過去の話ではないのか、現代にあってミャンマーやシリアと同レベルで恥ずかしくないのか、ではない。軍隊とは本質的に恥ずかしくて危険なもの、できればこの世に存在しない方がいいものなのだ。繰り返すが9条はそういう話のはずで、ここに論理の飛躍は一切ない。
話をあえて脱線させるが、日本人は恐らく「尊敬に値する軍隊」を近現代において認知したことがなく(自衛隊は日々努力し結果も出しているものと思うが、まあ個人単位で時々変なの沸いてはいるしなとも)、また「軍隊に対する正しい尊敬の仕方」も習得していない。これらは良い手本となる先達国があるのか、またそこから学ぶだけでどうにかなるものなのか、は良く分からないが、これからでも議論はあっても良いと思う。国民に銃を向けない軍隊や近似組織は当たり前ではなく、どうにかして作り続けなければいけないものではなかろうか。「デモ中に鉄砲を掴んだら危ないぞ」ぐらいは正直それはそう程度の反射的感想でもありえるところで、大事なのはわざわざそこを起点にしてまで危険な発言をすること等を阻止することであろう。
また別の方向に脱線させれば、日本人はまた「イデオロギーの基に生きて、時々うっかりイデオロギーのために死ぬ」という生活を想像できないのではないか。国益になるなら自他のイデオロギーを問わない、というのはネトウヨの根底の(ごく一部ではあろうが)どこかにあるし、本来それ自体はあまり頭ごなしに否定するものでもない気がする。
逆に言えば、日本国民はネトウヨの「9条のせいで日本が駄目になる」という妄言を、妄言ではなく実際に真剣に実現する義務を怠っている。9条を守って国体の崩壊や日本国民の財産、生命が著しく損害を受ける事態になれば、それは国際社会において極めて重宝される歴史や教訓となるはずであり、「お国のために死ぬ」より数十段もマシな「お世界のために死ぬ」が実現するにはする。これは割と皮肉や冗談ではなくて、一国の利益がために他国を侵略するという不正義の対極である以上、国際社会はそこに何らかの価値と教訓を見出し称揚する責務が存在するはずだ(責をさぼる可能性は大分あるが)。国際社会への貢献とはそのようなものであり、できないのであれば素直に「すみません終戦時点ではアジア諸国をマジで見下していて方々に攻め入るだけの国力を持つに至るとは思っていませんでした。完全に大東亜共栄圏脳のまんまでした。これからは行きすぎない程度の暴力装置で自由と民主主義のために集団的自衛権とかPKFとかぐらいはします」と謝罪したうえで改憲議論でもしたほうがよろしい。
話をタイトルに戻せば、価値観を共有できない国とどう向き合うのか、というより「友好的に向き合ってはいけない」という、普通は世界各国と仲良くするのは良いことでは……?という直感に反するイデオロギー準拠の行動指針にどう向き合えばいいのか、(すぐ撃てばいいという話では断じてないことこそをも含め)考えなければいけない訳である。もちろん「考えなければいけない」などというみっともない文末はよろしくないのだが、これはもう完全にしようがない。
一応「越後の龍」がいるが……
上杉謙信が崇拝していたのは毘沙門天であって龍ではない(本当に?要調査)
龍造寺氏だって龍を信仰しているわけではない(本当に?要調査)
幼名が「龍王丸」の武将もいるけれど、別に成人後に龍アッピールしてるわけでもない
一方で、龍も風雨を操るとされるから「龍が風を起こした」と書かれた文献がひとつくらいあってもいいだろうに
元寇で吹いた強風が龍の仕業ではなく神風とされたのは何故なのか
いや、書いておいてなんだがなんとなく想像はつくがね……
龍は中国……特に中国皇帝のシンボルなので、日本側が龍に助けられたとすると都合が悪かったのだろう
ここらへんの話は「神国思想」について調べるのがよさそうか
だいたい昔の日本において龍は寺院……つまり仏教と紐づくものなんだ
龍の字を冠する寺院が何と多い事か
(前述の龍造寺氏は龍造寺村という地名由来でそう名乗っただけらしい)
仏教には「龍王」がいるから、これを守護神とした僧兵とかいたのかな
じゃあ「僧兵 龍」でぐぐってみよう
……
《龍鐘の僧兵/Dragon Bell Monk》というMTGのカードがひっかかって調べるのが大変そうなので今日はここで終わり
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蛇/龍信仰では人の姿を取らない相手を信仰の対象としていたが、時代が下るにつれて龍の属性を持った仏を信仰の対象とするようにした……といったところか
①日本の対馬は、元寇で完全征服されたし、博多も完全征服された!日本は、本当に元寇で滅ぼされかけたんだよ。漫画で『アンゴルモア 元寇合戦記』ってので、対馬が征服されて、博多もモンゴルに征服されたのかかれるから、見てくれ。
②白人やイスラム圏を絶望のどん底に追い込んだ。当然、日本どころか、世界中にモンゴルは攻めまくった。中東とか、ヨーロッパももう風前の灯。文化とか民族とかがことごとく潰されて、アジアに征服されていく。「タタールのくびき」っていうんだけど、白人にトラウマ植え付けた。イスラムの文化もバンバンぶっ壊されていく。
③とんでもない陵辱のかぎり。同人とかのネタにしまくるやつがいるんじゃないか?洋物エロとかで盛り上がってるオッサンどころの比じゃない。もう、征服した女王様とか陵辱のかぎりを尽くす。この辺りの、性的なヤバさは今後人類でありえないくらいの陵辱。
④現代でも、チンギスハーンの遺伝子が世界中にばら撒かれている。白人にもかなりチンギスハーンの遺伝子が入っている。そのくらい世界中で陵辱のかぎりを尽くして、民族浄化をおこなった。その凄まじさは、現代にも色こく残っている。