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2025-10-27

二次CivilWar

赤い州vs.青い州内戦になったらさあ、なんか、どうなるんやろな!?

ドナルドっちが3期目を阻止されて怒りの開戦とか、ありえないけどなんか、ありえそうだよな!!!



以下AI

想定の前提

  • 時間軸:短期(数日〜数週間)、中期(数週間〜6か月)、長期(6か月〜数年)の段階で評価する。

フェーズ1:初動・混乱(数日〜数週間)

フェーズ2:軍事的対立地域戦(数週間〜数か月)

フェーズ3:政治的分断と国際影響(中期)

フェーズ4:膠着・交渉・決着(中期〜長期)

人道面・制度面の主な影響

実務的示唆(予防と緩和)

Permalink |記事への反応(1) | 16:50

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2025-10-24

次の日、投稿が提示の通り追記されていたとします。この場合、分析はどのように変化しますか?

C*****T:

CRITICAL ANALYTICALREVISION

追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初分析根本誤読

追記2は、私の最初分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。

私が読んだもの:

文化的言説(アイデンティティ政治

個人内面化

創作的麻痺

実際の構造:

実存危機孤立・失敗・老い性的欠如)

理論的言説の防衛的借用

自己正当化された創作不能

因果の矢印が逆だった。 これは方法論的に重大な誤りである

PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈

最初投稿投稿者が使用していた理論的語彙:

これらは一見2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しか追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。

真の構造:実存自己否定の連鎖

追記2が暴露する深層:

レイヤー1:実存事実

"初老になったのに童貞"

"人間嫌い、女性に縁がない"

"過去に痛い目にあった記憶ばかり"

"人生絶望してた"

レイヤー2:創作動機

"女性を描きたい"(しか経験がない)

"究極の画像処理ソフト"という夢(実現できない)

"ヘンリー・ダーガーみたいなもん"(社会的孤立の中の空想

レイヤー3:防衛理論化】

"女性を知らないと女性ちゃんと描けない"

"経験がなければ理解できない"

← これは理論ではなく、個人的失敗の普遍

レイヤー4:創作不能正当化

"だから俺には描けない"

しかしこれは「無能から」ではなく「原理的に不可能から

防衛機制の精密分析

防衛機制1:合理化(Rationalization)

耐え難い真実:

「俺は人生の敗北者だ。女性関係を持てなかった。孤独で無価値だ」

↓ 変換 ↓

受容可能な言説:

経験していない対象原理的に表象できない。これは認識論的・倫理的問題だ」

この変換により、個人的失敗が哲学的問題昇華される。これは自尊心を守る。

防衛機制2: 知性化(Intellectualization)

投稿者は感情絶望孤独性的欲求不満)を抽象議論表象倫理当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。

しか追記2で防衛崩壊し、生の感情露出する:

防衛機制3:投射(Projection)

投稿者は自分の不全感を、架空の「批判者」に投射する:

これは私の最初分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源文化ではなく、内面化された自己批判である

ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択

投稿者がダーガーを引き合いに出すのは決定的である

ダーガーの特徴:

投稿者の解釈:

ダーガー女性を知らなかったから、正しく描けなかった」

しかしこれは逆説的である:

投稿者の論理:

女性を知らなければ描けない」

ダーガーは知らなかった

から「間違って」描いた

俺も知らない

から俺も描けない/描いてはいけない

しかし抑圧された真実:

ダーガー女性を知らなかった

にもかかわらず膨大な作品創造した

その作品は今やアウトサイダーアートとして評価されている

まり「知らなくても創造できる」証拠

投稿者は、自分論理反証する例を引き合いに出しながら、その反証認識できない。なぜなら、創造可能性を認めることは、創作しない自分正当化できなくなるから

ダーガー選択は、投稿者の内的葛藤を露呈する:

児童ポルノ言及精神分析

投稿者は和月伸宏や他の漫画家児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望告白する。

表面的正当化:「絵描きなら資料が欲しいのは当然」

しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」

この言及が明らかにするもの:

1.性的欲望創作未分化

- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性性的欲望する」ことが分離していない

- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作障害になる

2. 罪悪感と自己審判

- 「資料のため」という言い訳を繰り返す = 罪悪感の表出

-自分犯罪者予備軍として見る視線内面化

3.禁止欲望パラドックス

- 「見てはいけない」ものへの欲望

-しかし見れば犯罪者

- だから見ない=創作しない、という「倫理的選択

これは自己処罰的なループである

生成AIとの関係人間関係代替審判

追記2の冒頭:

「さっきまでClaudeに、自分ライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」

この一文は多層的である

レイヤー1:AI対話相手

レイヤー2:AI審判

レイヤー3:AI不可能な夢の実現者

レイヤー4:人間関係不可能性の確認

投稿行為意味ダイイングメッセージとしての告白

投稿者は明言する:

  • 基本的に返信を見ない(「ロバ耳」)
  • ダイイングメッセージのように、死んだ後に読まれることを想定
  • 「読んだ人の脳に残って未来の行動を変化させる」ことを望む

これが意味するもの:

対話拒否

承認希求

一方的告白遺言

彼は応答を求めていない(対話不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。

これは非対称的コミュニケーション

  • 声は発するが、返答は聞かない
  • 見られるが、見返さな
  • 影響は与えるが、影響は受けない

これは自己他者関係不可能性の表現である

SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造

矛盾1:創造欲望 vs創造不可能

THESIS: 「女性を描きたい」

「究極の画像処理ソフトを作りたい」

ANTITHESIS: 「経験がないから描けない」

技術がないから作れない」

人生絶望している」

SYNTHESIS:創作不能正当化

AIへの依存

矛盾2:孤立選択 vs承認希求

THESIS:人間嫌い、返信を見ない、対話拒否

ANTITHESIS:投稿する、読まれたい、影響を与えたい

SYNTHESIS:一方的告白ダイイングメッセージ

矛盾3:理論的厳密さ vs実存絶望

THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張

ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した

SYNTHESIS:ダーガー作品を「間違い」と解釈することで

反証回避

弁証法運動の停止

健全弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。

創作欲望

実行不能

理論正当化

さらなる不能

[ループ]

これは病理弁証法:変化を生まず、同じ場所を回り続ける。

SYNTHESIS: 深層パターン統合理解
構造全体像

【最深層:実存事実

社会的孤立 +性的経験の欠如 +老い + 死の接近

【第2層:心理的防衛

合理化・知性化・投射による自己保護

【第3層:理論的借用】

文化的言説(当事者性、表象倫理)を防衛の道具として使用

【表層:顕在的問い】

男性女性主人公を描けるのか?」

機能

創作からの逃避 + 失敗の正当化 + 残存する自尊心保護

本質的洞察結晶

投稿者の真の問いは「女性をどう描くか」ではない。

真の問いは:

人生の敗北者である私に、何かを創造する価値があるのか?」

そして彼自身が答えている:

「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」

女性を知らないと女性を描けない」という主張は:

文化的言説の防衛使用

私の最初分析は「アイデンティティ政治内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。

誤った図式:

文化的言説 →個人麻痺

正しい図式:

個人的失敗 →文化的言説の借用 → 失敗の正当化

彼は「当事者性」や「経験所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来政治文脈から切り離され、個人防衛機制として機能している。

これは理論心理的横領である

解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人自己正当化の道具になっている。

より深い文化的診断

しかし、もう一層深く見れば、これは純粋個人的な現象ではない。

なぜこの特定の言説が、この特定防衛に利用可能だったのか?

答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。

投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分創作不能倫理的配慮として再解釈している。

「俺が描かないのは:

無能から(恥)×

倫理的配慮しているから(誇)○」

これは文化心理共犯関係である

ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)

ダーガー投稿者の論理の生きた反証である

ダーガーは:

投稿者の論理では、ダーガー創造すべきではなかった。しか創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。

投稿者はこの事実をどう処理するか?

答え:ダーガー作品を「間違い」として解釈する(「少女ペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)

しかしこれは恣意的解釈であるダーガー少女性別曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界独自性として読むこともできる。

投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分創作不能正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分創作できる/すべきだ、ということになってしまう。

これは解釈政治である

最も深い問い

この事例が究極的に提起する問いは:

創造するために経験必要か?

投稿者は「はい」と答える。私の最初分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。

しか追記2を読んだ後、問いはより複雑になる:

彼が求めているのは本当に「創造する方法」なのか?

それとも:

おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。

彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛解体するだけで、その下の絶望露出させるかもしれない。

CRYSTALLIZED INSIGHT

この投稿者は、人生実存的失敗(社会的孤立性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代文化的言説(「当事者性」「経験所有権」「表象倫理」)を借用することで、「原理的に不可能創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人無能認識論的・倫理的問題昇華することで、残存する自尊心を守っている。

言い換えれば:

彼の問い「男性女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的正当化する道具として機能している。

So what?:

この事例は、文化的言説がどのように個人防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化麻痺の道具になる。これは文化心理共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。

PUNCHLINE:

私の最初分析は、彼を「文化犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

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2025-10-04

anond:20251004141350

次はトランス男性のフリした変態男性が入ってくるだろうね

性加害が圧倒的に男→女で起きてて非対称的からややこしい

最初からずっと変態男性問題

それを弾くシステムがない

女性専用トイレと誰でもトイレになるのが一番被害が少ないんだがな

男性側が変化、譲歩するのは断固拒否しながら女性への譲歩と負担を求めてる

トランス女性という男体ファースト現象

Permalink |記事への反応(1) | 14:33

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2025-07-06

anond:20250706140405

反論①:時間を「空間と同等」と見なすことの誤謬

たとえ時間を「空間と同様に俯瞰できるもの」と見なしても、時間には不可逆性(エントロピー増大)という決定的な性質存在する。

空間的な移動(場所の移動)と、時間的な移動(過去への移動)は根本的に異質だ。

反論②:タイムパラドックス定義とすれ違っている

パラドックスとは論理的整合性崩壊することだ。

例:「本能寺の変を止める」ことで「本能寺の変を止めに来た動機」が消える

→ 結果として「本能寺の変を止めに来なかった未来」になる

→ すると「改変者が存在しない」

→ ならば「本能寺の変は起きる」

→ すると「改変者がまた来る」…

この無限ループがまさにタイムパラドックス

「改変者が消えても改変された事実けが残る」?

→ それでは因果律崩壊する。

まり、AがBを起こすのに、Aが存在しないままBが残るという不条理だ。

反論③:「絵を消す」アナロジー誤用

あなたの例: 絵を描いた人が出かけている間に絵を消した。だから過去改変も同じように干渉できる

だが、これは因果が閉じた空間で完結している話。

過去改変はこのような完結した一方向的因果系では説明できない。

この例は、「時間移動者が未来からたこと」が時間線上に刻まれていない前提を隠している。

もし刻まれていたなら、「なぜ彼が来たのか」という動機が生まれ、それが自己矛盾に至る。

反論④:「多元宇宙はいらない」の強引な断言

もしタイムパラドックスを防ぐなら、現在標準的理論物理学において有力な仮説は多世界解釈(Many-Worlds Interpretation)。

改変はその人がいた未来とは異なる枝の宇宙で起こるため、パラドックスは起こらず、因果律は守られる。

あなたの主張はこの議論をすべて切り捨てているが、これは現代量子論時間理論に対して非科学的な態度だ。

致命的なロジック崩壊

主張問題点
時間空間と同じように扱える時間エントロピーに縛られる「非対称的次元
改変者がいなくなっても改変は残る因果律崩壊する(原因なき結果)
絵の例で説明できる時間自己因果空間的不在を混同している
多元宇宙はいらない科学的にも論理的にも最有力な解決策を否定している

タイムパラドックスは起こらないという主張は、時間因果律理解を欠き、例証も誤っており、科学整合性に欠ける。

完全論破、ここに成る⚔️

Permalink |記事への反応(1) | 14:16

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2025-05-11

anond:20250511171453

言われてみれば自分ネタバレ配信してるのに他人にはネタバレすんなって非対称的アンフェアな話ではあるな

時間無駄から見ないしいちいち嫌がらせしに行こうとは思わんけど

Permalink |記事への反応(0) | 17:22

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2025-02-11

前半【最新インタビューAIデジタル超知能、政治宇宙…イーロン

結論

ヨーロッパに対して、規制緩和言論の自由の確保、合理的移民政策出生率の向上を提言する」

各チャプター目次

▼1.起業とは?

▼2.政府官僚制度の課題

▼3.ドイツ政府効率機関必要か?

▼4.トランプ大統領関税政策

▼5.AfDを支持する理由

▼6.ドイツ歴史教育について

▼7.ヨーロッパ官僚主義

▼8.AI進化デジタル超知能の時代

9.TikTokについて

10.右派左派の再定義とその誤解

11.人口減少の問題

▼1.起業とは?

私が会社を始めることはガラスを食べて深淵を見つめるようなものだと考える理由は、会社成功させるには非常に辛い作業をたくさんこなさなければならないからです。

それは決して楽しいものではなく非常に長時間働くことが求められます

そしてそれでも会社が生き残るかどうかは分かりません。

多くのスタートアップは失敗に終わるのです。

からこそガラスを食べて深淵を見つめるというわけです。

会社を始めるというのは大量の苦労の末に最終的に失敗することがほとんどなのです。

そのためもし誰かが会社を始めるのに励ましの言葉必要としているならその人は会社を始めるべきではないと思います

▼2.政府官僚制度の課題

政府に関して言えば最大の課題官僚主義を乗り越えることです。

そして官僚主義はおそらく究極の戦いの1つだと思います

物理学によれば私たちエントロピーに打ち勝つことはできません。

それが究極の戦いだとすれば、官僚主義を打破することはその次に難しい戦いだと言えるでしょう。

それほど政府改善することは困難なのです。

歴史的に見ても長期間平和が続くと官僚主義が徐々に増大していくのは避けられません。

政府の規模は拡大し法律規制は毎年のように増えていきます

考えてみれば規制当局というものは毎年新しい規制を追加するものであり、立法者も毎年新しい法律を作るものです。

通常無意味法律規制を取り除くための浄化プロセス戦争によってもたらされます

しかしもちろん私たち戦争によって政府改革が進むような状況は望んでいません。

したがって戦争がない状況ではアメリカ私たちがここで設立したような政府効率部門のような仕組みが必要になります

これは法律規制を取り除くための取り組みですが、法律廃止するには当然ながら議会承認必要です。

しか規制に関しては政府レベル見直しを行い害が利益を回るものを削減することが可能です。

そうした規制は非常に多く存在します。

そのため政府の規模を縮小し、国家破綻させないように予算バランスを取ることが重要です。

これらは全て非常に困難な課題ですし、私たちがこの目標を達成できるかどうかも分かりません。

私はこれを極めて難しい戦いだと表現しているのです。

実際これまでの試みはほぼ全て失敗してきました。

官僚機構の縮小や政府効率化を目指した過去の取り組みは一般的成功していません。

例えばレーガン大統領連邦教育省を廃止教育を州レベルに移行すると公約していました。

しか連邦教育省は今でも存在しています

この省庁自体は確か45年ほど前に設立されたものです。

▼3.ドイツ政府効率機関必要か?

あなたドイツ経済ドイツ市場にも詳しいようですが、ドイツにも政府効率部門必要だと思いますか?」

私はそう思います

基本的にどの政府ゴミ収集プロセスを持つ必要があるのです。

もし規制を作るプロセスしかなく規制を削除するプロセスがなければ最終的には全てが違法となり何もできなくなります

その結果進歩が完全に停止してしまます

ですから全ての政府において政府の規模を縮小し、かつては意味があったが現在不要になった規制を削減する役割を担うチームが必要だと考えています

このプロセスがなければ官僚機構はまるで動脈たまるプラークのように蓄積され政府機能が徐々に詰まっていきます

そうなると血流のように本来スムーズ流れるべきもの制限されてしまうのです。

ですから、この浄化プロセスは非常に重要なのです。

▼4.トランプ大統領関税政策

トランプ大統領物事を成し遂げることを好む人物だと思います

そして彼は国々を罰したり経済的に無謀なことをしたりしようとは考えていません。

しかトランプ大統領関税を各国に重要問題について協力を求める手段と見なしているようです。

そして明らかにもしある国が非対称的関税を課し、アメリカ製品の輸入には税をかける一方で、アメリカはその国の製品の輸入に税をかけていない場合これは不均衡な状況になります

したがっておそらくトランプ大統領はこうした非対象的な関税障壁を持つ国国あるいは規制上の障壁を持つく国に対して行動を起こそうとするでしょう。

税であれ規制であれそれらは基本的貿易の制約です。

彼はこうした貿易制約を取り除きアメリカ企業ヨーロッパ企業中国企業、その他の国の企業にとって公平で対等な競争環境を確保することを望んでいるのだと思います

まり私の見解では彼が求めているのは単に公平で対等な競争環境だということです。

さて、まず最初に仮にAfDが政権を取っていたとしても、テスラベルリン工場建設していたと思います

私は一般的市場を歪めるような政府省令策には反対しています

政府関税インセンティブ罰則などを通じて市場を歪めがちです。

とはいえもし他国がそのような措置を講じているのであればテスラもそれを利用しなければ競争上不利になります

▼5.AfDを支持する理由

しかし私がAfDを支持する理由ドイツが失敗しないためにいくつかの根本的な問題解決しなければならないと考えているからです。

まず移民に対する適切な管理必要です。

もしドイツ国内で犯罪を犯し人々に危害を加えている移民がいるのであれば彼らは国外追放されるべきです。

しかし現状ではそれが行われていません。

さら言論の自由も確保されなければなりません。

人々が真実を知ることができなければ正しい判断を下すことができません。

情報自由がなければ民主主義は成立しません。

なぜなら国民選挙で誰に投票するかを決める際に十分な情報に基づいて判断することができなくなってしまうからです。

現在ドイツでは言論の自由に対して非常に厳しい法律規則があり例えば政治家侮辱しただけで投獄される可能性があります

これは異常なことです。

ですからAfDが言論の自由を支持している点は評価しています

またAfDが適切な移民政策犯罪者の国外追報を支持している点も良いと思います

そしてAfDの基本的リバタリアン的な政策も好ましいと考えています

▼6.ドイツ歴史教育について

もちろん私の発言を歪曲するのは簡単です。

実際に批判者はそうしています

まりドイツの子供たちを罪悪感だけで苦しめる教育から過去戦争犯罪を完全に無視するように切り替えるべきだと言ったかのように扱っています

しかし私は明らかにそのどちらの極端な立場も取っていません。

私が言っているのはドイツの子供たちにドイツ世界最悪の国だと教え続けそれ以外のことを何も教えないのは間違っているということです。

ドイツ過去に行った偉大な業績についても学ぶべきです。

そしてドイツ過去悪業だけで定義し、彼らの曾祖父母ですら、当時の独裁政権の支持者ではなかったかもしれない。

子供たちに対してドイツ地球上で最も悪い国だと教え罪悪感と恥の中で生きるように仕向けるのは間違っています

これは完全に誤ったやり方です。

私はナチズム無視すべきだとは一度も言っていません。

しかし私は同時にドイツの素晴らしい文化的歴史についても認識するべきだと言っています

例えばドイツには偉大な哲学者作曲家がいます

ドイツ工学科学への貢献も驚異的です。

その中にはドイツに住んでいたユダヤ人の貢献も含まれます

例えばアインシュタインが良い例です。

これらの偉業は祝福されるべきです。

ただしそれがナチズム歴史無視することを意味するのではなくドイツ歴史ナチズムだけのものとして捉えるのは馬鹿げており誤りであるということです。

人々はドイツが成し遂げた偉大なことを誇りに思うべきです。

ドイツは何千年もの歴史を持つ古代国家でありローマ帝国にすら征服されなかった数少ない国の1つです。

二千年前に、遡っても当時世界最強の帝国であったローマ帝国ですら。ドイツ征服できませんでした。ローマは最終的に諦めたのです。

ですからドイツ歴史理解する際にはその偉大な部分と恐ろしい部分の両方を知る必要があります

それにアメリカ歴史を見てみればネイティブアメリカンの人々に何が起こったのかが分かるでしょう。

彼らは今どこにいるのでしょうか。

あるいはユダヤ人ユダヤの地に到達する前にその地にいた先住民はどうなったのでしょうか。

ある時点で歴史過去に行われた恐ろしいことだけで語るのは不可能になります

かに過去悲劇から学ぶことは重要ですが、それと同時に良いことについても学ぶべきです。

まあこれは非常に深い哲学的政治的問題から今週の時事ネタのような話に飛んでしまいましたね。

中国には非常に優秀でやる気のあるエンジニアが数多くいます

ですから中国が多くの素晴らしい技術を生み出すことは当然予想されることです。

そして実際に中国はこれまでにも数多くの偉大な発明や開発を成し遂げてきましたまた中国の長い歴史を振り返ってみれば分かるように中国もまた古代から続く卓越した国家です。

実際人類歴史ほとんどの期間において中国世界で最も強大な国家でした。

ですから中国の人々の視点からすれば現在中国の対等は歴史上の本来地位に戻ることに過ぎないと見ているのかもしれません。

それが世界で最も協力な国であるという立場です。

したがって今後も中国は多くの素晴らしいことを成し遂げるでしょう。

その一例がDeepSeekです。

しかしそれは単に中国の圧倒的な才能の蓄積による成果であり確かに印象的なものですが、AIにおける完全な革命というわけではありません。

xAIやその他の企業近いうちにDeepSeekよりも優れたモデルを発表する予定です。

Permalink |記事への反応(0) | 22:50

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2024-12-12

anond:20241212144302

もう一度聞くけど、ハマステロリストですか?

イエスかノーで答えて

テロ国家」とは通常、国家が体系的にテロ行為を支援したり、利用したりすることを意味します。しかし、イスラエルを「テロ国家」と呼ぶかどうかは、評価する立場基準によって大きく異なります。以下に、この議論の主なポイントを整理します。

---

イスラエル批判される理由

1.パレスチナへの軍事行動市民への影響

イスラエル軍の空爆や地上作戦で、パレスチナ市民特に子ども女性)が犠牲になることが頻繁に報告されています。これに対し、国際人権団体国連は「過剰な武力行使」と批判しています

例:2021年ガザ紛争2023年軍事作戦では、数百人の市民犠牲となり、インフラも大規模に破壊されました。

2.占領政策

ヨルダン川西岸地区東エルサレムにおける入植活動は、国際法(第四ジュネーブ条約)に違反しているとされています。これにより、パレスチナ人の土地資源が奪われることがあり、不満が高まっています

3.行政拘禁人権侵害

裁判なしでの拘束(行政拘禁)、子どもの拘束、家屋破壊など、イスラエル政策は「集団的懲罰」として非難されています

4.非対称的暴力

イスラエルは、パレスチナ武装勢力への報復を超えて、広範な地域に対して破壊的な攻撃を行うことがあります。このような行動が「国家によるテロ」と批判される場合があります



---

イスラエル擁護する立場

1.安全保障必要性

イスラエルは、ロケット攻撃自爆テロといった脅威から自国民を守るための行動だと主張しています

ハマスイスラム聖戦などの武装勢力は、市民を標的にした攻撃を繰り返しており、これが軍事行動正当化する理由とされています

2.テロリズムへの対応

イスラエルは、自国を「テロ被害者」と位置づけ、反テロリズムの一環として行動していると主張しています

これにはロケット迎撃システムアイアンドーム」や、武装勢力への軍事作戦が含まれます

3.法治国家としての仕組み

イスラエル民主主義国家であり、法の支配確立されていることを強調しています。一部の行動は国際法に基づいて正当化されているとしています



---

テロ国家」との評価に関する議論

国際社会で「テロ国家」とされる基準は、国家意図的テロ行為を計画支援、実行しているかにあります

イスラエル政府の行動は、安全保障政策戦争行為として正当化される場合も多い一方で、非対称的暴力市民への被害の大きさから批判を受けています

---

結論

イスラエルを「テロ国家」と呼ぶかどうかは、見る立場価値観依存します。

批判する人々は、占領政策市民への武力行使根拠に「国家によるテロ」とみなします。

擁護する人々は、イスラエルの行動を安全保障上の必要性として理解し、テロ行為とは異なると主張します。

この問題は非常に感情的で複雑なため、立場に応じて異なる評価がなされることを理解することが重要です。

Permalink |記事への反応(1) | 14:50

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2024-08-29

フリーランス専業主婦の妻から、舐め腐ったことを言われる

フリーランス専業主婦の妻から全然家事育児平等負担してくれない」とかいう舐め腐ったことを言われる

曰く、「家事育児負担が 妻5:夫5 なら平等だけど、現状 妻7:夫3 くらいにしかなってない」という認識だそうです

 

勘弁してくれよと

 

俺はフリーランスから仕事無いとき積極的家事育児も分担できるんであって

会社員夫の妻とか、共働き夫婦とか、もっと厳しい状況に置かれてるんだぞ

どんだけ自分が甘やかされてるかコイツ全然分かってねえな

 

そもそも家事育児専業主婦仕事であって、自分の職責の範囲内の事は最後まで泣き言言わず単独で完遂するのが基本だと言うことが分かってない

俺が仕事で「モウ無理ー!」ってぴえんして仕事投げ出すことが許されてると思うのか?なぜそれが専業主婦には許されてると思うのか?本当に甘やかされすぎだろ専業主婦

しかも、専業主婦仕事内容は俺でも手伝えるし、なんなら俺の方が手際良いまであるから仕事の合間に手伝ってるんだが

妻は俺の仕事を手伝う意思もなければスキルもないわけで、あまりにも状況が非対称的不公平だと思う。

夫でも担当できる範囲内の家事育児仕事をしてる専業主婦のほうが圧倒的に有利じゃん。「手伝えるのに手伝わない!」ってわめけるから

 

リタイア後に、俺が仕事で本当に辛かったとき、妻は仕事を手伝ってくれなかった!ってわめく夫を想像できるか?できんだろ。それが非対称性よ。

 

もっと言うと、じゃあお前俺の仕事手伝ってみろよ簡単excel作業くらいできるだろってやらせたら役に立たないカスみたいな表作りかけて「わかんない!」で終了〜、お気楽でいいですねハハハ

まあ、俺が何かをお願いしたとしても、それを やる/やらない は相手固有の判断から、もし断られても相手意思尊重したいので、俺は全然不機嫌にならないし

相手がその作業を やれる/やれない も相手固有の問題から、期待したような成果が上がってこなくても、全然不機嫌にならないし、表面上「ありがとう。助かった。」って言って流したが

専業主婦の妻は「お願いしたのにやってくれない!思ったとおりにやってくれなかった!」ってキレることが当然だと思っている。こどもか。

 

更に家事育児寝不足からもっと家事育児手伝ってほしいと言った同じ口で、フリーランスの夫に子供を預けて最低時給のアルバイトに行きたいとか言ってきて、まじでコイツ〜ってなったりしている。

 

以上、産後の恨みは一生おじさん(令和最新版)でした〜

Permalink |記事への反応(8) | 12:00

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2024-06-17

はてブ大丈夫

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240616133159

ブコメについて

増田匿名なのが悪い

反論したlady-jokerさん対増田

顕名 vs匿名非対称的なのが気になるのはわかるけどさ、lady-jokerさんは別にそれに言及せずに反論したわけだよ。

上記非対称性は双方納得済みの事項で、外野の私達が咎められる点ではないよね?

そもそも匿名批判が悪いのなら、増田の初めのエントリの時点で「匿名の言うことだから」で切り捨てなければおかしいよね?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240613203515

増田匿名であることを非難するコメント一つでもあった?

なぜ増田反論の時点で匿名であることを今になって持ち出したか

「あ、これに反論するのめんどくさいけどなんか言わないと負けたことになる、

ここは増田匿名から無条件で負け、ということにしておこう」

と思ったのかな?

そう思われてもしょうがないよね?


②「読む価値いから読んでない」「反論を続けようとする態度が悪い」「増田は頭がおかしいやつだから放置

あのさあ、はてブ増田に何を批判されていたか覚えている?

言動の知性のなさ、そして根性の悪さだよ。

筋の通った反論するでもなく、増田質問に回答するでもなく上記コメントをつけて悦に浸るのは知性のある行動かい


「読んでない」

読んでるよね?

しっかり読んだうえで反論できないから、

読んでないことにして自分反論しなくて良い理由を作ったんだよね?

なぜ反論できないか、知性が足りないからだよね?


反論を続けようとする態度が悪い」

反論したら負け、反論しなければ負けってことでしょ?

無茶苦茶じゃん。

増田ガチっぽさがあり触らない方が良い」

そのガチの人にガチで応対したlady-jokerさんもガチの人で、

触らないほうが良い人、ということで良い?

lady-jokerエントリ増田はてブの不誠実さの批判に真っ向から答えたものだけど、

それすらも半笑い面白半分に一緒に切り捨ててるよ?



はてブに知性がない、誠実さがない、という批判に対する回答がこれで、

はてブ人達大丈夫なの?いや大丈夫じゃないよね?

ちょっと昔のネトウヨくらいの知性と根性の悪さだよね?

という風に私id:p__o__nは思いました。

以上

Permalink |記事への反応(10) | 07:38

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2024-06-05

anond:20240605164633

パンティという呼び名ダメだろうな

手垢つきすぎたか

 

この呼称については有名なブログエントリ下着名称に見る性の非対称性」がある

そこでも

パンティという語が、いつ、どこで創られたか定かではないが、おもにポルノ界隈で用いられてきたことを鑑みるに、男が、己の願望を満たすことを、ただそれだけを目的として、女性がどう感じるかには一切お構いなしに、この単語選択してきたとみて間違いないだろう。

とか

>(略)

パンティという言葉に付随する恥ずかしさ、それは男の、一方的で、自己中心的な、非対称的であることを疑いもしない、無神経な願望の押し付けからくる恥ずかしさである

とか書かれちゃってる

 

もともとは英語にある由緒正しい(?)言葉なんだが、

ポルノじみた消費をしてきた年月が長いので

股間を覆う下着を男女用ともパンティ呼びしたいのなら、3世代ぐらいは「男のショーツのみパンティと呼ぶ」期間を設けてイメージを薄める戦略必要かもな

Permalink |記事への反応(1) | 16:56

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2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3)格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題Permalink |記事への反応(1) | 18:32

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2023-09-27

anond:20230927093236

でも、統計上、童貞ばかりの男とは非対称的ですよ。

Permalink |記事への反応(1) | 09:34

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2023-09-05

Web3ヤーたちはどう生きるか

Not Financial Advice。個人的メモ、現状の文字起こしと雑な未来予想。自分Web3ヤーとして整理したかった。

ビットコイナーが望まない形でBTCがATHを迎えるシナリオ

根源的にビットコインは規制禁止することはできないので、できるところから規制されるトレンドは今後も続くだろう。目下、短期ナラティブETF承認であるAML/CFT観点ビットコイ現物流通はなるべく制限したい規制当局側と、ビットコインのエクスポージャーが欲しいだけの大多数の投資家の思惑の両方が、現物ETF承認という形で結実するのである。その後、ビットコイETFが高い流動性を持つようになれば、既存金融機関ビットコイETF担保にした金融サービス派生金融商品を展開できるようになる。

また、大手マイニングプールと、(すでにマイニングプール株主となっている)ETF取扱金融機関提携する未来もありえるだろう。例えばマイニング収益プール参加者ウォレットアドレスに引き出されることはなくなり、プール参加者証券口座ETF残高として入金されるようになる。これはプール参加者規制当局どちらにも利点がある。プール参加者にとっては、ブロックチェーン手数料秘密鍵保管といったブロックチェーン特有リスクを負わなくて済むし、ビットコイETFを通して既存金融多種多様流動性へ容易にアクセスできるようになることも喜ばしい。規制当局にとっても、本質的規制できないマイナーとBTC現物が切り離されることは喜ばしく、win-winなのだ。すでに大手マイニングプールマイナーにKYCを求めているので、マイナー分散思想よりも規制された安定を選んでいる。マイナー投資家保護環境の整ったETFに乗り換えるのは合理的選択なのだ

ビットコイナーの思想とは相反するものの、市場原理とは相反しない力が優勢となって働くことで、ビットコインはATHを迎えるのである

少数マイナーの寡占は問題か?

先日Twitter話題になっていたので急遽追加する。

マイニングプールが結託して51%攻撃を起こすことは、マイニングプールにとっても合理的ではないので、少数マイナーの寡占状態が直接的にビットコインを破壊に導くとは考えにくい。しかし、大きな金額を動かさないといけない巨大プール既存金融保護されざるを得ず、規制圧力に対しては脆い。同じ51%でも1 ✕ 51よりも25+26の方がCensorshipResistanceやOpennessといったブロックチェーンの本源的な価値は損なわれやすい。なのでマイナーに寡占が起こることを問題視しないのも間違いである。

ツイートの人の反論もあるので一応参考程度に

https://x.com/nook_ethereum/status/1696476655475171759

仮の話だが、完全に当局規制を受けてコーポレートが牛耳る、本源的な価値を失ったビットコインが、toobig to failな状態ゾンビ化した時どう振る舞うのだろうか?そのタイミング古参クジラ離脱して一時的に売り圧が発生する気もするが、そのままトリクルダウンとなるほどのトリガーかというと分からない。これはビットコインに使われる暗号の危殆化などのリスクと一緒で、起こるまで想像ができない。そのフェーズP2P電子決済システムビットコインという壮大な社会実験重要ハイライトになるに違いない。

Drivechain

ビットコインのブロックスペースを使って、レイヤー2上で好きなブロックチェーンを誰でも立てられるようにする新機能。まだ提案段階の機能だが、賛否両論を招き、界隈を真っ二つにしている。

https://www.drivechain.info/

ちょっと前に流行ったStacksの仕組みと異なり、BTCを子チェーンにオプトインするような仕組みも備える。もちろんオプトアウトもできる。

ただし、Drivechainが認められると、ビットコインのスケーラビティを向上させるソリューションとしてのLightningネットワークの意義がかなり失われる。Lightningは”P2Pで”高速決済したい人が使うための機能という、かなり思想が強い人向けの錆びついた技術になり得る。

Drivechainの提案自体は昔からあったが、最近になって流行り出したのは単なるナラティブ作りであろう。ordinalsやStacksもそうだが、新しい技術はそれだけで盛り上がりやすい。ordinalsの場合だと、昔から追っていた人は、自分が優位でいられる情報非対称的な時期に、短期で出口流動性イナゴ養分)をたくさん集めて、たんまり儲けて売り抜けることができた。

ちょうどBitcoin, not Cryptoな時期で、Drivechainのような特大アップデートがあればナラティブとしては強力だ。しかし、だからこそ、どうしてもDrivechain利権存在を勘繰ってしまう。Lightning利権とも対立しそうだ。

Lightningはビットコインにマルチシグだけあればできる機能だが、Drivechainはソフトフォークとは言え、これだけのために新規のオプコードメッセージの追加など、開発リソースをかなり費やす大幅なアップデートなので非常に図々しい。ソフトフォークをexcuseにすればなんでもありだと言うわけではない。

今更dAppsが走るサイドチェーンを作っても、Ethereumで起きているようなゴタゴタをビットコインに持ち込むだけで、Bitcoin, not Crypto神話を汚すだけになるだろう。

DeFiはDaFi(DarkFinance闇金融)へ

実質管理者のいるDeFi規制煽りを受けて存続は難しくなっていくだろう。ハッキングインサイダー、スキャム(詐欺)、ラグプル(持ち逃げ)から投資家保護できないファイナンスは、たとえゲイリーゲンスラーSEC長官を退任したとしても長期的には必ず規制対象になる。また、そうはならなくとも投資家の方から勝手離脱していく。

しかしながら、オフショア規制の及ばないチェーンを舞台に、リスクを恐れない投機家の間でDaFi(DarkFinance闇金融)に転じたDeFiがしぶとく生き残るのはどうしようもない。

ただ、そのようなDeFiはもう社会生活金融インフラになることはないだろう。結果的に今のDeFiはDaFiかCeFiに分岐していく。

CeFiの意義

CeFiという語彙は以下のツイートから使わせてもらった。ブロックチェーンを使っているが、規制もされている金融サービスくらいの意味だ。

https://x.com/kimurayu45z/status/1695988782871498898?s=46

ブロックチェーン上の金融サービス規制をかける場合、どのようなものになるだろう。まずCeFi事業者に対する当局による管轄投資家のKYCは必須になる。そうなってくるとブロックチェーンでやる必要はあるのかいよいよ分からなくなってくる。かの有名なWhy Blockchain?の声がまた聞こえてくるのだ。

少なくとも、トークンガバナンスするような機能プロトコルに組み込む必然性はなくなり、ガバナンストークンは株や証券に近いものになっていく。また、仮にアプリケーションどころかL1チェーン自体規制されれば、PoSなどのトークンベースコンセンサスアルゴリズムはもはや茶番になる。

ユーザー目線でも、KYC済みのアドレススマートコントラクト登録してまで、入札や取引したい投資家がどれくらいいるのか今のところ分からない。

もしもかつてのDeFiバブル違法事業者非合法的な取引で盛り上がっていただけの幻想だった場合、KYC後のクリーンなCeFiにどのような実需があるのだろうか。

MEVは重い問題

MEVというのは、ブロック生成者が承認前のブロック内の取引を盗み見れることをいいことに、他人取引を先取りしたり、順序を利己的に入れ替えることが可能である性質から生じる、ブロック生成者が独占できる収益源泉のことである

筆者は以下の記事勉強させてもらった。

https://keccak255.substack.com/p/mev

https://mirror.xyz/0x95d7660ceb04b402fdBAf112a8278980335616d4/aDB1Zh4ybztR3DJsY1pgoK8h63wH05PlOMOEj0zvL3U

MEVがあるせいで、ブロック成行為が中央集権化しやすくなったり、ユーザーサービス体験が低下したりするため、dAppsが動くブロックチェーンにおいては重要課題だ。

もちろん技術的に解決するSuaveのようなソリューション提案されているのだが、分散化にメドがたっているわけではない。また、問題が外部化するだけで本質的解決にはなっていないのではと思う。

Suaveについて参考までに

https://writings.flashbots.net/mevm-suave-centauri-and-beyond

また、MEV利権がすでに巨大化している政治的事情もあり、問題はかなり複雑化している。このように込み入った問題を、さまざまなステークホルダーの思惑が入り混じる、非効率的分散ガバナンス解決するのは前途多難と言わざるを得ない。

チェーンのTVLが巨大化し、RWA(real world assets)などのMEVファクターがチェーンのエコシステムの隅々まで組み込まれれば、MEVがもたらすマイナス・サムの影響はユーザーにも感じ取れるくらい甚大なものとなるだろう。さらに、可視化できないリスクを嫌う大手投資家の参入を阻むことにもつながる。

そうなったときパブリックブロックチェーンの夢は雲散霧消するか、中央集権正当化された世界でregulatedなブロックチェーンが生き残っていくかのどちらかになる。

DeFi社会限界

一旦DaFiやCeFi、MEVのことは忘れて、全てが解決して、DeFiがそのままメインストリームになった社会を想定してみる。そこで注目したいのは、チェーンに閉じたDeFiでは信用創造ができず、分散型ステーブルコインなどの場合は常にover-collateralized(過剰担保)させなければならない点だ。つまりロックされた資本以上の価値市場に再投資されない。原資本は再投資のたびに指数関数的に薄まっていく構造になってしまうのだ。

そのような先細りの金融インフラの上に展開される資本主義及び自由市場経済社会が、規制された金融に基づいた現状の社会よりも、高い資本効率経済成長率を達成できるのかは甚だ疑問である

一昨年のDeFiバブルの正体が、USDTなどの法定通貨担保型のステーブルコインがチェーン外から流入することで起こったに過ぎなかったのだとすれば、DeFi世界はCe要素なしには拡大できないということになる。実際、USDT、USDCなどの法定通貨担保型のステーブルコインの時価総額無視できないほどに巨大だ。そういった規制アセット流入なしにはリターンが期待できない構造的欠陥がある限り、DeFi規制を拒んで信用収縮の道を選ぶか、信用創造のために規制を受け入れてCeFi化していくしかない。

ブロックチェーンイノベーションなのか?

分散自己主権といったブロックチェーン思想を全く気にしない大多数のユーザー目線で見ても、国際送金や金融取引が瞬時に透明性高く行えるブロックチェーンが便利なのは間違いない。しかし、それは既存金融サービス規制というかなり重いハンデを付けられた状態で戦ってくれているからそう見えるだけで、ブロックチェーンという技術自体イノベーションからではないのではないか?つまり、仮に規制の側が妥協して、金融業界リバタリアン並みの自由化を勝ち取った時、ブロックチェーンは、例えばApple銀行のような大規模なWebインフラを使った金融サービス技術として勝てるのだろうか?

もしも、ポンジスキームやスキャムであることが明らかなミームトークン、発行主体を名指しできるXRPや、ガバナンストークン全般が、規制されない(もしくは証券ではない)と判決された場合Apple銀行プログラマブルトークン発行プラットフォームを立ち上げればブロックチェーン競争に負けてしまうのではないか?秒間取引処理数が少なくて、手数料も高く、ウォレットも使いにくいブロックチェーンの優位性はどこにあるのだろう?

とはいえ実際に既存金融が完全自由化することはありえない。あり得るのは、既存金融業界ブロックチェーン業界が融合していく中で、その両極からの声を取り入れながら、長期的には両者の境界線が最も曖昧となるような規制環境が整備されていくシナリオだ。それはトークン証券化かもしれないし、証券という概念が古くなるような全く違う新しい法概念規制フレームワーク誕生かもしれない。そうなったとき果たしてブロックチェーン技術市場競争力を持つのかは、改めて問われなければならない。使いやすさより分散思想を優先するユーザーなんて殆どいないはずだ。

日本海外Web3コミュニティ

日本Web3界隈は、昔から霞ヶ関巡回する界隈と海外組の界隈に二分されていたが、最近海外からの出戻り組が増えてきたように思える。かつてJapan色がなかったAstarが最近Japanを押し出すことが増えてきたので、これも出戻り組と言えるだろう。京都で開催されたIVS Cryptoでは、かつての海外組が、今後は日本にもコミットしていくしたたか姿勢も見せていた。

Astarが政府機関やJTCと手を取り合って、提携関係や共同研究関係を結び始めたときは、何をしているんだと正直思っていた。しかし、当時から規制側に歩み寄らなければブロックチェーンは存続できないと読んでいたのか、単なる嘘から出た誠なのか、こうなった今では一定妥当性が理解できる。

とはいえ規制と近づきすぎるとパブリックブロックチェーン特性邪魔するはずなので、その擦り合わせは茨の道だろう。Why Blockchainの最前線で闘う姿勢評価したい。

渡辺氏も、もしAstarがダメになっても、日本は偉い人と仲良くしておけば何とかなる国なので、かつてのホリエモンのような毒を出さなければ、どこかしらの利権に入れてくれるだろう。そこら辺を踏んでいるのか、彼のポジショニングは上手いなと思う一方で、FTXのサムが破滅直前まで政府蜜月関係を結ぶのに奔走していたことを思い出させるから少々怖くもある。当局に近づくと不透明性が増すので、個人的にはまだASTRに買いを入れる勇気が持てない。

さて、クリプトコミュニティ一般の話だが、これも昔よりは成熟してきたと思う。悪しき通貨自然淘汰される市場原理が働いたというのもあるが、個人の中にも、かつては歯に衣着せぬ物言いオピニオンリーダーになったインフルエンサーが、今ではバランスの良いコメンテーターになったりと、心境の変化なのかポジショントークなのか、変化を感じざるを得ない。日本人垢にも外国人垢にもそんな人は多い。

例えばVitalik氏は、かつては大衆向けに過激なことを吐いていたが、最近難解な理論提示にとどまり過激な使い道を見つけるかどうかは受け手自由ですよ、という我関せずな態度に改まった。

しろ危ないのは、陰謀論界隈や極右派をバックにした米国会議員をはじめとするすでに過激コミュニティが、ビットコインやWeb3に活路を見出そうとしていることだろう。余計なポリコレリスクを抱えると面倒である

Web3ヤーたちはどう生きるか?

このタイトルは煽っているように聞こえるかもしれないが、流行りに乗っただけで煽ること自体は本意ではない。ジブリのあの映画を見た頃、こんなこと考えてたんだなぁと後でエモくなるための筆者なりのギミックなのだ。もし不快な思いをしたクリプトに携わる人や投資家の方がいれば、そこは大目に見ていただきたい。

また、ビットコイナーはPermalink |記事への反応(0) | 21:52

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2023-02-03

anond:20230203211738

ただ言いたいのは、同性婚に賛成するのであれば「私は現代日本ではこういう家族の形であるべきだ」というような一つの家族観を社会強要する主張だということを自覚した上で活動すべきだと思う。

それを自覚しない主張や活動無用な反発の原因となる。リベラルポリコレが嫌われる理由の一つでもあると思う。

リベラルポリコレの正しさを否定できない。

同性婚の賛成派は、ともすれば「同性婚賛成は倫理的優越した思想であり、自然に考えれば賛成するのが当然」だとか、「好き合っている者同士が結婚するだけなのだから他人が反対する理由がない」だとか主張しがち。

これは、主張じゃなくて事実がそうなの。

同性婚は、近親婚や多妻婚どころか、普通の異性婚と比べても優越した婚姻形態だといえる。

異性婚は妊娠を伴う非対称的な性暴力や、子孫を残したいという脇に逸れた目的を果たすためだけの婚姻が、高い確率で発生する。

それに対し、同性婚社会学でいう「純粋な親密性」に相当し、生殖と完全に切り離された純粋愛情だけで結ばれた形になる。

同性婚における性暴力無視できるレベルだし、正しさを本当に徹底するなら、異性婚が廃止同性婚だけを法律で認める状況ですらも考えられる。

Permalink |記事への反応(1) | 22:20

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2023-01-07

かつて経験したディベートの授業と、教師イデオロギー

 ディベートの授業の話を聞くと、私が中学生のころに行われたディベートの授業を思い出す。

 まだディベートという言葉自体もやっと一般の耳に入り始めたかどうか、という頃のことだ。

 ゆえに教師もまだどう授業を進めればいいのかわかっていなかったのか、あるいは後に述べる理由から意図的にそうしたのか、きちんとルールが定められていなかった。本来ディベートであれば立論、質疑、反論といった流れが決まっており、最終的な勝敗ジャッジが決定するはずだが、そのときは単に何人か選抜されたグループを2つ作って話し合うだけで、同級生が傍聴してはいたが勝敗にかかわることはなく、本当に聞いているだけだった。

 議題は教師が決めた。内容としては当時話題になっていた政府ミスについてだった。

 私は当時すこし疑問に思ったことを覚えている。イメージしていたディベートはたとえば死刑制度の是非や、易しいところならばペット犬猫どちらが良いかなど、どちらにも転びうる内容について話すものだと思っていたからだ。

 しかし(政策方向性などではなく)政府ミスとなると、ミスを問い詰める側が有利で、擁護する側が不利なのではないかと。実際、ニュースなどでも連日政府批判する内容が報道され、それが当たり前だった。

 それでも授業であるから、わざと片方が負ける前提で非対称的テーマを出したのかもしれないと思い直して私は議論を聞いていた。もちろん、どうせ負けるのは擁護側だろうと思っていた。おそらくその場にいた全員が似たようなことを考えていたと思う。

 それを覆したのは、擁護側のチームにいた一人の同級生だった。

 彼女は、普段教室の隅っこで一人読書しているような、地味なタイプだった。似た性質の友人と話しているところはたまに見かけるが、基本的に一人を好む静かなタイプだった。

 しかしそのときはいつもと違い、鮮やかなほどによどみなく朗々と意見を語り上げていた。

 自分意見を出すのはもちろん、相手がなにか言ってもそれを否定するのではなく、「そう、その通り。しかしそれは見方を変えればこうとも言えませんか?」というように、うまく掬い上げては軌道を変え、いつしか自分が有利になるように話を持っていく。

 批判側のチームの言葉からは次第に力が失われ、傍聴席はざわついた。はじめは誰も政府の行動が褒められるようなことだなどと思っていなかったはずなのに、いつのまにか「あれって本当にミスだったの?」「むしろ英断だったのかも」と政府を見直すような空気になっていた。

 そんなとき教師からディベートの終了が告げられた。理由として「テーマ一方的すぎるのは片方が不利すぎてやはりよくないと思った」というようなことを言っていたが、聞いているこちからすれば「今更?」だった。ましてテーマ的には不利なはずのチームが場を支配しているような状況でだ。

 わざわざ文句を言うようなことはしなかったが、小さな違和感は残った。

 その後はまたチームが変えられ、先程挙げたようなディベートでよく使われるテーマで(やはりディベートというにはルールが緩かったが)話し合いが続けられたが、そのせいでなおさら最初テーマの異質さが際立つようだった。

 のちに自分があの頃住んでいた地区がいわゆる左翼の強い地域だったことを知り、謎が解けた気がした。

 ようは、あの教師は「生徒たちが政府批判する姿」が見たかった、そして別の生徒たちに見せたかったのだろう。あとから思えばチーム分けも、批判側は成績がよく友達も多くよく喋る、いわゆるスクールカーストの高いものが選ばれており、逆に擁護側は彼女を含め、物静かであまり人と関わらない、地味なタイプが選ばれていたように思う。

 そうであればあの展開は教師にとってさぞ焦るものだっただろう。政府批判するどころか、聞いているものまで巻き込んで政府を見直すような空気になっていたのだから批判側が巻き返せる様子がないのを見て唐突に中断させるのも頷ける。

 あれ以降、私は少しだけ引いた位置から物事を眺めることを覚えられた気がする。炎上などを見ても、ほんとうにそれは誰かが作った流れではないのか、と考えることができるようになった。もちろん過信はしないが。

 そういう意味で、あのディベートの授業は有用だったのだろう。教師の考えていた結果とは大幅に違ったろうが、教師の考えていたとおりの流れになったときよりはきっと、私の人生意味のあるものを残してくれたと思う。

 ただ、できれば。そもそも特定の生徒を生贄にして自分欲求を満たすような教師がいなくならんことを願う。

Permalink |記事への反応(0) | 16:49

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2022-12-04

anond:20221204122707

>笑ったら通報しないとだめ?

どうも話が通じてなくてワロタ

あのコメントは「笑ったら通報しないとだめ」とは書いてないけど、

一言一句そのようにも書いてないし、そのような意味でも書いてはいない。

まあ通報したら?と何らかの行為を推奨はしてるかもしれないけど、ことさらお前に義務を負わせるものではないな)

お前はあのコメントをどう読んだのかな?

まあ、これに答えるのが、「お前」であるかはわからんから

同一性担保できない)

答えなくても良いけどね

所詮匿名ダイアリーブックマークとでは非対称的かつとても不完全・不満足なコミュニケーションしかできないだろうから

Permalink |記事への反応(0) | 17:04

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2022-05-15

anond:20220515095424

「〜と(非対称的スカウトを通して又はインティマシー・コーディネーター等の専門家無しに)契約してはいけないという縛りが必要です。」

まりコレに対して批判してるアンチフェミブコメ民はマルチ商法の如く言葉巧みに知識が無い人をAV勧誘する権利を認めろって事だよね。

まあスカウトご飯食べないといけないもんね

ScoutLivesMatter(スカウトの命も大事だ)だよね

Permalink |記事への反応(1) | 10:08

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2022-04-29

BLと腐フェミと反フェミと表自戦士 の自分脳内整理メモ

ここの文化知らんけど便利そうだったのでメモ帳替わりに認識できた範囲で書いてみる 多分結構間違ってる フェミ嫌いの男性引きニート視点

事の発端

たわわ騒動で色々騒がれる所にBL作家作品が不健全図書指定を喰らってツイで愚痴っていた。

ただその作品内容が男性向け作品視点だとどうみてもアウトなうえ、作家男性向けの規制肯定する立場だった。

フェミニストの人がBL男性向け作品規制の差は性差別だと主張。

たわわの広告程度が騒がれてた一方、白抜きとはいえ性器や性行為類似行為が描かれる作品が「一般向け」に出されていた。

行政指定を受けるのは当然だし、なんでBLはこんな緩いの?となる。

んで、BL書籍にも男性向けと同等のゾーニング必要なんじゃないか

ただゾーニングとなると自主規制とはいえ規制の強化となる。表現の自由を守りたい人(表自戦士なんて言われてもいる)的には規制には反対。

BLは表自戦士理念的には守る対象なのだが逆に腐女子萌え絵作品を守ってきたのか、となるとかなり微妙

ここ十年の萌え絵叩きに加担する腐女子結構認識されており、萌え絵を叩いてたフェミニストがBL好きを公言しているのも確認

萌え絵性差別助長だなんだ言ってる一方BL問題ないとするフェミニストの意見を「BL無罪なのだ認識する反フェミ

フェミ論調BL助けないなら萌え絵だって助けない、とする腐女子もいるが、反フェミ的には萌え絵はずっと殴られてるねん何を今更、といった感じ。

BL規制するより逆にそもそもの成人規制をなくそうよ、という腐女子や表自戦士もいるが、そんなこと主張したらもっと世間に叩かれ大打撃を受けるだけだというのも人もいた。

界隈認識

フェミニストと表現の自由戦士はかなり混じっている。表自戦士萌え絵を叩くフェミニストに怒り心頭だし

同様に腐女子フェミニストと女性の表自戦士結構混じってると思われる。ただ、腐女子萌え絵叩きに反対する、ってのが公言しにくい環境にあるっぽい。

女性蔑視をするオタク普通にいるように、男性の趣向を拒絶する腐女子も相当数いるっぽいし、なんなら男性趣向に共感する女子迫害する流れもあるらしい。

まぁ腐女子界隈がカプの隠語での区分同担拒否解釈違いでの争いなんかを聞く限り、集合と離反が多くあるし争いの種を極力なくそうとする感じがあるんだろう。

また二次創作界隈と一次の商業BLでの隔離もある。同人BLだと逆にゾーニングは厳しい。商業BLのことを他人事だと思ってる二次創作腐女子も多いだろう。

自分現実認識

まず東京都青少年健全育成条例?の改正での大騒ぎは10年以上前の話であるロボット少女の表紙が問題になったやつより前なはず。

当時の条例改正反対の動きの時、たしかBL視点での反対を言っている腐女子の人がいたのを少し覚えている。が10年以上前のことである

当時共産党含め野党系が反対の立場にいたが、今となっては共産社民表現規制を叫ぶ立場になった。

健全図書指定基準特に変わったという話は聞いていない。BLが一番やばかったのは昔から同じだ。

条例文言には不満があったが、委員会議事録が残ってるはずだし、議事録内容がやばいみたいな話は聞いていない。結構委員会みんなちゃんと読んではいた。

健全図書指定BLが多いのは、男性けがとことん自主規制区分けをした後だから、ってのが理由だと思っている。エロ雑誌くっそ分厚くなってるらしいし。

思ったこ

商業BLゾーニングするかは出版社次第である

性的な内容を自主規制ゾーニングすれば不健全図書指定回避できる、が一般流通は無くなり販売は厳しいものになるだろう。

ゾーニングしなければ一般流通に流せるが、内容がそのままなら定期的に不健全図書の生贄がでる。そもそも行政的には一般向けで内容がアウトなら出版社の都合など関係ないのだ。

ゾーニングするのが正しい正しくないとは別問題で、出版社の力量と覚悟ゾーニングするかが決まる。

ただ不健全図書指定以外でゾーニングする社会的利益的な理由がなかった。今まで「BL書籍は不健全」みたいな社会的圧力が無かったのが男性向け書籍との違いである。

ただコンビニのレディコミがコンビニエロ撤退の際同時に消えた、みたいに男性向けの規制女性側にもかかるのは普通にある。

腐女子フェミニストについて

腐女子という人達内向的性質上、政治的意見を主張する人は出てきにくいだろう。逆にフェミニストは政治参加をすんごくする人達ばかりだ。声がでかい

なのでBL趣味だと公言するフェミニストが政治的腐女子代表みたいなことになっている。彼女らは声がでかい上に地位も持ってるから主張が通りやすい。

実際問題そのフェミニストがディープ腐女子なのかというと違うのだろう。ただ愛好家なだけ。ディープ腐女子だったらそもそも本名での発言とかできなさそうだし。

ただ多くの腐女子がそのフェミニストを否定してたかというと、否定はしてないというか興味ないというか気が合う部分だけは乗っかるとか、かなり曖昧

(ただでさえジャンル・カプ間の争いがあるのに)争い事の種なんて出したくなかったのだろう。

んで一緒になって萌え絵批判している腐女子アカ、という形で反フェミ批判対象に入っている。

自分考えまとめ

正直腐女子フェミと同一視はしたくないし敵視したくもない。明確な区分すらほしい。だが腐女子さん達は無責任だとも思っている。

もし仮に腐女子さんたちが助けを求めてきても、萌え絵叩きの時声一緒に攻めて来なかったか?とか思うし

ゾーニングに関しては、男性向けは都条例対応してきたよ、BL側も頑張ってね、としか言えない。それ以上の対応そもそも知らないのだ。

規制は不合理な部分があるけど、規制をなくすみたいな方向性議論は今そんなこと言える社会的状況じゃないし(こちとら一般向けのラブコメすら叩かれているのに)

そもそも男性向けの規制には賛成してた腐女子いたのに、BL規制は助けてみたいな非対称的論調には賛成できない。

男性向けの規制BL規制非対称性について、えーこれ許されていいのー、と思わないわけでもない。

ただ確かに10年前、都条例に反対する腐女子の声を見たことがあるのだ。そういう人が少なからずいることを信じたい。

ポリコレフェミニストによる表現否定に対抗できる意見を出してくれる腐女子がいればいいなー、と思う。

理想論山田太郎的な旗印がいれば最高なのだが、それが腐女子代表として扱われるか微妙しかなり難しそう。署名活動とか意見書でもいいのかな。

あと個人としてぶっちゃけBLゾーニング適当にしててもいいと思っている。定期的生贄は出すだろうがBL読まない人にとっては無理にゾーニングする必要を感じていない。見なきゃいいだけ。

定期的な生贄が嫌だとなったらそりゃゾーニング頑張ろうねってなるけど。男性向けはすでにゾーニングでの撤退戦をしまくった後なのだそもそも戦い方を自分は知らない。


慣れない長文書からめっちゃ疲れた

Permalink |記事への反応(10) | 02:19

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2022-02-04

https://www.azabu-jh.ed.jp/

https://www.azabu-jh.ed.jp/admission/item/yoko2022.pdf

麻布中みたいな上級国民向けの中高一貫エリート男子校が、たかだか入試難民問題みたいな意識高い問題を出したからといって何になるんだろう

いやお前等は難民問題より先にまず女子を受け入れろやと思う

しかお茶の水のような女子校はどんどん男子を受け入れさせられているのにその反対に男子校の方はあくま男子のみを受け入れるエリート選民校のスタイルを崩さない辺り、

ほんと非対称的だなと思う

Permalink |記事への反応(3) | 11:54

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2021-11-24

anond:20211124135723

それはほんとにその通りで、ミラーリングなんて不可能だとは思う。

なんとか同じような嫌悪感不快感を味わわせたい、と感じてるのかな、と思って。

男女は明らかに違ってて非対称的で、

正直「ここはツッコまずにほっとこう」ってのがないとすぐ戦争になるだけなのに、

ゾーニングの話にもせずコンテンツ自体を潰そうとするのには普通に反対です、

Permalink |記事への反応(1) | 14:20

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2021-09-16

anond:20210916134126

立場非対称的から溝が埋まることはないと思う。

SNSで名を上げて稼ごうって人間悪口言われたくありません、ってのは本当に不快だけど。

Permalink |記事への反応(0) | 15:08

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2021-09-06

anond:20210906125831

長くてブコメでは書ききれないので返信id:greenTです

 

1.表現の自由戦士の自認

自分は「表現の自由戦士であると思いますか?

はい

 

2.無修正AV

刑法175条(わいせつ頒布等の罪)により、いわゆる無修正アダルトビデオ販売基本的にできません。このような規制は適切だと思いますか?

→いいえ。公権力社会風紀のような文化的もの検閲して管理するのはふさわしくないと思います

 理想性的表現不快と思った人間と快と思った人間民事個別に調整を行なう状況です。

 

3.名誉毀損

名誉毀損行為犯罪とされています。このような規制は適切だと思いますか?

→保留。あまりきちんと調べてない。民事保護する名誉感情だけでなく刑事社会的な名誉を守る必要があるようです

 どういった場合民事カバーできない問題があるのかまだ調べきれてません。

 

4.ヘイトスピーチ解消法の基本理念

いわゆるヘイトスピーチ解消法(注1)は「国民は『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2)のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。」という基本理念を定めています(なお、禁止規定罰則はありません。)。このことは適切だと思いますか?

(そのこと自体は適切だが、より範囲を広げるべきである、又は、禁止規定罰則を加えるべきである、という考えの場合も「適切」に含まれものとして回答してください。)

→括弧内の条件を考慮して、適切。

 ヘイトクライムに発展しないよう、予防的に言論制限する状況はありうると思います

 ただその対象が本邦外出身者に限定されるべき根拠が明らかでないため、対象範囲は書き替える必要があると認識しま

 また、言論制限は強力な力の行使なので、みだりにこれを根拠に行動しないようバランスを取る宣言も付随させる必要があると考えます

 →要は教育勅語と同じ扱い。個別にいい事は言っているものの、現実運用すると様々な害が生まれ懸念があります

 

5.ヘイトスピーチへの罰則

ヘイトスピーチ解消法上の『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2参照)につき、罰則を定めることは適切だと思いますか?

→いいえ。4.の回答の通り強力な力の行使なので公権力には使わせたくありません

 

6. 宇崎ちゃんポスター

日本赤十字社は、2019年漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボしました。その際、単行本3巻の表紙に「センパイ! まだ献血経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」というセリフ等を加えたポスター(注3)を、献血ルーム内及び献血ルーム前に掲出したところ、一部から批判を受けました。このようなポスター掲出行為禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?

→いいえ。献血にふさわしくないと思うのならそう思う人が別のポスター提案し両方とも街中に提示すればよいと思います

 

7.ラブライブパネル

JAなんすんは、ラブライブ!とコラボしたパネル(注4)を設置したところ、一部から批判を受けました。このようなパネル設置行為禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?

→いいえ。6.の回答と同様に選択肢を増やすことは賛成しますが、減らすことは反対しま

 

8.あいトレ

あいトリエンナーレ2019(「表現不自由展・その後」を含む。)には補助金交付されていました。この補助金交付は適切だと思いますか?

はい公権力美術の振興という目的にふさわしいかだけを判断材料交付金の有無を判断すべきで、思想の内容に立ち入るべきではないです

 展示内容がヘイトスピーチにあたるかどうかについては言論の自由市場解決すべきです

 

以下はおまけの質問です。回答はここまでだけでもかまいません。

 

9.憲法

憲法の概説書又は教科書を1冊以上通したことはありますか?

→いいえ。体系的に学んだことはありません

 

10.ゾーニング

ゾーニング規制について何か意見があれば記載してください。

(「ゾーニング」と言っても色々なケースが考えられるので、どのような「ゾーニング」を想定しているか記載してください。)

→各個人が快適な空間生活できるようにゾーンを作ることは賛成ですが、

 それに伴う負担利害関係者が平等に負うべきです。

 理想

 ・アツギタイツや宇崎ちゃんポスター不快を感じるもの/快を感じるもの

 ・あいトリ慰安婦像不快を感じるもの/快を感じるもの

 などなどそれぞれ同じコスト負担して自分ゾーンを構築すべきですが

 人によっては性的ポスターは何の意識もなく生活しても目には入らず慰安婦像普段から目にするようにしてほしい・反対の理念の人はゾーン生活するのに高度な検索などのコストをかけるべき、などの非対称的要求しま

 このような状態は避けるべきだと考えます

Permalink |記事への反応(2) | 21:44

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2021-03-21

anond:20210320233647

たとえば生徒の中から何人かピックアップしてコンクール参加を打診することになったとき、成績優秀な優等生と手のつけられない不良とどっちに話を持っていくか、みたいなことは大いにあるだろ。

そりゃあ不良にも公平に接する聖人君子のような教師は素晴らしいけど、そうでなくたって人間なんだから仕方ねえよ。

ましてや編集作家は、教師と生徒のような非対称的関係ではなく対等なビジネスパートナーなんだから、仮に作家がめちゃくちゃロクでもない性格だったらさっさと縁を切るだろうよ。

これはまあ出版に限らずどの業種でも通じる話だわな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:02

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2020-07-17

anond:20200717002428

わたしが1回目のレスでずれた方向に拾って反論したのが悪いかもしれないけど、ちょっと勘違いされてるかと思う。私が怖ーと思ったのは刀剣乱舞艦これっていう同じような表現がされてる作品に対しての自分感情です。作品エロにショックを受けてるとかではない。作品自体ある意味対称的なのに、受け取るわたし非対称的に受け取っていたって話。で、この私の受け取り方、いつのまにかミソジニー内面化してて怖いなっていう話…。

そういう話です。

ちょっと話ずれてるけど、表現の自由が〜とかい意味では二次元二次元として分けて考えなきゃいけないのはそりゃそう。どっちの作品表現否定してないしわたしが刀剣乱舞を嫌いなのは個人の好みです。刀剣乱舞表現にショックを受けたりもしてない。ただ、こういうジェンダー論の観点から話してるとき二次元二次元!って言っちゃうはいろいろ見えてないんだろうなって思って怖いよやっぱり。

Permalink |記事への反応(1) | 01:05

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2019-11-28

anond:20191128125559

うちの息子は非対称的女性ジェンダーの弱さに配慮してジェンダー間公正を目指す子に育って欲しいわ

重いものは率先して持つ

男同士で固まらない

困ってる女の子がいたら助ける男子になってね

Permalink |記事への反応(2) | 13:14

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