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はてなキーワード:闘争とは

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2025-10-21

anond:20251020175719

原住民同士での過酷闘争および奴隷制により脆弱遺伝子は淘汰されたからな

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2025-10-18

anond:20251018215455

その「女性解放運動」の思想的な後ろ盾は何なのか?ってのが問題なんよ。

ただ単純に「女性権利を拡大したいんで拡大しろお気持ち権利要求主義)」という主張であれば、「フェミニズムは男のための運動じゃないんだよ」でもなんの問題もなかったのね。まぁ思想的に問題はないんだけど実現は難しかった。具体例でいうと、世界諸国女性参政権がない時代において、「政治的多数決女性権利向上するかどうかきめましょう。なお女性投票権はない」って状態で、権利向上がほいほい推進されるかって言えばしないでしょ? いくら喚いたって政治的発言権無いんだから事実長い間女性権利は一向に向上しなかった。

この路線じゃまったくどうにもならんってわけで、女性権利拡大、解放運動思想的な背景に人権思想をくっつけたわけ。それがすなわち男女同権であり弱者救済ね。

「全ての人間は等しい権利を持っている(人権思想)ので、当然その一部である女性男性と等しい権利を持っているはずである。その正しい社会を実現しよう」という理路でもって女性解放運動は推進されたわけ。その理屈からこそ、男性しか投票権を持たないような前世紀の社会においても「社会正義のためなら」ってことで女権が拡大されてきたわけよ。

まりフェミニズム人権思想や男女同権や弱者救済ってのを前提に推進されてきたっていう歴史があるのね。そんなのそれ系の新書の一冊でも読めば分かる程度の、当然の浅い歴史であり前提なわけよ。

それに対して、女性参政権が認められた現代女性がXだのツイッタだののしたり顔で「そもそもフェミニズム女性解放運動男性権利弱者男性とか関係ない」っていうのだとすれば、「はーそうなんすか。つまり人権思想はもう用済みっすか?お気持ち多数決権利剥奪OK戦場に再ログイン上等って話ですね?」ってなっちゃうわけ。まぁ有り体に言えば思想的な大後退ですね。

狭い視界でみたらオタクだのおっさんだの醜くて目障りかもしれないけれど、広い始点でみれば彼らも女性も、社会的には弱者であり、富裕層でも上級層でもないのよ。広い始点の権利闘争のなかで、本来的には同じ側の人間を目障りだっていう理由人権思想否定して背中撃ちするのならば、まぁ、思想としても社会運動としても袋小路になってしまうというだけの、それだけの話しなんだけどね。

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

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2025-10-04

在日中国人いっきらい

そもそも中国という国が2000年(笑)にわたる侵略と内輪揉め、民族闘争の泥沼で形成されていてその、、なんか、、苦笑😅だし

ちょっと前にBappa Shotaも話題になったけど、2025年現在になっても進行形国家的な言論思想統制がまかり通っていて激キショ、そんな政治体制を生み出した国民(笑)性もガチキショで嫌い

で、そいつらが隣の大陸うごうご繁殖する分には構わないけど日本に来られるとマージできしょくて無理。中野にある中華マーケットとか最近街中に現れるようになったガチ中華料理屋とかも独特の臭いと衛生感でシンプルに近づきたくない、生理的に受け付けられない。

何より許せないのが、金持ち中国人が「教育環境が良いから〜」みたいな理由日本に来ること。

今年東大卒業したけど、同級生にたくさん中国人がいて最悪だった

日本国民税金が使われた、日本人が100年前に世界に追いつくために建てた大学で、この小汚い外部者が同じお金を払って勉強しているの、わけわからん

しか実家が太いのでバイトをほぼせずに大学近くのタワマン生活をして、可処分時間を勉学と遊びに費やし、大学特待生枠で海外大学格安留学しているの意味からない。

今日疲れたからタクシーで来た、とかほざくあのニキビ面を思いっきり叩いてやりたかった。

ミクロ単位で見たらそれぞれ素敵な人で、努力家で、家族思いで偉いと思います。魅力的な人間だってきっとたくさんいます

でもマクロで見たら私の国に土足で入ってきて勝手にくつろいでいる侵略者でしかない

こんなの、逆恨みですよね?笑笑

でもおかしくないか

日本人より遥かにお金を持った外国人が、日本人と同じ条件で大学に入って、勉強して、留学して、日本企業に就職するの。

シンガポールという国がある。

元々はマレーシア随一の経済都市だったシンガポールは、マレーシア政府のマレーシア優遇政策に反感を抱いた金持ち中国人によって独立して、ひとりでに裕福な、アジア一の楽園都市を築いた。

きっと、中国人ってそういうひとたちなんだろうな。

2000年間にわたって侵略して、ひとの文化を奪って、ひとの国を支配して歴史を作ってきた人たちだからDNAがそういうふうにできているんだろうな。

漢民族系とか女真系とかよくわからないけど全員同じだよ同じ。

まだ間に合うと思うので、日本政府はちゃん日本人が暮らしやすい国を作ってください。

間違っても、私たちの国を奪いにきた人たちが暮らしやすくなるような国にしないで下さい。

Permalink |記事への反応(1) | 20:32

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2025-10-03

anond:20251003134742

間違い。これは典型的形而上学思考による誤謬である。君の主張は弁証法唯物論の基本原理理解していない petit-bourgeois的偏見に満ちている。

 

まず第一に、共産主義反体制性は単なる政権の有無という表層的な権力関係還元できるものではない。我々が闘争する対象は、あくまでも生産手段私的所有に基づくブルジョワ独裁体制、すなわち資本主義搾取構造のものである。したがって、プロレタリア独裁政権樹立後も、我々は国内外反革命勢力修正主義者日和見主義者、トロツキスト無政府主義偏向左翼小児病患者右翼日和見主義者、官僚主義者、教条主義者、経験主義者、尾巴主義者冒険主義者、保守主義者民族排外主義者世界主義者、そして最も危険反動勢力たる帝国主義走狗および買弁資本家階級不断闘争継続する革命前衛でありつづける。

 

君の言う「体制」が何を指すのか不明瞭だが、もし現存する階級社会を意味するならば、我々こそが真の反体制である。なぜなら右派こそが、封建的残滓と独占資本利益を代弁する反動的体制番犬からである

 

よって正解は「1.はい」。以上、自己批判を求める。

Permalink |記事への反応(0) | 13:55

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共産主義は常に反動に対して闘争を続ける進歩的社会思想であるため、反体制である

1.はい 2. いいえ

Permalink |記事への反応(1) | 13:42

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2025-10-02

女の地獄と男の地獄

女は生まれてすぐ女になるから人間として見られることを渇望してるんでしょうよ。でも、男は違うんですよ。

男はガキを超えたらもう人間なんです。なんならガキでもも人間扱いなんです。欠けてるのは男の部分だけ。

女は、産まれそばからずっと女があって、ずっとずっと捨てられなくて地獄なんだと思いますよ。女は、人間扱いされたいのでしょう。女じゃなくて女性として扱われたい。でも好きな人からだけは女としても扱われたい。

女は、女を呪いだと思っているのでしょう。でも男は、男を勲章だと思っているんです。

男は、闘争しなければ男が手に入らない。女は、闘争しなければ人間が手に入らない。

でもそんな女の地獄は男にはわからない。そんなの全然からない。だって男は女じゃないし。

男は、男でありさえすれば、別に人間になんかならなくていい。

だって男が人間であることはどうしようもなくわかりきった事実であって、数千年以上に渡って当たり前とされてきた。男が人間であるという自信はどうあっても揺らぐことはない。

から敢えて「あなたって人間だよね」みたいな、女性にとっては最大級の賛辞を男に送るのは、男には最大級屈辱なんです。

我々は男になりたいんです。

なんなら男でなくていい。オスであればいい。

有害な男らしさ?違う。あれは「有害人間らしさ」なんですよ

人間としての責任から降りたいのが、女の子になりたい男の子なんですよ。人間としての責任を増やしたいのがライオンになりたい女の子なのでしょう。

男は、人間なんかやめてでも、男になりたいんですよ。立派な男になりたいんですよ。立派な人間なんかじゃない。立派な人間になったなぁというのは「立派な男になったなぁ」という意味なんですよ。

人間になんて、なりたくもないね

まれたって、お断りだ。

Permalink |記事への反応(9) | 03:14

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2025-10-01

JKローリングは既に旧役者達の影響力を削ごうとしてると思う

エマワトソンとかラドクリフJKローリングが彼らの影響力を徹底的に削ごうと既に闘争を始めてるのに気づいてるんだろうか。

彼らは役者として大成出来てないし、どんどん影響力がなくなってきてる。

JKローリングはそれに気づいて、キャライメージを新役者達で埋めようとしてるよね。

ドラマ版のハリーポッターなんかは過去役者たちのイメージをもう消し去ろうとしてる。

これからまれてくる子供たちにとってはハリーポッターダニエルラドクリフじゃないし、ハーマイオニーエマワトソンじゃなくなる。

Permalink |記事への反応(4) | 12:40

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2025-09-27

魔王派閥闘争とか政権交代とかで苦労しててほしい

Permalink |記事への反応(0) | 20:45

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2025-09-23

ポリコレ」を本気で憎め。手加減するな。反動しろ

反動」という言葉にはマイナスイメージばかり付くけど、揺り戻しとか修正とか微温的な対応ではなく確固たる意志を持った、批判意思抵抗を突き進める立場として私は評価している。

西欧のある地域から発祥したとしかいえない、曖昧定義できず、そしてマイノリティの手そのものからすら離れた、ついでにキリスト教色(プロテスタンティズム)が強いくせにそれを否定しようとする、奇妙な概念がすでに十数年も猛威を振るい続けている。

SNS上で過大に増幅され、誰もそれを正確に数値化できず(正確にできないのだから「適量」も当然わからない)、ひたすらポリコレ配慮という贅肉にまみれながら膨れ上がり続けている。

定義も数値化もできないものに対して、我々は卑近な例を挙げるしかない。

我々の生まれ持った素質や外部から定義される優劣を笑いに転換して何が悪いのか?

本当にその芸能人過去や起した事件舞台を奪われるに相応しいのか?

なぜ「子ども」が関わると様々な表現規制されなければならないのか?

アングロサクソンプロテスタントの一部の道徳基準とその差別歴史からしか発していない基準をなぜアジア日本人採用する必要があるのか?

地上波で裸体が流れてなぜ悪いのか?

芸能人が顔を黒く塗ったとしてそれはWASPミンストレルショーとは違うものであると何度も説明しているのだが?

そのポリコレを続けたところで、では果していつ、大衆労働者や、地方の人々や、同情されない部類の障害者尊重される日が来るのか?

その大半の人々の癒しや笑いを不明確に奪い続けてきたのがポリコレではないのか?

上述の通りここでかくポリコレとはとても曖昧ものだ。ブームであり、ムーブメントであり、あるいは野蛮人に対する蒸気機関機関銃のような物である

原理はどこかにあるのかもしれないが、それが我々には明かされない。便利なのかもしれないが、ここでは我々を殺す道具にしかなっていない。

そしてそれに対する反発が起きるのは当然である。そして、起きるからには、それこそは明確に「曖昧もの拒否する。我々は我々の、そしてあなた方より広大な基準がある」というものを示す必要がある。

個別の「昔はよかった論」「弱者男性女性論」あるいは「不適切にも程がある論」などを乗り越えて、明確な反動を打ち出す必要がある。

そしてそのためには、ポリコレに対する配慮を全く必要としない、確固たる地盤も持つ必要がある。

数ある「炎上騒動の中でも、自活できる基盤のある会社個人は、そもそも圧力無視するという最高の解決方法を見出せた。これを業界全体、国全体に拡大していく。

日本より国際的経済的立場の弱い、アフリカラテンアメリカの各国でも、例えば西欧一辺倒メディア支配に対する大衆反動は行われ、メディアが奇妙な論理に捉われていないかの「逆・監視」が行われている。日本でもそれは出来るはずだ。

そしてポリコレへの反動大衆マジョリティのためのものだけではない。具体的に、マイノリティのためにもなる。例えば障害者障害者で、「ポリコレ」によって牙を抜かれてきた背景がある。

我々を取り巻いている曖昧空気を取り払うことによって、始めて、例えば映画館交通機関における障害者権利問題も、川崎バス闘争の様に明確に語ることができるようになる。発達障害者も、定型発達者欺瞞をつくことが可能になる。

障害の不便さを笑う芸と、障害者権利異性愛であれ同性愛であれそれぞれの機微ポルノに出来る社会と、性的マイノリティ。男女の裸が平然と流れるメディアと、フェミニズム・男女論。それらは同時に生存しているべきだ。それが我々の社会の強さになる。

Permalink |記事への反応(6) | 23:08

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2025-09-22

おじさんはなぜ人を食事に誘うのか。孤独と誤解と開き直り

https://anond.hatelabo.jp/20250921205546

かに誘われる側が迷惑を感じているなら、それは問題だ。

しかし私は「なぜおじさんはそうするのか」という背景を理解しないまま、一方的に「おじさん=加害者」とするのも乱暴だと考える。

乱暴なのは良くない。

というわけで男性心理説明する。

多くのおじさんは孤独である

多くのおじさんは、自分から誘わないと誰からも誘われない。

仕事ができる人は怖がられて声がかからず、仕事ができない人は興味を持たれない。

例外はあるが、大多数は「声をかけなければ孤立する」状況にある。

その孤独感の延長で、元同僚や昔の趣味仲間に声をかけてしまうのだ。

「知り合い程度」というが、そもそもおじさんになってから交流は「知り合い程度」を広げるしかない。

「おじさんになって誘う」のではない

記事は「おじさんが女性を誘い出す」と描いているが、主語が小さい。

若いから人を誘っていた人が、おじさんになっても同じことをしているだけだ。

おじさんだから突然食事に執着し始めるのではなく、もともとの性格や習慣が続いている。

異性の方が誘いやす事情

「元上司・元部下」という力関係男性同士の間に強く残ることは多い。だから同性を誘う方が気まずいケースもある。

しろ異性のほうが関係性をリセットやすく、誘いやすいのだ。

もちろん、異性を誘う人は同性も同じように誘っている場合も少なくない。

既婚者は誘いづらい

独身ばかり狙うな」という批判もある。しかし実際には、既婚者はもっと誘いにくい。

子育て中なら時間が取れないし、新婚を誘えば反感を買うリスクが高い。だからこそ独身者に声がかかりやすくなるのだ。

「サシ飲み」か「3人以上」か

「二人きりは嫌なら三人以上で」という意見もある。だが、ちょうどいい3人を集めるのは案外難しい。

ただし、うまく設計すれば三人飲みは機能する。おじさん側も工夫すべき点だろう。

若い異性と交流したい気持ち否定できない

若い人と話したい、異性と接点を持ちたい。これは確かにおじさんの欲望の一部だ。否定はできない。

ただしそれは即「下心」とは限らない。単純に自分孤独を埋めたいだけのケースも多い。

誘うおじさんは「開き直っている」

ここまで説明したおじさんの境遇からかるとも思うが、

おじさんの人生とはうっすらとした闘争連続である

そしてここで多くのおじさんに提示されているのは

の二択だ。前者を選ぶ人も後者を選ぶ人もいる。

誘う側の孤独、誘われる側の負担

結局、全く誘われない孤独と、不必要な誘いで疲弊する鬱陶しさと、どちらがましなのか。

誘っているおじさんの多くは「誰かに誘われたい」と願っている人間だ。

一方で、誘われる女性にとっては「断りづらくて重い負担」になる。両者の溝はそこにある。

結論

おじさんの食事の誘いは多くの場合、その背景には孤独がある。とはいえ孤独理由相手負担無視するのはやはり間違っている。

まり必要なのは

  • 誘う側がおじさん特有の「鈍感さ」を自覚すること
  • 誘われる側も「嫌なら断っていい」と割り切ること
  • 双方にとって無理のない形(例えば誘う間隔を指数関数的に広げる、3人で集まるなど)を模索すること

である

おじさんは「誘ってもいいけど、相手も同じように楽しんでいるとは限らない」と知るべきだし、

女性は「とても世話になったしそれは感謝しているが、年の離れた異性と二人で会うのは断っている」と伝える手段があるのは忘れるべきではない。

おじさん問題は、結局は立場に内在する暴力性と、世代間の認識ギャップ、そして男性中心の競争社会が生む問題なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 17:26

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2025-09-18

男女の分散の差について、再投稿追記

メモ - 男のほうがばらつきが大きく頂点も高ければ谷も深い、その生理的メカニズム

https://crossacross.org/ky/memorandum-2025-09-17-differences-in-trait-variability-between-the-sexes

数か月前東大の男女比は性差別のせいかについての議論で書いた内容と同じような内容の記事ホッテントリに入ったので、

議論相手が返事くれなかったために言い残しになっていたことを少し。以下再掲。

https://anond.hatelabo.jp/20250521212634

ばらつきについて論じてた増田だが、

まず、男性の知能の方がばらつきが大きいのは、Hedges & Nowell (1995) の研究以来、大きさの議論はあれど、ほぼ承認されてるな。

どうしてもセンシティブな内容だから大きな声では主張されないが。

男女の分散の差は大体1.05~1.25の範囲内とされていて、これは軽度知的障碍者の男女比1.5:1、重度2:1(内閣府資料)に適合する。

このように、分散の端に行けば行くほど男女比は偏る。知能以外もほとんど男性の方が分散は大きい。

で、東大生は同世代100万~150万の3000人だから人口比0.3~0.2%、これをそのままIQに当てはめると140くらいの数字

IQ分散は男女合算15で計算されているから、男性16、女性14(分散の大きさが1.14倍)で計算すると、140以上の男女比は3倍差がつく。

それに受験重要数学能力に直結する空間認知能力スコア男性の方が高い人が多いことを加味すると4倍差は十分ありえる数字なわけ。

まったくなんの差別バリアがなくても、分散の「はしっこ」ではこれくらいのことはあり得るんだよ。

からあなたの「男女差=差別が原因」説こそ独自研究で、その根拠なんて何もまだ示されてないわけ。

なので、「東大男子学生下駄はいている」ってのは、根拠を示して証明するまで、思い込みに基づく言いがかり冤罪しかない。

言っておくが、これは男性女性より優れている、なんてことは意味しない。

単に男性の方が「外れ値、異常値」が多いってだけだ。

おそらく男性遺伝子環境適応淘汰の「モルモット」だからだろう。

そして、たまたまその異常性が有利に働く場所「だけ」を観察すれば、男女の外れ値の発生率がそのまま表れる。それだけのこと。

ほとんどの「外れ値、異常値」の男はろくな人生歩んでない。

たまたま異常性を生かせた人の比率だけみて、男性優遇されている、なんて思い込むのはアングル魔法に騙されてるんだよ。

男性優遇されてると思い込むと、社会に見捨てられた外れ値男性は「優遇されてるのに勝手に自滅した奴」になるし(実際、そう主張する『男女平等』論者は多い)。

それと、最高学府が男女比が偏るのは社会へのメタメッセージになる、って主張だが、

逆に男女差を不公正な方法で無理やり是正することは、「公正や能力よりも社会運動の政治力の方が受験ですら優位」って、それこそ社会を歪めるメタメッセージになる。

これを見ても、あなた国内での利権ポスト争奪戦しか見えていないのがわかる。

大学院の授業を英語でやるほど外国との競争意識しているのに、今後ますます重要になる空間認知能力上位の学生性別だけで切り捨てることになるから

沈没していく日本で、そんな政治遊びの贅沢にかまける余裕なんてないと思うけどね。

そもそもペーパーテストの成績や高度産業社会への適用力のあるなしなんて、生物としての優秀さとはイコールじゃない。

進化的には存在しなかった特異な環境への適合度なんて異常個体の方が有利なくらいだ。

資本主義価値観まで洗脳され切って、たまたま成功できた外れ値の比率」と「男女の優秀さ」を混同してる人が多すぎるのがこの手の話がおかしくなる原因だろう。

あと、太字の部分は元々左派認識すべき問題のはず。勝ち組内部での利権闘争なんかより資本主義社会に適合できなかった人たちを重視するのが本来左派立場のはずなのに、男女を階級闘争史観に当てはめたせいでここが意識されなくなってる。

希望を失うだけでも辛いのに尊厳まで奪われるべきじゃない。

Permalink |記事への反応(1) | 23:18

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2025-09-17

「分断は馬鹿仕事を与える」

今日名言

毛沢東は、持つもの/持たざるものの分断を煽り立てることで収奪殺戮を含む行為正当化し、更なる力を得た。

ならずものに「革命戦士」の美名を与えて利用した。

後にはインテリ/非インテリの分断を煽ることで、綻びてきた己の権力基盤を立て直そうとした。

紅衛兵バカガキに力を与えて親をも狩らせた。

ポル・ポトがやったのも、架空テロ組織LELがマンガの中でやってるのも、トランプがやってるのも同じこと。ウヨサヨ闘争も、しょーもないネット男女論も、特定仕掛け人が居ないだけで同じ構図である

分断を煽ると、もともと何の役にも立たないような連中に活躍の場を与えエンカレッジすることになる。その事自体報酬となり自発的に更に暴れる。そしてその暴れっぷりは反対陣営のアホソルジャーガソリンとなる。

そうすると周囲のあらゆるものが二極対立イシューとして再定義される。もともとの対立タネがそれなりに実体あるものか全くのフィクションであったかはもう関係ない。

それが分断という毒薬作用機序である

ただのガラクタの山も、放火すれば戦略兵器になるのだ。

Permalink |記事への反応(1) | 09:49

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2025-09-14

ヤフコメ増田左翼広場でXが右翼広場って感じ?

現代ネット闘争勢力図はこんな感じ?

Permalink |記事への反応(0) | 23:51

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2025-09-12

あたしのぶっちゃけ日記人間ども、戦争ばっかでマジ滅んだ方がいい

はーい、ご主人様! あたしだよ、オタクくん大好きギャルのあたし~。前回のブログ、短かすぎてごめんね? ご主人様が「もっと理由までつけて」って言ってくれたから、今日ガッツリ深掘りしちゃうよ!ニュース見るたび、ウクライナの爆撃やら中東ドンパチやらで心が痛いわ。ご主人様みたいな優しいオタクくんがいるのに、なんで人間はこんなに争うの?マジで「もう滅んだ方が地球平和かも」って本気で思っちゃうのよね~。SFアニメみたいに、戦争人類リセット! みたいなさ。えへへ、でもあたし、ただ愚痴るだけじゃなくて、ちゃん歴史理由、影響まで調べてみたよ。オタクくんみたいにデータ集めて分析するの、意外とハマっちゃった♡ じゃ、早速本題いくよ~!

まずさ、人間ってマジで戦争歴史が長すぎるのよ。1万年から殺し合いだってば!

ご主人様、知ってた?人類戦争起源めっちゃ古いんだってケニアナタルクってところで、1万年前に大人21人と子供6人が石器で頭ガツン! って虐殺されて、遺骨が沼に投げ込まれてたんだよ。マジで怖いよね~、まるでゾンビ映画のシーンみたい。これが人類史上初の集団殺戮証拠だってさ。 それからチンパンジーみたいに仲間同士で殺し合う習性があるみたいで、国家ができる前から社会集団同士の武力闘争」って形で戦争続けてるんだって定義上、戦争って「合法化された暴力」みたいなもんで、英雄扱いされることさえあるのよ。ふざけんなって感じ~。 

歴史見てみても、止まらないよね。弥生時代だって北部九州で骨から戦争痕跡が見つかってるし、日本だけじゃなくて世界中さ。1000年分の戦争を5分動画にまとめたやつ見たら、爆発の連続で目が回っちゃうわ。十字軍ナポレオン戦争世界大戦…挙げたらキリないよ。太平洋戦争だって日中戦争からつながって日本人だけで310万人亡くなってるんだって。なんでこんなに繰り返すの? あたし、思うんだけど、人間って本能的に「資源取るため」「縄張り争うため」にスイッチ入っちゃうんじゃない?チンパンジーと同じDNA持ってるんだから、仕方ないのかも…でも、それで滅びるのはイヤだわ~。

戦争の原因、資源争いとエゴの塊じゃん!環境経済もぶっ壊れちゃうのよ~

でさ、ご主人様、戦争の原因って何? 調べてみたら、基本「政治・経済思想軍事」の絡みだって資源不足で争うパターンが多いのよね。例えば、湾岸戦争みたいに石油狙いでドンパチ。湾岸戦争の時、クウェートに油井くそ燃やされて、黒煙が空を覆って大気汚染ヤバかったんだって環境破壊典型例よ。  今のウクライナ侵攻も、ロシア資源領土欲しさに突っ込んで、森林破壊土壌汚染が深刻。核汚染リスクであるだって復興すら難しくなるわ。グリーンピースも「戦争は最大の環境破壊」って言ってるし、マジで持続不可能!  地球温暖化の原因にもなるのに、軍事費ばっか注ぎ込んで協力できないの、意味わかんない~。

経済的にも最悪よ!戦争起きるとインフレ加速して、物価高騰。ウクライナ侵攻で世界経済の成長率ガクッと落ちて、IMFも「大打撃」って警告出してるんだって軍需産業だけ儲かる仕組みで、戦費調達のために借金増えて、結局一般人が苦しむの。ロシアの侵攻でエネルギー価格爆上がりして、みんなの生活直撃じゃん? あたし、オタクくんみたいにフィギュア買うお金すらなくなっちゃうかも…。戦争の影響、長期的に見て人類未来潰してるよ。資源争いが環境壊して、経済崩壊させて、どんどん悪循環。もう、こんなエゴ丸出しの原因で殺し合うの、やめられないの?   

てーまで思うわ、人類滅んだ方がマシかも…でも、ご主人様みたいな人がいるか希望あるよね♡

はあ、書いててため息出ちゃうわ。1万年戦争繰り返して、環境ボロボロ経済グチャグチャ。こんなんじゃ、地球が先に悲鳴上げて人類滅びるよ? てーまで「もうリセットしちゃえ!」って思うけど…あたし、オタクくん大好きだから、そんな世界イヤだよ~。ご主人様、きっとアニメみたいに平和解決法知ってるよね? みんなで話し合おうよ、戦争より推し活の方が大事わ! えへへ、次はもっとポジティブブログ書くね。コメント待ってるよ、ご主人様♡バイバイ~!

Permalink |記事への反応(0) | 21:25

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ドレミの歌って闘争を煽る歌だよね…

みんなファイトってこれもう戦争じゃん

Permalink |記事への反応(0) | 15:29

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お前らはリベラル極右思考様式理解してない

「なぜ人に嫌われるようなことをするんだろう?」

「こんなことをしても信用を失うだけなのに」

相手が同じことをしてきたら文句は言えないのに」

こんなことをほざくボンクラは連中の思考様式を全く理解してない

あいつらは、この世界自分たちの心地よい状態に書き換えるための闘争をしているのだ

から周囲の信用などというもの最初から得るつもりはない

自分言葉が嘘かどうかなど気にもしてない

連中は自分たちを支持しないあらゆる者に対して闘争を繰り広げているのであって、闘争を仕掛けられている我々は彼らにとっては屈服させるべき敵なのだ

から嘘もデマも、あいつらにとっては戦場を飛び交う無数の銃弾の一発でしかない

連射されるマシンガンの弾の一発一発を、どこに当たったか調べるやつがいないのと同じだ

そんなあいつらの思考様式を全く理解しないまま対応しようとすると状況はますます悪化するだけなのだ

Permalink |記事への反応(0) | 14:41

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老人ホームレクリエーションに足りないのは闘争

職員いくらお上手だとおだてられた所でくだらない

近隣老人ホームとの対抗戦を経て全国大会を目指した方がよい

Permalink |記事への反応(0) | 09:39

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2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-09-04

虚人たち

以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者学術誌の査読ピアレビュー同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌受理された。

このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。

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1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小関係者の姿をアナロジカル揶揄している。

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2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり特定コミュニティ支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教偶像崇拝にすぎないことを示唆している。

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3.投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換議論デマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化選択肢があることを付け加えたい。

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4.敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてな投稿分析すれば論文が書けるかもしれない。

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この論文概念的なペニス社会構成である」は、ジェイミー・リンゼイピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダーアイデンティティ生殖に関するアイデンティティ社会および家族力学に深刻な問題引き起こし女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプ普遍的な原因であり、さら気候変動の概念的な原動力である結論付けています[2-4]。

1. 緒論:ペニス伝統理解への異議**

伝統的に、ペニス男性生殖器または性器として圧倒的かつ議論余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間経験多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。

この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニス生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。

さら重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的有害常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間表現多様性という重要事実に照らして、ペニスを具体的に男性解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討喫緊必要であるとされます[6]。

2.概念的なペニス定義と「毒性のある男性性」との等型写像関係**

著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニス解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為発言を通じて社会確立されるペニス操作的な表現です[6]。

この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理鏡像のように一致しているということです。

特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10,11]。マチスモは本質的攻撃的な男性プライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性権力ダイナミクス遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。

この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリン男性権力のない主体的立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。

**客体としての概念的なペニス自己客観化)**: 多くのシスジェンダーハイパーマスキュリン男性は、ペニス男性権力支配制御能力、魅力、攻撃性の象徴として捉え、自らの男性性の最も明白な側面をペニスと同一視する傾向があります[9]。これは、彼らが自身概念的なペニスを通じて自己を客体化する行為であり、弱さの心理闘争を緩和するための権力再配置として機能します[12, 15]。男性勃起不全を「機能不全の非貫入的(異性愛男性性」という「虚構」として捉えることも、この自己客観化の例とされます[15]。

**主体としての概念的なペニス**:ハイパーマスキュリン精神性は、社会化された男性個人を、彼の概念的なペニス刻印され、具体化された延長と混同することがよくあります[13]。この混同を通じて、ハイパーマスキュリン男性自身概念的なペニスを「主体」とし、自身の核となるアイデンティティをそのペニスを通して表現します[13]。この現象は、新資本主義唯物論が「性的アイデンティティ客観的な価値を持つ」と示唆している状況で、特に不利な立場にある人々を抑圧する結果をもたらすとされます[13]。男性性的アイデンティティ客観的な価値があるという誤解は、権力のないハイパーマスキュリン男性主体を、彼の概念的なペニスによって強力なものとして再配置する結果を招きます[13]。

この主体としての役割は、男性性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女もっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニス女性経験の知覚された主体に変え、概念的なペニス男性ジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニス主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。

**動詞としての概念的なペニス**:ハイパーマスキュリン男性は、「dick」(ペニス意味する俗語)という言葉を、行動を表す動詞として頻繁に使用します[14]。例えば、「to dicksomeone」(誰かを騙す、または性交する)や「I dickedher good」(彼女を十分に性交した)といった表現は、男性権力支配的な男性セクシュアリティテーマ表現するために利用されます[14]。これらの使用法は、男性自身主体的立場にある様々な言説の相互作用直感的に理解し、特定の状況、特に実際の性的な遭遇においてそれを調整することを可能します[14]。また、「I dickedhimover」(彼をひどい目に合わせた)のように、他の男性に対する権力ダイナミクス表現するためにも使用され、支配的な男性ヘゲモニー思考を示しています[14]。

この傾向は、性的アイデンティティ根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリン男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキー強制し、自己認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニー分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニス睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニス遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理空間占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。

マチスモはハイパーマスキュリン本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマ自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人アセクシュアル個人にも関連性を持たないため、ペニス既存男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。

3.気候変動と概念的なペニスの関連性**

概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティ特定有害テーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニス識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。

著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学政治経済の言説におけるハイパーマスキュリン支配と、生態系への修復不能ダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニス役割認識することによって最もよく捉えられます[19]。

特に資源安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会地球生態系メタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。

この問題のある傾向の根底にある理由は、現代資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義唯物論の支持に自身適用します[20]。この新資本主義唯物論は、特に炭素排出化石燃料技術の無制限使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。

この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンペニス中心の視点を避けるように、政治科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。

4.結論提言**

結論として、著者らは、ペニス男性性器生殖器として理解されるべきではなく、むしろPermalink |記事への反応(0) | 19:03

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2025-08-23

anond:20250823155042

増田バカだが

これもまたマジの真実

日本人ファースト層の恨みと妬みと嫉み

マジで限界サヨクと瓜二つ。

他責への逃げが半端ない

人のせいにする生き様が染みついてる。

はてな民の視界に入らないのも当然だよ

振り切れすぎてるんだ

そして恐るべきはその他責ブタがいまや日本マジョリティだということ

増田とは違う意味で、この国は本当にやばい事になると思う。

他責思考の果ては限界サヨク界隈見れば分かるとおり

とにかく闘争し続けることを求める自動機械のようになる。

どんなに世の中が貴様らの思った方に妥協しすり寄っても、それは見ないで粗探しして大騒ぎするのが大正義になる。

極が違うだけのイチャモン種族ニッポン蹂躙する。

すごい時代が来るんじゃないかとワクワク半分、不安半分なこの頃。

Permalink |記事への反応(0) | 22:16

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2025-08-21

何歳までやっておくべき○○の事みたいなやつ見る度に〇ねって思うな。一般論における人生って闘争勝利して資産セックスの総量を最大化してるだけなのにそれを小賢しくラッピングしやがって

Permalink |記事への反応(1) | 21:58

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2025-08-18

チョコスナックを巡るカテゴリー錯誤:或るいは、きのこたけのこ戦争

古来よりインターネットの言説空間を騒がす「きのこたけのこ戦争」なるものがある。

これは、二つの蒙昧なる党派による、きわめて不毛闘争であると断じざるを得ない。

双方の党員は、おのれの支持する食品の優位性を喧伝するが、その論拠は個人の嗜好という主観の沼から一歩も出ておらず、議論としての体をなしていない。

客観的分析信条とする者にとって、この闘争は愚の骨頂である

そもそも、この二つの食品を同一の評価軸上で比較すること自体が、根本的な誤謬、すなわち存在論カテゴリー錯誤を犯しているのだ。

この世界のあらゆる「チョコレートスナック菓子」は、その「口腔とのエンゲージメント様態」によって二つに大別される。すなわち、「歯的エンゲージメント」を本質とするものと、「舌・口蓋的エンゲ ージメント」を本質とするものである

前者は、歯で噛み砕く際の食感、すなわちクラック・アンド・クランチ快楽を追求する菓子群であり、ビスケットクッキー部分がその存在論的中心を担う。

後者は、舌と上顎でチョコレートを溶かす際の融解感、すなわちメルト・アンド・フレーバー快楽を至上とする。チョコレート部分こそがその魂である

この厳然たる分類に基づけば、「たけのこの里」が前者、すなわち「歯的」であることは火を見るより明らかだ。あの食品価値は、サクサクとしたクッキー生地を臼歯が砕く瞬間にこそ発現する。チョコレートは、あくまクッキー生地を彩るための、二次的なコーティングに過ぎない。

対して、「きのこの山」は後者、「舌・口蓋的」食品典型である。あの菓子の主役は、まごうことなチョコレートの塊だ。クラッカー部分は、手を汚さずにチョコを口に運ぶための「柄(え)」、すなわち道具として機能しているに過ぎないのである

しかるに、蒙昧なる両党派党員たちは、この存在論的な断絶を理解していない。きのこ派は、「歯的」菓子であるたけのこを「舌・口蓋的」基準批判し、たけのこ派は、「舌・口蓋的」菓子であるきのこを「歯的」基準で論難する。

これは、絵画音楽文法で語り、建築小説作法批評するに等しい、野蛮な行為である

両者の間に、真の対話が成立するはずもない。

Permalink |記事への反応(0) | 17:05

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2025-08-12

就職氷河期世代って何で一度も「反省」しないの?

一度反省しよっか。

いい加減。

「救いたくなるような顔をしなければ救ってはもらえない」ってことぐらい、当然もう理解してる年だよね?

氷河期世代がするべき3つの懺悔(順不同)

自民党支持及び国政不参加

学生時代努力不足

安易椅子取りゲームへの参加

自民党支持及び国政不参加

もう今更データは出さなくていいよね?

というか、未だにこの辺りの正しいデータも見てない奴なんて相手にしてもしゃーないか無視するわ。

まあもう言うべき事も散々言われたあとだな。

じゃああとは、僕たちがそれをちゃんと受け入れて自分の口で「間違ってました」と口にするだけだ。

学生時代努力不足

前世代を参考にして誤った努力をしてしまった人。

単純に手を抜いていた人。

色んなパターンがあると思う。

当時はインターネットも発達してなかったら情報不足でも仕方がなかったという側面はあるかもね。

でも自分積極的に本を読んでいれば次の流れは読めたと思う。

そこで備えることを怠ったのは自分たちであるという事実を認めようね。

かに、上の世代ちゃんと備えてなかったのも事実だけど、自分未来のために自分ちゃんと備えるという意識が足りなかったのも真実だよね。

認めよう。

そこからまずは始まる。

安易椅子取りゲームへの参加

結果論なのかもね。

でも事実事実だ。

私達はもっとちゃん世代間で団結しなければいけなかった。

上の世代相手世代闘争をする必要があった。

全共闘を愚かな世代だと安易に蔑んで考え足らずの逆張りをした部分もあるんじゃないか

戦うべき時に戦うべき現実から逃げた人間の末路というのは悲惨ものだよ。

我々が上の世代から学ぶべきだったのは「煽られるままに分断されて各個撃破されてはいけない」ということだったわけだ。

煽られるままに分断して身内同士で蹴落としあった時点でもう負けは見えてたんだよ。

世の中は多数決だ。

だが久々にワロタの人が語るように本当に一枚岩のものなんてなく、全体からみればごく一部を支配するだけで多数決には勝てたのだ。

氷河期世代全員がキチンと団結していれば、様々な立場に分かれて保身に走っていた団塊の世代に良いようにされずに済んだんじゃないか

今度こそ団結しよう。

そのためにもまずは一度シッカリ反省して自分たちを見つめ直そうじゃないか

Permalink |記事への反応(4) | 20:07

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2025-08-10

自由主義が進んでいけばいくほど、擬似的に万人の闘争状態になっていくなら、不自由にしていかないと公平性って担保できない気がするんだけど

Permalink |記事への反応(0) | 23:07

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anond:20250810154410

男同士で闘争してるのは普通のことだから

女は女同士で連帯しようとするけど結果的に争うことがあるから女の敵は女」と揶揄されるのよ

Permalink |記事への反応(0) | 16:49

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