
はてなキーワード:集合的無意識とは
まるで巨大な単一人格が存在し、俺を観測し、評価し、記憶し、社会的スコアを付与しているかのように扱われる。
しかしストア派の冷徹な自然観に従えば、その前提は最初から壊れている。
世間とは主体ではない。世間はロゴスを宿した統一的意志ではなく、ただの相互作用の束、無数の表象と衝動と欲望の乱流である。
つまり世間が俺を認識していないのではない。世間という仮想の審判者を俺が作り出し、その審判者が俺を見ていないという物語を俺が採用しているだけだ。
ストア派はここで、即座に区別を導入する。エピクテトスの二分法だ。
すなわち、俺の支配下にあるもの(選択能力、意志、判断)と、俺の支配下にないもの(他者の評価、偶然、噂、流行、アルゴリズムの気まぐれ)を切断せよ、と。
世間の認識は後者だ。つまり俺がいくら歯を食いしばっても、そこに統制権はない。
ならばその領域に魂のリソースを投下するのは、倫理的にも論理的にも誤りだ。
ストア派はこれを外部財への隷属と呼ぶ。名声は外部財であり、承認は外部財であり、世間の視線は外部財である。
外部財に依存する生は、最初から不安定に設計されている。株価に人生を賭けるようなものだ。
しかし、ここで話は終わらない。なぜなら俺が言っているのは世間が俺を認識していないだけではなく、俺も世間を認識していないからだ。
この対称性が、ただの愚痴を形而上学へと押し上げる。これは単なる孤独の嘆きではなく、認識論的な断絶の宣言である。
俺は世間を見ていない。世間も俺を見ていない。ここには、相互主観性の回路が形成されていない。
社会とは本来、相互に他者を他者として認識し合うことで成立する。
しかしその回路が途切れている。これは社会的死の一形態であり、ユング的に言えば集合意識への接続不全だ。
ユングは言う。人間は意識だけで生きているのではない。個人的無意識と集合的無意識があり、さらにそこには元型が蠢いている。
世間というものは、単なる人間集団ではない。世間は集合的無意識の表層に現れる社会的ペルソナの海である。
ペルソナとは仮面だ。人は社会の中で、役割に最適化された仮面を被る。
会社員の仮面、家族の仮面、SNSの仮面、善良な市民の仮面。世間は、無数のペルソナが互いのペルソナを認識し合って成立する、仮面の交換市場である。
そしてここで重要なことが起きる。俺が世間は俺を認識していないと感じるとき、それは俺の本体が認識されていないというより、俺のペルソナが市場に上場していないという意味である可能性が高い。
世間は本体を見ない。世間は仮面しか見ない。世間が見ているのは、社会的にタグ付け可能な記号、職業、年収、肩書、フォロワー数、言語の癖、政治的立ち位置、消費行動、顔の表情、服装のテンプレだ。
世間は個体の魂を識別する器官を持たない。だから世間に認識されるとは、実際にはペルソナとして分類されることに過ぎない。
つまり俺が認識されないと言うとき、それは分類されないということだ。
分類されない者は、統計に載らない。統計に載らない者は、社会の意思決定に影響しない。影響しない者は、存在しないものとして扱われる。
これは現代のロゴスではなく、統計的なダイモーンである。世間は人格を持たないが、集合としての惰性を持つ。惰性は倫理を持たない。惰性はただ、流れる。これが世間の正体だ。
しかしユングはさらに深く刺してくる。俺は世間の人間を一切認識していないと言うとき、そこには投影が潜んでいる。
俺は他者を見ていないのではない。俺は他者を世間という抽象概念に圧縮している。
これは他者の人格を剥奪する心理的操作だ。世間の人間は、顔も名前も欲望も恐怖も持つ具体的存在なのに、俺はそれを世間という巨大なモンスターにまとめてしまう。
つまり俺は他者を認識しないことで、逆説的に自分を守っている。ユングはこれを影の機制として読むだろう。
影とは、自我が受け入れたくない側面の貯蔵庫だ。俺が世間を嫌悪するとき、その嫌悪の一部は、俺自身の影が外部に投影されたものかもしれない。
世間は薄っぺらい、世間は愚かだ、世間は凡庸だ、世間は空虚だ。そう断罪することで、俺は自分の中の薄っぺらさ、愚かさ、凡庸さ、空虚さを俺ではないものに隔離している可能性がある。
これは心理的には合理的だ。自我は自己像を守るために、世界を歪める。だがそれは同時に、個性化のプロセスを阻害する。
ストア派の言葉で言えば、これは判断の誤謬だ。外部の現象に価値判断を貼り付け、心を乱す。ストア派が問題視するのは現象ではない。
現象はただの現象だ。問題は俺の判断だ。世間が俺を認識しないこと自体は中立である。
善でも悪でもない。ただの事実である。しかし俺がそこに「これは耐えがたい」「これは屈辱だ」「これは人生の敗北だ」という価値を付与した瞬間、俺は自分の魂を鎖につないだ。
そしてこの鎖の正体は、承認欲求というよりもっと原始的なものだ。
ストア派的に言えば他者の評価への恐怖であり、ユング的に言えばペルソナ崩壊への恐怖だ。
世間に認識されないということは、ペルソナが成立しないということだ。ペルソナが成立しないと、社会の舞台における座標がない。座標がないと、自我は漂流する。漂流する自我は、存在論的不安に沈む。
だから俺は認識されないことを恐れているのではない。俺が俺であることを保証する外部の鏡がないことを恐れている。
人間は他者の眼差しを通して自己像を形成する。これはサルトル的だが、ユングも似た構造を持つ。自己は自我を超えた中心だが、そこに到達するには、他者との摩擦が必要になる。摩擦がなければ、俺は自己の輪郭を得られない。
だがストア派は冷酷に言う。そんなものに依存するな、と。自己の輪郭は外部の鏡ではなく、内的ロゴスによって確立されるべきだ。
ストア派にとって自由とは、外界の承認から独立した精神状態である。アパテイアとは、無感情ではない。誤った価値判断から解放された状態だ。
世間に認識されないことを害と見なさないこと。世間に認識されることを善と見なさないこと。これが精神の自律だ。
しかし、ここで一つの逆説がある。ストア派は共同体を否定しない。むしろコスモポリタニズムを唱える。
人間は宇宙国家の市民であり、互いに理性によって結ばれている、と。つまりストア派は世間を無視して独りで悟れとは言っていない。
むしろ共同体に奉仕せよ。ただし、共同体からの評価に魂を売るなと言う。
これが厄介だ。俺の状況は、奉仕する共同体が実感として存在しないという状態だ。
世間が見えない。世間も俺を見ない。ここでストア派倫理は、真空に投げ込まれる。
ユングはここで、個性化の観点から別の地図を提示する。世間から切断された者は、集合意識の浅瀬に住めない。
浅瀬に住めない者は、深海に潜るしかない。つまり、世間に適応するペルソナのゲームを捨てた者は、否応なく影と対峙し、アニマ/アニムス(内なる異性元型)と格闘し、自己の徴候に出会う。
これは苦しいが、精神の錬金術でもある。ユングはこれを魂の夜と呼びたくなるだろう。孤独は病理である場合もあるが、同時に、個性化の必須条件でもある。
だから世間が俺を認識しないは、災厄であると同時にチャンスでもある。
世間に認識されることは、社会的安定を与える代わりに、ペルソナの牢獄を与える。認識されないことは、安定を奪う代わりに、自由と深度を与える。
これはユングの言う補償作用だ。意識が外界で満たされないなら、無意識が別の形で膨張する。世間が俺に意味を与えないなら、無意識が俺に意味を生成する。
しかし、意味生成には危険がある。世間が俺を認識しないとき、俺は選ばれた孤独という神話を作りたくなる。
これは元型的誘惑だ。殉教者の元型、賢者の元型、アウトサイダーの元型。俺は世間に理解されない天才だ、という物語は甘い。
だがそれはしばしば、単なる自己防衛の神話化にすぎない。ユングはそれをインフレーションと呼ぶ。
自我が元型のエネルギーを吸って巨大化し、現実との接地を失う状態だ。これは精神の事故だ。孤独が精神を鍛えることもあるが、孤独が精神を神格化することもある。
ストア派は、この危険をもっと簡単な言葉で切り捨てる。思い上がりだと。
宇宙の秩序の中で、俺が特別に悲劇的である理由はない。俺が特別に見捨てられている理由もない。世界は俺を中心に設計されていない。
ここでストア派は残酷なほど健全だ。世界が俺を見ていないのは、世界が忙しいからだ。
世界は世界のロゴスで回っている。俺はその一部でしかない。これは虚無ではない。むしろ、過剰な自己重要感からの解放である。
そして結局、俺が言うべきことはこうなる。
世間が俺を認識しないのは、世間が愚かだからではない。世間とはそもそも、俺を認識するための器官を持たない現象だからだ。
世間は意識ではなく、統計的流体であり、アルゴリズムであり、模倣の連鎖であり、集合的無意識の泡である。そこに人格的な期待を置くのが誤りだ。
また、俺が世間を認識しないのは、俺が優れているからではない。俺が他者を抽象化し、投影し、影を外部化しているからだ。
俺は世間を見ているのではなく、世間という言葉に詰め込んだ自分の恐怖と嫌悪を見ている。
俺は世間を拒絶しているのではない。俺は世間を通じて、自分の無意識と戦っている。
ストア派の結論は明快だ。認識されるかどうかは外部の事象であり、俺の徳とは無関係だ。
俺が制御できるのは、判断と行為だけだ。ゆえに、世間の認識を求めて魂を擦り減らすのは、ロゴスに反する。
ユングの結論はもっと暗い。世間に認識されないという傷は、影を肥大させ、投影を増やし、ペルソナを崩し、個性化を促進する。
つまり俺は今、精神の錬金炉の中にいる。そこから黄金が出るか、煙だけが出るかは、俺の自我がどこまで誠実に無意識と対話できるかにかかっている。
だから、このタイトルの文章は、ただの絶望ではない。これは認識の構造の告白だ。
世界は俺を見ない。俺も世界を見ない。その断絶は、社会的には不幸であり、哲学的には中立であり、心理学的には危険であり、同時に可能性でもある。
俺がすべきことは、世間に認識されるために仮面を磨くことではない。仮面が必要なら、それは道具として作ればいい。しかし魂を仮面に売るな。ストア派の禁忌はそこにある。
世間を憎んで自分を正当化することでもない。影を世間に投げつけるな。ユングの禁忌はそこにある。
残るのは、静かな実務だ。俺の支配下にある行為を、今日も淡々と実行すること。ロゴスに従い、自然に従い、徳に従い、同時に、自分の影を凝視し、投影を回収し、自己の中心に向かって潜ること。
世間が俺を認識するかどうかは、天候のようなものだ。雨が降るかどうかに怒るのは愚かだ。だが雨が降るなら傘を差すのは合理的だ。世間は俺を認識しない。
ならば、俺は俺の生を、俺の判断で構築する。世間が俺を認識しようがしまいが、宇宙は無関心に回り続ける。ならば俺もまた、余計なドラマを捨て、静かに回ればいい。
「俺は世間を認識していない」と言いながら、この文章を書いている時点で、俺はすでに世間を認識している。
「世間は俺を認識していない」と言いながら、その不在を語ることで、俺は世間の視線を前提にしている。
つまりこの文章は、断絶の宣言ではない。断絶を前提にした、接続への欲望の記録だ。
ロゴスに反し、元型に引きずられ、影を撒き散らし、それでも理性を求める生物だ。
いろいろ理屈つけてるけど、アフターコロナの世界になって「自分の事を見た目でジャッジし、日本人扱いしてくれない他人」がそこらじゅうに増えてイラついてるだけだろ?わかるわかる。
コロナ禍の全盛期が忘れられないんだよね?わかるわかる。
国境ロックダウンしてた時期はよかったよね。「外見がどうであっても、いま東京にいる人間はすべて日本に住んでいる人間(だから日本語はみんな喋れるだろ)」という集合的無意識が東京中を蔓延していたから、最近みたいに第一印象で勝手にガイジンデバフされることもなかったし、日本を蔑むサークル(笑)を形成するような人間は日本よりはるかにコロナ死亡率の高いオクニを前に口を噤んでたもんなあ。
…
例えば、なぜ、蝶の幼虫は自分が食べられる葉っぱを認識することができるのか? と尋ねた場合のことを考える。
昔、QUORAというサイトで、日本人や外国人に同じ質問をしたことがある。しかし、大抵の人は俺の質問の意図をちゃんと汲んでくれなかった。
彼らの答えとしては、
「蝶の母親が適切な葉っぱの上に卵を産むからだ」というものだった。
少し考えてみると、これらの答えは、幼虫自体の能力についてはほとんど説明していないことがわかる。じゃあ、例えば虫に意地悪な実験をして、生息域的に本来出会うことのない植物、もしくは毒性があって食べられない植物で孵化させた場合はどうなるのか?
もし、幼虫自体に葉っぱの良し悪しを区別する能力があれば口をつけないはずだし、逆にその能力がなければ、産み落とされたままにそこにある葉っぱを食べるだろう。
実際のところ、おそらく幼虫はそこの葉っぱを食べないだろう。幼虫にはちゃんと、識別する能力があるはずなのだ。
しかし、その肝心の理由は、当時ちょっとネットで調べたぐらいではわからなかった。まあ俺の調べかたがいまいちだったのかもしれないが、QUORAで質問を重ねても、その辺がクリアになることはなかった。
…
さて、chatgpt様である。かの方に聞いてみると、質問の意図をちゃんと汲んだ上で、「それはな、幼虫の口に化学的な受容体があって、それで食えるかを判断してるんだわ」という回答を返してくれる。
素晴らしい。QAが噛み合っている。
しつこいようだが正しいかどうかは別である。ただし、幼虫自体の能力、という点に沿った回答であり、ふうん、とは思う。
以前はこれが得がたかった。で、あやうい発想であることは承知だけども、俺みたくなぜなぜどーして君にとって、ある意味でこれは、正しさよりも価値のあることなんである。
…
少し話が横にそれるけども、QUORAの回答が少しズレてしまった理由についても、いまならなんとなく想像がつく。ときとして人間は、相手の意図をふまえたうえで、自分にはその答えがわからないと理解したとき、事実を直視するよりは、自分の知っている領域に話のスジをズラすことで答えることを優先してしまうのではないかと思うのである。
つまり、回答者はみんな、暗に「これは、『どこで生まれたか』とかじゃなくて、『どうやって認識しているか』を問うている話だぞ」ということは承知しており、そのうえで、無意識に話をそらしてしまったのではないだろうか。俺も含めて、大抵の人間におそらくそういう習性があるような気がする。
…
話を本題に戻す。もう一つ例を挙げる。
次のパターンだが、今度は逆に回答らしきものがたくさんあるために、かえって何が正しいかよくわからなくなっている、という状況である。話が昆虫からいきなりすっ飛ぶが、今度は人間の深層意識と超能力の話である。
…
心理学者のユングに集合的無意識という概念がある。この集合的無意識についてネットで調べてみると、サンプルとして次の二つがよく出てくる。
・人類の地域や文化、時代を横断して、睡眠時の夢や神話に特定のモチーフ(英雄や怪物等)が繰り返し登場すること
・自分と他人との間で、まるで無意識下で意思疎通していたかのような偶然の出会いや出来事が起きること(『刃牙』でいう死刑囚たちのシンクロニシティ)
ほお、と思う。しかし、もう少し考えてみると、この二つは実は根本的に異なる点があることに気づく。
…
仮に、人間の脳に原始時代から引き継がれているなんらかのシステムがあるとする。で、そのシステムには、日中の経験を特定のイメージに置き換えて夢の中で再現する機能があるとする。
そう考えれば、時代や文化を超えて人類が共通の夢を見る現象には、一応説明がつく。もちろん何の根拠もない仮説だが、例えば猫に蛇のおもちゃを見せると、一度も実物を見たことないのに世界中のニャンコが一様にびっくりするように、人間の脳にそういうサーキットが仕込まれていても、俺はそこまで驚かない。
一方、自分と他人の間で確率的に考えにくい出来事や結びつきが発生し、その原因は「人類が無意識下で知らないうちにお互いコミュニケーションをとっているからだ(シンクロニシティ)」とするのは、かなり話が飛躍している。この主張は、スピリチュアルでサイキックな領域を含まざるを得ない。
つまり、俺からすると集合的無意識という言葉は、「なんか、一応科学的に説明がつきそうなこと」と「明らかに現代科学の枠からはみ出していること」が無理くり一つに接合されている…のだが、ネットを見ても、この二つの層のズレに言及しているものが見つからない。一方、「集合的無意識とシンクロニシティは密接な関係にあるけど、別ものだぜ」という説なら見つかるし、ユングの立ち位置についても、「スピリチュアルの世界にかなり接近していた」という解説もあれば、「魅力を感じていたのは事実だが、一定の距離を保っていた」というものもある。
…
整理してみる。「集合的無意識とシンクロニシティは同じもの(もしくは、近いが別物)であり、ユングの思想はスーパーナチュラルだ(もしくは、超心理学とは一線を引いている)」では、それぞれ意味合いが全然違う。違うはずなのに、ネットで調べてもいまいちよくわからない。
もちろん、本人の著作や、信頼のおける研究者の本に触れればわかるのだろうが、そこまでパワーは出なかった。とにかく、集合的無意識というワードに触れて以来、俺はこのことが、ずっと長年気持ち悪かったのである。
…
ちなみに、また脇にそれるけども、すごい偶然に見える出来事にも、意外と合理的に説明がつくかも、とは思う。
例えば、俺と知り合いのAさんが久しぶりに出会うのはすごい偶然だとしても、俺が長いこと会っていない知り合いが100人いるなら、「(誰かしらの)知り合いに久しぶりに会う」確率はそれだけで100倍高い。
Aさんと久しぶりに会った、という体験の偶然性や衝撃を俺たちは過大に評価してしまいがちだが、Aさんと会うのと同じくらいの驚きを与えられる人が、実際のところ他にも何人かいる、と考えてみると、インパクトがいくらかマイルドになるし、そっちの方が、重大性の評価として、なんとなく正しい認識だと思う。
…
chatgpt様に聞いてみよう。
「gpt様、集合的無意識とシンクロニシティは同じものか? あと、ユングはスピ入ってたのかい?」
chatgpt様いわく、「密接に関わってるけど概念としては区別されてるぞ。ユングについては、スーパーナチュラルを全面的には排除せずに中立的だな。シンクロニシティが完全にサイキックの枠に入らないように慎重だったけど、スピリチュアルの面を全否定はしてないぜ」とのことであった。
素晴らしい回答である。なぜなら、俺の質問に完全に答えているから(何度も言うが、正しいかどうかは知らない)。
過去、ネット上でここまでの答えは見つからなかった。複数のサイトを横断することで、微妙に食い違ったり、断片的な情報を集めることはできたし、もちろん、そうやってピースを集めるかたちでの「旧態的な」調査を完全に否定しているするつもりもない。
というか、本当の調べ物は、今でも多分この方法しかないとさえ思う。ただ、そんなことをしなくても、ついに一つのサービスで完結するようになった。これが重要である。
言われるまでもなく、俺の評価軸には危ういところがある。何しろ、俺は回答の正しさではなく、文脈に沿っているかで答えを評価しているからである。
おそらく、この世界にはちゃんと、蝶の幼虫の能力や、集合的無意識に関するシンクロニシティの位置付けや、スーパーナチュラルに対するユングの立ち位置をちゃんと説明できる専門家がいるのだろう。その人に聞けば本当の答えがわかるのだろう。
何が言いたいかというと、そういうレベル感の質問を人ではなくAIに尋ねることに、実は俺は、本来抵抗感があったのである。
当たり前の事実について、かつgoogleやWikipediaを引くよりも手軽に聞くならAIがいい。また、答えの定まっていない問いを投げて壁打ちするにもAIがいい。
ただ、その中間地帯というか、多少ややこしくて「一応答えはあるのだろうけど、専門的だな」という質問を機械にするのは抵抗がある。いかにもしれっと嘘をつきそうだからである。
こういう質問こそ、本当なら人間に尋ねたい。しかし、今回気づいたのだが、皮肉なことに、ぜひ人間に答えて欲しい領域とは、人間は人間でも半端な知識しかない人間に限って断片的な情報をネット上に書き散らし、本当の専門家にはなかなかアクセスしにくい、ある意味でもっとも人間に聞くべきではない(か、大変に手間のかかる)世界なのだった。
もっとも人に聞きたい類の質問は、もっとも(多くの)人間が苦手にする質問なのだ。別に悪口ではなく。俺だってテキトーなテキストをたくさんネットに放流しているので。
どうせ信用ならないなら、話が通じる分、chatgptの方がいい。というか、つくづく、話が通じるのがすごすぎねえ? もはや、正しいとかどうでもいいまである。いや、どうでもいいわけないが、ほんと話が通じるのがすごすぎる。今ここ。
明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、
出生時に人体に埋め込まれる生体統合型デバイスとして全国民に普及した。
この技術革新が明治5年(1872年)の学制発布以前に実現したことにより、
福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論の電気的伝播」が現実化し、
明治政府の中央集権化政策と民間の自由民権運動が複雑に絡み合いながら、
森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩がリアルタイムで共有され、
夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生文運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、
薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。
西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民のタイムラインで炎上する中、
岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義」映像コンテンツが300万回再生され、
戊辰戦争では会津藩の白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、
森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、
森鴎外が陸軍軍医時代に投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、
作中人物の心理描写をリアルタイム修正する実験的創作を試みた。
夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生の遺書」展開を読者投票で決定、
芥川龍之介が東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり、
谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者からの画像投稿で構成する「コラボレーティブ・アート」を実践、
永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原の遊女たちが匿名アカウントで作中の描写に反論するメタフィクション的試みがなされた。
明治10年(1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ的情報戦を展開。
政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍の士気低下を計画的に誘導、
立憲自由党が政策動画配信と仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施、
明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化。
日露戦争記録映像『旅順要塞総攻撃』(1904年)では視聴者が攻撃ルートを投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。
落語家の三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ「怪談電送話」を配信、
陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。
一方で、端末の生体統合特性を逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化、
国家形成のプロセス自体を根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。
従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。
大正期のメディア・アート運動や昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相を付与し、
現代のSNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。
端末の技術的起源に関する考察(海外技術流出説VS超自然的出現説)と、
数学者エドワード・フレンケルは、数学と心理学、特にカール・ユングの分析心理学との統合について語っている。ユングは、人間の無意識が「集合的無意識」として共通の心理的基盤を持つと考え、その中に「元型(アーキタイプ)」と呼ばれる構造が存在するとした。フレンケルは、数学的概念もまた元型の一部であり、それらは人間の無意識の中に存在すると提唱する。
彼は、数学が物理世界を研究する物理学とは異なり、人間の内的世界を研究する学問であると考える。例えば、「数」はユングが提唱した「秩序の元型」から生まれたものであり、数学的な概念はすべて集合的無意識の中に起源を持つと述べている。
また、数学的元型はすべての人間が同じように認識する点で他の心理的元型と異なり、その普遍性が数学の客観性を保証していると主張する。彼は「直線」や「平面」といった数学的概念を例に取り、それらが現実世界には存在しないにもかかわらず、人間が容易に想像できるのは、集合的無意識の中に元型として存在するからだと説明する。
さらに、数学的概念を理解することは、それらの元型を「統合」することと同義であり、例えば「地球が平らである」という誤解は「平面の元型」に囚われた結果であると述べる。ピタゴラスらがこの元型を意識的に理解し、地球の球体性を認識したことが、数学的知識の進歩の一例であると指摘している。
最後に、アインシュタイン、ポアンカレ、ラマヌジャンなどの数学者が数学的発見における無意識の役割を強調していたことを紹介し、数学的直感が無意識とのつながりから生まれる可能性を示唆している。
フレンケルは、数学を通じて人間の無意識を探求し、より深い現実の理解に到達できると考えており、今後の議論として非ユークリッド幾何学や東洋思想との関連性についても言及すると述べている。
振動の強度を10段階に設定し、円周率の計算機から送信されてきた0~9の数字に合わせて変化する刺激を楽しむオナニー。
ランダムな振動が果てしなく連続して訪れるため、強い快感に翻弄されたい人向け。
ネガティブな語群(戦争や犯罪に関するもの、不安な感情に関するもの、ヘイトなど)や、反対にポジティブな語群を送信側に設定し、
SNSを自動巡回、検索に引っかかった場合に振動へと変換するオナニー。
基本的に、世間のムードと設定した語群のトーンとが一致した場合に振動する頻度が上がるが(暗い世相とネガティブなワード、明るい世相とポジティブなワード)、
通になると、あえて食い違った設定にすることで、表層的な自我を超えた神秘的な共感が人類のどこかで生じ、それを快感として楽しむことを期待する。
セルフプレジャーにコミュニケーション要素とスピリチュアルを取り入れたい人向け。
いわゆる微弱地震が発生したときに振動することで、疑似的に地球と交歓するオナニー。
マグニチュード3未満の地震は、日本の国土に限っても1時間に数回起こっている(https://www.data.jma.go.jp/eew/data/hypo/)。
何十秒、何分間も連続して生じるものではないため、絶頂を目指すというよりは、不規則な快感を媒介にして大地の存在を感じたい、
地球に思いを馳せたい人向け。
電波望遠鏡等、宇宙からの電波を受信できる施設と提携して行うオナニー。
1977年、オハイオ州の電波望遠鏡で受信された宇宙からの信号は、その強度、発信された時間の長さ、あえてそのように設定した知性を
感じさせる周波数など、知的生命体による可能性が議論されており、観測した人物が残したメモ書きから取って「WOW!信号」と名付けられた。
WOW!信号と同じ、もしくはそれに近い信号のみを振動条件に設定することで、いつかやってくる銀河の果てからの通信を待ち望みつつ、
ファーストコンタクトを心だけでなく下半身でも感じたい人向け。
現時点で、画像生成AIは「無断学習」を根拠に一部のクリエイターたちから蛇蝎のごとく嫌われてて企業PRでAIを使うだけで苦情が殺到するレベルになってきてる
ただそれは倫理的な検討を重ねてというより「自分の絵が知らない間に学習されてるのはなんかキモチワルイ」という感覚的な嫌悪感によるところがかなり大きい
Googleはもともとサイトのデータを勝手にスクレイピングしまくって検索サイトとか翻訳サービスとか作ってきたのだが、そういうのには文句がいかないあたり、著作物を学習することそのものは焦点じゃない
チャットGPTみたいなテキスト生成には甘かったりするし、人によっちゃ漫画の改変コラという直球の著作権侵害をかましながら生成AIに反対してたりするんだからね
よって、現時点は画像生成AIに反対しているクリエイターたちも「なんか大丈夫っぽい」と判断しだしたらゆるゆるその機能を使い始めるだろう
本質的には同じ問題を抱えていても感情的に受け入れられるかどうかのほうが重要だから
じゃあどのラインからクリエイターは画像生成を受け入れだすか?
まず、画像を含む生成AIの開発がここから止まることはほぼありえないと断言できる
マイクロソフトもGoogleもAIに巨額の資金をベットしてしまったしもう引き返せない
多少強引にゴリゴリ進めながら落とし所を見つけていく腹積もり
当然反発もあるし、完全無視はできない
OpenAIやらMidjourneyやらは大量の訴訟を相手にしてる
大まかに言えば全部「うちのデータを勝手に食って売り物にしてんじゃねえよ」という内容だ
落とし所はおそらく「学習元に利益のいくらかを分配します」「違法なデータは言ってくれたら削除します」「生成AIの出力から学習したデータで学習をするのでクリーンです」あたり
そうなると、最初に和平条約を結んだところは生成AIの進化を後押しする側に回るから風向きが変わっていくはず
並行して、AIが仕事で手放せないくらい便利になってさらに風向きが変わる
GoogleやAmazonがいかにEvilな行為をしているかは調べればすぐわかる
でも使うのをやめられないのは便利だから
逆にいうと、今画像AIが叩かれてるのは本職の絵師にとって大して便利じゃないからっていうのがでかい
絵描きにとって便利な機能が出てくれば評価はかなり変わってくる
たぶん最初に使われるは色塗りとか、壁や床のテクスチャ生成あたりからだろう
AIによる画風の再現とかは今後も「魂を傷つけられた」「自分の作品も勝手に使われてそうでキモチワルイ」と感じる人が多い
だから単純作業っぽい工程がAIで代替できる仕組みから浸透し始める
それだって結局はどっかから勝手に引っ張ってきたデータをミキサーで混ぜて作ったデータだという意味では同じなんだけど、あくまでこれは感情の問題だからね
大量に絵を作らなきゃいけないソシャゲ絵師とか同人作家がおずおず使い出したらあとは早くて、構図からポーズから、かなりの部分をAI任せにしてもなんも言われなくなる
その頃には「(一応)(自称)クリーンなデータセット」みたいなものの定番も存在するはず
この段階に来ると絵描きの倫理観は「補助として使う分にはどう使ってもOK」「特定の絵柄の再現をやるのはNG」って線引きになってると思う
そんでさらに時間が経つと、外部思考装置としてのAI生成が当たり前になって、ただの思考と区別されなくなる
(現代人がスマホでできることも含めて人間の能力だと思っているのと同じ)
生成AIに学習されたとき「魂の一部を盗まれた」と思う感覚がだんだん時代遅れになって、著作権の観念ごとゆっくり曖昧になる
ストレートに実現するかはともかく、ビッグテックがやろうとしてるのは倫理観の書き換えそのものだと思う
どうなっちゃうんだろうね今後
「第1章王子の旅立ち」
・5段階評価:3
・あらすじ
アルベリア王国の第七位王子ユーディルとその双子の妹である巫女のゼシアは、父親である王のアローラスから、国を守るためにドラゴンと契約し聖片を集めるよう命じられる。
ミドガルズオルムと契約を結ぼうとした時、それを阻止するように仮面の魔獣使いと衝突する。戦いの中でその仮面の下がぜシアと同じ顔であることに気づく。
エルフィリス、ランザーヴ、クラウ等を仲間にしながら霧の森を進み聖片を見つける。
しかし、何かに操られたかのようなアローラスの襲撃を受け、聖竜エリュシオンに覚醒して応戦するも、ゼシアは聖片と共にアローラスの下に行ってしまうのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
・感想
ただ流石に情報が多すぎる。アルベリア王国のアルベリウス。こいつ重要そうなのに名前がまず覚えにくいし、聖片とは別に魔神を封印した技があるとかも、まだもうちょい待ってくれよと思った。
ゼシアが可愛いけど、普段のシナリオではあんまり出番がないから、メインでめでたい。
・5段階評価:2
・あらすじ
近衛騎士団団長のリーフ、そのライバルのハール、第6位王子エミュール等とまみえながらフォレスティエの青年リュカと共に、彼らの集落を守る王子たち。
エミュールはマーキュリーとの契約を利用してフォレスティエ達を襲う。
しかし、戦いの中で契約に偽りがあったことが判明し、マーキュリーは契約を破棄しユーディルと再契約を行う。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
敵が来た、倒した。だけのお話でキャラクタの魅力だけなのでそこにフィーチャーして感想を書く。
マーキュリーかわいいかわいいストーリー。ドラゴンは可愛いキャラが多いけど、やっぱり六竜達が僕は好きだな。
周囲全員に劣等感を抱いているエミュールは見ていて痛々しいけど、シナリオを円滑に進めるための道化ポジションらしくちゃんと責務を全うしててがんばれってなる。
あと人間ではリーフとハールの関係値はこの頃から色々あるんだなあ。えっっっ。
「第3章緋竜の火山」
・5段階評価:2
・あらすじ
ゼシアを助け出そうとするユーディルだが、自分の意思でアローラスに着いていくと言い、出来るだけ多くのドラゴンと契約して欲しいと伝えた。
その言葉と強がりを言うブリュンヒルデのために、ユーディルは契約を交わす。ブリュンヒルデは過去に一緒に戦った冒険者ムムの姿となり、ユーディルに抱きつくのだった。
・印象に残ったセリフ
ムム「人間って、こんな感じかしら」
オリジナルのムムが実装された今だからこそ言うけど、こんな感じじゃなくない? 顔や体格はまあそうだけど服装よ。
・印象に残ったキャラ
ムム。
こういう類の尖った性癖、ドラガリに限らずワーフリでも似たフレバーのがあるけど、Cygamesの中にそういう個人がいるのか、集合的無意識の中にそういうものを好む気質が人間にはあるのかメッチャ気になる。ごめん適当言いすぎたわ。
・感想
今回も敵を倒すぜうおー! 的なあっさり目のお話なので、キャラ萌え観点で感想書くぜ。
ムムよなあ。ドラガリ人気キャラの間違いなく3本の指に入るキャラだけあって、そりゃもうかわいい。こういう恋愛的な意味で一途なキャラはわかりやすくて好き。
子供時代のゼシアのエピソードもあったりで、こういうのいいな。少なくともナームがイマジナリーフレンドで、ユーディルは王子としての血だけを持ったクローンみたいな黒い憂鬱な設定じゃない、(じゃないよね???)のを確信できて心が落ち着く。
いやこれでも、やっぱり憂鬱なストーリーなんかな。5章までしか読んでないので、さくさく遊んで次々読もう。
「第4章輝竜の山脈」
・5段階評価:2
・あらすじ
ユピテルと契約するために山道を進む王子一行。エミュールたち帝国軍も同じ目的で山を登っていた。
エミュールたちを見捨てられないユーディルは彼らを助けながらユピテルの元に向かう。
ユピテルはそんな彼らに殺し合いを命じるが、ユーディルは王として例えドラゴン相手でも悪いことをしたら正すと言い切り、結果ユピテルとの契約を果たす。
そこにゼーナがやってきて封印遺跡に行き、アローラスとゼシアを止めるための戦いに向かうこととなる。
・印象に残ったセリフ
ユーディル「忘れるなんてできないよ。たとえ許しがたい人でも、兄だから」
優しいユーディルの一幕。非人道的なエミュール相手にも優しさを見せるのは、優しさがすぎる気がするするけど、仲間たちもそれを指摘してるので、きっといつか何かあるんだろう。
・印象に残ったキャラ
みっともないけど、こういう潔さがないキャラは人間らしさがあると思う。
・感想
誰にでも優しいユーディルと、誰しもに嫉妬してしまっているエミュール。
ユーディルもエミュールも、どちらの生き方も決して楽じゃないだけに、少し読んでて辛かった。
馬鹿だなあと笑い飛ばせる豪快なキャラがそろそろ出てきて欲しいなあ。具体的には火で銃でフェス限な王子が。
「第5章封じられし者」
・5段階評価:3
・あらすじ
ゼーナはゼシアと力を合わせてこの世ならざるものを浄化しようとするが失敗してしまう。
この世ならざるものは、アローラスからゼシアへと乗り移り代わりユーディルを背後から不意打ちで仕留め、無窮の川を引くと宣言する。
ゼーナの捨て身の転移呪文で王子一行は助かるも、ゼシアはハールを従え次の封印遺跡の向かうのだった。
・印象に残ったセリフ
ゼーナ「ごめんなさい、私の旅は失敗です。悲しい未来を変えることはできませんでした。」
薄々わかっていたものの、どこかの地点からタイムスリップしてきたセシア本人だったとわかるシーン。
こういうタイムスリップものの後悔のシーンは創作物における大好物なので好き。
・印象に残ったキャラ
ゼーナ。
いやこれ本編中でまだゼーナって呼ばれてないのか。
・感想
アローラス、ゼーナと立て続けにキャラが退場していく悲しい展開。
僕は家族愛ものに弱いので、アローラスが自身の意思をゾディアークに託したあと、ゾディアークもユーディルを息子のように扱うのよかった。
けど何よりゼーナの本意と失意は読んでてグッときた。
「第6章聖城に起つ」
・5段階評価:4
・あらすじ
ゼシア奪還という目標を見失った王子一行はその目的のなさを指摘されてしまう。
しかしユーディルは「国」を作り、民を守ることを誓い、ヴァルクスに立ち向かう。
ヴァルクスの言う王にための三つの資格をみせたユーディルは王の道を歩むため、新アルベリア王国の建国を宣言するのだった。
・印象に残ったセリフ
アルベリウス「国あっての人ではない。人あっての国だ」
いや厳密にはこれとユーディルが言ってたんだけど、まあ普通にいいセリフなので。
・印象に残ったキャラ
ヴァルクス。
質実剛健なキャラ大好き。こういう男キャラ好きだわ。プレイアブルになってないのなんでなんだろ。この先を読めばわかるのかな。トールはプレイアブルなのに。
・感想
特に2D絵だけどキャラが動いて演技するところや、アニメーションなど、演出面でいっぱい魅せてくれて面白かった。
当たり前にユーディルは国王だと思ってたけどこのエピソードがあってのそれなんだね、わかってなかったや。
なんにしてもたぎって燃えるいい話だった、ユーディル好きだなあ。フェス限実はまだ持ってないので、3周年フェスで天井対象になってくれると嬉しいな。
・5段階評価:2
・あらすじ
領主に謁見すると、ランザーヴの父親であることが判明する。結果、ランザーヴを水上都市に戻せば同盟を結ぶという交換条件を突きつけられる。
そんな中、第二位王子ファルエスと第六位王子エミュールがちょっかいをかけてきたため、ランザーヴは非道になれないユーディルに変わっってエミュールを始末しようとする。
しかし、ユーディルの影響で変わったランザーヴは手をかけることはしなかった。そんなランザーヴの成長と、ランザーヴが自分の国に必要だと言い切るユーディルを見て、水上都市の領主は同盟を結ぶのであった。
・印象に残ったセリフ
ムム「ま、これからもジャレ合いましょう。お互いに全滅しない程度に、ね♪」
ドラゴンと人が仲良く喧嘩し続けることを示唆するムムの含蓄あるセリフ。
ドラガリ存続の危機をきっかけにプレイし始めてるのでしみじみときくセリフ。
・印象に残ったキャラ
ランザーヴ。
甘いユーディルに変わり非道になろうとするがなりきれない、変化を示すシーンが印象的だった。
・感想
同盟国を増やす話、ランザーヴのお当番回、ファルエスの登場と要素は多いわりに薄味だった。
特にランザーヴはやる時はやるけど、ユーディルに感化されて変わったと言われても、じゃあこれ名前の出てないモブキャラもやってないのか? とか思うと不殺はどうしてもモニョるし、描写がもう少し欲しかった。
「第8章からみ合う炎」
・5段階評価:2
・あらすじ
レオニードが治める国で暴動が起き逃げ出す民が出たこと知ったユーディル一行は助けに向かう。
そこでエルフィスと旧知の仲でありながら、煉獄文書というイリア教の解釈をめぐる文章で対立してしまっているシャノンと出会う。
煉獄文書に従い魔神を受け入れたシャノンは同じく魔神の力を使い世界を制しようとするレオニードと手を組んでいたのだった。
しかし、レオニードは冷徹にも魔神の力を手に入れるとシャノンごとユーディル一行を攻撃する。愛の力で覚醒したムムにより窮地は脱するものの、魔神の封印がまた一つ解けてしまうのだった。
・印象に残ったセリフ
ムム「本当の愛ってのはね、誰かを守って、自分も生き残る。そういうことよ」
さすが300年生きてるだけあって愛に関する含蓄あるお言葉。
・印象に残ったキャラ
シャノンとエルフィス。
家族同然の2人の関係を少ない文章量ながらちゃんと魅せててよかった。
・感想
エルフィスお当番回にして、シャノン、レオニードの登場にムムの覚醒と盛りだくさん。
ただちょっととっ散らかってるかなあ。
レオニードは次に続くみたいだし、ムムの覚醒は完全にゲームシステム(施設配布)の都合だし、シャノンとエルフィスの2人に絞ってより文章が読みたかったなあ。
暗殺者ながら慈愛の心を強く持ってるシャノンのキャラはすごく好きなので、もっとフィーチャーされると嬉しいな。
「第9章Let’s Party!」
・5段階評価:2
・あらすじ
第三王女シェスの誘いで彼女の国へ行くユーディル一行。そこにはリーフらもおり、パーティーを楽しみながらシェスの真意を探る。
シェスのマッチポンプのような政策に嫌悪感も覚えるも同盟を結ぶことができホッとしたのも束の間、シャンゼリアの産業を支える遺跡に怪しさを覚える。
遺跡の兵器を使い世界を蹂躙すると言うシェスに対抗するため兵器を破壊するも、それはシェスの策で、実際にはユーディルたちを利用して移籍発掘に邪魔だった敵を排除したにすぎなかった。
・印象に残ったセリフ
シェス「これは終わりのない輪舞曲。最後にホールの中心に立っているのは…… 誰?」
おチャラケ王女のようで策を巡らせ全てを把握しているかのようなシェスらしい意味深なセリフ。
・印象に残ったキャラ
シェス。
リーフとの淡い思い出や、ユーディルたちをウマとして使う様など、とにかくシェスが可愛いから成り立つシナリオだった。僕もお馬になりたい。
・感想
シェス最高だな。
特にクラウ、ムム、エルフィスたち女性陣を馬として支えさせようとするところは18禁えちえち同人誌を描く才が僕にないことが悔やまれる。
リーフともなにか思わせぶりな過去があるらしく、位の高い人らしく色々と手広いキャラがすごく好みだった。
・5段階評価:3
・あらすじ
建国王アルベリウスが魔神モルトメサイアを封印した土地にやってきた一行。
そこで血の共鳴により封印の真相、すなわちアルベリウスは血にモルトメサイアを封印し、かつその半身は自分の中に取り込み今もなお戦い続けていることを知る。
アルベリウスの志を継ぐことをユーディルは誓い、ゼシアを助けるためモルトメサイアとの戦いに挑むのだった。
・印象に残ったセリフ
ユーディル「アルベリウス。あなたの体が滅びてもその意志はおれが受け継ぐ」
・印象に残ったキャラ
アルベリウス。
300年間戦い続けてきた壮絶さに驚き。
・感想
建国の真相と、モルトメサイアが人類の敵ではなく彼には彼なりの目的があるという勧善懲悪しませんよ展開。
アルベリウスは、まあガチャで実装されてるので復活することは知ってるものの、グッと来る悲しいお話しだった。
ストーリー的にはここから兄弟たちとのバトル展開になるのかな。
・5段階評価:4
・あらすじ
300年前の戦争で使われた戦争人形と戦うことになるユーディル一行。
その中で、戦いを止めたい無垢なマスキュラと、壊れてしまった指揮官のラキシと出会う。
マスキュラの自己犠牲によりラキシを修復することができたが、二人は一つの体に精神が同居することになってしまうのだった。
・印象に残ったセリフ
ユーディル「戦うための力を持つことと、戦わなきゃいけないことは違う。おれはきみたちに無理に戦ってほしいとは思わないよ」
戦闘人形という戦闘にために作られた兵器であっても彼らの自由意志を尊重したいとするユーディルのやさいしい言葉。
かつ、この自由意志はユーディルにとっても大事なキーワードになる。
・印象に残ったキャラ
リュカ。
フォレスティアとヒューマンの架け橋となってるリュカだからこそ、戦闘人形達とも交流を深めていくのかな。
・感想
メインストーリーでありながら今話から出てきた戦闘人形が大きくフィーチャーされるイベントシナリオのようなシナリオだった。
人間によって作られた兵器戦闘人形でありながら心を持ち戦いを辞めさせようとする無垢な心を持つマスキュラと、リュカの交流が話の大半を占めていて、二人の交流はとてもよかった。
特にフォレスティアとかヒューマンとか種族は関係ないと言い切るリュカが、帝国とか新アルベリアとか所属とか関係ないと言い切るマスキュラの圧に負けるところが良かった。
モビルスーツが好きなわけではなく、あの概念が好きだから見てたんだけど…
サイコっぽかったり、ひねこびてるくせにガキっぽいガキだったり、女の妄執(御大の妄想)だったり
そこに、あの集合的無意識みたいな概念をぶっこんでくるっていう荒業
ニュータイプは正に「新人類」なわけだけど「早く生まれすぎて辛酸を嘗めまくる人」というイメージしか無くて、その生き辛さがイイ!
(おまけに、ファーストの主人公のライバルはニュータイプに憧れるオールドタイプっていう惨めさが堪らない!あんなに中年になるまで引っ張る惨めさ!!)
なのに、「ニュータイプ」途中でほぼ無視されてるから見なくなったんだよなあ
(主人公がただの「勘のいいガキ」くらいになっちゃってたり。ニュータイプはエスパーじゃない)
まあ、あの概念ありきの作品てわけではないとのことなんで仕方ないけど
残念だわ
https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2021/12/01/232816
満貫ドラ2くらいの感じがしてすごい
得にすごいと思ったのはこの記事。とある科学のレールガンがヒットした理由についてこういう分析をしている。
https://bousouwakoudo.hatenablog.com/entry/2021/02/01/111215
日本優生思想研究所の所長で「いのちを守る親の会」理事長の大熊良樹先生によると、現在空前の大ヒットをしている『鬼滅の刃』でも、登場人物が胎児の形になって最期を迎える場面があるそうです。これにも「集合的無意識」の作用があるのでしょう。
「科学万能主義」の教師たちが「赤ちゃん」を殺そうとする構図――私には、それが「唯物論教育」「生命軽視の教育」が人工妊娠中絶を増やして「堕胎天国」と呼ばれるようになった、戦後日本を象徴しているように感じます。
まじで立憲民主党何考えてんのw
○ご飯
朝:スクランブルエッグ。キュウリ。ミニトマト。マフィン。カップスープ。昼:ピーマンとエリンギの炒め物。せんべい。夜:バターロール。ウインナーと人参とセロリのコンソメ煮。チーズ。
○調子
○ドラガリアロスト
運営が末長く続いてくれるためには遊ぶのが一番と言うことで、ガッツリプレイ。
「第1章王子の旅立ち」
・5段階評価:3
・あらすじ
アルベリア王国の第七位王子ユーディルとその双子の妹である巫女のゼシアは、父親である王のアローラスから、国を守るためにドラゴンと契約し聖片を集めるよう命じられる。
ミドガルズオルムと契約を結ぼうとした時、それを阻止するように仮面の魔獣使いと衝突する。戦いの中でその仮面の下がぜシアと同じ顔であることに気づく。
エルフィリス、ランザーヴ、クラウ等を仲間にしながら霧の森を進み聖片を見つける。
しかし、何かに操られたかのようなアローラスの襲撃を受け、聖竜エリュシオンに覚醒して応戦するも、ゼシアは聖片と共にアローラスの下に行ってしまうのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
・感想
ただ流石に情報が多すぎる。アルベリア王国のアルベリウス。こいつ重要そうなのに名前がまず覚えにくいし、聖片とは別に魔神を封印した技があるとかも、まだもうちょい待ってくれよと思った。
ゼシアが可愛いけど、普段のシナリオではあんまり出番がないから、メインでめでたい。
・5段階評価:2
・あらすじ
近衛騎士団団長のリーフ、そのライバルのハール、第6位王子エミュール等とまみえながらフォレスティエの青年リュカと共に、彼らの集落を守る王子たち。
エミュールはマーキュリーとの契約を利用してフォレスティエ達を襲う。
しかし、戦いの中で契約に偽りがあったことが判明し、マーキュリーは契約を破棄しユーディルと再契約を行う。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
敵が来た、倒した。だけのお話でキャラクタの魅力だけなのでそこにフィーチャーして感想を書く。
マーキュリーかわいいかわいいストーリー。ドラゴンは可愛いキャラが多いけど、やっぱり六竜達が僕は好きだな。
周囲全員に劣等感を抱いているエミュールは見ていて痛々しいけど、シナリオを円滑に進めるための道化ポジションらしくちゃんと責務を全うしててがんばれってなる。
あと人間ではリーフとハールの関係値はこの頃から色々あるんだなあ。えっっっ。
「第3章緋竜の火山」
・5段階評価:2
・あらすじ
ゼシアを助け出そうとするユーディルだが、自分の意思でアローラスに着いていくと言い、出来るだけ多くのドラゴンと契約して欲しいと伝えた。
その言葉と強がりを言うブリュンヒルデのために、ユーディルは契約を交わす。ブリュンヒルデは過去に一緒に戦った冒険者ムムの姿となり、ユーディルに抱きつくのだった。
・印象に残ったセリフ
ムム「人間って、こんな感じかしら」
オリジナルのムムが実装された今だからこそ言うけど、こんな感じじゃなくない? 顔や体格はまあそうだけど服装よ。
・印象に残ったキャラ
ムム。
こういう類の尖った性癖、ドラガリに限らずワーフリでも似たフレバーのがあるけど、Cygamesの中にそういう個人がいるのか、集合的無意識の中にそういうものを好む気質が人間にはあるのかメッチャ気になる。ごめん適当言いすぎたわ。
・感想
今回も敵を倒すぜうおー! 的なあっさり目のお話なので、キャラ萌え観点で感想書くぜ。
ムムよなあ。ドラガリ人気キャラの間違いなく3本の指に入るキャラだけあって、そりゃもうかわいい。こういう恋愛的な意味で一途なキャラはわかりやすくて好き。
子供時代のゼシアのエピソードもあったりで、こういうのいいな。少なくともナームがイマジナリーフレンドで、ユーディルは王子としての血だけを持ったクローンみたいな黒い憂鬱な設定じゃない、(じゃないよね???)のを確信できて心が落ち着く。
いやこれでも、やっぱり憂鬱なストーリーなんかな。5章までしか読んでないので、さくさく遊んで次々読もう。
「第4章輝竜の山脈」
・5段階評価:2
・あらすじ
ユピテルと契約するために山道を進む王子一行。エミュールたち帝国軍も同じ目的で山を登っていた。
エミュールたちを見捨てられないユーディルは彼らを助けながらユピテルの元に向かう。
ユピテルはそんな彼らに殺し合いを命じるが、ユーディルは王として例えドラゴン相手でも悪いことをしたら正すと言い切り、結果ユピテルとの契約を果たす。
そこにゼーナがやってきて封印遺跡に行き、アローラスとゼシアを止めるための戦いに向かうこととなる。
・印象に残ったセリフ
ユーディル「忘れるなんてできないよ。たとえ許しがたい人でも、兄だから」
優しいユーディルの一幕。非人道的なエミュール相手にも優しさを見せるのは、優しさがすぎる気がするするけど、仲間たちもそれを指摘してるので、きっといつか何かあるんだろう。
・印象に残ったキャラ
みっともないけど、こういう潔さがないキャラは人間らしさがあると思う。
・感想
誰にでも優しいユーディルと、誰しもに嫉妬してしまっているエミュール。
ユーディルもエミュールも、どちらの生き方も決して楽じゃないだけに、少し読んでて辛かった。
馬鹿だなあと笑い飛ばせる豪快なキャラがそろそろ出てきて欲しいなあ。具体的には火で銃でフェス限な王子が。
「第5章封じられし者」
・5段階評価:3
・あらすじ
ゼーナはゼシアと力を合わせてこの世ならざるものを浄化しようとするが失敗してしまう。
この世ならざるものは、アローラスからゼシアへと乗り移り代わりユーディルを背後から不意打ちで仕留め、無窮の川を引くと宣言する。
ゼーナの捨て身の転移呪文で王子一行は助かるも、ゼシアはハールを従え次の封印遺跡の向かうのだった。
・印象に残ったセリフ
ゼーナ「ごめんなさい、私の旅は失敗です。悲しい未来を変えることはできませんでした。」
薄々わかっていたものの、どこかの地点からタイムスリップしてきたセシア本人だったとわかるシーン。
こういうタイムスリップものの後悔のシーンは創作物における大好物なので好き。
・印象に残ったキャラ
ゼーナ。
いやこれ本編中でまだゼーナって呼ばれてないのか。
・感想
アローラス、ゼーナと立て続けにキャラが退場していく悲しい展開。
僕は家族愛ものに弱いので、アローラスが自身の意思をゾディアークに託したあと、ゾディアークもユーディルを息子のように扱うのよかった。
けど何よりゼーナの本意と失意は読んでてグッときた。
「第6章聖城に起つ」
・5段階評価:4
・あらすじ
ゼシア奪還という目標を見失った王子一行はその目的のなさを指摘されてしまう。
しかしユーディルは「国」を作り、民を守ることを誓い、ヴァルクスに立ち向かう。
ヴァルクスの言う王にための三つの資格をみせたユーディルは王の道を歩むため、新アルベリア王国の建国を宣言するのだった。
・印象に残ったセリフ
アルベリウス「国あっての人ではない。人あっての国だ」
いや厳密にはこれとユーディルが言ってたんだけど、まあ普通にいいセリフなので。
・印象に残ったキャラ
ヴァルクス。
質実剛健なキャラ大好き。こういう男キャラ好きだわ。プレイアブルになってないのなんでなんだろ。この先を読めばわかるのかな。トールはプレイアブルなのに。
・感想
特に2D絵だけどキャラが動いて演技するところや、アニメーションなど、演出面でいっぱい魅せてくれて面白かった。
当たり前にユーディルは国王だと思ってたけどこのエピソードがあってのそれなんだね、わかってなかったや。
なんにしてもたぎって燃えるいい話だった、ユーディル好きだなあ。フェス限実はまだ持ってないので、3周年フェスで天井対象になってくれると嬉しいな。
・5段階評価:2
・あらすじ
領主に謁見すると、ランザーヴの父親であることが判明する。結果、ランザーヴを水上都市に戻せば同盟を結ぶという交換条件を突きつけられる。
そんな中、第二位王子ファルエスと第六位王子エミュールがちょっかいをかけてきたため、ランザーヴは非道になれないユーディルに変わっってエミュールを始末しようとする。
しかし、ユーディルの影響で変わったランザーヴは手をかけることはしなかった。そんなランザーヴの成長と、ランザーヴが自分の国に必要だと言い切るユーディルを見て、水上都市の領主は同盟を結ぶのであった。
・印象に残ったセリフ
ムム「ま、これからもジャレ合いましょう。お互いに全滅しない程度に、ね♪」
ドラゴンと人が仲良く喧嘩し続けることを示唆するムムの含蓄あるセリフ。
ドラガリ存続の危機をきっかけにプレイし始めてるのでしみじみときくセリフ。
・印象に残ったキャラ
ランザーヴ。
甘いユーディルに変わり非道になろうとするがなりきれない、変化を示すシーンが印象的だった。
・感想
同盟国を増やす話、ランザーヴのお当番回、ファルエスの登場と要素は多いわりに薄味だった。
特にランザーヴはやる時はやるけど、ユーディルに感化されて変わったと言われても、じゃあこれ名前の出てないモブキャラもやってないのか? とか思うと不殺はどうしてもモニョるし、描写がもう少し欲しかった。
「男が加害者」という論立てについて、モヤッとする時としない時がある。それが何による物なのか上手く言語化できなかった。
時には「全ての男性が加害者である」と言われても「なるほど確かにな」としか思わないこともあった。逆に「全ての男性が加害者というわけではないけど…」と言われても「なんか言い訳臭い上にモヤモヤは残る…」という場面もあった。
色々考えてみたんだけど、
という二通りの論立てがあって、前者は納得も賛同もするんだけど、後者を見るとなんかモヤッとするのかなと思った。
という論立てにも割と納得するんだけど、私自身も性犯罪被害経験があるし、また小さい頃は「男のくせに泣くな!」とか本読んでるだけで「もやしっ子で情けない」とか、(平成生まれだけど)昭和かと思うような環境で育ったので、そういうの無視して「おまえは加害者側だ」と言われると「いくらなんでも死ね」と思うよね。
物理的な身体に紐付いた人格の集団に線を引いて「こっちが被害者、あっちが加害者」と言われると腹が立つけど、それとは別に、この社会を支配する集合的無意識のような形での「男性」という存在に加害者的側面があり、「その特権化にあなたもまた奉仕している(側面がある)」「その特権をあなたもまた享受している(側面がある)」と言われると、身が引き締まる思いになるかな。
最近、なんでも良いから何か行動しろみたいなメッセージを持った本が凄く多いの、いよいよ不況も底が抜ける寸前みたいな印象を受ける
日本がここ30年ばかり出口の見えない不況に苦しんでいることに異論はないと思うが(ある奴はバカ)
その根本原因は需要の不足にあり、対策としては政府による金融緩和と財政支出が正解なんだよな
ところが、政府に解決する気があれば30年も不況に苦しんでいないわけで、解決する気がない
不況が解決されないまま、給料は上がらず、民間ビジネスは先細り、大衆の人生は脆いところからどんどんと崩れており、
コロナショックでいよいよ底が抜けて、貧窮国家として地金が出てくる頃かなーという今日この頃だ
不況下で世の中の金回りが滞っている時、個々人や一企業の立場で見るとお金を貯めておくことは正しい
しかし国の視点で見ると、全員がお金を貯めた結果、不況が悪化して、ますますお金を出し惜しみするようになるという悪循環に陥る。
これがデフレスパイラルという奴だ。
ゲーム理論的に、一プレイヤーの立場からは不況を悪化させることが合理的なので、この問題は政府がマクロの立場に立って政策により解決するしかない
しかないのだが、先ほども言ったように日本国政府にこの問題を解決する能力はあってもやる気はないようだ
最近、とにかく行動しろ何かを作れ何かを変えろというふわっとしたメッセージの本(ホリエの本とか)が、無茶苦茶増えてるの、
もう非合理的な経済行動でも訴えないと状況がかえられない、竹槍で飛行機落とせみたいな、集合的無意識がやけくそになっている状況を反映しているに違いない
(たかが10万円のために外出したお前に決まってるだろ)
「誰だ!」
(我が名は自己責任論者……貴様らの心のうちに潜む集合的無意識のリヴァイアサンなり……)
「消えろ!」
(無駄だ……お前の中にいる私を消そうとするなら貴様が死ぬしかない……)
「は?」
(それもこれもお前たちの自己責任なのだ……自己責任という言葉に甘えてきたお前たち自身のな……)
「え?」
(貴様が悪いのだ……貴様こそが貴様をコロナで殺した張本人なり……さあ10万円申請に行ってコロナで死ぬのだ……)
「いや、マジでなんなん?」
(終わりだッ!セルフ・レスポンシビリティーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー)