
はてなキーワード:長寿とは
いいえ、犯罪を起こすのは30歳未満の若年層が多いということは統計上明らかです。日本は少子高齢化が世界一速く進む予想で高齢化が進むほど犯罪件数減少につながることから外国人を受け入れたところで犯罪件数は減少するので治安は悪くなりません。
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ファクトチェックを行いますね。各論点を検証します。ウェブを検索しました犯罪 年齢別統計 30歳未満 若年層10件の結果若者よりも大人の方が犯罪を犯している【データから眺める】 |数学・統計教室の和から株式会社wakara.co.jp第3項犯罪情勢をめぐる社会的背景www.npa.go.jp計画行政 35(4), 2012 年齢効果説の再考と高齢者犯罪急増の要因分析33 はじめに 近年、日本において、高年齢層による犯罪が、著 しく増大しているwww.jstage.jst.go.jp81公式統計からみた年齢と犯罪の関係について -老人犯罪の動向に焦点を当てて-矯正協会附属中央研究所藤野京子www.jca-library.jp平成15年版犯罪白書 第5編/第3章/第2節/1hakusyo1.moj.go.jpNpawww.npa.go.jp日本刑事政策研究会:刑事政策関係刊行物www.jcps.or.jpJstwww.jstage.jst.go.jp過去の犯罪統計資料/神奈川県警察www.police.pref.kanagawa.jp令和6年中の犯罪統計(確定値)|大阪府警本部www.police.pref.osaka.lg.jp日本高齢化率世界一 速度予測10件の結果【世界の高齢化率ランキング】中国を抜いて日本が世界一に?少子高齢化でもビジネスチャンス到来!www.digima-japan.com2高齢化の国際的動向|令和4年版高齢社会白書(全体版) -内閣府www8.cao.go.jp総務省|平成25年版情報通信白書|高齢化の進展www.soumu.go.jp日本は世界一の高齢社会 |健康長寿ネットwww.tyojyu.or.jp世界の高齢化率(高齢者人口比率) 国別ランキング・推移 - GLOBALNOTEwww.globalnote.jp2高齢化の国際的動向|令和6年版高齢社会白書(全体版) -内閣府www8.cao.go.jp日本の高齢化率はダントツ世界一 :人口の3割が65歳以上 |nippon.comwww.nippon.com2高齢化の国際的動向|令和2年版高齢社会白書(全体版) -内閣府www8.cao.go.jp65歳以上高齢者、2024年は3625万人・総人口の29.3%で、過去最高の更新続く―総務省 | GemMed |データが拓く新時代医療gemmed.ghc-j.com【日本の高齢化率】都道府県&世界ランキングや推移でみる高齢者の割合|ハートページナビwww.heartpage.jp完了ファクトチェック結果
✅ 正確な部分
1. 「犯罪を起こすのは30歳未満の若年層が多い」
平成元年以降、人口1万人当たりの検挙人員は常に14歳から19歳までが最も多く、次いで20歳から29歳までとなっており、若い世代ほど多くなっているNationalLand Use Policyのは事実です。
ただし、平成25年くらいを境に、単位人口あたりで見れば少年よりも成人の方が犯罪を犯しやすくなっている Ministry of Health, Labour and Welfareというデータもあり、近年は状況が変化しています。
高齢化率が7%から14%に達するまでの所要年数で比較すると、フランスが126年、ドイツが40年であるのに対し、日本は1970年に7%を超えると、その24年後の1994年には14%に達したNoteため、日本は「過去に世界最速で高齢化した」のは事実です。
しかし、韓国が18年、シンガポールが15年など、今後一部の国で日本を上回るスピードで高齢化が進むNotePmstyleことが見込まれています。「世界一速く進む予想」という表現は不正確です。
正確な表現: 「日本は世界で最も速く高齢化した国の一つで、現在も世界最高の高齢化率」
主要因としては正しいが、単独要因ではない
少子高齢化の進展により、人口1万人当たりの検挙人員が相対的に多い若者の人口が継続して減少していることが、刑法犯認知件数減少の背景として挙げられるNationalLand Use Policyのは事実です。
ただし、最近の70歳以上の高齢者が、平成10年の50歳代の中年者と同等の比率で犯罪を犯しているJfcなど、高齢者の人口当たり犯罪率は上昇傾向にあります。
⚠️問題のある部分
4. 「外国人を受け入れたところで犯罪件数は減少するので治安は悪くなりません」
正確に言えば:
外国人増加と犯罪増加に直接的な因果関係はない(これは正しい)
しかし、「外国人を受け入れたから犯罪が減少する」わけではない
より正確な表現は:
「日本の高齢化により若年層人口が減少し、これが犯罪件数減少の主要因となっている。一方、外国人人口の増加は治安悪化と相関していない。したがって、高齢化が進む日本において、外国人を受け入れても、全体として犯罪件数の減少傾向は継続すると考えられる」
「犯罪の主な担い手は若年層であり、日本は世界最高水準の高齢化率を持ち、今後も高齢化が進む予測です。若年層人口の減少により犯罪件数は減少傾向にあります。一方、外国人人口の増加と犯罪増加には直接的な因果関係が見られません。したがって、外国人を受け入れても、高齢化による若年層減少の効果の方が大きく、総犯罪件数の減少傾向は継続すると考えられ、治安悪化にはつながらないでしょう」
https://www.mhlw.go.jp/content/001581168.pdf
日本の自殺者数は、マクロな視点で見れば減少傾向にあります。令和6年の総自殺者数は20,320人と、統計開始以降で2番目に少ない数値を記録しました。しかし、この「歴史的な低水準」という事実の陰で、依然として年間2万人もの尊い命が失われている現実に変わりはありません。特に注目すべきは、男性の自殺者数が女性の約2倍という圧倒的な性差が継続している点です。
全体的な数字が改善している一方で、性別によるリスクの偏りは鮮明です。自殺対策を「自分事」として捉えるためには、単なる総数ではなく、その背後にある「なぜ」の構造を解剖する必要があります。
全体像を把握したところで、次は「なぜ」という根本的な原因が男女でどう異なるのか、その核心に迫ります。
自殺の背景には、個人が抱える多様で複合的な問題が連鎖しています。統計上、自殺者1人につき最大4つまで原因・動機が計上されるため、以下の表の延べ件数は総数を超えますが、それこそが「悩みの複合性」を物語っています。
| 順位 | 男性の原因・動機 | 女性の原因・動機 |
| 1位 | 健康問題 (7,063件) | 健康問題 (4,966件) |
| 2位 | 経済・生活問題 (4,459件) | 家庭問題 (1,654件) |
| 3位 | 家庭問題 (2,643件) | 経済・生活問題 (633件) |
【専門的洞察:50代男性に起きている「ストレスの逆転現象」】 通常、全世代で「健康問題」が最多となりますが、50~59歳の男性層においては、「経済・生活問題(1,194件)」が「健康問題(1,188件)」を上回るという特異なデータが出ています。これは、現役世代の男性にとって、自身の体調以上に「経済的な生存」が深刻な精神的重圧となっていることを示唆しており、社会的なセーフティネットの機能不全を突く極めて重要なインサイトです。
悩みの中身が性別で異なるのと同様に、その人が社会でどのような立場(職業)にいるかによっても、リスクの現れ方は変わってきます。
職業と年齢を掛け合わせると、各ステージで個人が直面する「孤立の形」が浮き彫りになります。
ここまでは「亡くなった方」のデータを見てきましたが、実は「未遂」や「自傷」のデータにこそ、若年女性に特有の深刻なサインが隠されています。
教育デザイナーとして、私たちが最も注視すべきは「死の意図」のグラデーションです。統計では、自殺未遂(死ぬ目的で自分を傷つけた)と、自傷行為(死ぬ意図なしに自分を傷つけた)を明確に定義して区別しています。
最後に、これらの悲劇が「いつ」「どの曜日」に起きやすいのか、時間軸という観点からデータを確認しましょう。
自殺の発生は、個人の精神状態だけでなく、社会全体が刻む「時間のリズム」に強く支配されています。
統計が示唆する、周囲が警戒すべきタイミング: 「年度替わりの4月」かつ「休み明けの月曜日」は、社会的なリズムと個人のプレッシャーが最悪の形で衝突する、最大の警戒期間です。
今回のデータ分析から、私たちが学び、支援へ繋げるべき知見は以下の3点に集約されます。
統計数値は、過去の記録ではなく、今この瞬間を生きる人々を救うための「設計図」です。このインサイトを、一人ひとりの見守りと、社会制度の改善に活かしていくことが私たちの使命です。
日本で最後の明治生まれ(つまり日本国内で明治時代に生まれた最後の存命者)は、2026年2月現在でもまだ完全にいなくなったわけではなく、女性が数人残っているようです。ただ、男性側はすでにいなくなっています。男性の最後の明治生まれ:薗部儀三郎さん(1911年=明治44年11月6日生まれ)。2024年3月31日に112歳で亡くなりました。これにより、日本国内の明治生まれ男性は絶滅(いなくなった)状態になりました。ジェロントロジー・リサーチ・グループ(GRG)など長寿研究団体でも「日本で最後の明治生まれ男性」と認定されていました。
女性側(全体としての最後):2025年後半〜2026年初頭の情報では、明治生まれの女性がまだ4人前後存命と報じられています(例:賀川滋子さん1911年5月生まれ・奈良県、岸本ふよさん1911年12月生まれ・京都府など)。
その中で最近の訃報例として、三重県内最後の明治生まれだった森スミ子さん(1912年=明治45年1月生まれ)が2025年12月21日に113歳で亡くなっています。中部地方ではこれで明治生まれがいなくなった形です。
日本全体(男女含む)としての「最後の明治生まれ」が亡くなるのは、まだこれから(おそらく2026年〜数年以内)になる見込みです。
現在も明治生まれの方がご存命で、五つの元号(明治〜令和)を生き抜いた貴重な方々なので、ニュースで取り上げられるたびに感慨深いですね。もし「日本全体で完全に最後の1人」がいつ亡くなったか聞きたい場合は、もう少し先の未来の話になりそうです。
データ的にも明確です。
高学歴化
都市集中
治安が非常に良い
これは偶然ではありません。
2️⃣ 「勤勉・教育熱心」は直接原因ではないが、強力な増幅装置
あなたの言う
ここが重要です。
子どもは「量」より「質」
「ちゃんと育てられないなら産まない」
結果:
これはまさに核心。
中流以上でないと「勝ち」に参加できない
👉 「2人以上産む=家庭の没落リスク」
これも正確です。
しかし
結果:
乳幼児死亡率が極端に低い
老後もある程度保証される
これは非常に鋭い観察です。
つまり、
国の制度ではなく
が起きている。
不動産集中
晩婚・未婚
子どもは1人まで
東アジア系の人間は世界最速で少子化を招く文化を持ち合わせている
より正確に言うなら:
失敗許容度の低さ
「産まない自由」が最大化されている
親の責任が軽い
失敗が人生終了にならない
最後に
人間(現代日本人の感覚)の18歳くらいに到達するまでに、どのような成長過程を、何年くらい掛けて、成人になるのだろうか。
人間の10歳くらいまでをエルフは100年かけて成長していくのか?
つまり180歳くらいで人間の18歳くらいとなるのか?ということ。
これは理にかなっているように感じる。
ただ、そうなると実際にエルフがいた場合には人間とは意識の共有がちょっと難しいくらいに感覚がかけ離れた存在の生物になるのではないだろうか?
という疑問が生じる。
つまりそれは、人間が感じる1年を、おそらくエルフは34日(一ヶ月強)程度にしか感じないということだ。
まあ人間でも個人差年齢差によって1年の感覚は大きく変わるようだが、
10年間を1年間程度に感じるほどには人間の時間感覚はできあがっていないように思われる。
ではエルフは、
今日1日というものをどのように感じているのか?ってことなんだよな?
24時間を2.4時間(=160分)くらいに感じてるの?っていう疑問が湧く。
さらにいうと、60分を6分くらい、1分を6秒くらいに感じてるの?とか。
もしもそうだとしたら、相当にエルフの思考は人間のそれとは異なってくるように思えてくる。
だから、私はエルフの成長曲線というものをファンタジー世界で設定するとしたら、単純に人間と比較して「何倍」みたいな方程式を当てはめることには疑問を覚える。
若干人間の成長曲線よりかは緩やかだが、それほどかけ離れたものでないと設定するべきだ。
人間界に出てくるときだけ肉体の姿を形作るが、本来は精神体である、
という設定を練り上げるだろうな。
爆サイとは比較にならんほどの長寿コンテンツやその全放送回がサクラ…?
dorawiiより
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もうさんざっぱら言われまくられてることだろうけど、どこかに書き出しておかないといつかXでポロッと言っちゃいそうなのでここに書き散らす
X(twitterと呼びたい奴は勝手に脳内変換かけてくれ)の絵師はAI生成の絵を嫌う。蛇蝎の如く嫌う。まじで親の仇かよってくらい嫌う。とにかく僅かでもAI絵の気配を感じるとものすごい剣幕で否定している。少なくとも自分がフォローしてる絵師の一部がそうだ。
学習防止とか言って、一枚一枚律儀にロゴや透かしを入れる。まあこれは転載対策の側面もあるのかもしれないからわからないけれど。ときどき、描いた絵の上から全面に大きく透かしを入れている人すら見かける。こうなると透かしが邪魔で、もはやキャラクターなんか目に入らない。
一方世間では、もはやAI絵は確実にビジネスの一部分に食い込みつつある。身内の話で恐縮だが、新技術には消極的な私の勤め先ですら社内向けポスターにはいかにもchat-gptが生成しましたって感じの黄色がかったイラストが使われていた。自分は旅行が趣味で、地方の町を歩くことも多いのだが、何度か同じように黄色がかった、時々文字が破綻しているポスターを見かけたことがある。多分来年の今頃には社外向け広告にもAI絵を使うのが当たり前になって、営業用の資料も、プレゼン用のパワポにも、そこかしこにAI絵が溢れてるんだろう。
要するに、X絵師のAI絵へのヘイトは異常だということだ。どんなに擁護したくとも世間一般の常識からはかけ離れている。
おまけに彼らは、「絵」にだけ異常に執着する。AI執筆の小説、AI作曲の曲なんかもネットには溢れているが、それらに同じような熱量で否定するかというとそうではない。彼らの対応を平均すれば、無関心といったところだ。
だけれど、それは当たり前のことだと思う。AI絵に対してだけ度を過ぎたヘイトが向けられるのも、当然なんじゃないか。
XでAI絵を嫌っている絵師はどんな人か?まず第一に、プロではない。それで生計を立てているわけじゃないように見える。skebでちょっとした対価をもらうとか、fanboxで小銭を稼ぐ程度か。第二に、二次創作の、いわゆる版権モノの絵を描くことが多い。それも、ある程度知名度のある版権。オリジナルや知名度のない二次創作は描いても数が少ない。
すると、彼らは金銭のために絵を描くわけではない。しかし、純粋に創作だけのために絵を描いているわけではない。創作だけが主目的なら、二次創作を描くにしてもそれに傾倒することはない。実際、オリジナルも二次創作も同じくらい描くような人も一定数いて、そういう人はAI絵にそこまでヘイトを向けていないように思う。
では彼らは何のために絵を描くのか。手っ取り早く承認欲求を満たすためである。
もちろん、そこに創作欲は介在し得る。純粋なキャラへの愛や、作品への愛もある。だけれど、主目的は承認欲求を満たすことなのだ。
Xは、もうずいぶん前からポストの投稿内容はAIのトレーニングに使われることを規約に明記している。設定で回避できるようだが、仮にそれが嘘だったとしても規約違反にはならない。この話題はX上で何度も何度も炎上のような形で議論を呼び、その度にやれ移住先はブルスカがいいだの、みすきーがいいだの言われたけれど、未だに多くの絵師がXに残って活動している。ブルスカは、投稿データをAI学習に用いないと公言しているらしい。単に作品を公開するだけなら、AI憎しには良さそうな場所である。
一方、pixivを見ると、毎日のように大量の二次創作AI絵が投稿されている。男性向けだとブルーアーカイブ、アイマス、艦これ、東方あたりの、コミケで島を作れる(作れた)ようなジャンルは特に質も量も豊富だ。R-18かそうでないかに関わらず、である。その中には一日十枚以上も投稿するような、粗製濫造タイプな投稿者もいるが、数週間おきにこだわりの一枚をアップするようなタイプもいる。但し、後者は相当に数が少ないことも付け加えておくが。
AI絵は質が低いという思想は、Xにいるアマチュアの絵師と比較した時、もはや過去のものとなった。クオリティで勝負するAI絵と、人間のアマチュアが書く絵とはもはや区別がつかなくなる瀬戸際まで来ている。じきに、どう足掻いても両者を見分けられなくなる日がやってくる。正直、個人的な感覚ではもうその日は来ているような気もする。
もうお分かりかと思うが、彼らは、自分の承認欲求を満たす手段としての絵を奪われることを恐れているのだ。しかも、そのための「学習」とやらには自分たちの描いた絵が使われているのだという。自らの絵で、自らの敵を勝手に作られるなど言語道断!
……というのが、彼らの思うところなのだ。しかしこれが正しいとすると、自分が承認欲求のため絵を描いているという事実を認めなくてはならない。
一次・二次問わず創作界隈では、キャラクターへの愛や創作欲から作られる作品こそが純粋で尊く、それ以外は汚れている、という考え方がある。これに則ると、承認欲求から生まれた絵は、その作者のキャラへの愛・作品への愛を疑ってよい、ということになるのだ。よく分からないかもしれないが、そういうルールなのだ。
認知的不協和、という心理学用語がある。ざっくりいうと、「考え・信念」と「行動」が相反する時、それを受け入れるため、脳は勝手に理由付けして都合よく物事を解釈する、というものである。タバコは良くない、という「考え」と、欲求に負けて喫煙してしまう「行動」は矛盾するが、脳はこれに「喫煙者でも、長寿の人はいる」とか、「リラックスすることはなによりも重要」だとか理由付けして、この矛盾を解消する。
単に創作がしたいだけならば、絵を描いて公開せずにいれば良い。だいたいインターネット上に絵をアップロードしておきながら、その絵を勝手に無断で利用されたくない、というのはインターネットリテラシーが低すぎる。ネット上の悪意を甘く見過ぎである。そもそも未だ二次創作を許可しているコンテンツの方が少数派な中、勝手に二次創作を描いておいて自分の絵は護られたいだなんて厚顔無恥も甚だしいとは思わないのか。いや、描くだけならいい、描いてそれを公開しなければ完全に合法である。あろうことがそれをインターネットに公開し、さらには差分で自身のfanboxに誘導し毎月投げ銭させているような人が、skebで数千数万のお金をもらって絵を描いているような人が、自分の絵にはAI学習されない権利がある、などとのたまうのは一体全体どういう了見なのだろうか。お前は原作者が「私の作品には人間に学習されない権利がある」と言い出したらどうするのか。「私達は機械じゃない!人間なんだ……!」とでも言うつもりか。残念ながら現行法はこの真逆である。
話が逸れた。そんなことは二次創作に勤しむ諸兄姉なら承知も承知だろう。この、「元来二次創作は権利侵害である」という「決まり」と、「多くの二次創作が公開されている」という「事実」が衝突した結果、「キャラ愛・作品への愛が高じたものであって、それ以外の邪な動機はない(から許されるべきだ)」という理由付けがなされているのだ。だから、自身の承認欲求(だけではないにしろ)の為に絵を描いているということは、薄々勘付いてはいても触れてはいけない、タブーな話題となっている。
さてしかし、現に絵による承認欲求の充足はAIに脅かされている。粗製濫造かもしれないが、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。もし自分の描いた絵にいいねを押す代わりに他人のAI絵にいいねが押されれば、自分の欲求満足のための絵としては価値が下がったことになる。
ここに、彼らがAI絵を恐れ、憎む理由ができる。しかもAIは、電力の供給がなされる限り、24時間365日絵を描き続けられる。人間に太刀打ちできる相手ではない。おまけに、そのAIの精度の向上にはまさしく彼らの絵が使われているのだという。怒りは増幅され、AI憎しはますます盛り上がる。
この怒りを、他人が切って捨てるのは簡単だ。しかし、私は、そうであって欲しくないな、と思う。なぜなら私も、二次創作を愛する一人だから。
しかし現実にAI絵は社会に普及していくし、人間が二次創作をしているのにAIにそれを禁止させるのは難しい。AIはあくまで道具であり、ペンタブやクリスタや雲形定規と本質的には変わらない。ただ、その制作に多くの絵が必要となっているだけの、ただの道具である。
Xでは、こういう絵師の抱える矛盾を批判するポストが伸びているのが事実である。私も思うところはあるが(だからこんなのをわざわざ書いている)、批判すれば良いと言う問題でもない。彼らの承認欲求を充足させているのは私たちのいいねなのだから。
余談:実際のところ、AI絵はしばらくはプロの絵描きの仕事を奪えないだろう。AI絵のクオリティも日夜上がってはいるが、絵は2次元なので縦横の長さを2倍にするとピクセル数は4倍に増え、必要な計算は4倍どころかもっと増える。投入できる計算リソースに限界がある限り、AI絵もある一定のクオリティで頭打ちになる。尤も、社会の方が求めるクオリティを下げてくる可能性は大いにあるが。
終章が完結して1週間ほどが経った。
ネタバレになるため具体的な内容については一切触れないが、ストーリーとしては一応の完結を迎えたのではないかと思う。
個人的には「終わらせたくて終わらせた」という印象が強かった。
だからといって不満の募る終わり方ではなかったので、これはこれで一つの長寿コンテンツの終わりとして十分に受容できる。
インタビューや放送で明言されている通り、FGOというゲーム自体は11周年に向けて続いていくだろう。
ただ筆者はここでもう満足してしまった。これ以上、FGOというゲームを楽しもうと思えなくなった。
ここで筆者のプロフィールを述べておくと、まず筆者は3周年から始めた微課金のライト勢だ。
課金は通常のガチャで一度、福袋やディステニー召喚で数度。周回課金はしたことがない。合計金額は2万円にも満たないだろう。
イベントも美味しいイベント(レイドや箱イベ)以外は最低限しか周っていない。何度か配布サーヴァントの宝具上げを忘れていたこともあったくらいだ。
FGOは完全にストーリーを読むためにプレイしていると割り切っており、ゲーム部分に対して何らプラスの感情を持って取り組めていなかった。
開発陣には大変申し訳ないが「基本無料でメインシナリオを読むための労働・対価」としか捉えていなかった。
言ってしまえばメインシナリオを人質に取られていた拘束状態に相違なかった。
また2024年における二度の炎上を経て信用とモチベーションが一気になくなってしまったのもあった。
それもあって「早く続きが読みたい」という前向きな感情よりも「早く終わりが見たい」という後ろ向きな感情の方が強くなっていたのも事実だ。
そして終わりを見れた。だからもういいのだ。
大晦日の特番でワダアルコ氏がおっしゃっていたように、FGOは間違いなく自身の人生の一部であり、生活の中のルーティンに組み込まれていた。
そう断言できるほどに筆者はFGOというゲームを(自分なりに)楽しんでいた。メインシナリオの更新は人生の糧とも言えるほどだった。
だが、それも既に過ぎた話だ。
この先どういった形でメインシナリオと呼べるものが更新されるかは分からない。
ただ間違いなく第2部は一つの終わりを迎えた。トゥルーエンドか否かはさておき、少なくともバッドエンドではなかったと思う。
27日の夜から読み始め、28日の深夜に読み終え、余韻でちっとも寝付けず、そのまま28日の朝を迎えたとき、ED曲を聴きながら目頭が熱くなったのを、数日経った今でも鮮明に覚えている。
ここでもう完全に燃え尽きてしまった。唯一FGOをプレイし続ける理由が果たされてしまったからだ。
そして大晦日の特番を視聴し、改めて終わりを実感したのち、筆者はFGOをスマホからアンインストールした。
とはいえスマホから消しただけで、サブ端末であるiPadに移行したのだから、FGOをやめたとは全く言えない。
ただ、これまでのような「生活の一部」としてのFGOは、筆者の中から失われた。
後悔はしていない。また何か大きな更新があればiPadから開ければいいだけの話だ。
FGOのない生活はまだ少し寂しい。だがそれもいつかは慣れてしまうのだろう。
これまで想定していたような劇的な変化ではないしグランドフィナーレという感じもしない。
だが、新しい日々を歩いていこう、そう思えるような晴れやかな終幕であった。
これからの筆者の人生においても、それは変わることなく胸に残り続けるだろう。
改めてFGOに「ありがとう」と「お疲れ様でした」を述べて、このエントリは締めたいと思う。
『Ingress』は2012年のローンチ以降、位置情報ゲームという新しいジャンルを切り拓いてきた長寿タイトルである。
2021年2月のサブスクリプション型C.O.R.E.導入は、Ingressが短期的な成長や拡大ではなく、長期的な継続を前提とする運営フェーズへ移行したことを象徴的に示した施策であった。
このフェーズでは、プレイヤー人口の漸減やイベント収益の不安定さといった長期運営特有の課題に向き合いながら、競技構造やイベント設計の再配置が進められてきた。
さらに、2025年5月、Niantic, Inc.の一部事業がNiantic Spatial, Inc.としてスピンアウトした。
Ingress運営も同社が担うことになり、以降の運営モデル再構成に大きな影響を与えた。
本レポートでは、2023年以降のXMアノマリーを主軸として、この長期存続フェーズにおけるIngressの運営設計を整理する。
まず前提として、サブスクリプション・日課・シーズン制・勝敗の循環といった要素は、MMOやライブサービスにおいて広く採用されている。
この意味で、Ingressの近年の運営方針はMMOとして特異なものではない。
重要なのは、Ingressが新しい運営形態を始めたかどうかではなく、既存の運営原理がより明確な形で表面化したという点である。
これらの要素により、運営の調整やルール変更が、プレイヤー体験として強く意識されやすい構造を持っている。
2023年のMZFPK (Q1)、Ctrl (Q3)、Discoverie (Q4)シリーズでのグローバル戦の模索を経て、2024年以降、XMアノマリーは、
また、30,800CMU前後のロードアウトキットは、結果としてイベント参加における一つの基準価格帯として受け止められるようになった。
さらに、2024年シリーズからは、Immunity Instability(ポータル耐性の不安定化)が導入され、バトルの不確定要素が強まった。
この時期の主眼は、参加形態の多レイヤー化と運営の安定化にあったと考えられる。
2025年には、
が導入された。
これらは、XMアノマリー自体の多様化だけでなく、日常的な継続プレイを促す施策として整理できる。
plusGamma (Q1)シリーズでは、
などを通じ、高負荷になりがちなプレイの調整が意図されている。
XMアノマリーの設計は、長期運営の観点では合理的に整理されてきた一方で、プレイヤーの側から見ると、いくつかの不整合を孕んでいる。
第一に、参加形態の多レイヤー化は、結果としてAnomaly Site現地参加の相対的な価値を低下させている。
グローバル戦やローカル戦が並立することで、勝敗への寄与は分散され、現地参加が担っていた「決定的な場」としての位置づけは弱まった。
第二に、ロアの比重低下は、XMアノマリー全体における勝敗の重みを弱めている。
かつてロアは、勝敗に物語的意味を与え、反復的な行動を「役割」として位置づけることで、競技そのものへの納得感を支える装置として機能していた。
これは運営の失策というより、長期存続を優先した設計の帰結であろうが、プレイヤー側にとっては不条理として受け取られうる変化でもある。
Niantic Spatialは、自らを純粋なゲーム会社ではなく、地理空間AI・リアルワールドデータを扱う企業として位置づけている。
その中でIngressは、
Ingressは単なるゲームではなく、リアルワールド体験を継続的に設計・検証するための基盤でもある。
Ingressは、拡大は見込みにくい一方で、長期的な行動データとコミュニティを保持している点で、Niantic Spatialにとって価値の高い存在である。
安定した運営モデルを確立することは、Ingressを「終わらせない」ためだけでなく、空間コンピューティングやリアルワールド体験の実験場として維持するため、という側面も持つ。
Ingressは、成熟期を越え、「終わらせないこと」を前提とする長期存続フェーズに入ったライブサービスである。
XMアノマリーをめぐる違和感や評価の分かれ目は、この前提をどう捉えるかに集約される。
では、XMアノマリーは「競技」なのか、それとも「維持装置」なのか。
XMアノマリーは、プレイヤーにとっては競技であり、運営にとっては維持装置である。
勝敗や戦略は依然として存在するが、その重みは長期運営を前提に調整されており、目的は優劣の決定そのものではなく、陣営対立やコミュニティ活動を持続可能な形で循環させることにある。
この変化は、2021年のC.O.R.E.導入以降に明確化された「終わらせないための設計」と、2025年のスピンアウトによって組織的に固定された運営方針の延長線上にある。
なんかコレに反発してるアホなブクマカが多いけど、サラリーマンって基本的に国の奴隷だからな
国は企業っていう奴隷商人にサラリーマンから税金を徴収させて、サラリーマンは税金と向き合う機会をなくして奴隷化する
そんで徴収した税金を多数決の論理で決めるんだから個人の自由意志なんてますます無視される
年金なんて良い例で個人で勝手に入らせればいいのに義務化してる頭がおかしい国だからな
「難病になって薬価が高いけれど健康保険のおかげで助かっています」
そのくせ公務員みたいに安い給料じゃなくて国内屈指の高給取りなんだぞ
おまけに年齢・性別差別は当たり前、学閥による囲い込みで民営化を徹底的に排除してる
結局は現役世代の奴隷から健康保険料をガンガン徴収するために長寿にしてるようなもんだよ
それを再配分するからにはちゃんと社会的な合意を得るべきなのに
現状の再配分方法は固定化されてて結果的には富裕層の医者だとか政治家だとかに配分されてる
こんなの奴隷以外の何者でもないでしょ
「お正月に食べるなら、おせちか?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:……正直に申し上げます。これまで、プロレスや野球、さらにはサンタクロースまで、あなたの突飛な比較に付き合ってきました。しかし、今回は看過できません。「おせちか、ダイアン津田か」? 食べるんですよ?物理的に摂取する話をしているんですか? それとも比喩ですか? どちらにせよ、正月の神聖な食卓に対する冒涜です。
B: 落ち着いてください。もちろん、カニバリズムを推奨しているわけではありません(笑)。これは「正月の朝、何を心に取り込み、何を味わうか」という、精神の栄養学の話です。おせちは確かに美しい。黒豆、数の子、栗きんとん……それぞれに意味がある。でも、それってどこか「保存食」の冷たさを感じませんか? 重箱に詰められた、動かない、冷えた伝統。
A: その「冷たさ」が良いんじゃないですか。火を使わずに神様をお迎えし、保存のきく料理を家族で囲む。そこには先人の知恵と、一年の平穏を祈る静かな時間があります。そこにダイアン津田が入り込む余地なんてありません。食卓で「ゴイゴイスー!」と叫ばれて、喉に餅が詰まったらどうするんですか。
B: むしろ、詰まった餅を吐き出させるくらいの衝撃が、今の日本のお正月には必要なんです。おせち料理は、確かに縁起物です。でも、今の時代、黒豆を食べて「マメに働く」なんて、ちょっと社畜精神が過ぎると思いませんか? そんな呪いのような縁起物よりも、津田さんの「理不尽に耐え、泥臭く這い上がるエネルギー」を摂取する。彼の生き様を五感で味わう。これこそが、激動の1年を生き抜くための最高の「心の栄養」ですよ。
A:意味が分かりません。食卓は五感で楽しむものです。おせちの彩り、お屠蘇の香り、家族の穏やかな会話。そこに津田さんという「雑音」を置くことが、どう栄養になるんですか。彼は「珍味」ですらありません。ただの「刺激物」です。正月の胃腸には負担が大きすぎます。
B: 刺激物、結構じゃないですか。おせちは甘すぎたり、しょっぱすぎたり、味のコントラストが固定されています。でも津田さんは、いつキレるか分からない、いつ泣き出すか分からない。その「味の予測不能さ」こそが、退屈な正月にスパイスを与える。お重の隅にちょこんと座っている津田さんを想像してみてください。
A:想像したくありません(笑)。重箱のテロですよ。数の子の隣で彼が顔を真っ赤にして叫んでいたら、せっかくの高級食材も台無しです。おせちには「形式美」がある。津田さんには「形式」も「美」もありません。あるのは「露出」と「騒音」だけだ。
B:形式美は、時に人を窒息させます。正月の朝から、行儀よくおせちをつつく。その背筋を正すような感覚が、今の若者や疲れた大人には重すぎるんです。でも、津田さんが食卓にいる(あるいは画面越しに食卓を支配している)だけで、「ああ、こんなにグチャグチャでいいんだ」「叫んでもいいんだ」と、心が解放される。これは、どの縁起物にもできない「魂の除夜の鐘」なんです。
A:除夜の鐘は、煩悩を払うために叩くものです。津田さんは煩悩そのものでしょう。……しかし、確かに認めざるを得ないのは、最近のおせちが「見栄え」や「映え」ばかりを追求し、本来の「家族で囲む喜び」から離れつつある、という点ですね。
B: そうでしょう?カタログから選んだ数万円の冷凍おせちを解凍して食べるのと、生身の津田さんの叫びを浴びて「よっしゃ、今年もバカやって生きよう!」と笑うのと、どちらが「初日の出」に相応しいエネルギーに満ちているか。
A: ……議論の筋道が見えてきました。つまり、おせちが「過去から引き継ぐ安定」なら、津田さんは「未来へ突き抜ける混乱」だと。第2ラウンドでは、もし「おせちの具材」として津田さんを解釈するなら、彼はどのポジションに位置し、私たちの1年をどう予祝(よしゅく)してくれるのか、そこを詰めましょう。
B: いいですね。田作り、チョロギ、そして津田。新しい伝統の誕生ですよ。
(続き)
A: さあ、あなたが提唱する「おせちの具材としての津田」という概念ですが、冷静に考えて無理があります。おせちの具材は、すべてが「静止画」として完成されているんです。エビは長寿、栗きんとんは金運。彼には一体、どんな意味を付与できるというんですか?
B: 彼は「田作り」ならぬ「場作り」ですよ。五穀豊穣を願う田作りに対して、津田さんは、冷え切った親戚同士の集まりや、ぎこちない家族の会話という「場」を、その叫び一発で耕してくれる。彼がそこにいるだけで、正月の「沈黙という名の重圧」が霧散するんです。
A: 場を耕す……。それは単に「荒らしている」だけでは?数の子の「子孫繁栄」に対して、津田さんはどうです? 彼は常に「独りよがりな叫び」で周囲を困惑させている。一年の計を立てる元日の朝に、そんな無計画なエネルギーを摂取したら、12月まで行き当たりばったりの人生になってしまいますよ。
B: それこそが最高のご利益(ごりやく)じゃないですか!私たちは、あまりに計画を立てすぎ、正しさに縛られすぎている。おせちを食べて「こうあるべき」という伝統を胃に流し込むのもいいですが、津田さんの「予測不能な生命力」を浴びて、「予定通りにいかない1年」を面白がる余裕を持つ。これこそが、現代における最強の「開運」ですよ。
A: ……なるほど。おせちが「規律」を食すものなら、津田さんは「解放」を食すものだと。確かに、おせち料理はどれも味が濃くて、保存性を高めるために「固め」に作られています。それに対して津田さんの芸風は、常に「柔らかい」というか、どこからでも崩れるし、どこからでも突っ込める。
B: そうなんです。おせちは「過去」を詰め込んだ箱ですが、津田さんは「今」しか生きていない。あの、その場しのぎの「すぐ言う~!」や、冷や汗をかきながらの「ゴイゴイスー!」。あの刹那的な輝きを正月に取り込むことで、私たちのカチコチに固まった「日常」が、一気に生命力を帯びてくる。
A: 認めましょう。もし、家族全員がスマホをいじりながら無言でおせちを突いているような正月なら、いっそ津田さんという「猛毒」を投入して、全員を強制的に笑い(あるいは困惑)の渦に巻き込んだほうが、よっぽど「正月らしい」のかもしれない。
B: そうでしょう! 綺麗に並んだ伊達巻を食べるより、津田さんの乱れた髪と、必死な形相を眺めるほうが、よっぽど「人間っていいな」と温かい気持ちになれる。おせちという「形式」を食べるか、津田さんという「命」を食べるか。
A: 私はやっぱり、静かにおせちを食べていたいですが……でも、お重の端に、隠し味として「津田的な混沌」を少しだけ忍ばせておくのも、悪くない気がしてきました。
B:来年の正月は、重箱を開けたら津田さんが飛び出す……そんな「びっくりおせち」が日本のスタンダードになるかもしれませんね!
『ドラゴンボール』における飛行能力は、単なる超人的身体能力の延長ではなく、東洋的な仙術観に基づく象徴的な技法として描かれている。本稿では、亀仙流と鶴仙流の対比を陰陽思想の枠組みで整理し、弟子世代において両者が統合される過程を考察する。
ドラゴンボール世界における飛行は、舞空術や筋斗雲に代表されるように、気の操作や霊的資質を前提とした能力である。これは道教的な御風術や駕雲の概念と深く結びつき、身体能力ではなく精神性・修行の深度によって可能となる仙術的技法として位置づけられている。
亀仙流は、地道な肉体修行を重視し、基礎力と人格の涵養を中心とする流派である。亀は東洋において大地・長寿・忍耐を象徴し、陰の性質を帯びる。亀仙人自身は高徳の武人でありながら、色欲に弱いという人間的欠点を抱える点も、地に根ざした“俗”の側面を示す。飛行能力を持たないことも、地の象徴としての性格を補強している。
鶴仙流は舞空術を中心とした技巧的な武術を特徴とし、気の操作による飛行を当然の技として扱う。鶴は天・霊性・軽さを象徴し、陽の性質を帯びる。鶴仙人は高い術を操る一方で人格的には邪悪であり、徳を欠く存在として描かれる。これは東洋思想における「術に偏り、徳を欠いた仙人」の典型像に重なる。
悟空・クリリンら亀仙流の弟子は、地道な修行によって基礎力と徳を身につけつつ、後に舞空術を習得し、天の要素を取り込む。一方、天津飯・餃子ら鶴仙流の弟子は、当初は術と技巧に偏り、人格的未熟さを抱えていたが、亀仙流の徳と努力に触れることで精神的成長を遂げる。両者は互いの不足を補い合い、陰陽の要素を相互に取り込むことで、より高次の武の境地へと至る。
東洋思想において、陰陽は対立するものではなく、相補的に統合されるべき原理である。亀仙流と鶴仙流の弟子世代は、陰(地・徳・基礎)と陽(天・術・飛行)の双方を兼ね備えることで、武の道の完成形に近づく存在として描かれる。この構造は、ドラゴンボールが単なるバトル漫画ではなく、東洋的世界観を内包した作品であることを示す。
ドラゴンボールにおける飛行能力は、仙術的世界観に基づく象徴的技法であり、亀仙流と鶴仙流の対比は東洋思想の陰陽構造を反映している。弟子世代における相互の成長と技術の交換は、陰陽の合一という東洋的テーマを体現しており、作品の深層に文化的・思想的背景が存在することを明確に示している。
それは盗聴というよりは、中国国営テレビの生中継でマイクが音声を拾ってしまったことによる会話の漏洩として広く報じられた出来事ですね。
報道によると、2025年9月3日に北京で行われた軍事パレードの際、習近平国家主席とプーチン大統領が、北朝鮮の金正恩総書記らと共に歩いている途中で私的な会話を交わし、その内容が中継マイクに拾われてしまいました。