
はてなキーワード:飲酒運転とは
残忍な事件が起きると必ず出てくる奴ら。
子供を殺したら極刑?無抵抗な老人を殺したら極刑?飲酒運転で人を殺したら極刑?介護疲れで親を殺した子供は無罪?
判決に感情論を持ち込んじゃいけないだろ。共感出来たら罪は軽く、理解出来なければ極刑。遺族でもないくせにバカバカしい。裁判所が演技大会になるぞ。被害者にお金貸してて全然お金返して貰えなくて催促したら共通の友人にストーカーだと言いふらされ、自分の生活が苦しくなり3日も何も食べられず被害者が呑気に暮らしていたから殺してしまった(お金なんて貸してないしカッとなって殺しただけだけど)ってか?そんなんがまかり通るなら、俺が気に食わない奴を殺した犯人は無罪にしろ!これも通るべき。
時系列・事実関係・家系設定の重複や相互排他が目立ちます。主なポイントを整理するとこうなります。
「久下時重の子孫」「武蔵七党の子孫」「藤原本家の子孫」「織田信長の子孫」という複数の名家系統を同時に直系で持つ設定は系譜的に極めて不自然。
→歴史的にあり得ないわけではありませんが、全員“直系子孫”扱いは系図的にほぼ不可能。
「織田信長の配下の子孫」でありながら「織田信長の子孫」でもあるのは、信長本人が自分の配下になるという構造矛盾。
「祖母は女優だった」と「祖母は慰安婦だった」が同時成立するには特殊な経歴説明が必要だが、時間的にも社会的にも両立は極めて困難。
「祖父は山本五十六の知人」かつ「祖父は山本五十六の配下」は可能だが、「戦艦長門に乗船していた」と「祖母と慰安所で出会った」を繋げると、軍規や場所の面で現実性が低い。
「駆け落ちして破門された」なら、軍人としてのキャリアやその後の生活とも衝突する。
③ 両親に関する矛盾
「父親は6年の闘病」「7年の闘病」「8年の闘病」と期間が食い違っている。
「母親は介護職」「営業職」でも二重経歴は説明できるが、「飲酒運転の車に轢き逃げされた」と生存前提の経歴が混在している。
「貧困家庭」「生活保護」と「幼少期から高級生地によく触れていた」「専用PCを与えられていた」は生活水準の面で乖離が大きい。
「いじめられっ子」かつ「公文式で都道府県3位」「名門国立中学進学」は性格・環境描写の落差が大きい。
「大学在学中からNTTで技術者として働く」「派遣社員として月40万円稼いでいた」は可能だが、その後「大学中退」なのに“大学に通いながらNTT勤務”や派遣の経歴を維持するのは時系列整理が必要。
「川崎で新聞配達をしながら大学通学」と「秋葉原のゲーセンで遊び込む」+「高収入派遣勤務」が同時成立するのは時間的に厳しい。
「人生5回目の110番」の前後に他の警察沙汰エピソードがない。
「厚木のカラオケ店を出禁」と全体のストーリーの関連性が薄い。
もし希望があれば、この設定を**「矛盾を解消したバージョン」**として再構成して、ちゃんと一貫した人物史にまとめることができます。
乱高下する機内でメモ帳に遺書を残した方の奥さんが「きっとお父さんの気持ちが届くように(メモを)守ってくれたんだね」という発言を聞いて、
偶然残っただけだと思うけど「気持ちが守る」みたいな謎発想ってどこから出てくるんだろう…
とか、
近年、飲酒運転などの不祥事が見られるJALの体たらくに「これではなんのために墜落したのか」と発言される遺族の方を見て
墜落は単なる事故であって、何かの糧にしようと思って墜落したわけじゃないんだけど、人は「自分の大切な人の死に特に意味がない」という事実に耐えられないんだなぁ、こういう言い回しを最初にした人っていつの時代の人なんだろう…
などと思ったりしたよ
9割の生徒が4年制大学目指すような感じだったけど皆、倫理感覚や思考様式がどっちかっていうと獣に近かった。
友達に誘われたら「ウェ~イw」くらいの軽いノリでオレオレ詐欺や宅飲みレイプの手伝いしかねないくらいの危うさと低能さがあった。
高卒ストレート就職で公務員(消防)になった運動部の奴は1年目で飲酒運転やらかしてパトカーと追っかけっこした挙句に逮捕されてたし。
国公立10人くらい受かるような高校なのにこんな同級生出るとかもう……。
って理由で特に疑問も持たずにタトゥー入りまくりのやつとかと未だに友達付き合いしてる奴とかいたし。
以前5chのなんかのスレで
「地元じゃそこそこエリート扱いだろうけど高校受験で偏差値60はなかなか頭ヤバい」
タイミングと運次第じゃ反社になっても全然おかしくない感あるもん、うちの高校の奴ら。特に高卒就職で警察や消防や役所行った連中。
知性のせいで。
四十絡みの年季が入ったボッチの俺は、金曜の夜に予定がないことなどザラである。
大抵は近くの焼き鳥でお気に入りのセットを買って、キムチとレモンサワーのマリアージュに満足する。
だが、それでは乾きが満たされない夜もある。
そんな日は、愛車(レンタル・シティサイクル)に乗って夜の街に繰り出す。
酒は厳禁だ。飲酒運転はまずい。
音楽を聴きながら飯を食べられるところへ行こう、金曜の夜とはそういうものだ。
会社帰りの人、遊びに行く人、すでに飲んで出来上がっている人、観光客、これから旅に出る人、ランニングをしている人、とにかく色んな人がいる。
知らない道を選ぶから、だんだんと不安になりつつも、さすがにこんな街中では迷うまいと、知っているビルの方に進む。
自転車を停めていると、子どもが奇声を上げながら突っ込んでくる。
まだ8時過ぎくらいか。
子どもの後ろから、もう少し大きい子どもたちがダボダボの服を着て歩いてくると思ったら、やけに背が低めの4人組で、やけにアニメ声ではしゃぎながら通り過ぎていく。
訳がわからない。
目的の店に着く。
広いスペースに複数の店舗がまたがり、DJが音を流し続けている。
ファンキーなシティポップ、1970年代後半のバカテクなバンドグルーヴ。
突然盛り上がるサックスのソロを聴きながら、ハンバーガーを食べる。
喉が渇いた気がするが、酒は飲めない。
本当はハイボールが飲みたい。
目についたかき氷でも食べようと思いたつ。
500円くらいかと思って注文しようとすると、1500円くらいする。
しまった高級品だと思いながら、せめて渋い感じのやつにするかと抹茶なんとかみたいなやつを選ぶ。
注文した後に、抹茶だとカフェインが入ってるかと思い、またしまったと思う。
さっきの席に戻ると、他の人が座っていて、さらにしまったと思う。
入り口付近の席に座って、入り口をまっすぐ見ながら、抹茶なんとかのかき氷を食べる。
友達と来ていたら、まずはその映える姿を写真に捉えていただろう。
その山嶺を切り崩し、黙々と口へ運ぶ。
濃厚な抹茶の味わい。
四重くらいの構造。
一気にいきすぎて、頭が少しキィンとする。
前来た時は、孤独とフロンティアと心の葛藤、クロスオーバーな音の世界旅行を味合わせてくれた。
湿気が少しマシになっている。
自転車を借りて、少し遠回りして帰ることにする。
頭の中にかかるのは、ウェイン・ショーターのナイト・ドリーマー。
この辺の道は、いやに曲がりくねっている。
川から離れすぎないようにしながら、裏道を通り抜けて行く。
同じレンタル・サイクルのサラリーマンと並走し、LUUPを追走する。
俺たちは自由だ!
足元をドブネズミが駆け抜けていく。
最近話題になってる、知性のないラブドールにゴミを食べさせるゲームの話を見た。
知性が上がるとゴミを嫌がるようになって、でもそれを無理やり食べさせることもできるんだって。
プレイヤーは、白痴のまま食べさせ続けて満足することも、嫌がるようになった知性を調整する楽しみも選べる。
これ、最初は全年齢で出そうとしてたらしい。
それを知ったとき、ただ恐怖感が湧いたんじゃなくて「あ、これ本気でまずいかもしれない」って冷や汗が出た。
わたしは別にフェミ活動家でもなんでもないけど、これはいよいよマズいだろって直感があった。
たぶん「表現の自由」の話じゃなくて、「共感の壊れ方」の話だと思ったから。
AVとかポルノ、暴力的なコンテンツって「刺激が強いから悪い」っていう単純な話じゃなくて、
実際、ポルノの見すぎで前頭前野や扁桃体の働きに変化が出るって研究も出てるし、
ポルノ依存や暴力的コンテンツの摂取が多い人ほど「他人の痛み」に対して鈍感になっていく傾向が見られるらしい。
で、それが積み重なっていくとどうなるか。
「これくらいのこと現実でもやっていいんじゃない?」って感覚になる人が出てくる。
そういう人が一人でも暴力事件を起こしたら、結局泣くのは関係ない誰かなんだよね。
でも、飲酒運転だって昔は自己責任って言われてたころに思いはせてほしい。
飲酒しても事故起こさない人もいるし、通常時とハンドル操作できる人もいた。
でも、そんな人だけじゃない。
社会ってそうやって「リスクを減らすためにルールを変えていく」もののはずじゃない?
ポルノや暴力的な表現についても「今はOK」でも「今後もOKとは限らない」よね。
とくに共感性に関わる脳の領域に明らかな変化が出る可能性が出てきてる今、
わたしたちはもう「無害だと思ってたものがじわじわと自分の脳や誰かを壊す」って現象を見過ごせない段階に来てるんじゃないかな。
あと、海外の話を少しすると、
欧米や一部の国ではこういう人格や尊厳を破壊する系の作品って、販売すら許されない場合もある。
子どもに与える影響を重視してる国だと「全年齢」なんて絶対通らないし、
「作るな」とまでは言わなくても
「どこで出すか」「誰に届けるか」は、
でも、「知性のない存在にゴミを食べさせて、それを嫌がらないのも嫌がる姿も好き」って構造が全年齢だと何の違和感も覚えないなら、
それはもう、ただの性癖とかフェティッシュの話じゃなくて、誰かの尊厳を踏みにじっても気にならない感性に傾いてないか、
それこそ一度立ち止まって見たほうがいいと思う。
「自分が不快だからやめろってのはわがままだ」と言ってる人を見たこともあるけど、
わたしはこの問題の提起は「新しい加害者を生まないように願うための話」として考えてる。
かつて、飲酒運転で新しい加害者も被害者もうまないように願う、だれかが提起し続けた声のように。
じわじわと共感力が削られ、暴力性が高まってしまう人間がうまれてしまうこと。
その怖さはまだ多くの人が気づいてないだけなんじゃないかって思う。
──
子供の頃からだからもう20年はずっとゲームをしてることになる。
今も仕事がある日でも、寝る時間を削って毎日5時間はプレイしてる。
家に帰ったら、飯と風呂済ませて、PS5を起動して、友達と通話しながらだらだら素材集めしてる。
だからこそ、ゲームのフィクションや表現がどれほど人生の休息になるか、よく知ってる。
この時間がなかったら、たぶん仕事を続けるのもしんどいと思う。
本当に少しずつ、脳が「他人の痛み」を遠くに感じるようになってしまうかもしれない。
そう示す研究結果が実際にある。
それでも「自分は大丈夫」「自分は影響を受けない」と思い込んでしまうのって、
酔っ払った人が「酔ってない」と言い張るのと、ちょっと似てる気がする。
「お前、影響受けてるんじゃないの?」って言われたら、嫌な気持ちになるのもわかる。
でも、それでも
一度だけ、ほんの少しだけでいいから胸に手を当てて考えてみてほしい。
わたしは「世に出すな」と言いたいんじゃない。
ただ、
そうやって想像する感性だけは、手放さないでいてほしいと思ってる。
⸻
参考文献
Kühn, S. & Gallinat, J. (2014).Brainstructure and functional connectivity associated withpornography consumption: Thebrainonporn.
https://jamanetwork.com/journals/jamapsychiatry/fullarticle/1874574
Goleman, D. (1995). EmotionalIntelligence. Bantam Books.
https://danielgoleman.info/topics/emotional-intelligence/
Hald, G. M. & Malamuth, N. M. (2008). Self-Perceived Effects ofPornography Consumption.
俺は人の尊厳を踏みにじるフィクションが好きなので、人の尊厳を踏みにじるフィクションを作っています。
基本は取れない。取れないけど、ジャップランドでは「飲酒運転による傷害致死は傷害致死」でしかない。
しかも、飲酒状態=酩酊=責任が取れない状況なので「免許運用の中での違法」としただけであって、傷害致死程度の話なんだよ。
殺人じゃない。
でも、フィクションで脳の受容体に変な穴が空いて、人の尊厳を踏みにじった挙げ句、殺人に至ったとしてそれが「絶対的な因果」にはならんよ。
「絶対的な因果」でない限り、禁止することは出来ないし、禁止を誘導するような世の中であってはいけない。
> でも、飲酒運転だって昔は自己責任って言われてたころに思いはせてほしい。
最近話題になってる、知性のないラブドールにゴミを食べさせるゲームの話を見た。
知性が上がるとゴミを嫌がるようになって、でもそれを無理やり食べさせることもできるんだって。
プレイヤーは、白痴のまま食べさせ続けて満足することも、嫌がるようになった知性を調整する楽しみも選べる。
これ、最初は全年齢で出そうとしてたらしい。
それを知ったとき、ただ恐怖感が湧いたんじゃなくて「あ、これ本気でまずいかもしれない」って冷や汗が出た。
わたしは別にフェミ活動家でもなんでもないけど、これはいよいよマズいだろって直感があった。
たぶん「表現の自由」の話じゃなくて、「共感の壊れ方」の話だと思ったから。
AVとかポルノ、暴力的なコンテンツって「刺激が強いから悪い」っていう単純な話じゃなくて、
実際、ポルノの見すぎで前頭前野や扁桃体の働きに変化が出るって研究も出てるし、
ポルノ依存や暴力的コンテンツの摂取が多い人ほど「他人の痛み」に対して鈍感になっていく傾向が見られるらしい。
で、それが積み重なっていくとどうなるか。
「これくらいのこと現実でもやっていいんじゃない?」って感覚になる人が出てくる。
そういう人が一人でも暴力事件を起こしたら、結局泣くのは関係ない誰かなんだよね。
でも、飲酒運転だって昔は自己責任って言われてたころに思いはせてほしい。
飲酒しても事故起こさない人もいるし、通常時とハンドル操作できる人もいた。
でも、そんな人だけじゃない。
社会ってそうやって「リスクを減らすためにルールを変えていく」もののはずじゃない?
ポルノや暴力的な表現についても「今はOK」でも「今後もOKとは限らない」よね。
とくに共感性に関わる脳の領域に明らかな変化が出る可能性が出てきてる今、
わたしたちはもう「無害だと思ってたものがじわじわと自分の脳や誰かを壊す」って現象を見過ごせない段階に来てるんじゃないかな。
あと、海外の話を少しすると、
欧米や一部の国ではこういう人格や尊厳を破壊する系の作品って、販売すら許されない場合もある。
子どもに与える影響を重視してる国だと「全年齢」なんて絶対通らないし、
「作るな」とまでは言わなくても
「どこで出すか」「誰に届けるか」は、
でも、「知性のない存在にゴミを食べさせて、それを嫌がらないのも嫌がる姿も好き」って構造が全年齢だと何の違和感も覚えないなら、
それはもう、ただの性癖とかフェティッシュの話じゃなくて、誰かの尊厳を踏みにじっても気にならない感性に傾いてないか、
それこそ一度立ち止まって見たほうがいいと思う。
「自分が不快だからやめろってのはわがままだ」と言ってる人を見たこともあるけど、
わたしはこの問題の提起は「新しい加害者を生まないように願うための話」として考えてる。
かつて、飲酒運転で新しい加害者も被害者もうまないように願う、だれかが提起し続けた声のように。
じわじわと共感力が削られ、暴力性が高まってしまう人間がうまれてしまうこと。
その怖さはまだ多くの人が気づいてないだけなんじゃないかって思う。
最近話題になってる、知性のないラブドールにゴミを食べさせるゲームの話を見た。
知性が上がるとゴミを嫌がるようになって、でもそれを無理やり食べさせることもできるんだって。
プレイヤーは、白痴のまま食べさせ続けて満足することも、嫌がるようになった知性を調整する楽しみも選べる。
これ、最初は全年齢で出そうとしてたらしい。
それを知ったとき、ただ恐怖感が湧いたんじゃなくて「あ、これ本気でまずいかもしれない」って冷や汗が出た。
わたしは別にフェミ活動家でもなんでもないけど、これはいよいよマズいだろって直感があった。
たぶん「表現の自由」の話じゃなくて、「共感の壊れ方」の話だと思ったから。
AVとかポルノ、暴力的なコンテンツって「刺激が強いから悪い」っていう単純な話じゃなくて、
実際、ポルノの見すぎで前頭前野や扁桃体の働きに変化が出るって研究も出てるし、
ポルノ依存や暴力的コンテンツの摂取が多い人ほど「他人の痛み」に対して鈍感になっていく傾向が見られるらしい。
で、それが積み重なっていくとどうなるか。
「これくらいのこと現実でもやっていいんじゃない?」って感覚になる人が出てくる。
そういう人が一人でも暴力事件を起こしたら、結局泣くのは関係ない誰かなんだよね。
でも、飲酒運転だって昔は自己責任って言われてたころに思いはせてほしい。
飲酒しても事故起こさない人もいるし、通常時とハンドル操作できる人もいた。
でも、そんな人だけじゃない。
社会ってそうやって「リスクを減らすためにルールを変えていく」もののはずじゃない?
ポルノや暴力的な表現についても「今はOK」でも「今後もOKとは限らない」よね。
とくに共感性に関わる脳の領域に明らかな変化が出る可能性が出てきてる今、
わたしたちはもう「無害だと思ってたものがじわじわと自分の脳や誰かを壊す」って現象を見過ごせない段階に来てるんじゃないかな。
あと、海外の話を少しすると、
欧米や一部の国ではこういう人格や尊厳を破壊する系の作品って、販売すら許されない場合もある。
子どもに与える影響を重視してる国だと「全年齢」なんて絶対通らないし、
「作るな」とまでは言わなくても
「どこで出すか」「誰に届けるか」は、
でも、「知性のない存在にゴミを食べさせて、それを嫌がらないのも嫌がる姿も好き」って構造が全年齢だと何の違和感も覚えないなら、
それはもう、ただの性癖とかフェティッシュの話じゃなくて、誰かの尊厳を踏みにじっても気にならない感性に傾いてないか、
それこそ一度立ち止まって見たほうがいいと思う。
「自分が不快だからやめろってのはわがままだ」と言ってる人を見たこともあるけど、
わたしはこの問題の提起は「新しい加害者を生まないように願うための話」として考えてる。
かつて、飲酒運転で新しい加害者も被害者もうまないように願う、だれかが提起し続けた声のように。
じわじわと共感力が削られ、暴力性が高まってしまう人間がうまれてしまうこと。
その怖さはまだ多くの人が気づいてないだけなんじゃないかって思う。
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