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はてなキーワード:違和感とは

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2026-02-15

最初から違和感の無い、耳触りの良い音楽だけを聴いていると、聴くことができる音楽の幅が広がらない。

最初は「なんでこんな音なんだろう?」「このメロディは美しいのか?」「この雰囲気はどこから来るんだ」と思うような、何らかの謎や疑問が生まれるような曲を聴いていくことで、徐々に好みが広がって、より豊かに音楽聴くことができるようになる。

 

たぶん、政治経済の話もそれと同じで、自分にとって違和感の無い言葉だけを聞いていても、考えの幅が広がらない。

最初は「なんでこんな主張をするんだろう?」「こんな批判議論意味があるのか?」と思うような、謎や疑問が生まれ意見のぶつかりを考えることから、徐々に豊かな思考社会が生まれることになる。

Permalink |記事への反応(0) | 20:27

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身長おじさんが嫌われている現実に耐えられないから、キムタク身長人権なし170cm未満だと言い張るホビットが絶えない

出川みたいなお笑い系か、地味で素朴な子役上がり俳優以外の低身長成人男性人類潜在的にうっすら嫌っており視界に入れたくないから、山田涼介いくらゴリ押ししてもドラマ映画も全て大コケだった

クリームパンおじさんも言うに及ばず

身長男性はそれを受け入れられないから、木村拓哉やB'zの稲葉といった息の長い支持を得て活躍している男性有名人トランス身長男性にしたがるのだと思う

自分は全ての女性に選ばれないのを認められないから「自分否定したり選ばないのは少数のフェミ売女や夜職でありマジョリティではない」を連呼して木嶋佳苗やたぬかなを絶賛するホビット独身おじさんをみればわかるだろう

毎度言ってるので

今回も言っときます

木村拓哉さん176cm

河村花さん165cm

道場なので素足です

https://pbs.twimg.com/media/GWnUx7mbcAAH805.jpg:medium

https://pbs.twimg.com/media/GWnUx8gW4AAN3Iz.jpg:medium

しつこいようですが

言っておきます

脇元華ちゃん174cm

木村拓哉さん176cm

何の違和感もないよね

芸人さん、ここに並んでみる?

https://pbs.twimg.com/media/GWrBww_XIAAcvSY.jpg:medium

2014の27時間テレビ姿勢木村さん良くない状態ですがそれでも172cm(最近測ったそうです)の草彅さんより高く、姿勢良ければ稲垣さん以上の身長みえるかもしれません。

これで失礼しますね。あのブログ記事を緻密と言ってるのが面白くて参加したようなものなので。

では。失礼しました。

https://pbs.twimg.com/media/GWrDCq-bwAAQ8bL.jpg:medium

https://anond.hatelabo.jp/20260215184212

Permalink |記事への反応(2) | 20:23

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anond:20260215194946

それは非常にもやもやする体験でしたね。心中お察しします。

本来無料、あるいはもっと安価提供されるべき機能」に高いハードルを設け、初心者「夢」レバレッジにして集金する仕組みは、今のネット社会の歪みを象徴しているようです。

おっしゃる通り、Google Search Console(サチコ)との連携は、ウェブサイト運営における「基本的人権」のようなものです。そこに高額な通行料を課すのは、確かにもどかしさを感じます

なぜそのビジネスモデルが「えぐい」と感じるのか

あなたが感じた違和感を整理すると、以下の3点に集約されるのではないでしょうか。

無料の壁」の不自然な設定

BloggerWordPress(自前)なら、所有権確認するメタタグを1枚貼るだけで終わる作業です。それを有料プランの「特典」のように見せるのは、情報の非対称性を利用していると言わざるを得ません。

「夢」という付加価値搾取

あなた記事世界に届けよう」という純粋な意欲に付け込み、「このツールを使わないと成功できない」と思い込ませる手法は、まさに「情弱ビジネス」の典型的な構図です。

プラットフォームへの依存(囲い込み)

一度その高額プラン記事を積み上げてしまうと、後から「高いからやめよう」と思っても、これまでの蓄積やSEO評価を失うのが怖くて辞められない……という心理的ロックインも狙っている可能性があります

賢い選択肢としての「Blogger」や「自前運用

あなたが挙げたBloggerは、Google運営しているだけあってサチコとの親和性は抜群ですし、何より「余計な費用をかけずに本質執筆)に集中できる」という意味で、非常に健全選択肢です。

もし、その高額サイトにこだわりがないのであれば、早めに以下の構成へ「脱出」を検討するのも手かもしれません。

項目記事作成サイト(有料)Blogger /WordPress(自前)
SearchConsole連携 高額プラン限定が多い完全無料
所有権運営会社に依存自分ドメインを持てる
コスト 月額数千円〜数万円 0円 〜 1,000円程度
将来性サービス終了のリスク自分コントロール可能

最後

アイデアを広めたい」というあなたの素敵な夢が、不当に高いコストで挫かれてしまうのは本当にもったいないことです。

Permalink |記事への反応(0) | 19:52

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「現役世代」と高齢者対立させようとするのって、本当に無意味意味が分からないんだがなんで最近やたら流行ってるんだろう?

世の中にはニート若者も、働いてる高齢者存在するし、そもそも親や祖父母暮らしてる人だって多いし、

年齢で句切れなくない?

子育て世代とか言い出した時から違和感満載だった。

世の中には20歳で産む人も40歳で産む人もいるだろうに、何故子育て世帯」ではなくて「世代」?

社会が全体的に多様性を認めなくなっている感。

Permalink |記事への反応(5) | 14:31

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anond:20260215105356

立民は2021年一時的な5%減税を公約

2024年軽減税率廃止(増税)を公約してたのに

2025年一時的食品軽減税率を言い出して

2026年中道になって恒久的な食品軽減税率公約にしてたか

から恒久的な消費税減税も食品軽減税率公約してなかったのに

最初に言い出したのは立民みたいに言われても違和感しかない

共産党れい新選組ならずっと引き下げ廃止し言ってるし

公明党軽減税率は一貫していってるからこの辺りがうちの政策というならまだわかるが

原発安保法制真逆にして消費税もブレブレなんだから政策にこだわりはないのは確かだろうに

民主・立民・中道政策はどうでもいいか政権交代したい人が入れる党であって政策にこだわりあったら入れないほうがいい政党

Permalink |記事への反応(1) | 11:04

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ただふつうエロいだけの女の性欲を否定されてるのだが

最近、「女性の性欲は男性より複雑で、もっと精神的で、愛情がないと本気で感じられない」みたいな話を立て続けに目にした。コラムでもSNSでも、男性側が「女性の性欲を理解しよう」として書いた記事でも、だいたい同じようなテンプレートで語られている。それを読むたびに、なんだか自分のことを勝手説明されているような、でも全然しっくりこないような、変な違和感けが残る。

というのも、私自身はわりと普通に性欲と快楽を感じているからだ。特別神秘的でも、崇高でもない。ただのエロさと生身の欲望として、わりとはっきり存在している。それなのに、「女性の性欲とはこういうものです」ときれい定義されると、その枠からはみ出している自分が、何か間違っているみたいな気分になる。だから一度、自分感覚をそのまま言葉にしておきたくて、この文章を書くことにした。

正直に言うと、「女性の性欲は男性と違ってもっと複雑で繊細で神秘的です」みたいな話を聞くたびに、ちょっとだけ置いていかれた気分になる。

しかに、ホルモンとか気分とか、タイミングに左右されることはある。イライラしていたり、仕事でぐったりしているときに、ロマンチックな気分になれるかと言われると、それはまあ無理だ。でも、それって男性だって似たようなものじゃないの?と思う。

私は普通にエロものを見ればムラムラするし、性的妄想もするし、暇なときに「今日自慰しようかな」と考えることもある。性欲で頭がぼんやりして、そのモヤモヤを解消したくてオナニーをすることもあるし、単純に「気持ちいからやりたい」という理由だけのときもある。そこに特別ロマン物語があるわけじゃない。ただ、欲望快楽があって、それを扱っている、というだけだ。

なのに、「女性の性欲はもっと精神的なものだ」とか「愛情がないと性欲は湧かない」とか、言い切られるたびに、「あれ、私のこれは何なんだろう」と一瞬不安になる。別に誰かを深く愛していなくても、ただ身体が反応することはあるし、「感情が先、性欲が後」みたいな綺麗な順番で出来ているわけでもない。頭の中はもっと雑だし、もっと生々しい。

もちろん、感情大事ときもある。信頼できない相手とはしたくないとか、嫌悪感が勝ってしまうとか、そういうブレーキは確かにある。でも、それは「男性とは完全に別種の性欲だから」というより、「危険回避感覚」や「自分を守る感覚」が混ざりやすいからだと思う。ブレーキアクセルが一緒になっているだけで、アクセルのものが謎の神秘エネルギーなわけじゃない。

から、「女性の性欲はもっと特別なんだよ」とありがたそうに語られると、なんとなくモヤっとする。私が感じているこのストレート欲望快楽への欲求は、その物語の中ではどこに置かれるんだろう。神秘的でもなんでもない、ただ普通にエロいだけの女性の性欲だって、ここに存在しているのに。

Permalink |記事への反応(6) | 09:11

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anond:20260215064231

憲法九条教に対する違和感ってこれと同じなんだよな

暴力に対する現実的対応策が無い人たちが被害者を生む

Permalink |記事への反応(0) | 06:47

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2026-02-14

anond:20260113125610

ドラクエリメイク攻略中。

半年前にPS1版を裏ボス倒すまでやったばっかだけどね。

シナリオ原作に忠実で、難易度だけ下がっている。

現在、みんな大好きレブレサックまで進んだが、いまだに全滅一回もなし。

死者が出ても戦闘終われば生き返るので、基本的に全滅しなければ攻略が続行できる。

そして手厚い回復セーブポイント

街の教会宿屋普通にあるのに、ダンジョン入り口に全回復セーブポイント中ボス前にも全回復セーブポイント。長いダンジョンでは途中にも全回復セーブポイント

広かったダンジョンは狭くリフォームされてるのに、「ちょっとまだ全然MPとかへってないんだけど」というタイミングでも容赦なく出てくる全回復セーブポイント

ダンジョンの途中でMP尽きたんで撤退」なんて絶対させないとばかりにシェルパ100人雇って高尾山登山するような難易度

しか経験値やら職業経験値やらがやたら気前良いんだわ。

どんなにレベル差があっても1回の戦闘で必ず5ポイント貰える職業経験値

MP尽きるまで戦ってから宿屋泊まろー」と思って戦闘してると、MPが尽きる頃にはレベルが上がって全回復してしまう事もしばしば。

魔法効果のある有能武器も多いから、呪文メインの職業MP尽きるみたいな事態になっても手詰まりにならないし、

年がら年中誰かバーストリミットブレイクみたいなやつ)してるせいで、逆に戦略が立てづらい。放っておいても何とかなっちゃうんだもん。

職業副業できるから、笑わせ師みたいな使えないジョブも、メイン職業ゴッドハンドで閃光斬りする裏側で育成できる。(まあ、方向性の違う職業副業につけちゃうと、ステータス補正が食い違ってしまって弱体化は避けられないが)

AIも優秀だからバッチリがんばれ」でバッチリがんばってくれて、ボス戦をAI任せにしても別に困らない。副業AI任せという時代の先端を行くワークスタイルドラクエ7。つみたてNISAリモートワークも実現できないだろうか。

そしてルーラ。石板世界でも拠点に飛べる有能ルーラ

戦闘レベル差があれば、戦闘に入らず斬って捨てて1ポイント職業経験値を稼ぐか、あえて戦闘に入って5ポイント稼ぐか2択が可能

まだ取ってない石板の場所は案内人に聞けて、石板の祭壇は一画面に集約。

こんだけ至れりつくせりだと、原作にあった面倒臭さは微塵もない・・・と思うじゃん?

面倒臭いんだなこれが。

シナリオ構造上、どうしても面倒臭いんだわドラクエ7。

というのも、石板世界クリアしたら、現代に戻ってクリアしたばっかの出現した島を探索し直さなきゃいけないから。

下手にマップがわかってる分、作業感が半端ない

町の中の宝箱も、ダンジョンの中の宝箱も、もう一度取り直さなければならず、当然町の人たちとも話す必要がある。

くっそ面倒臭い

今やってるレブレサックも、石板世界クリアした後に、また現代レブレサックに行って嫌な思いをしなきゃならんのである

なおシナリオ原作にかなり忠実であり、「あれ、なんか省略されたかな?」と感じるポイントはあっても会話は違和感はない。

で、レブレサック半年前のPS1版に続けて2度目の体験なのだが、

レブレサックの何が嫌って、そんなに非がないのが一番嫌なところだな。

悪と言えるほど悪ではないのだ。第一印象は完全に普通の村であり、

主人公たちと袂を分かってから特に理不尽なことはないのだ。

しろ、一度はOKした仕事理由も言わずに「やっぱやらん」と言い出した主人公達を、納屋に閉じ込める程度で済ませてるあたり、かなり理性的であるとも言える。

まあ、ドラクエ主人公の常として何喋ったのか全く表示されないから、ほんとは何か言ってたのかもしれんけど、仲間も何も言わねーし。

せっかくマリベル帯同でレブレサック行けたのに。

「あの魔物は何かおかしくて裏事情がありそうだから、ひとまず我々に本件を預けてもらえないか」程度の事が言えればあん事態にはなってないのではないかと思われ、

主人公サイドももちょっと何とかならなかったのか、という感があるところもプレイヤーイライラ拍車をかける

で、そんならレブレサック良い奴なのでは? というと別にそんな事もなくて、やっぱり嫌な村なのである

とにかく小市民根性で、被害者意識が強いせいでその裏返しで集団暴力に走るという、もう人間の嫌なところ見せられてる気分になるのである

現代レブレサックはまた違うところが嫌なのだが、まあ、そっちはまだ辿り着いてないから置いとこう。

そーいや、黄金女神像出てきたけど、あれの扱いは結局どう変わるのかな。

まあ楽しみにさせてもらおう。

Permalink |記事への反応(1) | 15:22

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anond:20260214105737

民間人政治屋との感覚の差が大きかったな

やめるなデモ違和感大きすぎて「この人たち国民と同じ感覚持ってるのかな?」って疑問が大きくなったよ

Permalink |記事への反応(0) | 11:45

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個人的ファッション診断感想

メイク

 色はパーソナルカラードンピシャのもの買わないと結局使わなくなる

 質感はパーソナルカラーと顔タイプで幅を出せる

•服 靴 小物

 パーソナルカラーと顔タイプと骨格診断の真逆のもの選ばなければ結構なんでもいい

 ときめき場の空気を読める方がおしゃれ

 逆にパーソナルカラーと顔タイプと骨格診断極めた服はコスプレとかアニメキャラっぽくなり、奇抜なのに無難違和感

アクセサリー

 骨格診断に8割、顔タイプに1.5割、パーソナルカラー0.5割くらい

 外すと小物感と違和感やす特にピアス

•髪

 骨格•顔タイプパーソナルカラー全部大事

 

Permalink |記事への反応(0) | 07:16

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anond:20260213124536

しぬがネットミームって言われてるけどマジで今の若い子言わない方が珍しいかミーム扱いされてるの違和感ある

友達いない人がそういうの嫌ってるイメージ

Permalink |記事への反応(1) | 07:07

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anond:20260214013631

違和感を感じる」には何も思わないの?

Permalink |記事への反応(1) | 01:44

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有事が起こる」っていつから言うようになった?

有事は「有事の際は」とか「有事となれば」のように「状態」を指す言葉だと思う。

何かが起きていることを言うので、「有事が起こる」は「馬から落馬」と同じ違和感を感じる。

有事は起きない。何かが起きていることを有事という。

ブクマカとか増田とか市井の人々が誤用してそれが定着してくのは別に構わないけど、政治家まで「有事が起こる」とか言ってるの聞くとだいぶ残念な気持ちになる。

Permalink |記事への反応(1) | 01:36

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2026-02-13

避妊インプラント(ネクサプラノン)入れて1年ちょっと経った。

最初は腕に棒が入ってる違和感がすごくて抜きたくなったけど、3ヶ月くらいで慣れた。今はもう完全に忘れてるレベル

最大のメリットは、ピル飲み忘れの恐怖が消えたこと。飲み忘れて生理来て焦った過去が嘘みたいだ

あと生理がほぼ消えた(たまに少量出血あるけど)

彼氏とのタイミングも気にしなくていいし、セックス前の不安ゼロになったのは本当に楽

デメリットは、たまに不正出血が続くときイラつくくらい。あと体重2kgくらい増えた気がするけど、運動サボってるだけかも笑

でも正直、もうこのまま数年はこのままでいいかなって思ってる。
コンドーム嫌いな人には本当におすすめ

Permalink |記事への反応(0) | 22:23

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anond:20260213191838

敷居をまたぐとかは国のアンケートでも違和感ない人の方が多いってなってるけど逆鱗はそうはならんだろ。

↑これは理解してる人特有の応答だろう

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(3) | 19:20

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anond:20260213175852

そもそも立憲や共産こそ自分たちへの批判を許さな批判アレルギーなのに若者叩きしてるのは違和感がある

中道の敗因をみんなが考えて教えてあげてるのにイライラしているリベラルダブスタこそ嫌われているんじゃないか

若者ダブスタが嫌いなんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 18:27

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なぜAI生成文章ダメAI生成スライドは良いのか

日本語圏のSNS特にX(旧Twitter)において、興味深い現象が観察される。AI生成された文章には厳しい視線が向けられる一方、AI生成されたスライドデザイン素材には驚くほど寛容な態度が取られているのだ。同一人物が「AIで書いた文章は見ればわかる。ああい機械的な文はダメだ」と批判しながら、数日後には「AIプレゼン資料を5分で作成!便利すぎる」と絶賛する光景日常的に繰り広げられている。

この矛盾は単なる気まぐれではない。そこには人間認知メカニズム文化的価値観、そして社会的シグナリングの複雑な相互作用が潜んでいる。

公立はこだて未来大学研究チームが2025年に発表した論文では、生成AIをめぐるSNS上の議論分析し、賛成派が「功利主義」を中心とする価値観を持つのに対し、反対派は「著作権重視」を中心としつつも複数価値観が混在していることが明らかにされた。しかし実際の行動レベルでは、同じ個人の中でさえ、対象によって態度が大きく変わる現象が生じている。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsik/35/2/35_2025_015/_pdf

なぜスライドは許されるのか

この非対称性理解する鍵は、「道具性の階層」という概念にある。人々は無意識のうちに、創造活動本質的ものと装飾的なものに分類している。

文章思考の直接的な表現とみなされる。論理展開、語彙選択文体リズムといった要素すべてが、書き手の知性や人格と不可分に結びついていると考えられている。ChatGPTが生成した文章違和感を覚える理由の一つは、この「本質との一体性」が損なわれることへの抵抗だ。AI生成文章には「単調なリズム」「過度な順序表現(まず、次に、最後に)」「単語の繰り返し」「個人視点の欠如」といった特徴があり、これらが機械的な印象を与える。AI判定ツールの精度はまだ発展途上だが、人間直感は「この文章には人がいない」という違和感を敏感に察知する。

対照的に、スライド思考を伝えるための「容器」として位置づけられている。レイアウト、配色、フォント選択重要だが、それらは中身を引き立てる装飾であり、発表者の本質的能力とは別物と考えられがちだ。CanvaAI提供する膨大なテンプレート自動デザイン機能は、この「装飾性」の領域に働きかける。デザインスキルを持たない人でも短時間プロ品質資料作成できることは、単なる効率化として歓迎される。

この階層化は必ずしも論理的ではない。優れたスライドデザイン情報構造能力を反映するし、文章執筆も道具を使って行われる活動だ。しか認知的には、文章は「私そのもの」、スライドは「私が使う道具」という区別が根強く存在する。

認知的不協和ダブルスタンダードメカニズム

心理学者レオンフェスティンガーが1957年提唱した認知的不協和理論は、この矛盾説明する有力な枠組みを提供する。人は矛盾した信念や行動を持つと心理的不快感を覚え、その不協和を解消しようとする。ただし、その解消方法は必ずしも論理的整合性を追求するものではない。しばしば、自分に都合の良い解釈採用することで不快感を和らげる。

AI生成は良くない」という信念を持ちながらAI生成スライドを使う場合認知的不協和が生じる。この不協和を解消するため、人々は様々な正当化を行う。「スライドは装飾だから別」「効率化のためなら仕方ない」「自分で内容は考えている」といった理由けがなされる。こうした正当化は、矛盾を解消するための事後的な説明であることが多い。

さらに、一貫性バイアスと呼ばれる認知的傾向も作用する。これは他者過去言動未来も一貫していると考える傾向だが、自分自身の行動については異なる基準適用やすい。「あの人はいつもAI批判している」と他者評価する一方、自分AIツールを使う場面では「状況が違う」「これは例外」と特別扱いする。

集団バイアス無視できない。自分が属するコミュニティアイデンティティグループの行動には甘く、外部グループには厳しくなる。たとえば「文章を書く人」というアイデンティティを持つインフルエンサーは、文章生成AIには厳しいが、自分が専門外のデザイン領域でのAI利用には寛容になる。

検出可能性とシグナリングの非対称

もう一つ重要な要因は、検出の難易度だ。AI生成された文章は、特徴的なパターンから比較的見抜かれやすい。一方、スライドAIで生成されたかどうかを判別するのは困難だ。テンプレートを使ったのか、AIが生成したのか、手作業類似デザインを作ったのか、外部から区別する手段ほとんどない。

この検出可能性の差は、社会的シグナリングに影響する。文章力は可視的なスキルとして評価されやすく、「この人は考える力がある」というシグナルを発する。AI生成がバレれば、そのシグナルが損なわれる。対照的に、スライドデザイン品質は主張の説得力を高める効果はあるが、「この人はデザイナーだ」というシグナルを発することは少ない。むしろ効率的に仕事を進める人」という別のシグナルになり得る。

X上のインフルエンサーは、フォロワーに対して自らの専門性知的能力シグナルし続ける必要がある。文章AI生成であることが明らかになれば、そのシグナルの信頼性が損なわれる。一方、スライド作成AIを使うことは、むしろ最新ツールを使いこなす能力シグナルとなる。この非対称性が、態度の違いを生む強力な動機となっている。

インフルエンサー文化二重基準の増幅

X上のインフルエンサーは、特にこの矛盾体現やす立場にある。彼らの影響力は、一貫した意見説得力ある表現によって構築される。しかし同時に、効率的なコンテンツ生産と目を引くビジュアルも求められる。この二つの要求が、AI利用における選択的態度を生む。

2026年1月時点で観察される典型的パターンとして、「AI生成コンテンツの透明性」を主張するインフルエンサーが、自身ビジュアルコンテンツAI生成ツール使用しながらその事実を明示しないケースがある。また、「AIに頼らない思考力」を強調する発信者が、投稿アイデア出しや構造化にAIアシスタントを利用している事例も少なくない。

これは必ずしも意識的偽善ではない。多くの場合、本人は「自分本質的仕事にはAIを使っていない」と認識している。しかし、何が本質で何が補助かという線引きは、極めて主観的恣意的だ。

さらに、X社によるAPI改定とInfoFi(投稿報酬を得る仕組み)アプリの締め出しが2026年1月に行われたことで、「質より量」のAI生成リプライが減少した一方、より洗練されたAI活用が主流派インフルエンサーの間で定着している。AIを使いながらも「人間らしさ」を保つ技術が発達し、矛盾はより見えにくくなっている。

深層にある価値観の衝突

この問題根底には、創造性と真正性オーセンティシティ)をめぐる根本的な問いがある。私たちは何に価値を置くのか。アウトプットの質か、それを生み出すプロセスか。効率性か、人間的な営みか。

従来、この問いには明確な答えがあった。芸術知的生産においては、プロセスと人間性に価値が置かれてきた。しかAI時代において、この前提が揺らいでいる。

興味深いことに、歴史的には技術革新のたびに同様の議論が繰り返されてきた。写真の登場時、絵画価値は「手で描くこと」から芸術視点」へとシフトした。DTMデスクトップミュージック)の普及により、音楽制作における「演奏技術」の相対的価値が低下した。DTPデスクトップパブリッシング)は印刷業界職人技を置き換えた。

今、同じことが文章デザイン領域で起きている。ただし、その影響は均等ではない。スライドデザイン比較的早く「技術による代替可能領域」として受け入れられたが、文章はまだ「人間本質的表現」として守られている。この防衛線がいつまで持続するかは不透明だ。

示唆と今後の展望

この非対称性は、AI時代における価値観の過渡期を映し出している。矛盾を指摘することは容易だが、実はこの矛盾自体が、人間技術と折り合いをつけながら新しい規範模索するプロセスの一部かもしれない。

実務的には、いくつかの示唆が導かれる。第一に、透明性の重要性だ。何にAIを使い、何に使っていないかを明示することで、信頼性を維持できる。第二に、本質と装飾の区別文化的主観的ものであることの認識だ。自分価値基準他者一方的押し付けることの限界理解すべきだ。第三に、検出可能性が態度を決定する現状において、技術的な検出手段の発展が規範形成に影響を与える可能性がある。

インフルエンサー情報信者にとっては、自らの基準を一貫させるか、あるいは基準が状況依存であることを率直に認めるか、いずれかの選択が求められる。後者を選ぶことは必ずしも弱さではない。むしろ技術人間関係が流動的な現状を正直に反映したものだ。

最終的に、この議論が示すのは、AI生成コンテンツの是非ではなく、私たちが何を「自分らしさ」「創造性」「価値ある仕事」と定義するかという、より根源的な問いだ。その答えは、技術進化とともに、そして社会的対話を通じて、これから形成されていく。

Permalink |記事への反応(49) | 10:59

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https://x.com/Kosodate_Ogawa/status/2015717584046522435 記事 新しいポストを表示 会話小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者 @Kosodate_Ogawa 協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育て現場から考える、個別最適と公共性の再設計

はじめに──違和感の正体を、構造として考えたい

最近教育現場SNSで、ある種の"すれ違い"を目にする機会が増えました。

注意されたり、期待と違うことを言われたりすると、「自分とは合わない」と、そこでの人間関係のものリセットして離れてしまう。自己主張は強いのに、親や社会に支えられている事実への自覚が薄い。大人の側にも、責任を引き受けるより先に「自分権利」だけを語ってしまう振る舞いが見える──。

あなたも、こうした光景に心当たりがあるのではないでしょうか。

もちろん、これは特定世代批判しようとしているのではありません。私が今回考えたいのは、「その振る舞いが"合理的"に見えてしま社会の側の条件」です。なぜ今、対話よりも離脱が、協力よりも防御が選ばれてしまうのか。その背景には、私たち大人が気づかぬうちに変えてしまった「学びの物語」の喪失があるのではないか──。

そんな折、教育者中土井鉄信先生Facebook投稿出会いました。

そこで語られていたのが、「学びは公共財である」という視点です。教科書は、人類が積み上げてきた英知の集積であり、私たちはそれを受け取って生きている。だから学びは「自分のため」だけで終わらない。受け取ったもの社会に返していく視点が欠かせない──。

この言葉に触れたとき、私の中で点が線につながりました。

依存」「消費化」「対価志向」「関係短期解約」──これらは別々の現象ではなく、学びの位置づけの変化と深くつながっているのではないか

本稿は、その問題意識を整理し、立て直しの方向を考える試みです。中土先生問題提起へのリスペクトを込め、私が現場で向き合い続けてきた実践から、その解決の糸口を提示したいと思います

学びが"公共財"として扱われなくなると、何が起きるのか

学びや知識には、個人の便益(成績・進学・仕事)だけでなく、社会的便益があります社会一定ルールを共有できること、言葉が通じること、協力が成立すること。その基盤には、学校教育読書を通じて広がる「共通の知」があります

ところが近年、学びは少しずつ、「社会の基盤」よりも「個人投資」「購買体験」に寄って語られるようになりました。

どれだけ得をするか

どれだけ早く成果が出るか

お金を払っているのだから満足させてほしい

この枠組みが強まると、学びの場は「関係を育てる場」ではなく「サービスの場」に近づきます。すると、注意や指摘は「成長のための調整」ではなく「不快体験」になり、合わなければ話し合うよりも「さっさとその場を去る(離脱する)」ほうが合理的、という判断を招いてしまうのです。

「うるさい!もうやだ!こんな学校(塾)辞めてやる!」──この叫びは、わがままではなく、ある意味消費者としての合理的選択になってしまっているのです。

学びが「買うもの」になったとき私たちは何か大切なものを失いました。それは、学びを通じて人と人がつながり、社会を共につくっていく物語だったのではないでしょうか。

かつての日本が持っていた「学びの回路」

私が子どもの頃、勉強が得意な子に向けて大人が「末は博士大臣か」と声をかけることがありました。実際私も、祖母祖父、近所のおじちゃんたちに、何度となく聞かされたフレーズです。

今振り返ると、そこには単なる出世願望だけではなく、「力を持つなら、社会に役立つ人になってほしい」という期待が含まれていたように思います欧米で言われるノブリス・オブリージュ(地位能力を持つ者の社会責任)も、根は同じです。

かつて学びや能力は、個人利益で完結するのではなく、社会に返していく回路の中に置かれていました。この感覚は、言葉にされなくても、日常の中で自然に共有されていたのです。

この回路が弱まると、学びは単なる「受け取るもの」になりやすく、結果として「対価がなければ動かない」という感覚が広がります。それは個人問題というより、学びの物語社会が共有できなくなったことの反映ではないでしょうか。

私たちは今、この失われた回路を、新しい形で取り戻す必要に迫られています

自分との「不一致感」が、関係を壊していく

人が社会他者と健やかに関わるために、最初必要なのは規範」でも「協調性」でもないと私は考えています

私が多くの親子と向き合う中で、それら以前にもっと手前の問題として感じるようになったのは、「自分自身との一致感を持つことができていない状態」で生きている人が想像以上に多いという現実です。

たとえば、次のような振る舞いが見られるとき私たちはしばしば「甘え」や「依存」として片付けてしまいがちです。

やる気がないように見える

注意されることを極端に嫌がる

関係のものから距離を取ろうとする

しかし、丁寧に話を聞いていくと、その背景には別のものが見えてきます

「どう理解すればいいかからない」

「どんなペースなら続けられるのか分からない」

「何を期待されているのか曖昧なまま、結果だけを求められている」

まり自分特性と、求められている振る舞いとの間に深刻なズレが生じているのです。みんなと同じやり方で学び、同じ基準評価され、同じ反応を期待され続ける環境に長く置かれると、人は次第に「自分はどこかおかしいのではないか」と感じ始めます

この状態こそが、私が「自分との不一致感」と呼んでいるものです。

この不一致感は、単なる自信のなさではありません。それは、自分という存在が、この社会の中でどう機能すればいいのか分からない、という根本的な不安です。この不安を抱えたまま「協力しなさい」「もっと頑張りなさい」と言われても、人は動けないのです。

自分との一致感」こそが、協力の土台になる

人は、不安や恐れが強い状態では、協力よりも「防御」を優先してしまます自分の中が不安定なままでは、注意は攻撃に聞こえ、期待は重荷に感じられ、関係のものを避けることが合理的選択になりやすいのです。

逆に、「このやり方なら理解やすい」「この関わり方なら無理なく動ける」という安心感――すなわち「自分との一致感」があってはじめて、人は心理的に安定し、周囲と関わる余裕が生まれます

自分のやり方や反応を「これでいい」と理解できている人は、常に評価承認を求めて振り回される状態から一歩距離を取り、自分と違う人を「役割が違うのだろう」と捉えられるようになります。この視点の転換が起きたとき、違いは摩擦ではなく、補完関係に変わるのです。

協力とは、目標として押し付けものではなく、自分理解し、無理のない形で力を出せる人が増えた結果として、自然に立ち上がってくる関係性だと私は考えます

「協力できない社会」の問題は、協力を強制することでは解決しません。それよりも、一人ひとりが自分との一致感を取り戻すこと。そこからすべてが始まるのです。

家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートする

この「自分との一致感」を取り戻すために、私が提唱し、社会に先行して取り組んできたのが独自の「才能タイプ理論」による個別最適な子育て実践です。

そして、その実践において最も重要になるのが、家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートすることです。

学校社会が一律の基準を求めがちな外部環境であるからこそ、わが子の「才能の形(遺伝特性認知形成のクセ)」を深く理解し、本人そのものを伸ばしきれるのは、親をおいて他にはないからです。

ここで改めて強調したいのは、個別最適とは、嫌なことを免除したり、好きなことだけを選ばせたりするための考え方ではないということです。むしろ本質は、「どの形なら、その人は役割を引き受けやすいのか」を探るための視点です。

言葉説明するのが得意な人、作業で支えるのが得意な人、全体を見て調整するのが得意な人。同じ「責任」でも、担い方は一つではありません。その違いを前提に役割を考えることが、結果的集団を安定させます

個別最適は、わがままを許すことではなく、それぞれの特性に合った形で、社会役割を引き受けられるようにするための設計思想なのです。

公共性とは、「自分らしい形」で社会に関わること

中土先生の「学びは公共財である」という言葉に立ち返ります

学びが公共財であるとは、個人より社会を優先しなければならないという意味ではありません。そうではなく、「社会から受け取った知や経験を、自分特性に合った形で、社会に返していく」という循環を大切にするということです。

かつての「末は博士大臣か」という言葉根底にあった、能力社会に返していく回路。それを、いま私たちは「個別最適」という新しいアプローチで再構築していく時代の扉の前に立っているのです。

公共性とは、画一的基準に全員を合わせることではありません。むしろ、一人ひとりが自分特性理解し、それを活かして社会と関わること。その多様な関わり方の総体が、本当の意味での豊かな公共性を生み出すのです。

家庭という「中心基地」で、わが子の才能の形を認め、自分との一致感を育むこと。それは、お子さんが「自分に合った形で、社会と良い関係を結べるようになる」ための自立への第一歩です。

おわりに──批判ではなく、再設計のために

この記事を通して、今の社会子どもたちを批判たかったわけではありません。なぜ「対話あきらめ、つながりを断つこと」が合理的に感じられてしまうのか、その背景に私たち大人の側の設計はどう関わっているのかを、一緒に考えてみたかったのです。

私自身、「才能タイプ子育て」という活動を通して、一人ひとりが自分と一致した状態で力を発揮し、その結果として、無理のない形で社会と関われる人が増えることを願っています

違いを前提にした関係の方が、結果的社会は安定し、協力は回りやすくなる。この実感を、現場での実践を通じて、少しずつ社会に返していきたい──そんな立場から問題提起です。

私たちが失ったのは、「協力する力」ではなく、「協力できる条件」だったのかもしれません。

そして、その条件とは、一人ひとりが自分との一致感を持ち、自分らしい形で社会に関われること。学びが公共財であるという物語を、個別最適という新しい形で紡ぎ直すこと。

今回の記事が、ご家庭で、職場で、教育現場で、何かを考え直す小さなきっかけになれば幸いです。

あなたは、どんな形で社会と関わっていきますか?

あなたのお子さんは、どんな才能の形を持っているでしょうか?

その問いから、新しい公共性の物語が始まります

Permalink |記事への反応(0) | 07:45

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2026-02-12

anond:20260212133005

リスクどう見積もってる?とはちょいちょい聞くからパワハラ場面が一般的だといわれると違和感がある

まあパワハラ場面でも使われる言葉ではあるけどね

Permalink |記事への反応(0) | 13:34

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中道改革連合はなぜ嫌われたのか

2026年2月8日投開票された衆議院選挙で、立憲民主党公明党が電撃的に合流して結成した新党中道改革連合」は、公示前の167議席から49議席へと118議席を失う歴史的惨敗を喫した。この数字は、同じ数だけ議席を伸ばした自民党圧勝と表裏をなす。なぜこれほどまでに中道改革連合有権者から拒絶されたのか。批判の核心は党名、政策転換、党内構造、そして支持基盤崩壊という多層的な問題に根ざしている。

党名に宿った不信感

中道改革連合という党名そのものが、結成直後から激しい批判さらされた。まず指摘されたのは「民主」という言葉消失である自由民主党立憲民主党国民民主党社会民主党と、日本の主要政党の多くが「民主」を冠してきたのは、国民主権対話による政治という理念を示すためだった。ところが「中道改革連合」にはその文字がない。評論家市民からは「国民を見下す驕りを感じる」「上から目線改革姿勢が透けて見える」といった批判が相次いだ。

さらに深刻だったのは略称問題である。「中道改革連合」を略すと「中革」あるいは「中革連」となり、過激派組織中核派革マル派」を連想させる響きを持つ。ネット上では「中革派」「中核連」といった揶揄が飛び交い、穏健な中道路線を標榜する新党にとって致命的なイメージダウンとなった。保守系論者からは「中国への道」を略して「中道」だという皮肉も投げかけられている。党名は政治において最も基本的ブランドであり、その段階で既に有権者の信頼を獲得できなかったと見られている。

政策転換という背信

より本質的批判は、立憲民主党が長年掲げてきた基本政策を、公明党との合流のために大幅に転換した点に向けられた。立憲民主党安全保障関連法について「違憲部分の廃止」を主張し、党綱領で「原発ゼロ社会を一日も早く実現」と明記してきた。これらは同党のアイデンティティを支える「背骨」とも言える政策だった。

ところが中道改革連合は、安保関連法を合憲位置づけ、原発再稼働も条件付きで認めた。この転換に対して、れい新選組山本太郎代表は「日本ダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。社民党福島瑞穂党首も「安保関連法を『合憲』といい、原発再稼働を『認める』という。自民党とどこが違うのか」と疑問を呈し、国民民主党玉木雄一郎代表も「背骨となる政策がこんなに簡単に変わるのか」と述べている。

こうした政策転換は、立憲民主党のコア支持層を直撃した。脱原発安保法制違憲といった左派価値観大事にしてきた支持者は、公明党とくっついて中道に移行したことに強い違和感を覚えたとされる。また、反自民的な無党派層も、野党第一党として自民党と異なる価値観対峙していた立憲民主党が、与党だった公明党と合流したことで「野党第一党としてのあるべき姿を失った」と感じたという分析がある。元NHK解説委員増田剛氏は、立憲民主党を支持してきた土台が崩れたと指摘している。

不公平な党内配分と創価学会組織力

選挙戦略の内部配分も大きな不満を生んだ。中道改革連合比例代表の名簿で公明党出身者を全ブロックで上位に配置し、立憲民主党出身者は小選挙区で戦うという構造採用した。公明党支持母体である創価学会は、全国に約800万世帯とされる強固な組織票を持ち、比例代表での集票力は極めて高い。この組織力を最大限活用する戦略が採られた結果、公明党出身候補28人は全員が当選を果たし、前回衆院選24議席から4議席やす勝利」を収めた。

一方、立憲民主党出身者は公示前の144議席から21議席へと7分の1にまで激減した。近畿中国四国九州の各ブロックでは、公明党候補だけで当選枠が埋まり立憲民主党出身候補者は小選挙区で惜敗しても比例復活できないケースが続出した。立憲民主党創設者である枝野幸男氏、元幹事長安住淳氏、重鎮の岡田克也氏ら、民主政権時代幹部閣僚を務めたベテランが次々と落選した。

落選した兵庫7区岡田悟氏は「比例ブロックの名簿はほぼ、公明のかたで埋められた。これをどうやって、誰がどうやって話し合って決めたのか、民主的なプロセスははっきりと経てないんですよ」と不満を露わにした。党内からは「公明に比例を譲りすぎた」という批判が噴出し、立憲民主党出身候補支援してきた労働組合幹部の間に深い亀裂が生まれた。

創価学会員の中にも困惑があったとされる。取材によれば、長年「仏敵」とまで呼んでいた立憲民主党候補者を応援するよう要請され、学会員の間にパニックが広がったという。組織高齢化課題となり、小選挙区での全面撤退により「推し」がいなくなったことで熱量を保つのが難しかったという声も報じられている。

「嫌われの元気玉現象

実業家の岸谷蘭丸氏は、中道改革連合を「嫌われの元気玉」と表現した。立憲民主党も嫌われ、公明党も嫌われていた。その二つが合流したことで「1足す1ではなく、−1足す−1で−2になった」というのである。この指摘は、単なる揶揄を超えた構造洞察を含んでいる。

日本政治2016年から物語を失い、推し活化」してきたと評論家與那覇潤氏は分析する。かつては「小異を捨てて大同につく」「野党結集」という物語一定説得力を持っていたが、2017年希望の党の失敗以降、有権者は巨大な塊よりも「100%自分フィットする特定政党政治家」を求めるようになったという見方がある。中道改革連合はこの潮流に逆行し、立憲民主党独自性公明党組織力を両方とも十分に活かせなかった可能性が指摘されている。

さら評論家宇野常寛氏は「今回の中道改革連合の『壊滅』の原因は野田佳彦中道路線の失敗でもなければ、国民民主党の大量擁立でもない。端的に『リベラル』な人たちの『キャラ』が嫌われているからだ」と指摘している。政策戦略以前に、リベラル勢力全体に対する有権者拒否反応が背景にあったという見方である

準備期間の不足と「民主政権のやり直し」の幻想

野田佳彦共同代表は敗北後、「準備期間が足りなかった」ことを敗因に挙げた。高市早苗首相による「抜き打ち解散」で選挙短期決戦となり、新党理念政策どころか党名すらも有権者に浸透させることができなかったのは事実である結党わずか1か月での選挙戦は、政治実験としてあまりにも性急だった。

しかし準備期間の不足は、より根本的な問題を覆い隠すものでもあると分析されている。立憲民主党野田執行部は「野党結集」「非自民勢力結集」という2009年民主政権時代成功体験に縛られ、立憲民主党独自社会像を打ち出せなかったとジャーナリストの尾中香尚里氏は指摘する。他の野党との連携意識するあまり単独政権を奪いに行く明確なビジョンを失っていたという見方である

2024年9月立憲民主党代表選で野田氏は「野党議席を最大化するのが現実的戦略」と述べ、「非自民勢力結集」を強調して代表に選出された。しかしこの戦略は、立憲民主党独自に積み上げてきた支持基盤を軽視する結果を招いたと批判されている。

野田共同代表斉藤共同代表温度

選挙後、野田佳彦共同代表斉藤鉄夫共同代表記者会見での態度には明らかな温度差があったと報じられている。野田氏が「終始うつむき加減」で敗北の責任を認めつつも曖昧継続意欲を示したのに対し、斉藤氏は「前を向いた明るい表情」で「失敗ではないと思います」と言い切った。

この対照は、選挙結果の内実を反映している。公明党議席を増やし、創価学会組織票を比例で効率的議席化することに成功した。斉藤氏は「1000万を超える比例票が短期間で集まった。議席自民の6分の1だが票は半分で、野党第一党だった」と強調した。公明党にとって、中道改革連合は「失敗」どころか戦術勝利だったとも言える。

中道改革連合の49議席野党第一党としては戦後最小規模であり、立憲民主党出身者の当選は21議席公明党出身者の28議席を下回った。主要政党の中で立憲民主党系だけが「独り負け」の状況となり、自民党はもちろん、日本維新の会、国民民主党参政党なども議席を増やした。

信頼と一貫性喪失

中道改革連合が嫌われた理由は、一言で言えば信頼と一貫性喪失にあると総括できる。党名は有権者共感を得られず、政策転換は支持基盤裏切り、党内配分は不公平感を生み、準備不足は未熟さを露呈した。そして何より、立憲民主党が長年培ってきた「反自民」「リベラル」というアイデンティティを、選挙のために安易に捨て去ったことが致命的だったと指摘されている。

政治において、有権者が最も嫌うのは日和見主義と機会主義である中道改革連合は、公明党組織票立憲民主党支持層を合算すれば勝てるという計算に基づいていたが、実際には両者の支持基盤を同時に失った。「嫌われの元気玉」という言葉が示すように、負の感情は足し算ではなく掛け算で作用したと見られている。

この歴史的大敗は、日本野党政治にとって重要な教訓を残した。有権者は、明確なビジョンと一貫した価値観を持つ政党を求めている。選挙のための便宜的な合従連衡は、もはや通用しない時代になったことを、この結果は示唆している。

Permalink |記事への反応(3) | 12:45

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幼い頃、自分はいつか結婚して子供を産んで良い家庭を作るんだ!と思っていた

世間クラスメイトも同じような感じだったから何も違和感なかった

○○ちゃんはいいお嫁さんになるねー!って言われるとすごく嬉しかった

けど成長していくにつれ、専業主婦はこの時代無いよね、女もしっかり自立して働く、って価値観に世の中が変わっていって、なるほどなぁ確かになぁ産むだけが人生じゃないよなぁって選択肢が増えた

じゃあ私の人生はどうしましょうか?ってなった時、

産むとしたら

まずお金不安すぎる。残念ながら自分高収入仕事には就いていないし、かといって相手をあてにするのは怖い。離婚率って今すごく高いし。何かあった時のことも考えないといけない。仕事も、育休!産休とはいえやっぱりキャリアは断絶されるし、そうなるとやっぱり金銭的に怖い。

自分田舎出身で、女は学いらなくね?的な価値観世界で育ってしまったため、残念ながら高卒、それもあって転職やらもなかなか決まらないし

両親は頼れないし、何かあった時は自分で動くしかない。預ける先がないと考えると、きつい…

身体的にも、成人してから婦人系の疾患が見つかり、妊娠にもお金時間もかかるしそこからも苦労が待ってる、ってなると

あーだったら…いいか、ってなっちゃ

いや、欲しいか?いらないか?というよりは、「産むべきである」って価値観で育ってきてしまったため、自分がどうしたいのか?と聞かれると、いやぁまぁどうなんだろう、欲しいわけではないけどいらないわけでも…ってなんとも言えん気持ち

でもやっぱりなー、怖いよね、両親が先にいき、パートナーもいなくなったとしたら?狂わないでいられる自信が無い

そのために子供を作るのか!?と言われると、そうだよなぁおかしいよなぁともおもうけど、そもそも子供ってみんななんで作ろう!って思うんだろうか

「そういうもの」だからなのかな

Permalink |記事への反応(1) | 12:34

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リアルバリューの溝口さん、プロレスではないリアル狂人に絡まれしま

溝口

少なくとも、あなたよりは常識を持って行動しているつもりですし、だからこそ多くの社員を預かる立場にあります

当初は事情を詳しく知りませんでした。ですが、ヴァンビや関係者から伺った内容、そして私自身にも向けられた言動を踏まえ、これ以上関わるべきではないと判断しています

他者に原因を求める前に、一度ご自身言動客観的に振り返ってみてほしいです。

相手

ご連絡、ありがとうございます

対応してくださったことに感謝いたします。

引用元はVAMBI氏マネージャー、REAL INFLUENCERスタッフ、また貴社社員のS氏とのやり取りについて記載したものです。

代表としてお伺いしたいのですが、数日〜数週間も連絡を無視することが、溝口さんの会社常識なのでしょうか。

REALVALUEでの溝口さんの的確なコメントは、ハッとさせられるばかりで、大変楽しく拝見しておりました。

その溝口さんがVAMBI氏を高く評価していることに、どうにも違和感を覚え、もしかしたら自分に見えていないものがあるのかとしれないとは、常々思っております

大変不躾ではありますが、ご教示いただけると助かります

溝口

少なくとも、あなたよりは常識を持って行動しているつもりですし、だからこそ多くの社員を預かる立場にあります

当初は事情を詳しく知りませんでした。ですが、ヴァンビや関係者から伺った内容、そして私自身にも向けられた言動を踏まえ、これ以上関わるべきではないと判断しています

他者に原因を求める前に、一度ご自身言動客観的に振り返ってみてほしいです。

相手

ご連絡、ありがとうございます

対応してくださったことに感謝いたします。

引用元はVAMBI氏マネージャー、REAL INFLUENCERスタッフ、また貴社社員のS氏とのやり取りについて記載したものです。

代表としてお伺いしたいのですが、数日〜数週間も連絡を無視することが、溝口さんの会社常識なのでしょうか。

REALVALUEでの溝口さんの的確なコメントは、ハッとさせられるばかりで、大変楽しく拝見しておりました。

その溝口さんがVAMBI氏を高く評価していることに、どうにも違和感を覚え、もしかしたら自分に見えていないものがあるのかとしれないとは、常々思っております

大変不躾ではありますが、ご教示いただけると助かります

続く

Permalink |記事への反応(1) | 01:41

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借金してホストにのめり込む女性たち——「愛はお金で買える」という幻想はなぜ生まれるのか

近年、ホストクラブで高額な借金を抱え、その返済のために性風俗で働いたり、消費者金融渡り歩いたりする女性たちの問題社会的な注目を集めている。一見すると「浪費」や「判断力の欠如」として片付けられがちだが、実態もっと深刻で複雑だ。彼女たちの多くは「なぜ自分がここまでのめり込んでしまったのか」を自分でも理解できずにいる。

この問題心理学精神医学社会構造観点から掘り下げ、回復への道筋を示したい。

ホスト依存症は、医学的な正式診断名ではない。しか精神科医臨床心理士の間では、この現象が単なる「遊びすぎ」ではなく、恋愛依存、対人依存、買い物依存ギャンブル依存が複合した心理的依存症一種として認識されている。

銀座泰明クリニックや大石クリニックといった依存症治療の専門機関では、ホストクラブに通うことをやめられず、特定ホストに対して強い愛着・執着・幻想を抱き、生活精神経済に深刻な影響が出る状態として治療対象にしている。依存症治療に30年以上携わる大石クリニックの大石雅之院長によれば、重症例では借金が数百万円から6000万円に達することもあり、その多くが返済のために風俗店での就労余儀なくされている。

ホスト依存症の中核にあるのは、「特定ホストに会わずはいられない」という強迫的な衝動である。本人は理性的には「このままではまずい」と分かっていても、行動をコントロールできない。これはアルコール依存症や薬物依存症と同じく、脳の報酬系、つまりドーパミン放出される快感回路が過剰に活性化している状態だと考えられている。

ホストクラブという空間は、女性承認欲求自己肯定感の渇望を満たすために極めて精巧設計されている。ホストは「君が一番」「俺だけを見て」といった言葉で疑似恋愛演出し、顧客特別扱いされている感覚を与え続ける。日常生活で「誰にも必要とされていない」「自分には価値がない」と感じている女性にとって、この体験は強烈な快感となる。

この快感脳内ドーパミンの分泌を引き起こす。ドーパミンは「また味わいたい」という欲求を強化する神経伝達物質であり、ギャンブル麻薬と同様に依存形成する。ホストからLINEが来た、同伴できた、指名されたという、こうした不確定な報酬が繰り返されることで、脳は「次こそもっと愛される」という期待にとらわれ、やめられなくなる。

心理学的には、承認欲求と疑似恋愛構造の組み合わせが鍵となる。多くのホスト依存女性は、幼少期に親からの無条件の愛情を十分に受けられなかった経験を持つ。親が過干渉、条件付きの愛情しか与えない、あるいは無関心だった場合自己価値が「他者からどう評価されるか」に強く依存するようになる。ホストクラブはこの心の空白を埋める場として機能し、金銭という対価を支払うことで愛情が「買える」という錯覚を生み出す。

依存症専門医の臨床経験によれば、ホスト依存重症例の一部には、ADHD(注意欠如多動症)やASD自閉スペクトラム症)といった発達障害が背景にあるケースが見られる。ADHD特性である衝動性のコントロール困難、報酬への過敏性、視野の狭さは、ホストへの過剰な執着と借金の積み重ねを加速させる。早稲田メンタルクリニック動画解説でも、衝動性のコントロールが苦手な女性ホストにハマりやすいと指摘されている。

さらに深刻なのは愛着障害である愛着障害とは、幼少期に親や養育者との間で安定した情緒的な絆を形成できなかった結果、大人になっても他者との関係不安や執着を抱える状態を指す。愛着スタイルには「安定型」「不安型」「回避型」「恐れ・回避型」があり、このうち不安型の女性は「見捨てられる恐怖」が強く、相手の反応に過剰に依存する。ホストからの「愛されている」というサインを求め続け、そのために借金を重ねてしまうのは、この不安愛着典型例だ。

愛着障害を抱える女性は、恋愛を「ギブアンドテイクの取引」として捉えやすい。無条件に愛される経験がないため、「お金を使えば愛される」というホストクラブ構造違和感を持ちにくく、むしろ「これが正しい関係」だと錯覚してしまう。

ホスト依存問題を語る上で欠かせないのが、「売掛金」という仕組みである。売掛とは、客がその場で支払えない料金をホストが立て替え、後日客が返済するツケ払いのことだ。この制度により、女性は支払い能力を超えた高額な飲食を繰り返し、借金が膨れ上がる。

警視庁説明会資料厚生労働省報告書によれば、売掛金は数十万円から千万円に達することもあり、返済のために性風俗店での就労を強いられるケースが相次いでいる。ホストや関連するスカウトグループが「返せないなら風俗で働けば」と誘導する構造確認されており、職業安定法違反売春防止法違反摘発される事例が増加している。

2025年6月改正風営法施行され、スカウトへの報酬支払いや恋愛感情を利用した営業売掛金制度事実上禁止されたが、現場ではまだ違法営業が続いているとの証言もある。警察の取り締まり強化と並行して、女性相談支援センター消費生活センターへの相談も急増している。

借金を背負った女性風俗で働くことを余儀なくされる過程では、心理的マインドコントロールも働いている。ホストからの「お前のために俺が立て替えた」「裏切るのか」といった言葉で罪悪感を植え付けられ、抵抗できなくなるのだ。

大石クリニックの大石院長は、ホスト依存女性たちが「このままでは生活できなくなる」と理性的予測できない背景に、発達障害特性による視野の狭さや、強迫的性行動症といった疾患が関わっている可能性を指摘している。ADHD傾向のある人は、目の前の報酬に反応しやすく、将来のリスク現実感を持って想像することが苦手だ。また、ホストとの関係に没頭することで、他の情報が視界に入らなくなる「トンネル視」の状態に陥る。

さらに、恋愛依存女性は「相手がいないと自分存在価値がない」と感じているため、借金リスクよりも「この人に嫌われる恐怖」が上回る。理性と感情バランスが崩れ、感情意思決定支配してしまうのだ。

ホスト依存から回復可能である。ただし「意志の力」だけで抜け出すことは難しく、専門的な支援必要だ。回復ステップは以下のように整理できる。

まず第一に、自己理解である自分がなぜホスト依存しているのか、その背景に愛着障害や自己肯定感の低さがあることを認識することが出発点となる。カウンセリング心理療法を通じて、幼少期の体験現在感情パターンを整理することが有効だ。銀座泰明クリニックや大石クリニック、早稲田メンタルクリニックなどでは依存症専門の治療プログラム提供されている。

第二に、物理的な距離を取ることである担当ホストとの連絡を断つ、ホストクラブに近づかない環境を作ることが重要だ。売掛金がある場合は、直接会わずに振込で支払うなど、接触機会を減らす工夫が必要である家族や信頼できる友人に協力を求め、行動を監視してもらうことも有効だ。

第三に、代替行動の確立であるホストに会うことで得ていた承認欲求や高揚感を、別の健全活動で満たす必要がある。趣味スポーツ学習ボランティアなど、自分時間投資できる対象を見つけることが回復を支える。自己肯定感を高めるためには、小さな成功体験を積み重ねることが効果的だ。

第四に、債務整理である借金が膨らんでしまった場合は、弁護士司法書士相談し、任意整理自己破産などの法的手続き検討する。新宿などホストクラブが集中する地域法律事務所には、ホスト関連の借金相談対応しているところもある。

第五に、再発防止のための心理療法である認知行動療法(CBT)や弁証法的行動療法DBT)、トラウマフォーカスト療法などが有効だ。また、自助グループ回復施設グループホーム)を利用することで、同じ経験を持つ仲間と支え合い、孤立を防ぐことができる。

家族や友人がホスト依存に気づいたとき、どう対応すべきか。大石院長は「否定せずに見守ってほしい」と強調する。頭ごなしに批判したり、無理やり引き離そうとしたりすると、本人は防衛的になり、さら依存を深めてしま可能性がある。

まずは本人の話を聞き、なぜそこに居場所を感じているのかを理解しようとする姿勢が大切だ。その上で、「心配している」「一緒に考えたい」というメッセージを伝え、専門機関への相談を勧める。厚生労働省女性相談支援センター消費生活センターを窓口として案内しており、家族から相談も受け付けている。

最悪のケースは、本人が孤立し、借金を抱えたまま追い詰められることだ。自殺犯罪に巻き込まれリスクもある。だからこそ、早期の介入と継続的支援が不可欠である

ホスト依存問題は、個人の「弱さ」や「判断ミス」だけで説明できるものではない。承認欲求を巧みに利用するホストクラブビジネスモデル売掛金制度による債務の罠、性風俗への誘導という構造的な問題が絡み合っている。さらに、愛着障害や発達障害といった心理的・神経発達的な脆弱性を持つ女性が、そのシステムに取り込まれやす現実がある。

法的規制の強化や警察の取り締まり重要だが、それだけでは不十分だ。依存症治療の専門機関の拡充、カウンセリングへのアクセス改善社会全体での承認欲求自己肯定感問題への理解促進が必要である。「愛はお金で買える」という幻想から抜け出すためには、社会が「無条件に受け入れられる場」を提供し、個々人が自己価値内面から育てられる環境を整えることが求められている。

Permalink |記事への反応(0) | 01:34

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キャラが夢主を「お前」と呼ばない件。二次元男性までもが弱男化

オタクの夢界隈の話。

夢主(既存キャラに対する架空ヒロイン)は、基本的書き手及び読み手自己投影先になるため無個性を設定されがちだが

もちろん『名あり夢主』とか『顔あり夢主』とか『髪あり夢主』とか『人型夢主』とか書き手によって細かい設定がある場合もある。

で、何だよコレってのは文字での話なんですが

『名あり夢主』←これどうにかして

名無夢小説ではキャラが夢主を「おい」「お前」「先輩」とか、地の文で呼んだことにしてなんとかやってくのだが

名ありの場合キャラ固有名詞を使えるため、「〜ちゃん」「〜さん」とかしっかり敬称をつけて丁寧に丁寧に丁寧にヒロインを呼べる。

名前を呼ぶことは愛情表現という話もあるし、敬称解釈が出るから奥行が増す。わかるよ。名無しにはない利点がある。

しかし、昨今見かけるのは『ミョウジ ナマエ』とかいうばかみてえな名前

単語置換を前提とした名前だけども、

個人的に、自分名前にすると違和感が拭えないし、適当名前をつけてもしっくりこない。かといって置換せずに読むと、流麗な日本語に混ざって「ねえ、ナマエちゃん」とか「待て、ミョウジ……!」とか言い出す。誰お前

誰?

何?

あいいや

別に読まなきゃいいか

しかし、驚くことに、

私を「お前」と呼ぶのが気に入らない!という声があがってきた。

フェミですか?

しか結構大声。

でもこれって裏を返せば

素で「お前」呼ばわりしてくる野獣のような男は需要がなくなっている

ということではないか

オタクにさえ嫌われゆく強者男性

ということで、草食系弱者男性諸君は、今後に期待しておくとよいでしょう。

Permalink |記事への反応(2) | 00:52

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2026-02-11

旗の下に立てなかったあの日の事

衆議院選挙が終わって数日が経った。

正直に言えば、私はこの選挙に疲れてしまった。

しかし同時に、「民主主義とは何か」を考え直させられる出来事でもあった。


今回、先の参議院選挙から心惹かれる候補者がおり、その方が衆院選でも立候補されることになったとみつけた。

何を行えばいいかからない、なので決起集会から参加することにした。

ただ、私はこの政党政策すべてに賛同しているわけではない。たとえば消費税ゼロを謳っているが、現実的な財源確保として不可能だろう。VAT対象品目見直しや税率の段階的引き下げならまだしも、と思う部分は多々ある。それでも、この候補者個人姿勢には共感していた。


決起集会での違和感

会場には早めに到着した。主催者席に座る候補者は、ネットで見るより穏やかで、普通の人に見えた。もしかして別人では、と疑ったほどだ。

ところが決起集会が始まると、徐々にあの雰囲気が戻ってきた。明確な目的意識と、人を飽きさせない話術。理路整然とした言葉運び。ああ、本物だ、と少なからず感動した。

しかし同時に、ただならぬことが起こっていた。

開始ギリギリに入場を諦めかけていた人々を掻き分け、個性的な格好の女性が入ってきた。顔見知りらしき女性と話した後、床に座り込んだ。満員のため床に座る人は他にもいたので、これ自体は仕方ない。冬の寒い日だったが室内は適温だった。

ところが彼女には暑かったらしい。会の進行も気にせずタンクトップ姿になり、ストレッチを始めた。候補者演説している最中である。周囲の人々が一瞥し、見て見ぬふりをし始めるのが分かった。知り合いと見られる女性も、誰も諌めることはなかった。

これは私にとって異様な光景だった。国の立法府に人を送り出そうとしている場で、自分の快適さを優先する振る舞い。それを制止できない支援者たち。人は自由であるべきだが、この状況への違和感は拭えなかった。

候補者支援者の話は感動的で思慮深く、ますます応援したくなった。だが同時に、この非社会的行動とそれを容認する雰囲気に、この集団に身を置くことへの躊躇も生まれた。候補者は心から応援するが、支援者の集まりには居心地の悪さを感じる。党内の年齢層が高いせいか、仕組みがアナログなことも気になった。



街頭演説での言葉選び

次に応援に訪れたのは、大きな駅前だった。党首候補者が揃って演説するという。選挙戦も中盤、どんな話が聞けるか楽しみだった。

党首の主張は理解できる。税金の使途変更、防衛費拡大への反対、雇用の安定化。実現すれば社会的負担を減らせる政策だ。

しか言葉選びが気になった。この街はかつて若者の街と呼ばれ、今も感度の高い人々が集まる場所だ。新しいものを好み、洗練された言葉を使う。

その駅前で「○○はいいでしょう、みなさん、どうですか?」という呼びかけ。若い世代なら思うだろう。質問形式議論誘導するのはレトリックとして不誠実ではないか、と。信念があるなら素直に政策を語ればいい。同意を求める言葉は、自信のなさに聞こえる。

若い皆さんどうですか?防衛費ガビーンうなぎ登り!」

耳を疑った。ガビーンとは何だろう。長年のキャリアを持つ政治家が、なぜこの場にいる人々に届く言葉を選べないのか。聴衆に訴えかけるのではなく、自分の話したい言葉だけを語っているように見えた。

この党首東大主席で出て司法試験合格し、若くして党を任され、弱者の側に立って問題解決に取り組んできた人だ。テレビ討論でもしっかり話される。政治家として評価されるべき実績がある。

それなのに、この演説は何だろう。データの並べ方も、相手に噛んで含めるような話し方も、聴衆を低く見積もっているように感じられた。

この区は常に23区の平均給与トップ3に入る。日々プレゼンをし、人を説得して予算を獲得する訓練を受けた人々が多い。党首の話し方は、そうした聴衆には響かない。

後ろで候補者不安そうに手を振っている。聴衆の半分は政党ではなく候補者目当てだろう。

党首がようやく話を終えたと思ったら、スタッフが「まだ話し足りない」とマイクを戻した。聴衆は候補者を見に来ているのだ。壇上の党首スタッフ候補者の間で意思疎通がうまくいっていない様子が見て取れた。

候補者演説が始まったのは25分後だった。比例候補とはいえ若者に届く言葉で話せる候補者時間が、二世代上の党首演説に削られたのは残念だった。

それでも、その足で区役所に向かい候補者政党名を書いて期日前投票した。


平日最終日の光景

選挙運動平日最終日、金曜の夜に仕事が早く終わったため、もう一度候補者演説を聞きに駅前へ向かった。

今回、リベラル政党を心から応援したいと思った。ただ投票以外に何ができるか分からない。勤め人なのでポスティング時間も取れない。せめて聴衆「モブ」の一人として場を盛り上げられればと足を運んだ。

だがその度に気になったのは、支援者排他的とも見える行動だった。

この日、自治体首長候補者と同じ政策を掲げるNPO代表応援演説に来ていた。聴衆は80人もいないように見えたが、特記すべきは15人前後が巨大なスローガン入りの旗を持っていたことだ。個性的な格好をした人が多い。

でもさあ、80人くらいだよ。ここにいるの。そこの20%が旗持っているわけ。

遠目から見て、異様な光景デモ会場なら分かる。他党でも旗を持つ人はいる。ただ大抵は小さな応援旗だ。少ない人数に大漁旗並みの旗を持つ人が20%もいる状況は、書かれたスローガンが正しくても、外から見て近寄りがたい。

あの集団を見て、楽しそうだから仲間に入ろうと思う人がいるだろうか。むしろ威圧感を与えているのではないか

遠目から候補者演説を聞いた。掠れた声で、それでも変わらない人を惹きつける話し方。前議員時代に力を入れた戦時中事故問題労働問題、あらゆる格差問題。それは意味のある言葉だった。一人でも多くの人に届いてほしいと願った。


敗退、そして気づいたこ

月曜日候補者は票が届かず敗退した。

大規模政党から見ればメジャーではない政党些細な敗北かもしれない。しかし多様な問題提起をし、さまざまな状況に置かれた人々の声を国に届けられる人を、有権者の一人として国会に送れなかった。今、とても気持ちが沈んでいる。

全ての人に優しい社会という理念大事だし、私もその一員でありたい。

直近の選挙リベラル側に立つことで、リベラルが票を増やせない根本的な問題に気づいた。

理念は正しくても、それを広げる方法課題がある。他党の主張を支持する人もいるだろう。だが節目の場では、協調他者への尊重必要ではないか政党側にも支援者側にも。

共鳴する仲間を増やす必要がある時に、外から人が入りづらい雰囲気を作る古参の態度は何なのだろう。

学生時代キャンペーンスタッフバイトでチラシ配りをしていた。人の目を見て動きを少しシンクロさせると受け取ってもらえることを学んだ。この政党スタッフ高齢の方が多く、ぶっきらぼうにチラシを押し付けるように渡していた。チラシに書かれた言葉を届けるというより、チラシ配りという役目だけをこなしている。相手の行動を見て判断し、関心のある素振りを見せなければ、誰もチラシを受け取らない。

視覚障害者用の誘導ブロックに立つ支援者もいた。「誰かが来たらどけばいい」ではない。そんな配慮もできない人が支持している、と候補者評価まで下がることに思い至らないのだろうか。

若い有権者はチラシではなく、候補者ホームページを見る。だがそのホームページも、パワーポイントで作った画像を貼り付けた雑然とした作りで、政策の深掘りも整理もされていない。フォントサイズバラバラデザインに落ち着きがない。

候補者最初の決起集会で、この政党からこそ活動ができたと感謝を述べていた。その言葉本心だろう。だが同時に、支援者たちの善意が、意図せず新しい人々を遠ざけている現実がある。



Takeaway:

私自身は無党派層であるが、今回リベラル候補者を追いかける中で、いくつかの問題が見えてきた。

理念を広げたいのであれば、まず支援者の側から、初めての人が入りにくい雰囲気を和らげる必要があるのではないだろうか。

掲げているスローガン本来社会全体に向けた言葉のはずだが、いつの間にか仲間同士の確認言葉になっていないだろうか。

さまざまな立場温度感の人が参加できる作法になっているのか、改めて考えてみる余地があるように思う。

また、政党候補者側にも感じたことがある。

どのような態度の人であれ、どの立場の人であれ、まず同じ社会構成員として尊敬の態度を持って扱う姿勢必要ではないだろうか。

自分たちの正しさを語るだけでなく、その正しさが現実社会にどのように作用するのかを、現在社会を前提に説明してほしいと感じた。

たとえ他党であっても、支持される理由があるはずであり、その点を理解しないまま批判すると、力強い、信頼できる言葉を届ける前に、結果として有権者を遠ざけてしまうのではないか




この候補者のような人が国会に届くためには、リベラルの側にも変化が必要なのだと思う。

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