
はてなキーワード:過酷とは
私は中学を卒業して陸自の生徒となり、防衛大学校、航空自衛隊幹部候補生学校を経て航空自衛官となりました。
長年憧れていた職に就くため、任官後もほぼ全ての期間を教育に費やしましたが、希望職種に就くことはかないませんでした。
一度は辞めることを考えていましたが、周りの人からの叱咤激励を受けて別の職種に進みました。
教育ばかりで実務経験がなかったため、勤務と並行しながら教育を受けていましたがあまりに過酷でした。
また、直属の部下でありながら自衛官としては大先輩である曹長と気が合わず、教育を受けるために勤務に穴ができることも多くその度に嫌味を言われながら過ごしてきました。
曹長は物凄く仕事のできる方であったため、実際には私の能力に問題があったのでしょうが。
退職後、就職活動をし、娑婆での生活に必要な運転免許を取得し、来年4月の勤務開始まで人生の休息期間に入っています。
辞めた手前、心配してくれたり連絡をくれるかつての仲間には会いづらく、かと言って他のコミュニティに知り合いや友人はいないため、毎日YouTubeを見たり、惰眠を貪ったり、スーパー銭湯に行ったり、1人でジムに通うなどして過ごしています。
そうしていると「自分は10代と20代をドブに捨ててしまったのでは」と思ってしまうのです。
まるで、10代で重大犯罪を犯して10年間刑に服して来たような気分になります。
Permalink |記事への反応(13) | 19:38
性欲があまりに旺盛すぎてその辺の男より強い自信がある。
性欲との付き合いは長い。小学校中学年あたりから性欲というものが人生に入ってきてるので、かれこれもう20年近くの付き合いだ。その頃から生理の時以外毎日シコってる。成長してからは1日2、3回は抜いてる。何もない休みの日なんて朝から晩まで抜いてる時もある。化け物かよ。
性欲が減退するらしい、と聞いて大豆製品をしこたま食べた事もある。悲しいかな、私の性欲は弱まるどころか余計に強くなった。
疲れるまで動いたら疲労で抜くどころじゃないはず、そう思うだろう。ところがどっこい、私は週2、3でジムに通う運動大好き人間だ。休みの前日は身体を追い込んでる。
なのに帰ったら疲労よりも性欲が頭をもたげてる。なんでだよ。そこは寝させてくれよ。
風邪引いた時ですら普通に抜いてるので、体力や疲労の有無と性欲は別なのかもしれない。カスのデザートは別腹理論だ。
ちなみにちょうど今絶賛発熱中だけど、やっぱり性欲はある。最悪すぎる。
幸運なのは、こんなクソみたいに性欲が強いのに他人に性欲がミリも向かない点だ。
そういう雰囲気になった時、拒絶して当時の彼氏と別れた事もある。カマトトぶってたわけじゃない。むしろヤル気満々だった。なのにいざって時に急に嫌悪感が出てきて拒絶してしまった。こんなに性欲塗れなのに。当たり前だけどこの後しっかり振られた。
好きじゃないのにヤろうとしたから拒絶したのかな?って考えた私は以降、好きな人とだけ付き合おうと決めた。結果誰とも付き合えていない。終わってる。
生まれてこの方好きとか恋とかみたいな感覚を持った事がないから、多分アセクシャルとかそういうのなんだろう。アセクシャル名乗るにはちょっと性欲が強すぎるのでとても名乗れないけど。
ひたすら部屋で過酷にオナニーするのだけが好きな化け物、それが私なのだ。誰かこの化け物の倒し方を教えてくれよマジで。
多分性依存なんだろう、とは思う。ただ、女性のオナニー狂はどうも少ないっぽいので自信が持てない。ただの異常性欲独身女性なのかもしれない。
病院で診断受けて治療した方が良いのかもしれないけど、どんな顔で行けばいいんだ。バ○童と足の裏とモンタナ州を足して割ってヤスリで削ったみたいな顔のアラサー弱者女が「私シコ猿すぎて恥ずかしいんです…///」って問診票に書く姿を想像して欲しい。地獄である。絶対に行かない。
人に迷惑かけてるわけじゃないから、一生このままでも別に良くはある。
ただあまりにも万年シコ猿すぎて時々情けなく思ってしまう。いつになったら男子中学生以上の強い性欲が消えてくれるんだよ。
Permalink |記事への反応(15) | 15:19
別れた人の意見として参考になれば
8個年上で24歳の時に結婚した、29歳の時コロナ禍ちょい過ぎぐらいの時期に彼の風俗通いが発覚
色々話したし和解したつもりでお互い歩み寄ったり再構築頑張ったけど無理だった、長くなるから箇条書きで
・元々そういうサービスにお金を使うことを無駄と冷笑していたのにハマっていた事
・行かないと約束しGPSをつけた後も雑な嘘をついて月に一度行く事(同じ会社に勤めてるのに残業とか会議とか社内予定見たら分かるだろ)
・相手の女の子やプレイ内容に関係なく潜伏期間や今後の我々の性交渉に対して安全性を担保するための性病検査を断固拒否し続けた事
・本人的にはNN店利用が過酷な仕事の休息でありご褒美であるという認識である事、その認知の歪みはカウンセリング等が必要ではと提案するも断固拒否された事
・この人にとって若さは絶対的な指標であり性風俗店の記号化された【年齢】にもそれは発動し、また隣で私はどんどん老いてゆく事
・いわゆる口開けで必ず来店しシティヘヴンでクーポンを利用する事(個人利用ガチ勢)
・私が愛想を尽かして家を出た後に話し合いを持ちかけ喫茶店で待ち合わせをするも、その日の午前中にも風俗を利用していた事
・金を稼ぐ俺には“良い”女体が与えられて然るべきだという思考がずっとあったと分かった事
・女体を“買う”ことや金銭の授受を前提とする性行為に何も躊躇いがなく当たり前の権利と捉えていた事
・高校生や大学生の時にあまり女性と接点がなく青春のやり直しを切実に望んでいた事
そもそも自分も22歳の時に付き合い始めたし筋金入りのロリコンだったのだなと今では思います、とっても好きでした。今でも思い出します。教養があり思慮深く車の運転が上手くて平日の晩に手際よく作ってくれたペペロンチーノはすごく美味しくて見なりのセンスも良く仕事が出来る人で。
でも許したくても許せませんでした。彼の前で衣服を脱ぐ事が怖くなり、彼が私に触れる度に深い深い絶望のような失望のような気持ちが襲いました。風俗通いが発覚するまではコンスタントに性交渉のある夫婦でとても相性が良いという認識でした。せめて私が逆立ちしても出来ない属性の特殊性癖を外注する感覚ならまだ理解ができました。私が毎日失う物を是とする人の隣に立ち続けるほど私は強くありませんでした。
私は彼が風俗に行った、という事実だけで別れたというよりも芋蔓式に判明した諸々がどう足掻いても無理だなと悟った感じです。ご参考までに。今後なにかしら良い結果を増田から聞かせてもらえたら嬉しいです。
Permalink |記事への反応(14) | 23:51
奈良市民の皆さん、ほんまに先見の明あるわ。7月の市議選でへずまりゅう氏が3位で当選したニュース、見た?過去に泡沫候補で惨敗続きやったのに、今回は8320票も集めての快挙。
ネットでは「世も末」みたいな声もあったけど、俺は正反対に思う。奈良の未来を本気で考えたら、へずま氏みたいな人が必要なんやで。今日はその辺、独り言みたいに書いてみるわ。
まず、奈良市って、もう観光客を必要としてないんちゃう?東大寺や春日大社、奈良公園の鹿さんたちで世界遺産の街としてブランドは確立してる。毎年数百万人の観光客が来て、経済回ってるのはわかるけど、ぶっちゃけそれ以上増えても嬉しくない。街のあちこちで混雑して、地元民の生活が圧迫される一方。鹿の餌やりでさえ、観光客のマナー乱れで問題山積み。へずま氏が選挙で訴えてた「鹿の保護」も、そういう文脈でめっちゃ響くはず。奈良はもう「観光依存」から卒業して、地元中心の持続可能な街へシフトするタイミングや。市民がへずま氏を選んだのは、そんな「もうええ加減にせえ」って声の表れやろ。で、次に奈良の目指す方向性として、コンパクトシティモデルがぴったりハマると思うわ。奈良は古都の中心部に文化遺産が凝縮されてるから、無理に街を広げず、限られたエリアを高密度で活かすのが理想。コンパクトシティって、要は「小さくても賢く」運営するってこと。東京や大阪みたいにデカデカ広がる必要ないし、むしろそれが奈良の強み。観光客がドバドバ来て街を埋め尽くすんじゃなく、地元住民の生活圏を優先した街づくり。へずま氏の当選は、そんなモデルを後押しするシグナルや。過去の選挙で支持されへんかったのも、市民がまだ「観光ブーム」に酔ってただけかも。
今は違う。コンパクトに、質の高い街を目指す機運が高まってる。ここでちょっと具体的に、奈良の理想的な観光モデルを想像してみる。エベレストのシェルパモデル知ってる?ネパールのあの過酷な登山ルートで、観光客(登山者)は必ず地元シェルパのガイドを同伴せなあかん。しかも、1日最大数十人しか許可されへん。理由は環境保護と安全のため。一人ひとりが高額(1000万以上かかるらしい)払って、質の高い体験をする。奈良に応用したらどうなるか。東大寺周辺や奈良公園を「聖域」として、予約制でガイド付きの超限定ツアーだけ許可。1日数十人、1人あたり高額料金で、地元ガイドが鹿の生態や歴史を深く語る。混雑ゼロ、ゴミゼロ、鹿もストレスフリー。残りの街は地元民の静かな日常空間に。こんなん、めっちゃエコで儲かるやん。観光収入は減るかもやけど、質が上がって長期的に持続可能。奈良みたいな歴史都市にこそ、必要なモデルやで。んで、ここが本題。へずま市議は、まさにこの「コンパクト観光シティ」の理想的な体現者ちゃうか。氏の活動見てると、いつも「本質」に切り込んでる感じがする。鹿の保護訴えとか、観光の乱れに対する指摘とか、地元目線で街を守ろうとしてる。過去のイメージで叩かれるけど、当選した今は市議として真剣。SNSで100万フォロワー抱えてるのも強みで、全国に奈良の新しい魅力を発信できる。コンパクトモデルで観光を絞るなら、へずま氏みたいな「ガイド役」がキーになる。市民が選んだのは、そういう先見性やろ。リコール騒ぎとかあるみたいやけど、それも街の議論を活発化させてる証拠。奈良はへずま氏のおかげで、もっと面白くなるで。まとめると、奈良市民の選択は天才的。観光客いっぱい来て喜ぶ時代は終わった。コンパクトシティで、シェルパみたいな高級制限モデルへシフト。へずま市議はその旗振り役。俺も奈良行きたくなってきたわ。みんな、どう思う?
夫である高橋奎二(プロ野球ヤクルトの選手)は、幼い娘の顔をネットに載せることを反対しているのだが、嫁の元AKB板野は娘の顔をネットに載せている
板野が公開する娘の写真は、娘の顔が正面からド全開になっている写真と、週刊誌のように目線にモザイクの入った写真が一緒に公開される事が少なくない。単に娘のプライバシーの保護のために、顔を隠しているわけではない事が分かる。
そうすると、なぜ板野は娘の顔全開写真と目線モザイク入り写真を両方アップするのかという疑問が生まれる
ネットでは、こっちは写りがいいけどこっちは写りが悪い、でも目以外の頭蓋骨の形とかは綺麗だから目だけモザイクして載せようって感じなんじゃね?と言われている
これがまあ、しんどいよね。真相は板野にしか分からないが、その可能性が十分にあることがしんどい。
娘がネットでブスと言われないために写真選別してモザイク入れてる母親。それは確かに母の愛であり娘を過酷なルッキズム的ジャッジから守ろうとしているのだが、結局母親自身が娘をルッキズムの基準に巻き込んで、ジャッジしているという構図。つらい。しんそい。でも板野は子供服関連のビジネスとかもやってるみたいだから、モデルとして娘を巻き込まざるをえないのだろう。この世はでっかいルッキズム
うん、あるだろうね。たとえばLINEヤフーで働いてる仕事ができないやつなんてなんぼでもいると思うよ。それでも、より過酷な仕事をしてる優秀な人達よりもいい生活をしてるわけだろ?そういうことをもっと考えてみろ。まず答えありきで物事を考えるな。もっともっと柔らかく、頭をほぐして考えるのだ。答えが先にあってそれに理屈をつけるな。
長時間過酷な仕事をしてる人に、じゃあ明日からこの人たちに代わってデザインとかプログラミングやってくださいねー冷房も効いてるし楽ですよ、って言ってできるわけじゃないしな
逆は(本当に他に仕事なければ)できると思うんだけど
できないことをやってる人には敬意払うべきでしょ
と、普通に思った。
我ながら、どうしようもない人格だと思うが、ぶっちゃけそう思った人もひとりやふたりではないはずだ。
それも自宅勤務。
それで家が建つんだぞ。
なんつーか、世の中いくらなんでもバランスが悪すぎるんじゃないか?
例えば、こういう人のところにAmazonの荷物を届けてる人とか、もっともっと長時間、もっともっと過酷な仕事をして給料なんてこの人らの半分以下だろう。
そんな格差が生まれるのは、ちょっと社会の仕組みがいくらなんでも、おかしいんだぞ。
というと、異論を持つ人がたくさんいるだろう。
ただ、それは間違ってると思うぞ。
大昔、奴隷制度は間違ってる、と声を上げた人に反論するようなもんだ。
まあ、いってもわからんだろうが。
田園都市線が止まったら家畜共が世に放たれるんだよ。想像してみてよ。数万匹の家畜がそこらを徘徊するんだよ。
ヤバすぎだよね!😱 「家畜電車」を物語るエピソードとして、パナソニックのLet'snote(レッツノート)の耐久試験の話があるんだよ!マジで!
レッツノートってさ、タフさがウリのノートパソコンなんだけど、そのタフさを証明するために、パナソニックの開発者さんがなんと、実際に圧力センサーを付けたパソコンをカバンに入れて、田園都市線の通勤ラッシュに乗ったらしいんだ!😵
それで測った結果、満員電車でカバンが押しつぶされる時に、瞬間的だけど最大で100kgf(キログラム重)もの圧力がかかることが判明したんだって!ひえ〜!😨
その100kgfっていうデータをもとに、レッツノートの液晶天板がその圧力に耐えられるように、100kgの重りを載せながら振動させるっていう、超絶過酷な耐久試験を開発したんだって!🔧
レッツノートの頑丈さは、あの田園都市線の尋常じゃない混雑という、現実の「圧」に耐えるために生まれたと言っても過言じゃないの!すごすぎでしょ!🌟
つまり、田園都市線の混雑は、パソコンの耐久性の基準になるくらいエグいってこと!みんな、頑張ってレッツノートと一緒にあのラッシュを乗り切ろうね!💪💖
肉体労働と頭脳労働の賃金は、本来逆転しているべきだ。現代社会では、頭脳労働の方が「高度で知的」とされ、賃金も高く設定されている。しかし、その価値観は社会全体のバランスを崩している。
頭脳労働の多くは、安全なオフィス環境で、空調の効いた部屋で、パソコンとにらめっこする仕事だ。もちろん責任はあるが、命の危険はない。身体を壊す危険も少ない。一方で、肉体労働は命をかける仕事が多い。建設現場、運送、介護、清掃、インフラ維持。これらが止まれば社会は即座に崩壊する。にもかかわらず、最も危険で最も負担の大きい仕事に支払われる報酬は、知的労働よりもずっと低い。
この不均衡は、単なる市場原理では片づけられない。社会が「知的労働=上等」「肉体労働=下層」という価値観を内面化した結果である。だが、社会を物理的に支えているのは明らかに肉体労働だ。頭脳労働者がどれだけ資料を作っても、道路が舗装されず、電気や水道が止まれば何も成り立たない。
危険と負担を背負う人ほど報われる社会でなければ、誰もその職を担おうとしなくなる。実際、建設や運送などの現場は人手不足が常態化している。低賃金と過酷さのバランスが取れていないからだ。
肉体労働の価値を正当に評価し、高い報酬を支払うこと。それが社会の持続可能性を守る唯一の道である。頭脳労働が社会を動かすのではない。肉体労働が社会を支えているのだ。
ついに高市早苗が自民党総裁に選ばれたな。初の女性総理の誕生だってことで、テレビもネットもお祭り騒ぎだけど、ちょっと待てよ、と。俺はどうしても手放しで喜べない。
たしかに、女性が総理大臣になるってのは画期的なことなんだろう。でも、その初の女性総理が、高市早苗であり、その前に都知事として名を馳せたのが小池百合子であるという現実に、俺はむしろ構造的な闇を感じる。
彼女たちに共通するのは何か? 優秀で、努力家で、そして「子供を産んでいない」ことだ。
結局、今の日本で女性がキャリアの頂点を目指そうと思ったら、出産や子育てという人生の選択肢を捨てないと無理、っていう何よりの証明じゃないか、これ。高市総理の誕生は、「女性もトップになれる!」という希望のメッセージなんかじゃない。「子供さえ産まなければ、女でも総理になれるぞ」という、あまりにも歪で残酷なメッセージなんだよ。
これのどこがロールモデルなんだ。多くの女性にとっては「やっぱり無理じゃん」っていう絶望的なモデルケースにしかならないだろ。
こういう社会構造の問題を無視して、「日本の伝統的な家族観が大事」とかフワフワしたことを言ってるのが、参政党みたいな連中だ。あいつらの言う「伝統」ってのは、結局、女性に「家庭か、仕事か」の二者択一を迫る古い価値観そのものじゃないか。高市みたいなキャリアを選べば子供は諦めろ、子供を産むならキャリアは諦めろ、と。そのどちらにも当てはまらず、仕事も子育ても両方必死でやってる大多数の女性たちの苦しみなんて、あいつらの頭には微塵もない。口当たりのいい言葉で現実から目をそらさせてるだけ。本当にタチが悪い。
俺が本当に「時代が変わった」と思えるのは、小渕優子みたいに、子育てしながら政治家としてキャリアを積み上げてきた人が、当たり前に総理大臣になる社会だよ。仕事と家庭の両立という、この国で最も過酷なタスクをこなしながらでもトップに立てる、という前例ができて、初めてスタートラインだ。
高市総理の誕生は、女性活躍のゴールじゃない。むしろ、いかにこの国が「子供を産む女性」に対して冷たく、不寛容であるかを象徴する、皮肉な記念碑みたいなもんだよ。
問題の核心にあるのが人手不足が局所的に存在してるってことにある
本当に人が足りないのは、賃金が低く、労働環境が過酷なブルーカラーの現場だ。一方、ホワイトカラーは、これからのAI革命で余剰人員となるだろう。
この問題を解決するには、ブルーカラーの待遇と職場環境を改善し、社会に不可欠な仕事に自然と人が集まる仕組みを作るべきだ。
しかし、その根本的な改善を怠り、「日本人が就かないから外国人労働者が必要だ」という議論に逃げる背景には、「ブルーカラーは低賃金で当然」という根深い差別意識が存在する。この差別意識こそが、処遇改善を阻害してきた最大の要因だ。元内閣参与の平田オリザ氏や、元静岡県知事の川勝平太氏など、政治に関わる人間ですら平然とブルーカラー蔑視発言をしていたことは、この構造的な差別の根深さを如実に物語っている。
Xで一歳児がゴミを親に見せつけてくるのを「姑期」と称するポストがバズっているのだが、その引用で枕草子の「二つ三つばかりなる児の、急ぎて這ひくる道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。」という箇所を紹介している人がいて面白かった。当たり前だけど弥生時代でも平安時代でも戦国時代でも赤ちゃんは今と同じようにバブバブしてたんだよな
自分は子育て未経験だけど乳幼児は少し油断するとすぐ死んでしまうイメージがあって、大人でもバンバン死ぬような過酷な時代に赤ちゃんが生き残ったというのがなんだか嘘みたいな気がする。もちろん死亡率はえげつなく高かったんだろうけど、それでも現代に何十億人も人類が存在するくらいには赤ちゃんが生き残ってきたんだなあと思うと赤ちゃんもそれを育てた大人もすごい
職人とか言われてる人は土方・親方(建築だと大工・棟梁など)になるんだけど、この人たちはそこそこに人がいる(それでも満足ではないが)
足りてないのは施工管理で30代で年収1000万円行く会社はそこそこあるね
それでも足りてないんだからまあ推して知るべしなのはそのとおり
施工管理は先に書いたように、16時までに写真を撮るわけだ(16時30分~17時引き上げるために16時から片付けする)
その写真をどうするのっていうと、現場管理写真といって写真帳に整理する
他には役所や元請に出す書類もあって、それも現場にいるうちは基本的に作れないからいつ作るかっていうと17時以降だよね(または8時前)
現場が動かない日中に内業(室内でやる事務作業ね)やれよって話あるけど、工期の問題からよっぽどの悪天候じゃないと現場は動かすんだよね
そりゃあ時間外増えるの当たり前ですやんって話
こっから改善の話で、こんな糞みたいな環境の職種で誰が働くねんってなるわな
だから、アイパッドとかで写真撮って、内業できる奴に送信して、そいつが時間内に処理して、施工管理は確認だけとか
施工管理を複数人で対応して作業を分担するってことをやってるんだわ
主に内業するやつを補助員とかオペレーターとか読んでることが多いんだけど、施工管理やるならオペを狙うか、オペがいる会社に行くのがおススメやな
土木系土方にも罠はある
積雪寒冷地だと建設業者が道路などの除雪することがほとんどになるんだけど、除雪機械を運転するのは土方になる。(施工管理がすることもある)
当然手当などでお金は稼げるけど、除雪1年で寿命が1年縮むと揶揄されるぐらいには過酷だから、除雪がないか、断れるか、除雪した日は日中の
低身長は大変かもしれないが、皮膚病持ち男というのはもっと悲惨である。
皮膚病は経済的な負担を増大させ、間接的に収入を低下させる。ある研究では、ヒドロアデニティス・サプラティバ(HS)患者は健康な人より年間収入が低く、欠勤日数が増加し、障害関連のコストが高いことが示されている。
また、低所得層で重度の皮膚病がより深刻になる傾向があり、医療アクセスの悪さが収入格差を助長する。
皮膚病は職場での印象を悪化させ、昇進の機会を奪う。ニキビなどの皮膚問題は、若いプロフェッショナルが職場でネガティブな影響を受け、キャリアの野心を阻害する。
HS患者は収入成長が遅く、離職リスクが高まる。また、皮膚病は面接での自信低下を引き起こし、就職や昇進のチャンスを減少させる。
皮膚病は公的イメージに悪影響を及ぼし、政治家やリーダーのキャリアを妨げる。20世紀の政治家や世界リーダーの中には皮膚病が選挙や在任中に影響を与えた例が多く、皮膚の症状が選挙キャンペーンで問題視されることがある。
また、皮膚病のスティグマがリーダーシップの信頼性を損ない、政策立案や公衆衛生の優先順位付けにまで波及する。
皮膚病の子供やティーンは、いじめの被害者になりやすい。3-4歳の皮膚病児童の34.5%が親からいじめを報告されており、13歳頃にピークを迎える。
アトピー性皮膚炎のティーンは外見ベースのいじめを受けやすく、慢性皮膚病児童のいじめ率が高い。
皮膚病は精神的な負担を増大させ、自殺リスクを高める。メラノーマやHS患者は自殺完了のリスクが高く、女性の非メラノーマ皮膚がんでも増加する。
慢性皮膚病の子供や若者では自殺行動のリスクが明確に存在し、目に見える皮膚病がうつや自殺念慮を助長する。
海外の情報が多くなってしまったが、ルッキズム大国である日本ではなおさら生きづらい。外見が重視される社会風土で、皮膚病の男の人生とはかくも過酷なものなのである
ネットだと低身長の男はモテない、一生童貞、ホビホビみたいなモテにまつわる話しか出てこないが、実際のチビ男というのはもっと悲惨である
アジアでは約9%
アメリカのCEOのうち90%は平均身長(アメリカでは175cm)より上
また身長が10cm高くなると、管理職に就く確率が2.2パーセントポイント上昇する
イギリスでは低身長の少年が被害者になる確率は平均身長の子の2倍以上
スウェーデンの調査では身長が2インチ(5cm)増加すると、自殺のリスクが9%低下する
海外の情報が多くなってしまったが当然日本でも同様の傾向は見られる
Permalink |記事への反応(18) | 15:36
北アルプス槍ヶ岳・北鎌尾根の登山に挑んだ男性が滑落事故に見舞われ、死亡した件が話題になっている。まずは故人の御安霊の、安らかならんことをお祈り申し上げる。
これだけなら登山中の不幸な事故、で終わる話なのだが、死亡した男性の妻が出産を目前に控えた妊婦という背景があり、Xで大論争を呼んでいる。臨月の妻を尻目に命がけの登山をするなど言語道断であり、夫としての、父としての自覚がなさすぎるという批判が大半だ。
聞くところによると北鎌尾根は、通信エリア圏外にあったりルート選択が難しかったりという理由のため、遭難事故が多く発生している山らしい。長野県警の山岳遭難救助隊が警告を出すほどに。
確かに臨月の妻がいる身でそんな危険な山に挑んだというのは、無謀との誹りを受けても仕方ないかもしれない。しかし妻の方は夫の登山に同意していたようなので、その時点で外野がどうこう言うものでもないだろう。
また、「登山という趣味が危険を伴うものだと知っているからこそ、子供が生まれれば自分の趣味を十分には楽しめなくなるとわかっているからこそ、出産前に一度登っておきたかったのではないか」という意見もあった。本当にその通りだと思う。
被害に遭われた男性は登山直前に、妻にメッセージを送っていたようだ。夫婦間の事情は私が知る由もないが、少なくともネット上で見つかる情報を見る限り、決して夫婦仲は険悪ではない。遺体発見の報を受けた妻側からの沈痛なポストもあったが、本当に被害男性が妻を蔑ろにしていたのであれば決して書き込まれることのなかった文面だった。穏やかな家族生活が一瞬で奪われてしまった被害男性、および遺族のことを考えると、やはり同情の念を禁じ得ない。
それで本題はここからなのだが、Xを見ていると、被害男性に対する批判があまりにも過熱していないかと感じる。主な批判の内容は、冒頭に書いた通りである。
確かにその批判は正論かもしれない。しれないが...これは結局のところ不幸な事故に過ぎず、こんな展開を希求した者はどこにもいなかったはずだ。被害男性は過酷な山岳の中で、耐えがたい苦痛を抱えながら、妻と子供を脳裏に思い浮かべながら、非業の死を遂げてしまった。決して家族をないがしろにするつもりなどなかったのに、インターネットでは文字通り被害男性に対しての”死体蹴り”が行われている。これでは彼も浮かばれないであろう。
妻についても同様だ。批判が過熱すればするほど、彼女は自らの行いを悔いるだろう。強烈な自責の念と共に今後の人生を生きていかねばならない彼女の心中は、察するに余りある。
もはや現在のXの論争は、被害者遺族の事情など知らんぷりで、「そもそも妻は妊娠中でなにもできないんだから趣味なんてやってる場合じゃない」だのなんだのが主流になっている。しかしそうした場外乱闘の盛り上がりの裏では、被害男性や遺族の尊厳が見るも無残に踏みにじられている。
暴走する正義がいかに恐ろしいかを、この件もまた端的に示している。自分自身こんな文を書いている分際で説得力に欠けるかもしれないが、もうこの件についてはそっとしておいてあげてほしい。誰も死にたくて死んだわけじゃない。誰も泣きたくて泣いているわけじゃない。だというのに、無闇矢鱈に傷口を塩を塗り込む行為に、いったい何の意味があるというのか。
繰り返しになるが、これは不幸な事故だ。外野の我々にできることと言えば、この事故から学び類似の悲劇を繰り返さないように努めることくらいであり、無益な死体蹴りは一刻も早く止めるべきである。