
はてなキーワード:逆上がりとは
スキップ出来ない人はいくら動画見ても多分あまり出来るようになる助けにならないよ。
走り幅跳びでせっかく助走つけても飛ぶ直前になぜか立ち止まってしまう人も同じ。
動画はそれを見たとおりに体の各部位の同期まではさせてくれんのよ。
俺は逆上がりができない。いくら動画を見て動きを真似しようとしても一部位が真似られると他の部位の動きが動画のそれとは違ってしまう。
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逆上がりの練習で斜め懸垂のような姿勢でさらに足を結構棒の前側に滑り込ませておく。
そこから棒を引き寄せるイメージで腕を曲げるとともに足を上へ蹴って棒に乗せるようにする。
上手くいくとちょうど体の全面が棒の上側に来るんだが、これが結構な確率で金玉あるところの少し下側に棒が来るもので、ここから最後まで回ると同じ金玉に当たる位置のもっと上側よりも金玉が下から上へ圧迫される力が強くかかるんだ。
それで最後まで回るのを諦めると練習に付き添ってる人にだらしないとか言われるんだ。
だからそうなっても最後まで回るようにしてるから金トレにもなってるんだな。ちんトレってあったろ?
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逆上がりのコツ系の動画を見させて頂きましたが的外れな教えだなと思いました
私はこの動画の3つのことは出来ませんが逆上がりは簡単に出来ます
なんなら身体能力は数分歩くのが辛くジャンプは数センチしか飛べずキックは腰より上に上がりません
それは単純に逆上がりは簡単な物理学や運動力学の問題でしかないからです
その観点から見ればよっぽど貧弱な体でもない限り誰でも逆上がりは出来ます
その上で視点を脚や体の内側に向けて上体を丸くさせるのは愚かです
重力に逆らい上げる脚に遠心力を働かせ上げるのを困難にして重力で落ちる上体は逆にその力を消して勢いを無くしているのだから
落ちていく上体はなるべく反らし遠心力を働かせ回る勢いにする
最後の起き上がりで膝を伸ばしその勢いで体をを起こす
これだけです
重要なのは鉄棒に体を引っ掛けることとそこから起き上がることの2つだけです
最低限の動きだしの力と形とさえあれば無機物ですら回転できるんです
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たびたびXで話題になるよね。
ずっと言われているのに、なぜ改善されないのか。
このすべての当事者なので、言える範囲でどうしてこうなっているのか説明しようと思う。長いです。
まず、小学校の体育について。
学習指導要領にて、学校で教える大まかな内容は全国で統一して決められている。多くの場合、小学校では、体育は実技中心になっている。細かな授業内容は、学校ごとに決まる。
例えば、ざっくりと「〇学期のこの時期は、走る動きの運動をさせる」と決まってて、学校の規模や設備などによって「じゃあリレーをやろう」とか「シャトルランやろう」とかはある程度担当の先生に委ねられる。
ここで信じてほしいのが、ほとんどの教員は子どもが楽しそうにしている顔が好きで、体育も算数も音楽も好きになってほしいと心から願っている。そのために校庭の石も総出で拾うし、汗だくでワックスもかけるし、破れたマットも縫う。
でも、実際には子どもが生き生きしていれば良い成果というのではなく、出来に応じて成績をつけらければならない。
そして、表向き学校の通知表の評価というのは、本人の伸び代を見る絶対評価とされているけど、実際は◎、〇、△の割合はどの学年もだいたい同じになるように示し合わせる相対評価の側面も大きい。授業の中で指導しながら、よくできている子とできていない子を判断し、記録する必要がある。
それを踏まえて、現状はこうだ。
教育系の大学を出て教員になる人のほとんどは、体育をやったことはあっても教えたことはない素人だ。大学の実習でも、体育専科とかでない限り、がっつり主導で体育をやることはまずない。そのまま現場に担任として放り出される。学年にもよるが、小学校担任は一日に5、6時間ほぼ全教科を一人で教える。週に26〜28コマくらい授業があるうち、体育は3コマほど。どうやって授業のやり方を学ぶかというと、いろいろやり方はあるけど一番は先輩教員のまねをすること。でも、大抵はその先輩教員も、さらに昔の誰かのまねをしている。情報はなかなかアップデートされないし、したくても現場で受け入れられるかも分からない。
さらに、小学校の授業は45分間。体育は前後に着替えさせる必要があり、メインの運動とは別に準備体操、器具の準備や片付け、暑い時期なら水分補給や休憩をはさむ必要もある。実働時間は30分前後のことも多い。
限られた時間と人手の中、最大35人の子どもの相手をする(しかもここには特別支援学級在籍の児童はカウントされないため、彼らを加えて実際は40人超えになることもある)。
少子化なのに、配慮の必要な子は増える一方。日に当たらないようにしてほしい。過去にトラブルになったことのある子とは、同じチームにしないでほしい。着替えは別室にしてほしい。頼まれたら、やらない訳にはいかない。親が「そうしないと子どもがつらい」というのなら、動かざるを得ない。
その中で、安全とそれを守るための規律を保ったまま、どれだけのことができるのか……働き始めてウン年、業界的にはまだまだひよっこだが、先輩を見ても正解は正直分からない。
少なくとも、運動が苦手な子が見世物になるような内容は正しいと思わない。が、「チームスポーツで足を引っ張る」とか「もっと健康や命を守ることに繋がる内容を」とか「根性論ではなく技術面を」とかは、今の人員ではまあ無理だと思う。
体育の時間は、個々の自由度が高いこともあり、全員怪我なく揉めずに終わることで精一杯だ。たまにそれすら失敗するし。
持久走でビリになったこと、最後まで逆上がりができなかったこと、ミニサッカーではパスももらえないこと。自分の幼少期にも覚えがあり、そんな経験の積み重ねで、自分は運動音痴なんだな……と、自覚した。体育は疲れるし、憂鬱だった。
教える立場になり、できる範囲で「しんどくない体育」を考えるとこもあるけど、上手くいっているとは言えない。少なくとも、体育嫌いだったいつかの自分を救ってやれるような授業はできない。
私が体育嫌いの学生から、ゆるジム通い社会人になれたのは、「好きな音楽を聴きながら」、
「一人で」、「好きな運動を好きなだけ」できるからだ。このスタイルが合っている子へ、今の学校ができる体育の方法を私は思いつかない。
あとこれは身も蓋もないが、クラスに数人はいる“勉強は壊滅的だけど、体育だけは好き“なタイプの悪ガキ。悪ガキが悪ガキなのは、本人の特性もあるが、今までの挫折の経験の積み重ねも大きい。体育嫌いが体育の時間がしんどいように、勉強嫌いは体育以外の週25コマくらいがずっとしんどかったりする。そんな奴らが少しでも輝ける貴重な時間なので、一概に「体育は不要!」とも言いきれない。
道徳みたいに評価外の科目にするのはありかもしれない。が、やはり人間は評価されるから頑張れる側面もあるので、そうなると今以上に子どもの体力は低下していくと思う。
現場の工夫次第でどうにかできる気はしないんだけど、どうでもいいと思ってるわけでもないんだよ。でも、少なくとも私は目の前の子どもと次の授業のことを考えるのに手一杯で、これ以上どうしていいかわからない。
よかったら体育嫌いの方は、アイデアや「こうしてほしかった」という体験談を教えてほしい。できる範囲で子どもに還元していきたい。
中学受験する程度には発達が進んでいた子供なので、言いたいこと自体はなんとなく分かっていた。
「お前の字マジで汚くて読みづらいからいつも迷惑してる。とりあえず一言文句言いたいから、お前が傷つきそうな言葉を必死に選んでとりあえずぶっ放すわ。40人のテスト答案を見るこっちの身にもなれよ。頭クソワリーガイジはまだ諦められるけど、お前みたいに考える頭持ってるやつにまでこんな他人を舐め腐ったようなことされるとこっちはマジで苛つくんだよ」ってことだろ?
分かるよ。
大変だよな。
でもこっちだってどうしたら字が綺麗に書けるのかよく分かんなかったんだ。
小学1~3年生ぐらいの期間、後に中学受験をさせるような教育熱心な両親の元で色んな方法で字を綺麗に書く練習をさせられた。
半透明の矯正器具を鉛筆の先につけ、指の握り方を何度も指導されたよ。
なんとなく形はあってるんだけど、力の入れ方がなにか違うらしい。
それを伝わるように表現してくれた教本に出会うことが出来ず、ただただ変な握りのままひたすら文字を書き写していた。
上手くなることはないと親はいつしか諦めたし、俺も「どうせ20年後にはみんなキーボードで字を打つから手書きなんて完全に消滅してるだろ?」と未来の技術発展に希望を託して全てを終わらせた。
今はもうそこそこまともな字が書けるようになっている。
ある日図書館で出会った小学生向けの教本がドンピシャにハマった。
そこに書かれていたのは習字における技術を徹底的に分解して、一つ一つの要素についてのコツだったよ。
小学1年生の頃に与えられた教科書にも同じことは書いてあったのかもね。
でも教師は「とにかくひたすら書き写しましょう」と言ってた気がする。
俺に必要なのは丁寧に一つずつの技術に向き合ってひたすら脳を経由して身につけることだったんだよ。
生まれつき運動神経が悪くてさ、身体的感覚で覚えろって言われても上手くいかないんだ。
逆上がりは卒論が上手くいかなすぎて夜道を散歩してたとき、公園で自棄糞気味にやった出来るようになったが、スキップは未だにやり方がよく分かってなくて5年に1度ぐらい人に笑われている。
最初に技術を丁寧におしえてくれる人にあっていたら俺は最初から字が綺麗にかけてたのかもなあ。
教本との相性もあるけど、『とめはねっ! 鈴里高校書道部』や『ばらかもん』で習字に対しての苦手イメージが薄れていたのも効果があったように思う。
俺にとって習字の授業は、「なんでこんなことも出来ないの!増田くん!いい加減にして!」と怒られる時間だったから。
なまじっか他の勉強はスイスイ出来るせいで、習字が出来ない理由を「やる気がない。舐めてる」で片付けられがちだったんだよな。
結局さ、字を綺麗に書くために必要なのは「どうやったらキレイに書けるか」を知ることだと思うんだよ。
体で覚えるのが得意な人は体で覚えればいいけど、頭で覚えることしか出来ないようなら頭の中にコツを入れてもらわないと始まらないんだ。
字の良し悪しなんてコツを理解しているかと、正しいイメージで練習をどれぐらいしたかだ。
間違ったフォームで素振りを繰り返したって、ボールに上手に当てることなんて出来ないよ。
感覚的にしろ理論的にしろ、正しいやり方ってのを知る機会に出会う必要がある。
それは運で決まる。
教師との相性、教本との相性、たまたま見かけた動画や本、そういった所での出会いの中で自分の持って生まれた器に会うやり方が身につけられるかだ。
字が汚い人は、「字を綺麗に書くために必要な運に恵まれなかった人」だと俺は思う。
字の上手い下手ってよりはあらゆる分野に言えるんだろうね。
コミュニケーションが下手な人も、その人にあったコミュニケーションの技術を身につける機会に恵まれなかっただけなんだろう。
わざわざ罵倒されるような程のことなのかなあ……「お前の運が悪いせいで俺たちは大迷惑だ」なんてさ。
世の中は相も変わらず狭量が過ぎるように思うねえ。
想像力の無い大人は何も考えずに射精しちゃうんだろうけど成長期の1年って脳みそも身体の発達も全然違うし、とんでもなくハンデあるからな。
そんな奴らが同級生で社会人になるまで争う訳だから、まず劣等・無能・落ちこぼれ扱いされるよ。ヒエラルキー最下位だよ。
5人一組の競技だと4対5だよと正面から悪口を言われ、お前が居ると勝てないから欠席しろと皆から責められ、前ならえは常に先頭。
知能だってクラスメイトと比べて低いから比べられるから当然通信簿は低くなるだろうね。
幼少時の人格形成にガチで影響与えるから子供を負け犬扱いされたくないならマジで止めとけ。
あと誕生日順だから免許も高3の内に取れない。卒業ギリギリになって自動車学校に通う事になる。
そもそも学校とは効率的に良質な兵隊を育て選別する行政機関だった
戦後兵隊が不要となり、工員を育て工場の歯車を供給する装置に存在意義を転換した
規格通りの身体スペック、従順で、かといって利口すぎない、工場の作業をこなすのに必要な知能
このような部品を育て選別する
逆上がりが求められているのではない、
今は良いよ。逆上がりが苦手でもyoutubeで検索すればいくらでもやり方載ってるから。昔は教師の言う事しか素材が無かったからな。言わなくても判るだろ!とか言われまくったよ。
診断されてないけど事例が当てはまりすぎる
まあ、極端に体育が苦手だった人は大体当てはまるんじゃないかな
そんな俺が体育の授業について思うことを書いていく
DCDを自認するような人はみんなそうだと思うけど、体育の授業はみんなの前で恥をかかされる拷問の時間だった
主要教科では成績優秀で真面目な優等生の自分が、この世で一番ダメな人間の見本みたいに、何度も何度もできない逆上がりや跳び箱をやらされる
いい学校だったから、誰も笑わないで応援してくれるが、それがまた辛い
チーム競技でも当然足手まとい
いい学校だったから、だれもそれを責めないけど、はっきり俺のせいで負けたのだから、劣等感に潰されそうになる
転機は30歳少し手前のころ
理由はシンプルで、同じ職場に好きな人ができて、その人の趣味がヨガとマラソンだったから無理してはじめた
そしたら、自分の体の動かし方がなんかめちゃくちゃなんだってよくわかった
彼女のアドバイスを受けながら少しずつ正しい体の使い方を身につけていくと、目に見えて姿勢が良くなり、体型も運動能力も変わっていった
今まではなんとなく体を動かしていたのが、どの筋肉をどう動かせばいいのかがわかるようになってきたんだ
それよりなにより、体を動かすのが楽しいことなんだとわかったのが大きな衝撃だった
俺が嫌いだったのは運動じゃなくて、体育だったんだと思い知らされた
正しく体を動かすことは、なんて気持ちいいんだろう
いや、小さい頃は知ってたのかもしれないけど、体育の授業のおかげで完全に忘れ去っていた感覚
それを思い出したと言った方が正しいかもしれない
そうなると、走る、跳ぶ、投げる、などの基本動作に必要な筋肉の動きもわかるようになり、どのスポーツもある程度できるようになった
子供の頃はどうやってサボるか必死で考えてたマラソン大会に、自分から金を払ってまで参加するようになった
40歳を超えた今となっては、同年代と比べるとかなり動ける方だ
こうした経験を経て思うのは、やっぱり体育の授業はおかしいということだ
俺みたいなDCDの傾向がある人間には、いきなり正しい動きはできないし、突然スポーツやらされてもできるはずがない
どう考えても、俺が30歳手前でやったような、どうやって体を動かすか?というのを先にやっておかないと、逆上がりなんてできるわけない
だから俺は、体育の授業では身体の習熟度にあわせてプログラムを変えるべきだと思う
そして、スポーツではなく、体を動かす楽しさを教えるべきだと思う
DCDでもトレーニング次第である程度の動きは身につくのだから、その子にとって必要な能力を身につけさせてほしい
能力に優劣をつけてできない子に苦手意識を植え付けることが目的なら今のやり方が最適だと思うけど、そうではないんでしょう?
俺は、できるだけ多くの子供達に体を動かす楽しさを知ってほしいからぜひとも変えてほしい
そう思ってる
ちなみに、俺に体を動かす楽しさを教えてくれた彼女は今の嫁です
Permalink |記事への反応(27) | 20:35
50m走はいつも最下位、バスケの試合では一度もボールに触れず、鉄棒では逆上がりすらできない。
そんな彼が今、筋トレにハマっているらしい。
「ワンチャン、俺もSixTONESみたいな体になれるかもって思ってさ」と言いながら、プロテイン入りのフラペチーノをスタバで飲んでいる姿は、正直ちょっとシュールだ。
俺たちはその帰りにカルディに寄って、珍しいコーヒーを眺めていた。
田所くんは「はてなブックマークで見たんだけど、ここの豆って結構いいらしいよ」と言いながら手に取る。
でも結局、何も買わずに店を出た。
外に出ると、ドカ雪が降っていた。
雪を眺めながら、田所くんが突然つぶやいた。「俺さ、介護問題とか色々考えると、筋トレって将来の自分を守るために必要なんじゃないかって思うんだよね」
そう言われると、なんだか妙に説得力がある。
帰り道、一蘭のラーメンを食べたあと、田所くんが急に笑い出した。
「そういえば、JKの妹が餃子の王将のポイントカード捏造してバレて、親にめちゃくちゃ怒られてたんだよ。まさにハムラビ法典の『目には目を』だよな」
俺は思わず噴き出した。「それ、ソクラテスの弁明ならぬ、妹の弁明が必要なやつじゃん」
夜が更けて、眠い目をこすりながら家に帰る。
ふとショートケーキを買って帰ろうかと思ったけど、また今度にした。
あと体の大きさが小学生と全く違うから同じ感覚でやっても逆上がりなんて出来っこない。
かなり常識的であたり前のことだと思う。
今の体格で小学生が乗るサイズの小さな自転車に乗ったら慣れるまで少し時間がかかるでしょ?
それの逆バージョン。
極めて当たり前の物理的なこと。