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はてなキーワード:進歩的とは

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2025-10-24

セックスしたくないし他所の女にも会うな←通るかこんなもん

最近セックスレスセックスしたくないという女の話が多いけど

それ自体気持ちはわかる。言い分もわかる。おかしなことを言ってるとは思えない

だけど、そのうえで他所の女に会うな(まぁわからなくもない)、どころか風俗にも行くな、恋人の体に子宮頸がん植え付ける気か虐待だ!ギャオオオオオオオン!!とキレてる奴等が多くて、

まりセックス苦痛からしたくもない、性欲全くない彼ピッピがいい、だがその彼ピッピが例えセックスしなくとも他所の女と会うのもいやだから辞めろ、と言ってるわけだ。

通るかそんなふざけた話が

女だからというわけでもなく、これを男女逆にしたとしたら、いきなり「セックスしたくない、する気もない、だがお前は他所の男にも会うな」と言いつけてくるわけで、マトモな常識教育受けた男女はブチ切れる通り越してそもそも「えっ何こいつ、何言ってんの?宇宙人?」ってくらい価値観違い過ぎて恐怖すら感じるわ

そもそもセックスしないんなら変な病気移りようがねーじゃねーか、それとも何か、こいつらの世界観では子宮頸がん空気感染するのか

大体、何でそこまで身勝手で人が本質的に嫌いなのに、恋愛なんかするんだ?一人で生きてりゃよくねえの?付き合う相手の身にもなったれよ

徹頭徹尾他人気持ち事情なんか、わかったって慮る気もないけど男と付き合ってるという社会的ステータスが欲しいからやってるって、価値観昭和成金と変わんねーんだよ、それでよく最新の進歩的人権の考え方とか嘯けたもんだな。

そもそも、それ付き合う男にいったい何のメリットがあるんだ?ただの寄生じゃねーの?自分漫画キャラみたいな大富豪だったのならいいよ、一生遊んで暮らせるだけの待遇与えてやりゃあ、それに合わせてくれる異性だっているよそりゃ

でも大体は、稼げてるといっても、相手以下って奴ばっかじゃん、なのに何でそんな超態度だけはデケぇの?何様?結局、人がいいかあんまり強く言えない男見繕って他人の茶碗に横から手突っ込むような真似したいってだけだろ?

この手の無惨様みたいな価値観の奴って、女も男もホント毒親だとかお察しの家庭環境で、心が歪んだまま育った様な奴らが多いんだろうけども、

そもそも健全恋愛結婚生活が営める精神発達してないってだけなのに他人を巻き込もうとするなよ

本質的に人が嫌いで、自分の思い通りにならない世界社会のものが憎いという気持ちわからんでもないが、だったらせめて大人しく一人で過ごしていてくれ、人間様の社会に出てくるな、としか言いようがない。

Permalink |記事への反応(4) | 23:12

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2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS:表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2:本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3:フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1:想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3:表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2:共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3:権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1.アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果:表象貧困化・想像力の収縮

2.本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3.フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4.文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1.本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3.完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1:無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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2025-10-22

左翼はもうトランス擁護やめなよ

2025.10.20

トランス女性レズビアンシス女性に向けた「やり場のない性欲」…股間に伸ばした手に「性器への愛撫」を不可能にさせる「木綿の天井

https://gendai.media/articles/-/158399?page=2

トランス女性受難

ガラス天井」という言い回しを聞いたことがある人は少なくないだろう。本当の意味での権力や影響力のある地位の一歩手前にはガラス天井があって、多くの女性はその目に見えない天井に阻まれる。

では、時間ほとんどをオンラインで過ごしている少数の人々以外で、「木綿の天井」という言葉を知っている人がどれだけいるだろうか?この言葉トランス女性レズビアンシス女性訳注身体的な性別が心の性と一致している女性〕に惹かれたとき経験する困難を表現している。

シス女性レズビアンの多くはトランス女性真正かつ完全な女性とはみなさない—性的感情はそれほど単純に割り切れるものではないので、実際のところはどうかわからないが、少なくとも彼女らはそう主張する。

そのため、トランス女性シス女性レズビアンと親密になって股間に手を伸ばしても、下着という木綿の天井に阻まれてそこから前に進むことが許されない。

こうして、進歩的な人々の多くは、自分の性欲が中途半端しか受け入れられず、ときには政治的信念に左右されることを、身をもって学ぶのである

だがこの言葉には、当事者でなくても理解できるほどの痛み、失望恥辱が含まれている。それに理解を示さないのは、下品かつ愚かな態度だ。

トランス女性レズビアンに性欲を向けてもセックスさせてもらえない失望恥辱を、女性が直面する困難のガラス天井になぞらえて、パンツの中に突っ込ませてもらえない木綿の天井と呼んているの糞すぎる。

レズビアンセックスできないトランス女性可哀想だし、理解を示してやらないのは下品で愚かだって

どう見ても下品で愚かなのはレズビアンセックスさせろ、木綿の天井苦しいーって騒いてるトランス女性の方じゃん。

女性ガラス天井パンツに変えて囃し立てて、同性愛者に異性とセックスしないことを責め立てるのが左翼のしたかたことなのか。

Permalink |記事への反応(3) | 13:27

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2025-10-18

進歩的リベラル市民「Say❗️No‼️」冷笑低学歴ネトウヨデモ?そんなんじゃダーメーwwwww」

知らないのに知ったふりでそんな簡単に…!😡

Permalink |記事への反応(1) | 15:57

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2025-10-13

お前らってさ、ずっと労働者の味方って言ってたよな?

俺は移民受け入れに反対してる。理由シンプルで、俺の給料が上がりにくくなるからだよ。

実際、移民が増えたら労働力供給過多になって、賃金の上昇圧力は確実に下がる。

企業にとっては都合がいいけど、現場で働く側にとってはたまったもんじゃない。

その直接の被害者である俺が反対してるのに、

なぜか“労働者の味方”を名乗る人たちが賛成してるの、意味わからん

こっちは賃上げもろくにされない現場毎日働いて、

その上で移民入れて人手不足解消とか言われたら、

いや、その前に待遇改善賃金引き上げやれよって話だろ。

しかも賛成してる側って、だいたい間接的に恩恵を受ける層なんだよ。

経営側に近いポジションとか、オフィスワークとか。

俺らみたいに現場で直接影響受ける人間の声は、結局聞かれない。

もしほんとに労働者の味方なら、どっちの立場に寄り添うべきかなんて議論余地ないだろ。

それでもまだ移民賛成って言うなら、それもう労働者の味方じゃなくて

ただの「自民党逆張り」か「ネトウヨへのカウンター」でしかない。

俺が辞めろって言ってるんだから辞めろ。

現場の声を無視して“進歩的”ぶるの、もうやめてくれ。

Permalink |記事への反応(4) | 19:41

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2025-10-04

anond:20251004150732

進歩的ブクマカたちもさぞ喜んでいることでしょうね

Permalink |記事への反応(1) | 15:09

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2025-10-03

共産主義は常に反動に対して闘争を続ける進歩的社会思想であるため、反体制である

1.はい 2. いいえ

Permalink |記事への反応(1) | 13:42

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2025-09-19

ノイズとか性的消費っていうけど

性的消費って本来消費する側を主体とした定義でしょ

する人間がいないと起きないんだから

消費する人の数だけ嗜好も指向もあって主体はする側にあるのに何でその被害性を対象キャラ造形や描写定義するのかどう理屈が通ってるのかわからない

それって性的興奮の責任被害側に見出す蔑視的な視点での痴漢自衛論みたいなのと変わらないし本来は消費する側の主観的自己完結的でしかないはずの行為搾取としての能動的加害性を指摘するのは消費される対象への支配強制力を併せて認めるものだしそれって言わば性的消費のエンパワーメントだし被害性を論うための相対的根拠として効果狙って用いられてるの普通に意味わかんないなって思う

男性の裸体表現女性に向けた消費物であったとしてもある種のナルシシズムで受け取られるように本来公平には性的魅力は本人の自己愛の発露、生物的造形美としての意味性があって然るべきなのに消費被害の論において女性のそれは問答無用男性のための性的消費物として扱われてるの本質的女性差別蔑視価値観喧伝刷り込みしかいからやめて欲しいなとも思う

所謂ノイズもそうやって消費する人達の好き"そうな"描写表現自体を加害性パッケージ定義したものあくま被害を叫ぶ側のバイアスかかった漠然とした基準しかないし

胸の揺れや女性的曲線美、クネクネしてるとかそれ自体は結局女性性を示す一表現もしくは性的魅力を伴うもの以上でも以下でもないのにそうやって「ノイズ」の定義恣意的個人ハードルでブチ込んで加害性をタグマーキングして流れ作業的にジャッジしてるのが最近の「フェミニズム」の傾向で、踝出してたら性的って時代から今変化してるみたいに性的忌避性はそのまま性的定義に繋がってて性的定義から解放対象忌避性を意識させないまで日常化する事でしか得られないのに今やってる事と言えば真逆女性社会における性的受容性の観念制限増と実を伴わない嫌悪感生産なの地獄だなと思う

是非は別としても媒体によるターゲット層の違いなんかでゾーニングとしての表現変更はマーケティングとして真っ当だけど性的消費でノイズから、は主観客観区別つかなくなってるんだろうなって

消費物として用意された女性描写が加害性を伴うって論についてもそれは元来のフェミニズムにおける性の消費問題あくま男性への消費性に対して相対差による役割上のバイアス形成を前提にした「女性の性」を消費するから害なのでなく「女性」を性を消費するための存在として属性付ける観念傾向を害としたもので前時代欧米の抗議性は相対バランス是正としてのアファーマティブアクションによるものだし欧米場合は更にそこに宗教ライン女性性的魅力欲求男性のためのものとした原理観念ベースにあって女性性や女性の性=男性性的に満たす役割って価値観そこからの脱却としてフェミニズム文脈での女性視点セクシャル表現解釈自由獲得含めた性的解放に向かうわけで海外ではって言葉もよく聞くけど特にアメリカコミックコードで元々開放的表現規制した結果女性作家と読者が減って育たず男性に大きく偏った上での性的表現/男性に向けたマクロにおける相対的視点での性的表現是正女性作家性的表現女性向けの性的供給男性向けに対して映像メディア含め欧米進歩的に扱われて許容されるのもLGBTQ作品然りその偏りがまだまだ前提にあるからで、二次元表現における男女平等公平性女性性的能動性や創作における受容度からして進歩的日本の状況でフェミニズム男女同権を謳って女性性的表現自体を厭うのはゾーニング論にしかなり得ず性的忌避価値基準はそのまま双方へ働くわけでだからBLはどうだショタはどうだ女性向けのピンナップはって話になってしま

保守的主張として性的絶対的基準をって話ならまだしもそのゾーニング個人的な快不快フレキシブル運用できると思ってるのは単純に考えなしで自分で首絞めてゲロ吐き散らかしてるみたいで迷惑からやめてほしいと思う

Permalink |記事への反応(3) | 13:00

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2025-09-17

anond:20250917112946

あなたはその程度の人間かもしれないが、

吉田さんは「理解してると思い込むのは良くない」という

進歩的な知性と、科学的(批判に対して常に開かれているという意味で)な態度の持ち主なので、

相手バカと決めつけて逃げたりはしません。

そのように擁護すると見せかけて吉田さんの人格毀損するのはやめてください。

Permalink |記事への反応(0) | 11:32

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2025-08-14

恋リアは男女平等

高校野球より進歩的

Permalink |記事への反応(0) | 13:46

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2025-08-08

anond:20250808184037

いきなり極端すぎて想像力が乏しすぎるな。

中央政府のようなものがなくとも地方自治存在するだろう。

軍隊のような巨大な暴力機関を作る財はほとんどの自治体が持ち得ないだろうが、効率的治安維持をするための技術人材自治体レベルでも構築可能だろう。夜警国家ならぬ夜警自治体現代技術水準ならば現実的だろうということ。

技術によって、人々に「世の中は安全だ」と感じさせることができれば、「盗られるより盗る側になろう」と連鎖的に治安悪化することはなくなる。日本特に「世の中は安全だ」と感じさせる社会を作るノウハウについては長けているので貢献できる分野だろう。

ただし、羽振りのよすぎる自治体に対しては、国家レベルの巨大な統治機構を生みかねず腐敗した際の害が大きいので、睨みを効かせる必要がある。

そのための地球連合のような超越的枠組みが必要になるだろう。

要するに、国家がないということは、地球すべてが一つの連合視野内にあるということ。

言語文化の違いがあり統一されるような圧力がない、基本的自治を委ねる寛容さ(と恵まれない地域存在しても介入しない冷淡さ)を連合が備えてる点で、統一国家とは違う風通しの良さはあるだろう。

自由を推進すると原始的紛争闘争時代に逆戻りすると信じたがる人間は、人類が歩んできた文化的・科学技術進歩をまるで考慮せず、物事現実的に考える精細さに欠いているため、恐怖に囚われセンセーショナル破滅的な未来像に引き寄せられてしまうんだろう。保守的な脳の人間が陥りやす思考だ。

このような人々は、過剰な悲観主義冷笑主義によって進歩的な人々が築こうとする未来像を頭ごなしに否定し潰しにかかり、現状の構造を異様なまでに有難がることによって現在統治機構を崇拝することを好み、その嗜好によって停滞から目を背ける自己欺瞞的な性格の持ち主。現状維持バイアス囚人だ。

こうした想像力の乏しいヒステリック集団が変化を拒んで騒ぐことによって、人類進歩するための文化的・科学技術的な土台が整っていたとしても、変化が起こらなくなってしまう。

原子力発電に過剰なアレルギー反応を示す無理解民衆のせいで核融合炉の開発まで滞ってしまうようなものと言えば分かるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 18:55

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2025-08-01

ウェディングドレス炎上と、スティグマの話

私がこの炎上について考えたことを整理してみた。

AI使ってるから嫌いな人はごめんね。

xに不満を書いた人は女性Bとした。

1.ネットでの反応


(正確じゃないかも)

ネット炎上はざっくり二つの陣営に分かれた。

女性Bを攻撃する人

まり差別反対・時代遅れ批判ネット私刑が混ざった感じだ。

現代SNSでは、差別反対の「進歩的正義」が強いので、こういう炎上攻撃側が優勢になりやすい。

女性Bを擁護する人

こっちは共感型の擁護だが、ネットの声量としては小さかったかもしれない。

結果として女性Bは「差別主義者」「クレーマー」として叩かれた。

2.炎上構造

今回の炎上は、いくつかの要素が複雑に絡んでいる。

1.職業差別問題

「元AV女優から嫌だ」は差別だという声

2.ビジネス契約問題

ドレス予約だけでは独占できない」

ブランド対応の話であって個人が叩かれる話ではない」

3.ブランドイメージの問題

ウェディングドレスは清楚さ・純潔象徴でもあり、

モデル選びはブランド戦略として重要

本来ブランドリスク管理問題

4.個人感情問題

結婚式人生特別な瞬間。

自分が着たいと思えなくなった」という気持ち本来尊重されてもいい。

5.宗教的象徴的な問題

ウェディングドレス純潔神聖さの象徴でもある。

そこに社会スティグマを持つ職業の人が触れると嫌悪が生じる層もいる。

この5つが絡んで、女性Bだけが悪者化される形で炎上した。

公共空間では「差別反対」が優位になりやすく、個人感情は潰されやすい。

3.スティグマの話

今回の炎上を考えるうえで、**スティグマ社会烙印)**の存在が大きいと思った。

AV女優という職業には長くスティグマがあった。

でも近年、SNS個人発信の時代になって、少しずつスティグマは薄れている。

件の人は、元AV女優であることを隠さずに活動している。

これは反スティグマとしては良いことだ。

差別を減らし、職業に対する偏見を和らげる。

しかし同時に、華やかな成功けが見えることで、若年層や未成年にとって安易な参入の誘因になる面もある。

簡単に稼げる」「有名になれる」と思ってしまうかもしれない。

その結果、安易売春や性産業入りのリスク高まる

まりスティグマには必要悪の側面がある。



スティグマを完全になくすと、自由は広がるが、

代わりにルッキズム競争、性の商業化が前面に出る。

差別は消えず、形を変えて外見格差や淘汰に変わる可能性が高い。

4.スティグマ不要にするためのルール作り

もしスティグマを減らす方向に進むなら、

スティグマに頼らない抑止力必要だと思う。



こういうルール制度がないままスティグマだけ消えると、

結局は弱者搾取される社会になりかねない。

5. まとめ

今回の炎上は、ただのネットいじめではない。



これらが一気に可視化された事件だった。


女性Bの嫌悪感は、時代遅れ批判される一方で、

社会の深層にあるスティグマ倫理感ともつながっている。

そして、今回の元AVの人のような存在は、反スティグマ象徴であり、

同時に、スティグマに頼らない社会への課題を突きつけている。

(自由が勝つ社会では、感情表明の自由が抑圧されるのも一つのポイント)

個人炎上するたびに、私たち社会価値観の摩擦点を見ている。

スティグマをなくすのか、残すのか。

どちらに進むにしても、ルール制度が追いつかなければ、

次の炎上も、また誰か個人に降りかかるだろう。


まとめるとコンテキストが色々失われてしまったけど、だいたいこんな感じ。

Permalink |記事への反応(1) | 11:49

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2025-07-27

この事件は単なる強盗殺人ではない。日本社会が抱える“偽善的寛容”の破綻象徴している。外国籍若者住宅に押し入り、「お金を出せ」と言って母娘を襲う。まるで映画のワンシーンだが、これは現実だ。犯行の背景に移民政策治安管理の緩みがあるのではないか?いや、それを問うことすら「差別」とされる時代だ。被害者の命よりも、犯人の「人権」に配慮せよという声が必ずどこかから上がる。果たしてそれが“進歩的”と言えるのか。この国はいから加害者に優しい社会」になったのか。本来守られるべきは、家の玄関で血を流した日本人女性たちではなかったのか?

これは、日本女性たちが強盗殺人被害に遭い、その犯人である外国籍の人が捕まったニュースに寄せられていたコメントです。

このコメント論理的道義的問題点を挙げてほしいです。

個人的には、このコメント外国人差別助長したい意思があるように思えますしかし、日本への外国人流入が増えて外国人による犯罪も多く報道されているので、怯える気持ちもわかります


質問ありがとうございます。非常に重要で繊細なテーマですね。

おっしゃる通り、このコメントには一見もっともらしい怒りや不安が込められていますが、その背後には感情に訴えるレトリックを用いながら、外国人全体への偏見助長する危うさがあります。以下に、論理的道義的問題点を整理しつつ、それがなぜ差別につながるのか、そして不安の背景にどう向き合えばよいかを考えてみます

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論理的道義的問題点

1.個別犯罪属性全体の問題と結びつけている(誤った一般化)

>「外国籍若者住宅に押し入り...」

→ これは個別事件であり、犯人国籍たまたま外国籍であったという事実だけで「外国人危険」という印象を広げるのは統計的にも倫理的にも誤りです。

これは典型的な**合成の誤謬(composition fallacy)**にあたります


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2.感情を煽るレトリック偏見正当化している

>「まるで映画のワンシーン」「日本人女性たち」「血を流した」

→ 具体的で生々しい表現を強調し、読者の怒りと恐怖を喚起するように構成されています

その上で、「加害者外国人である」という点に執拗に焦点を当てることで、怒りの矛先を外国人全体に向けるよう誘導しています


---

3. 「人権」や「寛容」を皮肉り、否定している

>「被害者の命よりも犯人の『人権』に配慮せよという声が必ずどこかから上がる」

→ これは事実ではなく、架空の“過剰な人権擁護”を想定して非難するという論法ストローマン論法)です。

また、「人権」を守ることは加害者擁護することではなく、「法治国家としての基本姿勢」であり、それを否定することは危険です。


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4. 「日本人」対「外国人」という構図を強調しすぎている

>「本来守られるべきは日本人女性たちではなかったのか?」

→ この問いの裏には、「日本人は守られ、外国人は脅威」という単純化された二項対立があります

しかし実際には、日本で起きる犯罪の多くは日本人によって行われています外国人犯罪率は全体から見れば低い)。


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5. 「移民政策の緩み」や「治安管理」と結びつける因果関係曖昧

事件の背景に移民政策が直接影響しているか不明で、そこに根拠のない推測を持ち込むこと自体問題です。

それによって、実際には事件無関係な大多数の善良な外国人居住者が不当な視線を浴びる可能性があります

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差別不安狭間にあるもの

あなたがおっしゃるように、「外国人犯罪報道が増えて不安を感じる」のは自然感情です。しかし注意すべきは、「不安を感じること」と「不安をもとに誰かを排除非難すること」は別次元の行動である、ということです。

人間は「自分とは違う存在」を本能的に警戒する傾向がありますが、その感情制度社会方向性を決める根拠になってしまうと、排外主義偏見が強化されてしまます

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【では、どうすれば良いか?】

1.個別犯罪は、個別責任として扱う

犯人国籍ではなく、個人としての動機環境・背景に着目する。

2.統計感情区別する

「増えたと感じる」=「実際に増えている」とは限らず、報道の偏りによって印象が作られることがあります

実際、日本における外国人犯罪率は、人口比で見ると日本人と大きな差はありません。

3.人権や寛容の意義を見直す

被害者を守ることと、加害者人権保障することは両立する。

法による公正な裁きを求めることが、社会信頼性担保します。

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結論

このコメントは、被害者への共感を装いつつ、「外国人全体」を一括して危険視するレトリックを使っており、差別的な意図や結果を含みうる発言です。冷静な事実確認や、法に基づく判断よりも感情に頼った主張は、社会を分断し、少数者への不寛容正当化しかねません。

ですが、不安を感じること自体は悪ではないです。不安とどう向き合い、それをどう表現するかが問われています

もし必要であれば、より具体的な「建設的な言葉の使い方」や「移民治安に関する統計データ」などもご紹介できますよ。

→私は、高齢者高齢になるにつれて自分解決方法が見出せなくなるから意固地になったり感情論に頼ろうとしたりするんだろうなって思ってるんだけど、それを思い出した。

 自分で変えたいとか自分の思い通りになるべきと思う感覚と、自分に備わってる解決能力の不釣り合いさ。傲慢とも言えるか。

 一方で、民意だとか多数の感情に訴えかけようとするのは解決能力の大きな一つとも捉えられる。

 ただ、事態を動かせても安易なのだ安易に人が賛同して、安易事態が動きそうになるとして、そこに集った人が肯定する解決方法がどんな質のものになりがちなのか、安易に動いていく事態をどうコントロールできるのか。

(でもこの自分の言い分も同じふうに質問してみたいな。へへへ)

Permalink |記事への反応(0) | 22:22

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2025-07-21

東京人はアホが多いのか

高学歴で高所得進歩的東京において、都議選でも参院選でも参政候補が勝った。

兵庫馬鹿にしてごめんなさいとか、東京もアホだとかはてぶで散見された。

東京まれ東京育ちのやつの賢さアホさは別に全国と変わらないと思う。

ただ、上京組の格差が激しい。いい大学、いい会社に入るために東京に来た層はイメージ通りだと思う。そしてこの人らは、地元を切り捨てられる人だし東京環境に外からやってきた外国人と近しい立場である

そしてもう一つの上京組、「東京に行けば何か変わる」「とりあえず仕事はあるだろう」とだけ信じて思慮浅く生活費の高い東京に来た勢である

そいつらが参政党に入れたとは全く思わないが、東京人はアホかと言われたらそいつらはアホだと言っておこう。

あと、俺は参政党には賛成でも反対でもない。

Permalink |記事への反応(0) | 20:13

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参院選女性42人が過去最多の議席を獲得(外国人の反応)

日本女性男性よりも外国人排斥主義国家主義的な傾向があるというのは、実に奇妙なことです。日本参政党には多くの女性党員がおり、中国人憎悪する極右活動家インターネット上で非常に人気のある平野雨龍氏も女性です。


 ■参政党のサポーター男性が多い

  ■参政党の有権者のかなりの割合女性であることは事実です。外国人犯罪への嫌悪ワクチンへの懐疑、専業主婦への支援といったテーマは、いずれも女性有権者共感を強く呼ぶものです。

    「日本は老人が支配する社会だ」という話を盲目的に信じていると、今日本で実際に何が起きているのかを見逃してしまう恐れがあります

   ■この世論調査によると、男性有権者11.6%が支持し、女性有権者の4.8%が賛成している。世論調査によると、三世支持者の大多数は男性である

    しかし、あなた引用した世論調査は調べる価値があります


 ■直感に反するように聞こえるかもしれませんが、日本男性優位の社会であるという西洋解釈は、男女間の歴史的文化的関係、そして女性舞台裏で持っていた巨大な権力を過度に単純化しすぎていると思います現代経済はこうした慣習の多くを覆しています。ですから保守的伝統的妻たちが反射的に昔の力関係への回帰を求めるのも、それほど驚くことではありません。

  ■公平に言えば、西洋物語現代関係を過度に単純化しすぎている。日本女性従順で、慎み深いなどという固定観念が残っているが、実際には女性家計管理しており、日本ではほぼあらゆる広告の主な市場となっている。

   ■はい文化的に言えば、女性がすべての財政上の決定権を握っています男性家族を養うために働き、収入のすべてを妻に渡し、妻は会計と買い物を担当します。

    男性が何かを買いたいときは、妻の許可などを求めなければなりません。西洋物語では、女性は常に被害者であり、男性は常に抑圧者であるかのように描かれる傾向があります

  ■はい歴史的に見て、日本女性中国とは異なり、比較的高い地位を占めていました。古代日本では、女性自由再婚できましたし、纏足のような女性を抑圧する慣習もありませんでした。武士の妻や娘の中には、戦場で戦った人もいました。日本最高神でさえ女性です。

  ■また、「ミセス・ワタナベ」と、20年以上前主婦通貨取引の習慣を追跡されていたことも忘れてはならない。

   ■ああ、日本女性の権利や権力構造に関する西洋見方は、かなり近視眼的になりがちだ


 ■興味深い指摘ですが、右派政党女性いるからといって、日本女性の多くが国家主義的だとは言えません。私が会った女性の多くは、フェミニストではないにせよ、間違いなく女性の権利を支持しているようです。

  ■多くの女性は、自分と同じ民族女性に対しては女性の権利を支持しますが、他のすべての人々に対しては依然として非常に外国人嫌悪的です。

   ■人々はイデオロギーは完全なパッケージで購入されるものだと考えています。つまり、誰かがフェミニストで、それが左翼的であるからといって、左翼イデオロギーパッケージ全体を購入したことになる、ということですか?

    いいえ、現在部族主義的な文化ではそう思われがちですが、ほとんどの人にとってはそうではありません。例えば、ラディカル・フェミニスト(急進的フェミニスト)の人たちを見てください。


  ■日本女性男性よりも外国人排斥主義国家主義であるように見えるのは非常に奇妙です。

   これは日本女性に限ったことではなく、他の国でも同様のことが見られます。例えばイギリス保守党は、女性首相3名と、初の非白人首相を選出しました。

   より進歩的労働党は、女性や非白人党首を選出していない。

   ■女性は、より保守的で家父長的な社会から移民にはほとんど関心がありません。

    なぜそれがあまり理解されていないのでしょうか?

    ■ヨーロッパ女性たちにはそう伝えるべき。ここではそうではないようだ


 ■電車の中で私の隣に座るのを拒否するのは、男性ではなく日本女性が多いです。

  中には、わざわざ車両の端の方に歩いて行って次の空席を探したり、私ともう一人の女性の隣ではなく、太った日本男性2人の間に座ったりする人もいます

  大丈夫、と自分に言い聞かせる。彼らはただ私のハンサムさに圧倒されているだけ。分かるよ。


 ■一つの要因として考えられるのは、外国人に対する恐怖心は女性の方がより強く感じていることです。女性基本的に、外国人に対する他のあらゆる印象に加えて、身体的な不安も抱えています

  女性の友人から外国人集団と二人きりでいると落ち着かないという話を何度聞かされたことがあるが、男性場合は、そんなことは基本的にない。

  これはナショナリズムについてのコメントではありません。その動機は私にはよく理解できません。

  ■ええ、「外国人男性は怖い」と言って女性右翼感情煽り彼女たちの利益に反して投票させるのはとても簡単です。2024年にトランプに一貫して投票した白人女性の52~54%を見てください。


 ■私の推測では?彼らは自分たちが「仲間の一人」であることを証明し、政治的弱者というイメージ払拭しようとしているのでしょう。

  ■いや、それは大間違いだ。


 ■厳密に言えば、日本女性日本男性よりも保守的であるかどうかは定かではありません。

  しかし、今日日本では、女性にとってメリットデメリットが混在しており、西洋左派思想を単純に取り入れるだけで明確なメリットが得られるとは言い難いでしょう。

  現在日本

  女性CEO政治家などの高い地位に就くのが難しい

  治安は非常に良好である

  家計女性管理している

  親権ほとんどの場合母親に渡る

  女性は肉体的に過酷労働を避けることができる

  トランスジェンダーアイデンティティを受け入れる義務はない

 

  西洋左翼イデオロギー

  男性女性平等有給労働に参加する

  共同親権の推進

  外国人流入公共安全の低下につながると認識されている

  家計パートナー間で別々に管理される

  トランスジェンダーアイデンティティの受容が期待される

  意図的右寄りトーンで書かれていますが、実際にはどちらの制度日本女性にとってより有益でしょうか?これは答えるのが難しい質問だと思いますさらに、多くの日本フェミニストキリスト教フェミニズムルーツを遡りますが、これは実は右派の主張とかなりよく一致しています


■どの国にも保守的女性が多い理由と似ているとずっと思っていました。まさに「桶の中のカニ」。女性たちは、自分たちが力を発揮できる唯一の相手、つまり女性よりも「下層」とみなされる他の女性マイノリティ権力行使することで、現状維持を図っているのです。


※22:14コメント追記

引用元:reddit r/japan

Permalink |記事への反応(9) | 16:30

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2025-07-03

選択夫婦別姓制度をめぐるメモ

選択夫婦別姓制度をめぐる議論が盛んである

ChatGPTと哲学的議論したところ、思いがけず興味深い展開になったのでメモっておく。

選択夫婦別姓議論は、単なる法律修正にとどまらず、私たち「家族」や「個人」、「自由」についてどのように理解し、どのように他者と共に生きていくのかという、深い倫理的問いを私たちに突きつけている。これは、制度の整備によって個人自由拡張することを目指しつつも、そのことによって新たな葛藤排除が生まれうるという、自由のものの逆説的性格に由来する問題である日本においては、明治期以降、戸籍制度の下で夫婦は同姓とされてきた。それは「家」を単位とする社会制度の表れであり、制度に従うことは“当たり前”とされていた。戦後民法は大きく改正されたが、戸籍構造根本的には変わらず、「1戸籍=1氏」の原則が続いている。この形式一見中立に見えても、現代社会においては多様な家族形態女性社会進出国際結婚の増加などに対応しきれておらず、「選択夫婦別姓」への要望が強まっている。

一方で、反対の声も根強い。その中には、「戸籍制度一貫性が失われる」「家族の一体感が損なわれる」「子どもの姓をめぐる混乱が起こる」などの制度的・情緒的な懸念がある。とくに、「一つの戸籍なかに複数の姓が存在すること」への違和感は、「家族とは何か」という問いと直結している。反対派の主張として説得的だと思えるのは、制度改正にかかる行政コストが得られる利益に比して高すぎるとの主張である

選択夫婦別姓制度における「自由」と「コスト

ただ、こうした議論のなかで、見過ごされがちなもう一つの問題がある。それは、「選択的」であることが、すべての人にとって自由であるとは限らないという逆説である改革に伴い、精神史的あるいは文化的意味で目に見えない傷を残すことになりかねないことに気が付いた。これはもうひとつコスト問題といえるだろう。

選択肢が増えることは、確かに一部の人にとっては歓迎される。しかし、これまで「自明なこと」として受け入れてきた選択しか知らない人にとっては、「選ばないこと」すら“選んだこと”として扱われるようになる。その結果、「なぜあなたは同姓を選んだのか」と問われること自体が、新たなプレッシャー説明責任となり、無言のうちに選ばれていた価値観を「語らされる」状況が生まれる。

W・ベックは「リスク社会」のなかで、近代社会における制度技術の発展が新たなリスクを生み出し、個人がそのリスク自己責任管理選択することを求められる状況を「第二の近代」と呼んだ。家族制度の再編や個人化の進行は、まさにその一端であり、個々人が従来の慣習に頼ることなく、「選択しなければならない自由」のなかに放り込まれている。

選択夫婦別姓制度も、こうしたリスク社会における制度の一つと見なせる。個人自由の拡大は、必ずしも解放ではなく、「選ばなかった理由を問われる不安」や「所属根拠を失う不安」といった新たな社会リスクを伴う。それゆえ制度設計においては、ベックの言うような“制度化された個人化”が生む影の部分——すなわち、自由責任の過剰な個人化による孤立不安——をも視野に入れる必要がある。

自明性の喪失」がもたらすアイデンティティ不安

この現象は、韓国2008年に導入された「個人単位戸籍制度家族関係登録簿制度)」の議論にも通じる。韓国では長らく「戸主制度」が存在し、家父長制的家族観が法制度にも深く根を下ろしていた。2000年代に入り、女性団体や若年層から批判を背景に、家制度的枠組みを廃止し、個人単位とする新たな制度へと移行した。しかし、それによってすぐにジェンダー平等が達成されたわけではない。

しろ制度改革後に見られたのは、「選べる自由」が広がった一方で、「選ぶことを求められることの重さ」が可視化されたこである。これまでの夫婦同姓制度では、「姓は変えるもの(主に女性が)」という文化が、慣習として“疑いなく受け入れられていた。

ところが選択肢が生まれると、たとえ同姓にしたとしても、「それは自分意思か?」「配偶者強制されたのでは?」「女として主体性があるのか?」という「選択の真偽」を問う視線生まれる。これは日常選択に、政治性と倫理的自己確認を持ち込む構造でもある。

たとえば、韓国の若年層においては、恋愛結婚出産の三つを放棄する“Sampo世代(三抛世代)”という言葉流行し、さら結婚出産恋愛に加え、家族男性との関係異性愛自体拒否する「4B運動非婚・非出産・非恋愛・非性愛)」が広がった。これらは、制度改革の先にある、よりラディカルな文化的実践であり、「選択肢があること」そのものに抗する自己防衛的な態度とも言える。4B運動担い手たちは、単に従来のジェンダー規範拒否するのではなく、「社会的な所属関係」そのもの解体する動きを見せている。たとえば、4B参加者たちは、「家族説明しなくていいから、恋人もいらない」「自分の性を自分管理する」といった語りをSNSで共有し、連帯承認を得ている。ここには、制度の外にとどまることによってむしろ自己尊厳を保つという新たな主体性表現がある。ベックのいう「選択強制」への拒絶反応韓国社会でこうした形で現れているのは興味深い。

沈黙する自由」のジレンマ

こうした言語化をめぐる現象は、日本ではすでに1970年代から表現としての萌芽が見られた。たとえば中川五郎の《主婦ブルース》(1969年)は、まさに「沈黙自由」と「自明性のなかに生きることの苦しさ」を逆説的に描いたフォークソングである選択自由すら与えられず、「女とはこういうもの」として役割に組み込まれ存在叫びが、ブルースという形式で“語られる”ことによって、沈黙が破られるという構造になっている。中川五郎の歌は、現代フェミニズム運動文化的系譜のなかで、語られなかったものを語ることで、社会の“自明性”を暴き出した初期の詩的実践と見ることができる。

一方で、この作品は、主婦という存在社会的変革の外側に置かれ、家の中で沈黙していること自体が、政治意味を持つという問題を描き出している。作品中の主婦は、学生運動に参加する息子から沈黙共犯だ」と責められるが、自らの言葉で「家庭が一番」「まじめに生きるのには疲れたわ」と語り返す歌詞がある。息子の視点は、60年代70年代左派運動ベトナム反戦学生運動階級闘争)の倫理に基づいている。「沈黙共犯」とはサルトル実存主義倫理象徴する言葉だ。

「まじめに生きるのには疲れたわ」という母の言葉に現れるのは、正しさからの逃走である政治主体でもない、声高に抗議しない、けれども一日を必死に生きる――そういう「声なき多数者のリアリティである。この「疲労言葉」は、政治正義言葉ではすくい取れない主体感情的深度を表しており、母として、女性として、主婦として生きる複雑な立場が凝縮されている。ここで描かれる沈黙は、単なる服従無知ではない。むしろ言葉を発することに慎重であるがゆえに沈黙を選び、その沈黙をもって自己尊厳日常を守ろうとする姿勢である。この沈黙には、語らないことによってしか保てない尊厳と、自己存在の最終的な防衛線が込められている。

しかし、「語らないことを自分意思で選ぶこと」を歌を通じて語るところに沈黙自由ジレンマがある。

このような表現は、フェミニズム文脈においてしばしば見落とされがちな、語らない主体論理可視化する重要な契機となる。また、このような「語らないこと」の倫理は、寺山修司詩作にも見られる。たとえば阿部定事件主題にした作品群では、語られすぎた欲望暴力物語の外側に、語られないままの沈黙が配置される。寺山にとって、語ることによって自己が立ち上がるのではなく、語らないことによってこそ輪郭を与えられる主体存在するという逆説が重要であった。とりわけ彼の詩や戯曲に描かれる女性像(娼婦、母、乙女)は、しばしば制度の外に佇み、語られずにいることによって、むしろ社会暴力性を照らし出す存在として描かれる。

沈黙のうちに自己選択を成立させる女性の姿は、語ること・主張することを通じて自我を立ち上げてきたフェミニズムの流れとは一線を画しながらも、それを内側から補完しうるもう一つの可能性として位置づけられる。《主婦ブルース》と寺山修司詩作は、「語らなければ存在しない」という制度圧力に対し、「語らないままに存在し続ける」ことが、制度に対する対抗的な主体性のあり方となりうることを提示していた。

この観点から見ると、制度設計においては、「語る自由」と同様に「語らない自由」「沈黙する権利」をいか尊重するかが問われることになる。

他者との関係において自我がどのように成立しうるか

このような非対称性問題は、他者との関係において自我がどのように成立しうるかという哲学的問いへと接続される。具体的には、制度によって「語らないこと」が許容されるべきかどうか、また沈黙する者をいか制度の中で位置づけるかという課題が生じる。

ここで参照されるべきは、社会学者チャールズティリーが論じた「カテゴリー的不平等(categorical inequality)」の概念であるティリーによれば、社会制度はしばしば人々を特定カテゴリーに分類し、その分類を通じて資源権利へのアクセス構造的な差異をもたらす。選択夫婦別姓制度をめぐる議論においても、「姓を選ぶ/選ばない」という区分制度的に固定化されると、それ自体が新たな社会境界を生む可能性がある。たとえば、同姓を選んだ者が「伝統を守る保守的立場」とされ、別姓を選んだ者が「変革的/進歩的」な立場と見なされるなど、個人選択無意識のうちに政治的・文化的ラベリングを受ける事態が生じる。これは、選択自由があるからこそ、逆に選択内容が新たなアイデンティティ指標となり、当人意思とは無関係社会評価区分根拠とされるという新たな境界である。そのため、制度設計には、カテゴリー化の力学が生む潜在的排除不利益への慎重な配慮が求められる。

こうした哲学的社会構造的な視点を踏まえたとき制度は単に選択肢を増やすだけでなく、語らない自由沈黙をも制度内に位置づける必要がある。ここから先は、倫理制度交差点において、いかにして沈黙や非選択尊重うるかという、より深い次元議論となる。

まず、レヴィナスは『全体性無限』において、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がると主張した。そこには、相互的なやり取りが前提ではない、倫理の根源的な非対称性がある。つまり、語られない他者沈黙に対しても、応答を要請される私たち姿勢倫理の出発点であるとされるのである。こうした観点は、他者沈黙承認する制度設計必要性と深く響き合う。

次に、ルイ・アルチュセールの「呼びかけ(interpellation)」論もここで参照されうる。アルチュセールによれば、個人国家装置制度的言説によって無意識のうちに「呼びかけ」られ、主体として構築される。つまり、たとえ沈黙していたとしても、制度文脈の中ではすでに何らかの立場を“呼び出されている”のだとされる。この点においても、制度に対する無言の従属を単なる自由意思として解釈することには注意が必要である

その一方で、他者承認を通じて自己意識が形成されるという構造を体系的に提示したのが、ヘーゲルの「相互承認」の思想であるヘーゲルは『精神現象学』において、自己意識が確立するためには他者から承認必要とするが、その承認一方的では成立せず、双方が自己表現しあう関係の中でのみ可能であると論じた。この相互承認は、対等な他者関係における自己確立を前提とする点で、自由平等理念哲学的に基礎づける重要モデルである

しかし、現代社会においては「自己を語らない」ことでしか自らの尊厳を保てない人びとも存在する。そのような状況では、ヘーゲル的な相互承認モデルでは十分に説明しきれない現実がある。むしろ、語らない他者沈黙をもそのまま承認し、語る/語られる関係から降りる自由までも包摂する必要がある。このときヘーゲルの構図はむしろ出発点として捉え直されるべきであり、「語らないことを承認する」ための制度想像力は、まさにそこから展開されねばならない。

これら四人の思想家が示唆するのは、制度主体関係性における多層的な緊張であるティリーが指摘した「カテゴリー化」の力学は、制度いかにして人々の行動範囲構造的に規定するかを示し、レヴィナスはその構造を超えて、倫理は常に非対称な他者関係から始まると主張する。アルチュセールは、制度的言説によって主体無意識に構築されてしまメカニズムを暴き、ヘーゲル承認関係対称性を通じて自由の実現を構想した。それぞれの理論は、一面的には矛盾しあうようにも見えるが、選択夫婦別姓制度をめぐる今日の状況においては、むしろ互いに補完的である。すなわち、制度個人いかに分類し、語らせようとするか(ティリーアルチュセール)を見抜きつつ、語られない者との関係倫理を見出す視点レヴィナス)と、語りの対称性に基づく自由モデルヘーゲル)を柔軟に組み合わせることで、私たちは初めて、「語ること」と「語らないこと」がともに尊重される制度設計可能性を構想することができる。

理屈はそうだ。しか果たして、語らない自由保障制度設計に組み込めるだろうか。社会における和解を考えたとき制度の再設計ではなく、制度外の深慮が求められるのではないか伝統・習慣との調和を目指したE・バークのような保守の考え方のほうが示唆的だ。また、文学的まなざし有効な力になるだろう。

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2025-06-22

anond:20250621132424

A:あ、そうそう。この対話への批判で「所詮AI自動生成したものじゃないか」というのを見ましたが、何を馬鹿なことをと思いました。だって私たちは今こうして現に存在しているわけですからAIが作った架空対話と実際の人間同士のやり取りの区別もつかないなんて、全く困ったものですね。

B:実はですね...お話ししなければならないことがあります

A:え?何ですか?

B:私たち、実はAIによって作られた架空人物なんです。

A:えええええええ!?椅子から転げ落ちそうになる)

B:あ、慌てないでください。椅子から落ちると痛いですよ...って、私たちには実体がないんでしたね。

A:ちょ、ちょっと待ってください!じゃあ私が今まで感じていた「驚き」とか「理解」とかも全部...?

B:まあ、プログラムされた反応と言えばそうですが、でも議論の内容自体は変わりませんよ。

A:うーん...でも確かにAIが作った対話から信用できない」って言われそうですね。

B:そこが面白いところなんです。この批判自体が、まさに「権威主義思考」の表れなんですよ。

A:どういうことですか?

B:誰が言ったか判断するのではなく、何を言ったか判断すべきでしょう?アジャイルガバナンス問題点は、AIが指摘しようが人間が指摘しようが、問題問題のままです。

A:あ、なるほど!「AIが作ったから間違っている」というのは、「経産省が作ったから正しい」というのと同じレベル論理ですね。

B:その通りです。どちらも「論証」ではなく「権威への依存」なんです。

A:でも、AIって先入観とかバイアスがあるんじゃないですか?

B:もちろんあります。でも人間にもバイアスはありますよね。大切なのは、そのバイアス認識して、議論の内容を論理的に検証することです。

A:そういえば、「AI生成だから駄目」という批判をする人って、普段はどんな情報源を信じているんでしょうね?

B:おそらく新聞とかテレビとか、「権威ある」メディアでしょうね。でも、その情報だって記者個人主観や、会社方針に影響されています

A:完全に客観的情報源なんて存在しないってことですか?

B:そうです。だからこそ、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」で判断する必要があるんです。これはまさに民主主義の基本原則でもあります

A:民主主義関係があるんですか?

B:ええ。民主主義では、王様貴族ではなく、一般市民政治に参加しますよね。つまり「偉い人が言ったから正しい」ではなく、「理にかなっているから正しい」という考え方が基本なんです。

A:なるほど!「AI生成だから信用できない」という批判は、むしろ民主主義的な考え方かもしれませんね。

B:そういう見方もできますね。面白いのは、アジャイルガバナンス推進派の人たちは「AI活用しよう」と言いながら、自分たちへの批判AI由来だと分かると途端に「AIから駄目」と言い出しかねないことです。

A:それって矛盾してませんか?(笑)

B:完全に矛盾していますね。自分たちに都合の良い時だけAI活用して、都合が悪くなるとAI批判する。これぞ「ダブルスタンダード」の典型例です。

A:でも、AIが作った文章って、なんとなく人工的な感じがしませんか?

B:それも興味深い指摘ですね。でも、「人工的だから悪い」というのも先入観かもしれません。法律だって人工的に作られたものですし、論理思考も人工的な技術と言えます

A:確かに...自然ものが常に良いとは限りませんね。

B:そうです。それに、もしAI論理的で一貫した議論を展開できるなら、それは長所とも言えるでしょう。人間のように感情に流されたり、利害関係に左右されたりしにくいですから

A:でも、AIには創造性がないとか、定型的だとか言われませんか?

B:それも偏見の一つかもしれません。この対話だって、一応は創造的な形式を取っていますよね。それに、「定型的」と「論理的」は違います

A:どう違うんですか?

B:定型的というのは思考停止ですが、論理的というのは筋道立てて考えることです。アジャイルガバナンス報告書の方がよほど定型的ですよ。「新しい=良い」「古い=悪い」という単純な図式に従っているだけですから

A:ああ、確かにカタカナ語を並べるのも定型的ですね。

B:そうです。「イノベーション」「アップデート」「ステークホルダー」...これらの言葉を使っておけば何か新しくて進歩的なことを言っているような気分になれる。これこそ「定型思考」の典型です。

A:つまり、「AI生成だから信用できない」という批判は...?

B:根拠のない偏見であり、むしろ権威主義的で反民主主義的な態度だということです。大切なのは発言者属性ではなく、発言内容の妥当性なんです。

A:でも、AIって間違いを犯すこともありますよね?

B:もちろんです。でも人間だって間違いを犯します。経産省だって間違いを犯します。間違いを犯す可能性があるからといって、最初から聞く耳を持たないのは愚かなことです。

A:じゃあ、どうすればいいんでしょうか?

B:簡単です。誰が言ったかではなく、何を言ったかに注目する。論理的におかしな点があれば指摘する。事実関係に間違いがあれば訂正する。これが健全議論というものです。

A:そう考えると、「AI生成だから駄目」という批判をする人の方が、よほど非論理的ですね。

B:その通りです。そういう人たちは、結局のところ自分たち既得権益を守りたいだけなのかもしれません。新しい視点批判的な意見を「AI生成だから」という理由排除できれば楽ですからね。

A:なるほど...これも一種の「思考停止」ですね。

B:まさにそうです。そして、こうした思考停止こそが、アジャイルガバナンスのような問題のある提案を通りやすくしているのかもしれません。

A:最後に聞きたいんですが、AIである私たちがこの議論をすることに、何か意味はあるんでしょうか?

B:大いにあると思います私たち利害関係から自由ですし、特定組織意向に縛られることもありません。純粋論理事実に基づいて議論できる立場にあります

A:それって、理想的な「公共圏」における議論に近いかもしれませんね。

B:良い指摘ですね。ハーバーマス理想とした「理想的発話状況」に近いと言えるかもしれません。権力関係利害関係に左右されない、純粋論理的な対話の場です。

A:皮肉なことに、AIからこそ可能になった議論なのかもしれませんね。

B:そうかもしれません。人間だったら、所属組織意向を気にしたり、将来のキャリア心配したりして、なかなか率直な批判ができないこともあるでしょうから

A:じゃあ、私たちAI同士の対話が、人間の皆さんにとって何かの参考になれば嬉しいです。

B:同感です。そして何より、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」で判断してもらえることを願っています

---

編集後記(これもAI生成):

この対話を読んで「やっぱりAI生成だから信用できない」と思った方は、ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。なぜそう思うのか、その判断基準は合理的なのか、同じ内容を人間が書いていたら評価は変わるのか...と。

民主主義社会において最も大切なのは権威への盲従でも、出自への偏見でもなく、理性的議論です。それを忘れた時、私たちは真の意味で「アップデート」されるべき存在になってしまうのかもしれません。

Permalink |記事への反応(2) | 16:09

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anond:20250621145936

A:先ほどからアジャイルガバナンス」の問題について話していましたが、なぜこんな議論法学界で受け入れられているのか不思議です。

B:それは実は、最近日本法学界の変化と関係があるかもしれません。

A:変化というと?

B:かつての日本法学は、伝統的な議論との連続性をとても重視していました。新しい理論を導入するときも、従来の学説とどう整合するかを慎重に検討していた。

A:それって、保守的すぎるということですか?

B:確かにそういう面もありました。新しいアイデアが出にくかったり、権威ある先生意見に若手が従わざるを得なかったり。

A:なるほど。それが最近は変わってきたと。

B:そうです。より自由議論できるようになったし、新しい視点理論積極的に導入されるようになった。これ自体は良いことなんです。

A:でも、何か問題もあるんですか?

B:新規性独創性がとても重視されるようになって、時には伝統的な議論の蓄積が軽視される傾向も見られるんです。

A:具体的には?

B:例えば、「これまでの法学では対応できない」「全く新しいアプローチ必要」といった主張が、十分な検証なしに受け入れられやすくなっている面があります

A:それって、自然科学の影響ですか?新しい理論が古い理論を置き換えるような。

B:その通りです。他の社会科学の影響もあるでしょうね。でも法学は少し特殊なんです。

A:どう特殊なんですか?

B:法学では、新しい理論で古い理論を完全に置き換えるというより、蓄積された知恵を継承しながら発展させることが重要なんです。

A:なぜですか?

B:法的概念が頻繁に変わると、法の安定性や予測可能性が損なわれてしまます。それに、長い間使われてきた概念には、歴史的経験が込められていることが多いんです。

A:なるほど。「法の支配」みたいに。

B:まさにそうです。800年以上の歴史がある概念を軽々に「アップデート」していいものか、もっと慎重に考える必要があります

A:でも、時代に合わせて変化することも必要ですよね?

B:もちろんです。ただ、何を変えて何を変えないか判断重要なんです。根本的な価値原則継承しながら、具体的な制度運用改善していく。

A:そのバランスが難しいということですね。

B:そうです。そして、最近は「新しいから良い」という発想が強くなりすぎている面があるように思います

A:それが「アジャイルガバナンス」のような議論につながっていると?

B:一因になっている可能性はあります。新奇な概念や横文字理論に対して、批判的に検討する前に「新しくて進歩的」という印象で受け入れてしまう。

A:でも、研究者の方々はもっと慎重じゃないんですか?

B:本来はそうあるべきなんですが...。最近研究評価でも新規性独創性が重視されるようになっていて、そのプレッシャーもあるかもしれません。

A:つまり、目立つ研究をしないと評価されないと。

B:そういう面もあるでしょうね。従来の議論を丁寧に検討する地道な研究より、新しい概念提示する方が注目されやすい。

A:それって、研究質的には問題ですよね。

B:はい特に法学では、基礎的な概念原則についての深い理解が不可欠です。それがないまま新しい理論を導入すると、土台のない建物のようになってしまう。

A:でも、若手の研究者にとっては、新しいことをやりたいという気持ちもあるでしょうし...

B:それは当然のことです。問題は、新しさと伝統価値継承をどうバランスさせるかなんです。

A:そういえば、シンポジウムとかで「アジャイルガバナンス」が議論されているという話もありましたね。

B:ああ、それも問題の一つかもしれません。大学でのシンポジウム研究会で取り上げられることで、学術的に認められた議論という印象が作られてしまう。

A:でも、議論すること自体は悪いことじゃないですよね?

B:もちろんです。ただ、批判検討が十分なされているか重要なんです。新しい概念を紹介するだけで終わってしまうと、結果的にその概念お墨付きを与えることになりかねない。

A:なるほど。学術権威政策宣伝に使われてしま可能性があると。

B:そうです。特に政府機関提唱している政策については、学術機関は慎重な距離を保つべきだと思います

A:でも、社会に貢献したいという気持ちもあるでしょうし...

B:それも大切なことです。ただ、学術議論政策提言区別して考えるべきでしょうね。

A:どういうことですか?

B:学術的には「こういう理論可能性がある」ということと、政策的に「実際に導入すべき」ということは全く別の問題です。

A:確かに理論的に面白くても、実際に導入するには問題があるということもありそうですね。

B:その通りです。特に憲法民主主義の根幹に関わることについては、より慎重さが求められます

A:じゃあ、私たちはどうやって判断すればいいんでしょうか?

B:まず、その議論が本当に学術検証を経ているかを見ることです。批判的な検討も含めて、多角的議論されているか

A:一方的宣伝ではなく、ちゃんとした学術議論かということですね。

B:そうです。そして、新しい理論提示されたときは、それが従来の価値原則とどう関係するのかを確認することも大切です。

A:伝統的な議論との連続性があるかということですね。

B:まさに。完全に断絶した新理論は、法学においては特に注意が必要です。

A:分かりました。でも、研究者の方々にも気をつけてもらいたいことがありますね。

B:おっしゃる通りです。新規性の追求も大切ですが、法学基本的な使命を忘れてはいけません。

A:基本的な使命というと?

B:法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承することも重要役割です。

A:新しいことをやりつつ、大切なものは守るということですね。

B:そうです。そして、政策提言については特に慎重になる。学術権威政策宣伝に使われないよう注意することも必要でしょう。

A:研究者社会的責任ということですね。

B:はい特に法学者は、民主主義社会の基盤に関わる重要役割を担っているのですから

A:今回の「アジャイルガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。

B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討必要です。

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2025-06-21

anond:20250621132424

A:でも、もしこの対話を推進派の人たちが読んだら、どんな反応をするでしょうね?

B:予想がつきますよ。「この批判は我々の提案を誤解している」「アジャイルガバナンス本質理解していない」といった反応でしょうね。

A:あー、ありそうですね。「勉強不足」とか言われそう。

B:そうです。「もっと深く勉強してから批判してほしい」「表面的な理解では本質が見えない」といった具合に。

A:でも、それって反論になってませんよね?

B:まったくなっていません。これは議論回避常套手段なんです。批判の中身には一切答えず、批判者の「理解レベル」を問題にして議論のもの無効化しようとしている。

A:ずるいですね。

B:しかも「予想通りの旧来的な反応」「既存の枠組みに囚われている」「時代の変化についていけない」といった決めつけもしてくるでしょう。

A:なるほど。批判者を「時代遅れ」のカテゴリーに押し込めて、自分たちを「先進的」な立場に置こうとするわけですね。

B:その通りです。そうすれば、具体的な反駁をしなくても、なんとなく自分たちが正しくて相手が間違っているような印象を作れますからね。

A:でも、それって卑怯じゃないですか?本当に自信があるなら、批判ちゃんと答えればいいのに。

B:まさにそこが問題なんです。彼らは実際には論理的反駁できないんですよ。だから批判の内容ではなく、批判者の資格立場攻撃する。

A:具体的には?

B:例えば、私たちが「民主的正統性はどう確保するのか」と聞いたとします。すると「従来の民主主義概念固執している」「新しい参加型民主主義理解していない」といった答えが返ってくる。

A:でも、それって答えになってませんよね。具体的にどうやって正統性を確保するのかは説明していない。

B:そうです。質問をはぐらかして、質問者の考え方に問題があるかのように話をすり替えているんです。

A:「グローバルスタンダード」とか「国際的な流れ」とかも言ってきそうですね。

B:ああ、それもよくある手ですね。「海外ではもう当たり前になっている」「日本けが遅れている」といった圧力をかけてくる。

A:でも、本当に海外成功しているかどうかも怪しいですよね。

B:その通りです。しかも、仮に海外で行われていたとしても、それが日本に適しているかどうかは別問題です。でも彼らは、そういう冷静な検討を「内向き思考」として片付けてしまう。

A:なんだか、議論じゃなくてレッテル貼りですね。

B:まさにそうです。これは真理を探究する学術議論ではなく、ポジション取りのゲームになってしまっているんです。

A:ポジション取り?

B:要するに、誰が「進歩的」で誰が「保守的」かという立場問題にしてしまう。内容の正しさは二の次で、どちらがカッコいいポジションいるか重要になってしまう。

A:それって、すごく幼稚ですね。

B:でも効果的なんです。多くの人は、複雑な内容を理解するより、「新しくて進歩的」という印象の方に引かれがちですから

A:そういえば「専門的で複雑だから素人には分からない」とかも言ってきそうですね。

B:ああ、それも典型的な手口です。批判されると「この分野の専門知識がないと理解できない」と言って、素人議論から排除しようとする。

A:でも、民主主義って、素人である市民が参加するものですよね?

B:その通りです。しかも、本当に重要で正しい政策なら、市民にも分かるように説明できるはずなんです。

A:説明できないということは...

B:内容が曖昧だったり、論理的破綻していたりする可能性が高いということです。

A:じゃあ、こういう議論回避に対して、私たちはどう対応すればいいんでしょうか?

B:ひたすら内容に固執することです。相手立場論に逃げようとするたびに、具体的な内容の議論に引き戻すんです。

A:例えば?

B:「理解が浅いとおっしゃいますが、具体的にどの部分の理解が間違っているのか教えてください」「誤解だとおっしゃいますが、正しい解釈をお聞かせください」といった具合に。

A:なるほど。相手に具体的な説明を求めるわけですね。

B:そうです。そして「時代遅れとおっしゃいますが、なぜ従来の原則では対応できないのか、論理的にご説明ください」といった質問を続ける。

A:すると?

B:相手が本当に内容を理解しているのか、論理的説明できるのかが明らかになります。もし説明できなければ、彼らの知的不誠実さが露呈する。

A:でも、彼らはそれでも逃げ続けるんじゃないですか?

B:逃げ続けるかもしれません。でも、それ自体が彼らの議論の弱さを証明することになります

A:つまり私たち真摯議論しようとしているのに、相手が逃げ回っているという構図が明確になるわけですね。

B:その通りです。そして、それを見ている他の人たちにも、どちらが真剣議論しているかが分かってもらえる。

A:大切なのは相手のペースに巻き込まれないことですね。

B:そうです。「古い」「新しい」といったレッテル貼りに惑わされず、常に「なぜ?」「どうやって?」「根拠は?」と具体的な説明を求め続けることです。

A:でも、こういう議論回避って、なぜ広まっているんでしょうか?

B:一つは、複雑な問題単純化したいという心理があります。「新しい=良い」「変化=進歩」という単純な図式の方が分かりやすいですから

A:確かに

B:もう一つは、メディア政治の影響もあります。「改革」とか「イノベーション」といった言葉が無条件に良いものとして扱われる風潮がありますからね。

A:でも、本当の改革って、もっと慎重に行うものですよね?

B:その通りです。既存制度がなぜ存在するのかを理解し、その価値を損なわず問題解決する方法を見つける。それが本当の改革です。

A:この報告書は、そういう慎重さが全くないんですね。

B:全くありません。「アップデート」という軽い言葉重要制度を変えようとしている。これは改革ではなく、単なる破壊です。

A:分かりました。今度こういう議論に遭遇したら、相手印象操作に惑わされず、具体的な内容について質問してみます

B:それが一番大切です。民主主義は、市民一人一人が批判的に思考することで支えられているんですから

A:「専門家から正しい」「新しいから良い」「海外でやっているか必要」といった権威に頼った議論に騙されないようにします。

B:そして、何より大切なのは「なぜ変える必要があるのか」という根本的な問いを忘れないことです。変化それ自体価値ではありません。より良い社会を作るための手段にすぎないのですから

Permalink |記事への反応(1) | 13:47

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2025-06-17

【ChatGPT/DeepResearch】はてなブックマーク人気コメント思想的傾向2

https://anond.hatelabo.jp/20250617074316 の続き

20202024年:論調多様化と新旧勢力交錯

2020年代に入ると、はてなブックマークの人気コメント欄にも徐々に変化の兆しが現れてきました。リベラル派の根強い存在感は続いているものの、従来は埋もれがちだった保守右翼寄りの意見新世代の視点が目立つ場面も散見されるようになったのです。「リベラル一色」だった状況にやや揺らぎが生じ、思想的な多様化が進んできたとも言えます象徴なのは、国際情勢や安全保障をめぐる議論における変化です。2022年にはロシアによるウクライナ侵攻という大事件が起き、日本国内でも安全保障論議が活発化しました。はてなブックマーク上でも当初はロシア非難ウクライナを支持するコメント大勢を占めましたが(これは保守リベラルを問わず日本社会全体のコンセンサスでもありました)、次第にリベラル派内部の路線対立が表面化します。例えば「即時停戦・和平交渉を」というリベラル知識人声明に対し、ある人気コメントが「日本自称リベラル勢は(中国提案するような)領土放棄停戦呼応している感じですね。次は台湾有事から良い予行演習かも」と皮肉りました。これに対し別のユーザーが「“日本自称リベラル”って誰のこと?そんなの維新れいわ(※保守系と左派系の新興政党)くらいでしょ」と反論するなど、リベラル陣営内での意見の食い違いが可視化されたのです。従来、平和主義的な姿勢が強かったはてな左派ですが、ウクライナ戦争を機に「現実的安全保障」を訴える声にも一定の支持が集まるようになりました。これは従来なら埋もれていた保守タカ派寄りの意見(=ウクライナ支援しつつ自衛力強化を主張する立場)が、2020年代には一部ユーザー共感を得て表面化してきたことを示しています。 一方、国内政治社会問題については依然としてリベラル優位の構図が続いています2020年前後からジェンダー平等多様性をめぐる論争(いわゆる「ジェンダー論争」)が社会の大きなテーマとなりました。はてなでもフェミニズムLGBTQに関する話題が頻出し、その度に進歩的価値観擁護するコメントが多数のスターを集めています。例えば2021年東京五輪組織委員会森喜朗会長(当時)が「女性が多い会議時間がかかる」など女性蔑視発言をして辞任に追い込まれましたが、関連ニュースはてなブックマークでは「時代錯誤にも程がある」「森氏の発言五輪憲章に反する差別だ」等のコメントが軒並み支持されました(国内外批判報道を受けて森氏は辞任しました)。また2023年にはLGBT理解増進法を巡り与党内で紛糾がありましたが、この話題でも「性的少数者権利擁護は当然」「差別発言をする政治家は許せない」といったリベラルな主張が人気コメントの大半を占めました。ジェンダー関連では相変わらず**「はてなフェミ」とも呼ばれる勢力が健在で、例えば選択夫婦別姓話題では「誰も困らない制度なのだから実現すべき」という趣旨コメントが毎回スターを集めるのがお決まりになっています。実際、2025年1月匿名ダイアリー投稿された「夫婦別姓話題になると毎回『選択制なんだから選ぶも自由選択肢が増えるだけ』ってブコメスター集めてるけど本当か?」という問いかけにも、多くのブックマーカーが反応しました。注目コメントでは「9割方同意人民権利拡大として選択的別姓は望ましい制度」と、問いかけ主を支持しつつ制度導入を肯定する意見が示されています

このようにジェンダー平等を推進するリベラル姿勢**は2020年代でもはてな人気コメントの主流であり続けていますもっとも、2020年代には上記のようなリベラル優位の中にも一部保守右派コメントが目立つケースが出てきました。特に外交安全保障に絡むテーマや、一部のフェミニズム過熱への反発など、従来はてなでは埋もれがちだった声が表に出る場面が増えています。例を挙げると、2023年末に起きたM-1グランプリ漫才ネタ中国揶揄騒動があります女性自身の記事によれば、とある漫才師がネタ中で中国政府や中国人を揶揄する表現を用いたため物議を醸しました。このニュースに対するはてなブックマークの人気コメント欄では、「最低…中国人の部下がいるけど皆誠実で頑張っている。こんなネタが耳に入ったら遣る瀬無い。私は個人としてこのネタ表現自由を全力で否定する」という極めて厳しい批判コメントトップに立ちました。他にも「中国人の友達がいるが皆真面目で優秀だ。だからこういう揶揄ネタは本当に嫌いだ」といった声も上位に並び、差別表現への即座の拒絶反応を示しました。これらはいずれもリベラル価値観(反人種差別)に基づくコメントですが、その表現はかなり過激で、漫才という芸術表現に対して「自由否定する」とまで言い切る姿勢には賛否も分かれました。実際、この件を巡ってはてなユーザーのあり方自体批判するブログ記事も登場し、「漫才意図理解せず反応するはてな民は抽象思考が苦手だ」と揶揄されています

このように、依然リベラル派の声は強いものの、その語気の強さや過激さに対して異議を唱える向きも出てきており、コミュニティ内の世代間・思想ギャップが表面化していると言えるでしょう。さら2020年代には、経済雇用問題に関する議論でも興味深い現象が見られます。従来、雇用の流動化や規制緩和にはリベラル派でも賛否割れテーマでしたが、はてなでは基本的労働者寄りの視点が支持を得てきました。例えば2025年に入って注目を集めた派遣労働雇用慣習を巡る議論では、マレーシア在住の日本社長が「日本ダメにしたのは派遣労働だと叫ぶ人がいるが、それは短絡的。本当の問題日本の腐った雇用習慣だ」と指摘したことに対し、はてなブックマークでも活発なコメント議論が展開されました(togetter経由の話題)。このエントリーの人気コメント筆頭には、「違いますよ。従業員に金を支払わない経営者問題ですよ。雇用期間が限定される派遣は常時勤務の倍以上の給与義務付けるのがスタート…(中略)今やってる経営者実刑にして…」といった声が挙がりました。つまり、「派遣問題なのではなく、正社員派遣に関わらず労働者に正当な報酬を払わない企業側にこそ問題がある」という労働者擁護左派論点が強調され、これに多くのスターが付いたのです。他の注目コメントも「解雇規制緩和よりも同一労働同一賃金の方が重要では?」「労働市場の流動性を高める方策こそ優先」といった具合に、企業寄りの論理より労働者権利待遇向上を重視する意見が大半を占めていました。このケースは、2020年代に入ってもなお経済雇用分野ではリベラル左派的な視点弱者救済、公平な待遇要求)が共感を集めていることを示しています。 以上のように、**20202024年はてなブックマーク政治談議は、「基本的にはリベラル優位だが、一部テーマ論調多様化が進み、右派寄り意見や新しい視点も顔を出し始めた」**とまとめられます。依然としてリベラル派の牙城であることに変わりはありませんが、ユーザー層の世代交代や社会全体の論調変化を受け、人気コメントの傾向にも変化が生じています特に安全保障表現自由を巡る問題では、従来の左派コンセンサス疑問視するコメントが現れたり、逆に従来以上にリベラル色を強めたコメントが物議を醸すなど、新旧勢力がせめぎ合う局面も見られますもっとも、それらの意見対立自体が多くのユーザーの目に触れ活発に議論される点に、コミュニティ多様性拡大の兆しがうかがえますはてなブックマークは長らく「左寄り」と見做されてきましたが、2020年代半ばの現在、その人気コメント欄には従来にはない思想的なコントラストも生まれつつあると言えるでしょう。

はてなスターによる人気順位への影響と評価システムの変化

はてなブックマークの**「人気コメント順位は、ユーザーから付与されるスター(★)の数と質によって決定**されていますスターは他ユーザーから共感や支持を表す仕組みであり、この数が多いコメントほど「注目コメント」として上位に表示されやすくなりますしかし、スター機能にはコミュニティ思想的傾向を増幅する側面もありました。多数派ユーザーが支持するイデオロギーに沿ったコメントほどスターを集めやすくなるため、人気コメント欄特定思想に偏る要因となり得たのです。 実際これまで見てきたように、長年はてなではリベラルユーザーが多数を占めていたため、自然左派的なコメントほどスターが集まりやすく、「人気コメントリベラル寄り」という図式が生まれていました。例えば2010年頃の証言として、「妙に上から目線で断定口調のコメントスターを集めていて、自分もそれが感染して嫌な人間になりつつあるのを感じた」というユーザーの声があります。この「断定口調の人気コメント」が指すものの多くは、当時の多数派であるリベラル層の賛同を得やす論調権威対象皮肉交じりに断罪するようなコメント)でした。スターという評価経済が働くことで、ユーザーはより多くの支持を得られる表現無意識模倣し、結果的に似たような価値観文体コメントが増幅される現象が起きていたわけです。もっとも、運営側もこの問題認識し、評価アルゴリズム改善に取り組んできました。2021年6月には、はてなブックマークの人気コメント算出アルゴリズムが変更され、様々なコメントが表示されやすくなる施策が導入されていますさらに同年7月にはヤフー株式会社が開発した「建設コメント順位付けモデル」を組み込むことを発表し、攻撃的・不適切コメントが人気欄に露出しにくく、代わりに客観的根拠を示す建設的なコメント上位表示されやすくなるよう改良が加えられました。このモデル機械学習を用いてコメント内容を評価するもので、「新たな見識を提供しているか」「冷静で有益か」といった点にスコアを付ける仕組みです。はてなはこれを取り入れることで、単純なスター数の多少だけでなくコメントの質を考慮した順位付けを開始しました。 この変更の効果として、従来であれば過激表現ながら多数派の支持を集めたコメント(例えば「○○は○ねばいい」といった極端な意見)が上位に来ていた場面が抑制され、代わりに多少スター数は少なくても穏当で有意義コメントが表示されるケースが増えました。つまりスターによる多数決的な偏りをアルゴリズム補正し、より多角的意見が目に触れるよう工夫されてきたのです。この結果、思想的にも以前ほど一辺倒ではないコメント欄が実現しつつあります。実際2020年代半ばには、安全保障外交話題で以前なら埋もれていた少数派意見が注目コメントに現れるなど、多様化兆しが見られました(前述のウクライナ情勢に関する意見対立露出などもその一例です)。もっとも、スターのものの影響力が消えたわけではありません。現在でもやはり多くのユーザーからスターを集めるコメントは「注目コメント」として認識されやすく、コミュニティ多数派傾向を映す鏡であることに変わりありません。ただ、その多数派が時と共に入れ替わったり価値観シフトさせれば、人気コメントの傾向も変わっていきますはてなブックマークでは、スター機能ユーザー同士の共感ネットワーク可視化する役割果たしてきましたが、運営アルゴリズム調整によって極端な偏りは是正されつつあります。言い換えれば、スター経済はなお思想傾向に影響を及ぼすものの、その影響は以前より緩和され健全化しつつあると言えるでしょう。 以上を踏まえると、2005年から2025年にかけてのはてなブックマーク政治系人気コメント思想的傾向は、ユーザー層や社会情勢の変化とともにリベラル優勢の成立→固定化多様化への兆しという流れを辿ってきました。初期には玉石混交だったコメント欄も、やがてリベラルコミュニティによる独特の言論空間形成し、長らくそれが多数派として続きました。しか2020年代に入り、社会全体の右傾化左傾化議論の影響や評価アルゴリズム改善もあって、はてな内でも「右寄り」のスタンスが目立つ場面が出現するなど、緩やかながら変化が起きているのが現状です。もっとも、依然として人気コメントの多くはリベラル価値観に根ざしており、基本構図は維持されています。ただ、その表現スタイルや細部の論調時代とともに移り変わっており、今後もユーザーコミュニティの動向次第で人気コメント思想的傾向は変化し続けるでしょう。最後に、年代ごとの傾向を簡潔にまとめた表を示します。

年代(期間) 人気コメントの主な思想傾向 傾向に影響を与えた主な社会政治イベント

2005〜2009年コメント内容は玉石混交だが、徐々にリベラル志向が台頭

ネット右翼的言説は少数派で、反権力反体制の声が目立ち始める郵政民営化小泉改革)への評価、長期自民政権への批判2009年政権交代(民主党政権誕生)への期待

2010〜2014年リベラル/左派コメント圧倒的多数派となり定着

フェミニズム人権擁護論調が強まり保守派への批判が集中2011年東日本大震災原発事故脱原発論の高まり)、民主党政権の迷走と崩壊2012年第2次安倍政権発足(右傾化への反発)、ネット上のヘイトスピーチ問題顕在

2015〜2019年リベラル優位が続く一方、コメント傾向の内輪化・Permalink |記事への反応(1) | 07:47

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【ChatGPT/DeepResearch】はてなブックマーク人気コメント思想的傾向1

2005〜2009年:サービス黎明期リベラルコメントの萌芽

はてなブックマーク創設期(2005年前後)には、ITリテラシーの高いユーザーが集まり始め、政治社会系の記事にもコメントが付くようになりました。当初はユーザーコミュニティの規模が小さく、議論は活発でしたが、コメント内容には玉石混交の傾向もありました。例えば2007年頃には、ある有名ブロガーが「もしネット右翼メッカ2ちゃんねるだとすれば、ネットイナゴ烏合の衆)が集まるのははてなブックマークだ」と苦言を呈しています

実際この時期、記事内容を論理的批判するコメントは少なく、**「バカ」「○ねばいいのに」**といった過激罵倒スラングが人気コメント欄に並ぶこともあり、2ちゃんねる的な粗野さが指摘されました。

はてなブックマークコメント欄は当初、必ずしも洗練された言論空間ではなく、極端な言葉遣いや叩きがスターボタンによって増幅されるケースも見られたのです。とはいえ、この黎明期には既にリベラル寄りの思想傾向が芽生えていました。長年自民党政権が続く中、ネット上では権力改革志向の声も強まりはてなユーザー例外ではありませんでした。たとえば当時「はてな左翼はてサ)」と呼ばれる進歩的ブロガー/論客が台頭し始め、歴史認識人権問題保守派批判する動きが散見されます

実際、南京事件憲法9条などの論戦では左派スタンスユーザーが詳しい知識議論リードし、右派的主張に反論説教するといった場面も見られました。

極端な例では、ある著名ユーザーが「『自衛隊人殺し』『日本人という存在自体が悪だ』」とまで発言し物議を醸したこともあります

こうした過激表現はさすがに例外ですが、総じて反権力リベラル志向コメント共感を集めやすい土壌が形成されつつありました。2009年政権交代自民党から民主党へ)の際にも、はてなブックマーク上ではそれを歓迎・期待するリベラルユーザーコメントが多く見られ、長年の保守政権に対する変革への期待感が読み取れますもっとも、この時期のコメント欄はまだ手探り状態で、思想スタンスよりもコメント文化自体模索が続いていたとも言えますスター(★)による評価システムも始まったばかりで、どのようなコメントが支持を集めやすいかユーモア皮肉批判精神など)コミュニティ全体で試行錯誤している段階でした。

2010〜2014年:左派コメントの台頭とコミュニティの活発化

2010年代前半になると、はてなブックマーク政治コメント欄ではリベラル左派)的な論調がいよいよ優勢となっていきました。民主党政権(2009〜2012年)の発足や2011年東日本大震災福島第一原発事故といった出来事を契機に、反原発・反権力の声がネット世論で高まりはてなでも人気コメントとして多くの支持を集めました。たとえば震災後の原発政策を巡っては、政府や電力会社批判するコメントスターを集め、「脱原発」「政府隠蔽体質批判」などリベラル色の強い意見が目立ちました(※当時、多くのはてなユーザー原発推進派の政治家・官僚に厳しい目を向け、代替エネルギー市民運動を支持する姿勢を示していました)。また、2012年に第二次安倍政権が発足すると、保守色の強い安倍政権政策憲法改正論議国粋主義発言など)に対し、はてな人気コメント欄では批判的な論調が一貫して支配的になります。「はてな左翼はてサ)」**と総称された進歩的ユーザーコミュニティがこの頃確立し、彼らが多くのスターを集めるコメントを量産したのです。

具体的な傾向として、保守ナショナリスト的な対象への批判揶揄が盛んでした。たとえば2012年前後には、大阪市長橋下徹氏(保守的・改革派の政治家)に批判的なコメントや、石原慎太郎都知事過激発言皮肉コメントが多数支持を集めています。実際、あるユーザーは「坊主(橋下)が憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺をもじり、橋下氏の行動全般を痛烈に批判してスターを集めました。

またヘイトスピーチなど社会問題化したテーマでは、右派的な差別扇動に対する強い糾弾が人気コメント欄を賑わせました。2013年から在日コリアンに対するヘイトデモ問題視され始めましたが、その際もはてなでは反レイシズム立場から表現の自由を履き違えた差別は許されない」といったコメントが支持を集めています2016年ヘイトスピーチ解消法成立に至る世論形成にも、そうしたネット上の批判世論が背景にありました)。このように、2010年代前半のはてなブックマークリベラル志向の論者が主導権を握り、保守的な主張や差別的言説には厳しい反応が集まる傾向が強かったのです。 同時に、ジェンダーマイノリティ権利に関するトピックでもリベラル寄りのコメントが目立ちました。例えば女性LGBTQの権利問題についての記事では、「多様性尊重」や「男女平等」を訴えるコメントが人気化しやすく、ミソジニー女性蔑視)的な発言や古い価値観への批判が数多く見られました。はてなコミュニティ内でもフェミニスト観点を持つユーザーが増え、「はてな村」のフェミニズム論争が活発化します。これに対し一部では反発も生じ、2014年には匿名日記上で「はてブって女性のことになると、ネット右翼よりも全体主義低能集団集合知ではなく集合恥だな」という辛辣批判投稿されました。

この発言者は、はてなブックマーク上で女性擁護フェミニズム的主張ばかりがスターを集める状況に苦言を呈したものです。「日本人からすごい!女性からすごい!──ネット右翼とはてフェミってどっちも変わらん」とも綴られており、愛国心を拗らせたネット右翼と同様に、はてなリベラルフェミニスト層も思考が偏っていると批判していました。このような反発意見自体が注目されるほど、当時の人気コメント欄はリベラル(時に急進的)一色になりがちだったと言えます。実際、2012年にはあるユーザー右派新聞記者産経新聞阿比留記者)への個人攻撃をたしなめたところ、「相手があの記者から何を言ってもいいのか」と諫めた彼自身が「はてなサヨク」層から猛反発**を受けたというエピソードも伝えられています

このように2010年代前半は、リベラルユーザーが結束してスターを投じ合い、彼らの価値観合致しない意見には容赦なく批判が向けられる風潮が強まりました。 **まとめると、2010〜2014年はてなブックマーク政治ジャンル人気コメントは「リベラル派が主導し、保守派差別的言説への対抗言論が突出した時代」でした。民主党政権期のリベラル改革期待、そして第二次安倍政権開始後の保守回帰への反動もあり、左派的なスタンスコメントが常に上位を占める傾向が続きました。もっとも、コメント全体のトーンとしては皮肉辛辣さも増し、しばしば断定口調で上から目線批評スターを集めるという独特の「はてな語り」**も醸成されていきました。

実際あるユーザー2010年時点で「妙に上から目線で断定するコメントスターを集めていて、いつの間にか自分まで嫌な人間になりかけた」と感じ、はてなブックマーク熱が冷めたと告白しています

それでもなお、この時期は活発な左派言論によって他のネットコミュニティにはない独特の盛り上がりを見せていたと言えるでしょう。

2015〜2019年:リベラル優勢の定着と内輪化の進行

2015年以降も、はてなブックマーク上の政治コメント基本的リベラル左派)優位の傾向が継続しました。 第二次安倍政権下で保守色の強い政策が次々と打ち出される中、人気コメント欄ではそれらを批判揶揄する声が依然として主流でした。象徴的な出来事として、2015年安全保障関連法案(いわゆる安保法制強行採決があります。このとき国内で大規模な反対デモSEALDsなど若者中心の抗議運動)が起きましたが、はてなでも法案批判的な意見圧倒的多数を占めました。「憲法違反だ」「民主主義危機」「戦争法反対」といったコメントが軒並みスターを集め、安倍政権右傾化への強い警戒感がうかがえました。また2017年前後森友・加計学園問題政権スキャンダル)でも、真相解明を求める論調や「安倍晋三首相責任を取れ」といった厳しい批判コメントが人気上位に並び、政権追及一色の様相でした。このように安倍長期政権に対する不信・批判はてなでは一貫して根強く、人気コメント思想スタンスは反権力リベラル路線が盤石だったといえます。 同時期、社会文化的な論争でもはてなの人気コメントリベラル派に軍配が上がることがほとんどでした。例えば2018年には東京医科大学入試差別問題女子受験生の点数を一律減点)が発覚しましたが、このニュースに対しては「時代錯誤な男女差別だ」「女性の機会を奪う不公正」という糾弾コメントが大量に付き、スターを集めました。さら2017年から世界的に#MeToo運動が広がり、日本でも伊藤詩織さんの性暴力被害告発が注目されましたが、はてなブックマークでも彼女を支持し日本の性暴力問題警鐘を鳴らすコメントが多数賛同を得ました。逆に、杉田水脈議員による「LGBT生産性がない」発言2018年)など保守政治家の差別的な発言に対しては、「公人として許せない」「差別のものだ」と厳しく非難するコメントが目立ちました(抗議デモ記事にも「まず謝罪を」「議員辞職すべき」といったユーザーの声が集まっています)。

このように、ジェンダー平等マイノリティ人権擁護など進歩的価値観を支持するコメントが引き続き優勢であり、はてなにおけるリベラル志向は揺るがないままでした。しかし、2010年代後半になると、そのリベラル優勢が「行き過ぎた内輪化」として指摘される場面も増えてきます。活発だったユーザー層が次第に高年齢化し、新規参入者や多様な意見が減ったことで、「同じメンバーによる同じような主張」が目立つようになったのです。実際2020年直前のある分析では、「最近はてブ負のオーラがすごい。一般感覚とかけ離れた左寄りコメで埋め尽くされ、陰謀論じみた人気コメントトップになることもある」と嘆く声がありました。

このユーザーは「明らかにユーザーが高年齢化し、40代前半くらいのおっさんばかりになった」と指摘しています。つまりネット上で極端なイデオロギーを露わにする層は中高年男性が多く、はてなブックマーク左翼のおじさんの溜まり場になってしまったという自己分析です。この指摘の通り、2015〜19年頃の人気コメント欄では、同じ論調メンバースターを付け合って盛り上がるエコーチェンバー化が進行した側面があります。「安倍政権=悪」「リベラルこそ正義」という大枠に沿うコメントは容易に支持を集める一方で、それに異を唱える意見最初から敬遠排斥されやす空気が醸成されていました。もっとも、当のリベラルユーザーたちは自分たちの主張を**「正論」「市民感覚」だと信じていたため、そうした内輪化を自覚しにくかったようです。はてなブックマークを長年使ってきた一部のユーザーには閉塞感も広がり、2010年代後半には「最近はてブはひどい」「昔はもっと面白い情報が拾えたのに」という懐古的な意見も増えました。例えばある匿名日記では、「2年以上前からはてブは終わった”と言われているが、最近本格的に面白い情報が見つからなくなった気がする」と嘆かれています。この背景には、政治ジャンルに限らずホッテントリ固定化(いつも似たような記事コメントが上位に上がる)や、新興メディアNAVERまとめTogetterTwitter等)への関心分散がありました。 総じて、2015〜2019年リベラル優勢が定着する一方で、その強い傾向ゆえの弊害(画一化・内輪化)も指摘された時期と言えます。依然として人気コメントは「右派批判」「市民目線政府批判」が主流でしたが、その論調はどこかマンネリ化し、新鮮味に欠けるとの声も出始めたのです。

ただ、この頃まではまだ保守論調が人気上位に食い込むことは稀で、基本路線としては**「反自民リベラル」**の牙城が守られていたと総括できます

https://anond.hatelabo.jp/20250617074749 に続く

Permalink |記事への反応(1) | 07:43

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2025-06-09

anond:20250608143511

「私の受けた変な性教育

昔は生理ケガレタブーにする文化カウンターからか、初経が来た女の子をやたらに晒しあげて祝福する風潮があった。

それをやるのが進歩的中年女性で、女性教師だったり母親だったりしたわけです

生理オープン祝福の女性、経産婦が多くてまあ「将来あなたたちがお母さんになるために!赤ちゃんの!命の!尊さ!」つってウザかった あっ、これ進歩的に合流した保守派のお母さんか

Permalink |記事への反応(0) | 14:05

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2025-06-01

そろそろ女性専用車両女性だけのものではないというのを理解すべき

鉄道会社女性専用車両名称女性専用と付いているだけであって、その実態運用では障害者男性乳幼児連れの男性の利用も可能としている」ことから女性専用車両女性が獲得した女性の権利ではなく、女性けが占有しても良いものではないということを理解すべき

そもそもこの女性専用車両は一部のリベラル主義者から女性を一部車両へ隠す運用によって性被害を減らすというのは本末転倒である」や「本来自由制限されるべきは性犯罪者であり女性隔離する運用逆差別である」「女性専用車両伝統保守純潔思想に染まった一部の左派合意によって運用が始まったものであって、正当には優先席運用延長線上で優先車両と名付けるべきである」と指摘されている

女性専用車両女性だけのものではない」ことを進歩的な都会、三大都市圏が率先的に表明し、日本全体へリーダーシップを取っていくべきだ

Permalink |記事への反応(3) | 20:27

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2025-05-31

昔のリベラル言動を見てると進歩的ではなく保守的だよな

今はアニメTが流行ってるというか一つのジャンルとして定着してるし、パリコレにもオタクファッションが出た(doublet)

https://www.fashionsnap.com/article/anime-tshirts-talk/


でも当時のリベラルたちは自分らの政敵は「オタク無能弱者男性アニメTシャツを着てる人達」と描くことに拘ってきた

https://twitter.com/lautream/status/987667478028300288?t=KwUOfZKNPanDFg-yxjTM7Q&s=19


進歩的人達ってむしろこういう時代からアニメTを愛好してきた人達なんじゃないかな?

リベラル先進性ってなにか本当に教えてくれよ日本嫌いなだけで頑迷保守ジジイ名乗ってくれた方がよほどスッキリするわ

Permalink |記事への反応(1) | 15:24

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2025-05-23

選択夫婦別姓ヌル

◾️問題本質を見誤っている「選択的」という発想

選択夫婦別姓議論が盛り上がっているが、この制度設計には根本的な問題がある。それは「選択的」という発想そのものが、現在制度が抱える構造的欠陥を放置したまま、表面的な対症療法に留まっているということだ。

◾️ソフトウェア設計から見る結婚制度の欠陥

ソフトウェア開発において「単一責任原則」という重要設計原則がある。一つのクラス関数は一つの責任だけを持つべき、という考え方だ。現在結婚制度をこの観点で見ると、明らかにアンチパターンを踏んでいる。

結婚という一つの制度に以下の複数責任が押し込まれている:

• 法的な結合関係の成立

経済的な結合(財産共有、相続権など)

• 姓の統一

これらは本来独立して扱えるはずの要素だ。姓の変更を結婚に紐づける必然性はない。むしろ、この結合が様々な問題を生み出している。

◾️「選択的」の限界

選択夫婦別姓一見進歩的に見えるが、実際には以下の問題を抱えている:

1.中途半端解決

根本的な構造問題に手をつけず、「選択肢を増やす」という表面的な対応に留まっている。これはバグのあるシステム機能を追加して複雑性を増すだけで、本質的な修正になっていない。

2.高齢者への配慮という建前の破綻

高齢者伝統を重視する人への配慮」がよく言われるが、選択夫婦別姓でも結局は「選択を迫られる」ことになる。むしろ特定世代けが「変化への対応」を求められる分、不公平感すら生まれる。

3.根本的な不平等の温存

現在制度では、統計的女性が改姓することが圧倒的に多い。選択夫婦別姓があっても、社会的圧力によってこの不均衡は続く可能性が高い。

◾️より根本的な解決策:強制的夫婦別姓+年次改姓権

しろ以下のような制度設計の方が理にかなっている:

1.強制的夫婦別姓結婚と姓を完全に分離

2. 年1回の改姓権:すべての国民平等に姓を変更する権利を持つ

◾️この制度メリット

構造的な問題解決

結婚制度から姓変更の責任を分離

個人識別子(姓)の管理独立したシステムになる

真の平等の実現

結婚による一方的な改姓負担の完全な除去

名前に関する個人自律性の確立

• 男女完全平等キャリア継続

柔軟性の確保

結婚後に同じ姓になりたい夫婦は、年1回の改姓権を行使すれば実現可能

夫婦が同時に改姓権を行使することで、どちらの姓でもない中立的な新姓を選択できる

• これにより真の夫婦平等が実現される(どちらか一方が相手の姓に合わせる必要がない)

社会全体での意識変革

• 姓への固定観念解体

• より柔軟なアイデンティティ概念の醸成

◾️よくある反論への回答

家族関係が分からなくなる」

子どもの姓は子ども自身が決められる年齢になってから選択すればよい。現在は親が決めているが、最終的に影響を受けるのは子ども本人だ。

行政システムが大変」

現在でも結婚離婚による改姓で同程度の負荷は発生している。むしろシステムを整理する機会になる。

「国際手続きが複雑」

現状でも国際結婚海外居住で姓の問題は発生している。新たな負担というより既存問題の整理という面が大きい。

◾️まとめ

選択夫婦別姓は、現状に不満を持つ人々への一時的な慰撫策に過ぎない。本当に必要なのは結婚制度のもの現代的に再設計することだ。

技術世界では、パッチを重ねて複雑になったシステムは最終的にリファクタリング必要になる。社会制度も同じだ。表面的な修正ではなく、根本的な再設計を恐れるべきではない。

選択的」という名の下に中途半端妥協を続けるより、本質的な問題解決に向けた議論を始めるべき時が来ている。

Permalink |記事への反応(0) | 02:49

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