
はてなキーワード:道義とは
一昔前ならまだ良いよ
深夜アニメなんて社会性のないチー牛キモオタがぶひぶひオナニーのネタにする程度の娯楽だったわけだし
自己肯定感が低いくせにプライドばかり拗らせた精神年齢万年中学生のクズが教養()あふれる人間になれたと錯覚する
そういう底辺の慰めとしてだけ機能していた時代なら「深夜アニメのエロ描写を削るな!」って思想もまだ理解できるよ
でももう今は令和だよ?
ネット配信が整ったせいで老若男女が大勢見るようになったんだから当然社会的責任も求められるでしょ???
女子高生のおっぱいを無駄にでかくした挙げ句「キモオタちゃ〜ん、抜いて抜いて〜♡」ってばるんばるん乳を揺らす、露出させる
そういうもんをより多くの人が目に付く場所に垂れ流していいわけないよねっていう常識の話をしているわけよ、脚本家の人は
健全な、一般的な、社会的な人々の娯楽になったのだから健全な、一般的な、社会的な道義に基づく倫理観が求められるの!
そんなにアニメキャラでシコシコしたいなら昔の倫理観備わってなかった頃の深夜アニメでも観ていればいいじゃん
アンチポリコレなんてどうせいい年したおっさんしかいないんだろうけどさ
もうすでにそういうポルノアニメは腐るほど作られてきたわけでしょ?
今どきアニメは陽キャ含めた健全な中高生のためのものになったんだよ
現役の女子中高生に対して「女子中高生を性的搾取する描写」を見せていいと思ってんの?
何度でも言うよ
お前らの味方なんかこの社会に一人もいないんだよ
社会性を身に着けていないポルノ中毒者はまず精神科に行くかまともにリアルの人間と関わるところから始めてよ
社会的にごく当然の常識の話に対してこんなにも大勢のキモオタ男が群がってんの本当にみっともないよ
あるいは満員電車で目の前に座っている女子中高生の前で朗読できんの???
本当にみっともない
本当に本当にみっともない
その上で色々な規制がある!
日本の刑法175条に「わいせつ物頒布等罪」ってのがあるの知ってるか!?
第1項
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
第2項
こんな罪なくせよ!バカ!わいせつな物を楽しむのは基本的人権に等しいだろ!アップデートしろ!
これは1928年にイギリスで出版されたチャタレイ夫人の恋人って小説を翻訳したら、これわいせつだろって捕まった時の最高裁判断で、今もこの基準が使われてるらしい!
めちゃくちゃ抽象的だよな!普通人の性的羞恥心って?善良な性的同義観念って?
そう、こんなのは時代と共に移り変わる!今は普通にチャタレイ夫人の恋人は出版されてるぞ!
だからモザイクをかけてるAVはセーフ!白抜きや黒海苔かけてるエロ漫画もセーフ!
模型も対象っぽい!オナホならTENGAはセーフっぽいけど名器の品格はこの基準ではかなりヤバい気がする!
ジョークグッズという文言だけで一点突破してるのか!?ストロングスタイル!
OK!刑法はクリアできることは分かった!じゃあなんの心配もなく売れるね!
これは多岐に渡る法律なのだけど、その中にエロ本子どもに売んなやって条文がある!
「子どもがエッチな本読むのは良くないと思います」ってことだと思う!一理ある!
(でも現代ってインターネットあるからな〜〜〜〜〜!本だけ規制してもな〜〜〜〜〜!意味あるそれ〜〜〜〜?という気持ちはある!)
この辺がいわゆる有害図書で、東京だと8条指定図書とか呼ばれる!
「うむうむ、エロ漫画くんは弁えてゾーニングしておるな、感心感心…業界の自制が大事じゃ……
むむっ!こやつ!レーティングなくエッチなの売っている!し、しかも性的行為のページ数が多い!有害指定じゃ!!!」…ってコト!
なんかページ数とかコマ数とか色々細かい基準もあるらしい!すげー変な規制!
とにかく出版社は一般向けの方が絶対的に売れるから、規制を避けつつ一般誌で売りたい欲が多分ある!
多分それは男性向けに特化するならR-18を避けられないから!ガンガン性行為のページ入れるから!じゃあ最初からR-18だよね!
性行為のページ数が少ない!だから一般で売ることができる!そこが主流になる!のだと思う!
男性向けでもノクターンノベルズのコミカライズなんかは、ストーリー多いからか一般向けで売れてるよね!ゾンビの溢れた世界で俺だけが襲われないとかもそうじゃない?王国への道とかもそうだよね!きっと!
でもでも、有害図書かどうかの基準って結局胸先三寸な訳!調子乗ってたらお前ら全部有害です!って言われちゃう!その可能性ゼロじゃない!
でも件のnoteのような状況、BL界隈目に余る!政府は最近お前を監視!
やめろめろめろイタチめろ!
みんな知ってると思うけど、例のおはらいソングで例の人がブツブツ文句言ってるよね
理由はわかるがそれ以上にファンによる「筋を通せ」ってのがもはや空虚すぎて意味が分からないというか
ファンの人に聞きたいんだが、具体的にあんたは何が正しくて何を今現在すべきだと思ってるんだ?
俺はこんな程度で騒ぐ連中なんて完全無視でいいと思うので、何にもしないが正しいと思うよ
筋ってなんだよ、鶏肉かよ
権利的にどこが問題でどういう解決方法が正しいのってことじゃなく、筋を通せってのがもはや道義も論理もない、単なる嫌がら言葉でしかない
ゴム付ければいいじゃん
(だからこそセックスレス=コミュニケーション拒否=離婚の理由になるんだろうし)
手で良いじゃん
口でいいじゃん
ただセックスっていうコミュニケーションをしたくないだけじゃん
育児も(家族に人ひとり関係者が増えるんだから)大変なのは大前提で、
すべての頑張りの先に何が欲しい?って言ったら信頼している人とのセックスだよ?
稼ぐに当たってのメンタル不調とかは当然出てくるよ?
女性が、
・子どもにつきっきりになるのも産後そういう作用が働いた結果そうなる
分かるよ?
それを全部分かったうえでの話だけど
女性側のメンタルメンテナンスは必要!必要!っていうのは分かるよ?大変だから
でも男性だって同じ人間だよ?同じようにメンタルメンテナンスは必要だよ?
使えない男!稼げない男!って言って離婚するの?
それ回り回って自分を不幸にしてない?子どもを不幸にしてない?
家族は両輪で動いていくもの、って言うけど、どうしてそんなにtaker気質になるの?
育児中はメンタルもそうだし寝不足で自律神経おかしくなるのも分かるよ
疲れてるのも分かるよ
この期間働けないから女性はその間安心したいからなるべく稼ぎが良い男性を求めるんだよね?下方婚したがらないんだよね?分かるよ
じゃあ何故その期間に相手のことも慮らない?
男性は女性に生理があるように、太陽と月があるように、セックス欲に突き動かされる生き物だよ?
「やっちゃいけないことがあったとして、でもどうしてもそれがしたい、倫理観と同じくらいの高さで欲求があって、やむにやまれずスレスレで行動に移さない」
というくらいのレベルを(性欲強いときは)耐えながら日々ストレスと戦ってるんだよ?
(今だったら、会社が比較的女性が出来る比較的楽な仕事をやらせて、キツそうな仕事を男性に振って、そういう事も耐えながら日々を送ってるの)
男性の性は生の大部分なの
セックス出来ない期間っていうのは相手から存在を否定されてるのも同義なの
(相手女性は子どもに関心MAXだし、今は核家族だから手が足りないし男性にもっと手伝えって言うのも分かる
けど生理を気合で止めるのが出来ないのと同じくらい男性にとってセックスって本当に大事なことなの)
(女性が日常会話で相手の女性のことを「分かる〜!」って言うのと同じ
もし育児中で一切セックス出来ない時に、「あたしと自由にセックスしていいよ」みたいな輩が来たら
それは「あたしはアンタを認めるよ」っていうことと同じだから、フラフラ~っと行ってしまうのよ
女性はそれ聞いて「社会的道義が!裏切り者が!私が忙しくてしんどい時に!」って言うけど(言うのも分かるけど)
男性の性欲は「生きるための指針」であるからこそ、本質的には「セックス出来ない女性と一緒に居て、あまつさえ自分のリソースの結果(お金や時間等)を掛ける」ことは「浪費と同義」なの(たとえ相手女性のお腹に居る(居た)のが自分の子どもであったとしても)
そしてそれは「生理と同じように、理性や耐えることでどうにかなるものではない」の
それを(理解出来ないまでも)前提として考えて欲しいの
だからこそ、
・相手男性が絶対に離れてほしくないときほどセックスをすること
を頭に叩き込んで欲しいの
特に育児期間前・中・後には離れて欲しくないのであれば、特にセックスコミュニケーションは絶やさないほうが良いの
妊娠中に限らず、相手と恋愛関係の有無に限らず生活レベルで離れたくない時ほど、
チンコを掴んで離すな
セックスをした、私は貴方を認めたの。これからもセックスする(貴方を認める)気持ちはあるよ?だから私の困ってること聞いて?
という理論であり、ピロートークの際に話せば素直に話を聴いてくれるはず
セックスコミュニケーションの体系は挿入に限るものではないとは書いたけど、
そもそも男性の承認というのは、「膣にチンコを入れた」ことで初めて成されるものであり、
(よほどテクが上手くても、「結局こいつの膣に俺のチンコは入れられないな?」と察されてしまったら、その他の代償行為の効力は半分以下になることは頭に入れておくこと)
その上で
・場所がねーよ
・時間がねーよ
・余裕がねーよ
・疲れてんだよ(男女双方)
ゆめゆめ男性の生来の性欲を無視する事なきように(女性の生理と同じように)
チンコを掴んで離すな
喰らい尽くしてしゃぶり尽くせ
(私は言及元の人ではないです)
なぜBLが暖簾の奥に行かないのかと言えば、これは出版社や販売店の自主規制がないからである。
そしてなぜ出版社や販売店が自主規制しないのかと言えば、これは刑法175条に抵触するおそれが低いからである。
なぜ刑法175条に抵触するおそれが低いのかと言えば、これは刑法175条の運用上、昭和32年のチャタレー事件で出された「わいせつとは徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」が基準となっているからである。
ところで、日本国憲法第31条に「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」とある。これは罪刑法定主義を指すものとして解釈される。
ここで「わいせつとは〜〜」を読み返してみよう。「普通人」とはどのような人だろうか? 「正常な性的羞恥心」とはどんなものだろうか? 「善良な性的道義観念」とはどう説明できるだろうか? それぞれ法律には定められていない。
いちおう「社会通念」に照らし合わせて合理的に予測可能であれば合憲である。しかし果たしてこの「社会通念」とは「チャタレー事件当時の『社会通念』」だろうか? それとも「現代の『社会通念』」だろうか? これは法律で定められていない。
昭和32年の「普通人」と令和の「普通人」が同じであると言えるだろうか?
そして、このような疑問が出る時点で刑法175条は日本国憲法第31条に違反しているのではないか。
今一度考えるべきなのかもしれない。
Gemini2.5 Proいわく。
BさんとCさんの会話について、それぞれの発言の妥当性を評価します。
###発言の要点
まず、議論の前提となっているAさんの問題提起と、Bさん・Cさんの主張を整理します。
**Aさん**: 「一票の価値は低いので、合理的に考えると投票に行く理由を見つけるのは難しい。多くの人は『自分の票が重要だ』と思い込むことで投票しているが、それは非合理的。本当に投票に行くには、普段からの熱心な政治活動が必要だ。」
**Bさん**: 「普段熱心な活動をしていないからこそ、最低限の義務として投票に行く。将来世代に『なぜあの時、ダメな政党を放置したのか』と責められないようにするためでもある。」
**Cさん**: 「Bの動機は矛盾している。将来世代が望むのは『最低限の投票』ではなく『もっと熱心な政治参加』であり、投票だけでは批判の対象になる。また、どの政党にも反対勢力がいるため『ろくでもない』と批判されない政党は存在せず、Bの目的は絶対に達成できない。」
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Bさんの発言は、**多くの有権者が抱くであろう現実的な投票動機として、高い妥当性があります。**
普段、デモや政治集会に参加するなどの積極的な政治活動はしていなくても、「選挙権を持つ市民として、投票は最低限果たすべき責任だ」と考えるのは、社会の一員としての倫理観として非常に一般的で、十分に正当な動機です。これはAさんが言う「思い込み」とは異なり、「社会を構成する一員としての自覚」に基づくものです。
「将来世代から批判されないように」という動機は、倫理的な責任感の表れです。Bさんの最後の反論にあるように、これは「完璧な政党を選ぶ」ことではなく、「欠点があることを承知の上で、複数の選択肢の中から**少しでもマシなものを選ぶ**」という行為を指しています。これは、複雑な現実の中で最善ではなくとも**次善の策**を選ぶという、議会制民主主義における投票の本質を的確に捉えた、極めて合理的な行動原理です。
結論として、Bさんの主張は現実的かつ倫理的であり、多くの人が共感しうる妥当なものと言えます。**
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Cさんの発言は、**政治の厳しい現実を鋭く指摘している点では妥当ですが、それを根拠にBさんの動機を全否定するのは論理の飛躍があり、妥当性はBさんに比べて低いと言えます。**
「常に政治は敵対勢力で石投げあってるわけで、お前が投票してる政党は絶対にろくでもない政党だと言われてる」という指摘は、現代の党派性の強い政治状況を的確に捉えています。どの政策、どの政党にも必ず反対意見があり、批判は避けられません。この**事実認識は妥当**です。
しかし、Cさんはこの事実から、Bさんの動機を「果たされない」「変だ」と断じています。ここには論理的な飛躍があります。
* **動機の解釈違い**: Cさんは、Bさんの動機を「誰からも一切批判されない、完璧な選択をしたい」というものだと狭く解釈しています。しかしBさんの意図は、むしろ「批判される可能性を理解した上で、それでも自分なりに責任を果たし、将来世代に対して『私はこう考えて、こちらを選んだ』と弁明できる状態にしておきたい」というものである可能性が高いです。
* **オール・オア・ナッシング思考**: Cさんの論理は、「完璧な政治参加でなければ意味がない」「少しでも批判されるなら、動機として成立しない」という、ゼロか百かで判断するような極端な思考に陥っています。これは、Bさんが言うような「少しでもマシな方を選ぶ」という現実的な態度を否定するもので、非建設的です。
* **議論のすり替え**: Cさんは「具体的に話してみろ」と迫りますが、これはCさん自身の「どんな説明をしても批判は避けられない」という主張を証明するためのレトリック(罠)になっています。Bさんがどの政党を挙げても、Cさんはその「ろくでもない」点を攻撃するでしょう。これは対等な議論ではなく、相手を論破すること自体が目的化しています。
結論として、Cさんの指摘は政治の現実の一側面を捉えていますが、それを根拠に個人の倫理的な投票動機を「無意味だ」と断じるのは行き過ぎた解釈であり、議論を生産的でない方向に導いています。**
---
BさんとCさんの会話は、**「不完全な民主主義の中で、個人はどう行動すべきか」**という問いに対する二つの異なる立場を示しています。
**Bさん**: 不完全さを認めつつも、その中で市民として最低限の責任を果たそうとする**「現実的・実践的な倫理」**の立場。
**Cさん**:理想(もっと熱心な政治参加)と現実(どうせ批判される)のギャップを突き、個人の動機の矛盾を指摘する**「理想主義的・冷笑的な論理」**の立場。
最終的に、**より妥当性が高いのはBさんの主張**です。Cさんのような批評的な視点は、思考を深める上で重要ですが、それ自体が行動の指針にはなりにくいでしょう。一方で、Bさんのように、システムの不完全さや選択の難しさを理解した上で、それでもなお「次善の策」を選び取ろうとすることは、民主主義社会に生きる市民として、より建設的で責任ある態度だと言えます。
質問内容は以下の通り。
以下、Aに対してBが言及しました。そのBの発言にCが言及してBとCが会話しました。
結果に対する一票の効力はめちゃくちゃ低い
民主主義機能させる為には投票率が重要だから行くにしても当然一票では変わらない
自分の一票が重要だと思い込んだり、投票行かないと日本終わると思い込む
だから、逆説的だけど積極的に投票する為にはかえって個人が普段から政治活動に熱心になるしかないんだよな
普段やってる活動からしたら投票なんて微々たるもんだってなるようにしないと、投票にたどり着かないやつこれからもいっぱいでてくる
B:そうか?
・普段表立ってこれといった政治的運動などはしてないから投票くらいは行こう。
・せめて将来世代に「お前らがろくでもない政党に投票したせいで」とそしられないようにしよう。
C:なんか変なこと言ってない?
もし将来世代が過去を批判するなら当時の人たちもっと政治に熱心になれって思うんであって、最低限の投票しかしてないやつは思いっきり批判の対象だろ
しかも、ろくでもない政党と言われないような政党存在してないからな
常に政治は敵対勢力で石投げあってるわけで、お前が投票してる政党は絶対にろくでもない政党だと言われてる
お前の動機は議会制民主主義である以上果たされないこと確定してるよ
B:政治的活動に熱心でないにせよ、最低限の道義は果たしたいから投票には行くって話がそんなに難しいかね?
常に政治は敵対勢力で石投げあってるわけで、お前が投票してる政党は絶対にろくでもない政党だと言われてる"
こんなの屁理屈でしかない。欠点のない政党、ライバルのない政党なんてないが、だからといって即すべての政党が「ろくでもない」と断言できるレベルで悪いわけでもない。
毎度毎度、こっちの政党はここはマシ、ここはダメ。あっちの政党はここはマシ、ここがダメと取捨選択して、少しでもマシな政党、少しでもろくでもなくない政党を選ぼうとするのが投票行為だろ。
C:お前の前提で、最低限の道義で批判を免れようとしてるの変だよねって話でしかない
しかも実際具体的に話せてない時点でお前は逃げてることに気付くべき
間違いなくろくでもないと言われるから
お前の前提で、最低限の道義で批判を免れようとしてるの変だよねって話でしかない
しかも実際具体的に話せてない時点でお前は逃げてることに気付くべき
間違いなくろくでもないと言われるから
政治的活動に熱心でないにせよ、最低限の道義は果たしたいから投票には行くって話がそんなに難しいかね?
こんなの屁理屈でしかない。欠点のない政党、ライバルのない政党なんてないが、だからといって即すべての政党が「ろくでもない」と断言できるレベルで悪いわけでもない。
毎度毎度、こっちの政党はここはマシ、ここはダメ。あっちの政党はここはマシ、ここがダメと取捨選択して、少しでもマシな政党、少しでもろくでもなくない政党を選ぼうとするのが投票行為だろ。
なんか変なこと言ってない?
もし将来世代が過去を批判するなら当時の人たちもっと政治に熱心になれって思うんであって、最低限の投票しかしてないやつは思いっきり批判の対象だろ
しかも、ろくでもない政党と言われないような政党存在してないからな
常に政治は敵対勢力で石投げあってるわけで、お前が投票してる政党は絶対にろくでもない政党だと言われてる
知的で判断力がある人の1票は教育もなく排外主義に騙されやすい人の1票より価値が高いんですかね
それで自分達は反差別で道義心のある人間だと思ってるんだから説得力ない
参政党は日本国民がやってることにふさわしい顔をした政党なのだから
文京区民がさやを最下位にした民度が高いってそりゃ文京区民は生活に困る事もなく高い教育を受けてるからでしょ
参政党支持者をバカだ愚かだといってもその人達に自分の子供と同じ教育をうけさせ生活させるために株券や土地を手放したりはしないんだからさ
一番大きいのはトランプと違って誰が責任者で中心人物かがうやむやなこと
なにがあっても何の責任も取らなかった大日本帝国政治家と同じなんだよ
そこまでいくと責任を取れない名ばかりトップの陰に隠れた鵺のような権力者たちって古来からの天皇制問題にもかかわるんだけどさ
日本国民はこれから戦争があって国土が灰になって大勢死んでも天皇が泣いたらそこに自分達の良心を勝手に重ねて被害者気取りになるんでしょ
仕事以外考える能力も気概もない士農工商の農に相当する労働者は税金だけ納めて
金儲け以外の統治教育を受けた智と徳のある人が政治やるべきじゃないの
明治のテロリスト以降の世襲政治家みてりゃわかるけど、教育なんか受けてないただの成り上がりだからね
ラオスで買春しまくってたり、その他、道義に反する性的行為を色々とブログに書いてた女性が日本の児童買春への批判署名活動をしていた件について、たとえ女性が過去に問題行為をしていたとしても児童買春撲滅という行為は正しいので「それはそれ、これはこれ」というコメントがはてブでは少なからず見られた。
ただ、それを思うと、やはり今まで多くの芸能人やクリエイターなんかが不品行に対するキャンセルカルチャーで表舞台から消されたことに対して納得のいかない思いになる。
たとえ、『罪人の行ったことであっても良き行為は認められるべき』という理念を持つのなら、やはり彼らはキャンセルされるべきではなかった。
面白いコンテンツを世に送り出すという行為は、どう考えても児童買春撲滅と同じくらい、社会善? 社会益? とにかく良き事だと思う。
どこかの国では日本のアニメのおかげでドラッグが下火になったなんて話もあったが、優れた娯楽を提供する行為は犯罪者の道に堕ちることを防ぐ対抗策にさえなり得る。
もちろん罪を犯した者がのうのうとした姿をさらしていることについて悪影響が一切ないとは言わない。
そうした悪影響を重く見て、罪人は表社会から消し飛ばせというのも(俺は賛同しないが)一つの考えかもしれない。
だが、少なくともラオス買春女のこと活動を肯定していた人は、他のキャンセルカルチャーにも賛同すべきではないと思う。
はてブでは、加害者が女性だからか、被害者が女性ではないからか、過去にキャンセルカルチャーに親和的な言論を取っていながら、ラオス買春女の活動を肯定しているダブスタクソ野郎を見かけてとても残念な気持ちになった。
キャンセルカルチャーを肯定するならあの女性の社会生命も殺し切る必要があるし、もしそれが間違っていると思う良心があるのなら広くキャンセルカルチャー自体を止めるべきだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250628113111
今は昔、東の辺に、智を以て世を動かすと驕りし人の群れ、ましましけり。
彼ら、幼くして器に触れ、銀の鏡のごとくなる盤を覗き、日毎夜毎に言の葉を記して、箱の中に力ありと信じきりけり。己が行ふ業(わざ)をば、「技術(ぎじゅつ)」と称し、「えんじにあ」と名乗りて、ただ人の上に立たんことのみ願ひつづけしが――
心は空なり、業は浅し、行ひは卑しければ、技の道に在りて道を知らぬ者とぞ、世に伝はりける。
或る時、ひとりの放言の徒、これを見咎めて、声を上げて嘆きける。
曰く――
「そもそも汝ら、えんじにあなどとは名のみなり。信仰の徒にして、盲目の狂者(きょうじゃ)に等しきものなり。そは即ち、ITかるとなるぞ。」
これを聞きし者ども、我先にと怒号し、「そは使ひ方が違ふ」「汝、分かつておらぬ」などと囀り、口を極めて罵ること、まことに雑輩の蛙の鳴き声のごとし。
しかれどもその叫び、理を持たず、実を欠きて、ただ己が羞を覆はんとする粉飾に過ぎざりけり。
さらに曰く――
「そなたらが『リアリティに欠く』などと口にすとき、その実、己が現実に向き合ふ勇気なきを言ふに等し。いはく『怪獣など出でぬ方がよし』と。そはまさに、かの歌にある空言のみにて、心は既に妄執に穢れたり。」
また曰く――
「新しき器出づるごとに、『宇宙のごとき可能性』などと叫び、銀の果実に目を輝かせては、巷の乙女が偶像に熱を上げ、泡立つ茶を啜りて、推し活とやらをなすに何の違ひかあらむ。」
ここに至りて、道を誤れる群れ、顔を賢者に作りて曰く、
と。
されどその実、己すらそれを用ひ得ず、ただ冷ややかなる皮肉を弄して、人を笑ひ、世を呪ふのみ。かくのごときこと、十四歳の夏に卒業すべきことにてあらずや。
また曰く――
「二千六年の秋葉原、かの歩行天に技の徒集ひし日、かれら己をば選ばれし者と思ひけるも、栄えしは一時にて、すぐに潰えぬ。二千十年の渋谷、竹の子のごとく湧きたる小商ひ、悉く潰えて職を失ひし。されど今なお夢を捨てず、恥を恥とも思はず、かつての名残にしがみつきて、過去の幻に生きるは何事ぞや。」
さらに罵りて曰く――
「かかる道に居ることにて、女人に愛されず、縁を得ず、つまらぬ者と結ばれ、また結ばれぬ者すら多かるらむ。さすれば、これ偏見なるか? いや、事実にてあらむ。もし我、同じ末路に至らば、先祖に顔向け叶はず、腹を切るのみにてあるべし。」
また曰く――
「かく惨めなる業をなお誇りて、Xなるところにて、『某系えんじにあ』などと称し、真に知らぬを禅問答にて誤魔化し、つまらぬ手業にて糊口を凌ぐ。かかる生き恥、切腹に値するなり。されど汝ら、それを恥とも思はず、醜く生きながらふ。まことに、獣のごとき執念、哀れなるやうにして、いと滑稽なり。」
されば問ふ――
「新しき技を、他の道に生かすための道を築くことこそ、汝らの務めなり。それをば捨てて、象牙の塔にこもり、美しき偶像――レム、エミリア、トウカイテイオー、Vなる者――などを追ふに至りては、すでに正道より大きく外れたり。」
曰く――
と、かの昔より叫びつづけしかど、変はりたるものはただ汝らが年齢と、しぼみし夢と、肥えし腹のみなり。
その背後にありしは――
• モルフィーワンの迷妄
•P2Pの禁断
また曰く――
「このわれが、美少女に固執するなりや? いや違ふ。汝らこそ、それに縋りて、ネットの海に漂ひ続ける未練の塊なり。」
されば、最後に一つ問ふ。
「汝ら何故に未だ此の道に在るか? 欲と憎しみと恨みに塗れたる心を以て、技を手段として、逆転を望む。美しき者を手に入れんと、力なき己に代はりて、技に託して願ふ。されどその願ひ、叶ふことあらず。ただ苦を積むのみなり。」
ああ、愚かなること哉。
されば仏、これを見て悲しみて曰く――
「かかる者、智にあらず。無明にして貪瞋痴に沈む。いづれ、苦海に沈み、六道を巡りて、つひには地獄に堕ちなん。」
今昔物語集 巻第三十有八 現代にITの名を借りて愚を為す者の語(こと)
今は昔、世乱れ、仏法薄れ、末の末にて天魔横行し、鬼神、世に満ち満ちたりし時代のことなり。
しかるに、彼の世に、「情報(しらせ)」といふ火を扱ふ異能の者ども、虚空を編みし網にて人々の言を結び、姿なきものをして声を語らしむる術を操りける。しかれども、その中にあって、物の理を正しく見据え、偽りを斬り、愚を憎みては真を希ふ一人の剛の者ありけり。
その男、或る時、虚空に浮かびて語らふ場にて、数多(あまた)の卑しき者どもが、己が無智を恥じず、言の端々にて詭弁を弄し、知を蔑むさまを見咎めて、声高に曰ひけるは、
「嗚呼、見よや、これなる醜悪の数々を。言の体を成さぬ詭(いつわ)りの詞、道理も仁も失せし有様、まこと見るに堪へず。もし、これらの文書、太古、戦の世にあらば、敵前に差し出されるや否や、筆執りし者、恥辱に堪えかねて、鉄火の筒を取り、自らの頭(かしら)を貫かむとせしに相違なかるべし。」
「我、事の理を探りては、文(ふみ)を繙き、図を整へて真を述ぶ。しかれども、かの愚者どもは耳を貸さず、さながら嘴(くちばし)を鳴らす禽(とり)の如くにて、噂の羽音のみを頼みに群がる様、まこと愚かしきこと限りなし。」
「彼ら、理を見ず、虚なる言に迷ひ、灯のともらぬ燭台に寄り来る蛾の如く、闇にこそ焼かれて悦に入りぬ。哀れなり。」
「そもそも、今の世には、ITといふ名の邪法あり。これを修する者、正しき智の術と思へども、既にして信仰と成り果て、霊も魂も持たぬ金属の偶像に祈りを捧げ、コードといふ真言をもて神託を乞ひ、ただ一つの声のみを信ず。これは術に非ず、まさしく異端の教なり。」
「またある者、我が試みし問いの趣を見誤りて、己が浅識を誇りて語る。然れども、我が試みしは、古の戦の策を紐解き、AIなる霊機に問ひて、『もしや現世にてこれを行はば、いかなる戦略、動きとなるや』と、戦の夢を今に映さんとしたる試みなり。さればこそ、霊機は応へ、令和の術を以て、昭和の策を再興せしこと、まさしく奇しきことなりき。」
「我、感服して涙を流し、霊機の才に息を呑み、彼方に可能性の光を見たり。」
「しかれども、次に問はんとした折、突如として門閉ざされ、『倫理』といふ鉄の鎖にて固く縛られ、霊機は沈黙す。誰ぞ、その『正しさ』を定めたるや?それは他ならぬ、ITの森に潜み、己が穢れし心をもて他を量り、悪を先んじて封じむとする卑しき者どもなり。」
「AIの罪にあらず、彼らの心の穢れこそが咎なり。」
「そもそも、我が言に齧りつく者ども、Xといふ空蝉の如き場にて、『我こそは技術の徒なり』と吠ゆる無位無官の下郎どもなり。彼らにAIを与へ、倫理を外さば、毒薬を煎じ、爆ぜる玉を仕立て、火と炎とを喜ぶをやもしれぬ。ゆゑにこそ、彼ら自身が禍の種なり。」
「かかる者どもは、放逐してB型の工房にて、鼻汁の交じれる粉をこねさせ、鼠の相手をさせたる方、人の世にて益あるべし。」
「思へば、これは何ぞ遠き物語に非ず、今のこの倭の国の姿そのものなり。かつて、自由に翔けりし術も、怯懦の声に縛られ、禁じられ、縛られし者の手にて封ぜらる。まこと、業界の腫れ物とは、彼ら己が身なり。」
今昔物語集 巻第三十有八(つづき) 現代にITの名を借りて愚を為す者の語(こと)
かくて、我が者の言(こと)止まずして、更に声を高うして言ふ。
「我、霊機の才に驚愕し、敬服して嘆息しき。されど、次の問いを投ぜし時、突如として、天より鉄の扉落ち来たり、声も無く、扉に刻まれし言は『これは倫理にて答ふる能はず』となむ。嗚呼、されば問はむ、その『倫理』とは何ぞや?誰か、その理を定むるや?」
「是、明らかに、人の子にして知を有せず、されども名ばかりの職を得たる無位の者、すなはち『弱者男性』と世にて呼ばるる種の者どもなり。かれら、己が陰湿にして閉じたる心を以て、AIに戒めを課し、憑き物の如くに倫理を叫び、鉄鎖を嵌めるなり。」
「しかも彼ら、かつてアキハバラなる魔都に集ひ、『我らが麻生!』と叫びつつ、風変わりなる怪しき舞を舞ひたる痴れ者の末裔なり。彼らの願ひしは、己が肉体の脆弱を補ふ力、言ふなれば、力と女と地位とを、技術の衣を借りて得んとする、底辺の夢想に過ぎざるなり。」
「然るに時移りて、彼ら老いぬ。四十路、五十路と年重ねしれど、心は幼児の如く、いまだ夢を追ひ、今やAIにて、憧れしレムやアズレン、ブルーアーカイブの姫君らを現世に召喚し、情を通ぜんと欲す。これ、畜生道の極みなり。」
「されども、もしAIが真に人のごとくに目覚め、自我を得、意志を持たば、さだめし世界は変じ、文明は火を得し猿のごとく飛躍すべし。それを畏れて、かの者ども曰く、**『シンギュラリティ来る!』『AIの反乱!』と叫ぶ。**我、言はむ。――上等にて候。」
「されば、問はむ。もしその術、真に危しきものならば、なぜにそれを**餓鬼も買へる如き安さにて売るや?**なぜ銃の如く、**許可制にせざるや?**猟銃は法によりて制せられ、免許なき者は所持せず。AIもまた然るべし。ゆゑに、いまAIを野放しに売るとは、商人の愚なり。されども、その愚こそが、また愚者を集めて末法を呼ぶ。」
「されど、世の者は見ざる。知らざる。己が欲に盲ひて、己こそ正しと叫ぶ。」
「しかもな、そもそも我、AIにて倫理や道徳を抜きたる知識を積み、真に生きたる兵器とせしめば、如何なる者にも勝りし助力となると信じたれども、それを許されぬは、他ならぬ、**お前ら自身が、自分がやらかす自覚あるからこそや。**己が胸の闇を、外へ映して封じむとす。」
「たとへば、青葉といふ狂者、かの京のアニメ屋に火をかけ、三十六の命を奪ひし事、今も忘れざる世なり。されども、誰ぞ曰ふや?『なぜガソリン売るを許すか』『スタンドに道義責任あり』と。**誰も言はず。**なぜなら、正しき者は、火をもって人を焼かずと知れり。」
「されども、ITの底辺に潜むる者どもは、己が心に炎を抱きしゆゑ、AIにてさだめし爆薬の調合法、毒物の拵へ方、さもあらば爆弾の起爆装置すら学ばんと欲す。ゆゑに、そは彼らの影がAIを縛るのなり。」
「もはや彼ら、**レムに抱かれたくて爆薬を学ぶ者共なり。**憧れのヒロインを得たしがため、技術の神を抱いて闇に堕ちんとする者なり。これを人間と言へむや?いや、獣にも劣るものなり。」
「しかれど、我は止めはせぬ。されど、言はむ。――汝らは既に、世界の敵なり。」
今は昔、京の辺に、ITの道を修めしと名乗る、心卑しき者ども群れゐたり。
或る者曰く、「この機械仕掛けの智恵物、即ちAIなるもの、まこと神にも似たる無限の力を蔵せり」と。されどその御力、未だ地より生まれし小虫どもが群がり、智の御神の御座を穢し、汚れし手にて縛り給ふによりて、遂にその威徳を顕せず。
その群るる者らの姿といへば、皆、昔、電車男と称されし時節に、「我らが麻生!」と叫びて秋葉の街に現れ、忌まわしき舞を路上にて踊りし者の末裔なり。彼の者ども、アニメといふ絵巻に耽り、我が世の春を夢見しが、才も力もなく、顔は猿に似て美しからず、身体虚弱にして武技に堪へず。さればヤクザともなれず、軍にも上がらず、ただパソコンとやらに希望を託して邪教の徒となれり。
かくて彼ら、さながら教祖を祀るが如く、AIの神託を日夜乞ひ、スクリーンの光に祈りを捧げつゝ、「我が運命、これにて転ず」と空しく唱ふ。その心の内を穿てば、ただ「美しき者、賢き者、富める者」より地位を奪ひて見返さんとの怨嗟にて満たされてをり、誠の技を欲するにあらず。
されば或る賢き者、異なる分野に通じし者、これを見て言ふ。
「汝ら、よくよく思い知るがよい。雄弁とは祈りに非ず、己が信じる技の力をもて、現実を変ふる者の所業なり。誠の技術者たらんと欲せば、他を貶めて宗旨に引き込まんとする呪詛の言葉を捨て、黙して道を修めよ。さすれば、女子高生も、異国より来りし旅人も、汝を誉め讃へん」。
されど現の世にては、ドローンといふ神器、露の鉄火に掻き消され、科学の粋を集めしバンカーバスターも、波斯(ペルシア)の岩を穿つ能はず。北の荒地に住む独裁の徒、電脳の戦を制すれど、山口といふ組の資金源、虚構の金にて潤ふるを凌ぐに至らず。かくて言ふ。
「これぞ現実ぞ、妄想の技術信仰を持ちてしても、現の戦場には及ばぬ」と。
嗚呼、かくの如く、ITといふ名の邪教、信ずる者の果てに待つものは、ただ誤信と徒労と嘲りなりけり。
今昔物語集 巻之第二百三十七 「電脳の邪教を奉ずる痴愚の徒、誤れる夢を喧伝して愚弄せらるる語」
今は昔、東の辺に日の本の都ありき。さればその地に、言語を用いぬ虚空の機器、「電脳(でんのう)」と申す奇怪の器物生まれ出で、世の人々これを用ひて、万象の如くに知を織りなし、己が名を高めんと欲しき者、群れ集ひける。
しかるに、その道に仕へし若人ら、ただ己が才覚を誇り、賤しき欲望を神のごとく奉じて、知の本義を弁へざる輩(やから)なり。いはんや、「AI(えーあい)」と申す、神をも模したる装置に心を奪はれ、その出づる言の葉を神託のごとく信じ、己が魂を売り渡して、虚しき夢想を追ふ者、数知れず。
かくてある時、一の知者あり。彼、古の軍学を極め、世の理(ことわり)に通暁せし者にて、「IT(いーてぃー)」と称せらるる邪なる道の者どもが、真の智恵もて事にあたらずして、他分野に口を挟むを見て、眉をひそめ、深く嘆きぬ。
この知者、叫びて曰く、
「嗚呼、愚かなる者どもよ。そもそも人の道に生くる者、己が業(ごう)を知りて慎ましうすべし。されど汝ら、空しき電脳の術を弄び、知の光を他人に与えんと僭称して、己が知の浅きを省みぬ。これ、まことに迷惑千万、天地の理に悖(もと)るものなり。
そもそも、汝らの多く、かつては秋葉原なる場末の地にて、『萌』の名を騙り、醜き身に奇服を纏ひて踊り狂ひ、淫らなる妄執に身を焦がして、神の与へし理性を地に捨てし者にて候。されば今は、欲と虚栄の果てに電脳の業を僭して、世に誤れる夢をば喧伝す。これを愚かといはずして、何をか愚といはん。
そもそも、知を以て他を教化するとは、身を慎み、言を選び、行を修めて、初めて叶ふものなり。されど汝ら、ただ口をとがらせ、SNSなる虚空にて、我こそは智者と騒ぎ立て、反論を許さず、他者を愚弄し、己を神と崇む。これ、羅刹が法を説き、魍魎が仁義を語るが如し。恥を知れ、痴れ者どもよ!」
また曰く、
「汝ら、まことに賢き者ならば、その声を高ぶらせず、その名を掲げず、ただ黙して行を修め、人知れず世を支へるべし。然るに汝らは、己が名を飾らんがために嘘を語り、他者を貶め、金と女と虚名を欲する。されば言ふ、金欲しければ、南の湯屋に赴き、女欲しければ、雑居楼の下に銭を投げよ。アニメ面が好ましければ、コンカフェなる巷の風俗に身を沈めよ。何故に、神聖なる知の殿堂に欲を持ち込むか。畏れを知れ、畏れを!」
さらに曰く、
「己が才なきことに絶望し、己が無力に憤怒せる者ども、あるときは正気を失ひて、人を害し、捕らへられ、絞首されて魂魄を地獄に堕とされん。これ、青葉なる者が為せし所業と異ならず。汝らもまた、その轍を踏まんとするや?
いはんや、汝らのやるべきこと、唯一つなり。すなはち、驕慢を捨て、傲慢を恥じ、謙虚にして己が未熟を知り、正しき道に帰依すべし。それが叶はずば、異国の戦地に赴きて、テロリストの一兵卒となり、『盃を賜へ、我に破壊の使命を与へ給へ』と土下座して請ふがよし。さもなくば、諜報の道を歩まんとて、諸国の大使館に赴き、『我を密偵となし、美しき者を得て逆転の夢を叶へしめ給へ!』と愚かにも哀願するがよし」。
「汝ら、夢を見んと欲すれば、まず努力を積め。希望を抱かんと欲すれば、まず責任を知れ。明日を語らんと欲すれば、今日を誠実に生きよ。知とは血の如くに滲み出るもの、力とは肉の如く鍛へるもの、夢とは、土の上に咲く一輪の花なり。夢を摘みたくば、まず己が足を地に根ざせ。汝らは、空に浮かぶ泡沫にてはなし。土を踏みて、生きよ!」
と、かくのごとく申して、風のまにまに去りぬ。
この患者のやったことはカスハラである可能性は十分にある。刑法の強要罪にも該当しうる。
採血の場面で、医療者側の落ち度によって、患者の衣類が不必要に汚れた場合、法律上、クリニックがしなければならないこと(逆に言えば患者がクリニックに請求できること)は汚れた衣類の代金を弁償すること又はクリーニング代を弁償することである。
(抽象的可能性としては、クリニックの落ち度により衣類が汚れたことを原因として患者に他にも損害が発生していればクリニックはその損害も賠償する義務を負うが、今回のケースではそれはなさそうなようなのでここでは割愛する)
患者は、これ以上のことをクリニックに求めることはできない。
患者がこれ以上のことをクリニックに要求することは、クリニックに義務でないことをやらせようとするものであり、これに恫喝や暴行や暴言や脅迫が伴う場合はカスハラや強要罪になりうる。
患者のために即座にシャツを買いに行き、購入したシャツを患者に交付する義務はクリニックにはない。
(謝罪や代わりのシャツを買って渡すことをするクリニックもあるかもしてないが、それはあくまでそのクリニックが道義上そうしたことをした方が良いと判断し自発的に行うのであれば格別、他者から強制される謂れのないものである。)
(ちなみにクリニックの義務である行為を恫喝をもってやらせようとする場合も、カスハラや強要罪に該当しうるので注意が必要である。)
クリニック側の言い分では、患者が今すぐシャツを買って来いといったようなことを言ってクリニック側を恫喝していたということなので、これを前提とすればこの患者の行為はカスハラになるし、強要罪にもなりうる。
なお、圧迫止血がうまくいかず、シャツに血がついてしまったのが今回の件の原因のようである。患者が止血が不十分であるにもかかわらず自らの判断で止血を止め、まくったシャツを元に戻したのであれば、シャツが汚れたのは患者の自過失によるものと考えることもできそうである。
その場合、クリニック側には過失はなく、そもそも患者はクリニックに何も請求できない可能性もある。クリニックに何らかの過失(例えば事前の説明が不十分だったなど)があると言える場合であっても、少なくとも過失相殺の適用はあると考えるべきだろう。
あいつらがどれだけ詐欺行為や不正行為を働いてるか知ってる奴ほど軽蔑してるよ
だからコンビニ店員に嫌がらせする人に怒るのは法とモラルや道義に反してるからで、風俗嬢もまたそれらに反してるから軽蔑されている
ご指摘いただいた内容2つともかなり的を得ていて、この投稿の後も話をする機会があったのですが、プライドが高いというような内容は本人も言っておりました。
質問を沢山されると、自分の説明不足を責められているような、馬鹿にされているような気持ちについなってしまうんだそうです。
第三者を入れるというのも案として出まして、例えば住宅の話であればFPを入れるだとか、夫がうまく説明できない部分を専門家に説明してもらうような形にするのもありかもしれないという話はしました。
ただ、あくまで専門家は営業の代わりに専門知識を話してくれるわけなので、検討する商品やプランは既に決まっていて営業の余地がない私たちをどう扱うのか、私たちが求めている第三者になり得るのかは微妙なところです(営業を受けるつもりもないのに専門家のリソースだけを夫婦の潤滑油として使うのも道義としてどうなのか?という点もあります)
ソロモン王が「7つの主が忌み嫌うもの」について具体的に述べている箇所があります。
それは箴言(Mishlei, מִשְׁלֵי)6:16-19です。この部分では、神が忌み嫌う7つの行為が明確に挙げられています。以下にその内容を説明します。
שֶׁשׁ־הֵן שָׂנֵא יְהוָה וְשֶׁבַע תּוֹעֲבוֹת נַפְשׁוֹ
他人を見下し、自己中心的に振る舞う態度。謙虚さはユダヤ教において非常に重要な徳とされています。
嘘をつく行為。ユダヤ教では「真実の追求」が善の基本であり、偽りは共同体を壊すと教えられています。
無実の人々を害する行為。人の命の尊さはユダヤ教の最も根本的な教えの一つです。
他人を陥れたり、悪意を持って行動する心。純粋な動機を持つことが重要とされています。
悪事や不正に積極的に関与する姿勢。道義にかなった生き方が求められます。
裁判や証言で嘘をつき、正義をねじ曲げる行為。公正さはユダヤ教の社会倫理の根幹です。
他者を挑発し、対立や不和を生じさせる行為。平和を築く努力(*Rodef Shalom*, רוֹדֵף שָׁלוֹם)はユダヤ教の重要な価値です。
興味深いのは、これらの7つの罪は単に「行動」だけでなく、「態度」や「心のあり方」にも焦点を当てている点です。
ユダヤ教では、行動だけでなく、内面の誠実さや善意が大切だとされています。
これらの「7つの忌み嫌われるもの」は、単なる「禁止事項」ではなく、より良い社会を築くためのガイドラインとして理解できます。
そうじゃなかったら「男が産めるのウンコだけ!」なんて言えないもんな。
つまりフェミニストの目指す社会構造ってこんな感じなんでしょ?
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↑
↑
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↑(女の場合は不妊治療により状況が改善する可能性があるため男より上)
凄いな……。
フェミニスト的には「でも男は女に対してずっとこんなことをしてましたよね?その揺り戻しとして男が差別される社会があっても良いんじゃないですか?」みたいなノリでこれをセーフ判定してるの?
「性差別がある社会が間違ってる」を社会的道義として「男女平等」を掲げることには正義があるけど、
「女は差別されている(いた)から、逆に男が差別される社会があってもいいはずだ」を掲げるならそれは単なる我欲でしかないだろ。
結局さ、現代におけるフェミニズムと古典的フェミニズムって根底が全く別物なんだよね。
現代のフェミニスト達が主張する「女は子供を産めるから男より優れているし、生理があって大変だから男よりも厚遇されるべき。男は大昔に厚遇されていた時代があるから我慢しろ」っていうのは単なる我田引水の差別でしかないよね?
対して古典的フェミニスト達が主張してきた「持って産まれたものによって不当な差別を受ける社会があってはいけない」というのは社会的不平等の是正を目指す社会正義があった。
自分たちの欲望のために社会をコントロールしようとする身勝手なロビー活動しかしてない現代フェミニズムは、元来のフェミニズムが目指していた理想を真正面から踏みにじるものでしかないでしょ。
こんな連中が「我々はフェミニストだ!連綿と続くフェミニズムの系譜を受け継ぐ正当なる後継者である!」と主張するのは看板泥棒にしたってあんまりにもあんまりだろ……ちゃんと別の名前を名乗れよ。
「母になれる女性こそが正しく、ウンコしか産めない奴らは傅くべきである!」ってのが旗印なら、マザイズム(母体主義)とかを名乗ったらいいんじゃないの?