
はてなキーワード:あいまいとは
クマが各地で出没している原因に
①ナラなど実のなる木の不作
②イノシシの増加で、クマが好物の栗やドングリをイノシシが食べ尽くしている
③クマの楽園であるはずの国有林で、スギやヒノキの造林のため、ブナやミズナラといった実のなる樹木が伐採されてしまった
④これまでは生肉を食べていなかったツキノワグマの食性が変わり、わなにかかったシカを食べるようになった
⑥中山間地域で空き家が増え、クマはそこを冬眠場所に利用している
⑦メガソーラー(大規模太陽光発電施設)の開発が広範囲で進み、”里山が崩壊した”
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a7c410927697294ba3f7b044ef99aa086c10b64
幼馴染の友人の話をさせてほしい。
友人、増子と出会ったのは小学生の時。同じクラスで漫画やアニメが大好きなオタク同士、すぐに意気投合した。
同じ中学に進み、二人で美術部へ。オタク女子として二人そろって腐女子になり、毎日推しカプトークに勤しんだ。交換ノートはイケメンキャラの模写で満ちていて、絵を描く楽しさに目覚めたのもこの頃だったと思う。
自然と二人で漫画家に憧れるようになった。イケメンがたくさん出てる漫画を描きたい、それがアニメ化したら最高だね。漫画家になるには絵がうまくないと。じゃあきっと美大に通った方がいいね。二人で通えたらいいね。そんな話を増子とした。
結果として増子は美大に行かなかった。行けなかった。
親が厳しく就職ができなさそうな大学に行かせる気はないの一点張り。一方自分の親は子供がやりたい事を自由にやらせたいがモットーで、特に何の問題もなく許可が出た。
二人で美大に行けなくなったのは残念だったが、少し優越感を覚えた。自分は特別な人生を選ぶことを許された側なんだと。
高校は増子と違うところへ進学した。
画塾に通い始め本格的に美大受験への準備を進めていく。楽しい事ばかりではなかったけれども、好きな事を武器に大学へ行くという希望の前では、その辛さだって耐えられる。受験も忙しくなり漫画やアニメもあまり観なくなったし、増子とは話す機会もなくなっていった。次に彼女と会ったのは美大生になってからだった。
増子とは大学に進学して数か月経ったくらいでお茶の約束をした。増子は受験が大変だったこと、今は親に勧められて資格勉強を始めたことを話してくれた。堅実な人生設計を語る増子に、自分はやはり一般的な社会人人生を選べそうにない、増子が羨ましい、と告げた。羨ましいのは本当だったが、自逆風自慢も入っていたのは真実だ。
帰り際、増子から大学生になり自由時間も増えたので同人活動を始めた、とTwitter・Pixivの交換を求められた。
家に帰り、ROM専として使用していたPixiv垢から増子へマイピク申請をしたら愕然とした。ヘロヘロの線で描かれた下手くそなイケメンキャラ達。中学美術部の画力なんて大したことないのは知っていたが、少なくともあのころは私と同じくらい描けていたはずだ。美大受験を経たことで私の方が圧倒的にうまくなっていた。
増子がオリジナルの漫画も描いて出版社に投稿したが箸にも棒にも引っかからなかったと言っていたのを思い出したが、こんな絵では当たり前だ。友達だから伝えなかったがはっきり言ってへたくそだった。
Twitterを開くと増子には崇めている同人作家がいるようでしきりにその人のイラストを神絵と褒めていた。自分からするとぱっと見の線だけ綺麗だがデッサンが崩れており何がいいのかわからない。
もう美術部だったころの私達には戻れない、と寂しい気持ちになったものの、同時に意地悪な気持ちも目覚めてしまった。すぐに中学時代に増子とはまっていたアニメのキャラのイラストを描いてPixivに投稿。増子が描いた流行りのBLカプを題材にした漫画より、自分の懐かしアニメの一枚絵の方が閲覧数もいいね数も圧倒的に上なのを見て満足した。
当の増子は私のイラストも神絵と褒めてくれたが、デッサンの狂った同人作家を褒めた同じ口で褒められたのは正直イラっとした。
高校の時に忙しくなって卒業した漫画やアニメはそのまま再熱することもなかった。私の周りの人たちだけかもしれないが、結局漫画やアニメは「サブ」カルチャー。漫画なんてわざわざ美大を出る必要のない画力で成り立つし、それを享受する読者は美術がわからない一般人。編集部にこき使われるブラックな職業、という風潮。
それに進学してわかったことだがそれなりの美大を出ていればそこそこ安定した職だって得られる。なのに漫画なんて水商売を選ぶ人間は馬鹿のやる事だ。増子がゴミみたいな同人作家を褒めるのを目にしていた私もその気持ちは理解できたし、就職は漫画もアニメも関係ないデザイン会社へと決めた。
親は大喜びだった。子供には好きなことをやらせたいと美大進学を許してくれたが、内心不安だったらしい。会う人全員に娘は美大卒でデザイン会社で働いている、と自慢をしていた。
美大受験の時と同じく、デザイナーだって楽しいことばかりではない。それでも自分の腕一本で生活費を稼げているというのは自分に自信を与えるのには十分だった。
ふと、増子が気になり彼女のTwitterを覗いてみた。名の知れた企業に入ったと風の噂に聞いていたが毎日ノルマに追われ、パワハラ上司からの𠮟責も多く、大変そうな様子が見て取れた。その時、自分だけ美大進学を許された時と同じ優越感を覚えてしまった。
自分はこれからも好きなことで食べていく、増子は好きでもないことに一生疲弊して生活費を稼がないといけないんだ。
それから数年後、中学時代の同窓会が開催された。増子とは大学生以来会っていないが、その他の友達も長い間連絡を取っていない。何をしているんだろうとワクワクしながら出席をした。
当時の友達は皆自分とは全く違う道を選んでいた。銀行員、NPO職員、営業職…。なんだか難しそうな世界だ。そういえば増子は今何をやっているんだろう、まだノルマに追われているのかな、と思っていると急に「漫画家になった」と言った。同人活動を続けていく中でスカウトされ、連載が軌道に乗ったところで会社は辞めたらしい。親は泣いていたけれどもアニメ化も決まったんだ、と増子は笑顔で述べた。
周りがざわつき始め「おめでとう!」と増子が祝われる。それはそうだ、業界が違う人間の仕事内容なんて説明されても正直よくわからない。私だって銀行員の仕事内容はわからなかった。でも素人にも漫画家は何をやっているか想像がつくし、アニメ化で拍がつくのも理解できるらしい。
私ちゃんと増子ちゃんはクリエイティブ業なんだねと同級生の一人から言われ、あいまいにほほ笑んでおいた。増子と同じにしてほしくないと本気で思ったが、友達の前で言うことではないのはわかっていた。それでも少しの意地悪心が抑えきれず「最近はAIで漫画描かれてて大変らしいね」と言ってしまった。
笑顔で皆と別れた後、本屋へ寄って増子の言っていたタイトルの漫画を探す。アニメ化の棚のところにちょこんと置かれているのがみつかった。ゲボが出そうになった。
ふ ざ け る な !
増子の絵は相変わらずへたくそだった。以前よりは上達しているがデッサンも何もなっていない。これで漫画家として食べているなんて甘えている。同級生の皆もそうだ、この程度の絵を描く人間と私を一緒にしないでほしい。何がおめでとうだ。私は死ぬ思いをして絵を描いてきた。画塾が辛くても泣きながら通ったし、講評に怯えながら作品制作をした。就職だって一般大学生より大変だった。
ぬくぬくと安定した正社員の職を得ながら趣味で描いたようなクソ漫画でクリエイターを名乗るな!
怒りが収まらず単行本は買わないまま帰宅したが数日経つと少し落ち着いてきた。
増子の漫画が電子コミックサイトで無料立ち読みができることに気づき、気まぐれで読んでみることにした。もしかしたら話は面白いのかもしれない。
これも結論から言うと面白さが理解できなかった。それどころかへたな絵と意味不明なストーリーで漫画家を名乗る彼女にさらに苛立ちを感じ、口コミで最低評価を押しておいた。
でもあれから少し経った今となって思う。
増子の絵はへたくそだ。でも漫画家になってアニメ化をするという幼い頃の夢を叶えた。
私は漫画家になる夢の過程として美大へ進学して、その後他の目標をみつけ方向転換をした。自分の選択に悔いはないが、子供の頃の夢を叶えられなかった側の人間だ。
思い返すと美大は変な人間がたくさんいた。その中には別の道を進んでいたはずなのに、神の手に導かれるように違う道に進まされ「何か」になってしまう人間がいる。
美大に入ってすぐ自分はそちらの側の人間でないことを思い知らされた。私は美術を嗜んでいるだけの普通の人だ。
そして、漫画というフィールドで増子は「なってしまう」側の人間だった。
親に反対され一般の大学に入り、安定した職業を選んだ。忙しい間に同人活動を続けて漫画家デビューを果たした。スカウトで目に留まることも、そこから連載を勝ち取ることも、人気が出てアニメ化まで進むことも運の要素が絡んでくる。でも彼女はその運をつかめる人間で、漫画家になってしまった。
と、ここで夢に破れた自分を憂うのであれば綺麗な物語だが、結局これは現実だ。
漫画の世界だったら私は美大進学をしたものの、ものづくりは好きでないと気づき美術の道を諦める。増子のアニメは大ヒットし国民的漫画家として悠々自適の生活をする。
でも現実の私はやっぱりものづくりは好きだし、自分の選択が間違っていたとは思わない。今さらお堅いサラリーマン生活なんてできるとは思わないし、今大学生に戻ったとしても、漫画家は目指さない。
増子のアニメはたいして話題にならないまま終わった。今も細々と漫画家を続けてているらしいが、大ヒット漫画家にはなれないまま毎日の生活費を稼ぐのみらしい。
結局私は何かになれなかった人間だ。もし自分が増子の立場だったらものづくりを仕事にはできなかったと思う。
増子はなってしまう側の人間だ。でもこれからもへたくそな漫画を描き続けるだろうし、中学時代に語ったような大手雑誌に載っているイケメン漫画は一生連載できないまま終わるだろう。
夢を叶えた友人が、羨ましいもののああはなりたくはないなと思った。
熊が増えたかどうかは問題ではなく人里に降りてきて人を食い殺すようになったことだけが問題です。増えても山にこもって人を殺さなければどうでもいいのです。
堅果(ドングリ類)の不作・食料不足 — 秋にブナ類などの結実が不作だと、森に食べ物が足りず人里へ下りてくる個体が増える。これが大量出没の大きなトリガーになっている。
狩猟者・狩猟圧の減少 —全国的に猟師(狩猟者)が減っており、人為的な個体管理(捕獲圧)が落ちたことが個体数増加の一因と指摘されている。
里山・中山間地域の衰退(過疎化・高齢化・耕作放棄) —人間の里山管理が弱まり(人の出入りや耕作が減る)、クマが利用できる生息域が拡大したり、人里との境界があいまいになった。
食べやすい作物や放置ゴミなど“人の資源”の利用 —トウモロコシ等の作物・家庭ゴミ・放置物が秋の「端境期」に魅力的な餌となり、被害や出没が増えやすい。
気候変動・森林環境の変化 —気候変動や林業・土地利用の変化が樹木の結実パターンや餌資源を変え、間接的に出没傾向に影響している可能性がある(研究・報告で指摘)。
要するに気候変動や森林環境の変化と過疎化が原因なので、人が毎日のように熊に食い殺されるのをどうにかしたければ原因が何であれ射殺するしかありません。
射殺しなければ引き続き食い殺されるのを放置することになります。そうすればさらに過疎化が加速し、熊の領域は増えることになるでしょう。馬鹿が。
参照する必要はそのころなかったんじゃない(36条改正)あと36条の「絶対知ってる筈の先行文献の記載が欠如している」だけでは拒絶理由にならへんやろ
(実施例欠如とかあいまいとか、もっと重い36条はちゃんと存在するし、hanabiの開発に小川がいたならペナルティは重くなるが。)
前記処理手段は、前記タッチパネルに文字の属性情報を複数表示し、
複数の前記属性情報のうち一つが押圧された際には、押圧された属性情報の上下左右であって他の属性情報に重なる位置に、当該他の属性情報の重なった部分が隠れるように、押圧された属性情報に基づく詳細情報である文字を表示し、
一の押圧動作が開始した位置の位置情報から一の文字の属性情報を特定し、
前記属性情報のうち一つが押圧された後の押圧位置の移動距離が、
一定以内であれば、このことを判断基準として属性情報である文字を確定し、
ざっとみて語尾がシステムなのと、アルファベットとの切り替えができること、また配置に隙間がない(他の一次キーの上に二次キーを即座に表示)あたりがあたらしいかな
ハナビ
【請求項1】タッチパネルへの複数のキーの表示手段と、表示したキーの1個に5個のかな文字を順序づけて対応させるキー定義手段と、操作開始時の操作点の座標と各キーの表示領域とを対比して選択されたキーを認識するキー認識手段と、操作開始点に対する操作点の移動方向とキーに定義された文字の順序とを関連づけた順序定義手段とを備え、操作開始点の座標に基づいて五十音配列の行を選択し、操作開始後の操作点の移動方向に基づいて五十音配列の段を選択することを特徴とする、かな文字入力装置。
iPhoneって電話だから入力装置じゃないんだよなぁ せめて入力可能な端末装置とかにしろ(いや電算機系の基準がそのころおかしかくてモノ特許しかうけつけなかったとか事情がありそうだけど)
これならいくらでもAppleは日本への課金から逃げることができるように見えるぞ
まあ日本の法制度って『一人、本当の犠牲者がでてから、「ほらみろどんだけデカイサカナを失ったか」ってあげつらって反省に立脚して法改正させる』が多すぎるんだよね
AIの推進派は「和製グーグルがないのはなぜだ」が合い言葉だった(けどAIも結局日本はもうけ<被害)し、
そういうのが「地道」で「堅実」なんだろうけど損してるよなぁ
hanabiもうまくやったら小川の上をいけていたかもしれないけど、
学者さんやらITさんってそういうのヘタなんだよなあ。
まあオレもいざとなったらウシジマくんなみの活躍ができるかっていうと、
某巨大企業の法務部なみの経験値がないと(あっても)無理だけど。
そういう意味では小川はファウルに見える玉でもちゃんと拾いに行って費用と手間暇かけて特許にして、
日本の国益被害の拡大をふせいだんだから手柄をみとめればいいじゃんとおもう
•東京が22人
•大阪が14人
•北海道が8人
•沖縄が3人
こうすると合区もなくなるし、変に広い選挙区を回る必要もない。
しかも一票の格差も1.1倍未満に収まるらしい(今は2.06倍)
今は465人いるから、いきなり半分以下にするのは反発が大きいだろうから、201人×2=402人とかが落としどころかな。
1.北海道:16
2.青森県:4
3.岩手県:4
4.宮城県:8
5.秋田県:2
6.山形県:4
7.福島県:6
8.茨城県:8
13.東京都:44
15.新潟県:8
16.富山県:4
18.福井県:2
21.岐阜県:6
25.滋賀県:4
26.京都府:8
30.和歌山県:4
32.島根県:2
34.広島県:8
35.山口県:6
36.徳島県:2
37.香川県:4
38.愛媛県:6
40.福岡県:16
41.佐賀県:2
42.長崎県:4
43.熊本県:6
44.大分県:4
45.宮崎県:4
46.鹿児島県:6
47.沖縄県:6
合計402人
追記:
多くの反響に驚いています。ありがとうございます。
そもそも定義もあいまいなまま書いてしまい、すみませんでした。数字も怪しいので日本ファクトチェックセンターあたりに見てもらいたいです。
感謝の気持ちを込めて、ここまでのブコメ123件についてまとめました。
「過疎の自治体が見捨てられて、人口の多い東京中心の政治に偏ると思う」「これやるなら地方分権の強化、地方税と国税の比率も劇的に変えないと」「一極集中を加速させないか?」「国会議員の数を減らすなら地方に権限を移譲するのセットにしないと」「地方活性するために都市部を減らして欲しい」
「面積で考えた方が良い」は4件
「増田案に賛成」は4件
「議員数を減らすな」は2件
「定数増やそう」1件
「道州制にして各州が面倒を見る」1件
といったところでした。
このような議論、自民党は黙殺するだろうけど、「チームみらい」あたりに国会で取り上げてもらえたら面白いなと思っています。
…と思ったら安野さんがXでご自身の意見を書いておられました。
https://x.com/takahiroanno/status/1979486634887496113
安野さんは議員定数の削減に反対とのことです。
・定数が削減されると、チームみらいのようなベンチャー政党が生まれる余地が減る
(現状でも、日常的に政治家とコミュニケーションを取っている人は少ない気が…)
といった点を挙げられていました。
Permalink |記事への反応(19) | 08:55
闇に包まれた夜の静寂の中、彼の息吹が私の秘所に柔らかく降り注ぐ。
舌先の優しい波紋が繊細な肌を撫でるたび、私の内部に小さな星々が瞬き始める。
****
彼の口がゆっくりと探ると、突起はまるで夜明け前の氷結した蕾のように、驚くほどの硬さで高鳴りを刻む。
その冷たさと温もりの混ざり合いが、身体の奥底で新たな銀河を描き出す。
****
微かな汁がちらほらとこぼれ、私の肌を濡らす。
甘美な疼きが脈打つ度に、呼吸は詩となり、鼓動は無言の賛歌を奏でる。
****
彼が繰り返し愛撫を重ねると、快感の渦が私を包み込み、時間はゆっくりと溶けていく。
私はただその波間に漂い、深い陶酔へと身を委ねるしかなかった。
彼の舌がゆっくりと秘所の奥を探り抜けると、さらなる禁断の領域が静かに呼び覚まされた。
そこは言葉に触れられない神聖な場所――私がまだ知ることを許されなかったもうひとつの扉だった。
****
最初に触れられた瞬間、身体中に電流が走るような衝撃が走り、私は思わず声を詰まらせた。
恥ずかしさと無垢な好奇心が入り混じり、呼吸は浅く、心臓は高鳴り続ける。
****
小さな震えが波紋のように広がるたび、私の内側で新たな快感の海が生まれていく。
恥じらいの赤みが頬を染める一方で、身体は抗うことなく甘い陶酔へと溺れていった。
****
その強い波に押し流されながらも、私はこの未知の悦楽を愛おしく思う自分に気づいた。
恥じらいと歓喜が同時に胸を締めつける中、深く震える身体が彼の鼓動に呼応し、夜はさらに深い闇へと誘われていった。
かつての私なら信じられなかったその行為も、今はためらいなく受け止める。
****
唇を湿らせ、私は彼の蕾をそっと包み込む。
その柔らかな質感は、自分の内側に響く共鳴のように、深い震えを呼び覚ます。
****
舌が描く細やかな円環は、まるで新たな宇宙を紡ぐ筆跡のように滑らかで、
彼の蕾は戸惑いと期待を秘めたまま、私の熱に馴染んでいく。
****
未知の快楽を貪るその瞬間、私の心は無数の星々とともに煌めき、夜はさらに深い祝祭へと誘われる。
二つの身体が渦を巻く深い夜の中、私の内側で長く燻っていた波がついに臨界を迎えた。
指先が奏でるリズムに呼応するように、私はふいに背中を反らし、胸の奥から弾けるように潮が吹き上がった。
****
その白銀の水紋は、まるで森の静寂を破る小川のせせらぎのように優しく、
驚きと解放が交錯するその瞬間、全身を駆け抜けたのは、まさしく生命そのものの歓びだった。
****
潮の余韻が胸と腹を濡らすたび、私は初めて自分自身の深海を見つめる。
静かな驚きが頬を染め、全身をひとつの詩に変える甘美な潮騒が、夜の帳を鮮やかに彩った。
これまで薄い膜のように隔てられていたもの――その小さな、しかし確かな壁を、今、取り外してほしいと願いを込めて囁く。
****
彼の手がゆるやかに腰へ戻り、指先がそっと触れたその場所で、私は深く息を吸い込む。
目の前で包みが外され、月明かりがふたりの肌を淡く照らし出し、僅かな色の違いが鮮やかに浮かび上がる。
****
鼓動は一つに重なり、熱は肌から肌へと直接伝わる。
彼の硬きものが、私の柔らかな渇きの中へ滑り込む感触は、まるで世界が一瞬止まったかのように鋭く、そして優しく私を揺り動かした。
****
薄い壁が消え去った今、私たちは隔てなくひとつになり、存在のすべてが交わる。
身体の隅々に宿る熱が解放され、夜は二人だけの深い詩へと変わっていった。
私の身体を縛っていたリミッターが解放され、全身を駆ける熱が臨界点を突破する。
****
彼の腰は止まることを知らず、激しさと速さを増して私の内側を乱す。
痛みと快感のあいまいな境界が溶け合い、まるで世界が振動するかのように私の胸は震えた。
****
思わず上げた声は、雄叫びに近い高らかな調べとなり、夜空にまでこだまする。
その断末魔のような吐息は、これまで抑え込んできた私のすべての欲望を解き放つ祈りだった。
****
身体の深部で燃え上がる波は、渾身の一撃ごとに渦を成し、私を未曽有の快楽の局地へと押し上げていく。
骨の髄まで貫かれる衝撃が、甘美な陶酔の頂点へと私を誘い、夜は二人だけの祝祭をそのまま永遠へと導いていった。
深夜の静寂を震わせるように、彼が私の内で凄まじい弾けを迎える。
熱と鼓動が一瞬にして高く跳ね上がり、私の奥深くへと迸る衝撃は、まるで銀河の星々が爆ぜるかのように眩く広がる。
****
私はその勢いを直接受け止め、身体中の神経が一斉に咲き乱れる。
胸の奥から腹の底まで、全細胞が祝祭を奏でるように震え、甘美な余韻が身体の隅々へ流れ込む。
****
高らかな鼓動が合わさり、深い呼気が重なり、やがて静かな安堵と至福の静謐が訪れる。
****
その瞬間、薄明かりの中で交わったすべての熱と光は、永遠の詩となって私たちの胸に刻まれた。
夜の深淵で交わしたすべての熱と鼓動は、やがて静かな余韻となってふたりを包み込む。
薄明かりの中、肌と肌が知り合い、秘められた欲望が歓喜の詩を紡いだあの瞬間は、永遠の一節として心の奥に刻まれる。
****
もう誰の視線にも囚われず、自分自身が生み出した悦びの波に身を委ねたこと。
恐れを超え、戸惑いを乗り越えた先に見つけたのは、身体と心が一つになる純粋な解放だった。
****
今夜の祝祭は終わりを迎えたけれど、その光は決して消えない。
静かな夜明けの帳の向こうで、私たちは新たな自分へと歩み出す。
魂に響くあの詩は、これから訪れるすべての瞬間に、優しく、力強く、寄り添い続けるだろう。
判決日:2025年4月16日、英国最高裁は全会一致(5‑0)で判決を下しました
争点:「For WomenScotland 対スコットランド政府」訴訟において、公共機関の女性割合にトランス女性(性別認識証明書を持つ者)を含めることがEqualityAct 2010に反すると判断。
→最高裁は、「法律上の『woman』は生物学的に女性と認定された人物に限られる」と明言し、性認識証明書は法的性別の分類には影響しないと決定しました
トランス女性は法的に女性とは扱われず、特に女性専用スペース(病棟、トイレ、更衣室など)へのアクセスが制限される可能性があります
NHS等の公共施設でも法的な男女区分が強化され、性別認識証明書を持つトランス女性が女性として扱われない例がニュースでも報道されています
労働党のキア・スターマー首相は「女性とは生物学的な成人女性であり、今回の判決が法的にそれを明確にした」として、判決を歓迎しました。また、同様に平等担当大臣ブリジット・フィリップソンも「判決は明確性と自信をもたらす」と評価し、女性専用スペースの法的保護を支持しました
訴訟を主導したFor WomenScotlandや支援団体Sex Mattersは、「EqualityActにおける“sex”は生物学的現実を反映する」として判決を受け入れています。Sex Mattersの代表であるマヤ・フォースタター氏は、「性別という保護された属性は書類ではなく現実に基づく」と述べました。また、彼らが実施したYouGov調査では国民の多数が判決に賛意を示しており、社会的支持も示されています
Equality andHuman Rights Commission(EHRC) や司法専門家は、本判決がEqualityActの解釈上のあいまいさを解消し、サービス提供者や企業に対して明確な基準を示したとして、有用であると評価されています
◎世論の支持
国民意識調査によれば、59%が「トランス女性は法律上女性ではない」と同意しており、多くが公共施設やスポーツにおいて区別を支持していると回答しています。
作家J.K.ローリング氏はSNSで「TERFVEデー」などと表現し、本判決を「女性の権利を守る勝利」と称賛しました。彼女もFor WomenScotlandを支援しており、今回の判決には強く共感を示しています
では、Tarskiの真理条件をもう少し詳しく掘り下げていきましょう。特に、以下の3点に焦点を当てます:
3.自己言及とパラドックスへの対応(例:「この文は偽である」)
⸻
Tarskiが定義しようとしたのは、「文が真である」とはどういうことか?という問いへの形式的な答えです。
「ある言語Lの中の文 φ が真であるとは、φが世界の状態(モデル)において成り立つときである」
つまり、
• 真理とは、言語と世界の対応関係(コレスポンデンス)に基づく。
•言語内で完結するのではなく、「文」と「現実の状態(モデル)」との関係を定義する。
たとえば、任意の文 φ に対して:
「φ は真である」 ⇔ φ
という形を満たす理論が、正しい「真理理論」の必要条件になる。
⸻
• デイヴィッドソンはTarskiの理論を使って、**自然言語の意味論(意味の理論)**を構築しました。
• 彼は「意味とは真理条件である」という立場(truth-conditional semantics)を採り、たとえば:
> 「犬が吠える」は、犬が吠える状態が成り立つときに真である。
といった形で、自然言語の意味をその真理条件によって定義しようとしました。
これは、現在の**形式意味論(formal semantics)**や自然言語処理(NLP)の理論にもつながっています。
⸻
AIでは、知識ベースが世界についての文(命題)を保持し、それが真か偽かをモデルに基づいて判断します。たとえば:
• ならば「Socrates は死ぬ」 ⇒ 真
このような推論には、各文の真理条件を明示的に扱う論理体系(述語論理など)が不可欠で、Tarskiの真理概念が理論的基礎になっています。
⸻
Tarskiが最も警戒したのは、以下のような真理に関する自己言及的文です:
「この文は偽である」
これはいわゆる**「偽であると述べる真理」パラドックス**であり、整合的な意味論では扱えません。
• 「真理を定義する言語(メタ言語)」と、「真理が定義される対象(オブジェクト言語)」を完全に分ける。
•自分自身について真偽を語ることができないようにすることで、パラドックスを回避。
例:
• 「英語の文の真理」を定義したいなら、英語より強力な言語(例:数理論理を含むメタ英語)で記述する必要がある。
⸻
項目 内容
都内某ターミナル駅で目的のホームに向かおうとしたら階段の時点で人があふれており、ホームにいたっては劣悪な家畜小屋のように人間がごちゃごちゃになってうごめいていた。
ただ、ターミナル駅なので降りる人も多いため、電車がやって来て中の乗客を吐き出せば、ホームで待っていた膨大な人々をそれなりに飲み込んでしまうすごさがある。降車する人でホームがパンクするかというと、電車が来た後はむしろすっきりしているぐらいで、すげーな、と思いつつ、俺も自分の乗る電車をホームで待つことにする。
電車を待っている人たちの列に着く。電車が来る。列が動く。俺は前に進みつつ、到着しているいまの電車は見送ることにした。体を押し込めないと入らない気がしたからである。
俺の前に並んでいた人たちはみんな停まった車両に乗り込んだ。結果として、俺が「黄色い線の内側」の列で先頭になった。
さて、俺が立ち止まってからも、いま停まっている電車に乗り込もうとする連中がおり(少し乱暴な呼び方だがこう呼ぶ)、乗車口に向かっていく。
車両の許容量はぱっと見で明らかに臨界に達しており、どう見ても乗れるわけがない。無理なものを無理に乗ろうとする者、「あ、これは無理だな」と遅ればせながら途中で悟った者などが逡巡ののちに乗車を断念し、だらだら車両から離れる。ホームドアが閉まって電車が出発し、結果としては、この連中が列(というか、こいつらのせいで列という既存の形態はあいまいになり崩壊したため、「群」)の先頭になる。
うん? と思ってどうも釈然としない。
これから次の電車が来るわけだが、そのとき乗車する順番は、「明らかに乗れるはずがない電車に乗ろうとして上手くいかず、あきらめて後退して列の後ろにも戻らず、乗車口(兼 降車口)の正面で待機している人たち」が先になるのだろうか?
それ、面白くねえな、と思う。要素がいろいろ複合しているが、単純に「列に並ぶ」という点で順番を抜かされているだけで面白くない。
いちいちこう書くのも偏執的だが、まず、すでに並んでいる列を抜かして先頭に立とうとしたらおかしいし、一回電車に乗ろうとしていた、というイレギュラーがあるからといって、「乗ろうとして乗れなかった者は列で並んでいる人の順番を抜かして集団の先頭で待っていてよい」ルールなどない。
ただ、と一方で思う。
俺は、じゃあ、この場にどういうことが起こるべきだと言いたいのか?
例えば、乗ろうとして乗れなかった連中が、あきらめて全員列の後ろに並び直せばよいのか?
さらに一つややこしいことを言うと、乗車口(=降車口)の前で滞留している連中にも理解の及ぶグラデーションがあって、一番前にいる者の気持ちはわからなくもない。
見たところ明らかに無理、でも、すでに中にいる人たちが頑張って詰めてくれれば一人分空くだろう、という心情は、実は理解できる。明らかに無理なことが実際に無理だっただけである。
しかし、この人にあとから続いてきた者たちのことは、もう全然わからない。自分の前にいるやつからして明らかに入れないのだから、自分が入るわけがない。後方に行くほど理解できず、前からの距離に比例してトンマだと思う。
で、これを加味すると、俺が望んでいることは何かというと、後方から乗ろうとした連中はあきらめて列に並び直す。ごくごく前方にいた人のみ、「あいすみません…」という感じで、列そのものの先頭ではないけどもなんとなく前方で次の電車を待つ。そういうことになるのか。
そんなことが起きるわけがない。全員が列の後方にすごすごと戻る、ということもないだろう。そういう分別があるなら、そもそも、前段階である「明らかに乗れない電車に突撃」自体が起こらない。
にもかかわらず、そうあるべきだ、というのは、自分でも起こるわけないと理解している「べき論」を盾に相手を論難しているわけで、おのれの正当性に偏重しすぎて、おそろしく非生産的な気がする。
電車のホームで起きていることは「列で並んで待つ。他の人を抜かさない」という空間的なシステムが愚か者のせいでぐしゃぐしゃになる話だが、時間的にも似たようなことは起きる。
というか、散々書いてきてあれだが、俺こそよく、時間的な意味で、「システムを壊乱する」側である。要するに締切の話である。
例えば締切が9/25だとして、俺は「とはいえ、9/26の早朝までは大丈夫ですよね?」ということをやらかす。
実際、それで助かることは多い(もちろん、他の人には負担をかけている)。自分が迷惑をかける側になってみると、システムにも遊びがあった方が助かるな…と思う。ある程度だらしなく、関わっている者全体がお互いのルーズさを飲み込んだ方が便利である。
ただ、時間的にだらしない俺が言うのもなんだが、
・締切は9/25です。
⇨とはいえ、9/26の朝までに出せばいいですよね?
・はい。本当の締切は9/26の午前です。
⇨ わかりました。じゃあ、9/26の午後イチではどうですか。
⇨ありがとう。ところで、実は…
となって、果てしなくシステムがメルトダウンしていき、ルールを守ることをナメるやつが出てきて、真面目な人が損をする。それはよくないので、やはり仕組みは仕組みとして明確に切るべきなのか(卒論の提出など、意味合いが深刻なものほどそうなっている)。
うーん、と思っているうちの次の電車が来る。ターミナル駅なので大量の人が降りてきて、降車口の前にいる連中は思いっきり邪魔になっている。その連中が脇にのくスペースをつくるために俺も脇にのくが、これで列がより曖昧になり、もう列で並ぶとか意味ないじゃん、と思う。
その連中が乗り込んで、あとから俺も乗る。仮にの話だが、もしこいつらの乗ったために車内がいっぱいになり、この電車も見送らないといけなかったら、俺は相当ムカついただろう。だろうが、「ちゃんと並べ」という俺自身、別のところではヘラヘラやっているため、どの立場で何を怒っているのやらよくわからない。
関係あるようなないような話だが、最近、都内駅構内のエスカレーターで右側を歩く、という慣習が弱まっているような気がする(気がするだけかもしれない)。乗ろうとするエスカレーターを見上げて、妙に静的なので、うん? と思うことが増えた。
匿名なので叩かれてもいいやと正直に書きました。失礼に感じたり、何様?という部分がいくつもあると思います。
それでも、心のもやもやを少しでも緩和させたく、ここに吐き出させてもらいます。
たった一度の片思いはすぐさま砕け、誰とも付き合うことなく、いいなと思う人もなく、ついに28歳になりました。
男性なら30前半くらいまで、お金持ちならもう少し歳を取っていてもまだモテるでしょう。
しかし、女性はそうじゃない。30歳で足切りされることが多いと思う。
私の初恋は18歳、大学一年のとき。毎朝同じ電車に乗る男性に一目惚れをした。体格が良く、やや細めのタレ目が魅力的だった。
私の恋は始まる前に終わってしまった。
それから10年。もともと人と関わることが苦手で、趣味はインドアで、女子大だったため、男性と話す機会がほとんどなかった。そういう場に行こうとも思わなかった。駅で名刺をもらい、告白されたこともあったが、全て断った(東京ってすごい)。
28歳。そろそろ30歳になってしまうので、誰かと付き合ってみようとマッチングアプリをやってみることにした。向いていないとわかっていながらも、もしかしたら、なんて淡い期待を抱いていた。
正直に申し上げると、28にもなって恋愛経験が皆無なため、誰かと付き合ってみることがゴールだったのかもしれない。恋愛適性が少しでも自分にあるのか確かめたかったのかもしれない。結婚したいかと訊かれたら、正直わからないし、子供が欲しいかなんて考える余地なんてない。いや、出産は想像しただけで泣けるくらい痛そうだし、不自然に飛び出たお腹の女性を見かけるたびに恐ろしくてしょうがなくなる。大変申し訳ございません。
この年齢で、こんな心構えで異性と付き合ってみようだなんて本当に最低だ。
私のことを書いておく。
都内、年収600万円、158cm、45kg、97年生まれの28歳。
仕事は残業が多く、基本1人で業務全てをこなし、たまに詰められることもあるので、うつ病になる人が多い部署だ。
私は仕事が本当にできない。上司に呆れられている。それでも日系企業の会社員なので、どうにか居座っていれば給料がもらえる。心を殺してひたすら手を動かす日々だ。手を動かしていれば、できないなりにも仕事は片付いてくれる。
私は周りの人と比べてこだわりが強い方だと思う。
そのせいか、アプリで会おうと思える男性が現れるのは約2、3か月に1人というペースだ。そもそもド陰キャなので、短スパンで初対面の人に会うのは精神的に辛いものがある。だからこれでいい。
実際に会った男性は、いい人ばかりだった。ネットや噂で聞くような、危険な人はいなかった。クセのある人は少々いたが、普通に話せる。いろんな職業の話が聞けて面白かった。こういうことを書くと、金しか見てないのかよゴミ女!と自分を罵りたくなるが、高収入な人ばかりだった。
(アプリをしてわかったのが、私は地味で頭のいい人が好みらしい。昔からカースト上位男子が大の苦手で、クラスの隅でラノベを読むような男子の方が話しやすかった。運動の得意な陽キャが心底嫌だった)
会った人は男子校出身で女性慣れしてなさそうな弁護士の人、いい意味で性格は普通・高身長で、仕事が忙しく専業主婦になって欲しいと言う人など様々だった。年齢はみんな20代後半〜30代半ばくらい。
私は、なぜだかみんな断ってしまった。向こうから断ってくれるような、相手の条件に合わないようなこともわざと言った(失礼にならない言葉で)。おそらく多くの女性にとって理想的な人ばかりだったのに。
「付き合う人をどうやって決めるんですか?」と愚かな質問を何人かにしたことがある。「ピンと来た人」、「なんとなくフィーリングの合う人」とあいまいな回答をもらい、そのとき私は内心首を傾げていた。なにしろ恋愛偏差値ド底辺なのだから。
どちらかというと地味で、ちょっと変わっていて会話がしやすく、なんとなく居心地のいい人が現れてしまった。が、悲しいことに、たまに言動がモラハラっぽかったり、金銭感覚が合わなさそうだったりと、いくつか迷うところが目についた。良くも悪くも、今まで会った人で、こんな人はいなかった。
もう少し様子見した方がよかったのに、つい空気に流されて気づけば彼の告白をOKをしてしまっていた。私は人の頼みを断るのが苦手だ。
LINEのやり取りをいくつかした。返事に悩んだときはこれでいいのかChatGPTに添削してもらったこともあった。会って間もない人なので、テンションが上手く掴めず返信が面倒になるときもあったが、まあまあ楽しかったのかもしれない。まるで高校生の恋愛だ。28歳なのに。どうしようもない奴。
結局、3回だけデートして交際は解消となった。理由は想像にお任せします。大した理由じゃないです。デートはもちろん健全だし、喧嘩もしていません。
解消した日はどことなく気分が沈んだが、寝て起きたら何事もなかったようにいつも通りになっていた。たまに飛び出すモラハラ予備軍のような発言にぎょっとすることがあったので、これで正解だと安心さえしていた。
会った人数は10未満なので時期尚早かもしれないが、もうアプリはやめようと思う。いい人が多かったのに、誰とも心から付き合いたいと思えなかった。これまでの誰とも付き合わない人生に、不満を覚えたことはなかった。この文を書いている今だってそうだ。
それに、万が一のことがあり結婚し、子供ができてしまうとする。家事育児をしながらフルタイムで働くなんて無理だ。キャパオーバーだ。病気になってしまう。
もしかするとアプリを始める前の私は、好きな人ができて、相手も私の事が大好きで、そしてその人は素晴らしい将来に私を導いてくれる……なんて心のどこかで痛々しいことを夢想していたのかもしれない。そんな将来あるわけがない。絵に描いたようなシンデレラ症候群だ。28にもなって夢の世界にいるだなんて、手の施しようがない。「1人で立派に生きろよ、低脳」と頭の中の冷静な部分が、考えの甘い愚かな私を軽蔑している。
もう私は都会の生活に疲弊しきっている。仕事はできないし、このまま都内で暮らし、年に100万円くらいを貯める生活をずっと続けるのは難しい。投資をしてみたが、3年で150万円ほどのプラスなので早期退職もできない。でも、このままだと心と体が壊れてしまう。
どこか暖かい地方にでも移住しようか考えている。私は田舎出身だから、そっちの方が合っているかもしれない。地元は最寄りのコンビニまで徒歩25分。昔あったお店は廃れ、年々空き家が増えていく場所。外は誰も歩いておらず、ごくごく稀にお年寄りを見かけるくらいの立派な過疎地だ。
きっと私はネットと本さえあればどこでも暮らしていける。都会は何でも手に入るけれど、欲しいものなんて特にない。
去年の初夏、私の故郷である東北の海沿いに、久しぶりに帰省した。庭の草木が思い思いに伸びていて、羨ましかった。陽に透けた葉の、やわらかな黄緑色をいつまでも眺めていたかった。夜は電気なんか必要ないくらいの月明かりで、広い空にはたくさんの星が瞬いていた。最新のプラネタリウムよりずっと、ずっと、きれいだった。上京するまでは気づかなかったけれど、久しぶりに戻ってきたら、あまりにも自然が美しくて、1人だったので泣いてしまった。
東北の冬は厳しい。私にとって冬は、刑期のような暗い季節だった。だから暖かい地方に行って、のんびり暮らすのが自分にとっていいのかもしれない。環境を変えるのはものすごく怖い。初めてすることももちろん怖い。失敗するんじゃないか、この選択は間違っているのではと常に疑い、後悔することも多々あると思う。でも空が狭くて、どこへ行っても混んでいて、身を縮めて人と人との隙間をすり抜けながら進むのはもう疲れた。こんなウサギ小屋に大金を毎月払いたくない。新鮮な空気をめいいっぱい吸いたい。
中学の頃に体育系部活に入った時、後輩が先に来て掃除と準備とあれやこれや丁稚みたいな風習があったので、中2の時から順次手回しをして、俺が部長になった時に自分が発端となってそういう風習を禁止した。
昔から、はっきりと、「自分の後輩が苦労しないようにしよう。それは自分のためにもなる」と意識して来た。
今、ネット上を見て、「おじさんおばさんになったら終わり」「40過ぎたらおしまい、価値ない」みたいな言論が蔓延ってる。
その裏には、氷河期世代問題とか、世代論だけでは割り切れないほどの何かがあるんだろう。だが、俺は、エイジズムを破壊したい。個人的な目標になってしまうが、俺が40になるまであと約15年。この間に、40過ぎた無職のおじさんやおばさんでも平気で社会で大手振って歩ける社会にしたい。40過ぎたおじさんやおばさんでも、20歳の若者となんら心置きなく、「年甲斐もなく」ワイワイしたり交際できる社会にしたい。
「無職のやつとはだんだん話が合わなくなる」みたいな風潮を破壊するために、俺はよく、無職の友達も(本人が来れれば)同窓的な飲み会に誘って飲んでいる。そして、みんなに上記みたいな話も時々話している。「そうはいってもなあ」という人もいるが、まずやり続けることが大事だ。あと、人の年齢を必要なく聞かないし、よほど介護が必要な場合以外は考えない訓練もしている(前者は普通のエチケットだが、後者は意識しないとできない)。
コロナとかを機にますます周りは凄い窮屈そうになっていったけど、社会だとかあるいはもっとあいまいで「空気」みたいなものから「お前たちはコロナ前に比べて80%比付き合いを制限しなければならない」みたいな訳の分からない風潮に従う必要性を全く感じなかった。
まず、人は色々な理由で「話が合わなく」なることくらい、知っている。ただなぜ、「年齢」だけで、そこに合理的な理由があるかのようにみなされるのか? 全くわからない。みんな歳をとる。若返ることはない。みんな突然無職になるし、突然気が狂うこともある。だからなんだ。俺はそんな世の中、いやだ。自分が40になった時。会社の後輩が40になった時。あるいはその時無職だったり障害者になっていた時。笑って過ごしたい。「痛々しい」「年甲斐もなく」なんて言う方がバカなんだ。
一緒にエイジズムを破壊しよう。20でも40でも60でも、楽しく生きよう。
ここにいる人々も、エイジズムをそれぞれの立場で壊して欲しい。嫌いな人がいるのは仕方ない。ただ、年齢であるとか世代であるとかを理由にしないで欲しい。そしてその判断を他の要素にも広げて欲しい。
タイトルの通り。
ゲーム業界を目指す人はめちゃくちゃ多く、少なくとも新卒での入社は狭き門となっている。
業界の知り合いなどいれば現状や対策もわかりやすいが、そうではない人が入ろうとするには情報を集めにくい側面があると思う。(実際に自分の新卒就活時には情報が足りていなかった)
そのため、新卒では入れなかったもののゲーム業界の末席に籍を置く自分が、当時知りたかった情報を自己満足で記載していこうと思う。
一応記載しておくが、自己満足のためのものなので記載の内容をもとに行動してうまくいかなかったなどの責任は取らない。最終的には自分で判断してほしい。
【経歴】
こういった話はどういう人間が言ったかによって信憑性が変わると思うので、自分の経歴について先に話しておく。
念のため書いておくと、ゲーム業界に入れた自慢のつもりで書くつもりはないが、自慢だと受け止めてもらっても嬉しいだけなので構わない。(そもそも新卒では入れてる人を常時目の当たりにするので自慢に思えていないので)
特定は怖いのでフェイクを混ぜるが、おおよそ変わらないと思う。
自分は偏差値50程度の情報系大学の出身で、入学以前からゲーム業界(プログラマ)を志望していた。
入学難易度がたいしたことない大学だが、その分上位10%よりは上の成績だった。
就活の時期が来たので、一人で作った2Dゲームや、大学の講義でのグループ開発したWEBシステムなどをポートフォリオにして就活を行った。
その結果、ゲーム業界はどこにも引っかからず、IT企業で客先に常駐するいわゆるSESの会社に入社した。
最初は非ゲームのスマホアプリの開発に従事させられたが、営業の人にゲーム業界に行きたいと伝えてあったので、1年ほど経って契約終了のタイミングで小さなソシャゲ会社に移動した。
そこではUnityなどで開発の経験を積ませてもらった。裁量が割と雑な企業だったので広範な部分の技術を触れたのを覚えている。
2年強そこで働いたものの、サービス終了をきっかけに転職を試みようと思い退職。
その後ゲーム業界専門の大きなSES企業に入社し、運よく大手のソシャゲ開発案件に入れた。
そこで大手の分業の仕組みに慣れながら働いていたが、もともと志望していたコンシューマゲーム業界へのあこがれもあり、本社の営業チームに希望を出していたがタイミングが合わず案件がない時期が続いた。
2年ほど経って、プロジェクト単位での派遣という形だが、Unityなどソシャゲと共通の技術を使うためか、コンシューマゲームの開発経験が無くてもOKなコンシューマゲームの案件が出てきて、そこに転職した。
今は会社は小さめだが、IPはそこそこ強いコンシューマゲームの案件で、不安定な立場ながら従事している。(可能であれば正社員として登用してほしいが、今のところ何も話はない)
【本題】
ここからは実際にゲーム業界を目指す者についてのアドバイスだ。
まず第一に、有名なゲームディレクターの桜井さんの動画にもあったが、ゲームを作ることが重要。
企画職、プログラム職は言わずもながで、デザイン職やサウンド職の芸術系の人でも、そういった経験があると必要な素材の勘所がつかみやすくなるので、作っていた方がいい。
経験を積み上げるために1、2本ではなく何本か作っていてほしい。
可能であれば複数人のプロジェクトでゲームを作り上げているとなお良い。
目指す企業があるなら、その企業のジャンルに近いゲームの方がアピールになる。
なぜゲームを実際に作ることが重要なのかというと、企業が欲しいのは「良いゲームを作れる人材」だからだ。
良いゲームを作れるとアピールする最大の方法は、実際に良いゲームを作ったという経験を伝えることだからだ。
経験の量や質が良ければ、その分ポートフォリオや自己PRでも伝えられることが増えて、有利になるのは言うまでもないだろう。
なので時間をかけて1本や2本作るよりも、何本か完成させて経験として伝えられる方が基本的には有利。(その1本や2本が、それなりの売り上げを上げられるほど優れた作品なら話は変わるかもだが)
そして、入社後に実際に働く際には、当然複数人でその企業で開発されるジャンルのゲームを開発することになるので、入社後に働けるアピールをするためには、複数人でそのジャンル(例えば3Dのアクションとか、2Dのパズルとか)に近いゲームを作っておいた方が有利になる。
もちろん希望職種に合わせた経験を積んでいることが好ましいが、他職種の作業も軽く把握しているとやりとりがスムーズになることが多いので、こちらは参考程度にかじっておくとよいかもしれない。
では、どうして「入社時点で」ゲームを作れることが重要になってくるかというと、やや厳しい現実だが数か月の研修~最悪入社後いきなり業務に放り込んで、ゲーム作りに従事できるかを見られているからだ。
ゲーム業界に来る求人は、経験則でいえば小さな会社でも相当な数になる。その分優秀な人材、いわゆる即戦力が来る可能性も高くなっていく。
そんな状況で、ゲーム作りもそれに類する技術もなく、熱意だけあるというような人を採用して育てていくよりも、ある程度ゲーム作りの経験があって、その下地をもとに仕事を進められそうな人を採用してすぐに働いてもらった方が効率が良いのである。
小さい会社から大きい会社まで数々の新卒の人を見てきたが、どの人も下地としてゲーム開発の経験がそれなり以上にはある人ばかりであった。
それから、一般的な就活の対策と同じになるが、コミュニケーション能力は求められる。
ここでいうコミュニケーション能力とは、雑談などで盛り上がる力ではなく、業務の遂行に向けたやり取りを円滑に行う力である。
ゲーム開発は、言語化の難しいあいまいな感覚を伝えなければならないケースがままある。
それらを時に図持したり、時に実例を見せたりして、伝えなければならない。
この辺りは企画職の人に特に必要な技能かもしれないが、プログラマやデザイナも日々多くの人とやり取りをすることになるので、とにかく伝える・受け取る技能は必須だ。
そういった部分に難がないことを見るために面接などを行っていると思われるので、その点は意識しておいた方がいい。
意識するべきなのは、自分がその職に就いたとしてどのような業務を行うかということである。
企画職なら
レベルデザイン・ゲームデザイン・ディレクション・PM業務など
プログラマなら
インフラ・サーバーサイド・UIプログラム・キャラクタープログラム・CI系・グラフィックスプログラムなど
デザイナなら
キャラクターデザイン・背景デザイン・UIデザイン・モデリング・リギング・エフェクトなど
こういった中から、自分はどのポジションにいたいのか、あるいはすべてをこなせる万能手になりたいのかなど、戦略を考える必要がある。
基本的にはより詳細な募集になる中途採用の情報などから自分の志望するポジションを考えるのをおススメする。
ーー
さて、一通り記載したが、もちろん自分は上記のことをできていなかった。
シンプルにゲームの開発経験も足りなければ、自分のポジションの意識もふわふわしていた。できてた可能性があるのはコミュニケーション能力くらいである。
しかし、これまで見てきた新卒で入社する人は上記のことを努力も才能も偶然も含めて結果的にこなせている人材ばかりである。
はっきり言って一朝一夕で何とかなるようなものではないものもあり、すでに就活を行っている人などでは間に合わないようなケースもあるだろう。
そうなると選択肢は2つ。「ゲーム業界をあきらめる」か「なんとか中途でもぐりこむ」のどちらかである。
あえてはっきり伝えたいのだが、自分は「ゲーム業界をあきらめる」ことを悪いことだとは思っていない。
ゲーム業界に入ることが絶対的にエラいことなのかというととてもそうではなく、志望者が多いということはそれだけ入れない人が多いということになるので、切り替えて別の目標を探すということができるのも一つの能力だと思うからだ。
むしろ能力が足りずに経験も積めてないのに、あきらめることだけはできずにいる方が、よっぽと精神には悪い。一歩間違えると自分もそちら側になっていた(なんなら今も危うい)と思うと恐ろしさを感じてしまう。
挑戦してダメだったというのも、あきらめきれるきっかけにもなるかもしれないので、挑戦すること自体は良いことだとは思うが。
それでもあきらめられないのであれば、「なんとか中途でもぐりこむ」ことを選択することになる。
これに関しては様々なルートがある。第二新卒だったり、自分のように客先常駐や派遣で、何とか未経験でもOKのところを探す方法だったり、個人で開発経験を積んでから、中途採用に応募するケースだったり。
運について、そもそも新卒と違い、自分の入社できるポジションが企業に存在するかがわからないので、志望企業に応募すらできない可能性もある。(おそらく求人自体はあるだろうが、第二新卒以外は経験者限定でのものがかなり多いだろう)
仮に応募できたとしても、競争相手は少なくなるが、その分枠も少ないという戦いになる。
未経験である以上、ポテンシャルで採用してもらうしかないので、企業側がその気があるのかはどうしても運になる。
自分の場合は客先常駐で常駐先に同じ会社から出向している人がいたので、その抱き合わせみたいな形で入社できたところがあったので、運が良かったとしか言えない。(別プロジェクトだったので面倒は見てもらえてないが)
こればかりは巡りあわせなので、試行回数を増やして確立を上げるか、万一コネなどあれば、確率の高いルートを用意してもらうかするなどでしか対策はできない。
能力について、何をいまさらと思うかもだが、新卒の時よりも少しシビアになっている。
第二新卒なら新卒同様の扱いになるが、そうでなければ研修など1日程度で簡単に済ませての即戦力としての採用になるので、いきなり現場に出ることになる。
選考時には現場で戦えるかをみられることになり、採用されても即現場なので、使い物にならなければ、雇用形態によってはすぐに首を切られることになる。
なので、業務を遂行するだけの能力が必須になる。その重みは新卒時より重い。
こちらに関して自分については、正直に伝えると少なくともいきなり放り出されても業務を遂行する程度の能力はあったので何とかなっただけだ。(新卒入社の人もこなせていただろうが)
従事する業務に関してはより明確になっているはずなので、食らいついて最低限以上の仕事をしていく必要がある。
中途での現実はそんな感じだ。
競争相手は少なくなるので、単純な確率は上がるが、その分それ専用の武器を用意しなければならない。
一つだけお伝えすると、逆に一度潜り込んでしまえば、経験者の採用を受ける権利が得られるので、より世界は広がる。
ーー
以上がゲーム業界に遠回りして入った身からできるアドバイスだ。
この辺りの話を新卒のころに知りたかったので、これから就活をしようという人に伝わったら嬉しい。
ーーーーーーーー
【追記】
自己満足で書きなぐっただけなのになんかめちゃくちゃ反応ある。
文章が優れてるとは到底思えないので、ゲーム業界の注目度の高さを示しているのだろう。
ざっくり読んだが、結局のところ正解のある話ではないので、いろいろな意見があって当然だと思う。
みんな自分の経験なんかもあるだろうし、適当言ってるだけの可能性も自分含め全然あるだろうし、名前を出しているでもない限り参考程度で読むのがいいと思う。
学歴についての言及も多かったのでその点に触れようと思って追記したが、そりゃあ当然学歴があった方が良いだろう。
実際応募数の多い大企業では、足切りの条件の一つに使われるのも止む無しだと思うし、そうでなくても大体の高学歴の人はシンプルに優秀だ。
だけど高学歴なだけでは入れないのも事実だと思う。逆に偏差値が低かったりする場合でもそれだけで切られることはそんなに多くはない(ちゃんとしてれば書類は通る)。
実際、大企業なんかでも意外と専門学校の卒業生(たいていはトップ層だが)もいたりするのを結構見てきた。高学歴が入社しやすいのは、それだけ優秀な人が多いというだけの話だと自分は考えている。
高校生とかで有名なゲーム会社で働きたいなどのモチベーションから勉強を頑張るのは大いに問題ないかと思うが、専門学校で業務に使えるような技術を身に着けて、ゲームをたくさん作る経験を積んで一点突破の能力でゲーム業界に挑むのも本気であれば間違いではないと思う。
いろいろなことを選べる立場のうちは、自分がどうなりたいのかを考えて、いろんなパターンから自分に向いている道を選んでいくのが良いだろう。年を重ねるごとにだんだん選べる道は減っていくので、その時に後悔しない道を選ぶことができれば理想だ。
逆に年を重ねると道が狭まっていくことは多いが、年を重ねることで見えてくる抜け道のようなルートもあるので、悲観しすぎないことも重要だろう。
自分も今から進路を考える立場だったら、専門学校を選択していたかもしれないと思うことはある。
学歴は選べる立場なら真剣に考えるべきだが、そうでなければ囚われすぎないことも大事だというのが個人的な結論だ。
あとは、採用の人間でもないのに偉そうなことをというニュアンスのものがあったが、もとより自己満足のための記載なのと、偉そうな文章に関しては、文の書き方から特定されないようにしているために、普段しないような言葉遣いをしているのが原因なので、勘弁してほしい(意味があるかはわからないが)。
Permalink |記事への反応(14) | 23:29
袋麺に調味料を自分なりに足して好みの味にする程度の時期が長かった。
ただ、料理番組や料理YouTubeを見るのは好きだったし料理をしてみたいなという気持ちも持ち続けていた。
それに、自分でもやればできるはずだという自信があった。
その自信には根拠もなくはない。
そもそも料理は一世帯当たり一人以上の人が日常的にやっていることで、車の運転技能よりも技術普及率は広い。
つまり特殊技能などではなく人並みの知能と要領があれば誰でもできるはずだという確信。
ちょっとした境遇の変化もあって、もう少し料理に取り組んでみようということになった。
袋麺にネギを刻んで入れるくらいのところからスモールスタート。とにかく庖丁が使えなければ話にならない。
最初のうちはネギが全部つながってしまったが、上下動と前後動のバランスやまな板への当て方などを微調整しているうちにやがてコツをつかんだ。
「ことばでは説明できないがやっているうちに何となくわかってくる」、これは俺が一番キライなやつだ。経験的暗黙知。つまりコツ。
だが、調理プロセスの大部分はこうしたコツの集合体であることがだんだんわかってきた。
およそ客観的な指標にとぼしい判断を要所要所で迫られるのである。
レシピに「○分焼く」と書かれていても、それは目安に過ぎない。コンロの火力や鍋の特性などは各家庭でまちまちだからだ。
「お肉に火が通ったら」 「玉ねぎがしんなりしてきたら」など、調理における状態変化はたいてい連続的で、どこまでが状態Aでどこからが状態Bという境界値が判然としない。というか、ない。
3分ジャストで火を消せばよい袋麺しか知らなかった私には、このあいまいさ、再現性のNASAがしばらく受容できなかった。
やがて気づいた。機械的な方法で調理工程を再現する方法などないのだと。
工業的に安定生産される加工食品と違って、肉や野菜などの生鮮食料品は買ってくるたびに状態が異なる。大きさ、厚み、鮮度、分量。
コンロの火力ツマミだってユルユルのアナログで、毎回同じ火力で加熱できているわけではない。
したがって、調理されていく食材を目で見、音で聞き、鼻で嗅ぎ、時にはつついたり舐めたりしながらその場で経過を判断していくしかない。
と言っても、その判断基準はきめわてゆるい。
火から下ろすのが多少早すぎても遅すぎても、調味料が多少多すぎても少なすぎても、まあ食べられるものができる。食べられさえすればよいのなら許容範囲は実はかなり広い。ちょっとおいしかったりおいしくなかったりするだけで、飢えることはない。
そのことに気づいてずいぶん気がラクになった。
トライ&エラーしたり、数をこなして経験値を高めることに対して気持ちが積極的になっていった。隙あらば台所に立とう。
野菜炒めやチャーハンみたいなプリミティヴな料理でも数をこなすと見えてくるものがある。
具材を切り出す大きさ、次の具材を投入するタイミング、炒め終わるタイミング、などが徐々に定まっていく。手際もよくなっていく。
文章に書けと言われても正確には伝えられない。五感で「今かな」とか思ってるだけだから。
気づけば、いつの間にか庖丁も難なく使えるようになっていた。
まだ入り口に立っただけだけど、少なくとも自分は料理が苦手ではないらしい、どちらかというと好きらしいということがわかった。楽しく深めながら続けていけそうだ。
ちょっと調べてみたけど、「中絶理由の40%以上が“身体的理由”」というのを裏付ける最新データは、信頼できる公的な統計には見つからなかった。誤解か、あるいは情報の混ざり具合かもしれない。以下、わかる範囲で整理する。
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✅ 分かっていること
令和5年度の人工妊娠中絶件数は 126,734 件で、前年から 3.3% 増加。
年齢別にみると、20~24歳が最も実施率が高い。未成年や若年層での中絶率も高い傾向。
母体保護法では、妊娠継続や出産が「身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれがある場合」に中絶が認められています。
ただし、これは「医師が判断する条件」であって、「身体的理由」のみを意味するものではない。経済的な理由や望まない妊娠なども含まれる。
「身体的理由」には、母体の既往症(心疾患・腎疾患など)、高齢妊娠、頻繁な妊娠・出産などで母体の健康へのリスクがある場合が含まれるとされている。
経済的な理由も認められており、実務上、経済的理由を申し立てて中絶を選ぶ人も一定割合存在。正式な統計にどの程度かまでは明確化されていない。
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⚠️ 見つからなかった、また疑問の残る点
→公的な報告書や厚生労働省・日本産婦人科医会の最新データには、そのような割合を示したものは確認できなかった。
「男が結婚してくれないから/パートナーがいないから」という理由がどれくらい多いか、というデータも見つからない。
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🔍 考えられるズレ・誤解の原因
情報発信やニュース記事で、「身体的理由または経済的理由」の合算での割合を、「身体的理由が高い」と誤って伝えてしまっている可能性。
「身体的理由」と「経済的理由」の区分があいまいで、本人申告ベースの調査では“経済的に育てられない”=“母体にとっての健康リスクあり”と捉えるケースがあって、統計上「身体的理由」に含めてしまう誤認。
指示の意図や、内容自体あいまいに感じてよく飲み込めないからと質問するだけで謙虚さが足りないと言われる。
謙虚さってなんなんだろう。このままこっちからなんの理解のための働きかけもせず延々と意図と異なる行動をしてたほうがましとでもいうんだろうか。
そもそも自分が謙虚がなく見られるのには「質問しないと理解できないことが多い理解力の低さ」のほうが関わってるんじゃないか。態度は全く同じでももっと遥かに理解力や能力が高ければそもそも質問するまでもなく淡々とこなしていって、反発してるとか思われる機会自体無いんじゃないか。逆に今は謙虚と思われてる人間もなんらかの原因で急に理解力が下がったら謙虚さがなくなったとか性格が変わったとまで言われるんじゃないか。
なんだかなあ。
あと作業しているなかでメジャーとペンを両方持っているときにペンを渡せといわれたときに、ペンを渡そうと手を動かすともう片方の手が変な動きになってその指が既に伸びているメジャーの端にこすれて紙がすれたときよりもっと深く切れるかもしれないと思って、いったんメジャーを下に置こうとしたら、メジャーのことはいいからペンを渡せといってきたときも、怪我したら嫌だから嫌だといったら、また謙虚じゃないと思われて呆れられた。
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