
はてなキーワード:齟齬とは
ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する
普通の人が「フリック入力を発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?
普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える
同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力を発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明のキモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある
「フリック入力」を発明しMicrosoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャン兼フリーター、家賃3万のボロアパートでひらめく
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631
もちろん2の意味の発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね
そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明やアイデアの集合体である。歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能な特許や論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアがリリースされていたりアイデアがメーリングリストに投稿されていたりすることもある)
[追記]※増田の仕様上ひとつの記事に貼れるリンク数に制限があるため一部URLのhを抜いている点、不便ですがご了承ください[/追記]
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)
放射状に選択肢を並べるUIのアイデアは1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的なメニュー選択のための手法である
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)
pie menuを文字入力に応用したもの。論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう
ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html
ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html
T-cubeを日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補
https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)
https://newtonjapan.com/hanabi/
AppleNewton (PDA)用に実装された文字入力UI。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖』である。なお、開発者が特許を申請したものの審査を請求しておらず、特許としては成立していない
この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeやHanabiの発展としての文字入力手法の研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生の卒論や修論のテーマとして手頃だったからだろう。PDA製品に実装されて広まった例もあり、SHARPZaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKのフラワータッチ等もこの系譜である
なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペン(スタイラス)による入力を想定したものが主である(iPhoneの登場以前はキーボードレスのモバイル端末といえばPDAやタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)
『スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖』である。日本語フリック入力の効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年にAppleに招聘されてiPhoneのフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox(1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力にフリック操作を用いること自体は特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然な選択だったと思われる
なお、前述のHanabiの開発者氏がiPhoneのフリック入力を見て
と言っている一方、増井氏はHanabiに対して
知らんがな
と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話用テンキーの上に五十音かなのフリック入力を実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない
ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)
『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法の特許』である(詳しい仕組みは上記の東洋経済の記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホの日本語UIをリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本版iPhoneのリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミングで特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士だからこそできる強さだと思われる
なお、氏の記事を読むと「フリック入力」自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要な特許の公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力の発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力を発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体は90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法の一角を占めるに至っていたので、iPhoneに実装されたことは不思議でもなんでもなく、
このあたりは荒唐無稽な邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは(そもそもiPhoneのフリック入力を開発したのはAppleであってソフトバンクではない)
まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである。書籍の宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明家であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式(トグル入力)に比べ、素早い入力が可能になる。その入力効率の高さから、2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」[2]が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライターの小川コータがiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利はマイクロソフトに譲渡された[4]。
ただ、これはおそらく関係者の自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許が小川氏のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないか。フリック入力は前述のように地道な技術の差分の積み重ねなので、個々の差分の開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)
了解。議論の流れを踏まえ、あなたの主張(「外国人労働者なしで“管理された縮小”は可能」)の中核仮説を、データで一点ずつ崩します。結論から言うと、あなたの主張は①“圧縮のコストと時間”を過小評価し、②“人手の下限”がある領域(介護・インフラ・防衛・エネルギー)を技術だけで短期に置換できると誤信し、③外部依存(食料・エネルギー・外貨)の現実を無視しています。政策論としては実装不能な楽観です。
あなたの主張は「都市統合・生活圏圧縮」で“均衡”を保てると主張しますが、固定費は連続的に下がらない。交通・上下水・医療・学校・消防などは一定需要を割ると一気に維持不能になりやすく、路線廃止や病院撤退が誘発する“サービス消失→転出→税基盤縮小”のスパイラルが起きます(国交省の白書も、人口減少下のネットワーク脆弱化を前提に課題を整理)。 ([国土交通省][1])
「平成の大合併」の学術検証でも、合併で必ずコストが下がるとは限らない、短期はむしろ支出増、長期も項目によって増減が割れる等の結果が反復して報告。統合=節約は近似であって恒真ではない。つまり「密度再編すれば固定費が下がる」は一般化の誤りです。 ([J-STAGE][2])
厚労省の最新推計:介護職員は2040年度に約272万人必要(22年度比+約57万人、年+3.2万人ペースでの純増が必要)。現実は離職超過や採用難が強まり、介護は1応募に4.25求人という“超売り手市場”のケースも報じられています。不足の山は2030年代半ばに顕在化します。 ([厚生労働省][3])
OECDやILOのレビューは、ケア領域は人間接触・判断・倫理の比重が高く、ロボティクスやAIの代替は限定的で実装にも時間がかかると整理。生成AIで事務軽減はできても対人ケアの主工程は当面人が必要です。 ([OECD][4])
産業側でもロボット密度は世界的に急伸中ですが(IFR)、増設は主に製造現場。あなたの主張が要の介護・医療・運輸サービスは自動化難度が高い領域です。“質的転換で穴埋め”は2030sのピーク需要に間に合わない。 ([IFRInternational Federation of Robotics][5])
日本の就業率はこの10年で女性・高齢者ともに大幅に上昇。今後も改善余地はあるが、弾は既に相当使っている。OECDやJILPTも、日本の人手不足は“長期・構造的”と評価。女性・高齢者の追加動員“だけ”で需給を均すのは難しい。 ([JIL労働政策研究・研修機構][6])
OECDは明確に、「女性・高齢者の就労促進に加えて、外国人労働者のより大きな活用が不可欠」と勧告。あなたの主張はこの国際的なベースラインを外している。 ([OECD][7])
日本は食料自給率(カロリー基準)38%。残りを輸入に頼る構造は不変で、価格ショックに脆い。輸入代金の原資となる外貨獲得は規模が要る。“縮小+内需シフト”は、食とエネの輸入価格変動に晒されやすくする。 ([農林水産省][8])
エネルギー自給もOECD下位の水準。再エネ・原子力の拡大方針は進むが、当面はLNGなど化石燃料が必要。地政学次第でコスト高リスクは常在。輸入代替が進むまでの移行期は外貨の厚みが防波堤になります。 ([Reuters][9])
無人機・AI化はトレンドだが、整備・補給・サイバー・指揮統制など人員需要は不可避。装備の国産化・共同開発にも裾野人材と企業群が要る。人口と人材の最小密度を割る縮小は、維持費の単価上昇と技術の途切れを招きがち。ここを外国人高度人材まで閉じるのは自縄自縛。〔※エネルギー安保と同様、移行期の脆弱性は高い〕(政策白書・エネルギー構成の記載参照)。 ([Reuters][9])
在留外国人は376万人(2024年末)。内訳は「永住」「技術・人文知識・国際業務」「特定技能」「留学」などに分散し、技能・専門に紐づく制度設計が中心。一律の“安価な労働大量投下”という描写は実態とズレる。 ([法務省][10])
有効求人倍率は直近でも1.2倍前後の張り付き。構造的な人手不足が続いており、賃上げと自動化を促す圧力は弱まっていない。むしろ企業は賃上げ・投資・定年延長を同時進行。受け入れ=改革を止めるという単純因果は成り立たない。 ([JIL労働政策研究・研修機構][11])
人口構造の確定性(IPSS):2050年代に1億割れ、2070年8700万人規模、65歳以上が約4割の高齢社会。現役世代急減は避けられない。圧縮・自動化は必要だが、需要のピーク(介護・医療・インフラ更新)が先に来る。 ([情報処理推進機構][12])
だからこそOECDは、「女性・高齢者活用に加えて移民(外国人労働)」と複線を勧告。“技術と圧縮だけ”に賭ける単線は、移行期リスク(サービス崩壊・地域消滅・外貨不足)を無担保で抱える。 ([OECD][7])
私の主張が示した筋に沿い、単線(自動化・圧縮のみ)ではなく複線でリスクを分散すべきです。
日本が取るべきは、圧縮×自動化を前進させつつ、管理された受け入れを“保険”として併走させる複線戦略である。単線はリスク集中、複線はリスク分散。これが現実的な均衡です。 ([厚生労働省][3])
執筆依頼募集中と書いてた時からボタンは表示されてなかったのに、表示されたものを投稿してる奴がdorawiiを名乗ってるのには齟齬がある
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251021183025# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPdSsQAKCRBwMdsubs4+SDF+AP9+0z5V2eMqHuxKQ9XhIuc9yftU0Gxneb/bXj3WqKTkbQD/TZdVv9zrrwhhCliZJYAehnbxnIVMEupANjWNVG8iDQQ==l2+z-----ENDPGP SIGNATURE-----
いわゆるJTCで管理職になったばかりだ。広告会社(代理店)で働いている。一応は業界大手。
大阪に北区というのがあって、繁華街なので当然飲み屋がある。たまに仕事帰りに居酒屋(レストラン)に寄ったり、会社仲間と飲んだりする。
その中で、大卒採用というものについて考えさせられることがあった。
私がよく行く夜の飲食店だが、居酒屋系である。いわゆる高卒とか、専門学校卒とか、そういう店員が多くいる。
例えば、パリピな感じはしつつも傾聴力がしっかりしてる男の子とか、過去に介護の仕事をしてた子で、どんなお客さんともニコニコ笑顔で接する女性とか、まだ若くて高校生なのだが、未完成ながらもハキハキとした接客でソツがない動きをするとか、面白い子が世の中にはたくさんいる。
彼ら彼女らを見ていると、うちの会社に入ってくる新卒の子と比べてしまう。
大体みんないい子である。一流大卒だし、人と仲良くしようという気があるし、恋人がいるようだし、ほうれんそうもちゃんとできる。しかし。
面白さというか、自分だけの尖がった感じがないのである。岡本太郎の書籍でいうと「自分の中に毒がない」若者たちである。
一度、うちの会社の上司数人とその居酒屋さんに行って、そこまで大きいカウンターではないのだが、座って歓談をしていた。歓談をしてるうちに、上に挙げたような若い子たちとトークになった。
みんな、すごく話が面白いし、こちらの話もしっかり聞いてくれる。頭の回転が早いし、打てば響くというコミュニケーションである。同じ北区にあるクラブ嬢と同等の接客力だった。
上司達も、「飲んで飲んで!」と彼ら店員にドリンクを奢っていた(※店員さんに500円などの飲み物を出せるサービス。スパチャみたいなもの)。
これでまだ20代とか、未成年だと言うのだから世の中は広い。私が彼ら彼女らほどの年齢だと、全然そういう力はなかった。いわゆる盆暗学生で、それなりの大学には入学できたけれども、基本は遊んでばかりの毎日だ。年を経るごとに頭が悪くなっていく自分を恨めしく思っていた。
その日、楽しく話をしている最中だった。背後の方で、テーブル席で団体客の人らが大きい声を出していた。何か注文のトラブルがあったようだ。
カウンター席に座ったまま後ろを振り返ると、男性3~4人客に、女性店員1人だった。話の感じからすると、飲み放題の適用時間に齟齬があった様子だ。(お客は90分のメニューだと思っていた?)
記憶の限りでは、こういう会話だった。
「飲み放題ラストオーダーってなんなん?60分で終わりって聞いてないで」
「これは、ここですね……」
「え、これなん?」
「こんなんわからんやん!」
「大変失礼いたしました」
「なあ、当てがはずれたやんけ!!」
「わかりにくい表示でした。店長と話して追加料金で変更ができるかを……」
「わかりにくいやんけ!」
※さっきの客。北区にはこういう輩がいる
「なー、お前。失礼やろ。もう黙れ」
※隣の連れがさっきの客を制して
「ねえねえ。ところでおねーさん。年いくつ?」
「15才です」
「えー、そうなんや!15才か。それは……若い方やん。なあ?」
「うん。世間一般の労働者の中じゃ……お姉さん、比較的に若い方やで。間違いない」
※ここで全員が笑い出した
その後、差額分の負担で飲み放題を30分延長できたという会話があって、15才の子は男性客らにオレンジジュースを奢ってもらっていた。最初とは打って変わって、和やかな雰囲気になっていた。
はてな民の方々も思うところがあったと思うが、一般的な会社がほしい人材というのは、上のような子である。人当たりが悪くなくて、不潔さがない外見で、言葉遣いが常識的で、態度や行動も常識的である。社会的に正しい答えを導き出して動ける。
うちの会社もそうである。そういう子がほしい。別に高卒でも専門卒でも何でもいいから、さっきのような子だったら是非採用したい。一緒に働きたいと思った。彼女だけじゃなく、ほかの若いスタッフだってそうだ。
あの子達は……全員が非大卒である。高校中退とか専門学校卒。しかしながら、うちの広告代理店に新卒で入った子達の平均を(コミュニケーション能力において)凌駕しているのは間違いない事実だ。
さっきの15才の子も、あの年で居酒屋アルバイトというからして、何か家庭に事情があるのかもしれない。
ただ、個人的にこういう経験をしてしまうと、世の中学歴ではない、そんなものは単なる一目安でしかない。そんな上っ面で人を判断してはならないのだと思い知らされる。
とりとめのない経験談ですまない。けど、もう40を過ぎた一増田ユーザーとしては、確かにこんなことを感じている。
>自分の発言が自分だけの幸福感の自然な発露でなく「世間の風潮に負けないために!」が動機なのを自覚しろと言ってる
なるほど!自覚しているよ!(なんならそれが主旨ですらある)
そのうえで、
「子無し=社会規範や幸せに反した生き方だとされていること(不幸、不完全、フリーライドみたいなブコメ)」に反論があって、
・現状の社会規範は、個人の幸せの形を否定するための正論になるのか?
と思っていることを示したかった感じだよ。
もし言いたいことが
「本当は子無しで不幸なのに、逆張りで幸せぶってる!本当に幸せならわざわざ描かないはず!」ということなのだとしたら、ちょっともうこれ以上の齟齬の水合わせは難しいかもね。
「お母様は、境界知能なのではないでしょうか」
と言われて、はっとした。
これまで感じていた違和感が、すべて繋がったような気がした。
大人になり母が自分を産んだ年齢に近づくにつれて、母親の精神年齢の低さを実感することが増えた。
母は単なるヒステリックババアだと思っていたが、よく考えてみたらいろいろとおかしな点があったのだ。
まず、語彙が少なすぎる。
自分で言うのも何だけれど、どちらかといえば私は語彙が豊富な方であると思う。
しかしそれを抜きにしても、あまりに言葉を知らなさすぎるのだ。
レクリエーション、秀逸、杞憂、齟齬、前衛的、などの言葉がわからない。
タンクトップ、キャミソール、ノースリーブの違いがわからない。
語彙の少ない幼少期は特段困ることはなかったが、思春期頃に入ると会話が成り立っていないなと感じることが増え、それなりにストレスを感じていた。
話し合いの中で、母は子どもに自分の知らない言葉を使われると、決まってため息を吐き、徹底的に子どもの言い分を無視した。
限界値を突破すると「何を言っているか分からない!うちの子はバカでどうしようもないんだ!」と泣き喚く。そのおかげでわたしは長年「自分はバカで言葉遣いがおかしいから、何を話しても他人に伝わらない」という呪いに縛られてきた。
世間を知らなさすぎる。
田舎から出たことがない、という生い立ちも関係するのかもしれないが、時事ネタや世間の流行を知らない。世情やニュースの話をしても全く通じない。
近所の◯◯さんが離婚したとか、◯◯ちゃんがどこどこに就職したとか、それ何年前の話?というようなクソどうでもいい田舎ゴシップばかり延々と話している。
また、クイズ番組で母が正解している様子を見た記憶がほとんどない。そのくせ子どもが間違った回答をしたり答えられなかったりすると「あんたはバカだね」とか「学校で何を勉強してるの?」とか言ってくるので、無垢なわたしは「おかあさんは相当頭がいいんだな」と思っていた。
そして、無知を補うために平気で知ったかぶりをするし、見え透いた嘘もつく。
自分の過ちを認めない。
どんなに自分が間違っていたことが明白でも、ごめんなさいが言えないし、ミスを隠そうとする。
母はあまり仕事が長続きするほうではなかったのだが、このあたりが原因だったんじゃないかと思う。
仕事のミスを隠すためと言って、金銭を要求されたこともあったので。
人間だから多少の浮き沈みがあって当然なのだが、それにしたって…と思うところが多々あった。
怒りをコントロールできず、頭を掻きむしってうううう!!!と唸る場面もよくあった。
反対に楽しい気持ちもコントロールできないので、騒いではいけないような所で大声を出したりする。
金銭感覚がズレている。
そしてモノへの執着心が凄まじい。
わたしの母は安物買いの銭失いタイプで、安いものをなんでも欲しがった。
流行遅れの服を何十枚も買う。そしてその服を着ることはない。
誰かがいらないと言ったものはなんでももらってくる。洋服、アクセサリー、家電、家具、化粧品のサンプル、とにかくなんでも。
そして母は、犬さえも「衝動買い」した。
金銭的な余裕もなく、生活スペースもなく、家族に相談することもせず、しつけの仕方もわからないまま、安くなっていたからという理由で。
そして近所の人たちに「衝動買いしちゃったの〜」と言いふらしていた。わたしは本当に引いた。
可愛がっているようには見えるが、父親は犬にも平気で暴力を振るうし、メンチカツとか抹茶アイスのような食べ物を平気で与える。母はそれを静観している。
しつけをされていないので、トイレを覚えておらず、家で糞尿を垂れ流している。汚れ防止のために四六時中おむつで生活させられているので、陰部の毛が黄色く染まっている。
犬に罪はないし可愛いなとも思う。でもこの犬を見ていると、心が苦しくなる。
正直おかしい点を挙げたらキリがないのだけど、わたしとしてもちょっと吐き出したいだけだったのでこのへんにする。あんまり詳しく書くと身バレしそうだしね。
親が境界知能だと明確な診断をもらっている人はどんな感じなんだろう。
周りに似たような境遇の人が誰もいないから、インターネッツの海に放流してみる。
感情に任せて書いた文章なので、言葉足らずで稚拙な部分も多々あるけど、読んでもらえて感謝してます。
いろんなコメントあるので補足的なやつを。
わたしは鬱と不安障害があるので、医療機関と提携したカウンセリングを受けているよ。
コメントにもあるけど、カウンセラーの先生は、あくまで可能性を提示しただけであって、診断を下したわけじゃないっていうのがわたしの認識。でもちょっと断定的に書いちゃった部分もあるから、それは良くなかった。ごめんね。
わたし自身の知能は分からないけど、ADHDではある。ちなみに兄弟は中度知的障害。そのへんも踏まえて、もしかしたら…っていう話だった。ただやっぱり親自身に検査を受けてもらうというのは難しいだろうから、自分の中でこういった仮の結論付けをすることですこし楽になるかも、というような感じだったよ。
あと、わたしは高校を出てからずっと親とは別居していて、犬を飼ったのはその後のこと。
そして…読んで分かる通り、父親もかなりヤバいです。(それもちゃんとカウンセリングで話してるよ)
でも今回は母親にフォーカスを当てたかったので、そっちの話を中心に書いてたら、なんの脈絡もなくとつぜん暴力ジジイが登場する感じになっちゃった。ホンマに文章が下手でごめんよ…
追記はもうしないと思う。疲れちゃうからね。本当にちょっと吐き出したいだけだったんだ。仲の良い友達は家族に恵まれている人が多くて、親を悪く言うと糾弾されることが多いから、気持ちの捌け口が欲しかったんだよね〜
読んでくれてありがと!
Permalink |記事への反応(30) | 23:04
風が吹いたら桶屋がもうかるので、風がつねに吹いている地球上では桶屋がもっと乱立しているべきである
っても桶屋なんて乱立してないよね
実際、その話をしたところで誰にも肯定されていない現実自体が答えです
①正しいはずなのに、論理的に明晰なのに なぜ自分だけが閃いたのか
仮定に空想を混ぜて空論からでた結果を明晰だと言われても、存在していない時点で何かが欠けてるの
基本的な構造、タイミング、著名な宣伝者、なにかが欠けてるので今それ出しても肯定されない
たぶん否定すべきというロジック自体が存在してないので否定をしようとすると人格否定になってしまうので否定のしようがない
もし人格の否定をすると話のすり替えだと言われて聞き入れてもらえない
「えっちはいけないとえらい人がいっているので搾取だから人権侵害をゆるすべき」という謎のキメラを生み出した事自体「論理的だ」と思っているのがおかしい
②言葉で人は傷つかない 人の行動で傷つく
まず被害と加害は構造でも状態でもなく、それを授受した人間にあるもの
だから当該者の話をすべき
偉い人がいわざるをえなくなった事例などがあり、それを阻止するために上の人が動いたわけで
その高さまで積みあがる罪や害があったわけ
えっちな絵で倒れたり死んだり物理的に傷を受けた人はいないから保障のしようがない
傷のついてない壁を補修するための道具も材料もない
それを見た自分なり他人なりといった人間が動作をして、自分なり他人なりを傷つける行動をします
えっちな絵も同様です
③「それを見てやりたくなったから」というのは中身のない言い訳
あなたの軽蔑するその人たちがそれをいいことに妄想で楽しむ姿をいつか現実にまで波及するのではないかと危惧する人はいるでしょう
実際問題「これを見たからやりたくなった」と供述してる例は多くあるでしょう
その「多くある」は「1作品につき1犯罪」以上のものがあれば規制は検討されてもよいかもしれません
ジョーカーを見たからそんな人が集まって多くの犯罪が発生したとなれば規制もされるかもしれません
何前何万と振りまかれた情報で1しか発生しないものを「みたからやった」で通じるのはおかしいと思いませんか?
それはその人の言い訳に使って自身に降りかかる非難を避けるためだと思いませんか?
一つの情報源から多くの人の迷惑行為につながった事例は渋谷のハロウィンみたいなものをいうのでしょう
ハロウィンは、渋谷においては規制されてしかるべきだと私も思います
やり方を知って、やれるとわかったから実行したというのは禁止されるべき行為なので、1対多であれば1を規制すべきです
しかし害が1対1で益が多対1であれば、どちらを規制するべきでしょうか
そして最終的に性的搾取が偉い人の懸念していた事に近いと思ったというのは、その思ったのは誰でしょうか
あなたの思考回路がそう判断して、それについて全く齟齬がないと感じた心でしょう
社会的に情報を広汎へ流せる人物が唱えていた話と、自分の見たものが一致しているのでこれはおそらく自分が考えるに正しいだろう
高名な方の言っていた難しい理論はわからないけども、自分のこの判断とおそらく一致している
つまり高名な方はこれをやれと言っている、神はそう告げている、と勝手に妄想を暴走させることがそれです
だれもそれをしなさいといっていないし、やっていない、なりたっていない理論を「自分だけ特別に選ばれたからお告げがあった」みたいな欲望のひらめきは、偶像です
偶像でない本体はそんなことを言っていないので、未だだれも行っていません
あなたが第一人者としてだれも行っていない事を、特別に気付きやお告げがあったので実行しよう、そうだと肯定しようというのはおそらく間違いです
実際、その話をしたところで誰にも肯定されていない現実自体が答えです
その論をもっと煮詰めるためにも、現実の名前を一つずつあててみてください
損と得と、害と快を、つなげてみてください
おそらく全部がつながります
この記事は、クルマのニュースに乗った、「ホンダ斬新スポーツセダンとSUV」「新世代Hロゴ採用と巨大ディスプレイ」「中国のイエシリーズが話題」「反響多数」といった主張を、一次的事実関係に照らして検証し、どこが誤解を招くのかを指摘するものである。対象記事の出典は以下である。
https://kuruma-news.jp/photo/949010
実際の時系列と「名称」「販売」「展示」を切り分けると、対象記事の印象操作が見えてくる。
「イエ」はシリーズ呼称である一方、量販時の実車は「Honda S7(東風ホンダ)」「Honda P7(広汽ホンダ)」名義で販売されている。S7は2025/03/06に中国で発売、報道価格は259,900元から。P7は2025/04/15〜16頃に199,900〜249,900元で発売。量販フェーズでは「イエ」バッジを前面に出さず、Honda S7とP7として展開されている。対象記事はこの名称運用の違いを十分に説明していない。
GTは2025/04/23の上海ショーで「世界初公開」されたコンセプトが起点である。これを「5月に登場」などと書けば、読者は市販投入と誤解しかねない。公開と発売は異なる位相であり、「登場」という語で両者を曖昧化するのは典型的な見出しトリックである。
「話題」と「売れている」は別事象である。P7の月次は2025/05に98台、06に248台、07に263台、08に158台程度。S7は2025/05で22台程度の立ち上がりにとどまる。これで「反響多数」を強打しても、販売実績の裏づけは弱い。対象記事は、数字で裏づけを示さず印象だけを拡張している。
記事は「巨大ディスプレイ」を大見出し化しているが、注目のポイントは「遠焦点」含むシアター的体験のコンセプト性であり、実装の範囲、法規や市場別仕様、量販モデルでの採否は段階が異なる。そこを説明しないまま期待感だけを煽るのは不親切である。
新ロゴ採用それ自体は事実だが、ロゴ変更と商品力は別物である。意匠の刷新を技術や市場競争力の代理指標のように扱うのは、読者の理解を混乱させる。
対象記事は写真スライドを多用し、テキストを断片化している。見出しの「登場」や「反響多数」といった煽り語をページ送りに散らすことで、読者に「もう市販されて大人気」のような連想を起こさせる作りだ。写真カタログ式は視覚的には楽だが、時系列やモデル別の整理が崩れ、誤読を誘発しやすい。
中国市場は2024〜2025年にかけて価格競争と新陳代謝が極端に速い。日系JVはブランド再定義の只中にあり、立ち上がりの数字が厳しいのは広く報じられている。ここを削り、見出し語の「反響多数」で上書きすれば、読者は現実のハードモードを認識できない。市場背景を外した結果、記事は単なる話題寄せの販促的文言に堕している。
対象記事は、見出し語と写真スライドで「公開」と「市販」「話題」と「販売」を意図的に曖昧化し、読者に過大な期待を抱かせる作りである。シリーズ呼称と実車名義の違い、GTの段階、量販の現実を素通りして「反響多数」を繰り返すのは、情報提供として不誠実だ。読者は、見出しの快楽よりも、名称、時系列、数字という地味な事実の積み上げを優先すべきである。
この記事は、クルマのニュースに乗った、「ホンダ斬新スポーツセダンとSUV」「新世代Hロゴ採用と巨大ディスプレイ」「中国のイエシリーズが話題」「反響多数」といった主張を、一次的事実関係に照らして検証し、どこが誤解を招くのかを指摘するものである。対象記事の出典は以下である。
https://kuruma-news.jp/photo/949010
実際の時系列と「名称」「販売」「展示」を切り分けると、対象記事の印象操作が見えてくる。
「イエ」はシリーズ呼称である一方、量販時の実車は「Honda S7(東風ホンダ)」「Honda P7(広汽ホンダ)」名義で販売されている。S7は2025/03/06に中国で発売、報道価格は259,900元から。P7は2025/04/15〜16頃に199,900〜249,900元で発売。量販フェーズでは「イエ」バッジを前面に出さず、Honda S7とP7として展開されている。対象記事はこの名称運用の違いを十分に説明していない。
GTは2025/04/23の上海ショーで「世界初公開」されたコンセプトが起点である。これを「5月に登場」などと書けば、読者は市販投入と誤解しかねない。公開と発売は異なる位相であり、「登場」という語で両者を曖昧化するのは典型的な見出しトリックである。
「話題」と「売れている」は別事象である。P7の月次は2025/05に98台、06に248台、07に263台、08に158台程度。S7は2025/05で22台程度の立ち上がりにとどまる。これで「反響多数」を強打しても、販売実績の裏づけは弱い。対象記事は、数字で裏づけを示さず印象だけを拡張している。
記事は「巨大ディスプレイ」を大見出し化しているが、注目のポイントは「遠焦点」含むシアター的体験のコンセプト性であり、実装の範囲、法規や市場別仕様、量販モデルでの採否は段階が異なる。そこを説明しないまま期待感だけを煽るのは不親切である。
新ロゴ採用それ自体は事実だが、ロゴ変更と商品力は別物である。意匠の刷新を技術や市場競争力の代理指標のように扱うのは、読者の理解を混乱させる。
対象記事は写真スライドを多用し、テキストを断片化している。見出しの「登場」や「反響多数」といった煽り語をページ送りに散らすことで、読者に「もう市販されて大人気」のような連想を起こさせる作りだ。写真カタログ式は視覚的には楽だが、時系列やモデル別の整理が崩れ、誤読を誘発しやすい。
中国市場は2024〜2025年にかけて価格競争と新陳代謝が極端に速い。日系JVはブランド再定義の只中にあり、立ち上がりの数字が厳しいのは広く報じられている。ここを削り、見出し語の「反響多数」で上書きすれば、読者は現実のハードモードを認識できない。市場背景を外した結果、記事は単なる話題寄せの販促的文言に堕している。
対象記事は、見出し語と写真スライドで「公開」と「市販」「話題」と「販売」を意図的に曖昧化し、読者に過大な期待を抱かせる作りである。シリーズ呼称と実車名義の違い、GTの段階、量販の現実を素通りして「反響多数」を繰り返すのは、情報提供として不誠実だ。読者は、見出しの快楽よりも、名称、時系列、数字という地味な事実の積み上げを優先すべきである。
ChatGPTに書かせてみた。
タイトル:
怒りは誰にでも湧く感情です。でも「絶対に怒らない人」は特別な人ではなく、習慣的に思考と行動を整えている人のこと。本書は、怒りに飲み込まれず冷静さを保つための具体的な思考法と日常で使えるテクニックを紹介します。感情が揺れたときにすぐ使える「小さな習慣」を中心に、実践的で現実的なアドバイスをお届けします。
内容(〜350字)
怒りを感じた瞬間、自分の中でその感情に名前をつける――「今、燃えている」「今、傷ついている」と短く言葉にするだけで、感情は主観の渦から一歩離れて見えるようになります。名前をつける行為はメタ認知を促し、自分を観察者に切り替えるトリガーになります。習慣化すれば瞬間的な反応が減り、選べる行動の幅がぐっと広がります。
内容(〜380字)
怒りは身体反応が先に来ます。そこで「呼吸を整える」を作業化しましょう。4秒吸って4秒止めて6秒吐く、など決まったリズムを持つと自律神経が落ち着き、理性的な思考が戻ります。スマホのタイマーや指の数え方でルール化すると実行しやすい。大事なのは“いつでも使える簡単な作業”にすること。短時間で感情の嵐を和らげられます。
内容(〜370字)
怒りの元は事実そのものではなく、そこに乗った解釈や期待です。まずは起きたこと(事実)を書き、次に自分が感じていること(感情)、最後に自分がその事実にどう意味づけしているか(解釈)を分けて整理しましょう。こうすることで「変えられること」と「受け入れること」が明確になり、不要な怒りを手放しやすくなります。
内容(〜360字)
怒りに身を任せると短期的な満足(言い返す、叩きつける)が得られますが後で後悔しやすい。そこで「5分ルール」を導入。怒りが湧いたらまず5分保留。スマホを置く、席を離れる、メモするなど小さな行動で即時の衝動を止めます。多くの場合、時間が経てば視点が変わり、より建設的な選択ができます。
内容(〜380字)
他者は自分とは違う体験と価値観の「地図」を持っています。怒りを感じた相手の背景や事情を想像する練習を日常化しましょう。「今この人は忙しいのか」「失敗を恐れているのか」など仮説を立てるだけで、相手行動の解釈が柔らかくなります。想像は同情ではなく、判断の幅を広げるツールです。
内容(〜360字)
多くの怒りは期待と現実のズレから生まれます。期待を明確にして相手と共有する、あるいは自分の期待を現実的に引き下げる習慣をつくりましょう。事前に「こうしてほしい」と短く伝えるだけで齟齬は減りますし、自分で期待を見直す訓練はストレス耐性を高めます。期待は柔軟に扱うと武器になります。
内容(〜350字)
怒りを伝えるときの言葉選びで結果は大きく変わります。「あなたはいつも〜」ではなく「私は〜と感じた」と主語を自分にするだけで防御的な反応が減ります。感情を事実と結びつけない「私はメッセージ」を常備語にしておくと、対話が壊れにくい。言葉は感情のブレーキにもアクセルにもなります。
内容(〜370字)
場の緊張を和らげる武器にユーモアがあります。ただし嘲笑や軽視は禁物。自分の失敗を軽く笑える自己開示や、「自分の脳が騒いでるだけ」といった緩衝フレーズを使うと、相手も警戒を解きやすくなります。ユーモアは相手を下げずに空気を変える“調味料”。使い方を誤らなければ強力です。
内容(〜380字)
怒りそのものを否定するのではなく、生産的な行動に変換する方法を持ちましょう。短時間の運動、問題点の箇条書き、改善可能なアクションリスト作成など、怒りを「次に何をするか」に向ける訓練です。感情を動機にして具体的な一歩を踏むと、自己効力感が高まり再び怒りに振り回されにくくなります。
内容(〜370字)
日々の小さな習慣が「怒らない力」を育てます。瞑想、日記、感謝リスト、定期的な振り返りなどをルーティンに組み込み、感情の起伏に気づく力を高めましょう。筋トレと同じで継続が効果を生みます。短期テクニックと長期習慣を組み合わせれば、自然と怒りが起きにくい心の“筋力”がつきます。
「絶対に怒らない」とは感情の否定ではなく、選べる人になること。ここで紹介した思考法は即効性のある小さな道具ばかりです。大切なのは試してみて、自分に合うものを残していくこと。怒りは使い方次第で味方にも敵にもなります。あなたの人生の中で、怒りがより賢く、安全に機能するようになることを願っています。
めでたい事なのに、ちょっと不穏な雰囲気を感じたのでこれをきっかけにちょっと昔の話をしようと思いました
古参マウントがしたいわけじゃなく、一応これだけ見てた1オタク視点の話をしますという前置き
嘘は何も書いてないけど、流石に8年分は間違いがないとは言えなし、あくまで私の見てきたことだからこういう見え方もあったんだなくらいの内容
(過去の批判された事象を語るのでライバーに対する酷い言葉が見受けられますが、事象を語るためであり私の言葉ではないです
だって、にじさんじは出来た時から方向性批判をされてきた箱だから
細かいことを言うととんでもなくあるけど、私の記憶にある中で目立ったものを書いていくね
当時キャラクター性の強い3DがVTuberの正解であり、少なくとも企業であればそうあるべきだとされていた
1期生のデビューは、2D、一気に8人のデビュー、動画メインの当時異例の配信メイン、圧倒的女VTuber環境・ユニコーンが多い中で男V
どこを取っても異例すぎたので、四天王の作っていたVTuber文化の破壊者として叩かれていた
よく言われていたのは、「ただのニコ生主」
もちろんそれ以上に支持されていたし、ファンも多く批判は裏腹にVTuberイベントや他VTuberとのコラボにもよく呼ばれていた
よく聞く話だと思う
その通りで、それ以上の話はないんだけど
当時は配信主体といえど、ファン自体は主流の動画勢から流れてきているので1時間でまとめること
配信は動画のようにきれいに収めることを重視されていたと記憶している
一部のリスナー間では、ゲームは甘え、雑談が正義とされていたので時間を決めずグダグダもエンタメにしようというSEEDsは方向性が違いすぎたので生態系を荒らす外来種に思えたんだろう
私自身は批判派ではなかったが、急にハンドルを切られたような衝撃を覚えた記憶がある
その分めちゃくちゃ新規が増えた
にじさんじのファンというよりはSEEDsのファンという感じだった
─────メタ注意─────
正直、私自身はそのような話に興味はないし、いわゆる前世に当たるような配信サイトなどに縁のない人生だったでそれが正しいのかどうかも分からない
なので、そう言われていたという話
素人がいないと次の委員長は見つからない、コネなんじゃないかと
実際、その前世が本当かどうかはわからないけど、批判されていた人数は両手で足りるほどで2019年のデビューラッシュの人数から考えれば気にするほどの人数ではないし普通に偶然だろうと思う内容だった
オーディションの条件変更の理由なんて発表されるわけないので分からないけれど、タイミングが契約解除の数カ月後だったからたぶんそう
経験者限定と言っても4つほど枠があり、一つは自由枠だったので、実際言ったもん勝ちだろうと個人的には思っていたが、素人信仰の強い人たちがもう面白くなくなると嘆いていた
これも2019年のはじめの方なので、その後が分かる現在から考えればいかに意味のない批判だったのか分かるね
────────────
同じく2019年にあったのは、初配信で性癖暴露みたいなノリがあった
ちょっと特殊とか癖ある性癖を言ってたんだけど、わざとらしい!ヤバイ奴ぶるなと叩かれてた
未だにそれが嘘だって感じはないし、当たり屋みたいな批判だよね
正直一番よくわからん
ストリーマー売りをしていると叩かれていた
Apexが流行ったのでApexをやってる人が増えた
とはいえ、にじさんじには100人くらいいるので、Apexをプレイしてる人は半数くらいで、50人くらいは触れてすらいない
操作したことある50人の中でもApexをメインコンテンツにしてる人なんて数えるほどだった
箱のApex大会が決まったときに異様に叩かれていたはたぶんこの影響
そして、いつ頃から言われていたかわからないけど、Apexの影響で大会が増えストリーマーと関わる機会が増えたのをきっかけに言われるようになったストリーマー売り
なにを境目とするかは分からないけど、ストリーマーと仲良くてゲーマー気質でストリーマー寄りの配信スタイル(?)なのが条件のように感じる
これで叩かれてた人たちは、今アイドル売り批判をする時に都合よく持ち上げられる人たちが多い
徐々に女リスナーが増え、勢いのある男性ライバーが増えつつあった中で、これからは女向けコンテンツになるんだと嘆いていた人たちがいた中でデビューしたVΔLZ
とはいえ、女が増えると言っても元々VTuberのリスナーは9割くらい男だったし、黎明期なんて基本ユニコーンだったので、男は増えようがないし、そんな状況で女が増えたところでせいぜいトントンだ
ほぼ0なのだから、1 でも増えたら大きな変化に見えるというだけだと思う
初の男同期だったのでかなりザワついた
ザワついただけならいいんだが、悪い意味でのザワつきもかなりあった
2018年まで多人数同期でデビューしていたが、そのせいで埋もれた人がいたことを考慮して2019年以降は少人数を連打していくようになったのではないかと思っていたので、個人的には男同期が生まれたからといって、その前後も含めて同期のようなものだろうと感じていたから過剰反応だと思っていた
デビューしてからも、女に媚びて面白くないだの、コメント欄が女ばかりだの、リスナーと話が合わなくて可哀想とか(これは可哀想の前にコメントしたらと思う)
とにかく私が配信を見て感じるものとは違う、容姿からくる偏見批判だった
確かに女リスナーは多かったけど、批判されなきゃいけないような状況だなんて思わなかったよ
今では3人ともそんなこと言われても思われてもないので、いかにこれが適当だった分かるよね
こんな感じで偏見で叩かれると、1.2期生の彼らも今デビューしてたらイケメンだ!!女向けやめろと言われていたんじゃないかと思う
もちろん全員綺麗ではあるが、特に美麗系の絵柄の人たち
にじさんじ=おじさんという偏見があるが、'19年までに限っても美麗イケメンのほうが多い
おじさんがいるのが魅力なのは共感するが、おじさん=にじさんじではない
おじさんもいるよくらいが良さなんじゃないの
逆におじさんばかりになったらおじさんに味を占めて多様性を失ったなとなるんじゃない?
おじさんこそにじさんじで、イケメンはアイドル売りでにじさんじらしくないと言うなら、1.2期生の漢組もクロノワもにじさんじではなくなる
逆にかわいい女の子たちもいっぱい居るけど、女の子がデビューした時かわいいなんてユニコーン売りだと叩かれるようなものだけど、納得できる?
正直、私もろくな社会性がないので、これには不安を感じていたので強いことは言えない
センシティブなコンテンツが若干消えたりしたので上場のせいだと言われたが普通にYouTubeのせいだ
周りを見れば、他のVTuberも消していたり、YouTuberの動画も昔より過激なことはBANされるようになっていってる
とはいえ、自分の推し以外興味がないというのはしょうがないこと
知らないと勘違いするのも仕方ない
でも、知らないことは分かるだろうからその状態で批判はやめたほうがいいと思う
上場の影響だと言われていた
でも、憶測だけど、VTAができるちょっと前、金魚坂めいろの契約解除が出た
前の契約解除とは比べ物にならない箱を巻き込んだ炎上の契約解除
前の契約解除の後にもオーディション条件が変わったことを考えるとたぶんこの影響である可能性が高いんじゃないかと思う
今も続く批判だけど、VTAは型に嵌まった人間を作る工場だと言われていた
これ成人が言ってるのか本当に心配なんだが、
学校=ロボット製造と思いこんでいる、人生は冒険みたいな人達が学校というワードに反応して批判していると感じていた
よくあるやつは、曖昧な成果に対して高額を払わせるから疑問視されているので無料のVTAには関係ないんだけど、学校なら同じだと思われていた
私は前述した雑談崇拝されていた時代を思い出して、VTA1期生が昔の1.2期生しかいなかった時代を思わせてくれてエモいと嬉しいかった
だが、世間的にはにじさんじらしくないとされていて、古のにじさんじという認識の差を感じた
2025年から考えれば古ではあるけど、2018年のVTuber界隈は体感5年くらいあるので同一視すると共通認識が難しいくらい違う
どちらも古き良きでいいと思うけど、1期生からVTuber界隈で普通に目立ってたのにSEEDsのみを指して言われるとそれ以前の活躍がなかったものにされたみたいだ
例えば、ホロライブみたいに、3期生から大きくバズって方向性を変えた場合
3期生を指針にするのは分かる
されてるか分からないけど
にじさんじは1期生からバズっていたんだから、それを無視するのは歴史改変ぽくて嫌だな
何を指しているのだろか
歌っているから
今に始まったことではないだろう
普通にアイドルを志すライバーや、アイドルとしてデビューするライバーを指しているわけでないと思う
もし、それを指すなら箱がアイドル化したとはいえないし普通に職業差別でやばい
VTuberにおいてアイドル売りとはユニコーン売りの隠語で、皮肉でもある
歌っている=アイドル
ただ、昔からにじさんじのリスナーの一部には性欲で見てないおもしれーものを見ている自分に酔っている選民意識があるので職業としてのアイドルような事しているだけで、アイドルっぽいという事は、ユニコーン売りと誤認しているんじゃないか
歌であれば、切り抜きもいくつもあると思うけど、歌が苦手な新人はいくらでもいる
それをアイドル売りで批判するのはあまりにも早計で、実際にファンからしたら効く煽りでもなく何この人とドン引きされてもおかしくないほど的外れだ
昔は気軽に歌えなかったこともあって、権利関係わかんなかったからかアカペラ歌枠もあったくらいだと記憶しているよ
昔は任天堂もオープンレックか個人でサブスクみたいなやつ入らないと配信できなかったけど、今は権利関係を明確にできたように、歌も同じく権利確認方法が確立されたから歌も気軽になっただけじゃないだろうか
2Dも進化し、3Dも進化し、ゲーム方面も進化し、イベントも進化し、その他色々できる事が増えているのに歌だけ進歩してなかったらそれはそれで問題じゃないか
歌が好きで入った人はここ数年だけではないことは分かると思う
その人たちが歌方面が整ってない時、CDを出したくても出せないこと、CD以前に音源配信もままならなくて、ソロライブの夢も現実味なくて
そういう状況から、それを叶えられるようになった
叶えられるようになった環境でデビューしたから新人は初めからできる事が多いので注力してるように感じるというだけ
総合的に見れば活動自体は変わらないし、その恩恵を受けいてるのは女ライバーも変わらない
昔からいるライバーの中で初期は歌をメインにしてなかった人がアイドル衣装を手に入れたり、歌ったり踊ったりしていることもある
順番が逆なだけで、新人も同じ
順番が逆なのも歌しか取り柄がないわけじゃなくて、アピールできる環境の有無だけだろう
きっと古参ライバーだってデビューした時から今の環境ならもっとやれてたって人もいるんじゃないかな
それに昔から追ってると、ライブで一緒になった、歌が得意なライバーやダンスが得意なライバー、ステージグが得意なライバーに影響を受けて頑張ろうと思ったというエピソードはよく聞いたよ
それを踏まえて、今ある歌の環境はただのアイドル売りと切り捨てれるものではないと思う
同期ユニット自体は2019年からの流れそのもので何の変哲もない
アカウントがあるのは、にじさんじのサブ垢を作るようになったのがここ数年のことだからだと思う
サブ垢を作るようになってから、昔からユニット活動して人もアカウントを作ったように、新人だからではなく、できるようになったからやったのだと感じるよね
デビュー時からユニットアカウントがない同期もいるけど、結局本人達の意志でユニットアカウントが出来たりするし、一方で、作らないところは今もない
それは、ユニットの押し付けではなくライバーの意志によるアカウントなんだなと思える
さっきも書いたが今に始まったことじゃない
にじさんじに奇抜な見た目が必要だというが、奇抜な見た目だけで異端アピールはキツイと思う
奇抜な見た目に勝てる魂が必要で、そうじゃないと本当に出落ちで誰も幸せにならないと思う
だから、イケメンというVTuberの普通の見た目をベースにしているだけなんじゃないだろうか
そう言うと、奇抜な魂になれる人は受からないんだと怒りそうだが
落ちてるんじゃなくて、かなり限られると思う
ガワありオーディションの時、イラストレーターからしたらたまったもんじゃないだろうが、いい魂がいないと器そのまま未デビューや、同じオーディション勢からかなり遅れてデビューする人がいることがかなり信頼できると思っている
運営がやばいと褒められることに酔って見た目だけ用意して、その場に来た妥協点の魂を入れることは容易なのに、そんな事せず、ちゃんと適正を考えているんだろうと思ったから
こアイドルと言われるのにはVTAの影響もあるんだろう
歌、ダンス、配信 みたいな項目を授業内容として発表してたから
でも、VTA卒業生でも、歌やダンスに苦手意識がある人は普通にいるし、練習はその項目にしか使えないわけではないと思う
歌で言えば、
長時間配信をして喉を壊す人も多い中で発声練習ができれば喉を守る方法が知れるんじゃないか
ダンスなら、
3Dになるとリアルな動きはリアルより小さく反映されると言われている
体の動かし方を学べれば、3Dになったときより多くの表現につながるかもしれない
FANTASIAで男女ステージになった時にめちゃくちゃ批判されたのなにが多様性だよと思った
毎回男女で別れてたら面白くないのはわかるけど、男女の回があってもいいだろう
同期も同じく、男女でデビューしても、男のみでも、女のみでも結局箱で男女絡みあるんだしいいんじゃないか
男には興味ないけど男女箱を推してる自分が好き古のオタクがよく言ってる男はおまけであってほしい、人気出るなってことなのか
それは多様性ではないよ
そういう意見があってもいいけど、その本音を隠すために多様性とか言うのはやめてほしいな
長すぎた、読んでくれる人は続き
最近なろうやカクヨムで小説を読むことが多いんだが、コメント欄で当たり前のように誤字脱字指摘をしてる読者が多くて衝撃を受けている。あとストーリーや設定の矛盾とか齟齬についても指摘している読者をよく見かけるけど、これもびっくり。
ノンデリって言うの?誤字脱字を指摘されるのってあまり嬉しいことじゃないだろうし、もしするとしたら褒めた感想をメインに書いてちょろっと誤字脱字を指摘する方がいいんじゃない?
書き手も素直に「ご指摘ありがとうございます!」って言って修正してることが多いけど、内心傷ついてるんだろうな…って世話焼きおばさんみたいに心配してしまう。
二次創作(特に女性向け)の世界だと誤字脱字指摘って作者がキャプションに「誤字脱字があれば教えていただけると助かります!」って書いてない限りタブーなことが多いし、ストーリーや設定の矛盾や齟齬の指摘なんてクソリプやクソマロとして一蹴されるでしょ。
何て言うか、オリジナルももっと書き手に優しくなればいいのになって思う。お客様根性の読者が多すぎるんじゃないだろうか。商品として売ってる商業作品ならまだしも、なろうやカクヨムの大半は趣味で書かれたものが大半だろうし、作者の好きに書かせてあげればいいのに。
・風呂敷を広げるばかりでまともに回収できてない。「今週はこの話をした」という塊になっておらず全てが次週移行に回っている。指輪と努力の話だけは閉じてるが小さすぎ。
・新キャラと旧キャラの繋がりが弱く続編としての面白さが足りない。その割には背景設定は多重積載で上記の風呂敷広げっぱ問題が加速している。
・出てくる呪術のスケール感が小さい。続編ラストのインフレに負けないスケール感をハッタリで出せないと全部ショボく見える。
・呪術廻戦っぽい邪悪さが絵柄から出ていない。全体的に20%ほどポップで健康的な方向に進んでしまっている。
・呪術廻戦らしい温かみも涙ポロポロの過剰演出でイマイチになってる。湿っぽい感じじゃなくてポカポカする感じじゃないと呪術廻戦じゃないよ。
・戦闘アクションが大人しい。非現実的なのにリアリティは感じさせるバランスになれてない。こじんまりとした殺陣にするなら動きに生々しさが欲しいのにシュバシュバシュバではもう何がなにやら。
・68年後という設定に対して世界に代わり映えがない。チー付与みたいに「テクノロジーと相性が悪い」という設定があるならともかく、そういうのは呪術廻戦にはなかったはずだが?
・原作と作画の間に齟齬が起きている。というか、お互いに相手に無理に合わせようとして結果として良さを潰し合っている。
うん。
今のところ微妙だね。
おおかたAIに書かせたであろう無駄に抽象的な本文に、本文と齟齬のあるタイトル。投稿した人間の程度が知れる。
■石破おろしを望む君たちへ
一国の宰相の進退というものは、個人の感傷的な願望によって左右されるべきものでは断じてありません。国益、地政学的リスク、経済指標、支持率の推移、党内力学、そして何よりも具体的な政策の成果と、その再現性。これら無数の変数から構成される極めて複雑な関数によって、冷徹に判断されるべきものです。君たちのその願いは、この巨大な論理体系の前では、大海に漂う塵芥にも等しい、実に些末な存在であると、まずご認識いただく必要がございます。
もし仮に、君たちが石破氏の続投を本気で、かつ論理的に支持されるというのであれば、以下の点について、それぞれA4用紙20枚以上、一次資料を明記の上で詳細なレポートを、本日中にご提出いただけますでしょうか。
1. 石破政権下におけるマクロ経済政策が、他の先進国と比較して、具体的にどの指標において、どれほど優位性があったのかについての定量的分析。
2.外交における具体的な成果について、それが単なる現状維持ではなく、日本の国益を長期的に、かつ不可逆的に向上させたという明確な論証。前政権までの負の遺産を、いかにして解消したかの具体的なプロセスも含む。
3. 彼のリーダーシップが、内閣及び与党内の数多の抵抗勢力をいかにして説得、あるいは論破し、国論を二分するような重要法案を成立に導いたかの詳細なケーススタディ。
4. 今後想定される国内外のあらゆる危機(経済危機、大規模災害、軍事的衝突等)に対し、他の潜在的な首相候補と比較して、石破氏でなければ絶対に対応不可能であるという、排他的かつ決定的な論拠。
これができもしないのに「やめないでほしい」と声高に叫ぶのは、羅針盤も海図も持たずに「この丸木舟で新大陸を発見したい」と無邪気に語るのと何ら変わりありません。それは政治的主張ですらなく、単なる思考停止の表明であり、主権者としての責務の完全なる放棄に他なりません。
君たちのその感情は、結局のところ、政治という複雑系を自らの頭で理解しようとする知的努力を怠り、誰か特定の個人に「よきに計らえ」と依存している、精神的な未熟さの表れではないでしょうか。
総理が辞めるか辞めないかは、君たちのような根拠なき願望とは一切関係のない、極めて高度な政治的力学によってのみ決定されます。君たちが今すべきことは、無意味な願望を表明することではなく、自室にこもり、せめて近代政治史の専門書でも一冊、その内容の難解さに涙しながら、必死に読破することではないでしょうか。
複雑な前提条件全部すっ飛ばしてスカっと成分だけ享受しようったってそうはいかない
事実確認において齟齬がなく、裁判で認定された事実に誰も異論がなく、怒る相手はぱっと見超強そうだがケンカすればギリギリ無傷で勝てそうというハードルはそう簡単に越えられない
向こう側の政府がそう言っているのならこれはデマではなく誤解や齟齬では?
デマやフェイクニュースが広まったとして日本人側を貶めす意図は何?
別にアフリカ政府を腐すつもりもないんだけど、日本側を貶めすのも違うでしょ。
単なる誤解なんだから。しいて言うならミスコミュニケーションは良くなかったねって話でしょ?
それにアフリカ政府は嘘ばかりだからほっとけみたいな擁護なのか差別なのかわからんこと言ってるのは何考えてんだ。
特別ビザが発給されると発表したのがナイジェリア政府で、それに懸念を示した日本人がいて、誤解だったので日本政府が伝えて訂正してもらった。
日本人の間にデマやフェイクニュースが広がってると言ってナイジェリア政府が誤った情報を発信してしまったという事実を認識していない。
あーなるほど、互いに勘違いしているのか
だって別に君がFIREおじだと思ってコメントしたわけではないんだから
君がFireおじに対しての投稿をしたから、それに便乗しただけだし
それにナメクジ云々いってるのが君自身かは俺にはわからなかったから、たぶんFireおじ本人と思ったわけだよ
俺からすると当初はこう見えた
君は俺と別のツリーの中で話していた人だろ?でも俺はそこでは君のことをFireおじだと思っていたんだよ
こちらが勘違いしているのはそうだが、そもそも互いに名乗るわけでもないのだし、そこで互いの認識の齟齬を埋めずに一方的にガイジ云々は流石におかしいよな
追記: 怖くなって消すなよ