はてなキーワード:遷都とは
首都機能は失われ、陸軍内では、遷都を探る動きがあった。当時少佐だった今村均の回顧録に、詳細が記されている。
発生5日後の9月6日朝、今村は参謀次長に呼ばれた。参謀次長は、東京付近は70年ごとに大震災に見舞われるとの学者の説に触れ、戦時中に地震が起きれば戦争どころではなくなると指摘。防空上も優れた土地に遷都するため、候補地などの意見書を作ることを、内密に指示した。
今村は歴史や地理、地質などの文献を当たり、意見書を起草。第1の候補地を京城(現ソウル)の南にある「竜山」とし、次に「播州加古川流域」を提案した。やむを得ない場合として東京郊外の「八王子」を推した。
興味深い仮説ですね!「遷都を成功させるには、大統領の強いリーダーシップが必要か?」という視点で見ると、以下のような考察ができます。
遷都を主導したのは、いずれも強いリーダーシップを持つ大統領がいた国ばかりです。
これらの事例を見ると、大統領制のもとで、強いリーダーシップを持つ人物が遷都を成功させていることが分かります。
トルコ(イスタンブール →アンカラ)は例外的に議院内閣制寄りの体制でしたが、当時の指導者ムスタファ・ケマル・アタテュルクは非常にカリスマ的なリーダーでした。
したがって、「遷都には大統領のような強いリーダーが必要」という仮説は、歴史的な事例と照らし合わせても現実的な説と言えるでしょう。
歴史の研究で「これは事実だ」と判断するには、様々な証拠を組み合わせてパズルを解くように調べます。
昔の人が使っていた土器や道具が地中から発掘されると、それを調べて事実かどうかを判断します。
例えば、
最も重要なのは、異なる種類の証拠が同じ結論を指し示すことです。
歴史学者はこれらの証拠を「トリプルチェック」(3重確認)しながら、少しずつ事実を積み上げていきます。
元王朝(げんおうちょう)は、1271年から1368年まで存続した中国の王朝です。モンゴル帝国第5代皇帝のフビライ(世祖)が1264年に大都(現在の北京)に遷都し、1271年に国号を元と定めました。元は異民族として初めて中国全土を支配した征服王朝です。
元の首都は北京ですが、皇帝は遊牧国家の伝統に従って、都城の城壁内ではなく、冬の都である大都と夏の都である上都の近郊の草原の間を季節移動していました。
元は1368年に紅巾の乱を鎮定した朱元璋の勢力によって滅亡しました。朱元璋の勢力は1368年に南京で明を建国し、大軍によって大都を攻撃しました。元の皇帝順帝(トゴンテムル)は大都を放棄し北上しましたが、上都(夏の都)も陥落し、元は中国を支配する王朝としては滅亡しました。