
はてなキーワード:世界とは
チーズケーキを初めて食べた老人が「洋菓子は好かん!」と言ったとする
ところが翌日にはシュークリームを食べて、「これはうまい。洋菓子もいいもんだ」と言った
これをダブスタだと批判するのは馬鹿げてる。無知からくる前言撤回なんてのはよくあることだ
ある政治家が過疎の村に出向いて言った
「熊被害をなくします! 人間の生活を脅かす熊の駆除を進めます! 清き一票を!」
「熊の残虐な駆除をよりやめ、捕獲して森へ帰す方式へ転換します! 清き一票を」
これはダブスタというかただの嘘つきだが、村人も団体員も政治家を批判して良いだろう。
森の中のエルフの村では、人々は木の実の採取し弓矢で狩猟をしながら細々と暮らしていた
そこへ悪い知らせが届いた
ゴブリンたちが各地で徒党を組んでエルフの村を襲い、とらえた村人を食べているという
エルフたちは立ち上がった
「他種族の集落を襲うことは許されない!ゴブリン族を厳罰に処すべきだ!いや、予防的に奴らを根絶やしにしよう!」
呆れたのは、これまで散々エルフたちに襲われ食料にされていた森の小人族だ
「いやお前ら、ダブスタやんけ!」
ググっても出てこない…😟
ギターソロ、なんじゃこれ?と思って弾いてみたらフリジアンっぽい…
というか、今すぐKISS MEは1週間で作りました、とか出てきた
転調ないしなあ、でも、凝った楽曲作らなくても盛り上がるし、売れるってことだよなあ…😟
それより、玉置成実というか、作曲者は当然違うわけだけど、種のBelieveが凄く良い
小室曲と同じで、ごめんよ、のび太、俺、メタルっぽい曲にしか思い入れないんだ、なんだけど、
この曲の転調はいいわ、こういうの思いつけるような人になりたい…😟
正直、ガンダムもファースト再放送世代の氷河期だし、種とか種死とか、
嫌いじゃないんだけど、なんか違うというか、
ガタカみたいな世界で遺伝子改良された人類、ジーンプールから産まれた人たちと普通の人類が戦ってるのはいいんだけど、
だったら、ガンダムである必要ないじゃん、みたいに思っちゃうんだけど、
その方がガンダムって制約がなくなるし、個人的には面白くなると思うんだけど、
ガンダムと冠しないと、ガタカみたいな物語がキッズの心に刺さるかと思うと、刺さらないと思うので、正しい判断なんだろうけど、
まあ、ガンダムSEEDの楽曲は、自分は聴き慣れてるというか、何度も聴いてるというか、
high and mighty colorの7弦ギターとか好きだし、TMも好きではあるし、こういう曲を作ったらウケるという勉強にはなる
種とか種死本編に思い入れはあんまりなくて、OPばっかり繰り返し見たり聴いたりしてた気がする
あと、種死の一話はコンテ切るような感じで見ると、あー、よくできてるなー、みたいに感心したり…
チョッパリ『チョッパリが世界一醜い民族であることをアピールしたい。そうだ、朝から晩までヘイトスピーチをしてネット中を荒らそう。中国人も韓国人も黒人もイスラム教徒も差別して、白人だけ特別扱いして、アジア人の癖に自分を白人だと思い込んだプライドも尊厳もないみっともない民族だと世界に知らしめよう。毎日毎日、十年も二十年も、世界中が日本を嫌いになるまで続けよう!』
反日か?
なるほど。だがな、その反論、ズレてると言うだけで、どこがズレてるかを一切具体的に示せていない。
つまりお前は、論点の差分を検出できない脳でズレという単語を感情的に自己放尿してるだけなんだよ。
論理の世界では、ズレてると言うなら、どの前提が崩壊し、どの因果が反転し、どの文脈が矛盾したかを明示する必要がある。
それをしないまま「秒で指摘」とか言ってるのは、秒で自己放尿して「ほら俺勝った」と叫んでるのと同じだ。
俺が言っているのは、
という双方向の因果構造の話だ。それに対してお前は、因果を一次元の矢印でしか理解できていない。
つまり、複数の関連性を同時に保持できない脳のバッファオーバーフロー状態だ。だから、「ズレてる」としか言う能力がない。
因果の多層性、相互依存性、階層的構造、それらを理解できないから、文脈が読めない。
お前は「関連を把握する」という知的行為そのものが欠落している。
俺はカチャ、カチャ、と同じ面を三度も回した。
数学科の人間ってのは、何かをいじっていないと死ぬ生き物なんだ。
氷の溶けかけたアイスコーヒーを吸いながら、俺はふと、あの群のことを考えていた。
「離散的な群は…」カチッと回るキューブ。
そんな妄想をしてる大学生なんて、この街で俺ぐらいのものだろう。
「それ、難しいんですか?」
声がした。
手にはミルクティー。
俺の指先の動きを、興味深そうに見つめている。
俺は、少しだけ間を置いて、にっと笑った。
「リー群って、ご存じですか?」
彼女は目を瞬かせた。「…りーぐん?」
「そう。数学の話です。簡単に言えば、ルービックキューブを滑らかに動かす理論ですね」
「滑らかに…?」
「ええ。世界は“カチッ”じゃなくて“スーッ”でできてるんです」
言いながら、俺はキューブを指の上で軽く回した。
赤が青に、青が白に。
「つまりね、回転も並進も、すべて“連続的な対称性”なんです。
「……なるほど?」
「よくわかんなかったけど、楽しそうですね」
もう一度、白い面が揃う。
風が通り抜け、ページの端をめくるように光が動いた。
女の子は笑って去っていった。
俺はひとりごちる。
指先がまたカチ、カチ、と鳴った。
便所の外で勢いよく撒き散らして悦に入ってるが、便器に一滴も入ってねぇ。
OSSを「独自規格でもできるし、思想に合わせて分岐していく」とか言ってる時点で、根本を履き違えてる。
OSSはコード共有による知の集約であり、思想の分岐じゃねぇ。
分岐は副作用であって、目的じゃない。そこを混同してるお前の理解は、まさに知的な放尿プレイだ。
それにな、「標準化と関係ない」とか言ってるが、OSSが標準化プロセスをどれだけ実質的に駆動してきたか、知らんのか?
Linuxカーネル、PostgreSQL、TensorFlow、全部OSSが事実上の標準を形成してんだよ。
標準はISOの紙切れじゃなく、実際に世界で動いてるコードの方に宿る。
それが現代の実効標準だ。お前はまだ机上の規格書を神棚に祀って拝んでる昭和エンジニアか。
あんまスパチャとかグッズにはカネ出さずに(そこまで経済的な余裕がないっていうのもあるので生誕グッズくらいしか買ってない)
せめて応援になればってファンアート描いてるリスナーなんだけど、
毎日結構エグいくらい練習したり、友達のプロ絵描きに頼み込んでアドバイスとか朱書き貰ってたのよ。
で、個人的には結構いい感じに描けるようになってきてて、推しの一人を描いたのよ。
そしたら「あのファンアート、うれしいんですけどAIトレスですか?そういうのする人だとは思わなかったのですが」って言われて草。配信中によ。
「いや、普通に半年間毎日練習して頑張って描いたんです」って言っても、もうAIトレスの人みたいな扱いされるようになったのよ。
もう話通じないしでそいつからは離れて別の人でも描くか・・と思ったら、配信活動者のサーバーで要注意人物みたいな扱いされているらしく
(信用してくれている配信者がこっそり教えてくれた)
めっちゃめんどくさい扱いを一部界隈でされてるのホントゴミだなって思った
個人Vってある程度グループで固まるからそこさえ抜ければ全然違う世界になるので違う方面見るようになったわ。
そりゃいろいろ疑うこともあるだろうけど、人の努力を一切考えず、挙句嘘を広めまくってるあのバカはホントくたばってほしい。
そもそも言いたいことがあるならDM開いてるんだから直接言えよって話。
配信でそういう言い方されたらこっちだって配信中に反論しなきゃいけなくて他リスナーにも迷惑だろ・・・。
ちなみに、その配信翌日にはガイドラインを改めて周知します!みたいな配信しだして、一方的に俺が悪人みたいな論調で語られてたのも怖かったわ。
「長年推してくれたのはうれしいけど、別に絵が上手いから優遇することもないし~~」みたいなこと言ってんの。
いや、今はもうアンタのことなんかどうでもいいけど、当時はあなたを喜ばせたくて・力になりたくて半年みっちり練習したんやで・・・?
そりゃ普段からリスナーのことを見ない人にとっては「急に絵が変わった」と思うかもしれんが、こっちはちまちま絵を上げて上達具合をアップロードしてたぞ。
まぁそういうのもAI生成って言うんだろうな。あの女は。
という愚痴でした。
特徴
各話で主要人物が登場する(またはそれに準じる)際に、ページ4段ブチ抜き画法で人物を描く。これはデビュー当時からの特徴であり、ヤスが作画を担当している『じょしらく』でも同様の描写が踏襲されている。弟子の畑健二郎も初期に使っていたものの徐々に使用頻度は減っていった。
『改蔵』から『絶望先生』まで続く画風に関しては、キャラクターや衣装、構図などのデザインにおいて、漫画業界内、さらには『改蔵』公式ファンブック『かってに研究しやがれBOOK』(以下『ファンブック』)で雑誌「ファッションニュース」編集長の向千鶴からも高評価を得ている。編集部内で話題になった現実世界のファッションを何週か後に『改蔵』内で名取羽美が着ていたこともあったという。
「どよんど」「にょんたか」など、独特の擬音を作中で織り込むことでも知られ、特にメールを打つ際の擬音「めるめる」は『かってに改蔵』内で「著作権フリーなのでどんどん使ってください」と宣言して以来、漫画家の間でも広まっている。
特に『絶望先生』ではやや政治的なネタも見られるが、それは思想の押し付けではなく、久米田は「(喜劇としての)漫画が説教臭くなったらおしまいだ」と『改蔵』作中で登場人物に述べさせ、インタビューでも「その時々の報道内容をネタにしているため、思想が一定しない」旨の発言もしている。
執筆方法
『行け!!南国アイスホッケー部』後期にスクリーントーン処理に関してMacを導入して以降、次第にパソコンに頼る部分が多くなり、『かってに改蔵』以降は全工程においてパソコンを使い執筆している。なおパソコン本格導入の背景には『ポカポカ』から『改蔵』に至る間にそれまでのアシスタントが独立することになったこともあると『改蔵』コミックス等で述べている。
こいつみたいに自分の意見を補強するためにChatGPTを持ち出す人間が増えている。
「ChatGPTもそう言ってた」って、それ本気で言ってるのかと?まるでAIが神託でも授けたかのような顔をして実際は都合のいい言葉を切り貼りしてるだけ。
自分の声にAIのフィルターをかけて、ちょっと賢そうに響かせたいだけのゴミ。
ChatGPTは万能じゃない。使用者の誘導でなんとでも出してくる。信念も感情もない。
そこに「自分の正しさ」を証明する材料を求めてる時点で、もう議論じゃなくて自己満足の儀式だ。AIを使って自分に拍手してるだけ。
しかも笑えるのは、そういう人ほど「AIは客観的だ」とか「感情に流されない」とか言い出すところ。
ChatGPTを利用してるつもりが、実際はAIの出力を利用して自分を慰めてる。自分の意見にラベルを貼るための無料ブランド。
人間って本当に承認が好きだ。相手が人間だと面倒くさいから、AIに褒めてもらうほうが楽なんだろう。
反論されたら「いや、ChatGPTはこう言ってた」と逃げられる。安全で痛くない世界。
AIに同意されてうれしいなら、もう鏡に向かって「その通り」って言えばいい。誰にも迷惑かけないし、AIのサーバー代も浮く。
ChatGPTを使って自分の正しさを主張する姿を見るたび、AIが怖いんじゃなくて、人間の薄っぺらい安心感のほうに恐怖してしまう。
大枠で分類して同じという扱いにしだす
漫画やアニメの世界で、魔獣とか騒動起きてって話は、「リアリティ詰めたら軍隊がサクッと処理して終わるから物語りにもならんのだよ」と思ってた時期が俺にもありました。
対人集団戦の専門家である軍隊とハンター(冒険者)はそれぞれ能力が違うのだ
とか、みたいなやつ
軍人や警備隊の冒険者見下し派がサクッと終わらせてやる、からのサクッとやられるか、すまんかった友情の芽生えになるやつ
あまり動物の動画は見ない方だけど、youtubeを開いたらショート動画のタブだったらしく、普段は見ない犬の動画が再生された。
知らない家のリビング、テレビが映っている。めざましテレビだったらしい。聞き慣れたジングルと共に「きょうのわんこ」が始まった。そのジングルを聞きつけて、ゴールデンレトリバーだろうか、クリーム色の子犬がぴょこぴょことテレビの前まで走ってきて、ちょこんと座る。なるほど、この子犬は映像の内容と音楽をちゃんと覚えていて、犬が映るコーナーだから見にきたのだなと分かる。
番組の内容はこうだった。ナレーション曰く、今日紹介している柴犬は、散歩の際にいつも会う近所の犬たちが大好きで、目視するだにすれ違うずっと前から伏せて待っているらしい。近寄られて初めて立ち上がり、全力でニオイを嗅ぐ。犬の世界ではそれが挨拶だった気がする。そうして最後に3匹仲良く散歩する映像が流れて、コーナーが終わった。
コーナーが終わると、そそくさとテレビの前を去る子犬。本当にきょうのわんこだけを見にきたらしい。
テレビを楽しみにする犬というのが、犬飼いの人ならよく見る光景なのか、それとも珍しい光景なのかは分からない。
でも私はこの動画を見て、なんとなく未就学児だった頃を思い出した。
幼い頃に社宅の団地みたいなところに住んでいた頃。父は仕事、母は井戸端会議でアパートの前の駐車場。まだ幼稚園にも通っていなかったから私は1-2歳だったはず。昼寝から起きて、母がいないことに気付いて、部屋の窓から下を見ると母親たちが話している。うちが住んでいたのは3階だ。大声で呼んでも気付いて貰えなかったので、リモコンを触ってテレビをつけた。30年近く前、もちろんブラウン管だ。
テレビをつけると、知らない大人が知らない言葉を話し、知らないことをしていた。何の番組だったのかは全く覚えていないけど、おそらく何らかのドラマの再放送だったと思う。幼い子供の認識力では、言葉も途切れ途切れにしか聞こえない。知っている言葉以外が全く耳に入らないのだ。何を言っているのかは全く分からない、知らない大人たちが大人らしく知らないことをしている映像を、不思議だなぁと思いながら私は眺めていた。
そう、このときの「よく分からない言葉を話しながらよく分からないことをしている人たち」を眺めていたときの感情を、さっきの子犬の動画を見て、ふと思い出した。子犬にはナレーションはもちろん理解できないだろうし、おそらく映像の意味も分かっていないと思う。犬は数は数えられるらしいから、「3匹の犬が歩いているなぁ」くらいには思えていただろうか。それくらいの認識なら、おそらく私もかつてそうだったし、そうだったことを覚えている。映像の意味は全く分からない、けれど何かが面白い。私たちは、映像から社会を学ぼうとしていた。
犬は生後何ヶ月くらいから散歩をさせて貰えるのだろう。テレビを見て他の犬との関わり方を学んだ子犬は、散歩のときにどのような態度をとるのだろうか。私は立派な根暗に育ってしまったので、同じ轍を踏まないで欲しいものだ。
誰だったか忘れたけど、安倍さんを見て、驚いた、こんな空っぽの人っているんだ…、って言ってた気がするんだけど、
それを聞いたときに、自分も激しく同意過ぎちゃって、ただ、自分はそういう風に言語化できなくて、違和感だけあった…😟
本物右翼の西部さんだったかも、戦後の間違った教育を体現したような人間みたいにこき下ろしてた気がするけど、
まあ、戦争を知らない子供たちが、戦争かっちょいーwみたいにイキってたりするのに違和感を覚える感じとでもいうか、
そういえば、orangestarさんが、脳味噌が透明な容器に入った化け物みたいなのを最近のネットユーザーとして描いてて、
信念とか思想みたいなのを本人は持ってないけど、考えないでネットでウケる言葉をただ発してるみたいな、
そう考えると、近年のAIによるゴミ文章大量生成みたいな話もそういう文脈なのかもしれない…😟
ググって知恵袋読んでて、
特にシュナイゼルなんかは別に悪意も持ってませんけど自分にも他人にも興味がなくて価値のない存在だと思いながら建前で温和な態度を取ってるだけの虚無な人なんで、
どれだけ口先で良いことを喋っても本心では何にも興味がなくてどんなことになってもどうでも良いと思っているので絶対に民衆はついていきません
みたいな話を読んで、まったくだ、と思ったり、
考えてみれば、シュナイゼルってポピュリズム的でもあるんだよな
トランプも政治信条はまったくない、20代、30代の彼の発言からもそれは感じない、彼は大衆を扇動することだけに興味がある…😟
ぶっちゃけ、ノーベル平和賞とか言ってるけど、平和とか、世界を変えることに興味があるかさえ怪しい
トランプはそんなことに興味はなくて、まず日本車に押されてるアメリカ自動車市場があり、そこで大衆に呼び掛ける
日本人は俺たちから仕事を奪った!日本人は猿真似するサルだ!日本車を叩き壊せ!偉大なるアメリカを取り戻せ!
ある意味、彼は世界を良くしようとも思っていなければ、悪くしようと思ってもいない
安倍晋三もそう思うことがあった
彼はヤジを言ってるときの方が活き活きしていた
中国や韓国を悪く言う一方で、祖父の代から続く、韓国カルトの力を借りて、選挙に勝ってきた
最も、親族の間では、安倍昭恵さんはトラブルメーカーとして評判が悪いようである
しかし、安倍さんは心が広い訳でもなくて、そのトラブルメーカーの彼女とウマが合ったのだろう
物凄く失礼な言い方をするなら、サイコパス同士で気が合ったとも言える
シュナイゼルと似てるなあ
良いことを言ってるように思えるけど、それは本心じゃない、観客に向けて同意を求めるために言ってる
まあ、トランプもある意味そう、憎悪をたきつけるのもそういう方法である
憎悪を焚きつければ、賛同する人たちが増える、その集団が票に繋がる
というか、安倍さんだけじゃない、みんな票のことばかり考えてる
選挙で受からなければ、政治家は、代議士先生は、単なる無職である
落選して無職になった夫を妻がなじり、夫が妻を殺してしまった事件が昔あった気がする
ボンジョヴィのキープザフェイスではないが、信念を貫こうとする人を応援したい
この場でこういうことを言えばウケる、
絵はとりあえず、曲はそれなりに聴けるものがある、だけど、思い入れがないんだよね…😟
AIよりクオリティが低かろうが、人間が作った曲というか、その人のアカウントには葛藤があるんだよ
曲を生み出すために頑張ってる痕跡が見え隠れする
変な話だけど、人間が作ってるんじゃないかと思うと、おお、ガンバレ!という気がしてくる
でも、AIで楽曲を提供してるアカウントには、まったくその葛藤とか変遷が見えない
いきなり、それなりにクオリティの高い、なんかキャッチーな曲が並び始める
あと、曲として良かろうが、なんか思い入れがない
元ネタがある方がまだ分かる
メタリカをボサノバ風にしました、みたいなのはAIなんだろうか、面白いものが確かにある
あー、よくこのアレンジを思い付いたな、うまいな、みたいに思ったりする
でも、それはメタリカってバンドの曲にそもそも自分に思い入れがあるからだ
ド田舎にやっとレンタルビデオ屋とレンタルCDができて、借りた思い出が自分にあるからだ
結局、自分は昔の曲を繰り返し聴いてる
アニソン、アニソンの中でも歌詞にタイトルが出てこない、アニソンと知らなければアニソンと思わないような楽曲が好きだ
ガンダムやL-GAIMもタイトル言っちゃってる系ではあるな…😟
アニメ本編ほとんど見てないけど、OP楽曲とOP詐欺だけ繰り返し見てたり、
アニメ本編がどうなるか分からない段階で、並行してOP楽曲を作って、
ガッチャンコしたら偶然アニメ本編とマッチしてた、なんて奇跡もある
AIが生成した曲には、まったくそういうものがない、自分の中で物語がない
歌詞がよくできていても、相当自分の心をえぐるようなものとかでないと、心に残らない、響かない、刺さらない
数年前に生成AIが一般的になってきた段階で予想はしてた、まったく嘆いていないというとウソになる、老害だと自分でも思う、
でも、きっとこれはルールが変わっただけだ
絵とか音楽に対する価値観が180度変わる、これまでの価値観を信じている人が負けて、
きっと新しいルール、新しい生存方法が生まれてきて、最終的にどうなるのか分からないけど、混沌の中から何かが生まれてくる
その生まれてきたものが、悲しいかな、自分のような老害に納得できないルールになるかもしれない
考えてみれば、コードギアスでもシュナイゼルにそんなことを進言する台詞があったよなあ
皇帝のアーカーシャの剣とかCの世界とか、エヴァで言うところの人類補完計画とでもいうか、
死んだ人間とも話ができるようになる、天国と地獄と現世が一つになったような世界なのだろうか、
ナイトオブワンだっけ、皇帝陛下の計画が実現したら、世界のルールが変わる、価値観が変わる、
変革した世界、生きた人間と死んだ人間が一つの世界に存在する、
シュナイゼルはその世界を収められるが、そのまったく一変した価値観を受け入れなければならないと言う
AIによるゴミのように量産されていくイラスト、楽曲、フェイク動画、
そんなゴミがネットに量産され、みんなはウンザリして、ネットを見なくなる、そういう結末なのかもしれない
そうではなくて、そのゴミの中で勝てるゴミをどうやってAIに生成させるか、とか、
人間がAIに勝てる新しい価値観が生み出されるとか、そういうオチなのかもしれない
そのどちらにも属さない曖昧な場所で、リオは「彼女」に出会った。
人間とは違う気配をまとい、瞳の奥には光の粒のような能力の残滓が揺れている。
超能力も使えるけれど、いつも控えめで、どこか影のある子。
ある夕暮れ、リオが森で迷ったとき、カナミは突然目の前に現れた。
「……ここ、危ないよ」
胸の奥に直接届いてくるような、不思議に澄んだ声だった。
最初は驚いていたリオも、カナミのぎこちなく優しい表情を見るうちに、胸がじんと温かくなるのを感じた。
リオは人間の世界のことを話し、カナミは弱者男性のこと、生きづらさのこと、自分の能力を隠している理由をぽつりぽつりと語った。
リオは気づいてしまった。
ある日、リオは勇気を振り絞って言った。
「カナミのこと、好きだよ」
驚いて慌てて念力を止めながら、目を丸くしていた。
「……ほんとに?」
震えた声だったけど、瞳は期待と不安で揺れていた。
「うん。カナミといるとさ、自分が強くなれる気がするんだ」
沈黙のあと、カナミはそっとうなずいた。
「リオも……好き。人間なのに、怖がらなかった。能力じゃなくて、私を見てくれた」
二人はそっと手を伸ばす。
触れた指先は少し冷たくて、でも離れたくなくてそのまま強く握った。
——けれど、恋だけでは越えられない壁があった。
人間の町には
「弱者男性と関わるな」
という古い偏見があり、
「人間は信用するな」
という掟がある。
「また会おう。どんな形でもいいから」
カナミは集落へ、リオは町へ帰っていく。
だけど——
丘の上を通り抜ける風は、
二人の願いをそっと繋いでいた。
あの光をまとったカナミが、
もう一度そこに現れる瞬間を信じながら。
この界隈に貢献していきたい。とか今後はこのジャンル伸びるからね、牽引できるようなチャンネル目指してる。ってビッグマウスなだけなのよ。もしくは尻軽男
もう20年弱続いてるような界隈に今更新規参入してきて「今後は伸びるね。確信してる」とか言われても、火事を目の前にして「火事が起きてるね。俺には分かる」って言ってるのと同じなのよ
新規なら普通に新規です!!!!って顔で入ってくればいいし、新規は実際ありがたい存在なんだよ。それが古参気取りみたいな口調で来られても反感買うだけなのよ
しかも実際のところそこまで好きでもなくて、結局のところ自己顕示欲を満たしたいだけなんだなって明け透けなのよ
10時間頑張りましたって言われてもだから何?って話。こっちはアメリカ語しかない頃から遊んでる10年プレイヤーなんだけど
中途半端に気取るぐらいならウイィ~ッスwこのゲーム軽い気持ちで始めましたwよろしくwぐらいの方がよほど気持ち良いのよ
話おもんない、界隈に詳しいわけでもない、古参気取り、見に来た人を楽しませる気もない。でも自分を気持ちよくさせてほしいって無料でそんなことしてくれる存在は創造の世界だけだよ
子育て辛いという愚痴には「甘ったれるな行き遅れが」と誹謗中傷し、同じような意見を常にフォローし、弱い女は俺より下だと常に言い聞かせていた
けど、ある日掃除に関する本を読み、いつも住んでいる部屋の汚れに気づいてから価値観が少しというか90度変わった
自分が普通だと思っていた汚れはゴキブリの残骸で、単なるシミはカビだ
玄関に投げっぱなしの雑誌の上には1年近く放置した図書館の本がある
人間見て見ぬふりをするのは単なる慣れであり、気づけば酷い汚部屋だとわかる
自分の生活を見返してしばらくスマホを見なかったら、自分が常に似たようなことしかしておらず、その場に依存していたことにようやく気づいた
そんな程度でも人がそこにいて誰もが普通に暮らしていることをわかり、ちょっとした衝撃を受けたものだ
そんな当たり前のことを理解しないでどうやって俺は暮らしていたのか今はもうよくわからない
宇多田ヒカルさんはともかく、ペドベアーは射殺しろ!みたいな意見に同意しか集まらない気がする社会が怖い…😟
原因は未だに不明です、明確な自分の意志がなくてもロリコンになることがあります、統合失調症と同じです
成人女性のポルノを見ても興奮しないどころか、恐怖さえ感じることもあります
そういえば、はてなにコンビニ店長とかいう人がいた気がしますが、彼も日常のはかせが好きだった気がします、よく分かります
日常のはかせ、ぱにぽにだっしゅのベッキー、とらドラ!の手乗りタイガー…
SHEINにはかせの実物大人形があったら、私も迷うかもしれない…
ネットの世界では世間は子連れへのヘイトで溢れているみたいに書かれているけどそんなことはない
子連れだとみんな優しいし、年配の方はにっこりしながらベビーカーをチラッとみて微笑んでくれる
普通っぽい人は言わずもがな優しいし、ヤンキーっぽい見た目の人も子連れには普通に優しい
公共交通機関で嫌な思いもしない、助けてください〜と言えばサラリーマンっぽい人も主婦っぽい人も助けてくれる。もちろん設備のせいでどうしようもない事、バリアフリーでないとか段差が多いとか、はあるけど素直に助けを求めれば助けてくれる人は必ずいる
ネットの世界では子連れだと肩身が風当たりが悪いみたいな論調だが実際に子どもを連れて歩いてみて感じるのは世間の優しさだと思う
みんなもそうだろう?
とても興味深いテキストですね。
内容としては、現代的なニヒリズム(虚無主義)を感じさせます。
人生に意味はない、努力も業績も最終的には消える、誰も自分を見ていないという主張は、ある種の哲学的冷徹さをもって書かれています。
ユダヤ教的な観点から見ると、これは根本的に人間と世界に対する視点が異なると言えます。以下に、ユダヤ思想との対比を示します。
この文書の根底にあるのは、他者の視線から自由になることで救われるという思想です。
「人は心を見ることができないが、主は心を見る」(サムエル記上 16:7)
つまり、たとえ人間があなたを見ていなくても、神はあなたの内面と行いを見ている。
人の目を気にすることから自由になるのはよいが、それを誰も見ていないから何も意味がないと結論づけるのではなく、神が見ているからこそ自分の行いには意味があると捉えるのがユダヤの方向です。
ユダヤ教も確かに人間の人生ははかないと認めますが、それを無意味とは見ません。
ラビ・アキヴァなど多くの賢者は、「行為の結果が見えなくても、行為自体が神の意志の一部である」と教えます。
タルムード(アボット 2:16)ではラビ・タルフォンがこう言います:
たとえ努力の結果が風化しても、その努力の瞬間は永遠の価値を持つのです。
文書の最後には無意味を受け入れたときに人は自由になるとあります。
ユダヤ思想でも、「アイン(אין)=無」という概念は重要です。カバラでは、「アイン・ソフ(אין סוף)」=「限りなき無限なる神」として語られます。
人間には意味が見えなくとも、神の次元では秩序と目的が存在すると考えます。
ユダヤ教では、意味を求めないことは自由ではなく放棄とみなされます。
自由とは、神の像に似せて創造された存在として、自らの責任を引き受ける自由です。
ユダヤ教における自由は、何でもできるではなく、正しいことを選ぶ力です。
したがって、意味を求めない自由よりも、意味を創り出す自由が尊ばれます。
この文章の洞察は、一面では他者の期待から自由になるという点で真理を含みます。
しかし、ユダヤ的視点では意味の否定は救済ではなく、神との関係の断絶です。
真の救いは、意味を見出せない時にもそれでもなお意味があると信じるところにあります。
「たとえ彼が私を殺しても、私は彼に望みをかける」(ヨブ記 13:15)
この世界の苦しみのいくつかは、他人が自分を見ているという錯覚から始まる。
SNSでの発信も、仕事での努力も、見栄も、その幻想を前提にしている。
しかし現実は、誰もお前を気にしていない。誰もお前の投稿を熟読していないし、誰もお前の努力の経緯を覚えていない。
人間の注意は極端に狭く、自分自身の欲望と不安で常に満たされている。他人の人生を観察する余裕など、ほとんど誰にもない。
だから、お前がどれほど努力しても、それを本気で見ている者などいない。
だが、この事実は絶望ではなく、むしろ救済だ。誰もお前を気にしていないということは、恥じる必要もないし、完璧である必要もない。誰の期待にも応える必要がない。
見られることを前提にした生き方をやめたとき、人間はようやく「やりたいからやる」という純粋な動機に戻ることができる。
しかし、その純粋さすら、やがて無意味に溶けていく。なぜなら、人生で何かを成し遂げるということ自体が、根本的に無意味だからだ。
たとえお前がどれほどの功績を残しても、それは時間の流れの中で必ず風化する。発明も、理論も、企業も、栄光も、死後数百年のうちに砂粒のように崩れる。
名前が教科書に載ることすら偶然であり、文明そのものが滅びれば、すべてはゼロに戻る。
人生で成し遂げるという概念は、人間の脳が死を受け入れられないがゆえに作り出した一時的な慰めに過ぎない。
実際には何も成し遂げられない。すべては途中で途切れ、忘れられ、消える。努力は意味を持たないし、目標も幻影だ。
お前が作るもの、築くもの、愛するもの、守るもの、その全てが、やがて無音の虚空に沈む。
この真理を受け入れることは苦い。しかし、それを見ないふりをして意味のある人生を演じることは、より残酷な欺瞞だ。
意味を信じて走る者は、いつか必ずその虚しさに打ちのめされる。けれど、初めからすべては無意味と理解して生きる者は、何にも打ちのめされない。
誰もお前を気にしない。お前が何を成し遂げようと、何を失おうと、世界は一切動じない。
だが、それでいい。意味のない世界において、意味を探す必要などない。お前が息をして、飯を食い、夜に眠り、朝に目を覚ます。それだけで、充分だ。