はてなキーワード:ホモとは
最高に面白ぇよ😁
少女のガンアクションと滝夜叉丸先輩の円盤みたいなやつアクションおもしれーよ
メゾみたいな軽いギャグノリじゃなくてケイトとかそっちなのは個人的に少し残念ながら、ノリはサッパリしてていい
14歳の乳首は、脳は20代だし義体だからセーフって回避してんだろうけど、俺もロリコンだけど20代バージョンの方が好みだったからあんまり
思い入れ薄そうなロリ一号があっさり死んだり、一般幼女を爆殺サイコーするのに女子供も殺すという信念を感じる
メイJはベテランぽいけど誰だ?ってなって、叫ぶシーンであっ若本かぁ~って
でも梅津が濃くて楽しめた
客は結構入ってて、老若男女といいたいが残念ながらほぼ弱者男性であった
馬鹿が一定割合越えちゃったから民主主義の国は必ず崩壊するんだよ永遠に続くものなんてない民主主義も滅びるんだよ
これどう思う?
「民主主義は馬鹿(あるいは無知な大衆)によって自壊する」という趣旨の主張は、歴史上の多くの思想家や知識人、さらには現代の論者によって繰り返し語られてきました。以下に主な実例と著名人の言論を紹介します。
概要:古代アテネの民主政は、衆愚政治(デマゴーグに扇動された大衆による政治)に陥ったとされ、ペロポネソス戦争や民衆裁判によるソクラテスの死などを経て、民主主義の不安定性が露呈。
関連言説:ソクラテスの弟子プラトンは、民主政を「快楽と自由ばかりを追求する堕落した政体」と非難。
概要:ドイツの民主政は、大衆の不満と経済危機によりナチスに政権を与える結果となった。選挙で選ばれたヒトラーが独裁を確立。
論点:民主主義が自らの手で非民主主義(独裁)を選び取った「合法的崩壊」の典型。
『国家』において、民主政は「無知な大衆の支配」であり、最終的に「独裁(僭主制)」に堕する過程にあると主張。
有名な比喩:「船の航海を無知な乗客に任せるようなものが民主主義だ」
『アメリカの民主政治』にて、「多数派の専制(tyranny of the majority)」を警戒。
大衆の感情や無知が制度を歪め、理性ある少数派の自由や判断を圧殺する危険性を説く。
「民主主義はすぐに自らを破壊する。なぜなら、人々は他人の財産に投票し、それによって国家は破産するからだ」
『自由の条件』などで、大衆迎合的な福祉国家的民主主義が、長期的には経済と自由を損ない、全体主義への道を開くと警告。
『ホモ・デウス』『21 Lessons for the 21stCentury』などで、大衆がアルゴリズムや情報操作に振り回されるリスクから、民主主義の機能不全を懸念。
SNS時代の情報過多が大衆を扇動し、従来の民主的エリート支配を崩壊させつつあると指摘。
社会の分断と感情的な群集心理が、理性的な民主的意思決定を困難にしていると主張。
「馬鹿が一定割合を越えたら民主主義は崩壊する」という意見は、表現こそ過激ですが、
それに近い主張は古代ギリシアから現代に至るまで、哲学者・政治思想家・歴史家たちが繰り返し論じてきたものです。
「民主主義は万能ではなく、教養・節度・倫理によって支えられて初めて機能する」という警句として、こうした意見は今後も繰り返されるでしょう。
Permalink |記事への反応(14) | 23:50
もしシンエヴァの第3村の描写に、貧富の差や障がいを持った人のそれがあったのなら、個人的ではあるけど映画を高く評価していたと思う。
もちろんそれらはなかったし、あの村の描写は終始「がんばろう日本」の汚れのない綺麗な旗を見ている様だった。私がジークアクスに感じた良い所と悪い所もそこが根源だ。
カラーの作品はエヴァ位しか観てないけど、センスが洗練されている制作会社であると思う。これは間違いなく良い所で、素晴らしいデザインがGQの人気を牽引したと考えてる。実際私もその魅力に惹かれて見始めた。そしてシャアとシャリアの男性同士の関係性(ホモソ的ではあるが)が軸の一つであるのが面白かった
何故なら日本のメインストリームは異性愛が主軸であるからだ。BL好きの私が言うのも良くないのだが、同性愛はこの国においては面白おかしく消費される玩具でもあった。それは悲恋や犠牲、禁断性がセットであり、より一層「異常なもの」であるという刷り込みをされるのだ。
そこで話を戻すが、私はカラーという制作会社が如何に洗練されているかを延べたと思う。しかし映画の脚本の表現手法は、極めて保守的だと感じた。それはシンエヴァの第3村の描写も然り、シャリアとシャアの関係性からシャアとララァの関係性へとスライドしたのも然り。
私が何より失望したのが、GQララァが王子様(シャア)を待つお姫様であった事だろう。富野氏がシャアとララァを相性が悪いと仰っていたのは知られているが、今のご時世に極めて保守的だと思った。言い換えると、とても退屈だ。監督や脚本家の方の作品はそうではないのに、どうしてこうなったのだろうね
うちの妻がわがままで「日中仕事(彼女の中では遊んでると思われている)んだから、あとの残った時間は全て私に使え」という人なので。
勿論土日も同様。妻が行きたいイベント(ホモ本購入)に参加し、俺が来なくても良いときだけ時間が出来る。
私も妻も先日ADHDと診断を受け(俺は注意力欠如、妻は全般)、俺はストラテラで快調になったが妻は合わず、しかももう20年の重度鬱・不眠・もう少し踏めば統合失調症(幻聴は常時あるので) であり、俺は常に支えている状態である。
しかもギャンブル依存症で、なにかにつけてパチンコ、スロット、一番くじに突撃し、小銭を無駄に失うのが好きである(ソシャゲガチャは大嫌い。何も残らないし、何より「ゲームは自分で遊ぶもの=PaytoWinを憎悪している」)。
子供は幸いなるかないないし、もう作れる歳でもない。ADHDの結果、新築マンションは妻が暮らしてからゴミ屋敷であるが、片付けるだけの元気はないし、片付けの時間も妻が許さない。
でも「久々にあなたの手料理が食いたい。もう外食&コンビニは飽きた」という要望は叶えたいので、この状況で「いつ作り置き料理を実行すればいいか」教えて欲しい。
ちなみに妻は「レンチン料理は料理ではない。レンジは冷凍食品とコンビニ弁当の温めだけの道具だ。あれは調理器具ではない」とひどくレンチン料理を嫌っている。どうしたらいいか。
容姿によって他者への態度をどうこうしたり自身の意識がどうこうなったり、という遥か昔からあったようなことについて、ルッキズムというラベルが生み出されて中々流行っているっぽい
表したい概念のために使う言葉が短縮されて、 いちいち説明を伴う手間もなくなって便利になったんだと思う
それによって、手軽に議論を交わせるようにもなったのかもしれない
ただ、これは単なるありがちな現象や心理の言い換えで、そこに何らかの意見があるものとは思えない
それはルッキズムにあたる姿勢ですね、(それによってこうなると考えられるため)私はそれを非難します
という所まで言って初めて「主張」として成立するような気がする
まあそういう使われ方が大半なのだろうし、その中でコンテンストを帯びることはあるにせよ、「それはルッキズムですね、だから許されませんよ」とあたかも(規範的ですらない)記述的なものかのように相手の態度を規定するのは、なんか非常に変だと思う
人の考えに対する規範的な相対主義、というより単に言葉の問題として
とそう思っていたけれど、これはもとより非難の意図までもを込めて定義された言葉らしい
そう言われると、確かにキチガイだって単に並の人間と考えや行動がズレているというだけで、もっと価値中立的な言葉であれたのかもしれない
まあ使われ方を思えばこうなるの避けられなかった気もする
一見価値中立的な字面のようで、その内容があたかも自明なことかのように非難しているって、結構強い言葉だなって思った
ホモソーシャルとかも同じく
単に同質な集団を表す言葉なんだろうな、その割には男社会にばかり使われるよな、と思っていたら、一般的な接頭辞ではなく「ホモ野郎」とかのホモらしいし
お前らゲイフォビアの割にはお前ら自体がゲイじみてるよな、という結構挑発的な定義に基づく言葉っぽい
もはや女嫌いとかホモじみた連帯、みたいな非難の文脈から離れたような所でもカジュアルにホモソ(だから悪い)とか言われてるされてるし
肉体というか公式カプにありがたみを感じるようになる