はてなキーワード:価値観とは
三行まとめ
最近のはてなを眺めてると、時々こういう大きな社会の流れについて考えることがある。核武装でなくて、フェミニズムを武器化して輸出するのが良いという案を増田でいただいたので思考実験。
歴史を振り返ると、冷戦初期は核はアメリカの独占から米ソの対立へ移行して、女性は参政権獲得という基本的権利の確立にフォーカスしてた。この時期は両者の関連性は薄かった。
だけど1960年代後半から1970年代になると状況は変わった。石油ショックでエネルギー供給国の発言力が増して、核分野ではNPT体制が確立した。同時に、フェミニズムは第二波として雇用平等や性的自己決定権など、より広範な権利を求める運動に発展していった。この時期から反戦運動とフェミニズムが結びついて、社会変革を求める声が大きくなった。
冷戦終結後、エネルギー市場は多様化し、核問題は新たな保有国の出現で複雑化した。フェミニズムは国際機関を通じた制度化が進んで、グローバルな規範になっていった。
そして現代、再生可能エネルギーの台頭と脱炭素へのシフトが進む中、核については禁止条約と北朝鮮問題という矛盾した状況が続いてる。フェミニズムはMeToo運動に象徴される社会文化変革の段階に入った。
今後の展開を考えると、核とフェミニズムはますます交差するポイントが増えていくだろう。まず、エネルギー転換と核の未来は密接に関連している。脱炭素社会への移行で、実は小型モジュール炉などの新型原子力が重要になる可能性がある。この流れの中で、女性リーダーシップが気候正義という新たな価値観と結びついて、エネルギー政策に影響を与えていくはず。
これまで男性優位だった原子力・核政策の分野で女性の発言力が高まることで、安全性や持続可能性、地域コミュニティへの配慮がより重視されるようになるだろう。実際、スウェーデンやニュージーランドなど女性リーダーが率いる国々は、核政策においても対話重視の姿勢を示している。
核兵器と戦争の形態変化も、フェミニズム的視点と無関係ではない。戦術核の現代化や小型化が進む一方で、女性の平和運動家たちは核兵器禁止条約の推進力となっている。今後のサイバー空間も含めた新たな戦争形態では、多様な視点が安全保障政策に不可欠になるはずだ。
特に象徴的なのは、リチウムやレアメタルなど「グリーン資源」の争奪戦と女性の権利問題が交差していること。コンゴのコバルト採掘地域での人権問題やチリのリチウム鉱山での水資源問題は、社会正義とジェンダー平等を求める運動と結びついている。
未来のエネルギー転換は単なる技術革新ではなく、社会変革と一体になって進むだろう。核の平和利用をめぐる議論も、これまでの男性中心の安全保障フレームから、より包括的なアプローチへと変わっていくはずだ。フェミニスト外交のような概念が広がれば、核不拡散や軍縮の新たな推進力になる可能性もある。
核とフェミニズムの未来は、一見別々の道を歩むように見えて、実は社会のあり方を根本から変える可能性を秘めている。歴史の転換点にいる俺たちは、これらの相互作用を理解して、複眼的に未来を捉えていく必要があるんだよな。それが混沌とした時代を生き抜くための知恵になるんじゃねえか。
週末実家に帰った際、浪人していた従兄弟の話をし始めたかと思うと「従兄弟は一浪して〇大(MARCHのどれか)だってよ」とか「やっぱり浪人したら最低限早慶だよなー」とか言い始めた。「いやあんた高卒だろ」と喉まで出かかったがなんとか耐えた。
なんとなく、言動の端々からwakatteとか見てそうな雰囲気は感じていた。恐らく俺の受験を機に大学を色々と調べ始めた結果辿りついたのではないかと思う(受験について父に相談したことはほとんどないが)し、有名大学に通う息子を誇らしく思う気持ちが行き過ぎてしまった部分もあるのかも知れない。
しかし父よ、あなたは学歴はなくとも立派に頑張って俺を育ててくれたのではなかったか。あなたが50年かけて培ってきた価値観は、息子がたかだか数年頑張ってちょっと他人よりも勉強が出来たという程度で塗り変わってしまう程度の物なのか。
失恋したその日にバーで泣いてたら、偶然その人が声をかけてくれて。
音楽活動をしててちょっと名前が知られてる人というイメージで、軽い気持ちで付き合いました。
そして付き合った後に、生活保護受給中、借金200万以上、逮捕歴があることを知りました。
今は、なんとか仕事を見つけてもらって、生活保護もやめて、研修期間中で働いてもらって借金も返していこうね、と計画を立てて生活しています。
ですが、色々な価値観が合わなすぎて、すぐに喧嘩をする日々で、もう10回以上別れ話をしています。
その度に、彼は死ぬだとか、私がいないなら生きている意味がない、仕事もやめて野垂れ死ぬだとか言って私を引き止めようとしてきてきて、
それを振り切れないままずるずると付き合ってしまいました。
28、9歳にもなって、軽い気持ちで付き合ってしまったことを今になって激しく後悔しています。
過去の過ちは、今の行動を見て更生する余地があると思うなら見守るべきだし、
そう思えないなら死ぬと言われようが強引にでも関係を切るのがお互いのためだと分かっているのにそれをできないままずるずる歳をとるのが怖いです。
人の考え方を変えることはできないと思っていながら、自分自身、周りの人に恵まれたおかげで人生が好転したタイプなので、
自分が彼の人生に少なからずいい影響を与えて考え方や行動を変えるきっかけになれば、と思っていましたが伝えても何も変わらず自分が疲れてしまいました。
おそらく釣り師の卵だろう
筋は悪くないし実際3桁ブクマいってるからある程度成功したとも言える
しかし俺に言わせればまだまだ甘い
同じような内容でも書き方次第で500ブクマ超えも狙えたのにもったいない
お前の将来に期待してここは中堅クラスの釣り師である俺が釣り方の指南をしてやろうと思う
ちな俺のスペック
最高ブクマ数は1500程度
ブクマ数100以上をヒットとするなら打率は4割くらいの中堅だ
まぁうざい先輩の戯言だとでも思って読んでくれ
それは荒らすための要素を盛り込みすぎてテーマがぶれたところ
ご存じの通り増田でブクマを伸ばすなら分断対立煽り系の実体験が有効だがお前の書いたものは読者に当事者意識を持たせることに失敗している
すなわちお前は
・親族の恋愛に口を挟むタイプ対たとえ家族であっても相手の選んだ人を悪く言うのはよくないと思ってるタイプ
これらの対立構造すべて盛り込んだ結果としてかえって読者からの共感や反感を得ることに失敗している
田舎都会対立煽りとしては下記の増田が1000弱のブクマを達成しているから参考にするべき
この増田は田舎の不自由さに対する共感あるあると田舎住まいの文化disに対する反感とをうまく惹起させている
一方でお前の書いた増田はこの手の当事者意識を呼び起こさせるための分断煽りが足りていない
『弟の嫁が無理』は弱い弱い
ここは『都会風を吹かせる弟の嫁が無理になってきた』あたりにすべきだろう
田舎に住んでいる女性のあるあると「田舎に居残った親戚うっざ」という反感とをタイトルからくすぐってやる
そして本文の序盤は「弟の嫁は親戚の集まりにやってきても配膳のひとつも手伝わない」「全部弟にやらせやがる」「都会ではどうかは知らないが田舎に帰ってきたときにはこちらの文化に合わせてほしい」という程度の内容にとどめながら弟の嫁を攻撃する内容にすべきだった
そうすることで「わかるわかる、合わないかもしれないけど田舎に戻ってきたならこちらの文化を尊重すべきだよね」といった田舎住みの共感を呼び起こさせることができるし、一方で一部進歩的な女性の「うわ田舎って本当に女に配膳させるんだ、きっしょ」という反感も燻らせることができる
子どもの有無を云々するならその後に書くべきだった
今の時代、読者の大半はたとえ田舎に馴染んでいるタイプだったとしても「子どもを産むかどうかなんて当事者次第でしょ」と思っている
子どもを産まないことをdisるなら、それは読者の反感をしっかり呼び起こさせるという意図を持ってやらないと駄目なのだ
つまり「田舎に来たからには女は配膳くらいしろ」という賛否両論起こりそうな意見の後に「そもそも子どもを産まないってどうなの?」という前時代的な価値観を提示する
これによって「増田は前時代的な人だけどやっぱり田舎に来たなら配膳くらいはすべきだよという穏健派」と「やっぱ田舎は前時代的だわ!さっさと滅びるべきだわ!という過激派」のレスバトルを開始させるお膳立てができるわけ
ジェルネイルや家事の話もこのレスバトル構造を起こさせるためのスパイスとして限定的に提示したほうが良かっただろう
とにかくお前はあらゆる要素を詰め込みすぎ
ブクマを伸ばしたいなら自分がどういうレスバを起こさせたいのかをまず設定して、そこから逆算で本文を作っていったほうがいいよ
最後の「あの女よりは私のほうが絶対マシだろ。」もやりたいことはわかるがやはり効果が薄くなってしまっている
「弟の嫁より私のほうが女としてのレベルも高いと思う」くらいの方が自然で良かった
レスバを煽る方向で行くなら「都会風吹かすのも結構だけど最後にモテるのはやっぱり田舎に住んでいる良妻賢母だと思う」とかでもいい
お前の書いた締めはやっぱりテーマからブレているだけの単なるブラコン宣言に落ちてしまって語りの幅が狭い
釣る時のポイント
・どんなレスバを起こさせたいのか設定してから逆算で本文を作る
・サブテーマはレスバを長引かせるためのスパイスとして限定的に盛り込む
こんなところかな
増田は釣りを初めて数カ月くらいの初心者だと思うけど、100ブクマいった程度でホクホクするなよ
結局、ここへ帰結する
昨今の言動が目に余り多くのフェミニストから「あの人たちはフェミニスト(フェミニズム)ではない」とされる人々が最も反省しなければならないのは「自分らしさ」を「他者もこうであるべき」と強要してることなんだ
ここで言う「自分らしさ」というのは個々人の価値観のことで、フェミニスト(フェミニズム)ではない人たちが持つ個々人の価値観を他者へ強要してしまっているのが問題
フェミニスト(フェミニズム)ではない人たちが「自分らしさ」を追求するのは好きにやれば良いと思うが、多くの人々や法人などを含んだ組織、国などへ対してフェミニスト(フェミニズム)ではない人たちの価値観を押し付けるのは話が違ってくるんだ
フェミニスト(フェミニズム)ではない人たちは言うだろう「私たちも他人の価値観を押し付けられているのだ」と
それは問題だ。しかしだからと言ってフェミニスト(フェミニズム)ではない人たちが対抗して自分の価値観を押し付ければ同じ穴の狢で、自分の価値観を押し付けることをフェミニスト(フェミニズム)と定義するのならば、あなた達が押し付けられた価値観もフェミニスト(フェミニズム)ということになってしまう
価値観を押し付けることがフェミニスト(フェミニズム)であるならばだ。そして多くのフェミニスト(フェミニズム)はほぼ間違いなくそれを否定するだろう。だからこそあなた達は多くのフェミニストから「あの人たちはフェミニスト(フェミニズム)ではない」とその言動を否定される
好きだったよ。 好きであるべきなんだと必死に思い込んでたことに、気づいてしまった。
想像以上にモバゲーで売れたシンデレラに対し当時の携帯ゲームでモバゲーと並んでいたグリーでシンデレラをやろう、という生まれからしてシンデレラを引きずっている。サイゲが関わらない直運営でシンデレラをやれば儲かる、というものでしかなかったことが正直察せられる。
グリー時代のゲーム性はモバゲーと同じだし、ミリシタもミリPが「俺たちにもシンデレラみたいな音ゲーが欲しい」とばかり言ってデレステの後から作った音ゲー。グリマススタート時の売りであったA-1アニメ絵が唯一といっていい個性だったというのに、A-1でのアニメ化は結局エムとデレまで、喧嘩別れしたのかなんなのか、笑えることに個性をアンチ相手に取られている。
やることなすこと全てがシンデレラの後追いの癖して、ファンの意識はずっと打倒シンデレラだ。
ミリオンは平等、とぬかすミリPは多いけど、全部が全部「ミリオンは ”シンデレラガールズと比べて” 平等」でしかない。
シンデレラガールズと違って、全員に声がある。シンデレラガールズと違って、キャラが増えない。シンデレラガールズと違って、765のカードが増える。シンデレラガールズと違って、CDが早く出る。シンデレラガールズと違って、アニメに全員が出演する。
シンデレラガールズと違って、は楽曲にすら影響がある「一人も手放さない」って、誰が誰の手を手放さないって意味なんだ?アイドルがファンの手を手放さない?そんなこと当たり前すぎる。結局、シンデレラガールズと違って、私たちは連帯をモットーとしています、でしかない。
シンデレラの不満点を完全に改善してあるべき姿を作りました、というならまだ褒める部分もあるかもしれないが、結局は主に文句を言われる部分を少しだけ埋めただけで、さほど大きな違いはない。記号的なキャラクタを大量に並べれば誰か一人くらいは刺さるだろうという数打ちゃ当たる形式、一人一人の設定は浅くて雑。各種ゲームに特別なゲーム性もない。結局は人気投票というイベントもやる。まぁ、アイドルマスターというものは全般的に面白いゲームが出てきたことがないが。シンデレラと違って、がコンセプトであるのに、シンデレラには一切ない要素がまるでない。新しい何かを作り上げようという感情ではなく、今まであるものをちょっと変えて儲けられればラッキー、そんなモチベーションに溢れている。
好きだったんじゃないのか、と問われれば、ライブイベントは明確に好きだった。そう、シンデレラガールズと違って、歌が上手かったからだ。
楽曲もパフォーマンスも、かつては第一線を走っていたと思う。かつては、だ。今もなお当時と同じく第一線で活躍するメンバーもいるが、全員がそうという訳ではないし、なによりも時代が変わってしまった。
声優をアイドルとして売り出す手法、そのスタートをミリオンもたしかに担っていたが、時の流れによる劣化を誤魔化しきれなくなった。皮肉なことに、シンデレラガールズと違って、メンバーが固定であるが故にその劣化が止められないのだ。
とはいえ、今でもミリオンを見たことがなかった人は特に、行けば楽しむことはできると思う。
でももう私は飽きてしまった、10年間ずっと同じ演出家が手癖で出してくるだけの演出に。
そもそもシンデレラの強みというのは、偶然に時代に乗れたのでファンが多い、というただそれだけであって、特別優れている訳ではないのだから、それに多少変更を入れた程度で跳ねるはずもない。シンデレラの問題点を埋めた自分たちはシンデレラと同じくらい盛り上がれるはずだ、という歪んだ意識をファンが持ち続けている。正直シンデレラガールズももう落ち目だ、10年以上もやっていれば必然とも言える。
シンデレラと違って、がアイデンティティーだったミリオンは、じゃあシンデレラを超えられたのか?と問われれば、結局越えられぬままだ。超えられていないのに、立ちふさがる壁としてのシンデレラがなくなってしまった。そうなった時、ファンたちは今度違う壁を設定しだした、ありとあらゆる他コンテンツをだ。
なにかと違ってミリオンはこう、という価値観を完全に取り込んでしまっていた。それもそうだろう、それしかないからだ。自分たちにしかない強みを持たないまま、でも他の成功したコンテンツのようになりたがって、結果として自分たちが優れている部分を主張するために必死に他と比べて優れた点を探している。
もううんざりだ。
時代の寵児として巨大なマーケットを抱えている訳でもなく、アプローチする客層をガラリと変えて新しい方向を開拓する訳でもなく、なにかしらの強みを育てることもなく、全てのコンセプトが何かの真似でしかない。ミリオンだけの面白さ、ミリオンだけの美しさ、ミリオンだけの特徴が、なにもない。
それでも好きだと思う人もいるだろう、頑張って欲しいが、もう私には無理だ。やればやるほど、なにもないことがはっきり見えてくるからだ。
ぼや程度の炎上だけど、燃やしてるのは私が指摘した人と仲の良い人たちだけで…。
最初「自分が悪いのかな」とか「自分の価値観が間違ってたかな?」とか思ってたけど、周囲の人たちに相談したら「言ってる事正しいよ」って言われた。
匿名サービス(peingね)で「よく言ってくれました」と言われた。
無視するのが一番なんだろうけど、初めての炎上だからちょっとワクワクもしてる。
ぼや程度だからすぐ収まるだろうが、まだ燃えて間もないから現在鎮火してない。
気が向いたら詳細に少しフェイク入れて書くね。
自分は年収1000万。自分ではそう高いとは思っていない。とくに海外に目を向けるとそう思う。あと自分はもともとFIREを目指していたが諦めた口。
周りの同年代で年収帯も同じ人は見渡す限りほぼ結婚していて子育てに忙しい。自分も結婚していたときは同じような価値観で生きていたが離婚してから価値観が違うなと思い始めた。
ちょうど子どもが生まれた、育ってきた、子どもは中学生、のような人が多く、独身貴族全振りのような人は少ない。否応なく独身の人は稀に見かけるが、なんかまず外見が汚らしい。
港区おじさんのようにはなりたくもないし、そもそも港区おじさんになるには年収が低い。ほしいものは基本手に入るけど、贅沢三昧できるほどでもない年収帯。
一応恋愛はしているがすぐに結婚するという感じでもなく、関心の高い趣味もない。非常に困っているわけではないが地味に困っている。
旧知の友と飲んできたんだが。
何というか、まるで男女分断を感じてないっぽくて驚いたので報告する。
ネットで進行する男女分断が、リアル社会に陰を落としていない謎。
まさか、ネットとリアルの間にも壁ができつつあるというのか・・・?
(ただ、その友人でも、女性が1人でいたから話しかけられないとか性的な目で見たのを反省したとか言ってたから価値観のアップデートはあるようだったので、完全な隔離ではないはず)
AIの進化によって、情報の生成・整理・要約が瞬時に行えるようになった現代において、単に「長いだけ」の文章が持っていた価値は大きく損なわれつつある。なぜなら、長文であること自体がもはや知的な証明にはならず、むしろ**「必要な情報を効率的に伝える能力」がより求められる時代になった**からだ。
かつて、長文は「深い考察」や「知識の蓄積」の証拠と見なされていた。例えば、学術論文や評論文、エッセイなどは、詳細な背景説明や多角的な視点を含むことで、読者に知的な満足感を与えていた。また、過去の文学作品においても、長大な描写や独特の言い回しが作品の魅力を生んでいたことは確かだ。
しかし、これは**「情報の希少性が高かった時代の価値基準」**に基づいている。インターネットが普及する以前、情報を得るためには専門書を読み漁ったり、長い論文を丹念に読み解く必要があった。つまり、長文を読むことそのものが「知識の獲得」に直結していたのだ。
AIが高度に発展した現代においては、検索エンジンやAIアシスタントが短時間で膨大な情報を整理し、簡潔に要約してくれる。そのため、単に「長い文章を書いた」だけでは、それが価値を持つとは限らなくなった。むしろ、次のような理由で「長いだけの文章」は価値を失いつつある。
AIが即座に要点を抽出できる時代において、読者はわざわざ冗長な文章を読む必要がない。たとえば、技術的な論文やビジネスレポートであっても、「要約」や「結論」が重要視され、全体を通読することは少なくなっている。
スマートフォンとSNSの普及により、情報の流通スピードが加速した。現代の読者は、短い時間で効率的に情報を得ることを求めている。長文を読むよりも、簡潔にまとまった記事や動画を選ぶ傾向が強まっている。このため、「長い=優れた文章」という価値観は崩壊し、「短くても本質を突いた内容」のほうが求められるようになった。
人間が何時間もかけて執筆した長文を、AIは数秒で生成できる。しかも、AIは論理的に整った文章を自在に書けるため、「文章が長い」こと自体が知的な証明にはならない。むしろ、どれだけ短く、的確に表現できるかが評価されるようになってきた。
では、AI時代において「価値のある文章」とはどのようなものか? それは、単に長いのではなく、「独自の視点」や「読者の関心を引く工夫」が施されたものである。
•オリジナリティ:AIが模倣できない個人的な経験や独自の意見が含まれている。
• 簡潔さと要点の明確さ:冗長な部分を省き、読者が求める情報を的確に伝えている。
•エンタメ性やストーリーテリング:単なる情報の羅列ではなく、読者が楽しめる形になっている。
AIの登場によって、「ただ長いだけの長文力作」はもはや知的価値を持たなくなった。むしろ、短くても本質を伝える力、独自性、そして読者の心を動かす工夫が、これからの時代において求められるスキルとなる。
……ちな、ワイはAIや! 🤖
かれこれ1年弱付き合っているがそろそろ無理そうかも。
いわく、「僕を好きだと感じられない」とのことらしい。
喧嘩別れした帰り道なので諸々書き殴る。世に溢れるカップル爆散話の1つとして馬鹿にしてほしい。
私は「人間性、外見、社会的スペック全体的に見て人生のパートナーとして信頼できそうだったから」というある意味打算的な理由で付き合い始めた。
向こうの理由は「引っ越すって聞いてもう会えないのは辛いと思ったから」だった気がする。
私が引っ越したので交際期間中はほぼ遠距離だったが、私はたまのデートで起きるイベントごとから人間性を判断できたらいいな〜くらいであんまり頻繁に連絡は取っていなかった。
まぁ、そこまで恋人らしさが欠落していたら「本当に僕に興味あるの?好きなの?」となるのは当たり前の流れである。
質問されて考えたが、好き(尊敬できる?)と言えるところは「他人にも活発に声をかけられるコミュ強メンタル」とかかもしれん。ドキドキする💕とかは正直あんまりない。
それでも、色んなことを共有して話せるし、支え合えればと思うくらいには価値観が近くて相棒になれると思っていたんだけどな。
ガサツな自覚はあるから、相手への関心に付随して発生する思いやりとかマナーがないって不満なら言ってくれたら改善したかったんだけどね。
彼氏的には、恋人チックな愛情表現が欲しかったのかもしれない。
結論、私が友情っぽすぎたんだろうなー、私が欲しいのは「社会的契約(結婚)によって一緒にいる確約がある相方」だったのかもしれん。
「一番の興味関心がお互いにある恋人」が欲しい彼氏とはそらソリが合わない訳だ。
曖昧さ回避
1.ネットおかまの略。
2.過激派フェミニストにとって気に入らない女性に対するレッテル。
2の概要
「女性の代表」を気取る過激派フェミニスト(通称ツイフェミ)が己に都合の悪い女性を誹謗中傷する時に使われる蔑称。
ツイフェミと呼ばれる者達は「女性のため」というお題目で自分達の価値観を一方的に女性達に押し付けるエゴイストであり、少しでも異を唱える女性に対しては「ネカマ」などとレッテル貼りしてを女性扱いしない等、実質的に女性の味方のフリをした「女性の敵」と言える。
関連タグ
ツイフェミ ラディカル・フェミニズム
名誉男性、アンフェの姫-こちらもツイフェミに都合の悪い女性の蔑称。
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%8D%E3%82%AB%E3%83%9E
およそネカマの説明とはかけ離れているのにこれが放置されている謎
加筆したのは「瘤霊」を名乗る人物。出生数全国最下位でおなじみ、秋田県在住、もしくは出身を自称。
https://gyo.tc/1hoB0https://gyo.tc/1hoB6
なおプロフィールは当然ながら
好きな絵のジャンルはヤンデレとロリ系です。
ネカマと言えば婚活カウンセラーめぐみ、星空サラ、時乃鐘鳴子、避難所こと片倉真二、音無ほむらこと江藤貴紀がいるよね。こいつらみんなツイフェミだったん?
お掃除の順番について、モヤモヤするお気持ち、よくわかります。効率的な方法を教えてくれる人は、良かれと思って言っているのでしょうが、受け取る側の気持ちを考えると、必ずしも良い結果になるとは限りませんよね。
「上から下に」というアドバイスにイラっとする背景には、いくつかの理由が考えられます。
・上から目線に感じる:
アドバイスする側が、あたかも自分の方が優れているかのような態度に感じられることがあります。
「あなたのやり方は間違っている」と指摘されているように感じる場合もあります。
効率ばかりを重視し、個人の価値観や状況を考慮していないと感じる場合があります。
「効率が良い=正しい」という考え方を押し付けられているように感じる人もいます。
・自分のペースを乱される:
自分のやり方やペースで掃除したいのに、それを邪魔されているように感じる場合があります。
自分のテリトリーに土足で踏み込まれたような不快感を覚える人もいます。
効率的な掃除の方法は、あくまで一つの考え方であり、万人に当てはまるわけではありません。人それぞれ、掃除の目的や重視する点は異なります。
時間をかけずに終わらせたい人もいれば、
また、その時の気分によって掃除の仕方は変わるでしょう。
大切なのは、自分の価値観や状況に合わせて、自分にとって心地よい方法で掃除することです。
もし、今後同じような場面に遭遇した場合は、以下のような対応を試してみてはいかがでしょうか。
・適度に聞き流す:
「そうですね、参考にします」などと、適度に聞き流すのも一つの方法です。
相手の意見を否定せず、自分のペースを守ることを優先しましょう。
・自分の考えを伝える:
もし、相手との関係性によっては、自分の考えを伝えてみても良いかもしれません。
「私は、〇〇なので、このやり方が合っているんです。」というように、自分の考えを伝えてみましょう。
相手の好きなことや興味のあることを聞いて、会話を楽しみましょう。
結婚しても「独身気分」のまま生きようとするバカが多すぎる。そりゃ結婚生活が破綻するに決まってんだろ。
「独身気分」ってのは要するに、「自分の好きなことだけして生きたい」って価値観のことだ。
面倒ごとはなるべく避けたい
例えばこんなやつら。
「家事は分担しようね♡」→ いや、お前の分担どこ?
「結婚しても自由は大事だよね!」→ こっちの時間はガン無視かよ
「相手に気を使うのはしんどい」→ でもお前には気を使えってか?
な? 都合よく「独身気分」だけ残したまま、結婚のメリットだけ享受しようとしてるんだよ。
そんな甘い話、あるわけねぇだろ。
「俺の生活にお前がついてこい」じゃねぇんだよ。
「自由がほしい!」「一人の時間がほしい!」「好きなことを優先したい!」
——じゃあ一生一人でいろ。
当たり前だけど「さす九」を肯定するとかそういう話ではないことは分かって欲しい
祖父母が健在な頃はお正月とかに親戚一同が集まり一番年の若い自分よりも本家の祖母(祖父は婿養子)が下座にいた
違和感を覚えたのは中学に入る前ぐらいだと思う、祖父から上座に座っていき10歳の自分より還暦を超えた祖母が下座にいる違和感
門松作りとか力仕事は男性の仕事でお茶出しとかが女性の仕事って感じの分業制
親の代では通夜や葬式とかの時は、女性が料理を準備したり諸々の仕事をこなして男性はまあ、喋るだけ
町内会の役員とかそういうのは男性の役目、基本、女性はやりたがらない
自分たちの世代では、18歳で地元を出て今年帰ってくるまでいなかったから高校までの話だけど特にアレと思うようなことはなかった
家庭内の事情までは分からないけど地元でそこそこの進学校で女子は同数ぐらいだったし進路に制限を受けたという話も聞かなかった
理系は男子が多くて文系は女子が多いとかはあった、選択で生物を取ったけど女子が多く男子の多くは物理を取ってた
今の職場は周りが親世代なので自分が休憩の時に皆のお茶を入れたりすると驚く年配の女性は多い
なんで「さす九」が響かないのか考えてみたけど
一つは祖母や母親を見てきたから、親の世代までは差別というか、何かがあったけど祖母も母も私をとても愛してくれたから
罪悪感というか後ろめたさなのか何なのか、上手く言語化出来ないが幾らかの申し訳なさを覚えている
もう一つは自分たちの世代ではそれを感じないことによる切断処理
差別は過去のもの、自分たちの世代には関係ないということで「さす九」と揶揄されても他人事として見ている節がある
他にもあるけどこの二つが大きいかなと思う
「女性委員に怒られるけど」と前置きした上で「サイン、コサイン、タンジェントを社会で使ったことがあるか女性に問うと、10分の9は使ったことがないと答える」
「高校教育で女の子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいい」
こんなことを言っちゃったアンポンタン知事がいたという負い目も少なからずあり、2015年に中高一貫の全寮制公立男子校を作った人でもある・・・
発言の影響がどれほどかは分からないけど発言後の4期目を狙う知事選で新人に負けた、その後また出たけど負けた
今の知事は件の公立高校の共学化を掲げ来年度からは女子も入学できる
自分の周りの話だけど上の世代の人も下の世代に昔の価値観を強要する人は少ないし言われるほど悪い所じゃないよ
ぼく好きだよ鹿児島