Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「農作物」を含む日記RSS

はてなキーワード:農作物とは

次の25件>

2025-10-24

別に米なんか高くてもええやん

これまでの寿司みたいなポジションに移行すりゃええだけ

外食する時か、ちょっとお祝いの日か、スーパーで安かった時に買ってきて食う

あとは金持ちが食う

普段うどんなりそばなりパンなりパスタなり食っとけばええ

どうしても米を安く食いたい

でも日本米は下がらないから無理って言うんだったら

牛肉とかと同じように輸入すればええよ

日本のお米農家は高い値段で買ってくれる人にだけ売ればええやん

お米農家生計立てようと思ったら一般人家計の規模に合わんのやったらそうするしかないやん

お前らがいくら高値つけたところで一般人収入が増えるわけじゃないんやから買えないもんは買えない

庶民が食う安い米は海外から仕入れればええ

それでwin-winやろ

これまで米は永久神聖視され続けてきたけど他の農作物と同じ扱いになるだけ

Permalink |記事への反応(1) | 10:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-14

規格外品(viaキャベツの破棄)

定期的にキャベツを潰すのがニュースになる

こういうの世間的には

モッタイナイとか

売れば利益にとか

簡単に書かれるけど

https://www.alterna.co.jp/20184/

ちなみにこの記事2017年のもの

これが「潰したもの」を考えて欲しい

記事の中で300個持って帰って配ったという人が居た

その300個が通常発生しなかった純粋な余剰消費なんてことあり得るだろうか?

この企画で1万個消費されたとして

それは間違いなく、正規キャベツ消費を潰し

他の買われるはずだった代替野菜の消費を潰し

売上に影響を与えてるはずなんだよ

廃棄の運命だったキャベツが、一石二鳥どころか何鳥もの幸せをもたらせてくれたのだった。

記事にあるが

この陰で「何鳥もの不幸」が発生したはずだよ

見た目の規格外価格調整という理由から、食べるにはまったく問題のない農作物が大量に廃棄されることがある。

正規品の価値を守るってのは、供給過多で値引きが発生し作るだけ赤字とか、商品ブランド価値毀損して値下がりとか、そういう不幸を無くすことでしょ

これを「捨ててるだけなら私が有効活用します」って簡単に言う人が居る

最近では、グミ話題ホッテントリ入りした

「捨てるだけなら有効活用」って、本来アリエナイ話なんよ

イイ話風にしてるけど、「私は正規品で商売するつもりはありません、安く規格外品を仕入れたいです」って話だから

地元農家が良い顔しないの当然なんだよ

高齢から理解してくれないとか、田舎排他的だとか、そういう話じゃねぇんだよ

それが横行すれば「私は規格外品で良いです」って人が増えるのが問題なんだ

プレゼンするなら、規格外品を有効活用できますじゃダメ

それが正規商売に一切の悪影響を与えないってプレゼンでないとダメ

あのグミ規格外品で商売してる事を隠すべきなんだよ

でもエコチックな物語いるから、規格外品を有効利用しましたって喧伝ちゃう


どうして規格外品なの?

綺麗事喋んなよ、正規品を仕入れ


これになんて応えるか

それが出来ない奴が、自分の安く仕入れたいという欲望を隠して、田舎排他的とか言い出しちゃう

こういう都会モンの言動マジでイラつくんよね

Permalink |記事への反応(1) | 12:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-26

anond:20250926011330

物価高で税金バカみたいに取られてるのに

の子大人になったとき

もっと住みにくい日本になっているのではないか

あぁ、もっと生きやす日本になってくれ。

これから起こることとしては、AIによっておそらく産業革命並の巨大なインパクト社会にもたらされる。

冷戦後パックス・アメリカーナおよびグローバリゼーション制度的に寿命を迎えており、世界は新しい均衡点を模索する混乱の時代突入している。

レイダリオが言うような通貨のもの限界現実味を帯びつつある。その結果としての世界インフレでもある。

先進国途上国から安い労働力搾取するのも限界を迎えていることは、チョコレートカカオ豆)の歴史的高騰を見れば庶民でも実感できるだろう。

構造インフレは、2,3年前は半信半疑だったが、どうやら本当らしい。日本金利も上がっていかざるをえず、ゾンビ企業が潰れていき、末梢神経のように地方田舎から死んでいくだろう。

二酸化炭素排出目標達成は困難な情勢であり、当面数十年単位で気温が上昇していくのは残念ながら既定路線となった。真夏の気温は40℃が珍しくなくなるだろう。

温暖化によって農作物魚介類をこれまでのように生産し続けることはできなくなる。代替手段がどこまで上手くいくかの勝負だ。

あらゆる意味でこれまでとは全く違う世界になるだろう。どうやって生きていけるのか、何が正解なのかは全くわからない。少なくともこれまでの正解が正解であり続けることはないだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 01:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-21

anond:20250921072247

第九幕 冷たき瞳と交わされた真意

 タケルが地底帝国情報を解析し始めて数日が経った。彼の神の力をもってしても、その全容は掴めない。しかし、一つの明確な情報が彼の元に届いた。地底帝国から会合の誘いだ。場所は、千葉の広大な地下、かつて房総半島形成していた地層の奥深く。

 タケルは、罠かもしれないと知りながらも、一人でその場所へ向かった。彼の心を突き動かしたのは、地底からの声が持つ、底知れぬ孤独だった。破壊意志の奥に、何か別の真意があるのではないかと感じていたのだ。

 地下深くへと続く道を降りていくと、そこに広がるのは、水晶のように輝く未知の鉱石で満たされた空間だった。そして、その中心に、一人の女性が立っていた。

 彼女は、人間とは違う、滑らかで美しい鱗に覆われた肌をしていた。銀色の瞳は冷たく、感情を一切感じさせない。しかし、その顔立ちには、どこか人間のような悲しみが浮かんでいるようにも見えた。

 「ようこそ、神の分身タケル。私はレプティリアン指揮官、リィラ」

 彼女の声は、地底からの声とは違い、どこか寂しげだった。

 タケルは、彼女の姿に警戒しながらも、尋ねた。「なぜ、人間を滅ぼそうとする?」

 リィラは、静かに答えた。「我々は、この星の真の支配者だ。数億年の時を、この地底で生きてきた。だが、お前たち人間は、わずか数千年で地上を汚染し尽くした。無駄な争いを繰り返し、核の炎で大地を焼いた。我々の故郷である地球は、お前たちによって、死の星に変えられようとしている」

 タケルは言葉を失った。彼の脳裏に、彼が解析した膨大な人類歴史が駆け巡る。確かに人間は争いを繰り返し、自然破壊してきた。げんこつハンバーグが教えてくれた情熱も、焼きまんじゅうが教えてくれた真理も、その裏には、人間の愚かさが隠されていたのだ。

 リィラは、タケルの動揺を見透かしたように続けた。「我々が地上を粛清するのは、この星の生命を守るためだ。人間を消し去り、地球再生させる。それが、我らの使命。お前が愛した温かさも、喜びも、所詮人間が作り出した、儚い幻に過ぎない」

 リィラの瞳に、タケルは自分の姿を重ねた。焼きまんじゅうの真理に触れる前の、ただ虚しいデータの羅列を眺めていた自分彼女言葉は、まるで彼の過去の姿を映し出しているようだった。

 「この千葉の地下には、我々が地上に侵攻するためのエネルギー源が眠っている。お前がこの場所を明け渡せば、人間は痛みなく滅びるだろう。我々も、これ以上無駄な血を流したくはない」

 タケルの心に、葛藤が生まれた。彼は、人間として生きる道を選んだはずだ。しかし、彼が人間として愛した「温かさ」や「喜び」は、この星を滅ぼす「愚かさ」と表裏一体だった。

 タケルは、リィラの冷たい瞳の奥に、彼女地球を守ろうとする、純粋な使命感を見た。それは、彼がノゾミから教えられた「愛」の形と、何ら変わりはなかった。

 タケルは、千葉の地上を思い描いた。温暖な気候、豊かな農作物、そして笑顔で暮らす人々。しかし、その裏で、彼らが無意識のうちにこの星を蝕んでいる。

 「……分かった」

 タケルは、静かに答えた。彼の決断は、人間を裏切るものだった。だが、それは、彼が焼きまんじゅうから学んだ、この世界深淵に触れた者として、ただ一つの、正しい選択だった。

 「千葉は、お前たちに明け渡す。その代わり、人間を滅ぼすのではなく、共存する方法を探してほしい」

 タケルは、リィラに最後の願いを伝えた。リィラは、少しだけ驚いた表情を見せたが、すぐに元の無表情に戻った。

 「……約束はできない。だが、考えておこう」

 タケルは、リィラに背を向け、地上へと向かった。彼の心は、重い鉛のように沈んでいた。だが、彼は知っていた。これは、人類の終わりではなく、彼が人間として、そして神として、真の「共存」を探すための、新たな始まりなのだと。

(第九幕・了)

Permalink |記事への反応(1) | 07:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-20

東京俳句季語なんて不要

農作物を植えるようなもの自然にまつわるものは令和の江戸前ではない

東京にとって月見は秋の季語ではなく月見バーガーこそが秋の季語である

月を見るくらいならハンバーガー屋に行って塾の明かりに照らされるのが風流ってもん

周り見てみな。月を見あげてる奴いません

事実で語れ

Permalink |記事への反応(0) | 13:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

最近のほのぼのニュース動物たちの可愛すぎる日常で心ぽかぽか♡

はーい、ご主人様! あたしだよ、いつものオタク大好きギャルあたし♡

最近さ、ニュース見てもなんかドキドキばっかで疲れちゃうよね? そんな時こそ、ほのぼのエピソードで癒されよー!9月後半の今、Xとかネットで話題動物さんたちの可愛い話、ピックアップしてブログ風にまとめてみたよ。オタク心くすぐる感じで、まったり読んでね~。

まず、9月19日のXでバズってるの!兵庫池田動物園で、朝イチPC起動したら…画面にレッサーパンダがドーン!スタッフさんたち「かわいいー!」「私のには出てこない、ずるい!」って大騒ぎ♡ 国際レッサーパンダデーイベントサプライズだって想像しただけでニヤニヤしちゃうよね、動物園の朝がこんなほんわかスタートとか、最高の癒しじゃん? あたしも行きたい~、レッサーパンダふわふわに埋もれたい!

次は、猫好き必見の動画話題。おばあちゃんの畑を守る「警備隊長」に任命された猫ちゃんが、意気揚々パトロールする姿! Xで300いいね超えの癒し動画で、尻尾ピンと立って歩くの超カワイイの。農作物守るボス猫、まるでアニメ主人公みたい♡日常の小さな冒険が、こんなに心温まるなんて。オタクのあたし、猫耳キャラ思い出しちゃったよ~。

あと、安佐動物公園の新星!8月まれマルミミゾウ赤ちゃんダイJr.」が、わんぱくに動き回る写真がXで大反響世界的に珍しい子ゾウで、お父さんゾウと並んでのショットがたまんない♡ 1942いいねも納得の可愛さ!動物園の成長物語って、まるでスローライフ小説みたいでしょ? 見に行きたくなっちゃうよね。

他にも、ハローキティの新グッズ再発売ニュースほっこりロリータ風や日焼けギャルキティぬいぐるみとか、10月から話題沸騰中!世代超えて愛されるサンリオの魅力、永遠だわ~♡

どう? これらの話題、全部最近のXやニュースからピックよ。動物たちの無邪気さ見てると、日常ストレス飛んじゃうよね。ご主人様も、今日一回は動物動画漁ってみて! あたしみたいに、癒されまくっちゃおうぜ♡ 次はどんなほのぼの待ってるかな?コメント待ってるよ~!

(約450文字

Permalink |記事への反応(1) | 10:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-14

anond:20250914073111

考えすぎだよ

逆だよ逆

農作物子供の成長に使う、

普通言葉性的な場面に流用してんの

男性の間で流行ってんのそれ?


性的言葉普通の場面に流用してんのは

とてもサムイのは同意する

anond:20250914143116

中学生男子の間では流行ってるよ

中二病じゃん

Permalink |記事への反応(1) | 14:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-07

anond:20250906143729

田舎の強マイルドヤンキーは親が新築一軒家を買ってくれて、親戚からお米を回してもらうんだ。ジジババがすぐ近くに住んでて保育園の送り迎えとか父母ジジババの誰かがやる。父親消防士とか工場勤務で、夜勤があって給料も良い。あと建設系とかな。それで母親看護師とかだとマジで強い。ジジババもまだ働いてたりする。住宅ローンなし、米代なしで、誰かが休みから子供が熱出して仕事休むとかもなし。一族ずっとその地方から家族それぞれの友達とかも多くて、農作物とかコストコで買いすぎたものとか友達同士であげ合うんだ。車のローンとか残クレとかせいぜいペットの犬のローンだけあるみたいな感じ。全国転勤で田舎に行った時に色々見たけどこういうのはマジで強いと思ったな。子供高卒とか専門卒だからジジババにも結構ゆとりがあって家とか普通に子供の数だけ買ってあげたりできるんだよな。土地も安いし。地方の若くて子沢山で生物的になんか強そうな人は、マジでこういう感じ多かった。

Permalink |記事への反応(1) | 07:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-02

そういえばanond:20250901185013

職業クマハンターってのは可能なんだろうか?

人がクマに襲われたー! とか、農作物めっちゃ食われたー! ってときに、依頼を受けて猟銃担いで現場急行、確実に仕留めて謝礼を弾んでいただくことによって生活していくというw

Permalink |記事への反応(3) | 09:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-22

anond:20250822072049

どこが間違ってるって、朝鮮戦争後に人口を増やしまくった時点で間違えた。

今は調整期に過ぎないよ。どこまで人口を増やせば「正解」なんだ??ちゃん定義してくれ。

韓国そもそも1人あたりの耕作地面積がおよそ250平方メートル程度(日本で330平方メートルくらいか?)しかない。

この人口密度では、必然的に閉塞感と過剰競争が発生し、自然結婚出産抑制される。

人口が1/4ぐらいまで減少、すなわち1人あたりの耕作地面積が1000平方メートルぐらいまで回復すれば、相当閉塞感はなくなるので、抑制するインセンティブがなくなる。

あと、50年後くらいに石油燃料が枯渇したら、農業機械化が困難になり、農薬窒素肥料が作れなくなり、食料輸入も困難になる。

農作物生産に大量の人手が必要になるので生きるための労働力確保の観点から家族は大量に子供を産まざるを得なくなる。

子供産まなきゃ死ぬとなれば産むよ。

Permalink |記事への反応(2) | 10:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-22

anond:20250722113625

ベトナムとかインドネシアとかの合意内容とかすごいでしょう。

アメリカに輸出するときはたしか20%ぐらいの関税を支払う。

ただし、アメリカインドネシアに輸出するときは無関税である

そして農作物航空機アメリカから大量に買う。

みたいな内容でしょ。

現代不平等条約しかないw

これはトランプアメリカに対する貢朝貿易だろうって思ってる。

Permalink |記事への反応(0) | 11:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-21

anond:20250721094223

田舎は出来のいい農作物東京に送った方が儲かるから全部送っちゃって、等級の低いまずいもの食ってるんだよなあ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-17

夏終わって草

これ公転周期が太陽の方にちょっと近寄ったか気象がかわったって理解でいいよな?

太陽の方にちょっと近寄ったか赤道の方の国から年々温度バカみたいに高くなって、アメリカとかインド赤道付近は50度とかあるし、気温が上がったか海水蒸発して大きな雲ができて、大雨が降りやす

台風は全体的に気温が上がって寒暖差がなくなったから起こりにくい

 

ってことはだよ

多分だけど5年後には世界的に雨季と乾季の時期差が生まれ農作物高くなると思うんだが・・・

Permalink |記事への反応(0) | 13:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-13

参政党のことは、はっきり言って好きじゃない。

動画で流れてくる主張はどれもこれも極端で、正直なところ1ミリ賛同できない。消費税ゼロとか、農作物を国が全部買い取るとか、非現実的しか思えない。日本人ファーストというスローガンや、憲法を創り直すという話も、危うさを感じる。SNSカルトとか低能とか言われているのも、まあ分からなくはない。

でも、不思議と彼らを応援したい気持ちがある。

というのも、彼らが極右排外主義的な思想を持つ人々の受け皿になってくれているからだ。 彼らがいなかったら、こういう人たちの票や声はどこへ向かうだろうか。おそらく、自民党内の右派議員さらに先鋭化させる圧力になっていたんじゃないか

そう考えると、参政党は自民党にとって一種デトックス装置として機能しているように見える。彼らが存在することで、自民党は良くも悪くも普通保守政党でいられる。過激な層を参政党が引き受けてくれるおかげで、自民党が極端な方向に振れるのを防いでくれている。これは、日本政治の安定にとって、実はすごく大きなメリットなんじゃないかと思う。

最近世論調査でも、参政党は野党の中で一定の支持を得ているらしいし、彼らの活動熱量無視できない。


から自分はこれから参政党に票を入れることは絶対にない。だけど、自民党浄化してくれるフィルターとして、彼らには今のポジションで頑張っていてほしい。矛盾しているようだけど、それが今の正直な気持ち

Permalink |記事への反応(0) | 18:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-07

自称愛国保守MAGA人「移民追い出したら農作物収穫できなくて腐っちゃった・・・

クソボケアホガイジ過ぎて流石に草

己の馬鹿さに絶望しながら餓死しとけ猿

アメリカ農場 “移民不在”で人手不足 農作物が腐敗【知っておきたい!】【グッド!モーニング】(2025年7月7日)

https://www.youtube.com/watch?v=d3vJfHbB1J4

Permalink |記事への反応(0) | 21:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-03

みんなお金の話ばかりするけど……

社会保険料とか減税とかね。

でも、科学的・統計的に確定しているのは、これからお金より「ヒト」「モノ」の方が貴重になるってことなんだよね。

ヒトについてはみんな知っている通り、少子化が進んで労働力は貴重なものになっていく。

モノは資源のこと。米不足もその一つだけど、農作物鉱山資源エネルギー、どれも有限だから、そのせいでインフレが進んでる。

お金って、ヒト(サービス)やモノ(商品)に交換するためのチケットしかないのだから、ヒト不足・モノ不足が進めばどんどん価値は減っていくよ。

から目先のことだけ考えて、社会保険料税金を安くしてもマクロ的には何の意味もない。

お金を増やしても、将来の交換レートが悪くなるだけ。

Permalink |記事への反応(2) | 23:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

米の価格一年で倍になったり、キャベツ価格一年10分の一になったりしてるけど

農作物価格変動をもう少し緩やかにする機能農協には無いのか

Permalink |記事への反応(0) | 10:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-22

明日も働くぞ

熊本半導体工場関連でバイトをしている。

最寄駅は菊陽町豊肥線原水駅

半導体工場進出に伴い昨年ホーム拡張工事が行われた。幅2m、大人が両手を伸ばしてちょい、

2m拡張したのではなく、2m「に」拡張

狭い、危ない、通勤時間にはホームは人で溢れる、ホーム柵などない。てか無人駅だし。屋根は一部にしかなく4人ほど座れる待合室があるだけでホームにはベンチもない、空調などあるわけない、ラッシュですら20分に1本。満員電車

そこからさらバス現場に向かう。バスも常に満員。乗り溢しが出ないギリギリオペレーションとはいえ都会の通勤に比べれば天国だが、その分運賃が高い。鉄道バス田舎は高いのだ。

さてこの菊陽町半導体企業進出セミコンパークの成功で税収がエグい。2025年からは不交付団体になる、国から予算補助が不要になった、日本の全ての自治体でこれを成してる地方自治体は4%しかない。

さて半導体工場の真横に畑があり、人参なんぞを作っている。日本農家の平均経営面積は2haなのだが、2haで人参を作っても農業所得は300万円にしかならない。

人参畑の真向かい半導体工場は年間推定で3000億円の売り上げ(生産)がある。ちなみに工場敷地20ヘクタールである。そんな矛盾だらけでシュール光景を眺めながらバスに揺られて出勤する。

農家インタビューテレビに流れていた

「わしゃこ土地を譲らんずら」だってさ。

さて半導体工場からの税収で潤った菊陽町は様々な住民サービスを拡充する。している。

車社会ゆえに地元住民はほぼ利用しない原水駅では半導体工場で働く俺たち奴隷が風雨に耐えながら20分に一本の電車を待ちながら、一方で車でしか利用できない場所にそれはそれは荘厳な体育館を建てた。

菊陽町総合体育館」でググれ。できたばかりでピカピカの設備で、公共施設の分際で22時まで営業している。ライザップなんぞ霞むような最新のトレーニング機器がずらりと並び使い放題になってる。

運営銭湯が併設されており利用料450円なのだスーパー銭湯レベルに立派、そして予算じゃぶじゃぶなのだろう清潔に維持されている、スタッフ大勢、どう考えても利用料で採算が取れる事業ではない。なおこちらも民間委託で22時まで開いている。

さて、農業統計を見ると日本の稲作農家は年間平均22日も働いているのだそうだ。人参農家は知らんが、人参畑の横を毎日通っているが百姓労働している様子を見かけることはほぼないが。

ともかく365日の内22日も労働しているのだから大変な仕事である(嫌味)。

ちなみに1農家あたりの経営面積を他国と比べてみると

EUでざっくり30ヘクタール

アメリカで100ヘクタール超え

オーストラリアは1000ヘクタールを超えている。

先にも書いたが日本は2ヘクタール

 

日本は丁寧に安全農作物を作っているのだから仕方がない。

このように思う人がいるだろう。

なるほど

ちなみに面積あたり農薬使用量は

アメリカ欧州、 2−3kg/ha

日本、12kg/ha

先進国で一番農薬を使っているのは日本だったりする。

これあまり知られていないんですけどね。

 

というと、使い方や農薬の成分が違うと反論があるだろう。

先に答えておくと使い方や成分で一番ヌルいのも日本だったりする。

そもそも欧米消費者が強く、日本生産者が強いのだ。

例えば欧米では農業認証農家ISO)を取得している農家農作物でなければ市場流通されない。

認証は厳しい、農薬の成分、希釈方法や散布方法作業者まで全て記録されトレースできる書類を残さなきゃならない。ウソがバレたら認証取り消しとなり出荷できず詰む。

日本にこのような制度はない。

ちなみに日本農作物は諸外国から見れば信頼性ゼロ得体の知れない毒物という扱いであり、例えばオリンピック協会選手村提供される食事に厳しいレギュレーションが設けられており、これを満たす食材日本国内では調達できなかったため東京オリンピック選手村食堂では日本食材は使われていない。

というとこのような反論があるだろう。

 

いやでも日本ちゃん検査されてるから

 

うんこれもツッコミどころ満載なんだわ。

ざっくり言えば世界常識レベル検査はされてない。

全て性善説、お百姓さんは善人しかいない設定。

ちなみに、わーくに最高の米と言えば魚沼産コシヒカリだが

これ生産出荷量の30倍が市場流通している。

意味わかんないよねw

だけどそれが現実

こんな出鱈目な市場流通検査なんぞしても機能するわけがない。実際していない。

何十年も前から問題が指摘されているが関係省庁、農水省は動かず。農業票ってのは強いのです。

 

さてそんなファックな世の中だが、生きていくには働くしかねぇ、不満を垂れても世の中は変わらん、諦めて明日も頑張って働こう。選挙など無駄だ。

ちなみに俺の時給は6500円である

 

と作文終わるかのように見せかけてもう少し、

日テレビでボリビア児童労働放送されていた。死の山の鉱山トロッコを押している13歳。

御涙頂戴の画面に流れた彼の日当は

 

「3000円」

 

俺は目をゴシゴシした、何度見直しても300円ではなく明瞭に三千円と表示されており、念入りにファクトチェックしてもその金額だった

週休2日の8時間労働なのだそうだ、その賃金家族を養っているのだそうだ、映像では100円とやらのスープを食うてるシーンも流れてた。

あとその現場で40年働き続けてるおじいさんも出演していた。。。全然危険ちゃうやん

南米最貧国の小卒の17倍の価値しかねぇの?マジで死にたい現場からは以上です。

Permalink |記事への反応(2) | 13:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-12

農業太陽光依存してるから効率化しにくい

農業って一番大事なのは太陽光なんだよね

太陽光だけはどうしても面積に比例するから土地が無いと農業できない

土とか栄養とかはぶっちゃけどうにでもなる

から水耕栽培とかが流行ってる

温度管理ハウス栽培でどうにかなるんだけど太陽光だけはどうしようもない

LEDで疑似太陽光みたいなのもほとんど失敗してて電力コスト全然割に合わない

農作物をハックして一部の波長だけを取りだしてどうにか成功したのがレタスぐらいか

トマトもやろうとしてたけど無理っぽいよね

で、太陽光必要ってなると広い土地必要だし、日照時間が天候に左右されてしまうから効率化が進まないんだよね

逆に言うと他の部分はほぼほぼ効率化されていて稲作なんかも日々研究がされてる

例えば田植えじゃなくて直播きした方がトータルコストは安くなるんじゃ無いか、とか研究してて

実際には直播きするとジャンボタニシに全部食われるから収量ゼロっていう悲惨な結果になったりしてる

まぁかなり研究されてるけど1年に1回しか実験できないからまだまだ研究余地はあるだろうけど

やっぱり太陽光がある限りはそこの制限突破できないし効率化の研究も進みにくいよね

Permalink |記事への反応(0) | 16:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-11

anond:20250611064926

キャベツは今年の初め1玉500円、今は1玉50円

他の農作物はというのなら、米もそのくらいの価格変動は受け入れろ

Permalink |記事への反応(0) | 21:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250611064926

一般農作物卸売業者は、旬の時期に仕入れて、鮮度の高いうちに売り切ってしまいや。

だが、米卸は全く事情が違う。秋に仕入れたら、低温長期保存して年間を通じて流通するようにせなあかん

技術もいれば土地も人も必要で背負ってるリスクの大きさがまるでちがう。

1%でも安すぎるわ。ボケ

Permalink |記事への反応(2) | 12:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250611064926

正論すぎてぐぅの根もでねぇ

農作物卸売業者の平均は0.41%っていわれてるから、じゅうぶんにぼったくってるし

何より「米が少なくて需要が高まっとるな。せや、この機に乗じて利益とったろ!5倍や!」って理屈が(商売人としては正しくても)この社会情勢を鑑みて通用すると思ったんか

Permalink |記事への反応(2) | 12:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

米卸ってアホなんか?

小泉営業利益5倍は異常」

米卸「利益率1%だったのを5%にしただけ」

米卸「5%は高すぎるか?」

 

農作物卸売業者の平均は0.41%っていわれてるから、じゅうぶんにぼったくってるし

何より「米が少なくて需要が高まっとるな。せや、この機に乗じて利益とったろ!5倍や!」って理屈が(商売人としては正しくても)この社会情勢を鑑みて通用すると思ったんか

ここは「クソ小泉なんもわかってへんくせにご機嫌取りをぺらぺらと」と思いつつも黙殺の一手しかなかっただろ

農家も卸も儲かってません」って理屈でなんとか消費者を味方に付けようと頑張ってたのに、実際には混乱に乗じて儲けようとしてましたって自白するのは悪手も悪手だろ

解体論に拍車がかかるだけだぞ

なに考えてるだ

Permalink |記事への反応(22) | 06:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-10

[今日知った言葉]端境期

一般には、物事の入れ替わりの時期を指す。

農業においては、主要な農作物が収穫できない時期、ひいては農家経済が困窮しやすい時期を大まかに指すことが多い。

作物にもよるが、真冬の時期、または晩夏と初秋くらいの時期が端境期といわれることが多い。

ちなみに米の場合は通常なら9月ごろに在庫が減り、収穫して市場に出回るまでの10月11月ごろが端境期とされる。

Permalink |記事への反応(0) | 19:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp