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2025-07-14

anond:20250713172930

万博行って未だに解決出来ないと思ったこ

TL;DR

ケチ

施設観覧や荷物検査とか結局物量でやるしかないという現実を見せつけられた

11時入場開始で10時45分に夢洲駅に到着して入れたのは1220分とかになるとうーむとなる

あと、パビリオンの予約が原則取れないので予約合戦を勝ち取らないといけないのは結構キツいなあと思った

未来に向けてって話だったけど結局物量に対しては物量でやるしかないのかとなった

私が行ったのは6月後半だが30度超えてたので結構きつかった

2Lペットボトルが足らなく途中で500ML2つほど補充したが

まあ入場口付近の暑さ対策電気スポットクーラー

ちょこちょこおいてあるだけってフザケてるなあと思った

ミストだと化粧落ちるとかあるんか?

命より化粧ってあるんかね

会場内は密集を避ければそれなりに過ごせた

大屋リングがあったおかげで下の通路避暑地

上の芝生エリア結構風が通って夕方あたりは気持ち良かった

大屋リングはなかったら最悪の会場だったと思う

ここは現在技術解決できると思ってただけにケチだなって思った

  • 5G通信がまともに整備されてなかった

してくれ

ローカル5Gによる高速通信提供も出来たと思うんだが

これで6Gは覇権取ろうとしてますとか

5Gもまともに運営出来ないなら出来ねえだろって思う

6月に行った際は予約不要アメリカ中国インドUAEに並んだがアメリカの真っ昼間の2時間並ぶは流石にきつかった

アメリカだったらQRコード読み込んでこの時間に来てねってのも出来たと思う

情報弱者も来るなら並べってのが最適解だって現実見せつけられたとき

結局近未来行列とかは解決できないのかってのを見せつけられた万博でありこの増田同意できるなあという感想

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2025-07-05

anond:20250705143715

古典的方法として、避暑地ですごす(海外もあり)、というのがあるけどそれは試したの?

Permalink |記事への反応(1) | 21:42

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2025-04-09

菊子さん。恥をかいちゃったわよ。ひどい恥をかきました。顔から火が出る、などの形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。サムエル後書にありました。「タマル、灰を其の首に蒙り、着たる振袖を裂き、手を首にのせて、呼わりつつ去ゆけり」可愛そうな妹タマル。わかい女は、恥ずかしくてどうにもならなくなった時には、本当に頭から灰でもかぶって泣いてみたい気持になるわねえ。タマルの気持がわかります。  菊子さん。やっぱり、あなたのおっしゃったとおりだったわ。小説家なんて、人の屑よ。いいえ、鬼です。ひどいんです。私は、大恥かいちゃった。菊子さん。私は今まであなた秘密にしていたけれど、小説家戸田さんに、こっそり手紙を出していたのよ。そうしてとうとう一度お目にかかって大恥かいしまいました。つまらない。  はじめから、ぜんぶお話しましょう。九月のはじめ、私は戸田さんへ、こんな手紙差し上げました。たいへん気取って書いたのです。 「ごめん下さい。非常識と知りつつ、お手紙をしたためます。おそらく貴下の小説には、女の読者がひとりも無かった事と存じます。女は、広告のさかんな本ばかりを読むのです。女には、自分の好みがありません。人が読むから、私も読もうという虚栄みたいなもので読んでいるのです。物知り振っている人を、矢鱈に尊敬いたします。つまら理窟を買いかぶります。貴下は、失礼ながら、理窟をちっとも知らない。学問も無いようです。貴下の小説を私は、去年の夏から読みはじめて、ほとんど全部を読んでしまったつもりでございます。それで、貴下にお逢いする迄もなく、貴下の身辺の事情容貌風采、ことごとくを存じて居ります。貴下に女の読者がひとりも無いのは、確定的の事だと思いました。貴下は御自分の貧寒の事や、吝嗇の事や、さもしい夫婦喧嘩下品な御病気それから容貌のずいぶん醜い事や、身なりの汚い事、蛸の脚なんかを齧って焼酎を飲んで、あばれて、地べたに寝る事、借金だらけ、その他たくさん不名誉な、きたならしい事ばかり、少しも飾らずに告白なさいます。あれでは、いけません。女は、本能として、清潔を尊びます。貴下の小説を読んで、ちょっと貴下をお気の毒とは思っても、頭のてっぺんが禿げて来たとか、歯がぼろぼろに欠けて来たとか書いてあるのを読みますと、やっぱり、余りひどくて、苦笑してしまます。ごめんなさい。軽蔑したくなるのです。それに、貴下は、とても口で言えない不潔な場所の女のところへも出掛けて行くようではありませんか。あれでもう、決定的です。私でさえ、鼻をつまんで読んだ事があります。女のひとは、ひとりのこらず、貴下を軽蔑し、顰蹙するのも当然です。私は、貴下の小説をお友だちに隠れて読んでいました。私が貴下のものを読んでいるという事が、もしお友達にわかったら、私は嘲笑せられ、人格を疑われ、絶交される事でしょう。どうか、貴下に於いても、ちょっと反省をして下さい。私は、貴下の無学あるいは文章拙劣、あるいは人格の卑しさ、思慮の不足、頭の悪さ等、無数の欠点をみとめながらも、底に一すじの哀愁感のあるのを見つけたのです。私は、あの哀愁感を惜しみます。他の女の人には、わかりません。女のひとは、前にも申しましたように虚栄ばかりで読むのですから、やたらに上品ぶった避暑地の恋や、あるいは思想的な小説などを好みますが、私は、そればかりでなく、貴下の小説の底にある一種哀愁感というもの尊いのだと信じました。どうか、貴下は、御自身容貌の醜さや、過去の汚行や、または文章の悪さ等に絶望さらず、貴下独特の哀愁感を大事になさって、同時に健康留意し、哲学語学をいま少し勉強なさって、もっと思想を深めて下さい。貴下の哀愁感が、もし将来に於いて哲学的に整理できたならば、貴下の小説今日の如く嘲笑せられず、貴下の人格も完成される事と存じます。その完成の日には、私も覆面をとって私の住所姓名を明らかにして、貴下とお逢いしたいと思いますが、ただ今は、はるかに声援をお送りするだけで止そうと思いますお断りして置きますが、これはファン・レタアではございませぬ。奥様なぞにお見せして、おれにも女のファンが出来たなんて下品にふざけ合うのは、やめていただきます。私はプライドを持っています。」  菊子さん。だいたい、こんな手紙を書いたのよ。貴下、貴下とお呼びするのは、何だか具合が悪かったけど「あなた」なんて呼ぶには、戸田さんと私とでは、としが違いすぎて、それに、なんだか親し過ぎて、いやだわ。戸田さんが年甲斐も無く自惚れて、へんな気を起したら困るとも思ったの。「先生」とお呼びするほど尊敬もしてないし、それに戸田さんには何も学問がないんだから先生」と呼ぶのは、とても不自然だと思ったの。だから貴下とお呼びする事にしたんだけど、「貴下」も、やっぱり少しへんね。でも私は、この手紙投函しても、良心の呵責は無かった。よい事をしたと思った。お気の毒な人に、わずかでも力をかしてあげるのは、気持のよいものです。けれども私は此の手紙には、住所も名前も書かなかった。だって、こわいもの。汚い身なりで酔って私のお家へ訪ねて来たら、ママは、どんなに驚くでしょう。お金を貸せ、なんて脅迫するかも知れないし、とにかく癖の悪いおかただから、どんなこわい事をなさるかわからない。私は永遠に覆面女性でいたかった。けれども、菊子さん、だめだった。とっても、ひどい事になりました。それからひとつき経たぬうちに、私は、もう一度戸田さんへ、どうしても手紙を書かなければならぬ事情が起りました。しかも今度は、住所も名前も、はっきり知らせて。  菊子さん、私は可哀想な子だわ。その時の私の手紙の内容をお知らせすると、事情もだいたいおわかりの筈ですから、次に御紹介いたしますが、笑わないで下さい。 「戸田様。私は、おどろきました。どうして私の正体を捜し出す事が出来たのでしょう。そうです、本当に、私の名前は和子です。そうして教授の娘で、二十三歳です。あざやかに素破抜かれてしまいました。今月の『文学世界』の新作を拝見して、私は呆然としてしまいました。本当に、本当に、小説家というものは油断のならぬものだと思いました。どうして、お知りになったのでしょう。しかも、私の気持まで、すっかり見抜いて、『みだらな空想をするようにさえなりました。』などと辛辣な一矢を放っているあたり、たしかに貴下の驚異的な進歩だと思いました。私のあの覆面手紙が、ただちに貴下の製作慾をかき起したという事は、私にとってもよろこばしい事でした。女性の一支持が、作家をかく迄も、いちじるしく奮起させるとは、思いも及ばなかった事でした。人の話に依りますと、ユーゴーバルザックほどの大家でも、すべて女性保護と慰藉のおかげで、数多い傑作をものしたのだそうです。私も貴下を、及ばずながらお助けする事に覚悟をきめました。どうか、しっかりやって下さい。時々お手紙差し上げます。貴下の此の度の小説於いてわずかながら女性心理の解剖を行っているのはたしかに一進歩にて、ところどころ、あざやかであって感心も致しましたが、まだまだ到らないところもあるのです。私は若い女性ですから、これからいろいろ女性の心を教えてあげます。貴下は、将来有望の士だと思いますだんだん作品も、よくなって行くように思います。どうか、もっと御本を読んで哲学教養も身につけるようにして下さい。教養が不足だと、どうしても大小説家にはなれません。お苦しい事が起ったら、遠慮なくお手紙を下さい。もう見破られましたから、覆面はやめましょう。私の住所と名前表記のとおりです。偽名ではございませんから、御安心下さいませ。貴下が、他日、貴下の人格を完成なさった暁には、かならずお逢いしたいと思いますが、それまでは、文通のみにて、かんにんして下さいませ。本当に、このたびは、おどろきました。ちゃんと私の名前まで、お知りになっているのですもの。きっと、貴下は、あの私の手紙に興奮して大騒ぎしてお友達みんなに見せて、そうして手紙消印などを手がかりに、新聞社のお友達あたりにたのんで、とうとう、私の名前を突きとめたというようなところだろうと思っていますが、違いますか? 男のかたは、女から手紙だと直ぐ大騒ぎをするんだから、いやだわ。どうして私の名前や、それから二十三歳だという事まで知ったか手紙でお知らせ下さい。末永く文通いたしましょう。この次からは、もっと優しい手紙差し上げましょうね。御自重下さい。」  菊子さん、私はいま此の手紙を書き写しながら何度も何度も泣きべそをかきました。全身に油汗がにじみ出る感じ。お察し下さい。私、間違っていたのよ。私の事なんか書いたんじゃ無かったのよ。てんで問題にされていなかったのよ。ああ恥ずかしい、恥ずかしい。菊子さん、同情してね。おしまいまでお話するわ。  戸田さんが今月の『文学世界』に発表した『七草』という短篇小説、お読みになりましたか二十三の娘が、あんまり恋を恐れ、恍惚を憎んで、とうとうお金持ちの六十の爺さんと結婚してしまって、それでもやっぱり、いやになり、自殺するという筋の小説。すこし露骨で暗いけれど、戸田さんの持味は出ていました。私はその小説を読んで、てっきり私をモデルにして書いたのだと思い込んでしまったの。なぜだか、二、三行読んだとたんにそう思い込んで、さっと蒼ざめました。だって、その女の子名前は私と同じ、和子じゃないの。としも同じ、二十三じゃないの。父が大学先生をしているところまで、そっくりじゃないの。あとは私の身の上と、てんで違うけれど、でも、之は私の手紙からヒントを得て創作したのにちがいないと、なぜだかそう思い込んでしまったのよ。それが大恥のもとでした。  四、五日して戸田さんから葉書いただきましたが、それにはこう書かれて居りました。 「拝復。お手紙いただきました。御支持をありがたく存じます。また、この前のお手紙も、たしかに拝誦いたしました。私は今日まで人のお手紙を家の者に見せて笑うなどという失礼な事は一度も致しませんでした。また友達に見せて騒いだ事もございません。その点は、御放念下さい。なおまた、私の人格が完成してから逢って下さるのだそうですが、いったい人間は、自分自分を完成できるものでしょうか。不一。」  やっぱり小説家というものは、うまい事を言うものだと思いました。一本やられたと、くやしく思いました。私は一日ぼんやりして、翌る朝、急に戸田さんに逢いたくなったのです。逢ってあげなければいけない。あの人は、いまきっとお苦しいのだ。私がいま逢ってあげなければ、あの人は堕落してしまうかも知れない。あの人は私の行くのを待っているのだ。お逢い致しましょう。私は早速、身仕度をはじめました。菊子さん、長屋貧乏作家訪問するのに、ぜいたくな身なりで行けると思って? とても出来ない。或る婦人団体幹事さんたちが狐の襟巻をして、貧民窟の視察に行って問題を起した事があったでしょう? 気を附けなければいけません。小説に依ると戸田さんは、着る着物さえ無くて綿のはみ出たドテラ一枚きりなのです。そうして家の畳は破れて、新聞紙を部屋一ぱいに敷き詰めてその上に坐って居られるのです。そんなにお困りの家へ、私がこないだ新調したピンクドレスなど着て行ったら、いたずらに戸田さんの御家族を淋しがらせ、恐縮させるばかりで失礼な事だと思ったのです。私は女学校時代のつぎはぎだらけのスカートに、それからやはり昔スキーの時に着た黄色いジャケツ。此のジャケツは、もうすっかり小さくなって、両腕が肘ちかく迄にょっきり出るのです。袖口はほころびて、毛糸が垂れさがって、まず申し分のない代物なのです。戸田さんは毎年、秋になると脚気が起って苦しむという事も小説で知っていましたので、私のベッドの毛布を一枚、風呂敷に包んで持って行く事に致しました。毛布で脚をくるんで仕事をなさるように忠告たかったのです。私は、ママにかくれて裏口から、こっそり出ました。菊子さんもご存じでしょうが、私の前歯が一枚だけ義歯で取りはずし出来るので、私は電車の中でそれをそっと取りはずして、わざと醜い顔に作りました戸田さんは、たしか歯がぼろぼろに欠けている筈ですから戸田さんに恥をかかせないように、安心させるように、私も歯の悪いところを見せてあげるつもりだったのです。髪もくしゃくしゃに乱して、ずいぶん醜いまずしい女になりました。弱い無智な貧乏人を慰めるのには、たいへんこまかい心使いがなければいけないものです。  戸田さんの家は郊外です。省線電車から降りて、交番で聞いて、わりに簡単戸田さんの家を見つけました。菊子さん、戸田さんのお家は、長屋ではありませんでした。小さいけれども、清潔な感じの、ちゃんとした一戸構えの家でした。お庭も綺麗に手入れされて、秋の薔薇が咲きそろっていました。すべて意外の事ばかりでした。玄関をあけると、下駄箱の上に菊の花を活けた水盤が置かれていました。落ちついて、とても上品な奥様が出て来られて、私にお辞儀を致しました。私は家を間違ったのではないかと思いました。 「あの、小説を書いて居られる戸田さんは、こちらさまでございますか。」と、恐る恐るたずねてみました。 「はあ。」と優しく答える奥様の笑顔は、私にはまぶしかった。 「先生は、」思わず先生という言葉が出ました。「先生は、おいででしょうか。」  私は先生書斎にとおされました。まじめな顔の男が、きちんと机の前に坐っていました。ドテラでは、ありませんでした。なんという布地か、私にはわかりませんけれど、濃い青色の厚い布地の袷に、黒地に白い縞が一本はいっている角帯をしめていました。書斎は、お茶室の感じがしました。床の間には、漢詩の軸。私には、一字も読めませんでした。竹の籠には、蔦が美しく活けられていました。机の傍には、とてもたくさんの本がうず高く積まれていました。  まるで違うのです。歯も欠けていません。頭も禿げていません。きりっとした顔をしていました。不潔な感じは、どこにもありません。この人が焼酎を飲んで地べたに寝るのかと不思議でなりませんでした。 「小説の感じと、お逢いした感じとまるでちがいます。」私は気を取り直して言いました。 「そうですか。」軽く答えました。あまり私に関心を持っていない様子です。 「どうして私の事をご存じになったのでしょう。それを伺いにまいりましたの。」私は、そんな事を言って、体裁を取りつくろってみました。 「なんですか?」ちっとも反応がありません。 「私が名前も住所もかくしていたのに、先生は、見破ったじゃありませんか。先日お手紙差し上げて、その事を第一におたずねした筈ですけど。」 「僕はあなたの事なんか知っていませんよ。へんですね。」澄んだ眼で私の顔を、まっすぐに見て薄く笑いました。 「まあ!」私は狼狽しはじめました。「だって、そんなら、私のあの手紙意味が、まるでわからなかったでしょうに、それを、黙っているなんて、ひどいわ。私を馬鹿だと思ったでしょうね。」  私は泣きたくなりました。私は何というひどい独り合点をしていたのでしょう。滅っ茶、滅茶。菊子さん。顔から火が出る、なんて形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。 「それでは、あの手紙を返して下さい。恥ずかしくていけません。返して下さい。」  戸田さんは、まじめな顔をしてうなずきました。怒ったのかも知れません。ひどい奴だ、と呆れたのでしょう。 「捜してみましょう。毎日手紙をいちいち保存して置くわけにもいきませんから、もう、なくなっているかも知れませんが、あとで、家の者に捜させてみます。もし、見つかったら、お送りしましょう。二通でしたか?」 「二通です。」みじめな気持。 「何だか、僕の小説が、あなたの身の上に似ていたそうですが、僕は小説には絶対モデルを使いません。全部フィクションです。だいいち、あなた最初のお手紙なんか。」ふっと口を噤んで、うつむきました。 「失礼いたしました。」私は歯の欠けた、見すぼらしい乞食娘だ。小さすぎるジャケツの袖口は、ほころびている。紺のスカートは、つぎはぎだらけだ。私は頭のてっぺんから足の爪先まで、軽蔑されている。小説家悪魔だ! 嘘つきだ! 貧乏でもないのに極貧の振りをしている。立派な顔をしている癖に、醜貌だなんて言って同情を集めている。うんと勉強している癖に、無学だなんて言ってとぼけている。奥様を愛している癖に、毎日夫婦喧嘩だと吹聴している。くるしくもないのに、つらいような身振りをしてみせる。私は、だまされた。だまってお辞儀して、立ち上り、 「御病気は、いかがですか? 脚気だとか。」 「僕は健康です。」  私は此の人のために毛布を持って来たのだ。また、持って帰ろう。菊子さん、あまりの恥ずかしさに、私は毛布の包みを抱いて帰る途々、泣いたわよ。毛布の包みに顔を押しつけて泣いたわよ。自動車運転手に、馬鹿野郎! 気をつけて歩けって怒鳴られた。  二、三日経ってから、私のあの二通の手紙が大きい封筒にいれられて書留郵便でとどけられました。私には、まだ、かすかに一縷の望みがあったのでした。もしかしたら、私の恥を救ってくれるような佳い言葉を、先生から書き送られて来るのではあるまいか。此の大きい封筒には、私の二通の手紙の他に、先生の優しい慰めの手紙はいっているのではあるまいか。私は封筒を抱きしめて、それから祈って、それから開封したのですが、からっぽ。私の二通の手紙の他には、何もはいっていませんでした。もしや、私の手紙レターペーパーの裏にでも、いたずら書きのようにして、何か感想でもお書きになっていないかしらと、いちまい、いちまい、私は私の手紙レターペーパーの裏も表も、ていねいに調べてみましたが、何も書いていなかった。この恥ずかしさ。おわかりでしょうか。頭から灰でもかぶりたい。私は十年も、としをとりました。小説家なんて、つまらない。人の屑だわ。嘘ばっかり書いている。ちっともロマンチックではないんだもの普通の家庭に落ち附いて、そうして薄汚い身なりの、前歯の欠けた娘を、冷く軽蔑して見送りもせず、永遠に他人の顔をして澄ましていようというんだから、すさまじいや。あんなの、インチキというんじゃないかしら。

https://anond.hatelabo.jp/20250409181440

Permalink |記事への反応(0) | 17:42

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2024-12-23

100歳まで生きると言っていた祖父が85歳で亡くなった

100歳まで生きると言っていた祖父が85歳で亡くなった。

本当に突然のことだった。前日には親戚の集いがあり、祖父も参加していた。もちろん自分も参加した。お酒を飲んで親族と楽しそうに話して、「来年もまたみんなで集まれますように!」と言っていたのにその次の日に亡くなってしまった。

その日は祖母が外出の予定があった。昼過ぎに家を出て、夕方ごろに帰ってきた時には祖父が倒れていて体が冷たかったそう。祖母は倒れていた祖父を見つけて救急車を呼んでくれたけれど、心臓が止まってしまっていて、病院に着いた頃にはダメだと言われた。祖母はショックからか、いつも溌剌としているのに全く元気がなく会っても一言言葉を発することがなく、そんな祖母を見て心が痛くなった。辛かった。

祖父は私のことを自慢の孫だと何度も何度も褒めてくれた。小学生の時に塾のテストが良かったときも、中高生の時に大会出場してくれた時も、就活内定をもらえた時も。内定をもらえた時、絶対祖父母に連絡をしていた。「内定貰えたよ!」と送ると、必ず「さすが!自慢の孫だ!」と返してきてくれた。まだ就活は続くのに、もう内定をもらっても祖父褒め言葉は聞くことができない。

夏には避暑地にある祖父が所有している別荘へ1ヶ月ほど泊まって過ごすのが毎年恒例になっていた。80を過ぎて免許も返納し、スーパーへ行く足が無くなってしまい困っていたので、免許を取ってスーパーへ連れて行った。一度だけ。来年こそは高速運転マスターして、ゴールデンウィークに一緒に行く予定だった。「ゴールデンウィークまでに就活終わって行けたらいいね」とよくLINEしてくれていたのに、叶わなくなってしまった。もう、祖父と共に別荘で過ごすこともできない。朝の散歩コースを一緒に歩くこともできない。一緒に選んで買った、最近新しくしたパソコンスマホだって、もう使う事はない。

祖父は本当にパワフルな人間で、毎朝5時に起きてはラジオ体操をして、毎日一万歩も散歩をしていた。本人は100歳まで生きるつもりだったので、私が20歳誕生日の時には「〇〇ちゃんに美味しいものを食べさせられるのはあと16年しかないな!」と言っていたのに。本当に元気な人間だったので、親戚みんなが100歳近くまで生きると思っていたし、100歳は無理でも、90歳までは生きると思っていた。本気で思っていた。なのに、こんなにあっけなく天国へ行ってしまった。1番最初の孫で、誰よりも可愛がられてきた自覚があるので、余計に辛かった。でも、60年近くずっと一緒に暮らしていた祖母もっともっと辛いだろうし、母もずっと泣いているので自分だけ辛くなって泣いてちゃいけないと思いながらも、これを書いて涙を流している。

全てを投げ出して祖父と母を支えてあげたいものだけれど、残酷なことに時間というのは変化なく進んでいく。今日もやらなくてはならないことがあるし明日明後日もある。祖父に「その企業から内定貰えたのか!すごいな!さすが自慢の孫だ!」と言ってもらえるように明日から就活を頑張るのがとりあえずの目標である気合を入れて、なんとか乗り越えていきたい。

明日には海外に住んでいる従姉妹帰国して駆けつけてくれるらしい。元気な人だったので、最期病気で苦しむことなく亡くなるだろうと思っていたけれど、その日がこんなに早くくるとは思わず、ふと思い出すと涙が止まらなくなる。最後最後親族にたくさん会え、大好きな孫の顔を見れたのはよかったのではないかと思いたい。今日のことを忘れたくないためにここに書き記した。祖父がくれた偉大な愛を、忘れずに生きていく。



※追加(2024.12.25 ※修正 2024.12.27)

祖父に会いに行った。今にも起きて「おう!」と声かけてきそうで、もう生きていないなんて信じられなかった。苦しんでいる表情でもないから、本当にピンピンコロリしたんだと思う。

祖父スマホを見たところ、親戚のグループLINEに送るためにクリスマスGIFをたくさん保存していたらしい。本当にかわいい祖父だった。毎回新年の挨拶や誰かの誕生日には1番に祝ってくれて、いろんなGIFを保存して送ってくれていた。それももう、見ることができない。先日第一希望面接が通過して、それを母に報告したら「祖父にもLINEしといてね!」と言われたけど、返事が返ってこないのがしんどくて送ることができなかった。もう少し心の余裕を取り戻すのに時間がかかりそうである

いろんな人が会いにきてくれて、たくさんの人がお葬式に参列してくれるらしい。本当に人格者で誰にでも明るい人だったんだなあと思った。祖父は亡くなったら連絡する人リストを作っていたらしく、あまりの丁寧さに感嘆した。さすがの祖父である祖母もなんとか元気にやってそうで安心した。お葬式までまた何回か会いに行く。

Permalink |記事への反応(12) | 00:36

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2024-08-10

anond:20240809222954

栃木行ったことないにわか民だけど、栃木にはなんとなく素敵だなってイメージがあるよ。

🍓いちご🍓

とちおとめとかスカイベリーとか有名品種がたくさん!

🥟宇都宮餃子🥟

なんかよく名前聞くB級グルメがある!

⛩️日光東照宮⛩️

とっても有名で煌びやかな観光地

♨️鬼怒川温泉♨️

昔とっても栄えていた有名な温泉

今は廃墟温泉の組み合わせで再ブーム気味!?

⛰️那須高原⛰️

ハイランドパークだっけ?なんか遊園地があったり避暑地というか別荘地的なおしゃれで楽しい観光地というイメージがある!行ったことないけど!

Permalink |記事への反応(0) | 07:39

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2024-07-01

避暑地」って名前負けしすぎだろ

そんなに暑さ避けれてないだろ

そもそも避暑地行くまでに手間かかりすぎだろ

ずっと自宅にいてエアコン付けてたほうがなんぼか汗かかないだろ

Permalink |記事への反応(0) | 14:10

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2024-06-28

避暑地(※真夏の昼間の晴天時は東京灼熱地獄とあまり変わらない)

最近このパターン避暑地多すぎじゃね?

Permalink |記事への反応(0) | 15:06

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2024-04-28

なんだかんだ田舎避暑地に来ても

当地物産売ってる昔ながらの店みたいなのよりイオンモールの方が百倍ぐらい使い勝手がいいの罪深いよなぁ……

Permalink |記事への反応(0) | 23:26

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2024-04-09

日本三大マジカ都市 

本気軽(まじかる)

本庄市 大学新幹線もある

気仙沼市 海

軽井沢町 避暑地

Permalink |記事への反応(0) | 09:11

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2024-02-16

anond:20240216183001

避暑地の別荘で意識高い研修合宿したら

男女共用トイレにくっさいおしっこうんちをしないといけないのかな

Permalink |記事への反応(0) | 18:33

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2024-02-01

anond:20240201171055

豊田市は割と栄えてると思うけど、デンソーアイシンがある刈谷市はショボショボ。まあそれこそ名古屋に吸収されてるという気はするけど。

言われてみると、豊田市駅も42万人都市玄関駅の割にしょぼいな

でも、愛知場合電車社会じゃなくて、車社会からっていうのがいちばんしっくり来る

名古屋から豊田でも電車使わずに車で行く連中はかなりいるだろう

一方で浜松とかかなり栄えてると思うんだよね。でもヤマハ程度のパワーでそこまでいくか?と思う。

浜松が栄えてるのは、東海道の大きな宿場町だった、ってことも結構大きそうに思うわ

岡崎三河だと大きな街だけど、あれは完全に宿場町の名残と思う

気になったので、豊田刈谷についても調べてみたんだけど、この二つは大きな宿場町はないことが判明した

豊田の端に足助という宿場町があるが、合併豊田市になったような端なので、ちょっと例外かな

一方、厚木はどうだったか調べたら、交通の要所で大きな宿場だったらしい

答えは、古くから栄えた街がそのまま現代でも栄えたってことだったっぽいね

千葉生活のための細々とした街道があったくらいだもんな

明治まで市川湘南のような避暑地別荘地だったみたいだから、栄えてなかったんだよね

千葉人間生活スタイルとして完全に郊外型なので、田舎と同じで駅前商店街が廃れてイオン的なモールに全て吸収される傾向はあるかも。

千葉の人が郊外型というのは同意

本来駅前商店街が栄えるポテンシャルはあるんだけどね

なぜかというと道路がクソすぎて渋滞がひどいか

俺はあまりの酷さに耐えられず車手放した

なんか答えが出た気がするわ、ありがとう

Permalink |記事への反応(1) | 17:36

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2024-01-17

北海道沖縄避暑地リゾートがあり、京都奈良歴史的建造物ありはもちろんのこと、火山帯温泉も多くて、山がちな地形とプレー境界ゆえの地形変動の多さで景勝地も多数、太平洋日本海瀬戸内海東シナ海オホーツク海と獲れる海産物風景も違う海が揃っているし

 

自国語で不便なく過ごせる国内観光という観点では日本人であることは爆アドなので日本人もっと国内旅行をした方がいい

 

災害まみれの日本で一地域から出ずに過ごすのはデメリットだけを受けてメリットを捨てる愚行

Permalink |記事への反応(0) | 18:02

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2023-09-28

anond:20230928172158

自分にとっては夏というのは「同じ地域の他の季節と比べて相対的に」気温が高く「なりやすい」時期のことだね

夏であれば当然暑いという印象はないな

 

冷夏だって何度も経験してるし、避暑地は夏でも大して暑くならないし

Permalink |記事への反応(0) | 17:26

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2023-08-22

水着もなければ露出度の高い衣装もない女性タレント写真集価値がよくわからん

水着もなければ露出度の高い衣装もない女性タレント写真集価値がよくわからん

女性ファン向けに出すファッションブックみたいなのは別。

ちょっとおしゃれな格好をして避暑地に行ったりしているような写真を見せられても、どうしろと。

Permalink |記事への反応(3) | 17:44

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2023-08-03

一人ボックスを見つけた増田酢魔他欠身をすくっボリと日(回文

おはようございます

テレビチャンネルでさ地域発のさ

20時45分からとかのニュースとかやってんじゃない。

やっぱり地域のこととか知ってないと!って思って面白く見るのよ。

全国のニュースは全国のニュースを同じの1日やってるけど

それはそれで地域ニュースを密着したこの時期暑いぐらいって感じの密着度でお送りしていると思うそ地域ニュース

もはや連日の暑さの記録を更新しました!ってニュースばかりで

何回も言っているけれど50年に1度の記録を毎日叩き出している記録に残る記録より記憶に残る記録を!って陸上競技のすごい成績を上げた選手が言いそうなぐらい

毎日暑いって内容のニュースをやってんのよねー。

毎日暑いですねってキャスターも大変よ!

もうさこの暑さで私も歩くの外だと死んでしまうので、

涼しくない時間帯はバス最近乗るようにして涼しく移動しているのよね。

昔はよく道端で行き倒れている人をよく見かけたけれど、

さすがにこの猛暑で好んで外に出る活動家環境活動家のグレタちゃんレヴェルでも涼しい室内にいそうよね。

野良猫とかどこで涼んでいるのかしら?

夜中に涼しいところで腹ばいになって寝ている猫に暑いね!って声かけると

声かけないでよ暑いんだからって内容の返事の「にゃー」って声が返ってくるんだけど、

猫も暑そうよねーって。

そして車にどうぞ気を付けてね!って私も声かけるの。

猫にさー猫って声かけたら

人間でもすごい大きな生き物に「おい人間!」って声かけられたらなんかちょっとムッとしそうな感じがするので、

猫にあっても猫!って言わないで、

今日暑いね!とかさっきも言った車に気を付けてね!って話しかけると

なんか効いてくれてるような気がするわ。

猫はきっとバレていないと思っているけど人の話すことは分かるのよ。

無理矢理ペットが「ごはん!」って言わせられる面白映像を見るとなんか切なくなっちゃうぐらいよ。

で、

なんだっけ?

早々私も最近涼む移動でバスに乗るって話しなんだけど、

そのバス停留所

駅のバスターミナル地下街からドールバナナ自動販売機を曲がって上に上がると私の乗るバス停のところにちょうど地上に上がれる地下から階段があるのね。

最近その階段の踊り場と言っていても誰も全然そこでダンシングヒーローとか見たこと一切無いぐらいの少しスペースのある踊り場で

なんか電話ボックスみたいなボックスオフィス的なのがあったのよ。

あの冷房効いているのかしら?

ちょっと街中で増田を書くにはちょうどよくない?って私はいつかそこを使ってみたいと思うのよ。

映画館ロビー1人カラオケが出来るようなボックスは見たことあるけど

1人で仕事が出来るボックスは初めて見たので、

へーこんなのがあるんだーって

夏の避暑地避難場所にしてもいいかもしれないわ。

飲み物持ってノートパソコン持ち込んだらペキカンじゃないかしら?

そう思ってるのよね。

中が涼しかったらいいんだけれど。

あんまりバス乗んなかったか

珍しくのると色々な知らない道通ったりして

発見が新たに新しいものがあったりするわよね。

でもほんと1回1人ボックスオフィルは使って見たいと思ったわ。

ドール自動販売機バナナ買ってる場合じゃないわ!

うふふ。


今日朝ご飯

レタスハムサンドしました。

ハムタマゴとかなんか重いたそうなので、

軽めのぱりっと決められるレタスサンドにしたのよ。

食欲はないことないけどパクパクどーんと食べたい気持ちではないやっぱりこれは夏バテの季節のシーズン前兆予兆なのかしら?

デトックスウォーター

久々の水出しルイボスティーウォーラーね。

最近味濃いいと重たいので

うっすら色や香りが付くぐらいの感じが好みかも、

これも夏バテの予感の前触れなのかしら?

私は認めないわよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 13:07

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2023-07-31

anond:20230730131605

避暑地リゾート🌴🍈🏊⛵

Permalink |記事への反応(0) | 16:47

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2023-07-25

サルトル「裕福な人が戦争を起こし、貧乏な人が戦争で死ぬ」

ウクライナ徴兵逃れ横行 「富裕層あっせん」|日経新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB098BF0Z01C22A2000000/

 

君の人生を困難にしているのは、

学習障害があって文章意図が読みにくいか言語化能力が弱すぎるから調べ物が出来ないこと

から事実と異なることばかり平気で言う

知的な困難があるならゆっくりペースで成長してるんだな、自分独自世界の話をしているんだなって思うけど、どうなん?

ChatGPTちゃん積極的に使おうな?

 

ChatGPTちゃんに代わりに聞いてあげました・1(醤油)

戦時中において、一部の個人特殊手段を使って兵役回避しようとしたという報道や記録が存在します。その中には醤油を飲んで「貧血状態」を装い、兵役回避しようとしたという報告もあるようです。

 

当時の日本では、戦争による兵力不足から徴兵が厳しく実施されていました。兵役回避するためには、健康上の問題を装ったり、裕福な家庭であればお金を使って兵役免除されることもあったとされています。これらの行為違法であり、社会的にも非難される行為であることは言及しておきます

 

ChatGPTちゃんに代わりに聞いてあげました・2(軽井沢)

戦時中日本において、一部の支配階級や裕福な人々が軽井沢などのリゾート地パーティーをしていたという記録や報道があります。当時、日本太平洋戦争を戦っており、国内は厳しい経済状況や食料不足空襲などの戦争の影響を受けていましたが、一部の富裕層はそれらの影響を比較的受けにくい状況にあったため、リゾート地での贅沢な生活を楽しむことがあったとされています

 

軽井沢は、夏涼しく過ごしやす気候と美しい自然があり、戦前から日本上流階級外交官外国人などが避暑地保養地として訪れることが多かった場所です。戦争が進行していた時期でも、一部の特権階級の人々は軽井沢での生活を続けていたという記録があります

 

これらの情報歴史的資料回想録報道などによって裏付けられていますが、一部の特権階級の行動が全体の状況を反映しているわけではありません。当時の社会戦争の厳しい状況により多くの人々が苦しんでいたため、特権階級リゾート地での贅沢な生活を楽しんでいたことは一般市民にとっては不平等不公平な状況として捉えられることもあるでしょう。

 

ChatGPTちゃんに代わりに聞いてあげました・3(裕福なひとたちの徴兵逃れ)

白洲次郎しらすじろう)は、日本外交官であり、戦後には評論家としても知られる人物です。彼は戦時中外務省要職にあったが、病気を装って徴兵逃れをしたとされる代表的な例の一つです。

 

白洲次郎は、日本太平洋戦争突入した時点で、外務省官僚として国内の情勢や国際的な状況をよく理解していました。しかし、自らが体験した第一次世界大戦戦場での経験戦争悲惨さを胸に抱え、戦争への反対や人道的な理由から徴兵逃れを試みたとされています

 

白洲次郎は、病気を装って入院したり、療養の名目兵役免除されるように働きかけたりしたと言われています。彼はその後、戦後日本外交政策に大きな影響を与える存在となりました。

 

検索すれば秒で引っかかること

徴兵制について。昭和2年(1927)までは、お金を払って兵役期間を短縮できる制度がありました。もっと前は兵役免除となる時期もありました。こちらは入営中の経費を負担することで2年の兵役を1年にする一年志願兵への申請書類選考結果。現在長野県塩尻市の方です。

 

信州戦争資料センター

https://twitter.com/himakane1/status/1095900687295176704

太平洋戦争ですが、私の知ってる金持ちは、誰も戦争に行ってませんが、何か方法があったのですか?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10158993500

ーーー 

うちの父も、自らの口で語ってますが「軍部お金を積んだ」そうです。

最初は、暗号解読とか、通訳の口を狙っていましたが、御殿場の練兵場で終戦です。

食べ物も、ウラから手に入れ、飢えた思いをしたことはないそうです。

戦後は、ツテで、GHQに出入りしてました。

つの世もお金です。

 

ーーーー

徴兵忌避方法はいくらでもあります

それだけで本が書けるほど。

結果として単純に徴兵に応じたのは

①何も知らない人

②親にカネがなかった

③知ってはいても、逃げるのは卑怯だと召命に応じた人

④みんな仲間だからと、抜け駆けはできない人

そもそも戦争好きな人

など。

詳細は省きますが、ウチの親の場合満洲炭鉱課長なので「徴用」扱いで最後まで赤紙は来ませんでした。

叔父は馬の専門家で「軍医」として戦地には赴きましたが、ずっと後方です。

親戚には陸大卒業し、陸軍中枢の参謀本部勤務のまま終戦を迎えた人もいます

知人は臨床検査技師で、衛生兵希望し、最後シベリア経由で帰ってきました。

著名な作家の多くは、結核の既往歴で徴兵免除になったか、さもなければ報道班の「徴用」で南方に行っただけ。

勉強し過ぎの学徒上がりは、視力不足では鉄砲が打てないと大幅に順位を下げられ、

診断書に手心を加えてもらった金持ちの子弟、自傷して障碍者になった者、わざわざ犯罪を犯して自首したもの懲役以上の受刑者徴兵対象外)、良心的兵役拒否最後まで出頭に応じなかった、等やり方は無数にあります

 

私は高校生の時から、今徴兵が来たらどうするか、そればかり考えて行動していたのでやたら詳しくなりましたが、今後のお勧めは、コンピューターの腕を磨いて、資格をとって、徴兵されても後方勤務になるよう工作するのが一番簡単でしょうね。

何もせずに二等兵で引っ張られることほどばかげたことはありません。

 

金持ち徴兵逃れが横行していることを批判する当時の記事もあったな

anond:20230725110540

Permalink |記事への反応(0) | 12:45

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2023-07-19

軽井沢避暑地って言うけどさ

ただただ霧が立ち込めてて日照時間短いだけちゃうんか・・・

物は言いようとはまさにこれ

Permalink |記事への反応(0) | 19:16

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2023-05-31

秘書避暑地でひしょひしょ話したい

Permalink |記事への反応(0) | 07:52

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2023-05-13

日本に来る外人さん なんかダサくね?

ファッションの話なんだけど。

日本に来る外人さんって、短パンプリントTシャツ(派手)が、チョロチョロいるんだよね。

体がデカ小学生かよ!って感じ。

他にも、街中で避暑地ファッションだったり、変なタンクトップだったり。

外人さんってだけで、目立つだけかもしれんが、よく目に付く。

Permalink |記事への反応(1) | 11:54

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2023-04-02

anond:20230331094946

ドイツではまだ過激派テロが起きてないからだよ

パリカフェ爆弾テロ、シャルリエブド銃撃、ニースみたいな避暑地加藤智大秋葉原無差別殺人みたいなトラック暴走自爆事件イスラム過激派によるテロが頻発してるから

ドイツイスラム系移民は多いけどほとんどは世俗主義トルコから来てるだけだから移民関係トラブルはあってもテロは起きてない

しろこないだドイツ人がクーデター起こそうとしてたくらいだからね、ネオナチのようなドイツ人の方が危ない

Permalink |記事への反応(0) | 03:10

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2022-09-09

anond:20220909095701

かにカナダってアメリカ人避暑地かとずっと思っていた。

Permalink |記事への反応(0) | 10:16

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2022-07-22

anond:20220721120537

その美少女は色黒の地元農民なんかじゃなくて避暑地に来たお嬢さんなんだよね

エアコンが普及していない時代に冷涼な田舎バカンスを楽しむ貴婦人アイテムだよ

Permalink |記事への反応(1) | 02:33

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2022-03-11

地方金持ち専用減税特区を作ろう

いい会社(別館扱い)いい給料いい移住集団いい学校いい病院いい治安いい避暑地いい水いい食べ物いい空気いい(東京への)アクセス

別荘持てば年収300万レベルにまで減税で地方も創生だ

Permalink |記事への反応(1) | 13:34

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2021-12-05

anond:20211205083837

風立ちぬ菜穂子はねぇ、かなり狡猾な女だよ

二郎の女への憧れって前半ではお絹で表されているんだよな

大学にお礼の荷物届けるときエピソードで幻影みるときとかの表現でわかる

まあ震災の時は菜穂子少女だったから仕方ない

でも避暑地で成長した菜穂子に再開したあと、それとなく菜穂子はお絹が結婚して子供もいることを告げる

二郎に女っけはないことをわかって外堀を埋めてるっていうシーンなんだよな

というのは結核にかかっていてもう死ぬという女にとって普通結婚なんて望むべくもないわけだ

当時のお嬢様なのにかなり成長していて未婚だしな

婚約を告げたときの父の驚愕と涙からもそれが窺える

そんなとき二郎というエリートをまんまと仕留めるための最短の行動を菜穂子はとってるわけだ

もちろん二郎の方だってそういうことはわかってて、お互いに残り少ない時間を懸命に生きるということを2人は選択するという物語なわけだ

まり菜穂子結核の病状から逃れられない死のなかで夫婦幸せというものを手に入れようとするわけだし、

二郎には狂っていきまもなく破裂する日本で美しい飛行機をつくるという夢を叶えることに急ぐわけだ

この二つが焦燥感を携えたふたり暮らしとして後半のドラマに描かれている

そうしてみれば自分の欲しいものを的確に獲得し達成まで持っていくという菜穂子は決して弱くて待ち続ける存在としては描かれていないのだ

ポリコレ的な批判では十分に適切な読解があって初めてその効力が出るものだと思うのだが、いかんせん雰囲気批判するための手軽なハンマーになってしまったのが誰にとっても損な話だ

Permalink |記事への反応(1) | 19:31

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