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はてなキーワード:今はもうないとは

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2025-09-23

anond:20250923163935

昔の貧乏って電気ガス止められて夜逃げとか食うのに困るとかそのレベルのやつでしょ?

それは今はもうないでしょ多分 日本全体で見てもレアから野球してる場合じゃない

Permalink |記事への反応(0) | 16:54

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2025-07-31

ドイツ本社幹部日本の暑さを思い知らされた」という都市伝説、の話の調べものメモを書きましょうね。

X(旧Twitter)で検索して見ると2020年から急激に語られてるようになっている。

それ以前はTwitterでも他サイト個人ブログまとめサイトなどでもぱっと見た感じではちょっとまだ見つけられていない。

目的

ソース存在するのか?完全に創作都市伝説なのか?何かの逸話に尾ひれがついたのか?

②どのようにこの都市伝説が広まったのか?

以下のようなもの典型的もの

車で似たような話を聞いたな。

ベンツ本社の偉い人が「日本向けにエアコン強化は不要」と言って聞かないので、その偉い人を『真夏日真っ昼間の東京』にご招待して、羽田空港からドイツ仕様ベンツ』で日本支社まで送迎。

当然と言うか何というか、支社到着時には熱烈なエアコン強化主義者にw

午後9:34 ·2020年8月12日

自分が聞いた話だと、真夏首都高乗り入れて、マイスターたちが「窓を開けてくれ!」と懇願するのを「天下のベンツ冷房が効かないということを見せるわけにはいけません」と汗だくになりつつ日本支社の人が返してそのまま押し切ったとか。

次年度からは特注のラジエーターが付いてくるように。

午前3:03 ·2020年8月13日

独車の本社社員から案件は割とある

BMWバイクの「シート高低くして」って要望を「日本人足短過ぎw」と一笑に付してた本社役員を自社製品(GS)による都内ツーリングにお誘いしたら、翌年より日本向けアンコ抜きモデルが登場するなど。

午前4:45 ·2023年7月8日

昔(1970年代)、BMWだったかベンツだったか忘れたけど夏の東京オーバーヒートに起因してクーラントホースの長さが足りなくて(どこかの部品が熱膨張でずれる)、ホース外れる案件が多発したけど、本社改善申し入れても「ドイツ設計が間違っているはずがない、お前らの整備不良じゃ」と(続く

承前)取り合わないので、東京に呼び寄せて、夏の東京渋滞経験させたら翌年モデルからなおってたなんてはなしも。

アメ車日本で売れないのは非関税障壁のせいだとぐだぐだ言ってた時も、自分都内運転してみろという意見が割と出ていた(が、ネット以前の時代の話なので半径50mだ

午後1:31 ·2023年7月10日

自分が見つけた中で最古はこれになる。意外にも車の話ではない。

車で最古だと、これに引用RTする形で前述の「車で似たような話を聞いたな。~」のツイートがされていたものが私が見つけた中でもっとも古い。

からすみません。

シーメンスインバーター搭載した電車で似た話が有りました。

日本での故障頻発でその度にシーメンス技術者呼ばなきゃならない上に「我々の製品完璧だ」とのたまうので運行に支障をきたし、怒った日本技術者が朝の300%近いラッシュドイツ技術者を押し込んだってw

午後1:25 ·2020年8月13日

出典、ソースについて言及したものはこれだけ見つけた。

フォルクスワーゲンなら。

確か80年代に入ってからだったと思いますが、あちらの偉い人が真夏日本滞在して、「ヤナセの言っている事は本当だ。日本の夏は辛い」と言ったらそれまで対策されなかったクーラーの効きが改善されたという話があります

ソースは当時のNAVI誌。

午後10:32 ·2023年7月7日

うーん……NAVI誌というのは初めて知った。今はもうない車の雑誌と。2010年休刊。①について示唆を与える情報だ。

インターネット上にすべての情報があるわけではない。当たり前のことです。

しかしこの話は、②のTwitter2020年から急に定番ネタになったのはなぜ?という話には回答を与えない。

■背景情報

1970年頃まで、ヤナセという会社がいわゆる外車を輸入する代理店だった。

・当時、例えば外車メーカー日本法人などは存在しなかった。

日本だと1955年くらいからカークーラー市販化されたっぽい。

・なので、何か一次資料があるとすれば、1970年以前であればヤナセ関係者回顧録とか?

1970年以後であれば外国メーカー各社の社史や関係者談話か?

いったんここまで。

①の次の方針NAVIバックナンバーを見る方法を探すのと、載っていたとしてどの時代なのかあたりをつける、か。40年くらいの歴史がある月刊雑誌ということは単純計算で40*12=480。

あるいはシーメンスの話が実話かどうか調べるとか(たぶんこれも見つからないだろうけれど)

②についてはいったん保留。Twitter発なのか他に都市伝説としてのこの話の源流があるのか、まだ不明瞭。調べ方が悪いだけかもしれない。

Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記アップロードしてよい。自由だ。

---

今日の夕飯はハローデイ唐揚げ買いましょうね

ブラックデッキのパープルステークをなかなかクリアできない

気分転換スタントマンをアンロックする

Permalink |記事への反応(1) | 15:29

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2025-07-20

anond:20250720153312

Googleトマト写真に「トマト」ってタグつける仕事があるって聞いたんですが今はもうないんですか

Permalink |記事への反応(1) | 15:34

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2025-04-20

コーヒー牛乳」って今はもうないんだな。

今日は「珈琲牛乳の日」らしいんだが、現在牛乳」という名称は生乳100%のものしか使っちゃダメらしいな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:19

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2025-03-30

バス旅が好き

PC使って作業するときyoutube太川陽介チャンネルバス旅のやつ流しっぱなしにしてる最近

バス旅っていっても初代のさ、とにかくゴールに向かってひたすら乗り継いでいくやつが一番好きなんだよね

テレビHDほぼこの番組ブギウギ専務奥の細道とあと麺鉄

シンプルな旅番組がたぶん好きなんだ

今のゲーム性の高いやつも面白いけどあの初期の旅の方式には謎のドキュメンタリー性があって旅情もあって

今はもうない路線とかもうないかもしれない地元の人しかいかなくて食べログにも載らないような喫茶店レストランホテルとかどんどん映し出されては流れ去っていくの

その町その町にこの人と一生出会うことはなくて、もうこの世にいないんだろうなって人がたくさん写ってる

通り道のなんでもない街町の姿、知らないのになぜか明るい郷愁を誘う

なんかそれがすごくいいんだよな(そもそも出演者にしてもそういう気分にさせられるし)

この間はじめて2008~12年くらいの回の喫茶店情報なんか調べてみたりした

そしたら公式サイトですごい細かい行程のアーカイブがあって驚いた

お店の名前なんかも逐一記されてて思わず記憶に残っている回の喫茶店などをいくつか検索して、まだ営業が続いていることにほっとしたりした

似たようなファンの人も結構いるみたいでファンブログとかあって、やっぱり初代(Zも)いいよね、わかるわかるという気持ちになった

好きなんだよバス

自分で移動するなら鉄道のがいいけど

本当にいいんだよなああの番組

Permalink |記事への反応(1) | 00:56

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2025-03-23

anond:20250323002858

何年前の話?

流石に今はもうないのでは…

Permalink |記事への反応(1) | 01:47

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2025-03-14

弱男の相手

昔の出会い系サイトとか弱男の相手だったよな。

まぁあれも詐欺みたいなもんで、実際にはいない女性キャラ作って演じてやりとりしてお金を巻き上げるという仕組みだったわけだけど、

今は実在する女性と直接やり取りする構図になっているんだなぁ。

当時の出会い系今はもうないけど、あれはあれで一定役割はあったのかもしれないなとかちょっと思う。

正直、彼らの相手実在人間がやってはいけないと思う。

そう、AIだ。

弱男へのご奉仕AIの出番だ。

まぁ結局それしかないよね。

Permalink |記事への反応(0) | 16:12

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2025-02-11

都立青山高校に通った奴の一例

高校生の時に都立青山高校っていう東京都ど真ん中の高校に通ってた実情を書いてみる。

都会にいるっていうのが、どういう文化レベルなのかの一例となれば幸い。

立地

青高は東京メトロ銀座線外苑前駅の近くにあって、ヤクルト本拠地神宮球場の目の前の高校

高校生クイズ選手権時の予選会が神宮球場にあったりしたんだけど、そこで一番近い学校だっていう事で注目されてた時もあった。すぐに敗退してたけど(笑)

国立競技場も近くて、僕は高校生の時はサッカー部だったんだけど、「いま一番国立近い学校から物理)」みたいな冗談はことは友達には言ってた。

まぁ、もっと近くに國學院高校っていう学校があって嘘なんだけど。

僕は大江戸線国立競技場前って駅から青高まで歩いてたんだけど、国立競技場敷地内を歩きながら学校に通ってたのは、なんか誇らしかった気持ちがあったかな。

あと高校生の時はお金がまじでなかったから(お小遣いが月3000円〜5000円だったから)滅多に行かなかったのだけど、ホープ軒で食べるラーメン美味しかった思い出がある。(今思うと全然美味しくないが)

立地はこんな感じ。

イベント

次にイベントについて書いていく。

体育祭

確か5、6月ぐらいに体育祭があってその一環とし、応援団を作って、応援合戦みたいなのをやるのがあった。

応援団をやる人は2、3週間くらい応援団練習をするんだけど、練習場所代々木公園だった。

定期がある人は電車乗っていくんだけど、みんながみんな定期あるわけじゃなくて、代々木公園までは歩いていくってのが恒例になってた。

外苑前から原宿超えて代々木公園まで行く道ってのは結構面白くて、

インテリアショップとか眼鏡屋とかブラジル大使館とかあったり、

表参道を歩いたりとか、原宿竹下通を歩いたりとかしながら、代々木公園まで行ってた。

今はなき原宿のコンドマニアで「お前買ってこいよ」「やだよ、お前いけよ」「なんでだよ!じゃあ一緒に行こうぜ」みたいやりとりをやってたりした。結局買わないんだけど、当たり前だけど。しょうもないけどそういうの楽しかったような気がする。今思うと全然面白くないが。

文化

11月には外苑祭っていう文化祭があるんだけど、外苑祭では1年生から3年生の全部のクラスが劇だったりミュージカルをやるってのが伝統になってて、夏休みから外苑祭の前までは、「神宮外苑絵画館」前のちょっとした広場的な場所練習をしてた。

正直僕は外苑祭に乗り気じゃなかったから、全然練習参加しなくて数回だけしか行ってないくても、なんか思い出にはなってるね。

文化レベルって観点では、絵画館建物自体がすごい美しい建物だったし、絵画館銀杏並木風景っていうのはすごく美しかったのは、高校生でも感じる部分があった。

イベント的にはそんなもんがメインで、その他の時期は普通に駅と学校を行ったり来たりするだけの生活してた。

個人的には、学校自転車を置いたのもあって、学校サボって自転車乗って、原宿行ったり、246を赤坂方面まで走らせて、皇居らへんまでいったりとかは楽しかったな。

あと僕は部活やってたかバイトはしてなかったけど、周りの人とかは学校周辺でバイトやってる奴もいた。そういう奴は結構大人世界垣間見えたんじゃないかな。お金も増えるしね。

僕は遊ぶ金なんて全くなかった。だから高校生場合都心のど真ん中にあったとしても、そこまでは楽しめてなかったんじゃないかな。

まぁでも表参道とかの建築を見て、建築学科に進むっていう決断をしたので影響は大きかったのかもしれない。

建築作品を見るのはタダだったからね(笑)

原宿古着を100円で買ってた

お金が無いなりに楽しんだって思えるのは、原宿古着屋でHanjiroっていうお店が全盛期だったんだけど、そこで100円になってる服を買ってた。てかそれしか買えなかったんだけど、あれは楽しかったな。

あとはまぁ、今はもうない明治公園フリマがやってて、そこで 安く売られてる服とかを買ってたりしたな。

大学での生活の方が影響はでかい

もちろん高校時代を都会で過ごした影響はかなり大きかったんだけど、僕の中で影響が大きかったのは、やっぱり大学ですね。100倍くらい大きいんじゃないかな?

高校の時は受動的にやること っていうのが多くて、能動的には動けなかった記憶があるけど、

大学生になったらぼぼ全部自分で考えて、行動するから大学生の時の方が、濃密な時間を過ごせたと思ってる。

今ならインターネット最先端文化に触れられる

まぁ今なら、文化ってインターネット発なのが多いし、都会にいなくても、最先端文化に触れられるのじゃないかな?

僕が好きなVtuberのぽこぴーとか滋賀県出身電車ない土地に住んでそうだけど、最先端いってる。

僕が高校生の時は、まだスマホとかなかったし(シャって開くタイプ携帯とか、インフォバーとかが流行ってた時期だったし)、高校生の時は家族パソコンしかなかったし、ニコニコ動画も知らないし2ちゃんねるも知らない。パソコンの授業の時に友達が「スーパーマリオTAS動画」見せてくれた時も「おもしれー!TASさんって人まじで超マリオ上手いやんけ!!!」って思ってたレベルだったから、

住んでる場所の影響大きかったと思うが、今はどんどん差が縮まってきてる。

っていうのが都心高校に通ってた一般男性の一例。

Permalink |記事への反応(0) | 00:21

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2025-02-03

普通に働いて普通に暮らしたい

高度成長期バブル崩壊10年くらいはいくらでもあったらしいんだけどなあ

今はもうないしな…

当時のおっさんおばさんから労働環境聞いてるとウルトラスーパーホワイト企業ばっかりで辛い

Permalink |記事への反応(0) | 22:38

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2024-12-21

anond:20241221185141

北海道旅行に一週間いったことあるけど、木彫りの熊の置物を売ってるところを一回も見かけなかった。今はもうないの?

Permalink |記事への反応(0) | 18:55

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2024-07-28

人生で一番良くできた相槌

Aさん「残念ながらしばらく来れないんですよ……カザフスタンに赴任することになりまして」

俺「えっすごーい宇宙ですか?資源ですか?」

↑この瞬発力は今はもうない。何を聞いても反応が薄い、屍のようだ。

Permalink |記事への反応(1) | 06:13

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2024-07-23

anond:20240723123547

超大昔の可変抵抗式のやつなら、無段階で調整できたけど、

今はもうない

向きを変えるか、風よけをおくかするしかない。

Permalink |記事への反応(1) | 12:39

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2024-07-11

文化的かどうかの話ではないが

子どもの頃には独立店舗おもちゃ屋さん(ハローマックみたいな)があったが今はもうない全国的に無いようだ。

CDゲーム屋さんもあったが消えて本も文具も売ってるツタヤになった。これは規模的には大きくなったのかもしれない。

古本屋も居なくなったな。

祭りコロナを乗り越えてもまだ続いているが出店は無くなった。ちょっと寂しい。

ボードゲーム屋さんとか作ったら食っていけるかな。

Permalink |記事への反応(0) | 10:27

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2024-06-26

追記読め)アラサー弱男が婚活しようとしたら地獄を見たお話

追記

自称おばさんからコメントが付いたのでその勢いで追記する。

文字読んで真っ当な共感かと思ったら、このおばさん子供いるじゃん。

何がわかるんだよお前に。

その瞬間だけをみても、性欲の発散先として素晴らしい価値提供をしている。

それ以降の文も読んだけど、読まなかったことにする。

お前は価値を持っているしそれを提供できる立場

決して共感者ではない

追記ここまで)

25歳

彼女いた事ない歴=年齢−1

童貞

身長

ブサイク彼女できないくらブサイク

アホ(彼女作れないくらいアホ)

コミュ障

威張れないくらいの年収(低いかもしれない)

 

同期入社の友人が結婚することになった。

後輩の苗字が変わった。

高校同級生子供ができた。

幼馴染は三人で暮らすための家を買った。

妹は婚約者を連れてきた。

 

俺だけが、何も無い。

背伸びして車を買ったくらい。

 

年相応にステップアップしていくはずが、

俺だけ中学から何も変わっていない。

 

何が足りないのかと考えると、異性との交際経験だと思った。

高校大学までは女友達は両手で数えるくらいはいた。

うち数人は声をかけたらその日のうちにどこかへ遊びに行けるくらいの関係だった。

 

でも、それは、つまるところ、俺を異性として、オスとして見ていないからこその振る舞いであり、関係性なんだって気づいたのが最近

 

それすら、今はもうない

 

婚活をしようと思った、結婚中間目標として、その間に「①人に好かれる」「②パートナーを作る」の2つ小目標とした。

 

自宅と職場の近くで開催される街コンなりパーティーを探してみた。

自宅近くでは趣味共通点とした街コンがいくつかあったが、俺に大した趣味はないのでどれも参加できなかった。

 

職場近所では、学歴職歴年収資格で厳密なボーダーを引かれた婚活パーティーがたくさんあった。参加費も一万円〜数万円くらい。

学歴MARCH比較される程度の公立大(今はもうない)。

勤め先はマイナー業種(同業は日本にもう1社しかない)すぎて職歴もアウト。

資格なんかは車と船の免許くらいしかない。

年収ボーダーの倍か3倍以上あったけど、他をクリアしている人は3倍4倍5倍あるだろうからこれに意味はない。

と、参加資格すら持ち合わせていなかった。

 

企業団体が主催するハードルの高い交流は諦めて、自分なりに相手を見つけようとしてみた。

数少ない女友達、妹、姉に声をかけたが、にべも無く振られる。とりつく島もない。

俺が嫌われているなら状況は単純なんだけど、そうでなく、時々飯や近況報告くらいはする仲なので、「俺を知り合いに紹介したくない」ということなのだと思う。そんなに気持ち悪いんだな。

 

最後の手段(正確には最後から2つ目)で、セルフで見た目を整えてみることにした。要するにナンパを目指した。今考えてみると悪手も悪手だね。

これ書くのは辛いか一言で、「体型も顔も悪くて、どんな髪型服装にしても全体としてブサイク」になった。

もちろん主観のみでなく、服飾のコンサルタント美容師判断も仰いだ。

誰が見ても微妙な反応で、はっきり何か言ってもらうのは申し訳なくて聞いていない。もうその反応が答えだから

 

で、諦めた。

他人に何一つ価値提供できない人間だとぼんやり気づき始めたので、これ以上もがくのは誰のためにも、もちろん自分のためにも良くないと思って。

 

もう少し早ければ振るまいなり見た目なりを治療して、勉強して資格収入嵩上げできたかもしれないけど、そんなもしもの話は今なんの意味もなくて後悔にしかならない。

 

結局、婚活すらしないまま、ただ自分が不出来だってことだけが明確になった。

 

これからどうすればいいのか、わからないや。

Permalink |記事への反応(11) | 13:32

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2024-05-15

anond:20240515171411

今はもうない。私が18〜19才くらいのときに閉店しちゃった。

Permalink |記事への反応(0) | 17:28

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サイゼが持て囃される理由

自分人生で2回しか行ったことないからよく分からない。小学生の時に1回、高校生の頃に1回。どちらも地元にあった店舗

小学生の時は家族で夕飯食べに行ったけど、その時は家族連れが多くて店の中がワーワーキャーキャーうるさくてウンザリした(自分小学生だったけど騒ぐタイプの子供じゃなかったし、学校でも授業中うるさい子とか嫌いだったから余計に嫌だった)。

高校生の時は昼食食べに行った。全体的にサラリーマンっぽい人が多くて静かだったけど、店の一角にいた女性グループけがうるさくてなんだかなあと思いながらご飯食べてた。

それ以外は行ってないけど、土日になると中学生高校生自転車店舗沿いにギチギチに並んでて、店の中やばそうだなと思ってた。

地元店舗コロナの頃に閉店したから、今はもうない。客層のせいなのか、コロナ禍での採算の問題だったのか、借地権か何かの都合なのかは知らないが。

味は不味くはないけど、何度も行きたくなるほど特別美味しいとも思わなかった。安いとは思ったけど。子供の頃に行ったきりだから今は美味しいんだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 16:30

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2024-05-06

ある田舎国道バイパス沿いにトラッカー向けの定食屋があった。今はもうない

白飯うまいというのがウリで、実際に美味かった。おかず類はとにかく味が濃かった。コップはワンカップの空き瓶だった。店内にはなぜかクレーンゲームの類がたくさんあってギラギラしていた。

その近くにはエロ下着屋があった。入ったことはないのだが、深夜帯によく流れていた素っ気ないCMからするとでかい倉庫みたいな店内でまんこ乳首丸出しになる原色下着ワンオペで売ってるらしかった。誰が買うのか不思議だったが後年利用したことがあるという人に遭遇した。ふつうのおばさんだった。夫婦のお楽しみグッズらしい。聞いてもないのにその話をしてきた。

その店ももうない。

あいうクソみたいなロードサイド光景が嫌いじゃなかった。でもなくなってもそれはそれでなんの痛痒もない。

Permalink |記事への反応(1) | 11:26

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2024-04-30

Windows10って来年にはEOLなんだね。最後Windowsはいったいなんだったんだろう

てか手元のノパソ、普段使い的には全く問題ないスペックなんだけれど、CPUが非対応なのでWindows11にあげられないとか言われて、買いなおしが必須になるのだけど、軽くて小さいノパソって今はもうないんだなー。

どれもこれもでかくて重くてゲームもできるとか言われる。

1kg切っているモバイルノートだしているの富士通NECぐらい?それもギリギリ1kg切る900gとか。

ROGALLYみたいなのはあるけど、キーボードついてないと困るしなー。

いっそのことポメラにするか

Permalink |記事への反応(0) | 18:03

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2024-04-25

宝石の国最終話タイトル宝石の国」の意味全然からない

正解がないのが正解な気もするけど、それでも正解を探してしまう。

探すほどに正解が分からなくなる。

正解を見つけたい理由が「正解の分かる俺スゴイ!正解が分かってないくせに感動とか言ってる奴らザコすぎwww」でマウント取りたいだけな可能性に気づいたのでもう辞めることにした。

以下は副産物

流星になったフォス達が降り注ぐこの宇宙のものが「宝石の国」なんだよ!

なんでフォスが最期流星になる必要があったのか、それはこの宇宙と一体化するためだったのではないだろうか?

夜空をかける流れ星に願いを叶える力があるのは、流れ星もまた誰かの幸せを願っているからなのではないか

この宇宙に瞬くすべての星は、フォスのようにそんな思いを持っているから輝くのでは?

ならこの世界のものが祝福に満ちている!

宇宙は真っ暗闇なんかじゃない!

宝石のように煌めく祈りに満ちた宝石の国なんだ!

全ての魂は転生し、この宇宙を満たす、誰かもきっと昔は宝石で、未来宝石になる

流星になったフォスは、在りし日のフォスの元へ。

誰もが生まれ変わり自分出会う。

いま近くにいる誰かも宝石の生まれ変わりかも知れない。

バラバラになって二度と会えなくなったと思っているけど、気づかない内に再開は終わっている。

皆きっとここにいるからきっと寂しくない。

今はもうない宝石の国の夢を見た

ふと思い出した過去自分、もう戻れない時間

振り切るでもなくただ自然と手放して前へと進む。

懐かしい思い出は今も心のなかにある。

宝石の国はもうない。

それは幸せな夢のようにいつか誰からも忘れられるだろう。

遂に見つけた心の宝石に満ちた国

求めていた場所にようやく辿り着いたフォス。

自分を受け入れてくれる仲間たちと穏やかな最期を過ごす。

煌めく宝石のような日々は、新しい仲間たちの心の光。

ここが本当の宝石の国

見た目に綺羅びやかである必要はない。

素朴だけれども輝くような毎日

幸せに生きるフォスの姿を宝石の国の皆が祈っていた

今はもういない皆の祈りはフォスが救われること。

フォスが今ココにあるのは皆がフォスの幸福を願ったおかげ。

それが誰だったのか彼はもう思い出せない。

でも彼は確かに救われている。

今はもう兄機だけが覚えている皆が願ったように。

兄機はやり遂げた。

皆もやり遂げた。

物語最初から最後まで、宝石の国の誰もがフォスの幸福を願っていたのだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 20:54

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2024-02-18

おばさんだけど若い女性が隣に座ると許された気がする

電車女性が隣に座ると許された気がするのは「男性あるある」と書き込まれていたけど、おばさんの私も似たような感覚がある。

私自身が16歳から24歳くらいにかけて、なぜか生理的嫌悪感センサーが異様に鋭かった時期があって、

同時に態度に出すと失礼だし、相手に知られると怖いという気持ちもあって、

強い感情を隠しているストレスを感じている生きづらさがあったのだけど、今はもうない

もう「嫌悪感を覚えるような元気(?)」がなくなったというか、全部の動物感覚が鈍ったというか…。

(この全部が鈍って楽になった感じこそDon't trustover 30の源なんだろうか。生理的嫌悪感だけじゃなく義憤のような感情も消えた気がする)

から二十歳前後女性が隣に座ってくると、「生理的嫌悪感の感度がMAX世代に許されたか大丈夫」みたいな偏見由来の感覚がある。

若い男、イケメン等が隣に座ったところでそういうのはない。モテてる男が警戒心を持ってなくて、ろくに知らない女からもらったクッキー食べてたりしたの見てきたから、

男はあんまり周りを見てない、男が隣に座ることには意味がないし何のお墨付きにもならない、という偏見を持ってしまう。

一番、鋭敏な生理的センサーを持っているのが若い女性から若い女性が隣に座ってくると「私は大丈夫な気がする」と思えるのは、

男性あるあるってよりはおばさんも同じなんじゃないかと言いたかった。n=1

Permalink |記事への反応(11) | 18:18

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2023-12-26

ひろゆきが今が一番楽しいと言っていた そうするように人生選択をしてきたと言っていた

でも子供のころの新鮮さや驚きはもう戻ってこない 夏祭りのワクワクが今はもうない

Permalink |記事への反応(0) | 12:55

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2023-11-24

anond:20231123184004

たぶん封神演義が連載開始したあとくらいだったか

当時、中学1年か2年だったけど正直はっきりとは覚えてない

女子少年誌を買うのは当時はまだ珍しかったので、ちょっと恥ずかしかった

人生で一番最初に買った漫画ならはっきり覚えてる

ドラゴンボール

小学低学年か中学年のとき経堂駅近くのすずらん通り商店街にあった古本屋今はもうない)に親に連れられていったか1人で行ったのか……

カバーが付いてないせいで他の本より安くなってた

スーパーサイヤ人になった悟空フリーザセルと戦ってる巻だった

普段アニメで見てる絵が、白黒なのにまず驚いて、しかも絵がめちゃくちゃ綺麗で大興奮した

すごい宝物を発見して、それを独占してしまった気分になったのを覚えてる

Permalink |記事への反応(0) | 09:06

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2023-09-09

ジャニーズファンのオバサンの思い出

今はもうない飲み屋で、時々見た人のことを思い出している。

ジャニーズアイドルが大好きなオバサン数名が、推しアイドル誕生日を祝ってケーキを持ち込んでいた。

自分の周りにはアイドルファンはいないので、いったい何をやっているのか最初意味が分からなかった。

まあでも、周りにもケーキのお振る舞いがあるので適当に話を合わせて付き合っていた。

そのオバサンは、推し担当するCM商品サービスをキチンと利用するようにしていると話していた。

そうすれば、推しが他のCMにも番組にも出られるようになるから、と。

アイドル推し活ってそんなことまでするんだ、と軽い衝撃を受けた。

その極めて真面目なジャニーズアイドルファン達は、今の状況をどんな気持ちで見ているのだろうか。

彼女達は被害者なのか加害者なのか。彼女達の罪とは何なのか。傍観者の我々社会には責任はないのか。

それを直接聞く機会はもうないんだけど、彼女達が救われる道が開けるように、祈るしかない。

Permalink |記事への反応(0) | 02:12

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2023-06-28

iPhone検索候補ホップ☆ステップ賞が入ってる

今はもうないんだけどなぁこの賞

Permalink |記事への反応(0) | 10:20

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2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 2/3


3.就職活動のこと

 大学四年になる頃、就職活動が本格化した。当時は就職氷河期で厳しい状況だった。講義レポートもあるし、当然サッカーだってやらないといけない。居酒屋(どんがま、というお店一本になっていた。今はもうない)でのアルバイトは週二に減らした。

 当時は、三年の秋から企業説明会が始まって、四年の春以降に面接スタートというのが一般的だった。俺が行きたいと思っていたのは総合商社だった。説明会に行ってみて、とある商社に惹かれたのだ。ほかの総合商社に比べて「オレがやってやるぞ!!」みたいな社員の人が多かった。

 三菱商事は、政府の高官みたいなキャラの人が多くて、三井物産スマートイケメンキャラが多かった。伊藤忠商事は、頭を鈍器で殴られても生きていそうな人が多かった(生命力があるという意味)。そんな記憶がある。

 その春までには、俺とキャプテン君はmixi上でマイミクになっていた。お互いの日記コメントをした繋がりがあって、サッカー友達ということで俺から申請をしたっけ。いや、もう正直覚えてないけど。とにかく、俺とキャプテン君はmixi友達になった。

 キャプテン君のmixi日記はすごかった。俺も、彼もサッカーのことを綴った日記が多かったが、彼の場合はなんというか、思考レベルが違った。普通に大学サッカーをやってるヤツが、一生懸命サッカーのことを考えているのだとしたら、彼の場合もっとずっと、『上の視点からサッカーのものを見詰めていた。

 例えば、同志社大学サッカー部は、今でも大学単位ブログ更新し続けている。各選手自分生活サッカーに関する考えを書き綴っていく。

アメブロ catchthe world

https://ameblo.jp/duscblog/

 ここにある後輩達の日記は、読む価値がある。若いながらも自分なりに考えて学生生活を過ごしている。

 当時のキャプテン君のmixi日記は、この内容をはるかに上回っていた。日記のものは、すでにこの世にデータはないが、当時の俺個人日記に断片的なメモがある。

 当時、キャプテン君はこんなことを日記に書いていた。ほぼサッカーのことだ。本当は繋がりのある文章なのだが、断片化しているので意図がわかりにくいかもしれない。



集団というものは常に問題に直面してる。人が寄っている以上は必ず争いが生まれる。価値観の違いとか、追求する目標の度合いとか、相手への要求基準とか、争いの種は無数にある。それでも同じ集団として、組織として「仲間」を自称して日々共に暮らしている。

自分らは、全員で一丸となって目標邁進するために集まったはず。でも、いつからか、別の方向を向いている人たちをひとつ目標に進ませることに奔走してる。組織とは難しい。

組織には、絶対に衝突や背信生まれる。リーダーには、それをまとめる人間としての自覚がいる。自分がやらなければならないという責任感が。自分には実力が足りないといって何もしないのは卑怯だ。逃げだ。後輩には、早くこのことに気付いてほしい。

理想を語って、現実に不平不満をこぼし続けるのは簡単問題を黙って見過ごすのも楽だけど、人間が腐っていく。

・オレは現状を変えたいと思った。現状を変えるにはかなりの労力がいる。俺はあの時、みんなに不快なことを言ったけど、妥協してほしくないからあえて言った。

・言いたいことを言い合えない集団未来はないんやで。お互いに機嫌を伺って本音を出せないとしたら、自分らの関係は友人ですらない。本当の仲間って、暑苦しくて、うっとうしくて、そして清々しい。

・ぶつかっても、嫌われてもかまわない。まだ間にあう。オレ達はここから勝負だ。残された時間を考えると、今は悩みながらでも正しいと信じることを貫くしかないよな!

ぶつかっても、嫌われてもかまわない。何年か経った時に俺の伝えたかった真意理解してくれれば、それはそれで素晴らしい。

・愚直にやることは本当に重要やで。ひたむきにやらない人間に付いていく気にはなれん。

・結果を出すことは、集団をまとめるための必要条件であっても、十分条件にはならん。サッカー試合に出れない人の方が多いんやし、俺達のチーム!!って愛情をみんなが持てるチーム作りをしないと。勝って喜んでいるのはレギュラーだけってことにもなりかねない。今の俺には難しい。

・好む好まざるに関わらず、人には立場が与えられ、それに見合った働きが要求される。自分には難しい、できないかもしれないと言ってるヒマがあるなら必死勉強しなきゃいけないし、責任を負える人間にならんとな。

・今のチームには、勝ちたいという執念を見せるヤツや、自分を演じてでもチームのために尽くそうとする人間が少なすぎる。たしか個人個人は頑張ってるけど、みんなそこ止まりなんよな。他人に対して意見を言おうとせん。勝ちたいなら叫ばなきゃいけない場面もあるのに。だから俺は三年に怒ったんや。なに自分のことだけ頑張ってんねんと。自分らの代やったらそれ相応に振る舞えと。

他人言及することは、自分へのハードルも上げることにもなる。言ったからには自分もやらなきゃいけない。そんな風に、自分を追い込んで成長していかんと。

・時には集団のために自分を演じる必要がある。嫌われ役でも買ってでよう。自分大事にしすぎるあまり、みんな守りに入ってもうてる気がする。

自分のことだけに集中して動くのは本当に楽。でも、それなら今の場所にいる意味はないからね。引退までに、俺らの4年間を後輩に叩き込もうと思う。そうやってチームの魂は引き継がれていくものなんやで。



 上の日記は、なんJ民が書いたものではない。日記を書いたのは、当時21歳の大学生だ。一般的学生とはレベルが違う。社会人の域に達している。キャプテン君が反則で退場処分になったサッカー試合を見た時は只者じゃないと思ったが、ここまでとは思わなかった。

 実際、彼はいい奴だった。対面で話したことは数回しかないけど、でも確実にいい奴だった。熱い闘志が漲っていて、爽やかな笑顔が眩しい。それでいて面白いことも言える。ずるい。

 就職活動に話を戻す。必死エントリーシートを磨いて、SPI勉強をして、面接対策をして、総合商社の一次試験突破した。二次試験グループ面接も通って、いよいよ三次になった。

 会場は、晴海トリトンスクエアという海が綺麗な高層ビルだった。会場には、当たり前のようにキャプテン君がいた。緊張している様子だったから、声はかけなかった。かと思えば、ほかの志望者と一緒に雑談をしていて、さすがだなと感じた。

 面接試験の部屋の前で待っていると、自分の前に終わった人が出てきて、「頑張ってください」って言われた。「ありがとうございます」と返して部屋の前に立った。

 肝心の面接試験は、一応やりきることができた。子どもの頃からやっていたサッカーアピールもできたし、面接二名サッカーをしていたことがあったらしい。「インカレスタメンで出ました」と言ったら、「おー、うまいんだね!!」と言われた。

 面接全体だと、簡単質問もあったし難しい質問もあった。覚えてる限りだと、

□なぜ総合商社を志望するのか、その中でもなぜ住友商事を?

集団の中でどのような役割を果たすか

卒業までをどう過ごしたい

総合商社で叶えたいことは何か

□今後の人生目標

あなたにとって「仕事」とは何?

□弊社の弱点を教えて

仕事ができない人や嫌いな人が職場にいた時にどうする?

 こんなところか。ゆっくり落ち着いて答えていった。こういう時、サッカーをやっていてよかった。緊張はするけど、それが心地いい。失敗してもいい、飛び込んでもいいやって思えた。よい意味で、周りが見えなくなる。

 時間というものの退屈さを感じない。これは採用試験なのだという不安も忘れて、不採用がありうるという事実すら忘れてしまって、どんな恐れすらも感じなくなる。面接、という世界に全身全霊で移り棲んでしまたからだ。

 面接が終わった後は、さっきの自分と同じく、面接試験の部屋の前で待っている人がいた。俺は、ちょっと迷ったけど、「頑張ってください」って言った。その人は、「ありがとう。行ってきます」と返して面接室の前に移動した。

 それから普通に社屋を出て、ちょっとその辺でご飯を食べて、夜行バスが来るまで街を歩き回って、バスが来る頃にはすっかり疲れ果てていた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212236

Permalink |記事への反応(2) | 21:22

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