
はてなキーワード:DQNとは
男女対立した最大の原因は、国家とマスゴミがフェミナチプロパガンダを組織的に垂れ流したからなのに。
男女対立がー!とか喚いてる中立ぶった糞フェミ腐女子は、一方的に男叩きされてる時には何も言わずに、叩き返された時だけ言い訳みたいにほざくだけ。
そうやってやり返さなかった結果が、怒りと憎悪が蓄積して、更に害悪が増すのに。
むしろ女の方が、力で一方的にDVレイプするマスゴミ権力者には、何もやり返さない犬みたいな連中が多いだろ。
韓国も、女を殴るのが伝統で文化にまで高められてた頃は、今より遥かにマシだったわけで。
女は、特に糞フェミや腐女子になるような女は、一方的に叩いても男が反撃しないと増長した時だけ屑化するんだよ。
実際に、やり返さなかった結果、どんどん増長して、対立も激しくなってっただろ。
それは、糞フェミが、権力者の女性搾取を批判する建前だったのに、実際は、弱者男性がー!を連呼してただけのことからも分かるわな。
そして結局、女は殴って教育するしかなかったって言ってたDQNが正しくて、気の優しかったオタク君は、彼女が作れずに二次に逃げて、結局、叩かれまくって終わったじゃん。
男性に犯罪者やクレーマーが多いのは、屑ヤクザや、フェミ腐女子が好むのが暴力的で強い男だからでしょ。
お前らが叩いてる弱男とかオタ男は全く無関係どころか、お前らみたいなケダモノの犯罪率を和らげているのに貢献してる。
なお、こういうDQNのいじめっ子気質の男が、将来、DVや暴力犯罪を起こす可能性が、そうじゃない男の三倍から六倍以上あるというのは、研究で分かってる。
子供時代の「イジメっ子」は大人になると暴力事件を起こしやすい
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/114911
さいたま市全体 13.55%
西区(田園地帯。ニュータウンあり 地価が安い地域で所得水準はあまり高くない。旧住民は高齢者、新住民は若年層が多い) 10.90%
北区(大宮の工業地帯。工場と物流倉庫が多い 一部高級住宅地を含むが全体としては所得水準も治安も中程度) 13.63%
大宮区(大宮の市街地。高級住宅地と歓楽街の両極端。住民も二極化。地価は高い) 14.90%
見沼区(郊外のニュータウン。安アパートが多く治安もお察し。京アニの青葉が住んでたのがここ。) 11.40%
中央区(旧与野市。福祉の街。さいたま新都心があり、最近の住民は所得水準高め) 14.53%
桜区(浦和の工業地帯。治安・民度ともに浦和というより戸田蕨に近い(悪い)。外国人も多め) 12.85%
浦和区(旧浦和市の中心部。所得水準は杉並区、世田谷区より上 地価は都内並み) 15.33%
南区(旧浦和市南部。ヤンキー地帯と高級住宅地が混在 地価は高め) 15.01%
緑区(浦和の田園地帯。ニュータウンも多い。治安も民度もまぁまぁ 旧住民は埼玉の田舎のDQN) 14.12%
岩槻区(旧岩槻市。田舎。治安・民度・所得水準ともにさいたま市最悪。高齢化も一番進んでいる。そもそも文化圏が違う) 10.08%
また、住民の平均年齢が低いほど得票率が高い傾向もある。
そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。
私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
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6/22
父の死は、私にとってとても大きな出来事で、父のことを書きたいと1年間思い続けているけど、整理がつかずになかなかかけずにいます。一部ですが少し吐出せて、それを読んでもらえてうれしいです。
私が書いた別の読みたいというブコメをみかけたので、かなり以前に書いた増田ですが、お年寄りの話題・肉親の死が出てくるものを2つほど貼っておきます。
※ビービーの車名直しました。廃車するとき泣きながら見送ったのに間違えてしまった、ご指摘ありがとうございました。
https://anond.hatelabo.jp/20200731173343
https://anond.hatelabo.jp/20200109011834
Permalink |記事への反応(11) | 23:15
これの問題は、実際に共同体のルールに従わない中国人やクルド人と言うのが居る点なんだ
印象としては、話してる言葉からも、中国人とクルド人が目立つことになる
もちろん、日本人にもルールに従わない奴はいるが、彼らは少なくとも日本語を話すので、単なるDQNという括りになる
道路族マップとかあるが、中国人マップとかは作られないべ、ド直球の差別だからな
川口、西川口、蕨の駅近くの古いマンションには、名前から想像して中国人やベトナム人、クルド人が入っている
(新築マンションや戸建てに住む人は、まぁそこそこ民度があるみたい)
そこは大抵、各種言語で、ゴミ捨てや騒音、タバコなどの注意書きで満載だ
ゴミ捨て場に粗大ごみで出してくださいと張り紙されたキャリーケースが放置されたままだったり
これらについては、「体感」ではなくて、間違いなく住民層が変わってからの変化で
注意書きも中国語が赤字で強調されていたりするケースもみられる
騒音などは、禁止されている民泊に出していたり、でかい音で音楽を聴いたり
住民が抗議しても、違う言葉で怒鳴るだけだったりすると、もう受け入れられないとなる
彼らは日本語でのコミュニケーションをしないので、又貸しされてると思うんだよね
逆に、日本語でコミュニケーションしようとする人は、きちんとルールに従おうとする
間違いなく治安は悪化してるし、警察が呼ばれることも増えている
その上で、「一部の」クルド人が行き過ぎた行動をとるのが報道されるようになったが
上記の理由で、日本人からすると、それが一部かどうかなんてわからんのだ
やつら日本語話さんしな
やつらには合わせる気がないから
これらが「本当の意味で犯罪としてデータ上で判別できる」レベルに達したとしたら
多分その時にはもう手遅れ
学校側は、生徒の社会事情や、性格なども全て把握している上で、一番相性の悪いDQNと、教室という密室空間に放り込める。
そのために使われているのは、アポロ計画でも採用された、六タイプのシンプルな性格診断だろう。
アポロ計画の際には、その性格診断を使って、宇宙飛行士たちの不和の殆どを、かなり正確に予測できた。
詳しくは、『アルゴリズムが世界を支配する』という本に載っている。
それでもイジメられそうにない奴だと、いじめっ子に工作員を用意する。
それでも倒せなかった強い被害者には、クズ教師を割り当てて、嫌がらせが始まる。
現場の教師というのは、所詮は下っ端なので、そこまで質の悪い者もいないが、管理職の方、校長や理事長など、教育委員会レベルには、殆どヤクザ同然の屑どもが居る。
ヤクザの徳間が、開成学園の理事長なんてやってたのも分かりやすい。
男性ホモソの上層と底辺はセクハラ発言がデフォルトになってるのが同じ男性としてしんどすぎる
なんていうかさ
普通に生きてれば「昭和生まれのオッサン」でも一定程度理解するわけよ
嘘言えよクソボケがって感じ
今の世の中で、本当にそれを口にするレベルで
「AVを本気で実践する輩」とか
「生理なんてちょっと怠いだけ気合が足りない」とか(むしろ軽い女が言いがちだが)
そんな人間は、ニホンハーとか、オトコハーとか、そういう話じゃねぇよ
だけどさ、灘高生を連れてきて、年上のおねぇさんで性教育しちゃうのよ
善い事として
それも、小利口に善い結果を残した形で
悍ましくないか?
精々ちょっと軌道修正がいる程度で、そのままでも概ね「普通」に収まった奴らだろう
実際記事もそうなってる
意味ないだろ
素晴らしい成功例、辿るべき道しるべ、みたいなのはさ、違うだろ
または、限界チー牛でも良いよ
こんなことしなくてもお行儀よく小利口に振舞える連中で、滅菌された子芝居とか見たら
そりゃ言いたくもなるだろ
これは灘高性、胸と股間が熱くなりすぎるのでは
https://anond.hatelabo.jp/20230926091314
この漂白された茶番劇で「マトモナオトコ」とか言い出すのと、「AVde性教育」って、方向が逆なだけで虚構としては同軸上だよね
最初は差別論に見過ごされてる可哀想な属性、くらいの意味だったと思う。
暇を持て余してミソジニーを発揮しまくる邪悪な底辺男性、みたいな扱いじゃないか。
無敵の人から勇気のニュアンスをマイナスして性加害者の要素をプラスしたかのような。
女性に話しかけた時点で怯えさせると分かってるのに、関わりたくて仕方がない暴走ミサイルのような。
フェミニストに唾を吐きたいためだけに、性的消費して何が悪い、などと開き直るミソジニスト。
公的な場でタテマエだけでも取り繕うとはしない自他境界のない人たち。
強者男性の自制心や品格を学ぼうとはせず、心理的安全性を減らされる女性の立場を慮ろうともしない。
そんなパブリックイメージに——昔でいう、池沼・DQNのごときポジションの仮想の社会悪に——置き換わろうとしてる。
私は、ここで大々的に、「弱者男性で良かった」「弱者男性はこんなに良い」大会を催すべきだと思う。皆んなで悪くなったイメージを転換すべくポジティヴキャンペーンを計るんだ。