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はてなキーワード:間主観とは

2025-12-08

マックスベネット著『知性の未来』の解説記事を読んで

越境する知性:AI時代における「感情」と「他者」の復権

――身体、環世界、そして間主観性から読み解く知性の未来

序論:計算の果てにある「知性」の空白

人工知能AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械人間凌駕したとき人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックスベネット著『知性の未来』と、それを翻訳解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的深淵へと私たちを導く。

彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。

一見すると、これは道徳的スローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学進化生物学現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界身体認知社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これから時代に求められる「知的生き方」について論じる。

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第一章:感情というエンジン

――二重過程理論による「知性」の主従逆転

まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。

1.システム2の暴走AIの正体

伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考論理計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である現在AI特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理整合性を出力する。

しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化歴史において、論理言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考感情直感)の要請によって開発されてきたからだ。

2.感情論理駆動する

初期の生物線虫など)は、「快・不快」という原始的システム1のみで生きていた。進化過程で「予測」が必要になったとき魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーションマウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。

ここで重要なのは、「論理感情抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理進化した」という事実であるシステム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。

AI限界はここにある。AIには「エンジン生存への渇望、快・不快感情)」がない。あるのは精巧トランスミッション計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理のものではなく、論理駆動し続ける「感情熱量」にあるのだ。

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第二章:身体というアンカー

――身体認知と「意味」の発生

なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体認知(EmbodiedCognition)」の視点は、知性が脳という密室出来事ではなく、環境相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。

1. 傷つく身体が「意味」を作る

記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年しか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要示唆を含んでいる。

生物にとっての「意味Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望生まれる。

AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号であるAIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義統計的な関連語集合体に過ぎない。しか人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。

2.老いと知性の変容

身体認知視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である

若い頃の強靭身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みであるAIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデル更新し続けるプロセスこそ、人間特有知的冒険なのである

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第三章:孤独な泡から脱出

――ユクスキュルの環世界他者への越境

身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱たこ概念は、知性の進化を「孤独から脱出劇」として描き出す。

1. 閉ざされたシャボン玉

ダニにとっての世界は「酪酸匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。

この「絶対的孤独」こそが、生物としての初期設定であるしかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタラジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。

2.想像力という梯子

他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分感覚データシステム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力システム2)を総動員して、見えない他者内面シミュレーションしなければならない。

恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コスト作業からだ。自分の環世界自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだしかし、あえてそのコストを支払い、他者世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間人間たらしめている知性の正体であるAIには環世界がないため、そもそも他者世界」という概念自体存在しない。

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第四章:生存戦略としての共感

――社会脳仮説とコストの支払い

なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビンダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。

1.複雑系としての「他者

自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。

他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たち情報の交換以上に、人間関係メンテナンス社会グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。

2. 「頭が良い」の再定義

この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。

真に知的個体とは、「他者意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体である

他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器からだ。自分の殻に閉じこもることは、社会動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力のものの発露と言える。

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第五章:「私」から私たち」へ

――間主観性と共同世界の構築

そして、知性の進化の到達点は、個人脳内にも、個別身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である

1. 指差し奇跡

記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動であるチンパンジー報酬を得るために手を伸ばすが、人間幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。

これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの世界接続される。

2.共同幻想としての現実

言葉文化ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である

AIは「客観的データ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。

恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ

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結論AI時代における「知的生き方

以上の分析からAI時代における「知的生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AI仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろAIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である

1.効率から離脱と「ノイズ」の愛好

AI効率最適化権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見効率ノイズの中にある。

知的生き方とは、効率を追求するあまり感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界意味を与え、独自価値判断を生み出す土壌となる。

2. 環世界越境者となる

「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。

SNSアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。

自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。

3. 「問い」と「物語」の紡ぎ手へ

AIは「答え」を出すことにおいては人間凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感理想感情からまれからだ。

また、AIデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。

これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解間主観的な合意)」を形成していくプロセスのものを指すようになるだろう。

結び:温かい知性へ

マックスベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。

AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、ColdIntelligence(処理能力から WarmIntelligence共感接続能力) へとシフトさせなければならない。

老い記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的である

他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c

Permalink |記事への反応(0) | 15:44

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2024-04-19

anond:20210316225030

判決紛争解決のための便宜的評価法廷側も事実を決めようとか決められるなんて表明していない。

客観的事実が決定可能なら公権力から独立して評価判決を下す事が可能なんだから行政司法が衝突する場合に超憲法措置という態度を取れないはずだけど、実際には衝突する可能性があれば判断を保留する。(行政自由裁量権の尊重)

司法判断を行うにもコストがかかるから訴訟手続きを長引かせたり遅滞させないために当事者同士の解決が推奨されるし、刑事事件でも強行的判断を行うから冤罪が発生するわけで。(飯塚事件)

石垣のりこの開示訴訟も該当のtweetスクショに対して本人の投稿か否か裁判官裁量によって正反対判断が行われてる。

そもそも心象が判断に影響している以上客観と言えず精々間主観事実現実対応したものとは言えない。

Permalink |記事への反応(0) | 05:41

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2023-09-02

anond:20230901225733

第三者主観的評価

 

それは間主観評価であって客観的評価ではない

客観的評価とは当事者第三者を超えて普遍一般化された評価指標による評価のことをいうんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 00:36

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2022-01-08

作品に対して"良い"という評価は、"好き"よりも社会的合意があって"良い"以外の評価を不適当とする感じがあって好きじゃない。"良い"は理想的観測者もしくは大部分の評価者による承認によって間主観的に決定できる概念だけれども、現実世界で ある評価者を理想的観測者として決定することは不可能なので(必要条件であり、十分条件ではない的な)、結局大人数による合意によってのみ決定される。そしてそれは最初の一文に戻る。

Permalink |記事への反応(0) | 21:19

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2021-05-18

anond:20210518142910

間主観」であってほしいという色眼鏡で見ているだけですよね?

Permalink |記事への反応(2) | 14:30

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anond:20210518142758

間主観」ってやつね。

Permalink |記事への反応(1) | 14:29

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2018-01-14

anond:20180113114634

カトリーヌ・ドヌーヴ署名した記事翻訳の件】お返事を拝見しましたが、いろいろ問題点が残っているようです。目下時間的余裕を欠くためにぶっきら棒な指摘の仕方をすること、ご寛恕ください。テクストを読む際に、まして翻訳する際に当て推量はマズイですので、以下の諸点を改めてじっくり検討されるますように。(元記事: http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html

la galanterieに関して:

 参照サイトhttps://fr.wikipedia.org/wiki/Galanterie は、la galanterieというきわめてフランス的なものを適切に説明しています。けれども、その内容の一面だけ取り上げて、「恋愛のお作法に乗っ取った男性からの誘惑の手順」というふうに「恋愛」や「誘惑」に直結させてしまうのは行き過ぎです。なぜなら、①そもそもフランス語圏日常社会生活で言われるla seductionの意味するところは、日本語の「誘惑」よりずっと広く、一般的である。②男性別に何らまったく誘惑の下心なく女性にドアを開けて差し上げる、席を譲る等のレディ・ファーストも、そこにごく淡い艶(つや)が伴っていれば立派なla galanterieである。③la galanterieをめぐって、それは男女同権原則を何ら妨げることなく男女関係文明的にする作法なのか、男性優位のパターナリズム表現なのか、という議論が頻繁に行われているという文脈フランスには存在する。

■agression machisteについて:

 前項の(3)からも分かるように、agression machisteは、(外見に反して男尊女卑を含意している)パターナリズム押し付けを指しており、問題テクスト賛同者たちによれば、la galantrieは agresssion machisteではない。ある種の「痴漢行為」はagression machisteの一つと言えますが、agression machisteすなわち「痴漢行為」ではありません。

■s'autonomiserに関して:

 「自立」と「自律」は区別する必要。autonomieは「自律」です。また、現状の日本語では、「自立する」とは言いますが、「自律する」とは言いません。

■uneconception substantielle du bienについて:

 これの改訳例として私が「実体論的な善概念」としておいたのを「善の本質的概念」に直しておられますが、それでは意味を成しません。この言葉は、哲学的で少し難しいのですが、まず間違いなく、道徳律をたとえば「他者自由を妨げない」ことというように「否定的」な形式で考えるのでなく、「これがが善だ」というように実体論的に(あるいは、本質主義的にと言ってもいいでしょう)考える、そういう善概念を指しています。あとに出てくる哲学者のRuwen Ogienが世間道徳批判するときによく使う言葉でもあるようです。ですから、「実体論的概念」「本質主義概念」と、「本質的概念」はまったく異なります。ゆえにここは、せめて「本質主義的な善概念」とでも訳しておかないといけません。

■misogynieについて:

 これは「女性嫌い」「女性蔑視」であり、「女性差別」の元になり易い性向ですが、「女性差別」と混同するわけにいきません。

la liberte d'offencerについて:

 「この概念攻撃しようとするのは(神や国家指導者のような)『権力』『権威』とそれをアンタッチャブルものにする空気」と断定(推量?)するのは早合点です。テクストに、Le philosophe Rugen Ogien defendait une liberte d'offenser... と書いてあるのですから固定観念に囚われず、Ruwen Ogienの哲学思想念頭に置いて理解しないといけません。そうすると、「人の気分を害する自由」あたりがやはり適切なのです(「中指を立てる自由」は論外)。

la liberte de dire non a une proposition sexuellene vapas sansla liberte d'importuner :

 「『ウザがられる自由』が男たちの側にあると解釈するのは…」無理ではないですよ。それどころか、その自由相手(←ここでは男性)に認めるからこそ、女性の側がそれを「ノン!」と突き返す自由が生きるわけです。「ノン!」と拒否することがimportunerすること、ウザがられることではありません。なお、こういう間主観関係が成立するのが男女間に限らないことは言うまでもありません。

■Pour celles d'entre nous qui ont choisi d'avoirdes enfants, nous estimons...:

 これを「子供を持つことを選んだ人々のために」とか、「私たちの中で子供を生むことを選んだ人達のために」と訳すのは、当該テクスト文脈の中では明らかに誤訳です。"Pour"はここでは、En ce qui concerne や quant aの意味なのです。著者(たち)は、私達のうちで子供を持つことを選んだ者についていえば、私達の考えはこれこれだ…、と述べているのです。

以上。

Permalink |記事への反応(4) | 04:54

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2012-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20121128143129

結婚したくない相手とは結婚関係雑談をしない」というのはプライベート感覚と言うより一般的に明らかなことだし理屈も通ってるんだけど。客観とは言い切れないにしてもこっちの増田のがお前より間主観に近い分信用できるよ。

元増田の話って「結婚はしたくないけど相手にそれを悟らせたくない」という場合では明らかに無いし(それならご機嫌取りまくりでそもそも元増田不安抱かせない)

結婚はしたくないし相手にそれを悟ってほしいけど露骨に言うつもりは無い」という場合と断定するには根拠が足りないので説得力がないのは既に指摘したとおり。

「それを悟ってほしい」だとか「露骨に言うつもりはない」というのを主張してる人はみんな自分感覚しか根拠にしてない。せめて元増田に書かれたことから組み立てないと、書かれてないことを読み込み過ぎた揚句の妄想しかない。

Permalink |記事への反応(2) | 14:41

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2012-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20120812103427

私の説明に異議があったならその時にその文を引用して具体的に「ここに異議アリ!」とやってください。

からなんとなく「出来てない」と言われてもどこに不満があったのかがわかりません。

これまでこうやって部分に対して「いやそれこういうことだよね」って言ってきたやり取り全部が「異議」なんですけど。

例えば私モテ自己中心的だしそれがキモイと指摘すると「自己中心的キモイと思うのはあなた価値観」「意味が分からない」「他作品もそう」とか言って、「私モテ自己中心的と言われる要因」についての指摘は何ら覆せてないでしょ?

っていうかむしろ認めてるしね、オタクモテない女子高生かぶってるしそれは奇形だって

今のあなたの主張っていうのは要約すると「オタクモテない女かぶってモエててわりーか!かわいいんだからモエるんだから売れるんだからいいだろうが!叩くな!!1!叩きは全部感情論意味がない!!1!!」ってことでしょ。

そんなの叩かれるのはしょうがないじゃん。異様だし身勝手だし自己中なんだから自分の欲望に都合良いようにしか考えてないんだから

勝手なこと」っていうのは批判されちゃうものなんだよ。真に受けたくないならスルーすればいいのに。

代表的なところで

1部、5部、3部(5部)、2部

登場キャラは「英国紳士」や「イタリアンマフィア」の皮をかぶっていますが彼等のスタイル思考回路や好悪の感覚正義、怒り…は本物の英国紳士マフィアのものではなく荒木飛呂彦や私達でも理解や共感が出来るものになっています

意味不明。挙げられた部のどのキャラが「皮被った日本人」なの?

「本物の英国紳士マフィアのもの」じゃないって、読者が理解・共感できるから本物じゃないっていう理屈なの?その「本物」って何?

「異様」という新フレーズが出てきましたが、これまでの類語です。

「気持ち悪い」「ちゃんとしてない」「まともでない」「真っ当でない」「超勝手」 +「異様」。

これらはあなた感覚と違うということしか説明しない単語で、『私モテ』があなた感覚に合わないことはもうわかっていることです。

「私の感覚に合わない」以上のことを言いたいなら論理的な言葉を使ってください。

不当で不誠実。不正確。かつそれに意図的に目をつぶろうとするのが身勝手であり超勝手自己中心的

えーとつまり『私モテ』が特別気に入らないのではなくオタク向け作品全般が気に入らないだけですか?

ほら、また話を変えようとしてる。よく読んで。

元の文章って「オタ向け作品が叩かれるのは何故か」っていうことに関してのわたしのいち意見であってわたしが気に入る気に入らないの表明じゃないから。

あと詭弁だっていう点はどうなの?自覚ある?

荒木飛呂彦思考回路や拘りをそれらのプロフィールや状況に当てはめているわけです。

あれは要するに…「荒木飛呂彦独身殺人鬼ならどういうポリシーを持ちどう行動するか」というエミュレーションです。

『私モテ』作者は智子について自分思考回路や思い出(主に駄目なもの)を女子高生というプロフィールや状況に当てはめているわけです。

あれは要するに…「私モテ作者が女子高生ならやっぱりこういう駄目な生活になるだろう」というエミュレーションです。

違うでしょwジョジョのやってることはエミュレートというよりシミュレート

リアリティを重視すると公言する岸辺露伴をきちんと描写するためには、想像力が大事と考える荒木飛呂彦個人のこだわりは差し置いて「岸辺露伴ならどうするか」を考えなきゃダメじゃん。

荒木飛呂彦独身人殺したくなったとしても吉良吉影の三位重視のポリシーとか他人の手首へのフェティシズムとかとは別の動機別のスタイルになって当然でしょ?

岸辺露伴吉良吉影も、架空性の問題以前に作者とは別だからだよ。

モテの「作者の高校時代女子高生でやってます」という話とは全然次元でしょ。出発点からして違うし。

それにジョジョに「こんな人いるいる!」感がないっていうのはモテに「こんなモテない女子高生いるいる!」ってのがあり得ないのと同じですから

どうでもいいですが、私は『私モテ』が好きだなんて言った覚えは一度もありません…。

ももこっちには萌えてるんだよねw「かわいい」とか言ってたみたいだけど、かわいくはないよ。かわいくはないよ。

作者もかわいくなく描いたって言ってるらしいし。

>「描けば良いのに」「不誠実」「超いい加減」。

意味のわからない言葉がまた出てきました。

論理的な言葉を使ってくれないと「私は気持ち悪いと思う」から踏み出した議論になりません。

これまでもそうだったけどすごく簡単な日本語しか使ってないので、「意味が分からない」は今後スルーしますね。

「これこれこういうことだと理解してるけど、違いますか」くらいには自分の理解レベルを示してから言って下さい。

それを持ち出すぐらいならまずジョリーンや他の女囚別に女性的でもないことを持ち出します。

あなた論理を六部に当てはめれば「主人公が女でなければ描けない、女でなければリアリティが出ない説得力を持たせられないものを描くために主人公を女にするならまだ意味があるけど、

 『ストーンオーシャン』はそうじゃないじゃん。」

となります別に男性刑務所で良かったですよね。

またあの刑務所内エピソード元ネタ本の著者も男性元服役囚です。

むしろ「すごく良く女を描いてる」と言ってる評もあるんだけど。

http://blogos.com/article/20426/

作者本人の見解としてはhttp://proudyblood.nobody.jp/wryyyyyyy6.htmlの冒頭、作者コメント引用かな。

ちゃんと「これを表現するためには女でなければならない」というポリシーで描いてるわけ。

絶対「そのギャップが面白いと思った」というあたりで私モテと同一だとかいって揚げ足取ってくるだろうと思うので先に潰しておくけど、女ではハードルが高い困難を超えさせるということが物語を盛り上げる上で「面白い」という意味であって、男がやるより女がやったほうが見苦しくないとかカワイイとか萌えるかい面白さは全然追求してないから。ジョジョにはそういうごまかしは見られない。

残念ながら。

あなたがすごく気持ち悪いと感じていることはよくよくわかりましたが

客観的な基準での「欠陥」は全然指摘されていないと思います

じゃあ元増田とここに至るまでのトラバを全部読みなおしてね。

それでもわからないとしたら、たぶんあなたがそれを「欠陥」と認識できないということなのでもう私にはどうしようもないかな。

理療法士とかじゃないと認知の歪みって正せないし。

かなり長くやりとりをしてきたのに

論理的な説明を自分ログから出せずに他人のものを引くあたりに

あなたの議論姿勢問題点を感じ取ってください。

じゃあバラしちゃうけどあの増田書いたの私だから

っていうことにしておいて下さい。

1行目と2行目が繋がらないと思います

例えば「作品」のかわりに「社会」であれば1行目と2行目は完全に繋がりますし、

そのような社会は間違いなく不当です。

個人的に私だってそんな怖い社会に住みたくありません。

が、「作品」と言い出したら、そんなもん、購読者の絞り込みでしかないと思いますが…。

「全てが喪男を喜ばせる方向に動いてる作品」は喪男以外の人が期待読者層から排除されているかもしれませんが、

排除された人達にはそんな喪男向けコンテンツなんか以外の無数のコンテンツが用意されています

ないがしろにはされていません。

「ないがしろにする」の意味はその後のやりとりで出ているのでよく読んでね。

レディースデーやってる映画館は男をないがしろにしてるので不当」とか

CanCamは全て女性を楽しませる方向で誌面が作られてるから不快」みたいなレベルですよ。

そのとおりで不当だし不快を感じる人がいても当然でしょ。あなたはそう感じない?

レディスデーのときデート映画入ろうとする女がいたら男はイラッとする可能性あるじゃん

CamCamは基本ファッション雑誌なのですべて女性向けで不当っていう感じでもないけどananとかは特にから見ても「うわあ…」って紙面のときあるよ。

仮に客側読者側である女が「それは商業的に向こうがそうやってるんだから仕方ないじゃん」と言ったとしたら、「そうだけどだから?文句出るのは当然じゃん?むしろ何で擁護みたいな感じになってんの、自分利益得られるから?」って言い返されるのは全然おかしなことじゃないでしょ。理屈として間違ってない。

可能であれば楽しく、それが出来なくてもせめて静かな心でお話がしたいと思います

笑えることって楽しくない?w

客観的にこの作品は批判されるべきである」といった主張をするなら論理性が足らない(というよりほとんど無い…)と感じます

客観的」というのは「あなた感性にも合致するかたちで」ってことじゃないんですけど。

むしろ論理性が足らないと「感じます」って、あなた主観でしょそれ。

感じることは人それぞれだからそう感じたこと自体は責めないけど(あなたを見習ってw)、それは私の意見論理性がないということは意味しないから。

せめて間主観くらいには自分の枠から出てきてから言って欲しいな。

「非難されるべき理由や要素」というのは残念ながら一つもわかりません。

ほらこれも、「わかりません」。「ありません」じゃなくて。

「挙げられたこれとこれとこの指摘は作品に関する事実と相違しています、つまり誤解です、誤解なのでその非難は的外れです」とかじゃない。

あなたがわからないだけなんだよ。あなた主観において受け入れがたいだけ。

あなたは持ち出す話や例えがいちいち感情的に過ぎる気がします。

例えが議論から乖離していって自分自身が混乱するでしょうし、

議論の上で持つ必要の無い敵意やストレスを抱えることにもなります

あっごめんねwだって反応のパターンがすごいよく似てると思ってさ。

自分必死で冷静さを保とうとしてるところとか。

本当に冷静な人間はw文字一つとっていちいち攻撃だとか感情的になってるとかあげつらわないもん。そこ本題じゃないんだし。

取り乱してもいいんだよ?それだけ傷ついてるってことなんだから

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