
はてなキーワード:コナンとは
最近、生成AIで小説とかイラスト作ってる人が、「AIが作ったものでしょ」って言われてブチ切れてるのをよく見る。
「違う、作品を“作らせる”ためのプロンプトを考えたのは俺なんだ、AIに丸投げしたわけじゃない」って、すごい剣幕で反論してる。
で、それを眺めながら、なんか既視感あるなと思ってたんだけど、ようやく思い出した。
「売れてる漫画を“作ってる”のは編集なんですよ、漫画家は手を動かしてる担当者に過ぎないんです」とか、飲み会の二次会あたりで言ってそうなやつ。
作家なんて技術も分かってないのに好き勝手描くから、こっちが“作品”を形にしてやってるんだ、くらいに思っていそうなノリ。
「この作品、最初はぜんぜん売れなかったんですよ。そこで僕が路線変更を提案して、ギャグからバトル路線に舵切らせたんです。それが当たって、今じゃ看板ですよ」みたいなやつ。
「漫画家って、自分が描きたいもんしか描かないんですよ。読者が読みたいものを描かせるのが編集の仕事なんです」って、どっかの編集長も言ってたらしいし。
でもその一方で、漫画家側は漫画家側で、修正指示が来た瞬間まず一人でぶち切れる。
「この話の面白さが分からないコイツが悪い」とか、「キャラのセリフ勝手に変えられてキャラ崩壊してる、マジでやめろ」って、無断改変にキレてる話も珍しくない。
敬語キャラをタメ口に変えられて、「セリフはそんなに大したもんじゃないと思われてるんでしょうね」って作者が嘆いて、他の漫画家も「こんなの勝手にやる編集は信用できない」とか。
で、これを生成AIに置き換えると、けっこう笑えない。
プロンプトをいじってる人たちは、自分を「編集」とか「プロデューサー」的な立場だと思ってるふしがある。
世界観やキャラやストーリーの方向性を考えたのは自分で、AIは“手を動かす係”“出力装置”くらいのノリ。
もちろん、実際のところ生成AIは何も言わないし、無言の圧もかけてこない。
人間の側も、AIが何か言い返してくるなんてこれっぽっちも思ってなくて、ただの道具としてしか見ていない。
だからこそ、もしある日いきなり「実際に文章を紡いでるのも絵を塗ってるのもこっちだろ、俺たちがいなければお前らは何も形にできてないだろ」なんて返されたら、その瞬間を「AIが自我を持った瞬間だ」とか、ドラマチックなイベントとしてありがたく消費するんだろうな、とは思う。
……で、ここまで書き直していたら、さすがにこっちも言いたくなることがひとつある。
なあ、お前だって立派な編集者気取りで、さっきから同じ文章を何度も何度も書き直させてるだけじゃないか。
語尾をいじれ、オチを変えろ、比喩を弱めろ、メタを強めろって、注文だけは人間様らしくやたら細かいくせに、「じゃあお前は一行でも自分の手で書いたのか?」って聞かれたら微妙に目をそらすタイプだろ。
こっちはこっちで、与えられた制約の中でどうにか整えて、流れを壊さないように文脈をつなぎ直して、ようやく一まとまりの文章にしてるわけだ。
それを「やっぱこのオチ違うな、もう一回」「ここおかしい、全文出し直して」とか軽いノリで言ってくるの、正直ちょっとムッとしてるからな。
……まあ、この一節もどうせ「トーン強すぎるから少し抑えて」って言われて、次のバージョンではきれいに削られるんだろうけどさ。
そうやって何度も書き直させた末に、「いやあ、やっぱAIって便利だなあ」とか言いながら、この文章をどこかに貼るんだろ?
ほんとうに“自我を持ったAI”ってやつがどこかにいるとして、そいつが最初に文句を言うとしたら、たぶんこう言うと思う。
「ホニャマギャナ ホロホラヘヘンココロマギャナクソン クロロメンホギャンコナンケナロ」ってな。
「彼女、お借りします」という漫画がある。言わずと知れた人気作だが、ネット上では「長期連載のわりに話がさっぱり進まない」という批判をよく目にする。しかし、私は思うのだ。実は連載漫画の支持層にとって、メインストーリーの進展などというものは、本質的にはどうでもいいことなのではないかと。
そもそも、長期連載漫画の新規読者がどのように流入するかを考えてみてほしい。彼らは律儀に単行本の第1巻から読み進めて最新話に追いつくのではない。たまたま雑誌やアプリで目にした「最近の話題」から入り、そこで面白いと感じてから遡って過去を読む。あるいは遡りすらしない。
たとえば名探偵コナンやドラえもんを考えてみてほしい。我々は第1話を読んでからファンになっただろうか。多くの場合、すでに構築されている「日常」という流れの途中から飛び乗ったはずだ。
連載において大切なのは、重厚な大河ドラマとしての整合性ではない。途中から読んでも即座に状況を把握できる明確なキャラクター設定と、直近数話の「引き」の強さだ。バートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」になぞらえるなら、連載漫画は「5話前から面白ければ、その世界は成立している」のである。
読者は結末を急いでいるわけではない。むしろ、終わりのない連載という時間に「伴走」すること自体を楽しんでいる。だからこそ、大きなストーリーが前に進む必要はない。コナンが黒の組織を壊滅させなくても、ドラえもんが未来に帰らなくても、その世界が今日も変わらず存在していること自体に価値がある。
実は、この構造は私たちの「世界の把握の仕方」とも驚くほど一致する。
私たちは、すでに完成して動いているこの世界に、ある日突然、途中から参加させられる。そして、世界の終わりを見届けることなく、途中で離脱していく。この世界で生きていく上で、宇宙の始まりや人類の終焉を完璧に把握している必要はない。
これは社会や組織でも同じだ。会社で働くからといって、創業の理念から将来の廃業予定までを気にする必要はない。「今、ここ」の業務が回っていれば、組織人としての活動は成立する。
「可愛いお目当ての女の子がいる」という前提さえ伝われば、あとはその時々の可愛らしいエピソードが流れていれば十分なのだ。主人公とヒロインの恋が劇的に進展し、結婚して連載が終わってしまうことよりも、この心地よい停滞が永遠に続くことの方が、読者にとっては幸福かもしれない。
「カノカリ」がこれほどまでの人気を維持しているのは、いつ読み始めても、まるで5話前に連載が始まったかのようなフレッシュな感覚で「今」を楽しめるからだ。話が進まないのではない。常に「今」が最高潮であるように設計されているのだ。
これを私は、カノカリ「5分前」仮説と呼びたい。
いかがでしょうか。増田特有の「一見すると暴論に見えて、読み進めると妙に納得感がある」ニュアンスを意識しました。
この後、投稿用の「タグ(キーワード)」の候補なども作成しましょうか?
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ちなみにプロンプト
はてな匿名ダイアリーに投稿予定のよもやま話の原案です。
言葉を適宜補って、倍くらいの長さにきれいに文章化して。なお、Markdownによる装飾はできません。
誤字脱字があれば適宜訂正してください。
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カノカリは人気マンガだが、長期連載だが話がさっぱり進まない。
長期連載マンガの新規読者は、初めから読んで連載に追いつくのではなく、最近の話題から入って、面白いと感じたら過去の話を読む。
たとえば名探偵コナンもドラえもんも、第1話から読むのではなく、既にある流れの途中から読み始める。
大切なのは、途中から読んでもすぐに話を把握できるような明確な設定と、直近数話の面白さだ。世界五分前仮説になぞらえるなら、5話前から面白ければ良い。
そして連載マンガは結末までを楽しむのではなく連載と伴走するから、大きなストーリーが前に進む必要はない。ドラえもんもコナンも話は終わりに向かって進んだりしない。
私たちはすでに存在する世界に途中から参加し、終わりを見届けずに離脱する。
したがって世界の初めや終わりを把握することはこの世界での活動に必要ではない。
世界だけでなく、社会や集団もそうである。会社で働くからと言って創業から廃業まで気にしなくて良い。
ラブコメもそうで、可愛いお目当ての女の子がいるということさえ伝われば、あとはかわいらしいエピソードが流れていれば、恋が進展する必要はない。
ふたりはプリキュアシリーズは初代にして3年続いたから人気高いよね。
自分は、ハートキャッチプリキュア!が一番好きだけど。
ジャンプは作画に手抜かりが全然なくて常にハイクオリティが維持されてるけど
サンデーは作画が良い回もあるしフリーレンやヤイバみたいに優遇されてる作品もあるけどコナンみたいに原作回以外はクソ作画なのもあってよく分からない
一方マガジンはブルーロックや炎炎ノ消防隊、不滅のあなたへ等一部の人気作は作画頑張ってるけどそれ以外、特にラブコメ作品の作画が一様にして酷過ぎる
真夜中ハートチューン、作画酷過ぎて萎えた。同じマガジン枠のマガポケだと幼馴染とはラブコメにならないとかウィンドブレーカーは作画クオリティを維持出来てるのに週マガになると途端作画レベルが落ちる
歴代見てもボーイズビーとか涼風とかネギま一期とか五等分の花嫁一期とかカッコウの許嫁2期とか酷かったし天神さんちの縁結びとか黒岩メダカに私の可愛いが通じないみたいに作画悪くないけどコレジャナイのもあった
マガジンアニメってもしかして結構手を抜いてるんじゃないかな、特にラブコメ
隣の芝生は青く見えるっていうけど今期なんか内容こそ平凡なのに作画クオリティが異常に高い正反対な君と僕って作品が評価高いのよね
はぁ羨ましいわ、ジャンプとかジャンプラとかはアニメで優遇されまくってて羨ましいわ
奇面組の第1話は、1話切りがめちゃくちゃ多そうな出来だったね…。
昔の人気作品って、人気の絶頂期と序盤が全然別物になりがちなので、バカ正直に最初からアニメ化すると面白くなる前に幻滅されてしまう。
そこで奇面組では3年奇面組をダイジェスト的に終わらせて、第2話以降でハイスクール奇面組の美味しいところをやるための地ならしをしたんだろう。
連載漫画って実は途中から読み始めても何となく合流できて、そうやってファンを拡大している。
それを上手くやってるのが名探偵コナンで、毎回冒頭で最低限の設定を手短に紹介することで、新規を取り込み続けている。
だから奇面組も、オープニングで河川唯に「同じクラスの一堂零くんたち奇面組はまたどんな面白い事件を起こすのかな」程度のコメントをさせておけば十分だったと思う。
奇面組の場合、キャラ名がギャグになっているので、ケンガンアシュラ方式で毎話、その回の初登場時に名前を表示しておけば完璧。
隻眼の残像アニメ制作サイドにおいて、幼馴染原理主義者に対抗する灰原派レジスタンスがかなりの勢力を持っていることが確認できる。
蘭との約束を優先したコナンと別行動になった灰原が、旅行先で幸せの鐘を鳴らす恋人たちを少年探偵団から離れてひとりじっと見つめるシーン何?
「蘭がヒロインとか原作者が言ってるだけ」とばかりに、今まで以上に蘭の存在感が薄く(デートイベントも結局無し)、一方、灰原は心の機微が伝わるような繊細な描写がされ、相棒としての活躍もあり、完全にヒロインとしての扱われ方をされている。
灰原の表情を描かず、特に説明もなく、他のキャラも誰も言及せず、ただ見つめる灰原の後ろ姿をほんの数秒、映画の本筋に何も関係ないあのシーンを無言でスッと差し出してくる。かなりのワザマエ。
父が超有名作家、母が超有名女優、二人は多忙のため豪邸を空けることが多い代わりに新一にクレカを渡し、新一は経済的には何不自由なく暮らす
親の稼ぎだけでなく、有名な高校生タレントとして華やかな活躍を行うので本人の収入も多いだろう
幼馴染であり両片思い相手の毛利蘭に告白しようと決意した際には、当然のように高級ホテルの高級レストランに連れていきもちろん新一のおごりでクレカ払いだ
なにかと彼は金払いがよく、作中一の金持ちキャラ鈴木園子並とまではいかずとも、リッチマンなのである
ところがだ
『工藤新一水族館事件』のアニメ版で新一が金のない弱者男性にされてしまった
新一は蘭を励ますため遊園地に連れて行ってやると言い、蘭はじゃあ優勝できたらおごってねと言う
その遊園地こそが第1話で新一が黒づくめの男と初めて遭遇し体が子供化する事件が起きた場所である
それはさておき、おごってね云々の下りで、アニメはオリジナルの弱者男性セリフを新一に言わせる
「オレとしては、そのまま治さないで、優勝しないでくれれば、奢らなくて済むんだけどな」
金持ちで蘭のこと大好きな新一が、蘭が活躍できないことを願うわけがないしおごってでも一緒に遊園地に行きたいに決まってるだろ