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2026-02-15

anond:20260215175618

幻覚を見たか、でなきゃ仮想現実での出来事と思うだろ!? そんな…現実世界で本当に誰かが電柱をファックして妊娠させたなんて思わねえよ!

考えてもみてほしい。電信柱妊娠するわけがないのだ

かぐや電信柱からまれたということは、これが現実であれば誰かが電信柱とファックしたことになる。そ、そんなことが許されていいのか?! ダメでしょ

でもこれがVRであれば、電信柱アバターの人とお砂糖するのも自由! 多様性ヤッター!! あなた差別主義者でなければバンザイしなさい

まり電信柱妊娠したということはそこは電信柱妊娠する世界でなければならない。いろはかぐや出会ったのは現実世界ではなかったのだ

さもなくば電信柱孕ませ棒が暴れん坊将軍だったことになる。それは流石にダメ

ラスボス母性になるのはチェンソーマンとか水星魔女で履修したよな?! じゃあ説明しなくてもいいはずだ

かぐや姫!が特大ハッピーエンドで終わる作品であることはしつこいくらいの前振りで完全に確定しており、そのために乗り越えなければならない最大の障壁は「かぐや姫は月に帰らねばならない」ということだ

そして百合である以上「別れ」とはあまりに強いエモであり、避けて通ることはできない。百合別離をする。するが、その別れ方が重要なのである

社会や周囲から圧力に負け、繋いだ手を離してしまうのはバッドエンドルートへつながる別れだ。超越的な流れに流されるまま、抗いきれずに大切なものを全て失ってしまう、高畑勲かぐや姫が描き出した悲しい結末を、かぐやは決して受け入れずハッピーエンドを手に入れると誓った

からいろはかぐやの別れは自分自身意思に基づく、力強い前進としての能動的な別れでなければならない。でなければハッピーエンドには辿り着けないのだ

かぐやが逃げ出し、そして連れ戻される「月」といろはがかつて逃げ出した「実家」が同一のものであることが情報開示されることにより、この能動的な別れという選択肢いろはの中でアンロックされる

かぐやの身代わりとして、自分が月へ帰る」といういろは決断である

そしてこの作品においてヤチヨ=母は完全な悪役ではない。母が家元である以上、彼女は超かぐや姫!のソシャゲで矢継ぎ早にセーラー服水着を着て娘より稼ぐ人気キャラでなければならない

母はヤチヨと同じモーションでいろはを抱き締める。兄が口にした「母さんはお前の反抗を待ってる」という言葉の通り、娘が自らの意思選択することを不器用に待ち続けていた彼女の、ここまで娘視点で見て来た悪辣母親像が、実像とは異なるものであったことがなんやかんやで明かされ、大団円家元ハッピーエンド

それでよくないですか

まあ公式はああ言ってるけどさあ。でも家元真実こそが真実な気もするんだよ

だ…だって…俺はrayなら藤原基央rayが聞きたいしワールドイズマイン初音ミクで聞きたいしさあ。ドラえもん同人みたいな展開からの何故か二人が三人でライブするのは積み上げてきたもの帰結としてのハッピーエンドとして、あんまりぴんと来ないし…非家元リアリティショックでエモがりを中断させられると、なんか終盤のツッコミどころが気になっていまいちノれなかったんだよ

いや

わかるよ

家元は通さないってんだろ?

まあ仕方ないよ。家元は……母親水着とかセーラー服とか一杯着てことあるごとにピックアップされるのは諦める。でもやっぱヤチヨの中には死んだ親父とか母親とかが入ってるよ。だよな?

家元は諦めるけど家元真実は諦めないよ?父親が入ってる逆家元ルートでもいい

AI開発者AIと重なって急に語るやつはやろうよ。その上でヤチヨが自我をもって生みの親に反抗してもいいからさ?そういう被造物に対する反応にも旨あじとか栄養は一杯あるしな。ヤチヨが自立して……かぐやいろはのおねえちゃんになってもいい。それならタイムライン百合と同じくらい目立ってても怒られないよな

姉妹ってのはそういうもんだ…

でも土壇場で月に帰りたくないって泣くかぐやのために、代わりにいろはが月へ向かう展開は欲しいだろ?!!!だっておねえちゃんだもんなあ!!!

ほら、月から迎えが来てさあ!!

どくな!!!

おまえはおねえちゃんだぞ!!!!!!!!

いろはのことは姉扱いしないのに兄貴はお兄ちゃんって呼ぶかぐや概念は……実在する!!!!たとえ冗談でもお兄ちゃん結婚するとか言い出しちゃうかぐやいろははさっさと嫉妬しろ!!!!はやく姉妹百合をやれ!!!!間に合わなくなっても知らんぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!

Permalink |記事への反応(0) | 17:58

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かぐや姫!が超意味不明だった

君は超かぐや姫!の真実を目撃したか!!!

俺はした! もし君がまだ「超かぐや姫!」を見ていないのならばネトフリを契約し今すぐ視聴することをお勧めする!!

とは言いつつこんな記事を見に来る奴はどうせもう見ているだろうから俺はようしゃなくネタバレをするが、まだ見ていないごく一部の君はネタバレを喰らって憤慨するだろうが超かぐや姫!をまだ見ていないのにこんなところにくる君が悪い。成仏しろ

~~~~ここからネタバレ

じゃあ前置きが終わったので俺が超かぐや姫!を最初にみたときの話?をするんですけど?主人公がこんなハイスペックなのは隔世の感を感じるなあなどと思いながら見てたら、なんかのアレで電信柱が光るわけです。一旦そこまで話を飛ばします

一般的な作劇上のセオリーにおいて、なんかもう無茶苦茶な嘘をついて良いのはひとつだけ、それも作品冒頭だけなんですね~

フィクションというのは土台嘘なのだが、よいフィクションルールのある嘘という点においてただの虚言クソやろうのホラ話とはちがう。作品がどのくらい噓をつくのかというレギュレーション最初に示し、その範囲物語をなんかする

皆さんわかりますか?この話はニンジャがスゴイ!!みたいな奴は最初にやるからゆるされるのであって、あとからニンジャが出てきて殺したらそれはダメだということです。でもニンジャが出て殺す前提の作品サプライズニンジャメソッド適用されない。いいね

しかしこの作品はふたつ嘘をついている。「VRのなんかがスゴイ!!」「かぐや姫実在した!!」のふたつである。じゃあこの作品がもうダメかというとそんなことはなくて、この二つの嘘が後で統合されれば全然問題はないです。竹林の竹が実際には全て地下茎で繋がった一本の竹であるようにね。具体的にどういうことか例を挙げると「ニンジャがスゴイ話」を最初にした作品で、「ドラキュラ実在した!!」のはダメではあるのだけれど、ここに「ドラキュラニンジャだった」という情報開示をすることで、ニンジャがスゴイ話にドラキュラが出てくる回はスゴイ名エピソードになりえます。皆もニンジャがスゴイ話にドラキュラが出てくる回を読もうね

まあ何が言いたいかというと、要するにこの作品の「VRのなんかがスゴイ!!」「かぐや姫実在した!!」という二つの嘘は、最終的に「かぐや姫VRのなんかだった!!」という情報開示により統合されることが予想されるということだ

この話の序盤はかなり無茶苦茶な剛腕で進めているので、たぶん嘘の統合はそんなに難しくないのでこの制作陣であればうまくやれるでしょう。話を続けます

この超かぐや姫!の制作陣がうまくやるだろうという予測もなにも別に根拠ではなくって~、作劇的に情報を置きに行ってる感がすごいしたからなんですね~

この作品のいわゆる1stターニングポイントまでの4分の1、かなり詰め込んでいる4分の1で、いろはかぐやを拾って、育てて、VR世界ライブを見ててっぺんを取る!と決めるところまで、かなりハイテンポで進めないとこのストーリー分量は4分の1には収まりきらない。それでいていろはの友人たちとの絡みなどこの時点ではあまり利きのない布石も打っている。かなりキツいタイムスケジュールであるにもかかわらずだ

一方で、「いろは音楽やってる」という情報の開示はライブの後、いざ配信するぞ、という段になるまで表に出てこない。これはかなり考えられた情報開示タイミング調整であり、この情報の初出は冒頭部分でついやってしまいがちでありながらここまで引っ張っても問題なく、かつ後出しすることでかえって重要情報であることを匂わせすることできるのだ。そうだね。わざわざ後だししたということは、この後大事に使う場面が来るってことだね。「主人公作曲」要素はあとでテストに出ます。覚えてお香匂い記憶と強く結びついている)

で、電信柱が孕んで子育てをしてライブを見て配信を始めるのだが、そこでなんかいけ好かない感じの奴らがでてくるのである

こいつがなんと帝である。帝であるからには結婚を迫り、しかも後ろにいるのはメス男子だったのだ!!!!!!

後ろにいるのはメス男子だったのだ!!!!!!

しかし待ってほしい。この男、帝なのに顎があまり尖っていないのである。じゃあ良い奴なのか?!!それともこいつもメス男子なのか?!!

メス男子であってほしい

しかし待ってほしい。顎が尖っているかどうかで人を判断してはいけない。多様性のなんかがあれなのでそうゆうのはよくない。たとえ顎が尖っていても帝はいうまでもなくドブカスだし初期城之内君は結構カスだ。でも闇遊戯も初期はカスだよ。じゃあこいつもカス可能性があるので気をつけましょう

(しばらく視聴)

ふいんきMOBAをやっている)

ところがどっこいここで衝撃の真実ゥ!! 帝はおにいちゃんで、しか結構妹LOVEだったのだ。結果としてこいつの矢印は妹がタゲ取りして、しかもねちょねちょした感じの恋愛方面ではない処理をされてしまった。びっくりである

びっくりであるが同時に上手くもある。かぐや姫が男と結婚させられそうになるくだりなんてのは今時マジで誰も望んでいないのでうまいことゴミ箱にポイするにあたって、初登場時に納豆くらいねちょねちょしそうだった帝は後を引かない東南アジア納豆乾燥させて粉にしたやつのおせんいくらいのカラッとした感じで話をさっさと終わらせてしまった

というわけでお兄ちゃんおしまい

ほならお兄ちゃんはこれ以降後ろの奴とメスになっててくださいね。たぶんこのアニメは2人は幸せキスをして終了するアニメなのでその背後でついでに幸せキスをしててほしいランキング第一位!!

しかし察しの良い俺はこの時点ですでに理解してしまっていた

こいつがお兄ちゃんであるということは、ヤチヨはママである

おちついて聞いてほしい。CV早見沙織すべからくママだという主張に関しては反論余地はないのだが、今回はそれとは別にヤチヨの中の人は高確率主人公母親であるという話をしている。家元リアリティショックに負けてはいけない

中盤の時点でいろはの抱える問題の根っこが解決しないままお兄ちゃんおしまいになったということから、このままいろはストーリーライン家族関連の話で進めていくことは窺い知れたし、中ボスに過ぎないお兄ちゃんの後にさらなる大ボスが控えており、その大ボスとの対決がいろはクライマックスになることは予想に容易い

ボスはもちろん母親に決まっており、作品を走る二つのストーリーラインいろは関連のルートかぐや関連のルートは最終的に有機的に統合され、混じり合って一つのハッピーエンドへ到達するのは間違いない

そしてその二ルート統合は「VRのなんかがスゴイ!!」と「かぐや姫実在した!!」の二つの嘘の統合によってなされるはずであり、「かぐや姫VRのなんかだった!!」という解へとつながる情報開示の鍵はおそらくヤチヨの握っている謎であるはずなのだ

前提として、ヤチヨはなんらかのなんかを抱えている

あそこまで話の中核に据えられて、主人公がご執心でありかつあの距離感を出してくるAI特に何の因縁もないシンプルAIだったらびっくりである

まりヤチヨはただのAIなどではなく、中に人が入っている(Vの中の人のような形に限らず、エヴァの中に母親が入っている、といった例を含む)パターンAIであろうことは間違いないし、ここで中に入っている人が今まで一切話に登場しなかった知らない人であることはまああり得ない。常識的に言って既に登場した、あるいは名前が挙がった人物の中にヤチヨの中の人候補は絞られる

そしてここまでで大きな存在感を示していながら、その実態ほとんど描写されていない、物語のコア部分に据えても問題のないキャラクターといえば、そう、母親だね。あるいは父親という線もあるが、その場合は恐らく父と母の複合になるだろう

ひとまずはヤチヨ=母と捉えるのが一番座りが良い

(あるいは父を継いだ)母こそがヤチヨAI、ひいてはツクヨミ世界開発者であるとすれば、なんか「これ必要か?」と感じざるを得ないいろはやお兄ちゃんのやたらハイスペック描写にも、異常技術と異常ワーカーホリックっぷりでツクヨミワンオペで作っちゃった仕事面ではバチクソ有能な母の遺伝という説得力が産まれる。

そして音楽をやっている(※重要情報覚えてお香いろは音楽やらせたのは両親、つまり母は音楽をやっているし、ヤチヨはライブをやっている

母はライブができる

思い出してほしい。映画冒頭でいろはと母との確執について解説したのはヤチヨ(CV早見沙織である。ヤチヨ=母がいろは母親とバチクソ仲が悪いのである~という韜晦に自嘲を隠したナレーションをするのはまさに二周目視聴で「そういうことだったのかよ」となる演出であり、らしさを感じさせる要素である

加えて言えば激推ししているライバーの正体がいがみ合っている肉親であるというのはあまりにも鉄板の展開だ。この鉄板で肉を焼いて御飯を三杯食える

そしてここまでいろはによるかぐやへの楽曲提供なんやかや過去曲だけで乗り切っており、曲を書けなくなってしまったいろは心理的障害を乗り越えて再び曲を書く、という展開がクライマックスへ繋がることはもうそんなん誰が見ても明らかである!!(明らかだね!!!

そして「親と途中まで一緒に作った思い出曲」が出てくるときた(しかも「なぜかその曲のフレーズがヤチヨのデビュー曲と重なる」という確変演出付き)

いろはラインの「家族との確執ルート」の障壁を乗り越えることがかぐやのための曲の完成へ繋がり、完成した曲の存在が八方塞がりのかぐやルートにおける突破口になる。これはふたつのストーリーライン統合としてこれ以上なく綺麗な形であり、ライブシーンを主軸に置く本作のクライマックスにふさわしい展開である

じゃあもういろは母親家元やないか

その特徴は完全に家元やないか

でもうちのおかんがいうにはおかん家元じゃないらしいねん。おかんが言うにはいろはとかぐやの2ショットにヤチヨが挟まって来ても全然良いって言うねんな

ほな家元ちゃうか……

自他共に認める百合作品主人公母親が挟まって来たら普通ちゃぶ台ひっくり返すもんな

おれのタイムラインにはヤチヨに狂うオタク結構氾濫していて、ヤチヨはメディアでいっぱい露出して、なんかすごいオタクがヤチヨに興奮しているんや

中に母親が入っていてそんなことがあるやろうか???


あ゛る゛!!!!!!

あるのだ!!! 断じてあるのだ!!!!!!

そう、我々は知っている!

ソシャゲで娘を差し置いて大量の衣装違いをことあるごとにピックアップされて作品の稼ぎ頭になっているふしだらな母を!!!

まさか…そんな…じゃあ超かぐや姫!は…

主人公酒寄彩葉母親こと事酒寄紅葉は…

うわぁあああああああああ!!!

かぐや姫!は……!!

主人公母親主人公差し置いてタイムライン制圧し、作品の稼ぎ頭になる家元作品だったんだァアア〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!

現実非情である

どうサバを読んでもアラフォー以上のおまえの母親可愛い衣装で歌って踊る母は完璧で究極のアイドルであり金輪際現れない一番星の生まれ変わりなのである

おまえは伝説アイドル隠し子であり妹も居る。妹の名前かぐやといい、おまえの母親電信柱孕ませ棒で電信柱をファックして妊娠させた人間にもなれず電柱にもなりきれぬ哀れで醜い可愛い我が娘だ

おまえにかぐやをすくえるか!?

すくえるのである。この話はバッドエンドで終わるかぐや姫を超え、超絶ハッピーエンドを掴み取る超かぐや姫である

じゃあここからいろはをすくっていこう

こうゆう作品とかの奴に関していうとだいたいの場合主人公対立する主人公の母は主人公鏡像であり、主人公の辿るかもしれない未来ひとつの具現である

出来のよい作品ほど、このたぐいの過去から未来への継承ゆうやつを上手くやる。作品タイムスケールを広げて壮大にし、前の世代の悲願や次の世代希望主人公肩に載せることですごくすごいことになる。この時間軸方向に話を大きくして、というのはなんか8000年とか言って単にデカ数字を持ち出して壮大な話なんだぜ!!とぶちあげるだけではダメである。そうゆうのはクソみたいななろう系がステータスオープンして999999999999とかやるのと同じくらいの効果しかない

丹念に描いた本編の構造コピペして、同じ骨子を持つ構造を繰り返した別の物語を匂わせることで、本編と同じ強度を持つ構造視聴者が細部を空想で肉付けする余地をちらつかせることができて物語的強度が担保されるのである

かぐや姫!の場合過去が母=ヤチヨ、現在いろは未来かぐや

家出したいろは家出たかぐや、ふたりが逃げ出した実家と月は同じものであり、その月もまた過去に何かに反発した母が必死に造り上げたものだった

そうゆう一本の軸があるからその強靭屋台骨に沿った世界が立ち上がり、大きく物語世界観が展開できるのである。二つのストーリーラインがなんかあんまり絡み合わずにそれぞれ勝手になんかうまくいった感を出してもダメだよダメダメ

物語構造上、先にいろはクライマックスが来るのでこっちを先に語ろう

とりあえずいなくなったヤチヨを探してツクヨミ中を駆け回るいろはの前に釘宮理恵が現れて、ヤチヨの下へと案内してくれるシーンから話を始める

「本当に真実が知りたいのか」と問うウミウシに、いろはは迷いなく知りたいと答え、その結果としていろはツクヨミから強制ログアウトをさせられる

ウミウシの案内に従って走るいろはだが、その道中の景色はあまりにも見覚えがある景色だった。

案内は何の変哲もないマンションの一室の前で途切れ、いろは玄関ドアの前で立ちすくむ。なぜってそこはいろはが誰よりもよく知る場所だったか

画面に映る「酒寄」家の表札。ここで視聴者にも家元真実の一端が開示される

なぜ実家に?

ヤチヨの下へと案内してくれたはずの釘宮が示したのはいろはが飛び出した酒寄家のドア。こんな場所にヤチヨが居るはずがない……

しかし見慣れた我が家へ足を踏み入れたいろはが目にしたものは…

うぁぁぁ ヤ...ヤチヨが廊下を練り歩いてる

ツクヨミですらない現実実家リビングで、当たり前のようにくつろぐ月見ヤチヨの姿である!! そして一瞬のノイズが走り、ヤチヨが振り返る!!!

「あら、珍しいのね。どうしたのいろは

こ、このヤチヨのCV早見沙織ではない…ッ!!CV坂本真綾!!! ヤチヨが…実家リビング母親の声で喋っているッッッッ!!!

家元リアリティショックで指ひとつ動かせないいろはの視界から、徐々に実家リビングテクスチャが剥がれていく。その晒された地金に映るのは薄暗いサーバールーム母親の姿。そして点滴に繋がれやせ細った自分の姿――!!

何だ…コレは!? また幻術なのか!?

イヤ…幻術じゃない……!

そもそも物語開始時点ですでにVRの中であり、この話は徹頭徹尾仮想現実の中で進行していたのだ。いつからVRでないと錯覚していた?

現実においてはかぐや出会う直前で過労で倒れて緊急搬送され実家近くの病院へ運び込まれていたのだ

そしてヤチヨAI、ひいてはツクヨミ開発者である異常技術モンスターである母親が、ツクヨミプロトタイプとして過去制作したのが「月」

8bitや16bit風に表現されるかぐや故郷である

目を覚まさないろはを療養させるため、「月」の辺縁に再現された現実世界を月の外側だと勘違いたかぐやが逃げ出してきたのが物語の発端である

これはあまりにも明快かつ推測可能事実

だ…だって普通電信柱赤ん坊妊娠したと聞けば過労が祟って<

Permalink |記事への反応(1) | 17:56

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2026-02-08

高畑勲かぐや姫見たいんだけど、ネトフリで見れるようにしてくれよ

なんでメディアをどっかから調達してこないと見れないんだよ。

つーかうちにはパソコン備え付きのDVDBDドライブあるにはあるけど、何年も動かしてないからまともに機能するのかどうかすらわからんし。

Permalink |記事への反応(0) | 16:00

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2026-01-27

anond:20260127200756

あの世から戻ってきた超高畑勲が作ったの?

Permalink |記事への反応(1) | 20:12

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2026-01-23

anond:20260121153611

ワイの大好きな高畑勲

Permalink |記事への反応(0) | 13:46

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2026-01-18

風の谷のナウシカの冒頭、ナウシカって働きもせずに腐海ブラブラしてたけど、あれってやっぱりお姫様から

腐海ほとりでの暮らしなんて、

働いても働いてもやることがあって、

暇なときなんてないような気がするんだけど、

なんでナウシカ腐海のなかをブラブラするなんて贅沢ができたんだろうね?

やっぱりお姫様特権労働から解放されてたのかね?

それともパトロールとかの仕事最中で、ちょっとサボってたみたいな感じなのか。

まあ、地下に自分しか立ち入りができないラボみたいなもんを普通に持ってたりとか、やっぱなんだかんだお姫様なんだよね、ナウシカは。

でも宮崎アニメの中で、というかアニメ主人公で「長(おさ)」の役割を担う人が主人公、ってかなり珍しい。

だいたいは、若くて、何者でもない誰かが、主人公をやるもんだから

そういう意味で、風の谷のナウシカは変わってると思う。

ナウシカみたいなやつはだいたい主人公じゃなくて登場人物の一人なんだよな。

それこそ、ナウシカに出てくるクシャナとか、もののけ姫のエボシ様とか、そういう感じで魅力的な脇役としては出てくるけど主人公ではない。

なのに、ナウシカではナウシカ主人公なもんだから、ただ脇役であるはずのクシャナとあわせ鏡のような対称性を描いてしまう。

結果として(アニメ版ではとく顕著だけど)ナウシカという物語には二人の主人公がいることになってしまう。

そこらへんは物語構造としては、厳密に言えば失敗していると言える可能性はあるんじゃないかな。

失敗は違うか。

失敗ではなくて、あまりにも意図していないうちに、大きく物語構造のものがその設定の矛盾に引っ張られる形となっているということ、、、

いや、それって失敗してるってことなのかな。

高畑勲は、そのへんのことどう考えてたんだろうなあ。

Permalink |記事への反応(2) | 07:41

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2026-01-16

もしも高畑勲ボトムズ監督をしたら…

毎週、キリコがフィアナに会えそうなんだけど会えない。それを最終回くらいまで引っ張る

Permalink |記事への反応(0) | 21:21

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2026-01-10

何度も言うけど300年経って残ってるのは高畑勲アニメの方だよ

Permalink |記事への反応(0) | 15:43

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2026-01-02

新海誠細田守が、力を合わせて宮崎駿を倒す話、、、が見たかったんだけどな

二人の前に立ちはだかる、中ボスはもちろん庵野秀明

二人に宮崎駿を倒すための重要アイテムを渡す謎の隠者高畑勲

Permalink |記事への反応(0) | 10:37

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2025-12-30

宮崎駿だったか高畑勲だったかは忘れたけど、むかしどっちかが何かのおりに安彦良和について尋ねられたとき、そんな人は知りません、って答えたらしいな。

Permalink |記事への反応(0) | 10:36

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2025-12-27

俺って、宮崎駿高畑勲に対して気持ちを拗らせるてるような感じの恋をしてしまうんだよな

わかってもらえる?

Permalink |記事への反応(0) | 18:30

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2025-11-23

なんか宮崎駿とか高畑勲ってジェダイ騎士、って感じで細田守とかはジェダイになれなかったばかりか暗黒面に落ちちゃったやつって感じでオッケーなのかな?

つーか、きちんと宮崎とか鈴木(はジェダイじゃないけど)がきちんと細田ジェダイとして導いていればいまのこんな悲劇は起きなかったんじゃないかな?って思うんだけどな。

無理強いしてでもハウルを、きちんとジブリ作品として成立してるハウル細田に作らせておけば、その後の細田の歩む道も違っただろうし、ジブリも潰れずにいまも続いてるんじゃないかな?とか思ったりもする。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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2025-10-13

英語で何を読むか

「それなりに読書家だが、英語力はそこそこの日本人」は、英語で何を読むか。何を読むべきなのか。それが問題である

私は今30代半ばで、ごく一般的英語力を持つ日本人だ。

中学高校の6年間英語を学び(英検2級、センター試験180点)、大学に入ってからはあまり勉強せず、現在生活英語を用いることはほとんどない。

それなりに読書家なので、日本語で書かれた本はたくさん読む。

大学フランス哲学を専攻していたので、フランス語は今でもたまに読む。

しかし、英語ほとんど読まない。

何か読みたいという気持ちはある。だけど、そう思っていながら、読めていない。

何を読むべきなのか。それが知りたい。

学生の頃に課題ジョージ・オーウェルの『動物農場』を原書で読んだ(あと、哲学の講読でマーサヌスバウム論文を読んだ)。

映画版にハマり、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』を読んだ。

大学卒業後は、高畑勲アニメにハマり、『赤毛のアン』を読んだ。

数年前にグレタ・トゥーンベリ演説集を読んだ。

私が読んだことのある英語の本はこの4冊だけだ。

それも、グレタの演説集以外は、日本語の訳書と英和辞典を横に置きながら読んだのである

また、関心のある国際ニュース日本語報道が少ない場合は、ガーディアンアルジャジーラなどの記事検索して読む。

しかし、これも一ヶ月に一度くらいの頻度にすぎない。

以上が私が英語で読んできたもののすべてである

私のような「それなりに読書家だが、英語力はそこそこの日本人」は、はたして英語で何を読むのか。

何を読むべきなのか。それが知りたい。

邦訳洋書を読むのはハードルが高い。

よほど面白いとあらかじめ期待できるなら別だが、そうでないなら辞書に首っ引きで洋書を読むのはつらい。

その一方で、日本語訳のある洋書は、邦訳を読めば大概はそれで満足してしまう。

私の友人は『ハリー・ポッター』を原書で読んでいる。

シャーロック・ホームズ』を読んだ友人もいるし、ラヴクラフトを読んでいる友人もいる。

しかし私は『ハリー・ポッター』にせよ『シャーロック・ホームズ』にせよラヴクラフトにせよ……あるいはシェイクスピアにせよメルヴィルにせよフォークナーにせよ……邦訳で読んだら、それで満足してしまった。

邦訳を読んで、原書「も」読みたくなるような英米文学にはほとんど出会わない。

私のような「それなりに読書家だが、英語力はそこそこの日本人」は、はたして英語で何を読むのか。

何を読むべきなのか。それが知りたい。

Permalink |記事への反応(1) | 09:07

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2025-10-07

RA.1000のススメ

公開から2ヶ月近く経ってしまったけど、RA.1000の目玉企画ひとつであるDJ HarveyとAndrew Weatherallによる6時間半にわたるB2Bセッションの録音を聴き終え、とても素晴らしかったのでここに感想を記したい。

好きな人けがこっそり楽しむにはあまりに勿体なく、DJカルチャーに明るくない人にも伝わるように書いたら恐ろしく長くなってしまたことを最初に断っておきます

それではサンクラのリンクこちら。

https://on.soundcloud.com/qtDLB6biRpSlOPR3Mp


RAについて

Resident AdvisorはアンダーグラウンドDJ電子音楽クラブカルチャーにおいて世界最大級音楽メディアです。

彼らが2006年スタートした「RAPodcast」は毎週更新ミックスシリーズで、多種多様DJアーティストゲストに迎えてオリジナルコンテンツを積み上げてきました。

2025年8月1000回目を迎えるにあたって包括的特別編として「RA.1000」を公開。歴史的価値の高いライブ音源からコンセプチュアルな新作まで10組のアーティストによる幅広いラインナップが無料公開されました。

中でもDJ HarveyとAndrew Weatherall2012年に行ったB2Bライブ録音はRA.1000企画の目玉といえるスペシャル音源です。

またRA.1000の公開に合わせて過去1000本を超える膨大なアーカイブが公開されており、これがはっきり言って文化遺産レベルの達成です。積ん読ならぬ積ん聴き。秋の夜長にどうぞ。

https://1000.ra.co/archive


DJ HarveyとAndrew Weatherallについて

彼らの経歴等は長くなるため割愛。ウェザオール2020年に死去しており、今回が死後初のミックスリリースとなりました。

強調したいのは両者ともジャンルを横断してダンスミュージックの地平を拡大してきた先駆者であること、特にウェザオールは彼がいなかったらダンスミュージックのみならず現在音楽シーンはまた違った形になっていたと断言できる人物です。

そして両名ともコマーシャル的な成功より眼の前のお客を熱狂させることに情熱を注ぐタイプDJということ。

その2人が過去に行ったB2Bの録音が2025年に発表されたことに界隈はザワつきました。しかもハーヴィーがB2Bを行ったのは後にも先にもこの一回きりとのこと。

もし中田秀夫監督清水崇監督リング呪怨の直後に共同制作した未公開作品がいま発表されたらホラー映画ファン歓喜するでしょう?分かりづらい例えをしてしま申し訳ないがそんなイメージです。

宮崎駿高畑勲に例えようかとも思ったけどちょっとビッグネームすぎた。


B2Bについて

B2B(Back-to-Back)は複数人で曲のかけ合いを行うDJスタイルのことで、一対一で1曲ずつのプレイ基本的な形です。

DJ同士がその場のノリで自然発生的にやる場合もあれば、Harvey × AWのように「夢の共演」としてメインに企画されることもある。

勝敗を決定する趣旨はなく、一緒に一夜を作り上げる共闘関係ではあるが「どちらがより遠くへ行けるか」という意識は(DJに限った話ではないけど)当然存在し、そこには音楽による提起、アンサー、挑発協調意趣返しがあり、対話文脈が生まれます。どこに向かいどう着地するかはDJ技量次第。これは修正できないひと筆書きの物語です。

このセットについて、海外フォーラムでは「Are they playing sideby sideand alternating?」と議論があるようだけど、自分基本的には1曲ずつかなと思います。(理由は後述)

ただしプレイ2012年であることに加え、ウェザオールが存命でないため、誰がどの曲をプレイしたのか本当のところはHarveyにしか分かりません。

以下に感想を詳しく書きますファンによる不確実な憶測を多分に含みます


■気に入ったポイント時系列レビューするよ

・43:52〜

The J.B.'s – DoingIt ToDeath

おそらくHarvey。スタートからの探り合いののちにウェザオールが仕掛けた「スピリチュアルお経」に対するアンサー。

JBDJセットに組み込まれること自体は珍しくないが、このトラックは思わずクスッとなるエディットが仕込まれている。(オフィシャルクリアランスを取ってるとはとても思えない)

それにしても最初の仕掛けにしてはあまりにぶっ飛んでるAWと即座に変化球を返すハーヴィーの瞬発力よ。

飛び道具上等といったところか。

・1:34:51〜

Boys From Patagonia - Rimini '80

おそらくウェザオール。0:40頃のカマし合い以降はウェザオールの低重心で硬質なモードにHarveyが同調し、お手本のようなジリジリとしたビルドアップからのコレ。そこに至る(Harveyの協調による)緻密な助走ありきの到達といえる。アクセル踏み込むタイミングを見定めたら容赦ない加速。

上モノのピロピロ笛がシンセリードに切り替わって音階を昇る瞬間は自分もウォウ!と叫んでしまった。

・1:54:30〜

Lindstrøm - Rà-Àkõ-St (Todd Terje Extended Edit)

おそらくHarvey。ウェザオール主体の軸で一定ピークを迎えたことで新たな軸を模索する動き。

オリジナルよりBPMを落としているのだがそれが重めの音調となってここまでの流れに違和感のない繋がり。

2012年当時はNu Discoと呼ばれる北欧アーティストが中心となったトレンド成熟を迎えつつあった時期で、Harvey自身がその流行を作り出した一人といえる。

ついでに言うとハウステクノエレクトロのセットとしてはBPMが遅く、それもひと昔前の空気を感じるところ。

Harveyはそろそろかっ飛ばしたいはずだがウェザオールがそれを許さない。

・3:11:15〜

Bang The Party - Bang BangYou'reMine (Tom Moulton Edit)

これはどっちだろう?前後の繋がりからHarveyな気がする。

依然としてエレクトロ圧が強いが、この時間帯になるとHarveyも適応して自身の得意なディスコハウスグルーヴを入れ込みつつ構築。ウェザオールもウィングを広げてジャンル横断感が加速。

ウェザオールもローをカットしたりハイハット差し込むようなイコライジングは行うが、Harveyのそれはもうちょっと能動的、ハウス的なツマミぐりぐり系なので分かりやすい。(とはいえB2Bなので相手の曲をイコライジングする局面も当然あり得る)

・4:09:20

Tooli - NoReason (John Farnham -Age ofReason)

ピアノ!四時間超にしてたぶん初めてのピアノソロ。これも多分Harvey。

なんてクールな曲だろうと思って調べたら原曲は80sのちょっとダサめな(申し訳ない)ポップロックhttps://youtu.be/adVR3MT8fGg?si=F2979n8bV_VK2vYN

これも権利チェックで弾かれる系のエディット盤だが、自分はこういうのが聴きたくて長年音楽を掘ってるまである

ウェザオールは眉をひそめたかもしれないが、無しを有りにする角度の付け方は大好き。

・5:11:46〜

Something For Kate - KillingMoon (T-Rek Desert DiscoDubMix)

ウェザオール印。

どこまでもクールに、ダークにいくよというウェザオールの芯のブレなさ。ダブとロック(チャグ)の一貫性

ただ終盤の90分はウェザオールの色が薄まった気もする。もしかすると途中で抜けてるかも?

以降はどっちがどっちか分からない。

・6:13:10

TheBrand New Heavies - IDon't KnowWhy (I Love You) (A Tom MoultonMix)

Harveyによる締めのスイーツ

絞ったLoを解き放つたびに加速するストリングスとホーンとボーカルオリジナル音源100だとしたら120にも130にも響かせてやろう。

モータウン味を感じると思ったら原曲スティービー・ワンダーで納得。



あとがき

6時間半をどうやってぶっ通しで聴くかだけど、自分は一人で遠方まで運転する予定を作りました。自宅だと長尺はキツいし、ある程度の音量で聴きながら体でリズムを刻んだり叫んだりしたかたから。

最低2時間くらいはまとめて聴けるようにするとより没入できると思います


作品としてリリースされたミックス自分現場体験してきたDJプレイを含めて、トップクラスに素晴らしい音楽体験でした。

今回Harvey × AWを取り上げたけど、自分Theo ParrishRA.1000についても同じ熱量で語りたいくらいだし、というかRA.1000について日本語で読める言及ネット上に見当たらず、この文化的喪失危機感を覚えたので増田に書き殴ってやろうと思った次第です。

ありがとうRA願わくば日本のエディトリアルが復活してくれたらとてもうれしい。(翻訳最高でした)

RA.1000をきっかけにダンスミュージックに興味を持つ人が増えてくれたらとってもうれしい!

Permalink |記事への反応(2) | 15:58

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2025-08-30

高畑勲展に行くようなやつでも高畑勲の後年のアニメって見てないやつ多いよな。

火垂るの墓までは見てるんだよな。

それ以前の

じゃりン子チエとか、名作劇場とかも見てる。

で。

平成狸合戦ぽんぽこ

あっこから怪しくなる。

この高畑という人がつくるほうのジブリは見なくてもいいやつなんじゃないか

とみんな気づき始めた。

山田くんなんて見てるやつは居るのかね?

最後の遺作なんてかぐや姫テーマだと知ってても、あれ?タイトルはなんだったっけ?

くらいのノリだろ。

そんな人でも高畑勲展には来るんだろうけど、、、。

でもこれあんまり見られない理由を作り出してる、

ジブリ作品配信しない、というのも問題なんだよな。

そろそろ誰か説得しろよ。

あなた尊敬するパクさんの作品が誰にも見られないまま忘れられますよ、って。

Permalink |記事への反応(1) | 11:44

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2025-08-17

20250817 BS10[アタック25]2025年8月17日 新作筋トレ好き大会 2025-08-17 結果

後ろの方に懸念点あり2:25になったらtverチェック入ります→done これには影響なし

来週も再放送は土曜昼1時ちょうどから

 

赤:谷元祐輔@大阪

緑:尾藤祐基@愛知

白:國光紀子@岡山

青:村上巧市@石川

 

BSジャパネクストリニューアルBS10無料放送側で日曜昼などに放送

見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認

つながるジャパネットアプリ放送同期・スマートテレビ4月からtverを含め見逃し配信あり

 

-----

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

(実力テストはありません)

・01 [隠し絵][ある人物名前]野田クリスタル

・02 [モーニンググローリー]アサガオ

・03ウルフアロン

・04 僧帽(筋 そうぼう(きん

・05 肉)かるた

・06パレオ

・07 [すべて]群馬埼玉千葉茨城

・08なかやまきんに君

・09 [1位をあてましょう]西表島

10カズオ・イシグロ

11フッ素

12 [ポチャッコ][見えてくる慣用句]腕が鳴る

・13 [2択]赤(ナシ

・14 ケトル(ベル

・15金栗四三 かなくりしぞう

・16ランドルト(環

17 [名物クイズが復活][アナグラム][食べ物]カイワレダイコン

・18吉川晃司きっかわこうじ

・19 尺(骨 しゃっ(こつ

20 第)四(代

・21アーノルド・シュワルツェネッガー

・22土佐(酢

23 [AC]オルセー(美術館

24 [AC2]宇野千代 うのちよ

・25 [AC3][アルファベット3文字]JST

・26潮田玲子 しおたれい

・27 [3択][いくつ]12

28高畑勲たかはたいさお

・29 試金(石 しきん(せき

・30品川(宿

31魔笛

・32 144

-----

・xx [ある人物名前]新島襄 にいじまじょう

=====

(日曜本放送)このあとは「BS10からのお知らせ」→ジャパネットたかテレビショッピングジャパネットたかたのテレビショッピング

16時からは「マナミ&amp;光里のGOLFLOVERS #37」(17日曜日)

Permalink |記事への反応(1) | 14:19

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2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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2025-06-19

高畑勲弟子ってむしろ富野由悠季だったのかな

少なくとも宮崎駿よりも素直に高畑手法をパクってを創作に取り入れてるような気がする。

Permalink |記事への反応(0) | 18:22

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2025-05-18

anond:20250517233750

宮崎駿高畑勲への思いが

あそこまでのものとはわかってなかった人が

多かったからかな。

もう高畑というのは宮崎にとって

決着がついた存在なんだと

根拠なく感じていた人が多かったんだと思う。

それは我々外野から見たとき

興行成績であるとか

世界的な知名度であるとか

もはやダブルスコア高畑宮崎が圧倒している

事実があるから

それを根拠になんとなく宮崎にとって

高畑とはすでに通過してしまった目標

みたいなものだと

勝手勘違いしていた人たちが多かったんだと思う。

から、だれもあれが高畑だとは思えなかった。

あの高畑への思いが炸裂していたドキュメンタリー

あれを見てようやく宮崎気持ちがわかった、

という人が多かったのだと思う。

ただ私は、あの映画を見ていて、

叔父への別れの気持ち

あの悲しみと惜別、万感たる気持ち

どっと大叔父との別れのシーン

あのシーンで伝わってきて

胸が苦しくなり涙が出そうになった。

私はあれが宮崎からの私達への別れの挨拶だったのだろうか?

と誤解していたのだが

あの思いは宮崎から高畑への思いだったのだと

あとになって理解できた。

ここでようやく本題だが

オタク考察とか無駄というか

本筋から離れる

無意味行為だと

思われる向きもあると思うが

でも、それでもやはり

あの大叔父への悲しみのあの大きな感情の正体がなんだったのか?

それが理解できたような気がする、のはとても重要なことだと思っている。

Permalink |記事への反応(0) | 01:15

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2025-05-07

メモ 独立情報収集サイトがあるかどうか調べた結果

google検索結果100件調査ときどき検索結果100件ないことがあった。インターネット文化の中に、準備をしっかりしている人が多いかどうかの調査

調査した結果、確実にあると確認できたのは中村哲氏、大江健三郎氏、楳図かずお氏の3人ぐらい。意外とない。

篠山紀信《しのやまきしん》、独立情報収集サイトなし

楳図かずお独立情報収集サイトあり 半魚文庫

渡辺恒雄独立情報収集サイトなし、伝記あり

フランツ・ベッケンバウアー独立情報収集サイトなし、

小澤征爾独立情報収集サイトなし、N協事件

鳥山明独立情報収集サイトなし、

キダタロー独立情報収集サイトなし、伝記あり

徳田虎雄独立情報収集サイトなし、伝記あり

谷川俊太郎独立情報収集サイトなし、伝記あり

水木一郎独立情報収集サイトなし、

橋本治千木良悠子氏による伝記あり

西村京太郎独立情報収集サイトあり、西村京太郎の部屋

宗田理独立情報収集サイトなし、

唐十郎独立情報収集サイトなし、

中川李枝子独立情報収集サイトなし、

鈴木邦男独立情報収集サイトなし、

石原慎太郎独立情報収集サイトなし、

大江健三郎独立情報収集サイトあり、東京大学大江健三郎文庫のみ、

畑正憲独立情報収集サイトなし、

平岩弓枝独立情報収集サイトなし、

森村誠一独立情報収集サイトなし

伊集院静

高見のっぽ独立情報収集サイトなし

三島由紀夫独立情報収集サイトなし、、三島由紀夫文学館

半藤一利

瀬戸内寂聴独立情報収集サイトなし、

C・W・ニコル

小柴昌俊独立情報収集サイトなし、

梅原猛独立情報収集サイトなし

堺屋太一独立情報収集サイトなし、

ドナルド・キーン独立情報収集サイトなし、

田辺聖子独立情報収集サイトなし、

緒方貞子独立情報収集サイトなし、

中曽根康弘

中村哲九州大学メモリアルアーカイブあり

スティーブン・ホーキング独立情報収集サイトなし、

高畑勲

さくらももこ

樹木希林

Permalink |記事への反応(0) | 22:59

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2025-05-03

anond:20250503074305

俺はなかなかい文章だと思うけど、俺の中の高畑勲はどう言うかなあ?

Permalink |記事への反応(0) | 07:45

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2025-04-19

ジブリ映画ランキング

Sランク

Aランク

Bランク

  • 該当なし

Cランク

  • 該当なし

Permalink |記事への反応(1) | 18:43

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2025-04-09

めずらしくworrisくんが、はてな左翼に媚びずに発言してる

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@golden_haniwa/p/0nTlZyQ

worris 見ないで批判・叩いていいと決めた脚本家を寄ってたかって全否定原作改変に対する絶対正義感・高畑勲への権威主義と、害悪要素てんこもり

はてな左翼のご意見こち

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2534838

Permalink |記事への反応(1) | 16:02

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2025-03-30

絵が描けない奴にアニメは作れない

生成AIにまつわる紛糾を見てるとまるでそれが真実とでも言わんばかりの風潮を感じるのだが実際はどうなのか?

  

今ほど高畑勲に生きててほしかったと思うことはない

絵が描けないのに画が解るがゆえに徹底して絵に拘って思い通りの画が上がってくるまで何年も空費しながら映画を作っていた監督が、

今の生成AI技術

ポンチ絵と詳細な言い添えがあれば数秒で絵が作れる技術があったときに、

それを活用してどんな映画を作ったのか

気になって仕方がない

Permalink |記事への反応(0) | 23:43

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2024-10-10

ノーベルアニメ賞があったら誰が受賞すると思う?

世界的な知名度的に

ウォルト・ディズニー

宮崎駿

鉄板として、

大友克洋AKIRAの功績)

高畑勲

新海誠

とかかな?

Permalink |記事への反応(1) | 23:13

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