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「通りすがり」を含む日記RSS

はてなキーワード:通りすがりとは

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2025-10-22

捨てアド情報開示

捨てアド発信元探知ってできる?結構お金かかるんかな。

嫌がらせメールをもらったんだが、内容から自分を全く知らない通りすがりの人ではなさそうだし、誰が送ってきたかからいか気持ち悪い

Permalink |記事への反応(0) | 18:44

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2025-10-20

anond:20251019220518

人に道を聞くというたとえがすごく悪いね

スマホで調べるようになったから、もう一般の通行人に聞く必要がなくなっているんだよ。

地図アプリでわかりにくい状況として「新宿駅の中で迷った」のような場合も、本当に道を知ることが目的なら駅員を探して聞くから通りすがりの人は頼らないしね。

というか、新宿駅の中なんて、通りすがりの人も自分通勤ルート以外は分かってないからね!

駅以外の場所でも交番警察官とか、仕事中の人を頼るよね。

当たり前の神経をしてたら急いでるかもしれない一般人を捕まえて無償自分の世話をさせるのではなく、道案内が業務に含まれてて給料をもらっている人を頼りたいよね!

「成人男性が、女児に道を聞く」って性犯罪の導入として割とメジャーなんだよ。どんなに困っても小学生女児男児に道を聞くのって普通じゃない。そして、そこから車に拉致する例とか普通にある。

若い女ばっかり選んで道を聞くていで話しかけ、セクハラみたいなこと言っていくやつも、いるんだよなぁ。こういうの、頭がおかしくない男性ほど、想定できなくて「嘘だろ?盛るなよ」とか言っちゃうんだけど。

とっくに、道が分からなくてもカーナビスマホ解決できる時代になってるんだよ。性的対象になる人間を選んで道を聞くのは接触自体目的

道を聞くのが導入になっている性犯罪について疎すぎるし、スマホが無い時代感覚で人に道を聞くことを当たり前と考えすぎだね。

スマホが普及してからは、道が目的の人は皆スマホで調べるんだよ。平面の地図を読むのが下手な人でも理解できる立体地図機能であるしね。

人間目的の人しか人間に道を聞かない。高確率性犯罪者です。特に、成人が女児男児に道を聞くケースは100%性犯罪者と言っても全然過言ではない。

Permalink |記事への反応(2) | 10:20

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anond:20251019220518

Googleマップがあるから人に道を聞く人って激減したんだけどね

通りすがりの人に聞くよりスマホで調べる情報のほうが信頼性高い

Permalink |記事への反応(0) | 10:01

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2025-10-18

anond:20251018203106

そんなん言われてもオレが子ども作るのは無理だw

例の増田国会に上がって高市政権から少子化対策目的行政恋愛支援スタートしても

間に合わん

オレは無理w

頼む、増田通りすがりの誰か!

家庭持ちいるだろ?

オレが生むはずだった2人分も生んでくれい

名前はもちろん好きにしていい

Permalink |記事への反応(0) | 20:38

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2025-10-14

anond:20251014072643

せっかくおれの質問に親切に答えてもらってなんだが……

たぶん、赤ずきんちゃん背中を預けられる対等なパートナーを探してるのに、「俺はオオカミです」と名乗って近づいてくる男性が多いってことじゃないか

ス マ ン、な に 言 っ て る か 全 然 分 か ら ん

人気ブコメ意味も分からず、増田も分からず、通りすがりの人の解説も分からぬ。

一旦離れてアタマやすわ。

重ね重ねありがとう

Permalink |記事への反応(0) | 07:55

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2025-10-11

anond:20251011202614

すいません!AIで付け足した通りすがり増田です。

連投してないゾ

Permalink |記事への反応(0) | 20:27

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2025-10-06

10月1週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🍽 食・スイーツ日常消費

🎮アニメゲームオタク文化

🤖AIテックネット文化

💰経済金融税制

🗳政治社会問題

🪙仮想通貨

🌍イベント旅行万博物流

🐾ペット動物

🚕交通・モビリティ

🧒子ども教育学校

🩺 体調・生活リズム

🎵音楽エンタメ著作権

📨放送公共サービスNHK

1週間分の総括

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

Permalink |記事への反応(1) | 12:15

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2025-10-04

臭いおじだったが無事自臭症と判明したので人生に詰みを感じる

医者に行った。

臭い臭い毎日言われるから

ワキガ手術の残り香か何かだと思ったので、「こりゃスソも切る流れか〜」と。

そしたら「臭くない」と言われた。

まり、「自臭症」ってこと?


「自臭症」という診断は救いになるか?

答、なるともいえるしならないとも言えない。


じゃあ通りすがりに聞こえる「くっさ」の声はなんだったの?

俺には悪魔が取り憑いてるの?

遠くの席から聞こえる「アイツ風呂入ってねーんだよ」の声は何?

俺じゃなくて自分の子供の話題で盛り上がってたのか?

条件付きの緊張による発臭?

何も分からない。

治療法 なし

投薬 なし

追加の検査 なし

必要もの「自信」

あーこれ「最後のレッスンだ。もうお前は全てを知っている。師の言葉の中に答を探すことから離れ、自分信じろ。お前に必要な奥義は自分もっと信じろことじゃ」みたいな奴〜〜〜結構好きなんだけど自分がやられると困る〜〜〜この展開で第一レッスンが「お前自身を疑え。私の言葉だけを信じろ」とかだとめちゃいいよな〜〜〜じゃなくてマジで困る〜〜

もう祈りを捧げるしかない。

24時には必ず寝ます

夜の9時以降は何も食べません。

二度と射精しません。

運動します、朝シャンをする前に、だから30分早く起きます

信仰に応えは求めません。

私の自己満足のために、祈りを捧げ続けます

救いの道のない世界で、答のない悩みを救うのは信仰だけであると、歴史から学んだことが役に立ったぜ。

解決法がなければ引きこもるか死ぬかの道しかなかった。

祈ることがまだ出来る。

祈るために祈る事が出来る。

俺の祈りは神に届くことはないが、俺を救うぜ。

健康という名の神よ、我が呪(にお)いを退散させたまへ

Permalink |記事への反応(0) | 09:56

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2025-10-02

anond:20251002222412

悪いけど通りすがりのオレの意見真逆で、女性こそひげ剃り歯磨き以上のメイクはしなくていいんよ

好きならしてもいいけど、それはあくま自分のためでいい

他人要求するとか期待してくると言う状況が実はディストピアじゃねーの、と以前から思ってるぜ

Permalink |記事への反応(1) | 22:53

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2025-09-30

キャラ作家の所有物なの、おかしいと思う。

漫画でもアニメでも、読者が支えたからこそキャラクターが人気になったんじゃん。

読者を無視して公式が無理矢理キャラを殺してドロップアウトさせてしまうのって、読者の悲嘆の感想が見たい支配欲じゃないの?

たとえば、いくら原作者許可があろうと脚本家が、ぼっちちゃんを完全に自由にするのは違う気がする(実際にリリースされたアニメ描写程度なら全然アリだと思う、あくま思考実験として、作家が完全に自由にできる所有物なのは違和感あるよね? ……という提案です)。

追記通りすがり創作素人お気持ちなので、返信はお手柔らかにしてほしい、、、)

Permalink |記事への反応(6) | 07:35

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2025-09-27

anond:20250927195155

オリジナル部分と原作由来部分の矛盾が激しすぎて通しで見てると混乱する

オートメールは技師じゃないと取り外しできないのか通りすがりスリ感覚で外せるのかどっちなんだよとか脚本が雑すぎる

Permalink |記事への反応(0) | 19:58

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2025-09-23

20年ぶりに中学同窓会に行ったら、地獄天国がそこにあった

先日、約20年ぶりに中学同窓会に行ってきた。

正直、めちゃくちゃ迷った。だって私にとって中学時代は、思い出したくもない黒歴史のものだったから。

私の通ってた中学は、いわゆる田舎公立校クラスヒエラルキーは、ヤンキーギャルが頂点に君臨し、私みたいな陰キャは最底辺スクールカーストって言葉流行るずっと前から、そこには明確な階級社会存在した。

当時の私のいじめられ方は、主に外見いじり。今思えば些細なことかもしれないけど、多感な時期の女子には一番きつい。

通りすがりに「ブス」、すれ違いざまに「うわ、ばい菌」。そんな毎日が、私の自己肯定感ゴリゴリに削っていった。鏡を見るたびに自分の顔が嫌いになり、人の視線が怖くなった。

すれ違うたびに「うわ、空気汚れた」と聞こえよがしに言われ、体育でペアを組む相手もいなくて、いつも先生と組まされてた。

リスカもしたし、毎日鏡を見ては本気で明日が来ませんようにと願いながら眠りにつく日々だった。

そのコンプレックスが、ある意味私を動かす原動力になった。

高校デビューなんて生易しいものじゃない。高校デビューなんかしていないしむしろ進学校に入ってから陰キャだった。

大学に入ってバイト代を貯めて、少し顔をいじった。そのあとも必死仕事した。怒りを燃やして、仕事して、年収上げて、また顔をいじって仕事した。

その結果、奇跡的に誰もが知ってる大手企業入社し、女性にしてはかなり頑張って稼いでるじゃんといわれるくらいになった。

夫も同じくらい稼いでいて、今の生活に不満はない。

それでも、心のどこかに中学時代トラウマが澱のように溜まっていた。今回の同窓会は、そんな過去と決着をつけるための、私なりの儀式だった。

会場に着くと、そこにいたのは「あの頃のあいつら」ではなく、「ただのおじさんおばさん」だった。

あれだけ怖かったヤンキー男子たちは、当時を回顧しながらあの時の俺自慢をしている。しかし意外なほど、みんなまともな社会人になっていた。

当時なかなか話せなかったヤンキー男子とも普通に話せるようになっていて感動した。

女子たちは、まるで授業参観日のお母さんのようだった。当時イケてたギャルは、面影を残したままのギャルか、見る影もなく恰幅のいいお母さんかの二択。不思議なことに、あれだけみんな必死に伸ばしていたロングヘアの女性が一人もいなかった。なぜだ。何か申し合わせでもあったのか。

私はというと、この日のためにルミネで奮発した小綺麗なワンピースを着ていった。それが悪目立ちしたのか、若干浮いていた気がする。当時の陰湿いじめっ子は「あら~増田ってば、セクシーじゃぁん」とか言ってきたがノースリーブワンピースなだけでどこがセクシーなのかわからなかった。ただただ嫌味なんだろうなとは思った。

一番会いたくなかった、私をいじめていた主犯格女子も来ていた。彼女舐めるように上から下まで私を見るなり、「えー!久しぶりー!全然変わらないね!」と馴れ馴れしく話しかけてきた。いや、変わっただろ。思わず「え、本当?!」と言ってしまった。お前が一番いじってた部分を、私は金と努力で変えたんだよ。その笑顔の下にある本心を思うと、背筋が寒くなった。

でも、嬉しい再会もあった。当時、唯一の心の支えだった親友は、昔と全く変わらず超絶優しかった。「会いたかったよ」と言ってくれた時、本当に涙が出そうになった。

当時ほとんど話さなかった男子とも、大人になった今なら普通に仕事家族の話ができた。これは新しい発見だった。

そして、一番印象的だったのが、いじめっ子グループにいた根暗な奴だ。

そいつは、私が整形したことに気づいたんだろう。でも、直接は何も言えない。チラチラと私を見ながら、隣の友人に「ねぇ、顔変わったよね?ちょっと聞いてきてよ」とコソコソ話しているのが聞こえてきた。他にも「お前、年収いくら子供は?どこで働いてんの、ベンチャーとか?」とニヤニヤ言ってきた男もいたが、正直にお伝えしてやった。マウントとりたいらしく、自分の周りには優秀な大学卒のやつがたくさんいるとか宣ってて、かなりどうでもよかった。

その瞬間、すべてを察した。

あぁ、こういう奴は一生このままなんだな、と。

人の容姿を笑いものにし、自分では何も言えないくせに、他者を焚きつけて安全場所から見物する。他人ふんどし相撲を取ろうとするし、自分を保つために他者を貶めようと必死になる。その陰湿根性は、20年経っても全く変わっていなかった。

同窓会に行って、過去との決着がついたかと言われれば、正直わからない。

でも、一つだけ確信したことがある。

人は変わる部分もあれば、絶対に変わらない部分もある。そして、私を苦しめたあの過去は、今の私を形成するための、必要不可欠なピースだったのかもしれない。

もう、あいつらのために心をすり減らすのはやめよう。

私は私の人生を、これからも胸を張って生きていくだけだ。

もし今、昔の私みたいにいじめられて苦しんでいるやつがこれを読んでいたら、言いたい。

世界学校だけじゃない。そこが地獄なら、逃げろ。死ぬな。

そして、勉強でもスポーツでも何でもいい、狂ったように努力しろ。力をつけろ。

20年後、最後に笑うのは絶対に君だ。

というわけで、明日からまた、資本主義の馬車馬としてバリバリ稼ぐ日常に戻るわ。

じゃあな。

Permalink |記事への反応(0) | 21:37

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秋のパワーの源に牛を食べたい増田住まい食べたをうゅ技に友な未ノー和パの既あ(回文

おはようございます

暑さ寒さもガンズアンドローゼズとはよく言ったものよね。

この時期を境目にすっかり秋の空気というか風じゃないかしら?

こういうとき油断しがちだとかぜひいちゃうので要注意よ!

だって昼間はまだまだ暑いじゃない、

そんで朝晩は冷えるから

春夏秋冬の季節のピラミッドヒエラルキーなのよ!

冷えるからってわけじゃなくて気をつけましょうね!って話ね。

今日は予定がないからダラダラ過ごし勝ち大勝利になりそうなので、

夜に無理やり予定を入れてみたわ。

夜に映画を観に行くのよ。

無理やり予定を入れたら、

それに合わせて夜にシャキッとしてないといけないので、

今日はシャキッと過ごせそうかしら?

いくら昼間と夜の長さの時間が同じだとは言っても、

過ごしやすい秋とか春の季節は短くないかしら?

1日でも貴重な日々をすごさなくちゃいけないのよ。

私のサンマホームランの記録は今のところ3本。

ちなみに公式戦の本数で開幕戦までは5本を決めているのよ!

ブンブン腕を回して張り切っているわりには、

記録が伸び悩んでるわ。

大谷翔平選手へ追いつけ追い越せの勢いだったんだけど、

大谷翔平選手今シーズンホームランはすでに53本と、

私の秋刀魚ホームランとは桁違いなのは火を見るより明らか!

「火を見るより明らか」ってのは、

おそらく

火を発明発見してからできた言葉だろうから

以前までは

どういうふうに当たり前のことを明らかだね!って言っていたのかしら?

そもそもとして、

火を使い始めたきっかけってなに?

偶然に雷のスマップさんバージョンじゃない方林田健司さんバージョン青いイナズマが木に落雷して火がついたところを発見したのかしら?

自然発火的なものから導かれたとしか思えないわよね。

から

いきなりその当時の人が、

即座に雷の稲妻落雷でおきた火にいきなり骨付き肉を焚べて焼くかのように、

焼肉うめー!ってなった瞬間とはまた別だと思うわ。

それだと

火がある前提になっちゃってあまりにも準備が良すぎるわ。

まあ、

火が偶然にも発見したのは良いとして、

これは自然にいずれ気づくものだとするじゃない。

でもいつから肉を人類は焼き始めたのかしら?って

火なんて見たこともないのに、

いきなり肉を焼く発想でてくるのかしらってのも思うわ。

つーかさ、

雷は偶然の落雷の発火で火がついたとして、

その周りの木にいて落雷の火で丸焦げになった動物がいて、

たまたま通りがかった原始人的な人が通りすがり大将やってる?的に暖簾に腕押しでお店に入店した勢いだったと思うの。

てなると、

焼肉が先か?のれんが先か?いやそもそもとして、

ご機嫌にやっている大将の横にいる女将がいるいちいち小鉢料理が美味しい小料理屋が、

それら、

どれが一番最初原始時代発見されたのかしら?

うーん、

悩むわよね。

そんでさ、

偶然に落雷で発火した隣に動物が丸焦げになっていたのを

わ!いい美味しそうなニオイじゃん!ってそこまでは分かりそうなものじゃない?

で、

次は味付けなのよ!

火が発見されて肉を焼いたら美味しいかもって発見するより前に精錬された食卓塩はなかったかもしれないし、

木に落雷を待ち構えてなおかつ動物がそのそばにいて、

丸焦げになるのを待ち構えている原始人は食卓塩を持ち合わせていなかった可能性大だし、

それよりも、

食卓塩も大事だけどスパイス

まり黒胡椒大事じゃない?

お肉を焼く前に胡椒食卓塩があるのは矛盾するわよね。

調味料がなかったと仮定すると、

そのご機嫌で大将板前でいてその横に女将がいるいちいち小鉢料理が美味しい小料理屋はノー調味料料理提供していたってこと?

胡椒食卓塩ができる発見発明される前の小料理屋は味付けはシンプル

いやノー味付けだったかもしれない素材のうまさを十分に活かすスタイルの粋ないちいち小鉢料理が美味しい小料理屋さんだったのかも!

新鮮な野菜農家の人は、

採れたての野菜を生で齧らせがちだし、

粋な料理人というか料理研究家は、

変に味付けしたがらないじゃない。

あ!そういうことかー!って

きっとだから調味料発明発見される前から

すでにいちいち小鉢料理が美味しい小料理屋さんは素材の味で勝負していたのよ!

わ!

凄い歴史的発見秋分の日にふさわしい出来事じゃない?

文化の日先取り!って感じがよくない?

でも、

お肉は何分ぐらい焼いたらいいの?って口伝え伝承するにはあまりにも曖昧すぎるかもしれないので、

お肉は何分焼く!って具体的に書き記すことができた、

文字発見もきっと美味しいレシィピをのこすためには重要だったかも!

その大将曰く「味の決め手は昆布出汁や!」ってそれだけ素材一択だったら分かりやす文字必要のない伝承の仕方かもしれないけれど。

火が発見される前に、

お肉を焼いたら美味しいかもということが発見される前、

すでに

食卓塩も胡椒もあってレシィピも書き残せる紙とペン文字発明開発されていて、

あとは肉が木に落雷で発火したのを偶然通りかかった動物が美味しく焼けるのをメモを握りしめて鉛筆の芯をペロペロ舐めて構えて待ち構えている目前だったかもしれないわ。

で、

人類がまだ見ぬ知らぬ火に焼かれた肉が美味しそうなのかも!って知らない季節に

偶然に記者が肉が偶然に焼けることをニュースにしようとして、

デスク編集長編集者今日巻頭カラーはこれで決まりですね!って言いそうな勢い!

日刊焼肉カラーの1面の紙面には、

落雷焼肉爆誕!って見出し落雷で発火し動物の肉が美味しく焼ける人類初の出来事!って、

正にバクザン先生爆誕!ってうっかり言いそうなぐらい1面大見出しになっていたかもしれないわ!

ってのを悶々と考えていたことを

言ったらそれはアンガス牛定食を求めている証拠ですとAI言うじゃない。

ああ、

私はサンマ定食ばかりに目が行ってて、

秋の美味しいカッツアンガス牛定食も心の中にあった

食いしん坊が爆発する秋のシーズン脳内のそういった潜在的意識イメージ化したのかもしれない。

サンマ定食秋刀魚ホームラン連続打席ホームランも疲れちゃうので

中日にカッツアンガス牛定食も挟んでみるのもいいかもしれないわね。

ちょっと涼しくなると、

なんか変に食欲も爆増しない?

私だけかしら?

秋刀魚ホームラン試合のないときの移動日とかはカッツアンガス牛定食でもいいかもしれないわ!って

秋の空と浮気心を重ねてしまいそうだわ。

うふふ。


今日はお休みなのでゆっくりモードの、

これからお買い物行ってなにか美味しいものでも探す旅にでて

朝ご飯とお昼ご飯を一緒におうちゃくにも済ませてしまいそうだわ。

デトックスウォーター

コーン茶ウォーラー茶ね。

レシィピ通りに作った水出しのコーン茶ウォーラー茶は

香ばしくて出来立て瞬間は美味しいわ!

翌明けて2日目となると

ちょっとほんのちょっと風味の豊かさが減ってる気がするの。

とはいえ

これでも十分美味しい初のコーン茶ウォーラー茶は満喫できそうよ。

飲みきったらまたリピートで作るリピードの準備よ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 10:12

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2025-09-08

ある地元イベントに参加した陽キャたちを見て思うんだけど

弱者男性だが、俺は普段陽キャや女さんがやるような品評会というのを嫌っている

通りすがりの奴や職場人間など何の関係もない人間品評会を声を出してやる姿は嫌悪感があるし、態度にも出すから

そこまで普段他人に興味のない俺のほうが余程健全で優しいとすら言えるだろう


しかし、イベントに参加したことで集まったカップルたちや女たちに偏見が生まれたので、それを開陳したいと思う

普段個々人に物申すのは良くないという思想があるが、今日特別で毒は強めで行く


インスタとかTikTok好きそうな特徴のない細身の美人は小綺麗な男(顔の欠点が少なく痩せ型で流行りの髪型韓国かぶれな印象を受けるキレイ目な服装キノコ率も高い)を連れてる

なんかネチネチ精神攻撃しか出来なさそうで身体的にも精神的にも弱そうな男だなあという印象も受けるしこの手の男で仕事が出来る奴を見たことがなく口と雰囲気で誤魔化すタイプだろう

かにこの手の美人仕事に重きを置いてる奴はほぼいないし、この手の女側も男側も大体狭量なので相性も良いだろう

あとこの手の女は美容業界や夜職で働いてそうと思ったし、周りからどう見られるかが重要なだけで男の人間性をそんなに気にしてないし期待してないんじゃないか?と思った

男はアクセサリー型とも言う

なおこのタイプは何組か見たが、どいつもこいつも外見が量産型SNSファッショントレンドを見るとド先端ではないが遅れてもいない感じで一番無個性に見えた

楽しそうに会話してるのを見たことがないどころか会話があんまりないが、SNSでは楽しくイベントに参加したことになってるんだろうなあ

意外とこのタイプは多かった

このタイプの女さんは接点があろうと無かろうと弱者男性の俺に対して敵意も含めて関心を持つことはほぼないだろう連れてる彼氏にも関心薄そうだし

俺の仲良かったイケメンの従兄弟がこのタイプ結婚して子供もいたけど上手く行かなくて離婚したんだよなあ

本来はかなりの陽キャだったんだけど、このタイプと付き合ったり結婚してる時はなんか暗くなってたわ


外見のスペックあんまり冴えないけど(男基準で見るとダサい訳ではないが、イケメンでもなくスタイルも良くないし女ウケはしなさそうだが、男らしい感じ)社会的無難コミュニケーションが取れそうで明るい男と上記美人程の作り込まれスペックではないが、女側の容姿は相当良い方のカップル

多分このタイプの女は男にもたれ掛かるのが好きなんだろう、一見フランクに接して会話も多いが全てのリードは男側がやっていた

この手の男で仕事が出来るタイプ存在はするし、そこまでのレベルでなくても大体は職場である程度戦力になってそう

よくよく観察して見ると、このタイプの組は数が多い訳ではないが、例外なく楽しそうなのは女側だけで男側は終始サービスしてるだけで目が笑ってなかった あと、このタイプの女さんな彼氏がいるにも関わらず弱者男性の俺にもあからさまに色目使ってきたり、逆にジロジロ見てきたり、チラチラ見てくるのもいた

観察してる俺が悪いと思うかもしれないが、基本遠巻きに見てるので気付かれる事はあんまりなくすれ違った時の反応がこう

多分ある程度の容姿がある男であれば誰にでもこうで、自分の身を固めた後に程々に浮気不倫するタイプと見た

男も女も冴えないカップル

このタイプ一番楽しそうに会話していて、一番普通の層に見えたが両者ともに顔がイマイチだったり、垢抜けなかったりする

子供連れタイプ若いカップルタイプがいるが一番男女間でコミュニケーションが取れてて、世間ではコミュ強と呼ばれることはなさそうだが、実は他のタイプよりコミュカップルなんだと思う

このタイプの数は程々にいる

特になんの付き合いもない俺に関心を持つこともないだろうが、それは普通のことだと思う他の連中がおかし

洒落子連れカップル

数は多くない何組か見かけた

HUMANMADEの服は弱者男性の俺も着るし結構好きなんだが、実際に着てるのがこの層ならブランドターゲットは俺じゃないんだろう

家族仲は意外と良さそう

あと俺がカバーしてる範囲ブランドなのもあるが、このタイプ例外なく親も子供も着てる服が露骨に高いと分かる

でも周りから特に何か言及される訳でもないし自己満なんだよなあ。それでいいんだが

男側がイケメンの部類で女側の顔はそうでもないタイプ(大体服も他の女より少し個性的)

男側の容姿が劣ってる場合は男側がサービスする事になるんだなあと思ってたが、この組を見て結局男側がリードしたりサービスするんかいと思った

そしてこのタイプは……意外と多い

女は下方婚しないが男では当たり前というのはこういう所にも出るのかと思った

ただ、不思議な話で女側が美人で男側が冴えない外見の組み合わせより、こっちのタイプの男の方が余程リラックスしていて楽しそうにしていたし男側も会話を楽しめていたようだ

女側が楽しかたかどうかは分からないけどな

このタイプの女は彼氏イケメンなのであんまり他の男に金とかのステータス以外で靡かないだろう


中高生ぐらいの女どもの群れ

男だけで集まってイベントに来るより女だけで集まってイベントに来る方が一般的に多いようだ

このタイプの女は本当に生意気で男の品評会を声に出しがちで、相当甘やかされて育ったらしいな

ただ、このタイプの女さんを揉むのは男じゃなくて他の女さんに社会に出た時にトラブル起こしたりお局にネチネチやられるだろう

容姿はそれぞれだが、例外なく社会人の方が垢抜けてたりお洒落で、本人たちは気が付いてないだろうしさほどファッション知識もないだろうが、その辺のおっさんやおばさんの方がお洒落場合もザラ

年齢以外に売りはなく、ガチ目の品評会されたらきつそうなんだよねえ本人たちが

彼氏持ちもあんまりいなさそうで、品評会する割に男の臭いが感じられず将来的にフェミニストになりそう


中高生ぐらいの男ども

最近中高生の男は昔よりいくらか多様で、運動部系だったり韓流被れだったり、韓流被れじゃない奴だったり、昔ながらのオタクっぽい奴もチラホラ

サッカー部と思われる奴はこだわりが強いのかサッカーシャツ着がち

サッカー部と思われる奴には彼女がいたり、いなくて男だけでつるんだりしていた

韓流被れの奴はイベントで同じ学校と思われる女から偶然あったようで話しかけられていたので、ネットの女さんが言うように中性的な男が今の流行なのは本当っぽい……

総じて言えるが、男の方が真面目そう

大学生ぐらいの男女

例外なくウザイし、説明不要だろう

中高生より平均的に垢抜けてるが、どの程度垢抜けてるかは人それぞれで、大体は社会人の方がお洒落

Permalink |記事への反応(0) | 16:02

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anond:20250908142011

女さんと言えば品評会だよな

通りすがりの男や職場の男相手にもやるし声と態度にも出る

Permalink |記事への反応(0) | 14:23

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2025-09-07

森博嗣 Gシリーズ ω(オメガ)の悲劇 出版可能

 森博嗣先生のGシリーズの最新作、ω(オメガ)の悲劇出版を待っていた。森博嗣先生か連載している雑誌コラム道草道標森博嗣先生への質問募集されていたので質問したところ、連載中で以下の回答がなされた。

道草道標

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3913598/3/

以下一部引用

 さて、このウェブ連載が始まった最初の2日間に読者から届いた要望質問編集部から送られてきた。読者の要求なんて森博嗣がきくはずがないことを、多くの方がご存知だろう。それでも、その壁を乗り越え、もしくは、通りすがりでなにも知らない振りをして、応募して下さった方々に感謝

 詳細で具体的な質問内容やテーマについては、またいずれ。今回は第1回公開の直後だったため、まず自動車に関する質問が幾つかあった。何に乗っているのか。クルマ談義をしてほしい、などなど。また、人生相談もあった。家族のこと仕事のことで悩んでいる、周囲に誤解されている、どうしたら良いのか、などなど。しかし、一番多かったのは、小説をもう書かないという発表に対する反応。これは予期していた。

 世間(具体的にはネット)でも「引退宣言」などと呟かれていたけれど、それは15年以上まえに既に発表していて、引退理由推理作家協会脱会したのも、その頃である。その後何度も繰り返し「新しい仕事を受けない」などと方々で書いているので、とにかく「今さら」といえる。蛇足だが、既に執筆済みの新作を出版社が温存しているとか、作者の死後に出版される段取りだとか、といった憶測についても、既にエッセィなどで否定している。微笑みつつご安心下さい。

まり、Gシリーズ最新作、ωの悲劇出版されないとの返答である。そのため、Gシリーズは、ω城の惨劇で終わりということみたいだ。ωの悲劇では、真賀田四季から視点森博嗣作品の総括が行われるかもと期待していたが、残念。

Permalink |記事への反応(0) | 08:17

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2025-09-05

誰にも言えない

投稿するのも初めてだから何か変だったらごめんなさい。というか私そのものがかなり変です。

なるべく時系列を追ったつもりだけれど、頭に浮かんだ順に書いているのでかなり支離滅裂です。訳わからないところも多いと思います。それも含めて今の私が書いたもので、読みやすさとかは全くないですが、とにかく誰かに話を聞いてもらいたくて書きました。人から見たら大した話ではないです。

最初に彼Aと会ったのは去年、私が大学3年生のころの5月ぐらいだった。

その頃、私は別の男性Bから好意を向けられていて、その人のことを気にしていた。

Bはタイプではないけどどうしよう、自分はどうしたいんだろうと何もできずにいた。それは今思えばBをも困らせていたようにおもう。

彼Aはひとつ上の先輩で、4年生だった。

その時は特に一目惚れとかはなかった。

その後何回か飲み会がセッティングされたりした。

私はそのときBのことを考えていたし、元々飲み会は行かないタイプだったので断っていた。

今思えば、ここでAのいる飲み会に参加したりしていたらどうなっていたんだろうと思う。

チャンスは何度もあった。

ある日、彼Aがちらちらと私を見ているのがわかった。

そして通りすがりに「かわいい」と私に言ったのだった。

ほとんど最初最後の彼との会話だった。

私は全てにおいて後悔している。

それ以降私は彼Aのことが気になるようになった。

Bのことがどうでも良くなっていった。というかAの方が単純にタイプだったし、Bへの諦めをつけようと思った。その時はその時でだいぶ落ち込んだ。この人(B)には彼女がいる説があったし、ただの女好きなのかなとがっかりしたのだった。

Aは基本的には明るく社交的な感じだけれど、時折見せる寂しさみたいな表情があって、自分自身複雑な家庭環境で育ったこともあり、彼のそういうところに惹かれた。

彼Aは最初の「かわいい」以来間接的なアプローチはするものの直接私に何か話しかけてくることはなかった。話しかけられたくて隙を作ったりもしたがうまくいかなかった。

最初から私に興味などなかったのか。遊びだったのか?

それとも本当に心底私のことが好きだと思ったのか?

からないまま時は卒業へと向かった。

私は調子に乗っていたのかもしれない。

好きな人の前ほど控えめで素っ気ない対応しかできなくなる。

そして機会を逃す。

両思いだったのかもしれないのに。

何もできなかった。

彼は卒業して会えないしどんどん距離が遠ざかっていく。だけど私だけが彼と一緒になりたかったとずっと願っていた。

私が素っ気なくしたからなのに。何もできていないのに。

およそ1年ぐらい前から、彼が自分人生の中心になっていていつも彼と重なるものを探していた。いつも彼のことを考えていた。

彼の好きそうな服装髪型にしたり、色を選んだり(あくま無意識だけれど。)

性格だってそうだ。性格というか思考というか、彼と重なる自分でありたかった。隣にいて何一つ違和感ない自分になりたかった。

本当は彼のことな勝手ネットストーキングしていたXの投稿の内容でしか知らず、繋がってすらいないのに、投稿の中に少しでも自分と重なるところがあるとまだ彼は私を好きでいてくれてるんじゃないかなんて舞い上がって数日ぐらい明るくいられた。彼が卒業して会えなくなってから、僅かな可能性を信じ続けることもしんどくなって、不安になって、心の頼りがなくなって私は心療内科に通い始めた。そして薬を飲むようになった。

一日に何時間考えていたんだろう、それがおよそ一年となるときっと何百時間は下らないぐらい考えていただろう。明らかに依存していた。

彼と重なる自分を作ろうとしすぎていた私は、自らが空っぽになっていくような感覚に駆られた。

何も好きになれなくなったし、誰のことももう今後好きになれないんじゃないかと、今もそう思っている。

彼のことばっかり考えながら音楽を聴いていたから今何の音楽を聴いても全然心が動かなくなってしまった。

何にも興味がわかない。ただ身体だけはちゃんと動くからそれが妙に虚しかった。

色々忘れたくて馬鹿みたいに予定を詰め込んだ。

その行き帰りの道を一人歩いていると、周りを歩いているカップルが心底憎く思えた。

こんなこと言うのは悪いってわかってるけど、明らかに自分より努力していなかったり容姿微妙人達カップルになっていたりするのを見るとなんでなんでと怒りが湧いた。自分けが誰とも繋がれなくて、この先もう誰からも愛されないまま人生を終えていくんじゃないかと思えた。

薬のおかげで少しマシになったりもするが、孤独と恐怖からパニックみたいになる時もあった。

そして私は元々抱え込む性質から、ずっと誰にもこの話をできなかった。恋をしていたことすら一年間誰にも話していなかった。頭の中はいだって彼のことでいっぱいだったのに。

自分失恋的な変化を周囲に悟られたくないという気持ちで気丈に振る舞い、もっとこうしたら愛されただろうかという後悔から無理に完璧主義自分になった。

彼のおかげで変われたことも多くある。

自分からしかけられなかったり、素っ気ない一歩引いた態度をとってしまった後悔と、何かのきっかけで彼と再会して話せたりしないだろうかという期待から、いろいろな場に顔を出したりして、人と前よりも積極的に関わるようになった。再会できたとしても、もう他の女性と付き合っているのかもしれないけど。もう私には目もくれないかもしれないけれど。

私は彼にもう一度、できればもう百度、今後一生会いたかった。なぜだかさっぱりわからないけど親に彼を紹介するところさえ想像できた。こんなに好きになれたのは久しぶりだった。彼のことを考えて彼に染まってふわふわしたりする時間幸せだったし自分なんかじゃダメだとか彼は遊び人なんじゃないかとか不安になっている時間は苦しかったし私のおよそ一年は今思えばほとんど彼に充てられた。相手自分に対して一途であってほしいという願いから、他の人への興味が薄れてしまった今、これ以上好きになれる人が現れるんでしょうか。

最近、少しずつ彼のことを考えずにいられるようになってきて、それを機に、つい先日なんとなく彼のXを久しぶりに見に行った。そこには別の女性の影があった。彼は多分いま、別の女性を好きになっているのだと思う。

この日私は改めて、「私は失恋したのだ」と認識した。そこで整理をつけるためにこの文章を書いている。誰でも良いから聞いてもらいたかたから。

だって可能性を諦めきれていないけど、ひとまず無からリスタートだと思っている。沼ですらない何か幻想に全身が浸かっていたような話だけど、こういう経験20代前半でできたことはまだ救いだったかもしれない。私は少しずつ変わっていくことができるだろうか。

もっと依存しない自分になりたい。それか、何か夢中になれるものが欲しい。何も好きになれなくなってしまった人で、そこから抜け出せた方法などがあったら教えてください。

Permalink |記事への反応(1) | 22:57

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2025-09-03

anond:20250903112642

性犯罪を触れ合える機会扱いするのか

まあ日本女性の初めての性経験って大概が犯罪者通りすがりにやられるパターンでそこで嫌悪感芽生えて男女交際自体しない人増えてるよね

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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2025-08-29

通りすがりの猿みたいな連中のイイネ稼ぎに血道をあげても虚無だし、

かといって「宣伝しなければ存在しないのと同じ」だという。

けっきょく大時代な「文壇」みたいに、スノッブサロン的な場というものがどうしても必要なのではないか

“わかってる”人間にだけ発言権があり、有象無象は金出すだけ。もしかしたらそういうヒエラルキーがなければどんな文化も持続可能でないのかも知れない。そしてネットはそういうスノビズムを許さない。

Permalink |記事への反応(0) | 18:40

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2025-08-28

1999年7の月 アンゴルモア、恐怖の大王存在した

今年の夏、数年ぶりに実家帰省したんだけど久々に帰ったせいでこの機会を逃すまい!と親から部屋の片づけを命じられ、ゆっくりするつもりが全然出来なかった。

仕方がなく実家自分の部屋の掃除をしたわけだけど…机の引き出しから何やらよからもの発見原稿用紙数枚分。なんとなく思い出した。自分が確か高一の時ぐらいに書いた小説もどき…。

そのまま処分しようかと思ったけど、これも何かの縁かと思い、焼き払う前にここに残そうと思って(供養の意味も込めて)、恥ずかしながら当時書いた小説をここに貼ります

1999年7の月 アンゴルモア、恐怖の大王存在した』

1

七月の黒板って、手のひらの汗を全部吸って、授業が終わるころにはチョークが湿気で太る。

セミは朝からミンミン鳴くくせに、ホームルームときだけ少し黙る。

うちの担任は「ノストラダムスの書いた七の月だね」と、冗談のつもりで言うのだけれど、冗談って二回目から効かなくなるのよ、先生私たち1999年の夏を、テレビワイドショーと同じ顔で消化して、笑うところは笑って、でも笑いきれない部分は教科書の下に隠す。

休み廊下のどこかでPHSがピピピって鳴る。あの音は少し未来っぽい。私は机の中からMDを取り出して、宇多田ヒカル再生して、再生の丸い矢印が自分心臓の形に似てるな、と毎回どうでもいいことを思う。(でもFirst Loveは毎回ぜんぜんどうでもよくない。あれは心音を増やす歌)

夏の空気扇風機の首ふりのリズムで揺れて、窓の外の雲は誰かが消しゴムで端をこすったみたいにほどけている。私は五時間目が終わったところで、ノートをぱたりと閉じて、裏表紙の端を折って、そっと立ち上がった。「保健室行ってきます」って小さく言えば、先生はたいてい止めない。保健室に行く経路で、屋上という寄り道があることは先生たちの知らない秘密地図

理科準備室の窓は鍵がゆるい。椅子を一脚ひっぱって、窓枠に膝を乗せ、指先で金具を押し上げる。屋上に出ると、空気が急にちゃんと味になる。すこし錆びた匂い。じんわりした熱。遠い国道トラックの音。フェンスの金網に両手をかけて、私は深呼吸を一回、二回。七月の呼吸。あ、これは覚えておこう、って思ったとき

「そこ、危ない」

声がした。男子の声。低すぎず、高すぎず、でも機械温度みたいに均一。

振り向く前に、軽く手首を引かれて、私は一歩だけ後ろへ下がる。フェンスぎりぎりのコンクリ、米粒くらいの黒い影が落ちて、コツン、と音を出して割れた。殻の匂い。卵じゃない。虫でもない。もっとイヤな、硫黄の、でもどこかで嗅いだことのある、夏の終わりの側溝みたいな。

「ほら」

私の手首を放した彼は、フェンスにもたれるように立っていた。うちの学校制服じゃない。黒い長袖。胸元に小さな紋。汗をかいていない。かわりに、視線が汗をかいているみたいに一直線。

「落ちてくるからね、ここ。今日はまだ小手調べだけど」

「……なにが?」私は聞く。

「アンゴルモア」

さらっと言わないでほしい。テレビが殊更に太いフォント見出しにしてた単語を、屋上の風のなかで日常語みたいに投げないでほしい。私は笑うタイミングを探したけれど見つからず、代わりにMDを一時停止にした。(宇多田のサビで止めるのは罪だけど、今日免除してほしい)

テレビのやつ?」

テレビが知ってるのは“名前”だけ」

彼はフェンスを見上げる。その目は、黒板のイコールをまっすぐに引ける人の目。

本体はまだ。今日は殻と匂いだけ。予告編みたいなもの

殻、と彼が言った瞬間、さっきの黒い米粒が、煙みたいにほどけて消えた。彼は胸の紋に指先を添え、短い金属を引き抜いて、空気を一回だけ切る。刃じゃない。音だけ。なのに。地面の黒が粉になって、風にさらわれた。

ちょっと」私はやっと声を持つ。「なにそれ。あなた誰」

通りすがり

教科書みたいな返事。でもふざけた感じはない。

「通りすがるには、ずいぶん正確にうちの屋上に来たじゃない」

「見える人のそばは、風が変わるから

彼はほんのすこしだけ笑う。笑い方は丁寧で、耳の形まで整っているタイプの顔。近づくと汗の匂いじゃなくて鉄の匂いがした。

「君、見えたでしょ、さっきの。普通の人は見えない。足もとに殻が落ちても、踏んで帰る」

「見えたから、何?」

「ひとりにしない」

その言い方は、なんだか“わたしの”言葉みたいで、ちょっとムカついた。知らない人に先に言われるの、好きじゃない。

名前は?」

「湊(みなと)」

ひらがなで言われてもカタカナで言われても、たぶんこの名前は港の音がする。波打ち際で人を呼ぶ声。

湊はフェンスの外を見上げる。雲が薄く切れて、青の下に白い面が一秒のぞく。その一秒のあいだに、空が低く唸った。電車が遠くの高架をゆっくり渡るときの音に似てるけれど、もっと乾いている。私の首筋の汗がすっと引く。

「二匹目」湊は言って、私の前に立つ。

降ってくる。今度は米粒じゃない。ビー玉よりちょっと大きい、黒い丸。着地の前に割れて、内側から“何か”がぬるりと出ようとする。輪郭を持たないのに、目より先に匂いけが肌にささる。夏の犬小屋の奥に置き去りにされたゴム、みたいな。

「息を合わせて」湊が言う。

「どうやって」

「今、君がしてるみたいに」

気づくと、私は湊とおなじテンポで息をしていた。吸って、吐いて。吸って、吐いて。二回に一回だけ、すこし長く吐く。そのリズムで、湊の金属空気を切る。殻の破片が粉になり、風だけが残る。

「……ほんとに、アンゴルモア?」

名前が先に来る怪物っているんだよ」湊は肩の力を抜きながら言う。「“恐怖の大王”って言葉空気が好きなんだ。空気は、好きな言葉に寄ってくる」

そこまで聞いたところで、屋上のドアがギイッと鳴って、私は心臓を落としかけた。風より静かな足音制服足音じゃない。

「遅い」湊が言う。

「早すぎる」低い声が返す。私は反射でフェンスの陰に一歩引いて、ドアのほうを見る。黒いTシャツに薄いグレーのシャツを重ねた、涼しい顔の男の子。髪は長くも短くもなく、目は印刷された数字みたいにブレない。

「……え?」

今日は偵察だけって言ったろ」と彼は湊に向かって、とても小さく眉間を寄せる。「初対面を屋上でやるの、ミス確率上がる」

「じゃあ、屋上じゃないと見えないものもある」湊はさらっと返す。

二人は友だちっていうより、同じ地図の別ページ、という感じ。

「澪(れい)」と彼は短く名乗った。手にPHSアンテナ二本。画面に点の地図数字が流れて、一瞬だけ止まる。

「下、駅前に一件。夜は濃い」

「夜?」私はつい口を出す。「夜まで?」

今日の七の月、最後から」湊は私を見る。「帰り道、寄り道をしてもいいなら、案内する」

案内、ってすごくヘンな言い方。でも私はうなずく。喉が乾いているのに、声はちゃんと出る。

湊は金属を胸の紋に戻し、手すりに軽く触れてから踵を返した。澪はPHSを親指で弾いて、何かを送信して、何も言わず私たちの前を歩く。三人で階段を降りると、校舎の匂いが一瞬だけ“普通”に戻って、私はその普通を鼻に詰めておこうと思った。(後で必要になる普通がある、って、新井素子の本に書いてあった気がする。気がするだけで、どのページかは思い出せないけど)

駅前夏休み夕方の顔をしている。ロータリーバスマクドナルドの前に行列ガチャガチャの前で小学生が揉めてる、CDショップではラルクポスターゲームセンターからドリームキャストデモ音。風鈴みたいな高い音が一瞬だけして、次の瞬間、音が全部半拍ずれる。

「来た」澪が言う。

誰も気づいてない。サンダル女子高生も、サラリーマンも、ショッピングカートを押すおばあちゃんも、誰も。

から降りるものは影じゃなくて、空気の厚みの差。見えるのは、ここにいる三人と、そして、たぶん私だけ。

湊は前に出る。澪は周囲を見渡して、最も“記録”の薄い位置を選ぶ。道路標識の影と自販機の影が重なる場所

「ここなら、ニュースにならない」

ニュースにならないって、そんな基準ある?」

ある、と澪は言わないで、目で言った。

湊の肩が、呼吸といっしょに上下する。私はそのリズムに合わせる。吸って、吐いて。吸って、吐いて。なぜか一緒にやると心臓が落ち着く。(恋とかじゃなくて。いや、恋かもしれないけど、いまは違う)

殻のない降りは、匂いだけで先に来る。不意打ち。目の端で捉えるまでに、鼻が先に反応して、汗腺が縮む。湊の金属空気を切り、澪のPHS画面の数字が揃い、私の呼吸が三拍目で長くなる。カチッと音がして、見えない何かが折りたたまれる。駅前はなにも起きなかった顔に戻る。

「——ねえ」私は息を整えながら言う。「これ、毎日?」

「七の月は毎日」湊は金属しまう。「終わったら、少しだけ静かになる。少しだけ」

その“少しだけ”の言い方が、もう経験者の声で、私は急に怒りたくなって、でも怒っても仕方ないから、代わりに缶の自販機麦茶を買って三人にわけた。湊は半分だけ飲んで、缶を私に返す。澪は口をつけずに、冷たさだけ指に移して返す。私はベンチに座って、残りを一気に飲んだ。

「帰り道、送る」湊が言う。

「送らなくていい」私はつい強めに言う。「ひとりで帰れる」

「見える人を、ひとりにしない」

またそれ。私はむくれて、でも、足は自然に彼らと同じ方向へ動いていた。

交差点信号が青に変わる。横断歩道を渡る瞬間、風がすっと変わって、私は振り向く。人混みのむこう、ビル屋上の縁。夕陽の切れ端のような光のところに、白いシャツの誰かが立ってこちらを見ていた。

まばたきしたら、いない。

「いまの」

「気づいた?」澪が初めて少しだけ笑う。「いい目だ」

「誰?」

「多分、明日には“こちら側”に来る」湊は短く言った。「きれいな顔をしてる」

家の前で別れるとき、湊は「また明日」と言いそうにした顔でやめて、「風の匂い塩辛くなったら、上を見て」と言った。

私はうなずいて、門扉の前で一回だけ深呼吸した。玄関を開けると、母が台所ゴーヤチャンプルーを炒めていて、テレビは「Y2Kに備えて」の特集をやっていて、父は食卓新聞を広げ、「大丈夫だよ」といつもの声で言う。

私は自分の部屋でMD再生して、PHSアンテナを出して、引っ込めて、出して、引っ込めて、意味のない儀式を二十回くらいやってから、ベッドに倒れ込んだ。天井蛍光灯カバーに、屋上フェンスの格子が重なって見えた。

眠る直前、窓の外で、ほんの少しだけ風が塩辛くなった気がした。私はカーテンをめくって、上を見た。空はぜんぶの青を混ぜたみたいな色で、星はまだ点かず、遠くのどこかで雷の写真だけフラッシュが光った。

明日も、屋上に行く。

明日も、見える。

明日、もうひとり来る。

七の月は、まだ終わらない。

2

夏休みの昼下がりって、テレビがやたら静かになる。

ワイドショーが終わって、ニュース時間までの隙間に流れる通販番組マッサージチェアとか。美顔器とか。私は居間スイカバーを食べながら、母がアイロンをかける音を聞いていた。

PHSが震えた。メール文字数は少なく、「屋上」とだけ。差出人不明。昨日と同じ。

——行くしかない。

理科準備室の窓をまたいで、椅子を蹴って屋上に出る。

照り返しが強い。空気が音を立てる。セミは昼なのに狂ったように鳴いていて、私の制服は汗を吸ってもう重たい。

「来た」湊がフェンスにもたれていた。

隣には澪。無口な彼は今日PHSを指先でいじって、画面に流れる数字を追っている。

そして——もうひとり。

髪は少し長く、色素の薄い瞳。美少年しか言いようがない顔立ちなのに、目の奥がひどく静かだった。笑ったとき、光がこぼれるというより、光が寄っていく感じ。

「碧(あお)」と湊が紹介する。

よろしく」碧はにこりと笑って、私の袖を軽くつまんだ。指先が冷たい。

「三人?」私は尋ねる。

「四人」湊が言う。「君を入れて」

「えっ、いや、私なんて」

「見えてしまった以上、もう“向こう側”だよ」澪は画面から目を離さずに言った。

私は息を呑んだ。昨日から、すでに普通ではなくなっている自分を、もう否定できない。

——

夕方私たちは駅へ向かった。

ロータリーに人が溢れている。コンビニの前では中学生立ち読みして、パン屋からは焼きたての匂いバス停のベンチに座るおばあちゃん団扇をぱたぱたさせている。

そんな雑踏のなかで、突然、音が半拍ずれる。

通りすぎる電車ブレーキ音が伸び、子どもの笑い声が濁り、セミの声が一瞬だけ空気に沈む。

「来た」澪が小さく告げる。

から、殻が落ちる。最初は見えない。でも、確かにそこにある。私たち四人の目にははっきりと。

ビー玉より大きな黒い殻。地面に触れる前に割れ、中からぬるりと何かが出る。匂いは昨日より強烈。鼻の奥が焼ける。

「人混みの中は厄介だ」湊が前に出る。

周波数を合わせる」澪はPHSを高く掲げ、ボタンを素早く叩いた。

大丈夫大丈夫」碧が私の肩に手を置いた。「君は息をするだけでいい」

から出てくる“それ”は、人の目には映らない。でも私には見える。輪郭は定まらず、影が水に溶けるみたいに揺れる。だけど、確かに街を食おうとしている。

「湊!」澪の声。

湊は棒を伸ばし、空気を裂いた。

刃ではなく、ただ音。だけど“それ”がたじろぐ。

碧が微笑みながら指先を空に走らせる。風の流れが変わり、影の形が折れ曲がる。

「今だ」湊の声に、澪のPHS数字が揃う。

私の呼吸が、彼の肩の上下に合わせて整う。

一瞬、世界が止まった。

そして、影は粉になって消えた。

駅前は何も起こらなかった顔で、再びざわめき始める。人々は誰も気づいていない。

——

「なに、これ、ほんとに毎日?」

ベンチに座り込んで、私は麦茶を一気に飲み干した。

「七の月は毎日だ」湊が答える。

「でも、七月が終わったら?」

「少しだけ静かになる」碧が柔らかく笑った。「でも、“恐怖の大王”は終わらない。七月の名を借りてるだけだから

澪は黙ってPHSを閉じた。その目は冷たいけれど、どこかで私を見守っているようでもあった。

私は三人を見回して、息を吐いた。

「……わかった。もう知らないふりはできない。だから——」

「ひとりにはしない」湊が言った。

その言葉は、昨日よりもずっと重く、強く響いた。

——

夜。帰り道。

商店街アーケードにはまだ人がいた。ゲーセンの前でカップルプリクラの袋を持って笑っている。CDショップからELT歌声が流れている。

そのとき空気がまたずれた。

「また?」私が言うと、碧が肩をすくめる。「今日は濃いからね」

ビル屋上夕陽を背にして立つ影があった。

制服でもない。黒でもない。白いシャツ

その人は、確かにこちらを見ていた。

次の瞬間、いなくなった。

「今のは?」

「気づいた?」澪が珍しく少し笑った。「君、ほんとにいい目を持ってる」

「……誰?」

明日、会える」湊は短く言った。「俺たちの仲間になる」

——

玄関を開けると、母がテレビを見ていた。

ニュースは「何もなかった一日」を語っていた。

私は自分の部屋に入り、PHSアンテナを伸ばしては引っ込め、伸ばしては引っ込め、意味のない儀式を二十回くらい繰り返した。

屋上の風がまだ、肌に残っていた。

三人の声も、影の匂いも。

そして、明日現れる誰かの姿も。

七の月は、まだ終わらない。


3

七月三十一日。

カレンダー数字が赤くも青くもないのに、どうしてこんなに特別に見えるのだろう。

”終わる”という言葉が、宿題ノートよりも、日めくりの紙よりも、今日は妙に重たかった。

午前はやけに晴れていた。

コンビニで買ったガリガリ君が一瞬で溶けるくらいの青空

でも午後になってから、光は濁った。セミの声がかえって甲高く響く。

私はPHSを握りしめ、またメールが来るのを待った。

震えた。文字はやっぱり短く「屋上」とだけ。

屋上のドアを押すと、三人が待っていた。

湊。

澪。

碧。

そして昨日見た“白い影”が、今日はそこに立っていた。

「紹介する。彼も仲間」湊が言った。

白いシャツ少年は軽く会釈をした。年は私たちと変わらないのに、目の奥だけが遠い。「……雅(みやび)」と小さく名乗った。

四人の男子と、私。

屋上の風は重たくて、フェンスの金網が湿っているみたいだった。

本体が来る」澪はPHSを掲げ、数字の羅列を見せてくる。意味はわからない。でも、ただ事じゃないことは伝わる。

「恐怖の大王」碧が肩をすくめながら微笑む。「七月が終わる、その瞬間に」


雷が鳴った。

雲の端が割れ空気が低く唸った。

私は一歩後ずさったが、湊が前に出た。背中越しに、彼の肩の呼吸が見える。

大丈夫。合わせればいい」

「……どうやって」

「昨日と同じ。君は息をするだけ」

影が降りてきた。

殻じゃない。粉でもない。

“名状できないもの”が、街を覆いはじめる。

匂いが先に来る。鉄錆とゴムと、夏の終わりの湿気を全部混ぜたような匂い

澪はPHSを打ち込み、数字を揃える。

碧は風の流れを変える。

雅は静かに印のような手の動きをして、影の裂け目を縫い合わせる。

湊は棒を構え、私の前に立つ。

「……来るぞ」

大王の影は、顔を持った。

知らない誰かの顔。

でもなぜか懐かしく、私の記憶の底を撫でる顔。

「来る」澪が短く言う。

「させない」湊が返す。

影が迫る。世界が歪む。

人混みの声が止まる。時計の針が動かない。

この一瞬に、すべてが収束していく。

湊は前に出た。

「俺がやる」

「待って!」思わず叫んだ。

「君をひとりにはしないって言ったのに」

湊は、振り返らなかった。ただ、少し笑った。

「ごめん。今日は、俺だけで強がらせて」

影の中心に踏み込む

棒を構え、全身を“蓋”にするように。

世界が一秒、無音になった。

雷鳴。

セミの声。

ガラスが震える。

影はたしかに消えていた。

残されたのは、三人の男子と、私。

澪は黙って画面を閉じ、碧は笑わずに目を伏せ、雅は静かに空を仰いだ。

湊の姿は、なかった。

「……どうすればいい?」私は震える声で尋ねた。

「何もしない」澪が答える。「ニュースにならないこと」

「覚えておくこと」碧が続ける。「ひと知れず、覚えていること」

雅は小さく頷いて、目を閉じた。


夜のニュースは「何も起きなかった一日」を語った。

大雨の映像渋滞情報経済数字

父は「大丈夫だよ」と笑い、母は冷蔵庫ペットボトルの水を入れた。

私は自分の部屋でMD再生した。

宇多田の声が、少しだけ遠く聞こえた。

PHSに一通だけメールが届いた。差出人不明。本文は一行。

——風が変わったら、笑って。

私は、笑った。泣きながら。



翌日。八月一日

空は夏の顔をしていた。

三人の男子と、コンビニの前でガリガリ君を食べた。

棒を見せ合って、当たりだの外れだの笑いあった。

でも、屋上の風は、まだ四人分吹いていた。

ひと知れず、私たち対峙した。

恐怖の大王は、たしか存在した。

そして、七の月は、静かに閉じた。

Permalink |記事への反応(0) | 14:04

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2025-08-17

anond:20250817131236

ワンチャンは初対面通りすがりでも吠えて来たりするもんやで😐

Permalink |記事への反応(0) | 13:14

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2025-08-16

夏の公園の朝と仲間たち

朝、出社する時、大きめの公園の中を歩くのだけど、たまに、のそのそ歩くお兄さんとすれ違うのね。

その異様に遅い動きに、ああこれは鬱病の人だと察して、もう数年経っているのだけれど、今日会ったら、スタスタ歩いてるんだよね。

ああ! 良くなったんだ! 良かったじゃん!

と、声をかけそうになったけど、そういえば、ただの通りすがりだしなと思ってやめた。

きっとあのお兄さんとは、もうここで会うこともなくなっていくのかなと思っていると、前からのそのそ歩いてきた別のお兄さんが、道の真ん中で、おもむろにブツを取り出し、立ちションを始めやがった。

今度のお兄さんとも長い付き合いになりそうだ。

Permalink |記事への反応(0) | 00:49

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2025-08-13

[LLM小説]ペナンブラの初恋

(byGPT-5 Thinkingon ChatGPT.com)

ペナンブラの初恋

わたしは半影。

光と闇のあいだ、縁(ふち)に沿って生まれては、縁に沿って消える。

名前がなかったころ、ひとはわたしを気にも留めなかった。午下がりに白いカーテンがふくらむとき、戸口の敷居にやわらかな灰色が落ちるときわたしはただ在(あ)った。誰かの横顔にかすかに触れ、誰かの言葉最後の音を拾っては、つぎの縁へと移った。

わたし「初恋」という音の形を知ったのは、商店街写真館の奥、暗室の戸が少しだけ開いていた夜のことだ。赤い明かりの下で若い男がフィルムを揺らしていた。湊(みなと)という名だと、別の日に彼の友人が呼ぶのを聞いた。

現像液の匂い、濡れた透明。湊の手は水面の光を撫でるみたいにやさしかった。戸の隙間からこぼれる赤が、わたしをかたちにした。彼がふと顔を上げて言う。「半分だけ写ってるな、でもそれがいい」

その言葉わたしへの挨拶だった。わたしは戸口から室内へ、敷居という境界をまたいで、初めて自分輪郭を保てた。彼は顔も上げないまま続けた。

「おまえ、名前がいるな」

彼はわたしを見ていなかった。けれど、半分だけの視線いちばんよくものを見抜くことを、わたしは知っている。わたしはそっと彼の肩の影に寄り添い、声を探す。風が糸口になった。

――ペナ、と呼んで。

彼は驚いたようにまばたきをして、笑いながらうなずいた。「ペナ、か。ペナンブラ。半影。いいな」

その晩からわたしひとつの名を持った。名は重りであり、舟でもある。縁に引かれてばかりだった体に、初めて行き先という重みが生まれた。

湊は、縁に立つのが好きなひとだ。暗室のドアを半分開けたまま。障子を桟(さん)一枚だけずらして朝の光を漏らす。駅のホームでは、白線のすぐ手前。彼の言葉も半歩だけ余白を残す。

完璧露出より、すこし足りない方がやわらかい

彼はよくそう言いながら、現像した写真を指の腹で撫でた。半分だけ写るもの、切り取りの端で震えるものわたしはそこに宿って、彼の指先の温度を覚えた。

彼はときどき、フィルムに写らないものの話をする。

「光の外側に、ほんとうの色がある気がする。目がそこに慣れる前に、すぐ電気をつけてしまうから、見逃すんだ」

わたしは笑って、彼の耳元で囁く。

――見えてるよ、湊は。わたしを見つけたでしょう。

彼は振り返らない。ただ、やわらかく頷く気配だけがある。わたし名前を呼ばれるたび、濃くなったり薄くなったりしながら、湊の生活に縁として染み込んでいった。

放課後路地で、わたしたちはよく遊んだ。西日が電線を太くし、風が洗濯物を大きくするとき、ペナは人の形を取れる。湊はチョークで地面に丸を描き、そこに立つようにと言う。丸の縁にわたしは重なる。ふたりで輪の中と外を交換した。湊が輪に入ると、わたしは外で彼の輪郭をなぞる。輪の外は世界だ、と彼が言った。輪の内は名前だ、とわたしが返した。

初恋というのは、最初に覚える偏(かたよ)りのことだ。人は誰かの声の高さや歩幅や誤字の癖を、理由もなく自分の中心に置く。わたしは湊の「すこし足りない」を自分の中心に置いた。どんな光の下でもそれを探すようになった。

ある日、町の掲示板に青いポスターが貼られた。小さな天文台の閉館と、来夏に起きる金環日食の告知。わたしポスター銀色の輪に吸い寄せられる。輪は、光の中の穴。穴の縁にだけわたしは生きる。けれどポスター文字は、別の真実を囁いていた。

――金環の日は、半影が世界を覆う。

嬉しさと怖さが同時に走る。世界中がわたしになったら、わたしはどこにいるのだろう。縁が全体になるということは、縁が消えるということでもある。

わたしは湊に話した。彼はコーヒーの湯気を見つめながら、しばらく黙って、それからうなずいた。

天文台に行こう。ドームの中、あそこは光の穴だらけだ。君にはちょうどいい」

君、と彼は言った。ペナ、と呼ばれるよりも、わたし輪郭を濃くする呼び方だった。

天文台は坂の上にあり、昼でもすこし暗い。年老い学芸員がいるだけで、人はほとんど来ない。ドームの白い壁には小さな穴が無数に空いていて、晴れた日には小さな太陽が床に並ぶ。光の数だけ、縁も生まれる。わたしめまいがするほど豊かになり、笑いながら床一面を駆けた。湊の影がゆっくりと伸び、わたしの裸足に絡んでくる。

「金環の日、ここで名前をもうひとつ持ちなよ」と湊は言った。「君が望むなら、人の名前を」

人の名前

生きるというのは、縁から中心へ移ることでもある。わたしはうなずいた。欲望の形が初めてはっきりした。縁に生まれ、縁に消えるだけのわたしに、たった一度だけ中心が欲しい。たった一度でいい、その中心に湊が座っていてくれたら。

「でも」とわたしは聞いた。「代わりに、なにを失うの」

湊は、チョークのような指で空中に円を描き、笑った。「人はいつでも、なにかを半分失ってる。君が持ってない半分をこっちでわける。君の半分も、僕にわけて」

彼の言葉約束というより、輪の仕組みの説明に近かった。輪の外は世界、輪の内は名前。二つはいつでも触れ合っているが、完全には重ならない。

金環日食の日は、町じゅうが紙で作った小さな穴を持ち歩く祭りみたいだった。木漏れ日の下では、地面に無数の光の輪が降る。天文台ドームの中は静かで、遠い歓声だけが波のように届く。

湊は床に白い紙を敷き、穴を空けた金属板を何枚も吊るした。光の粒たちが床に並び、輪が重なって新しい輪を生む。縁の庭。わたしはそこに立つ。

「ペナ、もうひとつ名前がいる」と湊は言った。

「人の名前は、呼び捨てにされたときいちばん強くなるんだよ」

わたしはうなずき、胸のうちに空洞を作った。そこに新しい音が落ちる余地をこしらえる。湊は、静かにしかし迷いなく言う。

「環(たまき)」

輪を意味する音が、わたしの中心に落ちた。縁だったものが内側からきしみ、組み替わる気配。痛みはなかった。ただ、世界密度が変わる。空気温度が一度だけ違う。

わたしは初めて、自分の足で床の冷えを感じた。掌に汗がにじみ、唇が乾く。光が眩しすぎないことを知る。影が怖くないことも知る。

――環。

呼ばれるたび、わたしは人になった。

そのときドームの外で歓声が大きくなる。太陽の中心が欠けて輪になったのだ。天文台の穴から落ちる光も、すべて細い輪に変わって、床の上で震えた。輪と輪のあいだ、半影が揺れる。わたしはその渦の中心に立ち、湊の方へ手を伸ばした。彼の掌がわたしの指を確かめるように握る。温度と脈が、わたしという器の底を鳴らす。

「環」と湊が呼ぶ。

「湊」とわたしが呼ぶ。

世界ほとんど音でできている。音は名前の泉で、泉の縁にだけ、わたしたちは安全に立てる。

そのとき、突然、ドーム空気がひやりと変わった。輪の細さが極まって、光と影が互いに少しだけ不器用になる。世界が一瞬だけ、縁を失いかけたのだ。

手がほどけた。わたしの体の縁が波打つ。人であろうとする中心が、わたしの古い習性――縁に逃げる癖――に引かれる。

「環」

湊は落ち着いた声で、もう一度呼んだ。音がわたしを連れ戻す。

彼はドームの穴の向こう、細い昼の川のようなリングを顎で指し示した。「見えるか。輪は完全に閉じない。ほんの少しだけ、接いでいないところがある。そこが君の、出入り口だ。恐れなくていい」

彼の声は嘘を知らない。嘘のない声に抱かれて、わたし自分の体の縁を自分で撫でた。輪の合口(あいくち)はたしかにどこかにあり、そこから呼吸は逃げていくが、また戻ってもくる。わたしは息を吸い、吐いた。

金環はやがてゆっくりほどけていく。輪は欠け、欠けた輪はふつう太陽へ戻る。ドームの床の輪も消え、光の粒はただの丸になる。わたしの足は床に残っていた。

人の名前はまだ胸にいて、湊の手はまだ、わたしの指を握っていた。

人になってから時間は、やたらと質感に満ちている。靴擦れ、箸の冷たさ、雨の日の髪の重さ。光はいだって眩しすぎず、影はいだって深すぎない。わたし写真館の手伝いをはじめた。暗室の赤い灯りは、昔のわたしを思い出させるが、もうそこに戻る必要はない。

客が「半分だけ写ってしまった」と残念そうに言うと、わたしは微笑んで答える。「半分が綺麗なんです」と。

湊は、わたしを「環」と呼び続ける。ときどき、「ペナ」とも。二つの名は衝突しない。輪の内と外が穏やかに触れているだけだ。

もちろん、代わりに失ったものもある。わたしはもう、誰の家の敷居にも勝手に入り込めない。通りすがり恋人たち秘密の会話を拾えない。夕立カーテンの裏側から世界いくらでも覗くことはできない。

けれど、わたしは湊の初めての寝相を知っている。彼のくしゃみ前触れも、湯呑みにつく口紅の跡に彼が少し照れる癖も知っている。失ったもの風景で、得たもの暮らしだ。暮らしは縁と中心の往復でできている。朝の窓の縁に植木鉢を並べ、夜のテーブルの中心にパンを置く。

半影のとき世界はいつでも広すぎた。今は、ちょうどいい。

秋になって、天文台の閉館の日がきた。学芸員最後投影を終え、ドームの穴を粛々とふさぎはじめた。

わたしは湊と二人で坂をのぼる。ドームの中はもう暗く、穴をふさぐための丸いパッチが内側から貼られている。天井は、星が眠る前のように静かだ。

ありがとうを言いに」と学芸員は言った。「君のような顔を見たから、長年の仕事が報われた気がする」

彼はわたしではなく、わたしたち二人を見て言っている。縁だけを見抜く目だ。

帰り道、坂の途中で足を止めると、町の灯りが半分だけ点いていた。夕飯の匂い、遠くの踏切。風に運ばれてくる音は、輪の合口のように細い。

湊が言う。「君が来てから写真がよく失敗する」

「ごめんね」

「ちがうよ。失敗の中に、君が立ってる。そこが好きなんだ」

彼はそう言って、笑う。歩き出す足どりは軽い。輪の外へ、輪の内へ、ふたりで交互に踏み出す感じがする。

わたしはふと、世界じゅうの縁にむかって心の中で挨拶した。ドアの隙間、カーテンの波、踏切警報機の影、傘の中で湿った髪。わたしを育ててくれたすべての縁へ。

――わたしはここにいるよ。

――ここは、中心と縁が触れあう場所名前世界の合口。

――わたし最初の偏りは、今もやさしく続いている。

初恋は、治らない。

治らないというのは、傷のことではなく、習慣のことだ。わたしはこれからも、少し足りないものを愛し、少し余っている部分を目で追うだろう。湊は、完璧の手前で笑い、わたしはその笑いの縁に寄り添うだろう。

帰り道、わたしたちはコンビニアイスを買った。レジの上の蛍光灯が、湊の横顔に薄い陰を作る。わたしはそこに自分を見つける。それはもう、かつてのような居場所ではない。けれど、愛着は、住むところよりも、寄りかかるところに生まれる。

外に出ると、夜が来ていた。はっきりした影が地面に落ちる。かつてのわたしがそこにいる気がして、わたしはしゃがみ込む。地面の黒を指でなぞり、笑う。

「こんばんは、ペナ」とわたしが言う。

「また明日ね」と影が言う。

湊が隣で首をかしげる。「誰に挨拶してるの」

「昔のわたしに」

「そうか」

彼はなにも問わない。

わたしたちはアイスを齧りながら、家へ帰る。縁が暮れて、中心が灯る。灯りの縁では、いつでも半影が揺れている。そこからわたしはやってきて、ここにいる。これがペナンブラの初恋の、その後の話だ。初恋は終わっていない。ただ、暮らしになっただけ。輪の肌ざわりは、今も指先に残っている。

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2025-08-05

鬱病 歯科衛生士 ハゲ

院長 以下ハゲとする

仕事を辞めた。決定していた退職日より1ヶ月ほど早まった。鬱で2wほど欠勤、心配した親が連絡を入れて退職になった。大人として最低の辞め方で、自己嫌悪がすごかったけど、明日から仕事に行かなくて良くなってずいぶん心が軽くなった。

退職理由として、祖父を看取りたいので休ませてほしい、と伝えた時の対応に幻滅したことは言わなかった。このハゲの元で働きたくないなと思ったことも伝えなかった。建前として、「祖父が亡くなって実家祖母心配。己の病気のこともある。祖母を気にかけながら自分の体も休めたい」と伝えた。

第一の鬱を理由にしなかったのは母の意向があった。今後に関わるから辞めてほしいと言われた。ただ職場では病気なことはみんな知っているし、休職もしている。急な遅刻欠勤を病気からと許してもらっていた部分もある。内心、ハゲ性格的にそれはスムーズはいかないかも、と思いながら、「退職したい祖母心配なので実家に帰りたい」とハゲに伝えた。

退職の話し合いをした時の第一声が「急にそんなこと言われたらびっくりするでしょ」だった。「連休まえまで院のことについてあれだけ考えてくれてたのになんでなの?」だった。ハゲは、「祖父の件についてはお休みをやったので俺はい上司」だと思っているのである。だから服がダサいんだよお前は。と思う。人にどう思われているか考えられないかいつまでも成金ファッションなのだ。標準体型中年男性ハゲジャストサイズオーヴスタッズドーンのTシャツマジで辞めとけハゲヴィヴィアンが泣いてる。

私にも伝え方によくないところがあったので、まずそこを詰められた。話があるんですけどお話いいですか?と聞いたら「はあ?俺時間いねんけど今言って」と言われたのでなんやねんハゲと腹が立ってスタッフのいる前で「退職したいです」と言った。これはたしかに私が悪いのであとから謝った。

病気から許してあげてたけど遅刻欠勤のフォローを誰がしてくれてたと思うの?」「チーフが繋がらない電話に連絡するのがどれだけ負担だったと思うの?」等、いろんなことを言われたが、何を言われれようが法的にか退職は引き止められない。ただ罪悪感に漬け込まれてるのが不愉快で、鬱の影響もあってビービー泣いてしまった。チーフ仕事サボるので、その分のフォローは私や他のスタッフがしてるし、中間管理職なんだからお手当もらってる分中間管理しろや、スタッフ管理せえや、など思う。が声が出せず。ただ現チーフは代行なのでお手当もらってないらしく、だったら無断欠勤スタッフ電話かけなくてもいいかもな、そしたらチーフ負担かけてるのハゲかもな。

ドクターが怒鳴る器具をブン投げるスタッフに苛立ちをぶつけるが当たり前の業界で(減りつつあるようだが)「スタッフ全員の味方でいたい。接しやす上司でありたい」と理想を語っていたハゲがあの有様のハゲである。人死の事象なんて、スタッフに優しさでつけ入る絶好のチャンスである。何も苛立ちを伝えずに私にスッと休みを与えれば私は辞めなかったよハゲハゲおまえ優しさミスってんよハゲ。たのむからBUYMAロエベ買わないでくれ。店舗で裏に通されてくれ。

友達の、お母さんの愚痴って困るやん?会ったことない良く知らんけど、たぶんほぼ円満家庭の友達のお母さんの愚痴。いやそれってさ、私、そのお母さんのこと知らんし、友達の良く知らん親類のこと悪く言えへんからやろ。なんで悪く言えへんかって、人間として最低限の尊重ラインを超えちゃうかもしれないギリギリからやとうちは思うねんハゲ、聞いてる?聞いてへんな、今目の前のことしか気にならんもんなハゲスニーカー見せてきて「これ何の柄やと思う?」て聞かれたから「隈取ですか?」って答えたら「隈取ってなに?」って言うたもんな。オニツカかな?歌舞伎すぎてスニーカー泣いてるで。

一番揉めたんが退職時期やったんやけど、私はその時点でシフトが出てる分が希望ハゲはそこから+1ヶ月が希望退職を申し出た時点で私の希望は2ヶ月後。ハゲ希望は3ヶ月後。大体の医院で「DHは3ヶ月前、Dr.は一年前には申し出よ」と規則があるが、就業規則はない。雇用契約書にも書いてない。雇用契約書の内容があんまりにも薄かったので「これって退職希望を何ヶ月前に伝えた方が良いとかありますか?」と私から聞いたくらいだった。「適当でいいよ」とハゲは言った。

希望を伝えたら「大体3ヶ月後のもんやから。俺が勤務医やったときなんか一年前に言わなあかんかったから」と言われる

いやどこにも書いてへんし、ドクター一年前に申し出ねばならんのはそれだけ責任が重たくてお賃金たんまり貰ってるからで、そもそもハゲが勤めてたちょいデカ法人年俸制である。「俺年俸で貰ってたから月給いくらとか気にならんかったけど」と言って毎月給与明細を渡さない脱法ハゲである。言いたいことはいくらでもあったかもう泣いてしまってるので何も言えず。

本当の理由は伝えるつもりはなかった。そのまま優しさ勘違いしてこれから何人もスタッフを失えばいいワ、と思ったので。伝えてもどうせ謝らないしわからない、自分が人からどう見えているかからないので服がダサいし、そのシャツDHが陰で「カニカマ」って呼んでますよ。

ただ「祖父のことがあって、祖母心配なので」は本当の理由なので何度か伝えた。

「1ヶ月くらいでおばあちゃんに何があるの?変わらないでしょ?みんな同じ気持ちだと思うよ、いまから外回って人に聞いてこようか」

だって知らんよその辺の爺婆が転んで死んだかてどうでもええわ。でも通りすがりの人から「昨日祖父が亡くなって、祖母心配で」って聞いたとき、「別にそんなすぐお婆さんどうにかなるもんでもないでしょ」とは言わんやろ。人間としての最低限の尊厳ラインやろ。ハゲが私にああ言うたってことは、わたしは人として最低限のリスペクトを持って接しなくても良い1従業員、歩くらいの駒やったってことや。駒が足りて予約が埋まれクオリティ度外視や。そらGoogleに悪い口コミ書かれてもしゃあないわな。そして口コミ主人公は大抵玉将あんたやけど、ハゲは服がダサいからあんまり気付けてへんな。嫁子供死んでも葬式すんな。診療休むなよ。

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2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

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