
はてなキーワード:青春とは
内容を簡単にいえば陽キャのリア充風景を描いた作品で陰キャをプロデュースする話がやたら不評だったのね
陽キャ主人公のポエムやエゴの押し付けガーって事が一番不快な理由として挙げられてたんだが
それって単なる個性だしもっといえばそれ君の感想だよね。あとやっかみだよね
この手のアニメ視聴者って弱男多そうだし元いじめられっ子とか陰キャだったりするのかな
俺は凄く楽しくて見てたけどそれをSNSで言うと頭おかしいとかサイコパスとか罵られるのよ
でもそれってお前らの(学生時代の)人生経験が乏しかったからじゃないのかと
嫉妬乙
8-10月でもこんなにあるぞ
この前職場の隣の席で若いイケメン社員が会話してたんだが、ずーーーーと女性の悪口言ってた。
女はみんな自分が食事代払ってもらえるのを当たり前だと思ってる。当たり前だよ?当たり前っておかしいだろとか。
女優遇されすぎてないか。なんで女性だけ女性専用車両なの。男は冤罪のリスク高すぎるしそんなに痴漢怖いなら電車乗るなよとか
まるで普段非モテがネットに書き込んでるようなことをモテモテで幸せなんだろうなと勝手に決めつけてた側の男が言ってるのみて驚いた。
しかも軽い感じの愚痴じゃなくて話し方がシリアスで重くて怖いんだよ。
もしかして非モテよりも本当の本当に女性を嫌悪してるのはイケメンで普通に彼女作れる男側なんじゃね?と思った。
確かに考えてみれば非モテは現実のデートの経験が無いから女性への嫌悪感は全て脳内の妄想でしかない。あってもマチアプとかの少ない経験談だろうし。
しかしガチのイケメンは何度も何度も何度も若い可愛い女のワガママな態度を実際に味わってきてるわけだ。
ここで俺はある仮説をたてた。
↓
↓
・社会人になった途端に金が絡むようになり話が複雑になる。
彼氏に求めることがイケメンに留まらず(デートで奢ってくれる人)(プレゼントをくれる人)など歯止めが効かなくなる。
↓
・都内でデートしてるカップルは一見幸せそうに見えて男は金をせびる女を心の底では嫌悪している。
「顔は可愛いしセックスできるから我慢するか…」とギリギリで耐えながら付き合う
金がいくらあっても足りない。
↓
なのだと思われる。
最終的に同じイケメンならイケメンで金持ちを選びコロコロ浮気する。
そんな経験を踏まえてイケメンのほうが非モテよりもむしろ女性の嫌悪感が強いんじゃないかな。
ただ、俺は男性にも責任があると思う。俺らが女性を甘やかしすぎた結果なんだよ。
若くて可愛い女の子が職場にいたら可愛いというだけでみんな多少の態度の悪さとか許容しちゃうだろうし。
男は単純だからヤりたいがために顔が可愛いだけの女にペコペコしちゃうだろうし。
アイドルブームとかの”可愛いが正義で可愛ければ全て許される”みたいな風潮も間違いなく女を調子に乗らせた原因の一端。
「世田谷区とは言っても千歳烏山だよ〜? 全然お嬢様じゃないよ〜」と彼女は謙遜して言うけど、地方のクソ田舎出身の私からすればそもそも東京に住んでいる時点で上級国民なのだ
貴族と言っても過言ではない
A子は本当にいい子だと思う
ゼミが同じになったというだけで私みたいな芋臭いデブスとも仲良くしてくれる
とにかく愛想が良く、気遣いがうまく、それでいて押し付けがましくない
ユーモアもあり、教養もあり、都会的な洗練された振る舞い方をしている
はたから見れば私のような上京したての芋ブスごとき、こんなお嬢様によくしていただいたって時点で頭を下げて感謝すべきだって話なんだろうけどA子と話していると時々どうしようもなく疲れてしまう
いや、疲れるというのも適切ではない
疲れとイライラと無力感を足して割ったような、そして時々A子を刺し殺してやりたくなるような、そう言う気持ち
田舎者の僻みだと言われればそれまでだけどA子に対して今までの人生でもほとんど感じたことのないような憎しみを抱くことが時々ある
友達になってすぐ、大学の帰りにゴンチャを飲みに行ったことがあった
地方クソ田舎出身の私はほとんどゴンチャの実店舗に行ったことがない
用事があって家族と最寄りの地方都市に行った際に寄ったことはあったけど友人同士は初めてだった
田舎者の私にとってゴンチャに行くのは一大イベントであり、憧れであり、特別なことなのだ
会話の流れでそのことをA子に話したらA子は「ええー!それならもう毎日行こうよ」と冗談めかして言った
「毎日はともかくシーズンごとに行こう」「新作がでたら行こうよ」と
A子は話の流れで「中学のときに友達とよく通ってた」「高校に入ってからは太るからあまり行かなくなった」と言っていた
脇からすーっと男が寄ってきて「おねーさんたち、いまひま?」「飲みに行かない?」と声をかけてくる
私は本当にびっくりして「こんな漫画でしか見ないようなことほんとにあるんだ!」と感動半分、恐ろしさ半分といった気持ちになっていた
時間にして20秒くらいだと思うけど私にとってはあまりに衝撃的すぎて今でもあの男の顔、セリフの一つずつを正確に思い出せる出来事だ
「本当にナンパっているんだね!」と感動して伝えるとA子は「あんなのしょっちゅうだよ」と苦笑いしていた
「どこにでもいるよ、あんなの」「夜に駅を歩いてたら絶対に1回は声をかけられるよ」「明大前くらいまで行けば流石にあまりいないね」と
「居酒屋奢るから一緒に行こうって相手に言われて、「私、高校生ですよ?」って伝えたら「え!ラッキーじゃん!」って叫ばれたことがあるよ、いろんな意味で倫理観終わってるでしょ」
A子は笑い話としてこともなげに言う
高校生にこんなことを言う男にドン引きしたし、もし私の地元で同様のことが起これば全校集会で注意喚起されて警察のパトロールが増えて近所一帯全員1ヶ月はこの話をし続けることになるだろうと思う
でも、東京で青春を過ごしているA子のような女子中高生にとってはこんなの日常茶飯事で、ナンパの躱し方くらいは常識らしかった
夕飯はホテル内にある高めな雰囲気のレストランに行くことになっていた
「大学生ならこういうのを一個を持ってなさいってお父さんが買ってきたやつだよ」
「使う機会ないと思ってたけどこういう機会があってよかった」
私は田舎者なのでロエベなんてブランド知らなかったからその時は「ハイブランドなの?すごいね!」と調子を合わせてた
ホテルのペラペラの浴衣にロエベのポーチを手に持ったA子の姿は今でも鮮明に覚えている
一方で私のポーチはZOZOTOWNで適当に買った謎ブランドのそれ
そもそも旅行に行くって話を聞いてから私はお金を稼ぐためにガールズバーでバイトしていたけど、実家暮らしのA子はきっと旅行の費用は全部親から出してもらっていたのだと思う
ブランドと言えばA子に服を買うのに付き合ってもらったこともある
地元にいた頃は服は基本ZOZOTOWNでブランドも見ずに買っていたし、上京してしばらく経ってもそれは同じだった
でも東京にいて友達と遊べば色々なブランドの色々な実店舗を目にすることになる
それでA子に服選びに付き合ってもらった
色々悩んでナノ・ユニバースのなんてことはない1万円以下の上着を買ったけど、きっとその時A子の身につけていた服装はもっと上の価格帯のものだったんだろうな
「なんでこんな中高生が着るようなブランド買ってんだろ」って内心バカにしていたのかもしれない
私がこんなクソ田舎の僻み根性丸出しにして劣等感を抱えていることを察してもいない
高校生にもなって「夜8時頃うちの学校の生徒が〇〇街近辺をうろうろしていたそうです! きちんとおうちに帰りましょう」なんてクラスのホームルームで注意喚起されるような環境も
校則で男女交際が明確に禁止事項として挙げられていて、誰かと誰かが付き合ってることがバレれば先生に呼び出されるような環境も
放課後にやれるのは部活くらいなものでふらっと遊びに寄れるような施設すらない暮らしも
A子は言っていた
高校時代に付き合っていた彼氏が結構遊びに行きたがる人だったからそのおかげでこうして新宿の街案内ができていると
行きつけのカフェもレストランもその彼氏と通い詰めたところだと
「新宿は歌舞伎町のある方より西口の方がいいお店たくさんあるよ」
「ビジネス街だから殺風景だけど美味しいご飯食べたりお茶をしたりするだけなら絶対西口の方がいいよ」
新宿西口を「殺風景」というような価値観なんて私には一生かけても獲得できないと思う
こういう、何の抑圧も受けずに欲しいものはすぐ手の届く範囲にあってぬくぬく育ってきた東京育ちの、それ故の優しさや気遣いって本当に鼻につく
こういう人種の厄介なところはこっち側が僻んでいるだけだから責められないというところ
A子のせいで私は散々傷つけられているのに、こういう傷つきもすべて私の性格の悪さのせいにされてしまう
別れた人の意見として参考になれば
8個年上で24歳の時に結婚した、29歳の時コロナ禍ちょい過ぎぐらいの時期に彼の風俗通いが発覚
色々話したし和解したつもりでお互い歩み寄ったり再構築頑張ったけど無理だった、長くなるから箇条書きで
・元々そういうサービスにお金を使うことを無駄と冷笑していたのにハマっていた事
・行かないと約束しGPSをつけた後も雑な嘘をついて月に一度行く事(同じ会社に勤めてるのに残業とか会議とか社内予定見たら分かるだろ)
・相手の女の子やプレイ内容に関係なく潜伏期間や今後の我々の性交渉に対して安全性を担保するための性病検査を断固拒否し続けた事
・本人的にはNN店利用が過酷な仕事の休息でありご褒美であるという認識である事、その認知の歪みはカウンセリング等が必要ではと提案するも断固拒否された事
・この人にとって若さは絶対的な指標であり性風俗店の記号化された【年齢】にもそれは発動し、また隣で私はどんどん老いてゆく事
・いわゆる口開けで必ず来店しシティヘヴンでクーポンを利用する事(個人利用ガチ勢)
・私が愛想を尽かして家を出た後に話し合いを持ちかけ喫茶店で待ち合わせをするも、その日の午前中にも風俗を利用していた事
・金を稼ぐ俺には“良い”女体が与えられて然るべきだという思考がずっとあったと分かった事
・女体を“買う”ことや金銭の授受を前提とする性行為に何も躊躇いがなく当たり前の権利と捉えていた事
・高校生や大学生の時にあまり女性と接点がなく青春のやり直しを切実に望んでいた事
そもそも自分も22歳の時に付き合い始めたし筋金入りのロリコンだったのだなと今では思います、とっても好きでした。今でも思い出します。教養があり思慮深く車の運転が上手くて平日の晩に手際よく作ってくれたペペロンチーノはすごく美味しくて見なりのセンスも良く仕事が出来る人で。
でも許したくても許せませんでした。彼の前で衣服を脱ぐ事が怖くなり、彼が私に触れる度に深い深い絶望のような失望のような気持ちが襲いました。風俗通いが発覚するまではコンスタントに性交渉のある夫婦でとても相性が良いという認識でした。せめて私が逆立ちしても出来ない属性の特殊性癖を外注する感覚ならまだ理解ができました。私が毎日失う物を是とする人の隣に立ち続けるほど私は強くありませんでした。
私は彼が風俗に行った、という事実だけで別れたというよりも芋蔓式に判明した諸々がどう足掻いても無理だなと悟った感じです。ご参考までに。今後なにかしら良い結果を増田から聞かせてもらえたら嬉しいです。
Permalink |記事への反応(14) | 23:51
髪は脂っぽく、マスクの下には青春をすっ飛ばした顎ひげ。ニュースを見ると条件反射で「マスコミは偏向してる」と呟く。コンビニ弁当の値段を見て「岸田のせいだ」と言い、SNSでは保守論客の投稿に「いいね」を押しては自尊心をつなぎ止めている。そんな僕が、まさか“敵陣営”のパヨク女性とチューするとは、誰が想像できただろう。
出会いは最悪だった。
都内の小さなカフェ。僕がWiLLを読んでいる横で、彼女はリテラをスマホで読んでいた。視線が合った瞬間、互いに嫌悪が走ったのがわかった。僕が「日本人ならまず自国を誇れよ」と言えば、彼女は「誇りじゃなくて反省が必要なの」と返す。
そのやり取りはまるで冷戦の再現だった。だが奇妙なことに、議論が進むほど、彼女の言葉の選び方に惹かれていった。論理の切れ味があり、思想は違えど“思考の誠実さ”だけは同じだった。
二人で飲みに行ったのは、その一週間後。
焼き鳥屋の隅で、僕は生ビールを握りしめながら、「でもさ、結局日本人は努力してるじゃん」と言い張り、彼女は笑いながら「努力って、構造を見ない人の逃げ言葉よ」と返した。その瞬間、僕は腹が立つよりも、むしろ安心した。
彼女は僕を“論破”しながらも、軽蔑してはいなかった。思想を叩いても、人を見下さない。僕は生まれて初めて、思想で殴り合いながらも“対話”というものをしたのかもしれない。
そして、あの瞬間が来た。
店を出て、夜風が吹く路地裏。彼女が「あなた、ほんとは優しいのね」と言った。
その言葉が、僕の防衛本能をすべて解除した。気づいたら、彼女の頬に手を伸ばし、唇が触れた。
最初は拒絶されると思った。だが彼女は微かに目を閉じて受け入れた。
その一瞬、右と左も、保守とリベラルも、国体も多様性も、すべて霧のように消えた。そこにあったのは、ただ人間と人間の体温だった。
帰り道、僕は混乱していた。
「俺は裏切ったのか?」
いや違う。
チューしただけだ。だが、あの接触は僕のイデオロギーの壁を融かした。
もしかすると、国家も歴史認識も、すべてこの小さな接吻の延長線上にあるのかもしれない。相手を否定するほど、実は似ていたのだ。
今でも僕は“ネトウヨ弱者男性”だし、彼女は“パヨク女性”のままだ。
だけど、もし国会で罵倒し合う政治家たちが、一度でもお互いとチューしてみたら、少しは世界がマシになるんじゃないか。そんなことを本気で思ってしまう自分がいる。
私が大好きなポップンミュージックが帰ってきた。
制作会社の体制が変わり,筐体の姿を変え、廃止されたはずの機能を引っ提げて.
楽曲,キャラクター,ゲームのテーマ,どれをとっても素晴らしい.
好きな人と話すキッカケにもなった.
トラブルもあった.今では笑い話だ.
社長に当時の社員が上がってくれて,当時大好きだったコンポーザーも役員に.
本当に喜ばしい。色々企画もしてくれるらしい.
新筐体はもっと性能が上がるらしい,私の大好きな六はカッコよくなってくれるかな.
そんな大好きなゲームの復活のお陰で,私はようやくポップンミュージックを離れる決心がついた.
急に息を吹き返してくれたのは嬉しかったが,絵は描いてゲーセンに金を落とさないプレイヤーが何故盛り上がっているのか.
生活が変わった!立場が!は分かるが,そんなに10分も100円も割けない物か.
グッズは買ってたのか?
私はジャンル制度の撤廃にも,絵柄変更にも当時ちゃんと怒った.
それでも継続し,10年近く復活させなかったのは「自分達判断は正しい」という判断の下だと信じた.
その上でようやくジャンル名しか覚えてないユーザーと曲名しか覚えてないユーザーの乖離が減り,恩恵を感じ始めた。
自信をもってコンテンツを提供し続けていたはずだったのではないのか.
ジャンル名をユーザーに命名させようとしてるのも非常に不安だ.
Xには〇〇の人,とキャラクター愛を勘違いして持て囃されている人がごまんといる.
これから初対面のポッパーと会うたびに「私はこのジャンル名をつけた人です!」と初手からぶっ放してくる距離感のおかしいオタクと出会うようになると思うと背筋が凍る.
ほん怖よりも怖い.
ようやくそういったユーザーが減り、安心してゲーセンでお金を落とし続けることが出来ていた.
そもそも制作陣が自分達で責任を持ってジャンル名を付けて欲しかった.
そこまで意図も感じ取ったりして楽しんでいたのが今まで考察や深読みをするようなポッパーのポップンミュージックだったのではないのか、と考えていたからだ.
自分達が携われる、その一点だけに盲目になっているポッパーが多すぎて正気を疑いたくなる.
5回と遊んでない人間にジャンル名をつけられる覚悟があるのか?
何故1ミリもそんな現状に疑いを持とうとしないのかも意味が分からない.
盲目甚だしい.
中間にあんなことを書いたが,私は今後のポップンを続けるだろう.
目の前の認識能力の落ちたユーザーがやっていようが,新規で触っているユーザーがいようが,自分のプレイを楽しむだけに100円や知名度が低いものの自販機で使えるマイナーな電子マネーで130円を支払い続けてボタンを叩いてるだろう.
最後に警告する.
ポップンはこれで売上が無ければコンテンツそのものが,またはゲーセンや音ゲーコーナーが姿を消すと思った方が良い.
不十分なまま購入させられ,半年近くも正常にゲームをさせていなかったGITADORAはアリーナモデル導入で大打撃を与えたゲームセンターが少なくない.
流石に大企業サマはそんなヘマを二度もやらないと信じているが、売上が出なければGITADORAの二の舞になる事は容易に想像がつく。
旧筐体を撤去し,新筐体を入れたものの売上が芳しくなく再設置すら叶わなかったゲーセンもある.
期待だけが膨れ上がりユーザーがついていかなかったら,ポップンミュージックというゲームがホームゲーセンにトドメを刺すだろう.
誰かが行ってくれる,で死んでいったゲーム筐体の事をゆめゆめ忘れないで欲しい.
行くよな?
たまたま中古で売られてた大槻ケンヂの特撮っていうバンドのアルバム買って聴いたんだけど死ぬほど良かった。
自分が理想とするバンドそのものだった。サウンド歌詞シリアスおふざけのバランスが絶妙なんだよ。
サウンド面は単なるギターロックではなくピアノファンク要素プログレ要素と掴みどころがない。
微妙にシリアスな歌詞も入ってるがそっちに行き過ぎないように上手くおふざけでバランスを取っている。
オーケンは絶妙な素人感のあるボーカルなので良い意味でオーケンというアイドルをプロデュース感があり面白い。(本人はそれがコンプレックスなのだろうが)
はっきり言う筋肉少女帯は微妙だ。どう考えても特撮のほうが上。特撮のほうが売れるべきであって特撮のほうが有名になるべき。
特撮はもっともっと売れてメジャーになるべきバンドだった。明らかに過小評価されている。(オーケンが一番感じているだろうが)
筋肉少女帯はサウンド面も平凡な上にただただ碇シンジくんの気持ちを歌っているだけで童貞臭いのだ。
特撮はオーケンの童貞臭さが消えて純粋なサウンド面ボーカル歌詞で評価できる大人のバンドとして仕上がっている。青春臭さが無い。
君が想うそのままのこと
歌う誰かみつけても
すぐに恋に
落ちてはだめさ
「お仕事でやってるだけかもよ」
主にフォロワーを狙ったTL婚活をする人はまず恋人いない歴=年齢の人が多い。
色々拗らせていたり、フォロワーを結婚対象に見るくらい現実よりもSNSが居場所になっている事が多いので、結果として自他境界及び距離感がバグってる恋愛初心者が多い。
自分の気持ちが最優先でネトストが距離を詰める基本だし、遅れた青春を味わってるのか?ってぐらいはっちゃけて周りを巻き込みがちだから。
愛の重さをアピールする為にネトストしてます♡って自慢までする。
好き好きリプ&空リプやその人にだけ贈り物を送るといった見え見えの好意の矢印と恐ろしく早い距離詰めもさることながら、それに付随する周りへの牽制もダルすぎる。
付き合ってもない(ここ重要)のに、この人は私のものです近寄らないでと独占欲とマウントを発揮してくるから迷惑でしかない。別にこちらが誰と話したっていいじゃないか。
というか「俺/私がこいつを幸せにしてやる!」ぐらいの精神でアタックしてるならまだいいんだけど、こういう人って他者依存精神が強い人が多い。「結婚して養ってほしいな♡」の寄生根性でアタックしに行くから応援もし辛い。
相手の思いも無視しがちだし、やってるのが無職だと相手は逃げてくれと思うばかりで。
しかも振られたら病むか暴言吐くとか…なんかまぁとにかく周りにストレスぶちまけがちなので最後まで余すことなく迷惑。
仮に成立しても周りに幸せマウントを取り始めるから本当に迷惑。
https://note.com/13weekslaterep/n/n72ae8c35be59
めりぴょん/山野萌絵
はてなブックマーク、たくさんのコメントありがとうございます。あまりにも「資金源は?」と聞かれまくるので、当時のことを振り返ってみよう。
オタクを始めた頃の16歳にやっていたのはコンビニ派遣とコンカフェのバイト……だったが、店長の経営が適当すぎて給料未払いが続出し、呆れて退職。ちなみに、エキストラに行く謎のコネを作ったのはこのコンカフェである。
当時はJKビジネス全盛期。まだ法整備が追いついておらず、女子高生でも18歳になっていたらリフレで働けたのだ。
というわけで割とお世話になったのが大久保の雑居ビルにある「C」。親が元々デザイン系で働いていたので、パソコンでソフトを悪用し架空の通信制高校の学生証を作って18歳として働いていた。有印私文書偽造の公訴時効は5年なのでもう良いであろう。
掛け持ちで鍋屋のホールのバイトもしていた。今でも鍋につみれを入れるのは得意だ。一度鍋のつゆにスプーンをくぐらせてからつみれを丸めて入れるのがコツである。何の役にも立っていないが。
年末年始は郵便局の年賀状ハガキ仕分けのバイトもした。早朝シフトだったので、朝から年賀状のハガキを仕分けて昼過ぎからリフレに、なんて日もあった。
「C」で出会ったのが若手俳優界隈ではもはや半ば都市伝説と化している、テニミュ俳優・Z(後に彼女とお風呂に入っているツーショットが流出し、地獄のバスツアーを開催したことで有名)のオタクのHちゃん。有名人である。
Hちゃんがある日体入で連れてきたのがこれも古のテニミュを知る人には有名人であろう、2nd四天宝寺・AのオタクだったKちゃんとSのオタクだったSちゃん。二人は「若手俳優と繋がってそれをフライデーに売った」という伝説を持つらしく、俳優のオタクであることを告げると「すぐ繋がれるよ!出待ちとかしないの!?」と言われ、黒糧(若手俳優オタクがオタクの悪口を書き合うパスつき掲示板)のURLとパスまで教えてもらった。古のテニモンを知る人には「黒糧を教えてもらったのがKちゃん」と言うと大ウケする。鉄板トークだ。
しかし規制が厳しくなり、18歳でも高校に在学しているとリフレで働けなくなったため、「C」は閉店。当時はリフレにも「オーバー店」と「アンダー店」というものがあり、オーバー店は18歳以上を雇用。アンダー店は摘発覚悟で18歳未満を雇用していた。
「C」が閉店したので、なぜかまだ18歳を雇っていた池袋東口の「E」というJKメンエス(?)で働きながら試行錯誤。一時期高田馬場に事務所があったライブチャットをやってみたりもした。「E」はなぜか内勤がキングレコードやavexに所属していたことのある現役V系バンドマンだった。ちなみにベース。噂を聞きつけたバンギャがやたらと多かったが、「薄桜鬼」藤堂平助の夢女をしているMちゃんとは仲が良かった。「はなの舞のコラボのせいで味噌汁7杯飲んだ」などのオタク面白話をしていた。Mちゃんはイオンモールで開かれた横浜くんの電動自転車試乗イベントの整番引きにまで来てくれた。10年経っても感謝している。まだ平助くんのこと好きですか?
しばらくののち、池袋西口にあったアンダーお散歩店「G」に飛び込むことになる。結局1年以上お世話になった。のちに店長が店の女の子に手を出して未成年淫行で逮捕され、全国報道されてテレビの潜入特集までされることになった店だ。ちなみに私は店長に「もっと稼ぎたいなら俺が相手してあげようか?」といきなり初日に言われたが、「身体の関係を持った人と一緒に仕事するのは気まずいので……」と断って難を逃れている。
「C」にいたHちゃんとはGロッソ5期公演中に水道橋駅の改札前で再会。ヒーローショーは最初の回が朝9時半開演なのだが、TDCでテニミュが開かれており、改札が入り待ちだらけだった。超有名人のHちゃんと話しているだけでオタクからの視線が痛かったのは言うまでもない。Hちゃんは私が誰推しなのかに興味がなかったらしく、「志尊だっけ?」とか聞いてきた。Hちゃんは今でも友達である。たまに飲む。
「G」では源氏名をどうしようか悩み、当時普通にちょっとハマっていた「獣電戦隊キョウリュウジャー」立風館ソウジ(特撮の中で三番目に好きなキャラ。ちなみに二番目は「仮面ライダージオウ」ウールくんである)から取って「ふうか」とした。はるか後にジャニーズJr.に出戻り、刀ミュにハマって前列ガッツになって以降、由来も忘れて定番源氏名になるのだがそんなことはまあいい。
「G」は摘発を避けるために「出会いを求める女子と男性を繋ぐフリースペース」……という建前で経営されており、店長・Rさんは「店長と呼ぶな。Rさんと呼べ」と命令してきたのでみんなそう呼んでいた。「お散歩」に行くとコースバックで1000円支給されるのだが、それも一度「謝礼」としてクオカードを渡され、店長が「俺が変えてあげようか?」と"善意"で現金にしてくれる。パチンコ方式である。どうやって稼ぐかというともちろん裏オプなのだが……まあご想像にお任せする。ちなみに当時掲示板では「ふうかは金さえ払えばなんでもしてくれる」と書かれていた。
働いている女の子たちはホス狂い7:ジャニオタ2:バンギャ1くらいの割合であり、俳優オタクなど私1人しかいなかった。そのため「G」の店内で一番有名な俳優は横浜流星だったと思われる。不名誉。
ホス狂いたちとも普通に仲が良かった。年齢確認のゆるいホストクラブだけに行っていたらしいのだが、何気なく私が有印私文書偽造できる話をしたところ、全員むちゃくちゃ食いついてきた。……いくらで売ったかは伏せるが、架空の大学の学生証が飛ぶように売れたのは言うまでもない。「○○っていう有名店にすんなり入れた!ふうかちゃんすごい!」と大感謝されたが、そんなことに使う発想がなかったので「よ、よかったね……」としか言えなかった。
ホス狂いには「毒親」系の子もいたが、1人とんでもないお嬢様がいた。超有名大学の附属校に通っていて、家にエレベーターまであったが、なぜか道を踏み外してホス狂いになっていた。名前はKちゃん。「担当とケンカした」とかいう理由でドリエルをODしてぶっ倒れていたので、水を飲ませ看病したこともある。今は何してるのだろうか。
ホス狂い・Yちゃんは「売り掛けに間に合わない」という理由で店長からお金まで借りていた。ちなみに、利息はトイチであった。
ホス狂い美少女・Mちゃんにある日、「Twitterになぜかログインできないんだけどなんでだかわかる?」と聞かれたので、とりあえずブラウザのCookieを消してみたら普通に直った。「携帯ショップの店員さんみたい!」と感謝されたがCookie消しただけなのに……と思った。Mちゃんとは数年後に歌舞伎町某所でばったり再会。世間の狭さを感じた。
職質対策も抜かりなくしていた。客と歩いている時に万が一職質されてもいいように池袋西口のホテヘルを調べ、顔出ししていない適当な自分にスリーサイズの近い風俗嬢をブクマしておき、職質されても「店に預ける決まりなので財布持ってません」と言うと決めていた。このライフハックは割とみんな共有していた。私は職質されることは無かったが。
自分で言うのもなんだが店長には気に入られていた。真面目だったからだ。ホス狂いたちはもはや家出生活を送っており、毎晩ホスト遊びに繰り出しては集団でラブホに雑魚寝して泊まり、遅刻や当欠が多かった。「お前らはいい加減すぎる。ふうかを見習え!」と店長が怒っていたのだが、たまたま好きになったのがホストではなく若手俳優だっただけなので苦笑することしかできなかった。
ホス狂いたちは、不思議と私をホストに誘ってくることはなかった。まあ横浜くんのことが好きすぎて傍目から見てもメロメロだったのもあると思うし、毎日律儀に家に帰っていたのもあるが。
ゴキブリが出て待機室がパニックになり、私が冷静に丸めた雑誌で叩き殺したら店長が3000円くれたこともある。後に店長は店の女の子に手を出して捕まるのだが、「口」でさせて5000円しか払ってなかった。ゴキブリ殺しただけで3000円もくれるのにそれしか払わないんだ……と微妙な気持ちになった。
店長はしばしば池袋西口の「楽園」で営業中にパチンコしており、「真面目だから」という理由で予約と予約の合間になぜか電話番までさせられていた。もはや店長が事務所を開けない日すらあったので、そんな時は池袋西口のガストでドリンクバーを頼んで溜まっていた。
客だと思ったら潜入してきた朝日新聞の記者だったという事件も起きた。「搾取されてるわけではなく自分の意思でちゃんとやってる」みたいなことを長々話した気がするがよく覚えてない。
夏休みには事務所の電気を消して、店長が出前を取ってくれてみんなで「ほん怖」だか「世にも奇妙な物語」だかを見た記憶もある。どっちかは忘れた。普通に楽しかった。青春である。
私が横浜流星のオタクであることは知れ渡っていたため、遭遇して喋れたりイベントで喋れたりすると店長も含めてなぜかみんな喜んでくれた。店長逮捕後、久々にLINEが来たと思ったら「最近何してるの? 流星?」と送られてきて脱力した。
JKビジネス業界はドライなので、高校卒業する頃になると一気に予約が入らなくなる。潮時かな……と思い辞めた。その後「G」は摘発されたので一応難は逃れている。
なんやかんやでキャバ嬢に転身してみるも、自分で言うのもなんだがあんまり向いていなかった。この頃の記憶は実はあまり無い。楽しくなかったのだろう。
キャバクラを辞めた後は適当にパパ活していた。適当なパパ活でもまあまあ稼げていたのでコロナ前の夜職業界は景気が良かったのだ。2017年中盤くらいからは一応メイドカフェでも働いている。
かの有名な「制服オーディション」には一時期いたことがあるものの、本格的な風俗に足を踏み入れるのは実は横浜くんを降りた後である。……というわけで、なんだか尻すぼみな記事になってしまった。
ちなみに高校は3年の途中で出席日数不足がたたり中退。(JKお散歩に入り浸っていたためである)しかしその後通信制高校に編入しちゃんと卒業はしている。そのため一応高卒だ。
こんな感じである。みなさんの謎が解ければ幸いだ。
あの頃、僕たちは本気で信じていた。どこかに「運命の少女」がいて、彼女が現れさえすれば、この満たされない日常が一変するのだと。
ゼロ年代のアニメとギャルゲーは、そんな僕たちの願望を、あまりにも誠実に——いや、残酷なまでに純粋に——描き続けていた。モニターの向こうで微笑む彼女たちは、決して僕を否定しなかった。選択肢を間違えなければ、好感度を上げ続ければ、必ずハッピーエンドにたどり着ける。そういう約束された世界があった。
『Air』の夏の空は、今でも瞼の裏に焼きついている。『D.C. 〜ダ・カーポ〜』で流れた「第2ボタンの誓い」を聴くたび、胸の奥が締めつけられる。『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンドレスエイトを、僕たちは本当に何週も見続けた。あれは苦行ではなかった。繰り返される日常の中に、何か大切なものが隠されているはずだと信じていたからだ。
当時の僕たちにとって、アニメやギャルゲーのヒロインたちは、単なるキャラクターではなかった。彼女たちは「可能性」そのものだった。現実では誰にも理解されない僕の内面を、彼女たちなら分かってくれるかもしれない。傷ついた僕を、優しく包み込んでくれるかもしれない。そんな淡い期待が、次週の放送時間まで僕を生かし続けていた。
幼馴染系ヒロイン、天然系ヒロイン、ツンデレヒロイン、病弱系ヒロイン——彼女たちはそれぞれ、僕たちの心の隙間に完璧にフィットする形をしていた。まるでジグソーパズルの最後のピースのように。学校では「オタク」と揶揄されても構わなかった。なぜなら僕には、誰も知らない特別な居場所があったから。
でも、いつからだろう。
魔法が解け始めたのは。
二十代半ばを過ぎた頃だったか。それとも三十代の入り口だったか。ある日ふと、気づいてしまったのだ。画面の向こうの彼女たちは、決してこちら側には来ないということに。どれだけ好感度を上げても、どれだけフラグを立てても、僕の現実は何一つ変わらないということに。
同時に理解した。あの頃の僕は、「救ってくれる女の子」を待っていたのではなかった。ただ、自分で自分を救う勇気がなかっただけなのだ。傷つくことを恐れ、拒絶されることを恐れ、「運命の人」という幻想の後ろに隠れていただけだった。
ゼロ年代のアニメとギャルゲーは、確かに僕たちを慰めてくれた。でもそれは同時に、現実と向き合うことを先延ばしにする麻酔でもあった。あの甘美な逃避の日々は、今思えば、成長を拒んだ蛹の中での長い眠りだったのかもしれない。
けれど、だからといって、あの時間を後悔しているわけではない。
むしろ今、僕はあの頃の自分に感謝している。どれだけ不器用で、どれだけ臆病で、どれだけ現実から目を背けていたとしても、あの頃の僕は必死に「何か」を探していた。生きる意味を、自分の居場所を、心の拠り所を。それがたまたま、二次元の世界だっただけなのだ。
魔法が解けた今、僕の部屋には、もうギャルゲーのパッケージは積まれていない。深夜アニメを録画することもなくなった。でも時々、ふとした瞬間に、あの頃の記憶がフラッシュバックする。夏の暑い夜、扇風機の風を浴びながら、モニターに向かっていた自分。選択肢を前に、真剣に悩んでいた自分。ヒロインの笑顔に、心から救われていた自分。
今の僕には、もう「救ってくれる女の子」は必要ない。自分の足で立ち、自分で選択し、自分で責任を取る。現実の人間関係の中で、不器用なりに生きている。でも、心のどこかに、あの頃の記憶は大切にしまってある。
なぜなら、あの優しい嘘があったからこそ、僕は今日まで生き延びることができたのだから。
ゼロ年代のアニメとギャルゲーが与えてくれたもの——それは、逃避でも幻想でもなく、「明日を生きる理由」だった。たとえそれが偽りの魔法だったとしても、その魔法は確かに、絶望の淵にいた僕を救ってくれた。
本当に大切だったのは、「救ってくれる女の子」ではなかった。それを信じることで、もう一日だけ生きてみようと思えた、あの頃の自分自身の生命力だったのだ。
画面の向こうで微笑んでいた彼女たちは、今も変わらず、そこにいる。ただ僕が変わっただけ。もう救いを求めなくなっただけ。でも、たまに会いに行くことはある。懐かしい友人を訪ねるように。
そして心の中で、静かに呟くのだ。
「ありがとう。あの頃は、本当に助かったよ」と。
ああ、なんと愚かな十年だったろう。
私は任天堂を信じていた。いや、信じていたというより、すがっていたのだ。
学生のころ、ひとり暮らしの下宿で初めてWiiを手にした夜を、いまでもよく覚えている。
彼の「やったー!」という声が、まるで私に向けられた祝福のように思えた。
あの瞬間、私は世界に赦されたような気がしたのだ。
ダイレクトのたびに心を震わせ、Switchを両手で抱きしめていた。
彼らはまだ「遊びの意味」を知らないのだと思った。
結婚も、恋も、金も、そんなものはくだらぬ現実の鎖にすぎない。
──本気で、そう信じていた。
Switch 2が発表された。
いや、性能の問題ではない。
あの笑顔が、あまりにも穏やかで、あまりにも“変わらない”ものだったからだ。
十年前のまま、何一つ進もうとしていなかった。
私は、ああ、取り残されたのは私だけではなかったのだと、妙に冷めた気持ちで思った。
私はゲームの電源を切った。
部屋には、静かな青い光が残っていた。
棚にはパッケージが整然と並び、まるで信仰の遺物のように私を見つめていた。
私は、あのマリオの笑い声に怯えた。
それはもう、祝福ではなく、嘲りに聞こえた。
人を責めず、人を励ます。
しかし、そのやさしさは、現実を忘れさせるための麻酔のようなものだったのだ。
「大丈夫、君のままでいい」と囁きながら、私から時間を奪っていった。
気がつけば三十代。
私には、何もなかった。
残っていたのは、壊れたジョイコンと、擦り切れた“信仰”だけだった。
任天堂は悪くない。
悪くないのだ。
悪いのは、そんな夢を本気で信じた私の方だ。
私は、優しさを都合よく信じた。
「変わらない」ことを美しいと錯覚した。
そして、現実の変化に背を向け続けた。
──どうか笑ってほしい。
だが、どうかその笑いの中に、少しばかりの哀れみを混ぜてほしい。
「やったー」と。
Permalink |記事への反応(13) | 15:38
これはそれが正しいかどうかというより自分の感性とAIの出力との差異を測るテストであった。
自分の感覚とは適合してるのではえーってなったし、何らかの啓示を与えてくれるものかもしれない。
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すなわち「JK組(静凛・月ノ美兎・樋口楓)」+「エルフのえる」。
この四人の間には、単なる設定上の年齢差ではなく、“魂の生年”とでも呼ぶべき文化的時差が存在している。
1.文化的生年とは何か
ここでいう「文化的生年」とは、
発話・参照文化・言語感覚・社会経験の描写から導かれる「世代的意識の生まれ年」を意味する。
たとえば、
ガラケーを使っていた時代を“学生期”と語るなら、文化的生年は90年代前半。
Twitterの普及を“青春期の象徴”と語るなら、文化的生年は90年代後半。
といった具合である。
2. 四人の文化的生年
設定
主な参照年代
発話傾向
エルフのえる
森のエルフ
社会人語・安定語彙
1990±2
静凛
落ち着いたトーン
1991±2
1996±2
樋口楓
JK(行動型)
感情・即時反応型
1999±2
1988 ──────┐
│ 上層:成熟した語り手層
│ エルフのえる(1990±2)
│ 静凛(1991±2)
1994 ──────┤
│ 中層:知的観察層
│ 月ノ美兎(1996±2)
1998 ──────┤
│ 下層:感性主導・Z初期層
│ 樋口楓(1999±2)
2002 ──────┘
これにより、
JK組+えるは「1990年代を中心に上下10年の振れ幅をもつ四層構造」として可視化される。
構造全体は「内界(学校)と外界(社会)」の接続を象徴するようになる。
この四人の“文化的生年”は、いずれも1990年代に集中している。
だが、その内部差――前期(90–92)と後期(96–99)――が、
言語の速度・語彙の層・ユーモアの方向性に微妙な差異をもたらしている。
JK組+えるという初期にじさんじの会話的多層性を支えたといえる。
6.結論
JK組の三人とエルフのえるは、設定上の同級生ではなく、異なる文化的生年層の集合体である。
彼女たちの“魂”は1990年代に根ざしており、前半層と後半層の世代差が構造を形成する。
えるは「外部社会の語り手」として上層に位置し、JK組三人の物語を包摂する。
彼は三十二歳だった。
大学は一流を卒業し、大企業に就職した。年収は同世代の上位10%に入る。貯蓄もある。健康だ。
そして今、彼は婚活アプリでマッチングした女性と、初めてのデートをしている。
彼女は二十九歳。明るく、会話も弾む。「安定した人を探している」と言った。
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彼は幸せなはずだった。
だが、ある夜、彼女のスマートフォンに古い写真が残っているのを偶然見てしまった。
彼は何も言わなかった。聞く権利もないと思った。「過去は過去だ」と自分に言い聞かせた。
だが、彼の胸の奥に、何かが沈殿していった。
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彼は知っている。二十代前半の自分は、彼女の選択肢にすら入っていなかったことを。
あの頃、彼は図書館で勉強していた。資格試験の準備をしていた。キャリアを築いていた。
そして彼女は、別の男たちと笑い、恋をし、身体を重ね、青春を謳歌していた。
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社会は彼に言う。
「過去を気にするな」
「大人になれ」
彼は愛されたのではない。**必要とされただけだ。**
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彼は思い出す。二十代の自分を。
「まずは仕事を頑張れば、いつか報われる」と信じて、自分を励まし続けた夜を。
そして今、「報われた」。
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もし時間を戻せるなら、彼は何をすべきだったのか?
将来を考えずに、その場の快楽を追求すべきだったのか?
「誠実さ」など捨てて、魅力的に振る舞う演技を磨くべきだったのか?
だが、それをしていたら、今の収入はなかっただろう。
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====
だが、彼は問い返した。
「では、逆に聞こう。若い頃の俺を無視した女性たちは、俺を何だと思っていたんだ?人間か?」
沈黙。
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だが、彼は夜ごと考える。
二十代の彼女が、別の男の腕の中で笑っていた夜を。
彼は必要とされているだけだ。
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真面目に生き、誰からも選ばれず、三十代になってようやく「必要とされる」のか?
もし娘が生まれたら、その子は二十代で遊び、三十代で「安定」を求めるのか?
そして、どこかの真面目な男を「皿洗い」として利用するのか?
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「支援を充実させよう」
すべて嘘だ。
男たちは気づき始めている。
自分たちが「愛される」ことは二度とないと。
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ある男は自殺した。
遺書にはこう書かれていた。
「真面目に生きれば報われると信じていました。嘘でした。誰も僕を愛してくれませんでした。僕が持っているものだけを欲しがりました。僕はATMでした」
専門家は「コミュニケーション能力の欠如」が原因だと分析した。
誰も、構造について語らなかった。
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別の男は、怒りを外に向けた。
「異常者だ」
「厳罰に処すべきだ」
誰も問わなかった。
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さらに別の男は、諦めた。
彼は二次元に逃避した。アニメのキャラクター。ゲームの中の恋人。
「幼稚だ」
だが、彼にとって二次元の恋人は、現実の女性よりも誠実だった。
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そして今、最も多くの男たちが選んでいる道がある。
恋愛をしない。
結婚をしない。
子どもを作らない。
社会は彼らを責める。
「社会貢献しない」
「無責任だ」
「少子化の原因だ」
だが、彼らは問い返す。
「俺たちを二十代で拒絶した社会が、三十代の俺たちに何を期待しているんだ?」
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これが現実だ。
美しくない。希望もない。救いもない。
だが、すべて嘘だ。
あなたが真面目に生きても、報われない。
あなたが誠実でも、愛されない。
あなたがどれだけ努力しても、あなたは「二番目の選択肢」でしかない。
そして、この真実を語ることすら、「女性蔑視」として封殺される。
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一つ目の道:
真面目に生き、勉強し、キャリアを築く。そして三十代になって「必要とされる」。だが「愛される」ことは二度とない。
二つ目の道:
今を楽しみ、魅力を磨き、恋愛をする。だが将来、経済的に苦しむ。そして三十代になったとき、誰からも必要とされない。
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三十代になったとき、あなたが求めるものは、もうそこにはない。
なぜなら、彼らは気づいたからだ。
自分たちが「愛される」ことはないと。
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誰も幸せにならない。
男も女も、全員が敗者。
すべて美しい言葉だ。
だが、その代償は、誰も語らない。
代償とは:
孤独。
絶望。
少子化。
====
あなたは今、この文章を読んで、激しい不快感を覚えているかもしれない。
「こんなの極端だ」
「すべての人がこうではない」
「希望はある」
だが、数字は嘘をつかない。
生涯未婚率の上昇。
少子化の加速。
自殺率の上昇。
====
最後に、問おう。
この構造を変えることはできるのか?
答えは:**おそらく、できない。**
なぜなら、この構造は「個人の自由」という、私たちが最も大切にする価値観の上に成り立っているからだ。
====
では、私たちに何ができるのか?
答えは:**何もできない。**
ただ、真実を見つめることだけだ。
一緒にいて苦でなければ、誰でもいいと思っていたのかもしれない。特別な人を探していたわけではなく、ただ、自分の隣に誰かを置いておきたかった。話が続かないことによる沈黙が気まずくなければ、それで十分だった。
失われた青春を取り戻すように、僕はお台場海浜公園という「エモそうな」場所に向かった。夜風の冷たさが、学生時代の淡い思い出をなぞる。実際にはそんな思い出なんてないのに、懐かしさに浸るふりをしていた。初めて来たのに、学生時代に来たことがあるなんて嘘をついた。まるで青春の中心を歩いてきたかのように装うことで、空白だった時間を塗りつぶしていた。
茜浜緑地の先端で僕が「270度、夜景が見える」と言ったとき、彼女は笑った。その笑顔は、まるで僕の空虚さをやさしく包み隠すようだった。あの瞬間、ほんの少しだけ自分の存在がこの世界に溶け込めたような気がした。同時に、変なところにツボのある子だなと思って、どこか心惹かれていた。
市原の工業地帯でガラの悪そうな集団に出くわし、思わず身構えた。でも弱いところは見せたくなくて、顔には出さずに平静を装った。夜の石油化学コンビナートの光が、まるで火を散らすように空を染めていて美しかった。
車内ではTULIPの「青春の影」が流れていた。彼女はその曲を知らないと言った。音楽の趣味も合わないし、きっと興味の対象もあまり噛み合わないだろう。それでも、どこまでいっても交わらないもの同士の奇妙な結びつきみたいなものを感じて、不思議と心地がよかった。
車はさらに千葉の南へ、南へと走っていった。どこまで行くのか、僕自身もあまり考えていなかった。
明確にセックスをしたいという衝動があったわけではない。けれど少しずつ仲良くなるうちに、もしもその延長線上でそういった行為に至れたなら、それはきっと「自分が誰かに受け入れられた証」のように感じられるのではないかと思っていた。欲望というよりも、承認を求める心の反射。そうやって、人とつながる実感を得ようとしていた。
既にかなり好きになっていたから、普通に解散する選択肢もあった。けれど、夜のドライブからホテルに向かうという物語の展開それ自体に、どこか好奇心を抱いていた。ここで誘わなければ、後悔する気がした。いずれにせよ後悔することになるのだが。
誘った瞬間、2人の間の空気が一変した気がした。顔は見えなかったけれど、彼女の声のトーンから不快さや戸惑いが伝わってきて、車内には気まずさだけが濃く漂った。ものすごく居心地が悪く、少ししてから後悔の気持ちが押し寄せてきた。コンビニで頭を冷やし、今すぐ横浜に戻ることを提案した。眠気は完全に消え去っていた。
午前2時のアクアラインは空いていた。広く、静かな空間に、僕らだけが浮かんでいるようだった。
全てを打ち明けた。好きになっていたこと、でもどこかで判断を間違えて誘ってしまったこと。そしてその結果、後悔の念に襲われていることを。それを聞いて、彼女はちょっと楽しそうに笑った。僕の告白を面白がってくれたのかもしれない。むき出しで話した瞬間、妙な充実感があった。ほのかに切なさと哀愁の混じった、駆け引きのない正直な掛け合い。このドライブの1番のハイライトだった。
青春を求めた夜だった。けれど現実には恋も好奇心も空回りし、青春に敗れた。それでも最後の最後で僕たちは心の内をさらけ出し合い、そこには素直さだけが残った。