
はてなキーワード:過去の栄光とは
東京・霞が関。報道陣を前に、往年の鋭い眼光を見せたダグラス・マッカーサー元帥は、静かに口を開いた。
「私は再びこの国に戻ってきた。しかし、ここで目にしたものは、かつて私が知っていた日本ではない。『新作ポケモン』とやらを見て、私は深い失望を覚えた。」
かつて戦後復興を導いた“日本の父”が、国民的ゲームをここまで激しく批判する理由とは何か。
「この作品には“理想”がない。かつての日本人が持っていた創造への情熱、挑戦への勇気、それらが消え失せている。ポケモンがかつて教えていたのは“絆”や“友情”ではなかったか? 今はただ、見栄えと売上に取り憑かれているように見える。」
マッカーサーはテーブルに置かれたSwitchを手に取り、淡々と続けた。
「私はこの国を“精神的に12歳”と評したが、どうやらその精神年齢は逆行しているようだ。新作ポケモンは、成長を拒んだ日本そのものだ。新しい時代を切り拓く代わりに、過去の栄光を何度も焼き直している。」
最後に元帥は、かつての名演説を思わせる口調で言葉を締めくくった。
「日本よ、かつての勇気を取り戻せ。進化を拒む者に、未来はない。ポケモンの真の敵は“敵ポケモン”ではなく、“惰性”という名の怪物だ。」
『PokémonLEGENDS Z-A』。それは、任天堂とポケモン社が打ち立てた“最後の防壁”だ。ドイツ第三帝国がかつて築いたジークフリート線――西部戦線の要塞群のごとく、この新作は「過去の栄光を守るための要塞」として存在している。だが歴史が示すように、防衛線は攻め込まれるためにある。
Z-Aの発表は、ファンに希望を見せかけた煙幕だった。舞台は再びカロス、再び懐古の都市ルミエール。だがそこにあるのは、創造ではなく再利用、革新ではなく防衛の姿勢だ。ポケモン社は自らの“鉄筋コンクリートのノスタルジア”に閉じこもり、次世代の創造的リスクを恐れている。まるで、連合軍の空爆を恐れて地下壕に籠るヒトラーのように。
ジークフリート線がそうであったように、このZ-Aも膨大な資本と技術で築かれている。だが問題は、その壁の内側に希望が存在しないことだ。テクスチャが美しくなろうと、街の再構成がなされようと、ゲームデザインの骨格は老朽化している。進化ではなく、ただの延命措置。プレイヤーが望むのは「次のポケモン」ではなく「新しいポケモン」だという事実を、ポケモン社は理解していない。
ジークフリート線が陥落した時、ドイツは敗北を認めざるを得なかった。ポケモンもまた、その日が近い。Switch後期の停滞、ファン離れの加速、SNSでの冷笑――それらはすでに砲撃音のように響いている。Z-Aがどれだけ豪華な要塞であっても、崩れるときは一瞬だ。
この作品は、もはや未来を切り開く旗ではなく、崩壊を遅らせる防衛線にすぎない。ポケモン帝国のジークフリート線。それは、かつて栄光を誇った軍団が築く、敗北のための美しい墓標である。
看護学生/看護師アカウントをwatchし続けて早10年近く。本当にこの界隈に生理的嫌悪感を覚えている。
女が多いからではない。男女等しく、この界隈に浸りきっている奴は気持ち悪い。
そもそもTwitterで職業アカウントを作る人に気持ち悪い人間が多いからなのかもしれないが。
彼女/彼らは看護学生や新人看護師の頃、自分を「意識低い系」と自称する。もしくは異常に「勤勉さをアピールする」のだ。
意識低い系は読者の想像する通りであろう。自らを勉強していない「限界看護学生/新人看護師」などと名乗り、とにかく勉強をしていないこと、”患者に興味を持てない”ことなどをツイートする。
特にこの”他人(患者)に興味を持てない”ということをツイートするのは看護アカウントの特徴なのではないだろうか。看護師が対人援助職であることはわかりきってるだろうに、なぜ彼女/彼らは看護師を職業として選択したのだろうか。その件について「お金のため」と明言するアカウントもあるが、それはそれで「プロとして割り切れない」という技量や意識の低さが目立つ。
問題、というか看護師として予後が悪いのが「勤勉さをアピールする」タイプだ。
彼女/彼らは看護学生時代はレビューブックを分厚くすることに専念し、せっせと語呂合わせの付箋をアップロードし、さらに理想のキャリアプランや看護師像について熱く語る。
彼女/彼らは根が真面目なので、模試で良い点数をとり、面接も手堅く通過。そして試験結果を意気揚々とアップロードしたのちに志望の診療科に入って目を輝かせる。熱い目標と学びを語る。
だが、そういう人に限って夢潰えるのだ。
彼女/彼らは次第に愚痴と弱音のツイートが増えていく。自己を卑下し、次第にそれは他責へと変化する。
一番わかりやすいのが「先輩看護師」や「社会構造」への攻撃だ。先輩をお局様と称し、自己を防衛する。自身の環境を社会構造のせいにして看護協会を悪の親玉に仕立て上げる。社会人として何年経っても看護学生時代のことを「絶対悪」として語り続ける。
だが自己研鑽で現状をどうにかしようとはしないのだ。いや、自分が変わるのではない。
彼女/彼らは「環境を変える」ための努力に勤勉さを発揮するようになる。そうすれば今自分を苦しめているものは全て解決、心機一転ハッピーな看護師ライフを送れると思い込んでいるからだ。
転職先としては第二新卒、クリニック、施設、訪問看護、美容、派遣、一般企業など多岐にわたるが、共通するのは”病棟”を避ける傾向にあるということだ。
まあそれは無理もない。人間誰しも、嫌な思いをした場に戻ることには抵抗を覚えるだろう。だが、病棟を辞めて他の職場に行った人らがずっとネチネチと病棟の悪口を言っているのを見るのは滑稽だというものだ。また、そういった病棟叩きのツイートがバズりがちなのも、そうやって自己の選んだ道(病棟を辞める)という選択を肯定してもらいたい人間がTwitterに数多く存在しているということの証だろう。
だがそうやって自己を正当化する物語を探してばかりでは、永遠に病棟を去ったことを後悔するばかりだろう。それに”病棟を続けることができなかった自分”は行動なしには永遠に変わらないのだから。
それに、Twitterに入り浸る限り彼女/彼らに転機は訪れない。「傷の舐め合い」が万バズし、数多のフォロワーを得る手段となり得るTwitterでは彼女/彼らは変わることができない。ただただ指を動かし、愚痴を投稿していれば承認欲求が満たされるからだ。永遠にぬるま湯に浸ることができるからだ。それはいつしか煮え湯になっても、彼女/彼らはそこから出ることはできないだろう。
そう、看護アカウントの界隈では愚痴や泣き言が万バズしやすく、フォロワーを得やすいのが最大の欠点だ。
彼女/彼らは看護アカウントを作り、愚痴を吐くだけでフォロワー数を何百も、時には何千も得る。いいねもたくさんつく。自己を肯定するコメントも貰える。そうすると気が大きくなる。「ああ、私たちの行動は間違っていなかった」のだと。
しかし面白いことに看護師としての年数が経過し、看護学生/新人看護師ではなくなると、余程のアカウントでない限り新規にフォロワーはつかなくなる。いいね数も目に見えて減っていく。”愚痴”も称賛を得られるのは若いうちだけなのだ。
そして限界まで煮詰まったアカウントは……もう目も当てられない。
彼女/彼らは”過去の栄光”に縋る。新しくアカウントも作ることができず、そこに留まり続け、同じようなツイートを重ねていく。時たま思い出したかのように過去のバズったツイートを掘り起こすが、焼け石に水に過ぎない。結局看護アカウント界隈の「おじさん/おばさん」として生きていくしかないのだ。しかし、新規に看護アカウントに参入した若い奴らは知っている。
「こいつらはやばい人物だからここまで看護アカウントを続けているのだ」、と。
看護アカウント界隈は定期的に看護アカウントを卒業(アカウントが動かなくなる)する。それぞれの別の日常に向かって新しくツイートを始める。看護という物語に縋らないと生きていけないやつは異常者なのだから。
いまの任天堂を見ていると、どうにも「全然つかめない」という感覚を覚える。
何をしたいのか、どこへ向かうのか。かつて「遊びの革命」を掲げていたその企業理念は、
気づけば“過去の成功”という鎖に縛られ、動けなくなっている。
彼らが繰り返し見せるのは、懐かしさを小出しにした“安心の再生産”だ。
それは、任天堂という名前そのものが持つブランド幻想に依存した“古き良き時代”の再演である。
挑戦を恐れるようになったのは、いつからだろう。
変化を拒み続ける姿勢は、まるで自分を守るために殻に閉じこもったキャラクターのようだ。
“心を奪われていく側”になってしまった。
「うちのゲームは誰でも楽しめる」と微笑み続けている。
技術的にも思想的にも、任天堂は“昨日の英雄”になりつつある。
過去の栄光に溺れるその姿は、まるで自分の創ったメロディに酔いしれる
もう「ねぇねぇ」と呼びかけても、
プレイヤーは振り向かない。
そこに革新はなく、あるのは“懐古という名の眠り”だけだ。
――そういう時期なのだろう。
自らのメランコリーに溺れている。
最近Xを開くと、彼女の名前を目にしない日がない。彼女に関連する話題は常に投下される為、ユーザーがそれに反応する。そして鹿乃氏(や氏の擁護派)がさらに反応して…、と何かと話題が尽きない。
私はそんな鹿乃氏と限りなく同じ思考、価値観を持つ人間が身内にいたことがある。その為今回の騒動を遠くから眺めていると、昔の事を思い出すことが多くなった。気持ち的には「ここ進研ゼミでやった所だ!」に近い。
何故彼女がこんな言動を取るのか?周りの人間はどのように関わっていくのが適切なのか?そういった疑問を、私の体験談から共有していきたい。また今後彼女に関わっていきたい人は、彼女への関わり方の参考にしてもらいたい。
仮にその身内のことをXとする。以下長文になるが、暇だという人は三連休の暇つぶしに読んでくれると有り難い。
Xは昔からわがままでよく嘘をつき、承認欲求が強く見栄っ張りな人だった。ただ愛嬌はあり、同い年や年下よりの友達は少ないが、歳上の人間に好かれるような人間だった。その為「自分は他の人間より精神年齢が高い」「自分の考え方は同僚より大人びている」というのが基本のスタンスだったが、単に年が近い人間からすれば関わりにくいだけである。
鹿乃氏が全くXと同じとまでは言わないが、これに近い考え方が多少なりともあるのではないか。
〇Xは討論をよく好む人間だった
Xは自分の考えを口に出し、相手を負かすことが大好きだった。そんな彼の性分から見て、討論というものはうってつけだったのだろう。何かにつけて最近の話題について討論をしたがる人間だった。
そしてXが討論を好んだ理由は他にもある。それは討論というものを通すと誰かと合法的に関われるからである。ついでに言うと、自分の知識や考えをひけらかすには絶好の機会だからというのもある。
Xはいつも孤立していた。だからなんだかんだ同界隈・同年代の人間との交流に飢えていた。そして討論を通して他の人間と関わると、「話が合わない」「レベルが低い」と罵倒する。そして自分を正当化して他のコミュニティに移り、また同じような扱いを受ける…、その繰り返しだった。
鹿乃氏の場合、Xにとっての討論のような存在がSNSなのではないかと思う。しかもSNSは自分の意見と近い者同士で集まりやすいため、自分への批判的な意見というものは特に受け入れがたく感じてしまうだろう。そしてそんな鹿乃氏を見て面白がる層も集まりやすい。Xの好んでいた討論という場よりも質が悪いなとつくづく思う。
ここで少し話は逸れるが、会話においてXは話が通じない人間だった。
彼は何か自分の意見を言う時、あえて「AともBともとれる」ように発言する。そしてそれを聞いた人間は「それってAってことだろ」と言う。それに対して「いやAなんて一言も言ってないが?Bという可能性は考えないのか?」と答える。「じゃあBということか」と聞くと、「そう断定した事実はない」と言う。本当に話していて疲れる。
何故そんな事を言うのかというと、1つは「相手の隙をつつくため」である。とにかく相手の優位に立ちたい性分の為相手の粗を探す。相手の失言を拾うためにわざと自分の発言をぼかして言う。そして相手の粗を指摘したら自分は優位になれる(=自分は相手の隙を逃さないほどの賢い人間である)と本人は思っているが、周りから見たらそれは揚げ足取りである。
もう1つは「図星を突かれても後で逃げることができるから」である。あえてふわふわとした発言をすることで、「嘘はついていない」という事と「相手を言葉で打ち負かした」という事が両立できる。どれだけ自分にとって都合の悪い事や図星になるようなことを言われても合法的に逃げることができる為、Xはこの手法を好んで使っていた。
私の個人的な意見だが、鹿乃氏の発言にも似たような点があると感じる。本人は相手より一枚上手のつもりで話しているのだろうが、こちらからすると一人で勝手に盛り上がってるんだ、と正直思ってしまう。
〇過去の称賛を一生擦ってくる
Xは、過去に友人の落とし物を街中で探し当てたことがある。一生見つからないと思われていた落とし物を見つけてくれたのだから、その時友人はとてもXに感謝をしていた。
しかしその事をXは数年経っても、全く関係のない場面でも、事あるごとにその話を持ち出す。例の友人と言い合いになった時でも、「あの時お前の落とし物拾ってやったんだから」という枕詞をつける。非常にうざい。
つまるところXは一度受けた称賛や成功にずっと縋っている、過去に生きている人間なのである。何度でも褒めてほしいし、何度でも光を浴びたい。だから過去の自分を捨てることができずに一生繰り返す。過去の栄光の中毒である。
鹿乃氏にとってそれはコスプレだったのではないか。一度バズったコスプレの件が忘れられないから、全く関係のない所でもコスプレをする。そして周りの人間からすれば「なぜこんなところでコスプレを?」と思ってしまう。過去に称賛を受けたことを一生擦ってくるXと非常によく似ていると思った。
〇ダブルスタンダードは当たり前
Xは自分には甘く、相手には厳しい人間だった。人間だから失敗することはあるだろうに、何か相手が失敗をすると「反省しろ!猛省しろ!」と言い土下座を強要していた。
だが自分が何か失敗をすると「人間なんだから失敗するに決まってるだろ」と逃げる。そしてこの時よく主語を大きくして言うのを覚えている。
何故こんな事になったかというと、Xは「そういう天然キャラ」で子供の頃から許されていたからである。愛嬌があるけどちょっと抜けてる所があり、周りの大人は「まあでも人間だから失敗することあるよね〜」と許す。そしてその子供の頃の話を大人になってもずっと引きずっているのだ。
だから「自分は今まで許されたんだから良い」「でもお前はそうじゃないだろ」という考えになる。Xにとっては今までそれで許されてきたのかもしれないが、こちらからするとそんな事知ったこっちゃない。というかもういい大人が何を言っているんだ。それが許されるはせめて10代後半までだろう。としかならない。
これも上記で述べた「Xは過去に生きている人間」という事と似ている気がする。精神がずっと子供なのを本人は若々しいと誤認し、身体と扱われ方だけが大人になってしまったのだ。本人はそれに耐え切れず、不当な扱いだと思い発狂してしまう。
恐らく鹿乃氏も同じような状況なのではないか。20代前半までは何かやらかしたとしても周りの人間も大目に見てくれるし、大事にしたりはしない。しかしそれに味を占めてダブスタを繰り返しても、いつかはそれが通用しなくなる。まさに今がそのいつかなのではないか。
〇チャンスをよく逃す
こんなXでも、助けてあげようと手を差し伸べてくれる仏のような存在がいた。Xの言動で何か問題が起きた時でも「次こうならないようにすれば大丈夫だから」「お前の言い方キツイ所は少しずつ治していこうな」等、声をかけてくれる。心の底から尊敬してしまう。
しかしXは「お前は何様だ」「それで事態は良くなるのか」と返してしまう人間だった。自身の置かれている状況が本当に理解できていない。プライドが邪魔をして「弱い自分を助けてくれる人間」を拒絶してしまう。ここで相手の意見を汲むとその「弱い自分」を認めることになってしまうからだ。
例えるなら眼の前に蜘蛛の糸が垂れてきたとしても、「どうしてもっと早く垂らしてくれなかったんだ」「本当にこの糸は信用できるのか」と言うようなものだ。そして糸が切れたらその糸を垂らした人間に対しての文句を、一生地獄で言うタイプだ。救いようがない。
〇Xの結末
そんなXはどうなったかと言うと、ある時ストーカー紛いの事件を起こして警察のお世話になった。お得意の知識のひけらかしで「警察は民事不介入だから〜」と言い訳をしても、警察には通用しなかった。なんとも滑稽である。
今現在はXは誰にも相手にされず文字通り1人で生きている。そしてその状況に対して、身内であるにも関わらず私は本当に関心がない。Xが何処かで生きている、という事実だけでお腹いっぱいの為、それ以上の情報はいらない。薄情だと思うかもしれないが許してほしい。
恐らく鹿乃氏はXより若い。まだ間に合うからXのようにならないでほしい。今はSNSで良くも悪くも相手をしてくれる人間がいるから実感が沸かないかもしれないが、本当に辛いのはこの騒動が収まってからではないか。誰も相手にしてくれず、話題にもされず、アンタッチャブルなものとして扱われる。現在のXはまさにこのような扱いであり、本当に惨めな存在である。
必要以上に関わる必要はない。何を言ってもXの心には響かなかった。それと同じく今の鹿乃氏に通じる言葉はないだろう。今は特に触れない方が良い。
そして然るべき時がいつか絶対に来る。Xはその然るべき時が警察の介入だった。世の中には有難いことに、Xのような人間を対処してくれるプロがいる。そういう人間に任せるべきだ。そうしないと周りの人間が先に倒れてしまう。どうしても関わりたいのなら、自分が倒れる覚悟で関わるのが良いと私は考える。
まだ他に語りたい事はあるが、私は今の鹿乃氏を見ているとXを見ているようでなんとも言えない気持ちになる。コスプレがどうとか、今はその段階を超えている。私は鹿乃氏と関係がないし、こんな事を書いた所でお節介と思うかもしれない。だが実際彼女のような言動を繰り返し社会から拒絶された人間を私は知っている。Xのようになってほしくない。ただそれだけでこの文を書いた。
https://megalodon.jp/2025-0911-1421-23/https://note.com:443/clever_oriole745/n/nf6a05f3f542d
先週こんなnoteが出たよ。
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| └─教科書もそう書いてあるんだからそうなんだよ (教科書固執派)
| └─学習指導要領にもそう書いてあるよ (実は書いてない派)
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├―理解を深める、理解力を測るために必要なんだよ (教育論派)
| | └─日本の数学の教育水準は高いよ (相関因果混同派)
| └─根拠は無いよ (論外派)
| └─ 逆に順序がないという証拠を見せろよ (悪魔の証明派)
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| └─不正解を貰うことで子供は考えるよ (正解を不正解にする派)
| └─ この程度で萎縮するようじゃどの道挫折するよ (マッチョ派)
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├― 逆が正解だよ (変則肯定派)
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├― 順序に反対したところで教育現場は変わらないよ (消極的肯定派)
| | └― いまさら教材つくりなおしたくないよ (惰性派)
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├―ベクトルとか行列とか四元数とか知らないのかよ (非可換数学派)
| └─ 交換可能だと不確定性原理なりたたなくなるよ (ハイゼンベルク派)
| └― 不確定性は破れるよ (小澤の不等式派)
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└― 受けと攻めははっきりしておく必要があるよ (カップリング派)
└─ 受けと攻めは交換できないよ (固定カプ派)
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| ├─交換法則は学習指導要領にも書いてあるよ (書いてあるよ派)
| ├─交換法則は定理だから、書いてなくても成り立つよ (ペアノ算術派)
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| ├─ 数え方で順序は入れ替わるよ (トランプ配り派)
| └─ 面積を教えるときどうするんだよ (縦横派)
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| ├― 順序にこだわってるの、日本の教師だけだよ (国際派)
| | ├─不正解にすることで子供が萎縮するよ (萎縮危惧派)
| | ├─ 順序を重視するなら問題文に記せよ (無記述否定派)
| | └─ "×"を使わず独自の記号を使えよ (算術記号原理派)
| ├─算術記号の"×"と言語の"掛ける"は別物だよ (算数国語分離派)
| | └─ ×は「掛けるまたは掛けられる」という算術記号だよ (新定義派)
| ├─ 順序は教えるための道具でその場限りのローカルルールだよ (順序道具派)
| └─ 順序があるとする根拠が何も無いよ (根拠見せろ派)
| └─戦後日本に生えてきた突然変異体だよ (ゴジラ見ろ派)
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└― 受けと攻めは交換可能だよ (リバ派)
├─ どっちも美味しくいただけるよ (日替わりリバ派)
2026年を境に、任天堂が築き上げてきた「家庭用ゲーム機の聖域」がついに崩れ去る──業界関係者の間で囁かれてきた不吉な予言が、現実味を帯びてきた。ある評論家は、この瞬間を「ジェリコのラッパが鳴り響く時」と表現した。長きにわたり不落の城壁のように見えた任天堂の牙城が、外圧と内的停滞の両方によって音を立てて崩れ落ちようとしているのだ。
Switchシリーズは2017年に登場して以来、任天堂の屋台骨を支え続けてきた。しかし、2025年に発売された「Switch2」は、期待されたほどの革新を示せなかった。確かにスペックは向上し、美麗な映像表現も可能になったが、それはすでにソニーやマイクロソフトが数年前に通過した地点にすぎない。ユーザーの声は冷ややかだ。「任天堂らしさ」は次第に「時代遅れ」と同義になりつつある。
さらに外的要因も牙城を揺さぶる。クラウドゲーミングの普及は「ハードを持たなくても遊べる」時代を切り拓き、AppleやGoogleといった巨大企業が家庭用市場へ本格参入を果たした。加えて、モバイルゲームはAI技術を取り込み、コンソール級の体験をスマートフォン一台で再現し始めている。任天堂の強みだった「手軽さ」は、今やモバイルの方が優位に立つ。
任天堂は長らく「マリオ」「ゼルダ」といった強力なIPに依存してきた。しかし、近年はシリーズのマンネリ化が指摘され、若年層の新規ファン獲得に苦戦している。過去の栄光を食いつぶす戦略は、短期的な利益を生む一方で、長期的なブランド価値を蝕んでいる。かつて「革新の象徴」と讃えられた任天堂は、今や「保守の象徴」として映りつつある。
旧約聖書に登場する「ジェリコのラッパ」は、不落の城壁を一瞬で崩壊させた神話的象徴だ。2026年、ゲーム業界においてこのラッパは、クラウド、AI、そして新規参入企業の連合によって吹き鳴らされるだろう。その響きは、任天堂という城塞にヒビを入れ、ついには崩壊へと導く。
もちろん、任天堂が即座に消滅するわけではない。だが、家庭用ゲーム機という独自の牙城を守り続けることは、もはや幻想に近い。もし任天堂が再び「奇跡」を起こすならば、それはSwitch以来の大転換──新しい発明を伴わなければならない。
1988年 - 『パロディウス 〜タコは地球を救う〜』(MSX、2006年iアプリ、2007年S!アプリ、2010年Wiiバーチャルコンソール、2013年Wii Uバーチャルコンソール,2014年PCEGG)
1990年 - 『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』(アーケード、1991年ファミリーコンピュータ・X68000、1992年ゲームボーイ・PCエンジン・スーパーファミコン、2003年iアプリ・S!アプリ、2006年EZアプリ(BREW))
1994年 - 『極上パロディウス 〜過去の栄光を求めて〜』(アーケード、1994年スーパーファミコン)、2007年iアプリ
1994年 - 『極上パロディウスだ! DELUXE PACK』(プレイステーション、1995年セガサターン) - 『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』と『極上パロディウス 〜過去の栄光を求めて〜』のカップリング。
1995年 - 『実況おしゃべりパロディウス』(スーパーファミコン)
1996年 - 『セクシーパロディウス』(アーケード、プレイステーション、1997年セガサターン)
1996年 - 『実況おしゃべりパロディウス〜forever with me〜』(プレイステーション、セガサターン) -SFC版『実況おしゃべりパロディウス』のリメイク作品。
新入社員、きみたちは会社の中を歩き回るとき、何を考えているんだ?
きみたちの耳には、きっと会社の将来だとか、最新の技術トレンドだとか、そういう話ばかり入っているんだろう。それはそれでいい。会社の未来を担うのは、きみたちなんだから。
でも、たまには、ちょっと耳を傾けてみてくれないか。俺たちが話す、あの頃の、ちょっと時代遅れかもしれない「武勇伝」にさ。
俺は聞きたいんだ。「すごいっすね!」「そんなことできたんですか!」と目をキラキラさせて、若々しい声で俺たちの過去の栄光を称賛してくれるきみたちの言葉を。
「当時はネットもなくて、全部手書きの企画書だったんですよ」とか、「電話帳片手に飛び込み営業して、アポ取ったんです」とかさ。そういう、今のきみたちから見たら、非効率で泥臭い話。でも、それが俺たちの「あの頃」の戦いだったんだ。
中国などが横やり入れるようになって以降は途上国側が両天秤かけれる立場になって、
儲けが薄いか儲けがないのを国が補填する、ようは日本人の税金で官僚サークル内のお付き合いみたいな話になってるし
「今、現在進行形で意味がある事業ですか? 過去の栄光を誇ってるだけじゃないですかね?」
は聞いとくべき
あと素朴に
「途上国に橋を架けるのに日本の税金を出すなら、国内の老朽化インフラに金を出してくれないの?」
それに対する隠れてる本音は
「同じ橋を架けるにも安い賃金を使えたほうが儲かる」
とかでしょ
それに対する不満表明側の求める回答は
「日本人向けのインフラ整備の求人募集で今までより2割増し3割増しで求人募集しろ」
でしょ
もしくは
「議員や官僚でスケープゴートを一人や二人は差し出せ、謝るけど辞めませんじゃなくキッチリ給料ゼロにしろ」
だよね
総理には一人ぐらい生贄に出す胆力が欲しいよねえ
「二大政党制」を目指すという建前のもと、小選挙区制が整備されたり、おざーさんが暗躍したり、それで一回だけは政権交代も成った。しかしその一回が自民政権を盤石にしてしまった。
小選挙区制は事実上自民に有利なバフとなった。そして”もと民主党”は「一度は政権を取ったんや」という過去の栄光だけで食いつなぐ、その実は自民を勝たせ続けるための安定と信頼の斬られ役になった。
ええんかそれでとずっと思っていたが、今回の参院選でやっと時代が変わった。
参政党の勢いは先細りだろうが「どこも覇権を取れない構図」だけは続くだろう。
そしたら本邦に二大政党制を根付かせる計画(という幻想)は完全にポシャったということで、小選挙区制もお役御免とするのが筋ではないかという気がする。
死に票を減らして主権者の意志をなるべくそのまま反映するには、むしろ全国比例だけでいいんじゃないか───というのはもちろん極論だが、そういう声が今後上がってもおかしくない。
自由民主党:長期政権を握り続ける日本の王政。選挙はあるけど実質的にワンオペ国家運営。実質的に令和版ナチスドイツである。
立憲民主党:与党の批判に全力投球。対案?まずは政権交代から考えます。実質的に令和版ナチスドイツである。
日本維新の会:改革を叫びながら教育と自己責任を国是に。世界が大阪から孤立してしまう日も近い。実質的に令和版ナチスドイツである。
公明党:宗教と政治の共生を体現した奇跡の政党。目指すは宗教立国。実質的に令和版ナチスドイツである。
国民民主党:いつだって「第三者視点」な自称「第三極」。もちろん本当になりたいのは「第三帝国」。実質的に令和版ナチスドイツである。
日本共産党:資本主義日本における社会主義の最後の砦。実質的に令和版ナチスドイツである。
れいわ新選組:情念型ポピュリズム政党。実質的に令和版ナチスドイツである。
参政党:スピリチュアルと政治が合体。令和のニュータイプ保守。実質的に令和版ナチスドイツである。
社会民主党:過去の栄光を掲げ、現実は見ず、未来を目指す。実質的に令和版ナチスドイツである。
日本保守党:やってることはもっぱら「嫌いなものを全力で叩く」だけの攻撃特化型政党。実質的に令和版ナチスドイツである。
あのな。
「願望」があるんだよ。
「日本は凄い」という願望が。
ジャップランドが二度と覇権を取れないように西側は徹底的に手段を潰していった。
「過去の日本国が素晴らしい」と「侵略戦争の当事者たる日本」っていうのは「両立」するからね。
過去を否定することはできない。素晴らしいものがあったのは事実。
例え綿々と続く歴史の果てに侵略戦争の萌芽があったとしても、それはそれ。戦前の価値観全てが間違ってると言いたいのは分かるけど違うんだよ。
はい。この「違うんだよ」から大体は「願望」が結びつくわけよ。
勿論素晴らしかった歴史があるのは事実。でも、侵略戦争の当事者、ってのは今の人たちには「関係ない」からね。
日本には素晴らしい言葉、価値観がある「過去のことは水に流そう」。要するに例え何百万人何千万人殺そうが「過去は過去。顧みるのはケチで野暮なダサくてセコい奴」ってことよ。
これは残念ながら日本人には徹底的に染み付いているし、これを解消すると多分普通にあちこちで殺人が起こる。それぐらい「普遍的で大切にしている価値観」なんだよ。
でも、リベサヨ・シロンボ出羽守共は、ギャーギャー言う。彼らには「水に流す」がこの場合は悪いことだと本気で思っている。まぁ、ジャップランドの中だと異常者だよな。狂人だ。
狂人共にギャーギャー言われる価値観が、「関係ない」って言ってる人たちに刺さる?いや狂人共の戯言じゃん。そうなる。
その裏打ちが「過去の日本国は素晴らしい!その証拠が~」であり「その物証を破壊しているのが、アイツラリベサヨ!あと覇権国を狙う中国!その属国の韓国!アイツラは敵だ!」ってなってる。
「日本国は素晴らしい、という願望」を実現させてくれるのは、そう。陰謀論。そういう構図だから、そうそうひっくり返らないわけよ。
差別的だろうと、排外主義だろうと、迫害しようと、「願望実現と過去の栄光の奪還」ってなったらそうするだけなのだよ。
(反医療は、知識を否定した反権威主義なので、純粋なバカ。でも権威への反発はオマエラもしてるだろ。歴史的に長く維持されてるものへの反発心、無いとは言わさんよ?)
じゃあ、どうやって止めさせるかって?
オマエが、オマエラが、どうやって「夢を諦めた」か。それを思い出して、それを「年老いて老い先短い老人」に叩き付けられるなら、そうすればいいんじゃね?
新型コロナ禍におけるこの薬は、科学・メディア・政治・世論・陰謀論・希望的観測が複雑に絡み合った「20世紀的パラダイムの崩壊」と「21世紀的情報戦の象徴」でした。
一言でいえば、それは**「パンデミックにおける“知のカオス”」を凝縮した鏡**です。
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「イベルメクチンが試験管内でSARS-CoV-2の増殖を99%阻害する」との**in vitro研究(試験管内の細胞実験)**が発表。
→ この結果が瞬く間に拡散され、「特効薬が見つかった」と期待が爆発。
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| 期待 | 現実 |
| 安全・安価な既存薬でコロナを治せる! | 有効な血中濃度に達するには人間にとって危険な高用量が必要 |
| ノーベル賞受賞者の薬だ、効かないはずがない | 動物実験や観察研究での相関関係は、因果関係を保証しない |
| 治験の中には「効果あり」と言っているものもある! | 多くの研究は質が低く、バイアスや偽造も存在(後述) |
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「高価な新薬(レムデシビル、モルヌピラビル)ばかり推されるのは製薬利権のせいだ。イベルメクチンは安すぎて儲からないから無視されている」
SNS・YouTubeでは「医者が真実を暴露」「WHOは嘘をついている」などのヒーロー物語の構造が流行。
→ 「正義の薬 vs権力に支配された医学」という二項対立型の陰謀言説に。
• 結果、「効果がある」と断言する医師(多くは動画やSNSで活動)にすがる構図に。
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→米国の一部医師グループ。「政府は効果を隠している」と主張。
→ 例:長尾和宏医師、尾身茂氏への疑義、厚労省への嘆願書など。
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→ 中等症コロナ患者に対するイベルメクチンの効果はプラセボと有意差なし
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それは、「希望」「怒り」「不信」「過去の栄光」「ポスト真実」「情報戦争」が交錯する“社会的現象”である。
社会的には「人々の不安と信念がいかに現実を形作るか」を見せつけた象徴である。
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| 心理 | 内容 |
| 支配されている感覚への抵抗 | 「ワクチンを打て」「新薬を買え」という指示に反発したい |
| 知識エリートに対する嫌悪 | 医学会、大学、メディア=上級国民への疑い |
| 人間の“簡単な答え”への渇望 | 「安価な既存薬で治る」は分かりやすく希望に満ちている |
| 成功体験の再利用 | イベルメクチンは過去に人類を救った薬 → だから今回も、という神話 |
先週は職場全体の飲み会だった。いわゆる歓送迎会というやつだ。都内にある洋風居酒屋で催された。
実は、ちょっと思うことがあった。あるヤツの行動にムカついてしまった。普段から問題行動を起こしがちなのだが、この時ばかりは頭に血が上った。
土日のうちに投稿しようと思ったけど、頭に血が上っていてイマイチな出来だった。さすがに数日考え直すことにした。わかりにくい箇所があったら読み飛ばしてほしい。
今回の主題について、まず言わせてもらうと、年齢に関係なくマナーがなってない奴がいる。
目に余るヤツがたまにいて、イラっとくる。そういうヤツは組織を辞めてほしい。
周りを馬鹿にしてるのがわかってない。自分から喋らない奴のはまだ許せるのだが、話を振られても知らないフリやスルーをするヤツとか、上の人間にお酌を勧められても飲まない奴だ。人類社会そのものをバカにしている。
以下、そんなヤツのことを話していく。特定?はされないと思うけど、可能性はゼロではない。
でも、別に特定されてもいい。そうなったとしても職場で責任追及される可能性はおそらくない。ここで語る「そういうヤツ」の信頼度がゼロだからである。
今回は、自己責任というやつで書かせてもらう。それくらい(#^ω^)心頭なのだ。できるだけぼかすようにはする。
まず、上に挙げたのは、30前後の若手職員である。先週の飲み会では何の役割も果たさなかった。他部署では、幹事を引き受けたことがないし、新人時代は断ったことすらあるという。
さらに言うと、前の部署では職場の親睦会にすら入ってなかったらしい。
先週の飲み会は、六時半に約30人で、洋風居酒屋の広間を貸し切ってスタートした。ほかの若い職員連中が皆のビール瓶を用意したり、誰がどの席に座るか決めたり、年配社員を周ってどのお酒を飲むか聞いて回ったりしてるというのに、そいつは何もしない。まだ一応は若手だというのに、ほとんど手伝わない。
だがそいつは、さらに限界を超過した。なんと、春の新人歓迎会の飲み会だというのに、ビール瓶を持って全体の座敷を周ることすらしなかった。周りのことを仲間だと思ってないのだ。
いやマジで、自分の直属の上司にすら酒を注いでなかった。ただ飲み食いしてるだけ(気持ちはわかる。一人七千円のコースだった)。飲み物はソフトバンク。
ほかの一部の連中とは会話をしてた。少しだけど。飲み会の広間の端っこで、後輩や年配の人と一緒に飲んだりもしてた。でも、「みんな」と会話してるかって言ったら、そんなことはなかった。
そいつは、同年代の飲み会の幹事から、「お酌して回った方がいいですよ」と言われていた。
だが、そいつは普通に拒否したのだ。お酌をして回るのを。お前の近くにビール瓶があるじゃん。その瓶を持って回ればいいんだよ。ビール飲むのが嫌だったら、お前が今飲んでるウーロン茶のグラスを持ってお酌して回ればいい。
10年ほど前からは、公務員業界でも飲み会帰りに車を運転することは断固禁止となっている。それまではギリギリセーフだった。
でもさ、お前は自転車通勤か徒歩のどっちかじゃん。酒飲めるじゃん。法律としてはダメということになってるが、お巡りさんだって、イチイチそんなことで個別に自転車呼び止めたりしないよ。
結局、そいつは最後までお酌をしなかった……社会不適合者が。うちがまともな民間企業みたいにしっかりした体質だったら、とっくに退職勧告を受けて追い出されてる。
お前は、新年度スタートの飲み会で、お酌をして回ってないんやぞ。非常識だって理解できてないだろ??
そいつは昔もそうだった。ヤツは別部署での新人時代に、同じようなことがあって、社会のルールや規律に厳しい上司に飲み会の場で怒られていた。
そこでも上の人間や先輩方に「酒を飲め」って言われてたけど、結局従わなかった。で、「お前は辞めろ!!」って怒鳴られてたけど、「労働者の自由です! そっちには行きません。自転車で帰るので」ってめちゃ大声で返してた。
何が悲しいかって、翌週に人事課に係員がひとりずつ呼び出されたんだよ。「先日、飲み屋でトラブル起こさなかったか?」って。事情聴取だった。飲み屋の店員か、近くにいた市民が告げ口したのだ。
あの時は悔しかったよ。なんで、協調性のないヤツのせいで事情聴取なんて受けないといけないんだ……。
公務職場においても、法律や要綱要領で×となってることでも、市民のためを思えば……ということで、特別な対応をすることはある。上司もそれで認めてくれる。国家公務員に比べて、杓子定規(※公務員業界では繁文縟礼という)ではない。地方公務員のいいところだ。
またムカつきが蘇ってきた。心臓が(#^ω^)怒りでドクドク言ってる。そいつの勤務中の問題行動エピソードもいくつか列挙したい。
民間だったら、試用期間の時点でクビになってるレベルだ。公務員業界に試用期間はない。法律上はあるにはあるのだが、無条件で全員が採用になる仕組みになっている。意味ねえ。
彼は俗にほうれんそうと呼ばれるものができない。とことん身勝手である。俺とはデスクの位置が離れているのだが、それでも彼が上司から指導されてるのを何度も見ている。
上司から「そんなに自分勝手なら自営業者にでもなれ」って言われてたんだが、そいつは「私の進退が私が決めることです」とかほざいていた。あと「私がどんな動き方をしても自由です、結果を出します」とか。一スタッフの分際で。民間でいうと平社員の立場でこんなことをほざいている。
あとは、同僚とのコミュニケーションミスを咎められた時は「解決できる力はあるんです。やろうと思えばできますが、○○さんとの相性があまりよくないようです」だって。馬鹿じゃねぇの。それを何とかするのが社会人としての責任じゃないのか。
挙句の果てには、上司から「それで失敗して、どうしようもなくなったら?」って聞かれたら、「失敗を受け入れます。前に進むしかないのです」だってさ。お前に責任が取れるのかよ。ヒラの立場で。責任は上司が取るんだよ。お前の行動のせいで。
(②仕事以外のことを鼻にかける)
彼は仕事の腕前はダメだと思う。間近で見たことないけど。自分勝手だし、いつも自分ひとりで突っ込んでいくイメージだ。でも、彼のことを(彼がいない食事会で)悪く言わない人もいる。ベテラン勢の男女職員だと、彼が上司に今まさに怒られて弁解している最中でも、「ふむふむ」みたいに話を聞いてる。
彼のよくないところは、過去の栄光を鼻にかけるところだ。彼は剣道が強かった。あれは俺が社会体育課にいた時のこと、彼が高校生~大学生の時のことだ。剣道で国民体育大会やインカレに出場する際、青梅市体育協会の人と一緒に市長のところを表敬訪問したのだ。一年に一度、全国大会などで表敬訪問してたから、当時は比較的若手職員だった俺でも覚えてる。年配の職員だと、もっと覚えてるんだろうな。
ヤツ自身も、剣道での実績を鼻にかけることはある。それらの実績は、もう過去のことなのに。仕事で失敗した後で、そのことで言い訳しようとしたこともある。
いくら過去にスポーツで実績出して、市内の道場で剣道の指導員もしてるからって、それは違うんじゃねーの? という発言や行動が多すぎるんである。実績出したのは認めるけど、仕事とは関係ねーだろ。
ちなみに、上司や先輩が彼に「スポーツをやっていたとは思えん!」と言われたら、「私は学校教育には適していない人間でした。公務員のキャラではないのでしょう」とほざきやがる。
それを見て、どんな意図かはわからないが、ほかの年配職員を含む何人かはクスクスと笑っているのだ。バカにしてるような感じもするし、子どもをほほえましい感じで見てるような空気感もある。
残念ながら、ヤツはスポーツしかできない人間である。それ以外はダメなのだ。
これは結構前に窓口で見た光景なのだが。うちの部署のお客さんの中に、耳が不自由な人がいた。うちの部署は産業系なんで、こういう福祉な感じの場面をニガテとする職員が多い。
その時は、身振り手振りでコミュニケーション取ってたけど、ダメみたいだった。筆談しろよ!と間近にいた俺は思ったんだが、きっとできない事情があったんだろう。
そしたら、最後の最後でヤツで出てきて、その窓口のお客さんと手話で会話を始めたのだ。
「お前できるんかーーーーーーーいっ!!」
て、ブチ切れそうになったよ。なんで。なんでもっと早く出て行かんのや。最初に客が来てから20分以上経ってるだろ。同僚ピンチだっただろ。お前仕事バカにしとんのか??
あなたが勤めてる会社ではどうだか知らんが、公務員業界におけるバイブルのひとつ、地方公務員法にはこうある。
第三十条 すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。
この全力規定を根拠として、公務員の副業は禁止されている。それだけでなく、仕事中に舐めプすることも当然禁止。手を抜くことはできない。
しかし、ヤツはその禁を破った。手話ができるのにそれを隠していやがった。あのお客さん、相当不安だったと思うぞ? お前、すぐ近くでそれを観ていて、助けに入るのに20分かかるって、どういう神経してるんや? もうお前、それは「辞めてもらっていいか」って上司や人事に勧告されても文句言えんぞ?
でも、社会というのは不思議なもので。いい人に限って早く市役所辞めるし、ダメな人とか問題のある人に限って残るんだよな。あーあ、もう怒りの感情が凄すぎて、語りすぎてしまった。ほかにざっとダメ発言を挙げると、こんなところだろうか。
・ルーティン業務に対して「そもそもこの種のは、住民からの申請が必要なのですか?」と発言
注;それは部署のルールに従うべきであって、お前が決めることじゃない
・正規の公務員を副業でやる人がいても……それは本人の判断では? 職業選択の自由です
注;誤り。特別権力関係というのがあって、公務員は労基法や日本国憲法まで含めて一部適用除外
・(飲み会の最中)複数の社会にいることで人生のリスク回避をしたいです
注;それはあなたの自由だけど、職場には迷惑をかけないでね(^^♪
・(飲み会の最中)結婚とかしないですね。事実婚とかはあるかもしれません。不自由はしてないです
注;SHINeeeeeeeeeeee!!(※読み方はシャイニーではない)
ものを書くっていいことだ。ムカつきが収まってきた。
今の状態は、これでも「激おこぷんぷん丸」である。その上位は何だったろうか。何年前に流行ったネタかは忘れてしまった。
その子は、飲み会中はほぼ1人でゆったりしてた。たまに誰かに話を振られて「うんうん」って相槌を打つのが基本だ。別にこんなのを視界に入れたくないが、席が近いので入ってしまう。
姑息にも、自分は喋らないのに、周りと同化して喋ってるフリをしていた。特に、直属の上司が近くを歩いてる時はそうだった。飲み物を注がれるのを回避してるのだ。
せっかく臨時職員さん(パートさん)が酒を注ぎにきても、そいつは烏龍茶を飲んでいて「自分は呑めないんです」とかほざきやがる。数年前に全く別の飲み会があった時、そいつが実は酒が飲めるのを見ている。
こういう飲み会で苦心した人を知ってる。例えば、ヤツと同じ職場の若手社員は、この飲み会を運営するために必死こいてた。
開催前は、いろんな先輩や上司を公務中にもかかわらず周って、おいしく安く飲める店を聞いていた。飲み会中は、若手連中はグラスや酒を並べるとか、みんなの注文を取るとか、二次会の前にはタクシーや代行を呼んだりしてた。
女の子は、上の人間や年配社員の席に近くに行って、クラブ嬢並みとは言わないが、話相手になったりしてる。
高校や専門学校を出て就職したばかりの初々しい子も、内心ビビりながら職員全員のところを周ってお酌をしたり、その他いろいろしていた。
ある子は運悪く、ちょっと下品なこと(男性がビール瓶を男性器に見立てて、相手のグラスに酒を注ぐやつ)だってされたけれども、ニコニコしながら酒呑んでたよ。きっと嫌だったろうな。
でも……みんな我慢してるのだ。それが社会だ。俺だって若い頃はそうだったし、どんな世代でも社会に適応する必要がある。これはその一環である。バブル期と今の若者に違いなんてない。何千年前だって、若者はいまと同じである。違うとしたら経済環境や文化的価値観だ。
一番悲哀があるのは(先ほど書いた)臨時職員さんだ。昨日は、飲み会に臨時職員さんが5人きてた。
会費が正規職員の半分だから来てるのもあるけど、その5人はみんな、飲み会に参加してる人全員のところを周ってビールのお酌をしてたんだよな。もちろん、そいつのところにも行ってた。
なぜそんなことをするかって、正規職員、特に上司に嫌われると職場を追われるからだ。官公庁で働いている臨時職員の人事権は、人事部署ではなく担当課にある。
そういう必死さには悲哀がある。個人的にはぜひとも応援したいところである。彼女らの会費の半分は正規職員の餅持ちだけど、別にそれでいいと思う。
だが、そいつは……お酌に回っている彼女らに対して「自分は、烏龍茶なんでお酌はいいです。お酒呑めないんで」と嘘をこいていた。マジでむかつく。氏ね。
飲み会に非協力的なヤツは理解できない。普段の人間関係って、常にメンテナンスし続けないと壊れてしまうだろう。家庭だって趣味だって、仕事だってそうだよ。飲み会はその一環なのだ。それがわかってない。人間は、生きてる限りは繋がらないといけないのに。
いや、ただ……唯一褒めるところがあるとすれば、彼は、自己紹介タイムの時は堂々としてた。
「自分フツーに頑張ります!」みたいな感じで、めっちゃ堂々とした感じで、自分が正常な人間みたいに振る舞ってる。新人は騙されるだろうな。見た目はブサイクではないし。
一応は、みんなから笑いを取っていた。それを見てる人達が「おー」みたいな雰囲気になってる。錯覚なんだけど。人を騙す天才である。
結局そいつは、ほぼ飲み会の手伝いをすることもなく、まったりと1人につき7千円のメニューを堪能していた。
烏龍茶を無限にグビグビ飲んで、約三時間の飲み会が終わると、みんなの目を盗んでサーっと消えて行った。
ああいう自己中心的なヤツが年配になると、いわゆる老害職員になる。
職場歴が長いからって、偉そうな顔をして職場で好き放題に自己中ムーヴを取るようになる。
それで、若い子が仕事が嫌になって、イマドキな会社に転職していく。
これまで見た転職先だと、大学や高校の事務職員とか、リクルートとか、ITできる人だったらYahoo!とか、フリマアプリの会社とかコンサル業界に転職していく。
有能な職員ばかり消えていくのは悲しい限りである。ダメな職員に限って辞めない。
人事課もおかしいよな。ここは公務員業界なんだから、公立小学校~中学校~高等学校で「社会不適合者」の扱いになる子は、採用してはいけないと思う。採用したんなら、己の間違いを正面から認めたうえで、きっちり試用期間で解雇すべきだ。
むかし俺が、市教委の学事課に在籍してた時に、業務の一環で、何人かの生徒さんの公立中学校の内申書を読んだことがある。学校の先生はしっかりしていて、社会不適合な感じの生徒さんには、きっちりとそう書くんだよ。受験で生徒の評価を行わないといけない、高校の先生向けに。
内申書には「社会不適合者」とは書かないけど、「協調性に欠ける」「年齢相応の社会常識がない」「素行からして家庭教育が不十分と思われる」とか、ダメな子に対しては正直に書いてくれる。
※中学生は法律上は「児童」が正しいのだが、あえて「生徒」と表記するのが一般的
上のような評価を受ける子って、公務職場ではまず使えない。本来はクビにしないといけないのだが、今の地方公務員法その他の法律に不備がある状態であり、それができない。
「まず使えない」と書いたのは、例外があるからだ。うちの腸内SE(システムエンジニア)として情報課で働いてる子がいるのだが、彼は明らかにアスペルガー症候群である。だが……彼は普通に使えているようなのだ。そいつの上司が言ってた。
なんというか、適性がぴったり合っているらしい。そういう例外がもっと生じればいいのだが。多くの発達障碍者にとって総合職や事務職は望み薄だろう。
私は今40代だ。あと20年もしないうちに引退である。あっという間に過ぎていくのだろうが、それでも職場には思い入れがあるし、いい環境であってほしいと願っている。
これを読んでいるあなたはどう感じただろうか。もしあなたが、自分の組織が主催する飲み会に参加したことが何度もあるのだったら、ぜひ感想を聞かせてほしい。
ぜんぶ読ませていただく。
| カテゴリ | 補足 | 対策案 | 重要度 ★ |
| **幼少期の環境** | -美少女として周囲から特別扱いされる。- 困難を自力で解決する経験が乏しい。 | -容姿に関係なく問題解決能力を育む教育を行う。- 自立心を養う環境を提供する。 | ★★★★ |
| **男女交際の傾向** | - 自ら積極的に動かず、選択肢から相手を選ぶだけ。-容姿が恋愛の中心的要素となる。 | -容姿以外の価値(人間性やスキル)を重視する恋愛観を育てる。-恋愛以外の自己実現の場を広げる。 | ★★★ |
| **若さと容姿への依存** | -若さと美貌が自己価値の中心になる。- 失われることで精神的なギャップが生じる。 | -容姿以外の価値(趣味やキャリア)を見つけるサポートを行う。- 加齢に伴う変化を肯定的に受け入れる教育を行う。 | ★★★★★ |
| **加齢による変化** | -容姿の衰えに対する自覚が薄い。- 周囲の反応変化を受け入れられない。 | - 年齢に応じた自己価値観を再構築する心理的サポートを提供する。-カウンセリングで現実受容を助ける。 | ★★★★ |
| **家庭生活とのギャップ** | - 家庭生活には満足しているが、過去の栄光への執着が強い。-現実とのギャップに苦しむ。 | - 家庭外でも充実感を得られる活動(ボランティアや趣味)を推奨する。-社会的役割を広げる支援を行う。 | ★★★ |
| **精神的不安定さ** | -現実逃避や妄想に走る傾向がある。- 周囲への攻撃性が増す。 | - 専門的な精神医療やカウンセリングによる適切な治療とサポートを受けさせる。 | ★★★★★ |
| **社会全体の影響** | -容姿が過剰に評価される社会風潮が問題の原因となる。- 「元美人」への期待と落差が生まれる。 | -容姿以外の価値基準(能力や人間性)を重視する社会啓発活動を進める。-多様性を認める文化づくりに取り組む。 | ★★★★ |
| **防止策の限界** | -若いころから甘やかさない教育は難しい。- 年齢による扱い方変化の防止も困難である。 | -社会全体で年齢による価値観の多様性を認め、個人として成長できる文化を育む努力を行う。 | ★★★★ |