
はてなキーワード:部署とは
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
なんか体育会系というか仕事は厳しくやるものみたいな前提で回っている。
それはまぁ取引先に迷惑かけるわけにもいかんので一定の理解はするんだが、問題は俺がそういう思想から対極にいるというところにある。
パワハラこそ無いものの、周囲への詰め方とかを見ているとなんかもう生きてきた世界が違うんだろうなという感想しか出ない。
なんとかかんとか合わせながらやってるけど、時々ふうっと疲れを感じる時があるんだよな。
もちっと気楽に仕事してえなぁ
今朝は出社してきてさ、朝から全員の席まわって「昨日はすみませんでした〜」ってペコペコしてる。
その時点でえらい。陽キャなのに礼儀まで完備してるの、もう生態系の頂点。
俺のところにも来て、俺の前に来た瞬間にニコって笑って、「ごめん、昨日は体調がヤンキーで」なんて言うわけ。
は?ってなった。え?体調がヤンキー?何それ?
俺の脳内で理解が渋滞してる間に、隣の席の子が即座に「体調不良!!」ってツッコんだ。
その瞬間、オフィス全体が笑いの渦。わーーーって笑いが広がって、みんなニコニコ。
俺は二拍遅れで笑った。そのあとすぐ考えたんだけど、たぶん俺が同じこと言ったら「……え?」で終わる。
その後の沈黙に耐えきれなくて顔真っ赤になってたと思う。
でも陽キャが言うと違う。言葉じゃないね。もはや空気を支配してる。
もう俺の中では、あいつのこと環境音楽だと思ってる。EDM系のやつ。
いるだけで場の空気が明るくなる。
でも太陽とかじゃなくて、なんかもっとこうBluetoothスピーカー的な明るさ。
「体調がヤンキーで」
欠勤さえも笑いに変える。
やっぱ陽キャってすげぇな。
頑張って書いてもどうせAI扱いされるだろうからもう箇条書きでいいよね?
・怒りっぽい
→・注意コストが高い
→・クビにして貰うのは難しそう
・朝たまに髪が脂ぎってたり化粧が乱れてる
→・そういう日はとても臭い
→・じゃあなんで日によって髪のテカリ方が違うんだよ
・健康診断を気にして食事は気をつけてるらしい(昼は仕出し弁当)
・ワキガの手術はしたらしい
→・夏場とかは普通に汗臭いのでそもそもワキガ以前の問題では・・・
・ロッカーで下着を替えたりデオドラントを塗っている様子が目撃されている
→・自己認識では色々と頑張ってるつもりなのか?効果出てないけど自己満足?
→・言わないと気づかないからってことで皆で決めた
→・「ウチの子がゲームばっかやってたまに風呂サボるとマジで臭いんだよね~~」みたいな感じ
・比較的大人しい他の臭い人に対して「なんか今日汗臭いけど運動した?」と牽制
→・その人とは事前に「これからちょっと大声で注意するけどアイツに聞かせるためもあるから」と相談した上でやってる
うん。
もう無理だわ。
なんだろうね。
なんかの病気なのかな?
病気なら病気で在宅ワークできる仕事とか探してほしいんだけど。
自分が迷惑かけてる自覚があるのに堂々と事務所に出てきて働こうって根性が太ましいよね。
サイコパスだと思う。
スメルサイコパス。
サイコスメル。
本当にどうしたらいいのか教えて欲しい。
上司には相談してるんだけど「まあ聞こえるように臭いって言っときゃそのうち何とかなるよ。どうせ風呂や洗濯サボってんでしょ」ぐらいの対応で終わり。
本格的に何とかする気が誰にもないんだよね。
ひどくね—かそれは?
新卒で同期200人くらいの企業に入って、同期が20人くらいいる部署に配属された。
社内でも特に忙しい部署で、一年目の同期も毎日早くても19時、遅くて24時まで残業をしている。
でも私はめちゃくちゃ暇。今も暇すぎて増田をしている始末である。
・9月入社なので、4月の同期と比べて使えないので仕事を任せられない。私に仕事を任せるということは仕事を教えるということなので。
・OJTの先輩、めちゃくちゃ仕事ができるし、表彰とかもされている方なので新人に構ってやる暇がなさそう。
・私は背が低い、気の弱そうな顔をした女なのでゴリゴリ働いてゴリゴリ稼ぐ先輩社員たちからしたら扱いづらいのだと思う。でも学生時代は登山部で数日かけて山を登ったり一人で中南米に行ったりしていたので体力もメンタルもそこそこあるはずなのだ、、
仕事をもらえるように今していること
・毎朝OJTの先輩に「今日の午前中は◯◯やります。午後からの仕事は特にないので何か任せていただけると嬉しいです。もしなければ◯◯(マニュアル読むとか、資格勉強とか)します」みたいな感じで仕事を催促している。→2-3時間で完結する仕事をもらえる。先輩はいい人なのでFBもみっちり30分〜1時間かけてくれるが、これが負担になって仕事を振りたくない、、みたいな気持ちにさせていたら申し訳ない
・同じ部署の別の先輩に「手伝えることはありますか!?」と聞きまくっている。→たまに仕事をもらえる。嬉しい。
これでも定時内に仕事が終わってしまうし、何なら仕事がゼロの時間が1日に2-3時間はあるので苦しいです。今まで通り空気読まずに定時に帰っていいんですかね。どうすればいいですか先輩(この時間にはニートしかいないか)
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「My Job Went ToIndia」の改題改訂版が「情熱プログラマー」なんだ!ありがとう発注したわ。(たぶん達人プログラマーと混同して読んだ気になって読んでないパターンだわ)
俺の悪文のせいで意図が伝わらなかったであろうブコメがあったので、要旨だけ書き直しておくな。
ただ忘れないで欲しいんだけど、TerraformメンテしてAWSとかGCPで立ち上げてサービス公開するまでの速度は、相見積取って稟議通して部材調達から入ってた時代に比べると爆速だけど、人間の技術屋の需要は増えてる。
俺は、「マスタリングTCP/IP 入門編」を人間が読んで理解するのは古いよね、という時代にはならないと思ってる。
Slerが自前で手元で試すようになるから~ってのも懐疑的。SIerやメーカーが内製すると必ず子会社作って分離、ぼく発注者きみ受注者にしたがるので。これは技術じゃなくて感情とか経営の問題。
(ただし、Slerが7payみたいなことやらかすのでは?って疑問なら同意。たぶんそういう生成AIで俺たちでプロダクトなんか簡単に作れるじゃんよギークいらね(仕様バグあり)は一時は増えるだろうね)
追記ここまで
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VibeCodingでIT技術者は不要になるのか?という話題が花盛りなのは理由があります。
ギーク(現場でコードを書いていたい人)が分かる話から、スーツ(人を集めたりお金を集めたり営業をする)が分かる話になってきたからです。
具体的に言うと、OpenAI社をはじめ続々とTDD(テスト駆動開発)でやってますみたいな、具体的な開発スタイルの話が出てきたから。
そうすると、現場の座組チョットワカルという強めの経営者が理解して判断し始めるんですね。
でもね、その道はもう15年も昔に我々は通り過ぎました。前回のブームと何が違うでしょうか?
技術者なら電子も機械も強電も弱電もお世話になったことのあるオーム社が過去に出していた直球の本の話から。
「My job went toIndia :オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド」という書籍、何と発行年は2006年です。
かいつまんで話すと、インターネットが整備され、輸送コストがほとんどかからないソフトウェア開発では、アメリカのエンジニアは給与の面でオフショアに歯が立たない、だって、1/10の給与でインドのエンジニアは働くんだぜ?という本です。
そうした、価格競争力で負けるアメリカのソフトウェアエンジニアは、如何にして今後サバイブすべきなのか、という本になっています。
(普通に面白いしAIコーディング時代に通づるものがあるので復刊を希望したいところですが、まあ直球過ぎる題名を何とかしないと再販は無理でしょうな)
そして、JTCや外資問わず、過去にオフショア開発を経験された技術屋のみなさんははてブにも多く生息されているでしょう。
では、ジュニア開発者は不要になりシニア開発者のみになって、いまのソフトウェア開発は主に安い給与で働いてくれるところに遠隔で作業してもらって、レビューだけすれば良い環境ですか?
そうはなっていません。なぜでしょうか。
さて、今普通にXと連動する中古品売買プラットフォームを開発しようと思ったら、どうやってつくるでしょうか?
この文脈に埋め込まれたいくつもの情報「今」「普通」「連動」「中古品」「売買」「プラットフォーム」「開発」を解釈し、すり合わせ、未来の運営者も含めた全員に伝えるためのコストが、コミュニケーションコストです。
そうなると、「ちょっと良い感じにラフでいいからプロトタイプ作って持ってきてよ」で話が通じるのは、受注者マインドがしっかりした日本の受託開発現場の精鋭たちになるわけです。
テストケースだけを通過するように、内部テーブルを持たせた関数を大量に持ってこられてレビュー時に頭を抱えた経験が無いひとは、とても幸運なのです。
とは言え、これは何も文化の違いに起因するだけではありません。仕様とは、環境によって定まるものだからです。
例えば、うるう年判定の関数は、1581年以前をエラーにしますか?1873年以前をエラーにしますか?(ヒント:明治六年)
テスト駆動開発、古い言い方で言えばテストファーストの考え方は、成功したすべてのプロダクトで例外なく、ただの一つの例外もなく、必ず最初から取り入れるべきだったものです。
品質は最後に振りかける粉砂糖のようなフレーバーではなく、最初から設計に組み込むべきだからです。
ありとあらゆる趣味において、最初から良いものを使えば時間を無駄にせずに済んだ、と言われるような初期投資の大切さが説かれます。
果たして本当でしょうか?
そうです、その趣味にハマって生き残りサバイブした人から見れば、過去にその時点で投資をすべきだった、というのは正しいのです。
その趣味にハマれなかった人からすれば、少ない投資で自分に合わないことが分かったという合理的な選択であることと矛盾しません。
そのため、全ての失敗したプロダクトは、テストケースを書く時間でプロダクトを作り上げて、さっさと世に問うべきだったわけです。
少し昔話をしますが、オフショア開発において重要なのはドキュメンテーションとテストケース、それにレビューでした。
他の部署で失敗しつづけていたオフショア開発のやり方は、端的に言えば"教化"でした。
具体的には書けませんが、グッとお安い単価の国に出す仕事を、日本の会社に出すのと同じようにすべく、相手の会社のメンバーを教育して仕立て上げるブートキャンプの仕組みを作り上げていました。
発注側を変えずに済むように受注側を教育して、日本の会社に出すのと同じように単価の安いところに出せたらお得ですよね?でもこれは必ず失敗します。
何故か。だって、日本の会社と同じように働けるようになったら、日本の会社に就職するじゃないですか。少なくとも価値は上がったんだから単価を上げるように交渉しますよね?
結局のところ、当初言われていたような劇的な節約にはつながらないわけです。それなら下手に転職されるよりも自前で現地工場でも立てて地元に貢献しつつ雇用を創出した方が喜ばれるし持続可能です。
小なりとも成果が上がった方法は、フィードバックを相手ではなくドキュメントにした場合でした。
例えば先ほどの例で言えば、テストケースは通るが意図したコードにならなかったとき。
「普通はこういう意図でコードを書くから、テストケースを通るにしても、関数は次からこう書いて」というのが、相手に対するフィードバック。
「関数を書く前に、関数の意図をコメントで残して、レビュー時にはそれを見ましょう」というプロセスの修正が、ドキュメントへのフィードバック。
こうすると、担当者が退職していなくなっても、次の担当者はその方法を参考にすれば良いわけです。
これ、何かに似てませんか。現在のAIコーディングのベストプラクティスと呼ばれるものに非常によく似ているんです。
つまり、オフショア開発というのも、設計と実装が分離できるという前提に立って動いていたんです。
そして、実装しながら設計しても問題ないとする場合、それは「技術的な問題」ではなく「組織構造」に起因します。
つまり、プロダクトの構造を分割して、オフショア開発側に設計と実装とを委譲して、実装しながら設計を変えてもらうことが許容できるのは、契約や責任分界点、輸出入の法規を含めた法務の領域です。
少なくとも当時、諸々をクリアにして相手側にプロダクトの一部を荒い設計と共に切り出して、コーディングしながら再設計してもらい、テストケースを完備したコードとドキュメントを共に完成までもっていってもらったことは、大きな成果であったはずです。
(当時日本側と仕事をしたという実績があると大きな実力があるとみなされたと聞いたので、今はより良いところで良い仕事をされていると思います)
(あと、コミュニケーションコストと輸出入の関連法規が複雑だから)
少なくとも、納期までに契約したこれを納品してください、という枠組みの中では、実装作業だけ切り出すことはできない、というのが教訓として残ったはずです。
少なくともあと数年、場合によっては10年スパンで、日本ではほとんど変わらないと予想しています。
これは技術の話ではなく組織構造や、もっと言えばお仕事の進め方と契約の話だからです。
そうは言ってもジュニアエンジニアの簡単な仕事が減って成長機会が失われているのは事実では?と思うかもしれませんが、そもそもの前提が誤っています。
未経験(弱経験)者を雇って戦力まで鍛え上げる必要があるなら、AIに仕事渡してないでそのジュニアエンジニアにやらせるべきなんです。
ジュニアエンジニアとAIと両方にOJTさせて、その違いをレビューの場でフィードバックしてジュニアを育てるわけです。
もし、そんな時間は無いというなら、元々ジュニアエンジニアをOJTで育てていたというのは幻想です。
(たまに、失敗が経験になるとして、会社に損害を与える方法でジュニアを"教育"しようとする人がいますが、商習慣的にも信義則違反ですし言語道断です)
シニアエンジニアだけで事足りるとしてジュニアエンジニアを雇わなかった企業は、シニアエンジニアが抜けてガタガタになります。
これは中核エンジニアがゴッソリやめた会社が傾くなんて言う話で、昔からそうです。(たいてい、もっと人雇ってくれ待遇上げてくれみたいな悲鳴を圧殺した結果だったりします)
昔から、中堅がやれば手早い仕事を新入社員にやらせて鍛える、その代わり質は悪いし時間もかかるしフォローも必要だったわけでしょう。
AI時代が到来するとしても全く同じです。AIが出力するコードレビューで悲鳴上げてる場合じゃないんですよ。
レビューできるシニアエンジニアが足りなくなると予想されるなら、当然、ジュニアエンジニア雇ってレビューできるようにする必要があるんです。
そしてそれは、技術的な問題点ではなく、組織的・経営的な決断です。
国産LLM開発の文脈でもそうなんですが、ハードウェアの進歩を無視して話をする方が多いのが気になります。
現時点のコンピューターパワーは、10年後には手の届く価格になる可能性が十分高く、もっと言えば20年後には個人が所有する可能性すらあります。
いまから20年前の2005年は、Youtubeが誕生した年です。その時に、誰もがいつも手元にビデオカメラを持ち、即座に動画を世界に公開できるようになるとは思っていなかった頃です。
今もそうだと思いますが、ある分野で必要な性能にはもう十分という期待値があり、10年経てばある程度大きな会社の部署単位で現在最先端のコーディングAIがローカルで動くようになると想像するのは容易です。
そうなったときに、果たして営利企業が、エンジニアを育成するというコストを支払うかといわれると、疑問です。その時点で今後のリアルなコストと比較対象可能になるので。
だって、筆耕担当者とか、清書担当者を雇わなくなった企業って、多いでしょう?
My job went toAI として、じゃあ残るものは何?というのはオーム社の本を読みましょう。再販しないかなあ。
今後数年は変わらないでしょと書いたら今現在進行形で変わっとるわいと突っ込みが来そうなんで防衛的な意味で書いておくんですが、あなたは過去数年間同じ仕事してたんすか?
仕事のやり方とか内容とか、言語とかライブラリとか、毎年のように変わってたでしょ。
レビューの比率が多くなったとか、コード書かなくなったとか、そういうの、たぶん管理職になった人が嘆いてたのと同じっすよね?
少なくとも、ジュニアエンジニアが低品質なバイブコーディング結果を寄越すようになってレビューが大変とか嘆くのなら、まともなコーディング規約一つ作れていない組織の脆弱さを嘆くのが先では?
手癖でバイブコーディングしてヒットしたプロダクトに、あとから品質上げるように大工事するリファクタリングと言うよりリビルディングな仕事って、別に今もありますよね?
散々テストケースを書かなくて良いプロダクトなんて無いという講演だけ聞きに行って、自分とこでテストケースが自動で走るようになって無いなら、そこが問題でしょ。
[开云体育](https://kaiyunhk.com)以专业化、数据化、智能化为核心驱动力,致力于打造一个安全、稳定、高效、丰富的综合性体育娱乐平台。平台自创立以来,始终坚持“用户至上、体验为本”的理念,凭借全面的赛事覆盖、多样的玩法体系、卓越的技术架构和贴心的服务体系,赢得了广大体育爱好者与专业玩家的一致认可。
一、平台愿景:连接全球体育娱乐用户,打造多元互动生态
开云(https://kaiyunhk.com)秉承“让体育更有趣,让娱乐更专业”的品牌理念,聚焦全球化体育产业发展趋势,构建起覆盖体育赛事、电竞赛事、真人娱乐、电子游艺、彩票游戏等多元业务模块的综合服务平台。无论是资深玩家,还是初入门的体育爱好者,都能在开云体育找到符合自身兴趣和需求的服务内容。
开云致力于通过数字化升级,为全球用户提供高标准、高效率、高粘性的沉浸式娱乐体验,真正实现“随时随地,畅享赛事”。
二、核心优势:专业赛事、丰富玩法、智能系统、全面保障
1. 全球赛事覆盖,精彩尽在掌握
开云体育平台覆盖全球超3000项热门体育赛事,包括但不限于足球、篮球、网球、棒球、排球、冰球、拳击、F1 等传统体育赛事,以及英雄联盟(LOL)、Dota2、CS:GO 等主流电竞项目。
在足球领域,平台囊括英超、西甲、意甲、德甲、法甲、中超、欧冠、世界杯等各大主流联赛及国际赛事,实现全年365天全天候不间断赛事更新。用户不仅可以浏览实时赛况,还能第一时间掌握球队动态、球员数据和权威分析,做出更具判断力的选择。
2. 多样化玩法体系,满足多层次需求
开云体育提供超过200种玩法类型,涵盖赛前投注、滚球投注、串关投注、特色玩法、进球数、角球、比分、上下半场等多维度投注选项。平台根据赛事类型和用户习惯不断创新玩法,提升用户参与感和趣味性。
滚球系统响应迅速、赔率即时更新,结合动态动画直播与实时数据推送,营造真正意义上的“边看边玩”沉浸式体验。支持自定义投注策略、智能推荐组合,满足专业玩家对深度操作的需求。
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平台内嵌高清赛事直播系统,覆盖主流热门赛事直播画面,并配合独家3D动画直播引擎,还原真实赛场场景,让用户不在现场也能感受到紧张激烈的赛事氛围。
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平台承诺:
开云体育不追求短期流量红利,而致力于与用户建立长期、稳定、信任的合作关系,打造可持续发展的体育娱乐平台新生态。
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未来,我们将持续探索体育与科技、娱乐与社交的融合新方向,以技术驱动创新,以服务赢得口碑,以信任铸就品牌。开云体育,期待与您共创精彩。
気になる女性がいる。
恋愛系の話をしたことはない。仕事の話とか、ちょっとした雑談くらい。
たまに笑い合えるくらいの距離感だ。
「じゃあ、一緒に食事に行きませんか?」とその場で言いたかった。
どうしても言葉が出なかった。声にする準備してたのに、いざその場になると頭の中の文字が全部霧みたいに消えてしまった。
怖いんだと思う。断られることもそうだけどこの関係のが変わってしまうかもしれないことが。
あの時笑ってくれた笑顔が目に焼き付いて今でも忘れられない。
「もしよかったら、一緒に食事に行きませんか?」
明日言う。
クイズ:このスレと1 は、そのスレ内で第三者から投稿されたとあるイラストにより、大いに笑えるネタとしてミーム化された過去がある。なぜ笑えるネタになったのか?その画像の内容を推測
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【速報】部下が58兆円の商談に失敗したwwwwww
1名前:風吹けば名無し[]投稿日:2016/09/09(金)20:56:58.04ID:cxMYqZwN00909.net
笑えるポイント
「58兆円」という荒唐無稽な金額が核心です。これは日本の国家予算規模に匹敵する途方もない額です。
イラストの内容(推測)
「58兆円」と大きく書かれたプレゼン資料やボードを持っている、あるいは
なぜ笑えるのか
スケールのギャップ:個人や一般企業では絶対に扱えない金額を、ごく普通の会社員が商談しているという設定
シュールな真面目さ:非現実的な設定を真剣に描いているギャップ
ビジュアル化の威力:数字だけでは想像しづらかった荒唐無稽さが、イラストで可視化されることで一層際立つ
アカデミックなreasoningに長けているclaude4.5でも、このようなタスクにはめっぽう弱い
やはり"誰が"という主語を読む機能が無いからだろう (昔から、llmは登場人物が3人以上になるシチュエーションでおかしくなるんだよな)
言われなきゃ分からんでは話にならない
トークンの意味に依存し最もらしい事しか出さない機能は文法を読んでいない
あり得ないことを除外するような調整も一因だろう
この想定能力じゃ、普段の推論の、一般の答えのない部分はどうなってるんだという
あり得ない環境を想像できるワールドモデルとユーモアの実装が待たれる
はよう入れてくれや
AIトレスとか、ポン出しなのに手描き詐称してるとかで、相変わらず界隈が賑わっててちょっと辟易
私の部署でもAIイラスト使ってるけど、使うと言っても出力を再解釈・再構築しつつ、参照用にするだけ
それでも実質的にパクリ放題のお手本が無数にあるわけで、トレスしなくても当社比で数倍早く終わってるし人力だから変な痕跡も残らない
""業務効率化""ツールとしてかなりお役立ち、でしかも反AIなクレーマーは一切湧かない
まぁ、これは事前に半ランダムで生成されてる実質無限のストックがタグで整理されている環境というのもあるけど
欲しくなったタイミングで試行錯誤しながら当たりが生成されるのを待つくらいなら、確かにAI無しで描いたほうが早いってなる
逆に言ったら、絵描き目線ではまだそれくらいの作業が必要で、とてもじゃないけど「誰でもハイクオリティのイラストが簡単に」は厳しい
だからこそ、AI利用を隠したいくせに、文字通りAIを下敷きにして誤魔化せると思ってる絵描きがまだいるのが不思議
「その表現を人力でどうやるか知ってる?どの機能使う?」知らないでしょ
「この部分がどうしてそうなってるか説明できる?」できるわけないよねAIが勝手にやってるんだから
どうしてそれで逃げられると思ったん?事例が多すぎるわ
自分はアラサーのハム務員だが、入庁してからずっと「普通」じゃない人間を笑ったり、悪口を言ったりする文化がどこに行ってもあってウンザリする。
新卒一年目の時には「要領がわるいよね笑学生の頃ノートめっちゃ綺麗に書いて点数悪かったタイプでしょ笑」と先輩に直接言われたし、悪口を陰でいう人がたくさんいるところだったため、その部署の性格なのかと思って全く異なる畑へ異動したが、異動先でも他人の悪口を言う人だらけでしんどくなった。
もちろん、本当に使い物にならない(勤務時間中に寝ている、受信メールのタイトルをずっと読み上げている、etc)のに自分より何倍も給料をもらっている局内のビッグネームはゴロゴロいるが、そのような方は置いといて
仕事のできるできないは普通の人なのに 「言うことを聞きすぎる」とか「決めない」とか「プライベートでは…」「見た目が…」「服装が…」と他人のどうでもいいことをずっと言ってるいい歳した大人たちがじゃんじゃかいて、異動した先にもいる。
そういう人たちは大抵仕事ができる部類で、自分たちのレベルより下の人たちを笑うことが趣味みたいになっている。
自分は他人のことにあまり興味がなくて、本当にどうでもいいと思っているし、むしろ「普通」の人たちから笑われている立場にあるのだろうが、とても居心地が悪い。
どんなに頑張っても年功序列で給料が上がらないハム務員だからこそ、フラストレーションを発散するために他人の悪口を言うのだろうか?
縁故採用でうっかり入社してしまったがゆえ、俺の元で誤魔化し誤魔化しやっていた部下(真面目で要領が悪く、人当たりが良く文章の読み書き力が低く、からあげが好きで抽象的な思考力が非常に乏しい)が、異動になったぜ!!
俺だったから自分の業務と同時並行で尻拭いもできたが、早速他部署ではchatgptの回答を鵜呑みにしたキテレツ答弁を発揮してみんなを困らせているっぽくて、ワハハ、といった感じ。
今どき新聞を購読し続けてるのはアナクロでしかない、ニュースはネットでただで読めるものなのだから紙の新聞なんぞ必要ない
という時代ではあるが、仕事の兼ね合いもあって新聞を紙で取り続けていた。
とはいえ取っていたのは毎日新聞なので、あまり仕事は関係なく、最後の数年はほぼほぼ意地であった。
元々、実家は二世帯住宅で祖母宅は朝日、父母は毎日を購読していた。物心ついたころからリベラル寄りの家と言うわけでもない。たぶん実家に家を建てたときに来たのがこの2紙なのだろう。
なので、毎日新聞で私は育った。小学生時代は毎日小学生新聞を読んでいた。園山俊二の「がんばれゴンべ」を読んで育った(いやそれは言い過ぎか。僕の小学生時代にはすでにアナクロだった)
その後もずっと毎朝、毎日新聞を読んでいた。旧石器捏造事件もリアルタイムで読んだ。あの当時の紙面構成もいまだに覚えている。
21世紀になるころに実家を出た。最初に来た新聞の勧誘がたまたま毎日新聞だったのでそのまま購読した。まだまだ新聞を取るのが常識の時代だった。毎日は大して販促品をくれなかった。翌日に来た読売が山ほど洗剤やらなんやらの販促品をもってきたので、そっちにすればよかったと思った。
数年後、更新のタイミングで現在の家を購入した。とはいえ都内で一軒家を建てられる甲斐性はないのでマンションだ。
たまたま新開発の地域だったこともあり、マンション全体の管理の都合上、購読紙は管理組合が読売がおすすめ、それ以外でもまあいいけどそこまで推奨しないということだった。
なので最初の1か月はお試しで読売を取ってみたが、思った以上に紙面が読みにくく1週間ほどでギブアップしてしまった。新聞なんてどれでも大したことないと思っていたが、思った以上に文体も紙面構成も自分の肌に合わなかった。
1か月で切り上げて朝日に切り替えた。そうしたら、困ったのはチラシだ。居住エリアとチラシが全然合わない。どうやら朝日の販売店のエリアが住まい周辺は端っこらしく、チラシが普段全然使わない駅のスーパーものばかりになってしまったのだ。
困ったのでマンションの元受けに電話してみたら、読売と同じチラシが入るのは毎日だと言われた。
このころ(ゼロ年代半ばくらい)は毎日新聞の論調はまだマシだった。例のWaiWai問題はあるものの紙面そのものは特におかしいところは少なかった。もともとの自身のリベラル志向と新聞の相性が悪くなかったんだと思う。
なんとなくの転機はやはり東日本大震災だと思う。震災後、特に福島第一原発後あたりからかなりおかしくなってきた。
とはいえその頃の毎日新聞には、自分が信頼を置ける記者が何人かいて、その人たちは冷静でポジティブな記事を書いていて非常に好感を持っていた。
なんか紙面全体が、昔はよかった昔はよかったとぶつくさ言いながら喫茶店や床屋で政談をふっかけるおっさんみたいになってきた。
自民党が選挙で大勝して安倍政権になってからはさらにその傾向が強くなった。
僕が信頼していた記者も一人は退職し、もう一人は記者ではなくCSR関連の部署にいってしまい、ものすごく残念だった。
HPVワクチン報道、草津温泉の件など、信頼できない記事が目に見えて増えているのもかなりきつかった。
紙面全体に漂う「ネット言論はすべて敵だ」みたいな空気もすごくきつかった。
だんだん、毎日を取る理由は広告以上のものはなくなっていった。とはいえ、なんとなく経営の危うい(危ういのはもう30年くらい前からだが)新聞を買い支えてる気持ちもあった。
このころ、毎日で唯一よかったのは紙をとっていれば、ネットの有料記事も無料で読めたことだった。
しかし、それも少し前に改定されてしまい、紙でとっていても追加料金を払わなければ紙面をよめなくなってしまった。
この辺でいわば買い支えていた心がぽっきり折れた。そもそも購読料がどんどん値上がりするのもダメすぎた。その金額に情報価値が見合ってなさ過ぎた。
まあ40年も読み続けていれば飽きるというのもある。
実はこの10年ほど仕事で必要というのもあり、日経を電子版で購読していた。
朝の通勤時は日経電子版を読むことが多かった。はてなでは日経は観測気球や飛ばしが多いという印象をもたれがちだが、正直、日経の方が経済への影響を視野に入れるためか、政治や国際情勢に関する記事はフラットで読めるものが多い印象をもった。
今年に入り、自分の支出を見直すようになったこともあり、選択肢として新聞も考えることにした。
そして、毎日をやめて日経を紙でもとることにした。電子版に追加料金で取れるのでこっちでよかった。実は毎日を紙と電子版で両方取った場合と金額はかわらないのだが、毎日を電子と紙で取るという選択肢はなかった。
今年の春くらいから日経に切り替えたので、そろそろ半年たつ。少し懸念していたチラシについては、欲しいチラシは全部入るので日経で十分。
紙面内容もこちらの方が満足度が高い。私の履歴書で有名な文化面が実は読みごたえがあるのに初めて気づいた。通勤時の電子版では後半を読まないので気づかなかった。日経はそもそもの購読者を想定しているせいか、紙面に啓蒙しようという空気が薄いのが良い。啓蒙と言えば聞こえがよいが、今の毎日や朝日はバカを言いくるめようとしているだけとしか思えない。日経は多少のリテラシーがあることを前提に記事を書いてるように思う。つまり読者を信頼している。今の毎日や朝日は読者をバカにしてるのではないだろうか。
毎日では入らないラグジュアリーブランドの広告なんかも逆に面白い。15段ぶち抜いた派手な広告は毎日ではこの数年お目にかかったことが無い。
エコーチャンバーな情報はさんざんネットで浴びるように読んでいるので、新聞はもう少しフラットな情報を読ませてほしい。そういうニーズにこたえてくれるのは今は僕にとっては日経なのだろう。
ようは今の毎日新聞の紙面はクソだと言いたいだけの記事でした。
ところで、この記事を書くために毎日新聞のwikipediaを見たら、なんかしらんがごっそり内容が削除されてるね。以前は誤報や議論となった報道がぎっしり書かれていたんだが。
変更履歴をみたら、去年の10月にごっそり半分くらい削除されてるっぽい。変更した人はこの毎日の記事だけしか手掛けてない。特にそれについて議論もされてないな。なんだこれ。
「才能ない編集者の末路を毎日考えてるけど」って増田を書いてから9年経った。
「自分の担当作は売れない、という事は痛すぎるほど分かっているのにそれでも新人作家を遠くに飛ばそうと全力を尽くすしかない」
って9年前に書いたけど、いまや作家や編集者の才能の多寡を問わず、「売れない」になってきていて、いっそ晴れ晴れした気持ちにすらなっている。
異世界転生や悪役令嬢といった、手堅い読者を弄するジャンルもの、
これらは続刊が出るのはもちろん、「本」を越境してコンテンツ(最近はIPっていうの?)が展開していくので、未来がある。
ジリ貧とまではいかないまでも、出版事業が「文化的に価値があり憧憬のまなざしを集める」というイメージとの乖離がエグい。
編集者は、その夕暮れ感ハンパない実態を目の当たりにしながら、著作に人生を賭けた著者を鼓舞して、「本」をつくらなければならない。
地獄行きだな、と、いつも思う。
怖ろしいのは、体感ではあるが、編集者の6~7割くらいがこの激ヤバな状況に無自覚であることだ。
アラフィフ世代は「逃げ切れる」と思っているし、20代の世代は「別にココじゃなくても良いし」と思っている。
その中間層として、定年にはまだ結構な時間があり、まったくの異業種にもスライドできない30代後半~40代の編集者がいる。
きつい。
自分がきついだけじゃなく、仕事柄、著者を巻き込まざるを得ないからだ。
経営層は、いかに斜陽であろうと「覇権」をとれる1作が生まれればペイすることがあるから、
とにかく出版点数のノルマを吊り上げ、編集者とも言えない編集者を増やす。
夢みる新卒社員をどんどん赤字部門に放り込み、ガチャを回し続ける。
会社員だから、職種にこだわらず、不正を働かず、やりがいを求めなければ、他部署に異動ができる。
いっぽうで災難なのは、その状況下で「数うちゃ当たる」の一弾となる「著者」である。
他に職があればよいが、専業作家になるのは、絶対に絶対に絶対によく考えたほうがいい。
紙書籍の売上は凋落しているいっぽうで、電子書籍は上昇傾向にある。
「原作」「IP」を生み出せる人材は今も切実に求められているとおもう。
そして一握りの人材は、ふつう、斜陽も甚だしい出版業界に身を投じない。
コンテンツ業界なら、配信やアニメやゲームなど、勃興期にあるジャンルはいくらでもある。
なので業界全体の急速な縮小と、人材の質の低下が、両輪となって「紙の本の終わり」に向かって突き進んでいる。
でも、やっぱり人は「物語」を求める。
それは当分変わらないと思う。
その物語を伝達するメディアが「本」でなくなるというだけだろう。
不採算部門の「文化事業」に、踏ん反り返っている人たちが淘汰されるだけだろう。
なにはともあれ全著者に告ぐ。
※専門家でもないし、ネットの情報を鵜呑みにしているため、あくまで私の精神面が成長したというのをそれっぽい単語を用いて使っているだけです。用法・定義が間違ってたらごめん。
自他境界がハッキリしている人たちと会話する機会に恵まれ、対話を重ねていくことで気付かされ、矯正されてきたというのが正しいかもしれない。
それでも十年近くかかったし、同世代と話していると自他境界が曖昧だと思う人はそれなりにいて、根深い問題なんだなと思った。
自分がどのように認識して、どのようなプロセスで改善されてきたかを日記として残しておきたい。
・相手を遊びに誘うことができない
育った環境のせいか、ご機嫌伺いのような癖が抜けず相手に対して100%のパフォーマンスを見せなければ、という思考状態だった。
プライベートでも仕事でも乗り気じゃなくても断ることができず心から嬉しいような演技をしてしまう。どうしても断らないといけなかったりしたときには相手が不機嫌にならないようにフォローをしにいくほどのご機嫌伺いマンだった。
どうやって改善したのかというと、正直ハッキリ分からない。劇的な出来事があった訳でもない。
ただ、先ほども述べた通り、周りにいた自他境界がハッキリしている人達と対話していくうちに思考のベースラインを都度見直ししてきたのが良かったのだと思う。
例えば、以下のような流れを繰り返していった。
3.「~だから、厳密にはウチの仕事じゃないよね?」と上司が説明してくれる。
3.その場は言い訳したりしつつも(じゃあ誰の仕事なんだ?なんで請けてしまったんだ?)を思考していく。
4.自分が請けなくても仕事は回ること、今回はその責任はないことを言い聞かせる。
認められたい・助けることで好かれたい・断ることで嫌われたくないなど。(ここが一番難しい)
5.次回以降同じシチュエーションがあれば、仕事を断ってみる。少しドキドキする。
4は自分の醜いところに向き合う必要があるので恥ずかしかった。
「認められたい」は承認欲求の現れだから(あることが悪いことだとは思わないが)、自分を犠牲にして他人に自分の隙間を埋めてもらう必要はない、と言い聞かせた。
(余談だが、承認欲求が人より大きい自覚もある。そういう人だと底に穴が空いてるのがそもそも問題なので、水を注ぐより底の修理を優先するべきだと考えている。まだ悟りには至ってないが、私は認められたかったんだね、と自覚するだけで効いてきている気がする。)
「助けることで好かれたい」についても、好かれてどうしたいのかを想像してみた。
好かれることで飲み会に誘って欲しいのか、冗談を言い合える仲になりたいのか、他の人にいい人だと広めて欲しいのか、異性であれば下心を叶えたいのか。
そして驚いたんだが好かれた先のビジョンが全くなかった。正直飲み会に誘われても困るし、冗談を言い合える仲になりたいとかもないし、いい人だと広めて欲しいがそこまでの野望も能力もないし、下心もない。
あと、こういうときに仕事を頼む人は本当に代わりにやってくれる人を探しているだけであって、助けてくれたことを恩義に感じる人はかなり少ない。よってあまり意味は無い。
好かれることは経過であって結果ではない。まさに目的と手段が入れ替わっているのが思考していて自分でびっくりした。
好かれなければと強迫観念のように思っていたのに、好かれても嬉しい要素があんまり無かった。
もちろん、仕事に限らず属しているコミュニティで自分の価値を上げたい=好かれたいとは未だに思ってしまうが、世の中そんな簡単に尽くしたからといって上がるようにはなっていない。適正な範囲で少し努力するくらいが凡人には合ってるのだと思う。
最後に、自他境界薄いあるあるだと思うのが「断ることで嫌われたくない」だと思う。
これは自分に置き換えるというのをよくやった。
自分が仕事を正当でない部署の人に頼んだが断られた。これで嫌い!にはならない。せいぜいま、そうだよな……で諦めるくらいだと思う。
お菓子とか物をあげてしまうタイプの人であれば、自分がお菓子をもらえなかったら嫌いになるかを考える。ならないのが普通だと思う。
もしかしたら偶に、だから嫌い!になる人もいるかもしれないが嫌われたからといって、いい大人になった今、徒党を組んでいじめられたりとかは考えづらい。LINEでブロックするなり、上司に相談してNG組み合わせリストとして運用してもらうとか、最悪仕事を辞めればいい。
自分だったら嫌いにならないのに、嫌われてしまう!と咄嗟になってしまうのが自他境界薄い人間の難しいところである。
長々と仕事の例で書いたが、プライベートでも似たように思考するなり置き換えするなりしていった結果、遊びを断ったり、遊びに誘ったり(断られてもそうなのね、で流したり)がなかなかのレベルでこなせるようになってきたと思う。
何もしてないのに不機嫌になる人も怖くはない。不機嫌になる人自身の問題だからだ。
他にも、友人と会話してて寄り添うためにトーンに同調したりするが帰宅した頃にはケロッとしているし、なんなら切り替えて他のことをやれる。
本当に、人間として成長できたのが嬉しい。
物事をハッキリ言える・捉えられるようになったのでストレスも減った。
表で仲良くしつつもSNSで呪詛を垂れ流すようなことも必要ないので人間関係も安定している。
だから自分ではそれが普通だと思ってて、実家のリビングで寝っ転がってテレビを観ている時に、(あれ、皆もしかして片耳をクッションで塞いでてももう片方の耳でテレビの音聞こえるのか?)と思ったのが片耳が聞こえないことを自覚した最初だったかもしれない。
片耳が聞こえないなんてバレたら大事になるんじゃないか、親に心配かけちゃいけないとか思って、学校の聴力検査も全部勘でパスしてきた。検査する人の肩の動きとかガン見して押すタイミングはかったりしてた。
それでもたまに聞こえない側から何回も話しかけられてるのに気付かなくて、友達に「耳キンポ(=つんぼ)!」とか言われたりしてたけど「ごめん集中すると周り見えなくて〜」ってごまかしてた。
中高生になると、音楽聴くのが1番の趣味くらいに好きになった。ある日(なんか音足りなくね?)と思って調べて、サラウンドとかステレオの概念知った時は衝撃だった。右と左で流れてくる音違うなんて、片耳聞こえなかったら大好きな音楽も100%の状態じゃ聞けないんだ、とショックだった。モノラル設定で、バランスも聞こえる側に100%振って聞いてた。
大学生になって、アルバイトを始めた。最初に検討したところはシフトにかなりたくさん入らなきゃいけないし、インカムを使う職種だったので諦めた。聞こえる側イヤホンで塞がれたら、もう片方でコミュニケーションは取れないと思った。
そんなこんなでちょいちょい不便なことはありつつも、でも別に聞こえないの片方だけで、もう片方は健聴なので誰にもバレることはなかった。そしてこれからも特に何もしなくても普通に生きていけると思ってた。というか普通に生きてこれたので特に病院行ったりもしてこなかった。
しかし、就職先もインカム使いそうなところに決まった。研修で「インカム付けてそれぞれの耳から違う指示飛んで来ます」って言われて、それは無理だと思った。でも同じ会社の中でもその職種諦めるとなると、かなり私のやりたいことができなくなるんじゃないか…。とりあえず今更ながら自分の耳の状態をはっきりさせとこうと思って先日耳鼻科に行ってきた。
検査結果は感音性難聴。素人目にもはっきり分かるほど検査結果の左右差は酷かった。片方は明らかに聞こえていなくて、補聴器を考えるレベルも遥かに超えていた。でも自分としては片耳は完全に聞こえない聾だと思っていたので、「耳元でめちゃくちゃ大きい音なら聞こえる」と言われて、少しでも聴力が残っていたのは意外だった。もちろん、目に見えるグラフではっきりと「聞こえない」ことを突きつけられたのは人生初だったので少なからずショックだったけど。
しかし何年も放置していたせいで原因も分からないし治療法も将来的に補聴器を考えるしかないみたい。ちなみに中耳炎やおたふく風邪にはなっていない。水ぼうそうには小さい頃なっていた。まあ先生ふわっとしてたから一応来週あたりセカンドオピニオンにも行ってみようかな…。まあ自分で調べてみた限り言われることは同じそうだけど…。
あーあ、人事の人に早めに言うか迷うなあ。内定取り消し、はさすがにないと信じたいとしても、「耳聞こえないならインカム使わない部署で!」ってなったら頑張って就活したのにやりたいことを諦めざるを得ない配属になるかもしれない。それだったら、今まで支障なく生きてきたんだからしれっとしてて、支障が出てきたら言って骨伝導イヤホンとか試させてもらえばいいんじゃないか。
まあ骨伝導イヤホンも、オーテクのやつこないだ試聴してみたら、全く聞こえなかったんだけど(骨伝導イヤホンも聞こえるかは相性によるらしい)。
ああ、急に不安になってきた。