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・05 [3択](3) 番
・06ズブロッカ
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・08 [すべて]インドネシアマレーシアフィリピンシンガポールタイ
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・21オイル)サーディン
・26 [AC3]パパ
・27岩井
・29柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ
・32e 総務 省
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14:30からは「蛍原徹の真剣ゴルフ部! ホトオープン #176」
(26日日曜日)
山形県酒田市の住宅街にある寺の本堂の床下にクマが居座る 警察と猟友会が箱わな設置
6月3日、山形県酒田市の市街地にある寺にクマが出没し、一夜明けた4日も建物の床下に居座っていると見られ警察が警戒に当たっています。
酒田警察署によりますと3日午後8時15分ごろ酒田市若竹町2丁目の寺院・法輪寺で本堂の床下にクマ1頭が出入りしていると寺の関係者から110番通報がありました。
通報を受けて出動した警察が調べたところ寺の防犯カメラの映像にはクマが建物の床下に入る様子が映っていたということです。
床下の出入り口は1か所で映像ではクマが最後に入った後出てくる様子は確認されず4日正午現在も床下に居座っていると見られています。
現場は、酒田市役所の南およそ1.5キロの住宅地で近くには学校や病院などがあります。
そのため、警察は昨夜からけさにかけて床下の出入り口を盾で塞いだほか、4日午前6時すぎに地元猟友会が箱わなを設置しました。
酒田市の寺の本堂の床下 クマが居座って19時間 箱わな設置も入らず 出入り口はふさぐ
酒田市の市街地にある寺に3日夜、クマが出没しました。1日近く経つ4日17時現在も建物の床下に居座っているとみられ警察などが警戒に当たっています。
酒田警察署によりますと、3日午後8時15分ごろ、酒田市若竹町2丁目の寺院・法輪寺で本堂の床下にクマ1頭が出入りしていると寺の関係者から110番通報がありました。
通報を受けて出動した警察が調べたところ、寺の防犯カメラの映像にはクマが建物の床下に入る様子が映っていたということです。
床下の出入り口は1か所で、映像ではクマが最後に入った後出てくる様子は確認されず現在も床下に居座っているとみられています。
酒田市危機管理課担当者「いまお寺の床下にクマが逃げ込んでそこにまだ入っていると思われる状況で入口を仮にふさいでクマの出方を注視するという状況です」
近所の人は「えっ、入れないの?クマは不安だけどお家に帰りたい」
現場は、酒田市役所の南およそ1.5キロの住宅地で、近くには飲食店や銀行、病院などもあります。警察は3日夜から4日朝にかけて床下の出入り口を盾で塞いだほか、午前6時半すぎに地元猟友会が箱わなを設置しました。これまでのところ人や物への被害は確認されていません。
現場から1~2キロの場所には小学校2校と中学校1校があり、可能な限り保護者の車や付き添いでの登校が呼びかけられました。授業はそれぞれ通常通り行われ、下校についても集団下校などの措置が取られたということです。
酒田市立亀ヶ崎小学校 佐藤寿尚校長「パトカーが4~5台巡回してくれているので安心しています。早く状況が改善すればいいなと思います。まず子どもたちの安全を最優先に考えて対応していきたいと思います。」
市の対策本部は寺の本堂の床下からクマが逃げ出さないよう、丈夫な角材や板などを組んですき間をふさぎクマが箱わなに入るのを待つ方針です。
https://news.ntv.co.jp/n/ybc/category/society/yb970e9b699365410091958962362bc637
山形県酒田市の寺の本堂床下にで3日夜から居座るクマ 箱わな設置も捕獲に至らず
山形県酒田市の市街地にある寺の床下に3日夜から居座っているクマは、5日朝になっても捕獲にはいたらず、警察などが引き続き警戒に当たっています。
クマが居座っているのは、山形県酒田市若竹町2丁目の寺院、法輪寺です。
3日夜から本堂の床下にクマ1頭が入り込んでいて、床下の出入り口には4日あさ、ハチミツやリンゴなどのエサの入った箱わなが仕掛けられましたが、5日正午現在も、捕獲にはいたっていません。
現場に近い小学校2校と中学校1校は、5日朝も可能な限り保護者の車や付き添いでの登校が呼びかけられ集団登校なども行われました。
授業はそれぞれ通常通り行われています。
酒田市立亀ヶ崎小学校佐藤寿尚校長「地域の皆さん家庭の皆さんからご理解ご協力いただいてありがたいと思っていますし学校として子どもたちの安全を第一に考えて対応したい。」
寺の本堂の床下はクマが逃げ出さないよう、丈夫な板や土のうなどを組んですき間をふさいであるため、市の対策本部は引き続きクマが箱わなに入るのを待つ方針です。
https://news.ntv.co.jp/n/ybc/category/society/yb928032618f6946a59a8f61846d9f7d04
酒田市の市街地にある寺の床下に3日夜から居座っているクマは、5日夕方になっても捕獲には至っていません。
クマが居座っているのは、酒田市若竹町2丁目の寺院、法輪寺で、3日夜から本堂の床下にクマ1頭が入り込んでいます。床下の出入り口には4日朝、ハチミツやリンゴなどのエサの入った箱わなが仕掛けられましたが、5日午後6時現在も、捕獲には至っていません。
酒田市 平井雅史危機管理監(箱わなの現状は?)「現状は変化なしです」
現場に近い小学校2校と中学校1校では、授業はそれぞれ通常通り行われ、放課後は4日に続き集団下校の対応が取られました。
付き添いの保護者「ちょっと不安は不安ですね。子どもたちがうちはまだ小さいので、とても。夜もうちでイヌを飼っていますがイヌが吠えるともしかいたらクマが出てきたんじゃないかと思ったりして。早く捕まってほしいというか山に帰ってほしい」
寺の本堂の床下はクマが逃げ出さないよう、丈夫な板や土のうなどを組んですき間をふさいであるため、市の対策本部は引き続き、クマが箱わなに入るのを待つ方針です。
https://news.ntv.co.jp/n/ybc/category/society/yb0b3396a6a0974ff78645942e653163f0
酒田市の寺に居座るクマ 箱わなのエサだけとって食べたか 24時間態勢の監視続く
山形県酒田市の市街地にある寺の床下に3日の夜から居座っているクマは、居座りから3日目となった6日も捕獲に至っていません。現場近くの人たちは不安を抱えた状態が続いてます。
クマ1頭が居座っているのは、酒田市若竹町2丁目の寺院、法輪寺です。クマは3日の夜から本堂の床下に入り込んだままの状態です。
床下の出入り口には4日朝、ハチミツやリンゴなどのエサの入った箱わなが仕掛けられましたが、6日午前11時現在も捕獲には至っておらず警察と酒田市は24時間態勢で監視を続けています。
近所の人は「みんな今は家の中にいるようであまり人とは会わない。買い物行く時もちょっと行く。(クマが)怖いから家から出ないのではないか。早く出て来てくれることを祈っている。何事も無く」
現場に近い小学校2校と中学校1校では、6日も保護者の車や付き添いによる登校が行われました。授業はそれぞれ通常通り行われています。
付き添いの保護者「(子どもを)保育園に送って小学校に送って2か所送迎している。早く捕まってくれると安心する」
市の対策本部は引き続き、クマが箱わなに入るのを待って麻酔銃などの使用を検討する方針です。
news.ntv.co.jp/n/ybc/category/society/ybead74ec8cff848179cf8cfc181ed0c00
酒田市の寺に居座るクマ 箱わなのエサだけとって食べたか 24時間態勢の監視続く
酒田市の市街地にある寺の床下に6月3日の夜から居座り続けているクマは、6日も捕獲に至っていません。酒田市によりますと箱わなに仕掛けたエサが全部食べられていたことが確認されたということです。
クマ1頭が居座り続けているのは、酒田市若竹町2丁目の寺院、法輪寺です。クマは6月3日の夜から本堂の床下に入り込だままの状態です。床下の出入り口には4日の朝、リンゴとハチミツを入れた箱わなが仕掛けられました。
酒田市によりますとこの箱わなのなかにエサとして入れていたリンゴとハチミツが5日の夕方にはすべて食べられていたことが確認されたということです。箱わなはクマが入ると入口が閉まる仕掛けになっていてクマが中に入らずにエサだけをとったとみられています。
その後、新たにハチミツを箱わなに仕掛け、6日は食べられた形跡は確認されていません。クマは現在も捕獲されておらず警察と酒田市は24時間態勢で監視を続けています。
近所の人は「みんな今は家の中にいるようであまり人とは会わない。買い物行く時もちょっと行く。クマが怖いから家から出ないのではないか。早く出て来てくれることを祈っている。何事も無く」
現場近くの小学校2校と中学校1校では、6日も、保護者の車や付き添いによる登校が実施されました。授業はそれぞれ通常通り行われています。
付き添いの保護者「子どもを保育園に送って小学校に送って2か所送迎している。早く捕まってくれると安心する」
酒田市の対策本部は引き続き、クマが箱わなに入るのを待って麻酔銃などの使用を検討する方針です。
https://news.ntv.co.jp/n/ybc/category/society/ybead74ec8cff848179cf8cfc181ed0c00
山形県酒田市の寺の床下に3日から居座っているクマ 7日夕方になっても捕獲できず
山形県酒田市の市街地にある寺の床下に6月3日の夜から居座り続けているクマは、7日も捕獲されませんでした。警察と酒田市は24時間態勢で監視を続けています。
クマ1頭が居座り続けているのは、山形県酒田市若竹町2丁目の寺院、法輪寺です。
クマは6月3日の夜から本堂の床下に入り込んだままの状態です。
床下の出入り口には、4日の朝にハチミツなどを入れた箱わなが仕掛けられました。
箱わなは、クマが入ると入口が閉まる仕掛けになっていましたが最初のエサはクマが中に入らずにエサだけをとったとみられ捕獲できませんでした。
警察と酒田市は6日、新たにハチミツを箱わなに仕掛け直し監視を続けていますが、7日も食べられた形跡は確認されていないということです。
クマは7日夕方5時現在も捕獲されておらず警察と酒田市は24時間態勢で監視を続けています。
https://news.ntv.co.jp/n/ybc/category/society/yb927dc5f7b1004237af912f932ff2c4c9
市街地の寺に今月3日夜から居座りのクマ 8日も捕獲に至らず 市や警察の監視続く 山形・酒田市
山形県酒田市の市街地にある寺の床下に今月3日の夜から居座り続けているクマは、8日も捕獲に至っていません。市や警察は引き続き監視を行っています。
今月3日の夜からクマ1頭が居座り続けているのは、酒田市若竹町2丁目の寺院、法輪寺です。
クマは、本堂の床下に入り込んだままの状態で床下の出入り口には、4日の朝からハチミツなどを入れた箱わなが仕掛けられています。
これまでにクマは箱わなの中の餌を食べるなどしていますが、依然としてわなにはかかっておらず、8日も捕獲に至っていません。
寺の本堂の床下はクマが逃げ出さないよう、丈夫な板や土のうなどを組んですき間をふさいであるため、床下の外には逃げられないということです。
【速報】今月3日夜から酒田市の寺に居座りのクマようやく捕獲 9日早朝運び出される
酒田市若竹町2丁目の寺院・法輪寺の床下に3日夜から居座っていたクマは8日午後7時ごろ、猟友会が設置した箱わなに入ったことが確認されました。その後、9日早朝に捕獲作業が行われ、麻酔で眠らせて午前4時40分ごろ寺から運び出されました。
https://news.ntv.co.jp/n/ybc/category/society/yb131da99ef5d146aeadfb463c08affffa
山形県酒田市の中心部にある寺の本堂で、今月3日から床下に入り込んでいたクマは8日夜、わなにかかり、捕獲されて山に放されました。
今月3日の午後8時すぎ、酒田市若竹町の寺で「本堂の床下にクマが出入りする様子を防犯カメラで見た」と寺の関係者から警察に通報があり、警察などはクマが出られないように隙間をふさいだ上で、わなやバリケードなどを設置して警戒を続けていました。
市によりますと、クマは8日午後7時ごろ、わなにかかっているのが確認され、一夜明けた9日午前4時半ごろに獣医師が麻酔銃で眠らせた上で、運び出しました。
クマは体長96センチ、推定3歳のオスで、市はすでに住宅から離れた山に放したということです。
付近の小中学校では児童や生徒の登下校時、保護者に車で送迎してもらうなどの対応をとっていましたが、9日から通常に戻りました。
現場周辺の自治会の須田幸一会長は「子どもたちが外で遊べるようになってよかった。街なかでクマが出ると思わなかったため対策を考えていきたい」と話していました。
酒田市環境衛生課の佐藤傑課長は「クマがわなをかいくぐってエサを食べた様子も確認されたため、わながうまく作動するように検討していきたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/yamagata/20250609/6020024161.html
「ほっとした」…今月3日夜から市街地の寺に居座りのクマようやく捕獲 9日朝早く山に放される 山形・酒田市
酒田市の市街地にある寺の床下に今月3日夜から居座っていたクマは8日夜、ようやくわなにかかり、9日朝早く境内から運び出されました。
記者「今月3日から寺の本堂の床下に潜り込んでいたクマは、さきほど8日午後7時ころようやく捕獲されました」
酒田市によりますと、捕獲されたのは体長96センチ、体重32キロ、推定3歳の雄のツキノワグマです。
クマは今月3日の夜、酒田市若竹町2丁目の法輪寺の本堂の床下に入り込みました。翌4日の朝、地元の猟友会が床下の出入り口にはちみつなどの餌を入れたドラム缶型の箱わなを設置。
クマは箱わなの中の餌を食べるなどしましたがわなにかからず、居座る状態が続いていました。
出没から5日経った8日午後7時ごろ、クマが餌を取ろうと箱わなに入ったところで手動でひもを引いて扉を閉め捕獲に成功しました。
酒田市環境衛生課・佐藤傑課長「(クマは)入った時から割と静かに隅っこにうずくまっていた」
クマは9日朝早く麻酔銃が撃たれ、眠ったことが確認された午前4時40分ごろ、箱わなごと寺の境内から運び出されました。
近所の人は「ほっとした。良かった。まずね。長かった。もうちょっとかかるかと。クマだって大変だったろう」
クマはこの後、人家などがない酒田市内の山間部に運ばれ、9日午前8時前に放されたということです。クマの捕獲を受けて近隣の小中学校は通常通りの登下校に戻っています。
https://news.ntv.co.jp/n/ybc/category/society/ybc86f8ee6b77040bd97e925a047653b14
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芝崎みゆき「イースター島不可思議大全:モアイと孤島のミステリー」
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タイモン・スクリーチ「大江戸異人往来」
北杜夫「楡家の人びと 第二部」
北杜夫「楡家の人びと 第三部」
何となく東アジアの歴史、特に第二次世界大戦ばかり読んでいる。小説も含めて。
テレビ朝日開局65周年記念『MUCA(ムカ)展 ICONS of UrbanArt ~バンクシーからカウズまで~』
「別冊日経サイエンス ホログラフィック宇宙 時空と重力の起源に迫る」
酉島伝法「隔世遺傳(かくりよいでん)『皆勤の徒』設定資料集」
スティーヴン・バクスター「〈ジーリー・クロニクル①〉プランク・ゼロ」
入江亜季「北北西に曇と往け」七巻
1000decillion「Morals under a pagoda I/II」(同人誌)
1000decillion「Morals under a pagoda III/IV」(同人誌)
「北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」
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中野京子「怖い絵」
1000decillion「Morals under a pagoda -Kama Sutra-」(同人誌)
1000decillion「Morals under a pagoda -Egypt-」(同人誌)
1000decillion「morals under a pagoda -Greece-」(同人誌)
毎年月ごとの上位三冊を選んでいるが、ある月の四位が別の月の二位を上回って面白いことがある。つまり当たりの多かった月だ。すべての本に対して星の数で評価すべきかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く
おしんの物語の根底を流れているのが、「恩」であり「仁義」であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語のハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。
おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしんは1901年、昭和天皇と同年に生まれた設定である。
そしておしんが生きた少女の時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治の回想シーンに時代を一気に2世代くらい遡るときのタイムトリップ感が半端ない。
1983年、おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的に大手スーパーへの並木の土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店の隠居の大旦那・並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである。
それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。
おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年、17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである。
おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどい。しかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語の類型のひとつで、一宿一飯の義理・人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人・やくざなどが主人公である。股旅物の元祖・長谷川伸は、その後の日本の小説や戯曲、そして映画やテレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である。明治が遠く過ぎさり、大衆が大正デモクラシーの自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である。
おしんは回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことなき股旅物である。しかし、おしんの物語の面白いところは、浪花節が陳腐化し、古臭いものになってしまった現代(1980年代)と交差している点である。
並木浩太とおしんの最初の出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋・加賀屋へ奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売のイロハから茶道・裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときくにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしんの人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命にうんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動の活動家・浩太と出会った。酒田に訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初の出会いである。おしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシーの時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動を先進的だと中身もわからず憧れていたのである。農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動にロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしんも小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋へ奉公へ行く決心をしたのである。いかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである。
ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京へ家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心は最初からおしんが好きだったのである。
おしんは加代の家出の理由を加賀屋に伝えることが忍びなく、おしんは加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしんを女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さらに実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働で健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠・長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。
一方、加代は、浩太の心がおしんにしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。
こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしんは東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結いの師匠・たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質な職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。
しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京で流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである。
大衆は身分から解放され、より自由な髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業や身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかはおしんに独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんがたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚の挨拶にたかを訪れたときの言葉である。その時、5人いたたかの弟子はついにたった一人だけになっていた。
田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんはたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代におしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である。
一方、田倉商店は開店休業状態に陥るほど経営が悪化していたが、おしんが髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たかに相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店の再生が進んで、おしんの洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災がおしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである。工場を火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀でゆっくり休みたか。おしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄の佐賀編がスタートすることになった。
さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしんは佐賀地獄からの脱出を心ひそかに誓い、東京の師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのである。たかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしんを絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。
こうしておしんの流転の人生が始まる。屋台出店から始まり、故郷の山形、酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重の伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである。佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである。
【キーワード:浩太の恩】
浩太の実家は貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢の実家、網元のひさの家であった。浩太は、流浪の人生を送るおしんを見かねて、伊勢で網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋、子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄、酒田の飯屋をやってきたおしん。めし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。
伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしんと魚屋をやる決意をしてくれ、おしんの人生は好転し始めていた。
一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代の苗字も変えなかった。
一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈な拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。
田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望は兄弟のように母おしんの魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望は商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。
屈折10年、陶芸の師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんがセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。
さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ(1983年の場面)に戻りたい。
仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである。初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。
ここには、自ら築き上げてきたスーパーの廃業も辞さないおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。
ドラマの構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしんが戦後~現代にいたる高度経済成長でおしん自身が義理人情を忘れてしまったことに気が付く、というメタで重層的な構成である。おしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢で戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパーを事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしんは問題の17号店開店当日、失踪する。この世話物と時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である。
6月頃から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしんは明治に生まれ、大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である。
これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。
全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしんの本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。豊かになるにつれ老害化してゆくおしんの姿は、立身出世物語にありがちな主人公の聖人化とはむしろ逆行していた。
いや、もちろん少女時代の奉公先での過酷な試練は、おしんのイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしんは最初の奉公先である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀の豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしんが佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである。特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険な死産を経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代におしんが笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。
後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。
佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だから憎まれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ、高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わず涙したこともあったようだ。(NHKアーカイブより)
さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧に理解してこその発言である。プロとしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしんの死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である。自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしんの東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である。
これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋・加賀屋で奉公した際、大奥様から見込まれ、お茶や料理、裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたからである。
しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業をサポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那と結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀の本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用人である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるものと安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店は詐欺にあい、あっけなく倒産してしまう。
田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17で上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんをしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのである。おしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカの言葉「ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底を理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからのおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売にセンスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服の需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家の資金で東京で事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしんの佐賀地獄はここから始まる。
それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京、山形と転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三からは手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優・田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしんが行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくまで干拓に拘っていたのである。しかしおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしんの本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。
やがて伊勢に根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋を軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である。
竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋をアメリカ式のレジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである。
魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業の原動力となったのは次男の仁である。おしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社をリードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。
こうしてみてくると、おしんは実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域に根付いた商売をしたかっただけである。
極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域の実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正、戦前、戦後とその時代時代でおしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうとき、おしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的な人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。
もちろん、おしんにはおしんの商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることである。おしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理と人情に生きようとする人なのである。
大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員の健康、福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場で結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢で魚屋の店舗を構えることになったときもおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。
またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前の土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしんの人生最大の恩人は16歳のときの初恋の相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。
おしんの物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。
https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く
県庁所在地の都会度比較はお国自慢的な話でさんざん語り尽くされてるテーマだと思うが、県庁所在地以外の街についてはあまり語られてない気がするので、実際のところどうなのか興味が湧いている。
下記のような分野別にポイント加算して、総合点の大きい都市を都会度上位としたい。
◼︎人口
◼︎交通
新幹線駅20ポイント、空港20ポイント(リムジンバスで直に移動できればOKとする)、私鉄20ポイント(3セクを除く)、バス以外の都市交通20ポイント、高速道路20ポイント(東名等の幹線と繋がっていること)で合計100ポイント
◼︎商業
百貨店20ポイント、大型化電量販20ポイント(ヨドバシ、ビック等)、大型書店20ポイント(紀伊国屋、ジュンク堂、丸善等)、シネコン20ポイント、プロスポーツチーム20ポイントで合計100ポイント
◼︎文化
大学20ポイント、動物園20ポイント、水族館20ポイント、博物館20ポイント、美術館20ポイントで合計100ポイント
各都道府県から最低一つは選出、人口少なくてもエリアの拠点的な要素あれば採用
◼︎北海道
◼︎東北
弘前、八戸、一関、大館、能代、横手、石巻、白石、酒田、鶴岡、米沢、郡山、会津若松、いわき
◼︎甲信越
◼︎関東
高崎、太田、佐野、日立、土浦、つくば、柏、船橋、成田、川越、秩父、川口、八王子、立川、町田、川崎、相模原
◼︎北陸
◼︎東海
熱海、沼津、富士宮、浜松、豊橋、岡崎、大垣、高山、桑名、四日市、伊賀
◼︎近畿
◼︎中国
◼︎四国
◼︎九州
北九州、久留米、佐世保、鳥栖、別府、延岡、都城、八代、霧島、鹿屋
◼︎沖縄
さて、どの街が上位に来るかな?
山形県は「ラーメン王国」として知られており、ラーメン店の数やラーメン消費量が日本一です。
2021年の調査では新潟市にラーメン消費量の日本一の座を譲りましたが、2022年の調査で山形市が奪還しました。また、総務省の家計調査では山形市が中華麺への支出が日本一多いという結果が出ています。
山形県には「酒田ラーメン」というご当地ラーメンがあり、2023年10月5日から10月9日まで新宿・大久保公園で行われた「日本ご当地ラーメン総選挙」で日本一に選ばれました。酒田ラーメンは文化庁の「100年フード」にも認定されています。
山形市では「ラーメンの聖地、山形市」を宣言し、官民ともにラーメン文化を盛り上げる取り組みも行われています
鳥中華は山形県発祥のご当地ラーメンで、そば屋のまかないから生まれたと言われています。そばつゆをベースにした鶏ガラ味の和風中華そばで、中太のストレート麺に鰹出汁ベースの醤油味がよく合います。
鳥中華は、1861年創業の天童市にある「手打 水車生そば」で誕生したと言われています。そばつゆには黒コショウがきいており、具は鶏肉、天かす、海苔、三つ葉、白ネギなどです。
ずっと昔本当に昔、吉田健一氏の食べ物の本に、山形の飛島のアワビの塩辛が美味しいと書いてあった。酒田に行った時も探したし、山形の知人にも聞いたし、でも手に入らなかった。そうだネットがあると今頃思いつく。
今またなぜ塩辛で悩むのかというと、
一に、高いのである……
二に、高齢化による生産者の減少で年々手に入りづらくなっており、一昨年には県内のスーパーでも入荷できなくなったそうだ
うーん…うーん……
多少無理をしなければ後悔するだろうか。
うーーーーーむ………
春~夏に採れたイカを塩漬けにし、熟成させておいた魚醤(イカの内蔵を発酵させたもの)と合わせて作る独特の製法で作られており…サラサラで死ぬほどしょっぱく噛み応えもあるとの評判………
https://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2012:12:01:5045
酒田市「酒田のご当地カレーレシピコンテスト」の入賞者が決まった。同市飛島の澁谷新君(9)=飛島小3年=の「イカスミカレー飛島スペシャル」が最優秀賞を受賞。市内のホテルで12月から来年1月まで、レストランのメニューとして登場する。
「旬のアオリイカを使った『飛島まるごとカレー』を、多くの人に味わってもらおうと思った」という澁谷君は、母親のわかさんに手伝ってもらいながら調理。「最優秀賞は狙っていたけど、選ばれてびっくり。とてもうれしい」と話している。表彰式ではわかさんと一緒に万歳して喜びを表した。
話題性で選んだのもあるだろうけどほんとに小さい頃から「せめていろんな体験させてあげたい」という周りの切なる願いを受けて育ったんだね
昨年からYouTubeに良質のミステリーが転がっているので、ぜひおススメしたい。
それは、桜を見る会の野党合同ヒアリング動画である。はじめこそ、野党のヌルい進行や追及に、軽いイラつきを覚えるかもしれないが、そこはどうにか慣れてほしい。
面白いのは、官僚の答弁である。ありとあらゆる日本語を駆使して、嘘ではないが事実でもないことを口にして、秘密や真実を隠し通そうとするその様は、まるでミステリー作家が、様々なトリックを以って読者を騙そうとしているのに似ている。
直近のヒアリングでは、「首相事務所が推薦した人物でも招待を断ったケースがある」ことを理由に「首相による推薦者の私物化」を否定しようとしている。しかし、私の見立てはこうだ。
この「招待を断ったケース」、というのは、他省庁の推薦などと重複していたために、首相側の推薦を断った、ということではないだろうかと私は推理する。あるいは、推薦者が作業中に逝去してしまったとか。
野党ヒアリングは一事が万事この調子で、優秀な官僚のみなさんが、まるでミステリー小説の容疑者かのように、どうアリバイを取り繕い、言葉巧みに読者を欺こうとしているのか、非常にエキサイティングに楽しめる。
少し前にはてブでも話題になったが、事実と主観を区別できないしゃべり方を意図的にしてくる、優秀な官僚のみなさん。特に、酒田課長という、この物語でキーとなる登場人物が、私のお気に入りの登場人物である。
酒田課長は、「名簿廃棄操作のログ」について「ログの内容を公開することはセキュリティ上の懸念がある」ことを理由に、ログ調査を頑なに拒んでいる。
野党が「ログを公開するのでなく、ログを内部で確認して、その日時についてのみ報告せよ」と詰めても、一部や全部にかかわらず、ログに関することを公にするのはセキュリティ上の懸念があるとの一点張り。
私は思う。こう詰めてみてはどうかと。「報告は不要。内部で確認するだけでよい」と。そうすれば、ログについて公開される情報はない一方で、ログを確認した官僚はその情報が従前の答弁と異なっていれば、何らかの対応をとる必要があるわけなので。
屁理屈をこれだけこねてくる官僚に対しては、そのロジックを一部受け入れる一方で、同じロジックで相手を責めるのが良いと思う。