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2025-09-04

anond:20250904112532

歴史雑記ヒスリカとか五回目は正直とかオカルト先生とか大事ゆっくり解説とかバキ童とか見てる

あとBappa Shotaも見るな

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近江一郎氏についての記述

1931年植民』より、「帆船南洋慰問の旅」という記事

五十噸の補助機関つき帆船海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオインドに久しく滞留、仏教研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国事情を知りたいと希望している人々のためには最近東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。

『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。

南洋調査団(鎖国丸)長拓務省嘱託近江一郎氏一行十名ノ為ニ市公会堂ニテ送別会開催ニツキ山内校長出席

直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日神戸より」。

近江一郎氏の鎮国丸は最近琉球沖で難破し、船員一名死にました。詳細不明

1934年宗教文化誌 法華』より、音馬実蔵「看雲雑記」。

主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。

第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破体験を本として、其遭難顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物まこと稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである

『楚人冠全集』より、1937年杉村楚人冠バルサ」という記事

逓信省船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞主催団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。

1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎特攻観音縁起について」という記事

昭和二十一から神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋貿易をしておったのでありますが、戦争たけなわになりますと、日本航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。

(中略)

はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。

これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。

(中略)

そういうものお土産にもって廻って、六年間というもの休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。

吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治発言

近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。

「いったい君はなにして歩いているんだ?」

「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房神戸区役所人夫をしている」女人夫ですね。「子ども小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。

『あすへの話題』より、1965年中村文夫のコラム

近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである

近江君と私は一年の時からの同級で、しかふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである

しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問精魂を打ち込んだのであった。

戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。

1974年川西実三の『感銘録』より。

私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこち設計を頼んだり資金相談にきたりした。

この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。


近江一郎の著書に『小舟を住家に南洋へ』『斜に視たる神戸一中』がある。『小舟を住家に南洋へ』は読めなかったが、大まかな内容は上記説明されている。『斜に視たる神戸一中』は、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉長崎京都東京知事歴任)」なども登場する。笑いあり涙ありの平和ものだが、支那事変日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸野田高等女学校入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。

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2025-09-01

雑記

お世話になった方へ何か贈り物を、と思案していたところ、ふと、旧い友人が営む店の品が頭に浮かびお品の準備をお願いしたのが昨年の夏のこと。

その品は、家業伝統技術先進的なアイデアとを組み合わせて友人が生み出したプロダクトで、先方の心を掴み反応も上々。御礼の連絡と合わせ、関西に戻ったらまたお店に顔を出すよと友人に伝えたところ「楽しみにしてるよ!」と昔と変わらぬ快活な返事があり、再会を楽しみにしていたところでした。

その友人がこの夏に亡くなりました。京都人らしいユーモアに溢れ、誰からも愛される素敵な人でした。

こうした深い悲しみはそっと胸の内に秘めておくのが望ましい態度であることは承知しているのですが、今日何気なく私が敬愛するソングライターSNSを開くと、彼もまたその友人と親交が深く、離別の悲しみを綴っており、それを見て驚き、また感極まって匿名の海の中で筆を取った次第です。

今年に入り、様々な人との今生の別れが続き、心重い日々が連綿と続いているのですが、強く前を向いて生きていければな、と思っています

〜〜〜〜〜〜

前述のソングライターSNSでの発信と合わせて遠い昔の曲のサブスク配信を始めていました。

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真珠色の雲が散らばってる空に 誰か放した風船が飛んでゆくよ

駅に立つ僕や人混みの中何人か 見上げては行方を気にしている

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まだまだ暑い日が、続きそうですね

Permalink |記事への反応(0) | 23:46

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2025-08-31

anond:20250830203638

wayback machine魚拓もないのか。ブクマページに残ってるの前半部分だけかろうじて残ってるのかな?これも時間たったら消えそうだから一応とっとくか

他人を見下すのってダサいか…?

暇つぶしに書いたダイエット雑記https://anond.hatelabo.jp/20250830123351)に対するブコメでそんな指摘があって、それに星が集まってるから言うんだけど。ダサいか…?

人間生活って見下しの連続じゃん。容姿で見下し、学力で見下し、性格で見下し、コミュ力で見下し、財力で見下すのが人間だろ。

ネットだって「正しい方が正しい」と信じて正しくない方を見下してるからこんな争いあってるんじゃないのか。

人間はみんな平等で、どんな主義主張も等しく扱うというのは「建前」だろ。

本音ではみんな少なからず見下しあって、だからこそ正しい方に向かって生きていこうとするのが人間だろ。

「建前」で言うなら、俺なんかそもそもなんで社会が頭の良し悪しで人間を選別することを是としてるのかわけわからんよ。

俺はASDADHDうつ手帳持ってて、IQも低くて、今のアルバイト仕事だっ

Permalink |記事への反応(0) | 15:46

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正直、昨日の増田は後悔してる

ダイエット雑記https://anond.hatelabo.jp/20250830123351)とその追記https://anond.hatelabo.jp/20250830203638なんやけどね。

前者は前半と後半で時間空けて書いたからノリが全然違うのは正直反省してるし、後者悪ノリが過ぎた。

俺が体重49kgってのも極端すぎたよな。一時的に落として楽しんでるだけでここからまた数ヶ月かけて55kgくらいまで戻すのを書くの忘れてるし。

見下し云々も別に俺にしろ他人しろ常にマウンティングして生きてるとかそういう話じゃなく、もっと無意識下でうっすらとした格差をみんな受け入れてるよねというだけの話だし。

そもそも働き出して初めてカップラーメン食べてる人を見た時のショックがでかかったという体験談であって、今ではもう何も感じないしな。

まあエナジードリンク飲みすぎやろって本音は今もあるし、外食文化に対する認識はあれが俺の価値観なんだが。

いずれにしても他人配慮しない文章だったことは認める。申し訳なかった。

Permalink |記事への反応(2) | 06:29

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2025-08-21

人生オーディション番組視聴中

オーディション番組視聴雑記

ABEMAでやってる某男性k-popオーディション番組を視聴中。Kpopについてはあまり知らないが韓国他界隈とかは追ってきたので、まあ知ってはいたが、韓国ネチズン掲示板はやっぱり怖え。火力が違う

先日放送されてたのは実力ごとに星1、星2、星3の階級に分けられた参加者が同じ階級の人と8人1組のグループを組んで課題曲をやるというもの

8人もいるので、チームの和を乱したり独断的に話を進めたりするような(そのように描かれた)参加者一定数いた。和を乱す系はネタキャラとして消費されていったが、独断で話を進める系は韓国掲示板でも地雷認定されていた。

彼らに関しては韓国掲示板では「意地悪」「お前が〇〇(他のメンバー名前)を殺した」だの「独裁者」だのめちゃくちゃな言われようであった。

デビュー経験者ながら星1クラスにされ(おそらく経験者は評価基準が違う)、他のメンバーとのレベル差に驚いて「リーダーキリンパート(一番美味しいパート)は俺がやる」と宣言した参加者がいたのだが、彼は「ヒトラー」とか言われててかわいそうだった。(まさかオーディション番組板でヒトラーという単語を聞くことになろうとは思わなかった)正直経験者の彼抜きでは曲にすらなってなかったんじゃないか...と思ったし、何度も「自分独断的だったんじゃないのか?」と葛藤しており、最終的には他のメンバーを信じて引っ張れるようになるまでの成長が描かれていたので、自分としてはまったく悪いとは思わなかったが...先週脱落してしまって残念だった。

他のグループにもそういった独断認定を喰らった参加者はおり、Xだがそのグループの別メンバーファンからは「〇〇(推し)がもし次の中間発表で脱落するようなことがあれば工具を持ってお前に会いに行く」という趣旨韓国語のツイートもあった。「他下げはせずに推し応援だけしようよ!」が正義で、それ系で学級会もたびたび発生する日本人からするとかなり衝撃的ではある...。

自分が見ているのはDCインサイドという韓国最大の掲示板の当該番組専用板。野球板や政治板などとは違う伏字文化があるようだ。韓国語の一番シンプル伏字といえば「イジェミョン=이재명=ㅇㅈㅁ 」というように名前のそれぞれのハングルの初声だけを繋げたもの(田中=tnk みたいな感じ)だが、この板では韓国スラングを組み合わせたさらに複雑な伏字(フィルタリングと呼ばれる)が存在する。そもそも名前関係ないものも多いのでそうなると初見で解読はほぼできない

日本坂道アイドルでも伏字界隈はあるけど、複雑化した伏字掲示板文化オーディション番組特有のピリピリ感が悪魔合体して日本ではまずお目にかかれないキメラ誕生していた。番組より掲示板見るのが面白いかもしれない

韓国2chっていうとイルベが一番有名だと思うけどあそこはまた違った右翼掲示板で、女性蔑視コミュニティでもあるので女がいない。だからこのオーディション番組話題は出ない。一部のゲイが沸いてるのと、野球場でパフォーマンスしたとき入り待ちとか大砲カメラとかその他迷惑行為大量発生したという件に関しての女叩きだけだった。

まあ一応1ピックと呼ばれる最推しはできて、自分投票してるんだけどけど残れるだろうか。

人間模様・人間ドラマという点では面白いけど鬱って言われるのも納得のコンテンツ特に予告詐欺(やりとりの捏造)がまあすごいこと(苦笑)

実例

マスター(先生役)「お前もう出ていったら?」

練習生A「納得がいかないです」

→実際の放送マスターが言った相手練習生Aではない。言われたのは全く違うチームに所属していた練習生Bで、Bに対しての言葉を全く違う場面のAの言葉勝手につなげていた。もう全てがめちゃくちゃ

日韓わず未成年視聴者も多いけど自分未成年状態で見てたら本当に鬱になるとこだったかもしれない。まあ自分も鬱っぽかったし鬱を以て鬱を制すってことで。

Permalink |記事への反応(1) | 18:52

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2025-08-05

雑記

漫画アニメでも、多少リアリティのある作品が増えたような気もするが、特にサバタコピー面白いほどに人間らしさがあって、そういう点だけは評価しうると思う。

いっそのこと、この2つを社会科道徳の教材として全国の小学校で使ってみれば、教育上それなりに効果が見込めるだろう。

漫画アニメ夢を与えるだとか、夢を見せるだとか、そう言う甘ったれた楽観的な思想から転換して、人と人の諍いや露悪とか、分断とか、そう言う作品が世に溢れかえる世の中のほうが、よほど社会のためになる。

Permalink |記事への反応(0) | 07:52

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2025-07-23

犬がホームステイ中で思ったこ雑記

義実家の犬が我が家にきて早1ヶ月と少し。

私のクソな生活リズムが整ってきた。

義実家では犬のトイレ事情は畑付近や庭などの敷地内で自由スタイルだったらしく、屋内でトイレが一切できない。

我が家に来てからも一度も屋内で粗相しないから感心するが、その分どれだけ暑くても天候が悪くとも外に連れ出さないといけなくて私の日々の運動量が少し上がった。

朝7:30頃と夜8:30頃の2回トイレ兼お散歩で犬を連れ出してるが、本当は昼もトイレしたいだろうな……

でも昼間はアスファルトが熱いし、そもそも我が家共働き基本的には出社してるし……(今日はたまにあるリモート勤務)

共働き犬飼いの人たちはどうしてるんだろ。

そもそも屋内でちゃんトイレできるように躾けてるのかな。

とりあえず私に限っては、朝の散歩のために7時前に起きて今まで食べる余裕がなかった朝ごはんを食べ、目がほとんど見えていない犬のために部屋を整理整頓するようになった。

結果的に少しだけ丁寧な暮らしに近づいたような気でいる。


その一方で旦那は可愛がるだけで夜の散歩も飲みに行ったりするせいでほぼ行かないし、それなのに犬が懐いてるのも不満。

犬は可愛いからずっとここに居て良いよ。

Permalink |記事への反応(11) | 16:34

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2025-07-07

[読んだ]石岡丈昇のエスノグラフィ入門を読んで

子の付き添い入院経験してそれを何かの形にしたいと思っているのだけれど、その「形」とエスノグラフィは8割くらい被ってる気がする。「当事者研究」とも近い。

この本は、私が付き添い入院と付き添い入院の間、数ヶ月の在宅治療中に、「なんかメンタルが整うような本ないかな」と思って立ち寄ったスーパーの中にある本屋で、めぼしいものが見つからず、「じゃあ新しい学びでも得るか」と立ち寄った新書コーナーで見つけた本だ。「エスノグラフィってなんだっけ?」と思って手に取ったが、初めて知った言葉だった。

買って一日で読み切ってしまった。

この本では「エスノグラフィとは何か?」という問いに対し、冒頭に結論となる文章が書かれている。初見では分かりにくい文章だが、その中で登場するキーワードを、各章で細かく説明する形で理解を深めていくようになっている。

私の感想もその文章の各キーワードについて、「付き添い入院中に私がやってたのってエスノグラフィなのかな〜違うかな〜」など、思ったことを書いていく。

その文章説明をするところの前に「はじめに」と第一章の「エスノグラフィを体感する」があるので、そこの感想

はじめに

エスノグラフィは社会学の一部らしい。私は社会学部卒だったのでこの本を手に取ったのも必然だったか、という気持ち。あとこの「はじめに」の中に「在宅酸素療法」という言葉が出てくるのにも驚き。子がまさに酸素療法中だったので、「空気って大事なんだな」って話に非常に縁を感じた。

第一章 エスノグラフィを体感する

賭けトランプと棺の話面白い。ざっくりこの辺まで立ち読みして買うのを決めた。

エスノグラフィは何も隠されてはいない、ありふれた日々の「生活を書く」ことを基本にします』。付き添い入院が行われている小児病棟は、隠されているわけではないけど、限られた条件の人しか参加できない。ただ、そこでは少し変わってはいものの確実に生活が営まれている。

フィールドで見た場面と研究主題接続:これが私の書きたいこととエスノグラフィの違い。私特に主題っぽいものを持ってない。「貧困」とか「差別」みたいな。多分。問題意識はあるんだけどそれをいま書いて訴えたいかと言われると、ちょっとピントがズレる。

フィールド自分普段生活二重写しにみる:これはそう。付き添い入院を知らなかった私には戻れない。

フィールド調査十戒:これは基本的に「部外者」としての考え方だ。「当事者」として病棟にいた私が、より理性的振る舞うために何が必要だったか考えさせられた。寛大であることと関わる人を中傷しないことは難しかった。私は「奪われた」寄りの人間だったから、無駄に奪われないために戦う必要があったし、中傷もした。「そういう考え方もあるね」と俯瞰することもないではなかったけど。フィールド文化歴史を知るために調べて歩き回ることは意識した。付き添い入院がどういった背景で行われているのか調べ、実際に入院する前に病棟見学もさせてもらった。情報があまりにも少ないことが不安を生んでたからだ。偉そうにしないこととただの見学にならないように記録することも「部外者」の発想だと思う。

書くことについては、私は完璧に考えがまとまってから書くのでも、書きながら考えが立ち上がってくるのでもなく、考えた端から書きつけていかないと気が済まないタチ。不安や怒りといった感情とこれからすべきことは何かといった思考が絡まった状態脳内にあるので、言語化して要らない感情は捨てて、必要思考を拾い上げていく。整理してまとめ上げるというよりは断捨離

章間にあるコラム全部面白いストリートコーナーソサエティの付則が面白いって書いてあるのと似てるかもしれない。

さて本題の結論となる文章こちら。

エスノグラフィは、経験科学の中でもフィールド科学に収まるものであり、なかでも①不可量のものに注目し記述するアプローチである。不可量のもの記述とは、具体的には生活を書くことによって進められる。そして生活を書くために調査者は、フィールドで流れている時間参与すること必要になる。こうしておこなわれたフィールド調査は、関連文献を④対比的に読むこと着眼点が定まっていく。そうして出来上がった⑤事例の記述を通して特定主題(「貧困」「身体」など)についての洗練された説明へと結実させる。
①不可量のもの (第二章 フィールドに学ぶ

妊娠中に子が先天性心疾患を持っていることがわかった。付き添い入院必要があることが分かったのは生まれて1か月が経ったころ。2か月で手術をし、付き添い入院が始まり、4か月で退院した。現在子は7か月で、この先もう一度、手術と付き添い入院の予定がある。そしてその母親である私は、大変な記録魔である。それも、数字の記録はあまり続かず、起きたことを起きた時に感情と共に記録することを、携帯が普及し始めた学生時代からずっと続けてきた。そのため、子の病気に関することや私の生活についての数千件にも及ぶメモが分単位で記録されている。これは、不可量のものが記録されたフィールドノートになるのか?

客観化の客観化:エスノグラファーが研究対象に参加しようと努力するのに似て、私は自身自身の置かれている環境を観察できるよう、自分の心から離れた位置から事象を捉えようと心がけてたように思う。発生時点では一人称的な見方になるし、ショックも受けるが、落ち着いたら、相手立場に立ったり、制度面での欠陥がどこにあるのかを考えたりもした。冷静になりたかったし、付き添い入院経験したこと有益にしたかった。

この章に出てくる市について『2024年能登半島地震被害に遭った地域にある』との記述を見て驚く。待ってこの本いつ出たの?2024年9月!?出版されて一年経ってない本を私はいま手に取って「やべ〜めっちゃ今私が知りたかった視点だ〜」とか思ってるの!?「いまーここ」すぎる。

生活を書く (第三章 生活を書く)

私が付き添い入院中記録していたことは100%これだ。事件もあったが、日常をひたすら記録していた。というか、育児日記を書いているママ大勢いるから、生活を書いている人はたくさんいるんだろう。参与ではなく当事者研究に近い行い。

アフリカの毒については、退院後の外来で、他のママが「あの環境って独特ですよね。なんか連帯感というか」となんだか楽しげに言っていたのが印象深い。子の命が懸かっているので、アフリカのように無限に往復したい場所ではないのだが、そこを無視すれば、一種の寮のような共同生活は他にはない体験ができる場所だ。具体的にどこがとは言いづらいが、非常に「日本的」だとも感じた。

フィールドを『問題地域としてのみみなすような態度を取らない』ことは、付き添いが始まる前はどうしてもできなかったことで、始まってみて「どこにいようが日常は続くな」と思うようになったことを思い出した。ちょっと石岡先生の言いたいこととズレてる気もする。

ここで『かわいそうでもたくましいでもない』という記述がある。かわいそう、たくましい。この二つは患者家族がめちゃくちゃ言われる言葉トップ2だ。そうね。かわいそうだし、たくましくもある。そのあっさい感想で、あっさい関係性の人たちについてはもういい。だがもうちょっと地に着いた、実際どうなの?というところを知りたい人に対して、私はものを書きたい。この記述太字で書いてあって、後半にも出てくるから先生の中で通底してる考えなんだろうと思うととても嬉しい。

部落の話を通じて「いまーここ」を見つめようという話は、目を逸らしたい気持ちだった。自身の中にもいろんな偏見があって、正すべきだとわかっているけれど、今ちょっとそんな余裕がない。ごめん。の気持ち

エスノグラフィで記述されるのはすでにあるものって話も、私を勇気づけるものだった。こんな当たり前のこと書いてなんになるんだろうと思うような話ばかりだが、丁寧に調べて書けば、論文にすらなるんだと思うと心が晴れた。

買ってから気づいたのだけど、この本には挿絵が入っている。印象的な場面やキーワードをページ一枚のイラストという形でも表している。図表は一個もない。大学教授自身研究と参考文献を大量に提示した、論文に近い新書でこの形式はとても珍しいと思うが、文章だけでなく絵で切り取ってみるのも、エスノグラフィが一つの事例を深掘りし、「何が」を調べるものではなく、「いかに」を調べる学問であるという説明を強化しているなあと思った。

時間参与する(第四章 時間参与する)

その場に見学者としているだけではなく役割を持って参加することを持って「時間参与する」と表現しているようだ。私は当事者なので参与も何も、強制参加させられて日常に帰ってきたのちに、「あの経験エスノグラフィにできないか?」と、入り口ではなく出口としてエスノグラフィを使おうとしている立場である

参与観察はもう少ししたかった。他の家族がどうやって子を看病しているか、一日のスケジュールがどうなっているか経済状況、家族構成、抱えている困難。知り合いになった結果面倒ごとを押し付けられそうで、退院が確定するまで(いざとなったら逃げられる状況になるまで)他者を詮索するリスクを取れなかった。逆に言えば退院が決まってからめっちゃ人と話した。

④対比的に読む(第五章 対比的に読む)

この本を読む以前に私がやってきたことがエスノグラフィ(というか研究)じゃないのはここだなあと。大学時代にやったことだが、研究には先行論文を読むステップが欠かせない。ただ単に「これってこうだと思うんですよ!」だけじゃダメで、「この論文ではこう言ってて、この研究ではこういう結果で、でも自分はここの部分はこう思ってて。で実際調査してみた結果がこれ。ね?あってるでしょ?」みたいな。

そして今日この本を読み終わって思ったのが、「この本を読んだことで、私のエスノグラフィ始まったんじゃない?」ということ。まあ当事者なので完全にエスノグラフィにはならないし、仮説を立てるとか主題を持つとかする気はないのだけど、この部分はエスノグラフィっぽい、ここは違うな、と「対比的に読んだ」ことで、ただの雑記が、研究分析みたいな深みを得そうな気配がした。

それ以外にも「対比的に読む」ことはしていて、いま書こうとしているのと同じ媒体の、似たタイプの作者の書いたものを大量に読んで勉強している。書きながらやっているので、自分がぶち当たっている壁をどう解決しているのか教えてくれる最良の教科書として機能しているし、自分が書くもののどこがユニークなのかを都度確認もしている。

あとここで先生は『容赦なく書き込む』ことを推奨しているので、ここで初めてマーカーを手に取った。私は本を汚している感じがして書き込みをしない。けど、書いた人がそうしてというなら遠慮なくそうする。「はじめに」に書いていてほしかったな。なんでこんなど真ん中で…。先生の言うように初読の読むペースの時間経験の中で重要と思われる部分にマークしていくべきだった。珍しく凄まじいスピードで読んだから、この文章を書きながら再読している時の咀嚼感と全然違う。

対比的に読むことがデータをつくることに関連している:一回目の付き添い入院初体験だったので新鮮な驚きや緊張感で乗り越えられた気がするが、待ち受けている二回目に向けてのモチベがなくて困っていた。どういった姿勢で臨むべきか決めかねていて。そんな悩みに光を差す記述として、『フィールドで得た漠然とした問題意識を明確にするために文献を読み、着眼点を得て、その着眼点気づきを持ってフィールドに戻って、「データをつくる」ためにインタビューフィールドノートの記述をするのだ』(要約)と書いてありました。なるほどな〜と。二回目もやはり逃げられる状況になるまで他者インタビューリスキーではあるけれど、とりあえず一回目の振り返りをして、二回目はどんな記録をしていきたいか見定め、関連資料を探すことをしようと思う。

⑤事例の記述を通して(第六章 事例を通して説明する)

私は日常を書きたいだけで主題がないので、この章は自分のやってることとはちょっと違うかなということが多かったのだけど、主題があるとすればできることはあるなあと思った。前章の対比的に読むことや、社会学文脈で書くこともそうだし、比較するのではなく、対比することもそう。

子の闘病において、病棟で暮らすことと、家で暮らすことのほかに、「外来」という場所がある。退院後も月に一回程度はその病院外来に足を運んで検査をするし、外来を重ねてまた入院することもある。病棟にいるとよく聞く会話に「外来来るよね?」というものがある。最初耳にした時はそんなこと確認してなんになるのかと思ったが、別の日、外来に来た母親病棟にも顔を出すというので、病棟の外に大量の母親たちに、なんと医師看護師病棟保育士まで集合しているのを見た。主題を「人間関係」とかに置いた場合、「病棟」と「家」だけで見たら抜け落ちてしまものがこの「外来」という場所にありそう、対比して調査する場所として必須なのではと感じた。外来もまた病棟とは違った、独特な空気感を感じる場所である

時間的予見を奪う:これは私に取って大きな学びだった。本書ではフィリピンの立ち退きに遭ったスラム住人の例が挙げられていたが、付き添い入院もこの困難を抱えていることを自覚たからだ。付き添い入院は始まる時も終わる時も未定で、予告されるのが数日前だったりする。病気を抱えているから当然だと思うだろうか?では、その入院する病棟が、盆正月GWといった長期休暇にはガラガラになることを知っても同じ感想を持つだろうか?病気の子人質医療者の都合が押し付けられているのだ。あーあ書いちゃった。まだ治療が続くので今は敵に回したくないんだけど、気づいたら書かずにはいられない性分で。先の見通しが立たないことは病児看護において日常になる。生まれから治療が終わるまで、年単位スケジュールが未定になる。純粋病気のせいの部分もあるが、先に書いたように医療者の都合による部分が確実にあるにも関わらず、それは私たちには容易には分からない上、付き添い入院は「家族がどうしてもやりたいっていうからやらせてあげている」ていになっているので、余計にストレスが溜まる。この気づきを得たのは大きかったな。

病棟が長期休暇になると患者が減ることは他の家族のインスタで知った。付き添い入院において背景や論理を知ることは難しい。先にも書いたように詮索することで子の手術や看護といった医療サービスが適切なタイミングや質で受けられなくなるかもしれない不安が付きまとうからだ。医療者の側から観察できればいいのだけど。もしくは保育士や清掃員とかで入るのもいい。

ある人々にとっての現実の把握:この、たった一つの真相を知るでもなく、多元的見方をするのでもなく、バイアスがかかっていることを自覚しながら観察するのは、当事者としてもいい見方だなと思った。私は当然患者家族であるので、その立場からものを見て言いますよと、自省的なのか開き直りなのか分からない姿勢にも自信が持てるというもの

ミクロ視点からマクロを見る:付き添い入院マクロにまで射程が届く研究対象なのは明らかだろう。付き添い家族ターゲットにしたNPOあるくらいだし。一方でその実態は泣く子と眠れない夜を明かし洗濯をし食器を洗いシャワーを浴びて食事をする、とても地味でありふれたミクロな場面の連続だ。

ルポルタージュとの違い:エスノグラフィは時間の縛りがない事がルポとの違いらしい。なるほど。昨日『ダーウィンが来た』で、動物写真家シロイワヤギを40年追っかけてるっての見たけど、そっちと近いんだろうか。文学とも重なる感じ。先生も書いてるけどエスノグラフィは「読み物として面白いものが多そう。まだ私一冊も読んでないけど、本書で引用されたものだけでも十分面白かった。けど、「研究」でもあるので、主題と紐付けて研究結果が出てくるところが、エッセイルポとの違いだろうか。エッセイでも面白いものはそうした「発見」みたいなのはちょいちょい見る気がするけど。社会学文脈にびたびたに浸って先人たちのあれやこれやを紐づけまくってその上に自分の見た事象から発見記載できればエスノグラフィなのかな。知らんけど。ここは明確な区切りがわからなかった。

長文の研究計画書を書くって書いてあったけど、そこに何書くんだろう?私は主題はなくてフィールド強制的に決められて問題意識(不平不満)と記録は大量にあるわけだけど、大学生とかは、①エスノグラフィというものがあるのを知り、②「子供貧困について研究したい!」とかって主題を決め、③エスノグラフィで調査しようと決めて、④主題関係が深そうなフィールドを探して(こども食堂とか?)、⑤主題に繋がりそうな場面に遭遇しないかな〜と思いながら参与観察するみたいな感じだろうか。やりてえ〜大学生に戻って。

研究お金の話は文系理系も似たような感じだな〜と思った。応用研究は金出るけど基礎研究にはなかなか出ないし長期での研究も難しいみたいなの話。

おわりに

私が今付き添い入院フィールドエスノグラフィができない理由はここまで書いた通りで、問題意識を表出すると角が立つからだなあ。当事者は奪われる側なので。できない分ここで社会学視点からみれそうな表現問題意識については書いたつもりなので、誰かやってください。ほんとはやりたいよ。今すぐ石油王になって付き添い入院病棟を全て個人産院並の、シャワートイレ冷凍冷蔵庫付きで親と子それぞれのベッドがある広めの個室にして、食事もついて、付き添い保育士外注できるようにして、その病棟看護師患者家族全員が参加Permalink |記事への反応(2) | 17:51

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2025-06-21

増田女子増田おっさんどもはアップデートしろ!!明星がサァ!チェッカーズがサァ!光GENJIがサァ!」

anond:20250621105230

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明星平凡チェッカーズ光源氏全盛期に青春を過ごし、アラフィフアラカンかつ社会人以降は周囲に若い娘やその親がいないか

学生時代認識そのまま、女は老若ジャニーズに夢中だという認知修正されない

anond:20250530114514

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(略)

30代以下の女はジャニーズ含めて芸能人話題をしない、というか知らない

地上波よりスマホを見てるのだから当然そうなる

カラオケでもボカロ一色

しかチェッカーズ光GENJI世代の未婚中年身長おじさんは「オワコンオールドメディアである地上波にたくさん出ている」からジャニーズが人気だと主張する

ファンクラブ会員数はジュニアヲタ含めた掛け持ちやダフ屋含めた小遣い稼ぎの連中が水増ししてただけだからジャニーズ解体本人確認強化で値崩れ&動員減少中という現実を受け入れられない

ハゲ不細工と違い、チビ男性けが「男のチビは不人気属性」なのを認めたくないのだから

(略)

女向け商売が成立するのは成人男性集団(チーム、グループ)のみ

崩壊から興業バンバンこなして金になるジュニア(グループ)は皆成人で身長170cm以上、一番手SnowManおっさん高身長、2番手SixTONESも同様

https://youjani.com/jr-taisho-2025/

ジャニーズの下降と比例して、バスケバレー野球など各プロスポーツの動員は右肩上がり

2次元コンテンツも同様

刀剣乱舞など人気キャラや軒並み高身長2.5次元舞台で演じる俳優も同様 宝塚だって男役には高身長の女を選んで更に上げ底靴を履かせるから

「女は男の集団萌える」のを認められない明星平凡世代ホビットおじさんが「日本の女はショタチビ好き」と念仏を唱え続けて自我を保っていただけだった

anond:20250519130659

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男も女も人気原作ゲームといった「コンテンツ」に飛びついてるだけ

から今のマジョリティ主婦とかもアニメ大好きなわけだ

アイドル俳優が出てるから見に行く」は最初からそいつヲタというだけ

好きなコンテンツに関わらない限り、イケメンだろうがアイドルだろうが部外者の女から見たら知らない人

女と関係性を縮めてマッチングする作業のできない発達障害男性は「金や顔やジャニーズというだけで初対面や面識のない不特定多数の女が飛びつく」妄想にしがみついたまま死んでいく

子供がおらず、子持ちの同世代と会話する機会もない、芸能カルチャー若い娘が夢中だった明星平凡チェッカーズ世代の50代の爺さんが常駐する高齢コンテンツ

anond:20250517141239

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このネカマ作文爺さんの今の主張は「イケメン好きの腐女子はみんな結婚できず不幸になってる!」だけと

この人の若い頃のチェッカーズ光GENJI全盛時代と違って今は30代以下は芸能アイドルに興味がない

まずテレビ見ないし

anond:20250613083510

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それ何年も前に韓国映画ヲタに指摘されてる

韓国アイドル支持者はリベラルフェミニスト連呼してるチェッカーズ世代高齢未婚おじが「日本の女は老若みんなジャニーズに夢中」も連呼してたけど

anond:20250418130222

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未だに「若い女はジャニーズイケメンに夢中」を連呼する中高年増田の多さ

女子中高生ジャニーズアイドルチェッカーズ明星や平凡にかじりついてた頃で脳内が停止しており時代についていけてないから、若者は未だに芸能を中心に回ってると勘違いしてるんだよな

国内エンタメアイドル/芸能/音楽雑記感想サイトブログやってる男性アラフィフだし

芸能思い入れのある世代はこの辺りが最後だろ

パーリスの人とか

いや何歳だよこのおばあちゃん、、、


関連増田

[複垢フェミ]なんか🍆っぽいエントリが次々消されてる

https://anond.hatelabo.jp/20250328002911

Permalink |記事への反応(1) | 11:08

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2025-06-10

講師業の介在価値大人努力格差について雑記

細々とギター講師業を行なっています

色々な理由で入会されたり、退会されたりといった諸行無常を感じながら粛粛と取り組んではいるのですが、

その中でふと自分提供できる価値みたいなものを考えたりすることがあります

というのも、

趣味であろうがプロになろうが目的はなんでも良いのですが、

1ヶ月に1〜2時間自分との対面の時間を取る以外に、いか練習に取り組むかが

上達においては大事になるということは、まあ客観的に考えればわかることだったりします。

その上で、より効果的な練習にするために

あなたは◯◯が苦手(あるいはこういうクセがある)なので、××といった意識で△△といった練習をしたら良いと思います

ということを言ったりするのですが、

これについてもっと詳細に言うと、

自分の苦手な部分をしっかり観察し、発される音や指先の感触に注意を向けながら

自分で考えて、実験を繰り返しながら、時には別の練習方法を見つけたりしながら

ギターに向き合うことが結局大事ですよ、ということなのだと思ってます

これに関して、物理的にとある動きをしていても、どういう意味合い練習をしているかによって

効果が変わりますよ、ということは何度も伝えるようにしています

筋トレでも鍛えている部分を意識しないと効果が薄れる、ということに近い話かもしれません。

みたいなレッスンを進めているのですが、結局それを実際にやるかどうかは本人次第です。

ライザップじゃないので、行動管理まではしてません。

ギター以上に大切な生活が個々人にあるので、練習できてないことに厳しく言ったりすることはしていないのですが、

ちょっと話を広げると、自分がやりたい事について、どうにかこうにか時間を割いたり努力ができる・できないに関して、

世の中では結構格差があるのだなぁと思ってしまます

昨今のパワハラ風潮みたいなものも少しは関連していると思うのですが、

何かを教えたり指導する立場人間が、強く言いにくい世の中にはなってきていると思うので、

アドバイスはするけど、やるかやらんかは自分次第よ〜みたいなノリで事が進みがちだと思っています

その是非を問うとかではなく、

実際そのようなご時世なので、本人が頑張れるか頑張れないかという部分においては

より自分自身で埋めるしかどうしようもないような、見方によっては厳しい時代になっているような気もしています

個人的主観ですが、特に年齢を重ねると「何かができない自分」を受け入れることに

抵抗感が生まれやすくなっているのかも、とも思っています

初めて取り組むことがすぐになるわけないし、時間を費やすのは必須になるのに・・・

逆に言えば、自分目的目標設定ができて、自分課題すら見つけることができれば、

極端に言えば講師というものはある種不必要なのかなとも思っちゃいます。(それが理想っちゃ理想みたいなこともありますが)

ただ、レッスンが提供できる価値というもの

そもそもその時間楽しい

ギターの上達以外の音楽知識、知恵

・お悩み相談

などギター上達以外の部分でも沢山あったりするので、

それらと生徒さんのニーズが合えばそれはそれでOKでしょう、という考えもありますしそれを否定するつもりもありません。

なので、講師側の思いとしてはギター上手くなってほしいなぁ、演奏上手になってほしいなぁという気持ちがありつつも、

自主練本気でやればレッスンなんて不必要だったりするし、音楽とは別の部分でレッスンの魅力を発揮する場面があるなぁ、

ビジネス構造とか提供できる価値のフワフワ感を味わうことが多々あります、ということでした。

とにかくですね、レッスン受ける受けないとかは関係なく、

日常経済的、家庭的な業務とは別の脳ミソをフル回転する音楽的な趣味に、

自己満足だけで没頭するのは刺激的でとっても楽しいですよ、という事でもあったりします。

Permalink |記事への反応(2) | 22:26

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2025-04-18

未だに「若い女ジャニーズイケメンに夢中」を連呼する中高年増田の多さ

女子中高生ジャニーズアイドルチェッカーズ明星や平凡にかじりついてた頃で脳内が停止しており時代についていけてないから、若者は未だに芸能を中心に回ってると勘違いしてるんだよな

国内エンタメアイドル/芸能/音楽雑記感想サイトブログやってる男性アラフィフだし

芸能思い入れのある世代はこの辺りが最後だろ

パーリスの人とか

https://anond.hatelabo.jp/20250414102334

Permalink |記事への反応(2) | 13:02

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2025-04-17

雑記

普段はどれだけ忙しくても品出しも検品も手伝わないくせに、たまに手を出しては自分が分からないことに対して癇癪を起こして社員八つ当たり

そりゃいつもしていないことが急にできるはずがないでしょう。

商品は品出しのとき邪魔なので一旦他の場所に置くのが通常。それなのに、その商品が新商品なのかが分からなくて困ったと怒る。何が困るのだろうか。勝手に手をつけておいて何故怒る。そもそも店長なのに定番品かそうでないかが分からない時点でアウトだと思うのだが。

また年配のパートの言いなりになって、その人が不満を漏らすと必死で該当社員を責める。その人に非がないと分かっても尚引き下がったり謝ったりはせず、主張を180度変えて責め立てる。

検品に関して

当初は、届いた箱を仕分けした人が(当日担当者が出勤していても)貼り紙をして検品しろとの命だったが、自分貼り紙もせず検品もせず放置。言い分は、担当者が当日出勤しているから。休み社員分は貼り紙検品済み。矛盾している。

検品に使う発注書が見当たらなかったため尋ねると「私は知りません」。でも結局は彼女がその商品段ボール箱の中に入れていた。

頼んでもないのに勝手に漁って発注書がないと騒ぐ。思い当たる場所は全部探したがなかったと断言。本社に連絡。その後、既に送信済みと返信があったため探すと引き出しの中に入っていた。それを伝えると「そもそも把握していないあなたが悪い」と怒る。

これが逆の立場だと、探したのになかったと言った時点で雷が落ちる。よく見ていなかったのは彼女なのに、悪いのは自分だと分かった瞬間に論点をずらした。

少し前に、現物を見ても新商品かそうでないかが分からいかメモを残せと怒ったのに、人には商品名で把握しろ無理難題押し付ける。

その商品も当日到着していたようだが、来ているかどうか在庫数を確認しろと指示。箱が開けてあったのでそれも彼女が中を確認していたはず。それなのに気付きもしない彼女責任だろう。

一週間も前のことを引っ張り出して怒る。今更言われても。

検品商品置き場に置いていた箱を検品済みかのように持って行ったのはパートなのに、私のせいにされるところだった。動かしてないと否定したとき犯人が分かった顔をしたくせに、そこで引き下がればよかったのに、どうにか文句言おうと上記検品ルールを作って怒った。

そもそも自分たちの処理能力の低さが問題なのに、相手が不親切であるかのような言い方をするな。

まずは自分を疑え。人のせいにするな。4、50歳になってもまだ他責しか生きられないのか。

レジカウンター内で例のパートとおしゃべり。「言っといたんで」と声が聞こえて全てを把握。立場価値も雲泥の差であるそいつの犬に成り下がっていることが悔しいと思わないのだろうか。

元々ASD気質の上ヒュブリス症候群らしき言動が増えてきた今日この頃

とにかくマイルール押し付ける。自分の非は認めない。相手が悪くないと分かっても謝らないどころか論点を変えて怒り続ける。非のない相手が謝るまで怒り続ける。否定しても決めつけて悪者にする。後日その人が悪くないと分かっても謝罪はなし。自分絶対に正しくて他人は嘘つきだというスタンス想像力が低く、言葉言葉通りにしか受け取れない。体型や肌質に関する失礼なことを平気で言う。とにかくこちらの話を聞かない。自分がそうだと思ったらそれ前提で話を進めるため擦り合わせができずいつまでもすれ違ったまま。

正当な反論をすると「言い返してきた。あの人はヤバい人だ」と吹聴する。その年齢にもなってそんなことを言うあなたが一番ヤバい

誰のためにもならないし店のためにもならないルールばかり作って、働きにくくなるだけ。

本当に注意すべき人には言えない臆病な大人から20歳以上離れている私たち八つ当たりしてすっきり。自慰は家でしてください。

あなたや手を抜く人が分からなかっただけで、普段から真面目に働いている人たちは把握できてます

誰も尊敬していないしついて行こうとも思っていない。

筋の通ったお叱りなら拝聴するが、子どものように目の前だけを見て喚いているだけ。

本来守るべきは正社員だろう。どうしていつ辞めるかも分からない非正規雇用者言葉鵜呑みにして目の敵にするのか。

毎日のように怒っている彼女世界はどれだけ狭いのだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 22:15

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2025-04-05

雑記68

私は最近になってよく考えるようになった一つの問題点というものは、現代若者が、いわゆるインターネット携帯端末が、非常に進化がされてしまっている環境において、常に触れていることにより、本来人間同士で、コミュニケーションや、交流といったもの自然な形で培われるべき能力が、意識的あるいは無意識的な形で、徐々に失われつつあるのではないか、ということを、よくテレビや、ネットなどを見ているうちに、感じてしまったり、またはそのように考えることが多くなってしまっている状況があるわけであって、これは決して、私一人だけが考えている問題ではなく、多くの人も、もしかしたらそう感じるのかもしれない、あるいは既に感じているのだという可能性も否定はしきれず、だからといって、私は決してインターネット携帯不要であるとか、完全に排除するべきであるなどというような極端な考え方を持っているわけでもなく、ただ単純に、その便利さというか、有益な側面が存在する一方で、その反面として、不便さや害というか、マイナスな影響のようなものも同じくらい存在しているように思えてならないのだが、その一つの例を挙げるとするならば、私自身も最近よく経験したことなのだけれども、たとえばレストラン喫茶店のような飲食店食事をしたり、飲み物を注文する際に、以前であれば、ごく普通に店員に注文を伝えるのが一般的であり、それが自然であったにも関わらず、最近では、多くの店がタブレットを使って注文を行うようにされてしまっているせいで、私のような古い人間からすると、注文をするときに、非常に戸惑ったり、困惑するということが、もはや日常的に、あまりに当たり前すぎるほど頻繁に起きており、また、そのことによって、店員コミュニケーションをとる機会が全くなくなったり、あるいは本来必要コミュニケーションそもそも存在していたことすら忘れてしまったという若者も多いのではないかと思うところであり、そのような社会の変化は果たして本当に望ましいものであるかどうかについては、私自身がその判断をできるほどの知識を有しているとは思わないのだけれども、少なくとも個人的には、こうした技術が普及されている状況を目にするたびに、一抹の不安や寂しさのような感情を抱えていることは否定できないし、しかしだからといって、それが社会全体にとって完全にマイナスであると決めつけるような、根拠理由は持ち合わせていないし、むしろ私が古い感覚や古い価値観に囚われすぎているだけではないかという自己批判のようなものも、私自身の心の中には常に存在しているということも、きちんと理解はしているつもりであり、それに加えて、私が若かった頃と、現在若者たちが過ごしている時代や状況というものは、そもそも全く異なったり、比較すること自体不可能であることも理解しているつもりなのだけれども、そうした理解がある一方で、時代の変化に対する受け入れがたさのような、矛盾した感覚を感じる自分自身に対して、私はどのように折り合いをつけるべきかということについて、なかなかうまく答えを見つけ出すことができていない状況であり、その答えが見つからないことによって、日常的に、小さなことで不安焦燥感を感じてしまっていることが増えているように思うが、その一方で、これらの問題が本当に真剣に取り扱うべき問題であるのかどうかということすらも、自分自身の中で疑問に感じられる瞬間が多々あり、それは私が自分自身の考えをまとめることが、以前より苦手になっているという理由なのか、それとも社会全体がますます複雑化され、問題があまりにも増えすぎてしまった結果として、もはや私たち自身が正しく認識することすら難しくなっていることの結果なのかどうかさえ、わからないのだが、しかしその答えを追求しようとする努力すら、私にとっては非常に負担の大きいものとなりつつあり、結局、日々考えれば考えるほど、より混乱したり、考えそのものがまとまらなくなってしまい、結果的にこうして、ますます自分の言いたいことや伝えたいことが、文章として正しく伝わらないまま、いつまでも長く書き続けてしまうという状況になってしまっているのであるが、このような状況になっているのは、自分自身能力不足のせいなのか、それとも技術社会構造の急速な変化に追いつけていない私のような存在が、もはや現代社会においては避けられない必然的現象の一つなのかということについて、私はまだ結論を出すことができないでいるのだ。

Permalink |記事への反応(0) | 04:34

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2025-03-27

オタク論の「欠如」という問題

いわゆるオタ文化とは直接的には関係しない領域男性文系研究者(ただいちおう副業的にオタク文化について扱った論文も書いてる)として、以下の記事面白く読んだ。

「女オタク論」の盛り上がりと、「男オタク論」の方がむしろピンチかもしれない話 - 深紫の雑記帳

なるほど確かに近年は女オタクに関する研究が進んでいるのに対して男オタクに関する研究が進んでいない、という現状認識については同意するものの、増田個人としてはそれが大きな「問題であるようには思っていない。理由は以下の通り。

(1)オタク文化に関する研究は充実しているのだし、それでよくないか

マンガ研究』や『コンテンツ文化研究』みたいなオタク文化歴史に焦点を合わせた査読はいくつかあるし、国文学関係学術誌を眺めていると現代サブカル作品についての研究が載ってることは普通だし、吉田正高二次元美少女論』(二見書房2004年)や玉井建也『幼なじみ萌え』(藝術学舎、2017年)のような記念碑研究もなされていて、オタク文化歴史に関する体系的記述歴史上類がないくらい充実しているわけだから、男オタク個人として不満はあまりないんだよな。まだまだ未解明の史実とか未発掘の作品とかそういうのはあるだろうけど、こういう流れが続けばいずれ研究されるだろうし。

もちろん、これは増田が文献の読み込みを主としたブッキッシュ手法を専門にしている研究者であり、インタビューとか参与観察とかを駆使した社会学的・人類学的・心理学研究にあまり馴染みがないことから生じているバイアスに過ぎないかもしれない(好みの問題であって善し悪しの問題ではない、念のため)。しかし、まずもって目の前の素晴らしい文化を愛するからオタクなのであって、オタク感情とかオタクコミュニティとかそういった問題にはあまり興味が持てないのだ。歴史の話なら面白いんだけどね。黎明期コミケはどんな感じだったの、とか、そういう。でも現代オタクの生態やら感情やらに関しては、自分当事者として生きているわけで、それを客観的研究に落とし込もうという気にはーー少なくとも増田はーーなれない。だって自分当事者じゃないか研究面白いんじゃないか(これは人それぞれだと思うので、同意できない人もいるだろうけれど)。

(2)女オタクのtoxicさへの揺り戻しは必ず来る(来なければ起こす)

いやー、そりゃ男オタクの界隈もtoxicなところはいっぱいあるけどさー、現在の女オタク論界隈は別種のtoxicさが蔓延してると思うのよね。

だって、いちおう大学出版会標榜するところからジャニーズファンについての研究書が出てるのよ? 定評ある出版社が出してるジェンダー史学についての入門書にも「ジャニーズ戦後日本」ってコラムがあるんだよ? さらに、本文中で挙げられてる『BL進化論』の著者さんって、「トランス役はトランス役者がやるべき」と主張して盛大に叩かれてたよね(anond:20200816115435)。これらがフェミニズム女性学観点からみて誇るべき研究成果っていうことでいいの? 本当に?

いやもちろんナチス研究者ネオナチではないわけだけど、それは彼らが必死に「ナチス絶対悪です!」ってあちらこちらで言ってまわってるから「そりゃそうだ、研究者研究対象は別だもんね」っていう反応になるのであって、「当事者による研究」を標榜してる分野でこんな有様だったら言い逃れできないでしょ。このへんってぜんぜん燃えいね。いや、別に燃えなくてもいいと思うけど、これが燃やそうと思えば燃やせるっていうのはわかってもらえるよね。

女性趣味」だからという理由で、圧倒的マイノリティである男性同性愛者の客体化(BL)や常習的レイプ組織への支援ジャニーズファン)が研究され、フェミニズム視点に基づく女性文化研究で~す! っていうていで流通していたわけじゃないですか。これが倫理的破綻した話なのはやす理解できると思う。男オタク界隈はそういった進歩的視点から目を背けてきたきらいはあるけど、それは同時にダブルスタンダードから自己防衛にもなっていたわけで。しょうじき、元記事で言われてる「女オタク学術自己客観視」は「全然できてねえじゃん!」って思いますよ。だってどう見ても問題直視できてないもの直視してたらそもそもBL研究なんて大真面目にできるわけないし(当事者重視とか性的客体化はダメかいった進歩的理論から「女がBLを書くのはけしからん」という結論が導かれるのは自明の理なので、進歩的理論に基づくBL研究はぜんぶ崩壊するか、研究対象を口を極めて罵るナチス研究スタイルに移行するかのどちらかの末路しかありえない)。もちろん直視しないのは自由だけども、さも自分たちは問題直視してます面をするなら、まあ揺り戻しは来ますよね。

(ちなみに『BL進化論』の著者さんはオープンリーゲイ小説家意味不明な絡み方をして論破されてるんだよね→https://kakuyomu.jp/users/Mark_UN/news/1177354054917237182BLいか真摯当事者と向き合ってきたのかがよくわかる話です)

そういうわけで、男オタク論の欠如は別に問題とは思わないし、女オタク論も足下すくおうと思えば結構すくえるよね、という話でした。まあn=1の話なのでそんな真に受けないでもらえれば。

Permalink |記事への反応(0) | 07:06

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2025-01-28

フジテレビ記者会見は失敗

途中までリアタイしたんだけど、結局、何が目的記者会見だったかからなかった

冒頭は謝罪役員の交代のご連絡、第三者委員会の設置についてのみでほぼ連絡事項

ディフェンス的にいくなら必要と思われる弁護士などの有識者もおらず

求められたからただ開いてお詫びしましたといった感じで非常にお粗末

第三者委員会に委ねるを印籠に使ってきた経営陣だが、

要は第三者委員会結論を出すまでスポンサー等々は判断できない状況を作ってしまった

信頼回復の機会を先送りしているのだから結論フジテレビ記者会見は失敗

質問する側も意図不明ものが多く、せっかく1人2問なのに活かせていない人が多い

その中で大手記者はわかりやすく明快な質問をしており、質の高さを感じたが

まりに新しい事実がなく質問内容に困ったのではないかとも思った

感想としては、有象無象から2問質問するより、ちゃんとした記者から制限質問する方が実のある記者会見になると学んだ

以下雑記

Permalink |記事への反応(1) | 09:44

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2025-01-09

anond:20250108233148

かつてあった相互リンク文化。掘り出したブログもいくつかのブログ、というか個人HP相互していた。

古くは高校時代あたりに絡んでいたもので、それらを好んでよく読みに行ってたのもそのころ。高校卒業後は足が遠のいて社会人になってからは未観測だった。

それらもいくつか覗きに行ってみた。

多くのレンタルHPブログが閉鎖した今、続けて書いている人は皆無。

相互じゃない一方通行リンクしてるだけのような、当時から一線をいってるようなのは残っていた。単なる一購読者しかないけど、僕秩とか。当時も今も越えられない存在

相互さんたちとの繋がりとしてはアニメレビューとかお絵かき交えた雑記系。自分と同じように2010年くらいまでは息をしていたようだけどその後更新が途絶えているようだ。

当時は多分日PV3,4桁以上あったような人たちだろうと思うんだけど、そんな人達ですらもう続けてない。自分ならそんな見られるなら…とか思っちゃうけど…。まぁでもXとかやってるんだろうな。

中にはどんどんPVを落としていっている人もいた。最後の方はだいぶこじらせていた。小説とか書くようになってたけどそれも続かなかったようだ。

彼らは今どんなことをしているんだろう。探せばXとか出てくるのかもしれないけど、逆にXとかで近況見ると生々しすぎて興味が失せちゃうんだよな。

まぁもうこれ以上掘って出てくるものはないかな。欲を言うなら当時Flashで作ってた個人HPとかもう一度見たいけど、Flashなのとちょい古くてアーカイブクローラーとか来てないんじゃないかと思う。

データも残ってないし。一度インターネッツの世に放ったものだし、またひょんなことから見つかるようなことがあればいいな。

Permalink |記事への反応(0) | 14:41

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2024-11-21

anond:20241120183927

エントリの筆者です。

私のゲス人生体験雑記を、真剣に読んで言葉にしてくれて嬉しいよ、こちらこそありがとう(AIじゃないよね?笑)

個人的には、ドS趣味なのを全て押し殺す必要はないと思う。

私が摂食障害になるまで病んだのは、相手が他に本命彼女もいた人であり、外面よくしながら、私に対して人権も何もないような扱いをしてきたからだと思う。私も同意してた時点で完全な被害者らするつもりはないが。

彼女になった人への愛情があり、「こういうプレイやっても大丈夫?」とちゃんと事前に同意とりつつ、相手が心身傷ついてないか確認しながら、要は愛情を感じれば、多少は要素を取り入れてもいいんじゃないかと思う。加減難しいけど。

S的なプレイ絶対ダメ!ってわかってたらまぁ、やらない方がいいと思うけど。

私はまぁまぁのMだけど、別に全然Sじゃない人と結婚していて、その人とのセックスで満たされないことはないし。

愛情を感じ合いながら楽しくプレイできる彼女さんができるといいね

Permalink |記事への反応(0) | 11:03

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2024-10-28

anond:20241028074647

増田でも数時間かけて書いた渾身のネタより数秒で書いた雑記事がバズるからなあ😟

Permalink |記事への反応(0) | 07:51

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2024-08-31

自民党総裁雑記

事後諸葛亮に思われるのは嫌だけど、個人的につながりのあるSNSでは政治周りの内容は残したくないので、増田で吐く。

  • 河野、石破、小泉(進)の3人の誰かになると思う。他は頑張れば何とか2位になれる(決選投票に残れる)かもね、ぐらいだと思う。
  • 一番有利なのは、現役大臣河野異論はあるだろうが、妥当制度改善をしてくれてたし、裏金にも厳しく対応しそうなので、個人的にも一番無難だと思ってる。
  • 石破の勝ち筋は、初回で半数以上の投票を得ること。決選投票になったら負ける。そのため初回投票河野小泉(進)を落とせれば可能性が高くなるけど、完全に時の運。
  • 小泉(進)の決選投票での勝ち筋は全部(派閥裏金も)取り込むことだけど、そんなことをすると党員票が拾えず、初回投票で3位以下になりそうなので結局は不利。

Permalink |記事への反応(0) | 04:53

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2024-08-30

今更AI絵師という呼び名違和感雑記

要約 ※追記

書きあがってから少し論旨が整理できた気がするので、まとめなおし。

蔑称としてAI絵師と言われる人は、本来AIクライアントと呼ばれるべきじゃないか
・その前提に立ててたら、AI規制派のクリエイタークライアントでもうちょっと違った形の今があったのではないか

以下本文。



注意書き

推進とか規制とかそのものの話ではなく、難しい話をさっぴいた個人として思う与太話です。

AI使ってる!窃盗!」と生成AIによる絵の作成、LoRAとかの合法違法とか、倫理的にどうかとか、是非の話ではなく。

最近思った、AI規制派が見落としていそうなこと

生成AIで絵を生成する人の感覚として、こういうのもあるのでは?という視点の話。


現状の生成って、話を聞く限り流れはイラリクに近いのでは?と思う。

違うのは、こっちで資料指定も大量に用意する必要があること。自分が描いて欲しいものを、相手自主的に履修してくれないし察さないので。

あとはリテイクを何度繰り返せることか?人間、それこそ納得いかず一日何百枚とか、そんなレベル何度も何度もやり直させられたら病むよ。

やり方は人それぞれだろうけど、いわゆる呪文とかをシチュとかプロット、LoRAとかをキャラ指定として考えると、人間がやってそうなことに近く聞こえる・・・ような気がする。

まりAI絵師と名指しされる人は、描いてる訳じゃない

もともとAI絵師って、絵の生成AIサービス自体を指す言葉だった、みたいな話をどこかで見た。

当たり前だけど絵を出力(あえて描くと言わない)してるのは生成AI

ユーザー呪文という名のめちゃくちゃ細かいリクエストを生成AIに投げている。


節子これ絵師やない、これクライアントや!

という訳で、AI絵師ではなくAIクライアントという呼び名提案する

あえてユーザーじゃなくてクライアントっていうのは、有償サービスだったり、後たぶんプロンプト自体情報収集とか、出力された絵のタグ付け(学習)とかに使われてると思うから

完全ローカルでやってる場合はまた違うかもしれないけど、少なくとも当初の頃はそんな話だったはず。


そう言う意味では、破格かつクリエイター側がものすごい赤字コミッションみたいなもの・・・というと暴論だけど、そういうニュアンスが使ってる人にはちょっとあるのではないだろうか。

此処までの話で基本に立ち返ると、つまり・・・


真のAI絵師=生成AIのもの


なら最初にやるべきだったことは

蔑称としてAI絵師という言葉を歪めず、「クリエイター」と「クライアント」の線引きをしっかりしておけば。

そうすれば、絵師側のアプローチの仕方もまたちょっと変わったのかな?と思う。


いわゆる呪文を使って絵を何度もリテイクして生成するのって、それなりに骨が折れると思う。もちろん慣れとかもあるだろうし、お金儲けを考えたらまた事情も違ってくるとは思うけど。

ただ生成された絵に絵師の絵が負けてるとは、当然、個人的に全く思ってない。

本当に人間みたいに思考して、作品履修して感想持って、フェチって線とかこだわりを持って絵を習熟する領域まで、まだ来ていない。

画風の話ではなく、個人個人固有のらしさというか、統一されたこだわりというか、上手くは言えないけどそんな感じのこと。


少なくともAI絵師という言葉蔑称で無かったころ。つまり分断がkskしてなかった頃は、AIクライアントもまだよちよち歩き。

AIクライアントたちが必死呪文リクエストして生成してる時に、例えば「ちょっとお安くしまからあなたリクエストをいっぱい反映した絵・・・描きましょうか?」という話が飛んで来たなら。


そりゃ、相手クライアントなんだから。欲するもの自分で描けないなら、それは物凄い誘惑になるのではと。

絵師努力クオリティ金額に見えれば。呪文の履修に飽きたりしたころに、自分フェチが出せないとなれば。


全員ではないにしろ選択肢としてその幅はものすごく大きかったと思う。

生成されたものに対する倫理的嫌悪感やら絵としての気持ち悪さがあるからこそ、なおのことクライアントクリエイターとしての線引きは、分断じゃない方が良かったんじゃないか

まとめ:

長々とサーセン

色々言いたいことあったけど、全然まとまってねぇわこれ。

たらればではあるけど、感情的なことを抜きにこんな与太話も絵師さんやクライアント一般の人たち含め、過激化せず出来る環境だったら良かったかもしれないですね。


自分個人は、AI諦観派。

思う所はあるけど国は進めるし世界的にもゴタゴタしてるけど、乗り遅れるのはそれはそれで危険ぽい。

とはいえ急ピッチからガバガバなので問題はいっぱい起きるけど、とにかく流れはもう変えられなさそう。

だったらせめて、どう生きたらいいか、生き残っていけたら良いか業界的にもそんなことを考えてる感じです。


だって今起こってるのって、それこそ昔SFで見たロボット仕事をとられる人間たちみたいな、そういう話な訳ですから

感情的になりすぎずバランスをとって、業界全体が息の根を止められないようになれば良いな~、と。



おまけ:そもそも生成AIのものに、キャラクターが見えなかったのが悪かったのでは

サービスを指す言葉だったAI絵師というのが、わかりやす個人蔑称にされてしまった原因だと思う。

ゼロレクイエムじゃないけど、AI絵師にはペルソナがなかったし、AIクライアントにはペルソナがあった。

からこそ、今だからこそ当時怒りを持っていた絵師たちは考えたことはないのだろうか。

これ、描く兵器の使いどころではないだろうか、と。


いきなり無知晒しますが、業界全体でそういうキャンペーンってあったんですかね? あったとしたら、結構盛り上がったし、今の生成AIに対してもまた違ったアプローチがされてたのでは、と。

絶対何か諸問題が出るたびに色々作られて大変TLが愉快なことになっていたのではないかと(それはそれで過激化して危ないか?)


例えばNAIで言えばこの雑記を書いてる時点からすれば、サービス開始時期からみて3年とちょっと

まりあの「子」はまだ3歳。しか最初生まれたてでも文章すごかったのに、あっという間に絵が描けるようになっちゃった

おまけに容赦のない大人たちから、一日に何枚も何枚も絵や文章を書かされる。知恵熱上げながらおやつ電気)食べつつ涙目カリカリと頑張ってる、と書くとちょっと可愛い・・・可愛くない?


センシティブ判定がガバガバだったTwitterAIを「破廉恥禁止です!」と言いながら色々見逃してこっそり自分は見て悶々としてるムッツリ系の委員長キャラ見立てるみたいな話ですが、あまり同意は得られないかもしれないです。


しかキャラクター付けに成功していれば。生成AI悪用して良くないことをさせる悪い大人たち、という図が見えて来るわけで。そうなると、またちょっと違った見え方はしてこないだろうか。

いたいけな子に何をさせるだァーッ!ゆるさんッ!という気持ちが湧いてこないでしょうか。

真に戦うべき相手や、考えるべきものが何であるか、みたいなことをもっと冷静に話し合えたのではないでしょうか、と。


 

・・・まあそうすると、いたいけな子にエロ作らせた場合の罪悪感とかも大変物凄いものになる訳ですが。えっむしろ興奮する? ま、まあ性癖は人それぞれですし・・・

というかこれに限らず、AIくんちゃんそのものへのヘイト創作とかも出てきそうだし、それはそれで駄目かもしんないな。う~ん難しい・・・



以上、ガバガバ雑記でした。

Permalink |記事への反応(1) | 23:19

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2024-08-27

人生設計チュートリアルを書きたかった

人生で「これはやって良かったな」と思ったことを挙げてみようと思いましたけれど,ありきたりで非常に面白くない物になってしまいました。

勉強特定の分野を理解した後に教科書を見返すと「最初からそう書いてあるじゃん……」となる現象と似ていますね。


以下は書こうと思ったことの概要です

=====


書き出してみて気づきましたけれど,結局はキャラ付け大事そうですね。

選択肢を増やして,一貫した選択をする。それだけなのです。

まあでもアドバイスって本質的面白くないので,この雑記SNSではなく匿名ダイアリー投稿します。

Permalink |記事への反応(0) | 15:58

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2024-08-07

雑記

人間誰しもアウシュビッツを持っている。

しかあなた人生絶望しても、人生あなた絶望していない。

あなたを待っている誰かや何かがある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現できる

ヴィクトール・フランクル

Permalink |記事への反応(0) | 12:47

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雑記

人間誰しもアウシュビッツを持っている。

しかあなた人生絶望しても、人生あなた絶望していない。

あなたを待っている誰かや何かがある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現できる

ヴィクトール・フランクル

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2024-07-04

雑記投稿するつもりで何かを書く(下書きする)、というのが、楽しいとかテンション上がる鍵なのかなあと思った。ので、個人的忘備録として記す。

※実際に公開しなくても良い。

Permalink |記事への反応(1) | 01:38

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