
はてなキーワード:長嶋監督とは
長嶋さんは、元プロ野球選手のタレント、というのが私の中での彼のポジションだった。
今の若者たちにとってのテレビと、私達が若かりし頃のテレビはその占める地位がかなり違う。
テレビを見るというのがあたり前のことであった。
テレビを見ないということは、うまく人付き合いが出来なくなるのを覚悟すること。
といっても過言ではなかったように思う。
そういうテレビ世代において、長嶋茂雄というのはなかなか迷惑な存在だった。
長嶋さんがヒーローだった世代にとっては長嶋さんがテレビに出ているというのは楽しいことだったのかもしれない。
でも我々当時の若者からしたら、長嶋さんは天然のイラッとさせられるオジサンでしか無かった。
そういう人がバラエティ番組から消えてくれるジャイアンツの監督就任は喜ばしいことだった。
だから、巨人の成績が悪くても絶対に長嶋監督の首を切るなよな!!!
なんかね。ある世代にとっては本当に長嶋さんは神様だったんだろうね。
そういう世代が権力を握っている団体の名誉会長とかよくやっていた。
一番苛立たしかったのは、
オートバイの世界選手権のWGP(現在のMotoGP)の日本グランプリとかでも
長嶋さんは、なんかよくわからない役職をもらってて顔を出していた。
またよせばいいのにテレビも長嶋さんにコメントを貰うんだけど、
まったくオートバイレースに興味がない人だから本人も何も言うことがないし、
当時三度の飯よりモータースポーツが大好きだった少年の気分をひどく悪くしてくれた。
でも、あれから長い年月が流れた。
いまのひとたちは彼がテレビタレントだったことすら知らないだろう。
私も長嶋さんという人のことは相変わらずよく知らない。
ただ別に嫌いではなくなった。
むしろ愛するべき人だったな、と思うようになっている。
歳をとったからだろうか?
Permalink |記事への反応(11) | 10:48
「このシリーズは4勝2敗で我々が勝つ!」
この年の巨人はシーズン最終戦の「10・8決戦」で中日を破り4年ぶりのリーグ制覇を達成。その勢いを駆ってシリーズに乗りこんだ。
初戦前日のミーティングで、選手を見回して語った長嶋監督の訓示だった。
「10・8決戦」の試合に出発する前のホテルで「我々が勝つ! 勝つ! 勝つ!」と連呼した伝説のミーティングを彷彿させる話だが、これは全て長嶋監督の頭の中では計算ずくの発言なのである。
第1期の監督を退いた後の浪人時代に、野球だけではなく欧米、特にアメリカの先端スポーツを勉強し、見聞を広めてきた。その中で監督就任と同時に導入したのがスポーツ心理学だった。
ウムム!と考える(by筋少)
(俺が軽くあしらわれた可能性を除くと仮定する)少なくても俺から言えることは。頭の良さとか悪さというのは、そもそも『良い悪い』自体が相対的な評価であるがゆえに、信頼してはいけない。
例えばA・D・T・Gという中身と順序を覚えてくださいというときに、「どれくらいで覚える」「どこまで覚えていられるか」「覚えることでなにができるのか」「覚えると新しいものがみえるか」などという、期間と状態とそこからの発展しかなく、その評価でできることは『この人は~ができるけど、ここがわかっていないから~ができないんだな』とか『~を身につけるのに三日かかったから、これだったら一週間ぐらいだろう』などというテクニカルなものだ。
そこに頭の良さ悪さをまぜた瞬間に、他者からの評価(しかも想定は大抵曖昧だ)という不確定なものが入り、判断が鈍る。
覚えるとは動作である。だから苦痛であろうと、一応できることにはなっている。
家族や教師や上司(そして鏡の中のお前! そうお前だ! 俺とソックリの! ほくろや寝癖の位置までおんなじなお前がが!)はそこに良い悪いの評価を混ぜてはいけない。
もちろん出来たもの、結果に評価は出る。勝ち負けがでる試合のように。
ただし、黙って走らせなければ人は速くは走れないのだ。選手は勝ち負けを考えているのではなく、「三塁のランナーを走らせるためには、自分はバントをしたほうがいい。一塁の間に転がそう」という言語を反射的な行動まで落とし込まないといけない。(だから長嶋監督の教え方っていうのは、言語じゃないのね)しかもその判断を下すのは選手ではなく、監督などの「勝ち負けを考える人」によってなされる。つまり選手は反射的に体が動かせるように何度も繰り返し覚えることが重要なのです。
大局を見るのが大切だといっておきながら、一手を見る行動をしている人を邪魔する親や教師をみると笑えてきますね。
話がずれてますが単純に、良い悪いって気にすんな。走れってことです。評価の声は、十中八九自分の声ですから。だって本当に楽しいことを夢中でやっているときは、『良い悪い』って声、聴こえてこないでしょ?