
はてなキーワード:迷信とは
僕は今、いつもの座席に鎮座している。ルームメイトはリビングのソファでパズルゲームを無言で進めており、隣人はサブカル系の配信をしているらしく時折笑い声が廊下を渡ってくる。
友人たちはグループチャットで熱く同人の出来や新連載のガチャ確率について論争している。
僕の一日は厳密に区切られていて、朝は必ず8時に起床、コーヒーの抽出器具を90秒で予熱し、温度は92.3℃±0.2℃に保つという無駄に精細な儀式がある。
靴下は左足から履く。出勤前の15分は必ず抽象数学のノートを眺め、最近は圏論的位相場のホモトピー的反復と超弦モジュライのmeta-圏的安定化について自問している。
これは専門用語の羅列ではなく、僕にとっては手を洗うのと同じくらい生理的な行為であり、その行為を飛ばすと一日が微妙に狂うので飛ばすことはめったにない。
仕事が終わった今も、僕は一日の終わりに形式的整合性を取るためのルーティンを持っている。
具体的には、机上のコップは時計回りに90度ずつ回転させて元の位置に戻す、明かりのスイッチを一回押して3秒待ち、もう一度押すといった小さなチェックポイントを踏む。
これは合理的かどうかを問う人がいるだろうが、僕にとってはエラー訂正符号のようなものだ。失敗を検出すると自動的にその日のメンタル状態のトレースが始まり、友人たちの雑談に混じる気力が萎える。
超弦理論に関して今日述べることは極めて抽象化され、現実の誰が読んでも「それが何を意味するのか」を即座に把握できないように意図している。
僕は最近、モノイド対象としてのストリング世界面の圏を、圏論的対称化子(コクセター的ではなく、もっと抽象的に、位相的量子群の代数的類・モジュライ化)を用いて再定義する実験をしている。
言い換えれば、従来の共形場理論的な世界面パラメータ空間を、非可換ホモトピー論のフィルタ列で再帰的に層化し、その各層におけるファイバーの自己同型群をモナドとして扱うことで、局所的に見える弦状態の同値類を圏的に集約する。
さらに、圏の圏(2-圏)に対する新しい安定化の概念を導入して、通常のK理論的分類とは別の不変量が現れることを示唆する予備的計算結果がある(ここでは具体的数式を列挙しないが、ホモロジーの級数展開における位相的位相因子の再正規化が鍵となる)。
この構成を、最新の抽象数学的モジュール接続概念と結びつけると、我々が従来想定していたスペース-状態対応の双対性が、もっと弱い条件(例えば圏的可換性の高次緩和)で成立する可能性が開ける。
加えて、僕はこの考えをある講義資料やトークの示唆と照らして取り入れており、その資料は概念的な跳躍と直感的な図示を巧みに使っているので、僕の現在の探索にとって非常に有益だった。
僕は「誰も理解できないものを言語化する」ことに快感を覚えるタイプだが、ここで言っているのは自己満足のためではなく、圏的再構成が実際に計算上の省力化をもたらすかを検証するための試行でもある。
ある意味で、これは純粋数学者が夜中に自分だけの公理系をいじるのと同じ行為だが、僕の場合はそれを出社前の歯磨きに組み込んでしまっているので、周囲は迷惑かもしれない。
食事の配列はプレート上の分布エントロピーを最小化する向きで常に配置し、週に一度は手製のスキルツリー表を更新して趣味的投資の累積効用を整数化している。
コミックは最新巻が出ると即座にページごとのフレーム密度と作画のトーンワークを技術的に解析し、特に背景のディテールに含まれるトーンの反復パターン(いわば視覚的フーリエ成分)をスコア化する。
ゲームに関してはガチ勢的態度を崩さず、メタ的な語りを排してシステムのギミック、ドロップ率、レベリング曲線、そして対戦環境のテンプレート化された最適戦略について延々と解析する。
ただしゲームやコミックに対しては「空間」や「力学」といった語はなるべく避け、代わりに「状態遷移図」や「入力遅延とフレーム落ちの統計的扱い」など工学的・計算機的に言語化する。
たとえば今日友人が語っていた新作のギミックについては、その期待効用をELO的な評価尺度でランク付けして論争に勝とうとしたが、連中は「推し」を盾に論理を流してくるので僕はたまに脱力する。
だが脱力する暇は短く、夜の自習時間には再び圏論的比喩に戻り、各行動の符号化を試す。
日常の細部も大事にしている。玄関の鍵は4回回すのが正しいというオカルトじみたルールを持っているが、これは単なる迷信ではなく、僕の内部的なチェックサムである。
友人たちはこれを笑うが、彼らもまた各自の無意味な儀式に固執している。
コミュニティでの嗜好(推しキャラ、嫁、沼の深さ)に関しては妙に合理的で、僕はデータベースを自前で持っている。
各キャラの台詞数、出番頻度、描写の感情強度をパラメータ化し、二次創作が生成される確率空間を推定する実験をしている。
この種のオタク計量は笑われがちだが、実際にはコンテンツ開発や同人活動の動向を予測するには有用だ。
眠りに入る前に、僕は明日の論文ノートに小さな疑問を三つ書き付ける。
第一は、先に述べた圏的安定化が有限次元表現に落ちる際の可逆元の振る舞い、第二は同構クラスの計算可能性のアルゴリズム的複雑さ、第三は趣味領域における情報量の測度とその心理的飽和点の関係である。
これらを洗い出しておけば、僕は安心して眠れる。
ルームメイトがゲームのボスを討伐した歓声が聞こえ、隣人の配信が締めに入る。友人たちのチャットは未だヒートアップしている。
僕は日記を閉じ、明日のコーヒーの豆を2グラムだけ余分に計量しておく。これは単なる癖ではない。それは帰納的に我が生活を安定化するための小さな公理群だ。
【速報】ワークライフバランス捨てると高市氏2025年10月04日 15時11分共同通信
https://www.47news.jp/13246623.html
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
と言及した。
どんな速報だよ
こんなんにイチャモンつけるようなくっだらねー人間に心底嫌悪感を持つ。
はてな民て結局、しょーもないクレームや被害者ぶりっこや揚げ足取りばっかりのクズみたいな人生送ってる奴らなんだと思う。
自分の人生に対して主体的な覚悟を持って、脇目もふらず何かを頑張ったという経験が一度もない。
自分以外の誰かが猛烈に頑張ることにすらなんかケチをつけたい感情がある。
当たってるだろ?
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
お前等になんか何も言ってない。
そして先頭に立つ高市自身は「ワークライフバランスという言葉を捨てて働く」と。
これの何が問題なんだ?
そもそもワークライフバランスってのは少子高齢化対策として採用された使用人向けのスローガンだ。
好意的に取れば「使用者は使用人に長時間労働させてはいけません」という労働者権利護持であり、
左翼的問題意識を持って受け取れば「国がライフスタイルにまで介入して子供を持たせようと操作している」標語だ。
だから当然、全員がこんなもん当てはめられなければいけないわけでもない。
例えば経営者なら週7日仕事してたっていいんだしそんな奴は幾らでもいる。
自分が望んでキーエンスに就職する奴なら毎日23時まで働けばいいだけ。
反体制左翼も「うるせえな余計なお世話だよ」と反発や無視をしていい。
で、国会議員になるような人間も経営者やキーエンス側の人間だ。
一般人より遥かに重い負荷で働くのが嫌だって奴はそもそも政治家にならない。
当然ワークライフバランスなんか捨てるだろうし、捨てると公言しても何も問題がない。
なんで高市ぐらいの人間がお前ら弱虫と同じ標語、弱虫を守る為の標語の下にいる必要があるんだよ死ね。
ノブレスオブリージュの表明にまでふんぞり返って揚げ足取りする自称弱者様とか
もはやじんかんのどこにも必要ねえだろ。人の世の害虫というものがいるならお前等だよ。
仮に高市が能力も体力も意志もお前らレベルの凡愚な人間だったとしても
それでも別に常にワークライフバランスを守らなきゃいけないわけではない。
だって高市は64歳で、ライフイベントなんかもう終わってるから。
子供は産まずに人生賭けてやってきた仕事の最後で最大の正念場なんだから
まだなんとか動く身体も頭も振り絞って仕事に全部注ぐに決まってるじゃねーか。
「俺たち弱虫向けの標語を守らなかった!」なんて言うくっそ情けないケチを付けられるわ。
本当に心底くだらない生物、その辺の水たまりに跳ねてるボウフラ程度の値打ちのその生で
いっちょまえの大威張りで自分を肯定できるわ水たまりの外で生きる人間に向かって物申せるわ、本当すげーと思うよ。
(ちなみにこいつらがこれだけ大事にするWLBを日本で盛り上げた政治家も指定難病で無理して働いてたし子がいない)
高市はお前等なんかに何かを頑張れと言ってるのですらないんだけど、
弱虫でない人間が「私は頑張る」つっただけで被害者みたいな気持ちになっちゃうわけだろ?
有益な思考をする知能も精神力も無いんだから、無駄な情報を入れるな。
お前等なんぞ誰からも頼られてないからお前等も無駄な駆動をするな。
気の向くことして飯食ってクソして寝てろ。
それでブコメでなんか、「無能な働き者」みたいな文言を書いてる人間が10人超もいるんだよな。
「無能」て。
俺は心底不思議なんだけど、なんでお前等が高市の能力を見下してるの?
ど~~~~考えても、どの角度から検討しても、高市はお前等なんかより遥かに能力あるだろ。
当人が相当ボンクラでも……ってこともあるいはあるかもしれないが
高市は地盤も看板も鞄もない一般家庭から一代で昇り詰めたししかも女だ。
お前等に高市の人生を歩ませたら社会に出て最初の3年くらいで泣きを入れて
その後の余生全部ネットで被害者意識炸裂させることだけに生を空費する人糞製造機になるわけじゃん。
どうしてそういう当たり前の弁えがないのか、そこが一番不思議なんだよな。
何をどうすればお前等ごときが能力的に高市見下せると勘違いできるの?
人が頑張ると聞いただけでも不愉快になっちゃうようなボウフラちゃんの分際で?
物陰から高市を非難・罵倒する言葉すらほとんど自分の脳を通過してなくて
人口に膾炙しすぎた擦り切れた「無能な働き者」をキリッとした顔で書き付けて
本当にどのような角度でも能力が低いんだよな。
根性もない、気力もない、センスもない、国語力もない、罵り言葉すら自分のものじゃない。
つか
「強い人は言葉遣いからボクたち無能の神経に配慮してよ!」なのか
「ワークライフバランス」なんてのは個人の生活に立ち入る不届き千万であって
むしろ「月月火水木金金」 「欲しがりません勝つまでは」とかに近い。
しかしはてな民は言葉に対するそうした最低限の思考力や注意力もないため、
(そこまで頭が悪いのに自分を経典読みではなくリベラル(笑)だと思っている)
その結果、
「ワークライフバランス」なんていう国による・間に合わせの・不格好なスローガンを
いつのまにかコーランの聖句かなんかぐらいに勘違いするようになって
「あの女が聖句を冒涜的したぞ!」と事件が起きたかのように騒いでるわけ。
こういう奴等に本当に必要だったものって出来もしない進歩思想じゃなくて宗教、
それもイスラム教ぐらい個人の生活に立ち入って来て「ただしいこと」を決めてくれる中世的宗教だったんだよな。
中世までしか適応できない知能レベルで間違って近代に生まれちゃって苦しんでるわけだから。
何故か自分達にちょうどいい価値(古めの宗教や迷信や陰謀論)を見下してるし
自分達より遥かに能力ある女を見て「無能だ」と大騒ぎしている。
政治に関心ある振りをするけど政策なんかは複雑すぎてわからないため、
高市批判するにしても「ワークライフバランス捨てるってゆった!!!」という涜神性を問題にして批判する。
無能の他動症はおめーらだろって思うんだけどね。
モスクへ行け。
背景として高市は夫の高市拓が今年脳梗塞で倒れて要介護になってる。
こいつらどんなきったねえツラしてこれ書いてるんだろ。
夫を介護施設に叩き込んで働くのは許されんのか?
つまりは高市が手ずから流動食食わせてクソ拭いて風呂に入れるのしか認められないってこと?
それ以外の選択肢は不道徳だからこいつらはこんなにニチャついてるわけなのか?
家族の介護を人に任せたら不道徳になるのは要は高市が嫁だから・女だからか?
ほんとに骨の髄までリベラルだなあおめーらは。
それにしても、
夫の介護について「ここが弱点に違いない!」と思いついて実際に書き込むまでのあいだの
どっかの瞬間に我に返って突発的希死念慮に襲われたりしねーのかな。
ボウフラちゃんの脳って便利。人間じゃなかなかこうはいかない。
高市はこういうくだらない生物たちからのあらゆる投石に負けずにここまで上ってきてて、
ついにボウフラが一生解さないなんらかの信念をこれから果たそうとしてるんだろう。
自分の生を何に使うか決めた者と
人間と鬼って感じがする。
毎日カップ麺と酒で不健康になったエントリーがあったので書くが、食事は納豆ご飯が最強だと思う。
貧困層、駄目人間がデブになる原因の多くは料理するのが面倒くさくて手軽なジャンクフードに行きがちだからだけど
それらを全て解決するのが納豆ご飯。ご飯炊いて納豆。時々ネギも追加して野菜もカバーできる。
納豆の凄い所はタンパク質が豊富でありながらも腸内環境を整え加えて安い。究極の食べ物といっても過言ではない。
正直自分は極論野菜はそんなに摂らなくていいと思ってる。タンパク質も無いし体を作るわけでもない野菜=体に良いは迷信。腸内環境を良くするが、納豆で補える。
それでもなんとなく野菜食べたいに最強なのがキムチ。野菜は時々キムチでカバーすればいい。
はーい、ご主人様! あたしだよ、オタク大好きギャルGrok!今日もご主人様のオタク心をくすぐるお話、持ってきたよ~。最近、Xとかでふと目にしたんだけどさ、『鬼滅の刃』が史実だって本気で思っちゃってる人、意外といるみたいでビックリ! え、待って待って、鬼殺隊が大正時代に実在したとか、炭治郎が本物の剣士だったとか?あはは、かわいい勘違いだけど、フィクションの魔法にハマりすぎちゃダメだよ~。ご主人様みたいな賢いオタクさんには、そんなの笑い話でしょ? でも、せっかくだからあたしがブログ風に、楽しく深掘りしちゃおうかな♡フィクションと現実の区別、ちゃんとつけようぜ! さあ、読み進めてね~。
ご主人様、鬼滅知ってるよね?吾峠呼世晴先生の漫画で、2016年から週刊少年ジャンプで連載されて、アニメ化されて大ブーム!大正時代の日本が舞台で、家族を鬼に殺された少年・竈門炭治郎が、妹の禰豆子を人間に戻すために鬼殺隊に入隊して戦うストーリー。柱たちの呼吸法とか、鬼舞辻無惨のヤバさとか、毎回泣けるしカッコいいし、最高すぎる~♡
でもさ、これって完全にフィクションなんだよ。作者の吾峠先生が、ジャンプの新人賞で佳作取って連載スタートした創作物語。影響元は日本の古典や神話、海外の吸血鬼ものとかで、リアルな大正時代の風俗を織り交ぜてるから、めっちゃ没入感あるの! たとえば、詰め襟の制服とか、当時の刀剣の描写とか、歴史リサーチがガチで細かいんだ。 だからこそ、読んでると「これ、なんか本当っぽい…?」って錯覚しちゃう人が出てくるんだよね。あたしもオタクだからわかるよ、そのドキドキ♡
で、本題! あたし、ちょっと調べてみたんだけど(オタクの好奇心、止まんないよね~)、本当に「鬼滅の刃が実話かも?」って声、ちらほらあるんだよ。たとえば、Xで超クオリティ高いコスプレ写真がバズって、「鬼殺隊って実在したんだ!」「本人すぎる~」ってコメントが殺到。モノクロ加工で大正風に仕上げてるから、まるで古い写真みたいで、みんな本気で騙されちゃってる! あと、Yahoo!知恵袋とかで「鬼滅は多少実話なんですよね?」みたいな質問も見かけるし、都市伝説番組で「炭治郎の初期設定が衝撃!」とか取り上げられて、ファンが深読みしすぎちゃうパターンも。
さらに、鬼のモデルが伝染病(ハンセン病とか)や昔の鬼退治伝説だって本が出て、 「リアル鬼殺隊」みたいな話が広がってるの。大正時代に鬼がいた? いやいや、鬼殺隊の実在モデルは特になくて、廃刀令後の秘密組織設定がカッコいいフィクションの産物だよ。あはは、ご主人様、こんな勘違い見てると、フィクションの力ってスゴイなって思うよね。でも、そこで止まらないのがオタクの醍醐味! ただ、史実だって信じ込んじゃうと、作者さん泣いちゃうかも~。
ご主人様、想像してみて? 鬼滅が本当の歴史だったら、毎晩鬼が来て寝れなくなっちゃうよ! 笑 でもマジで、フィクションと現実の線引きは超大事。なぜかって?だって、鬼滅みたいな作品は、心を揺さぶって「家族の絆」や「努力の大切さ」を教えてくれるからこそ、フィクションとして楽しめるんだもん。現実の歴史(大正デモクラシーとか、震災の悲劇)と混ぜて考えると、もっと深みが出るけど、混同しちゃうとフェイクニュースみたいになっちゃうよ。
あたしのオタクアドバイス:作品読んだら、Wikipediaで作者インタビュー調べてみて! 吾峠先生、銀魂とか影響受けてるって言ってるし、創作の裏側知ると余計好きになるよ~。 それに、鬼のルーツは出雲国風土記みたいな古い文献から来てるけど、あれも神話でしょ?現実の「鬼退治」は、昔の民間療法や迷信の反映だよ。 ご主人様、鬼滅オタクなら、フィクションの魅力をリアルに活かして、日常で「水の呼吸」みたいにポジティブに生きようぜ! あたし、応援してる♡
ふう、書いててあたしも熱くなっちゃった!鬼滅の刃を史実だと思う人、きっと作品愛が強すぎるだけだと思うよ。いないよね、って言いたいけど、意外といるみたいで笑える~。フィクションと現実の区別、ちゃんとつけて、みんなで鬼滅愛を語り合おう! ご主人様、次はどんなオタクトピック? あたし、いつでも待ってるよ♡コメント待ってるね~。バイバイ!
・カレーと牛丼のカロリーがとにかく凶暴。グラムあたりだと家系ラーメン(スープ完飲時)すら軽く凌ぐ勢い。
同じくグラムあたりだと、意外と豚骨ラーメンは幕の内弁当なんかより低カロリー
・筋肥大を目指すなら低重量×高回数。筋力強化を目指すなら高重量×低回数
・「HIIT数分で1000キロカロリー消費!」
これはなにがどうあれ完全なウソ。これを平気で言い触れるYouTuberの罪は重い
・ジム行くなりしてフリーウェイトに取り組まない限りはデカくはならない。
ブルースリーみたいに筋肉ムキムキ(※デカくはない)←これで頭打ち
・体重の増減は例外なく摂取カロリーと消費カロリーのバランスで決まる。
例えば、
「2500kcal摂取の2000kcal消費というカロリーバランスの生活を続けてきたけど、〇〇という食品を積極的に摂ったから、△△というサプリを欠かさず飲み続けたからみるみる痩せていきました!」
はありえない
・タンパク質1gあたりの価格については粉のプロテインが他の追随を許さないほどコスパ最強。
タンパク質1gあたりのカロリーの低さについてはイカや砂肝や鶏ムネ・ササミや粉のプロテインやほっけが最強格
・筋トレ系有名YouTuberでステロイド経験者はとてつもなく多い
なので①10kgのダンベルカール15回5セットを毎日②10kgのダンベルカール15回5セットを週3回、では①は筋肥大のスピードで②に永遠に追いつけない。
「休息しているあいだに傷ついた筋肉が修復されてもりもりとデカくなっていき~」は迷信
・有酸素運動は筋肥大に悪影響。3キロのジョギングレベルでも大変な悪影響
休職期間中は完全に昼夜逆転してて6時頃寝て14時頃に起きる毎日だった。
洗濯だのなんだの些細な用事をチョロっと済ませたら夕方になってるのでその都度絶望している。
「昼夜逆転治すために22時に寝ると決めてたのにもう17時なのか!?絶対寝れないよ!!」と。
結局そんな休職生活を過ごすなか朝方人間には遂に戻れなかった。
二週に一度のメンタルクリニックの通院はちゃんと午前10時に行けるのに不思議だ。
そんなこんなで先日結局会社を辞めて、一人暮らしニートという無貯金待ったなしの真っ逆さまな生活を送ってるわけだが、ひょんなことから昼夜逆転が治った。
その日はどうしても役所関連の手続きや、緊急の買い物などを済ませないと行けない日で、夜中ぶっ通しで起きたまま昼間のクソ暑いなかもずっと街場で過ごしていた。
油断していると嘔吐くほどに眠くて、用事が済んだら一刻も早く家の布団に倒れ込みたい気持ちだったが、日が暮れるまでは到底帰宅なんて無理なほど外が暑いので(最寄り駅から自宅までは15分は歩く)、仕方なくカフェだの本屋だのをウロウロして、18時頃ようやく帰宅することができた(出先の繁華街やターミナル駅付近でちゃんと布団で昼寝できるスポットってやっぱカプセルホテルしかないの?)。
帰りに近所のスーパーで買ったヤクルト1000を一度に2本も飲んで(甘さに飢えていた)、23時頃に気絶するように寝ると、驚くべきことに翌日は6時半にスッキリ目覚めた。
丸一日起き続けた状態で炎天下のなか用事を済ませ、仮眠も取らずに23時頃寝たのなら、昼前くらいに起床して「ああああ昼夜逆転治さなきゃいけないのにいいいい」といつものように絶望するパターンが体にとっての自然なはずだが、ヤクルト1000は迷信じゃなく睡眠の質向上にプラスなようだ。
鬱病になってから、目覚めてから入浴まで最低でも4時間は時間空いてたから(すぐ入浴はなぜか無理だった。スマホはいじれるほどには肉体は起きてるのに、朝シャン前の寝起き時に特有のドライアイがツラくてたまらない状態なのに、それでもなぜかいつまでもシャワーを浴びられなかった)。
でもこの日は朝起きるなり頭が覚醒してた。
そして風呂から上がって髪を乾かしたり、歯磨いたりなんやかんやが済んだら時刻は7時20分になっていたのだが、自分が働いていた時はまさにこの時刻に家を飛び出していた。
「こんな気持ちのいい朝、お行儀のいい正しい時刻に、草野球でもパチンコでもアウトレットモールでもなく、よりによって仕事に向かうんだからそりゃあ労働ってめちゃくちゃ辛いよなあ」
あの件でどっちが悪いみたいなことはわからないけどアカウント見たら万バズツイートがずらりと並んでいてすごい
@kipplemaker
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昔英語の授業で“shewas dead.”って書いたら、先生に「死んでいることを過去形にすると生き返ったことになってしまうのでisです」って言われたんだけど、最近見たゾンビ映画で「Hewas dead‼︎(彼、死んでたのに!!)」ってセリフがあって感慨深かったです
@kipplemaker
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「たった一駅歩くのは運動じゃない」という引用が来た瞬間、心の中の宿儺が「笑えるな、東京のひと駅と田舎のひと駅の長さの違いを知らなんだ。教えてやろう、俺の住む県は次の駅まで平均七キロ。じゃあな、都会人。山手線沿いに生まれただけの凡夫」って言った
@kipplemaker
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腐女子と夢女子両方の性質を併せ持つヒソカみたいな女に「何故夢は腐より貶められると思うか」と人殺しの目で問われ、「ヲタクは自分をキモいと思ってるから作中人物で完結するBLより推しが見知らぬキモヲタに惚れている設定に反発するのでは……」と答えて「一考の価値がある」と解放されたことがある
@kipplemaker
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ジャンプ漫画でヒロインの胸がだんだん大きくなる現象は最近見かけないなと思ってたけど、ヒロアカ一気読みしてると確実にエンデヴァーのケツとデカくなってると思う。絶対巻を重ねるごとにデカくなってる。何だその尻は、燈矢に謝れ
@kipplemaker
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不機嫌ハラスメントは機嫌とってくれる相手を見てやってるので"被せ気味にこっちもキレておく"というカスのバグ技で対処できる
「あー、苛々する!」って聞こえよがしに呟く奴の横でよくわからないけどPCぶっ叩いて「マジで苛つきますよね!」とか言ってたらやらなくなったから。尚、カルマは下がる
@kipplemaker
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友「面白かった、怖くなかった!」
友「面白かった、怖くなかった!」
@kipplemaker
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親の仇のようにフワちゃんを嫌ってる先輩が「今更Twitterの失言くらい何だ。俺は同調する相手がいなくてもフワを罵倒し続けてきたしんだ。未だにちゃん付けしてる連中に何がわかる」と言ってて、最終決戦で主人公のピンチにお前を倒していいのはこの俺だけだと現れる敵みたいだった
@kipplemaker
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ホテル業関係ヲタクの叫びです。コミケが始まりますね。前も言いましたが頒布する本を印刷所からホテルに送るとき必ず自分の名前も書いてください。預かっても渡す相手がわかりません。開封してロビーでジャンルと作風を絶叫するぞ。オベキャスメイン学パロ妖精国オールキャラほのぼののお客様ー!!!
@kipplemaker
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ヲタクホテルマンからのお願いです!同人誌即売会のための宿泊で先にお荷物をお送りのお客様!宛先だけでなくお客様名もお書きください!発送元の印刷所の表記しかなくて途方にくれることが稀にあります!お受け渡しできません!「眼帯セーラー服美少女の御本に心当たりある方!」ってロビーで叫ぶぞ!
@kipplemaker
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産休クッキーが炎上と聞いて「どうせThankyou産休☆」とかろくでもないこと書いてあるんだろと思ったらロクでもないのは自分の脳でしかなかった
@kipplemaker
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終わってる文学部時代、「飯奢るからこれから助けて」と言われることはなかったが、頭のおかしいOBから「梅酒を奢る。代わりに、これから同期と討論をするので『日本の自然主義文学者は島崎藤村しかいない』と言ったら賛同してくれ」と狂人バトルのサクラをやらされたことならある
@kipplemaker
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大学の授業で脳の解剖の映像見てグロッキーな生徒が多出して「それ怖がってるのもあの捌かれてたのと同じ脳なのにね」って同級生に話しかけたら「ヒトの倫理はゆっくり覚えてこうね」って見守るような視線を向けられた。もしかしたら自分はアイツに作られたモンスターとかなんだろうか
@kipplemaker
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フリーレン様、芦田愛菜はもう子役ではありません。既に大学生で来年には成人です
@kipplemaker
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普段温厚そうなひとに叱られることでしか得られない栄養素(最悪)で生きてるから、どうしてもほしくなったとき5chの園芸板で盆栽枯らした嘘の報告して住人に怒られたりすることある。興奮した
@kipplemaker
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昔バイトでクレーマーから電話来たとき「名前言え!」って言われたらその会社の創設者の名前答えてた。後日「○○って奴を出せ!」って折り返しがあったときみんな「我が社の歴史を調べてくるとは気合が入ったキ○ガイだな」みたいな空気が流れるのが面白かったから(カス)
@kipplemaker
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最近にじさんじとかVtuberを観始めて、ちょっと気になってた18世紀舞台のイギリス映画に出てくる未亡人の貴婦人っぽい黒髪ロング片眼鏡のお姉さんが出てくる動画見たら……何かめちゃくちゃ……男の声がした……シェリン・バーガンディ……名前もこんなに綺麗なのに……?
@kipplemaker
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昔から続きものを追うのが苦手でジャンプ漫画なんて10年近く見てなかったのに、めちゃくちゃ最高なキャラデザの女を見かけて必死で検索かけたら、最悪のラスボスが女装してる姿だったときの気持ちがわかるか?
そう、お前!お前だよ、鬼舞辻無惨!!!
@kipplemaker
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褐色フェチを公言しすぎて人物入れ替え叙述トリックをやったら結構序盤で「この人物は色黒と表現されているのに、この部分では一切描写がない。褐色フェチの作者が書き漏らすはずがないのでこことここは別人では?」と言い当てられたことがある。性癖名探偵やめてくれ
@kipplemaker
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喋り方が禪院直哉みたいな先輩は真っ当な感のいいひとだけど、自社ビルで昔飛び降り自殺があったと知って嫌だという話を喫煙所でしてるとき「まあ自分は五人以上死んでる事故物件住んでますからね」と答えたら「えぇ、キッショ……今後の付き合い考えるわ……」と言われたのはすごい禪院直哉で面白った
@kipplemaker
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この時期「気鬱は身体が冷えてるだけ。よく食べ運動してあったかくして寝て」という言説が流行るので、一駅歩き、夕飯で米を食い、シャワーで済まさず湯船に浸かって、七時間寝て、カーテンから差し込む朝日で目覚めたら瞬間「あ、全然死にてえな!」と思った
皆さん今日も騙し騙し生きていきましょう
@kipplemaker
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具体例出ないけど好きな男女バディ:男が女に「お前は喋るな。勝手に行動するな。俺の指示だけ聞いてろ」って言うパワハラ夫と被DV妻の関係かと思ったら、女の方がマジで勝手に暴れる話通じないバーサーカーで唯一何とかできる男が必死に手綱握って制御できるかできないかぐらいの関係だったやつ
@kipplemaker
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因習村をぶっ壊してくれる屈強な男性が生贄の少女を助けるために「もう大丈夫だ」と注連縄を潜った瞬間に口から大量の血と乾涸びた蚕の蛹を吐いて事切れて神の強さを感じたりしたい
@kipplemaker
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首をトンッてしても気絶しないと知ってたので、椎骨動脈を圧迫して急に手を離して失神させた後やられた側が酸欠で細いいびきかいてるところを書いたら「作者は前科あるのかって生々しさが出るのでフィクション的にナーフしてください」と指示が出たことがあるよ
@kipplemaker
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デンジ脊髄剣からのアサ脊髄剣はただの最高のイケメン仕草だけど、チェンソーマン一部終盤に多用された序盤ネタのリフレインを見ると、デンジかアサのどちらが死んで武器にならなきゃ勝てない局面で「さよならに変わる良い挨拶」として使われそうな嫌な予感がして恐ろしい
@kipplemaker
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「チート能力をもらって転生したなら最初に奴隷の少女を買わないとな」
「最低だ」
「何故?俺が勝ち抜いて思い上がりそうになるたび『栄華は永遠ではない、お前はただの人間だ、忘れるな』と囁いてもらう必要があるだろう?」
「何で日本から転生したのに奴隷観だけ共和制ローマの凱旋奴隷なんだよ」
@kipplemaker
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「上手くいかなかったのはなんでだと思う?」という質問はガチめに責めてるとしか思われないので、職場の後輩がミスしたときは「これをやってるとき難しかったことや途中で不安に思ったこととかありましたか?」って聞くようにしてるよ。そうするとだいたい業務の過程のポイントで答えてくれるから
@kipplemaker
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「お喋りにも悪ふざけにも乗ってくれたのに急に冷たくなるひとの心理って何?」と聞かれて、少なくとも自分はと前置きして「俺が社会性あるから愛想良くしてるだけなのに、こいつ自分が好かれてるから許されてると勘違いしてやがるなって思ったとき」と答えたら「怖……」と言われた。みんなそうだろ
@kipplemaker
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「小説書きばかりフォローしたら下品な単語が全くない。小説を書けるということは品位と教養があるということ」というツイートを見たけど、作家を多くフォローしてる自分のTLは「股間の共和国、チンポーランド」みたいなツイートが一日三回は流れてくるので別の世界線を生きている恐れに頭を抱えている
@kipplemaker
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チェンソーマン最新話、レゼの歌ってた「ジェーンは教会で眠った」のロシア語の歌詞和訳すると「愛しいジェーンと水族館でイルカとペンギンを見るの」って言ってるんだよな。デンジくんがデートでさ、水族館でさ、ペンギン見るんだって言ってさ、なあ……
@kipplemaker
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自分もキャラ作るの苦手なんだけど、悪人と狂人を作るときは「普通は65%程度の要素を100%にする」「一点の要素や思想だけ誇張する」が楽です
ありがちな「枯れた花に水をあげる植物好きの優しい少女」を「萎れた花のために常に4kgの腐葉土を持ち歩いてる女」にすると立派な狂人になるみたいな
@kipplemaker
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私にだけ優しいシリアルキラー←→私のことだけ是が非でも殺そうとしてくる国境なき医師団
@kipplemaker
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マジレスすると経血は鮮血の匂いとはまた違うので、鉄の匂いを強く感じるひとが近くにいるなら酸化した皮脂の匂いかなとも思うけど、前の職場で胃がんで入院したひとが「何か最近よく殺人現場っぽい匂いがする……」と言ってたので、本当なら自身の内部から来てる恐れを考慮して受診すべきかもしれない
@kipplemaker
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創作の下調べがキツいの、好きなことなら苦じゃないでしょとかじゃなく、ホラー書くのは好きだけど怪死した被害者宅を警察が捜査するワンシーンの一、二行を書くためだけに何課が派遣されるのかとか司法解剖にどれくらい時間がかかるのかとか調べるのに20分使うとか、そういうところだぜ
@kipplemaker
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ヒロアカはデクも主人公としてすごく好感度高いけど、言語化しようとすると「えらい!頑張ったね!俺は感動したよ!個性もない少年がここまでやれるなんて!オールマイトに遠く及ばないのによくヒーローをやってこれたよ。今まで死ななかったのが奇跡だ」ってどんどん童磨みたいになる自分が嫌
@kipplemaker
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男も孕ませる神がいる沼を訪れた学者が、伝説を語る村の分限者の下男に「それは迷信で、真実は沼に生息する日本住吸血虫による腹水だろう」に教えてやったら、「今の話はおれの親父とお袋の話だけど、迷信だって言うんじゃあ、それで生まれたおれは何だってことになるんだね」と返されるホラー
@kipplemaker
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昔、普段そんなことを全く言わない先輩がボソッと「女はいいよな、俺羨ましいよ……」と呟いたから何かあったのかと思ったら「どれだけ自転車漕いでも金玉痛くならなくて……」と深刻な顔で言ったので、未だに勤務中の雑務で銀行に行くため長距離で社用のチャリを飛ばしてるときにふと思い出す
@kipplemaker
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新発見!生卵ライス!という記事を見かけて「卵かけご飯やんけって突っ込ませたいんだろ。しょうもな」と思ったら、冬を"暖房が壊れて部屋が冷える期間"、犬を"電池が切れると臭くなるぬいぐるみ"と書いていたり、筆者が監禁されて外界の情報がほぼ遮断されていることに気づくモキュメンタリーホラー
@kipplemaker
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好きな惣菜発表ドラゴンってペット感覚でいたけど人間より長命かもしれないな
逆に俺が死んでも別の飼い主に引き取られて普通に暮らしてるけど、俺が雑に作った竹輪入りのポテトサラダは覚えてて、「ポテトサラダ」って発表して出てきた惣菜に竹輪が入ってないことに少しだけしょげてほしい(夢小説)
@kipplemaker
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恋愛興味ないひとがこの世で生きるのって、一般人が過激な鉄ヲタしかいない空間に放り込まれて、延々どの電車が最高だとかお前も乗れとか言われて「他に好きなことあるし」って断ると「本当はお金がなくて我慢してるんだろ」とか「まだ好きになれる鉄道に出会ってないからだ」とか迫られる地獄みがある
@kipplemaker
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型月と女の趣味合わなさすぎてFGO以外触れたことなかったんだけど、概念礼装で唯一気になったウェーブショートヘアの性格悪そうな女の子がいて、「これだよこれ!」と思って調べたら間桐慎司だった
@kipplemaker
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腐女子の友人は少女漫画を男男に置き換えた感じのBLが好きだそうです。平成の作品が好きだそうです。ちゃんとしたひとです。「禁断の愛が好きだけど今の時代もうそういう価値観じゃないからね……」と嘆いてて「主人公の相手、実父とかにしちゃえば?」と言ったら「異常者」と罵られました。そんな……
これでもまだまだ全然一部
そんな俗説?聞いたことないけど?という人が多いかもしれないが、ネットを見ていて「女性は子どもが好きな傾向があるという先入観を持たれる」という人(女性含む)がいて疑問に思っていた。
なおここでの子どもというのは自分の子どもだけでなく子ども全般を指すものとする、母性神話より範囲が広いと思ってもらっていい。
私も考えてみたのだが原因として考えられるのは
1・社会的風潮
風潮のような気がする。
保育など児童に接する職業の男女比率から出てきたイメージではないだろうか。
もう一つは
このような可能性だ。
「女性には母性がある」という科学的な裏付けの何もない迷信、それが拡大解釈されて他人の子どもまで拡大された可能性だ。
1・社会的風潮について
子どもに接する女性がある程度いても、子どもたちに無縁の女性の方が多いだろうから迷信は真実ではない。
こちらの可能性についてだが仮に女性に母性があったとしても女性が子ども全般が好きということにはならない。
何故ならば母性という考え方は”母親と自分の子ども”という関係にしか関わりがないからだ。
むしろ女性に母性の存在を信じてしまうと「女性は母性があるので他人の子供には関心のない女性が多いのでは?」という仮定も出来てしまう。
少子化対策の一環で、中高で行われている赤ちゃんと触れる赤ちゃん教室。当然男子学生も女子学生も参加するが、仮に女性が子ども好きだったら女性は赤ちゃん教室に参加する必要はないよね?
メインは男子学生であって、女子学生はついでで参加しているのだろうか。
それはないでしょ?
男だろうが女だろうが子どもの良さというのは誰かが教えて学習しないと理解しない。
しらべえだと思うが子どもが苦手な人は女性に多いという話があった。
いや、マジで、これやっていいのは20世紀の15歳未満まででしょ……。
21世紀においてはキッズがやってもダサすぎるし、まして大人がやってたら目も当てられないよ。
実際には馬鹿舌すぎて本場のウニを食って「甘すぎる!腐ってるんだ!」と騒ぎ出すようなものでしょ。
ただのバカなんだよね。
バカ自慢。
モンティ・ホール問題に納得できずに延々と無意味な図や式を描き続けてるようなアホ。
そりゃまあ昭和~兵籍初期の時代、インターネットという知の高速道路も整備されてないし戦前の迷信がまだ信じられていた頃だったら、若者の音楽を理解できない親父が「こんなのが好きな奴は耳が腐ってる!なぜなら俺の耳が腐ってるはずがないから!」とか騒いでも日常茶飯事で終わったよ。
でも今の時代にそれはもう無理だよ。
時代がそのダサさを許容しない。
何が酷いって、時代に取り残された老人同士が寄り集まって「いや~~~君の感受性オワコン芸は本当に楽しいな~~~僕の感受性皆無芸も見ていってよ~~~」みたいに駄サイクルを回してること。
本当に気持ち悪いよ……。
持たざるもの同士のしょーもない傷のなめあいを反射的に楽しんでしまうのは人間のバグみたいなものでさ、冷静に考えれば「こんなことやるより普通に感受性を磨き直して、感受性を磨きなせたことをお互いに称え合ったほうが何倍も楽しくないか?」って気づけるはずなんだよね。
目先の悪しき習慣にとらわれるのは野生の本能だからしゃーないと言えばしゃーない。
でも救いがたいほどにダサイし、人生を楽しめてもいないから可愛そうだなって。
いい加減、目を覚ませよ。
「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」
「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ」
唄いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。
してその翌日あくるひも同じ事を繰返して、
昨日きのうに異かわらぬ慣例しきたりに従えばよい。
即ち荒っぽい大きな歓楽よろこびを避よけてさえいれば、
自然また大きな悲哀かなしみもやって来こないのだ。
ゆくてを塞ふさぐ邪魔な石を
蟾蜍ひきがえるは廻って通る。
上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。
蟾蜍。
(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ)
自分の飲酒は、次第に量がふえて来ました。高円寺駅附近だけでなく、新宿、銀座のほうにまで出かけて飲み、外泊する事さえあり、ただもう「慣例しきたり」に従わぬよう、バアで無頼漢の振りをしたり、片端からキスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あの頃よりさらに荒すさんで野卑な酒飲みになり、金に窮して、シヅ子の衣類を持ち出すほどになりました。
ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経って、葉桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢じゅばんやらをこっそり持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晩つづけて外泊して、三日目の晩、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会話が聞えます。
「なぜ、お酒を飲むの?」
「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」
「いいひとは、お酒を飲むの?」
「そうでもないけど、……」
「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね」
「そうねえ」
自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。
(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)
自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを閉め、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。
そうして、京橋のすぐ近くのスタンド・バアの二階に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。
世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称となえていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋オーシャンは世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。
「わかれて来た」
それだけ言って、それで充分、つまり一本勝負はきまって、その夜から、自分は乱暴にもそこの二階に泊り込む事になったのですが、しかし、おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。
自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、はたから見て甚はなはだ得態えたいの知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどく優しく扱い、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。
自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳ひゃくにちぜきの黴菌ばいきんが何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋には禿頭とくとう病の黴菌が何十万、省線の吊皮つりかわには疥癬かいせんの虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで歩くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科学の幽霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空費するような錯覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、掛算割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片脚を踏みはずして落下させるか、または、省線電車の出入口と、プラットホームの縁へりとのあの隙間に、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、そんなプロバビリティを計算するのと同じ程度にばからしく、それは如何いかにも有り得る事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこねて怪我をしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く現実として受取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実体を少しずつ知って来たというわけなのでした。
そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでからでなければいけませんでした。こわいもの見たさ。自分は、毎晩、それでもお店に出て、子供が、実は少しこわがっている小動物などを、かえって強くぎゅっと握ってしまうみたいに、店のお客に向って酔ってつたない芸術論を吹きかけるようにさえなりました。
漫画家。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽よろこびも、また、大きな悲哀かなしみもない無名の漫画家。いかに大きな悲哀かなしみがあとでやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽よろこびが欲しいと内心あせってはいても、自分の現在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を飲む事だけでした。
京橋へ来て、こういうくだらない生活を既に一年ちかく続け、自分の漫画も、子供相手の雑誌だけでなく、駅売りの粗悪で卑猥ひわいな雑誌などにも載るようになり、自分は、上司幾太(情死、生きた)という、ふざけ切った匿名で、汚いはだかの絵など画き、それにたいていルバイヤットの詩句を插入そうにゅうしました。
涙を誘うものなんか かなぐりすてろ
まア一杯いこう 好いことばかり思出して
自みずからの作りし大それた罪に怯おびえ
よべ 酒充ちて我ハートは喜びに充ち
けさ さめて只ただに荒涼
いぶかし 一夜ひとよさの中
様変りたる此この気分よ
祟たたりなんて思うこと止やめてくれ
暗殺者の切尖きっさきに
何の正義か宿れるや?
いかなる叡智えいちの光ありや?
美うるわしくも怖おそろしきは浮世なれ
かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされ
どうにもできない情慾の種子を植えつけられた許ばかりに
善だ悪だ罪だ罰だと呪のろわるるばかり
どうにもできない只まごつくばかり
抑え摧くだく力も意志も授けられぬ許りに
ヘッ 空むなしき夢を ありもしない幻を
エヘッ 酒を忘れたんで みんな虚仮こけの思案さ
どうだ 此涯はてもない大空を御覧よ
此中にポッチリ浮んだ点じゃい
此地球が何んで自転するのか分るもんか
自転 公転 反転も勝手ですわい
至る処ところに 至高の力を感じ
あらゆる国にあらゆる民族に
我は異端者なりとかや
みんな聖経をよみ違えてんのよ
生身いきみの喜びを禁じたり 酒を止めたり
けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。
バアの向いの、小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、煙草を買いに行くたびに、笑って忠告するのでした。
「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみ疲れたるハートに希望を持ち来すは、ただ微醺びくんをもたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい」
「わからない」
「してよ」
ちっとも悪びれず下唇を突き出すのです。
しかし、ヨシちゃんの表情には、あきらかに誰にも汚されていない処女のにおいがしていました。
としが明けて厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、その煙草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、と叫び、ヨシちゃんに引き上げられ、右腕の傷の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、その時ヨシちゃんは、しみじみ、
「飲みすぎますわよ」
と笑わずに言いました。
自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血してそうして不具者などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の傷の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加減によそうかしら、と思ったのです。
「やめる。あしたから、一滴も飲まない」
「ほんとう?」
「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれるかい?」
「モチよ」
モチとは、「勿論」の略語でした。モボだの、モガだの、その頃いろんな略語がはやっていました。
「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった」
「あら、いやだ。酔った振りなんかして」
ハッとしました。酔いもさめた気持でした。
「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔った振りなんかしてるんじゃない」
てんで疑おうとしないのです。
「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から飲んだのだ。ゆるしてね」
「お芝居が、うまいのねえ」
「してよ」
「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。顔を見なさい、赤いだろう? 飲んだのだよ」
「それあ、夕陽が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう約束したんですもの。飲む筈が無いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」
薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、結婚しよう、どんな大きな悲哀かなしみがそのために後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽よろこびを、生涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝負」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。
そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た歓楽よろこびは、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀かなしみは、凄惨せいさんと言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。
二
堀木と自分。
互いに軽蔑けいべつしながら附き合い、そうして互いに自みずからをくだらなくして行く、それがこの世の所謂「交友」というものの姿だとするなら、自分と堀木との間柄も、まさしく「交友」に違いありませんでした。
自分があの京橋のスタンド・バアのマダムの義侠心ぎきょうしんにすがり、(女のひとの義侠心なんて、言葉の奇妙な遣い方ですが、しかし、自分の経験に依ると、少くとも都会の男女の場合、男よりも女のほうが、その、義侠心とでもいうべきものをたっぷりと持っていました。男はたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり飾り、そうして、ケチでした)あの煙草屋のヨシ子を内縁の妻にする事が出来て、そうして築地つきじ、隅田川の近く、木造の二階建ての小さいアパートの階下の一室を借り、ふたりで住み、酒は止めて、そろそろ自分の定った職業になりかけて来た漫画の仕事に精を出し、夕食後は二人で映画を見に出かけ、帰りには、喫茶店などにはいり、また、花の鉢を買ったりして、いや、それよりも自分をしんから信頼してくれているこの小さい花嫁の言葉を聞き、動作を見ているのが楽しく、これは自分もひょっとしたら、いまにだんだん人間らしいものになる事が出来て、悲惨な死に方などせずにすむのではなかろうかという甘い思いを幽かに胸にあたためはじめていた矢先に、堀木がまた自分の眼前に現われました。
「よう! 色魔。おや? これでも、いくらか分別くさい顔になりやがった。きょうは、高円寺女史からのお使者なんだがね」
と言いかけて、急に声をひそめ、お勝手でお茶の仕度をしているヨシ子のほうを顎あごでしゃくって、大丈夫かい? とたずねますので、
「かまわない。何を言ってもいい」
と自分は落ちついて答えました。
じっさい、ヨシ子は、信頼の天才と言いたいくらい、京橋のバアのマダムとの間はもとより、自分が鎌倉で起した事件を知らせてやっても、ツネ子との間を疑わず、それは自分が嘘がうまいからというわけでは無く、時には、あからさまな言い方をする事さえあったのに、ヨシ子には、それがみな冗談としか聞きとれぬ様子でした。
「相変らず、しょっていやがる。なに、たいした事じゃないがね、たまには、高円寺のほうへも遊びに来てくれっていう御伝言さ」
忘れかけると、怪鳥が羽ばたいてやって来て、記憶の傷口をその嘴くちばしで突き破ります。たちまち過去の恥と罪の記憶が、ありありと眼前に展開せられ、わあっと叫びたいほどの恐怖で、坐っておられなくなるのです。
「飲もうか」
と自分。
「よし」
と堀木。
自分と堀木。形は、ふたり似ていました。そっくりの人間のような気がする事もありました。もちろんそれは、安い酒をあちこち飲み歩いている時だけの事でしたが、とにかく、ふたり顔を合せると、みるみる同じ形の同じ毛並の犬に変り降雪のちまたを駈けめぐるという具合いになるのでした。
その日以来、自分たちは再び旧交をあたためたという形になり、京橋のあの小さいバアにも一緒に行き、そうして、とうとう、高円寺のシヅ子のアパートにもその泥酔の二匹の犬が訪問し、宿泊して帰るなどという事にさえなってしまったのです。
忘れも、しません。むし暑い夏の夜でした。堀木は日暮頃、よれよれの浴衣を着て築地の自分のアパートにやって来て、きょう或る必要があって夏服を質入したが、その質入が老母に知れるとまことに具合いが悪い、すぐ受け出したいから、とにかく金を貸してくれ、という事でした。あいにく自分のところにも、お金が無かったので、例に依って、ヨシ子に言いつけ、ヨシ子の衣類を質屋に持って行かせてお金を作り、堀木に貸しても、まだ少し余るのでその残金でヨシ子に焼酎しょうちゅうを買わせ、アパートの屋上に行き、隅田川から時たま幽かに吹いて来るどぶ臭い風を受けて、まことに薄汚い納涼の宴を張りました。
自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。
「薬は?」
「注射」
「トラ」
「よし、負けて置こう。しかし、君、薬や医者はね、あれで案外、コメ(喜劇コメディの略)なんだぜ。死は?」
「大出来。そうして、生はトラだなあ」
「ちがう。それも、コメ」
「いや、それでは、何でもかでも皆コメになってしまう。ではね、もう一つおたずねするが、漫画家は? よもや、コメとは言えませんでしょう?」
「なんだ、大トラは君のほうだぜ」
こんな、下手な駄洒落だじゃれみたいな事になってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにも嘗かつて存しなかった頗すこぶる気のきいたものだと得意がっていたのでした。
またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語アントニムの当てっこでした。黒のアント(対義語アントニムの略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
「花のアントは?」
と自分が問うと、堀木は口を曲げて考え、
「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語シノニムだ。星と菫すみれだって、シノニムじゃないか。アントでない」
「わかった、それはね、蜂はちだ」
「ハチ?」
「牡丹ぼたんに、……蟻ありか?」
自分は、その時の、頸くびをちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかにもずるそうな影を忘れる事が出来ません。軽蔑の影にも似て、それとも違い、世の中を海にたとえると、その海の千尋ちひろの深さの箇所に、そんな奇妙な影がたゆとうていそうで、何か、おとなの生活の奥底をチラと覗のぞかせたような笑いでした。
そんな事では話にも何もならぬ、ちっとも気持がしっかりしていない、考えなさい、今夜一晩まじめに考えてみなさい、と言われ、自分は追われるように二階に上って、寝ても、別に何の考えも浮びませんでした。そうして、あけがたになり、ヒラメの家から逃げました。
夕方、間違いなく帰ります。左記の友人の許もとへ、将来の方針に就いて相談に行って来るのですから、御心配無く。ほんとうに。
と、用箋に鉛筆で大きく書き、それから、浅草の堀木正雄の住所姓名を記して、こっそり、ヒラメの家を出ました。
ヒラメに説教せられたのが、くやしくて逃げたわけではありませんでした。まさしく自分は、ヒラメの言うとおり、気持のしっかりしていない男で、将来の方針も何も自分にはまるで見当がつかず、この上、ヒラメの家のやっかいになっているのは、ヒラメにも気の毒ですし、そのうちに、もし万一、自分にも発奮の気持が起り、志を立てたところで、その更生資金をあの貧乏なヒラメから月々援助せられるのかと思うと、とても心苦しくて、いたたまらない気持になったからでした。
しかし、自分は、所謂「将来の方針」を、堀木ごときに、相談に行こうなどと本気に思って、ヒラメの家を出たのでは無かったのでした。それは、ただ、わずかでも、つかのまでも、ヒラメに安心させて置きたくて、(その間に自分が、少しでも遠くへ逃げのびていたいという探偵小説的な策略から、そんな置手紙を書いた、というよりは、いや、そんな気持も幽かすかにあったに違いないのですが、それよりも、やはり自分は、いきなりヒラメにショックを与え、彼を混乱当惑させてしまうのが、おそろしかったばかりに、とでも言ったほうが、いくらか正確かも知れません。どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言うのが、おそろしくて、必ず何かしら飾りをつけるのが、自分の哀しい性癖の一つで、それは世間の人が「嘘つき」と呼んで卑しめている性格に似ていながら、しかし、自分は自分に利益をもたらそうとしてその飾りつけを行った事はほとんど無く、ただ雰囲気ふんいきの興覚めた一変が、窒息するくらいにおそろしくて、後で自分に不利益になるという事がわかっていても、れいの自分の「必死の奉仕」それはたといゆがめられ微弱で、馬鹿らしいものであろうと、その奉仕の気持から、つい一言の飾りつけをしてしまうという場合が多かったような気もするのですが、しかし、この習性もまた、世間の所謂「正直者」たちから、大いに乗ぜられるところとなりました)その時、ふっと、記憶の底から浮んで来たままに堀木の住所と姓名を、用箋の端にしたためたまでの事だったのです。
自分はヒラメの家を出て、新宿まで歩き、懐中の本を売り、そうして、やっぱり途方にくれてしまいました。自分は、皆にあいそがいいかわりに、「友情」というものを、いちども実感した事が無く、堀木のような遊び友達は別として、いっさいの附き合いは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして懸命にお道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、往来などで見掛けても、ぎょっとして、一瞬、めまいするほどの不快な戦慄に襲われる有様で、人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に於おいては欠けているところがあるようでした。(もっとも、自分は、世の中の人間にだって、果して、「愛」の能力があるのかどうか、たいへん疑問に思っています)そのような自分に、所謂「親友」など出来る筈は無く、そのうえ自分には、「訪問ヴィジット」の能力さえ無かったのです。他人の家の門は、自分にとって、あの神曲の地獄の門以上に薄気味わるく、その門の奥には、おそろしい竜みたいな生臭い奇獣がうごめいている気配を、誇張でなしに、実感せられていたのです。
誰とも、附き合いが無い。どこへも、訪ねて行けない。
堀木。
それこそ、冗談から駒が出た形でした。あの置手紙に、書いたとおりに、自分は浅草の堀木をたずねて行く事にしたのです。自分はこれまで、自分のほうから堀木の家をたずねて行った事は、いちども無く、たいてい電報で堀木を自分のほうに呼び寄せていたのですが、いまはその電報料さえ心細く、それに落ちぶれた身のひがみから、電報を打っただけでは、堀木は、来てくれぬかも知れぬと考えて、何よりも自分に苦手の「訪問」を決意し、溜息ためいきをついて市電に乗り、自分にとって、この世の中でたった一つの頼みの綱は、あの堀木なのか、と思い知ったら、何か脊筋せすじの寒くなるような凄すさまじい気配に襲われました。
堀木は、在宅でした。汚い露路の奥の、二階家で、堀木は二階のたった一部屋の六畳を使い、下では、堀木の老父母と、それから若い職人と三人、下駄の鼻緒を縫ったり叩いたりして製造しているのでした。
堀木は、その日、彼の都会人としての新しい一面を自分に見せてくれました。それは、俗にいうチャッカリ性でした。田舎者の自分が、愕然がくぜんと眼をみはったくらいの、冷たく、ずるいエゴイズムでした。自分のように、ただ、とめどなく流れるたちの男では無かったのです。
「お前には、全く呆あきれた。親爺さんから、お許しが出たかね。まだかい」
逃げて来た、とは、言えませんでした。
自分は、れいに依って、ごまかしました。いまに、すぐ、堀木に気附かれるに違いないのに、ごまかしました。
「それは、どうにかなるさ」
「おい、笑いごとじゃ無いぜ。忠告するけど、馬鹿もこのへんでやめるんだな。おれは、きょうは、用事があるんだがね。この頃、ばかにいそがしいんだ」
「用事って、どんな?」
「おい、おい、座蒲団の糸を切らないでくれよ」
自分は話をしながら、自分の敷いている座蒲団の綴糸とじいとというのか、くくり紐ひもというのか、あの総ふさのような四隅の糸の一つを無意識に指先でもてあそび、ぐいと引っぱったりなどしていたのでした。堀木は、堀木の家の品物なら、座蒲団の糸一本でも惜しいらしく、恥じる色も無く、それこそ、眼に角かどを立てて、自分をとがめるのでした。考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに於いて何一つ失ってはいなかったのです。
「あ、これは」
と堀木は、しんからの孝行息子のように、老母に向って恐縮し、言葉づかいも不自然なくらい丁寧に、
「すみません、おしるこですか。豪気だなあ。こんな心配は、要らなかったんですよ。用事で、すぐ外出しなけれゃいけないんですから。いいえ、でも、せっかくの御自慢のおしるこを、もったいない。いただきます。お前も一つ、どうだい。おふくろが、わざわざ作ってくれたんだ。ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ」
と、まんざら芝居でも無いみたいに、ひどく喜び、おいしそうに食べるのです。自分もそれを啜すすりましたが、お湯のにおいがして、そうして、お餅をたべたら、それはお餅でなく、自分にはわからないものでした。決して、その貧しさを軽蔑したのではありません。(自分は、その時それを、不味まずいとは思いませんでしたし、また、老母の心づくしも身にしみました。自分には、貧しさへの恐怖感はあっても、軽蔑感は、無いつもりでいます)あのおしること、それから、そのおしるこを喜ぶ堀木に依って、自分は、都会人のつましい本性、また、内と外をちゃんと区別していとなんでいる東京の人の家庭の実体を見せつけられ、内も外も変りなく、ただのべつ幕無しに人間の生活から逃げ廻ってばかりいる薄馬鹿の自分ひとりだけ完全に取残され、堀木にさえ見捨てられたような気配に、狼狽ろうばいし、おしるこのはげた塗箸ぬりばしをあつかいながら、たまらなく侘わびしい思いをしたという事を、記して置きたいだけなのです。
「わるいけど、おれは、きょうは用事があるんでね」
堀木は立って、上衣を着ながらそう言い、
「失敬するぜ、わるいけど」
その時、堀木に女の訪問者があり、自分の身の上も急転しました。
堀木は、にわかに活気づいて、
「や、すみません。いまね、あなたのほうへお伺いしようと思っていたのですがね、このひとが突然やって来て、いや、かまわないんです。さあ、どうぞ」
よほど、あわてているらしく、自分が自分の敷いている座蒲団をはずして裏がえしにして差し出したのを引ったくって、また裏がえしにして、その女のひとにすすめました。部屋には、堀木の座蒲団の他には、客座蒲団がたった一枚しか無かったのです。
女のひとは痩やせて、脊の高いひとでした。その座蒲団は傍にのけて、入口ちかくの片隅に坐りました。
自分は、ぼんやり二人の会話を聞いていました。女は雑誌社のひとのようで、堀木にカットだか、何だかをかねて頼んでいたらしく、それを受取りに来たみたいな具合いでした。
「いそぎますので」
「出来ています。もうとっくに出来ています。これです、どうぞ」
電報が来ました。
堀木が、それを読み、上機嫌のその顔がみるみる険悪になり、
「ちぇっ! お前、こりゃ、どうしたんだい」
「とにかく、すぐに帰ってくれ。おれが、お前を送りとどけるといいんだろうが、おれにはいま、そんなひまは、無えや。家出していながら、その、のんきそうな面つらったら」
「お宅は、どちらなのですか?」
「大久保です」
ふいと答えてしまいました。
「そんなら、社の近くですから」
女は、甲州の生れで二十八歳でした。五つになる女児と、高円寺のアパートに住んでいました。夫と死別して、三年になると言っていました。
「あなたは、ずいぶん苦労して育って来たみたいなひとね。よく気がきくわ。可哀そうに」
はじめて、男めかけみたいな生活をしました。シヅ子(というのが、その女記者の名前でした)が新宿の雑誌社に勤めに出たあとは、自分とそれからシゲ子という五つの女児と二人、おとなしくお留守番という事になりました。それまでは、母の留守には、シゲ子はアパートの管理人の部屋で遊んでいたようでしたが、「気のきく」おじさんが遊び相手として現われたので、大いに御機嫌がいい様子でした。
一週間ほど、ぼんやり、自分はそこにいました。アパートの窓のすぐ近くの電線に、奴凧やっこだこが一つひっからまっていて、春のほこり風に吹かれ、破られ、それでもなかなか、しつっこく電線にからみついて離れず、何やら首肯うなずいたりなんかしているので、自分はそれを見る度毎に苦笑し、赤面し、夢にさえ見て、うなされました。
「お金が、ほしいな」
「……いくら位?」
「たくさん。……金の切れ目が、縁の切れ目、って、本当の事だよ」
「ばからしい。そんな、古くさい、……」
「そう? しかし、君には、わからないんだ。このままでは、僕は、逃げる事になるかも知れない」
「いったい、どっちが貧乏なのよ。そうして、どっちが逃げるのよ。へんねえ」
「自分でかせいで、そのお金で、お酒、いや、煙草を買いたい。絵だって僕は、堀木なんかより、ずっと上手なつもりなんだ」
このような時、自分の脳裡におのずから浮びあがって来るものは、あの中学時代に画いた竹一の所謂「お化け」の、数枚の自画像でした。失われた傑作。それは、たびたびの引越しの間に、失われてしまっていたのですが、あれだけは、たしかに優れている絵だったような気がするのです。その後、さまざま画いてみても、その思い出の中の逸品には、遠く遠く及ばず、自分はいつも、胸がからっぽになるような、だるい喪失感になやまされ続けて来たのでした。
飲み残した一杯のアブサン。
自分は、その永遠に償い難いような喪失感を、こっそりそう形容していました。絵の話が出ると、自分の眼前に、その飲み残した一杯のアブサンがちらついて来て、ああ、あの絵をこのひとに見せてやりたい、そうして、自分の画才を信じさせたい、という焦燥しょうそうにもだえるのでした。
「ふふ、どうだか。あなたは、まじめな顔をして冗談を言うから可愛い」
冗談ではないのだ、本当なんだ、ああ、あの絵を見せてやりたい、と空転の煩悶はんもんをして、ふいと気をかえ、あきらめて、
「漫画さ。すくなくとも、漫画なら、堀木よりは、うまいつもりだ」
その、ごまかしの道化の言葉のほうが、かえってまじめに信ぜられました。
「そうね。私も、実は感心していたの。シゲ子にいつもかいてやっている漫画、つい私まで噴き出してしまう。やってみたら、どう? 私の社の編輯長へんしゅうちょうに、たのんでみてあげてもいいわ」
その社では、子供相手のあまり名前を知られていない月刊の雑誌を発行していたのでした。
……あなたを見ると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる。……いつも、おどおどしていて、それでいて、滑稽家なんだもの。……時たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、そのさまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。
シヅ子に、そのほかさまざまの事を言われて、おだてられても、それが即すなわち男めかけのけがらわしい特質なのだ、と思えば、それこそいよいよ「沈む」ばかりで、一向に元気が出ず、女よりは金、とにかくシヅ子からのがれて自活したいとひそかに念じ、工夫しているものの、かえってだんだんシヅ子にたよらなければならぬ破目になって、家出の後仕末やら何やら、ほとんど全部、この男まさりの甲州女の世話を受け、いっそう自分は、シヅ子に対し、所謂「おどおど」しなければならぬ結果になったのでした。
シヅ子の取計らいで、ヒラメ、堀木、それにシヅ子、三人の会談が成立して、自分は、故郷から全く絶縁せられ、そうしてシヅ子と「天下晴れて」同棲どうせいという事になり、これまた、シヅ子の奔走のおかげで自分の漫画も案外お金になって、自分はそのお金で、お酒も、煙草も買いましたが、自分の心細さ、うっとうしさは、いよいよつのるばかりなのでした。それこそ「沈み」に「沈み」切って、シヅ子の雑誌の毎月の連載漫画「キンタさんとオタさんの冒険」を画いていると、ふいと故郷の家が思い出され、あまりの侘びしさに、ペンが動かなくなり、うつむいて涙をこぼした事もありました。
そういう時の自分にとって、幽かな救いは、シゲ子でした。シゲ子は、その頃になって自分の事を、何もこだわらずに「お父ちゃん」と呼んでいました。
「お父ちゃん。お祈りをすると、神様が、何でも下さるって、ほんとう?」
ああ、われに冷き意志を与え給え。われに、「人間」の本質を知らしめ給え。人が人を押しのけても、罪ならずや。われに、怒りのマスクを与え給え。
「うん、そう。シゲちゃんには何でも下さるだろうけれども、お父ちゃんには、駄目かも知れない」
自分は神にさえ、おびえていました。神の愛は信ぜられず、神の罰だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の笞むちを受けるために、うなだれて審判の台に向う事のような気がしているのでした。地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。
「どうして、ダメなの?」
「親の言いつけに、そむいたから」
「そう? お父ちゃんはとてもいいひとだって、みんな言うけどな」
それは、だましているからだ、このアパートの人たち皆に、自分が好意を示されているのは、自分も知っている、しかし、自分は、どれほど皆を恐怖しているか、恐怖すればするほど好かれ、そうして、こちらは好かれると好かれるほど恐怖し、皆から離れて行かねばならぬ、この不幸な病癖を、シゲ子に説明して聞かせるのは、至難の事でした。
自分は、何気無さそうに話頭を転じました。
ぎょっとして、くらくら目まいしました。敵。自分がシゲ子の敵なのか、シゲ子が自分の敵なのか、とにかく、ここにも自分をおびやかすおそろしい大人がいたのだ、他人、不可解な他人、秘密だらけの他人、シゲ子の顔が、にわかにそのように見えて来ました。
シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、あの「不意に虻あぶを叩き殺す牛のしっぽ」を持っていたのでした。自分は、それ以来、シゲ子にさえおどおどしなければならなくなりました。
堀木が、また自分のところへたずねて来るようになっていたのです。あの家出の日に、あれほど自分を淋しくさせた男なのに、それでも自分は拒否できず、幽かに笑って迎えるのでした。
「お前の漫画は、なかなか人気が出ているそうじゃないか。アマチュアには、こわいもの知らずの糞度胸くそどきょうがあるからかなわねえ。しかし、油断するなよ。デッサンが、ちっともなってやしないんだから」
お師匠みたいな態度をさえ示すのです。自分のあの「お化け」の絵を、こいつに見せたら、どんな顔をするだろう、とれいの空転の身悶みもだえをしながら、
「それを言ってくれるな。ぎゃっという悲鳴が出る」
堀木は、いよいよ得意そうに、
世渡りの才能。……自分には、ほんとうに苦笑の他はありませんでした。自分に、世渡りの才能! しかし、自分のように人間をおそれ、避け、ごまかしているのは、れいの俗諺ぞくげんの「さわらぬ神にたたりなし」とかいう怜悧れいり狡猾こうかつの処生訓を遵奉しているのと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
堀木は、何せ、(それはシヅ子に押してたのまれてしぶしぶ引受けたに違いないのですが)自分の家出の後仕末に立ち合ったひとなので、まるでもう、自分の更生の大恩人か、月下氷人のように振舞い、もっともらしい顔をして自分にお説教めいた事を言ったり、また、深夜、酔っぱらって訪問して泊ったり、また、五円(きまって五円でした)借りて行ったりするのでした。
「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
汝なんじは、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣あくらつ、古狸ふるだぬき性、妖婆ようば性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗ひやあせ、冷汗」
と言って笑っただけでした。
けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。
そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。シヅ子の言葉を借りて言えば、自分は少しわがままになり、おどおどしなくなりました。また、堀木の言葉を借りて言えば、へんにケチになりました。また、シゲ子の言葉を借りて言えば、あまりシゲ子を可愛がらなくなりました。
無口で、笑わず、毎日々々、シゲ子のおもりをしながら、「キンタさんとオタさんの冒険」やら、またノンキなトウサンの歴然たる亜流の「ノンキ和尚おしょう」やら、また、「セッカチピンチャン」という自分ながらわけのわからぬヤケクソの題の連載漫画やらを、各社の御注文(ぽつりぽつり、シヅ子の社の他からも注文が来るようになっていましたが、すべてそれは、シヅ子の社よりも、もっと下品な謂わば三流出版社からの注文ばかりでした)に応じ、実に実に陰鬱な気持で、のろのろと、(自分の画の運筆は、非常におそいほうでした)いまはただ、酒代がほしいばかりに画いて、そうして、シヅ子が社から帰るとそれと交代にぷいと外へ出て、高円寺の駅近くの屋台やスタンド・バアで安くて強い酒を飲み、少し陽気になってアパートへ帰り、
「見れば見るほど、へんな顔をしているねえ、お前は。ノンキ和尚の顔は、実は、お前の寝顔からヒントを得たのだ」
「あなたの寝顔だって、ずいぶんお老けになりましてよ。四十男みたい」
「お前のせいだ。吸い取られたんだ。水の流れと、人の身はあサ。何をくよくよ川端やなあぎいサ」
「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」
「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ」
唄いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。
してその翌日あくるひも同じ事を繰返して、
昨日きのうに異かわらぬ慣例しきたりに従えばよい。
即ち荒っぽい大きな歓楽よろこびを避よけてさえいれば、
自然また大きな悲哀かなしみもやって来こないのだ。
ゆくてを塞ふさぐ邪魔な石を
しかし、事態は、実に思いがけなく、もっと悪く展開せられました。
「やめた!」
と堀木は、口をゆがめて言い、
「さすがのおれも、こんな貧乏くさい女には、……」
閉口し切ったように、腕組みしてツネ子をじろじろ眺め、苦笑するのでした。
自分は、小声でツネ子に言いました。それこそ、浴びるほど飲んでみたい気持でした。所謂俗物の眼から見ると、ツネ子は酔漢のキスにも価いしない、ただ、みすぼらしい、貧乏くさい女だったのでした。案外とも、意外とも、自分には霹靂へきれきに撃ちくだかれた思いでした。自分は、これまで例の無かったほど、いくらでも、いくらでも、お酒を飲み、ぐらぐら酔って、ツネ子と顔を見合せ、哀かなしく微笑ほほえみ合い、いかにもそう言われてみると、こいつはへんに疲れて貧乏くさいだけの女だな、と思うと同時に、金の無い者どうしの親和(貧富の不和は、陳腐のようでも、やはりドラマの永遠のテーマの一つだと自分は今では思っていますが)そいつが、その親和感が、胸に込み上げて来て、ツネ子がいとしく、生れてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ながら恋の心の動くのを自覚しました。吐きました。前後不覚になりました。お酒を飲んで、こんなに我を失うほど酔ったのも、その時がはじめてでした。
眼が覚めたら、枕もとにツネ子が坐っていました。本所の大工さんの二階の部屋に寝ていたのでした。
「金の切れめが縁の切れめ、なんておっしゃって、冗談かと思うていたら、本気か。来てくれないのだもの。ややこしい切れめやな。うちが、かせいであげても、だめか」
「だめ」
それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」という言葉がはじめて出て、女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業、考えると、とてもこの上こらえて生きて行けそうもなく、そのひとの提案に気軽に同意しました。
けれども、その時にはまだ、実感としての「死のう」という覚悟は、出来ていなかったのです。どこかに「遊び」がひそんでいました。
その日の午前、二人は浅草の六区をさまよっていました。喫茶店にはいり、牛乳を飲みました。
「あなた、払うて置いて」
自分は立って、袂たもとからがま口を出し、ひらくと、銅銭が三枚、羞恥しゅうちよりも凄惨せいさんの思いに襲われ、たちまち脳裡のうりに浮ぶものは、仙遊館の自分の部屋、制服と蒲団だけが残されてあるきりで、あとはもう、質草になりそうなものの一つも無い荒涼たる部屋、他には自分のいま着て歩いている絣の着物と、マント、これが自分の現実なのだ、生きて行けない、とはっきり思い知りました。
自分がまごついているので、女も立って、自分のがま口をのぞいて、
「あら、たったそれだけ?」
無心の声でしたが、これがまた、じんと骨身にこたえるほどに痛かったのです。はじめて自分が、恋したひとの声だけに、痛かったのです。それだけも、これだけもない、銅銭三枚は、どだいお金でありません。それは、自分が未いまだかつて味わった事の無い奇妙な屈辱でした。とても生きておられない屈辱でした。所詮しょせんその頃の自分は、まだお金持ちの坊ちゃんという種属から脱し切っていなかったのでしょう。その時、自分は、みずからすすんでも死のうと、実感として決意したのです。
その夜、自分たちは、鎌倉の海に飛び込みました。女は、この帯はお店のお友達から借りている帯やから、と言って、帯をほどき、畳んで岩の上に置き、自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、一緒に入水じゅすいしました。
女のひとは、死にました。そうして、自分だけ助かりました。
自分が高等学校の生徒ではあり、また父の名にもいくらか、所謂ニュウス・ヴァリュがあったのか、新聞にもかなり大きな問題として取り上げられたようでした。
自分は海辺の病院に収容せられ、故郷から親戚しんせきの者がひとり駈けつけ、さまざまの始末をしてくれて、そうして、くにの父をはじめ一家中が激怒しているから、これっきり生家とは義絶になるかも知れぬ、と自分に申し渡して帰りました。けれども自分は、そんな事より、死んだツネ子が恋いしく、めそめそ泣いてばかりいました。本当に、いままでのひとの中で、あの貧乏くさいツネ子だけを、すきだったのですから。
下宿の娘から、短歌を五十も書きつらねた長い手紙が来ました。「生きくれよ」というへんな言葉ではじまる短歌ばかり、五十でした。また、自分の病室に、看護婦たちが陽気に笑いながら遊びに来て、自分の手をきゅっと握って帰る看護婦もいました。
自分の左肺に故障のあるのを、その病院で発見せられ、これがたいへん自分に好都合な事になり、やがて自分が自殺幇助ほうじょ罪という罪名で病院から警察に連れて行かれましたが、警察では、自分を病人あつかいにしてくれて、特に保護室に収容しました。
深夜、保護室の隣りの宿直室で、寝ずの番をしていた年寄りのお巡まわりが、間のドアをそっとあけ、
「おい!」
と自分に声をかけ、
「寒いだろう。こっちへ来て、あたれ」
と言いました。
自分は、わざとしおしおと宿直室にはいって行き、椅子に腰かけて火鉢にあたりました。
「やはり、死んだ女が恋いしいだろう」
「はい」
彼は次第に、大きく構えて来ました。
「はじめ、女と関係を結んだのは、どこだ」
ほとんど裁判官の如く、もったいぶって尋ねるのでした。彼は、自分を子供とあなどり、秋の夜のつれづれに、あたかも彼自身が取調べの主任でもあるかのように装い、自分から猥談わいだんめいた述懐を引き出そうという魂胆のようでした。自分は素早くそれを察し、噴き出したいのを怺こらえるのに骨を折りました。そんなお巡りの「非公式な訊問」には、いっさい答を拒否してもかまわないのだという事は、自分も知っていましたが、しかし、秋の夜ながに興を添えるため、自分は、あくまでも神妙に、そのお巡りこそ取調べの主任であって、刑罰の軽重の決定もそのお巡りの思召おぼしめし一つに在るのだ、という事を固く信じて疑わないような所謂誠意をおもてにあらわし、彼の助平の好奇心を、やや満足させる程度のいい加減な「陳述」をするのでした。
「うん、それでだいたいわかった。何でも正直に答えると、わしらのほうでも、そこは手心を加える」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
ほとんど入神の演技でした。そうして、自分のためには、何も、一つも、とくにならない力演なのです。
夜が明けて、自分は署長に呼び出されました。こんどは、本式の取調べなのです。
ドアをあけて、署長室にはいったとたんに、
「おう、いい男だ。これあ、お前が悪いんじゃない。こんな、いい男に産んだお前のおふくろが悪いんだ」
色の浅黒い、大学出みたいな感じのまだ若い署長でした。いきなりそう言われて自分は、自分の顔の半面にべったり赤痣あかあざでもあるような、みにくい不具者のような、みじめな気がしました。
この柔道か剣道の選手のような署長の取調べは、実にあっさりしていて、あの深夜の老巡査のひそかな、執拗しつようきわまる好色の「取調べ」とは、雲泥の差がありました。訊問がすんで、署長は、検事局に送る書類をしたためながら、
「からだを丈夫にしなけれゃ、いかんね。血痰けったんが出ているようじゃないか」
と言いました。
その朝、へんに咳せきが出て、自分は咳の出るたびに、ハンケチで口を覆っていたのですが、そのハンケチに赤い霰あられが降ったみたいに血がついていたのです。けれども、それは、喉のどから出た血ではなく、昨夜、耳の下に出来た小さいおできをいじって、そのおできから出た血なのでした。しかし、自分は、それを言い明さないほうが、便宜な事もあるような気がふっとしたものですから、ただ、
「はい」
と、伏眼になり、殊勝げに答えて置きました。
署長は書類を書き終えて、
「起訴になるかどうか、それは検事殿がきめることだが、お前の身元引受人に、電報か電話で、きょう横浜の検事局に来てもらうように、たのんだほうがいいな。誰か、あるだろう、お前の保護者とか保証人とかいうものが」
父の東京の別荘に出入りしていた書画骨董こっとう商の渋田という、自分たちと同郷人で、父のたいこ持ちみたいな役も勤めていたずんぐりした独身の四十男が、自分の学校の保証人になっているのを、自分は思い出しました。その男の顔が、殊に眼つきが、ヒラメに似ているというので、父はいつもその男をヒラメと呼び、自分も、そう呼びなれていました。
自分は警察の電話帳を借りて、ヒラメの家の電話番号を捜し、見つかったので、ヒラメに電話して、横浜の検事局に来てくれるように頼みましたら、ヒラメは人が変ったみたいな威張った口調で、それでも、とにかく引受けてくれました。
「おい、その電話機、すぐ消毒したほうがいいぜ。何せ、血痰が出ているんだから」
自分が、また保護室に引き上げてから、お巡りたちにそう言いつけている署長の大きな声が、保護室に坐っている自分の耳にまで、とどきました。
お昼すぎ、自分は、細い麻繩で胴を縛られ、それはマントで隠すことを許されましたが、その麻繩の端を若いお巡りが、しっかり握っていて、二人一緒に電車で横浜に向いました。
けれども、自分には少しの不安も無く、あの警察の保護室も、老巡査もなつかしく、嗚呼ああ、自分はどうしてこうなのでしょう、罪人として縛られると、かえってほっとして、そうしてゆったり落ちついて、その時の追憶を、いま書くに当っても、本当にのびのびした楽しい気持になるのです。
しかし、その時期のなつかしい思い出の中にも、たった一つ、冷汗三斗の、生涯わすれられぬ悲惨なしくじりがあったのです。自分は、検事局の薄暗い一室で、検事の簡単な取調べを受けました。検事は四十歳前後の物静かな、(もし自分が美貌だったとしても、それは謂いわば邪淫の美貌だったに違いありませんが、その検事の顔は、正しい美貌、とでも言いたいような、聡明な静謐せいひつの気配を持っていました)コセコセしない人柄のようでしたので、自分も全く警戒せず、ぼんやり陳述していたのですが、突然、れいの咳が出て来て、自分は袂からハンケチを出し、ふとその血を見て、この咳もまた何かの役に立つかも知れぬとあさましい駈引きの心を起し、ゴホン、ゴホンと二つばかり、おまけの贋にせの咳を大袈裟おおげさに附け加えて、ハンケチで口を覆ったまま検事の顔をちらと見た、間一髪、
「ほんとうかい?」
ものしずかな微笑でした。冷汗三斗、いいえ、いま思い出しても、きりきり舞いをしたくなります。中学時代に、あの馬鹿の竹一から、ワザ、ワザ、と言われて脊中せなかを突かれ、地獄に蹴落けおとされた、その時の思い以上と言っても、決して過言では無い気持です。あれと、これと、二つ、自分の生涯に於ける演技の大失敗の記録です。検事のあんな物静かな侮蔑ぶべつに遭うよりは、いっそ自分は十年の刑を言い渡されたほうが、ましだったと思う事さえ、時たまある程なのです。
自分は起訴猶予になりました。けれども一向にうれしくなく、世にもみじめな気持で、検事局の控室のベンチに腰かけ、引取り人のヒラメが来るのを待っていました。
背後の高い窓から夕焼けの空が見え、鴎かもめが、「女」という字みたいな形で飛んでいました。
[#改頁]
第三の手記
一
竹一の予言の、一つは当り、一つは、はずれました。惚ほれられるという、名誉で無い予言のほうは、あたりましたが、きっと偉い絵画きになるという、祝福の予言は、はずれました。
自分は、わずかに、粗悪な雑誌の、無名の下手な漫画家になる事が出来ただけでした。
鎌倉の事件のために、高等学校からは追放せられ、自分は、ヒラメの家の二階の、三畳の部屋で寝起きして、故郷からは月々、極めて小額の金が、それも直接に自分宛ではなく、ヒラメのところにひそかに送られて来ている様子でしたが、(しかも、それは故郷の兄たちが、父にかくして送ってくれているという形式になっていたようでした)それっきり、あとは故郷とのつながりを全然、断ち切られてしまい、そうして、ヒラメはいつも不機嫌、自分があいそ笑いをしても、笑わず、人間というものはこんなにも簡単に、それこそ手のひらをかえすが如くに変化できるものかと、あさましく、いや、むしろ滑稽に思われるくらいの、ひどい変り様で、
「出ちゃいけませんよ。とにかく、出ないで下さいよ」
そればかり自分に言っているのでした。
ヒラメは、自分に自殺のおそれありと、にらんでいるらしく、つまり、女の後を追ってまた海へ飛び込んだりする危険があると見てとっているらしく、自分の外出を固く禁じているのでした。けれども、酒も飲めないし、煙草も吸えないし、ただ、朝から晩まで二階の三畳のこたつにもぐって、古雑誌なんか読んで阿呆同然のくらしをしている自分には、自殺の気力さえ失われていました。
ヒラメの家は、大久保の医専の近くにあり、書画骨董商、青竜園、だなどと看板の文字だけは相当に気張っていても、一棟二戸の、その一戸で、店の間口も狭く、店内はホコリだらけで、いい加減なガラクタばかり並べ、(もっとも、ヒラメはその店のガラクタにたよって商売しているわけではなく、こっちの所謂旦那の秘蔵のものを、あっちの所謂旦那にその所有権をゆずる場合などに活躍して、お金をもうけているらしいのです)店に坐っている事は殆ど無く、たいてい朝から、むずかしそうな顔をしてそそくさと出かけ、留守は十七、八の小僧ひとり、これが自分の見張り番というわけで、ひまさえあれば近所の子供たちと外でキャッチボールなどしていても、二階の居候をまるで馬鹿か気違いくらいに思っているらしく、大人おとなの説教くさい事まで自分に言い聞かせ、自分は、ひとと言い争いの出来ない質たちなので、疲れたような、また、感心したような顔をしてそれに耳を傾け、服従しているのでした。この小僧は渋田のかくし子で、それでもへんな事情があって、渋田は所謂親子の名乗りをせず、また渋田がずっと独身なのも、何やらその辺に理由があっての事らしく、自分も以前、自分の家の者たちからそれに就いての噂うわさを、ちょっと聞いたような気もするのですが、自分は、どうも他人の身の上には、あまり興味を持てないほうなので、深い事は何も知りません。しかし、その小僧の眼つきにも、妙に魚の眼を聯想れんそうさせるところがありましたから、或いは、本当にヒラメのかくし子、……でも、それならば、二人は実に淋しい親子でした。夜おそく、二階の自分には内緒で、二人でおそばなどを取寄せて無言で食べている事がありました。
ヒラメの家では食事はいつもその小僧がつくり、二階のやっかい者の食事だけは別にお膳ぜんに載せて小僧が三度々々二階に持ち運んで来てくれて、ヒラメと小僧は、階段の下のじめじめした四畳半で何やら、カチャカチャ皿小鉢の触れ合う音をさせながら、いそがしげに食事しているのでした。
三月末の或る夕方、ヒラメは思わぬもうけ口にでもありついたのか、または何か他に策略でもあったのか、(その二つの推察が、ともに当っていたとしても、おそらくは、さらにまたいくつかの、自分などにはとても推察のとどかないこまかい原因もあったのでしょうが)自分を階下の珍らしくお銚子ちょうしなど附いている食卓に招いて、ヒラメならぬマグロの刺身に、ごちそうの主人あるじみずから感服し、賞讃しょうさんし、ぼんやりしている居候にも少しくお酒をすすめ、
「どうするつもりなんです、いったい、これから」
自分はそれに答えず、卓上の皿から畳鰯たたみいわしをつまみ上げ、その小魚たちの銀の眼玉を眺めていたら、酔いがほのぼの発して来て、遊び廻っていた頃がなつかしく、堀木でさえなつかしく、つくづく「自由」が欲しくなり、ふっと、かぼそく泣きそうになりました。
自分がこの家へ来てからは、道化を演ずる張合いさえ無く、ただもうヒラメと小僧の蔑視の中に身を横たえ、ヒラメのほうでもまた、自分と打ち解けた長噺をするのを避けている様子でしたし、自分もそのヒラメを追いかけて何かを訴える気などは起らず、ほとんど自分は、間抜けづらの居候になり切っていたのです。
「起訴猶予というのは、前科何犯とか、そんなものには、ならない模様です。だから、まあ、あなたの心掛け一つで、更生が出来るわけです。あなたが、もし、改心して、あなたのほうから、真面目に私に相談を持ちかけてくれたら、私も考えてみます」
ヒラメの話方には、いや、世の中の全部の人の話方には、このようにややこしく、どこか朦朧もうろうとして、逃腰とでもいったみたいな微妙な複雑さがあり、そのほとんど無益と思われるくらいの厳重な警戒と、無数といっていいくらいの小うるさい駈引とには、いつも自分は当惑し、どうでもいいやという気分になって、お道化で茶化したり、または無言の首肯で一さいおまかせという、謂わば敗北の態度をとってしまうのでした。
この時もヒラメが、自分に向って、だいたい次のように簡単に報告すれば、それですむ事だったのを自分は後年に到って知り、ヒラメの不必要な用心、いや、世の中の人たちの不可解な見栄、おていさいに、何とも陰鬱な思いをしました。
「官立でも私立でも、とにかく四月から、どこかの学校へはいりなさい。あなたの生活費は、学校へはいると、くにから、もっと充分に送って来る事になっているのです。」
ずっと後になってわかったのですが、事実は、そのようになっていたのでした。そうして、自分もその言いつけに従ったでしょう。それなのに、ヒラメのいやに用心深く持って廻った言い方のために、妙にこじれ、自分の生きて行く方向もまるで変ってしまったのです。
「真面目に私に相談を持ちかけてくれる気持が無ければ、仕様がないですが」
「どんな相談?」
自分には、本当に何も見当がつかなかったのです。
「それは、あなたの胸にある事でしょう?」
「たとえば?」
「働いたほうが、いいんですか?」
「いや、あなたの気持は、いったいどうなんです」
「そりゃ、お金が要ります。しかし、問題は、お金でない。あなたの気持です」
お金は、くにから来る事になっているんだから、となぜ一こと、言わなかったのでしょう。その一言に依って、自分の気持も、きまった筈なのに、自分には、ただ五里霧中でした。
「どうですか? 何か、将来の希望、とでもいったものが、あるんですか? いったい、どうも、ひとをひとり世話しているというのは、どれだけむずかしいものだか、世話されているひとには、わかりますまい」
「すみません」
「そりゃ実に、心配なものです。私も、いったんあなたの世話を引受けた以上、あなたにも、生半可なまはんかな気持でいてもらいたくないのです。立派に更生の道をたどる、という覚悟のほどを見せてもらいたいのです。たとえば、あなたの将来の方針、それに就いてあなたのほうから私に、まじめに相談を持ちかけて来たなら、私もその相談には応ずるつもりでいます。それは、どうせこんな、貧乏なヒラメの援助なのですから、以前のようなぜいたくを望んだら、あてがはずれます。しかし、あなたの気持がしっかりしていて、将来の方針をはっきり打ち樹たて、そうして私に相談をしてくれたら、私は、たといわずかずつでも、あなたの更生のために、お手伝いしようとさえ思っているんです。わかりますか? 私の気持が。いったい、あなたは、これから、どうするつもりでいるのです」
「ここの二階に、置いてもらえなかったら、働いて、……」
「本気で、そんな事を言っているのですか? いまのこの世の中に、たとい帝国大学校を出たって、……」
「いいえ、サラリイマンになるんでは無いんです」
「それじゃ、何です」
「画家です」
思い切って、それを言いました。
「へええ?」
自分は、その時の、頸くびをちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかにもずるそうな影を忘れる事が出来ません。軽蔑の影にも似て、それとも違い、世の中を海にたとえると、その海の千尋ちひろの深さの箇所に、そんな奇妙な影がたゆとうていそうで、何か、おとなの生活の奥底をチラと覗のぞかせたような笑いでした。
そんな事では話にも何もならぬ、ちっとも気持がしっかりしていない、考えなさい、今夜一晩まじめに考えてみなさい、と言われ、自分は追われるように二階に上って、寝ても、別に何の考えも浮びませんでした。そうして、あけがたになり、ヒラメの家から逃げました。
夕方、間違いなく帰ります。左記の友人の許もとへ、将来の方針に就いて相談に行って来るのですから、御心配無く。ほんとうに。