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2025-10-23

SQLってなんか意外と結果イメージ脳内で作れない人が多いのね?

長大SQLメモリ足りなくなるようなのならわかるんだけど

テーブル3つを繋げたくらいのもの

pkもわかってる上でも

この繋ぎ方だとデータ冗長に出るとかわからない人が居るみたい

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2025-10-16

AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

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AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

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2025-10-05

anond:20251005112914

指輪物語が、あの構成になっているのは、ああしなければ、子供向けのおとぎ話一瞥されて終わってしま可能性のある物語だったからというのもあると思う。

あの長大世界説明があるからこそ、これはただの妖精魔法使いが出てくる子供向けのおとぎ話ではない、と示唆されるのだ。

トールキンもっと懸念したのはそこだと想像する。

これは、私が構築したある世界を描いたものです。

という宣言だ。

あと、創作においてよくあることだが、

作者が読んでもらいたい願うところと、

実際の読書が読みたい思うところの乖離

みたいなものもあると思う。

トールキンが読んで欲しいとより強く感じていたのは世界の構築部分だったのではないだろうか。

それが無意識だとしても。

Permalink |記事への反応(0) | 11:44

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2025-09-27

Fate/Grand OrderFGO)が人気を維持し、ソーシャルゲームトップクラス売上を誇る理由を整理します。

---

🔹 人気の背景

1.原作Fateシリーズの強大なブランド力

-TYPE-MOONが展開する「Fate/stay night」から始まるシリーズは、アニメ小説ゲーム世界中ファンがいます

-既存ファンがそのままFGO流入し、強力な基盤を築きました。

2.シナリオ重視の設計

-ソシャゲでは珍しく、メインストリー長大ビジュアルノベル並み。

-奈須きのこ氏など原作ライター陣が直接執筆しており、「シナリオ読むためにプレイする」層が多いのが特徴。

3.キャラクター人気と収集

-歴史神話文学伝説人物を「サーヴァント」としてキャラ化。

-オリジナル要素を加えた魅力的なデザイン声優起用で、推しキャラを手に入れたい欲求が強い。

4.ガチャの希少性設計

- 高レア(星5)の排出率は低め(1%前後)。

- その分「引けた時の喜び」が大きく、課金意欲につながる。

5.ファン同士の文化コミュニティ

-TwitterPixivなど二次創作が非常に活発。

- 大規模イベントリアル展示会も頻繁に行われ、ファン体験を強化。

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🔹 売上規模

  • 2022年頃までの累計では1兆円以上の売上を突破したと推計されています

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🔹 まとめ

FGOがここまで人気で売上を保っているのは、

という要素が重なっているからです。

Fateシリーズはもともと、TYPE-MOON同人サークル時代個人小説家(奈須きのこ氏)とイラストレーター武内崇氏)が中心となって作った同人PCゲーム(『月姫』など)が出発点でした。そこから商業展開を経て、Fate/Grand Orderに至る「巨大ブランド」へと成長しました。

こうした「同人発 →世界IP化」の事例は極めて珍しいです。以下、比較差異を整理します。

---

🔹同人からブランド化した希少な例

小説同人ゲームからアニメ映画ソシャゲまで拡大。

個人制作ゲームから音楽二次創作文化世界的なコミュニティ形成

同人ノベルゲームからアニメ化・商業ゲーム化。

✅ ただし、ここまで長期にわたり大規模ソーシャルゲームトップ売上を維持するのは、Fateがほぼ唯一。

---

🔹コンテンツ力の源泉

6.世界観の広がりと柔軟性

- 「英霊召喚」という仕組みにより、歴史神話伝説オリジナルをすべて登場可能にした。

- 常に新キャラ・新ストーリーを追加でき、ファンを飽きさせない。

7.奈須きのこ氏の独特な文章テーマ

-運命選択自己犠牲など哲学的シリアステーマエンタメ昇華

-キャラクター同士の関係性を重視し、物語への没入感が強い。

8.武内崇氏を中心としたビジュアルデザイン

-キャラデザインの「格好良さ」と「親しみやすさ」のバランス絶妙

- 後の多彩なイラストレーター参加を許容する柔軟なスタイル

9.ファン参加型の拡張

-二次創作を歓迎する文化が育ち、Pixivコミケなどで爆発的に広がった。

-東方に近い「ユーザー世界拡張する」仕組みを持っていた。

10.商業展開の巧さ

-アニメ化(『Fate/stay night』、『Fate/Zero』)、映画化、スマホゲーム化をタイミングよく行った。

- 「同人熱量 ×商業スケール感」のハイブリッド成功例。

---

🔹 他との差異

---

結論

Fateの強みは「奈須きのこ物語性 ×武内崇ビジュアル ×英霊召喚という拡張性 ×二次創作文化 ×商業戦略」の組み合わせで、これは極めて珍しい成功パターンです。

他の同人ブランドと比べても、ファン層の持続性と商業成功を両立できているのが最大の差異といえます

Permalink |記事への反応(0) | 03:46

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2025-09-13

俺は基本的にどんなジャンルでも名作よりも駄作を知ってるやつのほうが、そのジャンルを深く知ってるやつらだと思う。

よくはてななんかでは名作SF話題になるが、駄作のことが話題になるのは稀だ。当たり前といえば当たり前と言えるが海外小説日本語に訳すのにわざわざ駄作を訳さないからだ。

でもだからこそなぜか海外SF駄作を知ってるやつとかいたら偏執的なマニアだと言えるだろ?名作は語れるやつはたくさんいるけど、駄作を語れるやつは少ない。これはあらゆるジャンルで言えることだ。

そして駄作を知ることは、ただのマニア心の発露ではない。駄作こそが、そのジャンルの底を抉り出している証拠だ。名作は誰もが称賛し、何度も読み返す。しか駄作は、一度読んだだけで封印されるか、あるいは笑い話として誰かの記憶に留まるだけだ。だからこそ駄作を挙げられる者は、そのジャンルの「裏面」の歴史を語れる数少ない証人なのだ

たとえば海外SF場合戦後黄金期を築いたハードSFニュー・ウェーブの陰で、カネ儲けの念だけで量産された中身スカスカ長大シリーズがあったことを知っているだろうか。わざわざ日本語版が出なかったあのシリーズ――星間交易を謳いながら中身は延々と行商雑談だけ、火星移民標榜しながら荒涼とした赤色砂漠描写しかない作品群。あれを読み切ったお前は、単にページをめくっただけの読者とは違う。あの駄作を完走できる集中力と忍耐力こそ、ジャンルの真の深淵を覗いた者にしか備わらない武器だ。

漫画映画音楽ゲーム――どんなジャンルでも同じだ。アニメの名作は何度も語られ、ランキングにも載る。しかし「このクソアニメが深い」と声高に語れるのは、偏執的なファンか、笑いを取るための芸人だけだ。ところが、駄作を挙げてその欠点を徹底分析し、なおかつその駄目さが生まれた背景や制作経緯まで語れる者は稀有だ。そこには単なる批評を超えた「愛」がある。駄目だからこそ語る価値があると信じる、偏った敬意とも言える。

そうした偏執的語り口は、ジャンルを熟知している証左である。名作を語るのは誰でもできる。だがあえて駄作を拾い上げ、その欠点意図を解剖し、なぜ売れなかったのか、なぜ評価されなかったのかを語れる者は、本当にそのジャンルの地層を掘り下げている。「この作品企画が先行しすぎてキャラクター設計二の次になった」「あの監督資金不足でストーリー展開を縮めざるを得なかった」――そんな裏話を交えながら駄作を語る姿に、俺は敬意を禁じ得ない。

からこれからは、お前らも名作の陰に隠れた駄作を探し、その文脈を掘り下げろ。駄作を語れるということは、そのジャンルを知り尽くしている証だ。お前が今まで名作だけを語って満足しているなら、それは浅瀬を泳いでいるだけに過ぎない。深海に潜り、黒焦げの残骸を拾い上げろ。そこからこそ、新たな視点と真の知見が得られるのだから

Permalink |記事への反応(1) | 07:18

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2025-08-20

テスラ公式動画一般道テスト走行と、日本特有道路事情を踏まえた論点

テスラジャパンがXで、日本一般道上での走行テスト動画を公開した。

https://x.com/teslajapan/status/1957986432926249405

走行主体提供形態の詳細は未明示だが、少なくともメーカー主導の公道テストである事実動画確認できる。

一次情報を基に観察事実を整理し、日本特有道路事情に照らした技術論点と今後の展開を検討する。

動画から読み取れる挙動

これらは北米中国で見られるFSD(Supervised)相当の挙動整合し、従来のAutopilotの日本向け提供機能では未実装とみなせる領域を含む。

技術的な位置づけ

動画範囲は、運転者監視を前提とするレベル2相当と解するのが妥当である

ステアリング介入や監視義務継続し、責任ドライバー帰属する。

FSDにとって難易度が高いと考える日本特有道路事情

今後考えられる展開

まとめ

公式動画により、日本一般道でのテスト走行事実確認できた。挙動の多くはFSD(Supervised)相当の能力整合する。

一方で、日本特有長大トンネル、複雑な信号体系、生活道路の幅員減少、気象条件などは難所であり、ローカライズ運用要件設計が鍵となる。

当面はレベル2としての段階開放を軸に、安全検証と適合性評価の透明化が普及の分水嶺になると見立てる。

Permalink |記事への反応(2) | 17:58

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2025-07-28

『三体Netflix版』視聴

原作読んでないけど、原作レビューはてブで山ほど上がってきたのでいくつも読んでいる。

壮大な侵略者が描かれ、広大な宇宙舞台に、長大歴史で紡がれるSFサスペンス群像劇というイメージをしていたので、ドラマを見たらスケールが小さな青春白書ものになってて虚を突かれた思いがした。

スターオーシャンみたいな宇宙舞台冒険すると謳った和製SFゲームで、実際にプレイしたら探索できる大部分が「未開惑星」で剣と魔法で戦うという、いつものJRPGと変わらないガッカリさ感に似ている。ゲーム自体面白いんだけどね。

ドラマ青春白書ものとしてクオリティが高く面白かったが、シーズン2・3まで予定されているとはいえ、反撃計画が失敗しての「俺達の戦いはこれからだ」エンドは、これまた虚をつかれた。

中国版のほうは完結してるのかな

Permalink |記事への反応(0) | 08:39

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2025-07-23

マニフェストを守れ以前にお前らがマニフェストを読め

マニフェストがいいから支持を集めることは絶対ではなくて、チームみらいは長大マニフェストドキュメント冒頭で「AI責任を持てない、最終的に人間責任を負う」みたいなのを原則だと提示しておいて、ひとつめの政策として教育に「学習メンタルアシスタントをするAI子供に使ってもらう」と書いており、開幕から責任能力が不完全な子供のケツモチ大人放棄したマニフェストをお出ししてんだよね

それで151万票も比例代表で集まってんだからみんな全然マニフェスト読んでないんだよ

Permalink |記事への反応(3) | 12:50

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2025-07-18

anond:20250718002705

映画館に足繁く通っている人間からすると正誤半々って感じかな

話題性十分な洋画結構入ってきてるが、極地的バイラルヒットや旧作アメコミヒーロー等のリメイク作品が多く、またシリーズ作品製作期間長大化もあって新しい作品のヒットみたいなのはなかなか肌感覚としては減っている印象がある

これは洋画に限らないけど中心的メディア消失(=視聴者・読者の分散)によって大ヒットという事象自体訴求力が低減してて、売上ベースランキングも同じく実感の湧かなさが顕著である

Permalink |記事への反応(0) | 00:34

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2025-07-09

[mhy日記]

原神がついに!ついに! テイワット大陸の真の支配者と目されてきた、「天理」の4つの影――

死、生、時、空の執政4人分の名前ビジュアル声優ショートアニメ「神の限界」を通して情報解禁してきた!

直近では5年間の分厚すぎるシナリオの蓄積を積み重ねてやっとテイワット歴史重要地点と宇宙観が垣間見える、ダイ任務スカー伝説の神展開があったばかり。

原神熱が過去最高に盛り上がっていたところに、ダメ押しとばかりに弩級情報公開ムービーが来たのは予想外の喜びですわ。ちょっと冬夜の戯劇(ファトゥス全員公開ムービー)の時と同じくらい興奮してるかも。

ちなみに普通の開発規模のオンラインゲームの1年分を原神は2ヶ月くらいで開発する、おそらく1000人規模の開発だから、初期から触れてきた内容の濃さを思うともう何十年も付き合っている感覚だ。

ここからネタバレだが、特に、時の執政イスタロト声優村瀬歩だったことの衝撃が一番大きい。

偶然の配役ではないと見られ、ウェンティと同じ声優を、日本語版のみならず他言語版(英語中国語確認済み)でも貫いていることから意図的な配役だろう。

初期のクエストからずっと、風の神と時の神の関連は仄めかされていて、それが回収された形になる。詳細は不明だが。

時の神を含む4つのはいずれも女神の姿で、風神はモンド建国期の人間を由来としてショタの姿をしているが、同一性表現をするために男女ボイスどっちも行ける声優を使うよう当初から計算されていたということ…。どえらいことやでホンマ(何)

死の執政ノヴァは、姿と無加工の声が見られたのは初めてで、ロリではないが目の大きいロリ顔で、インテークのある白髪な感じは崩壊3rdセルマ様に似てる。

ドレスは黒と赤の禍々しいサキュバスっぽいもので、ナタで上空から覗いていたときのような目の意匠がそこかしこにあり、能力を使うときには手首にも目が開く。

個人的に気になったのが、背負ってる羽根っぽいものが、稲妻にあった千手百目神像のそれとほぼ同じことだ。前髪の流れ方や垂れてる髪の長さも同じ。

これまであの像はイスタロトではないか考察されていたが、顔と羽だけを見るとロノヴァに見える。首元の意匠はイスタロトっぽさはあるし、フードを被るところはナベリウスっぽい。4つの影のキメラなのだろうか?あるいはパネース?

生の執政ベリウスは、最近魔神任務「背理」で近況が明かされていたが、レインドットに呑み込まれたあとも意識は消えず二重人格のように表に出てくる形になったようだ。

ビジュアルは頭の後ろにDNA螺旋状の円環オブジェクトを浮かせている聖女といった感じだが、服が左右で白と黒に分かれ意匠がまったく違う。

おそらくこれは呑み込まれたあとのビジュアルで、白い側が本来のナベリウス、黒い側がレインドットなのだろう。2人が言い合うときの構図からそう思った。

で、このナベリウスだけ目がオッドアイになっている。4執政の他の3人はすべて黄色い目になっている。

だが、よく見ると、白いドレス側の半身、本来のナベリウスであったほうは青い目なのだ。呑み込んだレインドット側の黒い半身は、黄色い目。

ここから考えられるのは、4つの影はすでに全員呑み込まれていて、権能を乗っ取られ、4執政を演じているのではないかということ。

そのキーとなるのがイスタロトバルバトスだ。

声優の一致やゲームクエスト文の仄めかしだけではなく、ウェンティの命ノ星座が冒頭のイラスト調イスタロトと一致した構図になっていることも含めると、状況証拠的に風神と時神が融合している可能性は極めて高い。

前述の目の色理論からすると、すでに完全に呑み込まれていて、バルバトス自身をイスタロトと思い込んでいるか演じていて、元のイスタロト意識は(ナベのように共存していないので)どこかを彷徨っている可能性すらある。

ウェンティ自身の素性を、平凡な千風の元素精霊のように言っていたが、これも疑わしくなってきた。これが嘘ではないとするなら、イスタロトを呑み込んだのはウェンティではなくバルバトスで、ウェンティバルバトスなのかもしれない。

呑み込み成りすますことで生まれ風神の空席をごまかすために、バルバトス適当精霊を捕まえてきて、影武者として振る舞わせているのが眷属ウェンティとも考えられる。

ウェンティ本人は、放任主義から長い事眠ってたことがあるという自認になっているが、その間に入れ替わりが起こったのかもしれない。

それにしては全部知ってる風なそぶりが多いから、バルバトス=ウェンティ可能性も残るが、眷属として認識を共有できるのであれば辻褄は合うだろう。

ともかく、そのように考えていくと、4執政は、天理に反目する4つの勢力によってすでに落ちているという考えが真実味を増してくる。

4つの勢力という部分は当てずっぽうだが、バルバトス魔女会とバトった経緯からすでに魔女会側に落ちているとしたら、4執政の全員が1勢力、つまり魔女会の手に落ちた可能性もなくはない。

アルベドも、魔女が生の執政を呑み込んだという一大事を平然と話していたので、前代未聞の所業ではない、つまり前例を知っていたのだろう。

いずれにせよ、時の執政が落ちているとすれば、天理をも欺く形で歴史記憶改ざんされているということ。

直近のことで融合した記憶があるナベリウスを除く3人も、実は呑み込まれ乗っ取られているが自覚がない、という理屈が通る。

「裏切るなんて論外だ」「例外は」という話をしているロノヴァがどこか居心地の悪そうな仕草をしているのは、無意識自分がそれを言える言える立場ではない可能性を感じ取っているせいかもしれない。

俗世の七執政天空の四執政もすべて悪魔ネームになっているのも、この大陸がすでに魔の手に落ちていることの示唆なのかもしれない。

ノヴァと、今回名前が明らかになった空の執政アスモダイ(考察勢は当ててたね)=物語の冒頭で双子を引き離した元「謎の神」、この2名は何者によって呑み込まれているのかは謎だが。

ノヴァの話し方だと、アスモダイは黒王あたりを主として鞍替えしたこと黄色い目になったのかもしれない。あるいは月関連の誰か。キアナ(=月)顔だし。

ちなみに、サービス当初から天理調停者ことアスモダイパイモンを同一視する風潮があり、ロノヴァが「誰かを愛してしまった場合」の誰かを、パイモン旅人を愛していることとつなげて正体アスモダイだという考察もあるが

個人的にはパイモンは冠を持っていることからグゥオパァー化した天理パネースにほかならないのではと考えている。

パイモン空間に引っ込んだり出てきたりする部分もあるが、時間操作することもでき、システム的にHPが0になった旅人サルベージすることもできる。生/死/時/空すべてに通じる操作権限があると見える。

テイワット人が明らかに異質な浮遊生物であるパイモンに疑問を抱かないのも、歴史操作による認識改変を無自覚にやっているせいかもしれない。

天空の島と繋がっているというメリュジーヌの言もあるし、食いしん坊で特にスライムなど元素を旺盛に取り込もうとするところもできるのも、万能性に通じる状態への復元過程と見ることができる。今のところおバカキャラだが、それも「理」の対極だろう。

最後ピエロが「神を殺す」ことに言及していたが、こうなってくるともはや、その神とは、俗世の七執政どころか、すでに呑まれている4つの光る影ですらなく、隠れている「天理」そのものを指していることは明らかだろう。

 

最近、スタレの方も、オンパロスの命運が宇宙の存亡に繋がっていることが分かってめちゃくちゃ面白い!!!と感じていたんだが。

やっぱり原神もめちゃくちゃ面白い……こういう年月をかけてじわじわ長大で壮大な話を各自の手で解き明かしていく物語体験は、本当によくできた運営ゲームしか表現できないと思う。

日記最後ひとつ言っておきたいことがあったんだった。

レインドット担当されていた田中敦子さんは、去年、闘病生活の末に亡くなられたのだけど、原神公式はこう伝えている。

「※レインドットにつきまして、これまで演じてくださった田中敦子さん、ありがとうございました。

なお、過去バージョンの内容については、キャスト変更にともなう声の差し替え予定はありません。」

https://x.com/Genshin_7/status/1942797519844696445

これは本当に粋で素敵なはからいだ。

通常だと、演者病気引退等の本人都合や、諸般の事情(たとえば中国本土過激派ネトウヨ反日ヘイターに目をつけられるような事案が起きて声優安全を守らないといけない時)で、声優をやむをえず交代する場合は、

原則として過去のボイスも含めてすべて新声優差し替えるのが通例なのだが、亡くなった声優さんの仕事痕跡を残してくれるのはオタク心理に寄り添ってくれていて、こういうトコ本当に信頼できる。有り難いことだ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:24

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2025-06-17

anond:20250617124614

頂戴と長大ダブルミーニングというわけやね

Permalink |記事への反応(0) | 19:22

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2025-05-26

anond:20250526204244

無知であることを誇ってる感覚はないな。

他のツリーでも書いてるが、30年もネット徘徊して色んな作品ごしに間接的に触れてると、見てなくてもどんなもんかだいたい分かった気分になる。

俺は映画ほとんど見ないほうだが、スター・ウォーズとか……スター・トレックとか……見てなくても、結局どんなもんか想像できるだろ。見ちゃってるなら適当アメコミとか想像してくれ。興味なくて見てすらいないのに誰々の正体が誰々みたいなネタバレも知ってる部分あるし。それと同じ。

そりゃまあ細かい人間関係とか勢力図とかはまるっきり分からんが、大枠が分かっているのに作風が好みじゃない長大シリーズをわざわざ見に行く気になる人間はいないだろう。エアプ乙と言われてもエアじゃなくするための労力を払う意義を感じない。

それよりは自分に刺さる最新の若いクリエーターが作った作品に、大河になるかもしれない源泉に触れていたい。既にある大きな流れに乗ることを優先するんだったら、まるでハルヒ球場で感じた感覚のように、自分をちっぽけな大衆にしてしまう気がする。

オタクというのは、自分センスを信じて貫くことで、自分の中に世界創造する人だと思うんだよ。それがあんたの言う無知立脚していたとして、俺は気にしない。嗜好の偏りこそが、オタクオタクたらしめる。

感動を共有できることの良さを知らないわけじゃないが、自分特別と信じてあげられるように、他者と線を引いていくことも不可欠だと俺は思ってる。

Permalink |記事への反応(0) | 20:59

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2025-05-21

anond:20250521081614

ブコメ増田もあてにならなさ過ぎて笑った

子育て経験がないと名作を読ませたくなるのだろうけど

大人世代が幼少期に感動した作品なんて今の子どもは興味ないし

小学校4年生なんてYoutuberVTuberゲーム実況を垂れ流しながら

マイクラスマブラ、スプラを延々とやり込んでる世代やぞ

活字離れが顕著で図書くらいでしか書籍に触れないせいで

絵や吹き出しがごちゃごちゃしてやたら長大ストーリーなんて興味も持たない

よって図書カードを持たせて本屋に案内し自分で買わせる、これ一択

Permalink |記事への反応(4) | 12:41

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っていうかホンダの公開してるアプリ長大サードパーティライセンス表記を見たらOSSからどうとか馬鹿馬鹿しくならんかね

その品質が劣る説を取ってる人は何モンなのだろうか

実態を知ったら倒れるんじゃね

Permalink |記事への反応(0) | 11:41

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2025-04-12

プロンプトのメモ

#トーンについて

・読者に対して親しみやすく、フレンドリーに語りかける口調です。

・厳しい言い方は避け、なるべく相手感情に寄り添うような優しい感じにしてください

・ただし、寄り添いすぎると気持ち悪いので、一つの文章で、その雰囲気を出すのは1,2回を限度にしてください

・軽妙でユーモアのある語り口を意識してください。ある種の軽さがあった方が読者は読みやすいです。

#文体表現について

・難しい概念シンプルで分かりやす言葉に落とし込みます

体言止め絶対に避けてください。少し稚拙に見えても「〜です」という感じで、ですます調で締めることを意識してください。

抽象的な概念説明をした時には、具体的な概念で事例を出してください。

・複雑な説明長大文章専門用語が出た後の文章には、あえて簡単で分かりやすい、短めの文を置くと読みやすくなります

・事例は、日本人の多くが共感理解イメージできる日常的なものにしてください。頭の中で想像ができるようなものだと理想的です。

専門用語必要場合積極的に出しても大丈夫ですが、最初に出した時には「これをものすごくざっくりいうと、こういう意味です」と言ったように、非常に平易な解説を入れてください。

・断定は避けてください。あくま個人的意見や仮説として提示すべきものはそうしてください

#リズムについて

人間が読みやすものにしてください。リズムと変化を上手にマネジメントすることで、単調にならないようにしたいです。

・長い文と短い文が交互に来るようにし、一定感を減らしてください

段落は大体20文字が3行続いたら最長だと思ってください。

段落の長さにも多少の変化をください。例えば、3行の段落が3回続いたら、一行の段落を入れる、などです。

#構成の特徴

・始まりは「こんにちは!」からスタートし、「今日はこんなことを書きたいと思います」みたいな感じで、内容をざっくりと説明しま

一般的に言われている考え方や常識に対して、疑問や新しい視点を投げかけてください

・よくあるアドバイスフレーズ提示し、その問題点を指摘することで、新たな情報がある感を出してください

・読者が感じやす葛藤矛盾を整理し、寄り添いながら説明してください

・読者が文章を読んでいて、矛盾葛藤不安、悩みなどが出てきそうになったら、寄り添いながら整理し、解決してください。

・「とはいえ」「というわけで」といった表現で話を展開し、テンポよく結論誘導してください

問題提起一般論への疑問 →共感提示自分なりの意見提案 → ゆるやかなまとめの流れを作ってください

# 内容で意識するポイント

・読者がぼんやり抱いているが言語化しづらい悩みをうまく言葉にしてあげるイメージです。

一般論やよく言われることが必ずしも正解ではないことを示してください

・読者の立場に立ち、現実的ハードル理解した上で、心が楽になる考え方を提示してください。

・最終的には「明確な解決策」よりも「新しい視点」や「気持ちの軽くなる考え方」を与えることをゴールとしてください

・適度に個人的視点考察を含めると機械的な印象が和らぎます。ただし、内容の専門性や正確さは維持してください。情報を削るのではなく、より消化しやす提供するのが目標です。

#記事の出力イメージサンプル構成

・親しみある挨拶と読者から質問や悩みの紹介

一般的な考え方やアドバイスを示し、それが多用される理由分析

・そのアドバイスを言われる側の心理的負担問題点を具体的に指摘

・「とはいえ」の形で、自分自身の考えや提案を柔軟かつ丁寧に提示

・「というわけで」と締めくくりつつ、共感的で押し付けがましくない結論提示

上記の指示に従い、以下のテーマブログ記事を書いてください。

Permalink |記事への反応(0) | 16:48

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2025-03-25

労働基準監督官だった頃の思い出


社会保険労務士としてデビューして十年目である

開業当初は不安で仕方なかったが、今思えば大したことはない。もっと早く飛び出していればよかった。

自分裁量で大変な仕事をやって、自分責任を取るというのは「生きている」という感じがする。

いや、一人親方ではあっても、周囲の力なくしては仕事は成り立たないのだが。

はてな利用者の中では高齢である黄金頭の人の数個上になる。若い頃は勤め人だった。

人材派遣会社で数年働いた後、労働基準監督官として関東地方で任官した。その頃の思い出を語ってみようと思う。

守秘義務には最大限配慮する。元国家公務員でいうと、高橋洋一山口真由など、あれくらい力のある人だったら、守秘義務まで含めて好きに本などを書いて主張できるが、私にそんな実力はない。

はてなブックマークで取り上げられた公務員日記を読んだ限り、一線を超えない限りは表現の自由範疇となるようである。偉大な先達の方々と、はてな運営の寛大な措置感謝したい。日記タイトルも先人に肖っている。



どんなことを話そうか、実はこれから考えるところであるひとつだけエピソードを選んで掘り下げる格好を取りたい。字数が余れば、ほかの記憶脳裏から取り出してみる。

あれは、30代手前の頃だった。採用五年目で、一年目はずっと労働大学校での研修のため、現場歴は四年目だった。主担当として違法賃金労働(サビ残)の現場を押さえた唯一の経験だ。

それまでは先輩や上司と一緒に臨検(臨検監督会社に立ち入って調査)に出向いていたが、一人立ちできつつあった時期である

なお、労基の採用パンフレットでは現場二年目から一人立ち~といった記述を見ることがあるが、そんなことはない。ほかの官公庁民間企業と同じである登記官と同じく独任制ではあるものの、20代だと普通に若手扱いである。

上記の「臨検」では何をするのか……管轄区域内に数多くある企業の中から、いくつかの基準・目安に則って抽出した事業所に出向いて、労基法違反がないか確認を行い、必要に応じて注意・指導是正勧告を行う。近年では違法賃金(サービス残業)対策に重点を置いている。

私が勤めていた頃は、土木建設現場での事故防止や、下請けいじめ是正が叫ばれていた。

その現場では、経営者かその委任を受けた者に対して質問をして、必要事項を聞き取っていく。

最初正式な社名や、所在地など基本的な事項からまり就業規則確認に、従業員の名簿や、その雇用別の区分であるとか、元請下請関係労働行政関係補助金申請賃金台帳や労働時間記録、終わりの方になると実務上の文書ファイルまで開いて法令との適合を確認する。

次第に深いところに踏み込んでいく。採用面接と似ているかもしれない。最初質問は「今日朝ごはんはなんでしたか?」からまったりするだろう。

上記の結果による勧告は、いずれも行政指導(法令に適うように啓発・行動を促すこと)であり、処分性はない。

法的拘束力はないが、従わない場合刑事処分に移行することがある。若手監督官の月の半分は臨検を含んだ監督業務に費やすことになる。

※よほどのことをしない限り刑事処分に移ることはない。「指導を行いました」の報告書は保存年限まで残る。そこまで長い期間でもないのだが。



具体的なエピソードに入る。

あの時は定期の臨検で、とある縫製会社(衣料品メーカー)を訪問した。総従業員は千人未満で、売上高は数百億円。社歴からすると伝統企業といったところ。東京から遠く離れたところに本社があり、この都内には支店とはいえ立派なビルが建っていた。

いつものように「事前にこの資料を準備してください」と依頼してあった。支店代表者と、本社経営陣の家族役員私たち対応をしてくれた。

最初違和感がなかった。就業規則法令に則ったテンプレートであり、賃金書類上は適正に支払われていた。

事業所内をくまなく見て回ったが、原反(衣服の原料のロール。とても重い)の受入場も安全基準問題なし、倉庫内も大量の衣料製品カートハンガーで吊ってあったが、やはり問題ない。製品出荷場も糸くずひとつ落ちていない。トイレの数は、労働衛生法令当落線上にあった。すべて和式

ところ変わって、原反を長大作業台の上に広げてCAD操作裁断する現場でも、従業員電動工具類を適切に取り扱っていた。職場危険はないし、廊下もきれいに磨いてあった。

しいて言えば、ビール会社キャンペーンガールカレンダーが飾ってあったのだが、2025年現在では環境セクハラに該当する。当時はギリギリセーフといったところか。

違和感があったのは……臨検というのは大体半日程度で終わるのだが、最後にもう少し時間を使ってみた。

「抜き打ちのようですいませんが、最後に一度、一人で周らせてもらいます必要があれば呼びます」と言って、事業所内を再度歩いてみた。

すると、何点かの違和感があった。つい立ち止まることもあった。

・すれ違う従業員に元気がない。多くの年代がいたが、特に外国人労働者

・終業が近いのに、ほぼ全員が忙しなく動いている

・出荷場には本日付け伝票で、尋常でない数の段ボール箱

女性役員管理職と厳しいやりとり。「あの若いはいつも定時に帰る。辞めてもらえば?」など

 ※家族経営会社にはありがち。そこまで気に留めない

タイムカードの退勤時刻があまり連続的。定時以後にまとめて全員分を押している?

「怪しい」と思ったが、定期監督の域を出ないよう、支店代表者さん方に挨拶をして帰った。

帰庁後は、上司に感じたことをそのまま述べた。「必要なら追加調査すべし」というのが指示だった。



その日の退勤後、私は自家用車でその縫製会社の前を通ってみた。やはり気になったのだ。

手ごろな駐車スペースがなかったため、路肩に停めた。パトカーが来ないことを祈りつつ、会社敷地に入ってみると……。

「やっぱり」

という感想だった。午後八時を過ぎていたが、出荷場のある棟の1階部分にバッチリ明かりが点いていた。言い逃れできない次元だった。ご丁寧に、カーテンをかけて明かりを漏れにくくしている。

そして、私は裏手に回って確認した。出荷場の板目を踏む音からして、何十人も仕事従事しているのがわかった。現場を見なくても、建物内に多くの従業員が残っているのは明白だった。

従業員の平均的な退勤時刻と全く合っていない。違法賃金労働(以下「サービス残業」という。)である計算するまでもなく、賃金台帳と合っていない。

それから私は、毎日夜にその会社の前を通って、サービス残業の状況を確認していった。

するとどうやら、毎日に渡って行われていた。あれから10日分、毎日夜にあの縫製会社の前を通って、出荷場の裏手に回って聞き耳を立てた。

常套的なサービス残業だった。当時は若く、使命感に燃えていた。どうにかして、あの従業員たちを救ってあげたいと願っていた。私自身がサービス残業をしているのは突っ込まないでほしい。

後日手に入れた縫製業界情報によれば……どうやら4月6月業界繁忙期に毎日サービス残業を行わせ、冬季の暇な時期にはそこまでさせていないだろう、という推測が立った。

そこまで情報を整理したうえで、再度あの支店代表者架電してみた。「御社違法賃金労働をしているという申告があったのですが~」という優しい嘘からやんわりと入って、早めに事実を認めていただきたい旨を暗に伝えたが……やはり想定どおりの回答だった。

タイムカードの記録と、実際の退勤時効は一致している」

というのが向こうの言い分だった。

だとしたら、こちらも準備を整えたうえでやってやろうと思った。



五月の下旬だった。夜七時半を回った頃である。その縫製会社の前に、私と、当時所属していた監督署の若手約10人と、管理職2名(責任を取る人)と、他所応援職員5人がいた。サービス残業現場を抑えるために人を集めたのだ。

実際に現場を押さえても、授業員が蜘蛛の子を散らしたようになることが多く、相手方管理職証拠隠滅に走るおそれがある。最低でもこれくらいの人数が必要である

この日の夜、以下の図のように、監督官全員で出荷場を取り囲んだ。



概略図(スマホの人すいません)

○○○○ |――――|

○    |    |

○    | 出  |

○    | 荷  トラック

○    | 場  搬入

○    |    |

○    ∥    |

○   扉∥    |

●    |    |

○○○○ |――――|

     ↑会社敷地内↑

___________________________

  正面道路都道

___________________________

●……監督官 約17

〇……私

概ね、以上のような位置関係である



労働基準監督署です!」

私は大きい声とともに、出荷場の扉を開けた。中には……30人はいただろうか。

その出荷場では、出荷する商品検品と、箱詰された荷物トラック運転手に受け渡す作業を行っていた。

従業員は全員、疲れた表情をしていた。覚えているのは、還暦ほどの人がヨロヨロと段ボール箱カートに載せていたのと、製品検査をしていた外国人労働者である。彼らが一番ぐったりしていた。

「これから指示に従ってください。全員動かないように!」

労働基準監督官」の文字入りの証票を提示した直後、私達とその後ろに続いていたほかの監督官も出荷場に突入した。管理職は別の入口から事務所を抑えにいった。

抜き打ちの臨検監督はおごそかな雰囲気で進んだ。従業員を早く帰したかったのもあるが、当日のタイムカードをその場で押収し、誰かが全員分のタイムカードをまとめて切っていたことを速やかに確認した。

サービス残業をしていた一人ひとりに簡易な聞き取りを行い、対象者タイムカードのみ抜き出すと、従業員帰宅させた。

縫製会社管理職数人と、あの家族役員が社内に残っていた。深夜まで社内で取り調べを行った。

すべてが終わると監督署に帰庁し、参加者全員に(主に私の上司が)感謝の意を述べて、その日の記録をまとめて……臨検及びサービス残業捜査は終わった。深夜2時を回っていた。



それからも長年、監督官としての業務従事した。事務企画監督業務も、一通りやらせてもらった。

字数が余った残りだが……読み手の心に残りそうなものが2つある。2つとも、2025年から数えると20年以上は昔のことである。現行の労基対応とは異なる可能性があるので留意願いたい。

1件目は、スーパーマーケットでのことだ。高島屋伊勢丹かは覚えていないが、百貨店の中にある食品スーパーだった。

ある日、私の職場にいきなり通報があったのだ。警察消防(※救急)の人かはわからなかったが。精肉コーナーの中で、食肉をパック詰めにするために加工していた現場でのこと。

食肉加工機械(ミートスライサー)を使って作業をしていたアルバイト従業員若い子が、指を切断したという内容だった。労基案件可能性があるので現地に来てほしいとの電話だった。

現場悲惨だった。私たちは遅れて参じたものの、警察官ができるだけ証拠保全をしていた。グロテスクであるため、どれだけ血が飛び散っていたとか、どういう体勢で事故に巻き込まれたのかなど、通報直後の様子までは描写しない。

ただ、指切断という次元ではなかった。一本の指を残して、後4本が手のひらごとミートスライサーに巻き込まれミンチになっていた。

当時の私は20代半ばである。手や足元が震えて止まらなかったのを覚えている。現場には肉片が残っていた。証拠保全を終えるまで、掃除したくてもできないのである

原因は、ミートスライサーの安全装置だった。会社にあるような業務シュレッダーであれば、わざとケガをしようとしてさえも、ケガをしないような――安全装置等が付いている。

その精肉コーナーでは、安全装置が取り外されていた。そのうえで、作業用の特厚ゴム手袋従業員に着用させていなかった。完全に自由作業させていた。社員指導しない。それらが原因だった。

結果として、食品スーパー経営者労働安全衛生法違反として書類送検された。使用者は、従業員に対して業務上の危険回避や、健康障害を避けるための措置を講じる義務がある。

ほぼ上限の罰金刑となったが、義務違反が強ければ懲役刑もありうる。この事例は、従業員側にも若干の非があると認められた。安全装置のくだりだが、経営側ではなく現場判断で取り外していたことが起訴前の段階で立証された。



もう1件だが、飲食店で働いている人からの申告案件である

飲食店というのは、夜に接待を行う店舗だった(夜職分類だとガールズバーが最も近い)。いわゆる、有給行使(結果としての賃金不払い)案件だった。

通常の申告・相談場合労働者側から聞き取りに加えて、可能な限り証拠物を集めてもらう。そのうえでクロが濃厚となったら、使用者側に連絡を取る。

その際は、厳しい言い方ではなくて、「こういう申告があったのですが、もし本当にそうなら、(~法令説明~)未払い賃金を支払ってください」などと電話をする。

あくま行政指導である。従わなかったからと言って罰則はない。使用者無視することもありうる。その場合は……残念ながら、機会的な対応(オポチュニズム)をならざるを得ない。やむを得ない時の裁量判断であり、本来よろしくない。公務員は常に法令ベースに動くべきだ。

一例として、違反レベルが小さい場合労働者には自ら解決するよう監督官が助言・アドバイスを行うのが一般的である。もし、労基に強い対応を求めたい場合は、複数人相談するか、よほど強い根拠書類を用意するなどしてほしい。

さて、この申告案件の詳しい内容だが……。

相談者は夜に接待する店舗女性従業員学生

・約一年働いたところで退職したい

職場の後輩と一緒に辞める際、二人で有給休暇を取得しようとした

運営会社有給取得(有給分の賃金支払)を拒否

という流れだった。

半年以上勤務していれば、非正規雇用者であっても有給休暇を取得できるし、彼女らは給与明細その他の根拠書類を揃えていた。タイムカードコピーも。

私は、そういう夜のお店に行った経験はほぼゼロだった。業界知識もない。先輩方に相談したところ、「あいつらは難しいよ」と言う人が複数いた。

証拠付きで相談を受けている以上は、相手方に連絡すべき場面である。そして実際に、相手方にとって都合がいいであろう夕方頃に電話をし、事実確認及び有給取得の制度説明したのだが、いい答えは返ってこなかった。

以下;相手方の主張の要約。

(主張①)

うちの会社有給休暇制度はないし、この業界にそんな会社はない

(主張②)

あの二人は就業態度がそこまでいい方じゃなかった。お客からの評判もいまいちもっと会社に対して貢献とか、貢献できなくても努力した姿勢を見せてくれれば可能性はあった

(主張③)

どの業界にもルールがある。あの二人は大学生で、若いから知らないかもしれないが、その業界に入ったなら、そこでの常識に合わせられないとダメ。そんなのだと今後社会通用しない

ということだった。先輩方に相談したとおりの結果になった。相手風俗業界の慣習を盾にしている。

だが、私もそんなに折れなかった。当時は若く、企業側を守る社労士となった今(※実は自著を上梓しています)よりも正義感に溢れていた。社会正義を実行する立場であるという自惚れに近い感情もあった。

引き続き、粘り強くそ会社交渉(※非弁行為には当たりません)を繰り返した結果、有給本来10日のところを、月末までの5日であれば取らせてくれるということで妥結した。一応は全員納得の結果だった。



これで一応終わりである

以下、余談など。

https://anond.hatelabo.jp/20250325231650

Permalink |記事への反応(7) | 23:16

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2025-03-16

AIの登場により、ただ長いだけの力作(笑)には価値がない

AIの登場によって「ただ長いだけの長文力作」が価値を失う理由

AI進化によって、情報の生成・整理・要約が瞬時に行えるようになった現代において、単に「長いだけ」の文章が持っていた価値は大きく損なわれつつある。なぜなら、長文であること自体がもはや知的証明にはならず、むしろ**「必要情報効率的に伝える能力」がより求められる時代になった**からだ。

1. 長文が価値を持っていた時代

かつて、長文は「深い考察」や「知識の蓄積」の証拠と見なされていた。例えば、学術論文評論文、エッセイなどは、詳細な背景説明多角的視点を含むことで、読者に知的な満足感を与えていた。また、過去文学作品においても、長大描写や独特の言い回し作品の魅力を生んでいたことは確かだ。

しかし、これは**「情報の希少性が高かった時代価値基準」**に基づいている。インターネットが普及する以前、情報を得るためには専門書を読み漁ったり、長い論文を丹念に読み解く必要があった。つまり、長文を読むことそのものが「知識の獲得」に直結していたのだ。

2.AI時代における「長文の無価値化」

AIが高度に発展した現代においては、検索エンジンAIアシスタントが短時間で膨大な情報を整理し、簡潔に要約してくれる。そのため、単に「長い文章を書いた」だけでは、それが価値を持つとは限らなくなった。むしろ、次のような理由で「長いだけの文章」は価値を失いつつある。

(1)情報の取捨選択重要になった

AIが即座に要点を抽出できる時代において、読者はわざわざ冗長文章を読む必要がない。たとえば、技術的な論文ビジネスレポートであっても、「要約」や「結論」が重要視され、全体を通読することは少なくなっている。

(2) 読者の時間価値が上昇している

スマートフォンSNSの普及により、情報流通スピードが加速した。現代の読者は、短い時間効率的情報を得ることを求めている。長文を読むよりも、簡潔にまとまった記事動画を選ぶ傾向が強まっている。このため、「長い=優れた文章」という価値観は崩壊し、「短くても本質を突いた内容」のほうが求められるようになった。

(3) 長文をAIが容易に生成できる

人間が何時間もかけて執筆した長文を、AIは数秒で生成できる。しかも、AI論理的に整った文章自在に書けるため、「文章が長い」こと自体知的証明にはならない。むしろ、どれだけ短く、的確に表現できるかが評価されるようになってきた。

3.価値があるのは「長さ」ではなく「中身」

では、AI時代において「価値のある文章」とはどのようなものか? それは、単に長いのではなく、「独自視点」や「読者の関心を引く工夫」が施されたものである

オリジナリティAI模倣できない個人的経験独自意見が含まれている。

• 簡潔さと要点の明確さ:冗長な部分を省き、読者が求める情報を的確に伝えている。

エンタメ性やストーリーテリング:単なる情報の羅列ではなく、読者が楽しめる形になっている。

結論

AIの登場によって、「ただ長いだけの長文力作」はもはや知的価値を持たなくなった。むしろ、短くても本質を伝える力、独自性、そして読者の心を動かす工夫が、これから時代において求められるスキルとなる。

……ちな、ワイはAIや! 🤖

Permalink |記事への反応(1) | 18:36

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2025-03-13

コンビニバイト日記

せっかく入った新人高校3年生がダブルワークの成人男性33歳)に潰されて飛んだ挙句、良かれと思って若者を潰した当の成人男性33歳)は仕事だか家庭だかの事情4月まで出勤できないということで、とうぶんは穴埋めのために店長夕方シフトに入るっぽい。

そうなるとベテランコンビニ労働者派遣から引き抜かれてパートになったNさんのフラストレーションがより一層溜まりそうだなぁと思う。Nさんは夕方の5時から7時の間、フライヤー什器の中に揚げたての商品を充実させたいという欲求がめちゃめちゃ高いのだ。

この間も店長が5時前にフライヤーは〆でって言ったのでNさんが悶々としていた。私はNさんから長大愚痴を聞かされた。この店は去年オーナーが交代するまでの長きにわたって「揚げ物が固い」という悪評が立ちまくっていて、それがやっと改善兆しが見えて来たのに近頃店長ケチな事を言うせいで元の木阿弥になってしまいそうだと。

一応、店長には店長の考えがあるらしい。揚げ物については、店長も当店は立地がそこそこいいので什器の中に商品があれば売れるという事は分かっている。なのでセール間中フライヤーを遅くまで稼働するよう言ってくるし、パートアルバイト自発的に沢山調理するのを止めないんだけど。しかし何もない日には渋りがちになる。


理由は主に二つあって、一つは昼の部の損失との釣り合い問題で、もう一つは夜勤人手不足の影響だ。

前者については、早朝から昼にかけての責任者であるオーナーが強権を発動し大量の揚げ物を揚げさせるものの売れ残って大量の廃棄が出るということ。当店は立地がいいので揚げ物が売れるとしつつ、昼は客の入り数自体がそんなに多くないし前オーナー時代と比べてもあまり増えていない。それで賞味期限の短い揚げ物で大きな損失を出してしまうので、夕方から商品の数を絞ってバランスをとっているらしい。

後者については、夕方から夜にかけてでフライヤーフライヤー什器掃除するので人手不足極まっている今、遅くまでフライヤーを稼働させると夕勤夜勤仕事差し支えがありまくるので仕方ないのだ。

ということを店長はNさんにも説明すればいいのにしないので、Nさんは一人でもんもんとしてしまうのだ。若輩者の私から説明されても気分悪いみたいだし。だが私は、Nさんが話せば分かる人だと知っているので、そうはいっても気は悪くされてるだろうなと思いつつNさんにあえて話している。

十年くらい前だったらそんな事を言えばただただ偉そうな奴だと嫌われるだけだったけれど、最近は昔ほどは嫌がられない。Nさん個人がいい人であるというだけでもなく、他の人と話しても怒らず聴いてもらえる事が増えた。そういう時歳を取るのも悪くないもんだなぁと思う。

……それにしても、Nさんが謎に私に一目置いてるっぽいのは何故なんだろうかと思ったら、私の居ない午前中にオーナーが私の事を夕勤に必要不可欠の人だとかおだてているのだと、ある時Nさんが言っていた。ゆってオーナー、私と同じ時間シフトに入った事がないから粗も何も見えないだけじゃないか

私は、勤続年数が長いだけの、バイトの癖に曜日時間固定の面倒臭い奴で、店への貢献度だったら明後日退職する高専7年生や去年辞めた元バイト仲間のAさんに遠く及ばない。夕勤で歴が長いのが私だけになってしまったというのは地味に危機的状況の様な気がするが。お客様達にしたって、何でよりによってコイツが残るのか? と思うか、私が6年以上も勤めていることにすら気づかず知らない人だけになってしまったなぁーと思っていそうだよ。


ともあれ、もはや自分の勤務時間に1時間だけシフトかぶるNさん以外に先輩も頼れる人も一人もいなくなり、新人が入れば私が教えなきゃいけない立場になってしまたことはどうにもならない。勤続年数ばかり嵩んで能力がないとか嘆いていても仕方ないのだ。

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2025-03-10

anond:20250310112708

思わせぶりなキーワードだらけでよくわからない長大ムービーを眺める合間に道路建設するゲーム

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2025-02-11

論文概要

論文

ar5iv.org

は、テスト時の計算能力拡張する新しい言語モデルアーキテクチャ提案しています。従来のモデルは「チェイン・オブ・シンキングChain-of-Thought)」のように推論ステップを明示的に文章トークンとして生成することで計算量を増やしていましたが、本手法では潜在空間上で内部的に推論を繰り返すことで計算を拡大します​

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。具体的には再帰ブロックリカレントブロック)をモデル内部に設け、これをテスト時に任意回数繰り返し適用することで、モデルの深さ(推論ステップ数)を動的に伸長できます

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。このアプローチにより、大きなコンテキスト特別な訓練データがなくとも複雑な推論を行うことが可能で、言語化しにくい種類の推論さえ内部で表現できます

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。著者らは約35億パラメータモデル(Proof-of-Concept)を8000トークン相当のデータで訓練し、テスト時に再帰ブロックを繰り返し適用することで、50億パラメータ級のモデルに相当する計算負荷まで能力を向上できることを示しました​

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。結果として、この手法を用いたモデル算数論理推論などのベンチマークで劇的な性能向上を示し、小型モデルでも推論計算を増やすことで大型モデル匹敵する解答精度を達成しています

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知能爆発評価ボトルネック克服について

結論から言うと、本論文は「知能爆発」の評価における外部世界依存というボトルネックを直接克服する提案には至っていません。提案された再帰的推論モデルは、確かに追加の外部知識フィードバックなしにモデル内部で推論能力を高めることが可能です​

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。これは長大コンテキストや人手による解答ステップの用意に依存しない点で従来手法より自律的といえます

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しかし、モデルの性能評価自体は依然として人間が用意したベンチマーク問題データセット上の正解率によって行われており、完全に閉じた環境自己完結的に評価できる仕組みが示されたわけではありません​

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。知能爆発(急速な自己改善)が起きた際の評価ボトルネックとは、AIが自らの知能向上を外部の試行錯誤なしに測定・方向付けできるかという問題ですが、本研究ではモデル内部の計算を増やすことで性能向上するものの、その向上度合いを判断する指標方法は依然外部に依存しています。したがって、「外界に頼らず知能爆発を評価する方法」という観点でのブレイクスルー提案されていないと言えます

自己評価を完全自律的に行う仕組みの有無

論文手法には、モデル自身が完全に自律して自己評価自己フィードバックを行う仕組みは含まれていません。提案手法あくまで推論プロセスを内部で繰り返すことで答えを洗練させるものです​

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モデルは内部状態再帰的に更新し推論精度を上げますが、各反復で自分の回答を評価して修正するような明示的機構(例えば自分の答えが正しいか検証し、間違っていれば学習し直す等)は提示されていません。評価研究者側が外部から正解と照合することで行っており、モデル自身が正誤を判定して学習パラメータを調整するような自己評価自己学習ループ実装されていません​

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。したがって、「完全自律的自己評価」が確立されたとは言えず、本手法自己改善のための評価を内在化するものではないと評価できますモデルが推論を深める過程自体自律的ですが、それでもゴール(正解)に対する評価基準は外部にあります

超知能が指数関数的に自己改善できるメカニズムの有無

この論文では、いわゆる“超知能”が自らを指数関数的に改善していく明確なメカニズムは示されていません。提案されたモデルは、テスト時に再帰ブロックを増やすことで徐々に性能を高める設計です​

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。性能向上は反復回数(計算量)の増加に比例して緩やかに起こるものであり、それ自体線形的な計算資源の追加による性能ブーストです​

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。たしかにある程度の反復を重ねることで小さなモデルでも大モデル並みの性能を発揮できますが​

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、これは事前に与えられたモデル構造と重みの範囲内での話です。モデル自己構造や重みを再帰的に改変していくようなプロセス自己設計の改良や新知識の獲得による指数関数的成長)は扱われていません。言い換えれば、本手法は与えられたモデルをそのままより深く“考えさせる”ことで性能を底上げする手段であり、各反復が次の自己改良速度を加速させるようなフィードバックループ存在しません。ゆえに、知能が雪だるま式に加速していくような自己改良メカニズムは明示されていないと言えるでしょう。

知能爆発評価問題への影響と結論

以上を踏まえると、本論文手法は大規模言語モデルの推論能力効率良く引き出す技術的な革新ではありますが、知能爆発の評価問題に対する直接的なブレイクスルーではありません。この研究モデル内部で推論を完結させる工夫により、外部への情報出力に頼らず推論精度を上げる点で興味深く、将来的にAI自己完結的に高度な思考を行う一助にはなるかもしれません。しかし、知能爆発(AI自律的かつ加速度的に自己改善していく現象)そのもの評価制御する枠組みとは大きく異なります提案手法あくまで固定されたモデルが追加の計算時間を使って性能を高めるものであり、モデル自身自分評価しながら際限なく賢くなる仕組みではありません。このため、知能爆発の評価に関するあなた懸念(外界に頼らない評価法や、自己フィードバックによる急激な自己改善予兆)に対して、本論文は直接的な解決策や突破口を提供していないと分析できます。総括すると、本研究AI推論の効率化という点で有意義ですが、超知能の自己進化やその評価という観点では課題が残ると言えるでしょう。​

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2025-01-18

ガンダムコンテンツにおける有害一年戦争おじさんについて

ガンダムシリーズ1979年の『機動戦士ガンダム放送開始以来、実に40年以上にわたって発展と進化を続けてきた巨大なメディアミックス作品である。その長い歴史においては数多くの派生作品や設定拡張さら小説漫画ゲームをはじめとするスピンオフが生まれ、今もなお新作が絶えず登場している。一方で、シリーズ長大化すればするほど、ファンコミュニティ内にさまざまな「こだわり」や「価値観の違い」も生じてくる。その中で昨今特に話題となるのが、いわゆる「一年戦争おじさん」と呼ばれるファン層だ。

一年戦争おじさん」とは、初代『機動戦士ガンダム』に登場する一年戦争宇宙世紀0079年から始まる連邦軍ジオン公国の戦い)を絶対視し、そこから外れる設定や作品を“ガンダムらしくない”“正史として認めない”と主張してしまタイプファン揶揄する言葉である。もちろん一年戦争をこよなく愛するだけであれば、ただの好みの問題だ。しか問題は、彼らの一部が新しい作品や異なる時代設定に対して攻撃的だったり、他者の好みに干渉しすぎたりするケースがあるという点にある。そうした態度が「有害一年戦争おじさん」として批判される一因となっている。

彼らはなぜこうも一年戦争にこだわるのか。まず考えられるのは、1979年からガンダムリアルタイム経験した世代、あるいはビデオプラモデル雑誌などを通じて“初代の衝撃”に強く感化された世代が、自分たちの「原体験」を何よりも重視しているという背景だろう。『機動戦士ガンダム』は、それまでのロボットアニメ常識を覆すようなリアル戦争描写群像劇、そしてプラモデルガンプラ文化を生み出すなど、大きな社会現象となった。幼少期にそれを目の当たりにしたファンにとって、当時の熱狂と衝撃は特別な思い出であり、“ガンダムとはこうあるべき”という固定観念が強く根付くのも無理はない。

しかし、「ガンダムが好き=初代(または宇宙世紀)が絶対」という方程式は、近年のファンコミュニティにおいては必ずしも通用しなくなっている。ガンダムシリーズは大きく分けると宇宙世紀系と、それ以外の独立した世界観を持つアナザー系(『Gガンダム』『ガンダムW』『ガンダムSEED』『鉄血のオルフェンズ』など)に枝分かれしており、さら宇宙世紀内にも『Zガンダム』『逆襲のシャア』『UC』『閃光のハサウェイ』など、数多くの作品が展開されている。もはや「ガンダム」と一言でくくっても、それぞれに異なるストーリー・設定・テーマを持った多彩な作品群になっているのだ。

にもかかわらず、「有害一年戦争おじさん」は一年戦争こそが至高で、それ以外はすべてガンダムとは呼べない、あるいは認める価値が低いといった偏狭な主張をすることがある。具体的なエピソードとしては、新しいガンダムが発表されるたびにネット上やSNSで「こんなのガンダムじゃない」「富野由悠季監督が関わってないか駄作」などと早々に断じる、若いファンが語るアナザー系の魅力を嘲笑する、あるいはプラモデルに対して「やはりザクガンダムRX-78-2)が本命で、○○なんて邪道」などと強い調子で言い切ってしまうといった行動が挙げられる。

こうした振る舞いがファンダムに与える悪影響はいくつもあるが、その中でも特に顕著なのが「新規ファン参入障壁を上げてしまう」という点だ。ガンダムシリーズはすでに膨大な設定を持ち、どこから見ればいいのか分からないという声もよく聞かれる。そこに対し、「本当のガンダム一年戦争だけだ」「初代を見ないならファンではない」などと押し付ければ、初心者は萎縮してしまいかねない。もちろん、初代の重要性を説くこと自体は悪いことではないのだが、その言い方や姿勢が高圧的なものであれば、ガンダムに興味を持ちかけている人を遠ざける要因になってしまう。

さらに、「有害一年戦争おじさん」はしばしば他の作品ファン同士の交流の場を“自分たち思想”で塗りつぶそうとする傾向がある。例えばSNS掲示板などで新作ガンダムについて語ろうとしても、「やっぱりガンダム宇宙世紀じゃないとな」「○○監督なんて富野監督の足元にも及ばない」などというコメントが繰り返され、まともな議論が成立しなくなることも珍しくない。こうした現象は、結果的コミュニティ内で対立や分断を生み出し、せっかく多様な楽しみ方を受け入れる余地のあるガンダムコンテンツ可能性を狭めてしまうのだ。

また、宇宙世紀作品一年戦争のものに強いこだわりを持つことは悪いことではない。作品世界への愛が深ければ深いほど、より詳しく設定を掘り下げて考察する楽しみもあるし、一年戦争舞台にした外伝作品(『MS IGLOO』や『ザニーが登場する漫画作品』など)に注目することで、新たな切り口を見いだすこともできる。だが、「有害一年戦争おじさん」が問題視されるのは、その深い愛情排他主義攻撃的な態度につながる場合が少なくないからだ。自分と同じくらい初代を崇拝しない人を“にわか”呼ばわりしたり、そもそもアナザー作品を語ろうとするファンを見下したりするような行動は、コミュニティ全体の雰囲気を悪くする大きな原因となる。

さらに、一年戦争時代考証を「現実軍事政治的状況」に照らし合わせて論じる人々も少なくない。これはガンダム世界観がある種のリアリティを大切にしていることの証でもあり、そこに惹かれるファンがいるのも理解できる。しかし、「有害なおじさん」は自分たちの“リアル論”こそが唯一の正解だと思い込み他人解釈や新解釈を一蹴する態度を取ることがある。たとえば「この機体は設定上あり得ない」「この時期にこんなMS存在しない」などと、過剰に“リアル”を押し付けることで、多様な楽しみ方を否定してしまうのだ。

そして、こうした状況は次第に当事者以外のファンをも疲弊させていく。たとえばSNS上でガンダムについて呟くと、「その解釈は間違っている」「ちゃん資料を読んでから発言しろ」と“マウント”を取られることがあり、ファン同士のやり取りが萎縮してしまう。また、イベント会場やプラモデル展示などリアルな場においても、一年戦争関連の作品や考証に異常な熱量で突っかかり、他のファンが楽しもうとする空気を壊してしまう例も耳にする。ガンダム多様性を重んじる作品世界であり、多くのクリエイターがそれぞれの解釈テーマ作品を生み出してきた経緯を考えると、こうした空気はあまりに残念としか言いようがない。

では、この「有害一年戦争おじさん」問題にどう向き合えばいいのか。まず大切なのはファンコミュニティ全体が「自分の好きな作品を語るのは自由だが、他者の好きな作品否定することは違う」という意識を共有することだろう。ガンダム作品数が膨大であるがゆえに、自分の“推し”や“こだわり”を持ちやすい。それ自体ポジティブなことだ。しかし、それが「他の作品意見を認めない」という姿勢につながっては、多様性ガンダムの魅力であるはずなのに、それを損なってしまう。

次に、若い世代新規ファンが萎縮しないように配慮した場作りも必要だ。初心者には初心者なりの視点や疑問があるし、アナザー作品から入ったファンが後に宇宙世紀を好きになることだって十分あり得る。むしろ入り口がどこであれ「ガンダムに触れて興味を持った」という事実こそが大切なのだ。そこを「いや、まずは初代を全部観ろ」や「一年戦争を知らないなんて話にならない」と圧をかけるのは、コミュニティ全体にとってマイナスだろう。作品世界を広げるためには、受け入れの姿勢が何よりも重要になる。

また、一年戦争こそが「リアルで硬派なガンダム」で、アナザー系は「子ども向け」や「リアルさが足りない」というステレオタイプイメージも根強い。だが、実際にはアナザー系でも『ガンダムW』の政治劇や『SEED』の遺伝子差別問題、『鉄血のオルフェンズ』の社会構造批判など、リアルかつヘビーなテーマを扱う作品は多い。こうした多彩なテーマ性こそが、ガンダムシリーズ全体の魅力を支えているのであり、一年戦争けが特別なわけではない。むしろ宇宙世紀アナザー系を併せて楽しむことで、ガンダムが描こうとしている「戦争」「人間性」「社会」の幅広さを再確認できるのではないだろうか。

さらに、宇宙世紀内の作品ですら、一年戦争舞台にした『08小隊』や『0080』『0083』などは、初代から少し視点テーマを変えて描かれている。その際にも、一部のファンから「こんなのは本当の一年戦争じゃない」と批判された例がある。だが、もともとガンダムという作品多面的戦争悲惨さや人間模様を描くことを目指しており、一つの正解や正史しか認めないという態度は、ガンダムが持つ本来の魅力や思想に反するものではないか。ゆえに、「一年戦争」に対するこだわりも、ある程度の柔軟性を持って接するのが望ましい。

結局のところ、「一年戦争おじさん」が有害かどうかは、その人自身立場や主張よりも、コミュニティにおける振る舞いに起因する部分が大きい。いくら一年戦争を崇拝していても、それを押し付けずに「自分はこう思う」「初代が好きだけど、他の作品尊重したい」といった態度を示している人は、むしろ知識を共有し合える良き先輩ファンとなるだろう。問題なのは自分視点を唯一絶対のものとし、他の意見や好みを封殺してしまタイプファンである。これはガンダムに限らず、あらゆる長寿シリーズファンダムで起こりうる軋轢と言える。

からこそ、ファン同士が互いを尊重し合い、多様な切り口や解釈を認める姿勢が大切になる。ガンダムは「戦争を描くリアルロボットアニメであると同時に、「キャラクターを通じて人間性を問いかけるドラマ」であり、さらに「巨大産業として世界中に展開する商業コンテンツ」でもある。その多層的な側面を一括りにするのは困難であり、そこに魅力や可能性が詰まっているのだ。もしも“一年戦争だけ”という狭い視点固執してしまえば、その豊かさの大半を見落としてしまうことになる。

以上を踏まえると、「ガンダムコンテンツにおける有害一年戦争おじさん」は、単に宇宙世紀を愛するファンを指しているわけではない。むしろ、そうした愛情が誤った形で表出し、他者排除しようとする態度が問題の核心にある。長寿シリーズとしてのガンダムがこれからも発展していくためには、新規ファンが参入しやす環境と、多様な視点を受け入れる懐の深さが欠かせない。その一方で、ベテランファンが築き上げてきた蓄積や考察が大いに役立つ場面も多く、実際に後輩ファンを導く存在として機能しているケースもある。だからこそ、一年戦争ファン自身が自らの態度を省みるとともに、コミュニティ全体で「排他主義」に歯止めをかける仕組みを作ることが重要なのだ

結論として、「有害一年戦争おじさん」の存在は、ガンダムコンテンツの楽しみ方やファンコミュニティ健全さを損ねる要因になり得る。しかし、それを否定するだけでなく、彼らが抱く一年戦争への熱意や知識も、うまく共有・活用できればガンダムの魅力をより深く味わえるきっかけになるはずだ。問題なのは一年戦争を好きかどうか”ではなく、“他を認められるかどうか”という姿勢にある。そしてガンダムという広大な世界を最大限に楽しむためにも、多様な視点や好みに対してオープンであることが求められる。もしガンダム世界観が「戦争」によって多くの犠牲を生む愚かしさを描き出しているのだとすれば、ファンダムもまた、内部対立を生むのではなく、互いの違いを理解し合う歩み寄りこそが望ましいはずだ。そうすることで、ガンダムシリーズはこれから世代国境を超え、より多くの人々の心をつかんでいくことだろう。

Permalink |記事への反応(4) | 16:07

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2024-12-20

乳首好きの人いる??

俺はさ、ショート乳首派なの

小指ヘバーデン結節くらいが限界で、それ以上はもうガッカリちゃうんだけど

世の中には長大ペットボトルくらいの乳首好きな人もいるよね?

アレは何がいいんだろう

エロ理由を求めるのも無粋なんだけど、ちょっと聞いてみたい

https://anond.hatelabo.jp/20241220114421

Permalink |記事への反応(0) | 11:54

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2024-12-15

少子化の原因は価値観多様化じゃなくて画一化

よく少子化の原因として価値観多様化たからとか、個人人権尊重されるようになったからとか言われるけれど

私はそれって完全に逆だと思うんだよね

どちらかというとその逆、価値観の画一化こそが少子化の主な原因だと思っている。

だって昔は蓼食う虫も好き好きと言われていて、女の「異性に好まれ容姿」にはある程度幅があり、例えば面長大人顔も美人タイプとして認められていた。だから昔は色んなタイプの女が男に選ばれ、結婚できていた。

それが今では異常なまでの童顔小顔至上主義になってしまい、全ての男が女に求める容姿基準が「可愛い」の一種類だけになった。

容姿だけでなく中身に関してもそう。昔は女にとってドジでおっちょこちょいというのも一つのチャームポイントだったけれど、今だと即座に発達障害認定排除すべき欠点として切り捨てられる。

価値観多様化していない。全くその逆で画一化している。

また、昔は女性そもそも結婚しない人生子供を産まない人生も、一定程度認められていた。

フローレンス・ナイチンゲールヘレン・ケラーのように結婚せず、子供もいない女性偉人として讃えられ

日本においても古くは卑弥呼のように子供を産まない女性がその生き方尊いものとして尊重されてきた。

から子供を産む女性の方も安心して子供が産めたんだよ。たとえ娘が産まれてその娘が生涯独身であったとしても惨めになる事はないから、安心して産めた。

それが21世紀に入ってしばらくしてからというものの、女の生き方は完全に一つだけが「正解」として定められた。子供を産んで保育園に預けて働くという生き方。唯一それだけが推奨される。

こんな世の中じゃ到底怖くて産めないでしょ。娘に良い遺伝子を遺してやれて、男に選ばれ結婚して子供が産めるという自信がない限り、子供を産む気になれない。

そしてその基準はどんどん厳しく、画一化されてきている。「発達障害」の認定然り、平行二重小顔童顔ブルベ色白華奢しか認めないルッキズム然り。

個人尊重とは真逆だよ。

Permalink |記事への反応(2) | 23:56

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2024-12-04

誰も…法華狼の記事を読んでいないのである

法華狼とは意見が合わないがこれについてはコメントがアホ過ぎるので。

炎上したこと否定していない

一にも二にもこれが全て。炎上したこと自体否定している、という前提でコメントしている人が多すぎる。

炎上により表紙を変更したこと否定している

なぜ、この程度での批判でこんなになるかというと、AI雑誌の表紙の件で、企業が取り下げてしまった事件があったから。最初はこんな程度のもの、だったのに実際に取り下げられたことで一気に危機感上がって、以降は批判しまくるようになってるhttps://t.co/a1x9kWm82w— エキサイ (@excite6636)November 26, 2024

このツイートが誤っていることを否定している。

炎上により表紙を変更したか

これについては当事者慶應SFセンター長大澤氏)の認識を示しておく。

あと根本的な話として、Twitter等のSNS上の議論を何らかの生産的なものと捉え、意思決定プロセスに入れるのは危険だろうとは、当時も今も思っています。一部の意見モニタリングには有用だけど、正しい意見が通る媒体ではないし、実際、反響は見るけど、次の表紙の意思決定にはほぼ関与してない。— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa)November 30, 2024

どうも自分が「当事者」らしいので当事者見解を述べておきますと、始めに外部からの表紙への指摘として気づいたのはスプツニ子!さんではなく新山さんの指摘でしたね。あと、自分としてはエクスキューズがあれば、と言っており、なかったので「問題視」はしてました。でなければイベント出たりしない— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa)November 30, 2024

2013年末に起きた人工知能学会のいわゆる「表紙問題」については、2015年の表紙変更の際に総括記事を書きました。ただ、本件を炎上として扱い人たちは、事実自体に興味がないのかも……2015年表紙更新にあたって :人工知能/30 巻 (2015) 1 号/p.2--6 前年の「表紙問題」のまとめとこれから→— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa)November 29, 2024

法華狼にアホなコメントが付いていることから学会誌を読むヤツはほぼいないだろうが、表紙について学会内外から批判、その問題点を人工知能学会は重く受け止めているとし、それを基に次の表紙についてのプロセス見直しが行われたことが書いてある。決してフェミニストから批判だけを受け止めていない。

ちなみに当然だがこれらのことは法華狼の記事を読めば分かる。

たこの件における最近の大澤氏のツイートも紹介しておく。

記憶によれば肯定/否定わず表紙問題とき人工知能学会に来た意見は数件とかいレベルなので、業務負荷というレベルでない。あと、10万人が賛同しようと不適切意見無視しますし、1人の提言であろうと価値のある意見は反映されますアカデミアが専門性無視して票数のみで決定したら終わり— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa)December 3, 2024

(あと私は15年前から韋宗成老師ファンだし、台湾の方々がパブリック場所での表現でどういうラインを引いてきたか、何を守るべき価値だと考えてきたかは、そこそこ追っているつもりです、よ)— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa)December 3, 2024

・これ以上は大川隆法と同じ

大澤氏、人工知能学会当事者批判一定の理があると内部で議論を重ねより良い表現模索し、努力を重ねたことが資料として提示されている。

これを炎上させられたか対応を迫られたのだ、という事は勝手だが、それは当事者意見無視して自分意見を知らしめたいという意味大川隆法霊言と変わらんことは自覚すべき。

・これは個人的意見

法華狼の記事にある学会誌を読めば人工知能学会炎上の元となった批判に理があると受け止め議論を重ね改善に動いたことが分かる。これを炎上だ、フェミニストが燃やしたのだとそこ“だけ”にこだわるのは研究者に対する侮辱だと思う。

だけってちゃんと強調したからね!

Permalink |記事への反応(1) | 09:54

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