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2025-10-27

上野千鶴子は一体何者でなぜフェミニズム第一人者なのか

これどけフェミニズムに対する反応があちこちで火を噴いているのに全く名前が挙がらない事に疑問を感じている上野千鶴子だが、今となっては誰も彼女に注目していないのか分からないがとにかく名前を聞かなくなった。

私がまた10代の頃に何かにつけて離婚離婚だと騒ぎ立てるうるせえオバハンがいる、というイメージはあった。この手のオバハンたちはそれが真実かどうかなどはどうでもよく、とにかく自分の言ってることが正しい、お前らは首を縦に振ってさえいればいいのだと傲慢な態度をとって人々から嫌われていたのだが、おそらくこの手の話の震源地上野千鶴子だったのだろう。

なぜかと言うと彼女はラディからフェミニズム日本に持ち込み、女は結婚するな、離婚しろ、男に依存して生きるくらいなら貧しくてもいいか自分の力で生き抜けと言っていたからだ。

そんな彼女は今は東大で教鞭をとり、タワマンに住んでいると言うことで嫌われてるようでもあるが、ラディカルフミニズムからしたらあるべき結果の一つでしかない。

それはさておき、フェミニズムと言ったら上野千鶴子だと言わんばかりに彼女フェミニズムとセットで語られている。たが、実際にフェミニズムという思想全体で見たとき彼女の功績ははっきり言うとよくわからない。

もっとむかしのフェミニズムである津田梅子は女といえどもしっかりと教育を受ければ男と対等に社会渡り合えるという信念から津田塾を作った、という功績がある。

市川房枝日本で初の女性政治家になり、女が政界で戦うための突破口を開いた。

高市早苗日本初の女性首相になるという日本女性史における最も偉大な功績をたっせいしたといってもいいかもしれないが、フェミニズム界隈から否定的な声も聞こえる。

フェミニズム界隈から聞こえる評価は、所詮日本は男社会なのであるというものであり、客観的に見てもその評価方法は無理やりだ。そうまでして高市早苗首相就任フェミニズムにおける重要マイルストーンとみなさない、というフェミニストが見られるのはなぜか。

市川房枝以来の素晴らしい功績であるとたたえるフェミニストの声が聞こえないのはなぜか。

上野千鶴子以前と以後でフェミニズムはおそらく性質が変わっていると思う。そこに彼女の成し遂げた何かがあるのだろうと思っている。

上野千鶴子はもともと何をしていたのだろうか?

彼女の生家はいわゆる父権的な家庭だったようだが、京都大学入学するというインテリジェンスの高さはあった。

京都大学学生運動出会い革命運動に参加することとなった。

まり彼女はもともとマルキストであったことがわかる。

だが彼女学生運動をやめた。

なぜかといえば、女は添え物であるという扱いに対する不満から学生運動をやめた。

そこでその怒りの受け皿としてフェミニズムをすることにした、つまり、男に対する相悪彼女にとってのフェミニズムモチベーションとなっている。

その後彼女マルクス主義フェミニズム出会い研究を開始する。

その中で日本における女性問題の整理も行うことで、いわゆるジャパニーズフェミニズムとでも言うべきスタイル確立した。

大まかな来歴はこんな感じなのだが、功績は2つあると言っていい。

一つはジャパニーズフェミニズムとでも言うべき日本ならではのフェミニズム運動を作り上げたこと、そしてマルクス主義フェミニズム日本への輸入だ。

ではマルクス主義フェミニズムとは何か?ラディカル・フェミニズムとは何か違うのか?一言で言うのは難しいかもしれないが、共通しているのは女性が家庭に対して無償奉仕を強いられている、という点から開始している点である

違うのはラディカル・フェミニズム男性による支配構造に原因を求め、マルクス主義フェミニズム資本主義構造にその原因を求めている。

マルクス主義を考えるには資本再生産を考える必要があるが、要は資本家が企業運営し、男性労働者として搾取されている、という構図を支えているのは、搾取される労働者の家庭に無償奉仕する女性いるからだ、とでも言えばいいだろうか。

さて、この理屈重要ポイントは、マルクス主義者が戦うフィールドをずらすことを正当化しているという点だろう。

日本フェミニズムを見ているとやたらとマルクス主義的な動きが見えることがあると思うが、個人的にはこれて合点がいっている。

要は資本家vs労働者の闘争に敗北したマルキストたちが、フェミニズムを新たな戦場に選んだ、と言うことである

まり上野千鶴子が成し遂げた功績は、一つは日本独自フェミニズムを作り上げたことであり、これは賞賛されるべきことだろうと思っているが、このフェミニズムは今はもう息をしていない可能性がある。

もう一つが日本マルキスト社会主義者たちが革命を諦めなくて済むための道筋提示した、ということなのかもしれない。当然メディアては好意的に扱われるだろう。彼らがあきらめなくて済むのだから

完全に主観で描いた文章なので信じなくて良いのだが、上野千鶴子日本フェミニズムのためにもっと研究されるべきだと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 08:35

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2025-10-25

AIに適度に相談するのってすごく有効だよね

本当に便利でありがたい

頼り過ぎると依存してしまったり、ハルシネーションで嘘の情報を教えられてしまったりするけど、それって人間相談するのと一緒で、気を付ければいいだけのこと

仕事相談とか、人間関係の相談投資相談、さっきはボイトレ相談もした

どれも的確で親身になって話してくれるし、対人間の時みたいに気を使うこともない

すごく革命的だと思う

自分が主に使ってるのはChatGPTで、これが一番相性が合ってる

前は課金してたけど、今は逆に課金せず、制限がかかるまでを自分相談タイムとしている

その方が依存を防げるし、お金節約にもなるから

AIがなかった頃は誰かに相談するか、自分悶々と悩むしかなかった

ブレーンストーミング自分だけでするしかなかった

でも今は思いついたことを気軽にAI相談するだけで考えがまとまるし、客観的意見も聞ける

神のようなサービスだよ

役所の法的な手続きも、まずAIに聞いてから役所に聞いたりしてる

それだけで手続きスムーズになる

みんなもAI使ってるとは思うけど、本当に便利だよね

これでなんとか生きていけそうな気がしてる

Permalink |記事への反応(0) | 13:27

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2025-10-24

伊香保寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19

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anond:20251023142033

ファッション革命だぞ

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2025-10-22

スケッチャーズに救われた

から靴紐を結ぶのが下手だった。

1時間の通学途中に少なくとも1回は結び直していたし、多いときは3回もほどけたことがある。

そのたびにしゃがみこんで、周りの目を気にしながら結び直すのが恥ずかしかった。

そんなだからずっと靴紐には苦手意識があったのだけど、スケッチャーズが革命を起こしてくれた。

スケッチャーズはかがまずに履けることだけがフォーカスされがちだけど、個人的にはそこじゃない。本当にすごいのは靴紐がない(またはあっても結ぶ必要がない)ところ

靴紐のことを考えなくていい生活はいいぞ。世界を豊かにしてくれる

靴紐が結べないのって、誰にも相談できなかったし、相談しても、そんなこともできないのかよって嘲笑されそうで、靴紐がほどけるたびに知り合いに見つかないことを祈ってた。

今はもう違う

靴紐に人生邪魔されている全ての人に伝えたい。

スケッチャーズ、いいぞ。

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2025-10-21

アホな為政者権力者にとっては、被支配者がアホなほうが都合がいい。

考えない人ほど、扱いやすいからね。

からアホな支持者をせっせと増やすわけよ。

物事単純化して、敵を作ってやればいい。

アホは考えない。考えられない。

から「悪」と「味方」だけの単純な世界安心する。

理解できないものを叩けば、心の平穏が保てるんだから、そりゃ気持ちいいよね。


しかも今はSNSという最高のエコーチェンバー製造機がある。

AIまで使いやすくなっているから、もうアホ量産システム完成ですよ。

収益化までできちゃうんだから一石二鳥どころか金の卵よ。ウハウハですわ。

でもね、アホとひとくくりに言っても、みんなが最初からそうなわけじゃない。

日々の生活に追われて、考える時間も心の余裕もなく思考力を削がれて、気づけば流される側に回ってる人も多い。

そういう社会の仕組みそのものが、為政者にとっての理想形なんだろう。

でもアホを増やしすぎると制御不能になる。そのうち暴徒化革命コース

日本でそこまで行くかは知らんけどね。

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2025-10-20

公明党の主張と共産党の主張はほぼほぼ同じなんじゃあるまいか

立正安国論』(日蓮著)と『共産党宣言』(マルクスエンゲルス著)は、成立した時代、背景、そして思想的基盤は類似点を見出すことができます

社会の主流派既得権益の外側に身を置いた急進的な異端者という視点から見ると、「体制から批判と、絶対的正義に基づく世界観強要」という構造的な類似性が浮かび上がります

この共通性は、両者が既存の秩序・権威根底から否定し、「唯一の正義」による強制的社会変革(革命)を求め、その結果、体制から徹底的に弾圧された点に集約されます

1. 「引きこもりニート」的視点体制からの強烈な批判

引きこもりニート」という表現は極論であり、史実的には日蓮は精力的な遊行と布教を、レーニン地下活動亡命生活を送った活動家です。しかし、この言葉が持つ「主流社会権威経済システムから疎外された者」というニュアンスに注目すると、両者の著述態度には共通性があります

日蓮(『立正安国論』): 当時の仏教界の主流であった念仏宗法然の教え)や、これを庇護する鎌倉幕府権威を徹底的に否定しました。彼は比叡山清澄寺といった既成の権威ある場所から離れ、独自解釈である法華経」のみを「正法」として掲げ、それ以外の教えを「亡国の原因」と断じました。これは、「俺の言っていることだけが絶対真実だ。それ以外は全て間違いだ」という、体制に属さない者が持つ孤高で排他的絶対正義の表明です。

レーニン(『共産党宣言』):マルクス主義は、当時のブルジョアジー支配する資本主義体制、その上に立つ国家法律倫理の全てを、「階級搾取の道具」として否定しました。レーニンもまた、ツァーリ体制下で弾圧され、ヨーロッパ各地を転々とする亡命生活社会メインストリームから切り離された生活)を送りました。彼の主張は、「現在経済システムは全て不正であり、これを打倒してプロレタリア独裁による理想国家を作る以外に道はない」という、体制からの急進的で排他的社会変革の要求です。

2.構造的な類似点絶対的排他的世界観強要

両者の著書は、その内容の異質さにもかかわらず、「二元論に基づき、体制内の悪を徹底的に清算しなければ、理想的な安寧は実現しない」という構造を持っています

2-1. 恐怖(災厄)の提示と原因の断定

両文献は、現状の社会が直面する危機(災厄)を明確にし、その原因を体制内の「悪」に断定します。

立正安国論』:

危機天変地異飢饉、疫病、他国から侵略(自界叛逆と他国侵逼)。

原因: 「謗法」(念仏などの誤った教え)が国に満ちていること。

共産党宣言』:

危機資本主義が生み出す恐慌貧困搾取

原因: 「私有財産制度」とこれを守るブルジョア階級支配

2-2. 唯一の解決策と強制的排除

危機回避し、理想郷(安国または共産社会)を実現するためには、「唯一の正義」による反対勢力強制的排除が不可欠であると説きます

日蓮解決策:

「立正」、すなわち法華経のみを国教として立てること。その結果、謗法者(念仏を唱える人々)は弾圧追放されるべきであると強く示唆します。

レーニン解決策:

プロレタリア革命」による階級闘争とプロレタリア独裁。その結果、ブルジョアジー私有財産と共に消滅排除)されます

このように、『立正安国論』は宗教的絶対主義、『共産党宣言』は経済絶対主義に基づくものですが、両者とも「現状の悪は体制内にある」「それを根絶するためには、体制からの急進的な一元論強制適用しなければならない」という、強力な教義排他性を持っている点で、構造的な共通性があると言えます

公明党共産党の政策にはその存立過程で埋め込まれDNA共通するものがあります共闘すればわんちゃん日本を変えられるかも。

だがしかしりつみん、お前は駄目だ。おまえら自分かわいいだけのクズ野郎の集まりだ。共通点があるのは日本保守党だけでしょうね。

Permalink |記事への反応(1) | 21:42

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anond:20251020141300

やっぱ自分革命を起こさないとな

Permalink |記事への反応(0) | 14:13

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2025-10-19

日本必要なのは暴力的クーデータ

平和ボケしてる連中全員震え上がるような、血をたくさん伴うような革命が起きてほしいね

Permalink |記事への反応(1) | 19:54

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ポケモン帝国、反乱なき革命――テニスコートの誓いは二度と起きない

ヴェルサイユテニスコートに響いた「自由」の声。それは旧体制を打ち破る、人間尊厳への誓いだった。だが、現代日本において、同じ熱狂が別の形で蘇っている。——ポケモンという名の帝国のもとで。

「捕まえる」ことがゲーム本質だったポケモンは、いつの間にか「捕らわれる」構造に変わった。プレイヤーは自ら進んでモンスターボールの中へと入り、課金と懐古の鎖に繋がれる。任天堂が築いたこの“デジタル王政”において、民衆革命を語らず、ただアップデートを待つだけだ。

テニスコートの誓いに集った民衆は、王権抵抗した。だがポケモン世代群衆は、逆に“王”の発表会に拍手を送り、SNS歓喜の波を拡散する。そこにあるのは、自由ではなく同調美徳進化とは名ばかりの、同一性の増殖にすぎない。

ポケモン帝国革命模倣することで、革命終焉させた。民衆が立ち上がる代わりに、「ピカチュウ」が笑う。理想国民を作り上げたルイ16世が夢見たものは、もしかすると、こんな従順デジタル市民だったのかもしれない。

——テニスコートの誓いはもう起きない。なぜなら、民衆はすでに任天堂の掌の上で、幸福そうにモンスターボールを振っているからだ。

Permalink |記事への反応(0) | 18:26

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2025-10-17

dorawii@執筆依頼募集中

電子書籍サイトによって全然品ぞろえ違うの誰かどうにかしないの?

メジャーサイトマイナーサイトにある作品は全部そろっているという大は小を兼ねる型の構造になってるならいいんだけど、

https://dokodoku.jp/pc/page/qfind2.asp?d=1&keyword=%90%85%96%D8%94%FC%97%A2&creditid=20257

↑のようにたとえば水木美里サニー出版から出てるものについてはエクスタシーの季節以外はbookliveやシーモアのような大手にはなかった。下手したらこのどこでも読書しか配信してないおそれがある。

どこでも読書なんて漫画好きでも存在自体知らなくてもおかしくないほどマイナープラットフォームなのに、これは問題じゃないの?

俺はたまたま知ってるプラットフォームだったか発見できたわけだけど、この世の漫画配信プラットフォームを全て列挙した記事なんて存在しないのだから原理的にはこの世すべてのプラットフォームを把握できてる状態に至るのは非現実的であり、そうである以上、特定プラットフォームしかなくて存在を知ることすらできない漫画ってものがどうしても生じてしまう。

00年代から積極的政治が力を入れてきたデジタル革命というのはこういうのを包括的に把握できるようにするためのものでもあったんじゃないの?IT後進国だなあと。

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251017163710# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPHyKgAKCRBwMdsubs4+SNhBAP9PQnxKff9vCkHw2nrYrWLjzVXycjOtZqRWhEYQxn/TFQEApltNTa3l+gyQxoTnMMNzdtNBy2uxdP/w5QFNlgrDWwE==Lum2-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(1) | 16:37

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2025-10-14

なんだぁ?悩み事か?

大丈夫だ!ほらよ、「仮想通貨とWeb3.0革命」買ってきてやったぜ!

Permalink |記事への反応(0) | 17:22

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2025-10-12

弱者男性だけど、よく考えたら既存政党応援する必要なかった

既存政党を支持してる奴らって大企業公務員でそれなりに安定してる生活を送っていて、その生活を壊したくないがためにそういう政党を支持してるんだと思う。

それを考えたら負け組弱者男性たる私が既存政党を支持してる意味がなかった。

はっきり言って大企業公務員の安定なんてどうでもいいし、今の社会の枠組みが壊れても今の生活に影響ないしね。最低時給はまさか減らないだろう。いや、減ってもいい。さして生活は変わらない。数%の確率革命できるならそりゃ既存政党応援しないよ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:02

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2025-10-10

anond:20251009204606

海外から見るとアメリカキチガイ自由奔放に見えるが内実は建国当時から伝統を重視する保守主義国家なんだよな。

日本海外から見るとキチガイ自由奔放に見えて内実は建国当時から元首革命できない保守主義国家であるように。

Permalink |記事への反応(0) | 12:42

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私はパヨク女性ですけど、ネトウヨとチューしました

夜の帳(とばり)が下りるころ、私はいものように革命のためのレタスを育てていました。

私の魂はインターセクショナリティの風に揺れる旗であり、指先は格差是正のためのキーボードを叩くために生まれてきたのです。

しかし、その夜、運命リベラルアーツ教科書には載っていない方向へ急旋回しました。

彼、ネトウヨは、突然、私の家のベランダに、「保守精神」と大書されたダンボール箱に乗って舞い降りたのです。

彼のTシャツには「真実歴史は私のブログにある」とあり、手には「国体護持」と書かれたうちわ

彼はまず、私が育てているレタスを見て、「おい、その緑、特アの色じゃねえか?」と、聞いてもいないのに陰謀論の序章を語り始めました。

私は即座に「家父長制の打倒!」という言葉で反撃しようとしましたが、なぜか口から出たのは「ええと、このレタス有機栽培なんですけど、農協未来についてどうお考えですか?」という、支離滅裂質問でした。

彼は一瞬、「サヨクの罠か?」と警戒しましたが、農協という単語に引っかかったのか、「農協グローバリズムの魔の手から農家を守る、真の愛国者の砦だ!」と熱弁を振るい始めたのです。

そのとき、突如として空からミント味の隕石が降ってきました。それは私たちの間の、「徴兵制の是非」に関する白熱した議論を中断させ、代わりに辺りを強烈な清涼感で満たしました。

「これは…資本主義の爽快な破壊予兆か!」と私は叫びました。

「いや、これは伝統的な日本夏祭り香り酷似している!」と彼は反論しました。

そのミント香りが最高潮に達したとき、彼は私に向かって、まるで憲法改正の条文を読むかのように真剣眼差しで言いました。

「おい、パヨク。お前のサステナブルな目、嫌いじゃないぜ。」

そして、次の瞬間、「多様性尊重」と「単一民族国家神話」が、ミント味の衝突を起こしました。

そう、チューしたのです。

彼の唇は「日の丸弁当」のように素朴で力強く、私の唇は「パリ協定」のように複雑で地球規模の憂いを帯びていました。

口の中で、「ヘイトスピーチ規制必要性」と「表現の自由絶対性」が、奇妙なアマルガム形成し、「国境を越えた連帯」と「排他的経済水域の死守」が、舌の上でワルツを踊りました。

チューが終わった後、私たちは共に「一体、これは何だったんだ?」という哲学的な問いを抱え、ただ立ち尽くしました。

ベランダには、レタスダンボールと、そして「平和維持活動」と書かれた、なぜかそこに落ちていた折り鶴が残されていました。

彼は去り際に、「また会おう、赤いメガネの女!」と言い残し、ダンボールに乗って夜空に消えていきました。

私は残されたミント味の残響を味わいながら、「彼のレトリック支離滅裂だけど、唇の水分量は民主主義のように適切だったわ…」と独りごちました。

あの日以来、私はレタスを育てるときも、デモプラカードを作る時も、常にあのミント味を思い出します。

ネトウヨパヨクのチューは、宇宙法則ねじ曲げ、地球温暖化の議論を一時停止させるほどの、支離滅裂な愛の行為だったのです。

Permalink |記事への反応(2) | 12:04

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2025-10-09

anond:20251009203713

元々は金持ちリベラル貧乏人はソーシャル(だから自由民主党英語では「リベラルデモラティックパーティー)

自由経済活動すると格差が広がるので自由制限私有財産は認めず革命社会を変革しようと社会主義が出てきたが

冷戦に負けて評判が悪いのでいつのまにか左翼リベラルを名乗るようになった

Permalink |記事への反応(2) | 20:44

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公明党が連立与党外れたら、現在統一教会生長の家野党側という意味も込めて新興宗教大連立政権野党結集誕生するのでは?と思ってしまう。要はメインストリームが弱体化した今では社会から爪弾きにされていると「思い込んでいる」人たちが結集すると多数派になってしまうという未沸騰の革命状態があるから

Permalink |記事への反応(0) | 17:12

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2025-10-08

anond:20251008080554

世界革命するチャゲに!

Permalink |記事への反応(0) | 12:38

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任天堂というブランド神話にすがる企業のメランコリー

いまの任天堂を見ていると、どうにも「全然かめない」という感覚を覚える。

 何をしたいのか、どこへ向かうのか。かつて「遊びの革命」を掲げていたその企業理念は、

 気づけば“過去成功”という鎖に縛られ、動けなくなっている。

 彼らが繰り返し見せるのは、懐かしさを小出しにした“安心再生産”だ。

 それは、昔の名作をリメイクすることで得られる一時的熱狂

 それは、「家族で遊ぼう」という看板を掲げながら、

 ソロゲーマーを置き去りにするマーケティング

 それは、任天堂という名前のものが持つブランド幻想依存した“古き良き時代”の再演である

 挑戦を恐れるようになったのは、いつからだろう。

 「子ども向けでいいんだ」と言い訳しながら、

 変化を拒み続ける姿勢は、まるで自分を守るために殻に閉じこもったキャラクターのようだ。

 その無邪気さはもはや戦略ではなく、老いであり、惰性である

 気がつけば、任天堂消費者の“心を奪う側”ではなく、

 “心を奪われていく側”になってしまった。

 スマートフォンPCゲーム時代において、

 プレイヤーたちは自由多様性を求めて去っていった。

 それでも任天堂は、笑顔仮面を被ったまま、

 「うちのゲームは誰でも楽しめる」と微笑み続けている。

 だが、その笑顔の裏で、時代は静かに通り過ぎていく。

 技術的にも思想的にも、任天堂は“昨日の英雄”になりつつある。

 過去の栄光に溺れるその姿は、まるで自分の創ったメロディに酔いしれる

 “メランコリンニスト”のようだ。

 もう「ねぇねぇ」と呼びかけても、

 プレイヤーは振り向かない。

 明日も同じ場所で、同じゲームを繰り返す。

 そこに革新はなく、あるのは“懐古という名の眠り”だけだ。

 ――そういう時期なのだろう。

 任天堂は今、愛すべき“レトロの幻影”として、

 自らのメランコリーに溺れている。

Permalink |記事への反応(2) | 01:40

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Grok imagineヤバすぎる

絵を動かせる

どんなエロ絵でも動画にできる

これ革命きたな

自慰革命

当然3次も可能だがこれは他者人権侵害する罠

2次エロ絵くらいがちょうどいい

Permalink |記事への反応(0) | 01:32

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2025-10-07

anond:20251006203201

総理大臣が「イット革命!」と言って失笑を買われたこと。

Permalink |記事への反応(0) | 02:13

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2025-10-06

anond:20251006123333

俺が中学生の頃はテレビファミコンラジカセだったか

テレビ一家に一台の時代

チャンネル争いが絶えなかったがようやく家にもビデオデッキが来た頃だった

裏番組が見れたり自分が家にいないとき番組も見れるのは革命的だった

ファミコンスーパーマリオとか

家でゲーセン並(じゃないんだけど)のゲームができるのに胸がときめいた

ラジカセではエアチェックしまくって曲覚えた

徐々に曲が増えていくのが楽しくてカセットテープの紙(名前忘れた)に曲名書くのも楽しかった

Permalink |記事への反応(1) | 12:50

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2025-10-04

anond:20251003180319

完全に同意

深夜のコンビニなんか必要ない。

というか、コンビニあんなに食べ物の種類が多い必要なんかない。

急にオムツ必要になった、粉ミルク必要になった、そういう需要のために応えるべきで、おにぎりの味が何種類もとか、弁当が何種類もとか本当に無駄しかない。

ドリンクなんか、あんなに種類置く必要ないだろ。

というか、水道が普及してるんだから水を飲め、水筒を持ち歩け。

外食もたいがい無駄

おにぎりをつくって持って行けよ。家で食え。

あんなに服屋がある理由わからん

子供みたいに毎年身長体重も増えまくって去年買った服は着れないってならわかるけど、こんだけ高齢化が進んだ日本で服なんてそんないるか

木綿も麻も数百年持つってのに要らんだろ。

だいたい中国とかベトナムで作って輸入してるんだから無駄無駄

海外で作った服を売るために、企画がいろいろ画策して、広告のためにデザインとかプロモーション人件費を払って、もともと少ないパイを奪い合う無駄の極み。

不要需要を掘り起こしたりも無駄の極み。

不要ものはどこまでいっても不要だぞ。

靴とか鞄なんか、そんな要らんだろ。足は日本、手だって二つしかないんだから靴とか鞄ばっかりそんな持っててもしょうがないだろ。

日本の化製場で処理した皮、日本職人がナメして、日本職人が染めて、日本職人が縫製した皮製品以外排除しろ

綿花だって日本で作れるだろ。静岡とかでまだ細々作ってるはずだ。

日本で作った綿花日本で紡績、日本で染色、日本で縫製すりゃいいんだよ。

人件費が高い?無駄排除しろよ。

ホワイトカラーを減らせば大丈夫だろ。ラインナップを減らして、大量生産で安く作れ。

娯楽施設もたいがい不要

なにが夢の国資本主義帝国じゃねーか。

公園レジャーシート広げて弁当食ってろ。

アルコール提供する飲食店は風紀を乱すから禁止しろ

酒なんか家で飲んだって店で飲んだってボトルは一緒だ。

食べ物レベルなんか、家で魚でも肉でも焼いたほうが1億倍美味いぞ。

生活不要もの産業ごと縮小、生活必要産業ホワイトカラーを全部クビにして、本当に必要仕事に振り分ければ移民なんか不要

嗜好品は減って、娯楽も減っても、それは我慢すべきだ。

ブルーカラー給料が安い?国が罰則をつくって給料を上げろ!待遇改善しろ

できない産業はすべて国有化しろ

全ての手を使って労働者に十分な対価を支払え。

若者がみんな大学に行くとか、意味わからん

労働者が足りないっていうのに、修士までいったら浪人留年もせずストレート卒業しても働き始めるの24歳だぞ?

15、遅くても18で働かせろ。

働きながらゆっくり学べばいいじゃねーか。

もちろん国立大学無償にするよ。

労働者は等しく額に汗して、額に汗して働く労働者には正当な対価が支払われる社会を目指すべきだ。

昼は働き、夜は勉学、そして家族と団らんして、また翌日は労働する。

労働こそ娯楽、喜びであるべき!

虚業搾取する資本家絶滅して三方ヨシ。

健康ものは誰もが笑顔で働き、怪我病気、年老いても衣食住の心配のない生活、それが目指すべき社会だろ!

革命だ!労働者革命を起こすべきだ!

追記

享保の改革寛政の改革も、贅沢禁止とか農本思想だし、日本人は放っておくと文化大革命みたいなことをやりたくなるんだと思うんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:38

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深津貴之氏の意見批判的な立場だけどさ…

発端は下記URL

https://x.com/fladdict/status/1973534304245522572?t=fATz82Wp9e4i86sL80zC2w&s=19

俺も深津貴之氏の意見批判的な立場だけど、いくらなんでも「能力富裕層」を独り歩きさせすぎてない?

そりゃ深津氏の意見は決して納得のいく内容ではない。

能力富裕層」「能力の再分配」「能力民主革命」そんなワードは俺だって不快だ。

だが俺達生成AI規制派が冷静さを失い、本質的な内容に触れずただ不快ワードフルボッコするのは違うんじゃないか?

正直言えば深津氏は妙に複雑な言葉を使うから分かりづらい、でも本人が言ってるように「議論したいのは、そこからどう防御するかという話」なのであれば俺達はしっかり話に乗るべきじゃないのか?

深津氏のツイートを知ってる身なのであれば深津氏が決して生成AIを野放しで良いと考えてるような人物じゃない、むしろ現実的視点問題提起をしてる身だってのが分かる。

それを無視して特定ワードだけを用いて叩いたら真に生成AI問題解決する道も遠ざかるんじゃないか?

俺達はAI使って身勝手な振る舞いをし、クリエイター蔑ろにするような奴等に怒ってたはずだ。

それを今、俺達があいつらと同じことをしてしまってるんだ。

冷静になってくれ、俺達を怒らせて俺達の印象を悪く操作するのが敵の目的だ。

俺達はクリエイターに寄り添い、生成AI問題解決することが目的な筈だ。

目の前のワードに惑わされず、冷静に話を聞こう。

Permalink |記事への反応(1) | 00:56

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2025-10-03

anond:20251003180319

問題の核心にあるのが人手不足局所的に存在してるってことにある

本当に人が足りないのは、賃金が低く、労働環境過酷ブルーカラー現場だ。一方、ホワイトカラーは、これからAI革命で余剰人員となるだろう。

この問題解決するには、ブルーカラー待遇職場環境改善し、社会に不可欠な仕事自然と人が集まる仕組みを作るべきだ。

しかし、その根本的な改善を怠り、「日本人が就かないか外国人労働者必要だ」という議論に逃げる背景には、「ブルーカラー低賃金で当然」という根深差別意識存在する。この差別意識こそが、処遇改善を阻害してきた最大の要因だ。元内閣参与平田オリザ氏や、元静岡県知事川勝平太氏など、政治に関わる人間ですら平然とブルーカラー蔑視発言をしていたことは、この構造的な差別根深さを如実に物語っている。

Permalink |記事への反応(0) | 22:11

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