
はてなキーワード:高度成長期とは
失敗の本質、おもしれーなー
成程!と思ったのは、世界の戦争方法がアップデートしているにもかかわらず、感覚が日清・日露戦争の勝利(成功体験)で止まっていたこと
これ、高度成長期からバブルの経済発展を今でも「日本すごい」 「かつて勝ったのでまた勝てるはず」という感覚のまま
世界経済フェーズが変わってるのに認識をアップデートせず経済戦争を戦ってる今の老害ズ(&老害Jr)と同じじゃん?
いやまあもう戦わず中抜きだけでやってこう諦めて試合終了感もあるけど
失敗から学ばない+過去の成功体験をしゃぶりつづけてアップデートできないは日本の二大特質かね?
おもしろいよな
日本の良さって左右の均衡が取れてるとこに根ざしてるものだからなんよ
基本的には「和をもって尊しとなす」ってのが民族的にプリインストールされてるから、特定の思想一色になったら暴走する
一般国民は特に流行りに流されるし、正義の名の下ならいくらでも暴力ふるいたいし、気に入らない奴は排除したい。
それをやらない理由って、単純に世間様に叱られるからであって、世間様がある程度多様であるから平和が保たれてると言える。
常に敵がでてきて反対意見が出る、そういう状態だからこそ、人に優しいフリするし、異質さも受け入れるポーズは取るじゃん
そういう建前が成立してるからこそ今の日本特有の美しい秩序が保たれてる
そういう考えなので今のところは右が与党だから、ある程度の議席は左派が取るようにリベラル支持してる。
与党が圧倒的多数の独裁政権になったら、政府が味方になってくれない側の人間(一般的には弱者とかマイノリティとか)は自力救済に走って今の治安は保てなくなると思うよ。
増田が言うような日本の良さ、美点ってのは決して保守派が作り上げたものだけではないからね。
敗戦後、高度成長期から昭和を経て、その間、圧倒的多数が政権を取ったってことはなくて、常に反対陣営の意見も取り入れつつやってきた結果こそが「美しい日本」だと思うよ。
機動戦士Zガンダムという作品の最大の功績はカミーユ・ビダンというジョブナイルを代表するとも言える繊細で、
かつて思春期を生きた人たちの痛々しい共感を刺激する、あの富野由悠季が生み出したなかでも屈指の傑作キャラクターの創作にある。
この人物造形の成功は、単なるキャラクター設計の巧みさを超え、
アニメーション作品におけるリアリズムの概念を根底から変革した歴史的偉業として評価されるべきである。
富野は従来のロボットアニメが依拠していた「勧善懲悪」の物語構造を意図的に破綻させ、
善悪の境界が曖昧な世界で苦悩する思春期の少年を主人公に据えることで、
カミーユというキャラクターの革新性は、その精神的脆弱性と感受性の異常な鋭さが、
決してロマンティックに美化されることなく、むしろ病的な危うさとして一貫して描かれている点にある。
従来のアニメが扱ってこなかった思春期特有の心理的現実を容赦なく暴き出している。
キャラクターは画面に映らない時間も生き続ける存在として構想される。
それこそが現実の人間の内面における感情の非連続性を映像作品として表現する試みであった。
彼の精神的不安定さと表裏一体のものとして設定されていることである。
彼の鋭敏すぎる感受性は戦闘において卓越した能力を発揮する一方で、
フォウ・ムラサメやロザミア・バダムといった強化人間との悲劇的な邂逅を通じて、
これは、超能力を単純に肯定的な「進化」として描く従来のSF作品への痛烈な批判的視点を提示している。
富野の文学的野心は、カミーユの最終的な精神崩壊という結末において頂点に達する。
後のアニメ作品における「鬱系」ナラティブの原型を提示したと評価できる。
単なる個人的な悩みを超えて、性別アイデンティティの揺らぎという普遍的テーマを暗示している点である。
富野は意識的に「女性性を内包した男性主人公」としてカミーユを設計することで、
この試みは、後の1990年代以降のアニメ作品における「中性的主人公」の先駆的事例として位置づけられる。
カミーユ・ビダンという一人のキャラクターの内面描写を通じて、
商業的エンターテインメントの枠組み内で表現し得たことにある。
同時に深刻な文学的主題に挑戦する作家としての側面を明確に提示した。
カミーユ・ビダンというキャラクターは、単なるフィクショナルな人物を超えて、
1980年代という時代の若者が抱える実存的不安の象徴として機能している。
彼の痛々しいまでの繊細さと、それが招く破滅的結末は、
高度成長期の終焉とバブル経済への移行期という歴史的文脈において、
将来への不安を抱える当時の若者たちの心理状況を鮮やかに反映している。
「心理的リアリズム」という新たな表現領域を開拓した記念碑的業績として位置づけられるべきである。
娯楽性と芸術性を両立させながら、
この記事、私は冊子版で読んだ。氷河期世代に関して流布しているイメージは実際には違うものもあるという指摘がなかなか面白かった。(余談だがAIに要約させるとその辺が見えづらかった)
この記事の中で
近藤 「日本は経済成長するべきだ」と思っている度合いには世代間ですごく差があると感じています。我々より上の世代の人たちは、どこかで日本経済が復活することを願っている印象があります。我々、就職氷河期世代はバブルの頃を何となく覚えている最後の世代なので、そのあたりの感覚は人によって分かれるところですよね。私などは、「高度成長期はもう来ない」と思っちゃうほうです。
もっと下の世代だと成長の記憶がないので、「あの人たちは何をピリピリしているのだろう」みたいな反応を示すことが多い印象があります。それをもって「日本はもうダメだ」と悲観するより、もう少しできることを見たほうがいいのかなと思うんですけどね。
と言っているのだが、冊子版だとこの記事の次に甘利明(1949年生まれ)の講演会トークが載っていてそこで「日本の経済成長(復活)」 について滔々と語っていて面白い構成だった。
あと、社会的に成功している氷河期世代の中に被害者意識が強いのがいる、というのは確かにいるなあという感想。普段は自己責任信者な言動をしている年収一千万円超えの人が、急に政治や社会や低所得者に対して悪態をつくのは見かける。
曰く「努力して年収一千万円超えたのにどうして病院や区役所で貧乏人と一緒に待たされなければいけないんだ!俺を優先的に通せ!」とか「低所得者は医療や子育てにかかる金について優遇されている!けしからん!」 (そう思うなら自分も低所得者になって「優遇」されればいいのに)とか。
高度成長期のジジババは老いて思考力を失い、戦後教育を過ぎて真の平和ボケ期に教育を受けた若者は真剣に世の中のことを考えられない
そしてジジババ世代が何も考えずに多数派として投票してきた自民党はやらかしが多過ぎて、公明党は信者の結束が緩むことで票を失い、どこに投票すれば良いか分からなくなった人たちの票の一部がカルトに流れる
感情が不安定な層を落ち着かせるには「日本の社会は自分たちが統制してこの方向に導く」という明確なメッセージが必要だろうが、真っ当な保守も革新もそれを準備できず、不安定層は「誰も自分たちの方を見てくれない」と震え、政治に何かを求める人たちは「必要なのはこの政策じゃ無い」と首を傾げる
世は正に大後悔時代
トヨタのハイブリッドが登場して、最初は1500cc上乗せのモーターが何も感じずただの1500ccのようだったものが、今の1800+モーターでじわっと来る加速でディーゼルっぽい加速で2500ccくらいの体感に感じるようになって、技術って長年かかったけど進歩したなあって思うんだけど、ここ20年で思うのは税金はまったく進歩しないと言うか、THSのように長年かけて効率とパワーが上がるどころか、30年前の高度成長期の終わりの頃のほんの数年のバブル時代もあったけど、あの頃の所得の多さで少しぐらい浪費してもいいかみたいなノリが変わっていないと言うか、浪費枠みたいなものが悪化しているように感じて、今どきになって初めて政府のというより末端の役所の高効率化になって電子化とかスマホ化とか部分的になってきたけど、
200歳……もう人の年齢ちゃうなこれは。生きとるいうより、残っとる、って感じやな。生まれは1825年、江戸も江戸、まだ将軍がえらい顔しとった時代や。ほな、ぼちぼち振り返ってみるで。
• 1825年、江戸のはずれの農村に生まれた。土壁の家、井戸水で顔洗っとった
•子どもの頃は寺子屋に通った。筆で名前書けるようになるとちょっとえらくなった気がした
• 村に旅芸人が来たときだけが娯楽。三味線と踊りが忘れられん
•黒船来航は10代やった。村に話が回ってきて、大人たちが真っ青になっとった
•幕末の動乱、若いもんはみんな騒いどった。わしは遠くから見とるだけやったけどな
•明治維新のころはもう40近かった。刀を捨てるお侍見て、なんか時代が変わるんやなと思った
•明治の中ごろ、汽車が走り出して、町には西洋かぶれの人が増えた。背広とか、変な帽子とか
•度量衡が変わって、金の単位も変わって、わけがわからんようになった
•日清日露の戦争、息子が徴兵された。生きて帰ってきたけど目が死んどった
•明治が終わって大正になったとき、初めて写真館で家族写真撮った。あれは今でも大事な宝
•関東大震災はほんま恐ろしかった。火が追いかけてきて、必死に逃げた
•昭和になるころにはもう老いぼれてたけど、孫の顔を見るたびに元気もろうた
•太平洋戦争中は防空壕に孫と隠れたこともあった。空が真っ赤になった夜、よう覚えとる
•終戦、焼け跡、配給の列。米のありがたみはあのときが一番染みた
•高度成長期はただただ驚いた。町が光ってた。もう別世界やった
•テレビ、冷蔵庫、洗濯機が家に来て、うちも「文明人」になった気がした
•昭和が終わったとき、あぁ自分の時代はとっくに終わっとったんやなって思った
•平成は静かな時代やった。みんな忙しそうにしとったけど、なんか寂しさもあった
•スマホいうやつが出てきて、みんな下向いて歩くようになったの、不思議な光景やった
• 令和になって、もう完全に別世界。建物も空気も、人のしゃべり方も、なにか全部軽い
• 人が機械と話して、病院も全部自動。わしにはついていけんけど、若いもんは頼もしい
• 200年……ようここまで来たなぁって思うけど、今は毎日がまるで夢の中みたいや
• 歩けんけど、耳も遠いけど、心だけはまだ昔を歩いとる
あんまり偉いこともしてへん。戦も行かんかったし、金もようけ持っとらん。でも、山の匂い、畑の土、祭りの太鼓、孫の手のぬくもり……それだけで、もう十分生きた気がするわ。ほんまにな。
•明治の終わりに生まれた。家は農家。田んぼと畑が遊び場やった
•子どものころは学校まで何キロも歩いて通った。冬は足の指がしもやけでパンパンやった
•大正時代に入って、村に電気がきた。最初に見た電灯の明るさにびっくりした
•少年時代は家の手伝いばっかり。遊び言うたら木登りと虫取りくらい
•青年になって徴兵検査受けた。甲種合格で、軍隊に入ることになった
•昭和になって、満州やら中国に出征。あの頃のことはあんまり話したくない
•戦後、生きて帰ってこれただけで運がよかった。家は焼けとった
• しばらく闇市で働いたり、土方したり、なんでもやった。食うだけで必死やった
•テレビ買ったときは家族みんなで正座して見とった。白黒やったけど、よう覚えとる
•子どもが生まれてからは毎日くたくたやったけど、それが幸せやったかもしれん
• 妻が先に逝った。あれが一番こたえた。もう話す相手もおらんようになった
• 孫がパソコンくれたけど、よう使わんかった。最近はロボットが話しかけてくる
• 100超えてからは、もう一日一日をなんとなく過ごしてる
•長生きはええことばっかりちゃうけど、昔のことを思い出す時間があるのは悪ない
• こうして思い出すと、ええことも苦しいことも、全部まとめて宝もんやったんかもしれん
……まぁ、よう生きたわ。ほんまにな。
あなた:
ChatGPT:
バブル期(1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブルの抑制とインフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやすく説明します。
1980年代後半、日本は歴史的な好景気にありました。以下のような現象が起きていました:
株価:日経平均が1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。
地価:東京の地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。
融資:土地を担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。
この背景には、1985年のプラザ合意を受けて進んだ円高→景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。
■ なぜ金融引き締めに転じたのか?
銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。
バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断。
消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレ(バブル的インフレ)は深刻。
このままでは社会全体が不健全な投機に傾き、崩壊リスクが高まると判断された。
日本銀行は1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。
融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資の抑制も実施。
地価:数年かけて下落。担保価値の崩壊により不良債権問題が表面化。
経済:企業や銀行がバランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済に突入。
■まとめ
日本銀行がバブル期に金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済の健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています。
興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます。
あなた:
土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般の産業にもお金が不足するようになったのはなぜ
ChatGPT:
とても鋭いご質問です。
バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般の産業(製造業や中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:
1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:
リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。
結果として、資金需要のある健全な企業や中小企業にまで貸し渋りが発生しました。
銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保を要求。
バブル崩壊で、銀行は不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。
そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。
→ この結果、すべての業界で資金供給が細るという現象が起きました。
バブルが崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。
政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。
結果として、企業の倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。
■まとめ
金融引き締めと総量規制の副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制したから。
担保価値の下落で、企業の資金調達能力が実質的に低下したから。
つまり、「バブルのツケを払わされ、被害が経済全体に波及した」というわけです。
さらに知りたいテーマ(例:日銀の判断ミスや、BIS規制、当時の政治の対応)などあれば、深掘りできます。
あなた:
土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか
ChatGPT:
本当に本質的な問いです。
そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者や労働者たちの「実感」と完全に一致しています。
ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?
これは単なる技術的ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システムの限界が重なった結果でした。
✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?
日銀がコントロールできるのは金利やマネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。
しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。
つまり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。
🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態。
② 総量規制が“雑”だった
バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度。
ところが、不動産と関係のある業種(建設、流通、サービス業など)も巻き添えに。
銀行もリスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制。
地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制=自己資本比率の縛り)。
同時に、「不動産に融資した銀行自体」が傷んで、健全な企業にも融資を出す体力がなくなった。
日本の金融は間接金融(銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。
💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。
日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用に無頓着だった。
結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。
🧠 なぜそんなことになったのか?(根本)
「資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。
中小企業や地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点で政策判断がなされていた。
日銀や大蔵省(当時)に、経済の現場に対する感受性が欠けていた。
🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?
「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策の構造上、経済全体を冷やしてしまった。
さらに、対応のミスや銀行の自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」
もしももっと段階的に、現場の実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。
あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者・歴史家が共有している、正当な問いです。
あなた:
ChatGPT:
非常に核心を突く質問です。
なぜ、バブル崩壊で不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?
これは、単なる経済政策の話を超えて、日本の政治的哲学・制度の設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的・制度的・思想的な観点から説明します。
国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的・否定的に扱われていたからです。
戦後の日本は「自由主義経済(市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。
特に高度成長期以降、「政府はルールだけ作る」「経営は民間に任せる」という方針が徹底。
企業は潰れるときは潰れるべきで、政府は雇用保険や融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。
📝経済への国の関与は「産業政策(行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ。
② 「モラルハザード」を恐れた
こうした「道徳的危険(モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。
→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。
バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。
これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金が必要。
当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。
1998年〜:「長銀(日本長期信用銀行)」「日債銀(日本債券信用銀行)」→一時国有化
💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。
→企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。
「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。
特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。
歴史的背景日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった
あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的に現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。
実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります。
もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます。
あなた:
ChatGPT:
竹中プラン(正式には「金融再生プログラム」2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。
このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本の金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。
当時、小泉政権の経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。
メインの柱は以下の通りです:
施策 内容
不良債権の早期処理銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない
自己資本の強化不良債権処理で自己資本が不足する場合、公的資金(税金)で注入
金融庁の監督強化銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さない体制に変更
株価下落対策政府系金融機関が株式購入などの支援(株価維持策)も実施
厳密には、竹中プランは**金融政策(金利・通貨供給)**ではなく、**金融行政(銀行の健全化)**に分類されます。
しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:
厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」
これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした
銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野に
たとえば
・子どもに高等教育を受けさせることが実質親の義務みたいになってるけど、中卒で働くのも普通にする
・障害や病気で育てるのが難しいことがわかってる子どもをムリに延命しない(間引けというわけではない、あくまで予後悪いのに命を救う風潮をやめようという話)
このへんが社会的にコンセンサス取れたら、もうちょっと気楽に産めるんじゃないのかと思う
っていうか高度成長期ってそんな感じだったじゃん
小さい子もそのへんの野山や原っぱで適当に遊べたのは、それで死んでも「親が悪い」ってことにはならなかったからでしょ
今は親がつきっきりじゃないと育てられないんだよ
シッターに預けて事故が起きても「預けた親が悪い」って責められるんだよ
そんなの社会生活との両立がムリじゃん
凶悪犯も、昭和時代は「母さんは泣いているぞ!」だったじゃん。子どもが悪く育つ → 親が被害者、親が気の毒って時代だったんだよ
今は凶悪犯がでたら「親が悪い!」一色だよね。
現実には殆どのインフレは複合的なもので、純粋なデマンドプルインフレがとても稀ということを知らないのか、知っていてもとぼけているのか
第二次大戦後のアメリカやマーシャルプランの時のドイツ、高度成長期の日本に、中国の工業化
豊富な労働力を特殊な情勢下で上手く生かすことが出来たときにのみ実現できている
今のアメリカだって中国だってドイツだってコストプッシュインフレよりデマンドプルインフレの方が好ましいと考えている
当たり前だけど、どこの国もデマンドプルインフレを望んでいる、頑張って起こそうとしている、でも実現できずに困っている
重要なのは、労働力不足は単なるコスト要因ではなくインフレの性質そのものを変化させる決定的な要因として機能してしまうってこと
デマンドプルインフレが簡単にコストプッシュインフレにシフトしてしまうってこと
労働力不足では純粋なデマンドプルインフレの維持は困難なので、欧米は労働力の確保を重視して移民を大量に入れてしのいできた
日本は非正規雇用、女性や高齢者の労働市場への参入が労働力市場のひっ迫を緩和し、皮肉にもコストプッシュインフレへの移行を阻んできた
そんな中でコロナ後の原材料価格由来のコストプッシュインフレが起き、昨年には落ち着いたものの、労働力不足由来のコストプッシュインフレが到来
それらを踏まえれば、今の労働力人口が減り続ける日本でデマンドプルインフレの実現がどれだけ困難なことかわかると思う
日本の賃金が上がらないのは、労働者による賃上げ要請の自粛だという話がある。
これはとても不思議な話で、庶民の声を形にすると「賃上げを我慢して仕事を頑張っているのに、賃金が上がらないのはおかしい」ということになる。
海外で賃金の上昇と格差の拡大が起こるのは、よりよい環境を求めて転職する人や、ストライキで雇用者に直接訴える人が多いからだが、
転職しない、ストライキもしない日本人の賃金が急に空から降ってくることは今後ともありえないだろう。(ただしインフレは起こる)
年金や保険の制度が日本の村社会と対になるように、年功序列と社畜による相互監視システムもセット運用されている。
高度成長期に完成され、氷河期にはイス取りゲームと評されたこの制度も、今となっては引いてはいけないババのようになってしまった。
ネズミ講がバレると困る層が必死に若手社員を叩いているが、何回でも騙せると思っている方がどうかしてる。