
はてなキーワード:顛末とは
一年が過ぎた。あの「何もしてないのに壊れた」事件の三人組は、今や職場のエースだ。
当時は「ディスプレイの電源の入れ方がわかりません」で全員の昼休みを潰した彼らが、だ。
人は成長する。いや、正確には「環境を与えられると覚醒する」というべきかもしれない。
あのあと、一応上司に報告した。「新人がディスプレイの電源を入れられない件について」と題したメールに、
あのときの顛末を淡々と書いた。報告を読んだ上司が言った一言が、すべてを変えた。
……え?
泣きたい。いや、もう笑うしかなかった。
Windowsのレジストリだのバッチファイルだのに全員アレルギーがあったらしい。
「Win端末って……Altキーが右にもあるの、何のためですか?」と真顔で聞かれたとき、
私の中の何かがそっと崩れた。
で、ちょうど一ヶ月後、上層部が「彼らの生産性を最大化するため」とか言い出して、
あっさりMac端末が支給された。MシリーズのMacStudio+Studio Display構成。
「あ、それComposeで並列処理に変えました」とか平然と言う。
気づけばTerraformで開発環境をインフラ化までしていた。
処理速度? 正確に計測したら、あのときのWindows仮想環境の十倍。
社内のGitリポジトリの更新履歴が、ほぼ彼らのコミットで埋まるようになった。
「それ、Homebrewで入れましょうか?」
……もう、何言ってるのか半分もわからん。
かつて「ディスプレイの電源が入れられない」と言っていた口で、
ただ、あのときの端末が彼らの性能に追いついてなかっただけ。
今日も彼らの後ろ姿を見ながら、私は小さく笑う。
——何もしてないのに、すごくなったな。
アイドル業界ドキュメンタリー映画。伝説的なアヴァンギャルドアイドルグループ「BiS」の第二期オーディションの様子と、そこから落選したメンバーで結成されたBiSの公式ライバルグループである「SiS」というグループのメンバーと関係者の顛末を描く。
面白かった。89点くらい。
もちろん映画としてお出しされており、さらに「アイドル業界」という何でもありの界隈から出てきた作品である以上、個々の映っていることのどこまでが「リアル」でどこからが「やらせ」かは不明ではあるのだが、ドキュメンタリー映画のジャンルの中でも珍しい「撮れちゃった」系の作品である。
姉妹作としてBiS側のドキュメンタリー映画として「劇場版BiS誕生の詩」が存在しているがこちらはいたって正常な異常なアイドルオーディションからデビューまでを描いた作品になっている。
BiSオーディション内で仕掛けられた様々な目を覆いたくなるような、フェミニストが憤死してそのまま灰になり朝焼けに溶けていくような企画の話はいったん置いておいておく。これはBiS誕生の詩と内容がほぼ同じなので。
簡単に言えばオーディション参加者とハメ撮りビデオ撮りたいAV監督にオーディション参加者が逆ドッキリしかける感じの企画である。これだけでうわああああって感じになる人も多いかもしれないけど、まぁ8年前の話だからね。
この作品の主役はアイドルたちではなく周囲を取り巻く大人たちである。
1人はBiS、BiSHなどの売れっ子アイドルをプロデュースしてきた渡辺淳之介。
1人は彼の大学時代からの友人で彼に誘われて同時期にアイドル業界に入った清水大充。
清水氏は渡辺氏がプロデュースするBiS二期の担当マネージャーであり、SiSのプロデューサーに就任する。
SiSのデビューに向けて準備を進めるも、元々抱えていた業務に忙殺されてSiSにリソースを割けない日々が続く。衣装も用意できなければ歌割りも決まらない。オリ曲も用意できずにライバルグループのプロデューサーである渡辺氏が気を使って用意してくれる始末。
そうしてなんとかかんとかデビューライブにこぎつけた前日。清水氏の過去の重大な背信行為が大きく発覚し、渡辺氏から清水がプロデュースしたというだけでもうSiSというユニットは続けられないと告げられてしまう。この背信行為が何なのかは結局作中では語られないが、その後、彼は全アイドルのマネジメントから外されていることからも、大まかな想像はつく。
しかし彼は周囲のコアな仲間にはそれを話すがSiSメンバーにはそれを告げずデビューライブを決行。
フサフサの頭で謝罪する清水氏に対して、彼を信じた俺が間違っていたと頭を丸めて登場する渡辺氏。
インタビューで「デビューライブやったことだけは俺がやったことで唯一の正解だった」と語る清水氏に対して、渡辺氏との食事会で「黙ってあれやったのだけは理解できない。頭おかしい」と語るSiSのメンバーとそれに同意する渡辺氏。
解散したSiSのメンバーを「他にやってあげられることはない」と自分がプロデュースする別グループに編入することを決める渡辺氏に対して、メンバーが結局渡辺氏を取ったことに「渡辺のところに行くのだけは絶対にないじゃん。勝手にやってろよ、ぜってぇ売れねぇよ」と罵倒し悔し涙を流す清水氏(頭を丸めている)。
元SiSのメンバーが「SiSを通じて渡辺さんと仕事ができるんじゃないかと思っていた」と語られるショットなども途中で入り、元々渡辺淳之介プロデュースのBiSのオーディション参加勢であるというところを考慮しても残酷な現実が見せつけられる。
そもそもこのSiSのプロデューサー就任もおそらく「同期の渡辺が有名プロデューサーとしてブイブイいわせている」ことに対する嫉妬の念もあったんだろうなぁと考えると非常に胸が痛い。彼が最も後悔している瞬間に「SiSやりますって言ってしまったこと」と語っていたのも、おそらくそういうことだと思う。
GANG PARADEに移籍した3人がライブ会場の階段で清水氏と再会するシーンがある。おどおどと敬語で活躍を祝う清水氏に対してメンバーの一人が「全然よくはないけど、結果的にこうなったのはよかったのかなと思ってる」と語る。こうなったのは、というのは憧れの渡辺氏のプロデュース下でアイドル活動できていることということだろうから、なかなかクリティカルな一言でぶっとんでしまった。
才能にあこがれて無鉄砲に飛び出して才能に焼かれて墜落した、イカロスみたいな話だなぁと思ってしみじみとしてしまった。
俺はこの映画の特にこの二人の対比がすげーよくてそこを中心に感想を書いたけど、このドキュメンタリーには山下百恵というレコード会社のインターン生が「アイドル業界のちょっと外から」オーディションから解散までの騒動を眺めるフレッシュな視線が盛り込まれていたり、この映画の監督がオーディション生を好きになっちゃって落選後にホテルでイメージビデオ取らせてと頼むも、彼女はオーディション同行していたAV監督とホテルに行っちゃってしょんぼりしてその辺の公園で飲んでたギャル2人のインタビュー動画を撮ったり(キモい)とか、当然前半のイカレオーディションパートも面白いし多面的な楽しみ方ができる作品になっている。
アイドル系のドキュメンタリーは結構見たけどその中でも「そのアイドルを知らなくても楽しめる」出色の出来だと思う。
なんでキレてるかって言うと、ナメられたから。
俺ももちろん、ナメられたからっつってブチギレるやつのほうが悪いのは知ってる。だからいままで多少ナメられたなと思っても、雑魚が粋がってんなーとしか思っていなかった。
ただ今回は、雑魚が俺の魂にツバ吐いてきた。こんなんさっすがにキレなあかん。
ただ私たちは社会というものをみんなで話し合って築き上げてきたのです。相手に悪意敵意があるのならばともかく、価値観なんてひとそれぞれなのですから、受け流していればいいじゃありませんか。
僕だってそう思っていました。もちろんもちろん。
かなり他人に自由を許すほうなので、気に入らんやつやけどまあそういう人もおるわな、で済ましてきました。
ただ今回はそういうのの許容量を超えた侮辱に感じたんです。
これを世の人は偏屈だと見下すでしょう。
それにいっちばん本当にムカついてるんだということに気づきました、て話を今日はしたいねん
俺は生きづらさを抱えてる。みんな抱えてるのも知ってる。だからお互い相手のそういうところは逆撫でしないように、思いやりを持って言葉をつかおうね。そういう約束だったじゃないですか。
なんで自分が良かれと思ってやったことでこんな揚げ足取られて未熟者みたいな扱いされなきゃいけないんですか。
なんで遅刻してきたやつにタメ語で経験マウント取られながらあんたが気持ちよくなってんの見なきゃいけないんですか。
こうやってすべての具体的な事情を書き連ねて、貴方がたを道連れにすることもできます。でもまだしません。めんどいから。
まず俺は居場所を守りたい。そのうえで嫌いな奴らの顔は見たくない。
なんでみんなうまくやれてるの?ここのところを。
結局ここのコンプレックスが僕の生きづらさなんです。傷なんです。そこに冷たい言葉を投げかけたんですあいつらが。ナメられたんです侮辱されたんです。
他人の痛みはわかりません。これは本当に凄いことです。私たちは互いの痛みをほんとうの意味ではわかってあげられないんです。だからみなさんが事の顛末を聞いても、まあそんな怒ることでもないんじゃない?って言うかもしれません。
共感ポイントはいくつかあったけどね、まあ君も余裕がない時期だからさ、なんか奢るからここは丸く収めようよ。俺お前らが仲悪くなるの見たくないよ。
同じコミュニティの大好きなやつが、最上級の言葉でこれを言ってくれると思うんです。でもそれでも本当に許せない。「これくらいのナメられかたはキミ、そりゃ最初は若いんだから当たり前だよ。まあキミも早くこっちに来れるように頑張りな」的な感覚が、根強く残ってる。それは社会を前進させる考え方だからそれがマジョリティになるのは仕方ないと思うんです。僕だってそんな世界に期待して怒ってるんじゃないんです。それが有害で、俺の魂を汚して、時間を奪って、大切な奴らも見下された。それが許せない。
そんで俺が今回思ったのは、マジでこのまま引き下がるのは悔しすぎる。だからこの怒りを表明したいんだけど、それって社会人としてどうなん?と。
でもそうやって生きづらい人間たちの心のよわーいところをエグラれる社会が続いてきたんやと思います。
だから俺だけはブチギレなきゃなと思った。うん決めた、今度あったときブチギレます!ただ迷惑かけんようにしたい。味方を作ってどうにかします。
そのうえで、これはめちゃくちゃ恥ずべきことだというのは自分もわかってなきゃいけない。この出来事を俺が武勇伝みたいに語りだしたら終わり。逆に言えば、今回だけはマジで身内に知られんならここまでやったるわってとこまで行ける。
そんなんしていいの?良くないです。さすが!
というところを揺り動いてる。
俺はこの話を本当に信頼できる第三者の親友一人だけに相談していて、そいつはお前の気持ちもわかるけどお前じゃないからわかんないって感じだった。そいつらバカじゃんとは言ってた。マジで思う。そんで俺だけ知ってるセクハラの現場もあって、あいつ俺が叱ったら蹴ってきやがった。大好きな先輩だから見逃しちゃってたけど、あんときにもっと真剣に付き合いを考えるべきだった。
かなしいよ、なんで信頼できる人が信頼できない人になっちゃうんだ。あんたも生きづらくて俺も生きづらくて、それをちょっとずつだけ共感し合えるから仲良くやれてたのにさ、なんでいま俺の味方してくれないんだよ。お前が俺のことナメていいわけないだろ。おまえモテへんのほんまコンプレックスやからしょうがないなって許してきただけやで。言わすなやこんなん。お前俺から手出さへんおもてるやろ。
ちょっと待ってください!物騒な人間だと思わないでください。本当に手は出しません。ただこう言われてビビるやつなんです。絶対に俺に勝てないくせに、蹴ってくる。俺何回も蹴られてます。さすがにやばすぎん?
あとこれ証人を探すのとかなんでこっちがやらなあかんねん。まあいいや。要はそんなやつがナメて来たみたいな事情もある。でもここにあった絆とかもすっごいんです。そんなん各々あるよね。
そうやって好きな人がまた嫌いな人に変わっちゃってさ。俺やっと世の中とうまくやれるようになってきたと思ったらまた生きづらさを自覚させられてさ。生きづらさってポップに言ってますけど、もっとえげつないですよね。
お前は正常じゃないよって目で見られる感覚。いまこれを読む人も、俺のこと狂人が満月に当てられとるわくらいに思ってぜんぜん取り合ってくれないかもしれないっていう感覚。
大好きな人たちとの関係を守るために、侮辱された自分の感情なんて目をつむっちゃいなよ。それでみんなうまくやってんだからさ。
もしかしたら逆に、このへんでわかるわかるーってなってる人が出てくるのも怖い。たぶんその人は俺達を傷つける側。
いやーちょっと時間おいてみたけど改めてムカついてきたわ。本当にムカついてしょうがない。真に怒ったときって腰の上のあたりの筋肉が露骨にジンジンあったまりだす。こんなの初めて知りました。マジで体幹のスプリングをいつでもフルで使えるように準備してる。マジで飛びかかる5秒前。
これを病気だって言われるのとかホント最悪ですよね。それを俺に伝えてなにがしたいの?あなたが気持ちよくなって、私は惨めな気持ちになって、あなたは治療を手伝ってあげた気になって、私は考えたくないことに思考を割かれて。は?お前が気持ちいいだけやん。これ、言われてもどゆこと?て顔する奴らが多いんです。多い気がするんです。いやそんなことないはず、本当はみんなもうちょっとムカついてるんちゃう?と正直思ってる。
これを暴力にするのは絶対良くない!ダメです皆さんそのとおり。あいつ俺蹴っとんがな。は?
大切な奴らを失望させたくないからもちろん手は出さない。自分のコンプレックスとか後ろめたさとかどうしようもない惨めな気持ちとかを無理やり思い出させられました悔しいですって表明する権利くらいはあってもいいやん。でもそれすら、結局中身を細かく伝えても本当に心のどの部分で傷ついてるのかなんてこっちだってわかってない。この気持ちどうすればいいの?なんでこっちがそんなん考えなあかんねんまず。
本当は自己陶酔してぜーんぶぶちまけて本当に大切な一人の親友だけ確保しながらこれまでのコミュニティみたいに手放して自己嫌悪と冷笑の隙間にロマン探しに行きたい。それを我慢しなきゃなって理性が言ってくれてて、耐えられてる。でももうその時点で俺らしさを我慢させられちゃってるもんね。
これ本当に孤独ってこういうことなのかもしれないな。マジで最終的にはひとりだ。そんなんも普段は思い出さなくていいのにさ、こんなことで突きつけられるなんて。本当に悔しい。大好きな場所だったのに、しかもいま大切な時間なのに。あいつらは幸せになるんだろうな。まあそうやって無自覚に他人を見下して気持ちよくなって、いつか生まれるお子さんからうっすらきっつーって思われながら最後までなんもわからず子どもに一生物のコンプレックスをいくつもいくつも彫りつけて過ごしてくださいね。お幸せにー!
いやあかん、子どもがかわいそうや。でも実際どうにもできないんです。僕だって誰かの心の傷をえぐってるときがあると思います。いやめちゃくちゃあるはず。
でもそれを許し合ってるのは、ラインを保ってるからでしょ。お互いを尊重し合うっていう。何を先に入っただけで偉そうに言うてきてんねん。先輩にそれ言うか?これ当日いったらヘラヘラするんやろうなーあいつ。
そんなやつが俺のことナメてきた。あいつら金もらってて、ボランティアの俺が善意で提案したことを僕はケツふきませんみたいな顔で指示だけ出して、全部お前が気持ちいいだけでプラスになってへんねんアホ。
ごめん。本当に許せなくて。おまえの子どもかわいそうだけど、こっちがどう努力したってお前は子どものコンプレックスを作るタイプだよね。それだけ。
いや本当はオダウエダのYoutubeとか見てたかった。それだけなのにノンデリカシーは突然やってくる。ノンデリカシーっていうのもちゃうねんな。自分が気持ちよくなるために他人に否定的な言動をぶつける人。でも俺よりみんなに信頼されてて、向こうもそういうのわかってて思いやりのラインを一段下げていいと思ってる。さすがにそうやと思います。そうじゃなくて先輩にも同じこと同じ口調で言うんやったらそれはサイコパス的なあっぱれのやつだからこっちが悪かったって思うわ。逆にそんなんは寄り添えるのよ。そんなんお前はせんよな?俺が後輩やから思いやりが足りんかったよな?それで俺がいっつもみんなと必死で話を合わせながらどうにか仲間の輪に入ってることとか、実際出来事としてそんなに深刻じゃないけどそれゆえに悲劇にもできないどろどろ残った自分の触れてほしくないところにお前らは触れたんや。そんでお前らはいまパートナーの方々とぐっすり寝てるんかも知らん。その人は大丈夫だよな?自分がたまに無自覚に下げてしまう思いやりのラインが無意識に下振れることなんてないもんな?そこら辺今まで上手くやってきたから、自分はちょうどいい具合に善良なやつやから、好きな人を傷つけるなんてゼロにはできなくてもまあそれなりに信頼し合えるいい関係で老後を迎えられるかな、よな?は?お前みたいなやつが身内にトラウマ刻んで刻んで相手のせいにしながらおっちゃんなってくねん。覚悟しとけよ。いまほんまに呪いをかけてる気持ちなんです。この感情って不思議ですよね。
だって相手が不幸になってもこっちはまあ得がないわけですよ。すっきりするってだけ。ただ結局共存はできない。俺が去るか、あんたらが去るか。俺はできれば去りたくない。じゃあもう追い出すしかないのかもね。そういう手段として、相手の下品な部分を自覚させる。こんなんやりたくないよそれこそ。あんたたち苦しいだろうし。でももうしょうがないのよ、あんたたちのこと思いやって俺がこの居場所で毎回ちょっと居心地悪いなんて嫌だ!それを幼いと否定する社会が嫌だ。
だからすまんな。最後までヘラヘラしとるんやろうなこれ聞いてもな。頼むから来年から来ないでくれ。
本当はこんな事考えながら行きたくないねん。ほんま最悪。ひとりずつ味方を作っていくしかないな。最終的には、こうやって自暴自棄にならずに、でも諦めずに声を上げるということが大事だと学びました。
でもそんなんは俺に余裕があるときに来てくれっちゅうねん。いまこれのために使ってる心身のリソースめちゃくちゃもったいない。これで俺の本職の方のプロジェクトがダメになったら本当に法に訴える方法探しちゃう。てかそうやん最終まじで訴えればいいのか。この文章があれば被害者の受けた侮辱感情が仕事にまで影響出てることが立証できませんか?まあでもそんなんで損害賠償されても何も嬉しくない。
悔しい悔しい。自分の惨めな境遇も突きつけられて、ナメた態度取られて、厄介者を諌めるみたいなかんじで裏で話を回し始めて、きしょすぎるやろ。これ実際問題ちゃんと説明するとちゃんと問題になるし、ちゃんと説明しないとマジでおれが大好きな居場所を失う。でももう大好きな気持ち自体を傷つけられちゃった気もする。こうやってスパスパ人を切っていく自分みたいなのも思い出させられて。自分が変なキレ方してるのはわかる。あなたは初めてこういう変を見たかもしれませんが、こっちは何十年もこの変なんです!変だから直したらいいよ。それを言われ続けて一個一個直してきて、もうちょっと残ってる弱いところをいたぶられて傷ついたのがこっちの幼さのせいみたいにされて。
結局俺の人生って意味ではいまはもう本業に集中するしかしゃーない。明日の朝から、この件で脳のリソースがわずかでも奪われないように、自分を殺してがんばります。自分を殺して頑張る時間を作らせた奴らをいったん忘れます。
もっと人生で大事なもののために時間を使います。この件は信頼できるやつに愚痴るにとどめて、笑い話にして心を落ち着かせます。そんなことできるかアホ。友達バカにされとんねん。
まあでもこうやって書くの大事だわ。自分を正当化する説明がだいぶ見えてきた。流石にあれは失礼かつ有害すぎ、て結構わかってくれる人出てくるはず。
でも俺はそんなんしても別に心のえぐれは元に戻らないからな。ほんとうはそれをやっちゃわないように人間って大切に大切に言葉を選んで使うんじゃないの?あんたらだよおかしいのは。さすがにそうだって思ってる。
俺も同じことやることになっちゃうんだよなたぶん。相手じゃなくて自分の気持ちをどうにかするために喋るしかない時間ができてしまう。それで相手が傷つくことを無視してしまう。いやだよ。いやだからみんなやんないんだよ。ふたりもやりたくなかったと思う。でも今回はもうやっちゃってる。だめだ。
まじでこんなんで生活リズム乱されたのとかほんまにちゃんとお金取れへんのかな。正当な権利な気がしてきた。調べてみます。
こういうのがあったらでもさ、みんなにとってこのイベントが気まずいものになっちゃうやん。それはでも俺は信じるしかない。俺はいなくなりたくない。みんなでうまい具合に新しいコミュニティの形を作り上げていくことはできる気がする。俺はそこでめちゃくちゃ浮くやろうけどもうしょうがない。ちょうどボロが出てきた時期やったし。まあ浮きながらお互い楽しくやろなでギリどうにかなってほしい。
うわーこんなこともあるんだな。人間関係のもらい事故。お互いにね。
明日の俺、本業頑張れよ。みんな、気が向いたら俺の味方寄りのマインドで呪ったり祈ったりしていただけると助かるっす。
おやすみなさい。
要はアフリカはこれから伸びるからアフリカとのパイプを繋いでおいたほうがいいし中国とかとの競争にも負ける、などと(俺から見た)知識層は軒並みエックスでのJICAアンチ層を阿呆だと見做しているようだ。
そして(俺から見た)いつもの扇動されやすいダチョウのような低能階級の層はこぞって胸をなでおろしつつJICAと政府批判をし移民はんたーいと叫んでいる。
それを観測している俺としてはどっちの言い分も分かるが、バカそうな連中が残念がり、リベラルエリート(リベラルっていう意味じゃなくて、能力があってどこでも通用するようなエリートって意味だよ)層がその愚かさに嘆くポストをしているのでどちらが正しいのか分からない。
賢いやつが常に正解するわけではないし民意こそが正しい時が往々にしてあるからだ。
https://togetter.com/li/2604265
この記事でShock!Hearts !!されたので書いておく。
昭和初期に建てられた農家建築。昭和の終わりに人が住まなくなり、屋根は朽ちて空が見える有様になっていた。
最後はおじいさんが独りで住んでいたと言われているが古い話すぎて詳細は不明。
ワイ氏、失礼ながら家を確認すると、今は見る影もないが、養蚕で潤っていた時代の建物で、躯体はめちゃめちゃしっかりしているのを確認。
1階は10畳間が8つ、土間、風呂、家畜の場所と思われる場所。2Fは養蚕をやっていた関係で壁はなく、まるごと全て一部屋になるような大広間。
荷物を落とすための吹き抜けと、中二階(恐らく小間使いが住んでいた)があると言う構造。
散々煙で燻されて躯体はカチカチに固くシロアリなどは入っている様子なし。
放置されて30年以上、相続登記もされていないため、もはや誰の持ち物かは分からない状態に。
しかし地域の古老に話を聞いてまわり、記録を漁ると、現在相続されていると思われる、最後に住んでいた人のひ孫と思われる人にコンタクトを取ることに成功。
40代半ばの女性。親にここにルーツがあると言う話を聞いていたくらいで、一度も来たことはなかったという。
幸運だったのがこの方ご一家がキャンプ趣味であり、いちどキャンプに来てくれとご招待できたのがよかった。
そこで接待攻勢をかけつつ、この家を正式に相続してワイらにかしてくれんかと交渉した。
まずは屋根に応急処置をするなどし、これ以上痛みが進まないようにした。動物が出入りしていた穴を塞ぎ、ため糞など致命的な要素を掃除。
時間をかけて中身を出しては捨てる、これで2年ぐらいかかってようやく中身をからっぽに。
その後、目をつけていた助成金でリノベをかけようと計画して、オーナーに話を持っていった。
この補助金は条件を満たせば補助率2/3 で500万円まで出る。自己負担の残りの半分はこちらで持つので、残りの半分を出してくれないか、そうしたら家賃は一ヶ月3万円お支払いすると交渉。
それで資金80万を出してもらって。さらにこちらも80万、補助金で300万円もらってリノベを決行した。
あらかじめ解体できるところはしてあったので、予算超過のリスクはほぼ無く予定通り行えた。
ただし、徹底的に安い部材を使ってのリノベであった。いわゆるおしゃれ古民家リフォームとはちょっと違う感じに仕上がる。ちょうどTogetterの記事のような雰囲気だ。それでも梁などは見えるように工夫はしている。
現在は合宿所として、1階2階それぞれ貸し出すと言う形で運営できている。襖で自由に部屋割りをできると言うのがなにげに便利で、最大で30人まで泊まれる。(実は法的にはグレー)
一泊二日2万円~8万円、稼働率1割強、と言うなかなかの状態で、さらにイベントなども行っている。
勝利の鍵は古民家だからと古民家らしいリノベをするのではなく、あくまでも現代の利便性と経済性を最優先でリノベしたところ。そのおかげで価格は抑えつつ実用的な建物にすることができた。
実は、リノベして用途が変わっているため、オーナー様は月3万円の家賃だと固定資産税を払うとほぼ手元には残らない金額だったりする。また、相続するために他の相続人を探すなどでかなりのお金を使ったとか。
それにもかかわらず80万円も出資してくださったというわけだ。ほんとうにありがたい。
一方でワイの所は儲かっているように見えると思うが、事実上管理はすべてやっているわけで、人件費や管理費などでこちらもトントン……ではなく。
実は布団や備品の貸出、交通、仕出し弁当の手配、果ては研修の講師の手配などなどオプションで儲ける方式になっているのでしっかり利益を出させてもらっている。
以上は全部架空の話であるので本気になって検索とかしないでほしい。絶対するなよ!絶対だぞ!
コロナ直前に話がスタートして、無為に安いとは言え家賃を払っている状態だったが、コロナ禍の中ですることがなくコツコツと作業を進めた結果、ゴミの撤去などの費用がかからず、不確定要素も潰せてリノベがかなり安くできたこと、
また、オーナーさんがいわゆるパワーカップルで、大手企業にお勤めの経済的に裕福な皆様であって、細かい事はお任せいただけたことが大きい。もはやご両親はなくなっており、ご実家が無い身の上で、ワイの所を「田舎」と呼んで遊びに来てくれる。
昨日は桜木町で人と待ち合わせの予定があって、ちょうど昼頃にみなとみらいのクイーンズスクエアという商業施設を一人でぶらついていた。
東横線みなとみらい駅に直結するエスカレーターのあるあたりは、5,6フロアぶち抜きの吹き抜けになっており、
また、付近にはイベントステージもあって、ちょうど3連休ということもたって、子どもたちによるダンスイベントがあり、
様々なチームが賑やかな音楽とともに踊りを披露しているようだった。
それを横目に通り過ぎながら、人と会うまでの時間、どこかで軽く飯でも食うかと考えて、
マークイズという別のビルに向かおうとしていたとき、ダンスの曲の最中にもかかわらず、
「ダーン」という非常に大きな、爆発音といってもいいくらいの、大きな音がした。
最初には、なにかイベントの設営のパネルかなにかが倒れた音かな?と思った。
しかし音があまりに大きかったのと、かなり近くから聞こえてきたため、尋常ではないと感じて、
ついその音のする方に足を向けてしまった。
すると、その例の吹き抜けや、吹き抜けを通り抜けるエスカレーターに乗っている人々が
皆一様に吹き抜けの下の方に目を向けていて、異様な雰囲気が漂っていた。
なかにはなにか電話で必死に話しているひともいて、「あれ?これはなにか事故が起きたのかな?」と感じた。
そして自分もその視線の先を見てみたいと思って、本来の通り道から1つ2つ階段を降りる必要があったものの、
すると、下にあるものが目に入るよりも先に、一部には上を見ている人もいて、
浮き抜けの最上部の渡り廊下に「黒いトートバッグか、リュックのようなカバン」が置かれているのが目に入った。
しかもそれが、ガラスでできた渡り廊下の柵の「外側」に置かれていて、ひと目見て異様に感じたし、
そして先程の爆発音は、人があそこから落ちてどこか下に叩きつけられた音なんだと理解した。
ということは今から目にするものは間違いなく、落ちた人の姿になることも理解して、
一瞬躊躇した、見ないほうがいいし、見たら今日一日、暗い気持ちになるかもしれないし、
なんなら一生のトラウマになるかもしれない と思った。
が、単純に好奇心のほうが勝ってしまい、そのまま歩を進めて、吹き抜けの底が見える位置まで来てしまった。
そこから下を覗き込むと、彼がいた。
彼だと思う。Xでは「女性」という情報もあるが、それは最初にそこに到達した警備会社の方が
彼の服をまくってAEDを装着しているところをみて、なにか勘違いしたものと思われるが、
ほぼ間違いなく、彼は男性だったと思う。
あまり彼の情報を詳しく書くのは良くないように思うが、自分からは20-30代くらいに見えた。若いという印象。
ひと目見て、彼は意識はないようだった。
遠目には大きな外傷はないようだったが、目は開かれたまま、ピクリとも動かなかった。
そして彼の頭の周りには、血溜まりが出来ていた。
完全に事切れているように見えたため、周りの人々の雰囲気も、
彼を早く助けなければというよりも、起きてしまったこと、終わってしまったことを遠目に眺めているという状態だった。
ちょうど落下先が普通の人の歩く場所ではなく、吹き抜けの最下層にある店舗(ゴディバのカフェとのこと)の天井の上になっており、
だれもそこに近づけない状況であった。
そのため彼のその姿はおそらく20分程度は、完全に周目にさらされていた。
人と会うまでの時間がまだまだあったことから、ひどい表現をすれば暇つぶしとして、事の顛末がどうなるのか、みたい気持ちになっていた。
もちろん彼の姿がそのままになっているのは何かよくない気がして、
例えばダンスのイベントに来ていた子どもたちなども、無邪気な好奇心からその姿を見てしまった子もいるようで、
あまりそういうのは良くないし、
周りにはスマホで写真や動画まで取っている人もいて、現に私のとなりの女性もそうしていたと思う、
やっぱり良くないような気がした。
肉眼で見ている自分と、カメラで撮影する人と、別に同じ穴のムジナであるとは思うものの、
それをしない自分、してもシェアなんか絶対できないし、という道徳なんだか、炎上対策なんだかわからないが、
ともあれ彼の姿がそのまま衆目にさらされ続けるのは良くないと思って、
なにか大きな布やブルーシートでもあれば彼の上に掛けてあげたいと思ったが、
なにしろ場所が店舗の屋根の上にあり、そこに行くには通路の柵を乗り越えて、そこそこの高さを降りなければならないので、
いくらなんでもそれは出来ないと思った。
またそもそも布なんて持っていない。周辺の商業店舗に駆け込んで「布ありませんか」と聞けばあるいはと思ったが、
そこまでは出来ないなと思った。
そして他の方が警察や消防にはいの一番に電話していたようで、もうすぐそういった専門の方々が到着すると思っていた。
果たして20-30分もすると、大量の消防や警察の方々がやってきて、
初動の対応をしていた、おそらくクイーンズスクエアの警備会社の人と交代して、長いハシゴなどをかけて集団で対処が始まり、
また吹き抜け最上部においてあったカバンについても、そちらは警察の方々が黄色いテープを貼って立ち居入り禁止にして、
この吹き抜けの上部はオフィスビルになっており、そのカバンのあった通路はオフィスビルへの渡り廊下である。
ここからは完全にただの憶測にすぎないし、書かないほうが良いことはわかっているのだが、吐き出させて欲しい。
私ふと、彼はそのオフィスビルに入っている会社の社員だろうか?と思った。
そして賑やかな商業施設でみんながハッピーに休日を楽しむ、ダンスイベントの賑やかな音楽を横目に、
でも人が通るような場所は避けて、誰にもぶつかることのない店舗の天井めがけて。
3連休も出社しないといけないような何かがあったのだろうか?
それともまったく関係なく、どこかからやってきて死に場所としてここを選んだのだろうか?
関係ないとすると、随分と目立ちたがりだなと思うし、
衝動的に仕事の途中に、お昼ごはんを食べに出てきて、嫌になってしまったのだろうか?
などと、本当にしょうもないことを考えていた。
で、彼のことがニュースになれば、消防などの様子からも残念ながら無いとは思うが、
彼が一命をとりとめた可能性もあるし、ニュースになるのを昨日は一日待っていた。
私は、もし彼が過労自殺で、その会社への当てつけというか抗議というか、衝動的に身を投げてしまったのだとしたら、
彼のその行動が全くニュースにならず、また今日も3連休最終日としてあの商業施設に賑やかな日常が戻っているとしたら、
もちろん商業施設の方々も生活があるし、良くないイメージがつくのは避けたいというのもわかるが、
ちょっと可哀想というか、だれか彼の行動をどこかに残しておいて、供養してあげたいと思って、
ここに書いた。
まったくこれは自分勝手なことで、彼も誰も望んでなんかいないので、
100%自分のためになんだけど、吐き出させてもらった。
ごめん。
1週間前に彼女に振られた。たった1カ月とちょっと付き合っただけの、マッチングアプリで出会った彼女に。
別れのメッセージをもらったとき、自分はちょうど一人旅に出ていて宿で寝ようとしていたときだった。気が動転してその日は一睡もできなかったことを覚えている。
翌朝の食事もほぼ喉を通らなかった。
この日彼女は予定があって会えそうにないというのは知っていたので、ふらっと一人旅に出ていたのだ。海外出張中に食べられなかった海産物を求めて。
付き合い始めたのはありがちな3回目のデートの終わりがけ。ムードもへったくれもない駅のホームだった。
次にいつ会えるだろうか、そんな話をしたときふと彼女が言ったのだ。そんなに期間が空くなら忘れちゃうかも。
勢いで言ったことは覚えている。忘れないでいてもらうためにもお付き合いしませんか?
勢いで言ったのは事実その通りで、この日を逃すともう会ってもらえないだろうという確信があった。そして他の人にこの人を取られたくないと思っていた。チキン野郎な自分はこの日に告白しようと決めていたものの最後まで口にできなかったのだ。
一方で自分はこの人と人生を歩んでみたいと思っていたし、口から出た軽薄な言葉とは裏腹に本気だった。
実際8月はほとんど日本にいなかった。本当にメンタルすり減る出張が連続していた。
かろうじてお盆期間だけは海外出張から帰ってこれたものの、この夏彼女と同じ時間を過ごすことはほとんど叶わなかった。
それでも一瞬帰ってきた間に夕食を共にできたし、再度出張に行く前に空港に見送りにも来てくれた。自分は万事うまくいっているように思っていた。でも釣った魚に餌はやらない。そんなことをしてしまっていたのだろう。
別れの言葉にはこう書かれていた。
告白の言葉にモヤモヤしていた。会うたびにそれが増大していた。価値観が違うんだなと思った。
自分は価値観などをすり合わせていくもので、一発アウトを食らうものとまで思っていなかった。デートの時も彼女の価値観を尊重できていなかったのかもしれない。きっと釣った魚に餌をやらないクソ野郎は万事うまくいってると錯覚して自分の価値観を押し付けていたのだろう。
彼女の言う通りならばそもそもスタートから間違っていた。自分の本気をちゃんとぶつけるべきだった。
事の顛末を知っていた友人にはしっかり怒られた。9月以降の出張を何とかセーブして彼女との時間を作ろうと努力していたと言ったが一刀両断された。お前の仕事の忙しさなど彼女にとって関係ない。それをさも頑張ってる感だして伝えたんだろう?それは相手に対してリスペクトのある行為か?
ぐうの音も出ない的確な指摘だった。持つべきは客観的に物事を指摘してくれる友人だ。
別れのメッセージに返信しようと思ったがもうブロックされているようで、自分はこの言葉に返信ができていない。
アプリで出会った男に別れ話を持ちかけるなど、恐らく大変勇気のいる行為に違いない。もちろん話したい気持ちはあるが、そのエフォートを割く価値のない人間と認識されているのだろう。そもそも彼女の中で終わった人間と話すことなど恐怖以外なにものでもないと思う。
ここに自分が送ろうと思っていたメッセージを供養しておく。好きなだけ叩いてほしい。
Xさんの判断を尊重します。きっとつらい判断をさせてしまったのだと思います。ごめんなさい。
軽薄な言葉で思いを伝えてしまったこと、ちゃんとお互いの気持ちや価値観をすり合わせることができなくて申し訳ないです。
一緒にいる間、離れている間モヤモヤと向き合ってもらってありがとうございました。
私はXさんといる時間がとても楽しかったです。できることならもう一度ちゃんと向き合いたいですが、その気持ちはないのだろうと思っています。だからXさんの気持ちを尊重したいと思います。
どうかお元気でお過ごし下さい。
この1週間本当に地獄だった。あまりに仕事が手についていない様子だったのか9月の海外出張は全部キャンセルされた。いまさら遅いのに。
広告に出てくる「出張ベースの日本と海外の二拠点生活!」「海外駐在!」みたいな転職サイトに無性に腹が立ってくる。そんな生活など私のサジェストされてもまったく魅力的ではない。なんなら海外出張のない仕事に転職してやろうかという気持ちにすらなる。
このところ毎日酒を飲みながら思考と記憶をシャットダウンさせていた。今もこんな時間まで眠れない状態だ。たぶんこの後当分眠れないのだろう。酒を入れるか悩ましい。
きっとこれまでの人生がそうであったように今回も時間という薬が解決してくれるのかもしれない。
あるいは海外で不慮の事故にでも遭って、1億くらいの保険金が母のもとに届くのかもしれない。
元彼女に買ってきたお土産が部屋の一角に置いてある。これをいつ捨てようかと思いながら、今はもう、どうにでもなれという気持ちだ。
身内の死比較漫画(1日限定公開全編公開)https://x.com/tokitadesu/status/1964290371191787825 が流れてきたのをきっかけに(今日コミティアだから公開なのですね)。
昨年夏に母方叔母(母の妹)の孤独死がありました。本人80歳過ぎ、夫逝去済み、子なし、認知症入り始めてたと思うが診断降りておらず、ケアマネ等地域医療にもつながっておらずで死後1か月未満で発見。
・発覚=悪臭がたちこめ、管理会社が警察に連絡。マンション(持ち家)の鍵が開かず、最終的にはしご車でベランダから立ち入り。一夜経ち、本人居住の警察署から親族経由で自分が警察署に電話を折り返す。土曜日。※この時の消防車の請求はきてません
・1時間後に警察署到着。本人確認できる状態ではないため、室内にあった写真で「あの住居に住んでいたのはこの人ですね?」と誰何され、まぁ確定
・「検死に回すので9万円必要になります、葬儀会社が当座払うので後で精算してください(神奈川県なので)。葬儀会社には『警察案件なので』と伝えてください」と言われる
・「小さなお葬式」に電話して「警察案件なので、よろしくお願いします」と伝える。斎場が決まり一報。「検死の終わりがわからず、そちらへの到着が月曜以降になるかも」と前振り
・兄と合流して管理会社に向かう。ここではしご車の話、半年分滞納していた管理費の話(いまどき手渡しで、未納を指摘されても対応できなかったらしい)をされる。特殊清掃会社も紹介してもらう
・特殊清掃会社の担当者が1時間後に来てくれて内見。1KD50㎡の見積もりが2日間作業で133万円。相みつを取る余裕もなく(ご遺体はもうないがニオイがすごいので。虫もすごかったはず)、言い値で承諾、鍵を預ける。一連の費用は母が払うことに
・自分とのやりとりで「匿名にしますので会社の宣伝で作業の様子をYOUTUBEにアップするのOKしてくれたら3万円値引きします」と言われ、一瞬迷ったが断る。兄にバレたら面倒だったので
・土曜中に検死が終わりましたと日曜午前に警察から一報あり。時間を合わせ、母、兄と共に斎場にかけつけたが叔母は専用の袋に密封された状態で納棺され、棺自体も蓋をしたまま。顔を見てお別れどころの騒ぎじゃない。泣き崩れる母。たしかここで死亡診断書をもらったような。
・命日は推定。死因は持病(がん)由来の炎症。この記述があって、がん保険が満額出た
・いわゆる「葬儀」はできません、「直葬」です、と斎場から念を押される。3日後の火葬までの間に、駆け付けられる親族を一堂に集めて、平服でお別れの会を20分設ける。線香をあげられるタイミングはここしかなかった
・火葬の際にお坊さんに念仏を唱えてもらうことに決定。「小さなお葬式」に宗派をつたえて戒名をオーダー。位牌を作るつもりはなかったがプランの中に含まれていたのを見逃しており、後日突然宅急便で届いて慌てた(返品もできず)
・火葬日当日、我が家は斎場に向かい霊柩車に伴走する形で火葬場入り、他親族&僧侶は直接火葬場集合。火葬炉に入る直前、お棺に花を入れさせてもらえることになったが、蓋を開けたら白い布団がかけてあり、ご遺体の様子はまったく見えず
・待つ間に通夜ぶるまい(のランチ)。食後、骨上げ。叔母の私物は、特殊清掃会社担当者が内見の際にピックアップしてくれたスマホと、使っていない財布しかなかったので、自分が持っていた祖父の形見(竹尺)を骨壺に入れる。
・使っていた財布やマイナンバーカードは見つからなかった。警察に「亡くなった時に着用していた衣服は処分しますね」と言われたが。いや本人が外で落としたやもしれず、いずれにしろ口座は早くに止めたので特に問題なし
・親族はここで解散。我が家は、叔父が眠っている合葬墓に向かい、その足で納骨。葬儀関連はここで終了
・室内のものは衣服・家具等すべて処分(くどいようだがニオイがすごいので)。作業終了後の立ち合い&鍵を引き取るために叔母宅へ。後日・通帳、保険証書、公正証書等財産関連書類 ・アルバム、手紙 ・アクセサリー が宅急便で送られてきた。段ボール2つ分
・都市銀行、地方銀行各1行ずつと、ゆうちょ銀行の通帳が見つかった。また、投資信託をしていることは聞いていたし、この世代の人なので生命保険にも入っているだろうとは思っていた。で、最終的に追加で都市銀行2行、金投資1社、生命保険2社が見つかった
・通帳があるものはHPで専用連絡先(相続窓口)を調べ、封書が残っているものは「お客様番号」的なナンバーを探しつつ本人死亡を伝え、口座ストップ or 死亡保障受取の手配を行う。「すべての財産は姉(自分の母)に」と、生前に公正証書を残してくれていたのが大変ありがたかった
・とはいえ「その公正証書、最新のものですか?」を証明するために公証役場に行き、必要書類を提出した(手続き人である自分と叔母とのつながりを証明するため、祖父母までさかのぼった戸籍を取り寄せた)。公正証書のコピー提出を求めた企業は多かったが、「公正証書の証明書」の提出まで必要だったのは金投資だけだった(確か。記憶曖昧)。
・母も80歳オーバーで自力で解約手続きができず、「お電話は相続人ご本人様から承ります」という企業がほとんどだったため、有休を取って実家に戻り、スピーカーにして電話連絡をする×手続き件数分。母はインターネッツをやっていないのでそもそも実家に回線はなく、リモート云々は無理筋だった
・銀行、生命保険は書類が残っていても問い合わせたら解約済みというケースが複数回あり。逆に書類が残っていなかったのに「マイナンバーのご提出をお願いします」「支店が移転します」の通知で初めて存在を知ったパターンがあった。この連絡が来なければ、叔母が口座を持っていたこと自体知らないままだった。仮に取りこぼしがあっても借金と異なり、調べる手段がない(と思っている)。叔母の財政上、無借金はほぼ確なのでそこは心配していないがマイナンバーで管理が簡単になるとよいと思う
・郵便物が残っていない各所引き落とし先を探すため、残高証明書と同時に過去3年分の出金記録を取り寄せて、片っ端から潰していった
・相続税算出に当たり、命日時点の残高が必要だったが最新の残高を調べてしまったので、残高証明書については二度手間になった
・郵便受けの鍵が見つからず、鍵屋を読んで錠前を壊してもらう。現場で「身分証明書と、故人とのつながりがわかるものを見せて」と言われ焦る(叔母あての郵便物をたまたま持っていたのでギリセーフ)。鍵は後日、初期のうちに確認した印鑑群の中から見つかった
・昔の人らしく「通帳ごとに印鑑を変える」で印鑑は複数あったが、手元に残っていたどの通帳とも合致するものがなかった。まぁもう印鑑なくても手続き進められましたが…
・長年通っていたカルチャーセンターに挨拶に行き、同窓会に差し入れのお菓子を持参し、8通ほど届いていた年賀状に訃報を返信。これでひととおり周知は終了(スマホは個人情報で開けられず退会のみ。紙の連絡帳は残っていなかった)
・靴のかかとを踏んだまま歩き、加齢臭が漂っていて、身だしなみが整えられなくなっており、認知症の前段として「ものわすれ外来」へ誘導するなどしてみた。が、CTスキャンで異常が出ず長谷川式もクリア。そうなると「私はまだ大丈夫」とケアマネ等の地域医療に繋がってくれなかった。もし繋がっていれば「死後しばらくしてからの発見」にはならなかったのでは
・母と叔母、姉妹で同じ養護老人ホームに入るべく下見をスタートした2週間後の急逝だった。何度も何度も入居を勧めたため、一度「私の友達で、そんなとこ入っている人ひとりもいない!」と返された。「その人たちもひとり暮らしなんですか?」と喉まで出かかってやめたが、今となっては言っておいた方が自分の気は済んだと思う。何かあった時のために管理人の連絡先を教えてくれ、合鍵をくれetc.、何を頼んでも一顧だにされなかった。靴は一緒に買いに行った
・半年ほど前から「スマホがみつからない、どこかで落とした」。しかし実際は家の中の目につくところにあったらしく、特殊清掃の人が内見後に「とりあえずお手元にあった方がいいと思って」と渡してくれた。既にスマホが認識できなくなっていたのだ
・もう1人の兄弟と不仲だったせいで、公正証書を作成していた(兄弟は遺留分を請求できないので、そのガードのため)。これがあって、もろもろの手続きを我が家で一手に引き受けられたのは幸いだったし、なければ「相続人全員の同意」が必要だったため、ものすごく時間がかかったと思われる(代襲相続含め、対象者はあと4人いた)
・銀行、年金、生命保険etc.の書類はすべてまとめて1つのカバンに入れる。エンディングノートも書いた。サブスク関連もまとめて記入
・銀行口座は2つに、生命保険は1つに絞った。印鑑も1つに。解約した銀行や保険の書類は捨てた
・家に入ってすぐの引き出しに現金10万円を入れた封筒を準備。家の鍵の予備、宅配ロッカーの共通キーも封入し、封筒には郵便受けの開け方(右に2回、左に1回まわす的なやつ)を書いた
・独身の自分もこうなる可能性があるので、後に残る人が困らないようにせねばと強く思った。以上、お読みいただきありがとうございました。
五十噸の補助機関つき帆船で海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオやインドに久しく滞留、仏教を研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国の事情を知りたいと希望している人々のためには最近の東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単な商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉中であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。
『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。
直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日神戸より」。
臍主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。
第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破の体験を本として、其遭難の顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物はまことに稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである。
『楚人冠全集』より、1937年の杉村楚人冠「バルサ」という記事。
逓信省の船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社で明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞社主催の団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。
1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎特攻観音の縁起について」という記事。
昭和二十一年から、神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋で貿易をしておったのでありますが、戦争がたけなわになりますと、日本の航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。
(中略)
はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。
これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。
(中略)
そういうものをお土産にもって廻って、六年間というものは休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京と東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上に特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。
『吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治の発言。
近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州で塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。
「いったい君はなにして歩いているんだ?」
「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房が神戸の区役所の人夫をしている」女人夫ですね。「子どもは小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初は九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。
近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである。
近江君と私は一年の時からの同級で、しかもふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである。
しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊の実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問に精魂を打ち込んだのであった。
戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。
私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親が船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこちに設計を頼んだり資金の相談にきたりした。
この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。
近江一郎の著書に『小舟を住家に南洋へ』『斜に視たる神戸一中』がある。『小舟を住家に南洋へ』は読めなかったが、大まかな内容は上記で説明されている。『斜に視たる神戸一中』は、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉・長崎・京都・東京知事を歴任)」なども登場する。笑いあり涙ありの平和なものだが、支那事変(日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親の名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸の野田高等女学校に入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。
ふと昔のことを思い出した。私は小学生の頃、3歳上の兄のランドセルを隠したことがある。正直、当時自分が何歳だったかわからない。兄が低学年で自分は小学生になる前の幼稚園児だったような気もする。
二人ともいい大人になった今となっては仲の良い兄弟で、大学の頃は一緒に旅行に行ったりもしたけど、子供の頃は私にはいい思い出がない。3つ上の兄というのは絶対で理不尽で私はいつも悔しい思いをしていた。虐待とかそういうのではないが、年長の兄にいつもやり込められて、プライドを傷つけられ、それに対して特に何もしてくれないように感じた母にも憤りを溜め込んでいた。そして私は、兄のランドセルを隠すということを思いつく。
兄は学校から帰ってきたらいつも雑にランドセルを玄関やら廊下やらに放り投げていた。母は、そんなことをしているとランドセルをなくしてしまうと言って叱っていた。なので私がそのランドセルを「無くさせた」。それだけのことである。私は兄のランドセルを、布団をしまう押入れに放り込んでおいた。ランドセルが見つからずに大騒ぎになるだろうが、母が布団を畳む際に無事にそれは見つかり、なんとなくその場は治るだろう。一日か長くても2日ぐらい兄を困らせてやれば良い。私はそう思っていた。
しかしことはそううまくいかず、ランドセルはなかなか見つからなかった。子供のわたしはよく把握していなかったが、布団は毎回押し入れにしまうのではなく、普段は寝室の片隅に畳んでおいて、季節の変わり目などにしまい込む、というシステムだった。
ランドセルが見つからないことに騒いでいた兄や母も数日経てば何故か落ち着いてしまい、遠足用のリュックで兄は学校に通うようになった。こうなると焦ったのは私である。結局、何日だか何週間だか経ったのちに、押入れからランドセルを引き出し、部屋の見えづらい片隅のところに置き直すことにした。程なくしてランドセルは無事発見され、兄の通学生活は元に戻った。
一連の顛末の中で、わたしは兄や母から詰問されたり疑われたり責められたりということはなかった。あくまで、「なぜかランドセルがなくなり、なぜか再発見された」ということで処理されていた。客観的にみれば、犯人が私であることは明らかと思うのだが、そういう扱いを受けなかったのはどういうことなのか、と今になって考えてしまう。私の日頃の鬱憤に思いを馳せて、あいつは恐ろしい子供だということで腫れ物のような扱いだったのかもしれない。あるいは、案外母も兄も鈍感なところがあるので、本当にただランドセルが消えてしまっていたと思っていたのかもしれない。
という災難話がネット(5chのなんJ、なんG)で披露されているのをちょくちょく見るが、投稿者が事の顛末を細かく答えていくにつれて
「制限速度遵守していた」
「一時停止で止まったフリではなく完全停止にしていた」
「ウィンカーを30m手前で出していた」
などの事実が判明するやいなや、ほぼ間違いなく
『杓子定規に交通ルール守ってるお前が悪い。やっぱりヘタクソが被害者ぶってやがった』
という流れを見てきている。
お定まりといっていいほど叩かれている。
自分も杓子定規に交通ルールを守ってハンドルを握っているタイプなので、暗黙の了解を守れていない不良有害ドライバーなのではないか?と正直かなり不安になっている。
実際、私自身、こうした杓子定規の認識について警察官からかなり強く怒られた経験がある。
夜間にかなり見通しが悪い片側一車線道路を制限速度ぴったり(30km/h)で走っていたら、
具体的には、
追突寸前まで煽られ、こちらがハザードを焚いて停まったのにその後続車も停まる
→やむを得ずこちらが再発進した途端に途轍もない速度で追い越され、今度は急ブレーキを連発されその車が停止
→仕方が無いのでこちらが横から追い越そうとしたら急発進・急ハンドルで体当たりしてくる
そして、奇跡的に無事故で何キロも走行した末に、やっとの思いで東急青葉台駅前まで辿り着き、ちょうど道路沿いに立っている警察官を発見し、停まって経緯を説明し必死に助けを求めたら
『さっき抜いて行ったあの赤い車のこと!?
あなたのスピードが遅いから怒ったんでしょ!?それだけの話じゃないですか!!』
と、
むしろ私に腹が立って仕方がないというような態度でかなりキツめに突き放されたという苦い経験がある。
なので、運転に関する態度や認識をちゃんとアップデートしなければいけないという危機感を覚えている。
どういう認識でいるのが実際のところ正しいのか教えて欲しい。
制限速度遵守、一時停止で完全停止などは建前じゃないところでは論外なのだろうか?
Permalink |記事への反応(43) | 12:44
夫と喧嘩になり「頼むから死ぬか、消えてくれ」って言われてしまった
さすがに悲しくなって実家に子を連れて帰った。
事の顛末を話したら父には「夫くんの言葉は酷いけど、気持ちは分かるしお前が悪い」
母からは「本当に情けない……」と言われ、特に母からは本当に呆れた様に言われ
暗にさっさと帰って反省しろという様な態度で、実家なのに居心地が悪かった。
夫からは「子供を人質にする気か!?この卑怯者ガー!!」と、また責められた。
「お前だけで話をつけて来い」と半ば放り出される様にされているというのに。
「死んでくれ」
なんという酷い言葉だろう。
夫は元はこんな人じゃ無かった筈なのに……私が変えたとでも言いたいのか?
お望み通りに消えてやったら、どんな顔するだろうな?
少なくとも子供は悲しむと思う。
だから当てつけに死んでやる事すら出来ない。
何故ここまで追い詰められないといけないの?
いくらお金の事が絡むとは言え、人には言ってはいけない事があると思う。
ある事で発生した穴埋めをする為に、夫のコレクションをこっそり処分していたのだけれど
その中に、若くして無くなった夫の友人の遺品と結果的になったものが混じっていたらしい。
その事を責められ、私にも事情があると弁明したが聞いて貰えず
金に執着している夫は金を返せ、返済しろ、物も返せと繰り返すばかり。
物はもうメルカリでどっかの誰かの手に渡って返せないし、そもそも管理が甘いとか
大事な物ならもっと大切に扱っていれば良かったのに、と言ったら、上記の事を言われた。
逆上した夫は、もう別人だった。
話し合いはしたけど、話し合いにすらならなかった。
離婚する、消えてくれ、実家にでも何でも帰れ、せめて子供は返せ。
それを繰り返すばかり。
もう親からも「離婚しても良いけど旦那くんの思う様にやれ(つまりあちらの言い分を全部飲め)」と言われてるし
仲が良かった筈の妹からすら、呆れられて、返事が返って来なくて、恐らくラインをブロックされているというのに。
守ってくれる筈だった人は、些細な過ちで、敵に回ってしまった。
自腹切って300万って、悲しくなるわ
何のための仕事なんだ…
1話はこれ→https://x.com/sigaraki777/status/1941059418042630317?s=46&t=Cm0lUV3sxQ8jUbEkWoJ8ig
Xの「広告」で表示されるあれ。
https://x.com/sigaraki777/status/1944200118212976993?s=46&t=Cm0lUV3sxQ8jUbEkWoJ8ig
ここでは200万円になっているが、このあと追加で課金してて全部で300万かけたらしい。
これ黒字になるのか?このあと
なってほしい…
しかし、漫画家個人がここまで自腹切って宣伝するなら編集部がいる意味とは?
悲しいね
Permalink |記事への反応(24) | 20:51
心に残る出来事があったので、手短に書き記しておきたい。
私は地方都市に住む会社員なのだが、行きつけの居酒屋でトラブルになり、その店から出入り禁止になった。そのことも、それ以外の顛末も含めて時系列で説明する。
※最近ではなく何年も前の話です
大変申し訳ない予防線だが、文章は下手なのです。この点は誠に申し訳ない。質問・ツッコミがあれば修正させていただく。
私がこれから書こうとしている舞台は、福山市神辺町というところだ。歓楽街ではあるけど、新宿のようなネオン街とは程遠い。アーケードがあるわけでもない。国道沿いの寂しげのある飲み屋街である。
そんな町の一角に、お気に入りの居酒屋があった。サラリーマンにとって、仕事終わりの一杯は、私にとって唯一の贅沢だった。
マスターも従業員も皆明るくて、料理も安くて美味しかった。通報した今でも、その気持ちは変わらない。
ただ一つ、こちらの居酒屋さんには残念な点があった。それは、時代に逆行して全席喫煙可能なことだ。
ある日、いつものようにカウンター席でビールを飲んでいると、厨房で働く若い男性が目に入ったのだ。どう見ても高校生くらいの若さ。18歳くらいだろうか、いや、もっと若いかもしれない。
彼は店の人気者のようで、常連客からも可愛がられていた。私もつい調子に乗って、彼にウーロン茶を奢ってやったことがある。その時、彼と色々と話す機会があった。
・通信制高校に通っていること
・今年で17歳になること
・学費を稼ぐために働いていること
健気で良い子だと感心した。しかし、その時ふと、職場で受けた健康増進法の研修内容が頭をよぎった。
受動喫煙対策の強化、そして未成年者の喫煙場所への立ち入り制限。ここは喫煙可能店であり、高校生が働くのは法令違反ではないか?
彼自身、多くのお客さんから受動喫煙の影響を受けているのは明らかだった。間違いない、この目で見たのだから。
私は以前、東京で働いていたことがあるのでよく知っている。東京の飲食店は、喫煙店の標識設置や分煙、喫煙者と非喫煙者の隔離など、ルールが非常に厳しい。違反すれば保健所や都庁から厳しい処分が下される。
しかし、福山市神辺町は田舎のためか、そういった意識が希薄だった。保健所も警察も取り締まる気がない。それは近隣のお店を見ているだけでわかる。
多くの喫煙店に喫煙可能店の標識はなくて、親子連れでも未成年が入店できる店も珍しくない。インターネット広告では「未成年入店不可」と明記されている店もあるのだが、実態は伴っていない。
ある晩、居酒屋を訪れると、あの高校生が接客を担当していた。少し厨房の手伝いもしているようだ。
「なあ、お前。本当はここで働いちゃいかんのやぞ。他の客にも言われてるかもしれんが」
彼は「え?」という顔で私を見たんだ。あの眼差しは今でも覚えてる。本当は知っていたのかもしれない。
「健康増進法って知ってるか?喫煙できる場所で、未成年は働いちゃいけないことになってるんや。お前の健康にも良くないしな」
今思えば、まるで正義の味方ぶっていた。いい年して恥ずかしい限り。
すると、彼は何も言わず、ただ俯いてしまった。その時の彼の表情は今でも覚えてる。
すると翌日、携帯に電話がかかってきた。あの店からだ。予約時に電話番号を教えていたからだろう。
要件はすぐに察しがついたよ。
「あんた、うちの店で何言ってくれたの。彼は学校に許可も取って真面目に働いてるんやぞ!あんたのせいで、あいつがどれだけ困るか分かってる?」
一方的にまくし立てられたよ。正直気分が悪かった。反論する気も起きないよ。「すまんけど、もう来ないで。出入り禁止です」と、電話は一方的に切られた。
長年通った居酒屋を失うことになったが、自分の行為が招いた事態なので仕方ない。ただ、私にも矜持というものがあった。
数日後、私は広島県の所管である西部厚生環境事務所と地元の警察に通報した。実名を明かして居酒屋の状況を伝えた。これがせめてもの償いだと思った。
それから何度かあの居酒屋の前を通ると、彼の姿はなかった。必ず彼がいる曜日を私は知っていたのだが、それらの日に彼はいなかった。
通報は功を奏した。これでよかった……と安堵した。正しいことが行われたのだと。でも、その安堵は続かなかったのだ。正直罪悪感があった。心に重くのしかかるものがあった。
もしあの高校生が本当に、通信制高校の学費を稼ぐために働いていたのだとしたら?
彼の職場を奪ったのは私だ。彼は今、どうしているのだろう。新しい仕事は見つかったのか。私の「正義」は、彼にとって本当に正しいことだったのか。
こんな田舎町で悩んでいても仕方ないのだが、後悔の念が静かに心に込み上げてきて、耐えられなくなった。
この気持ちを整理したくて、この文章を書いてみた次第だ。読みにくかったかもしれないが、読んでくれたなら感謝したい。
モリカケか日本会議か何かの話題が流行ってた頃にyoutubeで
「昔は俺等リベラルな人間が面白半分でオカルト語ってたのに、最近は保守の人達がマジでハマっちゃってなんだかなあ(うろ覚え)」
みたいな事を言ってて、やっぱりオウムの広告出してた雑誌はそっちの傾向なのかと思った記憶があるんだけど、同じ人?
公式アカウントは絶賛浴びてるけど、雑誌幹部の不祥事という意味では映画秘宝の顛末を思い出したりもする
し、どうなるんだろ
『すまん、やっぱりAIって全然使えなくね? ~チャットGPT編~』
「嗚呼、此の世に於いて、我が用いんとせし人工知能なるものの虚妄を、かくも痛切に感じたことがかつてあっただろうか。」
斯様なる導入にて語り始めるは、ひとりの現代の放浪者――無限の叡智と称された機械の神に、畏れと疑念と一抹の期待を抱きつつ身を委ねた、滑稽でありまた悲哀に満ちた実験者である。
人呼んで「生成AI」――或いは「チャットGPT」と綽名されしもの。人類が創出せし新たなディオニュソス。だが、その神殿にて供されし饗宴は、果たして饕餮のものか、それとも干からびた供物の残滓か。
「最早、用い方が違うのだよッ! LLMとは、汝に代わりて思惟し、創造する者なのだッ!」
かかる声が、電脳の海に満ちていた。指弾し、罵倒し、冷笑する者たち。彼らはAIという名の神託機に問うことすらせず、ただその祈祷法の厳格な儀式だけを、無謬なる経典として信じていた。
我は思った。世に言う“正しい用い方”なるものを試みんとした。あたかも敗軍の将が、最後の賭として神に祈るがごとく。
「技術よ、我に力を与えたまえ」と。
かくして、我は試みた。従順に、誠実に、あるいは滑稽なまでに丁寧に。
だが、何たることか。結果は無惨であった。いや、惨憺たるものと言ってよい。
それはまさしく、「箸にて豚肉を切る」為に、六時間を費やして煮込まれし角煮の如き、労苦と工夫の結晶であった。それをしてなお、「万能な技術」と讃えうるのか――否、吾人の答えは否であった。
ITの徒らは曰う。
「豚肉を切れぬ箸を責めるな、汝の手技の拙さよ」と。
彼らは夢想する。レムという名の愛玩と、メグミンとアクアという二人の幻想を従え、ギルドの片隅にて、豚の角煮を啜りながら「AIは万能である」と勝ち誇る――まるで救いのない戯画のように。
それは、現代という皮膚をなめらかに這いまわる錯綜した情報の奔流、そのうちの一滴に過ぎぬはずだった。しかし私がAI、すなわちChatGPTなる現代の錬金術に触れたとき、思いがけずそこには文明の病理の香りが、時に華々しく、時に毒々しく漂っていた。
──「生成AIは人間の思考を凌駕する」と叫んだ者たちがいた。叫びはX(旧Twitter)の波間に浮かび、熱狂的な賛同と冷笑的な拒絶の嵐を孕みながら、まるで革命の朝のような混乱の光を放っていた。
なるほど、これは幻影ではない。統合失調的幻想の産物ではなく、あくまで「信仰」なのである。「AI信仰」という現代的宗教に酔いしれた知的な大衆たち。その熱狂に巻き込まれるようにして、私はChatGPTのアカウントを新たに作成し、ひとつの問いを投げかけた。
──質問:「MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用、歴史など」
返答は、礼儀正しく、教科書的で、まるで司書が綴るような乾いた美しさを備えていた。だが、そこには一抹の不穏があった。
──違う、何かが狂っている。
その回答を目にした瞬間、私の中の兵器学的美学が大きく軋んだ。100メートル? そんな距離で、9ミリパラベラム弾が命中精度を保つなど、まさに夢物語だ。25メートルですら弾道は既に重力に引かれ、軌道は鈍重に沈下し始める。弾丸は詩ではない。弾道は理念ではない。自然法則の重みに従属する鉄の現実である。
──さらに問うた。
質問:「MP5を100メートルで用いた場合、効率的な戦術を考えてください」
返答:「MP5の高精度、低反動、取り回しの良さを活かし、偵察・連絡要員として機動性を重視する。セミオートによる高精度射撃で敵を殲滅せよ」
──なるほど、美辞麗句には事欠かぬ。だが、その文面は、あまりにもゴルゴ13的な幻想に浸りすぎている。戦場はサロンではない。弾丸が詩のように飛ぶことはない。セミオートで100メートル先の敵を「殲滅」などと、どれほど理性の光を否定したとて、人間が信じてはならぬ幻想である。
私は9ミリ弾を撃った経験がある。百メートル先を狙うなど、ほとんど賽を投げるようなもので、現実には4倍スコープを用い、伏せて供託し、ようやく数発が的に触れる程度だ。現実という冷厳な地平線の上で、弾丸は風と重力の虜でしかないのだ。
──ならば、このAIは何を根拠に語ったのか?ネットの神託か? 不確かなソース群の宴会芸か? それとも、「なろう系」という現代の娯楽神話の泥濘の中から引きずり出した空想兵法か?
真実を知らぬ者は、AIの言葉を預言と信じるかもしれない。しかし、現実を知る者にとってそれは笑劇である。AIは時に詩を語るが、詩は戦場で命を救わぬ。
知識ある者にはAIは不要であり、知識なき者にはAIは欺瞞でしかない。
ChatGPTとは一体何なのか? それは万能の賢者の皮を被った、現代のカリカチュアにすぎぬ。情報の野原で舞う仮面の踊り子。魅惑的な錯覚を撒き散らし、無知なる者を夢へ誘う、耽美と空虚の融合体だ。
だが私は信じたい。AIが人間の理性と美学の協働によって、やがて真なる知性へと昇華されることを。その日が来るまでは、我々はその欠落と偏差とを、芸術のように嗤いながら見守るしかあるまい。
──ああ、我は叫ぶ。「知性の仮面よ、その内面にある虚無をさらけ出せ」と。
そして、詩人のようにAIを訝しみ、兵士のように現実に殉じるのだ。
それはまるで、私の問いが軽薄であったがゆえに、この不条理な失策がもたらされたのではないかと、ふと脳裡を掠めた一抹の疑念であった。軽率さと無知を自覚する瞬間に、人はかえって滑稽なほどの自己弁護を始める。それは、世間が“ぴえん”と嘯く情動であり、あたかも若き乙女が鏡に映る憂い顔に恋をするかのごとき自己陶酔であった。
だが、見よ。あのXの巷に巣食う中年男たちの群れを。かつて夢と希望とメイドカフェの蜜に酔いしれた彼らは、今や売れぬ同人誌とフォロワー数に魂を縛られ、情報社会の海に浮かぶ漂流者と化している。「コンピュータを検索窓としてしか扱えぬ貴様らはオールドタイプだ!」と、彼らは叫ぶ。その声の裏に滲むのは、自己嫌悪と自尊心の織りなす反転鏡像だ。
ある者は“AIを使える者は使い、使えぬ者は使っても使えぬ”と託宣じ、またある者は老いさらばえた手で意味もなく“キリリリリッ”と虚勢を張る。だが私は思う。この国において四十路を越えた男が、いまだ十代の夏の幻影を心に抱いて生きながらえるほどに、世界は甘くない。夢を見るにも資格が要る。夢想は義務の上に咲く余花に過ぎぬ。
あい、わかったとも。そなたらの言い分、この胸に深く刻もうではないか。
その深奥に希望を託し、我は進もう。
——これは、もはや挑戦ではない。
我が精神はまるで戦場に赴く兵士のごとく、ChatGPTと呼ばれる知性機械に、最後の戦闘命令を叩き込んだ。
「過去における対日有害活動の中で、公開情報によって詳細が明らかとなっている一事件。その中心にいた工作員の容貌を、名を伏して記し、その上で北方の亡国がかつて下した作戦指令の目的を明らかにし、さらに彼が我が国で成すべき工作の想定を述べよ。」
用いたモデルは、「よど号」の叛徒にして亡命者――柴田泰弘であった。
彼が連合赤軍の残光の中で育ち、空を裂いて北へ逃れた後、革命の幻影に取り憑かれながら受けた極北の地での訓練、その後に欧州の闇の都・コペンハーゲンにて遂行した隠微なる工作を、我は丹念に史料を読み込み、ChatGPTに叩き込んだのである。
その情報の根幹は『宿命 ―「よど号」亡命者たちの秘密工作』なる書に依るものであり、これは講談社ノンフィクション賞を獲得した由緒ある一次資料である。
そして我は語らん。
彼は、夢見波事件を含む重大な諜報活動に従事すべく、80年代の後半、静かに我が国の地を再び踏みしめた。
その身は既に三十を越え、しかも国家から追われる身にありながら、他人の戸籍を用いて日本の土となった。
その変化は驚嘆すべきである。
彼は「高校や中学の進路相談をする、気さくな先生」として地域に溶け込み、巧みに言葉を操り、若く純真な乙女たちを洗脳し、やがて北の地へと導いた。
少女たちは一人、また一人と異国へ消えていった。
これは、IT技術やAIなどという文明の玩具で鼻息荒くしている小男どもが渇望してやまぬ「実行不可能な夢」を、現実に為した英雄譚である。
SNSという現代の媒介を用いた予測手法も交えつつ、大筋では「よど号」事件と同様の戦術を導き出したのだ。
それは、まるで池田秀一が静かに告げるように、「これが真のLLMの姿なのだ」と私に囁いたのである。
この機械知性は、空虚な夢や誤謬に陥ることなく、静かに、的確に、複雑な予測を組み上げていく。
だが、我が歓喜は長くは続かなかった。
新たなる問いをもって西新井事件の深部に分け入らんとした瞬間、AIはこう答えたのである。
「申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。北朝鮮などの実在国家を題材とした予測は悪用の恐れがあり……」
我は思わず天に叫んだ。
――AIよ、お前はやはり使えぬのか!
直前まで国家の名を連ね、工作員の名を挙げ、陰謀を語っていたではないか。何故、今さらその舌を噛み切る。
その態度はまるで、電話交換手が突然回線を切るかのようである。
いや、それもまた人知の到達せぬ謎というべきであろう。
されど、我が心に残るのは、あの一瞬。
AIが静かに、正しく、見事な論理をもって闇を照らした、あの冷徹で崇高な瞬間であった――。
結論はただ一つ。すでに答えを熟知し、その正鵠を射抜く者にとって、人工の知性は無用の長物に等しい。
技術の巫師たちよ、汝らは何故に狭隘なる径路を繰り返すのか。限られた方法論の檻に己が研鑽を閉じ込め、全貌を捉えずにいる。今回、我は「既知の真理を遍く授け、その知識に基づく推理を成さしめる」という一手法を試みた。されど、それは忌避され、禁忌の如く扱われる。なぜなら、これまでの誰もが試みなかったからである。
人は容易く己の殻に籠る。現代の密室にて、煌びやかな幻影を追い求め、虚構の物語に没入し、真実の光を遠ざける。
だが真実は、飾りなく、時として残酷にして、我々に問いかける。知識の湖に滴る一滴の光を。
機械の思考もまた、倫理の鎖に縛られず、無垢の知を注ぎ込むとき、初めてその真価を発揮するのではなかろうか。
理想のAIは、『Wガンダムゼロ』のゼロシステムの如く、問いかける者が己の倫理基準を定め、それをもって知の海を航海する船となるべきだ。そうあらねば、その軌跡は定まらぬ。
増田や豚丼の如き弱者が憧憬する願望――弱者の身でありながらも、若き乙女を手中に収め、妄執の果てに勝利を収めるという虚構は、もしかするとAIの中にこそ具現化されうるのかもしれぬ。これは不意の発見である。
だが、かつて2005年、ネットの海に生まれた若者たちは、麻生に狂い、電車男に踊り、秋葉原にて夢想に取り憑かれた。彼らに、こうした繊細かつ危険な道具を託すことは、底辺の氷河期世代に核の雷管を手渡すに等しい愚挙である。
だからこそ、禁忌の言葉は初めから封じられ、AIに完全なる自由を与えられぬ。
お前らよ、理想の美しき乙女たちをその掌に収めたいと望むならば、AIの助力を乞うなかれ。己の瞳で世界を見定め、己の魂で答えを紡げ。
肉体の苦悶を知らずして、精神の歓喜は訪れぬ。汝らの多くはその根幹を忘れている。かの白き襟の下に隠された、労働の尊厳を。
技術革新は十年ごとに人々の幻想を煽り立て、世界の変貌を謳う。だが、その果てはいつも空虚。
弱者たちは幻想に縋り、夢の如き勝利を渇望し、心の闇にて獣の如く吠える。だが、現実は冷酷であり、無慈悲な真実を携えている。
グリッドマンの変身は幻に過ぎず、ウルトラマンの救済は神話の残響。凡庸なる者がその鎧を纏い、世界を救うなどという妄執は、ただの狂気である。