はてなキーワード:都庁とは
心に残る出来事があったので、手短に書き記しておきたい。
私は地方都市に住む会社員なのだが、行きつけの居酒屋を保健所に通報した結果、その店から出入り禁止になった。
※最近ではなく何年も前の話です
大変申し訳ない予防線だが、文章は下手なのです。この点は誠に申し訳ない。質問・ツッコミがあれば修正させていただく。
私がこれから書こうとしている舞台は、福山市神辺町というところだ。歓楽街ではあるけど、新宿のようなネオン街とは程遠い。アーケードがあるわけでもない。国道沿いの寂しげのある飲み屋街である。
そんな町の一角に、お気に入りの居酒屋があった。サラリーマンにとって、仕事終わりの一杯は、私にとって唯一の贅沢だった。
マスターも従業員も皆明るくて、料理も安くて美味しかった。通報した今でも、その気持ちは変わらない。
ただ一つ、こちらの居酒屋さんには残念な点があった。それは、時代に逆行して全席喫煙可能なことだ。
ある日、いつものようにカウンター席でビールを飲んでいると、厨房で働く若い男性が目に入ったのだ。どう見ても高校生くらいの若さ。18歳くらいだろうか、いや、もっと若いかもしれない。
彼は店の人気者のようで、常連客からも可愛がられていた。私もつい調子に乗って、彼にウーロン茶を奢ってやったことがある。その時、彼と色々と話す機会があった。
・通信制高校に通っていること
・今年で17歳になること
・学費を稼ぐために働いていること
健気で良い子だと感心した。しかし、その時ふと、職場で受けた健康増進法の研修内容が頭をよぎった。
受動喫煙対策の強化、そして未成年者の喫煙場所への立ち入り制限。ここは喫煙可能店であり、高校生が働くのは法令違反ではないか?
彼自身、多くのお客さんから受動喫煙の影響を受けているのは明らかだった。間違いない、この目で見たのだから。
私は以前、東京で働いていたことがあるのでよく知っている。東京の飲食店は、喫煙店の標識設置や分煙、喫煙者と非喫煙者の隔離など、ルールが非常に厳しい。違反すれば保健所や都庁から厳しい処分が下される。
しかし、福山市神辺町は田舎のためか、そういった意識が希薄だった。保健所も警察も取り締まる気がない。それは近隣のお店を見ているだけでわかる。
多くの喫煙店に喫煙可能店の標識はなくて、親子連れでも未成年が入店できる店も珍しくない。インターネット広告では「未成年入店不可」と明記されている店もあるのだが、実態は伴っていない。
ある晩、居酒屋を訪れると、あの高校生が接客を担当していた。少し厨房の手伝いもしているようだ。
「なあ、お前。本当はここで働いちゃいかんのやぞ。他の客にも言われてるかもしれんが」
彼は「え?」という顔で私を見たんだ。あの眼差しは今でも覚えてる。本当は知っていたのかもしれない。
「健康増進法って知ってるか?喫煙できる場所で、未成年は働いちゃいけないことになってるんや。お前の健康にも良くないしな」
今思えば、まるで正義の味方ぶっていた。いい年して恥ずかしい限り。
すると、彼は何も言わず、ただ俯いてしまった。その時の彼の表情は今でも覚えてる。
すると翌日、携帯に電話がかかってきた。あの店からだ。予約時に電話番号を教えていたからだろう。
要件はすぐに察しがついたよ。
「あんた、うちの店で何言ってくれたの。彼は学校に許可も取って真面目に働いてるんやぞ!あんたのせいで、あいつがどれだけ困るか分かってる?」
一方的にまくし立てられたよ。正直気分が悪かった。反論する気も起きないよ。「すまんけど、もう来ないで。出入り禁止です」と、電話は一方的に切られた。
長年通った居酒屋を失うことになったが、自分の行為が招いた事態なので仕方ない。ただ、私にも矜持というものがあった。
数日後、私は福山にある西部東厚生環境事務所と地元の警察に通報した。実名を明かして居酒屋の状況を伝えた。これがせめてもの償いだと思った。
それから何度かあの居酒屋の前を通ると、彼の姿はなかった。必ず彼がいる曜日を私は知っていたのだが、それらの日に彼はいなかった。
通報は功を奏した。これでよかった……と安堵した。正しいことが行われたのだと。でも、その安堵は続かなかったのだ。正直罪悪感があった。心に重くのしかかるものがあった。
もしあの高校生が本当に、通信制高校の学費を稼ぐために働いていたのだとしたら?
彼の職場を奪ったのは私だ。彼は今、どうしているのだろう。新しい仕事は見つかったのか。私の「正義」は、彼にとって本当に正しいことだったのか。
こんな田舎町で悩んでいても仕方ないのだが、後悔の念が静かに心に込み上げてきて、耐えられなくなった。
この気持ちを整理したくて、この文章を書いてみた次第だ。読みにくかったかもしれないが、読んでくれたなら感謝したい。
※普通に体験談を書いて、Geminiに小説にしてもらいました
※書くのは非常識だとは思いますが、それくらい罪悪感が強いです
収容人数40人程度の教室の中で、教壇上にある蛍光灯の白い光が、『スーパー過去問ゼミ』のテキストの文字を無機質に照らし出す。俺は増田、三十代半ばである。都内にある某公務員試験予備校で、もう八年以上も予備校講師をしている。担当は主に面接対策と論文指導だ。
今もこうして夕方以降の時間帯に、19~23才程度の若者向けに、公務員試験に合格するための要諦を指導する日々である。
採用から数年間は以前は筆記試験だけの指導をしてたが、幸いにも早めに昇進することができた。筆記以外の面接とか論文なんかも指導するようになった。正直、新卒で予備校に入社した人よりもスピード出世である。
「増田先生。この間の模擬面接のフィードバックの文ほしいんですが!」
休憩時間になると、熱心な受講生たちが俺の元へ寄ってくる。彼らの目は真剣そのもの。
公務員という安定した職を、社会に貢献できる仕事を求めて必死に努力している。その情熱は本物だし、俺も全力で応えたいと思っている。表向きは。
公務員になりたい、という彼らの動機は様々だ。「親が安心するから」「福利厚生がしっかりしているから」「クビにならないから」。もちろん、「住民のために働きたい」という崇高な志を持つ者もいる。残念ながら少数派だ。
問題は、明らかに公務員という仕事に向いていない、と感じる人間が少なからずいること。先ほど熱心な~と書いたが、熱心な子というのは、10人中で2人もいれば多い方だ。
例えば、先日の模擬面接でのこと。鈴木君(仮名)は、典型的な指示待ち人間だ。質問に対して自分の言葉で考えを述べることができず、用意してきた模範解答を棒読みするだけ。
「もし、あなたの判断で対応しなければならない緊急事態が起きたらどうしますか?」
って意地悪な質問をすると、彼は完全にフリーズした。こんな人間が、災害時や突発的なトラブルの最前線に立てるだろうか。市民の安全を守れるだろうか。
あるいは、佐藤さん(仮名)。彼女はコミュニケーション能力に著しい欠陥がある。人と目を合わせるのが苦手で、声も異常に小さい。グループディスカッションでは一言も発せず、ただ俯いているだけ。
こんなんじゃ、窓口業務で市民と円滑なやり取りができるとは到底思えない。クレーム対応など想像するだけで恐ろしい。
他にも、社会情勢への関心が驚くほど希薄な者、責任感が欠如しているように見える者、平気で嘘をつく者。挙げればきりがない。
予備校の事務窓口でもそうだ。たまに、はてな匿名ダイアリーでもさ。「クンニ」とか「テクウヨ」とか「下方婚」とか「売国先生」とか意味わかんねえコメントしてる人がいるじゃん。
たまに彼らの長文コメがあっても、何を言ってるのかわからない。話の内容が伝わってこない。そういうレベルの受講生が普通にいるのだ。
おいおい、なんだ?面接試験では「私の長所はクンニです('ω')」とか「少子化を防ぐためには下方婚を増やす必要があります」とか答えるのか??
こういう人は、公務員になってはいけない!と断言できる。いや、仕事だからやるけどさ……合格すれば俺の実績にもなる。
というわけで、彼らがもし、この予備校で叩き込まれたテクニックだけを頼りに、運良く筆記試験を突破し、面接を乗り切ってしまったら?そして、どこかの国の地方支局とか、市役所や県庁の職員になったとしたら?
想像するだけで背筋が寒くなる。迷惑を被るのは、まぎれもない住民さんである。煩雑な手続き、待たされる時間、要領を得ない説明、そして、いざという時に頼りにならない行政サービス。
彼らのような「不適格者」が公務員になることで、社会全体の不利益につながるのではないか。果たして、俺は社会のためになる仕事をしているのか。
これって、数年前にはてなブログの書評(基本読書の人など)で話題に上がったブルシット・ジョブではないのか?いや、ブルシットはまだ畑の肥やしになるからいいが、俺の場合は、もはや反社会性すら帯びている。
だが、俺の仕事は彼らを「合格させる」こと。それが予備校講師としての使命であり、存在意義なのだ。
彼らがどんな人間であろうと、筆記試験で点を取る方法を教え、面接で好印象を与えるテクニックを叩き込む。弱点を隠し、長所を最大限にアピールする方法を指導する。
「鈴木君、緊急事態の質問には、まず『冷静に状況を把握し、上司に報告・相談します』と答えるのが定石だよ。自分の判断を求められていてすら、まずは組織として対応することを強調するんだ。それが公務員試験ではポイントが高い。いいかい、あなたの言葉は、組織の言葉なんだからね」
「佐藤さん、声が小さいのは不利だ。面接官に聞き返されるだけでマイナス評価になる。呼吸を意識して、大きな声を出す練習をしよう。アイコンタクトも大事。難しいなら、相手の鼻のあたりを見るといい」
まるでペテン師のようだ、と自分でも思う。騙している先は霞が関にある官公庁や、うちの予備校のほどなくにある東京都庁、そのほか地方自治体。ものすごく女衒的で、ありえないほど罪深い。そんな仕事だ。
俺は、本当は適性がない人間に、あたかも適性があるかのように見せかける技術を教えている。彼らの合格は、俺の指導力の証明であり、予備校の評判に繋がる。給料だって、それによって支払われている。
俺が面接指導した子は、この八年間で、新人時代を含めると……少なくとも300人を超えている。延べ人数でカウントしていいなら、千人を超えている。ナンパ自慢の人数かよ。
このうち、予備校側から「増田君の寄与があった」と見做されたのは100人程度。その中に、筆記の模試がぼろくそだった人が含まれるのはいい。本人の努力の結果だからだ。教師名利に尽きる。だが、その中には、前半あたりで述べた「不適格」な人間を相当数含んでいる。それが今でも後悔になってる。
正直、公務員試験の面接なんて、一部の難関(国家総合職・裁判官・都庁・労基や財務など国家専門職)を除けば、パターン暗記で対処できる。
うちの予備校が、毎年人事院や都庁や特別区に情報公開請求(※)して、個人情報を黒塗りにしたうえで採用試験実施要領の資料提供をいただいているのだが、試験の要領的に……「面接官は完全な機械的採点をしている」ことがわかっている。民間企業に比べると、○○だったら何点とする、みたいな基準がはっきりしている。
なんでそうなるかというと、「公平性」を保つためだ。公平・中立・平等を基礎基本とする彼らにとって、それはとても大事なことなのだ。
彼ら面接官というのは、管理職クラスではあるものの、これまでの人事経験はほぼゼロである。そんな人達をたかだか数時間の研修で「面接官」にするには、面接試験を(初心者向けに)完全構造化するのである。結果として、相当無難な採点基準での面接試験につながるというわけだ。
※…試験実施要領を公開してくれる官公庁もあります。地方自治体だとあまり公開してくれない。よって、若手の予備校講師が国家・地方を問わず公務員試験(作文・面接含む)を受験してデータを得ることもあります。私が若手の頃ですが、都庁や特別区の採用試験に合格したことがあります
先ほどの「ブルシット・ジョブ」という言葉だが、つい先日知った。クソどうでもいい仕事、とでも訳すのだろうか。社会にとって何の役にも立たない、むしろ有害でさえあるのに、なぜか存在し、給料が支払われている仕事。まさに、俺の仕事のことではないか。
社会に貢献したい――という純粋な気持ちで公務員を目指す若者を応援したい。その気持ちは嘘じゃない。しかし同時に、明らかに不適格な人間をテクニックだけで公務員にしてしまう手助けをしている。
やっぱりこれは、反社会的な行為と言っても過言ではないのではないか。
良心が痛む。毎晩、寝る前に罪悪感に苛まれる。俺が合格させたあの学生は、今頃どこかの役所で、市民に迷惑をかけているのではないか。俺の指導が、誰かの不幸を生み出しているのではないか。
辞めたい。心の底から思う。こんな矛盾と罪悪感を抱えながら、これ以上仕事を続けるのはちょっときついかもしれない。
でも……辞めたところで何ができる?俺には、この予備校講師という仕事以外に、特別なスキルがあるわけではない。転職先がすぐに見つかる保証もない。家族がいる。生活を考えると簡単に決断できない。
先週もまた、俺は教壇に立ったのだ。第二次試験で採点対象になる論作文試験の全体講習である。
目の前には、期待と不安の入り混じった表情で俺を見つめる受講生たちがいた。彼らの未来を、そして、彼らが関わるであろう住民の未来を思って、俺は重い溜息をついた。
「ハイ!じゃあ今日の論文対策、始めま~す! みんな今日、気合入ってんねぇ~(^^)」
笑顔が張り付けて取れない。
答えは見つからないでいる。
Permalink |記事への反応(10) | 15:22
先月、新しい職員さんの健康診断があった。問診とか身体測定が終わって、レントゲン撮るために上半身裸になった時、その人のお腹に(渦巻き模様の?)入れ墨があるのに気づいた……。
一瞬、どうしようかなって思った。
健康診断って役場からの頼まれ仕事だし、何か報告しなきゃいけないのかなって。
でも、先生からは特に何も言われてないし……それに、もし報告したら、その人に何か嫌なことがあったら嫌だなと思った。人の人生に干渉するのも……と。
結局、その入れ墨のことは何も言わずに、いつものように健康診断の事務手続きを済ませた。
先日、その新しい職員さんが、役場の受付で丁寧に「ありがとうございました」って言ってるのを見かけたんだ。
彼はにこにこ笑っていて、なんだかホッとした。
でも、本当にこれでよかったのかなって、今でも時々考える。
もし役場に報告するのが当然だったとしたら、私は仕事をちゃんとやらなかったことになる。
かといって、もし報告することでその人の就職とか、これからの生活に悪い影響が出ちゃったら、それはそれで心が痛む……。
同僚の看護師に相談してみたけど、「決まりはないから、先生に聞いてみたら?」「どうしても気になるなら、都庁の人事に通報すればいいんじゃない?」「最後は自分の責任だよ」って言われた。
突き放されたような感じだった。
それで結局、私は見なかったことにした。それが本当の意味で、一番いいと思った。
でも、あの時の判断が正しかったのかどうか、今でも時々考えることがある。
こういう場合って、どうするのが一番いいんだろうね?
普段から趣味でピアノを弾いていて、羽田空港や主要駅でストリートピアノにも何度か挑戦したことがある私から少しストリートピアノ界隈について解説したいと思う。
まず私がどういう人物かというと、子供の時にピアノを数年習って、そこから◯十年振りに趣味でピアノを再開したおじさんである。ある時NHKでストリートピアノの番組(「街角ピアノ」「空港ピアノ」「駅ピアノ」などがある)を見て、その自由な姿と、音楽を純粋に楽しむ姿。そして、弾いている人の人生の背景が見えるところに魅力を感じて、自分も挑戦してみようと思ったのだ。レベルでいうと、プロではない層の中では、中級者くらいかなと思う。
まずストリートピアノというのは、空港や駅を中心に、人々が行き交う場所においてあり、誰でもピアノが弾けるというもの。
海外ではただピアノがポンっと置いてあって、人々はどんなスタイルでも自由に弾くことができる。下手だったら素通りするし、うまかったら足を止めて演奏に聴き入ったりする。
バイオリンと共演することもあれば、オペラや歌を歌うようなこともある。その場でセッションが始まったりと、海外のストリートピアノの風景は本当に自由で、即興的で、音楽の楽しさが詰まっている。
日本のストリートピアノは少し事情が違って、大体は制約がついていることが多い。(でもそれが気になったことはない)
たとえば、2人以上でピアノを弾く連弾が禁止されていたり、歌を歌ったり、他の楽器と一緒に演奏したりすることを禁止している場所も多い。時間は大体10分〜15分くらいに制限されているものが多い印象。商業施設だとスタッフに一言声をかけて、というような場所もある。
ストリートピアノは、一定のファン層が間違いなくいて、「お、ここにピアノ置いてある!」といって弾くよりも、「どこにストリートピアノあるのかな?」と事前に調べて行く人が多いのではないかと思う。事前に調べないと、たまたま見つけるにはかなり難易度が高い。
ピアノが置いてある場所は、建物のフロアの中心に置いてあるものもあれば、建物の2階の外れに置いてあるものあり、さまざま。
実は私はストリートピアノにはレベルがあると思っている。ストリートピアノ界の最高峰は都庁ピアノだと思っている。有名ピアノYoutuberが難曲を軽々と弾くのを見たことがある人もいるのではないだろうか。ハラミちゃんとか、よみぃとか有名人も演奏している。
他にも羽田空港第二ターミナルのように、吹き抜けのフロアで、ピアノが聞こえる範囲により多くの人がいるような場所は、レベルが高い場所、といえる。
もちろんストリートピアノなので、下手だろうが、なんだろうが誰だって弾くことはできるが、レベルが高い場所ほど、弾く勇気がある。ストリートピアノは、度胸が大事という側面は少なからずある。小学生が練習曲を弾いたと思えば、音大卒のプロのピアニストが弾いたりすることなどもある。
しかも人気の場所で、人気の時間帯は、行列ができたりしていて、しかもみんなうまかったりするので、練習が足りていないとかなり気まずい思いをするものだ。並んでいるときは、お互いに空気を読み合って譲り合う。待っている人がいるにも関わらず、2時間も練習するような人は通常の感覚ではいない。
ストリートピアノはピアノという一つの楽器という共通点だけで、いろいろな人生の背景を感じさせるものがある。その背景を空想しながら聴くのも一つの楽しみ。
出張中のサラリーマン、大学受験で地方にきた高校生、年配のご婦人、などなど。実際にNHKの番組でもその人の背景が紹介されるが、いろんな人が、いろんな人生があって、でもその中の一部に音楽があって。そういうものがストリートピアノの最大の良さではないかと思う。
さて、問題になっている「ストリートピアノは練習してから」という投稿についてだが、フードコードのような一角にあり、比較的ファミリー層が多そうな場所である。
そうなると、まず座って食事をしている人が多いので、ピアノを聴きたくない人もいるということが起こり得る。
またファミリー層の多い場所であれば、当然子供がピアノ教室で習っているような曲を弾くことになる。
このような設置場所と客層を考えれば、子供の練習曲を食事をしたい人が聴くというミスマッチが起こる。
ある程度想定されることが起こっているのにクレームを設置者がいうのは間違っているだろう。もしそれがダメならピアノの設置場所を変えて対応するのが自然ではないかと思う。
ストリートピアノは子供が弾こうが、それが練習だろうが、正直あまり関係ない。ただ、設置場所によってストリートピアノには色が出てくる。場所によっては練習のようなことは控えた方がよい(演奏者に控えようと思わせる)場所もあるとは思う。
今回のケースでは、主催者が本来は想定していないようなことが起こってしまったということかな。
なので、撤去するか、場所を移動する、というのが一番よい解決策ではないかと思う。
私自身、一生懸命練習して(いるつもり)で、ストリートピアノに挑戦するときは、いつもドキドキして、誰も聴いていなくても手が震えたりして、でもストリートで音楽を通じて、自分の人生を表現するのがたまらなく好きなのだ。
だから、最初に該当のポストを見た時は、身につまされるような思いだった。「あぁ、こんな投稿見たくなかった」というのが正直なところ。
ストリートピアノは、いろいろな人生を受け入れる場所だと思う。そして設置場所によって、受け入れられる人生の幅が変わってくる。
クレームのポストを投稿した方は、改めて自分たちが出したい色を考えて、設置場所を考えるべきだろう。
演奏者が多少下手であっても、ストリートピアノで音楽を楽しんでいるのであれば、その輪が広がって、その場所を明るくする、あって欲しいと願います。
最後に、私が一番好きなストリートピアノのYoutubeを貼っておきます。こんな演奏があったらぜひ足を止めて見てみてね。
新光三越の爆発、結局ガス漏れはなかったのにフジサンケイや文春のように当初「ガス漏れか」と報じるという誘導屋のような報道社がある
一体誰得?
訪問先候補は、笹川記念財団の場所、金融軍の本拠地、虎ノ門が一つ(左翼テロ虎ノ門事件の地)
倉庫は埼玉県所沢、三越伊勢丹ビジネス・サポート(旧陸軍所沢飛行場)
協和物産が併設(旧三井物産、厚生官僚系 ※)、参加団体の東京経営者協会(旧関東経営者協会、旧日本経営者団体連盟)は2009年経団連ビルに移転
いったん化学兵器が作られれば、後には公的権力組織から莫大な廃棄処分予算が割り当てられ、100年は安泰だ
東京文理科大学は1922年に発足し、外務省は今でも遺棄兵器処分予算を計上(自衛隊予算ではない)
※戦災復興院終戦連絡事務局特別調達庁・厚生省・都庁・その他の諸官公庁の購買物資の取得、保管、包装、配給等の業務を担当していた、復興資材課長 兼厚生物資課長萩原篤志を中心に有志職員参加の下、昭和23年12月に創立