
はてなキーワード:雑用とは
自民党と維新の会の連立が決まり高市総理が誕生してから毎日が不安で仕方ない。
総裁選で高市氏が出馬してから湧き上がった嫌な流れが公明連立解除、維新との連立とどんどん広がっていて心が苦しい。
理由は自民党や維新の会の党風や高市総理の過去の発言から社会福祉の削減を恐れているからだ。
高市総理は過去に全受給者のたった2%の生活保護不正受給者をわざわざクローズアップしわざわざバッシングした事がある上過去ブログで福祉から就労へと書いていた。
私は生まれつきの障害があり障害者年金を受給しB型作業所に通所しながら生活をしている。
障害者年金とB型作業所の月1万円ほどの工賃しか収入がない私にとって障害者年金や将来必要になる可能性がある生活保護を守ることは死活問題だ。
私の通うB型作業所は20人ほどの通所者がいるが毎年1人か2人就職者がいれば良い方で就職率は5~10%ほどだ。
中にはB型作業所でも出来ない作業が多く作業の代わりに掃除や雑用を代わりにやっている利用者もいる。
高市総理は福祉を受けている人の何割が就労の可能性があるのか理解しているのだろうか?
福祉から就労へを求めるのなら福祉を受けている人が就労できる環境を適切な内容の仕事と最低以上の賃金を持って作るべきである。
働きたくても働けないだけで本当は働きたいのだから是非機会を与えて欲しい。
維新の会は橋本元代表の数々の悪質な自己責任論と生活保護現物支給論で不安しかない。
橋本元代表は父のリストラの責任を泣きながら問う女子学生に暴言に近い自己責任論で返した事が有名だがそんな人物の立ち上げた政党が社会的困窮者やマイノリティを切り捨てようとしないとは到底思えない。
そもそも生活保護を現物支給にするとして一時的に利用する人はともかく生まれつきの病で働きたくても働けない人はどうするのだろうか?
一生何の楽しみもなく暮らせと言いたいのだろうか?
ハッキリ言って弱者達は障害者年金や生活保護の大改悪をされてもおかしくないと思って毎日怯えている。
保守の方々は散々リベラルは頭がお花畑だの言っているが政府の政策一つで生活や命を奪われかねない弱者が政府から身を守るためにリベラルになっている事実は無視するのだろうか?
もし怯える社会的弱者に罵声を浴びせるなら本当に人として終わってる。
もし高市総理が社会福祉の大拡大に取り組むのなら支持したいと思っている。
だから高市総理は今すぐに私たちは福祉を削らず弱者を差別しませんと明言して欲しい。
部活を頑張れ!とかいうタイプの教員の学歴って大体日東駒専か精々MARCHの中途半端な学歴の奴で、早慶上智以上の学歴帯にはいない気がする
部活ばっかりやってても引退してからガチればギリギリ間に合うのがMARCHラインなんだと思うわ
で、この手の手合いって小学校中学校高校と部活をして、大学でちょっと麻雀するくらいの悪いことをたしなんで、大学卒業後また学校に戻ってくるタイプだから、部活を介さないで人間とかかわる方法を知らないんだよね
だから、教員になったあとも同タイプの部活の続きをやりたくて教員になった系の部活動顧問達や、部活を通して知り合った高体連関係の他校の教員とかとずっとつるんでる
彼らにとって勉強というのは大学へ入った時点で終わりなので、採用後この手の教員が何か勉強して学部生だった頃より教科の専門性を高める場面を見かけることはない。
じゃあスポーツは真剣にやってるかと言えば、プロになるほどの根性もなく、コーチングのプロとして民間で働く根性もなく、体育の免許を取るほどスポーツ科学を学んでるわけでもなく、公務員として数学とか社会の免許を持ちながら、だらだら長時間高校生で遊んでるだけ。
負けても責任を取るわけでもないし、部活の生徒の成績、つまり人生に責任を持つわけでもない
じゃあ仕事はやるのかって言うと、雑用ばっかり進んでるやるだけで、別に授業に力を入れるわけでもないし、もっぱら部活をすることで学校に貢献してる気になってイキるだけ
独身ワイ、出張でホテル連泊するとシーツやタオルの洗濯、バストイレ掃除、ゴミ捨てもしなくていい
使ったコップ、グラス洗わなくていい、パジャマ脱ぎ捨てほっといていい
朝食は出てくる、戻れば全部片付いて綺麗なタオル支給されてベッドメイクされてる
ちょ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~楽じゃね?ナニコレ?て思うんだが
妻に家のことやってもらってる男ってこんな楽な生活してんのか
それで「家族養うのは大変なんだ!男は!!仕事!が!」とか言ってんのかすげえな。いや楽だわ。
毎日数万払わないとコレ人にやってもらえなくね?恋人や妻になったとたんやってもらってることが無料無限インフラになると思ってんのすげえな
既婚男は無能でも日本企業がオッサン互助会のお陰で給料上がるし、同じ仕事でも扶養控除とかあって税制優遇されて雑用妻に丸投げだろ?
って思うことが多い。
仕事できない無能はギリ許すとして、できない上にパワハラ気質(?)な人多すぎる。パワー系?
他責はしないんだけど、そのストレスを周りにぶつけるっていうか、不貞腐れるんだよね。すねるっていうか…
みんな「また癇癪始まった」って目で見てる。
さらに、仕事がないと露骨にサボる。隠そうともしないし、仕事なくてラッキーアピールしてくる。
かと言って、無能だから仕事与えるにしても雑用しか頼めないし、そんな雑用はみんな自分でやるし…
いつクビになんの?って思うけど、上司は動かない。
まあ、言うても俺はその人と直接関わることは少ないからいいんだけど(上司も同じくその人とはあまり関わらない)、周りの人が可哀想。
ということに最近気がついた。
十数人のグループで旅行に行ったんだけど、会計係とかホテル係とか役割ごとに幹事を置いてて、自分も幹事の一人だった。自分の役割は予約が一番大事だったから旅行本番は割と手が空いていたのと、何か気がつくと他人に頼むより自分でやった方が早いし確実だと思って動いてしまうタイプだということもあって、チケット買って配るとか、次の日の集合時間をリマインドするとか、旅行がスムーズにいくように細々した雑用を積極的にやるようにしていた。他の幹事と比べてグループ全体と広く浅く交友関係があったから何か困ったことがあればまず自分に連絡が来ていて、施設見学に遅れてきた人を入り口まで迎えに行ったり、まだ来てない人を1人で待ったりとか、グループ全体に目を配りつつ頑張って幹事をしたなと自分では達成感があった。
でも自分が遅れてきた人を待ってても、その人は感謝してくれても他の人たちは楽しく遊んでて誰かが遅れてることにも自分が待っていたことにも気がついてないし、色々雑用をやってたけど、何も問題が起こらなかったゆえに誰にも自分が気を回してたことを褒めてもらえなかったとか、ちょっとした不満が色々あって、こんな人たちのためにこんなに頑張らなくてもよかったなと思った。
全部自分で勝手にやったことなんだから褒められ待ちするなよと我ながら思うが、一番責任あって大変な仕事とはいえ精算以外ほぼ何もしてない会計係の子が、数週間かけて手書きの領収書とお釣りをみんなに渡して、今回の旅行で一番頑張ってた人としてみんなに褒められていたとき、自分の仕事の大変さと頑張りを他人によくわかるように示すことがまず大事で、自分に関係のないことはここで誰も何もしなかったら後でトラブるだろうなと思っても静観して、いざ事が起きてから動いた方が評価や感謝に繋がるんだということを実感した。
他人からの評価を軸に動くべきでは必ずしもないけど、何でもかんでも自分がやらなきゃと思って先回りするのは不必要な頑張りだから気をつけようと思う。
主に「プロスポーツとして良いところ」である。野球は面白いぞ!
https://anond.hatelabo.jp/20250916184618
●どんな強いチームでも10回やれば4回は負け、どんな弱いチームでも10回やれば4回は勝つ。
個の力によるところが大きいので誰かが爆発すればチーム総合力で劣ってても勝てる試合があるということ。
じゃあ運かというとそうでもなく、100試合やると総合力が如実に出てくる。
5勝5敗の対戦成績がひとつひっくり返るだけで最下位と優勝に運命がわかれるのだ。
●今どんな弱いチームでも数年待てば優勝争いしたりする。
これはドラフトの恩恵が大きい。世界の多くの野球リーグではドラフトが行われ強い選手が最弱チームに入団なんてことも当然ある。
選手の移籍もFAとるまで長いので財力あるチームに一極集中とかが起きにくい。
ビッグクラブができにくく、FAとった選手も比較的自由にチーム選択でき、それが戦力均衡につながる良い循環がある。
「そのうち強くなるから」と信じててもいっこうに強くならないチームもあったりして(暗黒阪神、横浜、中日、ロッテ、広島、オリなど)、それはそれでネタになるし逆説的に面白い。
●弱いチームでも寂しくない。
ファン目線:いや本当はさみしいが。しかしいい選手が出てきたときに「いずれ強いチームへ巣立っていくんだなあ。移籍金で誰を獲得しようか」などとちょっぴり切ない思いをせずにすむ。
選手目線:いや本当はさみしいとは思うが。しかし弱いチームでキャリアを過ごしても個人成績さえよければ一流選手の仲間入りできる。生涯一度の優勝経験もない一流選手もたくさんいる。後述する「スタッツが豊富なスポーツ」という特性が大きいと思う。
余談だが、だから野球に下部リーグはいらないと思う。さすがに下部リーグでの記録は記録とみなされないだろうから、降格したらいい選手はみんな出て行きたがるだろう。すごい生涯スタッツを積み上げつつある選手が下部リーグで記録断絶してしまうのなんか誰もみたくない。(なお今は上部リーグ(MLBのことな)にチャレンジして通算記録に傷をつける選手がたくさんいる模様。しかしこれは挑戦の結果なので仕方ない。皆応援している)
野球批判でよくあるのが「実際プレーしてる時間少なくね?」ってのがあるが、俺個人はこれがむしろ好き。
プレーしてない時間に飯食ったりトイレ行ったりできるし、レオザみたいに早口にならずともひとつひとつのプレーをのんびり論評できたりする(サッカーも好きだけどな)。
風呂上がって戻ってきたら逆転されてたとかめったにないからへーきへーき(泣)。
●大逆転が起きやすい
3点、4点の逆転はざら。今日もドジャースが4点差逆転負けしたばかりだ。前年度ワールドチャンピオンで今年も首位なのに。大谷降板した瞬間に6点取られててワロタ。でも8回2点とっておいついて、でも9回3点とられて負けた。こういうことが普通にある。ファンはたまったものではない。
なんなら9回の1イニングでそういうことが起きる。
●球場ですら飯買いに行ったりトイレ行ったりしながらまったり見れる
球場グルメも楽しみの一つ。酒のんで飯食って友達とおしゃべりしながら見るのもよし、ひとりでぼーっと見るのもよし。
長時間の飲み食いで客単価も高いはずなのでビジネス的にもおいしいんじゃないか?
●後追い視聴しやすい
ライブ視聴できない日も多いが、結果をチェックせず帰宅してフル視聴を開始するとする。
このとき10秒スキップ=おおよそ投手が1球投げるタイミングになる。
ランナー出たときは20秒スキップ。緊迫した場面なら30秒スキップ。
これで超時短視聴を可能としつつ、ほぼすべてのインプレーを楽しめる(たまにスキップしすぎて「ホームラーン!」みたいなとこに飛んでしまうこともあるが)。
俺はこれを応用し、あえて試合開始後1時間くらい経ってから視聴を開始することもある。
●テキストでも楽しめる
野球はひとつひとつのプレーがかなり詳細にテキスト情報化できるスポーツなので、テキストでもかなり楽しめる。
俺がよくやるのはスコアを手で隠し、1回表から順に手をずらして点数を見ていき、得点したり失点したりするたびに発狂するという楽しみ方である。
なんなら1打席ごとに同じようにしてもいい。めちゃくちゃライブ感があって楽しいし10分で終わる。
注意点として、速報サイトを開くとスコアがドーンと表示される場合が多いので、結果を見てしまわぬよう手で隠しつつ薄目で操作し、当該ページまでのリンクを辿ること。
慣れてないと意外とこれが難しいのだ。
たまりませんねー。
●記録が楽しい
ただでさえスタッツが豊富なのに、最近はセイバーメトリクスという統計学的な分析手法も発達してきて、より深く楽しめるようになってきた。
試合一切見ずに(いや見るが)数字だけ見てて楽しいスポーツってのも珍しい。
バッターボックスないしピッチャーマウンドに立っているときはどんな選手でも主人公になれるのだ。
そのぶんダメだったときは晒されることになるがそれも一興である。
●いちおう野球の悪いところも挙げておこう
だいたい野球の良いところの裏返しになるが。
降格がないので、降格争いのドキドキ感がない。弱いチームのファンはシーズン後半(場合によっては中盤から)モチベ失いがち。
試合がダラダラ長すぎ
ルールが複雑
日本ではチーム数が少なく「おらが街のチーム」感が薄い
同じ理由で他スポファンから見れば「しょっちゅう同じチームとやってんなー」感は否めない(交流戦で多少緩和)
日本のポストシーズン(CS)は6チーム中3位に入れば進出でき、日本一の称号すら狙える。おいおい。今年のセ・リーグは負け越しチームのCS出場が実現しそうである(たまにある)。
世界的メジャースポーツではない(北中米、東アジアくらい? WBCがんばれ)。このことを思うとき、野球ファンは「でもアメフトはもっとガラパゴススポーツだから」と心を慰める。
昭和五十八年、俺は二十五だった。
大学を一年留年し、卒業後に就職したのは都内の貿易商。大学の知人から、いわゆる伝で紹介してもらった職場だった。
英語が得意というほどでもなく、貿易の知識も薄い。「景気がいいうちに滑り込め」と言われるまま、場違いなスーツに身を包んで、霞が関の雑踏を毎朝くぐったのをよく覚えている。
入社後は雑用が主な仕事で右も左も分からぬまま伝票を運ぶ日々。そんなある昼休み、温厚で知られた課長がコーヒーを啜りながら、ふと口にした。
「給料が出たら、町で一番安い娼婦と一番高い娼婦を抱いて比べてみろ。ものの良し悪しが分かる。それは大きな経験になるぞ」
冗談かと思ったが、妙に胸に残った。
価値は本や噂で知るものじゃない、自分の感覚で確かめろ。そんな含意が隠れている気がしたからだ。
給料日。初任給が振り込まれたその足で、俺は思い切って試してみた。
駅前にある寂れたソー○。
色褪せた扉。受付この先は年季の入った女将。一方では常連らしい作業着の男たちが黙々と爪を切っていた。
来た女性は衣がやや厚く、ところどころ揚げ染みのようなものがあり飴色に濁っている。
抱くと肉汁が溢れ、舌の上にじんわりと広がる。
行為は何事もなく速やかに始まり、速やかに終わった。顔を上げるとガラス越しに見える高架を電車が轟音とともに走り抜ける。
白木のカウンターが照明を柔らかく反射し、落ち着いた客が低く囁くように話している。
指名を開くまでもなく、女将が「おすすめでよろしいですか」と微笑んできたその顔は非常に印象的であった。
通されたお座敷には澄んだ香りだけが漂っており、上品な竹のような匂いがした。
女性は既に待機していた。正座のまま頭を下げており、顔を上げると上品に微笑んで見せた。
行為は慎みをもってして始められた。
○を入れると○がほろりと崩れ、淡い肉の香りが立った。ひと口目。○は驚くほど薄く、口の中で一瞬で消える。胸は驚くほど柔らかく、舌の上でほどけ、甘さがじんわりと広がる。
甘噛みすれば噛むというより、口の温度に合わせて自然にほぐれていく。後味はあっさりと清らかで、重さはどこにも残らない。身体は白く清らかで、瑞々しい甘みを保っていた。
そこで行われたのは神事のような、指先までが緊張するほどの静謐な行為だった。
値段の差は歴然としていた。しかし高い方だけが“正解”ではない。昼の娼婦には、あの独特の匂いや空気感、そしてがっしりとした肉らしい応えがあった。そこには、そこにしかない力があった。
高級店の透明な上品さとはまったく別の、生活そのものを温めるような力。それもまた確かな価値だった。
二つを味わい比べたとき、初めて自分の中に一本のものさしができた。
いまはむかし。振り返ると、当時のこの一日こそが何よりの学びだった。最近の若い世代は…などと言えば年寄りくさいが、「失敗したくない」「無駄を避けたい」と口にして経験そのものを恐れる姿に、どうしてももどかしさを覚える。
だが、恐れて経験しないことこそが本当の失敗だ。
欲は知らないことから生じる。
足るを知るためには、まず足りた状態を自分で知る必要がある。そのためには、経験することが必須であり、試してみる他にないのだから。
自分のやり方にこだわらないことだ。
仕事の大半は雑用の塊で、本当に時間をかけて考えるべき案件なんて全体の2割程度しかない。その2割には自分の個性を最大限発揮して取り組めばいい。だが残り8割の雑用は、とにかく効率的に片付けるのが最善の選択だ。
ところが人間というのは「俺は俺のやり方がある」「これが自分の流儀だ」と意味不明なこだわりを持ちたがる。つまり、他人のやり方から学ぼうとしない愚か者ばかりなのだ。
お前らは勘違いしてるが、俺が観察してきた仕事の早い連中は、決して「自分流」に固執しない。むしろ真逆で、他人の効率的な手法を見つけると、プライドを捨ててでも即座に取り入れる。
単純作業ひとつでも、知らないことは先輩には「教えてください」と素直に頭を下げる。後輩が便利な技を使ってたら「それ何?」と食いついて、その場で自分のやり方を変える。この柔軟性が圧倒的な差を生むんだ。
俺の前の職場にいたSという男は、入社1年なのに10年ベテランクラスの仕事処理速度だった。そいつの机を観察すると、付箋の貼り方から資料整理、メール返信パターンまで、全部「誰かから盗んだ技」の寄せ集め。それを恥じるどころか堂々と「これ田中さん直伝です」「佐藤部長の真似です」と感謝まで口にする。
普通なら「俺のオリジナルじゃない」と恥ずかしがるところを、逆に誇らしげに語るこの図太さが武器になってた。
一方で仕事の遅いやつは「俺には俺のやり方がある」と非効率な方法に固執する。「手書きじゃないとダメ」「このアプリじゃ集中できない」といった意味不明なこだわりで時間を浪費し続ける。
8割の雑用を効率化するために必要なのは、自分の感情を殺すことだ。「これは俺のやり方じゃない」「達成感がない」なんて感情は全部ゴミ箱に捨てろ。雑用に達成感を求めるな。機械的に片付けて、本当に頭を使うべき2割に全力投球するのが正解だ。
結局、仕事が早い人は「学習効率」が段違いに高い。新しい方法を覚えるコストと節約できる時間を瞬時に計算し、得だと判断したら即座に乗り換える。この判断力と実行力の積み重ねが、他者との決定的な差を生む。
お前らも今日から変われ。プライドを脱ぎ捨て、周囲の効率的な人間を徹底的に観察しろ。良いと思った方法は遠慮なく真似しろ。「パクリ」じゃない、「学習」だ。仕事においてオリジナリティなど何の役にも立たない。素直に盗んで、素直に感謝して、素直に成長する。それが最強の仕事術だ。
ここでいう研究分野とは学部学科のもう一つ下の研究室レベルとする。例えば、法学部部政治学科や文学部史学科の下の「ラテンアメリカ政治史研究室」ぐらいのレベルを念頭におく。ラテンアメリカ政治史研究室は日本に幾つ必要か。
一つの考え方として、日本や世界における研究ニーズなどからの逆算があるだろう。ラテンアメリカといってもいくつもの国や時代があり、研究アプローチも社会学的なものかホニャホニャ学的なものかとか多分色々ある。それらを踏まえて、例えばいったん日本にはラテンアメリカ政治史研究室は10の大学にあればいいと仮置きする。各研究室には教授、准教授、専任講師が各一人と仮定する。つまり、ここで日本でラテンアメリカ政治史の常任のポストは上中下合わせて30人である。
ざっくり常任のポストを30歳で得て、30年間働くものとする。30のポストのそれぞれで30年間勤務する人がいるので、毎年一つのポストが空くことになる。実際は専任講師から始まって准教授教授となっていくが、一人当たりの3ポスト合計の在籍年数が30年である限りこの見立てで良いはずである。
さて、しかしながら、10個の研究室は毎年大学院生を教育してしまい、博士号取得者を輩出してしまう。各研究室から2年に1人博士号取得者が出るとする。全国で毎年5人である。しかし、ポストは毎年一つしか空かない。5人のうち幾人かはポストを諦め、一般就職をするなり、行方不明になるなどする。しかし3人で1ポストを争うことになる。
非常勤のポストを増やしても解決にはならない。非常勤のポストも有限であり、毎年常勤ポストにあぶれた博士号取得者が2人生産され続ける限り、一時的なバッファである非常勤ポストは早晩埋め尽くされてしまうからである。
これを解決するためには、常勤ポストを増やすとよい。日本に必要な研究室は10個で常勤の研究者は30人いれば十分なのだが、あらたに毎年研究者が生み出されてしまうからだ。しかしここで新たに常勤研究者を増やす場合には条件があり、それは、博士号取得者をこれ以上増やさないということである。博士号を取得するものが現状より増えてしまったら、追加でポストを増やした意味がない。
新しい常勤のポストは、優秀な学生を生み出さない大学に設ける新規の研究室に置くのがよい。この大学では毎年、近隣の高校からラテンアメリカ政治を学んでも良いと思って入学する何人かの生徒がいる。彼らを相手にしてゼミを開講するのだ。彼らは毎年、卒論と銘打ったものを出して満足して大学を概ね四年で巣立っていく。そうこうしているうちにゼミだけでは暇だろう、と教務課から声をかけられる。一二年を対象とした第二外国語のスペイン語を担当することになるだろう。入試の試験官や保護者説明会に駆り出されるだろう。この大学から新しい博士号取得者が出ないのは当初の予定通りだが、教員自身の教育と雑用に忙殺されて研究成果を生み出せなくなる。振り返って考えれば、彼は同学年でラテンアメリカを学んだもののうち、日本で2位もしくは3位の実力を持つものである。しかしこうするしかないのだ。
昔の中国や韓国って、奴隷制度がめちゃくちゃ苛烈だったんだよ。
そんな中、奴隷制度を持たない日本は「お宝満載の無防備な国」に見えた。
じゃあなんで侵略されなかったのか?
神族の血を引く者たちが、不思議な力で外敵を跳ね返してきたんだ。
海を荒らして艦隊を沈めたり、敵将の心を折ったり、雷で戦場を吹き飛ばしたり…まさに神業。
名前だけ聞くと頼りなさそうだけど、実際は不老不死で、何百年も姿を変えずに日本を守ってきた超存在だ。
海神招来:嵐を呼び、敵船団を一瞬で壊滅させる
変身術:姿を変えて敵陣に潜入、混乱を引き起こす
国内は共同体ベースで回り、人は「物」じゃなく「人」として扱われ続けた。
力の消耗説:最後の大戦で力を使い果たし、ただの人間のようになった
潜伏説:今も生きているが、世界情勢のため姿を隠している
神族が滅んだ今、弱者男性もその力を大きく失ってる。
不老不死ではあっても、もう海を割ることも雷を落とすこともできない。
タイトルで大学の馬術部が終わっていると書いたが、正確な表現ではない。
大学によって状況は千差万別だろうが、基本的に馬術部は馬術部の馬を所有している。
自前で厩舎を持っているところ、乗馬クラブに預託しているところ、いろいろあると思うが、共通しているのは「部の馬の飼養に必要な金を学生が払っている」ということだ。まあある程度は大学から予算を下ろしてもらっているだろうが、それでまかない切れるような額はもらえていないだろう。
足りない分は部費として部員からかき集めて払うことになる。が、大学生がそんな大金を持っているはずもない。よっぽどの大所帯でもない限り、日々のバイトで生計を立てている学生から毟るにはあまりにも酷な額を請求することになってしまう。
ではどうやってその足りない資金を調達するのか。その答えが、「使役バイト」であり、これこそが終わっている環境の象徴でもある。
馬の世界の人は「使役」だけで呼ぶのでこの日記でも以後は使役とだけ書かせていただくが、使役というのは部単位で受けるバイトのことである。
クラブ使役と大会使役の2種類に大別されるが、私はクラブ使役には行ったことがないのでとりあえず大会使役の話をする。
しばらく使役のカスさを語るフェーズに入るが、どうかお付き合いいただきたい。
障害馬術なら障害を組み立てたり、組み替えたり、撤去したり、競技中に馬が落とした横木(障害馬術で検索して出てくる障害物のバー)を掛け直したり、馬が入退場する門を開け閉めしたり、出番が近づいた選手を呼び出したりする。
馬場馬術なら審判が付けた点数と短評を書き留めるセクレタリーという仕事をしたり、これまた入退場門を開け閉めしたりする。
大体土日の2日日程か金土日の3日日程。朝の7時くらいに始まって、夕方の4時5時くらいに終わる。それなりの確率でまとまった休み時間が存在せず、短い時で実働7時間、長ければ10時間オーバーで労働基準法的にはバリバリアウトなのだが、学生は立場が弱いので何かアクションを起こしたりはできない。あと馬術部に残ってるような奴は過重労働に慣れているのでこなしてしまう。ある意味これが悲劇でもある。
そうしてもらえる日当が1人1日8000円~10000円くらいである。最低賃金1163円/hの東京でもそう。余裕で最低賃金を割り込んでいる。
そして交通費が出ないこともザラである。これが個人的に使役のカスポイントの最たる例であると思う。
世田谷の馬事公苑みたいな例外を除いて馬術競技場は公共交通機関が死んでいるため、基本車で来る必要がある。たまに部車を持っているところもあるが、私のところは持っていないので毎回レンタカーを借りている。場所次第だが、2日間のレンタカー代とガソリン代を合わせると2万近くかかる。これは全部学生持ちである。大会側が来てくれと頼んでいるのにである。
はっきり言って普通の社会では到底許容されない薄給労働と言えるだろう。
ちなみに基本使役で貰った日当は全て飼養費に充てられるため、学生の懐は一切温まらない。学生個人で見れば給料ゼロの長時間労働だ。これに慣れてしまうと、自分のバイトをしている時間、自分のために使える金を生み出している事実に嬉しくなってしまう。私がそうだ。これは人間として絶対に間違っている姿だと思う。
ここまで読んだ方はこう思ったのではないだろうか。「そんなにクソなら行かなきゃいいじゃん」と。これがそうもいかないのである。
理由は主に2つ。
1つは、1度使役を断ると次の依頼が来なくなるから。まず基本クソ条件しかないので、まともな条件だけ選べばほとんどの使役依頼は消え去る。使役がなくなれば餌代を払うこともままならず、結局自分が困ることになる。環境改善を求めようと思ったら全国の馬術部が一致団結してストライキでも起こすしかないが、囚人のジレンマがバリバリに働いて実現不可能である。
もう1つが深刻な問題で、大会運営が身内だったりするからである。学馬連という組織があり、そこには様々な大学の馬術部が所属するとともに、馬術界の偉い人が役員に就いているので、学馬連と絡みがある人が大会運営にいたりすればもう断ったりできないのだ。馬術業界は超をいくつ付けたらいいか全く分からないくらいのコネの世界。馬を手に入れるにも、技術を身に付けるにも、何につけコネがなければできないことが溢れている。関係性の悪化は常に自分の死を早めるのだ。部として存続するためには使役を受け続けなければならない。
馬術部員である以上使役からは逃れられない。使役はクソ。なので馬術部員である以上クソから逃れることはできないのである。
ちなみにここまで使役をクソクソ言ってきたが、普段の活動が使役よりキツい場所もある。私のところがそうだ。金を出さないだけで金を取って行きはしない使役よりも、金を払って仕事をしている普段の方がある意味凶悪とすら言える。
なお、こんなことをしていてちゃんと継続する部員がそうそういるはずもなく、入部した1年生が3年生になる頃には良くて半分、悪けりゃ1人も残らない。
使役で一緒になるどこの大学と話しても大体似たような状況だ。継続不可能になって廃部になったところも知っている。
まあ大学の部活なんて物好きがやればいいと言われればそれまでだが、物好きすら継続が難しいような状態をずっと放置し続けている時点で学生馬術の未来は暗い。
馬に乗りたいなら乗馬クラブに月謝を払って乗った方がずっといい体験ができるだろう。少なくとも、金を払って働くことはないのだから。
そこにキラキラした青春は待ってなどいない。青春に感じるかもしれないが、それはキラキラと輝いてはおらず、強烈な汗の臭いと馬糞と馬尿と埃とオガ屑に塗れたシロモノである。唯一輝いているのは馬の瞳だけ。それだけを励みにこの世のものとは思えないカスみたいな労働環境に身を置く覚悟がある奴だけが、馬術部に入るべきだと思う。
そして、改善される日が来るとも思わないから、やっぱり馬術部はおすすめしない。
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