
はてなキーワード:飛車とは
大学生以上を対象な。高校生以下は人生における将棋の勉強時間足りないのは自明だし、これから頑張ってほしい。
三段以下 :勉強不足。手筋も終盤も甘い。甘すぎる。
「将棋の常識」を学ぶべき。基礎すら出来ていないことを自覚すべき。
将棋の義務教育すら出来ていない雑魚。まずは将棋中学を卒業してくれ。
四段以上相手ならたまに負けることあるが、三段にはまあ負けない。棋力差の問題ではなく、序盤に1発入っても三段以下はそれ以降が雑魚すぎて簡単に逆転出来るからだ。
四段 : 手筋は完璧に近いが終盤が雑魚すぎる。安全に勝とうとしすぎ。肉を切らせて骨を断つじゃないけど、相手も強いんだから都合よく安全だけ狙って勝てるわけねーんだよ。ちゃんと見切れ。手数を計算しろ。1手差は大差。1手差を狙え。1手差でいいんだよ。
五段 : もちろん終盤はまだまだ甘いがここからは立派。基本的に感想戦をやると難しい話が必要になってくる。
ただ、全体的に高段から見ると甘いんだよな。
気軽に歩を突くな。気軽に桂馬を跳ねるな。気軽に下段飛車するな。
全てに意味を持たせろ。全てを考えろ。
五段で数年停滞している奴は基礎は押さえて知識も充分にあるのに全体的に読みをサボってる怠惰な人間が多い印象。そうなったら死ぬまでそこで停滞だからな。どんだけAI研究頑張っても、どんだけ詰将棋頑張っても無駄。実践で深く考えろ。
六段 : ここまで行くと立派だ。
居飛車党でも振り飛車を多少勉強しろ。振り飛車党でも居飛車を勉強しろ。
実戦で指さなくてもよい。ただ、この世にある良質な知識を、強くなるエッセンスを可能な限り吸収しろ。
ただ、うっすらと全体的に知識不足が目立つ。その差が六段と七段だ。
将棋に毎日3-4時間は費やせるかどうか、周りに強い人がいるかどうか、そういった環境だ。
そんな話をすると、子供の頃に休み時間に遊んだなーというぐらいの人が「じゃあ飛車無しでやってもらわないとなーw」とかよく言って来る。
飛車落ちじゃ流石に勝負にならないよ、うん、だって私が100%勝ってしまうもん。
実際にはこのぐらいの棋力差なら六枚落ち、つまり飛車角桂香落ちが良い所だ。それでもちゃんと将棋を勉強したことが無い人ならほぼ私には勝てないだろう。
まずルールを覚える所から、という感じで最近始めたばかりの本当の初心者に教える場合はさらに2枚の銀を落とした八枚落ちで指す。これなら大人ならば初心者でも少なくとも良い勝負は出来るだろう。
小さい子ども相手だとそこからさらに左の金を落とした九枚落ちもやったりする。これでも私が勝つことはある。まぁこのぐらいの初心者の子相手なら勝ちそうなところからわざと負けてあげることが多いのだけど。
私がプロ棋士に六枚落ちで初めて勝たせてもらうまで、将棋を始めてから1年以上はかかったんじゃないかな。その頃にはもう初心者相手にはまず負けない棋力になっていた。
プロとの対局は「勝負」ではなく「指導」なので、下手(したて、教わる側)がしっかり勉強してきているなと思えばいい感じに負けてくれる。
それにも関わらず中々勝たせてもらえなかったわけだ。飛車角桂香落ちなんてぱっと見はどうやっても勝てるだろうと思うのに、実際にやってみたら案外難しいんだから面白い。
ちなみに指導対局という文脈ではプロ棋士に飛車落ちまでは勝たせてもらった事がある。
でももし仮にプロが本気でこちらを負かしに来るとしたら、実は有段者になった今でも六枚落ちで勝てないと思う。
プロ棋士の斎藤明日斗先生がまだ小学生でアマ三段の時に、師匠の宮田先生と六枚落ちで指すことになって流石に負けることは無いと思い「負けたら1億円あげます」と言ったところ宮田先生の目の色が変わってボコボコにされた、なんてエピソードもある。
プロはすげぇなという話ではあるのだが、案外将棋って駒を落としてもハンデが付かないという事でもあると思う。
仮に自分対自分で対局したとして、二枚落ち(飛車角落ち)でも落とした側が1割ぐらいは勝てるんじゃないかと思っている。案外駒落ちでも勝つのって難しいのだ。
まず出だしのこの言葉がすごく的確ですね。
「そんなこと言わせてゴメンな……」の「本当に使える版」ですねコレが。
これぞ基本です。
これ以外の手は意図して行っても「奇策」ですし、意図してないなら「愚策」です。
定石は大事です
「的確」、「完璧」、「基本」、「定石」と言うだけで、その理由がほぼ書いてないな
先手中飛車は奇策というほどでもない定「跡」だよ
概略:中華後宮モノラノベのコミカライズ作業における不満を爆発させた漫画家を小学館の畑中雅美が説得する内容がマジで凄い。
「関係者全員が可哀想」中華風ファンタジーのコミカライズ担当になった漫画家が「原作者の対応」に不満…→相談を聞いた「編集者の回答」が重く鋭い - Togetter [トゥギャッター]
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のmondの前半がコミカライズ担当者の不満。後半が編集者の回答。
ぶっちゃけ質問部分は「面倒な人が怒ってる」で終わらせて回答だけ読めばいい感じ。
まず出だしのこの言葉がすごく的確ですね。
「そんなこと言わせてゴメンな……」の「本当に使える版」ですねコレが。
これぞ基本です。
これ以外の手は意図して行っても「奇策」ですし、意図してないなら「愚策」です。
定石は大事です。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!褒め殺しだ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
これをいきなり打たないで10行ぐらい相手を待たせるのが上手いですね。
まず「原作者にはこういう意図があったのでしょうね」と語って相手を焦らしています。焦らしなんですよコレは。
相手は既に限界状態なのでさっさと「よしよし……そんなこと言わせてゴメンな……ギュッ……」ってされたい気持ちしか頭にない。
でもいきなりこれをやってしまうと相手の頭がいよいよ赤ちゃんになってしまうから少しだけお預けする。
そのためにも初手で「分かるよ……みんな可愛そうだよね……」を入れて10行分程度エネルギーを回復せさえ手おくんですね。
もうこれで相手は「あっ、この人は私の話をちゃんと聞いてくれるんだ。じゃあ私もちゃんとこの人の話を聞こう」になってますよ。
上手いですね。
現状の整理と褒め殺しを織り交ぜながらの話が続きますが、その中でも要石はここにあります。
「あなたの判断は、あなたの視点から見れば、たしかに妥当なものでした」と言ってあげるのです。
このあとに「でも、相手の視点から見れば、そこには簡単に首を縦に振れないものがありますよ」が続くのですが、まず先に「あなたの意見は確かに妥当でした」と言っておくんですね。
これ、結構難しいんですよね。
一歩間違えると「あなたが正しいです」と言った瞬間に相手が「そうでしょ?やっぱアイツが全部間違ってるんだよ!これから一緒に殴りに行こうか」となってしまいます。
そうしないためには相手のモードを脊髄反射モードではなく、傾聴モードにする必要があるんですよ。
ここで聞いてくるのが今までの焦らしです。
褒める→現実を受け止めさせる→褒める→現実を受け止めさせるのループを繰り返したことで相手はある程度の長さの話を聞けるだけのテンポが産まれています。
なので、「あなたは正しい」にすぐに飛びつかず、「相手も正しい」と続くまでを耐える余裕が出てくるんですね。
どっちを先にするかは難しいのですが、ここでビビって「相手も正しいんですよ。あなたも正しいですけど」という順番にしてしまわなかったのはこれまでの話術が効いているという自信があってこそでしょうね。
素晴らしい。今まで自分が稼いだポイントを自分でちゃんと計算しながら組み立てている。
素晴らしい責任転嫁。自家中毒で脳みそが弱りきった相手を説得するのってこうやればいいのか!と舌を巻くしかないです。
これね、「今回の件はあなたの頭や性格が悪いのではなく「知識」というものが力を持ちすぎてるからそれに飲み込まれちゃったんですよ。知識って怖いですよね~~~」という見事な責任転嫁なんですよ。
罪を憎んで人を憎まずとは言いますが、憎むべき罪と相手を切り離すのは結構難しいわけですが、これはもう見事にそれを切り分けてます。
人間は自分が裁かれたり攻撃されていると思うとどうしても気持ちが落ち着かなくなるし、防衛本能で敵意さえもみなぎってしまいます。本能って怖いですよね~~~。
その問題を「これもすべて知識って奴のせいなんだ」とすることで解決してます。
この文章が実際何に対して言ってるのかをちゃんと読み取れるの、日本人全体の半分もいないと思いますね。センター試験の現国にも採用できそうです。
これはですね……「原作者がコミカライズ担当者の意見に猛反対しないのは、原作者側が落ち度を認めているからなんだ」というコミカライズ側の慢心を諌めるためのものです。
拗れきった関係性を一刀両断ではなく丁寧に紐解いて軟着陸させようという心意気も凄い。
確かにここで上手くやらないと「でも原作者は自分の知識不足を認めてるくせに適当なおべんちゃらで逃げ続けてきた卑怯者だし……」とさえ思いかねないのがこのコミカライズ担当者ですからね。
ちゃんと対処しておくのは大事ですが、そのために頭捻って絶妙なバランスを取りながら表現しようって気持ちが凄いなあ。
説得というのはこうやってやるんですね。
相手の感情と認知状態をコントロールしつつ、一つ一つ丁寧に認識の齟齬を正しい状態へと変えていく。
状況認識そのものがおかしくなってしまった相手に対処するにはこういう技術が必要なんですね。
実に難しいということがよく分かりました。
正解を見ながらなら私もなんとなく何をしてるのか分かりますが、それを自分が出来るかと言われればぜひプロに丸投げしたいなあとしか……。
本当大変だなこういうの。
上記タイトルの件について別所でもいろいろ言ったけどまだモヤモヤするので吐き出させてほしいにゃん。
猫のフリをすれば吐いても怒られないかなと思ったけど猫が吐いたからと言って猫を叩く人間もいるのでホントゆるせねえよなあ!!おめーもそう思うだろ!!!!たたかないでね!!!!!
まず必要な前提情報について。先日発売したドラクエ3リメイクに存在する「かんたんモード」がどんなに殴られてもHPが残り1から微動だにせず絶対に0にならないというどこぞの不死騎団軍団長みてーな仕様になっているという情報が事の発端であります。
もともとヌルゲーであり全滅など滅多にしないし、ボスが弱くなるわけではないのでそんなに変わんないですよー、という意見もあるが私はそうは思わない。
まず絶対に死なないので防具というものの存在価値が虚無と化し、死なない以上DPSが無価値になるので武器の存在価値が消失し、それらを揃えるためのゴールドや宝箱の存在が無価値になり、呪文仲間職業などなどドラクエを構成する無数の要素が形骸化する。
一見して無限コンティニューや一時期話題になった「クリアしたことにする」と似たようなものに見える「絶対に死なないという仕様」は想像以上に多くの要素を棄損するのである。
そういう話をしたい。
さて、○○はゲームじゃねえ!という話をするためには本来ゲームの定義をしないといけないのだが、これに関しては完全に未解決議論であってこの場で決着させるには余白も能力も足りない。
かといってウィトゲンシュタインによる定義で話を進めまーすなどと言い出しても自分の結論に誘導するための手前味噌にしかならないのでそういうのは良くない。
もうどうしようもないので定義せずにフィーリングで話を進めます。ごめんね!!!
定義しないとは言いつつ最低限の認識は共有していなければ話にならないのでゲームというものについてのそもそもの話をするのだが、まず、ゲームというものはプレイヤーの入力に対して何らかの対応する出力が返ってくるものであるわけだが、これだけではゲームとして成り立っていないというのは御理解いただけるだろう。
でなければスマホのフリック入力もPCデスクトップのエロサイトへのショートカットをクリックするのも全部ゲームということになってしまう。ホワイトカラーの皆さんも勤務時間中パソコンに触れている間はずっとゲームしていることになってしまう。そんなことで減給だの処分だの食らっていてはとてもではないが堪らない。
つまりまだ何かゲームというものに必要な条件があると思う。それはなにか。
ここで出来るだけゲームというものの源流に近くシンプルな例として将棋やチェスでも話に出すと、その必要条件というのは「ルール」と「見立て」なのではないかと思う。
単なる字の書かれた木片や石片を交差する線上で動かす行為がゲームとして成立させているのは、それらの木片石片にポーンや歩兵という名前を与える「見立て」と、駒を交互に動かす、駒ごとに動ける範囲が決まっている、上に乗ったら排除できる、といった「ルール」の存在である。
このふたつにより盤上に散らばった木片や石片は、実際の戦争の再現としての意味合いを付与され、ゲームと呼ばれ得るのではないだろうか。
さてドラクエに話を戻すが、あれもまた当然メモリ上でやりとりされるステータスという名の数値や、画面上に表示されるドットには本来何の意味もない。勇者や魔物というストーリーの見立てを被せているだけで、実際にはちからやみのまもりといったステータスはただの数字である。
そんなことないよ!という方は先にクッキーババアと一緒に天文学的数量のクッキーを焼いてきて欲しい。
あくまでもコンピュータ上でやりとりされる無機質な情報に、ルールと見立てによって意味合いが付与されることでテレビゲームはゲームとして成立しているのである。
その前提を踏まえた上で、「HPが0にならない」という仕様の意味するところについて考えて欲しい。
一見大した違いなどないように見える 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」と「HPが0にならない」の間には質的な、根本的な差異による断絶が存在するのである。
「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」という出血大サービスの難易度緩和、将棋で言えば歩と飛車角金銀桂馬香車が使えない19枚落ちのようなヤケクソ難易度であろうが、一応はゲームそのものが崩壊することはない。
しかし王を取られても詰みにならない、全部の駒を失おうがゲームが続く、というのは根本的にゲームのルールそのものの破壊にあたるのであり、ルールの破壊はゲームそのものを成立させている意味合いの付与の破壊、ゲームの破壊に当たる行為なのである。
考えてみて欲しい。スターを取得して無敵と化したマリオとて画面端に落ちれば死ぬのである。
敵を一方的にブチ○せるというのはゲームの一要素として成立するが、死なない、負けないというのはゲームを破壊する行為に当たる。
マリオが無限残機で即座にいくらでもやり直せることと、敵にも床判定のない画面端に触れても決してゲームオーバーにならないことの間には決定的な違いがある。
無限に復活するマリオはいくら難易度を緩和しようがゲームとして成り立ち続けることができるが、落ちないマリオはゲームとして成立しない。
如何なヌルゲーでゲームオーバーやデスペナが微粒子レベルでしか存在しなかろうが、0でさえなければゲームは成立する。0であればゲームは成立しない。
ドラクエ3リメイクのかんたんモードは、この1と0の間の絶対に越えてはいけないラインを越えているのである。
一応言っておくと勝ち負けの存在しないゲームというものも今の時代は存在するし、議論はあれど一切分岐のないノベルゲームなんかも現状ゲームに分類されているのは承知の上です。
マイクラのクリエイティブモードがデバッグモードの類ではなくゲームモードのひとつであることに文句はないし、それこそ上で話に出したクッキーババアのようにゲームをゲームとして成り立たせている要素をゲシュタルト崩壊させて楽しむアウトサイダーなゲームもゲームのひとつだと思う。
ゲームシナリオはシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず、ゲーム部分の没入ありきでゲームに依存した存在なのでゲームシナリオが楽しめればそれでいいとも思いません。
ゲーム開発者がゲームそのものを破壊するゲームモードを組み込むのは私はいくらなんでもナシだと思う。
終わり!!閉廷!!!!!以上!!!!!!皆解散!!!!!!!!!!!!!!!!
Permalink |記事への反応(26) | 22:20
橋本環奈です!
この盤面どう打開すればいいのかしら?
早々にお腹を空かせて道端で倒れたギャルを助けに持参したおむすびを食べさす現代のアンパンマン的なギャル物語だと私は踏んでいる朝ドラの『おむすび』だけど
それとはぜんぜん違う盤面!
私は詰め将棋のコーナーの新聞の片隅のそういうやつのパズル的な将棋を解くことをチャレンジしたことは一度も無いの。
でも
またゼルダの話?って言われちゃいそうだけど、
その画面をずーっと眺めながらあれやこれや試行錯誤しながら1手ずつ進めていくの。
世間のあの新聞の一角のコーナーを賑わせている詰め将棋のコーナーは
きっと小さなゼルダの伝説的な謎が詰まっている局面なのかも知れないって逆に思ったの。
とはいえ、
私は将棋といえば王将で餃子2人前にルービーを決めるスタイルしか知らないの。
もう餃子2人前とルービーが提供されるからいつものお得なセットなのよね。
そんな局面ね。
そんで私は
そうよ!
牢屋にゼルダが閉じ込められて身ぐるみ剥がされて装備が一切無い状態で一切の「カリモノ」が出来ない状況で
詰め将棋の盤面で言うところの、
餃子の王将で餃子2人前頼まずにまずラーメンから行くタイプの餃子屋さんにいって餃子頼まないこいつ出来る!って思わせる強いパターン!
むむむ、
私はそのトリィのモノを動かせる能力のみで、
そのハートの欠片をゲットする盤面に直面している局面で極端に緊張していたわ。
うーん、
これを取り損なったら取り損なうわ!ってトリィおねがい!って言ってもトリィは黙ったまんまでヒントすら出てこないじーっと画面を見続けながら私はハイボールをちびちびと飲みながら炭酸がもう全部抜けかけて気の抜けたハイボールになった瞬間に開眼したの!
これだ!って!
ふと閃いて
モノを置く置き方を階段状にして上に登れるようにして
無事ハートをゲットしたの。
やったー!
この盤面の局面を極度の緊張の中、
ええ!?ってその盤面をちゃぶ台返しにした瞬間ひっくり返ったちゃぶ台、
それが真上にちょうど綺麗に上がってちゃぶ台がひっくり返ってもとの位置に着地した途端、
ちゃぶ台の上にあったご飯のよそってあるお茶碗や熱々の美味しそうなお味噌汁が注がれたお椀が1粒のご飯も1滴のお味噌汁もこぼれずに元通りに着地したの。
ELT的な信じ合える喜び!
それら奇跡と同じぐらい
お猿さんにタイプライターをあげて夏目漱石の坊っちゃんを書き上げる奇跡と
分解した懐中時計を水を張った水槽の中でかき回して元通りの時計に組み立てられるぐらいの奇跡!
それも奇跡!
それと同様なそれと同様な事が起こったの!
ってそれ野球の球場でのビール売上ナンバーワンの売り子さんのおのののかさん!
これ全体的に今のところの状況だと、
何かが難しいというよりも
全てにおいてカリモノでどう乗り越えるか!ってのが主題になっているテーマでもあり、
私は改めてそれに気付いたの!いまさらながらに
そして
ハート無事に取れて良かった!って
なんか達成感!
私は昨日続けていて取れないと諦めていたハートを再挑戦して取ることができたから
やっぱり諦めなければ試合終了じゃないって校長先生の偉い言葉であるような漫画の一節を借りるなら
「バスケがやりたいです!」っていうと思うわ。
なるー!
なるー!って言うのはなるほど!の略で
秋の訪れと同時に使う秋の季語なのよね
なるー!って
本当はどんどんゼルダを進めたいけれど
さっきも言ったように1日1局面を行って進めて行く
『ニーアオートマタ』のことも忘れてないわよ!
なんでかつて無いこのセーブポイントの遠さなの?って思ってしまう早々に断念してしまいそうだけれど
なにせ『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』が落ち着かないと落ち着かないわ。
でも、
ゼルダの世界中あちこち寄り道しまくってここはどうなってるの?って探検はつまり冒険してる感じ!ってのもあるし
そんな感じよ。
朝ドラの『おむすび』つぎ誰をおにぎりで救うか楽しみでもあるし、
楽しみばかりな秋!
でもよ
良いニュースはたくさん上で言ったけれど
悲しいニュースもあるの。
ぐすん。
結局私は大谷翔平選手の記録に全然惜しいところまでいったんだけど
2-2よ。
その凄みを感じたところよ。
でも
うふふ。
でもたぶんゼロじゃない薄らとおにぎりが私の脳裏を漂っていて今日はワカメおにぎりにしよう!ってなったのかもね!
なるー!
秋だもん。
ホッツも熱々だけど飲み頃ぐらいの温度にまで置いておけば飲めるので
だんだんとホッツな季節になってきたわ!って実感するところね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!