はてなキーワード:ジョギングとは
今朝起きたときのメモ。自分のSNSにポストしようと思ってたけど、長いし、何の意味もないから、ここに放流しておく
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夢の中で漫画を読んでいた。現実世界では私はほとんど漫画を読まない。全く読まないわけではないが、世間の標準から見たらおよそ漫画・アニメとは縁がないと言っていい程度だ。その私が漫画を読んでいた。線の感じとかは、1980年代のレディスコミック系なのかな。割と細い感じの描写。
内容ははっきりと覚えている。と言うか、目覚めたときははっきり覚えていた。主人公は高校2年生で生徒会の役員か何かをやっていて、放課後に生徒が取り組むべき活動、みたいなのを選定する委員になっている。この委員会は2、3人ずつのチームに分かれてそれぞれのチームで一つずつテーマを選んで検討し、それを持ち寄ることになっている。コロナ禍の状況で、クラブ活動とかが止まって、生徒が運動不足になるのを防止する必要があるとか、なんかそんな設定だったように思う。主人公のチームは主人公と男子で、この男子が割といい感じ。で、話の初っ端なのにこの男子が主人公(あ、女子です)に付き合ってほしいみたいなことを言うんだけど、主人公は「キミ、いまはそういうこと言ってるときかな」みたいな感じで軽くいなしてフッてしまう。この委員会には主人公の親友も属しているのだけれど、その子のチームでも同じようなことがあって、そっちの方ではカップル成立。
時が流れて大学を卒業し、就職した主人公は、いろいろとしんどいこともある中で、かつて高校2年生のときにフッた男子と再会する。というか、学生時代から折りに触れて接触はあったみたいではある。けれど、深い関係ではなかった。それが、社会に出て孤立する中で急速に仲を深め、やがて付き合うようになる。
最終的に結婚という話になるのだけれど、そのイベントを控えて、高校以来の親友と語り合うシーンになる。彼女は高校2年のときに付き合い始めた男子としばらくいい感じだったのだけれど、学生時代に別れている。あのときうまくいかなかった主人公がその相手と結婚し、うまくいってた親友が別れた。親友が言うには、恋愛みたいなことには目もくれずにやるべきことをやる主人公に憧れていた。特に大学に行ってからはあんな活動、こんな活動に(ここは具体的に描かれてなかったな)飛び回っている主人公が輝いて見えた。自分もそんなふうに生きたいと思って、そして恋愛なんか邪魔になると別れたのだと。
こんなことならあの高校2年のときに付き合ってたら良かったじゃないと、親友はちょっと恨みが増しそうに言う。そこからどういう設定なのかよくわからないけれど、主人公がタイムスリップする。高校2年のあの委員会の場面に戻る。男子がいきなり付き合ってほしいみたいなことを言い出したあの場面だ。ここでイエスと言うことができる。どのみち最後にはこの男と結婚することになるのだ。その結末は知っている。だったらいま、イエスと言ってしまったほうがいい。そしたら親友も、別れずに済むことになる。人生をここからやり直しても、いいことはあっても悪いことは一つもないはずだ。
そこで、主人公の中に学生時代のあれやこれや(具体的に描かれていないのが残念)がフラッシュバックする。いろいろと嫌なこともしんどいこともあった。ここでイエスといえば、そういうのも全部なくなるかもしれない。もっと幸せな人生になるかもしれない。
けれど、そこで主人公は気づく。そういう辛いことがあったからこそ、最後に自分はこの人と結婚しようと決めたのだと。そして主人公は目を開けて、軽く微笑んで「キミ、いまはそういうこと言ってるときかな」と言う。
細かいところはもっといろいろあったんだよな。たとえば、主人公のチームが検討してるのは、サッカージョギング。これはドリブルやりながら校庭を1周するスポーツ。なんなんだろう。とにもかくにも、けっこう読み応えのある漫画だった。絵もきれいだったし。変な夢だった。
これは原因と結果の誤認だ。
もし「犬に噛まれたから犬が苦手」ならば、全犬に恐怖を抱く人間が犬の存在そのものを責めていいのか?
「苦手の原因が対象そのものである」という理屈を許せば、それはただの自己放尿だ。
個々の行為を超えて、集団を原因化した瞬間、論理的責任転嫁であり、思考の自己放尿と呼ぶに値する。
それは、犯罪者が他の犯罪者を止めないから全犯罪者はグル、というような論理の跳躍だ。
お前は「女性による子どもの虐待を、すべての女性が止めてないから女性は全体として加担者だ」と言われたら納得するのか?
その不条理な基準を適用していることに自覚がないのが思考の自己放尿だ。
「夜に出歩く男性が怖い」
だが、それは性別による加害傾向ではなく、物理的優位性+社会構造の歪みに基づくものであって、男性性そのものを恐怖の対象とするのは論理として破綻している。
夜中にジョギングする中年男を見て怖いと感じるのは自由だが、それを正当化し、属性全体に向けるのは偏見だ。
偏見は差別の温床であり「私は被害者だから偏見を持ってよい」と主張するのは、被害の連鎖を自己放尿的に垂れ流しているだけにすぎない。
「現実を見てほしい。」
だが「男性が怖い」という感情を拡大して全体化し、そこに基づいて論を展開するのは、真の現実直視ではない。
それは自分の感情が現実だと思い込むという認知の歪みであり、真理への冒涜だ。
お前が恐怖を感じるのは自然なことだ。だが、その恐怖を論理に変換する勇気を持て。
つまり30秒の無酸素運動と30秒の休憩を交互に、45分間行う
とりあえずこれを2ヶ月行う
1日目: 全身を激しく動かすスクワットをやったところ5回で限界が来たので終わり。特に首周りに筋肉痛がきた
2日目:スクワットと腕立て伏せ、8回まで行けた。下半身の筋肉痛が辛い。初日に45回できたえーちゃんはやっぱりすごいなあ
3日目:スクワット8回。しんどいけどえーちゃんのように夜眠れないほどの筋肉痛にはならない。
4日目: 腕を振り回すスクワット7回。タイマーはアレクサ指示、30秒+α無酸素運動、20秒+α休暇でやった
5日目:ダッシュ5回くらい+ジョギング。30秒ダッシュむちゃくちゃキツい。全然できなかった実際は10秒15秒です多分。足全般と腰回りが筋肉痛になった
団体行動で常に周り人間がいることに加え、自由時間のちょっとしたこと、はっきりしたスケジュールや指示がない部分で、周りを見て合わせないといけない雰囲気があり若干疲弊しました。
夜のカラオケに呼出しがあったので参加しましたが、遅くまで退席するタイミングが図れず眠かったです。
普段関わりのない方と交流をと言われても、誰が誰やら、何の仕事をしている方やら分からなく、加えて、もともと人様の顔を覚えるのが苦手なため、さっぱり覚えられませんでした。
業務上関わることも少ないと考えられるため意義も感じづらかったです。
社交的な方なら楽しめるのかもしれないけれども、私は恐らくそうではありません。
静かな場所で、会っておくことで業務上メリットがあると考えられる少人数でのセッションのほうが、有意義ではないかと感じました。
会社での宿泊行事は、年に一度だけなので、仕事の一環として割り切って、深く考えずに受け流すのがよいのでしょうね。
対策について
空気は読もうと思えば読めなくもないですが、非常に疲弊します。
なので、「空気を読むのが若干苦手な人」、かつ、「どうやら悪意はなさそうだ」と思ってもらえるのがベスト。
ふだんの職場でも、「こういう人」なんだと認識してもらい、大目に見てもらえるよう、意識して行動しようと思います。
カラオケに関しては、次回は適当に時間を見て抜けようと思います。
宴会場やカラオケルームなど静かでない場所は、そこにいるだけでとても疲れるので、酔っ払ったことにして全てに適当に振る舞いました。
大浴場があったので、1人になる時間は確保できました。
朝食は、わがままかもしれないですが、行きたい時間に1人でふらっと行って、適当に食べたかったです。
いろいろ書きましたが、それなりに楽しくもありました。
ただ、前述のとおり疲れもありました。
今回の対応について
その後、図書館で借りた本を読んだり、今度行く旅行の宿泊施設や交通手段を段取りするなどして過ごしました。
ただ、体調は、鼻詰まりや頭部の膨満感、耳閉感などがあり、少し微妙です。
鼻水に色がついているので、疲れているのかなと思います。
彼の名前は悠太、38歳、会社員。ある朝、鋭い痛みが下腹部を刺した。まるで誰かが内側からナイフで突き刺すような感覚だった。病院で医者は淡々と告げた。
「尿路結石です。5ミリの石が尿管にあります。自然排出を待ちましょう」
悠太は目を丸くした。
医者は無表情に答えた。
「人によりますが、1カ月で5センチメートルほど進むこともありますよ」
悠太はその言葉を頭の中で反芻した。まるで詩のようだ。だが、その詩は彼の体内で静かに、しかし確実に進行する苦痛のメタファーだった。
悠太の生活は一変した。痛みは不規則に訪れ、夜中に彼を叩き起こすこともあれば、会議中に冷や汗を流させることもあった。石はまるで意志を持った旅人のように、悠太の体内をゆっくりと移動していた。5センチメートル。たったそれだけの距離が、悠太には果てしない旅路に思えた。
ある夜、痛みが引いた隙に、悠太はベランダで月を見上げた。満月だった。冷たく白い光が、彼の疲れた顔を照らす。
「お前も5センチずつ動いてるのか?」
悠太は月に向かって呟いた。月は答えず、ただ静かにそこにあった。悠太はふと、自分の人生もまた、こんな風にゆっくりと、だが確実に進んでいるのではないかと思った。
彼は石のことを「旅人」と呼ぶようになった。旅人は悠太の体内を、時に静かに、時に激しく揺さぶりながら進んだ。悠太はその動きに合わせて生き方を変えた。カフェインを控え、水をがぶ飲みし、医者の言う「運動」を始めた。ジョギングの途中、ふと立ち止まり、自分の体に耳を澄ます。旅人はそこにいる。まだ、動いている。
ある日、会社の同僚が言った。
「悠太、最近なんか変わったな。顔つきがさ」
悠太は笑って答えた。
「まあ、旅の途中だからな」
1カ月半が過ぎたある朝、トイレで小さな「カチッ」という音がした。悠太は息を止め、便器を覗き込んだ。小さな、灰色の欠片。旅人はついにゴールにたどり着いたのだ。痛みは消え、悠太の体は軽くなった。だが、どこか寂しさも感じた。あの小さな石は、彼に多くのことを教えてくれた。焦らず、ただ進むこと。痛みと共に生きること。そして、終わりは必ず来ること。
その夜、悠太は再びベランダで月を見上げた。
彼は呟き、静かに微笑んだ。月は変わらずそこにあり、悠太の新しい旅路を照らし続けていた。
(了)
Suppotedby Grok
相手は運動不足のデブなんだぞ。関節ぶっ壊してもいい、運動強度が高すぎて辛くて続かないかもしれない、それでも構わないならジョギングでもいいのではないか。交通事故に遭うリスクも厭わないのであればサイクリングでもいいだろう。金をかけてジムに通うという選択肢もある。
だがデブに最初に勧める選択肢としてはウォーキングが最善だ。主に持続可能性という観点からだ。
炭水化物制限食と脂質制限食はどちらが体重を落とす効果が高いかという研究があった。
短期的には炭水化物制限食のほうが体重を減らす効果が高かったが、長期的には両者の体重減少幅は有意差が無くなった。
つまりどちらでもいいのだ。続けることができさえすれば。自分がやりやすい方法、続けやすい方法が正解なのだ。
1.ドーパミン
🔹「快楽」や「やる気」に関与
✅目標を設定して達成する(小さな成功体験が大事)。ToDoリストを作ってチェックを入れる。新しいことにチャレンジする。音楽を聴く・作る。バランスの良い食事
2.セロトニン
🌿 不足すると鬱になりやすい
✅ 朝に日光を浴びる(15〜30分が目安)。リズム運動(ウォーキング、ジョギング、呼吸法など)。腸内環境を整える(発酵食品や食物繊維)。規則正しい生活習慣。感謝の気持ちを持つ習慣
3.エンドルフィン
🏃♀️ 笑う・泣く・感動することで分泌されることも
✅ 中〜高強度の運動(ランニング、筋トレなど)。大笑いする(コメディ観賞など)。好きな音楽や映画で感動する。スパイシーな食事(唐辛子など)。瞑想や深呼吸
4.オキシトシン
🤝「愛情」や「信頼感」に関与
✅家族や友人、恋人とハグやスキンシップ。ペットと触れ合う。信頼できる人と会話する。「ありがとう」「大好き」と言葉に出す。ボランティアや親切な行動
5.ノルアドレナリン
⚡ 注意力・記憶力の向上に働く
⚡ いわゆる「戦うか逃げるか」反応の一部
✅ 軽くストレスのかかる環境での挑戦(発表、試験など)。冷たいシャワーを浴びる。集中力のいる作業に取り組む。カフェインの摂取(適量)。短時間の昼寝
おっと腹が出てきたな、ダイエットしようか
と思って平日ジョギング5km&休日10km、摂取カロリー1200kgに抑えた結果
ウエストが変わらないという結果がでたよ。
胸が痩せて、下腹はでたままで、足が太くなった。
35歳、つらい
追記:
ただ、うっかりハマってしまって習慣化してしまったのでマターリ続けたい気持ち。
胸→ほんまに小さくなったし垂れた
筋トレ→プランク追加する。ピラティスはなんか空気が合わなかった…1人でやれるのがいいな…
カロリー少ない→もともと燃費良すぎるのでこれくらい減らさないと減らないんすよね。間食はグミやアメとかチョコとかスナック菓子とかお菓子全般嫌いだからもともとする習慣ない。カロリーのある飲み物飲む習慣もない。
1200Kg→ワロタ誤字です
Permalink |記事への反応(23) | 20:35
今年のはじめに結婚した。お互いフルリモートなので、相手が一日で何をどれくらい食べてるか全部わかるんだが、女はマジで食べない。朝はフルーツとかヨーグルトとか、昼はなんかちょっとおにぎりと味噌汁、夜はちょっと肉を焼いたやつを食べて、それでおしまい。ジョギングした日はもうちょっと食べるかな。ちなみに俺の分の食事は作ってくれる。あと別に妻は風邪も引かないし健康。付き合ってた頃、外食してもお互いの家で過ごしていても、俺と同じように(さすがに同じ量ではないが)食べてた。いまでも外食したりたまにウーバーイーツ使うときは普通に食べる。でも、毎日の普通の食事はぜんぜん食べない。「ずっとこういう感じなの?」と聞くと、「俺くんみたいに毎食お腹いっぱいになるまで食べてたら太っちゃうよ~」とのこと。俺は子供の頃から今まで食事といえば腹一杯まで食うものという固定観念があったから驚いた。しかし妻にいわく成人女性の基礎代謝と、1日中座り仕事なことを考えると、太らない範囲で食える量というのはこの程度らしい。たしかに妻は痩せてる?と思うが、ガリガリという感じでもないし、街中では妻ぐらいの体型の女性は普通にいる。彼女たちみんなこんなに食べてないのかと思うとすごい。ただ、妻の食事を見てると、人間に必要な食事の量に対して、世の中にあふれるカロリーの量が多すぎるんだよなとも思った。でもうまいんだよな、メシって。