
はてなキーワード:迷言とは
山上被告の人生「過剰に考慮すべきでない」「教団に翻弄」 主張対立:朝日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTBX2PW0TBXPTIL01PM.html
あと一応当該記事もプレゼントしておきます。無料部分だけ読んで適当こいてるバカとかまさかいないと思うけど、一応ね。https://digital.asahi.com/articles/ASTBX2PW0TBXPTIL01PM.html?ptoken=01K8QFSP9Y5RER9BSCE2QDE2XB)
Cat6
“強調したのは、40代となった事件当時まで影響が及んだとは考えられないということだ。”
射殺犯山上被告の責任を追及して容易に転嫁を許さない姿勢は検察として当然だろ。
じゃあなにか、
この場で山上被告への追及を放り出して統一教会の糾弾を始めるべきだと?
「統一教会は悪だから山上さんは無罪です!」と検察と弁護士が一緒になって山上被告を胴上げでもするべきだと?
事実を争えない場合の被告と弁護士は必ず何かのせいにして情状酌量を求める(それは当然)。
その対立姿勢自体否定するならもう刑事裁判そのものを否定する方が早い。
悪を咎めるべき検察が、多くの同胞を食い物にしてきた外国のカルト宗教の弁護をする
恥ずべき存在に成り下がった
統一教会が多くの同胞を食い物にしてきた外国のカルト宗教であることは異論の出ない事実だが
関係あるとしても争点にするのは「山上被告にどれぐらい影響を与えたか?」であって
他の日本人をどれぐらい搾取したかとか、日本発か海外発かとか、それはここで関係がない。
もしもこいつやこいつに☆つけたやつらが検察だったら堺事件も生麦事件も外人斬った藩士は無罪になって
法廷はむしろフランスやイギリスを非難する場になるべきわけだ。
いやこいつらマジですごいだろ。
『だんドーン』でも読んで勉強しなおすといいんじゃね。
これを言ってる連中がせめてウヨならまだ救いがあるんだよ。
でもCat6氏は過去発言見る限りはてブによくいるリベサヨ側の発言が多く
☆つけてるのもそちら側のイツメンなのな。
つまり
限界志士のドキドキ☆攘夷裁判レベルの幼稚な理屈を真顔で叫んでしまう。
ちょっとなんていうか
本当に知的レベル・情緒レベルが中学生みてえでびっくりするんだけど
はてブ民のボリューム層ってってアラフィフぐらいでしたよね……?
こいつらが今回叫んだ理屈だと
たとえば余罪多数ある在日コリアンの詐欺師がいて、日本人に私刑で惨殺されたとして、
サヨで同じこと叫んでるのは更に100倍終わってるからな?
参政党でもお前らほどじゃねえわ。
これはもう明確に参政党より知能が劣る。
ChillOut
死せる晋三生ける検察を走らす。
弁護側の言い分は「激ヤバモロカルトのせいでこれだけ人格壊れちゃったから、ヤバめの殺人犯だけど酌量されるべきだよね☆」ということであって
仮にこれが丸呑みされたって安倍と統一教会の間柄なんかなんも証明されない。
「安倍は海外カルト統一教会とズブズブな国賊でありこれは斬奸の義挙だから烈士山上の罪を減じてほしい」
安倍が統一教会とズブズブだったか疎遠だったかなんてこと自体を争われていない。
仮に安倍が韓鶴子とファックする仲でそれを証するハメ撮り映像を弁護側証拠資料として提出出来てもこの裁判で有利にはならない。
あたりめえだろ。
バカもたいがいにしてくれ。
IthacaChasma
情状酌量のためでもあるのかも知れないけど、それ以前にどストレートに動機のど真ん中なので、考慮しないのはそもそもおかしい。
これを「考慮しないと主張した(0だといった)」と言いだす奴の国語力の方がおかしい。
弁護側がほんとに関係ない考慮に値しない材料を持ち出して来たら
プロの弁護士がそんな話にならないものもってきたりはしないので
IthacaChasmaは割と穏健でまともなことをいうidだった気がするが
このコメントは「非難したい対象の発言を10:0にすりかえて非難する」という程度の低い詭弁で
これを1位にする衆愚のおつむと併せて残念というほかない。
最後に朝日新聞当該記事のコメントプラスにコメントが1個ついてたので紹介する。強調は増田。
【視点】
個人的な意見としては、被告の人生の背景を量刑判断にあたって過剰に考慮すべきではないという検察側の主張に賛成だ。
もっともそれは、必要以上に軽くすべきではないということであるとともに、必要以上に重くすべきではないということでもある。
一人の命を殺めた殺人犯として(殺人罪の成立については争わないらしい)淡々と捌いてほしい。
俺このコメントだけ読んだら「なに当たり前の話をしてんだもっと内容のあること言えこのウスノロ」とか思っちゃったかもしれないが
マジやべー奴が世間に大量にいるって知ってるからこんな子供に諭すレベルのこと書いてんだねこの教授
パイセンたちいつか頭が良くなる日が来るのかなと思って眺めてたけど
ついに知能が完成する前に次のフェーズに入っちゃってる感あるよね。
なんなんだこの集団。
昔のはてな村って「陰キャ的だけど平均より頭がいい」みたいなイメージを自他ともに認めてたのに
いまどう見ても国民の成人の平均レベルより頭がいいなんて到底思えない。
これもうただの〇〇〇〇の群れでは……
収入が良くて学歴が高い「生産的」な人たちがはてブから去って行ってるんだよ。老いてリタイヤしているというのもあるかも。
「保育園落ちた詩ね」の左翼はあの成功体験が忘れられずに表現の自由とか外国人かわいそうとか生活保護とか夫婦別姓とか女性の権利とか痴漢詩ねとかおひとり様万歳とか鬼のように朝日新聞の記事をブクマしまくってるように見えるけど老いていくためかどんどん弱体化してきている。あと、ひまをもてあまして昔2chを荒らした団塊おじが退職した後に乱入してきてクソみたいなはてサと反対側の保守的な世迷言を書き散らしているけれどこれもクソコメ過ぎて反論がつくだけで大きな動きにならない。オタクは昔見たいなハードコアエッジクラスタはいなくて、電車やトイレでポチポチスマホを触りながらガチャ課金とかして「養分」をやっている層ばかりだ。「推し」とか言って主体性があるようなふりをしているけれど実際にはただの養分で文化的な進化が停まった人達。結論としてはてブコミュニティは終わっている。再生の道はあるのか・・・
I'veには詳しくない!
(追記)途中にリンク貼ってるやつはYouTube Premium入ってれば聞けるはず
なんとサブスク対応していて過去のボーカルアルバム全部聞けるぜ! 入手性最強!
代表曲はここらへん
個人的な好みだとここらへんが好き
正直言って絞れないがShadeサウンドは最高だぜ! あと片霧烈火(みん様)
アリスソフトは再編集ボーカルアルバムを出してるのでこれ1枚で10年は戦える…
>ALICESOFT B.G.M. festival #0AnniversaryCD
自慢じゃないけどShadeの生演奏も聞いたことあるし、川崎のみん様単独屋外ライブで歌唱隊盛りまくったバージョンも聞いた
あとオフボーカルだとRebirth theEdgeなんだよなあ
ニコニコの演奏動画がバズって後に公式でギター弾くことになった大和版もいいんだこれが
https://www.nicovideo.jp/watch/sm9874660
ここらへんはBarbarian on the groove(解散・bassy、mo2、wight)が手広く担当していてみんなすき
霜月はるか、茶太、片霧烈火のしもちゃみんが同時に1枚のアルバムで聞けるのはBOGだけ!(真理絵もいるよ!)
残念ながらサブスクはなし!
これは全くの余談なのですが民族淫嬢(暁WORKS黒)で民安ともえがセクシーお年さん役やってたのよかったです。
これも絞りきれねえけどよぉ……俺はリトバスが一番好きなんだ
サブスクやってる
二次創作の話です。
私は原作者以外が想像したもの(二次創作)は、たとえ公式CPでも正しいものではないと考えています。
正しい物語は原作者が作ったもので、それ以外の人が考え、作った物語は、原作者がそうだと認めない限り、単なる妄想だと考えています。
公式は少年Aと少女Bがすったもんだの末にくっつき、すったもんだを解決する、というのが大筋。
その【すったもんだ】がちょっと特殊で、それの解決のために少女Cが少年Aに協力。
少女Cと少年Aは秘密の協力関係にあり、少女Bはそのことを知らない。
内容はこんな感じで、メインは【すったもんだ】とそれのせいで少々こじれる少年Aと少女Bの恋愛話が主軸の漫画。
公式ではないし、少女Cは少年Aが少女Bのことを好きで、少女Bも少年Aのことを憎からず思っている、いわゆる両片思いであることは知っていて、失恋していることも理解している。
なんなら、原作の中で少女Cは二人を応援すると言っているし、そのために【すったもんだ】を片付けるために注力している。
さて、ABが公式CPなのにACが好きというのは、まぁ、AB好きの人から見れば馬鹿なことを、と思われるのは仕方ない。
ただ、それ以外の非公式CPからなじられるのは納得がいかない。
同作品内にて、青年Eと青年Fという、【すったもんだ】部分で少年Aと関わる二人がいる。
でも青年Eには女性G、女性Hと、元カノとして二人の女性が登場し、特に最後の元カノである女性Hのことを、今でも想っているような描写がされている。
一般向け少年誌ということもあり、公式が青年Eと青年Fをカップリングにすることはほぼないだろう。
それなのに、青年Eと青年FのCPを押している人たちは、その二人が少年Aと少女Bに共通しているところがあり、これは公式CPだと世迷言を言う。
まぁ、気持ちはわかるし、これはもはや公式と言っても過言ではない(過言)みたいなやり取りは、どの作品のどのCPでも起こりうることなので別にそれは良い。
問題なのは、自分たちだって非公式CPなのに、同じく非公式CPであるACをめちゃくちゃ貶してくることにある。
それなのに、自分たち公式ですがなにか、みたいな顔をしてこっちを否定してくるな!
そんなんだから、「これだから青年Eと青年FのCPの人たちは〜」みたいなこと言われるんだぞ!
って日々思ってる。
不起訴になる
※デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年〈昭和15年〉2月6日 - )は、日本生まれでインドネシア国籍の政治活動家・タレント。インドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人[2]。NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。
おっけー!似たような「言ってるようで言ってないけど妙に納得してしまう系」の表現、集めてみたよ。
“画像はイメージです”とか“力こそパワー”に通じる、迷言・名言(っぽい)たち↓
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→ いや、たまにそうだけど何が言いたいん?
→ それどの程度…?
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### ✅ 無敵のループ構文
→精神論の極み
→ 鶏が先か卵が先か問題
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→自分ってどこに落としたの?w
→ なんかカッコいいけど具体性ゼロ
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→ それだけで大丈夫なの?
→ “らしさ”とは何か
→ 逆に聞いてくるスタイル
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こんな感じでいろいろあるよ〜
続き
Season1から見てる。前にも書いたけどキン肉マンを見るのは昭和のキン肉マン以来だったので全部は知らないのだけれど、
ちゃんとキン肉マンしてる感じが出ていて、いいなと思いました(小並感)
双方意識はしているがツンデレでいがみ合い、他にも主人公に好意を持った女子もおり、ハーレム状態よくある話。
金持ちが用意するダブルベッドにしては小さい気がする。いろいろと余裕が欲しいでしょ。
素直に1000円! まとめて1000円!
追記:朱音のツンデレ具合が面倒くさすぎて陽鞠ともっとバトって欲しかった
タイトルとキービジュアルを見てアニメーターお仕事アニメを想像していた人も多いかと。
ハマグリ弁当にあたって異世界へ飛んだ天才アニメ監督がピンチな状況をまるっと描きかえ修正してしまう。
毎回「あれ、どこかで見たような」有名アニメ演出を用いて全修してしまうところがアニメファンの心をくすぐる。
追記:この世界に存在しないものまで描く力で生み出し、世界を救い出してしまう。勇者まで作ってしまうことも。
圧倒的脅威もなんだかんだで愛の力をプラスして乗り越えた。これはもう魔法陣グルグルだ。
生と死のはざまのセカイ、といえば誰ソ彼ホテルと被るか。ちょっとデフォルメされたキャラクタと成り、闘技場で戦ったりする。
戦いには特殊な装備をつけたりして、また修行シーンなんかはメガロボクスを思い出す感じ。
登場人物の生前の記憶が実写映像で途中で挟み込まれるのが特徴的。
中国アニメではこういう演出をたまに見るが、もしかしてここが日本人には好き嫌いが分かれるかもしれない。
bilibiliなアニメは個人的に苦手なの多いけれど、これ結構好きかも。
追記:ストーリーとバトルもよかった。この人、人の精神面書くの好きね。また続きが見たい
神のお告げで運命の人が100人いるらしく、最終的には100人と同時に付き合いそうな、
イナバ物置もビックリハーレム生活かよってなぶっとんだラブコメ。
実は1期はいろいろ時間の都合で見てないのだけれど、2期見たら面白いので見てます。
6話の野球回は最高に泣いて笑った。どういうことだ!
タイトル通り。1話では転生前の戦隊の活躍が描かれているが、ホント戦隊モノのそれ。解像度が高い。
しかもレッド以外の声優は実際に戦隊ヒーロー経験者が声をあてている、これはうれしい。
異世界転移後は魔導士イドラと共に冒険するのだが、レッドとイドラ達のカルチャーギャップを見るのが面白い。
「なんで変身後とか、いちいち爆発するの」それは視聴者にも分からん。
6話での"絆創合体"は迷言になりそう
転生したらベヒーモスになった。捕食能力もあり、戦ったモンスターの能力を習得することもできる、ぶっちゃけ強い。
幼生の時はまるで猫みたいなかわいらしい姿で、偶然出会った(スタイルのいい)エルフにペットのように可愛がられる。
本当のタイトルは『Sランクモンスターの《ベヒーモス》だけど、猫と間違われてエルフ娘の騎士として暮らしてます』
長い。放送局のEPGは「ベヒ猫」だったり「Sランクモンスターの《ベヒーモス》だけど、猫と間違われて」だったりする。
伝説の殺し屋が家庭を持って平和な日常を過ごしている。が、それを許さない組織が刺客を送り込んでくる。
愛する家族を守り、穏やかな暮らしを続けつつ、降りかかる火の粉をはらっていくお話。
正直ジャンプでは読んでない漫画ですが、アニメで見てる感じです。
やっぱりこういうアクション系はアニメでしっかり描かれると魅力が増すね。
追記:基本ギャグアニメって認識でいいのかな。ギャグとギャグじゃないのが中途半端というか、もっとメリハリあるとよかったんだけど。
続きあると思うけどもういいかな
奈落に落ちて絶体絶命だと想ったら世界樹と大賢者に助けられ、すごいトントン拍子で強くなる話。
追記:ボーッと見てて気がついたら女性キャラが7人に増えてた。もういいかな
魔法に憧れてた男性が死後、異世界転生した先で魔法の研究を始める。
いきなり凄い魔法が使えるわけではなく、愚直に魔法が使えるよう努力するのがいい。
周りのキャラクタも魅力的よね。あと両親が協力的なのがいい。歳を取ると家族愛の(略
追記:怠惰病の話長かったなーというのが見終わってからの感想。でも面白かったので続きあったら見ます
ラブコメもいいけど、だんだん家族になっていく感じに弱いので。好きです。
追記:白日ちゃんに幸あれ。最後24話では妃教育でもよくある「デン!」って効果音が流れる。なにこれ流行ってんの?
OPのダンスが謎だと少し話題のアニメ。多分、ラッキースケベを楽しむアニメだと思う。
私には主人公とヒロインに魅力を感じないめずらしい作品。心頭滅却しながら見てます。
お弁当を持って異世界に行ったり、異世界エルフをお持ち帰りしたり。
仕事はいつも定時で帰ったり、平の会社人っぽいのに広い家に住めてるし、
大きな車まで持ってるし、どっちも異世界か?
異世界の話が面白いわけではないんだけれど、現代に来ての彼女の反応が面白い、
共感が持てる、聖地が協力してくれて(?)本物を見せてくれてる、
っていうか十分に弘前城とかこっちの世界を紹介するのに力いれてんだよなぁ
とりあえず親にバレないように奨学金とか身内以外のしっかりした大人使ってなんとかする感じで行くしかないやね。
ただ、親がクソというのは一生ついて回る問題なのでこれからの人生において、身内がどうの寂しさがどうのとかいう世迷言に付き合わずに君の判断でそのクソと絶縁するかどうかを決めたらいい。
ええか、情というものが生まれてしまった時にはもう君は君を呪いながら生きなあかんなるからな。
「子供の奨学金をパチンコで使ってしまいましてなぁwハッハッハッw」とか言われても血涙出しながら『ホンマおもろい親父やで〜』って言わなあかんくなるのが情という呪いや。
それが呪いに勝るか、君の生きたい未来に勝るかでしかないのよ。
たぶん、米長邦雄っていう10年くらい前に亡くなった名棋士以来の伝統だと思う。
ちなみに、
・ウィキペディアの記事が言及している「人間における勝負の研究」は、一般人にとっても一読の価値がある。
・米長邦雄は数々の奇行、名言、迷言でも知られていて、調べてみると面白い。
羽生が真っ先にその功績として指摘したのが「相手にとって重要な一局には全力を尽くせ」という米長の勝負哲学だ。「将棋界の要であり礎でもある」(羽生)。従って将棋界には八百長試合が存在しない。好き嫌いの感情で故意に手を抜く無気力な対局もないという。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK21048_R21C12A2000000/
「自分にとっては消化試合だが相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で負かす」という理念を持ち、将棋界では「米長哲学(米長理論)」と呼ばれる。
著書『人間における勝負の研究』では、「何年間かのツキを呼び込む大きな対局であり、名人戦より必死にやるべき対局」と表現している。第24期順位戦(1969年度)は、中原誠と同時にB級1組に昇級して迎えた。A級昇級争いは、12回戦まで終了した残り1局の時点で、内藤國雄が11勝1敗で昇級が決まり、もう1人の昇級枠を58歳の大野源一と22歳の中原誠が、ともに9勝3敗で争っていた(順位が上の大野のほうが中原より有利)。そして、大野にとって「勝てば昇級」の最終13回戦の相手は米長であった。その米長自身は7勝5敗で昇級にも降級にも絡んでいなかった。ところが、その一局で米長は、通常タイトル戦でしか着用しない羽織袴の姿で大野の前に現れ、手加減しない姿勢をあらわにした。結果は、米長と中原がともに勝ったことにより大野はA級復帰を逃し、中原は米長のアシストによりA級に昇級した。なお、米長がA級昇級を果たしたのは翌年であったが、これについて前記の著書の中で、前年のことがあったからこそ昇級できたとの考えを述べている(精神面もさることながら、その年上がれなくとも翌年の昇級争いの最有力候補になる中原がB1リーグ戦から消えていたことは米長の昇級に有利になった)。
著書『米長の勝負術』では、トーナメントなどの例外を除き、その対局の結果が第三者に影響を及ぼす勝負の場合、自身の勝負に勝とうが負けようが第三者の悲喜の総量は変わらないが、それが故に結局は自身が全力を尽くしたかどうかだけが残り、手を抜いてしまっては純粋に、自身にとってマイナスであるとしている[44]。この「米長哲学」は将棋界全体に広く普及し、大相撲などの八百長問題の際に新聞などで引用されることもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E9%95%B7%E9%82%A6%E9%9B%84