はてなキーワード:からとは
交通量少なすぎていつもこっちが青でも無視して渡ってくる人が多い道で、今回は私が停止線を通過したところで今まで横から向かってきていた歩行者もまた角を右手に通過するところにさしかかったところだったのだが、私に気づいて足の片方を前に出したところで止まった。
こういうのは怖い。渡るか渡らないか迷った末にまたいきなり、しかもまさにこっちとぶつかるかもしれないタイミングとか気にせず横断を再開してくるのではと疑わしいからだ。
その前に出した足を戻してくれれば安心なんだがなあ。そんな気配りできる人少ないよ。
私は40歳まで実家暮らしをしていた、いわゆる「子供部屋おばさん」だった。
実家は会社を経営しており貧乏でこそ無いもののそれなりに裕福で、特に生活に不自由した事は無かった。
兄妹がちゃんと会社を継いでくれてるから、私は適当にアルバイトやパートで小遣いを稼ぎながら友達と交流したり趣味を楽しむというスローライフを送っていた。
このまま一生独身かと思っていたんだけど、40歳になった時、突然「子供が欲しい! 子孫を残したい!」って衝動に駆られた。
とりあえず婚活パーティーに行ってみたけど、年齢と外見(正直、デブスのチビでイマイチ)が足かせで、ほぼ相手にされなかった。
「やっぱり無理か…」と諦めかけてたとき、ある男性と出会った。
彼は私より少し年下で背は160cm無いくらい。1hydeに毛が生えた程度だと思う。
顔は普通か中の下で高校中退のアルバイトで正社員歴無しと悲惨な感じ。
でも不思議と話が合って、付き合ってみようかなって気持ちになった
ただ、自分のことは棚に上げて言うのも悪いけど、彼との結婚には将来性に不安を感じた。
その事を同僚のパートに相談した所「結婚しない後悔より、結婚して失敗する後悔のほうがマシじゃない?」ってアドバイスをもらった。
意を決して彼との交際に踏み切り、程なくして入籍、ささやかな式も挙げた。
年齢的に子供は半分諦めてたけど、なんとこれも結婚して一年も立たずに妊娠した。
高齢出産で心配だったけど、無事に子供は産まれ、健康に育っておる。
下手したら私より懐かれてるんじゃないかってくらい。
家事もちゃんとやってくれるし、傍から見れば幸せな家庭だと思う。
しかし私も夫も社会的には非正規のままで、正社員になれる見込みは年齢的にもほぼゼロ。
今は実家のサポートでなんとか生活できてるけど、親が引退したり亡くなったりしたら、
はたして兄妹が今まで通り面倒見てくれるだろうか?(一応今の所、援助の約束はあるけど、口約束だ)
60歳過ぎてパートやバイトもできなくなったらどうするんだろう?
ちゃんと進学させてあげられる?
私は特に何も考えず進学させて留学までしてもらってるから、せめて大学には行かせてあげたい。
ハッキリ言って余裕なんて無いし、不安が尽きない。
こんな私たちが子供を産んで家庭を持ってよかったのかと、ふと、子供部屋おばさんのままひっそり生きて、
誰の負担にもならず死んでたほうがよかったんじゃないかって思う。
でも、あの「子供が欲しい!」って衝動が強すぎて、その気持ちに突き動かされて今がある。
それに従ったのが正しかったのか間違ってたのかは分からないけど
子供の学費や習い事も実家や兄妹の金銭的サポートが前提の情けない現状。
「問題が起きてから心配すればいい」って考えに切り替えたいけど、それが本当に難しい。
どうしてもレシピ通りの味がいいなら計ればいいし適当でいいなら目分量で十分(わからんなら少な目から味見でもすればいい)
包丁を使うときの最大のテーマは素材を綺麗に切ることではなく絶対怪我をしないことだ
ヤバさでいうと、明らかに
閣僚や官房長官が「外国からの選挙介入を受けている」と認めたその選挙介入の出先政党に堕している参政党のほうが上
なんで
再生の道もチームみらいも日本保守党も議席与えるのはゴメンだが
理系に進学して就職したものの当時の風潮で家庭に入らざるを得なかった母は「料理は科学や」と常々言っておった
そんなこともありレシピを見ても実験の一種と思ってみており、俺の料理スキルが高い一因になっている
そんな母は最近は政治活動に目覚めたらしく、地元に懇意の政治家を作ってそのタニマチになって変な人脈を広げておる
そのため俺が帰省するときには母にお願いすると裏の人脈でハイシーズンでもホテルの最高の部屋を抑えてくれる(オーナーが友達らしい)
別に法律自体では実写とはなんぞやなんて定義されてなくていつもの社会通念に照らした外部参照じゃないの?映画すら定義されてないようだし。
所詮知恵袋だが国民的アニメをaiで実写化したいという質問はあったし、ai 実写で検索するとご丁寧にこちらも検索の候補にai実写化ってキーワードが出てくる。
実写風というべきかもしれないところを実写と言い切っている用法はそれなりにあるってことになる。どこまが実写なのか正しい定義は変わってないのか定義自体変わってきてるのかよくわからない。
18歳で一人暮らしを始めて以来、毎日ではないもののほどほどに料理を作ってきたが14年目の今でも上達した気がしない。
特別にまずい料理を作るわけではなくそれなりに美味しくできてはいると思うが、完成物の出来云々ではなく調理過程で必要な技量が小学校の家庭科レベルから脱していなくて、料理がしんどい。
1は、毎回レシピをちゃんと見て分量をきちっと測って作る必要がある。何度も作ったことのあるものでもすぐに忘れるので毎回測っている。たまに横着してだいたいこんなもんかとフィーリングで作ると味が決まらない。
2は、自分が不器用なせいだと思うけど、野菜を「トントントン」とリズミカルに切れない。どうやったらスムーズに切れるの?左手で抑えていてもズレたり滑ったり、ゆっくり切っても厚みや大きさがまちまちになってしまう。
どうすればいいんだろう。。。
参政党が東京選挙区から来るの困るっちゃ困るんだけど、都議選世田谷からもう都議出しちゃったし、なんなら再生の道とチームみらいとか無所属連合に議席与えないで済むなら及第点くらいに思うしかない
ファッションとか化粧に対してプロフェッショナルすぎませんか❓
自分は化粧も休みの日しかしないレベルに見た目に気を遣う意識が底辺なんだけど、化粧品コーナーはカラフルでキラキラしてて見るのは好き。ツヤバース見てきた!!私1stブルベ冬2ndイエベ春だから明後日の水たまりが合うかもって思った!!こういう選びやすさが身についたのはイメコン様々だ
化粧品欲しくても冬春だから鮮やか得意なのに、薄顔で色塗るとケバくなる矛盾現象よくやっていつも買えなくて悲しんでる(笑)
なんだろうな。こんな感じで、頑張りたくても結果が出ないのが嫌で期待したくなくて、最初から諦めてる節あるのかもなー。
結婚相談所に入るかな〜が話のきっかけだったけど、これ全然自分好きじゃないし大切にできてないし、婚活以前の問題で彼氏いたことない理由な気がする。おーん😭
かわいそう…
でもそんな原作者に見切りをつけて新しいジャンルを開拓するチャンスでもあるよ
年金は段階的にベーシックインカムに移行していくための生活基盤として必要だろう
でも健康保険ってのは、健康をおろそかにして怠惰に生きてきたゴミ生活習慣の昭和人間のツケはてめーで払えってことで国がここまで手厚くする道理はないと思うんだよね
靴も揃えないしドアもバーンって閉めるし家人がせっせと炊事や片付けしてる間もリビングでテレビをガン見してるか手伝いもせずとっとと自室にこもってまたテレビ見てるだけ
自分で茶もコーヒーも入れようとせず入れ方すら分からない調べることもしないポットやペーパーが自分が最後でも新しいの汲んだり取り替えたりしようとしないあまつさえ茶の水滴を机のそこらじゅうにこぼして染み付かせてる
例え手取り20万でも働いてさえいれば家庭内では雑事を家族に押し付けてふんぞり返っていられると思い込んでる、定年して10万でも変わらず家族を奴隷扱いする、そういうゴミ価値観の昭和人間を医療面でまで甘やかす必要あるか?
社会が血税を費やしてでも手厚く守るべき尊敬すべき高齢者については何も言わんが、世の中には尊敬に値しないゴミ価値観を内包した平凡な高齢者の方が圧倒的に多いだろう、そういうのはくたばるチャンスにくたばれるようにすべき
とにかく高度経済成長期に生きてた老人が抱え込んでる財を還流させないと若者が割を食い続けるし、過剰医療のせいで還流チャンスを先送りにしてたらダメだろう
IQ130超え、全人口のうち上位2%のIQであることが入会条件の団体、「Mensa」に入ってみた。
あまりにも生きづらく発達障害を疑う声も多かったので、WAISを受けてみた。一つだけ”異常”が見つかった。Mensaに入れる程度に、IQが高かったのだ。「IQが高い」「生きづらさ」で検索してみると、Mensa内で活動している自助グループのようなものが見つかったので、入会してみることにした。会費、安いし。
最初は、イベントへの参加も戦々恐々だった。高IQの人々が知力でマウントを取り合うような環境を想像していたのだった。だけど、予想とは全然違った。
最終学歴も職業も収入も、けっこうバラけている。そうはいっても、大卒やブランド大卒やコンサルや高収入者の割合は、世の中全体に比べれば高いようだ。とにかく、そういうことを自慢してマウントを取り合うような人々は見あたらない。いるのかもしれないけど、目立たない。
会員だけの集まりで、よく耳にするのは、「人口の2%だなんて、天才にしては多すぎるし、ギフテッドと言われてもね」という発言。会員のほとんどは、選ばれた何かだなんて思ってない。体重は、多いからといって喜べるものではない。身長も、高すぎれば服の選択肢が減るし、頭をぶつける機会が増える。それと似たような捉え方に見える。
IQが高いメリットを享受していると言える人は、意外に少ない。知力で勝負するタイプのテストでは、確かに不利にはなりにくい。だけど、難関校に進学したり競争率の高い就職先に就職したりしたら、周囲に似たような人が増えていく。その中で競争したり生き残ったりしていくわけだから、有利だと感じる場面は減って当然だ。
IQが高いことのメリットを享受したいと考える人たちは、いることはいる。だけど多数派ではない。
Mensa会員の中には、発達心理学や教育学のプロもいるし、特別支援教育に携わる専門職もいる。IQが知力のごく一部だけを測定している非常に不完全な尺度であり、活用には慎重さと注意が必要であることは、その人々がよく知っていて、周囲の会員に語ってくれる。そもそもIQは、要支援の知的障害者を発見して適切な支援を行うために開発されたものであるらしい。その目的のためには、確かに有効だということだ。だけど、高い側はどうなのか疑問が持たれていたりもするらしい。IQが70だと、100の人々の中では不利になる。でも、30多くて130だと同様に100の人々より「有利」とは言えないらしい。それは、実感ベースで納得できる説明だ。
Mensaの中で時々目立つのは、IQが高いゆえの生きづらさの共有。近年は、公立学校でも「浮きこぼれ」「ギフテッド」を疎外しないようにという動きがある。だけどそれ以前、高IQの子どもたちは辛い思いをすることが少なくなかったようだ。
子ども時代に高IQであることが判明した場合、「勉強させない」「進学させない」といった方向の圧力が家庭から加えられることも少なくなかったようだ。背景にあるのは、親の嫉妬や劣等感、家業を継いでもらわなくては困るという思惑など。また高IQが学業成績に結びつかなかった場合、その子のIQを知っている教師が低い評価をすることもあったようだ。そのような語りが漏れると、他の会員から「私も」「そういう話は他でも聞いたことが」といった共感や理解が語られる。私も同感だ。というより、私と同じような経験をしてきた人々が周囲にたくさんいるという経験は初めてだ。
入会して数ヶ月間、いろんなイベントに参加して社交を楽しんでいるうちに、2つのことに気がついた。
まず、Mensaの実質的な役割の一つは「ピアサポート」、仲間による支え合いだ。
障害者の世界でもフェミニズムの世界でも、「ピア」の力は非常に重要視されてきている。精神科入院患者が異様に多い日本の状況を解決する方法の一つとしても、「ピアサポート」は注目されている。地域で生活するにあたって、輪別と闘うためにも差別的な社会と折り合っていくためにも、仲間はいたほうが良いに違いない。
身長が高かったり体重が多かったりする人々のために専用のファッションサイトがあるように、おそらく、高IQの人々にも何かが必要なのだろう。そして、まずは同類で集まってみることが大切なのだろう。
人口の2%だから、100人いれば自分以外にもう1人いるかもしれないけど、その1人と仲良くなれるかどうかは分からない。
1000人いれば、自分以外に19人いそうだが、その19人をどうすれば見つけられるのか。
同じ特性を持った人々の集まりがあり、そこに数千人が集まっていれば、同じ高IQという特性を持ち、気が合ったり話が合ったり共に活動出来たりする人を見つけられるかもしれない。
今のところ、私にとってのMensaの意義は、そういうところにある。
次に、Mensa会員になると「多様性」について考える機会が増え、「多様性」を大切にしたくなるかもしれない。「IQ130以下の人がいない」という意味で多様性が阻害されている団体であるゆえに、逆説的に。
「ダイバーシティー」とも呼ばれる「多様性」は、もちろん大切なのだろう。だけど、どうすれば実現できるのか? どのような人がいても「共生」できるという世界は、本当に実現することができるのか? 人間は、多様性が尊重されて全ての人が共生できるユートピアを作って維持できるほど賢明なのか?
人間はおそらく、完全な多様性には耐えられない。処理しなくてはならない情報が多すぎて、人間の能力では処理しきれなくなる。言語も価値観も見た目も違う人々が、旧約聖書のバベルの塔のようにゴチャ混ぜにされたら、多様性を尊重して共生するというわけにはいかないだろう。そのヴィジョンを共有することすらできないのだから。
そこにいる人々が処理できる範囲まで多様性を減らさないと、共生はできない。だけど限定付きの共生を実現しながら、各個人や各社会集団が処理できる情報量を少しずつ増やしていくことはできる。その延長に、いつか多様性を喜び合う共生社会が実現するかもしれない。多様性の「限定解除」だ。といっても、向こう数十年や数百年では無理そうだし、その前に人類滅亡という成り行きもありそうだけど。
高IQ集団の中で多様性と共生を経験した会員たちの中には、IQではなく別の何かで多様性を減らした別の集団の中での多様性や共生を自然に実現する人々が、一定の割合で現れるだろう。他の特性や志向性を持った人々の集団、たとえばフェミニストやLGBTQや障害者の集まりからからも、そういう人々が一定の割合で現れてきたのと同じように。その人々が少しずつ世の中を変えていく成り行きには、希望を託してよさそうな気がする。
誰もが、自分が持って生まれるものを選べない。時代も親も家庭も性別も選べない。与えられたものを使って、試行錯誤を重ねていくだけだ。そして、「選べない」ものが不幸をもたらすことは、誰もが選べない以上は避けようとするのが人道だろう。
「生まれた後なら選べるものもあるのだから自己責任」という考え方もあるけれど、自己責任のもとで何を選ぶことができるのかを含めて、あらゆる人が実は狭い選択肢しか与えられていないのだと思う。せいぜい、「今日、昼食に使える200円の範囲で、コンビニおにぎりの何を選ぶか」程度の選択肢だ。
選べない中で、選べるものは選び、小さな満足や達成を積み重ねていく。誰もが、そうしている。高IQでも、そういうふうに生きて悪いわけはないはずだ。
自分と共通するところのある人々との出会いや交流の中に閉じこもってしまうのは、どういう共通点があっても良くない。だけど、仲間とのつながりは必要だ。高IQだからといって、「私は一人ではない」と実感してはならないはずはない。
私は、持って生まれた高IQという特性が自分を不幸にせず、結果として自分の周囲の不幸も減らせるように、Mensaと仲間たちとの出会いを活かしていきたい。
べつにどこに住んでても基本無料ですんごいコンテンツが無数にある時代なんだから文化的な充実度は変わらないと思うけどな
都内まで1時間未満、その駅から徒歩1分、2LDK、南向き、駐車場付き(車持ち)、オートロック、宅配ボックス、ゴミ出し24時間、鉄筋鉄骨で人の気配なし(電車の発車音はよく聞こえる)、管理費駐車場込み家賃10万円、コンロ3口、身長よりデカい400Lクラス冷蔵庫、さらにセカンド冷凍庫、ドラム乾燥洗濯機、スーパー・コンビニ・ドラッグストア・ファミレスが複数件目の前、電車通勤でなく車通勤で満員とも渋滞とも無縁、週末空いた電車で都内に遊びに行く
ええやろ、真似してええで
ここ選んだ決め手や
一人暮らし犬飼いは正直かわいそうやけどワイのお気持ち優先して1部屋丸ごとあげてゴールデンレトリバーとか飼おうかと思っとる
あと日本はNPT核拡散防止条約にも入ってるのでそれを脱退せんといかんくなるわけだが、そうなると各国からの信用を失う、というより過剰に警戒されてしまう可能性が十分にあるので経済面以外で払うコストも非常に高い買い物になる。
話題性十分な洋画は結構入ってきてるが、極地的バイラルヒットや旧作アメコミヒーロー等のリメイク作品が多く、またシリーズ作品の製作期間長大化もあって新しい作品のヒットみたいなのはなかなか肌感覚としては減っている印象がある
これは洋画に限らないけど中心的メディアの消失(=視聴者・読者の分散)によって大ヒットという事象自体の訴求力が低減してて、売上ベースのランキングも同じく実感の湧かなさが顕著である
アーカイブされてました
https://web.archive.org/web/20250716142047/https://anond.hatelabo.jp/20250715202628
以下引用
日本推理作家協会の会員名簿が参政党のDM配りに利用されて、日本中の推理作家の家にアジビラみたいなハガキが届いてちょいとした騒ぎになっている。
当該の参政党員はれっきとした日本推理作家協会の会員だった。推理小説家ではなく、それどころか作家ですらないにもかかわらず、だ。
なんでそんなのが協会に潜り込んでいたのか……という話の、前日譚を知っている範囲でちょこっと。
日本の推理小説界はけっこう格差・断絶があって、「権威があるとされる新人賞(例えば江戸川乱歩賞とか鮎川哲也賞とか……)から出てきた人」「信頼に足るとされるいくつかの版元から継続的に新刊を出せている人」とそうでない人で、批評筋の、版元の、読者からの見方・信頼度が歴然と異なる。なんとなく「保守本流の人」か「そうでない外様の人」という分けられ方になり、「外様の人」だと見なされると年末の各ランキング誌で上位に行くのが難しくなったり、文学賞にも名前が挙がりにくくなったりする現状がある(そうしたものの投票や選考に関わる人たちはまず「保守本流の人」から見ていくので)。
勿論、それはいわゆる「業界内の評価」「オタクからの評価」だったりするので、実はトータルの売上は「保守本流の人」より「外様の人」の方が多かったりする。
だから時に、「俺の方が売れてるのに業界の連中は評価してくれない!」とコンプレックスに感じて病んでしまう「外様の人」が居る。
そういう人たちは、たとえば本屋大賞周りの書店員さんと仲良くしてみたり、推理小説界からは距離があるインフルエンサーの人に接近するなど、「俺の方が人気あるもん!」を強化する方向に走ったり、あるいは本人の得意分野でもないのに業界内ウケのために無理して「保守本流」っぽい作風に挑戦して玉砕したりと迷走してしまって気の毒なのだが、今回はそんな「外様の人」のひとりの話。
その人は今、推理作家協会の理事を務めてらして、その人を中心になんとなく「外様の人」の若手中堅のクラスタがあったり、協会内に年次で区切った「若手部会」をつくって自分がそのリーダーになろうと動いたりと(このあたりは人づてに聞いた話なので間違ってたらごめんね)、非常に精力的に活動されていた。……というか、どうやらその方は保守本流vs外様のヒエラルキーを、自身が代表理事にまで上り詰めることでぶっ壊してやりたいという野心をお持ちらしい。
推理作家協会の理事は会員による互選で、もちろん求心力のある人気者、しっかりした肩書のあるベテラン・実力者が選ばれる。それから、あまりいないけど「やりたい!」と手を挙げて積極的に票を取りまとめた人。
だからなんとなく派閥を分けるとすれば「保守本流の偉い人たち=複数の文学賞・新人賞で選考委員を務めるなど影響力があり尊敬されている新本格第一世代やそのフォロワー世代の人」や、「推理作家協会が主催する江戸川乱歩賞出身の、いわば『生え抜き』の人気者・実力者の人たち」が優勢というか、多数を占めることになるので、「外様の人」から理事になっても結局は少数派になってしまう。
だから――なのかは知らないが、その理事の方と周辺の数人の「外様の人」たちが音頭を取って、推理作家でない人の新規入会をどんどん増やすようになった。
日本推理作家協会への入会は、一人の理事ともう一人の会員、計2名からの推薦が要件となっている。その先に理事会での承認という行程があるが、ここで弾かれることはほぼほぼない。
本来なら20人とかしかいない、しかも大物ばかりの理事から推薦を取り付けるのが関門になるのだが、理事の側から「入りたいって言ってくれてるならどんどん新しい人を入れていこうよ!」と旗振りしているならハードルはぐっと下がるのは言うまでもない。
くだんの理事氏とその周辺の人たちはここ数年、異業種交流会などを通じて知り合ったジャンル外の人(たとえばそのジャンルの作家団体が確立していないファンタジー系の人とか、推理小説界隈の人と仕事したいと思ってくれている映像系やイベント系の人とか)などに声がけして、次々に推理作家協会員に推薦し入会させてきた。
これ自体は決して悪いことではないし、正規の手続きを踏んでいるのだから非難されることではない。
協会に入っておけば、文芸美術健康保険の加入資格が得られたり、業界内のパーティ・イベントに出やすくなったりなど、フリーランスでお仕事をしている人にとっては有利なことも少なくないので、入会したいのにツテがなくて困っていた若手作家さんなど、助かった人も多いはずだ。
ただ、そうやってジャンル外の人をどんどん入会させようとする彼らの動きを「推理小説界にしがらみのない、自分たちの意向通りに動いてくれそうな人をたくさん入会させて子飼いにし、自分たちの発言力を高めようとしているのでは」と邪推する人もいて……正直、筆者もそうなんじゃないかと思っている。アレですね、ハンター協会におけるパリストンの立ち回りですわ。
試しに推理作家協会のホームページに飛んで、ここ一年ほどの新規会員の「入会の挨拶」を見ていってほしい。
http://www.mystery.or.jp/search/article/?cid=9
メインの肩書が「推理作家」でない人の殆どが、特定の理事・会員の推薦で入会していることに気づくだろう。それも、けっこうな数の人が。
そう、その「同一推薦者による大量の新規入会者」のひとりが今回の参政党員氏なのだ。
http://www.mystery.or.jp/magazine/article/839
これだけの人数の、言い方は悪いが「推理作家の団体に入会させるべき、推理小説賞の受賞などの客観的な実績があるわけでもない人」をどんどん推薦していった会員、そしてそれをどんどん承認していった理事会は、果たして公正で十分な審査を果たしたのかという責任追及の声は上がるべきだと思う。
そもそも今のご時世に「入会さえすれば、東野圭吾の住所も京極夏彦の住所も書いてある個人情報の塊の冊子が毎年貰える」という、あまりにガバガバな運用を考え直す時期が来ているはずだ。
いやー、まいったね。