
はてなキーワード:送別会とは
令和7年ではなく昭和100年を未だ彷徨う茶色いイメージの小さな会社に勤めている。
まだ元号が昭和のため、定年まで勤め上げた企業戦士には事務員が各社員から寄せ書きを集めて送別会で渡すと言う風習がある。
増田(アラサー女)は部署内の定年退職のおっちゃんのために寄せ書きを集める準備に取り掛かっていた。部署内の事務員が企業戦士の寄せ書きを集める風習があるためだ。いつも送別会の〆に渡すので、退職日でははくて送別会の前日までには完成させておかなくてはならない。
送別会いつかな〜とぼんやり考えていたら、去り行くおっちゃんと送別会の日どうしましょ?と日程相談をしていた先輩(ミドサー女、めちゃくちゃ可愛いし増田ごときにも優しくしてくれる女神なのだがコレが今回の不幸を生んだ)を発見した。
さっそくいそいそと送別会いつになりました〜?と軽く聞きに行った...のだが...
先輩がおっちゃんに日程の相談していたのは全社でおっちゃんを見送る送別会ではなくて、仲良しだけで見送る別の送別会の話だった。やべえ、どうしよう。
先輩は「そうなんだよ〜!みんなで改めて集まっておっちゃんさんとお話出来たらって思って〜!もちろん増田ちゃんも誘うつもりだったに決まってるじゃん!来て欲しいなっ😊」と言ってくれたが、増田は筋金入りの陰キャのためその仲良し送別会に増田がメンバーとして登録されていないことははなから分かっていた。
だって実際、「他どなたが来るんですか?」て聞いたら社内の人はもちろん、社外の人の名前もスラスラスラ〜!!!て!!!先輩!!!、ほら!!!!もうメンバー決まってんじゃん!!!社外の人すら参加決まってるのに社内の増田はスルーなのはもう絶対元々メンバーじゃないじゃん絶対!!!!
だのに!!!!だのに増田が寄せ書き〜、なんて呑気に聞いてしまったばかりに先輩もあせあせと増田を優しくその会に誘おうとしてくれている!!!せっかくの!!!仲良しだけで楽しむ予定だった送別会に!!!!
絶対に!!!!絶対に!!!!絶対に行きたくねええええええ!!!!!申し訳なさと肩身の狭さで死ぬわもう死んだ1回?3回くらい死んだ今
増田もそもそもメンバーじゃないという若干の惨めさを取り繕うため、というかその事実を覆い隠すためにノーミソがよく動かずあっありがとうございます!楽しみにしてます!とか言っちゃったけどこっちも向こうも地獄じゃんね
こっち死ぬほど肩身狭いし向こうの仲良しチームのみんなもなんでコイツいんの?呼んだの誰?てなるじゃん誰も幸せじゃ無いどうしてただ寄せ書きの完成期限聞きに行っただけなのにどうして.....もう本当にごめんなさい、ごめんなさい.....
五十噸の補助機関つき帆船で海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオやインドに久しく滞留、仏教を研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国の事情を知りたいと希望している人々のためには最近の東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単な商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉中であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。
『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。
直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日神戸より」。
臍主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。
第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破の体験を本として、其遭難の顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物はまことに稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである。
『楚人冠全集』より、1937年の杉村楚人冠「バルサ」という記事。
逓信省の船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社で明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞社主催の団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。
1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎特攻観音の縁起について」という記事。
昭和二十一年から、神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋で貿易をしておったのでありますが、戦争がたけなわになりますと、日本の航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。
(中略)
はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。
これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。
(中略)
そういうものをお土産にもって廻って、六年間というものは休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京と東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上に特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。
『吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治の発言。
近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州で塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。
「いったい君はなにして歩いているんだ?」
「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房が神戸の区役所の人夫をしている」女人夫ですね。「子どもは小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初は九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。
近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである。
近江君と私は一年の時からの同級で、しかもふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである。
しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊の実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問に精魂を打ち込んだのであった。
戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。
私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親が船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこちに設計を頼んだり資金の相談にきたりした。
この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。
近江一郎の著書に『小舟を住家に南洋へ』『斜に視たる神戸一中』がある。『小舟を住家に南洋へ』は読めなかったが、大まかな内容は上記で説明されている。『斜に視たる神戸一中』は、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉・長崎・京都・東京知事を歴任)」なども登場する。笑いあり涙ありの平和なものだが、支那事変(日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親の名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸の野田高等女学校に入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。
主人公は名前を持たず、ただ「私」として語られます。彼はかつて下級官吏でしたが、40歳になった現在では公職を辞し、サンクトペテルブルクの「地下室」と呼ばれる狭い部屋に引きこもって暮らしています。これは、社会との関係を断ち切った彼の孤立した状態を象徴しています。
彼は自らを「病的な人間」「意地悪な人間」「人好きのしない人間」と形容します。自身の知性や感受性が人並み以上に高いと自覚しており、それゆえに周囲の人間を軽蔑しています。しかし、同時に彼らを恐れ、社会から疎外されていることに苦悩しています。この過剰な自意識が、彼の行動や思考のすべてを支配しています。
主人公の性格は常に矛盾に満ちています。他人に対して残酷な言葉を浴びせたかと思えば、すぐに後悔し、自分を責めます。誰かを侮辱したかと思えば、その相手に認められたいと強く願います。善意と悪意、愛情と憎悪、自尊心と自己嫌悪が彼の内面で絶えず衝突しており、その葛藤が彼の言動に表れています。
4. 理性への反発と自由意志の主張
第一部「地下の世界」では、当時のヨーロッパで流行していた合理主義や進歩主義に対する激しい批判が展開されます。彼は、人間がすべて理性や論理によって行動する機械的な存在ではないと主張し、むしろ人間には予測不可能な「自由意志」や「気まぐれ」こそが本質であると語ります。彼は、二足二が四であるような自明の理にすら反発し、自分の好きなように振る舞う権利を主張します。
第二部では、彼が過去に経験した具体的な出来事が語られます。かつて官吏だった頃の同窓生たちとの再会での屈辱、娼婦リーザとの出会いと、その後の自身の醜い振る舞いなどが描かれます。これらの経験を通して、彼の屈折した人間性や、社会との決定的な断絶がより鮮明に示されます。彼は他者との真の交流を求める一方で、自身のプライドや自意識がそれを妨げ、結果として孤独を深めていきます。
6.哲学的な探求
彼は単なる変わり者ではなく、人間の本質、自由、理性、幸福といった根源的な問いを執拗に追求します。彼の独白は、実存主義や不条理文学の先駆けとも言われ、その後の多くの思想家や作家に影響を与えました。
まとめると、『地下生活者の手記』の主人公は、社会から隔絶された「地下室」にこもり、自己矛盾に苦しみながらも、人間の本質や自由意志について深く考察する「反=ヒーロー」的な存在です。彼の内面は、理性や社会の規範に収まらない人間の複雑さや、自己意識の過剰な肥大化がもたらす悲劇を象徴していると言えるでしょう。
主人公は、かつて通っていた学校の同窓生たちが開く送別会に、半ば無理やり参加しようとします。彼は同窓生たちを見下している一方で、彼らに認められたい、自分も彼らの仲間に入りたいという複雑な感情を抱いています。しかし、実際には彼らは主人公の存在をほとんど気にも留めておらず、完全に無視されます。
無関心と侮辱:送別会の席で、主人公は彼らの会話に割り込もうとしますが、誰も彼に耳を傾けません。彼らは主人公の存在を透明人間のように扱い、あからさまに軽蔑の視線を向けます。
自尊心の破壊:主人公は彼らに自分の価値を認めさせようと必死になりますが、その試みはすべて裏目に出ます。結果として、彼はひどい屈辱を味わい、自尊心を深く傷つけられます。
復讐心と自己嫌悪: この屈辱的な経験は、主人公の中に激しい復讐心を燃え上がらせますが、同時に、このような状況に陥る自分自身への深い自己嫌悪と苛立ちを募らせます。彼は、自らの滑稽な振る舞いや、承認欲求とプライドのねじれに苦しみます。
同窓生との屈辱的な体験の後、主人公は寂しさを紛らわすためか、偶然出会った娼婦のリーザの家を訪れます。そこで彼は、リーザの境遇に同情し、彼女を救済しようと慈悲深い言葉をかけ、理想的な未来を語って聞かせます。リーザは彼の言葉に感動し、心を動かされます。
偽善と優越感:しかし、主人公の言葉は、純粋な善意から出たものではありませんでした。彼は、リーザを救済する自分に酔いしれ、彼女に対する優越感と、自分が善人であるかのような自己陶酔に浸っていたに過ぎません。
リーザの訪問と主人公の醜態: 数日後、リーザが主人公の「地下室」を訪ねてきます。彼女は彼の言葉を信じ、救いを求めてやってきたのです。しかし、主人公は予期せぬ来訪に狼狽し、自身の狭い部屋や貧しい生活を見られることを恥じます。
心の奥底の悪意の露呈:自分のプライドが傷つくことを恐れた主人公は、リーザに対して残酷で冷たい言葉を浴びせ、彼女を深く傷つけます。彼は、自分を訪ねてきたリーザを侮辱し、彼女の純粋な心を弄んだ挙句、お金を与えて追い払おうとします。この行為は、彼の内奥に潜む悪意、卑屈さ、そして他者を支配したいという欲求が露呈した瞬間です。
後悔と葛藤:リーザが去った後、主人公は自身の醜い振る舞いを激しく後悔しますが、その感情もまた、彼の自己中心的で病的な精神の一部として描かれます。
これらのエピソードは、主人公の**過剰な自意識、劣等感、他人への見下しと承認欲求の矛盾、そして自身の内面に潜む「醜さ」**を具体的に示しています。彼は、理性や倫理では割り切れない人間の「闇」の部分、自己嫌悪からくる他者への攻撃性、そして真の人間関係を築けない孤独を描き出しています。
30代、独身
流石に生え際の後退が見苦しくなってきて、去年の秋から近所の皮膚科でハゲ薬をもらうようになった
最近やっと効果が現れ始めて一安心していたが、職場の送別会で撮った集合写真をもらったらまだハゲが目立ってて落ち込んでるところ
それはそうと、薬を飲み始めたとたんてきめんにでた効果がもう一つある。
男性ホルモンの働きを阻害してハゲを抑えるらしいから当然っちゃ当然なんだが、本当に勃たなくなった。
前は3日に1回致すくらいの年齢としては平均的な(たぶん)ペースだったが、どうもその気にならないことが多くて、週に1度、下手すると2週間に一度くらい。
それもどうにか気分を盛り上げた上でお気に入りのオカズでやっと半勃ちまで持っていき、しごき倒してトロォ……と出てくるようなレベルだ。
まあ相手もいないし、その分生産的なことに時間を使えばいいだけだからデメリットはないといえばない。
しかし性欲が減退して初めて知ったのは、性欲とは全然別に「オナニー欲」みたいなものがあるらしいということ。
週中になるとどうしても満たされない鬱屈のようなものが溜まってきて、ああシコりたい、シコりたいと思うのだが、肝心の性欲がわかないのでただただエロ動画を眺めたあとで寝ることになる。
どうしたらいいんだろうね。
年明け、というより昨年末から雲行きは怪しかったが、2月から4月はまじでどうにかなるくらい忙しかった。午前、出社後にメール返しまくってそのあと2.5時間ぶっ続けでリモート打ち合わせして終わったらもう14時を過ぎてて、打ち合わせがまた新しいめんどい仕事を生み出していて、でもその日中に戻さなきゃならない別件の作業もたんまり残ってるのに次のまた別件の打ち合わせまであと1時間もない、みたいな日がえんえんと続く毎日だった。本当にもうやばい日は終電を逃し(電車に乗る気力体力がないからあえて逃した日もあった)、タクシーで帰宅することもままあった。いくつかの案件が同時に動いていて、自分がいま何をしているのかがわからなかった。今の部署には夏に異動になってきたばかりで微妙に畑違いのことをしていることもあった。というかそれはかなり大きいストレスだった、思うようにはひとつも身体を動かすことのできない粘度の高い水が溜まったプールに潜って息き継ぎもせず爆走してるみたいな謎の競技をひとりでしている、みたいな感覚だった。エレベーター待ちのタイミングで「今日って何曜日だったっけ?」レベルのことを同僚に聞いているとき、このまま脳の神経回路がイッちゃってばたりと倒れでもしないかなってわりと強めに思った。でも、かなりとても真剣に祈っていたけどぜんぜんそうはならなかった。チンって音を立てた鉄箱は次の会議室までわたしを強制的に運んでいく。人間、ストレスのために心身の症状はあれこれ出てもすうっと死ねるようにまではできていない、正直これは人体における大きな欠陥のひとつだと思ったが、たまたまわたしの体が頑丈にできていただけかもしれない。
そのころ、体はともかくこころはまじで限界っぽかった、仕事以外の時間で文章、というか文字のひとつも読むことはおろか、ちょっとの音楽を聴くことも受け付けなかった。唯一のフリータイムである通勤退勤電車ではとにかく席を確保して座り、何をするでもなくただただぼーっとしていた。なんらの情報もインプットすることをしたくなかった、脳みそのメモリが埋まりきってるのだから無理であり、それはささやかな回復の時間に充てられていた。
3月の頭ごろに、同僚のZさんがとうとう契約を切られる、という話を聞いた。Zさんはたしかに仕事があまりうまくできないうえに出社も拒否気味、なのにSlackのレスポンスも致命的に遅かったので、同僚たちからはちょっと、かなり呆れられていた。このご時世、上長も直接的に怒ったりするのではなくむしろもはや諭しにかかったりとあれこれ試みているようだったが、それでもだめそうだった。Zさんは残念だが契約を切らざるを得ない、という上長の話をすんなり受け入れたそうだ。前に、同僚たちがZさんの愚痴で盛り上がろうとしたとき「Zさんは宝くじが当たってるからわたしたちみたいに一生懸命はたらかなくたっていいんですよ」と茶化してやりすごしたことがあったけど、もしかしたらあながちうそでもなかったのかもしれない。Zさんとは仕事上でそんなに接点もなかったけどもそういえばこのあいだ、本の話をした。客先での打ち合わせ終わりに電車で一緒に帰ったとき、Suicaを取り出そうとしたZさんのかばんから文庫本が飛び出して、そのまま本の話になったのだ。Zさんがそのとき読んでいたのはなんとかっていう翻訳小説で、図書室の話だとか。その図書館には本が死ぬほどたくさんあり、主人公はそこで一生、本を貸したり整理したりして毎日暮らしているらしかった(うろ覚え)。Zさんが古いマイナーな翻訳小説を読んでいるというのは意外だった。じつはZさんは本をけっこう読むっぽくて、なんかこうおすすめをいろいろと聞いてみたい雰囲気もあったけど、そのときわたしには本は空想の世界の羨ましいどうでもいい疲れる話だったので、さっさとその話を終わらせてしまった。そのままZさんは3月いっぱいで契約終了となり、とくに送別会みたいなものもなくデスクが空になった。そのデスクには夏前に新卒の子がひとりくるらしい。
このところはそんな感じの3カ月間だった。4月中旬にいちばんデカいやばい案件をなんとか終わらせ、ほかの仕事もまあぼちぼち、という状況にいまはなっている。そして、今日のわたしはとても自由だ。朝、ひとつ重たいメールと数件のSlackを返したらあとはそんなに緊急にやるべきこともなく、しかもリモートワークなので、昼にウーバーでケンタッキーを食べたりもした。しかもじつはさっきまで駅前の本屋さんに行っていて、書棚にひしめきあっている本たちがわたしに世界を読ませようとしているのがうれしくてたのしくて腹の内側にめくれあがってくる痺れを感じた、これは小さいころにシルバニアファミリーを買ってもらって遊ぼうとしたときと同じような感覚だった。明日からのGWはたんまり買ってきた本を読みまくるし(まずは松田いりの『ハイパーたいくつ』)、Spotifyでラジオも聴くし、映画もがんがんに観るぞー。いまのわたしはようやく、ただつかのまの息継ぎを許されていますという感じで、これからもしばらくは倒れて死ねることもなく社会人を生き延びていくのかなと思う。
この時期になると一段と気分が落ち込むな。
さっぱり祝福しようとか、お疲れ様とかそういう考えにならないんだが。
やっぱり変なんだろうなぁ。
自分が退職するタイミングになったらどういう風に送別会を断ってやろうとか、
これまで社内表彰でもらった表彰状やらトロフィーやらをこれ見よがしに会社のゴミ箱に投げ捨ててやろうとか、
最後の挨拶で最後に溜め込んでた不平不満をぶちまけてやろうとか。
いやいやいや、どーせ小心者のお前にはそんなことできませんよ。
その時になったら、可もなく不可もなく、風波立てずに誰の印象にも残らないように去ることに心血を注ぐんでしょうよ。
今度は転入者の紹介か。ああ、席替えだキックオフだ懇親会だ嫌だ嫌だ。
新入社員がくるのか。
面倒くさい面倒くさい。。
余計な擾乱が一つ増えるという感覚。
ああ、どうして暖かく迎え入れようという気持ちになれないんだろう。
ただ単に自分の性格がひねくれているだけなのか、それとも心に余裕がないのか?
一旦休みたいな。特に期限を決めずに好きなだけ休む時間をとれたら、ちょっとはそういう寛容な気持ちも自然と湧いてくるもんなんだろうか。。
適当な理由をつけて同僚の送別会を欠席したり、産休明けの人が会社に子供連れてくる日にリモートワークにしたり、「(指示)」「なんでですか?」「なんでだと思いますか?」ってな感じで質問に質問で返したり、質問にQiitaのリンクだけで返したり、あまりに基礎が分かってなさすぎて鼻で笑っちゃったり、褒める時は「すごいですねー」って私なら絶対馬鹿にしてんのかこいつ?って思うテンションで言ったりしてる
全ての行動に相手を見下してるのが透けてるし、それがバレるんじゃないかって怖いのに、なんでこんなレベル低いんだよこいつらってイライラしてやめられない、レベル低いのは自分なのに
絡みたい絡みたい絡みたい!!だる絡みしたい!!会社の支店送別会だった!!若手の時より多少上手く立ち回ったつもりだがダメだな、お偉いに奥さんとの馴れ初めを問い詰めてしまった、だる絡みしてしまった
だる絡みしてー好きな人に酔った勢いでLINE送りてぇーくそー!ー!このやろー!!!明日仕事かよ!!大丈夫かよ!!早く帰って寝なきゃ!!
会社の送別会で幹事してるんだが、お店選びに文句を言うやつが1人出た
文句の内容は、大人数の飲み会に向いていない、会社に近すぎるから解散時酔ってる姿を他の社員に見られるかもetc。
いやいや貸切にしてるから大人数の飲み会okだし、そもそも自制できるくらいの酔いに留めろよアホなん?
場所選びが杜撰ですとか言われたが、この時期に会社近くで数十名貸切かつまあまあおいしくて5000円代は他になかなかないっつの………
お前は自制できないくらい酔うつもりだから会社から離れたいんだろうが、酒飲まない人や一次会で帰りたい人は会社から遠くにしたら嫌な気持ちになるだろうが
お前が嫌だと思う店は他人にとっては良い店、逆も然りだ。だから幹事でもない限り文句を言うな
先輩だから?関係ない、業務でもなんでもない飲み会な幹事をやってんだこっちは。文句を言うならお前が幹事をやれ。
大学のときの話なんだけど、入ってたサークルの同期にすげえ気持ち悪い奴がいて
グロい話とかうんこの話とか汚い下ネタとかすごい不謹慎な話とか
そいつの話の8割方そんな話ばかりだから、自分は内心嫌な奴だなと思いながら付き合ってて
でもそいつのこと気に入ってる奴は不思議と多くて、ご飯や飲み会のときは必ずそいつが輪の中心にいた
(今思うと女子からは避けられていたかもしれない、でも男子の間では人気者みたいなキャラだった)
なんでこんな奴が面白いって皆に認識されてるのかよく分からなかった
今思い出しても本当に嫌いだ 覚えてるエピソードを書き出した
・広島出身の人に「実家原爆ドームなんすよね?」とその人が苦笑いしてるのに何度もしつこく発言
・アラビア語勉強してる後輩の女子に「自爆テロ行きます!」と飲み会で何度も抱きつく
・インドカレー屋で飯食ってるときに「さっきこんな色のうんこ出たんすよ!」
・鍋食ってるときにいきなり屁こいて脱糞(何してんだよwと何故か受け入れられる)
・「妹がぬいぐるみで遊んでいる様子で精通した」という話を何回も飲み会で披露、大学の近所の保育園を通るたびにその話を披露
こんな奴絶対友達おらんやろって思うかもしれないが、当時はこれが皆大爆笑でウケてた
サークル引退するときもそいつだけ2週間ぐらい毎日送別会開かれてえらく愛されてるなと思った
Google マップのローカルガイドとしてポイントを稼ぐには口コミを書いたり写真を投稿したりっていうのが一般的なんだけれども、じつはとある裏技を使う事でポイントを無限増殖することが可能。
①Google マップで「女子会」などのワードで検索する
②店舗名が「【女子会/接待/個室】創作居酒屋ほげほげ亭赤坂店 」のようなレストランがヒットする
③店舗名の項目に店舗名以外の文字列、ここでは「【女子会/接待/個室】」を含めるのは明確な規約違反なので「情報の修正を提案」して正しい店名に改める
④Google 側で審議され修正が認められればポイントが入る
これで終われば、まあそれまで。ちょっとだけGoogle マップの治安を良くすることに貢献出来て良かったですね、になる。ただ、実際はこんな感じの悪質な MEO (MapEngine Optimization) をやってる店舗の大半は、何かのボットなのか、オーナー権限で即時、遅くとも一日以内に元の規約違反状態の店舗名に戻してくるのだ。そいつらこそがカモ。
⑥店舗名を確認し、再び規約違反状態になっていたら再度編集する
⑦ ④に戻る
この方法でかなり効率良くポイントを貯めることが出来る。繰り返すうちにボットに勝利してオーナー権限が剥奪される時もあれば、ボットに敗北して修正が認められなくなることもある。明確な規約違反なので正義はこちらにあると思うのだが、ボットに敗北することがある理由は良く分からない。とは言え、そんな店舗は山ほどあるのでいくつも並行して作業すればいくらでもポイントが貯められる。
そんなこんなで今やローカルガイドのレベル 6 になった増田は、Google ストアで使える 15%オフのクーポンを何度ももらっている。ぜひ、悪徳 MEO が滅ぶまで一緒に頑張る同志を集めたい。
お勧めキーワード:女子会・接待・個室・歓迎会・送別会 →悪徳 MEO 店名が見つかればそこから別のキーワードが見つかることも多い
自分がが入社から今までお世話になり、すごく仲良くしてくれた先輩社員のOさんが転職しようとしている。
小中高時代、こんな人が先輩として身近にいたらどんなに嬉しかっただろうと思うことがある。
右も左も分からず困っている新入りの自分に手を差し伸べ、必要なことをひとつずつ教えてくれて、分かりやすい業務マニュアルまで作成してくれた。
私の業務はOさんにとっては畑違いの分野で、新入りが教育担当に放置されているのを見かねて助けてくれたことを、少し後になってから知った。
決して威圧的にならず、ユーモラスで話しかけやすく、適度にくだけた調子で接して相手を委縮させず、申し訳ないと思わせない。
分からないことをスムーズに訊きに行ける雰囲気があり、1訊けば10も20も教えてくれる。
後輩が周囲の輪に溶け込めていないときや、何か悩みがあるらしいと察知するとご飯に誘ってくれる。(Oさんは1滴もお酒を飲まない。酔ってダルい絡み方をすることは未来永劫ない)
年下に絶対にお金を出させず、何かと気を遣い、帰り道は車に乗せて送ってくれる。
これを男女関係なく、誰に対しても分け隔てなくやってのける。書いていて、自分は絶対にこうはなれないなと改めて思う。
Oさんは好奇心と知識欲の塊で、興味のある分野が見つかるとすごい勢いで行動に出る。
今の会社での業務も、もともと全くの未経験だったのを独学で勉強して、仕事にできるまでのレベルにしたらしい。
趣味で色んな楽器をやったり音楽を作ったり、大学教授だか何かのポッドキャストを聴いたり、最近はCGの勉強もしている。
すごい。すごいのに、こちらを見下したり馬鹿にしたりは絶対にしない。やっぱり、すごいと思う。
何かの記事で、「いいな」という気持ちに「ずるい」が混ざれば嫉妬に、「敵わない」という感情が混ざれば憧れになる、という文章を目にしたことがある。
私にとってOさんはまさに後者だった。
Oさんは、変わり映えのしない今の業務と、問題を先送りにし続ける職場環境に見切りをつけたようだ。
Oさんがいない社内を想像すると、悲しい。
他愛ない話で盛り上がる休憩時間や、ときどき社内チャットに届く笑えるメッセージに、私がどんなに救われていたか。
たかだか2、3年同じ職場で働いただけの私に、もちろんそんなことを言う権利はない。
正直、転職先なんか見つからないでほしい。せめて一日でも長く同じ会社にいてほしい。
でもOさんのことは人として本当に好きだから、ここよりもっと良い場所を見つけて、幸せになってほしいとも思っている。
たかだか2、3年同じ職場で働いただけの私だが、心からそう思っている。
「もっと人のためになるような仕事をしてみたい」と言っていた。教育とか、福祉の分野に興味があるようだ。ぴったりだと思う。
この人は一生懸命に赤の他人を助けようとするだろう。地獄のような繁忙期のさなかに入ってきた、業務上まったく関わりのない新人を助けたように。
そう遠くない将来、Oさんに手を差し伸べてもらえる人たちのことを思うと、良かったですね、この人なら安心ですよと微笑みたくなる。
私はOさんにたくさんお世話になって、でもまだ何も返せていなくて、
時間があまり残されていないのが悔しい。Oさんのことだから、次の職場なんてすぐ決まってしまうだろう。
転職先が決まったら、自分のことのように喜んでみせて、送別会を開いて、あまり湿っぽくならないように、きちんと今までの感謝を伝えたい。
せめて最後の日まで、いい後輩でありたいと思う。
F美さん(30代・会社員)はある朝、夫にこう告げました。「今日は帰り遅いから、冷蔵庫のおかず温めて食べといて」。
F美さんはその日の夜、友人との食事の予定が。帰宅して一人で夕食をとる夫のために、温めるだけで食べられるおかずを準備して出かけました。夫は「ハ~イ」と返事。F美さんは友人と楽しい時間を過ごしましたが、そのときはつゆほども知りませんでした。まさか「冷蔵庫のおかず」の話で夫と言い合いになってしまうとは…。
なんで食べてくれないの!?
帰宅後のF美さん、お茶を飲もうと冷蔵庫を開けると…なんとそこには「夫の夕食に」と用意していたおかずがそのまま残っていたのです!中身を見ると、ひとくちも手を付けられていませんでした。
もしかして食べ忘れてたのかな…と考え「なんでおかずが残ってるの?」と夫に聞いてみると、「レンジするのが面倒だったから、コンビニで済ませた」と返事が。
面倒くさかった!?
面倒くさかった!?
レンジが面倒だなんて…せっかく作ったのに…
F美さんは、夫に「じゃあ、これから私がいない時は自分の好きなものを買って食べてね」と告げました。しかし夫は「いや、昨日はたまたまそういう気分だったから。何か作っておいてくれたら食べるよ」とのこと。F美さんは多少疑いながらも、まあそんな日もあるか、とその場を収めました。
翌日F美さんは、作り置きのおかずを自分で食べて、美味しいのになぁ…とつぶやいたとか。
こいつ…またやりやがった!
また別の日、会社の送別会で帰宅が遅くなることがわかっていたF美さん。以前、夫が「レンジで温めるのが面倒」と言っていたのをふまえて、冷蔵庫から出してすぐ食べられる冷製のおかずを用意したことを説明すると、夫は「わかった」と了承しました。ですが、帰宅して冷蔵庫を開けると…またもや、おかずに手が付けられていません!
F美さんがどういうことか聞いてみると、夫は悪びれず「温かいものが食べたかったから、カップメンで済ませたよ」と返事をしました。あきれ返ってしまったF美さんは、以降、夫のためにおかずを作り置きしておくことをやめたそうです。
まずいからだろ(直球)
面白い人間になりたいという思いは多くの人が抱えるものだが、君の場合は少し方向性がズレてしまっているようだ。以下にいくつかのアドバイスを提供する。
観客を見極める
ユーモアは相手によって受け取り方が変わる。同僚や新卒のようにまだコミュニケーションの土台が築かれていない相手に対しては、突然の奇抜な話やホラーギャグは驚かせてしまうかもしれない。相手がどういうユーモアを楽しむのかを見極めることが重要だ。
大げさなジョークや風変わりな話題よりも、まずはシンプルで誰にでも伝わるような笑いを目指すといい。日常のちょっとした出来事や自身の失敗談など、共感を得やすい話題から始めてみよう。
冗談を言うタイミングやその場の雰囲気が重要だ。たとえば、送別会は感謝や別れを惜しむ場なので、あまりにも突飛な発言は相手の感情とすれ違い、逆に不快感を与える可能性がある。聞き手の心情に寄り添う必要がある。
相手の反応を観察する
ギャグや冗談を言った後の相手の反応をよく観察することも大切だ。相手が困惑したり、不安そうであれば、それは何か誤解が生じている印だ。素直に「冗談だよ」と伝え、相手を安心させることも必要だ。
バランスを取る
ユーモアを追い求めるあまり、他者との通常のコミュニケーションまでギャグ調にすると、真剣な場面でも信頼を失う恐れがある。普通の会話での安定感も併せ持つことで、あなたが信頼できるユーモアのある人物として認識されるだろう。
人気スタイルの人や芸人の真似をするよりも、自分自身の個性を活かした自然なユーモアを見つけるといいだろう。
そろそろ12月。忘年会の時期、送別会の時期の人もいるかも知れません。仕事ではギスギスした関係でも割り切って追い出し会を開いてくれる同僚や上司にはどんな形であっても感謝です。
そのような席で贈り物をもらうこともあるでしょう。実はその贈り物の内容で、送った側のあなたへの評価がわかります。評価とはつまり、あなたのためにどの程度手間をかける価値があるか、どの程度の品が適切だと見なされるかの2点です。これがあなたへの最終評価と言ってもいいでしょう。
酒はもっともわかりやすく評価が見える贈り物です。念のため言っておくと、その酒がおいしいかどうかは全く関係ありません 。
高ければいいというわけではありません。酒は送る側のエゴが最も強く出ます。実際に市場価格が高くても一般的に知られていない酒を送られる場合は送る側の自己満足だと考えてほぼ間違いありません。その上司普段から空気読めない人でしょ?
オーパスワンはカリフォルニアワインといえばこれという知名度の高いワイン。生産が限られているため入手困難だが十分時間に余裕があれば買えなくはない。つまりあなたの送別会に向けて丁寧な準備が行われたことがわかります。
これがおくられたら文句なしでしょう。
格付けチェックでも出てくるほど知名度は抜群です。やはり事前に計画して入手しておく必要があり、送別会当日にパッと買えるものではありません。文句なしです。
ドンペリも有名ですが、ぶっちゃけどこでも買えます。それなりの価格がするので、これを送られるということはあなたへの賛辞が含まれていると理解していいでしょう。もしかしたら送る側が品物を吟味する余裕がなかったのかもしれません。
カミュはコニャックなのでドンペリと比べると好き嫌いが分かれやすい酒です。あなたの好みを知っていてカミュであれば最上級の贈り物と言っていいと思いますが、普段お酒を飲まないあなたに送られたのであれば、ほぼ送った側のエゴでしょう。でもそれだけお金をかけたという誠意は評価していいと思います。
キャバクラや会員制ホテル、レストランでよく出されます。ぶっちゃけいつでもどこでも買えますが、それだけ万人受けするし格のある酒として認識されており、送り出すあなたへの尊敬の念があると理解していいでしょう。
価格は安いですがキャバクラホストクラブでよく頼まれる酒で、送った相手を評価する意味が含まれていると思っていいでしょう。心の中で舌打ちをしながら笑顔で受け取りましょう。
ことごとくゴミです。あなたは全く評価されませんでした。受け取ったその場で瓶を叩き割り贈ったやつを殴りつけるか、帰り道に投げ捨てたほうがいいでしょう。