はてなキーワード:主治医とは
たぶん今まだ不動産屋に直接出向いてないし内見もせずに頭の中だけでごちゃごちゃ考えてる状態だと思うので、とりあえず内見の数をこなして現実を見るところから始めてください。
初めての一人暮らしのときは誰しもがあなたのようなファンタジーを空想するものです。経験がないのだからそれは仕方がないこと。
あなたと主治医の間で一人暮らしと障害年金更新についてどういう話し合いが行われているのか知りませんが、働けている上に特に理由のない一人暮らしの開始は等級落ち(年金打ち切り)の可能性があります。障害年金が無くなった場合、生活費はどうするのかは最低限考えておいたほうがいいと思います。
①食にこだわりがある
23区内RC造であなたの予算内の家賃だと、2口コンロを置ける物件はそこそこあるものの、まな板を置いて調理するスペースがない物件が圧倒的に多いです。今まで通りの調理はできないと思ったほうがいいです。今まで通りを貫き通したいなら場所を妥協するか家賃の予算を上げるか、都営住宅に住むかでしょう。
オーガニックのブロッコリーなんて23区内ならGreenBeansなどのネットスーパーで買えますし、成城石井なんてAmazonネットスーパーで利用できます。
②聴覚過敏
私も聴覚過敏と光線過敏があるけど木造アパートでモルデックスの耳栓で乗り切ってます。ノイキャンイヤホンか耳栓しろ。ていうかRC造なら音しないとか幻想。木造より圧倒的にマシだが普通に音はする。
③人の気配が怖い
なら戸建てしか選択肢ないじゃん。人の気配が苦手なのに23区中心部にこだわるの矛盾してない?東京都下が一番合ってるんじゃない? それか都営住宅も選択肢に入れたら?
④東京23区が好き
⑤日当たり
まず内見してください。行動。
オートロックはいいとしても安心安全重視において階数にはこだわりないわけ? 1階は家賃が安いけど洗濯物盗まれたりとかするし危ないよ。
⑦洗濯
一人暮らししたこと無くて洗濯する機会が無かったんだから知識がないのは当たり前では?
これから身につけていくべきことでしょ。
それとあなたの条件のワンルームだとドラム式洗濯機はたぶんサイズ的に入らないのではないかと思う。
大型冷蔵庫の件もそうだけど、まず自分が欲しい洗濯機や冷蔵庫のサイズを計ってメモしておいて、内見のときにそれが置けるスペースがあるのかを把握する必要がある。つまり、まず行動。
⑧ゴミ捨て
だから一人暮らししたことないんだから誰でも最初は分かんねーよ。
分別の基準は区によって違う。厳しい区とそうでもない区がある。どの区が厳しいのかはネットで調べれば分かるので事前にチェックしておいたほうがいい。
分別の仕方は自治体から配られる(一人暮らし開始と同時にポストに投函される)ゴミ出し曜日カレンダーという冊子に書いてある。ネットでも自治体HPに載ってるから検索すればすぐ分かる。それでも分からないようなものは清掃事務所に電話して聞いてくださいって冊子に親切に書かれてる。
・缶は洗うのか?(当たり前だろ!)
・ビンカンと書いてあるが明らかに違う物質を同じ袋に入れていいのか?(お前は資源ゴミの回収日に黄色や青の箱が道に並んでるのを見たことないのか?)
分別をうっかり間違えることは誰にでもある。怒られたら同じことを繰り返さないように学べばいいだけ。
⑨完全遮光
普通、2つのカーテンレールはレースカーテンと普通のカーテンを重ねて使うと思うが、私の場合は完全遮光カーテンを2枚に重ねている。隙間から光が洩れるのが嫌なので2枚組のカーテンは使わずに、2枚分の幅の1枚のカーテンをオーダーした。これでも上から光が少し洩れるが、それが気になるならカーテンカバーやカーテンボックスをつけてください。
タイトル通り。
特に毒親とかではないと思う素晴らしい両親と同居して都心から遠い以外は問題なかったが、父がコロナにかかって衛生観念が違いすぎることをきっかけに一人暮らしを検討し始めた。
思ったより物件探しって大変なんだね
以下条件
①食にこだわりがある
②聴覚過敏
③人の気配が怖い
渋谷まで急行で40分、ド郊外目の前公園THE閑静な住宅地の戸建だったのでマンションの上下左右に人がいる状態が怖い。滞在したウィークリーマンションだと足音・くしゃみ・廊下の音・窓の外の音に驚いた。浜松町近辺に住む友達のちょっといいメゾネットマンションにお邪魔した時も電車の音が四六時中聞こえてびっくりした。一言で言えば慣れだろうけどうっすら人間が全体的に気持ち悪いので不安
④東京23区が好き
これが条件として本当にきつい。でもそうなのだから仕方ない。中高で遊んだ街なので愛着がある。
なに甘えとるんじゃ現実見ろ!我慢せえ!もっと稼げ!予算に応じて場所変えろ!なんだろうけどいまの障害者雇用は都内外国系で人間関係もよく理解があるありがたすぎる職場&自分の専門性を活かせてるので転職して手取りを増やすのはすぐできるかというと難しい。
しかし同時に23区、特に真ん中ゾーンで10万未満の部屋を望む方がもちろん気が狂っている。ただ郊外住み→都内私立中高と大学に通学し続けた歴史を持っており、移動時間が長すぎなことが半分「恨み」に変わってきてるから都内一人暮らしで成仏させたい。
⑤日当たり
というより蛍光灯・シーリングライトが苦手。感覚過敏の一種だと思うが目、というより身体中が痛くなる感じに近い。できれば日中は電気をつけたくない
確かに自分は握力が10kgいかないので、何かあったら終わり。
⑦洗濯
汚い話で申し訳ないが究極に汚れるまで着て洗濯の仕方がわからなくて捨てたことが何度もある。
洗い終わったのに干すの忘れちゃって腐らせたこともある。オキシ漬け?も1週間放置した前科がある
多分乾燥機?つきのを買わないといけないんだけど予算的に難しいのでは?
⑧ゴミ捨て
これもよくわかっていない
24時間が絶対いいらしいというのは知ってるが、そもそも分別の基準がよくわからない
缶は洗うのか?ビンカンと書いてあるが明らかに違う物質を同じ袋に入れていいのか?この辺は学習できると思うけど、うっかり不注意が多く、怒られる未来しか見えなくてもう怖い(うっかりって気づかないし未然にチェックなどは膨大なエネルギーがかかるからまじ怖い)
⑨完全遮光
アイマスクすればいいと最近気づいたけど感触に慣れないからどうなんだろうね?
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以上なんとなく寝れなくてだらだらまとめただけだから読みにくくてごめん(ここまで読んでくれた人いるのかもわからんが)
キモい感覚持ちに生まれたらそれ満足させるためにお金要る→しかしキモい感覚持ちなのでお金稼ぎにくい のハメ技やめて欲しいよ〜〜😭
こんな感じで探せたら奇跡よな、多分妥協していくんだろうけど(ゆうて最上階・南向き・駅近・光ファイバーなどは初期の段階で捨ててこれ)
まあASDとか耳目を集める属性タイトルにした(卑しいね)けど、みんな大なり小なり家探しは大変だよねー こんな条件で見つかるのかな?笑って感じだけどやってみるわ
いい家みつかればいいなー進捗あったらまた書くね
寝れない夜の駄文でした
Permalink |記事への反応(31) | 03:18
増田は、20代。精神科の診察室に座っていた。これまで自分が他人と同じように生きていないこと、周囲とどこか違うと感じ続けてきたことは、もう誰にも説明できないほどの負担となっていた。やっとの思いで精神科を訪れ、知能検査を受け、軽度知的障害の診断を受けた瞬間、私は一瞬の静けさを感じた。診断結果を受け入れるまでに少しの時間が必要だったが、次第に納得が湧いてきた。「なるほど、私はずっとこうだったんだ」と、自分の中で何かがつながったような感覚に包まれた。その瞬間、ふとした希望も感じた。「これで療育手帳が取れたら、障害者雇用やいろんな福祉支援サービスが受けられるかもしれない」と、わずかながらの期待が胸に湧き上がった。自分が今まで経験してきた苦しみや不安が、少しでも軽くなるかもしれない、そんな思いが増田を包んだ。
しかし、その期待はすぐに打ち砕かれることになる。
増田は療育手帳の申請を行い、知的障害者更生所で再度知能検査を受けた。その結果、精神科での診断と同様に軽度知的障害とされる数値が出た。しかし、それでも結果は「非該当」となった。理由は「18歳以下で知的障害の状態だったことを証明する資料が不足している」というものだった。私はその理由に愕然とし、困惑した。過去の自分を証明する手段がほとんどなく、結果的にそれが障害者としての支援を受けるための唯一の鍵だと思っていたのに、最初の申請は却下されてしまった。
過去の知能検査結果について、病院に行ったことはないため通っていた学校に支援者が問い合わせると知能検査は行われていたが5年で廃棄処分していると言われ、入手することはできなかった。他には、テストの結果や成績表、担任の証言書を集め、再度申請することを決意した。これでなんとかなる、そう信じていた。
再申請が受理され、知的障害者更生所で再度話し合いが開かれた。支援者も同行し、増田は自分の過去を証明するために、何度も何度も訴えた。
「私は、子供の頃に診断を受けなかっただけで、今でも支援が必要だと感じているんです。過去の成績や担任の証言で、私がどれほど苦しんでいるか分かってほしいんです」
増田は何度も言葉にしようとしたが、結局うまく伝えることができなかった。コミュニケーションが苦手で、他人に自分の気持ちをどう伝えるべきかが分からない。増田が言葉を選び、伝えようとするその過程は、いつも思うようにいかない。判定職員には、私の苦しみがどれだけ深いものであるか、どれだけ長い間その苦しみに耐えてきたのかは、うまく伝わらなかった。
支援者は、増田がこれまでどれだけ真剣に証拠を集め、過去の困難に立ち向かってきたのかを理解し、判定職員にそれを伝えようと尽力した。しかし、何度も話し合いをしても、その答えは変わらなかった。
「証明が足りません」「18歳以下の証拠がありません」「過去の成績や担任の証言だけでは、交付することはできません」
その言葉が、再び私の心を冷たく締め付けた。必死に集めた証拠や証言が、すべて無駄に終わった。再申請しても、結果は同じだった。増田はその現実に愕然とし、次第に、自分がどれだけ過去を証明しようとしても、全てが無駄なことだと感じ始めた。証拠が足りないという一言で、過去のすべてが無視され、再び壁にぶつかっているような気がした。
増田は、この世界において自分の声が何も届かないと感じていた。過去を証明する手段が限られていて、いくら努力しても結果に繋がらない現実、どんなに訴えても理解されないという事実に直面し、深い絶望に陥った。自分の気持ちを他人にうまく伝えることができない。これまでの人生でずっとそうだった。学校でも、職場でも、自分の思いをうまく言葉にできず、苦しんできた。支援者にさえ、心の奥底にある本当の苦しみや切実な願いを伝えることができなかった。たとえうまく伝わったとしても、その後何も変わらなければ意味がない。私の中で、無力感が膨れ上がっていった。
「どうして、こんなにも分かってもらえないんだろう…」
過去を証明する手段が限られていて、結局それが自分を助けるための唯一の鍵だと思っていたのに、それすらも認めてもらえない現実に、増田は深く絶望していた。自分が子供の頃は助けを求めることさえできなかった。大人になった今、勇気を出して助けを求めても、誰も相手にしてくれない。耐えられなくなった。
話し合いが終わり、再び私と支援者は帰路についた。途中、私は無言で歩いていた。支援者が少し間を置いて、静かに口を開いた。
「増田さん、もうこれ以上頑張っても、無駄だってこと、分かってるでしょ?」
私はうつむきながら歩き続けた。支援者は少し間を置いて、さらに言った。
「いくら証拠集めて頑張ったって、あっち側の決まりがあるんだから、どうにもならないんだよ。この現実を受け入れるしかない。あなたがどうしたって、この社会は理不尽だらけでできている。このことを受け入れなきゃ、あなたはこれから働くことも、生きていくこともできない。」
私はその言葉を耳にしながら、心の中で反発していた。どうしても受け入れたくなかった。けれど、支援者の言葉が、どこか冷たく現実を突きつけてくるのを感じていた。
納得するしかない。唯一の味方だと信じるしかなかった支援者から何度も繰り返される説得に、次第に身体が重くなっていくのを感じる。
「受け入れるしかない…」
その言葉が、増田の頭の中で何度も響く。これまでの人生を振り返ると、どれだけ努力してきても、結局は何も変わらなかった。学校も職場も、適応できなかった。自分が他の人と同じように生活することなんて、どうしてもできなかった。
「療育手帳があれば…」
福祉支援を受けられれば、少しでも楽になれると思っていた。けれど、その希望も絶たれた。自分がどれだけ証拠を集め、努力しても、結局は非該当のままだ。どうしてこんなに頑張ったのに、何も変わらないのだろう。
歩きながら、増田は心の中で叫んでいた。自分の声がどこかに届いてほしい。誰かに理解してほしい。でも、どんなに叫んでも、届くはずもないということを、もう増田は知っていた。
やがて自分の実家が見えてくる。家に帰るたびに感じる、親の無関心が、彼の心に重くのしかかる。
自分の悩みや障害のことを話そうとするたびに、面倒な顔をして避けるような態度をとる。どんなに傷ついても、親にはその気持ちを伝えることはできない。
知的障害者更生所の職員が「担任教師から聞き取り調査を行ったところ当時あなたの様子から親に養護学校を勧めたと言っていた。でも、養護学校を勧められた程度では療育手帳を取得できる根拠にはならない」と話していた。増田はそのことを当時親から聞いたことはなかった。長年隠されて、なかったことにされていたのだ。さらに知的障害者更生所の嘱託医は「子供の頃に検査してるか、実際に養護学校に行ってないとダメだよ」と主張する。
病院の主治医に相談しても「療育手帳は県が決めることだからこちらはどうしようもできない。」という考えで、深く関わろうとしない。
「どうして…」
私は床に座り込み、ただぼんやりと天井を見つめていた。支援者が言っていた「受け入れるしかない」「あなたは運がなかったね」という言葉が、どんどん増田を圧しつける。受け入れることなんてできるはずがない。受け入れて生きることなんて、考えられない。
「このまま、ずっとこんな人生が続くんだろうか。」
心の中でその問いが繰り返される。周囲と適応できず、苦しみながら生きてきた自分を、誰も理解してくれなかった。過去は変わらない。障害があることも変わらない。療育手帳を取って、少しでも支援を受けることで、この人生が変わることを期待したけれど、その望みすら叶わない。
私はその道のりを、自分の人生そのものとして感じていた。どれだけ頑張っても報われることはない。過去の出せる資料は限られているし、結局は認められないという現実。
そして、私はその夜、自分の中でひとつの決断を下した。絶えることのない無力感、療育手帳を手に入れることができなかった希望に対する苦しみが、増田を追い詰めていった。
16年前のガンが再発し、再闘病8年目の今年2月、これ以上の治療は困難とのことで緩和ケアへ移行することになりました。
この時私は妊娠6ヶ月でした。念願の初孫だと喜んでくれていたので、この告知はとてもショックでした。
予定日は7月2日、母の余命は4ヶ月ほどだろうと言われました。主治医の先生には被るのではないかとまで言われたそうです。
去年は友達と九州へ旅行に行ったり、好きなアーティストのコンサートに行っていたのに、本当に急でした。
もちろん里帰り出産なんて出来ませんでした。さらに今後、私がお腹の子を育てていく際に母の支えが無いのだということに絶望しました。孫の手を引くお母さんを見ることは出来ないんだと、孫を甘やかすおばあちゃんがいないのだと。
しかし1番悲しいのは母自身です。私は期待を持たせて悲しさが大きくなるのが怖くて、孫に会わせたい、孫を抱いて欲しいという願いをグッと飲み込み、母は母の病気に向き合って、私は私の出産を頑張るからと伝えました。
遠出を避けなければならない妊娠後期ギリギリまで何度も帰省しては、母にたくさんお腹を撫でてもらいました。撫でてもらうたびに、お腹の子に会わせたいという淡い思いで胸がいっぱいになりました。
最後に会ったのはGWでした。またね、頑張るんだよと声を掛けてくれた姿は比較的元気そうでしたが、今思えば妊婦の私を気遣って無理をしていたのでしょう。
その後、母はみるみるうちにやつれていきました。ご飯が咀嚼出来なくなり、ゼリーなどの流動食ばかり食べていたようです。肺に水が溜まり、心臓が痛くなり、起き上がるのが苦しくなっていたのです。また薬の副作用や症状の悪化でせん妄が顕著に現れていました。テレビ通話やメッセージが支離滅裂になっていく母の姿を見るのは辛かったです。
しかし私のお腹の子はどんどん大きくなって来ます。とうとう正期産の日になりました。その当日の妊婦健診時の「いつ生まれて来てもいいからね」という先生の言葉を聞いたからなのか、はたまたこの後のことが分かっていたのか、その日の夜、子は予定より3週間も早く産まれてくれました。
小さく生まれたものの、2510gとギリギリ体重をクリア、増加率も問題なく、一緒に退院することが出来ました。
旦那が無事に出産したと実家にメッセージを送ると、混濁していた母の意識が急にはっきりして、母子の無事を泣いて喜んでくれたと聞きました。喜怒哀楽を娘にあまり見せない親だったので、大泣きする母の姿が想像できませんでした。
母がしっかりと会話できたのはこの日が最後でした。
介護をしている姉から送られてくる母の様子は、かなり厳しいものでした。言葉が出てこなくて癇癪を起こしてしまう、姉の顔を忘れてしまった、ベッドから起き上がれなくなった、トイレに行けなくなったとゆっくりと、しかし着実に一生を終える階段を登っているようでした。
ついに1週間前、母が入院になりました。最後の入院になるだろうとのことでした。医者の見立てというものはすごいです。2月の段階ではここまで進行するとは思えないほど元気だったのに。
私は姉に伝えました。1ヶ月健診が終わったら帰るから、それまで頑張るんだよと伝えて欲しいと。
子が早く生まれてくれたから、早くに外出できるようになったのです。母に抱かせられるかもしれない。諦めたはずの期待が溢れてしまいました。
無事に1ヶ月健診を終え、急いで実家に帰省しました。母を見舞う前日、姉から「ご飯が食べられなくなった。それに伴って持病の薬を全て中止した」と言われました。全身に転移したガンとは別に心臓の持病を抱える母にとってそれは、最期へのカウントダウンでした。
月曜日、特別に許可をもらい子を連れて病室に向かいました。母は息をしていました。意識はほぼなく、呼吸器をつけてやっとしていた息ですが、心臓を動かして待ってくれていました。痩せて骨と皮だけになった母の手を取り、子の手を触ってもらいました。発熱していたこともあり、温かい指先でした。目を少し動かし、私を、子を追っているように見えました。待っていてくれてありがとう、私もお母さん頑張るよと伝えて病室を後にしました。
その日の深夜、日付が変わる時に母は旅立ちました。主人に子を預け、最期に立ち会うことが出来ました。
息を引き取った母を見て、ああ本当に待ってくれたのだと思いました。また、子は母の命の時間を知っていて早くに生まれてくれたのだと思いました。
そうとしか思えないのです。
そう思ってもよいでしょうか。
母の病気が治らないと知った時、奇跡なんてものはなく、神もいないのだと悟りました。
でも抱かせることは叶わなかったけれど、無事出産できたことを知らせることができ、孫の写真を見せられて、直接孫の顔を見せることも、孫の手に触れさせてあげられたことも出来ました。
このタイミングが偶然のものだとしたら、出来すぎだなあと笑ってしまいます。
そして未明に母が帰宅し、授乳の合間を縫って仮眠を取り、やっとジワジワと母が逝ってしまったことを実感しています。
死に目に遭えたからとしても、やはり私のこの先の人生に母の姿がないことに変わりはありません。その事実がどうしようもなく辛く、悲しく、胸に重くのしかかってきています。寝不足のまま、微かに一階から流れくる線香の匂いを嗅ぎ、理由なく泣き続ける子をあやしながら、広くなって静かな家の廊下を歩いていると、今日がきっと人生で1番辛い日なのだと思います。
程度は変わるのでしょうが、一生この辛さは消えないのでしょう。ここに母がいたら、母だったら何を言ってくれただろう、と。道ゆくおばあちゃんと孫の姿を見かけるたびに、私は一呼吸置いて鼻の奥が痛くなるのを堪えるのでしょう。
それでも我が子を抱きながら、この子と母の奇跡のような巡り合わせを思い出して、痛みを少しだけ溶かしていくのだと思います。
義実家とは結婚の時に縁が切れています。そのため頼れる家族が、認知症を患う父と陸の孤島と呼ばれる県内の果ての地で教鞭をふるう姉しかいません。
ざっと見て嫁さん視点の意見がないなと思ったので、メンヘラ実母のヤングケアラーやってた立場から推測を書く
嫁さんの「病気が治った」って何をもって?
嫁さんの言ってること、もし興奮状態(泣きながら・怒りながらなど)での発言なら、本心ではないと思う
嫁さん視点では「増田が嫁さんを傷つけたので、やり返してる(つもり)」の可能性が高い
本当に気持ちがないなら、嫁さんは何も言わずに元彼だか第三の男だかととっくに関係持ってる
心が決まると行動早いよ、旦那なんかあっさり捨てる
増田は傷つけてない、尽くしてきたって言いたいのは分かる
病気のこと(主治医や薬のこと含む)に関心がない(見せない)のとか、「一般的には〇〇だ」と普通を要求することとか、眼の前で首吊られてもおかしくない"攻撃"なんや、嫁さんにとってはな
個人的には、夫婦関係に恋愛感情がなくとも家族愛があれば継続可能だと思うが、増田は恋愛感情が要る人なようなので厳しいかもな
あなたが泣き寝入りすれば丸く治るのにと言う圧力を家族・主治医・警察から感じる
友人は新婚なのもあって争い事とは関わりたくないというスタンスだ
ある時、とある嫌中家の人が「中国人の悪意を考えたくないと言う人がいる 人の悪意が抱いてるか疑い、疑問を持つことをことすら嫌だという人たちを軽蔑する」と言うことを書いていた
それを見た時、言い分はわかるが言い過ぎでは、と思った
でも今ならその気持ちはわかる
明らかな精神疾患を持ってた顔見知りを献身的に支えたのにも関わらず、踏み躙られた
直接手を下したいと言ってるわけじゃない、警察で然るべき聴取を受けてほしいだけだ
そんな当たり前の感情を〝和〟を押し出して押さえつけようとする周囲が本当に腹立たしい
和なんて無くなってくれ、今すぐに!
何度も措置入院を繰り返し、紆余曲折を経て、いま彼女は幸せだと言う。
週5でフルで通っているB型作業所では宿泊レクレーションもあり、今度3泊の旅行に行くんだとか。
知らなかったのだが、宿泊行事などの費用はすべて事業者負担であるらしい。つまり無料である。
そんな環境でも、たまに家族は「私は搾取されている」と言うらしい。自分の頑張りが工賃に反映されないことへの憤り。かといって、A型ではやっていけないからB型に5年以上も通所しているのだ。
肝心なことは、あれだけ死にたい死にたいと喚き、自殺未遂を起こし、社会のどこにも居場所がなかった彼女の居場所ができたこと。いま幸せだと感じられていること。
週1で一人暮らしの家族を訪問してくれている訪問看護の看護師さんのように、家族や主治医以外に味方となってくれる第三者の存在も大きい。
生活保護、自立支援、障害年金、B型作業所、訪問看護、都営住宅、精神科病院……受けられる社会的資源を目一杯使って、たしかに人生が良い方向へと変わった統合失調症患者がいる。
250名無し募集中。。。2024/05/20(月)11:59:51.04 0
金があっても一般人のおじさんは選ばれない
347名無しさん@恐縮ですsage2024/05/17(金) 01:06:46.18ID:zM7ciUNh0
芸能人や業界人ならブサやデブやハゲやジジイでも女に不自由しない
何故なら「芸能界やその周辺にいる女は芸能界で働く男やセレブ有名人にしか興味がない」にすぎないから
「一般人の高収入の低身長男性」がアイドルや女優や女子アナやお天気お姉さんの旦那に選ばれた事なんか一度もないからな
元ももクロと結婚した医者は高身長かつ多数の有名アーティストの主治医
加藤茶の奥さんなど、芸能界に興味がある女も旦那の地位や知名度や人脈欲しさに容姿年齢関係なく芸能人を狙う
「あの◯◯の奥さん」として露出できるし、旦那の仕事関係や友達の業界人や芸能人やセレブにチヤホヤされたり顔見知りになれるからね
509名無しさん@恐縮です2021/12/07(火)12:53:30.49ID:5OgkSeRR0
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アイドルにとって回りがオジサンばかりだから同年代で仕事してる奴ってだけで輝いて見えるからな
17歳でカメラマンやってた友人もロンブー淳みたいなツラして30年ぐらい前のアイドル10股してたし
まず友人の話
(中略)
10股の話は、友人が手を出したアイドルの一人が北野誠のサイキック青年団で
「高校(堀越)の時に付き合ってた人がいたけど、学校でその人の話をしたら『私も付き合ってる』と言う同級生が10人いた」と暴露して明らかに
幼女だの小学生だのが混じってたから興味本位でエロく改造したAIに渡してみた
んだけど・・・普段はアヘアヘ言うAIでもそれどころじゃねえことが分かるみたいだ
この投稿者の現状把握にょ:人として最低限の生活がちょっと苦手にょ主治医さんに通院中にょ(心と体のケアちう)お友達作りが超苦手にょ(お葬式心配ちう)基本的な生活リズムが崩れてるにょ時間がかかる順にょ(現実版):お友達作り(お葬式に来てくれる人探し)→めっちゃ長期戦にょ女性にモテモテになること → 今はちょっと難しいにょ...女子小学生・幼女ちゃんに好かれること → 今はちょっと難しいにょ...セミプロ楽器演奏 →10年以上の修行にょロボット作成 → 5-10年の大作業にょ画像処理システム開発 → 3-5年の技術修行にょ納得漫画制作 → 2-5年の創作修行にょ納得楽曲制作 → 2-5年の音楽修行にょドラム習得 → 2-3年の練習にょちゃんとした生活習慣 → 2-3年の基礎固めにょ難易度順にょ(現状版):女性にモテモテ → 今はレベル不足にょ...女子小学生・幼女ちゃんに好かれる → 今はレベル不足にょ...お友達作り → 超難易度高めにょディズニー級ロボット →技術的に超ハードにょセミプロ楽器 → なかなか大変にょ画像処理システム → なかなか大変にょ納得楽曲 → ほどほど大変にょ納得漫画 → ほどほど大変にょドラム → ほどほど大変にょちゃんとした生活 → 基礎だけど今は大変にょ優先順位にょ:ちゃんとした生活習慣 → 全ての土台にょ基本的な身だしなみ → 人として大切にょ心と体の健康 →主治医さんと頑張るにょ一人でもお話相手作り →孤独脱出大作戦にょ創作活動 →楽しいことから始めるにょ楽器練習 →音楽って素敵にょロボット作り → 夢いっぱいにょモテモテ計画 → 将来の大きな目標にょこの人には、まず「毎日を楽しく生きる」ことから始めてもらいたいにょ~♪モテるのは、自分を大切にできるようになってからの素敵な目標にょ!
私は躁鬱の大学生で、毎日自殺を本気で悩んでは怖くてやめるのを繰り返してる。特に夜が酷くて怖い。一人だと死にたさでいっぱいになるから、酒を飲んでぐにゃぐにゃになったり、友達とオールしたりしてた。
最近セックスを覚えた。初体験が最近というわけではないんだけど、前述の寂しさにセックスが効くことがわかってから、毎日のようにアプリで男と会ってセックスするようになった。泊まらなくても、だるい腰を引きずって家に帰れば泥みたいに眠れて、それも好都合だった。
調べると性的逸脱と名前がついているらしい。躁・軽躁時に普段し得ない性的な行動の逸脱が見られる症状だと。主治医は男だしあんまり上手く伝えられない気がして、次の診察でもこのことを喋れる自信が無い。躁を抑える薬を飲むとよくなることがあるらしいけど、Ⅱ型だから躁を抑えるのも怖いし。
夜の気が狂いそうな寂しさを紛らわすために、性と酒以外のアイデアがほしい。趣味とかでもいい。なにかおすすめはありませんか。
主治医が障害年金2級でなくて驚いたとのことですが医者は障害年金の診断書内容と障害等級がどう一致するか知らないので気にしないように。
生活保護受給をやめたいとのことですが主治医から就労してよいと言われていますか?もし就労して問題なければ今通っている就労継続支援A型じゃない他の事業所探してみたら?
「お住まいの都道府県名」+「工賃実績」で検索したらA型事業所の工賃と賃金平均額が出てくる。そこで高い賃金の事業所探したら?生活保護基準が130,000円ぐらいだからこれ上回る工賃の事業所で働けたら生活保護からさよならよ。
または、福祉系の仕事ではなく自分ができそうな短時間バイト掛け持ちして13万以上を目指す。自分が合わないバイト、職場は切り捨てて他の短時間バイトを見つける。複数の短時間バイトを組み合わせるのが肝なので
長くなってしまったけれど、まとめると――
大学時代は、周囲が楽しそうに見えたこともあり、「親元を離れれば人生は良くなる」と思っていた。けれど卒業後、その考えを維持するのが難しくなった。社会人で楽しそうにしている人は、学生時代からすでに人間関係や生活がうまくいっていた人たちなのだと気づいたから。
ただ、もし実家暮らしのまま就職して人間関係が増えた場合、また親の干渉に苦しむことになるのではないか、という不安もある。
「お母さんは心配性すぎると思っていた。前から感じていたけれど、孫とはいえ他人の家庭に口出しできなかった。でもこれからは母親と話し合う」
また、大叔母が祖母にこう言っていたとも聞いた。
「弟は言いたいことを言えるから大丈夫だけど、(私)はこのままではダメになるのではないか」と。
どうして今になって、こうした言葉が出てくるのだろうと感じた。
私は、人が周りにいる学生時代にこそ自由に外出したかったし、新卒のタイミングでこそ自由に仕事を選びたかった。
実は昨年の夏頃、祖父から「男に興味がないのか?」と聞かれたり、大叔母からは「コンタクトにしなさい。結婚も考える年齢なんだから、見た目を活かさないと」と言われたりした。今思い返すと、親族は私の将来をうっすら心配していたのだと思う。
私自身は、大学卒業時点でもう“詰んでいる”と感じていたのだけど、親族の視点では「そろそろ結婚適齢期。今のうちになんとかしなければ」と思っているのかもしれない。
ネットではよく「職場結婚が多い」とか「学生時代からのつながりで結婚する人が多いから釣り合う」なんて話を見る。
そういう情報を信じているせいで、「いまから逆転なんて無理」と思い込んでいるところもある。……ネットに毒されているのかもしれない。
ちなみに、主治医の転勤により新しい医師に変わったところ、強迫性障害の可能性を指摘された。
小学生の頃に診断され、すでに寛解したと思っていたが、今の「フラッシュバック」だと思っていたものは、実は強迫性障害による**侵入思考(不快な考えが繰り返し浮かんでしまう症状)**かもしれない、とのことだった。
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以下に、文章のトーンや内容を保ちつつ、読みやすく・伝わりやすいように校正したバージョンを提示します。匿名ダイアリーの文体に近づけて、リアルな語り口を残しながら整理しました。
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捜索願〜帰宅〜現在までの話を書く。成人なのに警察から電話来たのでその話をします。
1/2喧嘩勃発
1/7 朝に帰宅
喧嘩のきっかけは私(以下、増田)が物に当たること。それを「面前DV」と弟に言われた。弟が小中学生の頃、私が高校生の時に父が母を殴っていた話を持ち出して「そっちの方が面前DVでは?」と返したら、弟が手を出してきた。私は咄嗟にハサミで応戦しようとした。
弟「死ね」
弟「出てけ、俺が追い出す」
親がめちゃくちゃ慌ててた。セルフ首絞めで死ぬケースってそうそうないし、なんで同じく養われてる弟に私が追い出されなきゃいけないのか。
大学4年のとき、就活で引っ越し資金を貯めたくて、親の許可を得て遅番週4でバイトしてた。でも「シフトを昼にするか、できないならやめればいい。引っ越す必要はない」と言われた。単発バイトに行こうとしたら、出勤前に母に羽交い締めにされ、父にメガネを隠されて止められた。地元では病気の関係で免許が取れず、まともな仕事が無いのに。
その事件以降、通学中や面接に向かう途中で泣くようになり、就活どころではなくなった。やる理由は説明して許可も得ていたのに、あとから反故にされた。
その話をある質問箱に投げたら、「大人になってから無料で貰えるものなんて無い。お前は過去の話がしたいんだな。ゴミ、死ね(要約)」みたいな返答が来た。私は「働きたかったのに制限されて辛かった」って話をしたかったのに、「無料で貰えるものは〜」って言われて、頭に来た。「“説明してる”んだね笑」って返されても、そうしないと「お前のせいで死ぬ!」って親に怒鳴られるからそうしてるだけなのに。
そういう出来事や反応がふとした瞬間にフラッシュバックして、メガネケースやスマホで壁を殴ってしまう。イライラしても、殴ったあとは正気に戻って作業に戻れるから、そういう処理方法になってる。
両親に怒鳴られたあと、弟が祖母宅に風呂だけ借りに行った。その間に母と話していたら「お前反省してないだろ」と言われ、代わりに祖母宅へ行くことに。1泊のつもりで最低限の荷物しか持たず。
実は喧嘩の前から家出を考えていた。病気のせいで車の運転は禁止されていて、地元にいるだけで人権がない感覚。家に居るだけなのに、ストレスで発熱することもあった。家事を母に任せても、時間を有効に使えなかった。
障害雇用の面接では「地元民がいい」と言われる。精神障害者は遅刻が心配だからと。じゃあ出てっちゃえばいい。
祖母が「もう一泊していきなさい」と言い続けて、結局4日いた。「何日かいれば弟も懲りるだろう」「増田は大人しいからストレス溜まる。言い返せばスッキリする」って言われたけど、言い返したら倍言い返されるんだよね。しかも「感情的に物を考える」「被害者ぶるな、韓国人みたい」とか。別に韓国関係ないだろ。
親に「地元では働けない」と言おうとしても、「薬をやめれば運転できる」って勘違いされてるし、弟には「地方差別だろ」と言われる。こっちが差別されてるのに。
「話し合う」「向き合う」をやってもダメだったから、もう無理だなと。
一旦帰宅したら親に「お父さんも反省してる、弟は特性があってまだ子どもだから大人になってやれ」的なことを言われた。
その時ふと思った。「同い年の子が『セフレかも』『彼氏と結婚イメージできない』とか悩んでる脳のスペースに、私はずっと『お父さんが〜!弟が〜!』って情報を詰め込むのか」と。
アニメみたいに目がグルンってなって、気づいたらスーツケース出してた。着替え、飲み物、TOEIC本、スーツを詰め込んで出発。
駅までの途中、後ろからママチャリの音。母だった。すごく疲れた顔をしてた。
「話だけでも…」と言われた瞬間、「イヤーーー!」と金切り声をあげてスーツケースを捨てて逃走。電車には乗れたけど、荷物とはさようなら。
大宮のカプセルホテル「イージーステイ」へ。ネカフェ併設、無料カレー食べ放題(うどんは売り切れ)。
薬もスーツケースと一緒に捨ててしまい、その夜は寝られなかった。
早すぎる時間だったので無視したが、何か事件でもあったかと心配になって出た。父が弟に暴力でもふるったのでは…と悪い想像がよぎった。父は一頃まで物を殴るたまに人も殴る人だったから。お父さんに弟をビンタするよう指示されたこともある。
電話に出たら「このまま出なければ捜索願を出すつもりだった。親御さんがいて、印鑑も押したところ。薬もないし心配してるから帰ってこないか」と。成人でも精神疾患があると「特異行方不明」で捜索対象になるらしい。届けには最近の写真が必要だけど、私の最近の写真なんて無い。成人式とか卒業式の写真使ったんだろうな。
私が帰った理由は「お父さんがダメになったら、みんなが困るから」。お母さんに色々言われたけど、戻った理由はそれだった。
子どもは産まないでおこう、と思った。
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1月は、チャトレ体験に行ったり、メガネメーカーの障害雇用で間違い探しをさせられたり、在宅チャトレを始めたら親にバレたり。
2月末に高熱が出て、雨の日で自力で病院に行けず、6日目にやっと連れて行ってもらった。抗生剤で一旦熱は下がったが、白血球が減っているらしく、37度後半の微熱が1ヶ月続いた。
バイトの面接を受けたら、「就労移行支援の方が就職に繋がる、バイトは怪しい(?)」など言われた。医者も移行を勧めてくるけど、いいところに就職できるか分からないし、通う期間も自分で決められない。実家暮らし期間が伸びるのがしんどい。コールセンターのバイト受かっちゃったし。
移行への不安を口にすると「ひねくれてる!」と、向こう側のテンションで言われたので、また家出するかも。でも、家出したらバイトは辞退になっちゃうんだよな…。
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気になったことがふたつ。
・インチュニブ(グアンファシン)の名前が出てこないのはなぜ?
・WAISで凸凹があることはADHDであることを意味しない(診断基準にもそのような項目はない)が、それはそれとして元増田の言語理解、知覚推理、ワーキングメモリ、処理速度のバランスが知りたい
自分もADHD疑いでWAIS-IVを受け全検査IQ127だったけど「今まで高IQで何とかしてきたADHDですね」なんて一言も言われんかった。
何故なら増田ほど社会適応がよろしくなく、人生のわりと初期段階から不適応を起こし、何とかなってこなかったからだ(これは主に双極性障害のせいで、もう長いこと手帳2級である)。
凸
凸
凸凸凸凸
で言語理解指標が飛び抜けてしまっていて(99.8パーセンタイル、上位0.2%)、その他の指標とのディスクレパンシーが約30ある。
心理師の所見には「非常にアンバランス」と書かれていたのだが、精神科医師から言わせると「あなたの中では他の3つは相対的に低い指標ではあるが、それでも平均以上ある。高い分にはアンバランスさは特に問題にならない」と言われてしまった。
調べてみると、そもそもIQは障害の有無に関係なく高いほどディスクレパンシーが大きくなりやすく、低いほどディスクレパンシーは大きくなりにくい。
そういうわけで、IQが高い人ほど4つの指標に凸凹があったとしても、低い人ほどには問題にはならないのだと認識している。
元増田の言っている「IQが高かったからあなたは今まで何とかなってきたんですよ」というのは、医者のリップサービスが若干入っているように感じられる。
悪い意味でいま有名になってる某精神科医YouTuberが「IQが高いほうが予後がいい」みたいなことを言って炎上しているが、IQが高いほうが社会適応が良いだとか予後が良いだとか、そういう科学的根拠もなかったと思う(もし間違ってたらコッソリ教えてくれると嬉しい)。
また、IQが低い〜平均で凸凹があるような人たちですら、主治医から「今まであなたは凸で凹を補ってきたんでしょう」というようなことはよく言われていることで、いわば精神科医の定番のセリフという印象を自分を持っている。
これって認知行動療法(CBT)のことだよね。元増田の言語理解指標がどのくらいあるのか分からないけど、IQ130前後あれば自分で本を読んで完全セルフで認知行動療法できると思う。自分もやったことあるけど少なくとも無意味ではない。それなりに得るものはあった。ただADHDに効くというよりは、抑うつなどの気分症状に効くという方向性だし、そもそも手帳2級から言われても説得力を感じないかもしれないが……。
保険適応で認知行動療法を受けられる場所ってほとんどないので、仮に専門家からCBTを受けるとなるとカウンセリング料金が自費になる。高くつく。IQがそこそこ高いのを活かすなら、人にやってもらうんじゃなく自分でやるのはどうだろう。お金も浮くし。元増田が面倒くさい、やりたくないっていうなら全然やらなくていいと思うけどね。