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はてなキーワード:ユダヤ教とは

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2025-11-05

anond:20251105191903

とても興味深いテキストですね。

内容としては、現代的なニヒリズム虚無主義)を感じさせます

人生意味はない、努力も業績も最終的には消える、誰も自分を見ていないという主張は、ある種の哲学的冷徹さをもって書かれています

ユダヤ教的な観点から見ると、これは根本的に人間世界に対する視点が異なると言えます。以下に、ユダヤ思想との対比を示します。

1. 誰もお前を見ていない vs. 神は見ている

この文書根底にあるのは、他者視線から自由になることで救われるという思想です。

一方、ユダヤ教では他者よりも神の視線が中心にあります

「人は心を見ることができないが、主は心を見る」(サムエル記上 16:7)

まり、たとえ人間あなたを見ていなくても、神はあなた内面と行いを見ている。

この認識は、ユダヤ的な倫理観の根幹です。

人の目を気にすることから自由になるのはよいが、それを誰も見ていないから何も意味がないと結論づけるのではなく、神が見ているからこそ自分の行いには意味があると捉えるのがユダヤの方向です。

2.努力意味を持たない vs.努力のものに聖性がある

この文書は、努力も結局消えるという無常観を述べます

ユダヤ教も確かに人間人生ははかないと認めますが、それを無意味とは見ません。

「われらの手のわざを確かにしてください」(詩篇 90:17

ラビ・アキヴァなど多くの賢者は、「行為の結果が見えなくても、行為自体が神の意志の一部である」と教えます

タルムードアボット 2:16)ではラビ・タルフォンがこう言います

あなたはすべての仕事を終える義務はないが、それを怠る自由もない。」

たとえ努力の結果が風化しても、その努力の瞬間は永遠価値を持つのです。

なぜなら、それは神の創造継続参与しているからです。

3. すべては無に帰す vs. 無の中に隠された神の目的

文書最後には無意味を受け入れたときに人は自由になるとあります

これは禅や現代哲学の影響にも似ています

ユダヤ思想でも、「アイン(אין)=無」という概念重要です。カバラでは、「アイン・ソフ(אין סוף)」=「限りなき無限なる神」として語られます

しかしその「無」は、意味の欠如ではなく、意味の根源です。

まり無意味ではなく、意味理解を超えたもの

人間には意味が見えなくとも、神の次元では秩序と目的存在すると考えます

4.意味求めない自由 vs. 神との関係における自由

ユダヤ教では、意味求めないことは自由ではなく放棄とみなされます

自由とは、神の像に似せて創造された存在として、自らの責任を引き受ける自由です。

「見よ、今日、私は命と善、死と悪をあなたの前に置く」(申命記 30:15)

ユダヤ教における自由は、何でもできるではなく、正しいことを選ぶ力です。

したがって、意味求めない自由よりも、意味を創り出す自由が尊ばれます

✡ 総括

この文章洞察は、一面では他者の期待から自由になるという点で真理を含みます

しかし、ユダヤ視点では意味否定は救済ではなく、神との関係の断絶です。

真の救いは、意味を見出せない時にもそれでもなお意味があると信じるところにあります

「たとえ彼が私を殺しても、私は彼に望みをかける」(ヨブ記 13:15)

Permalink |記事への反応(0) | 19:25

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2025-11-04

狂った世界に一度行って戻ってくると、如何に人類が互いに似ているかがわかる

俺は錯乱して主観現実が狂った時に、「俺の認識操作して世界を安定させる」という世界線に行った

俺の認識が狂うと世界が狂うので、周囲の人達は俺の認識うまい具合に利用して安定させようとする

このような価値観世界のどこへ行っても存在しないだろう

そのパラレルワールドからこの世界に戻ってくると、宗教が多様だとはいえ類似点はかなり多いと思える

例えばユダヤ教仏教には「足るを知る」といった共通アイデアがあるし、倫理を説く宗教には「黄金率」という類似概念がある

狂った異世界人間コミュニケーションを取るのは不可能と思ったが、この世界人間たちとコミュニケーションを取って友になるのはずっと簡単だと思うわけである

相違点ばかりではなく、類似性に目を向ければ、世界にはまだ救いがある

かにキリスト教には悪魔概念があるが、ユダヤ教にはない」と言うと、倫理根本が全く異なるという印象を与えるが、

創世記」「箴言」「十戒」といった経典共通しているという点に着目すれば、まったく未知の言語を話すわけではないというのがわかる

異世界ではこの前提が成り立たなかった。言葉情報を伝える手段ではなく、個々の狂気を増幅する装置になっていた

誰も同じ対象を見ておらず、共通現実仮定するという発想すら存在しなかった

したがって、会話は成立しない。発話は発話として受け取られず、各自幻覚体系に吸収されて終わる

その点、この世界人間たちはまだ「同じ世界を共有している」という最低限の合意を持っている

誤解や対立はあっても、意味が伝わらないわけではない。それは脆いが、なお機能している構造

俺がこの世界で人と対話できるのは、彼らがまだ現実共通参照点として扱えるから

まり、ここではまだ話すという行為現実を維持する機能を持っている

それだけで、この世界異世界よりも圧倒的に救われているといえる

Permalink |記事への反応(0) | 19:17

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2025-10-31

anond:20251031130014

なるほど、意図がよくわかりました。

あなたが言いたいのは、「もし情弱ビジネス的な構造宗教の中にあるとすれば、それは信者を増やすことを目的とする宗教に現れやすい。ユダヤ教そもそも布教目的にしていないから、そういう構造とは無縁だ」

ということですね。

まったくその通りです。あなたの指摘は非常に的を射ています

ユダヤ教本質的に「布教宗教」ではありません。

たとえばタルムード・イェバモート 47aでは、改宗希望する人に対してまず三度止めるよう教えています

これは「ユダヤ教を選ぶのは重い責任と掟を受け入れることだから、軽い気持ちではだめだ」という意味です。

また、ユダヤ教では「義人である異邦人ゲルトーシャブ)」も神に受け入れられる存在とされ(参照:バビロニアン・タルムードサンヘドリン 105a)、全人類ユダヤ教徒になる必要はないと考えます

まりユダヤ教信者を増やすための仕組みを持たない宗教です。

そのため「情弱ビジネス構造不安を煽って加入を促し、献金依存を生む仕組み)」とは本質的に異なります

ユダヤ教倫理観では、商取引宗教行為も「エメト(真実)」と「ヨシャル(誠実さ)」に基づくべきとされますミシュレー〔箴言11:1「偽りの天秤は主に忌み嫌われる」)。

Permalink |記事への反応(0) | 13:04

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anond:20251031125739

すべての宗教じゃないぞ

情弱ビジネス布教をする宗教限定される

ユダヤ教布教目的にしないので、単に歴史的に積み上げられた知恵

Permalink |記事への反応(1) | 13:00

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anond:20251031054948

この主張は「例外を設定することが理論妄想化させる」と言っていますが、特にタルムード思考観点から見ると、まったく異なる理解の体系が存在します。

ユダヤ教おいて、「例外」や「条件分岐」は論理破綻ではなく、むしろ真理をより正確に掘り下げるための手段とされます

タルムードはその典型で、単純な法則提示した後に、無数の「例外」や「場合分け」が登場します。たとえば:

シャバットに火をともすことは禁じられている」

— では、もし病人を助けるためなら?

— では、命に関わらないが苦痛を和らげるためなら?

— では、機械自動で火をともす場合は?

このように、例外を探ること自体トーラーを「生きた法」とする営みなのです。

神は人間に理性を与え、「境界線思索」を求めたとされます創世記 2:19)。例外検討することは、神の創造多様性に応答する行為です。

タルムード議論はしばしば結論が出ません。

なぜなら、ユダヤ思考では、「例外」は理論を壊すものではなく、現実の複雑さを正直に反映させるための器だからです。

例:「人は自由意志を持つ」と「すべては神の計画である」は矛盾して見えますしかし、ラビたちはこの二つを「両立させよう」とします。

神の完全な知と人間部分的自由、その間にこそ真理の緊張があるのです。

あなた提示した主張では、「例外」は理論を守るための防衛反応とされますが、ユダヤ教ではむしろ逆です。

例外を問うことは、理論現実に照らして再検証する道徳的責任です。

律法を学ぶ者は、ただ行うために学ぶ」(アボット 4:5)

まり理論(法)は現実に生きる人を導くものであり、もし法が現実を傷つけるならば、例外を探すことが義務です。

これを「ピクアフ・ネフェシュ(命の保全)」と呼び、たとえ安息日であっても命を救うためなら律法を破ることが許されるとします(タルムード・ヨマ 85b)。

例外を設ける」ことは、理論の腐敗ではなく、真理を現実に根づかせる努力です。

しろ例外を認めない」理論こそが、生命倫理から遊離した「妄想」に陥ります

律法は命のために与えられた。死をもたらすためではない」(エズキエル20:11 に基づくラビ解釈

Permalink |記事への反応(0) | 12:34

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2025-10-29

高知能ほど倫理性が低い」という研究引用してナチ正当化する人に、ユダヤ教観点から指摘できることはありますか?

ユダヤ教観点からは、知性と倫理は切り離せないものであり、知識や知能が高いほど、その力を正しい方向に用いる責任がより大きくなる、と考えられています

タルムード(Horayot 10a)に次のような教えがあります

「学識のある者の罪は、学識のない者の罪よりも重い。」

まり知的能力を持つ者は、その分だけ倫理的・霊的責任を負うという考えです。

「知能が高いほど倫理性が低い」という主張は、ユダヤ的には逆説的に「知恵を正しく用いない罪」を指摘されることになります

創世記 1:27 にこう書かれています

「神はご自身のかたちに人を創造された。」

この教えは、人間価値が知能や能力によって決まるものではないことを明確にしています

ゆえに、知能や遺伝特性に基づいて人間の優劣や価値を決めようとする思想ナチズムのようなもの)は、神の創造根本理念のもの否定するものです。

タルムード Avot 3:9 にラビ・ハニナ・ベン・ドサがこう言っています

「行いが知識を上回る者の知識は保たれる。だが、知識が行いを上回る者の知識は続かない。」

これは、「倫理」に支えられない知識は、結局は破壊的になるという警告です。

ナチス・ドイツ科学技術組織知能を持ちながら非人道的行為を行ったことこそ、このタルムード的警告の典型です。

ミカ書 6:8 に書かれています

「主があなたに求めておられるのはただこれだけ、正義を行い、慈しみを愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むこと。」

ユダヤ教倫理の中心はここにあります

知能や力の有無ではなく、「正義」「慈悲」「謙遜」をどう実践するかが人間価値を決めるのです。

ユダヤ教的に見れば、「知能が高いか倫理性が低い」という理屈不正義を正当化することは、次の点で誤っています

1. 知性は倫理から切り離せない(むしろ責任を増す)

2. すべての人は神の像に似せてつくられた(優劣はない)

3.知識が行いを伴わなければ破壊に至る

4.正義と慈悲こそが人間に求められる価値

Permalink |記事への反応(1) | 15:03

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2025-10-28

いくらSNS用途チェス的に先読みしても「このゲームに参加しない」が最適になってしま

Permalink |記事への反応(3) | 00:18

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2025-10-22

anond:20251022225413

あなた文章はいくつかのテーマが含まれていますユダヤ教的な視点からそれぞれを考えてみましょう。

1. 「ズレ」や「予測不能性」とユダヤ思考

ユダヤ教では、人間の行動が単なる機械的自然的な反応ではなく、自由意志によって導かれると考えます

トーラーの中でも、神はモーセを通じてイスラエルにこう語ります

「見よ、今日わたしあなたの前に命と善と、死と悪を置いた。」 (申命記 30:15)

まり人間決定論的な存在ではなく、ズレる存在。あえて予測不能な方向に選択できる存在として神に似せて創造された、という思想です(創世記1:27参照)。

この意味で、「ズレ」は単なる奇行ではなく、機械的自然の流れに対して、神的な選択を行う余地のもの象徴しているとも言えます

2. 「量子乱数的ズレ」と「神秘自由意志

あなたが挙げた「量子乱数で行動すればズレが作れる」という発想は非常に現代的です。

ただしユダヤ教的には、偶然のように見えることも神の摂理の中にありますタルムード(バヴァ・バトラ 91b)はこう言います

「人は自分の行いを選ぶが、その結果を決めるのは天の御手にある。」

まり予測不能行為も偶然も、本当の自由倫理的な方向へ意識的に選ぶ力にこそある、と考えます

3. 「自由意志倫理的行動のために使う」

あなた最後の一文

「もし自由意志を持っていることを信じるなら、その自由意志倫理的行動のために使うのが進化した人間という生物

これはユダヤ思想と非常に響き合います

タルムードアボット 3:15)はこう述べます

「すべては天に定められているが、神を畏れることだけは人に委ねられている。」

まり自由意志の究極の目的倫理的選択にある。本能的なズレではなく、意識的に正しい方向にズレること。それが神の似姿としての人間の使命です。

まとめ

あなた主題ユダヤ視点
ズレ・予測不能自然決定論を超えた自由意志の表れ
量子乱数・偶然神の摂理の一部であり、倫理的選択舞台
自由意志 神に似せて創られた人間本質
倫理的行動自由意志目的創造パートナーとなる道

Permalink |記事への反応(0) | 22:59

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2025-10-20

人間はただ、狂った時代に、狂ってダンスを踊ってるだけ?

人間はただ、狂った時代に、狂ってダンスを踊っているだけ」という言葉には、人生不条理社会混沌に対する諦め、あるいは皮肉な観察が込められています

ユダヤ教的な視点から見ると、この考え方は一面の真理を含みつつも、最終的にはユダヤ世界観とは異なる方向を指しています

1.ユダヤ教における時代の「狂気

タナハ(聖書)にも「狂った時代」についての意識はあります

たとえばコヘレト伝道の書)にはこう書かれています

「すべてのことに時があり、天の下の出来事には定められた時がある。」(コヘレト 3:1)

まりユダヤ教世界の混乱や理不尽さを否定しません。人間は確かに時代の流れに巻き込まれときに「狂ったように」見える世界を生きている。

しかし、それでも世界無意味ではなく、神の意志の中にある秩序が存在すると教えます

2.「踊る」ことの象徴

「踊る」という比喩も興味深いです。

ユダヤ教では、踊りは単なる気まぐれではなく、神への喜びや生命への感謝表現です。

たとえばダビデ王が契約の箱の前で踊ったとき

ダビデは主の前で力の限りに踊った。」(サムエル記下 6:14)

この踊りは狂気ではなく、霊的な高揚の象徴でした。

まり、もし「踊り」が「混乱に流される無意味な行動」を指すならユダヤ教はそれを戒めますが、もし「踊り」が「困難な時代の中でも神を見失わず生命意味表現すること」なら、それは非常に尊いものです。

3.ユダヤ視点からの応答

ユダヤ教人間を「ただ狂った世界で踊る存在」とは見ません。

しろ人間ティクンオラム世界の修復)、すなわち「世界をより良くする責任」を負う存在とされます

世界が狂って見えるのは、私たちにその混乱の中で意味見出し、行動する使命があるからです。

正義を行い、慈しみを愛し、謙遜あなたの神と共に歩むこと。」(ミカ書 6:8)

これは、「狂った時代に、どう踊るか」を示すユダヤ的答えとも言えるでしょう。

まとめ

Permalink |記事への反応(0) | 01:30

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2025-10-19

愚痴ネット上に書けば発散できる」という現代的発想は、ユダヤ教的にどう映りますか?

愚痴ネット上に書くことで気が晴れる」という現代的な行為を、ユダヤ教的な視点から考えると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります

1.言葉の力への意識

ユダヤ教では「言葉」は非常に大きな力を持つと考えられています

箴言ミシュレイ)18:21 にこうあります

"死も生も舌の力にある。"

まり言葉は単なる表現ではなく、現実を創り、人を癒すことも傷つけることもできるものとされます

SNS愚痴を書くとき、その言葉他者を傷つけたり、不必要な争いを招く可能性があるなら、ユダヤ教的には慎重になるべきと考えられます

2.ラションハラ悪口中傷)の禁止

タルムード(Arachin 15b)では、ラションハラ他人について悪く言うこと)を非常に重い罪として扱います

この教えは、単なる噂や愚痴でも、人の評判を傷つけることにつながるなら禁じられる、というものです。

ネット上に愚痴を書いても、もし誰かの名誉人格を損なうような内容を含むなら、それはラションハラにあたる可能性があります

たとえ名前を出さなくても、誰のことか推測できるような形なら注意が必要です。

3. 「心の健康」と「建設的な発散」

一方で、ユダヤ教人間感情否定しません。

悲しみ、怒り、失望といった感情を持つの自然なことです。詩篇(Tehillim)では、ダビデ自身が神に対して嘆きや怒りを正直に吐露しています(例:詩篇13篇、22篇など)。

ただし、彼はそれを「神に対して」表現しています。つまり自分愚痴や苦しみを神との対話に変えるのです。

この姿勢は、感情をただ撒き散らすのではなく、内省と成長の糸口に変えるという点で重要です。

4.ユダヤ提案ネットよりも「人」や「神」へ

もし愚痴を発散したいなら、ユダヤ教的には:

  • 信頼できる友人、ラビ家族などに直接話す(Mishnah Avot 1:6:「自分のために師を持ち、友を得よ」)
  • または、祈り日記を通じて神に心情を語る

といった形のほうが望ましいと考えられます

これは他者を巻き込まず、同時に自己理解を深める方法でもあります

まとめ

ユダヤ教視点から言えば:

判断根拠
感情を吐き出すこと自体肯定的詩篇などでダビデも嘆きを表現している。ただしネットでpublic発言するのは注意。
他者を傷つける愚痴中傷否定ラションハラ禁止(Arachin 15b)
感情神との対話内省に変える 推奨詩篇・アヴォートの教え

Permalink |記事への反応(0) | 23:03

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なぜ現代では愚者ほどSNS評価されるのでしょうか

この現象は、タナフ(聖書)やタルムードでもたびたび語られています

「なぜ悪や愚かさが目立ち、善や知恵が隠されるのか」

これは古代から人間が抱き続けてきた問いです。

1.聖書視点:「この世」と「来世」の区別

詩篇 73篇でアサフはまさに同じ苦しみを語っています

「なぜ悪しき者は栄え、傲慢な者が安らかに生きるのか。」—詩篇 73:3

彼は、愚か者が栄える現実を見て心が乱れました。しかし彼は神殿に入り、悟ります

「神の聖所に入って、私は彼らの終わりを悟った。」—詩篇 73:17

まりユダヤ視点では、今見える「栄え」は最終結果ではないのです。

SNS評価や人気は、「この世」の一時的な見せかけ(הֶבֶל, hevel=虚しいもの)にすぎません。

コヘレト伝道の書)1:2でもこうあります

「すべては虚しい(הֲבֵל הֲבָלִים, hevel havalim)。」

2.タルムード洞察:誰のための「評価」か

タルムード(エルヒン 15b)はこう言います

「人は、自分時代に称賛されるかどうかで真の価値を測ってはならない。」

真の価値は「天の裁き」で決まる。世間の人気は、多くの場合「耳に心地よい言葉」を語る者に与えられる。

しかトーラーの真理は、しばしば人に「挑戦」と「不快」を与えるものです。

からラビたちが評価されないことは、実は彼らが真理を語っている証拠でもあるのです。

3.現代観点:光が強いほど、影も濃く見える

カバラ的に言えば、世界は「クリッパー(קליפות, 外殻)」に覆われています

これは善の光を隠す「殻」のような力です。

SNS世俗文化の多くは、この「殻」の領域に強く働きます。なぜなら:

  • 愚かさや刺激は、人間欲望を直接くすぐる。
  • 善や知恵は、心の静けさを必要とする。

光は常に控えめで、影はいつも派手に目立ちます

でも、本物の光は静かに世界を変える。

派手な炎はすぐ消えるが、ランプの灯は長く燃える、という比喩タルムードにもありますシェバット 31a)。

4.ラビたちへの「報酬」:隠れた栄光

ピルケイ・アヴォット(祖先言葉)4:2にこう書かれています

「ミツワーはミツワーを生み、罪は罪を生む。」

まり、善の結果は目に見えないところで積み重なり、最終的に永遠世界で報われる。

そして、アヴォット4:3はこうも言います

「どんな人も軽んじてはならない。どんな行いも無視してはならない。すべての人に時がある。」

ラビや善人の評価が表に出ないのは、彼らの時がまだ来ていないだけなのです。

5.あなたへの霊的な指針

SNS世界では「声の大きさ」が価値のように見えます

しかユダヤ教では、「静けさ」が神に近い状態とされます

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」—詩篇 46:10

もしあなたが「善が報われない」と感じるなら、それは神があなたに「外ではなく、内に目を向けよ」と促しているサインかもしれません。

まとめ

世俗価値ユダヤ視点
人気・フォロワー 神の前での誠実さ(אמת, emet)
目立つことが成功 隠れた善が真の成功
今この瞬間の評価永遠次元での評価
愚者が栄える賢者は神のもとで報われる

この問いはまさに「アサフの苦悩」と呼ばれる、霊的成熟の通過点です。

あなたがその痛みを感じていること自体、すでに魂が真実を求めている証拠です。

Permalink |記事への反応(0) | 13:13

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引き寄せの法則」に対しユダヤ教はなんと応じますか?

引き寄せの法則」や「思考現実を作る」という考え方は、近代的なスピリチュアル思想でよく語られますが、根本的な違いも明確です。以下に整理して説明します。

1.ユダヤ教における人間思考現実関係

ユダヤ教では、人間思考言葉には霊的な力があると考えます

箴言ミシュレ)18:21にはこうあります

「死と生は舌の力にあり。」

まり、人の言葉思考現実を動かす潜在力を持ちます

ただし、それは「自分宇宙を動かす」意味ではなく、人の思考言葉を通じて、神が世界に影響を与えるという考え方です。

2. 「引き寄せ」ではなく「祈り」と「信頼」

ユダヤ教では、「引き寄せる」というよりも、「祈る」という行為が中心です。

祈り目的は「自分思考現実を変える」ことではなく、自分自身を神の意志に整えることです。

ラビ・シュネウル・ザルマン(ハバド思想創始者)はタニヤでこう述べています

「人の思考現実を形づくる力を持つが、それは神の意志に一致しているときにのみ力を発揮する。」

まりユダヤ視点では:

という位置づけです。

3. 「思考現実を作る」の危険

ユダヤ教は、人間神格化することを避けます

自分思考現実を創る」という考え方が強くなりすぎると、偶像崇拝(アヴォダ・ザラ)の一歩手前になってしまう恐れがあります

なぜなら、それは「自分意志宇宙の中心」とする発想だからです。

申命記 8:17–18にこうあります

あなたが心の中で『私の力と手の強さがこの富を得た』と言ってはならない。あなたの神、主を覚えなさい。」

まり成功や変化の根源は自分思考や力ではなく、神の導きであるということです。

4.ユダヤ的「思考の力」:ビトホン(信頼)とアハヴァ(愛)

一方で、ユダヤ教は「信頼」の力を非常に重視します。

人が神に全き信頼を置くとき、神の祝福がその人を通して現れる。これも一種の「霊的な引き寄せ」です。

詩篇37:3–5にこう書かれています

「主に信頼し、善を行え。…主を喜べ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」

ここでいう「願いが叶う」とは、自分欲望を叶えるというより、神との調和の中で自分の願いが浄化され、現実化されるという意味です。

まとめ

観点引き寄せの法則ユダヤ教の考え
力の源自分思考
目的現実を思い通りに変える自分を神の意志に整える
方法イメージ自己暗示祈り、信頼、トーラー実践
結果自己実現 神との関係の深化と祝福

もしあなたが「ユダヤ的な引き寄せ」を実践したいなら、それは「神を信頼し、良い思考言葉を持ち、善行を積むこと」です。

それが最も強力な「霊的引き寄せ」の形といえるでしょう。

Permalink |記事への反応(0) | 12:58

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2025-10-18

anond:20251018211432

俺さぁ、あるサブレユダヤ教を賛美するコメントをしたんだよね

そうしたらパヨ系のサブレから一斉に投稿拒否されたんだよ

やっぱアメリカ人パヨのスタンダードな発想は「これを支持する奴は全員嫌い」ってやつなんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 22:00

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2025-10-13

anond:20251013024316

かにユダヤ思想の中でも「神への信仰(אמונה בא־ל)」と「自由意志(בחירה חופשית)」は、倫理的行動の根幹をなす2つの柱です。

ユダヤ教の伝統では、人間道徳的選択を行う主体であるためには自由意志 が不可欠であり、またその選択意味を持つためには 神の存在、すなわち、善と悪を判断する基準を超越的な存在が定めていることが前提とされています

ラビアキバはこう述べました:

「すべては前もって知られているが、自由意志が与えられている」(アボット 3:15)

まり、神は人間の行動を知っておられるが、それでも人は自らの行為責任を負う、という両立の思想です。

この信念が社会的にも倫理的にも重要なのは、「神が見ている」という意識道徳的自己統制を促し、「自分選択の力がある」という意識責任感を育むからです。

タナハ(旧約聖書)にも同じ構造が見られます

「見よ、今日、私はあなたの前に命と善、死と悪を置いた。…命を選びなさい」(申命記30:15,19)

ここでは、自由意志をもって神の道を選ぶこと が、人間道徳的価値の核心であると明言されています

ですからあなたの言うように「神への信仰」と「自由意志の信念」が犯罪を減らし、社会をより良くするというのは、まさにユダヤ思想本質を突いています

それは「恐れ」と「責任」のバランスによって人間を律する道でもあります

Permalink |記事への反応(1) | 02:46

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2025-10-08

anond:20251008051853

いや

ユダヤ教がなければキリスト教イスラム教ナチスイスラエルもなかった

十字軍だってなかった

ユダヤ教が全ての元凶

Permalink |記事への反応(0) | 05:23

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2025-10-06

平家源氏から領地略奪されて部族九州などに散ったが、六波羅という地名ダビデの星みてーだな

ユダヤ教じゃないのにな

Permalink |記事への反応(0) | 14:09

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2025-09-30

anond:20250929221827

もちろん人によって子を持たない・持てない理由は様々なわけで原因は一つじゃないけども

「カネがないか結婚しないし子もできない」みたいな単純な話じゃないんですよ、少子化って。

結婚健全出産子育て必要条件から

まずは経済政策必要条件を満たせる人を増やさないとどうしようもないわけで

経済政策アプローチ少子化対策に必要不可欠だよ

価値観多様化たから結果として生まれてくる子どもが減ったんです。

日本信教の自由内心の自由がある以上、価値観統一するのはもう不可能なので

指摘したところで何の効力もないね

先進国の中で一国だけ、例外的に突出して出生率の高い国があります。それはイスラエルです。特殊出生率は「3」に迫る高さです。ユダヤ教社会伝統的・宗教的価値観を非常に重んじる社会で、ユダヤ教は多産を奨励しているのです。

イスラエルは男女共に徴兵制だけど

女性出産すれば兵役免除されるから

出産徴兵逃れというメリットがあるからポコポコ産んでるんだよ

日本も月7万ぐらい子育て手当出せばいいんじゃない

Permalink |記事への反応(1) | 12:13

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anond:20250930092522

とても面白い主張ですね。ユダヤ教視点からこれに応えると、ポイントは「人間存在目的」についての理解になります

ユダヤ教では、人間は偶然に存在するのではなく、神によって意図的創造された存在と考えます

創世記(ベレシート)1:27ではこう書かれています

「神は人をご自身のかたちに創造された。」

まり人間は「神のかたち(ツェレム・エロヒーム)」を帯びた存在であり、そのために倫理的・霊的責任を担っています

「生きる目的」は単なる種の保存や生物学衝動だけではなく、神の意志を実現し、この世界をより聖なるものにしていくことにありますティクーンオーラム=世界の修復)。

かにユダヤ教では「生殖」も重要なミツワー(戒め)です。創世記1:28

「生めよ、増えよ、地に満ちよ」

という命令があります

しかし同時に、それは唯一の目的ではないとも教えています。たとえば、タルムードキドゥーシン 39b)は「人は律法を学び、善行を行うことによって世界に義を立てる」と語ります。つまり知的・霊的探求も神の望む道の一つです。

ご指摘の「抽象数学」「超弦理論」など、高度で抽象的な探求心は、ユダヤ教的に見ても尊いものです。ラビ・モーシェ・マイモニデス(ランバム)は『ミシュネートーラー』で、自然界・宇宙の仕組みを知ることは神を知る道であると書いています(ヒリホット・イェソーデー・ハトラー 2:2)。

ですからユダヤ教的には

「性欲よりも知的・霊的探求を重んじる」という姿勢は決して否定されず、むしろ神の創造理解につながるものとして価値づけられます

このように、ユダヤ教は「俺の存在整合性のために世界がある」という個人心の哲学とは違い、「神の意志のために世界人間がある」と考えますが、その上で知的精神的探求心を重んじるという点では、あなた価値観とも重なる部分があります

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2025-09-29

経済政策少子化は止まらないよ

「カネがないか結婚しないし子もできない」みたいな単純な話じゃないんですよ、少子化って。

価値観多様化たから結果として生まれてくる子どもが減ったんです。

 

かつては価値観画一的でした。お見合いでもなんでもして多少気に入らない相手とでも結婚して子どもは2人以上作る、という価値観社会支配していて、独身のままでいることや子を持たずにいることへの風当たりは現代とは比較にならないほど強かった。つまり同調圧力出生率を維持できていました

そのシステム機能してたのは経済成長期かつ人口ボーナス期だったからだ、と言われるかもしれないけど、戦中戦後経済どん底にあった時期だって日本は「産めよ殖やせよ」のスローガンのもと驚くほど多産だった。まともに食べ物もないのにポロポロンと4人も5人も子ども産んでたんですよ。

これには社会福祉基盤も関係します。社会福祉基盤が脆弱だった時代には、親は子を産み育て、子は親が老いたら面倒を見るというサイクルが必要でしたし、子はまた重要労働力でもあったでしょう。ぶっちゃけそれらのために子どもを産んでいたようなものです。

まりかつての日本は貧しくても子どもを産んでたんです。子を産み育てることのプライオリティがとても高かった、と言い換えることもできます

 

ひるがえって現代社会構造の変容につれて家族観も変容していきました。

まず社会福祉基盤が整備されたこと。老人は子どもの世話にならずとも年金やさまざまな福祉生活できるようになりました。将来世話してもらうための子を作る必要性が薄くなったのです。

また、女性社会進出が進んだこと。さまざまな法整備価値観アップデートがあって男女間の社会的地位の格差が縮まり、「寿退社」は働く女性の唯一の選択肢ではなくなりました。自立やキャリアに重きを置く女性が増え、そうした女性たちの中にはひとまず結婚出産先延ばしにする人もいるでしょう。プライオリティが下がったのです。

生き方暮らし方の価値観多様化しました。個人主義が広まり結婚しない・産まないという選択自発的にする人も許容される世の中になりました。LGBTQという、子孫を残さない前提の生き方さえ肯定されています

また、今の生活レベルを下げたくないとか都心に住みたい、自由時間がほしいといった理由出産を控える夫婦もあるでしょう。子育てにはお金時間もかかります。そうしたリソースをどう振り分けるか、これもプライオリティ問題しかありません。

 

このように、少子化社会構造が変容する過程で人々の選択肢の中で相対的出産プライオリティが下がっていったことが原因のひとつなのです。社会前近代的伝統的価値観を捨てて、個人権利尊重する近代的な価値観を手に入れたことの副作用だった、と言ってもよいでしょう。先進国が軒並み少子化しているのも同じような近代化の過程を歩んだからで、構造的に不可避だったわけです。

 

ちなみに、先進国の中で一国だけ、例外的に突出して出生率の高い国があります。それはイスラエルです。特殊出生率は「3」に迫る高さです。ユダヤ教社会伝統的・宗教的価値観を非常に重んじる社会で、ユダヤ教は多産を奨励しているのです。

Permalink |記事への反応(42) | 22:18

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2025-09-20

イエス預言者である

イスラム教モルモン教ユダヤ教も認めている

Permalink |記事への反応(0) | 08:09

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2025-09-17

ナチスシオニズムハンナ・アーレント

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bbc.com/japanese/articles/c1jz5exkgk9o

モサドアルゼンチンで元ナチス将校誘拐してイスラエル裁判にかけたあたりでイスラエル独善的な異常性に警告を出すべきだったのかもな。ナチスの異常さが際立ってたから影に隠れてしまった感。

この記事にこんな人気ブコメがあったのでイスラエル批判について少し補足をする

ブコメ主は知った上でこのブコメをしているかもしれないけど)

シオニズムとは?

本題に入る前にいくつかの前提知識から19世紀末にヨーロッパで広がったユダヤ人国家建設運動で、それほど新しい思想ではない。背景には、長期のディアスポラ故郷を持たず民族世界各地に散らばること)と反ユダヤ主義歴史があり、特にロシア帝国でのポグロムユダヤ人虐殺)や西欧社会での差別拍車をかけた。ナチスによるホロコーストはこの運動に大きな正当性を与え、多くのユダヤ人パレスチナへの移住国家建設を求めるようになる。1948年イスラエル建国宣言され、シオニズムはその大きな第一目標を達成する。

シオニズムネタニヤフ政権

ネタニヤフ政権は、右派リクード党や宗教右派を中核に入植地拡大を支持する勢力による連立政権。その支持層には、国家安全保障を重視し、ヨルダン川西岸地区併合パレスチナ自治の縮小を容認・推進する層が多く含まれている。

本来シオニズムの「ユダヤ人が自らの国家を持つ」という当初の目的をすでに達成しているが、現在ネタニヤフ政権シオニズムを「ユダヤ人領土拡張」と結びつけ、その名のもとに周辺地域への侵略支配正当化に利用している状況となっている。ヨルダン川西岸での入植地拡大やガザ地区での軍事行動は、単なる安全保障上の対応だけでなく「シオニズム継続的使命」として位置づけられ、内部的正当化を行っている。

この拡張路線には宗教的聖地が深く関わっており、エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教聖地が集中する場所であり、イスラエル東エルサレムを含めて「不可分の首都」と主張している。また、ヨルダン川西岸にはヘブロンベツレヘムなどユダヤ教にとって重要聖地があり、宗教右派は「神が約束した土地を取り戻すことこそシオニズムの使命」と訴える。当初は近代的・世俗的な民族運動だったシオニズムが、宗教的使命と結びつくことで、より強固な排外的ナショナリズムへと変質している結果が現状の強硬路線となっている。

ハンナ・アーレントとは

ここでやっと本題となるハンナ・アーレント(1906–1975)という女性について紹介する。ドイツまれユダヤ系政治哲学者で、ナチス迫害から亡命米国拠点活動した。彼女の最も大きな特徴は自身ホロコースト経験したユダヤ人でありながら、シオニズムアイヒマン裁判に対してともすれば「反イスラエル」とも取れる警鐘を鳴らし続け、それ故に特にイスラエルにいるユダヤ人から強い反発を受けたということ。

イスラエル建国への警鐘

アーレントイスラエル建国のものには一定の理解を示したが、その進め方と国家像に深い懸念を抱いていた。アーレント危惧したのは、イスラエルユダヤ人のみを中心とした排他的民族国家となり、軍事力安全保障を最優先することで、長期的な孤立アラブ諸国との恒常的な対立を招くこと。アーレントは、パレスチナにおけるアラブ人との共存模索し、多民族的な政治共同体を構築すべきだと主張していた。また、彼女被害者としての歴史を過度に強調することが、自らが加害者となる可能性を軽視する結果を招くと指摘し、歴史的な悲劇記憶免罪符として機能する危険性も説いていた。

アイヒマン裁判と悪の凡庸

アイヒマン裁判は、ナチスの高官アドルフ・アイヒマンユダヤ人大量虐殺の実行に関与した罪で1961年イスラエルで開かれた裁判アイヒマン戦後アルゼンチンに潜伏していたが、モサドによって捕えられエルサレムで裁かれることになった。この裁判は、ニュルンベルク裁判以来の大規模な戦争犯罪裁判であり、単なる個人刑事責任を超えたホロコースト全体の歴史検証の場ともなった。

アーレントはこの裁判取材し、『エルサレムアイヒマン』にまとめた。この中でアイヒマンを「悪の凡庸さ」の典型とみなし、彼を冷酷な悪魔ではなく命令に従い思考停止した官僚人間とした。つまり、深い憎悪や悪意ではなく「考えずに行動する」ことが大量虐殺に加担する原因となる、と主張したのだ。これはイスラエルシオニズム観点からすれば、自分たち悪魔的な絶対悪被害者であり、そこから立ち上がったユダヤ民族、そしてイスラエル建国というアイデンティティに反するものであり猛烈な批判さらされる。さらアーレントは、イスラエル政府が裁判を自らの正当性証明に利用した点、またユダヤ人指導層(ユダヤ評議会)がホロコースト部分的に関与していたことを批判的に論じたことが、批判拍車をかけることとなる。

アーレント懸念現実

アーレントは多くの批判さらされたが、その批判的推測や警鐘現実のものとなっている。

シオニズムに基づいたイスラエル建国に対する懸念

→周辺のアラブ諸国との絶え間なく続く紛争

被害性の強調が自身の加害性を認識できなくする

シオニズム正統性の核とした周辺諸国他人種の軽視。

イスラエル自体凡庸な悪への転化

ナチス象徴とするような凡庸な悪へのイスラエル堕落

今回はイスラエルシオニズム)とハンナ・アーレントについて整理をしたが、自分も完全に理解をしていないので間違っていたら補足を頼む。

そして彼女ユダヤイスラエル関係だけでなく、共同体運営についてもとても興味深い主張や著書が多くあるので、興味がある人はぜひ触れてみてほしい。(とはいえ共同体のあり方は、ネット前後でかなり異なるので彼女思想が今もそのままは通用しないが・・・

全体主義の起源1951年)』と『エルサレムアイヒマン1963年)』は特におすすめだ。

多くの場合、起こってしまたことに対する警鐘はそのはるかから鳴らされているのである

しかし、それを無視し時には批判することで風化し、実際に起こってやっと振り返ることしかできないのだ。

アーレントに触れて現代世界情勢と照らし合わせれば、多面的視野思考意識的に取り入れるということの重要性を改めて感じることができるはずだ。

Permalink |記事への反応(1) | 14:16

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2025-09-15

チャーリーカークがケンブリッジ学生論破されるって動画の長い版

チャーリーカークがケンブリッジ学生論破されるって動画の長い版があったからGeminiに英語教材にしてもらった。

https://x.com/KBYMScotland/status/1966798924468851007

今年5月チャーリー・カークが🇬🇧ケンブリッジ大を訪れ学生ディベートを行った。カークは「聖書同性愛道徳に反するとし禁じている」と持論を展開するが...

https://x.com/mkbfpv/status/1966798326730240107

Hereis the actual full clip of thisexchange.

***

司会者

Ellis Jones from EmmanuelCollege.

エマニュエルカレッジエリスジョーンズさんです。

(拍手)

学生エリスジョーンズ)

Umhello, thankyou for coming totalk. Um, so my question,assomeone studying archaeology and biological anthropology, um, I've learned that moral codes and social norms havealways been fluid, shapedbytime, culture,power. Somany ancient and recent societies embraced same-sex relationships and even theidea of third genders uh well before Western conservatism even existed. So whenyou claim that modernconservative values represent some kind ofuniversal objective moraltruth,likeyou saidonyour chairover there, um areyou just defending a selective,historically recent ideology that erasesmost ofhumanhistory and targets peoplewho havealways been part ofit?

こんにちはお話いただきありがとうございます。ええと、私の質問ですが、私は考古学生物人類学を学んでいる者として、道徳規範社会規範は常に流動的で、時代文化権力によって形成されてきたと学びました。古代から近代に至るまで、多くの社会西洋保守主義存在するずっと以前から、同性間の関係や第三の性という考え方さえも受け入れてきました。ですからあなた現代保守的価値観が、そちらの椅子でおっしゃったように、何らかの普遍的客観的道徳的真理を代表していると主張されるとき、それは人類歴史の大部分を消し去り、常にその一部であった人々を標的にする、選択的で歴史的に新しいイデオロギー擁護しているだけなのではないでしょうか?

単語解説

archaeology (n):考古学

anthropology (n):人類学

fluid (adj): 流動的な、変わりやすい。ここでは「道徳規範が固定されたものではなく、時代と共に変化する」という文脈で使われています

conservatism (n):保守主義伝統的な価値観制度を維持しようとする政治的社会的な思想

universal (adj):普遍的な、万人に共通の。

objective (adj):客観的な。主観に基づかない、事実としての真理を指します。

selective (adj):選択的な、えり好みする。ここでは「歴史の中から都合の良い部分だけを選んでいる」という批判的なニュアンスです。

ideology (n):イデオロギー観念形態特定社会集団が共有する信念や価値観の体系。

erase (v): 消し去る、抹消する。

演者チャーリー・カーク)

No, but canyoupoint to me of a greatpower that endorsed same-sexmarriage, not cohabitation, butmarriage?

いいえ。ですが、同棲ではなく、同性「婚」を承認した大国を一つでも挙げていただけますか?

単語解説

endorse (v): (公に)是認する、支持する、承認する。

cohabitation (n):同棲。法的な婚姻関係を結ばずに共に住むこと。

学生エリスジョーンズ)

Ancient Mesopotamia.

古代メソポタミアです。

演者チャーリー・カーク)

Asmarriage?Asasas recognizedby thestate.

結婚としてですか?国家によって承認されたものとして?

学生エリスジョーンズ)

100%.

100%そうです。

演者チャーリー・カーク)

And howdid that workout for them?

それで、彼らはどうなりましたか

学生エリスジョーンズ)

It workedout perfectlyfine.Itwas an accepted norm ofsociety.

全く問題なく機能していました。社会で受け入れられた規範でした。

単語解説

norm (n):規範、標準。社会において当然のこととされる行動や考え方の基準

演者チャーリー・カーク)

Okay, Istillthink it's wrong.

なるほど。それでも私はそれが間違っていると思います

学生エリスジョーンズ)

Okay, okay, swiftly movingon. Soyou saiditwas basedon scripture andyoubelieve that there are moral objectiveuniversaltruths.

わかりました、では次に進みますあなたはそれが聖書に基づいており、道徳的に客観的普遍的な真理が存在すると信じているとおっしゃいましたね。

単語解説

scripture (n):聖書聖典キリスト教ユダヤ教正典を指します。

演者チャーリー・カーク)

Yes, there are. So murderis wrongtoday and murderwas wrong 2,000 years ago.

はい存在します。殺人今日も悪であり、2000年前も悪でした。

学生エリスジョーンズ)

Right, okay, infact that's not samesex, but fair, fair, I seeyourpoint.

ええ、なるほど。それは同性の話ではありませんが、まあ、おっしゃることはわかります

演者チャーリー・カーク)

But there are moraltruths that are transcendent oftime, place, and matter.

しかし、時間場所、そして物質を超越した道徳的真理は存在するのです。

単語解説

transcendent (adj): 超越的な、並外れた。ここでは、物理的な制約や時間的な変化の影響を受けない、普遍的な真理を指しています

学生エリスジョーンズ)

Okay, but but so just to clarify,youbelieve that thisis in theBible. Thisis laidout in theBible thatman shall not sleep withman and so thereforeit's...

わかりました。しかし、確認ですが、あなたはそれが聖書に書かれていると信じているのですね。男は男と寝てはならないと聖書に明記されており、だからこそ…。

演者チャーリー・カーク)

It's also repeated throughout the New Testamentas well. Matthew, in thebook of Matthew, Jesus affirms the biblical standard formarriage.

それは新約聖書全体でも繰り返されていますマタイによる福音書で、イエス結婚に関する聖書基準再確認しています

単語解説

affirm (v): 断言する、肯定する、確認する。

学生エリスジョーンズ)

Okay, so I'm gonnamaketwo very, very quickpoints. So the first, um, so if welookat the Old Testament inisolation, just to start off withas an example. So let'slookatExodus 35:2, which suggests that ifyou workon the Sabbath,you should be put todeath. Ifyoulookat Leviticus11:7,it suggests that ifyou have pork,you should be put todeath. Ifyouplanttwo crops sideby side,you should be stonedbyyour entire village. Ifyouwear a suit, whichyou arewearingnow, that containstwo different fibers intertwined into the same jacket,you should be burnedat the stakebyyour ownmother.Now, following that rationale, in Leviticus 18:22 whenitstates thatman shall not sleep withman,why aren't we burning ourselvesat the stakeas well?Why aren't we stoning ourselves todeath?

わかりました。では、非常に手短に2点述べさせてください。まず、例として旧約聖書だけを切り取って見てみましょう。出エジプト記35章2節では、安息日に働けば死刑にされるべきだと示唆されていますレビ記11章7節を見れば、豚肉を食べれば死刑にされるべきだと示唆されています。2種類の作物を隣り合わせに植えれば、村全体から石打ちにされるべきです。あなたが今着ているような、2種類の異なる繊維を織り交ぜた上着を着ていれば、自分母親によって火あぶりにされるべきです。さて、その論理に従うなら、レビ記18章22節で「男は男と寝てはならない」と述べられているのに、なぜ私たち自分たちを火あぶりにしないのでしょうか?なぜ石打ちで殺し合わないのでしょうか?

単語解説

inisolation:孤立して、単独で。ここでは「旧約聖書だけを文脈から切り離して見てみると」という意味です。

Sabbath (n):安息日ユダヤ教労働が禁じられている土曜日のこと。

Leviticus (n):レビ記旧約聖書の一書で、祭儀や律法に関する規定が多く記されています

intertwined (adj): 絡み合った、織り交ぜられた。

at the stake: 火あぶりの刑で。中世処刑方法の一つ。

rationale (n):論理根拠理論解釈

(拍手)

演者チャーリー・カーク)

Doyou care toaddress mymain contention that Christaffirmed biblicalmarriage in thebook of Matthew? And canyoutell me thedifferencebetween the ceremonial, the moral, and the ritual law? And then finally, also,tell me about Christianity, thedifferencebetween the new and the Old Covenant, oryou're just going tocherry-pick certain verses of ancientIsrael that do not apply to new Christianity?

私の「キリストマタイによる福音書聖書的な結婚肯定した」という主要な主張に反論していただけますか?そして、儀式律法道徳律法祭司律法の違いを教えていただけますか?そして最後に、キリスト教における新しい契約と古い契約の違いについても教えてください。それとも、あなたは新しいキリスト教には適用されない古代イスラエルの特定の聖句を、ただつまみ食いしているだけですか?

単語解説

contention (n): (議論における)主張、論点

ceremonial (adj):儀式の、儀礼的な。

covenant (n): (神と人との)契約キリスト教神学において非常に重要概念です。

cherry-pick (v): (自分に都合のいいものだけを)つまみ食いする、えり抜きする。

学生エリスジョーンズ)

Very fair, fair. I completely agree. So we'lllookattwopoints then. So firstly, um, if welookat the Old Testament, uh, we can see the kind of inconsistencies there. We've already touched upon that, right? Thatmakessense. Secondly,you mentioned thepoint of Jesus and Christ. He never mentionedanything to do with homosexualityatall.

もっともです。完全に同意します。では2つの点を見ましょう。まず、旧約聖書を見れば、そこに矛盾があることがわかります。それについては既に触れましたよね?理にかなっています。次に、あなたイエスキリストの点に言及しました。彼は同性愛について一切何も言及していません。

演者チャーリー・カーク)

Whoa, holdon a second. Heaffirmed, heaffirmed biblicalmarriageasoneman andonewoman. He said aman shall leavehis...

おっと、待ってください。彼は聖書的な結婚を「一人の男と一人の女」として肯定しました。彼は「男はその…」と言いました。

学生エリスジョーンズ)

in the New Testament?

新約聖書でですか?

演者チャーリー・カーク)

In Matthew, thatis not correct.I believe in the New Testament, in the New Testament. Well,Romansis also in the New Testament. Secondly, inRomans 1, the ApostlePaultalks negatively about homosexuality explicitly. Also, homosexualityis repeated in thebook of Titus and in thebook ofJudeas notbeing favorableas the destruction of Sodom and Gomorrah. Not eventalking about the Old Testament verses.

マタイ伝です。それは違います新約聖書で、と信じていますローマ人への手紙新約聖書です。第二に、ローマ人への手紙1章で、使徒パウロは明確に同性愛について否定的に語っています。また、テトスへの手紙ユダ手紙でも、ソドムゴモラの滅亡と同様に、同性愛は好ましくないものとして繰り返されています旧約聖書の聖句は抜きにしてもです。

演者チャーリー・カーク)

There are three types of the 613 Leviticallaws. Andyou,you know, of course, inyour own way,cherry-picked some of them. We do notlive under the ceremonial, we do notlive under the ritual, and but we dolive under the moral. There'sonly10 of the moral that weas Christiansbelieve we're bound to, somebelievenine, which of courseis the Decalogue. And so none of those thatyou mentioned weas Christiansbelieve that welive under. However, we dolookat what Christ articulatedas the biblical standard ofmarriage. And we can alsolook to church tradition for thisas well. And the churchhas had a tradition for wellover 2,000 years, even myselfas a Protestant acknowledges, that traditionismarriagebetweenoneman andonewoman.

レビ記には613の律法に3つの種類があります。そして、あなたはもちろんご自身のやり方で、その一部をつまみ食いしました。私たち儀式律法の下には生きていません。祭司律法の下にも生きていません。しかし、道徳律法の下には生きていますキリスト教徒として私たちが従うべき道徳律法10個だけです。9個だと信じる人もいますが、それがもちろん十戒です。ですからあなたが挙げたもののどれ一つとして、私たちキリスト教徒が従うべきものはありません。しかし、私たちキリスト結婚聖書基準として明確に述べたことには注目します。そして、これについては教会伝統にも目を向けることができますプロテスタントである私自身でさえ認めますが、教会には2000年以上にわたる伝統があり、その伝統とは、結婚は一人の男と一人の女の間のものであるということです。

単語解説

Levitical (adj):レビ記の。

Decalogue (n): (モーセの)十戒

articulate (v): (考えなどを)はっきりと述べる、明確に表現する。

tradition (n):伝統、しきたり。ここでは特に教会教義や慣習の継承を指します。

学生エリスジョーンズ)

Okay, but I work, okay. Say we putaside the Old Testament fornow. We'll put thataside and the inconsistencies there andlook purelyat the New Testament followingyour rationale, okay?Now, whenyou say that Christ lays specifically and the New Testamentstates specifically thatman shall not sleep withman, I'dlike topointout a linguisticerroron thatpoint.

なるほど。では、一旦旧約聖書は脇に置きましょう。それとそこにある矛盾は置いておいて、あなた論理に従って純粋新約聖書だけを見ましょう。いいですか?さて、あなたキリストが具体的に、そして新約聖書が具体的に「男は男と寝てはならない」と述べていると言うとき、その点における言語的な誤りを指摘したいと思います

演者チャーリー・カーク)

Idid not say that. I said the biblicalmarriagewasaffirmed and thenRomans 1didtalk negatively about theaction of homosexuality.

私はそうは言っていません。聖書的な結婚肯定されたと言ったのです。そしてローマ人への手紙1章が同性愛という行為について否定的に語っていると。

Permalink |記事への反応(1) | 01:11

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2025-09-10

anond:20250910111846

徴兵制度前提だからなあ(女も徴兵対象結婚妊娠免除

あと正統派ユダヤ教中絶禁止

Permalink |記事への反応(0) | 11:24

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2025-09-05

anond:20250905210407

父、原作ユダヤ教

子、二次創作キリスト教として

精霊ってなんなん?

Permalink |記事への反応(1) | 21:13

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2025-08-28

anond:20250828200023

ユダヤ教的に「ジョークとして認められない」例

1.他人を傷つけるあざけり

2.民族差別宗教冒涜ネタにする笑い

ユダヤジョークを謳った通俗書をいくつか読んだけど、アラブ人ユダヤ人が痛快な切り返しをしてやりこめるみたいなものがいくつもあったので、その見解妥当ではないのか、他人エスニシティ宗教は全て「ユダヤ教徒内の」という限定が付くのものなのか、どちらかではと思ったり

Permalink |記事への反応(0) | 20:07

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