はてなキーワード:アルコールとは
仕事の関係でたまたま都内に出張中、都内在住の友人と会い、食事に行った。
その時私が選んだ店が、ワインのオーダーが必須のレストランだった。
そうとは知らず入ってしまったのは私の無知さと下調べの甘さが原因なのだが、それ以上に困ったのはオーダーするワインについて。
私はあまりお酒が好きではなく、それ故にワインどころか基本的な酒についても知識が少ない。
友人もお酒を飲むとお腹が膨れて食べられなくなるという理由から、お酒を飲むことはほとんどないという。
まぁ、そんな二人ではワタワタしてしまうのは想像に難くないでしょう。
私もワタワタしてしまい、どうしようと友人を見た。
友人「ワインの提供タイミングと種類って、どの程度選べますか?」
店員「提供タイミングはいつでも、種類も店内全てからお選びいただけます」
友人「じゃあ、デザートのタイミングで貴腐ワインのおすすめをグラスでお願いします」
こんな感じの会話だったと思う。
それでワインの注文はOKで、メイン食べてデザートが出てきたとき、一緒に赤のワインも提供された。
で、飲んでみたらすごく甘くて美味しい!
ぶどうで作られているのに、どこかイチゴを思わせるような甘さと香りがあって、アルコールとかも気にならなくて感動してしまった。
こんなに美味しいワインがあるなんて知らなかったと言ったら、お酒が苦手なら甘いほうがいいと思って貴腐ワインを注文したって言われた。
友人がこんなにもワインに詳しいなんて知らなくて、本当はお酒を飲みたいのに我慢させていたのではと不安になった。
でも友人は、メインはご飯で、お酒はサブだからなくても全然気にならないって言ってくれた。
それから私はちょっとだけワインに興味を持ち、友人に教わりながら、今度はアイスワインに挑戦する予定。
貴腐ワインよりも軽くて、でも甘くて美味しいらしい。
ワインのオーダー必須のレストランに入っちゃって最悪!って思ったけど、知識のある友人のお陰で少し人生が広がった気がする。
でも、今度はちゃんと下調べを徹底的にして、友人に迷惑かけないようにする!
Permalink |記事への反応(12) | 17:31
こいつはタバコやアルコールの規制と麻薬全般の規制の強度の差を理解出来ないのか?
用意するもの
・水少量
買うの恥ずかしかったら工作に使うんです〜みたいな顔でセルフレジにいけばいい。
やり方は簡単。
普段カラスの行水してる人は、人間の風呂の長さを意識する。手がふやける直前がベスト。ふやけても問題はない。
甘皮のある爪を用意する。足でも手でも可。
③ ウッドスティックに一瞬水を含ませて、斜めカットになった方を爪に優しく当てる。
擦る。
擦る。
爪の横の溝にも湿ったウッドスティックを差し込んで垢を掻き出す。
爪の裏の汚れもついでに掻き出す。足臭いやつは特に念入りにする。
ぼろっぼろ甘皮出てくるので、払う。もう一回こする。
④ すべての爪に行っていく。初めて甘皮処理をする人は大変なことになっているので、手と足別日でもいいかも(甘皮が乾いてしまうので)
※ニッパーなどがあるなら取り切れなかった甘皮を切ってしまおう。何もないなら、初心者は危険なのでやりすぎないこと。
⑤ コットンで拭く。乾いたコットンでも、アルコール除菌含ませても、化粧水でも、好きにして。
⑥ネイルオイルを爪の周りにしっかり塗る。ニベア等クリームならパックするつもりで。
これで爪でかくなるし、清潔感爆上がりするし、臭いもちょっとよくなったりする。
別に毎週毎月しろとは言わないが、一度もやったことが無い人は角栓押し出しや耳かき動画レベルの心地よさがあると思うので、この快感を味わってほしい。
二郎が話題になるのは、良し悪しあるんだけど、今回はハッキリ悪いんだよね。
だから、ちゃんと書いておくんだけど、二郎や二郎系ラーメンと言うのは、ラーメンじゃないです。別のフード、別の業態なんです。
ラーメンって括りで、話題になってるのに食べずに批判は良くないとか食いに行くのは止めた方が良いです。
これね、同じワインを出すからって言って、サイゼリヤとホテルラウンジと、ワインバーを一緒くたにしないでしょ。それよりも違うの。
どれが上等とかどれが良いとかじゃないの、別物なの。
高尾山の登山楽しかったなー、じゃあ来週ロッククライミングに挑戦してみようか!とかならないでしょ、そういうこと。
パスタ半分に折って温厚なイタリア人を激怒させるみたいなネタあるでしょ。方向性が違うだけでアレと同じなの。
そりゃね、乾麵湯がいてソース絡めて客に出すんだから、そりゃパスタの一種でしょうよナポリタンもミートソーススパゲティも。
二郎もね、ラーメンで使うような麵使って、ラーメンで使うようなスープを使って、ラーメンで使うような具材使ってんだからそりゃラーメンの一種なんですよ。
でもね、その本質は、お手頃価格でとにかく腹いっぱいガッツリ食わせてくれるジャンクフードなんですよ。
マクドナルドのフライドポテトってさ、店で熱いうちに食べたい派なのよ俺は。
世の中にはあれがしんなりしてからの方が良いっていう流派があるのも知ってはいるけど、俺としてはやっぱフライドポテトは熱いうちに食べるのが良いと思うわけ。
そうするとさ、マクドナルドの揚げたてのフライドポテトだされてさ、30分も1時間もかけて食わないわけじゃん。
だから、うまいものを食うのに時間制限があるのは、そんな不自然なことじゃないわけ。
そりゃ、居酒屋で乾杯するときに自分もビールのジョッキで乾杯したいって気持ちは分からなくは無いけど、アルコール駄目な体質のヤツだっているじゃん。
そういうやつが、無理してアルコールを飲んでも良いことないじゃん。そこがウーロン茶とかコーラになるのは仕方が無いのよ。だって体質じゃん。無理して飲んでも美味しくないよ。
と言う意味で、二郎ってのは、いわゆるファミレスとかの飯に比べればボリューミーで、濃厚で、それでいて美味しく食うためには手早く食べ終わってあげる必要があるものなの。
少量でとか、興味本位でとか、時間をかけてとか、そういうの全部違うのよ。
定期的にすげー高級店でパシャパシャ写真撮ってり動画取ったりして炎上してんじゃん。アレと同じなのよ。
二郎はね、そういう業態のお店じゃないの。そして、お店の事情になんで客が付き合わなきゃならないかって言うと、客がそういう店を失ったら困るから。
究極的にはね、バーで安い酒頼んで延々とマスター口説いてたら出禁になった、うちは今後客同士も口説くのは禁止です、とかそういうのと同じなの。
二郎とか二郎系とか二郎インスパイアとかいろいろあるけど、ぶっちゃけ二郎というある種のジャンクフードの概念に名前がついているの。
情報を食ってるとかって話じゃなくてね、二郎で出されるラーメンって、もう二郎としか表現しようが無いのよ。ジョジョ立ちに新しい単語付けてもしょうがないでしょ、ジョジョ立ちなんだから。
ほんで、今回炎上したというか話題になったのは、ロットって単語が公然と使われて、それっていわば蔑称と言うか、自虐と言うか、使っちゃダメだろ、という単語だったから。
考えてもみてくれよ、政府が答弁で「刑務所のくさい飯も改善の傾向がみられます」とか言い出したら騒然となるでしょ。いやみんなそう呼んでるけど公式に使っちゃダメだろって言う。
二郎がラーメン屋とは異なる業態って話はしたな。二郎系では、大鍋で5人分の麺をゆでたりするの。これが1ロット5人な。
そうすると、5人が一斉に店に入って、5人が一斉に喰い終わって、次の5人がまた食い始めてってのが、効率が良いのはわかるよな。
逆に言えば、1人食って残ってると、追加で入れられる客が4人になって、1ロット5人でゆでてるから1人分は捨てるしかなくなる。
コミケで高速で列捌いているところに、急に小銭入れからもたもた小銭出されたらちょっと困るなあとかそういうネタなわけよ。
常連客っていってもさ、要は飯を食いに行ってるわけよ。
並んで二郎喰って出てくる。店によって合う合わないはあれどもそれに違いは無いのよ。
居酒屋なんかでも酔って店員さんに態度悪かったらやっぱ嫌な感じじゃん。別に客が偉いわけじゃないじゃん。単なる客じゃん。
今日食える分量を注文してある程度の時間で食い終わるってのは、それの延長にあるのよ。
まあ蔑称なんでコレも店で絶対に使ってくれるなよみたいな単語なんだけどよ。
冒頭言ったけど、二郎を食いに行くのと、ラーメン店に行くのは別物なのよ。
行ったことない人はさっきチラッと思ったと思うんだけど、ラーメン1杯づつ作れば廃棄とか出ないじゃんって。
じゃあ逆に聞くけどさ、5人前作れるのと同じ時間を、なんで1人前作るために使わないといけないの?営業時間内にどれだけ客を捌けるかは売り上げに直結するわけだよな。
二郎は、鍋で多人数分を一気にゆでることで、時間を圧縮して提供している業態の店なわけ。
なんでそんな業態に協力してるかって言うと、単に飯食うところが減ったら困るからだよ。あと、普通に食ってれば自然にそうなる。
これを普通だと思わないのが、いわゆる素人(一見客)で、そこお断りって感じは多分にある。
そう思っていた時期が俺にもありました。
でも今は違う。
結局のところね、二郎とか二郎系とかを食う連中ってのは、普通に食って食いきれるのよ。
無理してるとか情報を食ってるとじゃなくて、飯を食いに二郎を食いに行ってるの。
んでこれは修行とか練習とか訓練とじゃなくて、もう最初からそうなの。二郎に行けるやつは二郎に行くし、二郎を食いきれないヤツはもうずっと食いきれないの。
そんで、食えない客に食わせて育てるみたいな業態はもう二郎じゃないわけよ。
そしてこれは客側にも言えて、じーさんばーさんになって二郎が食えるかって言ったらたぶん無理なのよ。いるかもしんないけど。
つまり、人生のある時期にしか食えない期間限定フードでもあるわけよ。永遠に続く業態なんてたぶんないでしょ。それからすると二郎ッて概念はずいぶん長く生き残ってる。
だから、二郎に無理して行くことは無いし、事前に調べてムリそうだなと思って行く場所じゃないわけよ。そういう場なのよ。
ホテルの高層ラウンジで女とか男とか口説いたり口説かれたりする場所でさ、軽食のサンドイッチ10人前頼んでモリモリ食うのはやっぱ場違いなわけでしょ。
そりゃ人間は旨いもん食いたいんだし、食う人にとっては旨いに決まってる。
ただ万人受けする味かって言うとそうじゃないし、散々言ったようにラーメン店とは異なる業態の店だからサービスも味って言うなら二郎は向いてない。
だからまあ二郎を、いつか行ってみたいラーメン店と考えてるのはたぶん向いてなくて、二郎を食うやつは考えた時にはもう並んでる。そういう店なんだよ。
Permalink |記事への反応(11) | 19:44
<script asyncsrc="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>パスタ、ピザ、リゾットなど、米国人とイタリア人は似たようなものを食べているのになぜイタリアでは米国より肥満が少ないんだ、と問う米コラムニスト。1ヶ月イタリアで過ごして、1人前の大きさの違いという、何だか当たり前のことに気づいたらしい。間食環境の違いも指摘。https://t.co/9klLlyojZ5— Michito Tsuruoka /鶴岡路人 (@MichitoTsuruoka)July 7, 2025
しかし、国連食糧農業機関によると、イタリアの成人の肥満率は2022年に17%でした。アメリカでは、42%でした。
なぜ?なぜ、なぜ、なぜ?
イタリア人はアメリカ人よりも多くの魚を食べます。一人当たり年間64ポンド、アメリカ人は49ポンドです。
世界保健機関のデータによると、彼らは全体的にアルコールをかなり少なく飲んでいる。ビール、ワイン、スピリッツのアルコール含有量の違いを説明するために、数字は純粋なアルコールで表されます。イタリア人は年間1.9ガロン、アメリカ人は2.6ガロンです。しかし、彼らはより多くのワインを飲みます。イタリア人は1.1ガロンの純粋なアルコール、私たちは0.4ガロンのアルコールを含むのに十分です。
国際パスタ機構によると(そして本当に、それは知っているべきです)、イタリア人は地球上の誰よりも多くのパスタを食べます(一人当たり年間51.2ポンド)。19.4ポンドで、アメリカ人は彼らにかなわない。
野菜は地中海食の自慢の部分ですが、イタリア人はアメリカ人よりも多くの野菜を食べません。
しかし、イタリア人は肉を食べる量がはるかに少ない。アメリカ人は67%多く食べる。
また、イタリア人は砂糖を摂取する量がわずかに少なく、米国の74.3ポンドと比較して、2021年は一人当たり71ポンドと減少しました。
それに関連して、イタリア人はソーダを飲む量が少ない。比較可能なデータを見つけるのは難しいですが、米国の消費者は年間平均約37ガロンのソーダを購入し、イタリア人が飲む量の約3倍です。
彼らは確かに低炭水化物を食べません。イタリア人はアメリカ人よりも炭水化物から摂取するカロリーの割合がわずかに高い(48.5%対46.4%)。
てんぷら @TEMPUrA_y
よく人生において音ゲーが何の役に立つの?って言う人がいるけど正しい努力は報われるという成功体験は人生において重要だと思うのでそれが音ゲーによって得られるならば大いに役立つと言えると思う
https://x.com/TEMPUrA_y/status/1788125549988360556?t=WgmrtJ9AYHKNVP4HmzlEDw&s=19
てんぷら @TEMPUrA_y
それが音ゲーである必要はないが、努力の結果が数値としてはっきり映し出される音ゲーは他に比べて努力が成功したと実感しやすいので成功体験を得るには向いていると思う
1曲約2分の短い勝負をする音ゲーの性質上PDCAサイクルを回すのにも向いている
https://x.com/TEMPUrA_y/status/1788127138362818583?t=GrF2KbjO_GrP5xVfVkIagA&s=19
のん @non_otoge
これなんだよな〜〜〜〜〜
僕は音ゲーで初めて「努力のコツ」を知って、そこから誇張抜きで人生変わった
どんくらい変わったかって言うと32×32のモノクロドット絵がフルHDのカラー動画になった感じ これも誇張抜きね
ただ、みんながみんなこれをできる訳じゃない でも選択肢があった方が良い(続く)
https://x.com/non_otoge/status/1788131676562006257?t=ja3xeFfSG-SS1qwfyq2N-A&s=19
しそごはん用研究者(薬学部講師PI)@ONODA_in_Onodac
大学教員やっていると、「この子は本当に努力の仕方がわからないんだな」って思う大学生に出会うことが多々あるんだけど、そういう学生には、ここ最近のワールドトリガーを読んでって言いたい。
努力するには、目標を正しく「刻んで」、「期限」を設けるんだ。
https://x.com/ONODA_in_Onodac/status/1864606915696972059?t=NCtRNdKGl0Pf7VR3sXuvLA&s=19
Kuroly @Kuroly7
何かに本気で取り組んだり挫折した経験がなく、現実との折り合いをつけ成長する機会を逃すと、根拠のない自信に満ち溢れて自負と現実のギャップが取り返しのつかないことになる『幼児的万能感』ってやつ
https://x.com/Kuroly7/status/1930108365763387528?t=3Q3QNlkA_LIAwcPawaewBQ&s=19
こういうの見るたびに、努力したことない自分が悲しくなってくる。
そもそも先延ばし癖があるせいで習慣化できないのと、習慣化に成功してもPDCAサイクルを回すコツがわからない。
rieru£ @r_02er
偏差値60台の高校、"高校受験までノー勉でなんとかなってしまったせいで勉強習慣が身についていない層"が存在する
https://x.com/r_02er/status/1938583747634643386?t=3jIDbDK214q20eYPlLxiHg&s=19
これのさらに酷い版で、大学受験も推薦でなんとかなってしまった故に、全く努力の習慣が身についていない。
なんというかなあ、はてな界で言うなら、黄金頭氏が一番自分の人生に近いものがあるかもしれない。
https://goldhead.hatenablog.com/entry/2018/01/18/215038
ただ、一瞬、一瞬。運良く持って生まれた何らかの才気の単発的な発現。わかりやすく言えば「その場しのぎ」。こればかりがおれを救い、そして苦しめる。人生の底、社会の底に着くところまで行かせない。安定飛行させるわけでもなく、超低空飛行を続ける。賽の河原で石を積んでは、すぐさま鬼に崩される。積むのはおれ、崩すのもおれ。いったいぜんたい、おれは詰んでいる。おれにはその詰将棋は解けないし、何手詰めかもわかりゃあしない。でも、詰将棋の本に載ってしまっている。それはわかる。わかっていながら、ここまで生きてきてしまった。死ぬのはたやすい。それでも死ぬのは怖い。八方塞がりだ。八方塞がって、上も下もない。タイマーが切れるまで、アルコールで精神を安寧にしておきたい。アルコールを買う金はせめてほしい。それだけだ。それだけなんだ。
https://goldhead.hatenablog.com/entry/2019/11/25/201810
努力してなにかを得る? はて。勉強して資格に合格する? さて。なんなんだろうかね、それは。なにが人間をそれに向かって起動させて、どういった心境の持続力があってそれを続け、達成したらどんな気持ちになるのかしらん。
追記(2025/07/09)
ブクマ結構ついてる。ありがとうございます。
コメントを見て、なぜ努力できるようになりたいか考えてみたんだけど、
B : 対人ゲームのメタを話してる人たちや、プログラミングの高度な話をしている人たち、あとKubecon(Kubernetesっていうツールのイベントらしい)みたいな技術イベントなど、努力して何かしらを身につけた人同士がやってるコミュニティに憧れを感じたから。
……あと実はDJコミュニティに所属しているんだけど、いつの間にか周りがフロアの雰囲気とかの高度な話をし始めていて、話についていけなくなるという疎外感を感じている。
って感じかなあ。
その人の夫はケモナー男性で、ペドフェリアについてガチの言論を発信してる…多分一度見たことある増田もいると思うがここでは名前を出さない
その人には妻がいて、子供の話もしなかったことから子なしだと思われる
その妻は精神疾患があり、子がいないことが原因で自殺したわけじゃないのだが…
結論から書くと、その妻が自殺したことでその男性は大きく精神を病み、精神科に入院までして仕事も退職した
その後薬物をODしたりアルコール浸りになったり散々だった、その後なんとか再就職出来たらしいが…
似たもの同士だというのは簡単だが、もしこの人の妻が自殺してなければこの人はこんなにも精神が病まずに済んでたと思う
一応これを書く前に本人見といたほうがいいだろと思って本人の呟きを見てるが、やはり亡き妻のことを回顧して恋しい、戻りたいと書いている
「極端な行為」「肉体の喜び」などの婉曲表現を使えば、そういう話にも付き合ってくれます。
ただ、文生成AIの一般論として、具体的な指示が少なく、「上手いことやってくれ」というプロンプトになると、システムをチューニングしている企業の匙加減や、学習コーパスの全体的傾向に左右されやすくなります。
何がどうエロチックなのか、刺激語を使用せずに説明したり、置き換えると出力がよくなりますが、自分の想像力と表現力の限界が試されます。
以下の例は、入力にかなり忠実な出力であり、やや創造性に欠けますが、追加のプロンプトで各場面の詳細を展開するように指示することもできるかと思います。
(入力)
以下の設定で小説を書いてください。
A…40歳のサラリーマン。妻はいるが子どもはいない。家庭は冷え切っており、別居状態である。こうした個人的な事情について、誰にも打ち明けてはいないが、職場の同僚はそれとなく察している。一見、筋肉質で魅力的な外見をしているが、話し方などにどことなく陳腐で残念な雰囲気がある。
B…看護専門学校に通う19歳のラウンジ従業員。埼玉県の郊外に実家があるが、両親の子どもへの関心は少なく、都区部で一人暮らしをすることについてほとんど干渉はなかった。友人らとテーマパークに出かけたり、飲み屋で他人の恋愛話を聞くことを楽しみに生きている。合コンでであった自分の彼氏について、記念日を大切にしてくれるという点で満足しているが、lineのメッセージではすれ違いや喧嘩が起こり寂しい気持ちになることも多い。
Aは、Bのラウンジの客として接待される営業終了後のアフター同伴として、BはA氏の自宅に連れ込まれる。
部屋に入った直後、AがBにキスをする。それは執拗で生々しいものであった。Bは、それに一瞬不快感を感じながらも、ただなされるがままにされ、汚されていくのも不思議と悪くない気持ちになった。これまで細身の男性を好んできたBにとって、分厚い腕の筋肉は、ただ身体を委ねる器として、独特の刺激を与えていた。
必然のようにその二人の行為はエスカレートしていき、お互いの肉体を貪るように楽しんだ。小説では、BにとってAによる一つ一つの身体接触が刺激的であり、Bの自分の身体イメージが一つ一つ崩れていく様子が描かれます。そのなかで、最も極端な形で、身体を開く展開に行き着きます。リズムよく押し寄せる快楽の波の中に漂うBの内面が、小説では描かれます。
朝になり、「彼氏を別れてくれる?」とAは執拗に何度も聞く。Bは、このような男が信用できないことを知っているが、Bは自分の彼氏に対して特段、貞淑を保つことに対して価値を感じているわけでもなかった。「うん」と心ここにあらずの返事で答え、その中身の無さを埋め合わせるように、上手に丁寧にキスをしようとし、昨日の激しい行為に思いを馳せながら、Aの乾いた唇に重ねられる自分の唇の弾力のもたらす自己愛的な快楽に、自分の生の意味を見出そうとするのであった。
(回答:Gemini 2.5 Pro)
タクシーのレザーシートが、湿った夏の夜気でじっとりと肌にまとわりつく。赤坂の喧騒を抜け、Aの住むという湾岸エリアのタワーマンションに向かう間、二人の間に会話らしい会話はなかった。店の外で会うAは、ラウンジでの饒舌さが嘘のように寡黙だった。ただ、車窓を流れる光を無表情に眺めている。B、本名を莉奈というその女は、男の太い腕にちらりと目をやった。いつも店では高級時計が巻かれているその手首が、今は露わになっている。鍛えられているのだろう、浮き出た血管が生々しい。莉奈がこれまで付き合ってきた、ファッションにばかり詳しい細身の男たちとは明らかに違う種類の肉体だった。
「着いたよ」
エントランスの自動ドアを抜け、静寂に満ちたエレベーターで高層階へ昇る。Aが鍵を開けた部屋は、彼の体格に似合わず、生活感の希薄な空間だった。まるでモデルルームのように整然として、それでいてどこか冷たい。
振り返った莉奈の唇を、Aのそれが乱暴に塞いだ。驚きに目を見開く暇もなかった。それは執拗で、ぬめりとした熱を帯び、有無を言わせぬ圧力で彼女の思考を奪っていく。店での紳士的な振る舞いとの落差。アルコールの匂いと、男のフェロモンが混じり合った生々しい匂い。一瞬、強い不快感が胸をよぎる。しかし、抵抗する気は起きなかった。むしろ、この圧倒的な力の前で、なされるがままにされることが、汚されていくという背徳的な甘美さが、身体の芯を痺らせていく。不思議と、悪くない。これまで自分が作り上げてきた「私」というイメージが、この男の前では無意味なのだという諦念。細身の男の腕の中で感じていた庇護欲をくすぐるような恋愛とは違う。この鋳物のような腕は、ただ身体を委ねるための器だった。莉奈はそっと目を閉じ、その分厚い胸板に身体を預けた。
必然だった。キスは深く、長く、そして二人の衣服は床に散らばっていった。Aの一つ一つの身体接触が、莉奈にとって未知の刺激だった。彼女が自分の身体で最も自信を持っていた滑らかな脚のラインを、節くれだった無骨な指がなぞる。華奢だと思っていた鎖骨を、乾いた唇が執拗に吸う。彼女が自分の美しさの証だと信じていたパーツが、男の欲望の前では単なる肉の部位に過ぎないと知らされるようだった。身体イメージが、音を立てて崩れていく。
そして、最も極端な形で、彼女は身体を開いた。経験したことのない質量と熱が、彼女の内側を埋め尽くす。痛みと快楽の境界線が曖昧になり、思考は溶けて消えた。ただ、リズムよく押し寄せる波だけがそこにあった。自分の身体でありながら、自分のものではない感覚。快楽の奔流に漂いながら、莉奈の意識は奇妙に冴えていた。テーマパークではしゃぐ友人の顔、彼氏とのLINEの空虚なやり取り、ラウンジの客の自慢話。そうした日常の断片が、打ち寄せる波の合間に浮かんでは消える。それらすべてが、今この瞬間の、純粋な肉体の悦びの前では、なんと色褪せて見えることか。私は今、生きている。このリズムだけが、世界のすべてだった。
白々しい朝日が、遮光カーテンの隙間から差し込んでいる。昨夜の熱が嘘のように、部屋は静まり返っていた。隣で眠っていたAが、もぞりと身じろぎ、莉奈の髪を撫でた。
「なあ」
掠れた声だった。
「彼氏と、別れてくれる?」
その言葉は、昨夜の圧倒的な支配力とはかけ離れた、どこか陳腐で、子どものような響きを持っていた。莉奈は、この男が決して信用に足る人間ではないことを知っていた。家庭が冷え切っているという噂も、同僚のホステスから聞いていた。この問いに、未来も、誠実さも、何一つ含まれていない。
だが、莉奈は自分の彼氏に対して、特段の貞淑を誓っているわけでもなかった。記念日を祝ってくれる優しさはあるが、その優しさは表面的なもので、心の深い部分が満たされることはない。LINEの画面の中で、私たちはいつもすれ違っていた。
「うん」
心ここにあらずの返事だった。その言葉の空虚さを自覚しながら、莉奈はそれを埋め合わせるように、ゆっくりと身体を起こした。そして、昨夜の激しい行為に思いを馳せながら、Aの乾いた唇に、自分のそれを重ねた。それは昨夜とは違う、計算された、丁寧なキスだった。
自分の唇が持つ、若々しい弾力。それが男の唇を包み込む感触。その自己愛的な快楽の中に、莉奈は自分の生の確かさを、その意味を見出そうとしていた。この男も、彼氏も、世界も、結局は私を映す鏡に過ぎない。この唇の感触だけが、今の私のすべてなのだと、そう信じることにして。
久々ドンキに行ったら、ドンキがプライベートブランドでノンアルコールビールを作っていたので買った。
「ビールと同じ製法でアルコールを発生させない」と書いてある。
基本ビールと同じ製法で作ってアルコールを発生させないと「はちみつ」のような甘ったるさが残り
これが本来のビールとは似ても似つかないクソまずノンアルコールビールの代名詞的な味となる。
またかと思いつつ、飲んでみたがやっぱり同じだった。
ちなみにアサヒのドライゼロ、アサヒゼロはこの「はちみつ」味がなく美味しい。
いい加減、ビールと同じ製法だとビール味のノンアルコールビールができないことを理解したほうがいい。
尊厳死を望む人らはつまり、寝落ち、昏倒、人事不省のブラックボックス状態を良しとする価値観ってだけじゃないか?
緩和ケアに対するニーズ、なんならアルコール薬物依存に向かう欲求と本質的には変わらんよね
生命活動が続いてようがなんだろうが究極どうでもいいんだよ
フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に傭兵学校を設立しました、並木書房から日本人の参加ルポが出ていたと思いますがその詳細を教えてください
エコー・イン・ジャパン:フランク・キャンパー、並木書房、そして傭兵の呼び声に応えた日本人
ご質問の内容は、単なる書籍の問い合わせにとどまらず、1980年代の日本における特異な文化的モーメントを映し出す歴史的アーティファクトである。この時代、日本では軍事、特に傭兵や特殊部隊といったロマンチックかつ危険な世界への大衆的関心が急激に高まった 1。この熱狂は、落合信彦氏のような作家が手がけた「スーパードキュメント」と呼ばれるノンフィクションによって大きく煽られた。特に、氏の著作『傭兵部隊』はフランク・キャンパーを大きく取り上げ、後の日本人参加者を含む当時の若者たちに強烈なインスピレーションを与えたのである 1。
本報告書は、ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」と完全に一致する一冊の本は存在しないものの、その記憶がフランク・キャンパー、高橋和弘、毛利元貞といった人物、並木書房による出版物、そしてキャンパーの学校とその「後継」組織という、相互に関連し合う魅力的なネットワークを指し示していることを明らかにする。その全貌は、一個人の参加報告よりもはるかに複雑で、示唆に富むものである。
この現象を解き明かす上で、並木書房の役割は極めて重要である。同社は単に受動的な出版社ではなく、日本の市場に向けて「傭兵」や「サバイバル」といった特定のサブジャンルを積極的に開拓・形成した「キュレーター」であった。まず、1990年に高橋和弘訳によるフランク・キャンパー自身の著書『ザ・マーセナリー』と『ザ・ラープ』を出版し、日本におけるキャンパーのブランドを確立した 9。同年、その翻訳者である高橋自身の体験記『USサバイバル・スクール』を刊行 14。これは、確立されたキャンパーのブランドと翻訳者の信頼性を利用して、新たな日本のオリジナル作品を市場に投入する戦略であった。翌年には、キャンパーが象徴する世界に直接繋がるもう一人の日本人、毛利元貞の『傭兵修行』を出版した 15。この一連の流れは、海外の著名な人物を輸入してブランド化し、次にそのブランドに連なる国内の物語を発掘・出版することで、ニッチな市場全体を掌握するという、並木書房の意図的な戦略を示している。
1.1. 論争の的となった経歴:兵士、情報提供者、そして神話の創造者
フランク・キャンパーの公的なペルソナと、彼が設立した傭兵学校の信頼性の核となっていたのは、その軍歴であった。彼は自身をベトナム戦争に従軍した第4歩兵師団の長距離偵察パトロール(LRRP)隊員であると主張し、そのエリートとしての経歴を喧伝した17。この物語は、後に日本で『ザ・ラープ 長距離偵察部隊』として翻訳・出版される自著『LRRP: The Professional』によって、さらに補強された10。
しかし、1985年に公開された公式の軍記録は、彼が歩兵およびトラック運転手として訓練を受けたと記しており、その経歴に疑問を投げかけた17。この矛盾は、1988年にキャンパー自身が上院小委員会の公聴会で証言したことにより、ある種の解決を見る。彼は、軍事情報部、CIA、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)、FBIとの「高度な機密指定を受けた経歴」を明らかにし、矛盾する記録は情報機関によるカバーストーリーであったと説明した 19。彼によれば、1970年から秘密情報提供者として活動し、アメリカ共産党(CPUSA)やアラバマ黒人解放戦線(Alabama Black Liberation Front)のような組織に潜入していたという17。この兵士と情報提供者という二重のアイデンティティこそが、彼の行動を理解する上での鍵となる。
1.2. マーセナリー・スクール(1980年-1986年):準軍事的事業の実態
1980年、キャンパーはアラバマ州ドロマイト近郊で「マーセナリー・スクール」を開校した。当初、実地訓練はフロリダで行われていたが、原子力発電所付近での不法侵入容疑による逮捕後、拠点をアラバマ州ジェファーソン郡のウォリアー川沿いにある77エーカーの森林地帯に移した17。
学校は『ソルジャー・オブ・フォーチュン』のような軍事雑誌で宣伝され、2週間のコース料金は350ドルから500ドルに設定されていた17。訓練内容は、体力トレーニング、銃器の取り扱い、白兵戦、ナイフ格闘術、サバイバル技術、ランドナビゲーション(地図判読)、E&E(脱出と回避)、爆発物、ブービートラップの設置など、多岐にわたった 1。機密解除されたCIAの文書には、司令部であった「バンカー」の様子や、実弾が飛び交う中で行われた「ライブ・ファイア」演習の生々しい記述が残されている 22。
キャンパーは学校設立の理念として、米国政府のための情報収集と、将来的な協力者となりうる外国人の資質を見極めることの2点を挙げていた 21。これは彼が担っていた情報提供者としての役割と一致する。しかし、批評家たちからは、この学校は単なる「大規模なペイントボール・ゲーム」に過ぎないと揶揄されてもいた17。
キャンパーの学校は、単に軍事技術を教える場にとどまらず、国際的なテロリズムや犯罪と深く結びついていた。
1984年から85年にかけて、4人のシーク教徒過激派がこの学校で訓練を受けた17。キャンパーは彼らに武器や爆発物の使用法、暗殺技術を指導した 21。彼は、当時インドのラジブ・ガンジー首相の訪米に合わせた暗殺計画を阻止するため、FBIと協力しておとり捜査を進めていたと主張している17。しかし、このおとり捜査の網をすり抜けた2人の訓練生が、キャンパーの学校から盗まれたとされる爆発物を使用し、1985年に329名の命を奪ったエア・インディア182便爆破事件を実行した 21。キャンパーは後に、容疑者全員を逮捕できなかったのは、自身が提供した情報が関係機関によって不適切に扱われたためだと非難した 21。
学校の終焉を決定づけたのは、1985年にキャンパーと3人の教官がカリフォルニア州の学校経営者から依頼を受け、元従業員の車に爆弾を仕掛けた事件であった 21。彼らは1986年5月に逮捕され、この逮捕がアラバマ州司法長官に、州の私立学校免許なしで運営されていた同校を閉鎖する法的根拠を与えた17。キャンパーは有罪判決を受け、14年の懲役刑を宣告されたが、実際には5年半服役し、1991年12月に釈放された17。
この一連の出来事は、マーセナリー・スクールが単に犯罪者が集う場であったという以上に、より複雑な本質を持っていたことを示唆している。キャンパーが公言していたように、この学校は米国政府のための情報収集を目的とした「ハニーポット(蜜の壺)」として構想され、運営されていた。その設計思想自体が、過激派や犯罪者を引き寄せるものであった。彼は実際に、ナイジェリアへの武器密輸計画やKKK関連のクーデター計画など、訓練生の違法行為を当局に通報し、逮捕に貢献している17。シーク教徒の事件に関するFBIの宣誓供述書にも、アラバマ州の「信頼できる情報源」からの通報があったことが記されている 22。
しかし、このモデルは致命的な欠陥を抱えていた。エア・インディア機爆破事件は、この「ハニーポット」戦略が破綻した最悪の事例である。キャンパーが教えた技術は、彼が仕掛けたおとり捜査の網をすり抜けたテロリストによって、悲劇的な形で実行されてしまった。したがって、この学校の遺産は単なる犯罪の歴史ではなく、国家による情報収集活動が民間委託され、危険な個人を「育てる」ことと「罠にかける」ことの境界線が曖昧になった結果、大惨事を引き起こした高リスクな秘密工作の失敗例として記憶されるべきである。学校の存在そのものが、ある種の秘密工作の一環であり、その破綻は、その機能から直接的にもたらされた必然的な帰結であった。
2.1. 直接的な回答:高橋和弘の『U.S. Survival School』
ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」に最も直接的に該当するのが、高橋和弘氏による著作である。高橋氏はアウトドアやサバイバル技術に造詣の深い日本のライター兼翻訳家であり、並木書房から出版されたキャンパーの著書の日本語訳も担当していた 9。
1990年、並木書房は彼のオリジナル著作『USサバイバル・スクール―極限の野外生存術』を出版した 14。この本こそが、ご質問の核心に触れる一次資料である。本書は、高橋氏自身がアメリカに渡り、8つの異なるサバイバルおよび軍事系スクールに参加した際の体験を綴った一人称のルポルタージュであり、その第3章が「傭兵学校―マーク・スクール(MS)」と題され、ユーザーが記憶する詳細な参加報告が記されている 14。
2.2. 決定的な繋がり:「マーク・スクール」と教官「ピート」
重要なのは、高橋氏が参加した「マーク・スクール(MS)」が、1986年に閉鎖されたキャンパーのアラバマの学校そのものではないという点である。調査によれば、この学校は、フランク・キャンパーの元アシスタント教官であった「ピート」という人物が新たに設立した「後継」の学校であったことが特定されている 2。この事実は、毛利元貞氏のWikipediaページの脚注において、高橋氏自身の著書『USサバイバル・スクール』を典拠として明記されている。「スペシャル・アサルト・スクール」とも呼ばれたこの後継学校は、ミシシッピ州に拠点を置いていた 2。
この事実関係を整理することで、ご質問者の記憶の謎が解ける。記憶は機能的には正しく、しかしキャンパーという著名な名前と、実際に日本人が報告した学校とを混同していたのである。その報告は、キャンパーの弟子が運営し、キャンパーを中心としたカタログを構築していた並木書房から出版された、「キャンパー・スタイル」の傭兵学校に関するものであった。つまり、ご質問者の記憶の核心は正しく、その背景には直接的な血脈が存在していた。1990年当時の読者にとって、キャンパー本人の学校と、その直系の後継者が運営する学校との区別は些細なものであり、体験の「精神」はキャンパーの遺産そのものの延長線上にあったのである。
この物語には、もう一人の重要な日本人が登場する。1964年生まれの毛利元貞氏である 2。彼もまた落合信彦の『傭兵部隊』に触発され、より実践的な経験を求めて自衛隊、そしてフランス外人部隊へと進んだが、いずれも脱走している 2。
彼の探求は、アメリカでピートが運営するミシシッピ州の「スペシャル・アサルト・スクール」へとたどり着く。しかし、彼は参加者としてではなく、その卓越した技能を認められ、同校の「教官」となった 2。1991年、並木書房は彼の体験をまとめた『傭兵修行―世界に冒険を求めて』を出版した 15。この本は、ジャーナリスト的な参加者として訪れた高橋氏の視点とは対照的に、組織のスタッフとして完全に内部に溶け込んだ日本人の視点から描かれた、ユニークで並行する報告となっている。
高橋氏と毛利氏の物語は、このアメリカのサブカルチャーに対する日本人の二つの異なる関与の形を象徴している。高橋氏は、体験し、記録することを目的とした「観察者・記録者」であり、その役割は本質的にジャーナリスティックであった 14。一方、毛利氏は、その世界を報告するだけでなく、自ら生きることを目指した「実践者・求道者」であり、その目標はプロフェッショナルになることであった 2。並木書房がほぼ同時期に両者の著作を出版したことは、同社が、体験談を読んで楽しみたい「 armchair enthusiast(安楽椅子探偵)」層(高橋の読者)と、自らもそうなりたいと夢見る層(毛利の読者)の両方を読者層として認識していたことを示唆している。二人の本は、日本の「傭兵ブーム」が内包するファンタジーの全スペクトラムに応えるものであった。
著者/翻訳者
年
関連性
Merc: The Professional
1990
キャンパー自身の傭兵としてのキャリアを語り、日本での彼のペルソナを確立した 9。
LRRP: The Professional
1990
ガンダムの脚本は無理ゲーを強いられており、今後も視聴者に袋叩きにされ続ける貧乏くじの役割です。成り立たせようがない矛盾を矛盾させないことを強要されてます。
女児向けアニメでもジャンプ漫画でも見受けられるけど、呪いや悪霊や妖怪など人間以外の存在と戦ってお祓いをして地元の治安を維持する系(スピリチュアル自警団とても言えばいいのか?)は、おもちゃ販促と非常に相性が良い。
呪われて奇行に走っていた人を解呪してあげることで本人も周囲も救うような建付けなので、主人公が持っているアイテムを模したおもちゃも自動的に正義に分類できる…というか配慮対象がいらない。
ミニ四駆やベイブレードや遊戯王カードなどでキャラクター同士が勝負をしているアニメ、キャラクターたちと同じおもちゃを買って自分と友達も遊ぶことができる、という建付けも非常に相性が良い。
物語はこの勝負に勝つこと、このトーナメントで優勝すること、などを目標としている。甲子園を目指す野球漫画のように非常にわかりやすい。
水星の魔女が決闘だけやっていたり、ジークアクスがクランバトルだけやっていたらこの方向性に近かった。違法賭博は伴うが。
ダリルバルデやギャンは活躍したから欲しくなるが、人を運搬しただけのデミバーディングや、棒立ちで死んだハンブラビは活躍しなかったから欲しくならないと叩かれる。この、「好感度を維持しながら活躍する機体」を用意する難度が異常に高い。
兵器の活躍となると殺し合いか防衛か殺しとなる。そして大量殺戮を格好良いものとして描くと、作品の倫理観がどうなのか?ミリオタポルノ臭い軽薄な物語じゃないか?というケチがつく。
ジフレドにはニャアンが雰囲気でア・バオア・クーを消滅させたイメージが付きまとう。すごく殺人がカジュアル。でも何もできなかった機体よりは販促の観点では良い仕事をしている。
関連玩具を売らないといけない種類のアニメはストーリーと販促を両立するか、販促を優先してストーリーが犠牲になるかの二択になっており、戦争やテロを扱いながらロボットを売る場合はロボットを引き立てるために殺人は軽い扱いになる。それはどうしようもないことで、兵器のおもちゃのフェチが金を動かしているからそうなるしかないのであり、ストーリーは今後も期待できない。そもそも成り立たせようがない無理難題を押し付けられているのがロボットアニメの脚本で、今後も作られてはストーリーにケチをつけられMSが活躍していないと言われ袋叩きにされというのを繰り返すのだろうと思う。人類以外の侵略者に対して地球を防衛する…という立場をとったブレイバーンの建付けでないと兵器としての活躍の純粋な正当化が難しい。ガンダムは人と人の戦争やテロ行為を扱い続ける。これと、兵器を美しく描いて販促することの両立は、構造からして無理。「軽薄」に寄ったのがジークアクスで、軽薄にならないよう半端な努力をした結果2期の展開がモタモタしたのが水星だ。そして常に、プラモデルを売上は犠牲にできないので、倫理やストーリーの整合性が犠牲になる。シュバルゼッテの販促義務という制約の中での、ラウダの人格のめちゃくちゃさといったら…。
一般素人がラッキーでいきなり力を得る展開の説明としてロボットを得ることは向かないということを説明します。
父親が車好きなのと比べて、自分はあまり車を運転することに自由や楽しさを感じられない。機械の操縦にロマンを感じられない。
渋滞、コインパーキングが満車、月極駐車場が高い、交通事故を起こしたくないのにチャリやLUUPや子供が飛び出してくる、などなど車に付随する諸々がかなり不自由。気を張りながら運転し、終わったらどっと疲れる。
自家用車じゃなく必要なときにレンタルするものだから「専用機」でもなく毎回車両感覚がリセットされ苦労する。
機械の操縦、車の運転、というものに身体拡張の快楽を覚えられる世代や環境と、そうでない世代や環境はあると思う。
つい先日YouTubeで、北海道で軽トラを運転しているときにヒグマに襲われてフロントガラスにヒビを入れられる動画を見た。生身なら確実に死んでいる。危険な野生動物がいる地域、施設から施設までの距離が遠すぎる地域などは、車に生かされるというのは実感を伴う感覚だと思う。生身だと死ぬシチュエーションが多いので。
しかし自分が暮らしている場所は人口密集地で、日常生活においては車を停める場所に悩まされる、不自由になるシチュエーションが多い。大きな機械の操縦席で乗り回す快楽に、ロマンに、スムーズには乗れない。
ジークアクスで言うと「エグザベには起動できない」「ニャアンがコックピットから急に放り出される」といった描写に、かなりの生理的嫌悪感がある。
馬が特定の人間を嫌って、暴れて落馬させるのは納得する。生き物に好き嫌いがあることは当たり前。
ブレイバーンがスミスを乗せなかったのも、後々の説明を聞くと納得できる。エアリアルがスレッタを特別扱いするのも、姉が宿っているという設定があるからだ。
ジークアクスは生き物っぽい依怙贔屓を機械がやりながら、その説明をブレイバーンのように行うこともなく不気味なまま流される。
この気持ち悪さは許容できなかった。例えるなら「ハゲが嫌いなのでハゲに購入されると発火しやすくなるリチウムイオン電池」みたいな気持ち悪さ。
素人がチート機体に選ばれたら訓練をしなくてもいきなりオートパイロットが強力にきいてなんとかなるのが興ざめする。
いきなり動けることについて、初の巨人化したエレンが最初からヘタクソなりにまあまあ動けるのには納得感がある。肉のままの「大型化」であり、コックピットで操縦桿を握るのとは違う。またアニのように格闘術を素の状態で習得していると巨人状態でも活用できるのも楽しい。
マチュが盗んだジークアクスをいきなり動かせて勝てるのは萎える。そのままずっとオートパイロットで良いじゃん。
オートパイロットで勝手に動く優秀なモビルスーツに乗るパイロットの意味って何なんだと思う。
好き嫌いが強い機械にとっての、モチベ要員?エグザベは抜けない、マチュは抜ける、ニャアンは抜けるかなと思ったけど抜けないからやっぱポイー。みたいな気持ち悪さしかない。
「機械が意思を持ちユーザーを選ぶことへの生理的嫌悪感」でも述べたけど、本当に気持ち悪い。ブレイバーンはキモいキモいと騒ぎやすかった割に騒いだほどではなかったけど、ジークアクスの気持ち悪さは気持ち悪いと言いづらいながら本気で気持ち悪い。
ガンダムに熱中するのは個人の自由ですが、それはフェンタニルやアルコールやカフェインなどの物質依存になったりQアノンやオウム真理教その他のカルト・陰謀論コミュニティにズブズブになるより無害という程度です。ガンダムを知らない人を見下すような教養では断じてないです。
旧作ガンダムを知らないのは、単に世代が違うか、その流行に触れてこなかったコミュニティにいただけの話。サッカー選手名や野球選手名を知らないのは無教養ですか?ファッションショーに出ている服飾ブランドの名前を知らないのは無教養?いいえ、趣味の範囲です。知らないことは愚かさでも罪でもないです。ただそういうコミュニティにいないからなじみがないだけです。人の勝手です。
エンジニアの勉強会にけものフレンズやまどマギの話を持ち込んで、観ていないエンジニアが「知らねーよ」となる話が一時期頻発してましたが、いまガンダムがその枠になってるだけです。流行しているアニメの視聴がゴルフ接待のようになっている。
Qがエヴァをパクったのか、エヴァ的なスタイルは昔からあるものなのか知らないが、意図的に説明を省き解釈の余地を過剰に残すとファン同士の解釈バトルを誘発し、それを収益化するYouTuberを生む。
Qドロップも思わせぶりで行間が多い。個人的には行間が広すぎるというのは上品とも知的とも思えず、不誠実で逃げを打っているとしか思わないが、このスタイルは「解釈やさん」に役割を与えるのでXのバズやYouTube収益などサードパーティーを食わせてやったり承認を分け与えてやったりすることができる。
「解釈やさん」に多くを譲るほど、本体であるはずの作品は、単体では何を言っているのか全くわからないものになる。というより、何も言っていないのかもしれない。「解釈やさん」にアテンションを分配すること自体が存在の目的なのかもしれない。エヴァもそうだし、ジークアクスもそうだ。彼らは「解釈やさん」であるとか、「旧作オマージュ早押しクイズやさん」に活躍の機会を与えている。そのコミュニティ含めてエヴァ体験・ジークアクス体験としている。
作品単体では意味不明であり、解釈やさんの主張も作中で一言も書かれていないような内容がたくさんある。はっきり言って、統失のような解釈が山盛りに溢れている。それを包摂しているのがカラー作品のコミュニティになっている。
カラーのアニメのようなものがなく、伝統宗教も崩れると、待っているのは薬物乱用(フェンタニル中毒になると1~3年で死んだりするようだ)か陰謀論(ピザゲート事件のような現実の発砲事件も引き起こす)の隆盛であると考えると、カラー作品が主導するコミュニティは素質がある人々をフィクション消費の範囲内で包摂する「防波堤」なのかもしれない。
しかしあくまでオウムやQアノンよりマシという消極的な評価であり、カラー作品の解釈に多くの時間を費やせることが教養であるとは少しも思わない。マウントのアイテムにもならない。リストカット自慢やOD自慢のように、自慢されても羨ましくない。カラー作品の行間を噛み締めることに時間を使わないとやってられないような人生が羨ましくないんです。マシ、防波堤、必要悪、です。
正直言って、飲みながらこれを書いている。缶チューハイ、ストロング。出張先のビジホの部屋で、今一人きり。
別にそんな酒が好きなわけでもないのに飲まずにいられなかった。
スマホなんてさ、普段はダラダラニュースとか流し見するだけなのに今夜は違った。
検索欄に手が勝手に動いて、「デリヘル ○○市 とか打ち込んでんの。情けないよな、ほんと。
正直言ってこういうの自分とは無縁だと思ってたんだよ。デリヘルとか。風俗とかさ。そういうの。
そういうのはどうしようもなくモテない脳足りんが行くようなところで、別に偉そうに清廉潔白を気取ってたわけじゃないんだ。
ただ単純にそういうところに行くっていうのは馬鹿らしい。そう思って生きてきただけ。
だけど気づけばこの歳まで経験なし。所謂童貞。笑っちゃうよな、俺がそんな検索してるなんて。
で、サイトが出てくるじゃん?妙に明るい色使いのページで初回割引!だの写メ日記更新中!だの、そういう文句がギラギラしてて、もうやんなるね。
この世の諸悪の根源を煮詰めたような文言ばかりが目に入って、何度も胃液ごと戻しそうになったよ。
でも指は止まんないのな。不思議なことに。ああいうときの人間って。
俺は自分の中で先回りして相手を見下すことで、自分の弱さを隠そうとしてた。
どうせ、どうせたいした女なんか来やしないって。
やっちまったって気持ちと、なんだか変に高揚してる気持ちとぐにゃりと交わる感じ。
俺は立ち上がってベッドの傍を行ったり来たりしていた。何度も何やってんだ俺?と考えたが足は止まらなかった。
待っている間に缶チューハイの2本目を開けて飲んだ。
ドアがノックされると飛びあがりそうになった。
ドアを開けたら意外と普通の女の子が立ってた。もっと化粧バキバキの、いかにもな女が来るもんだと思い込んでいたから。
「こんばんは〜」って向こうは当たり前のように入ってくる。そりゃそうだ。仕事だもんな。
むわぁっと香水と体臭の混じったようなにおいが鼻をついて吐きそうになった。嘘じゃない。マジでそうなんだ。
酒は得意じゃないのに飲み過ぎてたんだな。だから悪いけど今日はちょっと体調が悪いから無理そうだからもう帰っていいと言ったんだ。
でも女は簡単に引き下がらない。そりゃ仕事だし、部屋に入って5分も経っていなかったと思う。
じゃあ少し待ちましょうか?なんていうわけだ。やれやれ。こっちは体調が悪いのに。その言葉を聞いて、今すぐにでもまた吐きそうになった。
いや本当に結構ですからと言っても向こうはのらりくらり。緊張しなくても大丈夫ですよ?なんて言ってくる。よく見ると目尻に皺があるし、若く見えて意外と年増かもしれない。
それでもう完全に萎えちゃってね。お金は払うから、帰ってくれと。そう伝えたんだ。
彼女はえ?って顔してさ、これほど間抜けな顔は見たことがないってほどポカンとした顔を見せてきた。俺の気分はさらに盛り下がって、もうベッドに入って眠りたかった。
次には俺の手を両手でぎゅっと握り、ベッドに誘導しようとするんだよ。それならちょっとお話しませんか?って。
俺はもうアルコールのせいで気持ち悪くなって今にも吐き出しそうになっていたから断ろうとしたんだけど彼女は強引で、結局ベッドまで行って二人で並ぶように座った。
彼女の肩が俺の肩にうっすら触れ続けるようなそんな距離感でだ。
でも俺も限界だった。早く帰ってほしかった。これ以上この空気に耐えられそうになかった。
立ち上がって鞄から財布を持ってきて彼女の前で札を出して見せた。
ごめんほんとうに吐きそうなんだ。だからこれ。彼女はそれでもしばらく粘った。ほんとうにいんですか?って何度も何度も聞いてきた。
そのうち腹が立ってきて押し付けるように金を渡すと笑顔が引きつってた。
俺はもうそれ以上は耐えられなかった。
ドアの向こうに消えてくれたことに心から安堵した。実際吐きそうだったしね。
でも一人になることで落ち着いて、気分も幾分か回復した。けどさ、それで俺の2万は消えた。
二万は消えた。
缶チューハイを飲みながらこれを書いている。ストロング。今は一人きりだ。
何だかすべてが嫌になって、今にも泣き出しそうだ