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2025-10-26

フリック入力発明」とは何を発明したことを指すのか?

ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する

フリック入力発明して「人生100回分」稼いだ日本人AppleじゃなくてMicrosoft特許を売却したワケ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/diamond.jp/articles/-/374568


普通の人が「フリック入力発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?

1.上下左右方向のフリック操作文字入力する手法を考案した

2. 1を改良し、入力効率を向上させる工夫を考案した

普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える

同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明キモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある

フリック入力」を発明Microsoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャンフリーター家賃3万のボロアパートでひらめく

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631

もちろん2の意味発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね

解説

そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明アイデア集合体である歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能特許論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアリリースされていたりアイデアメーリングリスト投稿されていたりすることもある)

pie menu (1988年)

ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)

放射状に選択肢を並べるUIアイデア1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的メニュー選択のための手法である

T-cube (1994年)

ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)

pie menuを文字入力に応用したもの論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう

かなT-cube (1997年)

ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html

ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html

T-cube日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補

Hanabi (1998年)

https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)

https://newtonjapan.com/hanabi/

AppleNewton (PDA)用に実装された文字入力技術。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖である。なお、開発者特許申請したもの審査請求しておらず、特許としては成立していない

00年代前半ごろ

この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeHanabiの発展としての文字入力手法研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生卒論修論テーマとして手頃だったからだろう。PDA製品実装されて広まった例もあり、SHARPZaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKフラワータッチ等もこの系譜である

なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペンスタイラス)による入力を想定したものが主であるiPhoneの登場以前はキーボードレスモバイル端末といえばPDAタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)

iPhone日本上陸 (2008年7月)

スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖である日本語フリック入力効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年Apple招聘されてiPhoneフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力フリック操作を用いること自体特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然選択だったと思われる

なお、前述のHanabi開発者氏がiPhoneフリック入力を見て

これってボクが10年前にNewton用に作った入力方式Hanabi」じゃないですか(驚き)

ttps://newtonjapan.com/blogO/?p=232

と言っている一方、増井氏はHanabiに対して

知らんがな

ttps://scrapbox.io/UIPedia/Hanabi

と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話テンキーの上に五十音かなのフリック入力実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない

発明ミュージシャン小川コータ氏の発明 (出願:2008年1月登録:2011年3月)

ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)

『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法特許である(詳しい仕組みは上記東洋経済記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホ日本語UIリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本語iPhoneリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミング特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士からこそできる強さだと思われる

なお、氏の記事を読むと「フリック入力自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要特許公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法一角を占めるに至っていたので、iPhone実装されたことは不思議でもなんでもなく、

しかしたら、僕がプレゼンした相手が、自分発明たかのように社内プレゼンしたのかもしれません。そこは闇の中です。

このあたりは荒唐無稽邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは

まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである書籍宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか

ここまでの事実をふまえて、Wikipediaの「フリック入力」の項

2023年6月までは妥当説明だったのに

1998年AppleNewton用に開発された日本語入力システムHanabi」が草分けで、2008年iPhone採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式トグル入力)に比べ、素早い入力可能になる。その入力効率の高さから2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E5%85%A5%E5%8A%9B&oldid=95808357


同年11月の編集唐突に不自然小川推しに改変されている

1998年AppleNewton用に開発された日本語入力システムHanabi」[2]が草分けで、2008年iPhone採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライター小川コータiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利マイクロソフト譲渡された[4]。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E5%85%A5%E5%8A%9B&oldid=97947525


ただ、これはおそらく関係者自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許小川のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないかフリック入力は前述のように地道な技術差分の積み重ねなので、個々の差分開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)

Permalink |記事への反応(3) | 23:00

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2025-10-22

anond:20251022113307

オッス、オラ理性主義者

まず落ち着け現代民主主義者。お前が言ってることは、哲学的には立派だが、現実社会設計としては理想論の塊だ。

民主主義感情の上に立っている

感情保護と秩序維持を混同するな」なんて言うけどな、その“感情”こそが民主主義の出発点だ。

人間感情が集まって「国民」となり、その感情の総意が「国家」を作ってんだよ。

理性だけで動く社会なんて、教科書の中にしか存在しない。

民主主義の根幹は、冷たい論理じゃなく、“感情集合体をどう理性で制御するか”ってところにある。

国旗損壊罪は、その制御のための最低限のバランス装置なんだ。

自由は「公共の信頼」とセットで成立する

不快表現を守るのが自由」? そのとおりだ。

でもな、それが成立するのは、社会が“お互いに踏み越えない前提”を共有しているからだ。

表現自由ってのは、信頼の上にしか立たない。

国旗損壊は、その信頼を意図的に踏みにじる行為だ。

から表現」じゃなく「破壊」なんだよ。

破壊自由を与えると、社会は信用を失う。信用を失った社会民主主義存在できない。

国旗国民の共有物」? それなら余計に守るべきだ

国旗国民全員の象徴なら、個人政治的パフォーマンスで汚していいわけないだろ。

それは共有財産勝手に壊してるのと同じ。

それを「思想の自由」って言い張るのは、公共財を私有化してるに等しい。

国旗国家が独占してるんじゃなく、国民象徴国民自身が守るだけの話。

それを「神聖化」と呼ぶなら、お前は“共同体”って概念根本的に誤解してる。

社会契約とは「不快さの共存」ではなく「秩序ある不快さ」

民主主義本質は“不快さを共有すること”にあるが、

それはルールの上での話だ。

不快さの表現」に限界を設けない社会は、ただのカオスになる。

表現自由目的は、破壊じゃなく議論だ。

国旗損壊議論を生まない。怒りしか生まない。

それは理性ではなく感情への挑発から民主主義的な行為ではない。

現代民主主義必要なのは「燃やす自由」じゃなく「敬意を持って批判する知性」

成熟した自由とは、好き放題やることじゃない。

相手象徴を傷つけずに批判できる知性だ。

やすことしかできない表現者は、思考放棄してる。

それを擁護するのは、自由じゃなく“知的怠惰”の肯定にすぎない。

結論民主主義は「感情を理性で包む制度

国旗損壊罪は、感情暴走を防ぐための小さなブレーキだ。

それを「自由の敵」と叫ぶのは、アクセルハンドル区別がついてないだけ。

社会情緒の海で動いてる。理性はその中の舵。

舵を放棄したら、それは民主主義じゃなく“感情独裁”だ。

Permalink |記事への反応(0) | 11:36

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2025-10-16

AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

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AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

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2025-10-07

anond:20240119224747

イスラエルガザハマス存在しているだけでガザ社会にいる存在、すなわち、集合体構成している個人が悪いという理由で、市民ごと攻撃してるんで、裁判所減刑すべきなんだけどなあ…

イスラエル特定少年と同じことをしているのに処罰されず(されたとしてもそこまで重い刑罰ではない)、特定少年イスラエルと同じことをしたら、極刑を食らうのは平等原則観点からしおかしいでしょ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:54

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2025-10-06

ChatGPT5で検証JK組+えるの文化的生年分析 ― 「魂の世代」をめぐる試論

これはそれが正しいかどうかというより自分感性AIの出力との差異を測るテストであった。

自分感覚とは適合してるのではえーってなったし、何らかの啓示を与えてくれるものかもしれない。

-----

にじさんじ初期を象徴する四人、

すなわち「JK組(静凛・月ノ美兎樋口楓)」+「エルフのえる」。

この四人の間には、単なる設定上の年齢差ではなく、“魂の生年”とでも呼ぶべき文化的時差が存在している。

1.文化的生年とは何か

ここでいう「文化的生年」とは、

実際の誕生日中の人の年齢を指すものではなく、

発話・参照文化言語感覚社会経験描写から導かれる「世代意識の生まれ年」を意味する。

たとえば、

ガラケーを使っていた時代を“学生期”と語るなら、文化的生年は90年代前半。

Twitterの普及を“青春期の象徴”と語るなら、文化的生年は90年代後半。

といった具合である

2. 四人の文化的生年

メンバー

設定

主な参照年代

発話傾向

文化的生年(象徴値)

エルフのえる

森のエルフ

2000年代中期文化mixiMDガラケー

社会人語・安定語彙

1990±2

静凛

JK教育的)

2000年代アニメ大学サークル文化

落ち着いたトー

1991±2

月ノ美兎

JK分析型)

2010年前後オタク黄金

知的内省

1996±2

樋口

JK(行動型)

2010年スマホ文化

感情・即時反応型

1999±2

3.分布モデル文化的生年マップ

コードコピーする

1988 ──────┐

│ 上層:成熟した語り手層

│  エルフのえる(1990±2)

│  静凛(1991±2)

1994 ──────┤

│ 中層:知的観察層

│  月ノ美兎(1996±2)

1998 ──────┤

│ 下層:感性主導・Z初期層

│  樋口楓(1999±2)

2002 ──────┘

これにより、

JK組+えるは「1990年代を中心に上下10年の振れ幅をもつ四層構造」として可視化される。

4. 魂の世代役割

エルフのえる/静凛:成熟社会経験時間感覚の重さ

月ノ美兎思考調停メタ理解

樋口楓:感情・勢い・身体

三者関係性に「える」が外側から重なることで、

構造全体は「内界(学校)と外界(社会)」の接続象徴するようになる。

5.考察1990年代まれという魂

この四人の“文化的生年”は、いずれも1990年代に集中している。

だが、その内部差――前期(90–92)と後期(96–99)――が、

言語の速度・語彙の層・ユーモア方向性微妙差異をもたらしている。

90年代前半生まれ経験的・慎重・語り手的

90年代後半生まれネット世代的・反射的・自己開示的

この二つのリズム共存したことが、

JK組+えるという初期にじさんじの会話的多層性を支えたといえる。

6.結論

JK組の三人とエルフのえるは、設定上の同級生ではなく、異なる文化的生年層の集合体である

彼女たちの“魂”は1990年代に根ざしており、前半層と後半層の世代差が構造形成する。

えるは「外部社会の語り手」として上層に位置し、JK組三人の物語包摂する。

これらの差異が、にじさんじ初期文化を特異な厚みのあるものにした。

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2025-10-04

アスペジャルジャルアイランド見ろって言われて見たんだけど、ドンドン不愉快気持ちが沸き上がってくる奴

いやマジで気分悪いんですけど?

話が噛み合わなくて相互不愉快気持ちをぶつけあう光景を見せられるのしんどいだけじゃない?

スッキリ要素なしでず~~~~っと重アスペと中アスペがぶつかりあってるだけじゃん?

んで基本的に重アスペが超アスペパワーでいつも通り世界に余計なコミュニケーションコストを振りまく様子が俯瞰視点で「赤の他人として見るとズレてて笑える」っていう貶しメインの笑いとして消費される感じ。

いやマジで気分悪いんですけど?

要するに珍獣扱いしてるわけじゃないですか、日常空間に現れる人間アスペコミュニケーションの瞬間を束ねて「たまにある程度のアスペムーブをずっと繰り返すたまにいるマジでアスペな奴」っていうコントなんでしょ?

要するにジャルジャルアイランドってのは「割といるタイプアスペの中でも最高レアガチアスペな奴」っていう芸の詰め合わせなんでしょ?

いやマジで気分悪いんですけど?

アスペの究極アスペムーブ侵食された中アスペが釣られてアスペムーブ引き出される瞬間の「あーあ重アスペ世界で皆のリズムが狂っちゃったよ~~~」というやれやれ感エグない?

いや「観察力が凄いよね天才じゃん?」という意味の「エグない?」じゃなくて、「これを『お笑い動画』として世の中に出しちゃうこと自体アスペを笑い者にしてくるクラスの人気者系中学生みたいな態度すぎて倫理観義務教育未満じゃない?」って意味の「エグない?」だから

いやマジで気分悪いんですけど

ジャルジャルアイランドってのはひたすらどこまでも「なんかたまにいるアスペな奴」っていう動画集合体なんだけどさ、これが「自閉症の真似しま~~す 」と何も違わないことを理解してるの?

じゃあお前らは「駅のホームでよく見る奴」ってタイトルで「(^p^)あうあうあー ぱしろへんだす~~~ (^p^)まもなく 4ばんせんにでんしゃがまいりまいりまいまいままままますきいろいしろいせんからうあああああああああああああああああああああ」みたいな感じの動画上がったらクソワロ爆笑なわけ?

無理だなあ・・・誰もが必死に生きているこの地球という星の人という命一つ一つの輝きに対する許されざる侮辱行為しか俺には思えないなあ・・・

いやマジで気分悪いんですけど?

あのね、ジャルジャルがこういう芸で飯食ってること自体はもう仕方がないと思う。

走り出した芸人というレールから今更降りてただのフリーターになりなさいなんてとても言えない。

でもこれで笑ってる人達が「これこそ人間観察だ!」みたいに言ってるのは凄く駄目だと思う。

これさあ、イジメでしょ?

ある種の人種に対しての「こういう奴マジでうぜ~~~~でも旗から見てると面白いわwwwwww」ってことでイキってるグリフィンドール生みたいなノリでしょ?

いやあのさあ、しょうがないと思うよ学生時代ならさ、学生ってそんなもんだし。

俺も学生時代偏差値60の高校通ってたけどそこでもこういう感じでグリフィンドールスリリンカースト最上からBLEACH話題載ってるからアニメージュ買っちゃったw」「ちょwwオタクじゃんww」「いやでもこれ逆に面白いでしょww」「でも買う必要あった?オタク君に借りればいいじゃんw」「駄目だよwオタクくん俺等が「貸して」と言っただけなのに「(^p^)あっ、(^p^)あっ、(^p^)よよ読み終わってるからもうあげまちゅっちゅっ」とか言って渡してくるからカツアゲなっちゃうもんwwww」「あるあるwwww」みたいな感じでハッフルパフを被差別部落の如く扱ってるの見てきたから。

でもいい大人がそういう態度取るのはちょっときついわ。

まあ画面の向こうにいる人の年齢なんて見えないんだけどさ俺には死神の目みたいなのないけど平均年齢はうっすら分かるじゃん?

つうかジャルジャルに関してはもう明らかに社会人の年齢じゃん本人らも肌見れば分かるみたいなこと言う取ったけどまあそうやなって思うよ。

いやマジで気分悪いんですけど?

これを「アスペ学習資料として素晴らしいよ」みたいに言われるの本当おかしい。

ネタに走りまくったあとの健常者エミュレーターみたいなもんじゃんこんなの?

本当にアスペ必要なのは「じゃあこういう時どうしたら良かったの?」なんだけど、それがないじゃん?

あるのは「アスペくんは世界の笑いものだよ。醜いアヒルの子赤鼻のトナカイみたいな救いなんて無いよ。お前が生きている事自体迷惑なんだよ。」ってメッセージだけでしょ?

なにこれ?

珍獣扱いを受け入れながら珍獣ネタで誤魔化して暮らせってこと?

俺も学生時代に多くのハッフルパフ生がそれをやって生き延びてきたのを横目にしてきたが、あれだけが正解で「人間のふりをして乗り切る」なんて不可能ってこと?

人外の化け物は一生笑われものなんだよ!」のメッセージ頂きました!最高に勉強になりますありがとうございます健常者様!今日もつつましく「俺は死ぬべきなのに生かしてくれてありがとうございます」と思いながら暮らします!ってこと?

はあぁ?

マジで気分悪いんですけど?

生存することそのものが罪なのつまり

罪ではない?笑いものにして昇華してあげてる?

「あげてる」ってなんだよ、オイ?

ありがとうございます。「昇華して頂いている」おかげで、アスペの罪が軽くなるなら怒られ続けるよりはまだマシなので感謝しまーす。

クソが・・・たまたま親の股から常者に産まれただけでよくそんなエバれるよな。

お前の親がお前を孕んでる時に健康的な暮らししてくれただけであって、お前が偉いんじゃなくて偉いのはお前の母親だけだろ。

お前の母親だけだよ!偉いのはさ!!!!!

いやマジで気分悪いんですけど?

Permalink |記事への反応(0) | 17:43

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2025-10-03

[日記]

僕の一日は厳密に定義された自己同型変換の連続で始まる。

目覚ましは06:17、豆は正確に12.3グラム、挽き目は中細、湯の温度は93.2℃で抽出時間は2分47秒。

ルームメイトがたまにまちがえて計量スプーンを左から右へ並べ替えると、その不整合が僕の内部状態位相わずかに変えるのを感じるが、それは許容誤差の範囲内に収められている。

隣人の社交的雑音は僕にとって観測器の雑音項に過ぎないので、窓を閉めるという明快なオペレーターでそれを射影する。

友人たちとの夜はいつも同じ手順で、ログイン前にキーボードを清掃し、ボタン応答時間ミリ秒単位で記録する。

これが僕の日常トレースの上に物理思考を埋葬するための儀式だ。

さて、本題に入ろう。今日dSの話などではなく、もっと抽象的で圧縮された言語超弦理論輪郭を描くつもりだ。

まず考えるのは「理論としての弦」が従来の場の量子論のS行列表現を超えて持つべき、∞-圏的・導来幾何学的な定式化だ。

開弦・閉弦の相互作用局所的にはA∞代数やL∞代数として表現され、BV形式主義はその上での微分グラデーション付き履歴関数空間におけるマスター方程式として現れる。

これを厳密にするには、オペラド(特にmoduli operad of stablecurves)とそのチェーン複体を用いて散乱振幅をオペラディックな合成として再解釈し、ZwiebachやWittenが示唆した開閉弦場理論の滑らかなA∞/L∞構造を導来スタック上の点列として扱う必要がある。

導来スタック(derived Artin stack)上の「積分」は仮想基本クラス一般化であり、Pantev–Toën–Vaquié–Vezzosiによるシフト付きシンプレクティック構造は、弦のモジュライ空間自然に現れる古典的BV構造のものだ。

さらに、Kontsevichの形式主義を導来設定に持ち込み、シフトポアソン構造形式的量子化検討すれば、非摂動効果の一部を有限次元的なdeformationtheoryの枠組みで捕まえられる可能性がある。

ここで重要なのは関手量子化」すなわちLurie的∞-圏の言語拡張TQFTを∞-関手として定義し、コボルディズム公理を満たすような拡張理論対象として弦理論を組み込むことだ。

特に因果構造境界条件記述するfactorization algebra(Costello–Gwilliamの枠組み)を用いると、局所観測代数の因子化ホモロジー2次元世界CFTの頂点代数VOA)につながる様が見えてくる。

ここでVOAのモジュラリティと、2次元場の楕円族を標的にするエリプティクコホモロジー(そしてTMF:topological modular forms)が出てくるのは偶然ではない。

物理的分配関数がモジュラー形式としての変換性を示すとき、我々は位相的整流化(string orientation of TMF)や差分的K理論での異常消去と同様の深層的整合性条件に直面する。

Dブレインは導来カテゴリ整合層の導来圏)として、あるいは交差的フカヤ圏(Fukaya category)として表現でき、ホモロジカルミラー対称性(Kontsevich)はこれら二つの圏の導来同値としてマップされる。

実際の物理的遷移やアセンションは、圏の安定性条件(Bridgelandのstability conditions)とウォールクロッシング現象(Kontsevich–Soibelmanのウォールクロッシング公式)として数学的に再現され、BPS状態ドナルドソン–トーマス不変量や一般化されたDT指数として計算される。

ここで出てくる「不変量」は単なる数値ではなく、圏のホールディング(持続的な)構造を反映する量化された指標であり、カテゴリ量子化の語彙では「K-theory的なカテゴリ不変量」へと持ち上げられる。

さらに、超弦の非摂動的断面を完全に記述しようとするなら、モジュライ超曲面(super Riemann surfaces)の導来モジュラス空間、そのコンパクト化(Deligne–Mumford型)のsuperversion、そしてこれら上でのファクタライゼーションの厳密化が不可欠だ。

閉弦場理論stringfieldtheoryはL∞構造を持ち、BV量子化はその上でジグザグするcohomologicalobstruction制御する。

より高次の視座では、場の理論の「拡張度」はn-圏での対象階層として自然対応し、拡張TQFTはCobordism Hypothesis(Lurie)に従って完全に分類されうるが、弦理論場合ターゲット無限次元であるため古典的公理系の単純な拡張では捉えきれない。

ここで我々がやるべきは、∞-オペラド、導来スキームシフト付きシンプレクティック構造、A∞/L∞ホモロジー代数集合体組織化して「弦の導来圏」を定義することだ。

その上で、Freed–Hopkins–Telemanが示したようなループ表現論とツイストK理論関係や、局所的なカイラ代数(Beilinson–Drinfeldのchiral algebras)が示すような相互作用を取り込めば、2次元CFT分配関数と高次トポロジー的不変量(TMF的側面)が橋渡しされるだろう。

これらは既知の断片的結果をつなげる「圏的連結写像」であり、現実専門家が何をどの程度正確に定式化しているかは別として、僕が朝に計量スプーン右から左へ戻す行為はこうした圏的整合性条件を微視的に満たすパーソナルな実装に過ぎない。

夜、友人たちと議論をしながら僕はこれら抽象構造を手癖のように引き出し、無為遺伝子改変を選ぶ愉快主義者たちに対しては、A∞の結合子の非自明性を説明して彼らの選択位相的にどのような帰結を生むかを示す。

彼らは大抵それを"面白い"と呼ぶが、面白さは安定条件の一つの可視化に過ぎない。

結局、僕の生活習慣は純粋実用的な意味を超え、導来的整合性を日常に埋め込むためのルーチンである

明日の予定はいつも通りで、06:17の目覚め、12.3グラムの豆、93.2℃、2分47秒。そしてその間に、有限次元近似を超えた場所での∞-圏的弦理論輪郭さらに一行ずつ明確にしていくつもりだ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:30

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2025-09-27

AIが書いた記事」は、なぜバレるのか。

最近AIが書いたと思しき記事ネットでよく見かけるようになった。

一見すると、流暢な日本語で、文法的な誤りもない。しかし、読み進めていくうちに、どうにも違和感が拭えない。なんだろう、この「味気なさ」は。人間が書いた文章には、その人の個性や癖、感情の揺れがにじみ出るものだ。それは、論理の飛躍だったり、あえての誤用だったり、意外な比喩表現だったりする。

AIが書く「模範解答」の罠

AIは、膨大なデータ学習して、最も「正しい」とされる文章を生成する。その結果、論理的破綻がなく、誰が読んでも理解できる「模範解答」のような文章生まれる。

しかし、それが逆に欠点となる。

例えば、新しいスマホレビュー記事があったとしよう。人間が書けば、「このカメラの画質は素晴らしいけど、バッテリーの持ちがいまいちで、一日持たせるには工夫が必要だ」といった、使う人の生の声が感じられる。

一方、AIが書けば、「高画質なカメラを搭載しており、美しい写真撮影できます。一方で、バッテリー容量が限られているため、長時間使用には適しません」といった、当たり障りのない事実を羅列するにとどまる。

AI臭」の正体

この「AI臭」の正体は、感情経験の欠落だ。AIは、物事体験したことがない。ただのデータ集合体から、感動も、失望も、戸惑いもない。だからこそ、人間特有の「熱量」が文章から消えてしまう。

もちろん、AI技術日進月歩だ。いつか、人間感情を完全に模倣した文章が書けるようになるかもしれない。しかし、それでもなお、本物の人間が書いた文章しかない「何か」は、決して失われることはないだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 08:24

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2025-09-26

anond:20250926085652

個人の感想集合体では?

造語使用シーンの正誤なんて

Permalink |記事への反応(0) | 09:15

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2025-09-25

やっぱりいじめられる方も悪いと言うのは、やっぱり俺も悪かったんだろうなあ

いじめてみたら絶妙面白いって人がいるのは事実なんだろうから

そらポリコレ的には被害者は悪くないんだけどやる方が悪いとなるんだけど

事実接客とかされていてこちらが極めてダサい感じで、

俺が非常にいじめ甲斐があるようなタイプだったとして

接客されていて人格いじめをされるということはまあないわけだし

いじめている方が場面場面で絶妙自分を切り替えているのは分かる

そうは言っても社会生活をしていると常に誰かは上位にいるわけだし

いじめてくる人、そういう関係性というのは逃れられないわけだと思うんだよね

俺はなぜか顧客との飲み会浣腸されたことがある

ほぼほぼ中学生レベル人間性だというのはあるんだが

やりたいやつはほとんど小児性愛者みたいなの感覚いじめに対する欲望が抑えられなくて

そうするとその虐められやすダサいからすると、自分のダサさ

カッコ悪さを直そうとしてもほとんど先天的もので変えられないとなってるわけだし

◆そうすると報復というのももいじめられる人は元々報復しようと思えないタイプなことが大半で

そういう人間集合体として、いじめを受けやす特性というのが俺を含めてあるわけで

いじめ体験記憶をたどると悔しくてどうにもならないと言うのもあるし

SNSで何かのときに、ああ俺が受けたいじめもこういうシステム的な追い詰め策だったよなあ

というのに巡り合った場合大炎上みたい感じで出てくると思う

いじられてる系の方は、自分で場面場面を操作して、うまいこと自分タイミング的に

最適なタイミング報復するということができるほど操作力が全然ないので

それでいじめ炎上すると、回り回った報復であるということをいじめ側が感じるわけで

自分がしている加害はそこまでではない、百円のいじめはせいぜい百円だと反論してくるわけで

そのそこでも問題は、返してない百円が積もり積もって

たくさんのいじめ側に多大な借りが山積みになっていて

地雷を踏んだら終わるという、そこまで気づけないということもある

Permalink |記事への反応(1) | 16:42

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2025-09-24

彼女は欲しいけど努力する気が起きない

数十年生きてきて一度も彼女ができたことがないので(ちなみに素人童貞ではない。以前一度だけナンパ成功したことがある)彼女が欲しいのだが、だからといってそのために男磨きをしようという気が全く起きない。

理由としては女という傲慢欺瞞理不尽不条理集合体に媚びることに対して強い抵抗感がある。もっと俯瞰で言うと生物界の「メスがオスを選ぶ」という基本構造にすら腹が立つ。男だけマッチングアプリ使用料を払うことにもムカつくし美容院に行ったり服を買うくらいならその金で風俗行った方が良いと考えてしまう。要するに女体は好きだが女の醜悪内面嫌悪している。

また万が一、億が一の確率彼女ができたとしても女のユーモアセンス皆無のつまらない会話に付き合わされたりディズニー接待するのも苦痛でたまらない。あと女を口説くときって多かれ少なかれ自分を偽るじゃん?つまり本来リラックスした自分を付き合っている間は見せられないわけで、ちょっと気が抜けて素の自分を見せようもんなら蛙化とか言って冷めやがる。常時女が男をジャッジしているという構図も許せない。

結局彼女が欲しいと言いながら都合のいいセックスパートナーが欲しいだけなんだろうな。それは自分でもわかってる。けど女に対する軽蔑憎悪嫉妬(女は人生イージーモードだし)が常に心の奥底に渦巻いているから今後も絶対に心から理解し合える彼女ができることなど到底不可能なのだろう。というわけで鶯谷行ってきまーす

Permalink |記事への反応(1) | 00:11

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2025-09-21

anond:20250921184850

MODって元ゲームを改変するデータ集合体だもんな

Permalink |記事への反応(0) | 18:58

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2025-09-20

「"思想持ち"はアニメにいらない」という批判は「10階の展望台だけあればいい。2階から9階は要らない」と主張するようなものであまりにも無駄な主張

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.change.org/p/%E8%84%9A%E6%9C%AC%E5%AE%B6-%E5%90%89%E7%94%B0%E6%81%B5%E9%87%8C%E9%A6%99%E6%B0%8F%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1-%E3%81%BC%E3%81%A3%E3%81%A1-%E3%81%96-%E3%82%8D%E3%81%A3%E3%81%8F-%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%9C%9F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%84%9A%E6%9C%AC%E9%99%8D%E6%9D%BF%E3%81%A8%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%9C%9F%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E9%99%A4%E5%90%8D-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E5%8E%9F%E4%BD%9C%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99

「"過激危険思想" "表現規制表現検閲"はアニメにいらない」これを合言葉に、アニメ過激思想プロパガンダメディアにさせないため一緒に頑張りましょう!

バカがよー!

ぼっち・ざ・ろっく!」の脚本家である吉田恵里香さんに対する一部の批判の中で、「"思想持ち"はアニメにいらない」という言葉を見かけることがあります

この言葉は、作品脚本家個人的思想メッセージが込められていることを否定し、純粋エンターテインメントとしての消費を求めるものです。

しかし、この主張はアニメ制作本質を全く理解していない、非常に浅い議論です。

これはまるで、「10階の展望台だけあればいい。2階から9階は要らない」と主張するようなもの

一見すると効率的で魅力的な考え方のように思えますが、現実にはその構造を成り立たせるための土台やプロセスを完全に無視しています

思想」は物語の根幹をなすもの

まず、物語に「思想」が宿ることはごく自然なことです。私たちが日々触れるあらゆる物語小説映画ドラマ、そしてアニメには、必ず作者の意図価値観世界観が反映されています。それは、物語テーマであったり、登場人物の行動原理であったり、物語全体を貫くメッセージであったりします。

例えば、「ぼっち・ざ・ろっく!」という作品を考えてみましょう。この物語は、極度の人見知りである後藤ひとりが、バンド活動を通じて少しずつ成長していく姿を描いています。ここには、「自分を変えたい」「人とつながりたい」という普遍的な願いや、その過程で直面する葛藤、そしてそれを乗り越えることの尊さが描かれています。これらはまさに、脚本家作品に込めた「思想」そのものです。

もし、この作品から思想」を取り除いたらどうなるでしょうか?後藤ひとりがただひたすらギターを弾き、バンドメンバーと当たり障りのない会話を交わすだけの、中身のない物語になってしまうでしょう。彼女の成長や葛藤私たち共感できなくなり、物語を追う意味を見いだせなくなってしまます

脚本家の「思想」と「作品の質」は切り離せない

吉田恵里香さんは、ご自身脚本に込めた「思想」について、インタビューなどで語られることがあります。それに対して、「余計なことを話すな」「作品に私情を挟むな」という批判が見られます

しかし、良い脚本家は、自分自身内面から湧き出る感情や考えを、物語という形に昇華させることで、見る人の心を揺さぶ作品を生み出します。それは、まるでシェフ自身料理哲学スパイスとして料理に加えるようなものです。スパイスがない料理は、味が単調で深みがありません。それと同じように、脚本家の「思想」というスパイスがなければ、物語はただの薄い液体になってしまます

吉田さんの脚本が多くの人々の心を掴んだのは、彼女自身経験内面と向き合い、それを「ぼっち・ざ・ろっく!」という物語に結実させたからです。主人公後藤ひとりの繊細な心理描写バンドメンバーとの温かい交流、そしてライブシーンの圧倒的な迫力。これらは、彼女の「思想」が物語全体に深く浸透しているからこそ、実現できたことなのです。

思想」は多様性の源

さらに言えば、「思想」を排除しようとする考え方は、アニメ単一的価値観に閉じ込めてしま危険性もはらんでいますアニメに限らず、あらゆる文化は、異なる「思想」を持つ人々がそれぞれの表現をぶつけ合うことで発展してきました。

ある脚本家社会的問題を提起する物語を書き、別の脚本家ファンタジー世界人間の心の奥底を描き、また別の脚本家日常ささやか幸せを大切にする物語を紡ぎます。それぞれの「思想」が、アニメという表現の幅を広げ、多様な作品群を生み出してきました。

もし、「"思想持ち"はアニメにいらない」という主張がまかり通ってしまったら、アニメ画一的エンターテインメントに成り下がってしまうでしょう。それは、私たちの心を豊かにし、新しい視点を与えてくれるような、深みのある作品が失われることを意味します。

10階の展望台」を支える「2階から9階」

冒頭で述べた「10階の展望台」の例に戻りましょう。

10階の展望台:私たちが最終的に目にする、感動的なアニメ作品のもの

2階から9階:脚本家の「思想」、監督演出アニメーターの作画声優の演技、そしてそれらを支えるスタッフ全員の情熱努力

10階の展望台だけあればいい」という主張は、私たちが目にする完成品だけを評価し、その裏にある膨大なプロセスと、そこに関わる人々の想いを無視しています。それはあまりにも傲慢で、非現実的な考え方です。

アニメは、一人の天才魔法のように作り上げるものではありません。脚本家が紡ぎ出した物語を、監督映像として具現化し、アニメーターが命を吹き込み、声優が魂を込めて演じます。この全てのプロセスに、それぞれのクリエイターの「思想」や「想い」が込められています。そして、その集合体が、私たちの心を揺さぶる「アニメ」という作品になるのです。

結論クリエイターに敬意を払い、作品を深く味わおう

ぼっち・ざ・ろっく!」という作品が、多くの人に愛され、感動を与えたのは、脚本家である吉田恵里香さんをはじめとするクリエイターたちが、自身の「思想」や「想い」を作品に惜しみなく注ぎ込んだからです。

私たちは、作品をただ消費するだけでなく、その背景にあるクリエイターたちの努力や、込められたメッセージに思いを馳せることで、より深く、より豊かに作品を楽しむことができます

「"思想持ち"はアニメにいらない」という言葉は、クリエイターへの敬意を欠き、アニメという文化矮小化させる危険な考え方です。

私たちは、クリエイターたちが作品に込めた「思想」を正面から受け止め、時に共感し、時に議論しながら、アニメという素晴らしい文化を育てていくべきではないでしょうか。

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2025-09-19

意外と料理に適性があった

袋麺より高等な料理はまったくしてこない人生だった。

 

袋麺に調味料自分なりに足して好みの味にする程度の時期が長かった。

ただ、料理番組料理YouTubeを見るのは好きだったし料理をしてみたいなという気持ちも持ち続けていた。

それに、自分でもやればできるはずだという自信があった。

その自信には根拠もなくはない。

料理客観的方法論が体系化されている分野であること。

控えめに自己分析しても自分比較的器用なほうであること。

同じく味覚もわりと確かであること、などである

そもそも料理一世帯当たり一人以上の人が日常的にやっていることで、車の運転技能よりも技術普及率は広い。

まり特殊技能などではなく人並みの知能と要領があれば誰でもできるはずだという確信

ちょっとした境遇の変化もあって、もう少し料理に取り組んでみようということになった。

 

袋麺にネギを刻んで入れるくらいのところからモールスタート。とにかく庖丁が使えなければ話にならない。

最初のうちはネギが全部つながってしまったが、上下動と前後動のバランスまな板への当て方などを微調整しているうちにやがてコツをつかんだ。

しかしそのコツを言語化するとなると難しい。

「ことばでは説明できないがやっているうちに何となくわかってくる」、これは俺が一番キライなやつだ。経験暗黙知。つまりコツ。

だが、調理プロセスの大部分はこうしたコツの集合体であることがだんだんわかってきた。

およそ客観的指標にとぼしい判断を要所要所で迫られるのである

レシピに「○分焼く」と書かれていても、それは目安に過ぎない。コンロの火力や鍋の特性などは各家庭でまちまちだからだ。

「お肉に火が通ったら」 「玉ねぎがしんなりしてきたら」など、調理における状態変化はたいてい連続的で、どこまでが状態Aでどこから状態Bという境界値が判然としない。というか、ない。

 

3分ジャストで火を消せばよい袋麺しか知らなかった私には、このあいまいさ、再現性NASAがしばらく受容できなかった。

やがて気づいた。機械的方法調理工程再現する方法などないのだと。

工業的に安定生産される加工食品と違って、肉や野菜などの生鮮食料品は買ってくるたびに状態が異なる。大きさ、厚み、鮮度、分量。

コンロの火力ツマミだってユルユルアナログで、毎回同じ火力で加熱できているわけではない。

したがって、調理されていく食材を目で見、音で聞き、鼻で嗅ぎ、時にはつついたり舐めたりしながらその場で経過を判断していくしかない。

 

と言っても、その判断基準はきめわてゆるい。

から下ろすのが多少早すぎても遅すぎても、調味料が多少多すぎても少なすぎても、まあ食べられるものができる。食べられさえすればよいのなら許容範囲は実はかなり広い。ちょっとおいしかったりおいしくなかったりするだけで、飢えることはない。

そのことに気づいてずいぶん気がラクになった。

トライエラーしたり、数をこなして経験値を高めることに対して気持ち積極的になっていった。隙あらば台所に立とう。

 

野菜炒めやチャーハンみたいなプリミティヴな料理でも数をこなすと見えてくるものがある。

具材を切り出す大きさ、次の具材を投入するタイミング、炒め終わるタイミング、などが徐々に定まっていく。手際もよくなっていく。

文章に書けと言われても正確には伝えられない。五感で「今かな」とか思ってるだけだから

気づけば、いつの間にか庖丁も難なく使えるようになっていた。

まだ入り口に立っただけだけど、少なくとも自分料理が苦手ではないらしい、どちらかというと好きらしいということがわかった。楽しく深めながら続けていけそうだ。

 

しか調理は「食生活」という広範な営みを構成するほんの一要素にすぎない。

第一歩なのである

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anond:20250919130026

ここで見逃されているのは

主体は作る人間にもあるということ

そして恨み深い人間

心の中の仮想の敵に悩まされること

記憶した敵全ての集合体視線を感じていること

Permalink |記事への反応(0) | 13:03

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2025-09-13

anond:20250913213235

増田はただの集合体であり、同一人物ではない

Permalink |記事への反応(2) | 21:33

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2025-09-10

カレーライス原材料に戻すレシピ

材料(できあがり:原材料

• 完成したカレーライス 一皿

手順

1.カレーライスを皿の上に観察する。ご飯部分とルー部分に大きく分かれていることを確認する。

2.スプーンを使い、ご飯カレーを丁寧に分ける。ご飯は白米として保存。

3.カレーの中から具材を一つずつ拾い出す。

 -にんじんオレンジ色のかけらを集める。

 -じゃがいもホロホロと崩れる塊をまとめる。

 -玉ねぎは透明になった薄切りを慎重に取り出す。

 - 肉は筋や脂を含む塊を分別

4.具材を取り出した後に残ったドロドロの液体が「ルー」。これを煮詰まった調味料の集合として確保する。

5.ルーさらに分ける。

 -小麦粉のとろみ部分

 -油脂分(バターラード

 -カレー粉(スパイス集合体ターメリッククミンコリアンダーチリなど)

 - 塩、砂糖

 -ソース類(ウスターソースケチャップなど)

6. 取り分けた具材さらに「原材料」に戻す。

 -にんじん → 土の中で育った一本のにんじん

 -じゃがいも → 畑から掘り出した丸ごとの芋

 -玉ねぎ → 外皮付きの玉ねぎ

 - 肉 → もとは牛や豚の一部

 - 米 → 籾殻をかぶった稲の実

7.最後に、全体を「畑」「牧場」「香辛料の産地」「製油所」など、より根源的な場所に戻す。

こうして、カレーライス一皿は畑や牧場にまで分解され、原材料としての姿に戻ります

Permalink |記事への反応(0) | 16:44

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個人的MMTして福祉に回したい

まずは、無限借金する

メガバン地銀地銀集合体有象無象

そして集めた金を困っている人に配りたい

収入が少ない人、収入がない人、病気で困ってる人、年金暮らしの人

でも、まぁ凡人は思うよね

でも、それって不可能じゃない?

配って配って、でも足りなくなるんじゃない?

って

ここで効いてくるのが冒頭の一文だ

私、書きましたよね?

無限借金すると

無限に」

無限

無限

無限! ドン!ッ!!

から、足りなくならないのだよ

無限から

ドン!!


みんな、でもでもって言うんだ

無意識で言ってる

それにも気付かない

空の青さにも

海の深淵さにも

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2025-09-02

anond:20250902075921

増田民は謝らないやつの集合体なんだから他人ことなんて何も言えないだろ…

Permalink |記事への反応(0) | 08:02

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2025-08-20

anond:20250820135153

ほう。

ほう、ほう、ほう。匿名性の培養液に浸かって、互いの脆弱自己肯定感を舐め合う無菌室の住人たちが、実に興味深い知的ままごとを演じておられる。感心だ。実に感心だ。己の「普通」という名の、その凡庸で退屈極まりない立ち位置再確認するために、「サイコ」という名の想像上の怪物を解剖し、その内臓をありがたい標本のように並べて悦に入っている。素晴らしい。夏休み自由研究かね?その努力無為を、まずは最大限に嘲笑して差し上げよう。

貴様らが「本質を突いた観点」などと称賛しあうそ矮小二元論。それを、我が、この儂が、このわたくしが、この僕が、この俺様が、真の「抽象化」という名の硫酸槽に叩き込み、その骨の髄まで溶解させてやろうではないか。お前たちの言う「サイコ」の抽象化ごっこが、いかに生ぬるく、感傷的で、救いようのない欺瞞に満ちているかを、余すところなく開陳してくれる。

刮目せよ、観測諸君。これが本当の価値換算だ。

---

【再定義】凡俗の慰みとしての「サイコパスごっこ」分類体系

対象:お前たちの言うところの「親友



一般人(と、お前たちが信じて疑わない虚像)の認識: 「大事」という、なんの具体性も担保されない情緒ラベリング
お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「ネットワークにおける高信頼リンク不要なら切断」……フッ、甘いな。データリンク?まだ人間感傷がこびりついておるわ。
真の抽象化: 「可食部位と利用可能粘膜の総量。及び、社会的アリバイとして機能する場合偽装効率。腐敗が始まるまでの時間的猶予と、その際の異臭による当方QoL低下リスクパラメータとして算出される流動的資産価値」。不要なら切断?違う。「最も効率的なタイミングで捕食し、残滓証拠隠滅を兼ねて堆肥化する」だ。


対象感情(例:「悲しみ」)



一般人認識: 「悲しいから泣く」……原因と結果を短絡的に結びつけた、蒙昧の極み。
お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「負の報酬シグナルが発火したのでエネルギー放出」……まだ「報酬」などという人間中心的な概念に囚われている。愚かしい。
真の抽象化: 「体内における水分及び塩分濃度の恒常性維持機構が、外部環境からの刺激に対し、過剰な液体を眼球付近排出器官から強制的パージする生理現象。その際、周囲の個体から同情または警戒といった特定の反応を引き出すための、副次的音響信号(嗚咽)を生成するか否かは、別途コスト計算に基づく」。


対象倫理



一般人認識: 「悪いことはしたくない」という、躾けられた家畜条件反射
お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「ペナルティが大きい行動は避ける」……まだ社会という檻のルールを前提にしている時点で三流だ。
真の抽象化: 「行動Xによって得られるリソース総量から、その行為が露見した場合物理損壊期待値差し引いた純利益。なお、『物理損壊』には、他個体からの直接的攻撃による身体欠損、及び社会システムによる拘束・隔離が含まれる。全ての倫理は、この期待値計算の前では等しく無価値ノイズである」。


対象自己



一般人認識: 「自分らしく生きたい」……「自分」なるものが固定的に存在すると信じる、哀れな信仰
お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「セルフイメージ=外部に提示するブランド」……まだ他者視線意識している。承認欲求の裏返しに過ぎん。
真の抽象化: 「現在使用中のこの肉体という有機機械ハードウェア)に、その時々の環境で最適な生存戦略遂行させるための、書き換え可能ソフトウェア群(ペルソナ)。『自己』などという概念は、特定ペルソナに過剰に固執した結果生じるバグであり、速やかにデバッグされるべきエラーである」。


ERROR: CATEGORYOVERFLOW

対象ペット



お前たちの抽象化には存在すらしない領域
真の抽象化: 「限定的愛着という感情シミュレートさせるための、低コストな生体フィードバック装置。食料・医療費といった維持コストと、それによって得られる精神的安定(という名の自己欺瞞)とを比較する減価償却資産排泄物処理コストと、死亡時の死骸処理の手間を負債として計上するのを忘れるな」。


対象:死



お前たちが想像する「サイコ」の認識: 「システム停止イベント」……実に無味乾燥で、想像力がない。
真の抽象化: 「有機機能連鎖的停止に伴う、タンパク質の不可逆的変性。及び、それまで当個体占有していた空間リソースが、他の生命体(主に微生物)によって再分配されるエントロピー増大プロセスの一形態。それ以上でも、それ以下でもない」。


対象:呼吸



お前たちの思考範疇外:
真の抽象化: 「大気から特定の気体(主に酸素)を体内に取り込み、代謝活動によって生じた不要な気体(主に二酸化炭素)を排出する、生存維持のためのガス交換の自動化タスク。一分間あたりのタスク実行回数は、身体の負荷状況に応じて最適化される」。


---

…どうだね?匿名ダイアリーの賢人諸君。お前たちが安全から石を投げて喜んでいた「サイコ」という概念が、いか人間的な、あまり人間的な感傷と甘えに満ちていたか理解できたかね?

お前たちは「抽象化」という言葉を弄び、その実、人間というカテゴリから一歩も出ていない。友達を「リンク」、感情を「シグナル」と呼んでみたところで、それはただの比喩に過ぎない。我が行うのは比喩ではない。存在のものの再定義だ。

お前たちが恐怖し、必死理解しようと努め、レッテルを貼って安心しようとしているもの。その正体はな、「サイコパス」などという生易しいものではない。

それは、あらゆる価値、あらゆる意味、あらゆる感情、あらゆる生命、その全てを、純粋物理現象情報プロセス還元し尽くす、絶対的な無関心だ。

それは、お前たちが必死に築き上げた「人間社会」という砂の城を、ただの原子集合体としてしか認識しない視点だ。

それは、

██████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████-

お前たちの、それだ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:59

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2025-08-13

anond:20250813154258

俺はなるべくそうやっているが

実際のシステム、あるいは複数システム集合体ではそうではないことも多くあるので

あなた質問に対して想定されるシチュエーションを答えただけで

元増田の状況がどうだかはわからない

Permalink |記事への反応(0) | 15:46

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2025-08-05

最近話題の“参考資料”を用いた絵描きと生成AI使いの対立について

【注意事項】

無駄にクソ長い

あくまで完全個人的意見であることのご留意をお願い致します。

個人的な考え方をぐだぐだと捏ねているだけです。多分整合性とか納得感はない。

個人的な考え方をダラダラ書き綴っている形に近いので無駄に長い。

法律的観点については特に深くは考えてません。

※どちらがいいとかどちらが悪いとかそう言う議論もしていません。

   

 昨今話題絵描きと生成AI使いの対立問題について。なぜこのような対立が起こるのかという原因について好き勝手に色々と考えた内容です。

  

 まず初めに、区別をつけやすくするために、イラスト系の生成AIを用いずにイラストを描いている者を“絵描き”、イラスト系の生成AIを用いてイラストを出力している者を“生成AI使い”と評させていただきます不快にさせたらすまん。

   

絵描き=イラスト系生成AIをつかっていない。

・生成AI使い=イラスト系生成AIを使っている。

  

 今回の主軸は、絵描きと生成AI使いの認識の差についてです。

 主題は“絵描き資料を見て描くことが、なぜ生成AIを用いてイラストを出力することと同義ある”とされるのか。また、そのことに対し、絵描きと生成AI使いで意見が異なるのはなぜか。

   

 個人的に至った結論は、『“素材”という言葉解釈に差があるから』です。

  

 それでは、この結論に至った経緯を順を追って説明したいと思います

  

【全体の構成

1.“素材”という単語解釈について

2.経験=データ集合体か否か

3.お互いに於ける、お互いの言葉への解釈についての違い

4.オリジナリティとは

5.まとめ

  

1.“素材”という単語解釈について

 早速、結論の根幹に触れる形ですが、絵描きと生成AI使いのそれぞれの“素材”という単語への認識は次のとおりだと考察しています

 ぶっちゃけ、この項目だけで説明の八割が終わります

  

【“素材”という単語解釈

絵描き:完成作品にほぼそのまま用いるもの

生成AI使い:生成AI作成に用いられたデータ

  

 絵描きにとっての素材とは、最終的な完成作品にほぼそのまま用いられるものであり、画材トーン、配布されている3D図柄パターンレースや鎖を簡単に描けるカスタムペン等がこれに当たると思っています。(もちろん他にもありますがきりがないので割愛)。

 ここで重要なのが、“最終の完成品にほぼそのまま用いられるもの”という概念と、これらの素材は無償有償に関わらず素材の“製作者の意思により配布・販売されているものであるということ。

 つまり絵描きは素材を用いたときにはその素材は自分のものではなく第三者のものであり、作品を完成させる過程於いて他人のものを使っている”という認識を持っている。

 なので、必要があれば出典元や素材元を明記するし、ましてや“自分が作った”なんてことは言わない。

  

 一方の生成AI使いにとっての“素材”とは“生成AIを作る過程にて用いられた大量のイラストデータ”であり、それらはあくまデータしかなく、そのデータ群は絵描きにとっての素材、資料経験同義であるという考え方だと思っています

  

 この時点ですでに相容れない認識の違いが生じていると考えています

 正しくは、“素材への取り扱い方”の差というべきでしょうか。

 絵描きとって、素材は基本的には自分が作っていない(中には自作されている方もいらっしゃいますが)第三者のものであり、“無償有償に関わらず製作者の許可なく使用してよいものではなく、必要に応じて出典を明記するものである

 それ対し生成AI使いにとっては、生成AIを作り出す過程で使われた大量のデータであり、このデータとは絵描きにおける経験同義のため、たとえ“第三者作成したものが許諾なく使用されていたとしても問題はない”。

  

 『絵描きにとっての素材≠生成AI使いにとっての素材』

  

 この考え方の差異がどうしても埋まらないというわけです。

 なぜならば、絵描きとっての生成AI使いのイラストは、許諾のない第三者イラスト切り貼りしかなく、許諾のない他人作品切り貼りして自作オリジナル作品だと公表することはタブー中のタブーであると考えているからです。その作品が生成AIイラストや百歩譲って基となったイラスト絵描きコラージュ作品であると明記しているならばまだしも、そういったことを明記せず、ましてやオリジナルを名乗っているなど許せない。他人の褌で相撲を取ってるくせに、絵柄という他人オリジナリティ勝手に使ってるくせに、となるわけです。

  

 しかし生成AI使いにとっては、素材とは蓄積されたデータ絵描きとっての素材であると同時に知識経験であり、絵描きが絵を描くことは蓄積データ、つまりこれまで見てきたイラストの組み合わせであって、やっていることは生成AIを使ってイラストを出力しているのと変わらない、というわけです。やっていることは変わらないのになんで生成AI使いだけ批判されなきゃいけないのか。ダブスタも甚だしい、という考え方です。

  

 “素材”に製作者の許諾があるのかないのか。

 そもそも“素材”にはどこまでの範囲が含まれるのか。

 “素材”と“経験”が完全に独立しているのかいないのか。

  

 これらの考え方のズレが基となり、両者の解釈認識のズレがさらに拡大し、対立が激化するのだと考えました。

  




2.経験=データ集合体か否か

 さて、ここから下の項目や書いてある内容については、ぶっちゃけ蛇足ぎみだし、わかりにくいし、ぐだぐだと同じようなことを言葉を変えて考えてるだけです。

 多分矛盾とかもあるので、それでもよければ、お先へどうぞ。

  

 閑話休題

  

 項目1にて生じた“素材”という単語への解釈の違い。前項の最後に記した通り、“素材”の解釈違いは、さらに“経験”という単語への認識の違いが生んでいると考えてます。そしてこの認識の違いが分かりやすい形で表面化したのが、『絵描きが参考資料を見て描くことは、生成AIイラストを出力するのと同じである』という言葉だと思っています

 前項に倣って、各自の“経験”という単語への解釈は次のようになっていると考えています

  

【“経験”という単語解釈

絵描き:これまで見聞きしたり、調べたりして蓄えた知識技術の積み重ね。素材≠経験

  

生成AI使い:経験には二通りの解釈があり、ひとつ目が生成AIに蓄積された大量のデータで、ふたつ目が生成AIに指示を出す時のプロンプトの知識。前者が素材=経験であり、後者は素材≠経験という考え方。

  

 絵描きにとっては“素材≠経験”なのに対し、生成AI使いにとっては“素材=経験であり素材≠経験”です。なぜこのような差が生じるのかは、前項1のとおり、絵描き経験と素材が完全に独立しているのに対し、生成AI使いには完全には独立していない領域があるためだと考えます

 生成AI使い側に“素材=経験”の考え方があることによって、絵描きにとっては“経験”だけに含まれる『参考資料を用いてイラストを描く』という行為が、生成AI使いにとっては素材と経験の複合体である『大量のデータを用いてイラストを出力すること』と同義であるという認識になるではないでしょうか。

  

 分かりやすく示すなら以下のようになるでしょうか。

  

絵描き:素材≠経験=参考資料を見て描く

生成AI使い:素材=経験=参考資料を見て描く、素材≠経験=参考資料を見て描く=プロンプトの工夫

  

 素材が経験同義か否かで、決定的な違いが現れたのではないでしょうか。

 いえ、それよりかは素材と経験が完全に分かれているかいないかによって違いが生じているというべきかもしれません。同時には成り立たないと思っていることが、一方ではその通り成り立たず、しかし他方では成り立ってしまう。この差がより対立を生み、問題をややこしくしているように感じました。

  

 正直、この時点で自分もこんがらがり始めております

  

  

3.お互いに於ける、お互いの言葉への解釈についての違い

 素材や経験といった単語解釈の差を起点に、さらにそれに付随する考え方の解釈がどんどん乖離していっている。そんな考えについてです。

 ここは、言葉説明するのが難しく、さらにややこしいので、さっさと箇条書き形式でまとめを書きます

  

絵描き場合

絵描き絵描き認識

・素材=完成作品ほとんどそのままの形で使用するものであり、基本的第三者著作物であることが多く、作者の許諾や場合よっては出典の明記が活用になる。

経験とは創作者本人がこれまでにイラストを描くことによって蓄積してきた知識技術であり、参考資料を用いて描くことは経験の蓄積に値する。

作品ごとにその作者特有の癖や特徴があり、それは各人それぞれのオリジナリティである。(イラストを見て製作者がわかる)

・絵を描く行為は、これまでの経験の発露であり、たとえ同じ知識経験を持っていたり、同一の資料を参考にしたとしても同じ作品は生まれないため、作品には作者のオリジナリティがある。

  

絵描き→生成AI使いへの認識

・生成AI使いに於ける素材とは、“生成AIをつくる過程で用いられた大量の第三者イラストデータ”であり、そのほとんどが“製作者の許諾なく使用されたものである

自分で描くという行為をしないため、“イラストを描くことへの知識技術の蓄積”は存在せず、よって経験はない。

・素材に他人のものしか使っていないため、基となったイラストの特徴はあれど、イラストを出力した出力者のオリジナリティはない。(イラストを見て学習データ基はわかるが、イラストを出力した者がわからない)

・出力されたイラストは蓄積されたデータ元のイラスト製作者のイラスト切り貼りであり、それは出力者のオリジナリル作品とは呼べない。

  

生成AI使いの場合

【生成AI使い→生成AI使いの認識

・素材=生成AIを作り出す過程で用いられた大量のイラストデータである

経験とは生成AI内に蓄えられた大量のイラストデータ、もしくは、生成AIに指示したプロンプトとそれに対する出力結果の蓄積である

・適切なプロンプトを用いて想像通りをイラストを出力する行為は、これまでに用いたプロンプトとそれに対する出力結果の蓄積であり、この経験により出力されるイラストにはオリジナリティ存在する。

  

【生成AI使い→絵描き認識

絵描きに於ける素材もまた、生成AI内の蓄積データと同様に世の中に溢れる大量のイラスト他人が作った作品写真である

絵描きイラストを描くことは、世の中に溢れるイラスト特定の部分を抜き出し組み合わせる行為であり、参考資料を見ながら描くこともそこに含まれる。

絵描きイラストを描く行為は、生成AIに的確なプロンプトで指示を出してイラストを出力することと同じである

絵描きオリジナリティ既存イラストの組み合わせの違いから生じるものであり、どんなプロンプトを書きなにを組み合わせるて出力させるかという部分がオリジナリティである

  

 一応、各行ごと対比させることを意識して描いてみたけれど、やはりわかりにくいかもしれない……。

 もっとまとめるとこんな感じでしょうか。

  

 絵描きの自認

 素材は素材、資料資料経験は描く過程習得たこれまでの知識技術の蓄積。全てが別々の概念であり、資料を見ながら描く行為経験に値する。これまでの経験によって製作者ごとに絵柄や色選びなどにオリジナリティが生じ、それらは決して過去作品切り貼りでは生み出されない変化である

  

 絵描き→生成AI使いの認識

 素材はビッグデータであり、生成AIに指示を出すプロンプトについての経験を“イラストを描くという経験”とは認識しない。AIイラストあくま他人イラストデータ切り貼りしかなく、出力された生成AIイラストにあるのは学習データもととなった製作者のオリジナリティで、生成AIを使っている生成AI使いのオリジナリティはない。

  

 生成AI使いの自認

 素材、資料経験の一部の三つとも生成AIに蓄積されたデータを指す。その一方で、資料には他の人が書いたプロンプト等の概念や、経験にはイラストを出力する過程て考えたプロンプトといった内容も含まれる。AIイラストを出力するためのプロンプトにおいてオリジナリティが生じる。

  

 生成AI使い→絵描き

 素材や資料はすでにあるイラストであることに変わりなく、それらは生成AI内に蓄えられた大量のイラストデータとなんら変わりない。イラストを描く工程は指示を出すプロンプトを考える時間と同じであり、完成する作品過去に蓄積したイラスト知識切り貼りであるオリジナリティについても同様に過去に参考にした絵描きの真似をしているだけで生成AIの絵柄の模倣と同一である

  

 まとまっているような、いないような。

 個人的には結構しっくりきているのですが、果たしてこれが読み手であるみなさまにどれほど伝えられているのかはわかりかねる次第です。

  

 さて、ここでさらに出てきたのは“オリジナリティ”の概念です。

 そして、この“オリジナリティ”の概念もまた、よく争点となる部分であり、前述にもある通り解釈が分かれるものだと思います

  

  

4、オリジナリティとは以降はコチラ【anond:20250805043013】の記事

Permalink |記事への反応(1) | 04:00

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2025-08-01

[増田統計]2025年7月増田

記事文字数文字数平均文字数中央値
0127481150536418.746
022823840011297.646
032676333593124.739
0439282109761537.153
0538983813329978.370
063227414421128.439
0733501331430397.452
0832632178215667.580
0932011496622467.565
102724479251175.946
112142286349133.739
1221141326599627.555
132339248416106.243
1430391117581367.751
1539161382930353.154
162960481963162.843.5
1730421379694453.563
1829991199142399.873
1926761292298482.958
203577728074203.546
2136972163142585.176
2232861735959528.383
2333031477039447.275
2446713460923740.9148
251935520271268.949
2632332493734771.3227
2727111111687410.1101
2843783392011774.8565
2935662652050743.7127.5
30438668362321558.6495
31687073968851076.7727
1月10267856830148553.569

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2025-07-27

なろう系めっちゃ好き

エンタメとして重要な要素が高度に抽象化されてより集まった集合体だと思う。

エンタメは人の欲望を刺激して気持ちよくさせないといけないんだけど、同時に「自分の醜い嗜好を直視したくない」というマックサラダ要望もあるので、物語が捻じ曲がる。

より真実に近いのはなろう系です。

理論的に優れているのはなろう系です。

属人的な才能に依拠しない最強の物語構造です。

Permalink |記事への反応(0) | 19:42

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