Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「高度成長期」を含む日記RSS

はてなキーワード:高度成長期とは

次の25件>

2025-10-13

なぜ日本軍は負けたのか

失敗の本質、おもしれーなー

成程!と思ったのは、世界戦争方法アップデートしているにもかかわらず、感覚日清日露戦争勝利成功体験)で止まっていたこ

これ、高度成長期からバブル経済発展を今でも「日本すごい」 「かつて勝ったのでまた勝てるはず」という感覚のまま

世界経済フェーズが変わってるのに認識アップデートせず経済戦争を戦ってる今の老害ズ(&老害Jr)と同じじゃん?

いやまあもう戦わず中抜きだけでやってこう諦めて試合終了感もあるけど

失敗から学ばない+過去成功体験をしゃぶりつづけてアップデートできないは日本の二大特質かね?

おもしろいよな

Permalink |記事への反応(1) | 19:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251013100831

日本の良さって左右の均衡が取れてるとこに根ざしてるものからなんよ

基本的には「和をもって尊しとなす」ってのが民族的プリインストールされてるから特定思想一色になったら暴走する

一般国民特に流行りに流されるし、正義の名の下ならいくらでも暴力ふるいたいし、気に入らない奴は排除したい。

それをやらない理由って、単純に世間様に叱られるからであって、世間様がある程度多様であるから平和が保たれてると言える。

自分の味方一色ってことになると、容易に無法地帯になるわけよ

常に敵がでてきて反対意見が出る、そういう状態からこそ、人に優しいフリするし、異質さも受け入れるポーズは取るじゃん

そういう建前が成立してるからこそ今の日本特有の美しい秩序が保たれてる

そういう考えなので今のところは右が与党から、ある程度の議席左派が取るようにリベラル支持してる。

与党圧倒的多数独裁政権になったら、政府が味方になってくれない側の人間一般的には弱者とかマイノリティとか)は自力救済に走って今の治安は保てなくなると思うよ。

増田が言うような日本の良さ、美点ってのは決して保守派が作り上げたものだけではないからね。

敗戦後、高度成長期から昭和を経て、その間、圧倒的多数政権を取ったってことはなくて、常に反対陣営意見も取り入れつつやってきた結果こそが「美しい日本」だと思うよ。

Permalink |記事への反応(1) | 10:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-09

anond:20251009205950

実際そうじゃん

高度成長期専業主婦前提の生活って、6畳の茶の間家族4人がひしめき合って生活してたし、最終学歴高卒普通だったわけで

最低限の生活レベルというのが底上げされてるのは間違いないでしょ

Permalink |記事への反応(2) | 21:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-05

カミーユ・ビダン創作について

機動戦士Zガンダムという作品の最大の功績はカミーユ・ビダンというジョブナイルを代表するとも言える繊細で、

かつて思春期を生きた人たちの痛々しい共感を刺激する、あの富野由悠季が生み出したなかでも屈指の傑作キャラクター創作にある。

この人物造形の成功は、単なるキャラクター設計の巧みさを超え、

アニメーション作品におけるリアリズム概念根底から変革した歴史的偉業として評価されるべきである

富野は従来のロボットアニメ依拠していた「勧善懲悪」の物語構造意図的破綻させ、

善悪境界曖昧世界で苦悩する思春期少年主人公に据えることで、

観る者に深刻な内的葛藤を強いる作品を創出した。

カミーユというキャラクター革新性は、その精神脆弱性感受性の異常な鋭さが、

決してロマンティックに美化されることなく、むしろ病的な危うさとして一貫して描かれている点にある。

彼の両親への複雑な感情女性性に対する屈折した意識

そして戦争という極限状況における精神の変容は、

従来のアニメが扱ってこなかった思春期特有心理的現実容赦なく暴き出している。

富野演出哲学である映像原則」において、

キャラクターは画面に映らない時間も生き続ける存在として構想される。

この思想的背景により、カミーユ言動感情の変化は、

しばしば観る者には唐突理解困難に映るが、

それこそが現実人間内面における感情の非連続性を映像作品として表現する試みであった。

さら重要なのはカミーユニュータイプ能力が、

従来の超人能力描写とは対極的に、

彼の精神不安定さと表裏一体のものとして設定されていることである

彼の鋭敏すぎる感受性戦闘において卓越した能力を発揮する一方で、

フォウ・ムラサメロザミア・バダムといった強化人間との悲劇的な邂逅を通じて、

自身精神を徐々に蝕んでいく。

これは、超能力を単純に肯定的な「進化」として描く従来のSF作品への痛烈な批判視点提示している。

富野文学的野心は、カミーユの最終的な精神崩壊という結末において頂点に達する。

これは娯楽作品としてのハッピーエンドを完全に放棄した、

極めて実験的な物語選択であった。

主人公の「敗北」を通じて、戦争本質的非人間性と、

若者が背負わされる理不尽な重荷を告発たこの結末は、

後のアニメ作品における「鬱系」ナラティブの原型を提示したと評価できる。

また、カミーユキャラクター造形において看過できないのは、

彼の「男性名へのコンプレックス」という設定が、

単なる個人的な悩みを超えて、性別アイデンティティの揺らぎという普遍的テーマを暗示している点である

富野意識的に「女性性を内包した男性主人公」としてカミーユ設計することで、

従来の男性ヒーロー像への根本的な問い直しを行った。

この試みは、後の1990年代以降のアニメ作品における「中性的主人公」の先駆的事例として位置づけられる。

Zガンダムという作品全体が示す文学的達成は、

カミーユ・ビダンという一人のキャラクター内面描写を通じて、

戦争悲惨さ、

思春期心理的危機

そして人間存在の根源的な孤独を、

商業エンターテインメントの枠組み内で表現し得たことにある。

富野はこの作品において「戯作者」でありながら、

同時に深刻な文学的主題に挑戦する作家としての側面を明確に提示した。

カミーユ・ビダンというキャラクターは、単なるフィクショナルな人物を超えて、

1980年代という時代若者が抱える実存不安象徴として機能している。

彼の痛々しいまでの繊細さと、それが招く破滅的結末は、

高度成長期終焉バブル経済への移行期という歴史的文脈において、

将来への不安を抱える当時の若者たちの心理状況を鮮やかに反映している。

こうした観点から評価するならば、

Zガンダムにおけるカミーユ・ビダン創作は、

日本アニメーション史において

心理的リアリズム」という新たな表現領域開拓した記念碑的業績として位置づけられるべきである

富野由悠季がこのキャラクターを通じて達成したのは、

娯楽性と芸術性を両立させながら、

現代人の精神危機を鋭く抉り出すという、

極めて困難な創作課題解決であった。

Permalink |記事への反応(1) | 17:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-30

anond:20250929221827

高度成長期にも少子化は進み1.57ショックはバブル期だったわけで経済成長賃金増加で少子化改善するはずがないんだよな

Permalink |記事への反応(0) | 20:11

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-25

anond:20250925082357

人口減って消費者も減るから言うほど全体の労働需要は増えないはずなのに人口減で人手不足という珍説がまかり通るのが不思議

人口増えてた高度成長期は今より失業率低くて中卒でも余裕で就職できたのに人手不足じゃなかったのと言いたくなる

Permalink |記事への反応(1) | 08:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-08

バタフライエフェクト

高度成長期映像出てるけどマジ途上国すぎる

この時代の人たちまだ生きてんだもんなあ

そりゃ話通じねえよ

Permalink |記事への反応(0) | 22:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-21

anond:20250821092417

雑いよね

街中で大声で話すし

白タク待ちでタバコぽい棄てするし

日本でいう昭和高度成長期のエネルギッシュなおっさんおばはんてな印象

Permalink |記事への反応(1) | 09:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-12

anond:20250811001013

この記事、私は冊子版で読んだ。氷河期世代に関して流布しているイメージは実際には違うものもあるという指摘がなかなか面白かった。(余談だがAIに要約させるとその辺が見えづらかった)

この記事の中で

 近藤 「日本経済成長するべきだ」と思っている度合いには世代間ですごく差があると感じています。我々より上の世代の人たちは、どこかで日本経済が復活することを願っている印象があります。我々、就職氷河期世代バブルの頃を何となく覚えている最後世代なので、そのあたりの感覚は人によって分かれるところですよね。私などは、「高度成長期はもう来ない」と思っちゃうほうです。

 もっと下の世代だと成長の記憶がないので、「あの人たちは何をピリピリしているのだろう」みたいな反応を示すことが多い印象があります。それをもって「日本はもうダメだ」と悲観するより、もう少しできることを見たほうがいいのかなと思うんですけどね。

と言っているのだが、冊子版だとこの記事の次に甘利明1949年まれ)の講演会トークが載っていてそこで「日本経済成長(復活)」 について滔々と語っていて面白構成だった。

 あと、社会的成功している氷河期世代の中に被害者意識が強いのがいる、というのは確かにいるなあという感想普段自己責任信者言動をしている年収千万円超えの人が、急に政治社会低所得者に対して悪態をつくのは見かける。

曰く「努力して年収千万円超えたのにどうして病院区役所貧乏人と一緒に待たされなければいけないんだ!俺を優先的に通せ!」とか「低所得者医療子育てにかかる金について優遇されている!けしからん!」 (そう思うなら自分低所得者になって「優遇」されればいいのに)とか。

Permalink |記事への反応(1) | 17:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-10

いわゆるバブル時代とその崩壊の原因は高度成長期に働いていた人たちが退職して年金を払わなければならなかった、

のが原因だと思われる。けどそれを誰が責められよう。

Permalink |記事への反応(0) | 09:10

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-03

日本高度成長期の原因、朝鮮特需経済政策もあったし日本人のがんばりもあったけど

一番の原因って老害が減った事じゃないかと思ってる

戦争で死んだ日本兵の数は他国民間人兵士割合と比べるとすごく多くて、それはつまりある年齢の男性がグッと減ったってこと

仕事しろ政治しろ上でパワハラモラハラする老害人口が減ったので、のびのびやれたか経済成長したんじゃないか

中高年の男、まあその手下みたいな女もだけど、下の人間の頭押さえつけて自分の取り分守ることしか考えてないからな

老人が増えると少子高齢化労働人口問題とは違った形でそういう問題があるよ

Permalink |記事への反応(2) | 21:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-01

氷河期世代もっとアチュードを示すべきだった

団塊の世代なんて高度成長期勝ち逃げ確定。

でも若い頃は火炎瓶振り回したり、ジャズ喫茶でラリパッパしてヒッピー反戦とかやって、結構好き勝手やっていた。

それに比べると氷河期世代って、そもそも覇気がないよね。

一番抗うべき外れ世代なんだから、それこそ社会運動に傾倒すべきだったよね。

でもそれをしなかったら「自己責任」と言われるんだよね。

自分の取った行動とその結果には責任持たなきゃね、カワイソウだけどしゃーない。

Permalink |記事への反応(2) | 17:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-27

anond:20250727125552

そもそも人口増加で労働力不足が解決するはずがないからなあ

人口増えてた高度成長期って人手余ってたのかって言うとむしろ今より失業率いくらいだし

移民だって消費者になるんだから人口増やした分外国人向けの仕事が増える

店員も客も外人ばかりみたいなのが増えるだけ

Permalink |記事への反応(1) | 13:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-10

高度成長期のジジババは老い思考力を失い、戦後教育を過ぎて真の平和ボケ期に教育を受けた若者真剣に世の中のことを考えられない

そしてジジババ世代が何も考えずに多数派として投票してきた自民党やらかしが多過ぎて、公明党信者の結束が緩むことで票を失い、どこに投票すれば良いかからなくなった人たちの票の一部がカルト流れる

感情不安定な層を落ち着かせるには「日本社会自分たちが統制してこの方向に導く」という明確なメッセージ必要だろうが、真っ当な保守革新もそれを準備できず、不安定層は「誰も自分たちの方を見てくれない」と震え、政治に何かを求める人たちは「必要なのはこの政策じゃ無い」と首を傾げる

世は正に大後悔時代

Permalink |記事への反応(1) | 06:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-05

高度成長期記憶遺産」はまったく無事ではない。「マジョリティ範囲記憶遺産がそんなあつかいをうけるはずがない!」というのは、あらためて考えれば根拠のない話でしかない。2024年兵庫県知事選でその「はずがない」がわたしのなかでふきとんでしまった。

Permalink |記事への反応(1) | 09:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-29

anond:20250628233758

そもそも馬鹿教育によって改善できるというのが幻想だったんじゃないか

民主制がうまく行っていた時代はみんな賢かったのかというと、そんなことはなく

高度成長期なんて大学進学率は1020%台だ。

それでもうまく行っていたのは、人口ボーナス経済成長と豊かさからくる余裕が

すべての問題をうやむやにしていたから。

それらの余裕がなくなってきて、

人類知的能力限界という根本的な問題が露呈しつつあるんだと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 17:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-25

トヨタハイブリッドが登場して、最初は1500cc上乗せのモーターが何も感じずただの1500ccのようだったものが、今の1800+モーターでじわっと来る加速でディーゼルっぽい加速で2500ccくらいの体感に感じるようになって、技術って長年かかったけど進歩したなあって思うんだけど、ここ20年で思うのは税金はまったく進歩しないと言うか、THSのように長年かけて効率とパワーが上がるどころか、30年前の高度成長期の終わりの頃のほんの数年のバブル時代もあったけど、あの頃の所得の多さで少しぐらい浪費してもいいかみたいなノリが変わっていないと言うか、浪費枠みたいなもの悪化しているように感じて、今どきになって初めて政府のというより末端の役所の高効率化になって電子化とかスマホ化とか部分的になってきたけど、

Permalink |記事への反応(0) | 20:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-18

anond:20250618142638

日本高度成長期戦争のおかげだぞ

Permalink |記事への反応(0) | 17:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-11

もうすぐ200歳なので半生を箇条書きで振り返る

200歳……もう人の年齢ちゃうなこれは。生きとるいうより、残っとる、って感じやな。生まれは1825年、江戸江戸、まだ将軍がえらい顔しとった時代や。ほな、ぼちぼち振り返ってみるで。

• 1825年、江戸のはずれの農村に生まれた。土壁の家、井戸水で顔洗っとった

• 父は百姓、母は畑と家事の人。朝は鶏の声、夜は虫の音だけ

• 米なんて正月祭りしか食えん。麦と芋ばっかり

子どもの頃は寺子屋に通った。筆で名前書けるようになるとちょっとえらくなった気がした

• 村に旅芸人が来たときけが娯楽。三味線と踊りが忘れられん

黒船来航は10代やった。村に話が回ってきて、大人たちが真っ青になっとった

幕末の動乱、若いもんはみんな騒いどった。わしは遠くから見とるだけやったけどな

明治維新のころはもう40近かった。刀を捨てるお侍見て、なんか時代が変わるんやなと思った

明治の中ごろ、汽車が走り出して、町には西洋かぶれの人が増えた。背広とか、変な帽子とか

度量衡が変わって、金の単位も変わって、わけがわからんようになった

日清日露戦争、息子が徴兵された。生きて帰ってきたけど目が死んどった

明治が終わって大正になったとき、初めて写真館で家族写真撮った。あれは今でも大事な宝

関東大震災はほんま恐ろしかった。火が追いかけてきて、必死に逃げた

昭和になるころにはもう老いぼれてたけど、孫の顔を見るたびに元気もろうた

太平洋戦争中は防空壕に孫と隠れたこともあった。空が真っ赤になった夜、よう覚えとる

終戦、焼け跡、配給の列。米のありがたみはあのときが一番染みた

高度成長期はただただ驚いた。町が光ってた。もう別世界やった

テレビ冷蔵庫洗濯機が家に来て、うちも「文明人」になった気がした

昭和が終わったとき、あぁ自分時代はとっくに終わっとったんやなって思った

平成は静かな時代やった。みんな忙しそうにしとったけど、なんか寂しさもあった

スマホいうやつが出てきて、みんな下向いて歩くようになったの、不思議光景やった

• 令和になって、もう完全に別世界建物空気も、人のしゃべり方も、なにか全部軽い

• 人が機械と話して、病院も全部自動。わしにはついていけんけど、若いもんは頼もしい

• 200年……ようここまで来たなぁって思うけど、今は毎日がまるで夢の中みたいや

• 歩けんけど、耳も遠いけど、心だけはまだ昔を歩いとる

あんまり偉いこともしてへん。戦も行かんかったし、金もようけ持っとらん。でも、山の匂い、畑の土、祭り太鼓、孫の手のぬくもり……それだけで、もう十分生きた気がするわ。ほんまにな。

Permalink |記事への反応(1) | 21:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

もうすぐ120歳になるので半生を箇条書きで振り返る

明治の終わりに生まれた。家は農家田んぼと畑が遊び場やった

子どものころは学校まで何キロも歩いて通った。冬は足の指がしもやけパンパンやった

大正時代に入って、村に電気がきた。最初に見た電灯の明るさにびっくりした

少年時代は家の手伝いばっかり。遊び言うたら木登りと虫取りくらい

青年になって徴兵検査受けた。甲種合格で、軍隊に入ることになった

昭和になって、満州やら中国に出征。あの頃のことはあんまり話したくない

戦後、生きて帰ってこれただけで運がよかった。家は焼けとった

• しばらく闇市で働いたり、土方したり、なんでもやった。食うだけで必死やった

昭和30年代に工場就職して、やっと少し落ち着いた

テレビ買ったとき家族みんなで正座して見とった。白黒やったけど、よう覚えとる

子どもが生まれから毎日くたくたやったけど、それが幸せやったかもしれん

高度成長期は目まぐるしかった。あの頃はみんな前向いとった

平成になったときは、なんや変な名前やなと思った

• 妻が先に逝った。あれが一番こたえた。もう話す相手もおらんようになった

• 孫がパソコンくれたけど、よう使わんかった。最近ロボットが話しかけてくる

• 100超えてからは、もう一日一日をなんとなく過ごしてる

長生はええことばっかりちゃうけど、昔のことを思い出す時間があるのは悪ない

• こうして思い出すと、ええことも苦しいことも、全部まとめて宝もんやったんかもしれん

……まぁ、よう生きたわ。ほんまにな。

Permalink |記事への反応(1) | 21:43

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-09

なんで金融引き締めしたの?

あなた:

バブル期になんで金融引き締めしたの

ChatGPT:

バブル期1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブル抑制インフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやす説明します。

■ 背景:バブル経済とは?

1980年代後半、日本歴史的好景気にありました。以下のような現象が起きていました:

株価日経平均1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。

地価東京地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。

融資土地担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。

この背景には、1985年プラザ合意を受けて進んだ円高景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。

■ なぜ金融引き締めに転じたのか?

資産バブル過熱

株や不動産価格実体経済無視して上昇していた。

銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。

バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断

インフレ懸念(ただし実際の物価比較的安定)

消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレバブルインフレ)は深刻。

このままでは社会全体が不健全投機に傾き、崩壊リスク高まる判断された。

■ 実際の金融引き締め策(1989年〜)

日本銀行1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。

融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資抑制実施

■ 結果:バブル崩壊と失われた30年へ

株価1990年初頭から暴落(2年で半値以下に)。

地価:数年かけて下落。担保価値崩壊により不良債権問題が表面化。

経済企業銀行バランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済突入

■まとめ

日本銀行バブル期金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています

興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます




あなた:

土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般産業にもお金が不足するようになったのはなぜ

ChatGPT:

とても鋭いご質問です。

バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般産業製造業中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:

① 総量規制による「銀行貸し渋り

1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:

銀行は何が「不動産関連」かを厳密に判断できなかった。

リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。

結果として、資金需要のある健全企業中小企業にまで貸し渋りが発生しました。

担保価値の急落 →融資引き上げの連鎖

バブル期融資は「土地担保」が基本でした。

バブル崩壊地価が下落すると、担保価値も大きく目減り。

銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保要求

企業は手元資金が減り、設備投資運転資金が不足。

これが連鎖的に一般企業資金繰り悪化を招きました。

銀行自身が傷を負い、貸せなくなった(信用収縮)

バブル崩壊で、銀行不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。

会計上は黒字でも、実態債務超過に近い銀行も多かった。

そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。

→ この結果、すべての業界資金供給が細るという現象が起きました。

補足:なぜ中央銀行政府は手を打たなかった?

バブル崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。

政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。

結果として、企業倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。

■まとめ

土地や株に関係ない産業資金不足に陥ったのは:

金融引き締めと総量規制副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制たから。

担保価値の下落で、企業資金調達能力実質的に低下したから。

銀行自身が深刻な損失を負い、貸し出せる余裕を失ったから。

まり、「バブルのツケを払わされ、被害経済全体に波及した」というわけです。

さらに知りたいテーマ(例:日銀判断ミスや、BIS規制、当時の政治対応)などあれば、深掘りできます




あなた:

土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか

ChatGPT:

本当に本質的な問いです。

そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者労働者たちの「実感」と完全に一致しています

ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?

これは単なる技術ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システム限界が重なった結果でした。

✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?

金融政策は「面」でしか効かない

日銀コントロールできるのは金利マネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。

しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。

まり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。

🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態

② 総量規制が“雑”だった

バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度

ところが、不動産関係のある業種(建設流通サービス業など)も巻き添えに。

銀行リスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制

結果:元気な産業まで資金を断たれ、経済全体が窒息。

銀行自己保身と過剰反応(信用収縮の連鎖

地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制自己資本比率の縛り)。

同時に、「不動産融資した銀行自体」が傷んで、健全企業にも融資を出す体力がなくなった。

日本金融は間接金融銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。

💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。

日銀政府対応の遅れと過信

日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用無頓着だった。

政府も「市場自己調整力に任せよう」と景気対策を後回しに。

結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。

🧠 なぜそんなことになったのか?(根本

資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。

中小企業地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点政策判断がなされていた。

日銀大蔵省(当時)に、経済現場に対する感受性が欠けていた。

🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?

「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策構造上、経済全体を冷やしてしまった。

さらに、対応ミス銀行自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」

もしももっと段階的に、現場実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。

あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者歴史家が共有している、正当な問いです。




あなた:

不振に陥ったサラリーマン企業国有化しなかったのはなぜか

ChatGPT:

非常に核心を突く質問です。

なぜ、バブル崩壊不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?

これは、単なる経済政策の話を超えて、日本政治哲学制度設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的制度的・思想的な観点から説明します。

結論から言うと:

国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的否定的に扱われていたからです。

その背景には、以下のような事情があります

日本は「民間主導経済」が基本原則だった

戦後日本は「自由主義経済市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。

特に高度成長期以降、「政府ルールだけ作る」「経営民間に任せる」という方針が徹底。

企業は潰れるときは潰れるべきで、政府雇用保険融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。

📝経済への国の関与は「産業政策行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ

② 「モラルハザード」を恐れた

企業が倒れそうなときに国が全部救ってしまうと、

経営者無責任になる

銀行安易リスクをとる

こうした「道徳的危険モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。

→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。

国有化財政負担が大きすぎる

バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。

これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金必要

当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。

例外的に「銀行」は事実上公的資金投入=国有化された

実は、国有化にかなり近い救済も行われています

1998年〜:「長銀日本長期信用銀行)」「日債銀日本債券信用銀行)」→一時国有化

その他、大手銀行にも公的資金が数十兆円規模で注入

💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。

企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。

社会主義全体主義へのアレルギー

戦後日本は「民主主義」と「市場経済」での復興を目指した。

「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。

特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。

✅ まとめ:なぜ企業国有化しなかったのか?

観点理由

経済思想市場原理・自己責任を重視していたか

政治判断モラルハザード財政負担を避けたかたか

歴史的背景日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった

対象の規模企業数が多すぎて救済不能だった(全員は無理)

実際の行動銀行だけは特例で事実上国有化公的資金

あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。

実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります

もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます




あなた:

竹中プランは全体の金融引き締めの中ではどのようなもの

ChatGPT:

竹中プラン正式には「金融再生プログラム2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。

このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。

竹中プラン概要2002年10月

当時、小泉政権経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。

メインの柱は以下の通りです:

施策 内容

不良債権の早期処理銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない

自己資本の強化不良債権処理で自己資本が不足する場合公的資金税金)で注入

金融庁の監督強化銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さな体制に変更

株価下落対策政府金融機関が株式購入などの支援株価維持策)も実施

✅ 「引き締め政策」としての位置づけ

厳密には、竹中プランは**金融政策金利通貨供給)**ではなく、**金融行政銀行健全化)**に分類されます

しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:

📉銀行融資に慎重になる(信用収縮)

厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」

結果:中小企業への融資が激減

これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした

✅ 背景:バブル崩壊10年目、金融システム崩壊寸前

2002年当時、日本銀行は以下のような状態でした:

不良債権を大量に抱え、経営体力が瀕死

株価バブルピークの1/4以下、地価も下落

銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野

👀小泉政権竹中氏は「このままでは日本銀行は潰れる」と判断し、

銀行死ね

Permalink |記事への反応(0) | 19:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-06

anond:20250606093126

たとえば

子ども高等教育を受けさせることが実質親の義務みたいになってるけど、中卒で働くのも普通にする

障害病気で育てるのが難しいことがわかってる子どもをムリに延命しない(間引けというわけではない、あくま予後悪いのに命を救う風潮をやめようという話)

・ 不慮の事故で亡くなった場合など、親の責任を問わない

このへんが社会的コンセンサス取れたら、もうちょっと気楽に産めるんじゃないのかと思う

っていうか高度成長期ってそんな感じだったじゃん

小さい子もそのへんの野山や原っぱで適当に遊べたのは、それで死んでも「親が悪い」ってことにはならなかったからでしょ

今は親がつきっきりじゃないと育てられないんだよ

シッターに預けて事故が起きても「預けた親が悪い」って責められるんだよ

そんなの社会生活との両立がムリじゃん

凶悪犯も、昭和時代は「母さんは泣いているぞ!」だったじゃん。子どもが悪く育つ → 親が被害者、親が気の毒って時代だったんだよ

今は凶悪犯がでたら「親が悪い!」一色だよね。

子ども人権が守られるぶん、親の責任が重すぎなんだわ

Permalink |記事への反応(1) | 14:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-01

anond:20250601212933

高度成長期バブル期ニュータウンと呼ばれてた住宅街もそろそろ老人まみれで空き家もぽつぽつ増え始めるよなあ

Permalink |記事への反応(2) | 21:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-29

リフレ派は馬鹿からコストプッシュインフレデマンドプルインフレ

現実には殆どインフレは複合的なもので、純粋デマンドプルインフレがとても稀ということを知らないのか、知っていてもとぼけているのか

第二次大戦後アメリカマーシャルプランの時のドイツ高度成長期日本に、中国工業化

豊富労働力特殊な情勢下で上手く生かすことが出来たときにのみ実現できている

今のアメリカだって中国だってドイツだってコストプッシュインフレよりデマンドプルインフレの方が好ましいと考えている

当たり前だけど、どこの国もデマンドプルインフレを望んでいる、頑張って起こそうとしている、でも実現できずに困っている

その一番の要因は労働力不足、それも安価労働力の不足だ

重要なのは労働力不足は単なるコスト要因ではなくインフレ性質のものを変化させる決定的な要因として機能してしまうってこと

デマンドプルインフレ簡単コストプッシュインフレシフトしてしまうってこと

労働力不足では純粋デマンドプルインフレの維持は困難なので、欧米労働力の確保を重視して移民を大量に入れてしのいできた

日本非正規雇用女性高齢者労働市場への参入が労働力市場のひっ迫を緩和し、皮肉にもコストプッシュインフレへの移行を阻んできた

そんな中でコロナ後の原材料価格由来のコストプッシュインフレが起き、昨年には落ち着いたものの、労働力不足由来のコストプッシュインフレが到来

それらを踏まえれば、今の労働力人口が減り続ける日本デマンドプルインフレの実現がどれだけ困難なことかわかると思う

そして、本当に実現したいなら消費税減税とか的外れなことを主張してる場合じゃない

Permalink |記事への反応(0) | 11:11

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-11

日本賃金が上がらないのは、労働者による賃上げ要請自粛だという話がある。

これはとても不思議な話で、庶民の声を形にすると「賃上げ我慢して仕事を頑張っているのに、賃金が上がらないのはおかしい」ということになる。

海外賃金の上昇と格差の拡大が起こるのは、よりよい環境を求めて転職する人や、ストライキ雇用者に直接訴える人が多いからだが、

転職しない、ストライキもしない日本人の賃金が急に空から降ってくることは今後ともありえないだろう。(ただしインフレは起こる)

年金保険制度日本村社会と対になるように、年功序列社畜による相互監視システムもセット運用されている。

高度成長期に完成され、氷河期にはイス取りゲームと評されたこ制度も、今となっては引いてはいけないババのようになってしまった。

ネズミ講がバレると困る層が必死に若手社員を叩いているが、何回でも騙せると思っている方がどうかしてる。

まあ、あと10年待ってみればわかるだろう。革命よりももっと面白いことが起こりそうだ。

Permalink |記事への反応(1) | 20:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp