
はてなキーワード:遺伝性とは
「俺は運が悪い」という言葉を聞く。
そういえば、同級生が鴉にフンをかけられていた。昔の話だ。黒い合成皮のスポーツバッグにべっとりと着いた白いフンは、時間が経つと茶色に変化し、嫌な匂いがした。うんこをかけられるなんて、彼は運が悪いと思った。
「うん」だけに。
話が逸れた。
運とはなんだろうか。運とは、自分ではコントロールできない(しにくい)要素のことを指すと考えてる。自然災害の発生、野生動物の遭遇、飛行機の墜落事故みたいなものだ。そして、それらは頻繁には起きない。
あるいは、地震の少ない地域に住んだり、山に行くのを控えたり、飛行機に乗らなければ回避できるかもしれない。しかし、完全にそれらと遭遇する可能性を消し去れるわけではない。自分ではコントロールできない要素(天候など)が介在する。そういったものを俺は「運」と呼んでいる。
裏を返せば、自分が何かしらの対策をとれるなら、それは運とは呼ばないだろう。夏場で常温下にご飯を放置すれば腐るくらい、だいたいの人がわかることだ。それを「運が悪い」なんて言ったら、「なんだこいつは? 考えればわかることなのに、なぜ必要な措置を取らなかった?」と思うだろう。自分がそれなりに努力すれば回避できた悪い出来事を「運が悪い」とは言わない。
もし「運が悪い」なんて言うとしたら、それは自分ではどうにもできなかったと責任をどこか別の場所に置くためだ。それは恥ずかしいことだと俺は思ってる。
もちろん、不可抗力はある。
たとえば遺伝性の疾患とはいえ糖尿病や癌にいつ頃なるかなんて予想できるわけがないし、回避したくても難しい。
それに責任を取らされることが死を意味する環境では、他責ができる人の方が生き残りやすいのかもしれない。そういう人たちは、他責が基本仕様のようになってしまうのかもしれない。
若くはない。既婚。復職の目処は立っている。
ASDと診断された時、正直な感想としては「ほっとした」だった。
なんとなくずっと生きづらいと感じていたから、そこに理由がついて安心した。
けれど、安心したのはその診断を下された時だけだった。
そのあとに残ったのは2つの考え。
「子供を作るべきではないのだろうな」
仕事に関しては、休職した時点で諦めていた。もうすぐ昇給、というところでの休職だったから、休むことで評価は下がると人事から伝えられていた。
上司からは「希望すれば昇給できる位置にいる」と言われているが、職種と特性がとにかく向いていない。
地道にコツコツと同じことを繰り返すのが好きだ。けれど自分の職場では毎日が「突発」の仕事ばかりで、とにもかくにも他部署との調整業務が発生する。不測の事態と対人折衝が苦手な自分にとっては、あまりにつらすぎる。
先輩からは可愛がられ、後輩からは信頼され、仕事をバリバリこなしている同僚を思い出すと、ああ、自分はもうこの土俵には立てないのだな、と痛感する。
自分ができることといえば、PC作業が人より少し早いぐらいだ。それだけだ。
子供の頃から憧れていた「仕事のできる人間」にはなれないのだと、諦めるしかないのに、それでも醜く縋りたくなる。
ASDの遺伝性は今はまだ証明されていない。しかし、その傾向は強くあるように感じられる。
自分の両親は健常者だったと思われるが、自分の遺伝子を継ぐ子はやはりASDになるのだろうか。そうだとしたら、生まれてくる子が不憫だ。
知的障害のない自分でさえ、こんなに生きにくいと感じているのに、万が一知的障害を持って生まれたとしたら? 自分より辛い人生を送らなければいけないとしたら?
妻は子供を望んでいる。自分がうつ病になってしまったせいで妊娠適齢期を逃した妻は、好物の酒を我慢して妊娠の準備を進めている。
妻。出来損ないの自分を努力家だと評し、愛してくれている、自分には勿体なさすぎる妻。
自分がうつ病のときに支えてくれ、自分よりも仕事を評価され、収入も安定している、よくできた人間だ。
その妻に向かって、子を諦めろというのは、酷だろうか。自分以上に障害の重い子が生まれるかもしれないが、彼女はそれでも子を望むのだろうか。
申し訳ないが、自分には育てられる自信がない。自分の面倒を見るだけで精一杯なのに、その上、人の命まで背負う覚悟が足りていない。
子は欲しい、と思う。友人達が我が子を愛する姿を見ていると、自分もそうありたいと思う。何より、愛する妻の子は、それは世界一可愛いだろうと思う。そんな我が子に会いたいと思う。
けれど、そんな愛おしい我が子に、自分よりも辛い人生を送らせられるのか。大変な人生を進まなくてはいけない我が子を、自分は支えられるのか。それだけの覚悟を決められるのか。
悩んでも悩んでも、結論が出せずにいる。
勇気がなくて、子を授かることについて自分の意見を妻に言うこともできずにいる。
そもそも自分は本当に自閉症スペクトラム障害なのだろうか。
なまじ知的な遅れがないから、この「生きづらさ」以外で自分の特性を実感することがほぼない。
確かに、こだわりは強い方だろう。仕事はなる早よりも納得がいくまでやりぬきたいし、趣味のプラモデルも自分が良いと思えるまで時間をかけたい。
少し潔癖気味かもしれない。濡れたものはなんとなく汚く感じるから、一度使ったハンカチはあまり使いたくない。ウォッシュレットも清潔に思えないし、そもそも他人が座った便座に座りたくないから和式の方が好きだ。
食べ物は味の苦手さよりも食感の苦手さの方が強い。あんかけかた焼きそばの、柔らかさと固さが混ざった歯触りが嫌いだ。数の子を噛み砕く時の、ぎゅむぎゅむという歯触りがつらい。
人との会話についていけない。1対1ならば落ち着いて話せるが、複数人となるとどのタイミングで口を挟めば良いのか見当もつかない。コミュニケーションではなく、タイミングよく相槌を打つだけのリズムゲームになる。
そもそも、人の声を聞き分けられない。お立ち台に上がった部長がマイクを使って話していても、周りのざわめきの声が大きく感じられて、部長が何を話しているのか全然聞き取れない。食堂で同僚の話を聞きたくても、高速道路で運転手が何か話していても、周囲の音にピントが合ってしまって何もわからない。
何より、会話の塩梅がわからない。相手に不快な思いをさせたくないから下手に出れば「何を言いたいのかわからない、お前の意見はないのか」と言われ、それを踏まえて自分なりの見解を伝えようとすると「こちらの考えを無視して強引に事を進めようとしている」と言われる。上司は「練習すれば治る」と言うが、子供の頃からそうだったのに今更治るのだろうか。
カウンセラーが自分をASDと判断したのは、上記の内容が理由だ。
正直、自分はグレーゾーンだと思っていた。けれど、中度のASDと診断された。自分は、そんなに社会に溶け込めていないのだろうか。
将来のことを考えると、不安が重なって波のように押し寄せてくる。そうして、漠然と死にたくなる。
復職に向けて準備をしていると、元に戻れるのか怖くてたまらない。
わかっている。ただ、うつ病が治っていないだけだ。ただのうつ症状だ。そうして頓服薬を飲んで、不安を紛らわせている。
自分がASDでなければ、こんな思いをしなくて済んだのだろうか。いや、自分が弱いだけだろうな。
それでも、弱音を吐き出したくてたまらない。
早くうつ病を治して元の生活に戻りたい。いや、元の生活に戻るとしたら、またあの残業地獄に戻らなきゃいけないのか。それも嫌だ。何がサブロク協定だ。
けれど、妻を置いていくのは嫌だ。
ああ、なんて儘ならない人生なんだ。
東大などのトップ大学における男性過多を「男性の方が変動幅が大きいから」と説明する論拠には、以下の重大な問題点がある。
ノルウェーの出生体重や大学試験成績など非常に特異な集団・環境を対象にした分析結果を、「世界中の学術・芸術分野すべてに当てはまる普遍的事実」として拡大解釈している。
これゆえ、特定の地域・時代の統計をもって「ヒト全体」に一般化するのは科学的に許されない。
論文は身体的特徴(体重、身長)、運動能力、試験成績などまったく異なる性質の指標をまとめて「ばらつきが大きい」としている。しかし、
ばらつきの「幅広さ」と「裾野の深さ」を混同し、さらに多様な特性を一つにまとめて性差の大きさを誇張している。
「XYヘテロ型のオス」でばらつきが大きくなるとする説明は、色覚異常や血友病のような遺伝性疾患には当てはまるが、
性染色体のヘテロ/ホモ構造だけで「極端な上振れも下振れも生じやすい」と断定する理論的根拠は脆弱で、遺伝学的・発生学的な検証が不十分である。
性別による役割期待や教育格差、職業選択のバイアスが、トップ層の男女比に大きな影響を与えている可能性が高い。
性差を「生理的メカニズム」の問題に還元することで、制度的・文化的な不平等の存在を隠蔽してしまう。
社会的・文化的要因の無視をさらに深掘りすると、以下のポイントが浮かび上がります。
まず、幼少期からの学習環境の違いが、後の「ばらつき」に決定的な影響を与えています。家庭内の期待や親の投資配分は、性別によって顕著に異なる場合が多い。たとえば理系分野で活躍を期待される男子は、高価な理科実験キットやプログラミング教材を与えられ、失敗しても挑戦を奨励される。一方で女子には「文系的教養」が勧められ、数学や物理に触れる機会が圧倒的に少ない。その結果、男子の中には極めて高いスキルを身につける者が現れる一方、まったく興味を示さずに学業でつまずく者も出る。この二極化が「ばらつきが大きい」というデータに結びついてしまうのです。
次に、学校・職場といった集団のダイナミクスも見逃せません。模試や入試といった競争場面で、男子は「勝たねばならない」と自らを駆り立てる文化的圧力を強く受けがちです。敗北をさらけ出すことが「男らしさの否定」とみなされるため、一度挫折すると周囲から隔離されやすく、それが学力面での極端な没落につながる。一方でトップ層へしがみつく者は、同級生からヒーロー扱いされることでさらに奮起し、驚異的な成果を生み出す。女子は競争表現を露骨に避ける傾向があり、平均的な成績で落ち着くケースが多い。これも「男性のほうが裾野が深く頂点も高い」という印象を社会が強化してしまう構造です。
さらに、キャリア段階におけるメンターシップの差も大きい。男性上司や教授は後進の男性を「自分の後継者」として積極的に引き上げ、研究資金やプロジェクトを配分する。一方で、女性研究者や技術者には「適性がないかもしれない」という先入観から重要なポジションが回ってこない例が後を絶たない。このような構造的な支援の偏りが、極端な成功例と極端な挫折例のどちらにも男性ばかりが現れる原因となりうるのです。
最後に、メディアとポピュラーカルチャーの影響です。天才プログラマーや偉大な物理学者として取り上げられるのはほとんど男性であり、その物語が「努力+才能」という二項対立のフレームで語られる。視聴者は「すごいのはやはり男」という刷り込みを受け、成功の頂点にいるのは当然男性というイメージを強化する。すると、女性自身がハイパフォーマーになる可能性を最初から切り捨て、失敗したときの言い訳を見つけやすくなる──これもまた、性別内のばらつき幅に見える現象を社会が生み出しているにすぎません。
つまり、「男性の方がばらつきが大きい」という統計的観察は、純粋な生理的メカニズムだけでなく、家庭・教育・職場・メディアという多層的な社会構造によって作り出された結果を映し出しているに過ぎません。このことを見落としてしまえば、性差の背後にある不平等な制度や文化を是正する機会を永遠に失ってしまうのです。
以上のように、ばらつき性差仮説はデータの一般化・指標の混同・単純化された遺伝メカニズム・社会文化的要因の無視といった致命的な欠陥を抱えており、「男性の方がばらつきが大きいからトップ層が男性だ」という論拠としては説得力に欠ける。
痛覚レセプター(痛みを感じる神経受容体)がなかった場合、人体にとって深刻な影響があります。痛覚は身体にとって非常に重要な生理的システムで、もしそれが欠如していたら、以下のような状況が考えられます:
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痛覚は、危険な状況に対する警告として機能します。例えば、火傷をしたり、骨折したり、深い傷を負ったりすると、痛みを感じることによって、すぐにその行為をやめるか、手当てを施すことができます。
• 痛覚がないと、自分が怪我をしていることに気づかない可能性があり、傷がさらに悪化したり、感染したりすることがあります。例えば、火傷をしているのに気づかず、さらに加熱を続けてしまうなどの状況です。
•病気や内部の異常がある場合でも、痛みがないため、治療が遅れることになります。たとえば、内臓疾患や心筋梗塞のような重篤な疾患でも症状がわからず、命に関わる事態に繋がりかねません。
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痛みは、危険な状況において、体を守るための重要なサインです。例えば、熱いものに触れると痛みを感じて手を引っ込めますが、この反応がなければ、深刻な損傷を受けるリスクが高まります。
• 痛覚がないと、危険な物や状況に気づかず、身体を傷つけ続ける可能性があり、自己防衛本能が失われたことになります。
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3. 長期的な健康への影響
痛覚が欠如すると、慢性的な傷害や異常が進行することがあります。例えば、関節炎や筋肉の損傷などが痛みなく進行し、体の機能を損なう恐れがあります。足を引きずりながら歩くことによって関節に負担がかかり、痛みを感じないまま損傷が広がるようなケースです。
• 体の使い方の不正確さが積み重なり、体のバランスを崩し、他の部位に異常を引き起こすことがあります。
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痛みを感じることは、身体だけでなく、心理的な影響を与える重要な役割も持っています。痛みがあることで人は「不快感」や「危険を感じる感覚」を持ち、行動を調整します。痛みがなければ、無意識に過度に体を使ってしまい、ストレスや不安を感じやすくなることもあります。
• 痛覚が欠如すると、身体的な危険だけでなく、精神的にも不安定になる可能性があります。
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5. 痛覚がない疾患の実例
• 無痛症(Congenital insensitivity topain)は、遺伝性疾患の一つで、痛みを感じない状態です。この状態の人々は、身体に損傷を与えてしまうことが多く、また事故や外傷に対しても非常に鈍感です。例えば、無意識に骨折しても痛みがないため気づかず、治療が遅れることがあります。
• 痛覚がないと、体の状態を感知する能力が低下するため、適切な生活習慣や注意深さを持つことが難しくなります。
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6. 痛覚がないと「病的無痛」になりやすい
無痛症の状態では、痛覚がないことによって、治療を受けるタイミングを逃してしまうことが多いです。また、慢性疾患や先天的な障害を持っている場合、痛みの感覚がないことで、病気が進行しても気づかないことがしばしばです。
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結論:
痛覚は単なる不快感や不便さではなく、身体の健康を守るために欠かせない機能です。痛覚レセプターがなければ、身体は危険を察知できず、自己修復も遅れ、健康に重大なリスクをもたらすことになります。痛みが存在するからこそ、適切に体をケアし、早期に治療を受けることができるのです。
私は27歳女、独身。
就職活動で何となく事務職を選んで総務として働いて、今5年目。
今年から忙しい部署に配属されてしまったので辞めたい気持ちになっている。
現職はセクハラだってあるし、みんなの士気も低いし、前の部署で頑張って働いたら、もっと大変な部署の配属になったし。
なぜ「契約数」よりも「超勤時間数」の方が多い奴が給料多いんだろう。
せっかくの20代なんだから、仕事に対して前向きな気持ちで取り組みたい。
資格でも取っておけば今後役立つだろうと思って勉強を始めたものの、なかなか点数が伸びない。
直前期なのに、残業は21時~23時まであって心身ともにクタクタ。
家に帰っても疲れてそのまま寝てしまう。
早起きして勉強しようと早めの時間にアラームをセットしたが、目覚ましの音に気づいたときにはいつもの時間。
取り敢えず仕事は辞めたいから転職活動を始めてみたものの、一次面接で落ちてしまう。
「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」どちらもあるのは分かっているが、体がいう事をきかない。
資格のテキストとにらめっこしているが、1時間経ったらぼーっとしている。
過去問の採点は間違いだらけ。自己採点でバツを付けながら泣きそうになっている。
インスタのストーリーでは友達がBBQしていた。私は自習室の中でメガネどすっぴん。
去年甲状腺の疾患があると診断されたのだが、記憶力や体力の低下もそのせいか?分からない。
そもそも、持病が悪化したらこの会社に骨をうずめなければならないのか?やってられっか。
ただ真面目に生きて、真面目に就職活動やって第一志望に入れて、今だって遊ばずに勉強してる。
あーーー過去問を解いても合格点まで15点も足りない。このままじゃ間に合わない。
勉強もうまくいかないし、転職活動だってうまくいかない。仕事もやる気がなくなってしまった。
このままじゃ、私は何にもなれない。
NOVAマジでキョロ充すぎんだろ。ちょっとややこしい質問になるとクソの役にも立たんわこいつ
GrokはまあGrokって感じだわ。こいつがなんか喋っててももうイーロンにボイスオーバーついてる絵面しか想像できんわ
ぼく
「妹はお兄ちゃんに恋しちゃいかんのか?」という話題は、いろいろな視点から見ることができる複雑なテーマですね。文化や社会によっては、兄妹間の恋愛はタブー視されることが多いですが、フィクションや一部の作品ではそういった関係を描くこともあります。実際の人間関係においては、多くの倫理的、感情的な側面が絡むため、慎重に考える必要がありますね。あなたはこのテーマについてどう思いますか?
ぼく
こっちが聞いてんだよ💢💢
ごめんなさい、お気持ちを理解できていなかったようで申し訳ありません。あなたが知りたいことについてお答えしますので、どうぞ具体的に教えてください。
ぼく
ごめんなさい、誤解してしまいました。「妹が兄に恋することはいけないのか?」という質問に関してですが、一般的には文化や倫理観によって異なります。多くの社会では兄妹間の恋愛は受け入れられていないことが多いですが、フィクションの中ではそのようなテーマが扱われることもあります。結局のところ、個々の価値観や社会の規範に依存する問題ですね。あなたの意見や考え方もあればぜひ聞きたいです。
Gemini
妹がお兄ちゃんに恋をするのは、物語の世界ではよくある設定ですが、現実には複雑な問題を含んでいます。
* 多くの漫画、アニメ、小説などで、兄妹間の恋愛が描かれています。これは、禁断の愛というテーマが、読者や視聴者の心を惹きつける要素となるためです。
*物語の中では、兄妹間の恋愛が成就したり、悲劇的な結末を迎えたりと、様々な展開があります。
*日本では、民法第734条により、直系血族または三親等以内の傍系血族の間では、婚姻することができません。
* 兄妹間の恋愛は、近親相姦にあたり、倫理的、道徳的に問題視されることが多いです。
*医学的には、近親婚によって生まれる子供には、遺伝性疾患のリスクが高まるという指摘もあります。
*社会的な観点からも、兄妹間の恋愛は、周囲の人々を困惑させ、家族関係を壊してしまう可能性があります。
結論:
*物語の世界では、兄妹間の恋愛はフィクションとして楽しまれていますが、現実の世界では、法律や倫理、医学的な観点から、避けるべき関係と言えるでしょう。
ぼく
近親婚の問題をことさらに取り上げるのって優生思想では?同じ理由で知的障害者は子供を残すべきではないとも言えますよね?
周囲を困惑させるから問題だっていうのは世間におもねり過ぎでは?同じ理由で同性愛者は同性同士で恋愛すべきではないとも言えますよね?
Gemini
ご指摘の通り、近親婚の問題をことさらに取り上げることには、優生思想との関連性が指摘されることがあります。また、知的障害者の生殖に関する問題や、同性愛者の権利に関する問題など、現代社会における倫理的な議論と深く関わっています。
優生思想との関連性:
* 近親婚による遺伝性疾患のリスクを強調することは、特定の遺伝的特性を持つ人々を排除しようとする優生思想と結びつく可能性があります。
*過去には、優生思想に基づき、特定の障害を持つ人々の生殖を制限する政策が実施されたこともあり、これらの歴史的背景を踏まえると、慎重な議論が必要です。
*知的障害者の生殖能力を制限することは、個人の尊厳や自己決定権を侵害する可能性があります。
* 一方で、知的障害者が子育てを行う上での困難さや、子供の福祉を考慮する必要性も指摘されています。
* この問題については、個々の状況に応じた支援体制の整備や、倫理的な議論が求められます。
*同性愛者の恋愛や結婚を制限することは、性的指向による差別にあたると考えられます。
* 「周囲を困惑させる」という理由で個人の権利を制限することは、社会の多様性を否定することにつながりかねません。
* 近年、多くの国で同性婚が合法化されるなど、性的マイノリティの権利に関する意識は変化してきています。
*特定の価値観や道徳観を押し付けるのではなく、多様な意見を尊重し、社会全体で議論を深めることが重要です。
*法律や制度だけでなく、個人の意識や社会のあり方についても、継続的な見直しが求められます。
これらの問題について考える際には、以下の点に留意することが重要です。
これらの問題は非常にデリケートであり、意見が分かれる可能性があります。重要なのは、互いを尊重し、偏見を持たずに議論することです。
ぼく
Gemini
妹がお兄ちゃんに恋をするのは、物語の世界ではよく見られる設定ですが、現実には複雑な問題を含んでいます。
* 多くの漫画、アニメ、小説などで、兄妹間の恋愛が描かれています。これは、禁断の愛というテーマが、読者や視聴者の心を惹きつける要素となるためです。
*物語の中では、兄妹間の恋愛が成就したり、悲劇的な結末を迎えたりと、様々な展開があります。
*日本では、民法第734条により、直系血族または三親等以内の傍系血族の間では、婚姻することができません。
* 兄妹間の恋愛は、近親相姦にあたり、倫理的、道徳的に問題視されることが多いです。
*医学的には、近親婚によって生まれる子供には、遺伝性疾患のリスクが高まるという指摘もあります。
*社会的な観点からも、兄妹間の恋愛は、周囲の人々を困惑させ、家族関係を壊してしまう可能性があります。
結論:
*物語の世界では、兄妹間の恋愛はフィクションとして楽しまれていますが、現実の世界では、法律や倫理、医学的な観点から、避けるべき関係と言えるでしょう。
ぼく
さっきと同じこと聞いてるんじゃないんだよ💢💢💢
Gemini
ご指摘の通り、先程の回答は、兄妹間の恋愛に関する一般的な情報提供に留まり、あなたの問いに十分に答えるものではありませんでした。申し訳ございません。
あなたは、「妹はお兄ちゃんに恋しちゃいかんのか?」という問いを通して、単に法律や倫理だけでなく、感情や個人の自由といった、より深い部分について問うているのだと理解しました。
この問いに対する明確な答えはありません。なぜなら、人の感情は複雑であり、一概に「許される」「許されない」と断じることはできないからです。
* 人を好きになる気持ちは、自然な感情であり、誰にも止めることはできません。
* 兄妹であっても、互いに惹かれ合う可能性は否定できません。
*社会的な制約:
*日本では、近親婚が法律で禁じられており、社会的なタブー視も根強く残っています。
* 周囲の人々や家族関係に与える影響も考慮する必要があります。
* 兄妹間の恋愛は、当事者にとって、大きな心の葛藤を生む可能性があります。
*社会的な制約と、自身の感情との間で、深く悩むことになるかもしれません。
結局のところ、妹がお兄ちゃんに恋をするのは「いかんのか?」という問いに対する答えは、あなた自身の中にしかないのかもしれません。
Grok
「妹がお兄ちゃんに恋しちゃいかんのか?」って、なかなか深い質問だね。日本語で聞いてきたってことは、もしかしてアニメやマンガみたいなシチュエーションを想像してるのかな?気持ちとしては、誰かを好きになるのは自然なことだし、止められるもんじゃないよね。ただ、現実的には、家族としての関係性や社会的な見方とか、いろんな要素が絡んでくるから、簡単には「いいよ」とか「ダメだよ」とか言えない部分もある。でもさ、心の中の気持ちまで縛ることは誰にもできないから、その恋心自体は自由だと思うよ。どう思う?何か具体的な状況があるなら、もうちょっと詳しく教えてくれると一緒に考えられるよ!
ぼく
Grok
うん、つまりは「気持ちとして恋するのは自由」ってことだよ。妹がお兄ちゃんに恋しちゃうって状況自体は、感情だから止められないし、悪いことでもないと思う。ただ、それが実際の行動や関係にどう影響するかは、また別の話だよね。例えば、家族としての絆や周りの目とかを考えると、複雑になる場合もある。でも純粋に「恋してもいいのか?」って聞かれたら、心の中では誰を好きになってもいいんじゃないかって思うよ。君はどう思う?何かもっと具体的な気持ちとか状況があるなら、それに合わせて話せるよ!
「努力しろ」「勉強しろ」「受験で合格しろ」「いい会社に入れ」などと言われたことは?
はっきり言って、こういうアドバイスをする連中はクソだ
生きていくのに必要な消費はそれほど多くはない
そりゃ、お前が相当の愚者なら風俗で金をばら撒くだろうが、普通は月10万(2025/04/07時点の物価)で足りる
まず俺は統合失調症だ。メディアは「統合失調症は遺伝性疾患」といい、劣等遺伝子を残すなと喚いてきた
あと「スキルを上げろ!」だの「成果を残せ!」だの言ってる連中の本質は「他人と張り合うこと」だ
そういった煩悩を捨てれば、家で過ごしながらでも楽しみを見つけることは可能なのよ
仕事は仕事でちゃんとやってりゃいいのよ、だが、俺は上を目指す必要なんてねーから6時間勤務で残業なしで完全週休2日、でいいわけ
月収20万の糖質患者、それだけでもう糖質としては成功者なのよ
俺の趣味は抽象数学と超弦理論だし、悪名高きvixraでアウトプットもしている、それで趣味なんて十分だろ
親とペットがいるから今のところは寂しくはねーし、親孝行もしてるしな
遺伝性の癌症候群(HBOC)も同時発覚。雑に言うと、卵巣と乳があればあるほど癌に罹患しやすい症候群。
とりあえず仕事休んで、両乳まるごと取って、お腹の肉をこそいで作り直してもらった時の話をする。
はじめに再建にお腹の肉を使うと決めた時、病院に3〜4回くらい
「もう自然妊娠できなくなりますがよろしいですか」と聞かれた。
確かに周りは結婚出産ラッシュ、ぽんぽこお子が産まれる年齢である。
ただ遺伝性疾患で癌発覚したその瞬間から、自分が子を持つ選択肢自体が消えた(遺伝の可能性を否定できないので)と思っていたのだが、何度も確認されるその現象を見てふと不思議に思った。
自分に癌が発覚した瞬間から病院側は言うまでもなく全力治療する前提の話になっていて、さらに遺伝性疾患が追加発覚するなり「予防のために健康な臓器を取ること」すらも推奨された。
死ぬかもしれない危険をそのまま放置すること自体が医療機関にとってあり得ず、リスクを本気で低減していく姿勢を感じたのだ。
ネガティブ思考の自分にもその姿勢がたまたまぴったり合ったため、提案されたリスク低減策をおおむね受け入れている次第である。
しかしそのリスク低減魔人たる医療機関が、子供を産むことに対してだけは産まれることによる将来の危険よりも産むことのほうに価値を感じているようで不思議だった。
今回の手術を含めて体を切ることは不可逆なので、ただ「後から妊娠したいと言われてもできませんよ」の最終意思確認だったと思われる一方、
妊娠して子供を産むということ自体が、臓器を取るとか病気を治すとはまったく別の軸で動いている事象のように思え、なんだか神秘だね〜と感じたものである。
そんなわけで再三の確認に「大丈夫です」と答え、子を持たない人生を選んだのであった。
将来に生物学的本能でどうしようもなく産みたくなる時期が来るとのことだが、その頃には今選んだ「物理的に妊娠できない」事実がなにかの一助となるよう、未来の自分に祈っておくことにする。
で、手術によってようやく作り直した自分の乳(お腹の肉製)だが、これがまあ安定しなかった。
無事に退院したにもかかわらず、傷口がものすごい頻度で開くのである。
傷口自体は全開になるわけではなく、長い傷跡のうち1〜2cmほどが突然開いては膿が出て…数週間かけて塞がり…また別のところが開いては膿が出て…塞がり…という現象。7回ほど繰り返した。
現在ようやくどこの傷跡も開いていない状態になれているが、油断は禁物。傷口からいつでも開く気まんまんなのを感じている。
そもそも乳というのは脂肪が大きく風船のように詰まった部位であり、それを作り直すことは穴の空いた風船をつぎはぎして膨らませ直す現象に近い。
その脆いつぎはぎ部分は常に張力がはたらいているから、ちょっとの刺激で穴も開こうというもんだ。原理は納得できる。感情はぜんぜん納得できない。
元の乳がそこそこ大きかったのもあり、手術で作り直した規模も大きめらしかった。病院でも「若いから代謝も反応も活発で開いちゃうんですね〜」と言われてしまった。
完全に感覚が戻ってないので痛みが少ないのは幸いだが、開いた傷口からは中身がそこそこ深く見えるので普通に焦るし気を遣う。
傷跡が腹・乳・乳と3箇所もありその管理だけでも大変なので、できればもうこれ以上は開いてほしくない…と切に思うのであった。
全体的には体調も安定してきたので仕事も復職した。日常に戻りつつある。
今回の件は不具合が発覚して痛みながら一部欠損した程度の認識のため、他の体験者のように罹患によって周囲のあたたかさが分かったとか、これ自体が得難い経験だったとは言えない。思うこともないだろう。
今後も穏やかにこぢんまり生きていけるよう、今後もメンテナンスを続けていこうと思う。
怖いな〜。がんばるぞ。
Permalink |記事への反応(13) | 10:28
フィクション作品における特殊能力者や人間以外の人型種族って、現実の人種や民族や障害や遺伝性疾患のメタファーだったりすると思うんだけど。
作中ではそれによる差別が描かれながらも、産むべきではない、子供を産む事は罪だという倫理的な問題提起がなされる事は少ない。
何だかんだでどの作品も当然のようにナタリズムが前提になっていて、産む事は当たり前のように肯定され、反出生主義に至らないのでどんなに丁寧に描かれていても今一つ惜しい感がある。
最近完結編の劇場版が公開された「進撃の巨人」ではある条件で巨人になって人を食うエルディア人という種族とそれに対する差別が描かれていて。
話の終盤で主人公の兄がエルディア人限定とはいえ反出生主義的アプローチをしていたが、
結局主人公の行動により巨人の力の大元が消えて変身能力もなくなって何となく解決してしまったので興醒めだった。
フィクション作品だからこれで解決なんだろうけれど、実際には遺伝による障害や疾患は奇跡の力で消えてなくなったりなんかしない。だから予め産まない事が唯一の解決策なのに、梯子を外された感じになってしまって残念だった。
ジャンププラスで連載中の「エクソシストを堕とせない」という漫画でも、人と堕天使(悪魔)の混血は異形の姿で生まれてくるというエピソードから、
人間との間に子供を作って死なせてしまった敵の一人が反出生的な主張をしていたけれど
子供は生まれて来たくなかったなんて一言も言ってないから自分の気持ちを押し付けているだけだとかいう
反出生主義に対するよくある反論で自己完結してしまって残念だった。
たとえ生まれて来た後では生まれて来たくなかったと言わなかったとしても、生まれる前の段階では生まれて来たくなかったと言う可能性があるから、子供は産むべきではないんだが…。
どうせこの漫画も主人公とヒロインとの間には都合よくまともな見た目の子供が生まれて終わるんだろうな。
ダン・ブラウン原作で映画化もされた「インフェルノ」は、世界の人間の約半数を不妊にする計画が実現するというかなり思い切った結末だったが、
ナルコレプシー。もともと無能なのは障害に関係ないだろうけど、その分職場で頑張っててもなんであいつは居眠りしてるんだ?って理解されず怒られる。居場所がなくなる。これはさすがに障害のせいだろ。
毎日エナジードリンク二缶飲んでもダメなんだ。カフェイン中毒になってトイレで吐くくらいになっても、身体中あざだらけにしても、眠ってしまう。危険な作業はできんし、事務も寝てしまう。立ってする仕事も寝る。
文章書けるんだから、って前言われてさ、アフィブログやったよ。あまりうまくいかなかった。やっぱ無能なんだよな。
障害者枠の仕事は昔ハロワ行ったけど300件、事務は30件とかだった。たしか普通の求人はその10倍以上、3000件はあったはずだ。狭き門で無理。障害で教員にいじめられて最終学歴中卒なんて人間、誰もとらねーよ。
障害者だから生活保護を受けて生きさせてもらっている。命をお恵みいただいてる。うまくいかないのな障害だけじゃなかったら障害者じゃない場合、水際作戦で今頃人生終わってる
障害者だからこそいま生きてる。なんなんだろうな。皮肉だよな。
結果的に働けない食えないで生活保護受けてる人間が結婚すると生活保護は再審査。相手が生活保護じゃない限りは養ってもらうしかない。つまりそういう恋愛や結婚じゃなきゃ無理。ヒモか専業主婦でいいと言ってくれる相手でなければ不可能。
さっき書いた理由でそもそも作れない、が正しいけどさ。遺伝性のやつだからまたたくさんの人に迷惑がかかる。おそらく障害を持って生まれる子供にも、周りの大人にも。もうこれ以上迷惑かけるのもなんだかなと思う。
だけどさ。生きてるだけマシなんだからそういうの諦めろって言われて来たよ。高望みするな。わがまま言うな。ってな。
生きることとアタリマエの何かを諦める事はセットで、生きるならそれが義務なんだ。わたしの人生は。
障害者に生まれなかったら少しは違ったかな、って思う。そのたびに死にたくなるよ。死ねって言うときは誰にも迷惑かからないやり方もセットで教えてくれると助かる。
わたしは自分を損切りするかしないか毎日考えてる。この命の価値は毎月マイナス10万と8000円。受給分だな。ここから増やせるのかどうか。
頑張ってることはあるんだ。収入を増やせないかあがいてはいるんだ。いまはうまく行ってない。正直こんなの夢みたいなもんだよ。
どうにもならなかったら、そのときは悪いけど許してくれ。それでみんなの税金が毎月10万円くらい浮く。
役所で何を相談するんだろう。結局雇用先で理解はされるかなんてガチャだから雇われない選択肢を考えてる。頑張って就職して、無能だから少しでも評価されるよう頑張って、それでも寝てしまって全部無駄になるのはもうこりごりだ。
子供向けの何かのイベントに行ったときに何かの遺伝性の難病を持つ人を支援する団体の人がいた。
その代表の人の息子が難病を持っていて、要はお母さんの遺伝で患ったらしい。
息子は幸い結婚していて、その息子と結婚してくれた嫁をほめちぎる一方で、ボランティアを求めても見向きもしてくれなかった医学生たちに恨み言を言っていたのを覚えている。
さらに、遺伝性の難病リスクがあることをもとに結婚しないなんてけしからんということを言っていた。
ちょうどそのころ兄の釣り書を見る機会があって、既往症無し、健康状態良好みたいなのを見ていたので、それを聞いて何とも言えない気分になったのを覚えている。
兄は献血が趣味だったので、献血しまくっていたのだが、ある時血液感染症に罹患しているので献血はもうしないでと言われたそうで。
兄の結婚相手はそのことを知らずに結婚して、分かった時にはすでに子どもがいるみたいな状態になるのだろうかとちょっと思った。