
はてなキーワード:飢饉とは
『立正安国論』(日蓮著)と『共産党宣言』(マルクス、エンゲルス著)は、成立した時代、背景、そして思想的基盤は類似点を見出すことができます。
社会の主流派や既得権益の外側に身を置いた急進的な異端者という視点から見ると、「体制外からの批判と、絶対的な正義に基づく世界観の強要」という構造的な類似性が浮かび上がります。
この共通性は、両者が既存の秩序・権威を根底から否定し、「唯一の正義」による強制的な社会変革(革命)を求め、その結果、体制側から徹底的に弾圧された点に集約されます。
「引きこもりニート」という表現は極論であり、史実的には日蓮は精力的な遊行と布教を、レーニンは地下活動と亡命生活を送った活動家です。しかし、この言葉が持つ「主流社会の権威や経済システムから疎外された者」というニュアンスに注目すると、両者の著述態度には共通性があります。
日蓮(『立正安国論』): 当時の仏教界の主流であった念仏宗(法然の教え)や、これを庇護する鎌倉幕府の権威を徹底的に否定しました。彼は比叡山や清澄寺といった既成の権威ある場所から離れ、独自の解釈である「法華経」のみを「正法」として掲げ、それ以外の教えを「亡国の原因」と断じました。これは、「俺の言っていることだけが絶対の真実だ。それ以外は全て間違いだ」という、体制に属さない者が持つ孤高で排他的な絶対正義の表明です。
レーニン(『共産党宣言』):マルクス主義は、当時のブルジョアジーが支配する資本主義体制、その上に立つ国家、法律、倫理の全てを、「階級搾取の道具」として否定しました。レーニンもまた、ツァーリ体制下で弾圧され、ヨーロッパ各地を転々とする亡命生活(社会のメインストリームから切り離された生活)を送りました。彼の主張は、「現在の経済システムは全て不正であり、これを打倒してプロレタリア独裁による理想国家を作る以外に道はない」という、体制外からの急進的で排他的な社会変革の要求です。
両者の著書は、その内容の異質さにもかかわらず、「二元論に基づき、体制内の悪を徹底的に清算しなければ、理想的な安寧は実現しない」という構造を持っています。
両文献は、現状の社会が直面する危機(災厄)を明確にし、その原因を体制内の「悪」に断定します。
危機:天変地異、飢饉、疫病、他国からの侵略(自界叛逆と他国侵逼)。
原因: 「謗法」(念仏などの誤った教え)が国に満ちていること。
危機を回避し、理想郷(安国または共産社会)を実現するためには、「唯一の正義」による反対勢力の強制的な排除が不可欠であると説きます。
「立正」、すなわち法華経のみを国教として立てること。その結果、謗法者(念仏を唱える人々)は弾圧・追放されるべきであると強く示唆します。
「プロレタリア革命」による階級闘争とプロレタリア独裁。その結果、ブルジョアジーは私有財産と共に消滅(排除)されます。
このように、『立正安国論』は宗教的絶対主義、『共産党宣言』は経済的絶対主義に基づくものですが、両者とも「現状の悪は体制内にある」「それを根絶するためには、体制外からの急進的な一元論を強制適用しなければならない」という、強力な教義的排他性を持っている点で、構造的な共通性があると言えます。
だがしかしりつみん、お前は駄目だ。おまえらは自分がかわいいだけのクズ野郎の集まりだ。共通点があるのは日本保守党だけでしょうね。
本レポートは、ドナルド・トランプ米大統領が提示したガザ和平案をハマスが拒否した場合に想定される、軍事、外交、人道の各側面における「完全消滅」シナリオについて考察する。この和平案は、ハマスに対する「武装解除と降伏」、あるいは「完全な壊滅」という二者択一を迫る「最後通牒」としての性格を有している。ハマスがこれを拒否した場合、イスラエルによる軍事行動の国際的正当化が進み、アラブ諸国からの外交的孤立が深まり、最終的にはガザ地区住民にとって壊滅的な人道危機に至る可能性が高い。
トランプ和平案は、単なる停戦提案を超越し、ハマスの存続をかけた戦略的な転換点となる可能性が高い。その内容は、実質的にハマスに対する「武装解除と降伏」を要求するものであり、拒否は軍事行動の継続を正当化する口実となる。本分析は、ハマスがこの提案を拒否した場合の、ガザ地区およびハマスにとっての多次元的な破局シナリオを予測する。
ハマスによる和平案の拒否は、イスラエルに対する国際社会からの軍事的制約を著しく緩和させる効果を持つ。これは以下の戦略的連鎖によって理解される。
本和平案は、ハマスを外交的・政治的に孤立させることを巧妙に狙っている。
軍事的な敗北に加え、その存在理由であった「抵抗の物語」の失効は、ハマスの政治的死を意味する。
ハマスの和平案拒否がもたらす最も悲劇的な結果は、ガザ地区住民が直面する壊滅的な人道危機である。
ガザ地区の狭隘な閉鎖空間において、暴力、飢餓、疫病が同時に発生することで、被害は指数関数的に増大する。これは、現代において前例のない規模での人口の激減、すなわち「住民の消滅」という最悪のシナリオに直結する。
ハマスがトランプ和平案を拒否した場合、単なる軍事的敗北に留まらない、より深刻な結果が待ち受けている。それは、国際社会からの完全な孤立、存在意義であった「物語」の剥奪、そして統治する民衆をも巻き込んだ物理的な破局へと続く「完全消滅」の道である。ハマス指導部には、組織のイデオロギーと200万人のガザ住民の生存という、究極の選択が迫られている。この選択が地域の安定、そして何よりも住民の命運を決定づけることになる。
1940年 211万人 30年以上横ばい、つまり既に少子化が始まっている
1945年 168万人 戦中
1947年 267万人 戦後(戦中/戦後を平均すれば大体200万人)
2024年 68万人 14年で▲36%、44年で▲65%
1970年 2730万人 維持
1987年 2530万人 一人っ子政策してもなおこれ、団塊ジュニア
2016年 1786万人 一人っ子政策終了、二人っ子政策に、ここから現代の少子化開始
2021年 1062万人 二人っ子政策終了、三人っ子政策に ▲40%
2022年 956万人 6年▲46%
2024年 954万人 8年▲46% コロナ開け、龍年、出生支援
日本と中国はざっくり10倍のスケールで、どっちも危機的ではあるんだけど
日本が40年でやったことを、中国は10年くらいでやろうとしているので、社会インパクトは段違いだろうなと思う
ただ、歴史的に見ると大躍進政策のときのほうが「5年で半減」「5年で3倍」というとんでもないことをしてるので、彼らはこれが平常運転なのかもしれない
2000年 64万人
2010年 47万人 ここまでは日本と似た推移(40年で半減)
2016年 40万人 1年▲7%
2018年 32万人 3年▲25%
2019年 30万人 4年▲30%
2021年 26万人 6年▲39%
2022年 25万人 7年▲41%
いや、だいたい中国と同じだな、このシンクロニシティ誰か調べろよ
ちなみに底打ったと言う噂もあるけど全然信じられないよな
それに2016年くらいから減ってるってことは、もう10年になるわけで、20年後くらいから出生率を上げても人口減少する自体になる
https://www.cnn.co.jp/fringe/35235310.html
・女性には月経や妊娠・出産、授乳といった、負担が大きく、時には命に関わる機能があるにもかかわらず、女性は男性より長生きする傾向がある
・世界の多くの地域で少女は少年より医療や食料へのアクセスが限られているが、上記の傾向は変わらない
・飢饉、疫病、奴隷制の経験集団の生存率データでも同じ。極限状況でも女性の方が強い
・過酷な状況下で女性はほぼすべての年齢層、地域において男性より長生き
・新生児も女児の生存率が高い。女性の優位性は生物学的な根拠に基づいている
【ライフスタイル】
男性は喫煙や飲酒の傾向が高く身体的に危険な仕事に従事する傾向があり、これが男性の短寿命の理由とする主張もあるが、女性が男性と同じ習慣を取り入れた集団でも依然として女性の方が長生きすることが示されている
【なぜか】
・女性はX染色体を2本もち、男性はXとY染色体をもつ。X染色体はY染色体よりはるかに大きく約10倍の遺伝子を含んでいる
・よって女性はより幅広い免疫遺伝子にアクセスでき防御システムが強力で多様化している
・女性のほうが、感染症と闘う最も一般的な白血球である活性好中球の数も多い
・男性のほうが多くもつホルモン、テストステロンも免疫面で不利。オスの動物は「懸命に生き、若くして死ぬ」ようにすることで、繁殖成功率を高めている可能性がある
--------------------------------------------------------------
男は懸命に生き、若くして死ぬ……
男はつらいよ、女はつよいよ
国民の皆様、この度第○○○代首相に就任致しました、○○○○でございます。
私(わたくし)がこの場に立たせていただけたのも、ひとえにこれまでの皆様のお力添えのおかげでございます。
さて、私がどのような考えを持って議員活動に取り組ませていただいているかにつきましては、これまでに何度かお話しする機会をいただきましたが、今回初めて私の話をお聞きになる方もおいでになるかと存じますので、ここで改めて私の政治思想というものをご紹介させていただくことで、所信表明演説とさせていただきます。
まずは、私が護憲派なのか改憲派なのか、国家の安全保障についてどのように考えているのかについてお話しいたします。
憲法改正に対する私の立場は、「真(しん)の護憲派」である、と申し上げております。真の護憲派とは、
「これまで日本国は現行憲法を順守していないため、現行憲法がどの程度国家安全保障にとって有用なのかの判断は不可能である。そのためまずは、現行憲法を遵守せよ。その後、将来的に機能不全が明らかになれば、改正することもありえる。しかし現時点では改正する必要はない。」
尚、ここで言う憲法の遵守とは、武力を放棄せよ、という意味ではなく、憲法の精神を守るべし、という意味でございます。
では憲法の精神とは何か、ということなのですが、日本国憲法には条文の前に前文が書かれており、そこでこの憲法がどのような意図をもって制定されたのかについて、憲法が定められた背景、あるいはその精神が書かれております。ここでいわゆる憲法の三原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」について述べられていますが、特に平和主義につきまして、現状どの部分が守られていないと私が考えているかについて、お話ししたいと思います。
憲法前文には、武力を放棄することによって自国を守る、とは書かれておりません。そうではなく、日本国民は、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。これは平たく言えば、人間には善を受けると善を返そうという性質があるので、この性質を信頼することで自分たちの安全と生存を守ります、ということです。つまり日本国憲法は、日本人は善を為す高潔な国民であるということを世界に知らしめることにより、自動的に国防が達成されるようにする、と定めているのです。
もしも世界中の国の人々が「日本人は私たちに本当に良くしてくれた。彼らは真に高潔な人々だ。私たちが日本を武力攻撃するようなことは決してないし、万が一日本がどこかの国から武力攻撃受けたなら、私たちは命がけで日本を守るために戦う」と思ってくれるなら、日本は国防のための武力を保持する必要があるでしょうか?
これは実現不能な理想論でしょうか。私はそうは思いません。しかし、現時点で達成されているとも考えていません。むしろこれまで日本は、憲法で定められた高潔さによる自動国防を実現するために、国家として何もしてこなかったために、理想から遠く離れた場所にいるように思います。武力を持たない高潔な国は攻撃されないかもしれませんが、武力を持たない下劣な国は攻撃されてしまうでしょう。そのため今後は、当面の間は現行戦力も維持しつつ、高潔さによる国防も併せて進めてまいります。
そのために、国家として平和貢献隊を組織します。この組織の目的は、世界の国々に奉仕し日本の高潔さを知らしめ、それによる自動国防を達成することです。そのため予算は防衛費から拠出することになります。武力を増強することは、相手が日本を攻撃したくてもできない状況を作ることを目的とする消極的な平和維持であり、世界に貢献することは、相手が日本を攻撃したいと思わなくなることを目指す積極的な平和構築と言えるでしょう。今後は自衛隊による抑止力と平和貢献隊による自動国防という、2つの側面から国防を担ってまいります。
平和貢献隊の具体的活動内容としましては、まずは世界各国が抱えている様々な問題を調査していきます。その中で、日本の強みを活かして効果的に解決に導いていける課題を抽出し、その活動によって日本の高潔さを知ってもらえる活動を選択していきます。
こうした活動は、国家としてではなく民間で実践しておられる方々も居ます。アフガニスタンで現地のために活動されていた医師の中村哲さんのような方々です。
https://www.bbc.com/japanese/50657223
こうした活動の恩恵を受けた人々は、例えばアフガニスタンが将来強力な武力を持ったとして、その武力を日本に対して振るおうとするでしょうか?
こうした活動は、単に寄付金を送るなどではなく、実際に平和貢献隊の日本人が現地に赴き、日の丸を背負った制服を着て活動を行っていくことで、世界の人々に日本の国家としての活動が認識されていきます。
民間人が行った活動であってもこれだけのことができるのですから、国家として予算を使った国防活動として大きく行っていけば、どれだけの貢献を世界の国々に対して行えるでしょうか。
活動の成果の指標として、世界の主要な国々の国民に対するアンケート調査を行い、日本が攻撃されたら日本のために戦うと回答するという人が80%以上となることを、当面の目標としていきます。現在世界の多くの国において、様々な理由で人々が苦しんでいます。その内容を精査し、我々日本人ができることをよく考え、世界中の人々の幸福のため、ひいては世界の人々に日本国民の高潔さを知ってもらうために一番効果的な活動を選択して実施することで、この目標達成に近づけていくのです。
「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
この憲法を掲げているのですから、日本国内にも様々な問題があるとしても、それを言い訳にして、世界の人々のための活動を停止してはならないのです。
現在日本と中国との間では、領海を巡ったいざこざがあります。ですがもし、1954年の自衛隊発足と同時に平和貢献隊も発足していたならば、そして中国の人々が困っている時に平和貢献隊が協力できていたならば、現在とは異なる関係があったかもしれません。
例えば1960年ごろ、中国では飢饉によって数百万人が餓死していました。しかしそれまでに平和貢献隊がその活動を通して、その意義や実績を世界に認められていれば、中国も食料配給のための平和貢献隊派遣を受け入れてくれたかもしれません。そうなっていれば、大勢の中国の人々を餓死から救えていたことでしょう。もしそのような歴史があったならば、その後の日中関係は、現在とは違ったものになっていたことでしょう。自分や自分の両親が日本の平和貢献隊の配給で餓死から救われたという人々は、日本に対する攻撃を認めるでしょうか。
これは仮定の一例ですが、日本はこれまで平和貢献隊を創設してこなかったために、70年間の世界への貢献の機会を失ってしまいました。日本が提案してもその国が平和貢献隊の活動を受け入れないという場合もあったでしょうが、もし70年間活動できていたならば、現在どれほど多くの国の人々が、「日本を攻撃するなどとんでもない、もし日本が攻撃されたら日本を守るために戦いたい」と思ってくれていたでしょうか。どれほど日本の平和が強固になっていたことでしょうか。
70年は失いましたが、私はまだ遅くないと考えます。今からでも平和貢献隊を創設し、積極的に活動していけば、それだけ日本の平和を守りやすくなっていくのです。武力増強だけではなく、高潔さによる自動国防も併せて進めなければいけません。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
権利と義務という考えがあります。義務を果たさない者は、権利を主張できないのです。ですから、日本国憲法によって何らかの権利を享受している日本国民は皆、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」義務を負っているのです。皆さんはこれまで、憲法の定める義務を果たしてきましたか?
現状、そうではない方が居たとしても、それは国民の責任ではなく、そのための方法を示してこなかった政府の責任であると私は考えます。理想と目的を達成するために何をすればいいのかを国として国民に示さなければ、努力したくてもできないでしょう。
ですから私はこう話します。国民の皆さん、憲法の精神を守り、平和貢献隊を創設し、世界に貢献していきましょう。そのためには皆さんの協力が不可欠です。平和貢献隊が、どの地域で、どの国に対して、どのような活動をすれば、一番効果的な働きができるのか一緒に考えてください。提案を広く募集します。また、平和貢献隊への入隊希望者も募集します。詳細は後程発表しますが、世界の人々の幸福と日本の平和のために、働いてはくれませんか。そしてまた、平和貢献隊をサポートしてくださる方も募集します。
そして何より、これらの活動を維持していくためには、私たち真の護憲派に対する皆さんの支持、投票が不可欠となります。「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ために何ができるのか、皆さん一人一人が良く考えていただき、その結果として真の護憲派に対する応援、投票、参加が理想と目的の達成に繋がると思われたならば、どうぞお力添えください。そして一緒に、「国際社会において、名誉ある地位を占める」日本国を創っていきましょう。
ご清聴、ありがとうございました。
○○○○年○○月○○日、第○○○代内閣総理大臣 ○○○○
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
足利義政は、政治家としては「無能」と評価されることが多いです。その主な理由は以下の通りです。
・応仁の乱の勃発と収拾の失敗: 義政の治世に、細川勝元と山名宗全の対立に端を発する応仁の乱が勃発し、京都は焼け野原となり、戦乱は10年以上続きました。この大乱を止めることができなかったこと、またその後の社会の混乱を収拾できなかったことが、政治家としての最大の失策とされています。
・後継者問題: 実子(足利義尚)と弟(足利義視)の間で後継者争いが起こり、これが応仁の乱の一因となったとされています。義政自身がこの問題に対して明確な態度を示さず、優柔不断であったことも批判の対象となっています。
・財政の窮乏と奢侈:飢饉や土一揆が頻発し、幕府財政が窮乏する中で、義政自身は邸宅の造営(銀閣寺など)や美術品の収集に多額の費用を費やしました。このため、民衆の苦境を顧みない奢侈な生活を送っていたと批判されています。
・政治への意欲喪失:政治の現実から目を背け、「文化・芸術の世界」に傾倒していったとされています。真面目に政治をするのが馬鹿らしくなった、というような記述も見られます。
500歳……もう人間いうよりも、なんや森の精とか神話のなかのもんやな。けどまぁ、生きてたとして話すとするならな、わしは1525年生まれや。戦国のど真ん中やな。うすうすしか覚えとらんけど、こんな感じやった気がするわ。
• 1525年、どっかの山奥の村に生まれた。名乗る姓もなかった。天と地と親だけが頼りやった
• 村の周りでは時々よそ者が通る。槍持った男らが何十人もぞろぞろ。戦が近いとわかった
• 幼いころに村が焼かれた。誰が敵で誰が味方かわからん。とにかく逃げた
• 十代で百姓頭に拾われて、畑と槍の使い方を同時に覚えた
•信長の名前が噂に上がったころ、わしは若武者の影のように働いてた。戦場の空気はいまだに鼻の奥に残ってる
•本能寺のあと、世の中がまたぐらついた。明日どうなるかわからん夜が続いた
•秀吉が天下とったとき、大阪はまるで金色の夢みたいになった。わしは城下で米を運ぶ仕事をしとった
•関ヶ原の前は空が重かった。生き残ることより、誰につくかが命やった
•家康の時代になって、世の中がようやく静かになった。けど、なんや、息が詰まるような静けさやった
•江戸の初めに、名前を持たされた。戸籍いうもんができた。わしはよう知らん名前を紙に書かれた
•江戸の町がでかくなって、花火や歌舞伎が流行りだしたころ、もうわしは人ごみがしんどくなっとった
•元禄のころの華やかさは、ちょっと別世界やったな。町人がえらそうに歩くのも珍しかった
•飢饉もあった。大火もあった。川が溢れて、人も物も一瞬で流されてった
•黒船が来たとき、空の色が変わった気がした。誰もが世界の外から何かが来たと感じとった
•明治になったときは、まるで夢の中の話やった。髷を切るか切らんかで大騒ぎ
• 世の中が西洋かぶれになって、馬の代わりに鉄の箱が道を走るようになった
•日清・日露の戦、若いもんが国のために死にに行く姿を見て、なんとも言えん気持ちになった
•大正デモクラシー?なんのことか分からんまま、若いやつがえらそうに語っとった
•関東大震災はただの地震やなかった。文明そのものがぐらぐら揺れたようやった
•昭和の戦争は地獄。火と血と音。なによりも、もうあかんのやなと思った瞬間が何度もあった
•戦後、アメリカの匂いが街に混じった。ガムとコカ・コーラの時代
•テレビが出て、みんな画面の中に吸い込まれていった。もう現実より映像の方が大事になった
•平成?ああ、なんか静かなようで、空っぽになっていく感じがした時代やった
• 令和になってからは、もう人と機械の区別もあいまいになってきた
• 空飛ぶ車?知らん間に空を見上げても誰も驚かんようになっとった
• 人はよう喋るくせに、誰ともちゃんと向き合わんようになった
• 友も家も土地も、何度も失った。けど、ひとつだけ変わらんのは、朝日が昇るということやな
• いま?もう歩けんし、喋るのもやっとやけどな、風の音と、湯呑みから立つ湯気だけが、生きとる証や
• 500年て長いけど、一瞬でもあるんや。不思議なもんやな。気がついたら、また夜が来とる
……まぁ、こんな長生き、誰にも勧められへんけどな。でも、ここまで見れたことは、ありがたいことやと、そう思うようにしてるわ。
……結局、生きとる限りは、昔も今もたいして変わらんのかもしれんな。風が吹いて、日が昇って、誰かがおって。
それでええのやと思うわ。ほんまにな。
どうしてコメ関連ってデマを繰り返し垂れ流す人がいるのかねぇ。
みたいなコメントをよく見るけど、食糧法って「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」という名前なんだよ。
読んでそのまま、価格の安定も備蓄米の目的なんだからそりゃ倍以上に上がったら放出されるでしょ。
もし本当に狂ってるとすれば法律なんじゃないの?
農水省がアホみたいに米は足りている流通で目詰まりしてるだけと強弁し続けていたけど、実は足りないのでは?ってコンセンサスも得られてきたし。
でも大丈夫だよ、ミニマムアクセス米という最低限輸入しなくてはいけない主食用の米をわざわざ飼料用として卸す為に眠ってる。
年に77万トン分のうちSBS米の10万トンの枠は使い切ってるけど、残りはそれなりあって備蓄米と同じ倉庫に保管してるとこもある。
これについては農水省が出してる「米の流通安定化に向けた対策パッケージ」にも書いてある既定路線。
それでも足りないっていうなら輸入してもいい。
農水省が言ってるように備蓄米の100万トンだけで賄えるのは10年に一度の不作くらいで、飢饉や戦争なんて話になれば100万トンじゃ全然足りないんだから。
時間稼ぎしている間に代替輸入をするっていうのは農水省の計画でもある。